はてなキーワード: 科学者とは
妄想するだけで満足できてしまう。妄想で脳内麻薬を分泌できているということかなのかな?
美味しいご飯を食べる俺。
でも妄想しすぎて現実の自分の自己評価に影響しているような気がするんだ。
俺は全然大したことない人間なのに自分の中では妄想の俺が現実の俺を少し侵食していて客観的に自分を見ようとすると現実と自己評価の乖離に戸惑う。あれ?おれは自分のダメなところを妄想の自分で埋めているぞ!ということに気づく。
例えば、俺は人前で話すの苦手なのに政治家になって演説してる妄想してるから自分がそういうの得意な人間だと思い込んでるんだよ。で、いざ人前に出てみるとやっぱり上手くないんだよね。やばいな。いきすぎると病気になってしまうかもな。
http://president.jp/articles/-/25434
早稲田大学の教授のセクハラ問題が記事になり、またまたハラスメント界隈が騒がしくなっている。
私もこの場で、私が受けた屈辱をネットの海に流して忘れようと思いこの増田で日記を認めることにした。
もう10年も昔の話だからもう時効だろう。私は10年間秘密を守り続けてきた。
本当はもっと早くに公開すべき情報だったことはわかっているが、自分はずっと研究を続けている身だったから、
どうしても言い出せずにここまできてしまった。
私は当時早稲田大学の学部の4年生で、院進することに決めていた。
第一志望を東京大学、第二志望を早稲田大学の内部進学にして院試の勉強に励んでいた。
ちょっとややこしいのだが、私が学部時代に指導を受けていた先生の所属が翌年度から他大に移るということで、
他の研究室を受験する必要が生じた。詳細は避けるが、院試では早稲田の同じ学科内の他の教授の研究室を受験することに決めた。
院試は英語と選択形式の専門科目、後日研究発表形式の面接だった。専門科目は確か7問くらいから2問を選択して回答する形式だったと思う。
過去問を見る限りでは学科のそれぞれの教授が1題ずつ出題する形式のように思われた。私は自分が比較的得意な教授の専門範囲に絞って院試の勉強をしていた。
院試の2週間前くらいだっただろうか。私の受験先の研究室のボスから、「来年からのテーマについて話がある」と呼び出された。
彼の研究の話はいつも刺激的だから、私はワクワクして教授室に行った。ひとしきり今の研究の進捗などを話した後、
彼がふと、「君はどの先生の選択問題を解くか決めた?」と聞いてきた。私はなんでこの質問を?と思いつつ、「あー、はい、今この科目とこの科目をやっています」と答えた。
彼は「ふーん、あのね、僕、今から独り言言うからね。メモは持ってるよね?」と言った後、その二科目の問題を全て読み上げたのだ。
何が起きているかわからなかった。でも、私は愚かにもそれをメモに書き取ってしまった。そして呆然としながら教授室をでた。涙が出てきた。
私が聞いてしまった問題のうちの1題は、当時のボス(受験先ではなく、学部時代の指導教員)が考えた問題に違いなかった。研究室に戻ると、彼がご機嫌で話しかけてきた。
涙が止まらなかった。ボスは教授室に私を招き、どうしたのか聞いてくれた。私はことの顛末をボスに打ち明けた。
「私、先生が院試で出題する問題を知っています。今、〇〇先生から聞いてきました。」
いつもはヘラヘラしているボスだがこの時は「なんで彼はそんな余計なことを?何もしなくたって君なら受かるでしょう?」と声を荒げていたが、
その後ひとしきり黙った後で「この話は、なかったことにしよう。君は普通に院試を受けるんだ、大丈夫、試験問題を知ってても知らなくても君なら受かってたから。こんなのバレたら大ごとになる。」と説得された。
私はもう何も考えたくなかった。ボスの指示に従うことにした。それでいい。私が黙っていれば丸く収まる。早稲田の院試の1ヶ月後には東大の院試がある。それに受かればいい話だ。
自分は自分が、カンニング行為を行うことがどうしても許せなかった。そんなことは私の人生で一度もしたことがなかった。
一度はもう早稲田を受けるのすらやめようと思った。でも東大一本に絞るのは、院試とはいえとてもリスクの高い選択に思えた。私は結局院試当日の試験会場にいた。
問題を漏らされてから2週間で、私は7人の教授の残り5人の研究範囲を勉強し直した。漏らされた問題は解かないと決めていた。これで落ちたら仕方ない。そう思った。
かくして専門科目の院試が始まり、そこには、私が教えてもらった通りの問題が一字一句違わずに並んでいた。
私はその2問には手をつけず、残りの5問から2問を選択して解いた。2週間の付け焼き刃だ。よくできたとはお世辞にも言えない。
後日の面接では、面接官の教授の一人に「これで東大受けるの?頑張ってね」と嫌味を言われた。悔しかったが黙って聞き流すしかなかった。
結局、私は早稲田大学の研究室に合格し、運よく東大の方にも合格し、未だになんだかんだアカデミックと細々とつながりを持ち続けている。
あの会場で、私は院試問題を知っていた。(おそらく、あの研究室を受けた全ての学生が知っていたと思う)。
その事実はずっと私を苦しめてきた。
もっと早くに、言うべきことだった。
院試の前に、言うべきことだった。
でも言えなかった。ずっと、後悔している。今も、後悔している。
もうすぐ院試の季節だ。彼はまだ学生に、問題を漏らし続けているだろうか?
