はてなキーワード: 臨場感とは
この記事は上場当日に自分が社内ブログに投稿した記事を編集したものである。
なぜそれをこうして公開する気になったかと言うと、もしかしたらこれからIPOを経験する人の参考になるかもしれない、というのは理由のひとつだ。
もっと大きな別の理由は、この記事には自分が以前に勤めていた会社のことが書いてあるのだが、昨日の忘年会で会った当時の同僚たちに読ませたところ「懐かしすぎてもだえ死ぬ」という好評価をいただいたので、もう少し広く仲間内で盛り上がるためである。
そして何より、年末の休暇にすることもなく暇だった。
中学受験体験記 https://anond.hatelabo.jp/20170206102543
内容的には今回の記事とは何の関連もないのだが、匿名とはいえ単一の人格として認知されたいと思ったので書かせてもらった。
では、以下投稿本文。
本日めでたく東証に上場した。このタイミングで皆に話をしないといけないと以前から勝手に思っていたことがあるので、長文だが昔話に付き合って欲しい。
勤めている会社がIPOするというのは、自分にとっては二度目の経験である。
最初にIPOを経験したのは、大学を卒業して新卒で入社した会社だった。
4月1日、入社式が終わるとオリエンテーションが始まる。しかしそのオリエンテーションで、なぜか銀行の人が前に出て話し始める。
「皆さんはとても運がいい。御社はIPOを目指している。皆さんには持株会を通じて未公開株式を取得するチャンスがあります。30万円を支払えば持株会に入会できます。お金がなくても心配はいりません。我々の銀行がお貸ししましょう!」
入社早々、新入社員に借金を背負わす会社があるか?むちゃくちゃ怪しくないか?もしかしてヤバい会社に入ってしまった?
しかし未公開株という言葉は魅惑的だった。ちょっと前まで世間を騒がせていたリクルート事件のニュースでよく聞いていた。が、聞いたことがあるだけで、実のところそれが何を意味するのかを理解していた人間はほとんどいなかったはずだ。
結局、同期のほとんど(全員?)は30万円を支払って持株会に入会した。自分も含め、ローンを借りた者も多かった。
また、毎月の給与からの天引きで持株会に拠出する制度もあり、自分は毎月1万円に設定した。
入社して半年ほど経ったある日、全社員に「持株会に追加拠出できます」というアナウンスがあった。1口 30万円、最大3口まで追加拠出できるということだった。
ローンを借りると翌月から返済が始まるので、たぶんその負担を考慮したのだろう、自分は2口 60万円を追加で借りることにした。
入社2年目の冬のことだった。IPOが決まった!というニュースが流れた。
この頃までに累積で110万円くらいを拠出していたはずだが、公開価格で計算すると5倍!
20世紀末、日本経済はITバブルに沸いていた。そんな中、その会社の株も「有望」とみなされ、株価は上昇を続けていった。
当時はインサイダー規制も緩くて、みんな比較的自由に自社株を売ることができていた。周囲からは景気の良い話が次から次へと聞こえてくる。豪邸を建てたとかフェラーリを買ったとか。
同期で集まって酒を飲んだりすると、株や金の話になる。
「みんなで金出し合ってマンション建てようぜ」
「無人島とか買ったら楽しくない?」
億万長者が最も多くいる会社として、週刊誌の記事で取り上げられたりもした。
株価は上昇の一途。3日くらい連続でストップ高が続く時期もあった。自分の持株の含み益も1億円くらいになっていた。
でも周囲には5億、10億の人がざらにいたし、全然特別感はなかった。
この頃は狂っていた。株価が下がるのが怖くて株を売るやつはいない。逆に、自分が売った後にさらに株価が上がるのが怖くて売れないのだ。
「あいつは仕事もしないで株価チェックばかりしている」と言われる人が少なからずいた。
オフィスの自席の電話から大声で証券会社に売り注文を出す人間もいた。(当時、インターネットでの売買は現在ほどは普及していなかった。)
一方で、持てる者と持たざる者との分断も発生した。
IPO後に入社した人は、株をほとんど持っていない。周囲で自分には関係のない浮かれ話をされて面白いわけがない。しかも仕事をしないのである。
なにせ、ストップ高ともなれば、含み益が1日で数100万円増加、3日も続けば自分の年収を大きく超える金額になるのだ。何のために働いているのか分からなくなる。
冷静に考えれば、自分は1億円に値する働きをしていない。しかし当時の自分は「こういう会社を選んだのも自分の才能」と、完全に思い上がっていた。
世の中ちょろいと思っていた。自分には才能があるから、金なんかいくらでも稼げると思っていた。
株価が頂点近くのときに、試しに10分の1だけ売ってみた。数日後に銀行口座に950万円が振り込まれた。その金は1ヶ月半でなくなった。
追加の資金調達がきっかけだった。ついに株価の急落が始まった。連日のストップ安。
しかしそんなことはなかった。数ヶ月後には株価は半分以下、2年で数10分の1になった。
結局、数年後に残った株を処分したのだが、数100万円にしかならなかった。
しかし意外と悔しくはなかった。
結局、あの1億は自分の実力ではなく単に運が良かっただけなのだと思い直したし、出資した金額に比べればはるかに大きな利益を手にはしてたし、20代のうちに特異な経験をすることができたのだ。
自分の知り合いの事例をいくつか紹介しておく。
