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【座間9遺体】被害者遺族たち、「実名報道はやめてほしい」と訴えていたhttps://t.co/LQxIdx76Xk
警視庁を通じて文面を送るも、ほとんどの報道機関がこの嘆願を黙殺。実名・顔写真報道は続けられた。『女性自身』報道。 pic.twitter.com/9iMBKgRYkQ— ライブドアニュース (@livedoornews) 2017年11月14日
こうなってくると、テレビを見ない、新聞を取らない、ネット上のニュースを見ない位しないと駄目なのでは?
これだって結構リツイートされているけど、報じられることはないし、マスコミが「大変申し訳ございませんでした」と謝罪はしないでしょ。
男性の家庭進出、専業主夫の話題になると必ず出てくる「女は男を養いたくない問題」について考えてみた。女性の社会進出を進めるにあたって、必ず女自身の仕事と家事・育児の分担の壁に突き当たってしまう。その解決手段の一つとして、男性に家事や育児をやってもらえばいいのではないか、そうすれば女も仕事に輝くことが出来るようになるという意見が出る。しかし、女が男を養うのはちょっと…、仕事ができる女でも自分以上に稼ぐ男を求めるものだ、という反論が来る。女側の合理的な言い分をまとめてみると…。
1.男女平等が理想であるが、まだ世の中は男が働くのに有利な社会のままである。女が一家の大黒柱として生きていくのは、リスクが大きすぎるし、社会制度の整備が追い付いていない。なので、そのような冒険は出来ない。
2.夫と妻、どちらか一方だけが働くのは、失業した時のリスクが大きくなる。なので、共働きの状態が理想だ。
3.女には妊娠・出産の問題もある。働けない期間問題をどうするのか。
4.そもそも、男に家事や育児は本能的に出来ない。同じように、女も外で働く身体の作りになっていない、という謎の迷信が根深く残っている。
5.「男が女に養ってもらうなんて、情けない」などという、未だに男らしさや女らしさに囚われている古い人間が意外と多い。
1については、今後の社会の改革次第である。まずは女が組織の管理職として定年まで勤め上げることができる仕組みの整備が必要。そもそも、今の時点で管理職になれる能力を持つ若い女の幹部候補の数自体が少ない。そう考えてみると、幹部候補の採用人数の一定数を女性にするとかの悪名高きアファーマティブアクションも必要なのかもしれない。2はその通りだと思うので、ベーシックインカムなどの一律の公的支援が必要だと思う。3については、妊娠と出産について言い出してしまうと、女性の社会進出そのものの是非を問い直すことになるので、最初から女性の社会進出を提唱し続けてきた女性自身で解決すべきである。4については、この論は無視してもいいと思う。5についても、モテない女の男叩きの文脈でよく出てくる批判なので、これも無視していいと思う。
童貞性とか童貞力って別段童貞だけにあるものじゃないんだよ。男性なら誰でも持ってて、たいてい思春期には高くて、歳を経るに従って低くなっていく。童貞を失うと激減するけれど、それも個人差がある。
ざっくり説明してみると、その童貞性ってのは「女性を尊くて素晴らしいものだと思い込み希求する精神」だ。まあ、性欲とかそういうのはあるんだが、その性欲がレイプ的な方向に向かわず、挙動不審になるのは「素晴らしいところである女性に内心を見透かされて嫌われたり軽蔑されるのが怖いから」だ。
長年思ってるんだけど、男性のこの童貞力によって、一番利益を得ているのは女性自身だと思うぞ。デートなんかで優遇されるのもサークルでちやほやされるのも、若年男性に影響力を発揮できるのも、男性のこの童貞性のおかげって部分は確実にある。フェミの人はおそらく「頼んだわけじゃない」「気持ち悪い視線を向けられるのはハラスメント」とか言い出すんだろう。その意見や気持ちも、年取っちゃった俺には理解できる。
けれど、総体を公平に見た時、女性はやはりこの男性の童貞力によって利益得ていると思うよ。アイドルなんていう一部の職業でそれは可視化されるわけだけれど、何もそんな特別な職業じゃなくても、会社の部署や学校のサークルで、あるいは近所付き合いで、ある種の優遇や特別の配慮を受けている女性は多い。というか、若い頃は大抵その種の優遇措置を受けられてるんじゃなかろうか。
性の商品化は断固許さん、とフェミの人は言うけれど、ファッション誌や女性誌を見る限り、自分たちの性の商品化に一番熱心なのは女性自身だよね。じゃなければ結婚戦略に、自分の容姿やセックスを男性に提供する反対給付としてカウントするはずがないわけで。
童貞性にみられる、(おそらくほとんど根拠のない)女性への憧れ、フィクション的に言うなら「女神様扱い」ってのは、おそらくロマンチック・ラブイデオロギーによる教育の結果であって、それって悪いものじゃないと思うんだよ。もちろんすべてが善だなどと強弁するつもりはないけれど、すくなくともその一個前の封建時代における女性は男性の私有財産というところから離陸するのには役立った。
いま、俺たちの社会は長い長い数百年の過渡期にあって、女性の権利ってのは男性と全く同じであるとまだ胸を張って言える状況ではない。けれど、その過渡的な状況の中で、自分の性を商品化して社会の中で地位を高めようとする女性と、女性の加護者として自分を規定したい男性は、思想的には共犯関係にある。童貞性はその思想上のツールなんだよ。