ずっと言えずに居たから、こうして匿名ながらも辛い経験をシェアできて少し気が軽くなった。
それと同時に、「自分も漏洩された」「院試ではよくあること」というコメントが散見されるのは悲しくもあった。
私は潔癖でも真面目でもない普通の人間だ。どんな試験であれ、一部の人間だけが問題を知っている状況というのは許されてはいけないはずだ。
院試の形式でバレてしまうんだね、これは理工系研究科の院試で起きたことだ。
年度も言いたいところではあるけどさすがにこれ以上は勘弁してほしい。いや、もうこの時点でバレてしまうかもしれないけど。とにかく約10年前に起きた出来事だ。
私ともう一人、その研究室を受ける奴がいた。院試問題をバラされた日、私が教授室に入るのと入れ替わりで、彼が出て行ったのを覚えている。
私は、彼とはそんなに仲が良くなくて聞かなかったけど、なんとなく彼もあの日に院試問題をバラされたのではないかと思っている。
なんであの教授がそんなことをしたのか、それは本当のところはわからない。
教授はすごく神経質なところがあって、教授室の鍵が閉まっているかを何度も確かめたり、officeファイルのセーブを異常なほどこまめにとったりする人だったから、
念には念を入れて私が落ちないように問題を漏らしたのかもしれない。
あるいは、自分の研究室を志望する学生に好成績をとってもらって、自分のところの学生が優秀だと自慢したかったのかもしれない。
私の現在の幸せを祈ってくれた人たち。本当にどうもありがとう。
結局あの院試のあと、私は当然、早稲田を蹴って東大に院進した。
研究分野は当時とはだいぶ離れて、その教授を目にする機会も滅多にない。
今は、自分の良心を裏切らなくても良い場所で、同業者の伴侶とともに細々と研究している。
早稲田大学は、いろいろ言われてはいるけれど、私に科学者としての第一歩を踏み出させてくれ、
アフィカスがまとめたくだらないまとめをまた読んでしまった http://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1236466
ラノベオタクはすぐにラノベの「定義」がどうのと言うけど、このことこそ彼らがいかに無教養かということを示している。「定義」を絶対視し厳密に議論しようという科学的態度の自分たちこそ教養ある人間だと思っているかもしれないが、実はそれは単なる盲目的な科学主義にすぎず、文学(もちろんラノベも含まれる)という現場とは相性が良くない。いかにも中途半端な理系が多そうな発言ではある。
本来言葉の定義というものは存在しない。辞書に書かれてあるのは編纂者が勝手にまとめたものにすぎない。彼らは神ではない。権威ある辞書の存在しない時代にも言葉はすでに存在したなんてことは誰にとっても明らかだろう。
言葉というのは使い方によって意味が決まってくる。言語使用こそがすべてである。辞書に書かれた定義という閉鎖的な意味だけを持つのではなく、言葉というのはもっと開放的で自由なものだ。もっといえば創造的なものだ。それこそが詩というものであるわけだし。極端なことを言えば、同じ言葉でも発されるたびにすべて意味的にも差異がある。本質的に言葉というのはいつもアドホックな意味を持っている。辞書の定義そのもので厳密に語られるということは実はそれほど多くない。
文脈を共有し言葉にアドホックな意味を込める、そしてその意味を共有しあう、そういうのが人間同士のコミュニケーションだ。定義通りにやり取りするのはAに対してはBという動作で確実に反応するようにプログラムされたロボットだろう。ラノベオタクはこういうロボット的なコミュニケーションこそ科学的で崇高で尊敬されるべきだと考えているのかもしれない。しかし現実はそうではない。むしろ逆だ。冗談を言い合うとき、無意識のうちに通常の辞書的言語使用とはずれた使い方をするし、そういうずれをお互いがすぐに理解して笑いあう。そんなことは日常生活に当たり前に存在する。「定義」がどうのと言っているのはそれこそ文字通りにしか文章を読めない人たちであり、彼らはたしかに科学者ではあろうが、文学者ではない。ラノベオタクにはそういう科学者的態度の人が多いというのが不思議だ。彼らは文学愛好家ではないのか。
件のまとめも、定義がどうのと言わず意図を読み取ろうとすれば読み取れるわけで、またつまらない揚げ足をとって、他者の発言を理解しようとしていないではないか。ラノベオタクというのは基本的に他者に対する興味が乏しい。世間の人々は平凡な言葉にアドホックな意味を込めて使うが、ラノベオタクはそういった辞書的定義から外れた言語使用を嘲笑して、そんなものは厳密な言語ではないからと認めようとしない。これは他者を理解しようという意志がないということを意味する。要するにラノベオタクにとって世界に他者は存在せず、自分しかいない。だから自分の攻撃性には無自覚で、簡単に人を傷つけ、ひどい差別語で罵るようなことを毎日やっている。
ラノベオタクはたくさん読書をしているのに、想像力が貧困で、人文科学を蔑視し、科学主義に凝り固まっている堅物でしかない。そして彼らは自分たちこそ真に教養ある知識人だと思っていて、自分たちのやり方以外のもの、自分たちの思考様式を外れたものは非科学的で嘲笑すべきと思っている。これによって出来上がるのは他者に対して不寛容な厄介なおっさんなのである。
いつしか「経済成長」は私たちにとって当たり前のものになっていた。だが、それは永遠のものなのだろうか。
アベノミクスの大黒柱である日本銀行の異次元緩和はお札をどんどん刷って国債を買い支えるという、かなり危うい政策である。にもかかわらず世論の支持が高いことが不思議だった。
思えば「成長よ再び」という威勢のいい掛け声と、「必ず物価は上がって経済は好循環になる」と自信満々の公約に、人々は希望を託したのかもしれない。