ある人は「これからは毎日サーフィンと株価チェックして過ごす」と言って辞めていった。そのうち自宅でデイトレードを始めたが、今は普通にサラリーマンをしている。
ある人は株を売って得た大金を、ソフトバンクや光通信など、他の流行りの株に投じ、結局手元には何も残らなかった。
ある人はフィリピンパブのお姉ちゃんと仲良くなり、家族を捨ててフィリピンに移住していった。
ある人は滝のある豪邸を建てた。高級車も買った。きれいな奥さんと結婚した。六本木での夜遊びは続けた。離婚して財産をほとんど持っていかれた。
ある人は息子たちがいい年になってもろくに働きもせず、親の金で夢を追いかけ続けた。
別にこの人たち皆が不幸せになったわけではない。そもそも消息を知らない人もいるし。
が、もしこういう人生を望んでいないのなら、過去事例を知っておいて損はないだろう。
入社6年目の終わりに会社を辞め、大企業に転職したものの、物足りなくなって1年半で再度転職した。
値下がりしきった株を処分するなどして作った1000万円を、自社のシードラウンドに投じた。
その会社は30億円以上を調達したものの最終的には立ち行かなくなって、現在ではゾンビ企業と化している。今でもその株式を持っているが、何の価値もない。
次に、今では超有望ユニコーン企業となっているスタートアップ企業に転職した。
しかしここでは満足のいく成果を出すことができなかったし、ストックオプションもなかったし、そもそも当時は全然成長路線ではなかったので、ここでは夢を見られないと思い辞めた。
スタートアップ2社で消耗しきったので小休止が必要だった。それでいったん大企業に転職した。
しかし数年働いているうちにまた元気が戻ってきた。もう一度スタートアップの世界で勝負したい。
そしてこの会社にやって来た。
あのITバブルから20年、「次こそは」とスタートアップに身を投じてから15年、ようやくここまでたどり着いた。
熱狂と失望の後、その会社は本当につまらない会社になってしまった。
多くの人間が株に狂って会社を辞めていったし、上がらない株価を見ながら「あの頃は良かった」と昔の思い出に浸るやつ、持てる者と持たざる者の間に生まれたしこりも残った。
別にそれが主因ではないだろうけど、業績も悪化して早期退職を募集することにもなった。
自分は、この会社にはそんなことにはなって欲しくないと願っている。
この記事を書いているのはそのためだし、これを読んだ人にとって何かしら考えるきっかけとなってくれたらうれしい。
もちろん今はITバブルのときとは状況が違うから、同じように狂う人間が大量発生するとは思えないけど、それでも自制心は必要だと思う。
せっかくなのでいくつかアドバイスしておく。
「上場初日に読めてよかった」「背筋が伸びた」「何度も読み直した」などなど、うれしいコメントももらった。
その後、この記事の効果かどうかは分からないが、幸いなことに社内に浮かれた雰囲気は全くなく、株価の話をする人間もほとんどいない。入社以来、勝手に感じていた使命を果たすことができたような気がしてほっとしている。
ここに公開するにあたり、オリジナル版にあった固有名詞や株価の推移を示すチャートなどを削除しているので、文章からいくらか臨場感が失われているかもしれない。しかしもしこの記事がこれからIPOを経験するかもしれないどこかの誰かの役に立つのなら、望外の喜びだ。
なお、15年かけて再びIPOを経験できたのだからさぞや嬉しかろう、と思う人もいるだろう。
実のところ、嬉しさよりも社会的責任の重さに身が引き締まる思いのほうが強い。格好つけているわけではなく本当に。
ストックオプションを行使できるようになるのはまだしばらく先だし、その頃に株価がどうなっているかなんて分かりやしない。事件・事故を起こすことなく、しっかりと業績を上げていくこと以外にできることはないのだ。
俺も大人になったもんだ。
まず注意いただきたい。
以上気をつけて欲しい。
そもそも推考をしていないただのゲロなので気分が悪くなったらそっとタブを閉じて欲しい。そこら辺は自衛してくれ。
みんな思ったでしょ。
いや別にだから悪いってことではないんだけど、安易に気持ちの問題で強くなるっていうのを連発しすぎじゃないか?(少年週刊誌のバトルものにありがちだが)
ちがうんだ、それは別にいいんだ、私も歳だしそういったことには慣れている。だが今回私が言及したいのはどうして心理描写が曖昧なまま強くなるんだ? 共感できない部分が多々あったということだ。
少し応援されたからと元気になったりしすぎだろうと、いい加減そんなゲームじゃないんだからと、せっかくのボンズ屈指のバトルシーンで映画に入り込んでいた自分が急に覚めてしまったりして非常に残念。
まあ、それもいいだろう。どうせファンタジーだ。
しかし、ヒロアカ原作に関してはファンタジーでも確かにそこにキャラクターたちが生きていて、それがリアルに、まるで自分がその世界で生きているような引力のような没入感が素敵であり、だからずぼらな私も1ファンとして単行本、アニメ、映画を欠かさず見ているのだろう。
キャラを大事にし、そのキャラの迷いやこういうこと考えていてこういうことに重きを置いていて、ストーリ進行時には蚊帳の外にいるときはちゃんと外でモブやってたりする、といったリアルな感じがいいのだ。
たぶんこれは、心理描写のために一時戦闘を中断させたりする、漫画ならではの表現なのかもしれない。映像はテンポだ。リズムが全てだ。わかる。わかるんだ。でもそこを上手に見せれなくてはヒロアカには、いったい何が残るんだ?
