2023-02-10

新しい差別を思いついた

残念ながら、キモくて金のないオッサンこと、弱者男性弱者ではなくなってしまった。

真の弱者を救わなければならない。

弱者男性は何故弱者ではなくなってしまったのか?

何故ならば弱者男性認知されることに成功たかである

この時点で、もう現代社会において弱者ではない。ここに我々が救うべき、真の弱者の姿を提言する。

プレゼン弱者」だ。

『声無き弱者は声をあげられない。なぜならば声が無いかである

このアホみたな理屈こそが、実は真理なのだ

つまるところ、現代における真の弱者とは表現力が無い人間であり、プレゼン力がない人間であり、ロビイング力がない人間である

何故ならば、現代において表現力という力が圧倒的に重視されるようになってしまたかである

この世において重要なのは金だ。

何故金が重要なのか?簡単だ。他人を動かせるからだ。

日本銀行券はただの紙だし、通帳残高なんてものはただの数字の羅列に過ぎない。

何故貨幣土地やらの資本価値があるかというと、他人に影響を及ぼすことができるからだ。

その動力を、人間はわかりやすく金としているだけに過ぎない。

そして、現代において表現力ないしプレゼン力ないし、ロビイング力は、その金と全く同じ力を持ってしまったのである

理由簡単SNSが発達して、他人プレゼンを聞く機会が増えてしまたからだ。当然ながら表現力の持つ力は圧倒的になったからだ。

表現力とは、発信者の力+影響を受けた受信者の力である

情報技術の発達によって、「受信者」の数が圧倒的に増えた今、表現力の持つ力が純粋に増えるのは当たり前のことである

もっとミクロ世界で言うと、要は表現力がある人間自分プレゼンできる人間他人イジメても許される。

表現力が無い人間は、他人イジメられても仕方がない。こういう世界になってしまった。

現代における弱者とは、とどのつまり「そこ」に存在している。

教室イジメられているイジメられっ子だろうと、自分の状況を大人に上手く伝えられる人間自分環境を変えられるだろう。

しかし、プレゼン下手にはそれができない。これは、能力による差別だ。

差別は断絶しなければならないのだから、つまりこの表現差別プレゼン差別を無くさなければならない。

最初に戻る。

何故、弱者男性弱者ではなくなってしまったのか。

これは、認知されたからだ。改善しなければならないという風潮を作り上げたからだ。つまり弱者男性には声があったということである

弱者男性には、表現力があったのだ。

声がある者は力がある者である。富める者である

からすると、フェミニストヴィーガン障害者、これらも全て「富める者」に含まれる。

何故ならば、彼ら彼女らには声があったからだ。

世の中をよく見てみると、先導者がいるはずである

まり表現者だ。

弱者男性しかり、フェミヴィーガン障害者、……ありとあらゆる弱者には、その旗手となる人間がいたはずだ。

彼ら彼女らこそが、「現代資本家」である

平等とは、つまり資本家が下々の者に分配をしてこそ生まれものである

我々が戦うべきは表現者だ。

最後に、予言する。

まだ気づいていない人間達が、この「表現差別」に気がつく時代が遠からず来るだろう。

ペテン師が勝つ時代に終わりが来る。

人は平等を求めるのだから

まり、気の利いたことの言える面白い人間加害者だ。

小説家加害者だ。

漫画家加害者だ。

ライター加害者だ。

役者加害者だ。

エンターテイナーは全て加害者になる時代が来る。

何故なら、彼らには表現力があるのだから

我々は彼らを守らなけらばならないはずだ。だからこそ、「表現差別」に今、向き合わなければいけない。

弱者のために声をあげた時点で差別主義者になる時代はすぐに来る。

他人にわかやす道理説明できる人間悪人になる時代が到来する。

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