希望をくじいたのはくしくも日銀が放った新たな切り札「マイナス金利政策」だった。昨年1月に日銀が打ち出すや世論調査で6割超の人が「評価できない」と答えた。いわばお金を預けたら利息をとられる異常な政策によって、人々がお金を使うようせかす狙いだった。これには、そこまでする必要があるのか、と疑問を抱いた人が多かったのだろう。
政府も国民も高度成長やバブル経済を経て税収や給料が増えることに慣れ、それを前提に制度や人生を設計してきた。
だがこの25年間の名目成長率はほぼゼロ。ならばもう一度右肩上がり経済を取り戻そう、と政府が財政出動を繰り返してきた結果が世界一の借金大国である。
そこで疑問が浮かぶ。ゼロ成長はそれほど「悪」なのか。失われた20年と言われたその間も、私たちの豊かさへの歩みが止まっていたわけではない。
その間、日本のミシュラン三つ星店は世界最多になったし、宅配便のおかげで遠方の特産生鮮品が手軽に手に入るようになった。温水洗浄便座の急普及でトイレは格段に快適になった。
若者たちが当たり前に使う1台8万円の最新スマホが、25年前ならいくらの価値があったか想像してほしい。ずっと性能が劣るパソコンは30万円、テレビ20万円、固定電話7万円、カメラ3万円、世界大百科事典は全35巻で20万円超……。控えめに見積もったとしても、軽く80万円を超える。
スマホに備わるテレビ電話や会話する人工知能の機能となると、25年前ならSF映画の世界の話だった。
ただ、この便益の飛躍的な向上は国内総生産(GDP)というモノサシで測ったとたんに見えなくなる。80万円超の大型消費が、統計上はスマホの8万円だけに減ることさえあるのだ。
そこで見えなくなってしまう豊かさの向上を考慮せず、「どんな政策手段を使ってでもとにかくGDPを膨らませよ」というのがアベノミクスの思想である。
人間はそうまでして成長を追い求めるべきなのか。
実は、いまのような経済成長の歴史が始まったのは200年前にすぎない。長い人類史のなかでは、ほんの最近だ。GDP統計が初めて作られたのは、さらにずっとあとのこと。1930年代の大恐慌、第2次世界大戦がきっかけだった。
昨年夏、GDP統計をめぐるちょっとした論争があった。所管官庁の内閣府に日本銀行が「実態より過小評価されているのではないか」と問題提起したのだ。
きっかけは日銀の若手職員が発表した個人論文。ただ論争には日銀上層部の意向も働いていた。アベノミクスの主軸として史上空前の超金融緩和をしながらインフレ目標を実現できず、成長にも結びつかない。現実へのいらだちがあった。
数字ひとつで財政や金融政策を動かし、人々の景況感にも影響するGDP。その歴史は、長い人類史のなかでは意外と短い。
世界で初めて国の経済全体の大きさを測ろうとしたのは英国。17世紀の英蘭戦争のためにどれくらい戦費が調達できるか知ろうとしたのだ。そこから現在のようなGDPになったのは、さらにあと。1930年代に英国、米国で大恐慌の対策を探り、第2次世界大戦に向けた生産力の分析を進めるためだった。(『GDP』ダイアン・コイル)
一般的には1760年代の英国産業革命が成長の起点とされる。だが西暦1年~2000年代の世界の成長を人口や歴史資料から推定した経済学者アンガス・マディソンによると、1人当たりGDPがはっきり伸び始めた起点は60年ほど後の1820年ごろだった。
その理由を投資理論家で歴史研究家のウィリアム・バーンスタインが『「豊かさ」の誕生』で分析している。1820年ごろになると、ようやく私有財産制度や資本市場が整い、迅速で効率的な通信や輸送手段が発達。技術進歩や新しいアイデアを評価する文化や制度ができて、成長を後押しする基盤が整ったという。
社会思想家の佐伯啓思・京都大名誉教授によると、国家が成長を必要としたのはもともと冷戦期に資本主義陣営が社会主義陣営に勝つためだった。「それだけのことにすぎない。なぜ成長が必要なのかという根源的な問いに、経済理論には実は答えがないのです」
冷戦が終わったあとも成長への渇望だけが残った。むしろ成長の限界や弊害について、以前より語られなくなったのかもしれない。
1970年代初頭、世界の科学者や経済学者たちが集まる民間組織ローマクラブがまとめた報告書『成長の限界』は、経済成長を謳歌(おうか)する人類への警告だった。人口が増え、先進国経済が膨張しすぎると、資源の使いすぎや環境悪化などからいずれ限界が生じる、という問題提起だった。
いつしかその問題意識は薄れ、成長信仰だけがひとり歩きしはじめた。
佐伯氏は「ローマクラブが指摘した問題の重要性は今も変わらない。これから無理やり市場を膨張させ、成長させようとする試みは競争や格差を激しくして、人間にとってますます生きにくい社会にしてしまうのではないか」と話す。
紙幣を発行し、金融政策をつかさどる中央銀行。その「元祖」は英国のイングランド銀行とされる。もともと民間銀行の一つだったが1844年の制度改正で中央銀行に進化した。
つまり1820年ごろに始まる「成長」とともに誕生した機能だった。
いま世界経済の成長スピードが落ちている。2008年のリーマン・ショックでマイナス成長に陥った先進諸国は、危機から回復した後も以前のような成長軌道に戻れていない。
サマーズ元米財務長官は3年前、物質的に満たされた先進国は簡単に低成長から脱せないという「長期停滞論」を唱えた。
日米欧の中央銀行はまるで自分の存在意義を確かめるように、ゼロ金利政策、量的金融緩和、マイナス金利政策……と成長を取り戻すための異例の緩和策を次々と繰り出した。
「これは長い目でみれば中央銀行の終わりの始まりだ」と言うのは日銀出身で金融史にも詳しい岩村充・早稲田大大学院教授だ。