とまぁ、いろいろと「おや?」と思う点はあるものの、実際の脚本に文句はない。
個性譲渡、別に良い。そもそもデクもそんなこと言ってた(うろおぼえだが)
めっちゃドラゴンボール。すっごいドラゴンボール。髪の毛そんなとげとげにならんでもいいやん。いやいやそんな規模の攻撃受けてふつうそうじゃん、まじ鉄人じゃん。っていうのがほんと何度も出てくる。4日目のカレーの気分だ。「え、また?!」なのだ。
特になにが嫌って言うとだ、個性遺伝した後のバトルだ。爆轟がすぐフルカウルを使えることや100%っぽい力が使えたこともそれ全て含めてワンフォーオールの奇跡って言いたいのかい・・?それは、あまりに投げやりすぎないかい? ヒロアカって、”なんでも個性のせいにしてしまおう”っていうのがなくて、“個性を持ってるからこそこういう悩みがあってそれをどう解決して行こうか向き合う”みたいな葛藤と成長を描く作品なんじゃなかったのかな?
余談だが、私は海外のグロやバトルものの映画でよくある、音楽だけで効果音なしのバトルシーンが大嫌いだ。
馬鹿の一つ覚えと言うと言葉の悪さが際立ってしまうが、まあその表現方法はあまりに使い古されてしまった。
なのでラストバトルの音楽だけですごいバトルを見せられた時、冷めてしまった。映画館でやるんだ。もっと音響を意識して、音速を超えた一撃みたいな表現でも面白かったんじゃないかとか思う。 パッと思い返すのが映画 幼女戦記だが、常にバトルしてて、音があちこちから聴こえてきて自分もその場にいるという臨場感がほんとうに素晴らしい映画だった。
それを、こういってはなんだが1曲に全ての感情を背負わせるのは重荷すぎたのではないだろうか。
私は、そこで完全に映画からリアルの世界に戻ってきてしまった。
(ただこの映画に限っては、ボンズの全力のバトル映像のおかげでまだ見入ることができた。本当に動画がいい。ほんとコマ送りで見たい。ガンダムやAKIRAや攻殻機動隊なんかをよくコマ送りで見た口だ)
少し話が脱線したが、豚カツカレーマーボー天津飯みたいになってしまった可能性はあるか?
起承転結で、転結はかなりテンポよく進めるのがスタンダードだが、それにしても端折りすぎたように感じた。
見せ場のバトルはほんと多彩に入っていてこれはもう大満足で言うことなしなんだがちょくちょく強敵との対峙で勝てない描写をとことんやりたいが為にどうしてもワンパターンなキャラパワーアップに違和感を覚えてしまって、没入感の減少を感じた。
映画だけでなく、どんなアニメも、漫画も、ゲームも、小説も。 その世界に、私が存在できるかどうかでその作品を好きになるかどうかが決まる。
本作に関してはラストに行くにつれ、私はこの映画の世界と融合できなかった。非常に残念だ。
私は、今作でヒロアカ製作陣に何かお偉いさんからのお達しがあったのではないかとか深く勘繰ったりしたほど様変わりを感じた。
とにかく派手に、とにかく意外性を、とにかく話題性のあるものを! みたいな思いを感じてしまった。
もちろん商業作品なのでそういったことを意識して作るのは当たり前だし、別に反対もしない。だが作品を生かしてくれ。頼む。
ここら辺の違和感の解のようなものは、パンフレットを読んでいて考えたのだが、先生監督脚本の皆が口を揃えて「1作目を超えたかった」と言っていた。(1作目はほんとうに良かった。作品を通して”ヒロアカ”していたし、オールマイトの過去の描写や共闘も原作の延長として受け止めることができた)
大変受けた1作目の後の2作目、3作目と作っていく際にやはり重荷になったんだろうか
パンフレットの対談インタビューを読んで、堀越先生が原作ラストで使うネタ候補の一つ「ワンフォーオールの譲渡」を提供し、制作側もそれに飛びついたような発言がうかがえた(個人の感想だよ)
やっぱり人間が作っているんだなぁと実感したし、これからも応援を続けたい。
(なんだ急に媚びうるのか?)と思った皆様、違うんだ、聞いてくれ。
その作品の感想って好きなところ・嫌なところが入り乱れた上で成されるものじゃないか。
もう間違いないやつだ。ボンズファンにとっては言うことなしすぎて、逆にボンズ色強めな印象で、純粋なヒロアカファンは大丈夫か?とか思ったが、そもそもアニメも体育祭やらUSJやらワンフォーオール戦でアニメ視聴者は調教済みだった。
何度でも見れる。ほんとうによく動くし、戦闘の表現のパターンがすごい。これは良い。ほんとうに良い。
ちなみに私が一番好きなヒロアカアニメシーンは体育祭の轟vsデクの回だ。あの回を見た後そっと忘年のザムドを見に行った(私のボンズを意識して見た初めての作品だ。デビューはハガレンだ)
本作を見た後、一番印象に残ったのが雲やなんかの描写なんだが、すまない語彙力がなくて伝えられない。だがみんなの心にも残ってるでしょ?私は今すごくひそねとまそたんが見たい。映画に何度も行く余裕がないので、今作の空の映像を思い出すべくnetflixでひそねとまそたんを見たい
最高だ。原作やアニメでは活躍の少なくなりがちな1-Aのみんなが余すことなく活躍する。各々の連携や委員長の指示なんかも見れてほんとうに良い。
キャラへの愛がほんとうに感じられたし、この人たちはこういう動きをするのか、と私の記憶の中の1-Aの皆に命が宿ったようだった。
尾白くんはやっぱり弱い印象を持って残念だったが、いつもの8割マシで戦っていた。たぶん。 (私は尾白くんを推している)
青山くん、瀬呂くんなんかもしっっっかりと活躍をしていて、ファン大歓喜だ。次回は砂藤くんにも頑張ってもらいたい。
