アフィカスがまとめたくだらないまとめをまた読んでしまった http://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1236466
ラノベオタクはすぐにラノベの「定義」がどうのと言うけど、このことこそ彼らがいかに無教養かということを示している。「定義」を絶対視し厳密に議論しようという科学的態度の自分たちこそ教養ある人間だと思っているかもしれないが、実はそれは単なる盲目的な科学主義にすぎず、文学(もちろんラノベも含まれる)という現場とは相性が良くない。いかにも中途半端な理系が多そうな発言ではある。
本来言葉の定義というものは存在しない。辞書に書かれてあるのは編纂者が勝手にまとめたものにすぎない。彼らは神ではない。権威ある辞書の存在しない時代にも言葉はすでに存在したなんてことは誰にとっても明らかだろう。
言葉というのは使い方によって意味が決まってくる。言語使用こそがすべてである。辞書に書かれた定義という閉鎖的な意味だけを持つのではなく、言葉というのはもっと開放的で自由なものだ。もっといえば創造的なものだ。それこそが詩というものであるわけだし。極端なことを言えば、同じ言葉でも発されるたびにすべて意味的にも差異がある。本質的に言葉というのはいつもアドホックな意味を持っている。辞書の定義そのもので厳密に語られるということは実はそれほど多くない。
文脈を共有し言葉にアドホックな意味を込める、そしてその意味を共有しあう、そういうのが人間同士のコミュニケーションだ。定義通りにやり取りするのはAに対してはBという動作で確実に反応するようにプログラムされたロボットだろう。ラノベオタクはこういうロボット的なコミュニケーションこそ科学的で崇高で尊敬されるべきだと考えているのかもしれない。しかし現実はそうではない。むしろ逆だ。冗談を言い合うとき、無意識のうちに通常の辞書的言語使用とはずれた使い方をするし、そういうずれをお互いがすぐに理解して笑いあう。そんなことは日常生活に当たり前に存在する。「定義」がどうのと言っているのはそれこそ文字通りにしか文章を読めない人たちであり、彼らはたしかに科学者ではあろうが、文学者ではない。ラノベオタクにはそういう科学者的態度の人が多いというのが不思議だ。彼らは文学愛好家ではないのか。
件のまとめも、定義がどうのと言わず意図を読み取ろうとすれば読み取れるわけで、またつまらない揚げ足をとって、他者の発言を理解しようとしていないではないか。ラノベオタクというのは基本的に他者に対する興味が乏しい。世間の人々は平凡な言葉にアドホックな意味を込めて使うが、ラノベオタクはそういった辞書的定義から外れた言語使用を嘲笑して、そんなものは厳密な言語ではないからと認めようとしない。これは他者を理解しようという意志がないということを意味する。要するにラノベオタクにとって世界に他者は存在せず、自分しかいない。だから自分の攻撃性には無自覚で、簡単に人を傷つけ、ひどい差別語で罵るようなことを毎日やっている。
ラノベオタクはたくさん読書をしているのに、想像力が貧困で、人文科学を蔑視し、科学主義に凝り固まっている堅物でしかない。そして彼らは自分たちこそ真に教養ある知識人だと思っていて、自分たちのやり方以外のもの、自分たちの思考様式を外れたものは非科学的で嘲笑すべきと思っている。これによって出来上がるのは他者に対して不寛容な厄介なおっさんなのである。