中央銀行が政府から独立する必要があるのは、たとえ政権が代わっても、お金の価値が変わらない金融政策を続けることが経済の安定には大事だからだ。岩村氏は「政府といっしょになって成長のために異常な金融緩和を進める。そんな今の中央銀行に独立性はない。存在意義がなくなってしまった」と指摘する。
経済史の泰斗である猪木武徳・大阪大名誉教授は、成長を謳歌したこの200年間を「経済史のなかではむしろ例外的な時期」と言う。そのうえで無理やり成長率を引き上げようとする最近の政策に異を唱える。
「低成長を受け入れる成熟こそ、いまの私たちに求められているのではないでしょうか」
成長の意義も認めてきた猪木氏が最近そう考えるのは、成長そのものの役割が変質してきたからだ。
「かつて経済成長には個人を豊かにし、格差を縮める大きなパワーがあった。最近は国家間の経済格差は縮まったものの、上っ面の成長ばかり追い求める風潮が広がり、各国の国内格差が広がってしまった」
主要国の成長戦略、金融政策は往々にして強く富めるものを、さらに強くさらに富ませる傾向がある。それがトリクルダウン(滴がしたたり落ちること)で中間層、低所得層に広がるという想定だ。現実にはそうなっていない。
19世紀の経済思想家ジョン・スチュアート・ミルはゼロ成長の「定常社会」を構想した。だが近代経済学は事実上、成長ぬきには語られなくなった。いつしかあらゆる経済理論が成長の持続を前提に組み立てられるようになったからだ。
むしろ現実社会に変化の兆しが出てきた。たとえば最近広がりつつある、買わずにモノを共有するシェアリングエコノミー。大量消費と一線を画す動きだ。
四半世紀にわたるゼロ成長期を過ごした日本人の意識に変化もうかがえる。
博報堂生活総合研究所の定点観測調査によると、「日本の現状はこの先も、とくに変化はない」と見る人は昨年54%で、9年前より22ポイントも増えた。さらに身の回りで「楽しいことが多い」人が増え、「いやなことが多い」人は減った。
同総研の石寺修三所長は「人々の意識が定常社会を前向きに受け止めつつある変化がはっきり示されている。いわば『常温』を楽しむ社会です」と話す。
いま世界が直面する低成長が「成長の限界」を示すものかどうかは、はっきりしない。ただマディソンの2千年の成長率推計を見れば、この200年の2~3%成長が、まるでバブルを示す急騰曲線のようだとわかる。
成長の鈍化はむしろ経済活動の「正常化」を意味しているのかもしれない。少なくとも成長は「永遠」だと思わないほうがいい。(編集委員・原真人)
元ページ(リンク切れ): http://www.asahi.com/articles/ASJDY5DR2JDYULZU005.html
ブコメ: http://b.hatena.ne.jp/entry/www.asahi.com/articles/ASJDY5DR2JDYULZU005.html
チャールズは観察を続けるうちに、繁殖に参加しない雄が存在することに気がついた。産まれてくる時点では雌雄の比はほぼ等しいが、繁殖に参加する個体の性比は少数の雄に対して多数の雌という構図が存在するのだ。
なぜ繁殖に参加しない個体が出現するのか?資源の浪費であり、種の存続に不利なのではないか?
疑問に思ったチャールズは実験を行った。その結果明らかになったことは、繁殖に参加しない雄は、成熟した生殖器をもち、妊孕性があるということだった。一方で繁殖に参加しない雄の子孫にも正常な雄が出現した。
結局、チャールズは繁殖に参加しない理由を明らかにできず、「生理的にも解剖学的にも、僅かな差異さえも発見されなかった。したがって、何らかの心理的な理由によって繁殖を避けていると考えられる」と結論づけた。
当時は増田には極めて限定的な学習能力と僅かな語彙があるだけで、人間のような精神や意識があるとは考られていなかった。そのため、チャールズの主張は科学者のみならず宗教家からも厳しく批判された。はてはチャールズに子供がいないことを揶揄して、チャールズが匿名で日記をつける風刺画を掲載する新聞も現れる始末であった。
https://srdk.rakuten.jp/entry/2018/05/16/110000
に触発されて。
幼少期の読書体験って、まあまあその後の人生に影響与えると思うんですよ。おかげさまでまあまあ本も読むし、公式な趣味は読書、と言っていい感じ(増田やら提督業やらとはいいにくいからね)です。SFもつまみ食い程度には読みます。
あとはファミコン&マンガ禁止ってのはでかかったと思うが、後者はなし崩しになりました。ジャンプ黄金期に追走できなかった嫌いはありますが。しかし、いまだにこの方針をぶち上げた我が母が、何だってこんなもん買い与えた謎な本がある。たぶんこれ以外もあるだろうけど、まあパッと思いつける範囲で3冊。
これで人生が変わったような、変わらなかったような。
初っ端からこれだよ。このタイトルで絵本というのが意味が解らない。読み聞かせなんてぇ物があったかは覚えていないが、これはそういう絵本じゃないだろう。買ってもらった記憶は当然ないが、いつの間にかあった。ミイラの呪いか。
更に言えば、内容はリアルガチだ。古代エジプト人の死生観・宗教観に始まって、話はミイラづくりに至る。死んだファラオの鼻の穴にカギを突っ込んで脳みそを引きずり出す、なんてぇ描写もちゃんとある。絵のおかげでそうグロくはない。むしろ「墓をちょっと良くしたら死体が腐って困るようになった」という逸話のダメになった白骨さんが怖かった。あと脳みそ引きずり出し職人も怖いっちゃ怖い。もっとも、こいつらのせいで、長らく脳みそはしわのところからほどけてうどん的なヒモ状になると信じていたのであるが、それはまた別の話だ。
エジプト旅行に行く時の入門書にぴったり。後年、本当にわが母とエジプト旅行(父は流石に第三世界に女一人で出すのは気が引けたらしく荷物持ち)に行くことになるのだが、それは10年近く後の話なのである。当時から行きたかったのかな・・・??