(この活躍というのがちゃんと戦っていて大変興奮もので、本作で印象深いバトルの一つだ。といっても本作は常に戦っているのでどこからどこまでを一戦と見るかは謎だが)
(無理やりな理由で少し違和感を覚えたが)大人を排除した上での各々のヒーロ像というものがしっかりと見て取れて本作はほんとうに原作の延長線にあるもののように感じた。
「君はヒーローになれる」
オランダ旅行のついでにお土産で買って帰ったものを、休日にチビチビと食べている。
「今日は休日だから昼間から酒飲んじゃおうかな~」くらいの気持ちで食べている。
食べているっていうのは比喩でもなんでもなくて、本当に食べている。経口摂取している。一回にボールペンの先っちょぶんくらい。
食べるのはメジャーな摂取方法ではないんだけど、メジャーな方法だとなんとなく身体に合わないっぽいので敬遠している。煙草まったく吸わないし。
メジャーな摂取方法では、摂取後数分~2,3時間ほど効き目が続くらしい。
一方経口摂取だとメジャーな摂取方法より効き目が長続きする。効き始めも遅いけど。摂取後1時間~12時間くらいまでは効いてる感じがする。
先程書いた1回分、ボールペンの先っちょくらいでそんな感じ。多めにすると効き目ももう少し長いのかもしれない。けど効きすぎるのが怖くて試していない。
オーバードーズもないそうなので効きすぎたにしても気持ち悪くなって寝ちゃうくらいだとは思うけど。
摂取すると様々な影響が出てくるのだけど、まず真っ先に口の中が乾いてくる。
どうやら唾液が減るっぽい?口の中が乾燥してくるので喉が乾く。別に脱水に伴う渇きというわけではないっぽい。
口の中が乾いてくると「あ~効いてきたのかな」って思う。
それからだんだん酒を飲んだわけでもないのになんとなく酔っ払ってきたような感じになる。
酔っ払ってきた感じになってからのことを以下にダラダラと書く。
効能には個人差があるはずなので、少なくとも自分に限っての話。
というか自分にこういう効能があったって話を聞いてほしいだけ。
パソコンの前に座ってお気に入りの曲を聴きながら目を閉じると、まるでボーカルが目の前で歌ってるかのような臨場感と迫力がある。幻視に近い、リアルな想像が浮かんでくる。
女性ツインボーカルによる曲を聴いたときなどは、あまりに二人の様子が生々しく想像できてしまい勃起すらしてしまった。
これについては後述するけれども、とにかく何かにつけて勃起してしまう。何故か。
先述の話はスピーカーでの話だけども、ヘッドホンで聴くとまた違った経験が得られる。
とにかく頭の中全体がコンサートホール、ライブ会場にでもなったかのようなダイナミックかつ透き通った鳴り方を体験できる。
かと思えば楽器ごとの息遣いも感じられるし、いつもは気にしていなかった細かなパンの振り具合が心地よく、「ここってリバーブかかってたんだ!」などの繊細な発見もできる。
「ここでこんな音鳴ってたの!?」と普段気づかないようなことに気づける。
一番驚いたのは、コード鳴らしてるギターがアップで弾いてるのかダウンで弾いてるのかがわかったこと。
ギターでジャ~ン!とコード鳴らすとき、全部の弦が完全に同時に鳴るわけではないじゃない?超スローモーションで見ると1→2→3→4→5→6弦の順、あるいは逆順で鳴らしていくわけでしょう。
そのことが耳でわかる。これにはびっくりした。
ジャ~ンじゃなくてジジジジジジャ~ンみたいに鳴ってるんだなっていうのがわかる。
あとドラムのゴーストノートと言われるような音も「もしかして今の音では?」みたいなのがなんとなくわかったりわからなかったりする。あんまりわからない。
4分33秒コンピアルバムとか聴いたら細かな物音がいろいろ聞こえて楽しいのかもしれない。
あと曲が長く感じられる。3分の曲は5分に、5分の曲は8分くらいに聞こえる。
音がとにかく充実しているという体験ができる。
曲に対する解像度がとにかく高くなる。
効いてる状態で楽器を弾くと、この上なく満たされた時間を過ごすことができる。
楽器が上手くなったように錯覚できる。鼻歌すらも。ただし耳は鋭くなっているので失敗は目立つかな。
まず音がよく聞こえることによる感動がスゴい。
2分の曲が3分くらいに感じられるので楽しい。曲の途中で「まだ終わってないの!?」って思った。
あといつもより腕前的に上手かった。
先述の音楽の話に関係すると思うんだけど、効いてる間は曲に対する解像度が高くなるのね。
それは聴覚的な話もだけど、時間的にも視覚的にも解像度が高くなる。
わかりやすく言うとスローモーションで譜面が見えるとでもいうのだろうか?厳密にはスローモーションとも違う感覚なんだけど…。
自分の場合、感覚の話なので伝わりにくいとは思うんだけど、超集中してるときって「この配置だからこの運指でこう押して…」の連続を脳で処理しまくってる感じなのね。
その超集中が解像度の高さのおかげで実現できてる感じ。
ただ、最初にも書いた通りなんとなく酔っ払う感覚に近いものはずっとあるので、気を抜くと全然譜面を押せなくなる、というか押す気がなくなる。
気持ちをしっかり持って意識を前面に張り付けるイメージで音ゲーをしたら普段より上手だったって話。
ただ、2分の曲を3分に感じられるような解像度の高い状態でしっかり譜面を処理しようと気を張ると、脳が超疲れる。
オメガトライブのクロックアップってこんな感じなのかなって思った。
とはいえ。
効いてる最中の音ゲーが上手かったとはいえ、実力の120%も出せる感じではない。
なんとなく実力の最大値、100%にほとんど近い状態、あるいはせいぜい101%くらいだろうか?
「今日メチャメチャ上手くない!?」って日に近づける感じかな。
ドーピングして大会優勝しちゃうぜ!みたいなノリでは使えないと思う。あくまで自分の実力の範囲内で上手くなってるだけなので。
ここまでオランダ土産のチョコが聴覚に及ぼす影響編を書いたのだけど、味覚や視覚に及ぼす影響編を書くにはちょっと長すぎる気がするからそのへんはまた今度書いていこうと思う。
これらの影響はあくまで自分の体感でしかないので、およそフワフワとした感覚的なことしか書いてないので、伝えようとしたイメージが全く伝わらない恐れもあるのだけど、そもそも効能も個人差があるので許してほしい。
じゃあね。また今度。
まあ……別にそれで面白さが変わるわけじゃないんだけどさ……臨場感がちょっと下がるよね。
なんかこう作品っていうのはどうやっても体験だからさ、読み手の精神状態とか人生状態と同じく、作品に対するイメージそのものがかなり影響する。
本に出会うストーリー自体が作品の第0章になっているような所がやっぱあるじゃん。
ほら、ニュー死ねマパラダイスとか、主人公がキスシーンの雑コラみたいので涙流すのは、作品への評価はその背景により影響を受けるっていう最たるものっていうかさ。
値段も影響はあってさ、タダで読む作品と金払って読む作品はやっぱタダの方が面白いんだよ。
金払うと元を取ろうっていう気持ちが働いて邪念が交じるんだよね。
たとえそれが1000億持っていての10円だろうとさ。
買うという選択をした自分の判断力の正しさについて世界と勝負が始まっちゃうっていうのかな。
それが単にポチポチして読むだけなら、時間の使い方っていう面では世界と自分のバトルみたいなのは起こるっちゃ起こるけど、作品鑑賞への影響は最小限になるっていうか。
まあいいや。
とりあえずさ、魔法少女インタビュー https://ncode.syosetu.com/n5561er/ ってのがめちゃ面白かったよ。
こないだサクソフォーン奏者のユッコミラーちゃんのライブに行ってきたわ!
初めて見てきたんだけど、
すごくカッコよかったわよ!
ああいう演奏家の人って一発ライブとかに行って目に焼き付けておいた方が圧倒的印象残るから、
CDとかだけ聞いてても、
一度バチコーンと目に焼き付けてからCDなり聞くとまた印象が違くなってくるからね。
私は楽器のこととか詳しくないし、
その楽器がその人が鳴らしたときの感じの違いが他の人と分からないから、
これはなおさらだと思うわ。
こういうのは絶対一度は直で生の本人を見ておくべきよ。
そんなわけで絶対物販もある!と見越していたので、
めちゃ可愛かった~!
こういうパッションも感じて得た方がいいわよ、
もう言い尽くされた言葉で言うと心の栄養というかなんというか。
べ、べつにスピリチュアルなことを言いたいわけじゃないんだからねっ!って思いつつも
やっぱり現場の迫力や臨場感はピュアオーディオでさえも超えることは出来ないのよ。
そんなわけで、
これも写真ばかり見るんじゃなくて直に生でダイレクトに味わうべきよね。
もちろんのことだけど。
それが昨日はお店がお休みで超ショックだわ。
焼き餃子が美味しいお店に行ってみようかと思ったけど、
電車がいつも行く方向とは反対の方向なので、
一旦家に戻って充電器とか持って行こう思って出直そうと思ったの。
そしたらもの凄い雨が降ってきて、
あいにくこういう時に限って折り畳み傘も持ち歩いてなかったから、
私はびしょ濡れで帰ってきていたところよ。
きっと豚カツ屋さんが開いててそこで食べてても
雨に降られてたと思うわ。
そう考えると
なんの思し召しか知らないけど、
雨に当たらずにラッキーだったわ。
うふふ。
オレンジジュースだけでした。
美味しいものが出そろってきてるので、
朝で調整よ調整!
我慢だわ。
水出しで作って置いたものをごくごくいったわ。
まだ冷たいものいけるわね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
生まれてからこれまでずっと一人っ子なので、遊ぶ時には一人が基本
究極的には他人と遊ぶのは「付き合い」で遊びじゃないと感じている
あと、テレビでやってた危機一髪大事故シーンみたいなのを再現するやつね
いまならyoutubeで事故映像なんて好きなだけ見られるけど、当時は「世界まる見え」とかでやってる衝撃映像を食い入るように見てた
そうめんとかお中元でもらった箱ををうらっ返してジオラマ?見たいのを作るのが好きだった
交差点とか滑走路とか道路のペイントをマジックで書くの楽しかった
飛行機が着陸すると見せかけて横転とかね
本当に誰にも邪魔されない自分だけの世界が本当に楽しかったし最高の時間だった
だんだん大きくなるにつれて図鑑とか本が好きになって、父がパソコンを家に持ち込むと模型遊びしなくなったけな
最近、3DCGがいろいろ遊べると聞いたので手を出してみたら面白い
コンピュータの中に箱庭を作れるのがいいな
これって一人っ子の独り遊びだな
今はミニカーじゃなくて美少女キャラをいじくりまして遊んでるけど
団地の押し入れにファンタジーのキャラが腰かけてるのシュールで面白い
子供のときはストーリーを作るのが苦手だったけどいまはそれも楽しい
これは当分遊べそう
なんか暑いわね。
夏だけどサマーって感じ!