正確には「与え給いし」ではなく、その辺に置いてあっただけなのだが・・・。家にあった子供読み物が終わった後に、その辺に転がってるからと言って読みだしたのがこれ。高学年とはいえ消防にゃ早すぎるんではあるが、止めもしなかった。いいエッセイですよええ。このほかにもシリーズが何冊かあって、いずれも好きだったけど、なぜか巻が飛び飛びにしかなかった。これとこれもなぜか転がっていた「のらくろ少尉」「のらくろ決死隊長」のおかげで旧字体アレルギーが付かなかったのは幸運か。しかし、我が母、なぜ全巻頭から揃えようとしないのか謎。のらくろは何であったのかも謎で、カバーもないのでページをめくらない限り何の本かわからないという代物だった。どの版だったかも判然としない。今調べりゃいいんだけど。
まあとにかく、こっちの方から昭和戦後エッセイ方面(マンボウ・狐狸庵等あだ名つけるシリーズ。村上朝日堂あたりまでがその範疇とにらんでいる)の攻略に乗り出すのである。ただしこれは血のなせる業か、マンボウ読んでも狐狸庵未読、みたいなずさんな揃え方をするのである。
ある年の誕生日プレゼントの一冊。中学生入ったかも。ちょっと記憶があいまいで、「わしらは怪しい探検隊」(外で焚火をするのも好きなんです、今もって)を読んでいたので、それで適当に作者買いしたのかもしれないが、こっちが先だったのかもしれない。後者ならなんでこんなもんを、との思いが強くなるし、前者だとしてもあんまりだ。内容はというと、やや病的(当時椎名は鬱病だったはずである)な男が新宿から帰宅する間に抱える妄想を含めてダダ流ししてある、という代物である。文体は後の椎名SFを読むときの抵抗を減らしたような気もする。これとお約束の星新一、さらに小学校にあった謎の子供用SFシリーズ(零戦の亡霊が復活して子供の教育を始めたり、ソ連!の科学者一家が火星に移住する話を憶えている)によって、SFつまみ食い癖が付いたようだ。
この元増田は、よっぽど視界の狭い環境で生きているんだろうな。
接客業なんか知らないで技術屋が一方的に高説をしているだけに見える。
接客業をやっていて且つ、普段から一般客としても生活していれば、もっと幅広い視点で物を観ることが出来るだろう。
技術屋はまずエンドユーザー視点で、という一方的な考えの前にエンドユーザーだけでなくそれを企業側も同時に考えて物を作らないと。
ユーザーの為に作りましたって言われても、企業からすれば「あっそ」とそっけなく終わる。
まずシステムそのものは企業が使って初めてエンドユーザーに広がっていく。
支払いの自動化がそうだろう。
そう考えるのが筋であって、そこからもっと便利にできないかなと考えるのが先を見る技術屋。
2XXX年、国体の破壊を望む海外勢力の陰謀により日本は天皇制を廃し陛下は庶民となった。
陛下は荒れた。荒んだ陛下は卑しい身分に相応しい趣味を求め、また庶民の娯楽として前々から興味のあったパチンコ屋に足を踏み入れた。
陛下は勝った。1万円が10万円となった。陛下の心は踊った。今までに得たことのない高揚感。高い射幸性。陛下はパチンコにハマった。
パチンコを打っているとき陛下の心は幸福で満たされた。しかし、それは長くは続かなかった。
陛下は多大な借金を抱え、パチンコはおろか日々の生活を送ることもままならなくなったのである。そして陛下の行方を知るものは誰もいなくなった。
こうして海外勢力の野望は達成された...かのように思えたがここは思考実験、3XXX年の科学者によってタイムマシンは完成され、過去に干渉することが可能となった。
天皇制を廃止することを防ぐことは出来なかったがパチンコを規制することに成功した。
こうして一般庶民がパチンコに足を踏み入れることは容易ではなくなり、陛下がパチンコにハマる過去は回避された。
ちなみにパチンコを廃止ではなく規制にとどまったのは政治家たちの次のような主張が国民に支持されたからだ。
「韓国では国民の民度が低いのでパチンコを禁止することになったが、我々日本人は謙虚で世界で一番賢い民族なのでそんなものは不要なのです。
我々は新しい伝統としてパチンコ文化を守ろうではありませんか。韓国には文化はないが、我々には文化がある。」
この政治家にはパチンコ業界から多大な献金が支払われていたが誰も問題にはしなかった。
心が荒むことなど人間だれしも一度はある。そこから転び落ちることなどただの運のツキに過ぎず、
若いころは道を踏み外しやすいものだ。そう陛下は若かった。陛下はまだ学生なのだ。
陛下は思った。「平民の身になったとはいえ、そこから立身出世していけばよいではないか。
学生に相応しく学問を修め、ゆくゆくは海外勢力を打ち払い皇室を再興すればよいではないか」
陛下は新しい道を定め、前向きに生きていくことを決めたが一つ問題があった。
陛下は学費を納めなくてはならなかった。陛下には学費を頼れるものはなく、
また奨学金で自己破産する学生を知っていたのでアルバイトをして自分で稼ぐことに決めた。
陛下は庶民の生き方に触れるべく、日本人の王道バイト、飲食店、それも全国的にチェーン展開されている居酒屋店で働くことに決めた。
陛下の毎日は輝いた。バイト仲間と共に夢を語り合い、労働に勤しむ日々。
「ありがとうをたくさん集めよう。お客様へのおもてなしの心で日本を元気にする。」
この企業理念に陛下の心は熱くなった。営業開始前の朝礼では人一倍大きな声でこの企業理念を叫んだ。
陛下の心は幸福で満たされた。しかし、それは長くは続かなかった。
長時間労働に強制出勤、いつしか学業はおろそかになり、遂には大学を辞めた。
明るく元気に振舞っていた陛下もいつしか目に輝きは失われ、仕事でのミスも増えた。
ミスで発生した費用は全て陛下のバイト代から引かれた。そしてある日を境に居酒屋にも現れなくなった。
こうして海外勢力の野望は達成された...かのように思えたがここは思考実験、以下省略。
ブラック企業の経営者は逮捕され、懲役刑を受けるようになった。教育費は全て無料となり、学生には幾ばくかの生活費も支給されるようになった。
陛下は優秀な成績で大学を卒業し、日本を代表する大手家電メーカーに就職が決まった。
陛下は思った。「観光立国など、所詮海外勢力によるまやかし、真の日本の強みは技術立国にある。観光立国は技術力衰退から国民の目を欺く誠に亡国の道なり」
陛下は働いた。伝統的日本企業の硬直的な組織に苦しみながらも、日本人の心を打つヒット商品を産み出した。それは機能の少ない、使いやすいおしゃれな家電である。
陛下は次は世界市場に打ち勝つ企画を通すため、これをきっかけに出世することを望んだ。
「待っておれ、朝敵〇ップル、サムス〇、日本人の心をたぶらかす不届き者め、討つべし」
しかし、陛下が出世することはなかった。同期が順調に出世する中、若くして功績を挙げた陛下は疎まれ、総務部に移動となり、いつしか陛下は会社に出社しなくなった。
陛下は海外に移住することを決めたのである。こればかりは未来の科学者によっても変えることができなかった。
海外に旅立つ飛行機の中で陛下は思った。「もはや国に縛られる時代ではない、自分の生きる社会は自分の意志で決めていいのである。
伝統ある美しい我が国を離れるのは寂しいが、我が国と同様に大学までの教育費が無料で、ブラック企業経営者は逮捕される国で働こう。
私の子供は意志が強いとも限らないのでギャンブルが規制され、再チャレンジのしやすい、社会保障の手厚い国で生きよう。
そして、なにより女性の社会進出が許された社会で皇室の復活を果たすのである」
ギャンブルで身を壊すのも大学に通えないのもそれらは全て個人の責任でしょうか?
陛下がもし何の後ろ盾のない一般庶民として生きることになった場合、この国は陛下が安心して生きることのできる社会でしょうか?
家庭環境が主な原因だった!!
そりゃそうだ。当たり前。
書きなぐった物そのままなので、非常に読み辛いけれど、
こんな人間も居るということを、ここに垂れ流しておく。
言いたいことはこの後に書いてあるので、
面倒くさくなったら飛ばしてください。
生まれてから今まで、直ぐに感情的になる癇癪の権化みたいな姉を持つと、
こういう人間が家庭にいなければ、もっと余裕のある生活を送れたのになあと思ってしまう。
女ばかりの家で、説得しようにも長い話ができず、本当に辛い思いをしたので、上のような性格の人間は苦手すぎる。
本当に家庭は選べねえなあと思った。
仕事漬で鬱になり家にいる父、姉妹の長女で人の話を聞かない割に偉そうにする母、
その場に行かないと飯が出なかったので仕方なく行ってた。
周りのように旅行に連れていけという姉が言う。
金は無いが時間があるので、結局車で大型ショッピングモールに行く。
姉は一時的に満足するが、しばらく経つと金がない、旅行に行きたいと同じように繰り返す。
自分のせいではないものを指摘することで、自分の弱さを隠している。
毎日同じようなこと、くだらないようなことを言い合う。
翌日には忘れ、繰り返す。
感情的で閉鎖的な家庭で育ったことが、いかに自分の精神に影響し、
自分の進路に影響して、今の今まで悩ませていると思うともう嫌になる。
小学校3年までは小説や子供向け科学雑誌を学校でよく読んでた。
将来の夢は科学者だった。物質が小さい粒のようなものでできていることに感動した。
そんなことを親や先生に言っても取り合ってもらえず、科学者なんて無理と言われた。
誰からも肯定されないし、好きになっても、役立たないものだと思えてきた。
小説も読まなくなった。誰も読まないし、話題にならないからだ。
そして何より現実味がない。あっても雑学程度にしかならないと思えてきた。
感動するものもあったが、自分の環境を見直したときの絶望感が怖くなった。
誰も何も誰しも自分の気持ちなんてわからない。他人を理解しようとしない。
そうなった子供はどうするかというと、周りに頑張って迎合しようとする。
文脈が薄い一時的な笑いと理解しつつ、こうしなければ普通になれないと自己暗示をかける。
中学まで続けると割と周りが自我が芽生えてきていることに気づく。
自分はどうなったかというと、自己暗示を解けきれなくて、自我が地中に埋まってしまって、
ぼーっとすることが多くなった。何をやっても楽しくない。
全てがくだらない。
絶望的な気持ちを査読する先生に気づかれないように書いたのをよく覚えている。
でも、周りと馴染めなかった。
何いってんの、うちには金が無い。高校卒業したら働くって行ったでしょ?