虫は触れないけど、
蝉の抜け殻は触れるから、
蝉の抜け殻を髪飾りにと思って付けてみたら、
しょこたんだって今時そんなことしないですよ!だって、言うじゃない。
蝉の抜け殻が漢方薬にもなるって、
さすがにそのままでは囓ろうとは思わないけど、
それはともかく、
なんか今朝は立て込んじゃってるわ。
時間がないのは午前中に限ってなので、
昼からは一気に暇になるのは分かりきっているのに分かりきっているのに。
この午前中の詰め込みは詰め込みはって感じよ。
郵便局に行かなきゃいけないし、
頼んで作って貰ったビニル袋の納品チェックに、
これいつまで人類はそのFAX送りましたって電話連絡から解放されるのかしら?
いま先ほどメール送りましたのでーって連絡の電話いる?って感じよね。
あと一部伝票も未だに手書きとか。
でも意外とどこも手書きが多いのよね。
ごりごりの最新IT取引じゃないの?と思って止まない気がするけど。
原因は分かってるの。
って昨日の自分に言いたいわ。
とりあえず
今日はとても暑くって、
35℃超えるんじゃない?
こういう時に熱い鉄板で焼いて食べるソース焼きそばって美味しいのよね。
あれはきっと夏の味なんだわ。
家でカップ焼きソバ焼いてないやつをお湯入れて作るのとは訳が違うのよね訳が。
そんなこと言ってたら
やかましーわーい!って
この暑さのせいで
そーっすだわ!
暑さでどうにかなりそうよ。
うふふ。
とりあえず起き抜けの低脂肪牛乳!
ごきゅっと飲んできたわ。
低脂肪牛乳って水っぽいと思って遠慮してたけど、
ふと買ってみたらなんか風味が良くって生乳みたいよ。
まあ飲み比べたら違うっちゃ違うけどね。
夏だからそういうのを求めてるんだわ。
レモンなかったら
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
4万くらいの、日本製のやつ。
うちにはノートPCとスマホはあるが、テレビがもう長らくない。
アマゾンプライムで動画見るのに、ちょっと大きい画面で見たいな〜と思ってモニターを買うことに。
1万からあるけど、せっかく大きい画面で見るのだし、買って失敗したーとか思うのが嫌で
レビュー読みまくってこれにした。
が。なんだろ、アマゾンプライムのドラマをモニターで見てみるも、キレイ!臨場感たっぷり!とかではない。。
たしかにこのモニターのメインレビュアーはドラマ見る層でもゲーマー層でもなかった。
絵を描いたりDTPやったりしてる人たちだった。
ううむ。
そう言われてみたら、とても正確できれいな感じがするかも。。
猫に小判を若干感じている。
若い女の香り成分が含まれるボディソープであるデオコをおっさんが使って各地で悲劇が生まれている。
デオコは本来は加齢に悩む女性が使用して若さを取り戻すための商品である。それをおっさんが使ったことで、若い女の香り成分をまとったおっさんという怪物が生まれてしまった。
おっさんに若い女の香り成分をかけても若い女の匂いを嗅いだのと同じ感覚は得られない。現実を見ろ。カレーの匂いがするうんこは所詮うんこだ。
そのような怪物として生涯を終えるのではなく、最高のオナニーをしてすっきりとした気分で毎日を送るべきだとは思わないか?
まず、おっさんが自分の体に若い女の香り成分をかけるのが間違っている。体ではない、タオルにかけるのだ。タオルにデオコをかけて鼻にあてて呼吸することで、吐いた息に含まれる湿気とデオコの若い女の香り成分が混じり合い、鼻の内部が臨場感あふれる状態になる。口で呼吸すると自分の口臭が混ざって良くないので気をつけろ。
ハンカチや使い捨てマスクも試したが、湿気を保つ能力がタオルに比べて低いのでタオルほどの臨場感は得られない。
タオルを洗濯するときに香料入りの柔軟剤を少しだけ使って、より女性らしい匂いに改良してもいいだろう。
デオコには3種類あるのを知っているだろうか?ボディソープと、ロールオンタイプのデオドラントとスティックタイプのデオドラントだ。
デオドラントというカタカナ語は怪獣の名前みたいに見えるかもしれないが、これは体臭をごまかすための塗り薬のことだ。
ボディソープは体に使うものだ。タオルに使うのにはデオドラントの方が向いている。デオコのデオドラントにはロールオンとスティックの2種類があるが、スティックの方がタオルに塗るのには都合が良い。
ロールオンタイプは薬液が入った容器の上にビー玉くらいの大きさのプラスチックのボールがついていて、それが転がって薬液が肌に塗れるというものだ。タオルに塗るのにも都合が良さそうだが、薬液にアルコールが含まれているので塗った直後は若い女の香り成分よりもアルコールの臭いの方がきつい。タオルが乾くのを待てば匂いを楽しめるようになるが、一刻一秒を争うオナニーの前には向かない。
スティックタイプはスティックのりのように、固形の薬剤がせり出してきて肌に塗れるものだ。こちらにはロールオンタイプのようなアルコール臭がないので、好きなときにタオルに塗ってすぐに匂いを楽しむことができる。
オナニーのためにデオコを買うならスティックタイプを買うべきだ。
若い女の香り成分と言っても、それ単体で性的な興奮をもたらすわけではない。嗅覚と同時に視覚と聴覚を刺激しろ。大画面で着エロDVDを見るか、VRのAVで女優が密着してキスをしたり耳元でささやいたりするシーンを見るともっとも臨場感が高い。そのような刺激を視覚と聴覚に与えながらスティックタイプのデオコを塗ったタオルを鼻にあてて呼吸することで、今までとはレベルの違う没入感を体験することができるはずだ。
唯一の難点は、VRゴーグルの重さで鼻が圧迫されるせいで匂いが嗅ぎづらいことだろうか。これをブリーズライトを用いることで解決できないかは今後の研究課題としたい。
anond:20190315022042 の続き。
本当にTV版からガラッと変わった。途中まで、ギャラクシーの侵入作戦が始まるところまではだいたい同じだった。しかし正直なところ名前と髪型でクーデターに失敗する噛ませ犬だと舐めていたレオン三島がまさかここまで有能であったとは。TV版から反省会を繰り返したのか三島よ。本作におけるTV版との分岐点はできる三島とついに人の心をインストールしたグレースである。まあ最終的にやっぱり三島は死ぬけど。
そして何より本質的な違いは二つ。オズマによる自分を演じることへの肯定と終盤のランカとシェリルの役割の裏返り。この二つの変更点により驚くほどすんなりとシェリルがメインヒロインに固定された。
劇場版で役割と設定が整理されストーリーが単純化したことで、TV版の中盤までの流れ(病に弱るシェリル、シェリルに惹かれるアルト、スターダムを駆け上がるランカ)から終盤への流れ(シェリルが行方不明、ランカからアルトへの告白)が一気にスムーズになった。というかTV版でも密かに思っていたけど、明らかにアルトくんシェリルのこと好きだよね!そうじゃないといくらなんでも終盤のあの展開はないよね!!つまりあの矢三郎めがいなければ(主にシェリルが)あそこまで苦しむことはなかったのだよ!!!
ちなみに好きなシーンは、アルトに会えなくなってもいいのかと優しく問うグレースと答えに詰まるシェリル、アルトの病室での包丁を巡る不器用な二人のやりとり(イチャイチャ)、放課後オーバーフロウのイントロに合わせて閉まっていくマクロスクォーターの外装。
ところで劇場版ではオミットされたTV版終盤でのランカとシェリル:バジュラと交感できる声をしているせいでミンメイの再来と政治的に担ぎ上げられ生体兵器としての運用に疲れていくランカ、病に犯されながらも自分にできる最大のこと(ランカの代わりに死を覚悟して歌う)を選ぶシェリル、という無駄に重い展開も増田はかなり好き。特に歌ったら死ぬことに気づいているから最終決戦の前にアルトに恋人ごっこは終わりと告げる(= 強がる)シェリルとそれを聞くアルトのシーンがとても好き。そういえば劇場版はこの「今は答えないで。歌えなくなってしまうから」部分はランカのセリフになっていたな。どっちのシチュエーションでも振られる流れだよなあ。
冒頭のバジュラの巣の攻略や大気圏内でのマクロスクォーターのサーフィンマニューバ、やたらと陽気で軽そうだがシリーズファンからするとこれ以上ない安心感が得られるYF-19からの声、S.M.S大隊によるマクロスキャノン斉射、そしてアンタレス1との熾烈なドッグファイトなどなど見所だらけだった。増田が一番グッときたのは、実はバジュラの巣攻略戦での隧道内のブレラの操縦テク。このシーンは狭い隧道を先行するブレラをアルトが追いすがるという形なのだが、驚くべきことに狭い上にバジュラも向かってくるのに、ブレラは一度も変形を行っていない。可変戦闘機バルキリーのセオリー(様式美ともいう)通り、垂直方向への移動や複数体のバジュラの掃討にガウォーク変形で対処し即座にファイターへの変形で高速移動を行うアルトに対して、ブレラはファイター形態のままインプラント特有の反応速度をもって、機首の向きをわずかに調整することでノンストップでバジュラの殲滅と移動を行うのだ。マクロスの様式美を否定するような非常に地味ないぶし銀の描写がよかった。
TV版の不満点であった超時空二股エンド。アルトくんはっきりせいやと前の感想に書いたが、劇場版ではズバッとアルトくんの男らしい告白で三角関係に決着がついた……ついたのだけど……ついたのだけど、だけど、
思いが通じ合って両思いになった恋人たちが次の瞬間に離ればなれになるなんて、そんなことは望んでなかった!