人間の考えが変わらないと思いこんでいる親に対しめちゃくちゃ腹を立てる。
自分より頭が良くていい環境で育って塾とか行っている人間なんだろうな。
うちに生まれた時点でそんなものできないことは決まっていたんだ。
満足できない思いを反芻しながら、納得行かない家庭から与えられたことを無理やり正当化しようとする。
そんなことをしながら、何のために勉強しているかわからなくなったまま勉強を続け、高3までそれなりの成績をおさめる。
勉学というよりは社会に出る前に、自由な身と力を手に入れられると思った。
難しい話は通用しないことはわかっていたので、
家から出て、高校の延長線上の分野で、大学でしかできない勉強をしたいというが、反対される。
金がないから、心配だから、不景気だから、あんたのために言ってるから。
は?結局オメーの都合だろうよ。俺の何を見てきた?
大卒の就職率が低いってニュースでやってたし、高校卒業して安定した職を付けたほうが良いんじゃないと言われる。
お前、45年間、何を見て生きてきた?本当にいってんの?
ニュースで得た情報と自分の身の回りを見て、適当に集めた情報から意見を言っているだけじゃん!と返す。
めちゃくちゃ怒って、お前は社会の何もわかっていないと返される。
お前じゃい!
その後担任との三者面談をしたり、大学説明会に足を運んだりして、
勉強は続けたが、やはり高1のときに高校をやめればよかったと言う思いが引っかかる。
何より自分の大学進学を許した親に対して、姉が私も家を出て学校生活送りたかったと毎日激昂し、
何をやってんだかわかんなかった。家にいるのは人間じゃないとわかってていても、
もうなんだかよくわからなかった。救急車も警察も呼ぶ気になれなかった。
30分ぐらいしてから、ようやく呼ぶ気になる。
パニックと言うか、この状況に対して自分は何を考えているのか、全くわからなくなった。
恨み積もった家庭にどう抵抗してやろうかと思っていた矢先の理解できない死。
もう何がなんだかわかんなかった。
自殺した父に対して、苛立ちが積もりに積もって吐く。血も吐く。
悪気がなく、自然法則のように動く肉親に腹が立って仕方がない。
自分が違うのか?田舎に生まれた自分は田舎に埋もれなければいけないのか?
精神科に行ったが本当に自分が何を言っているのかさえわからなかった。
自殺したのはもちろん原因だったが、そればかりを話すだけで、
正直父が死ぬ前に、無理やり不登校になって、心療内科に行くべきだった。
もちろん今まで書いてある期間は絶え間ない感情を浴びせられている。
周りの人間が信頼できないこともあり、相談できないことがどれだけ苦しいか身を持って感じた。
子離れできない親から親離れできない。
毎日感情的な刺激を受けてきたせいで、隣の部屋の騒音などの刺激に反応してしまう。
頭の血管が触ってわかるほど浮き出て、ズキズキして、眠れなくなる。
さらに自殺した父の死体をよく思い出して、生理的に気分が落ち込む。
実家を出て数年経った今でも、文を書きながらこの症状が出ている。
あーもう何もしたくない。考えたくない。
人の気持ちを考えるってことはこんなにもよくわからないものなのか。
悩まない人間にとって悩んでいる人間の気持ちなんかわからない。
逆もまた然りだ。一生分かり合えない。
自分は具体化しすぎなのだ。人間とか今見える環境とかを具体化しても、精神が辛くなる。
記憶を消し去りたい。
昔からある不満が積もるとこうも気分が落ち込むのか。
降り積もる不安は階差数列のように増え、それが積もっていく。
この問題は解決するのか?本当はどこか解決策がわかっているんじゃないか?
わかっているけど、この先の未知の刺激に耐えられるか不安で仕方ないんじゃないか?
なんでこんなこと考えるようになったんだ?