ただ思い合う二人がイチャイチャしているところを見たかっただけなのに……
初見のときはこのエンディングで完全に固まった。そしてエンドロールの「dシュディスタb」(願いは叶うとヒロインズが歌う)を聞いてすわビターエンドの先のハッピーエンドかと沸き立ったのだが、生命維持装置に繋がれて昏睡しているシェリルの脳内想像ライブという可能性に思い当たりより消沈した。しばらくアルトがシェリルのことを愛している設定でTV版世界に戻ろうかと考えていたのだが、絶対に救いはあるはずだと考えて二週目へ。そしてなんとか一つのこじつけに思い当たった。
そう、眠り続けるシェリルは眠り姫のモーチフであり、王子様(アルト)のキスで目を覚ますのが必然であるのだ。TV版ではシェリルとランカの両方から唇(一部R18)を奪われていたアルトであるが、運命付けられたように劇場版ではシェリルにされた頬へのキスしかない。これはもうそういうことだろう。運命だよ。よって増田の中では、アルトくんが(アイくんとかで)なんとかしてフロンティアのシェリルのもとへ戻ってきてシェリルの目を覚ましたあと、二人で幸せになることが確定しました。多分アルトの病室での一幕のように互いにからかいあってイチャイチャするのだろう。よかった……。
サヨナラノツバサでも「禁断のエクシリア」から始まり、二人の掛け合いと会場のバタバタ具合が楽しい「Get it on〜光速クライmax」、めちゃめちゃイントロが格好よく演出もパーフェクトな「放課後オーバーフロウ」、そしてエンディングのお祭り「dシュディスタb」と素晴らしい曲ばかりである。ただ、劇場版を代表する曲となると「ダイアモンドクレバス」だろう。イツワリノウタヒメでのバジュラを呼び寄せてしまったことや、ギャラクシー軍のミッション開始の合図だったこと、墜落したフロンティの教会跡など劇中の要所で美しくも悲しいこの歌が効果的に使われていた。
それから見ていて気になったのがライブの演出。演出といってもすごく手のかかったCGの方ではなくて(これもすごかった)客席の後ろからステージを映すカメラワーク。カメラが歌手を追うPV型ではなく観客との一体感を深めるライブ型の演出を選択したのは興味深い。ミュージックシーンがPV中心からライブ興行中心へ転換しつつあったことと関係しているのかもと考えた。なお増田はPCモニターで見たからそこまで臨場感はなかったのだけど、当時劇場で見た人は自分がライブに参加している感覚を味わえたのだろうか。またサイリウムなどを持ち込んで応援上映のようなことができたのだろうか。
そしてもう一つ気になったライブがアルカトラズ刑務所での「星間飛行」からの流れ。何と言っても慰問ライブに参加していた/できなかった囚人たちが声を合わせてこの歌を合唱するのだ。正直はじめはなぜランカ中島リーさん以外の声を入れてせっかくの星間飛行を邪魔するのかと思った。ただ、よく考えるとランカ・リーの星間飛行を聞きたいのならばCDやPVなりを聞けば良いことに気がつき、そこでようやくこのシーンがマクロスの伝統である歌の力を素朴な形で描写していることに気がついた。
増田の理解としてはマクロスのメカニズムというのは武力と歌の相互補完にある。武力では暴力は防ぐことができても心(世界)を変えることはできない。歌は心(世界)を変えることができるけど暴力に対しては無力。しかしその二つが合わさることで等身大の人間が奇跡を起こすことができる。そのリアリティがSFをコアに持つマクロスのメカニズムであり、非対称なこの関係性に三角関係が加わることで豊かなドラマが生まれてくるのだと思う。
この歌の力という面からフロンティアという作品を見ると、二つの場面が思い浮かぶ。TV版の星間飛行ライブと先ほど挙げたライブ@アルカトラズだ。前者は言わずと知れた、ゼントラーディー部隊の反乱を歌とキラッ☆のみで熱狂の海に沈めた伝説のライブである。このライブの演出は、最初は戸惑っていた兵士たちが曲が進むにつれ武器を投げ出し鼻血を噴きそして最終的にクァドランが肩を組んで踊るという実にアホなものだが、歌が心を変える様子をこの上なく描いていた。アルカトラズのライブはというと、先に書いた通りランカを知っていた知らなかったに関わらず荒くれ揃いの囚人たちが自ら歌を口ずさみ心を一つにする。これが星間飛行のすごさであり歌の力であるのだ。なおこのライブ、この後のクランのアジテーションから囚人たちと看守たちの大乱闘がGet it onに乗せて始まるというやっぱりアホな展開になるのだけど、やっていることは単なるテロである。そして最後の「ランカちゃん〜」と「ジェリ゛ル゛さ゛〜〜ん゛」のコールに吹き出すのである(何度見てもこの部分で笑ってしまうのだけどエキストラなのかな?)
増田がマクロス7のサウンドブースター演出に違和感を持ったのは、サウンドブースターにより視覚化・数値化された歌が武器(ビーム兵器、バリア兵器)のように使われていたから。それと力と歌をバサラ一人が担当するのにも関わらず王道のマクロスフォーマットでストーリーが作られていたため、最終的にバサラ一人で世界を平和へ導くという一人の人間を超越した行いをさせてしまったことも同様。作品テーマとして武力を否定しラブアンドピースを狙っていたのは理解できるのだが、武力の代わりとしてサウンドブースターというまた別の武力を持ち出し、バサラ一人に全てを背負わせたため普通の若者の織りなす物語というセオリーを壊してしまったように見えた。洗脳されたバロータ兵を初めから出すのではなく、初めは市民トラブルを歌で解決するというような入りかたでもよかったのかなと思う。
最後になぜ増田がシェリル派なのかというとプロフェッショナルであることの誇りと責任さらにケー鯛(口からアンコ出る)を愛用するセンスを持ち、泥水をすすっても生き抜く根性があり、たとえ死を迎えることになっても自らの役割を全うする覚悟をまとい、でも支えを失うと心が折れそうになる繊細な所があり、そしてアルトくんをからかう姿がとても楽しそうなシェリルが好きだからです。
次はIIかデルタを見る予定。アイドルものと聞いてあまりデルタには興味が湧かなかったのだけど、たまたまワルキューレの歌を聞く機会があり、メインボーカルの声にぶっ飛んだので俄然興味が湧いた。アイドルものであのガチ音圧の人がメインを張るってかなり攻めてると思うのだが、どういう狙いがあるんだろ。