最近になり、かなり昔から、閉鎖的実家からの膨大なストレスが、
自分の性格にかなり影響しているということが、かなり明確に示すことができた。
納得いく解釈を探しつつけてたのは、
親との思想が合わなかった事実をどうにか納得したかっただけである。
でもこうするしかなかった。
こうしないと、その場に居なくても襲ってくるからだ。
自分の気持ちを書いてそれを見直し、また書く、という生活を数年繰り返してわかったのは、
早々に自分の気持ちに蓋をして、自分の気持ちに嘘をついてきたということだ。
頭の中身をタイプしたり、図に書いたりして、ようやくわかった。
気持ちが落ち着いてくると、文字をよみ、抽象的なものも冷静に理解できる様になる。
他人が書いた物語を見て感動する。専門知識が頭に入って感動する。
俺はここまで何も知らなかったのかと落ち込む。
でも、今までよく生きてきたと、無条件な自己肯定感が芽生えてくる。
そんなことが少しづつできるようになることが、大学に入ってからの生きがいである。
「自分本位で生きたことがない」人が、心から人に好かれるということは難しい。
皆どこかで「他人に従ってもどこか違う」と思い、自分の表現をするのだ。
それを乗り越えてこなかったことが十分、身にしみてわかる。
素粒子でできている肉体に、生きる意味なんて無いってことは十分わかった。
だからこそ本能が指す、好きなことをしていいと思えるようになった。
ほどほどに好き勝手に生きていいと思える。
結局こうするしかなかった。
よくもまあ何日もこんなに長くて下手な文章を書き連ねられたもんだ。
最近落ち着いてみると、なんで落ち着いていなかったんだろうと思ってしまう。
その場しのぎで余裕がなかった。
これに関しては納得行くようになってきた。
書いてみると1ページで終わるような話を、どうしていままで耳にしなかったんだろう。
これは終わったことだし仕方がない。
見直すと、気が合わない肉親と18年間いたことが原因だったと今見返すとよくわかる。
原因がよくわからない鬱と診断されて、4年経ったが、
自分が書いたことは超悲観的だが、これまで経験してきたこと全てではない、
と納得できるのは、自分自身に対する姿勢が変わったからだと思う。
何度か兆しを見たが、今度は本当に、今までになく楽になれそうな気がする。
学校も肉親もただランダムに振り分けられた人間が配置されていただけと、やっと、心から解釈できた。
本を読むのを辞めてしまったのがいけないなあ。
あれもこれも、過ぎたことだと思えるようになれた。
自分の気持ちを書き表さないと立ち止まってしまうことも、よくわかった。
やっと人間らしさを取り戻した気がする。
今までどこか、頭を何かのタイミングでリセットできると期待していた。
まあ解決しようにもできないもんな。
わからないから。でも、もがかないと、掴めるものがあっても見逃してしまう。
自分に近しい人にアドバイスするなら、誰もいない、静かなところで正直な気持ちを書きなぐるということかなあ。
自宅が嫌なら喫茶店でとかでいい。
環境が用意できたら、書き始める。媒体は紙でもPCでもなんでも良い。
初めてみると止まらなくなって、気がついたら4時間以上立ってたということも珍しくない。
時間がもったいなかったとは思えない達成感がある。
見直すと何に悩んでいたかよくわかって、どこか整理できていないことが悩みの種だっとことに気づく。
苦しいとは思うが、自分の内面で見てこなかったことに対して、対面することだ。
対面して初めて分かるものは自分だけの発見であり、自分で掴んだものだから信頼できる。
こうしてどうにもならないことに納得し、物事への姿勢は変えられる。
あと、外部の情報に目を向けるべき。
漫画喫茶で見たことのないジャンルの漫画を手にとって、一日過ごすのも悪くない。
まあとにかく、映画館や図書館など、場の空気を感じられるところに行く。
そうすれば外部に注意が向く。
自分一人がこんな思いをしているというわけじゃないということ、
そうすると、だんだん自分に近しい物がわかってくると、信頼できる著者という対話相手が出てくるので、どこか楽になれる。
結局他のことを考えてもいいということ、その行為自体が自分のためになっていると思うこと。
そんなことで、案外心が落ち着いて、人間そんなもんだと思えてくる。
とにかく、今の気分がずっと続くことはなく、
人は変われるということを知るには、自分の頭で行動することだ。
書きなぐるだけでも、十分自分の頭を使っている。考え方も変わる。
そのことを忘れないでおきたい。
(追記)
終わりに
(内面の気づきを報告するとフィードバックを貰えるのは非常にありがたい)
全体を見ると、自分の内面にあるものがわからなくなっているという状態に対し、
気になるものを自分の中で見つけ、解釈し、納得していくかということをひたすら繰り返していた。
ネットや本にあるものは参考にはなるが、それをすっぽり当てはめて自分が治る。というわけじゃない。
趣味などの気分転換でやっていけるなら、その対処法も良いと思う。
湧き出てくるものは人によって違うし、参考になる意見も人によって違うし、考え方も違う。
これを理解するのは、自分のような人間にとって難しかったし、これが頭になかったから病んだとも言える。
どういう形であれ、このような考え方を獲得することは、生きる上で重要だと思う。
でもエリートは違うよね
ISPに対して漫画村をブロッキング要請した件は講談社やKADOKAWAなど高学歴なエリートたちが要請したわけで
https://news.yahoo.co.jp/byline/yamamotoichiro/20180418-00084164/
を読む限りそんなこともなく行われているわけですよ
満州事変なんかではアメリカが譲歩してんだよ。1~9で収めようと交渉してるのが資料みてると分かるんだけど
なんていうか、10で回答するというより1~9がダメだと思ってる臭いよね
そんでいよいよ無理になって10になって爆発する感じ?
過剰品質問題ってあるけど、それで結果不正を隠すことになった今の日本のモノづくりにも似ている
1~9は負けみたいな、そんで隠蔽
1~9というちょっとした不平不満は言わない
河野太郎すげーすげー言ってたじゃん
それって本当にそうなの?
科学者が1~9を怠ってただけの話じゃないの?
出版社が1~9を怠ってただけの話じゃないの?