女性は、そのことにもうちょっと感謝してもいいと思う。感謝という言葉が気に障るなら「ちょろく騙されてくれる連中に対する惻隠の情」と言い換えてもよい(その惻隠の情をビジネススキームに落とし込んだのが、アイドルの握手会だと思う)。
童貞いじりも男嫌悪も社会浄化運動も良いけれど、そうして清潔になっちゃった社会に、現代を生きてる普通の女性の殆どは生きられないと思う。なんせ俺ら全員は、過渡期を生きてる過渡的生き物なもんだからね。
ps.俺個人は童貞性を非常に良いものだと思ってるよ。少年性とも接続する。ボーイミーツガール系の物語において、別段大した利害関係もないヒロインに対して、主人公が時に命をかけるほどの献身的助力を行えるのは、まさに童貞性の発露だよ。フェミ的には純愛とか言いたいのかもしれないけれど、その種のナイーヴな純愛こそ童貞性の結実だといえると思うよ。絵面が綺麗な童貞性は純愛だといわれ、絵面が汚い童貞性がキモ男の告白ハラスメントだと侮蔑される。それだけのことだよ。前者の価値を認めるのならば後者を貶めないってのが、反差別だと思うわけ。
「支障なく出社したければ荷物検査に応じたほうが良い」が常識だけど、江添氏は揉め事になるリスクを承知で荷物検査に応じない自由を貫いたわけで。
全ての警察官が法律を遵守して、違法な職務質問がなくなるのが理想だけど、現実はそうじゃないので、「揉め事や転び公妨での逮捕のリスクを承知で抵抗する」か「少々不愉快だけど検査に応じてさっさと終わらせる」かになってる。
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もう少し掘り下げると、
1. 忠告に従うことによる面倒さ (職質: 比較的小さい, 性犯罪: 比較的大きい)
2. 忠告に従わなかった場合に面倒事や犯罪に巻き込まれる確率 (職質: 比較的大きい, 性犯罪: 比較的小さい)
3. 面倒事や犯罪に巻き込まれた場合の深刻さ/不利益の度合い (職質の場合も性犯罪の場合も、人生が狂いかねないという点で同程度に高い)
4. 自衛以外の方法で、巻き込まれる確率を小さくすることの困難さ(職質: 比較的小さい, 性犯罪: 大きい)
といった要素がある。
(1-3について)
職質の場合、忠告に従わないことによる不利益と、従うことによる面倒を天秤にかけて大半の人は従わざるを得ない。確かに実質強制といえる。
性犯罪の場合、「忠告に従わないことによる不利益に対する、従うことによる面倒さ」が職質の場合より大きいので、職質の場合ほど「強制度合い」は大きくない。とはいえ、人によっても異なるので強制されていると感じる人がいるのも理解できる。
(4について)
職質の場合、近い将来、警察組織の体質が改善して荷物検査を実質的に強制するようなことがなくなる可能性は多分にある。だから、「一般的な忠告に従う必要はない」ということを声高に主張し、実行する人を増やすことには結構意味がある。
性犯罪の場合、男を全員去勢するとか、犯罪を予知して起きてもいない犯罪で誰かを逮捕する、というような非現実的なことでも起きない限り性犯罪はなくならないし、たとえレイプの最高刑を死刑にしたところで大幅に減りもしない。それなのに「一般的な忠告に従う必要はない」なんて主張したり、忠告する人を非難して何が得られると思っているのかがわからない。
リスクをゼロに(もしくは無視できるほど小さく)はできないという事実があるなかで、各人ができることは自衛しかないでしょうという、フェミニストを含めて誰でもわかるようなことが、なぜフェミニズムの文脈になると無視されるのか。
女性の自由を制限しない自衛の方法を提唱している人達は良い仕事をしてると思うよ。
それ以外の、「どのような形であれ女性自身が自衛しなければいけない世の中が間違ってる」というようなことを言う人達が理解できないの。
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警察官なりレイプ犯なり、不利益をもたらす本人が「忠告」してるならそれは強制と同義だけど、第三者が言ってるなら、それがいくら現実的に従わざるを得ないものでも強制と同義にはならないよ。
善意のヨハネスブルク人の「ヨハネスブルクには来ないほうがいいよ」「ヨハネスブルクは危ないから来るな」という忠告は、あくまで忠告。
追記
思った以上にいろいろレスポンスがついて驚いてるんだけど、軒並み論点がずれてるので、https://anond.hatelabo.jp/20170825093507 を読んでください。説明の下手くそな元増田に変わって論点をわかりやすくまとめてくれてる。
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女性に対する
みたいなのを女性差別だとか言うこと。
こういうのって単なるアドバイスにすぎないわけで、「女は夜中に独り歩きをしてはいけない」とか「女は地味な格好をすべし」とか「女は男と酒を飲んではいけない」なんてことは誰も言ってないわけ。
夜中に独り歩きをしたから、扇情的な格好をしたから、あるいは泥酔したからと言って直ちに危険ということはないけれど、男の大多数と一部の女性が女性に性欲を抱くのも、世の中には性欲のコントロールがきかない人間や悪意のある人間がいるのも事実で、万が一痴漢やレイプの被害にあったら苦しむのは女性自身なわけで、簡単な心がけでそのリスクを減らせるよ、というだけの話。
「泥棒に入られるリスクを減らしたかったら施錠しましょうね」と一緒。施錠せずに出かけたって泥棒に入られることなんてほとんどないし、施錠してたって入られるときは入られる。でも施錠することでリスクを大幅に減らせるんだから、施錠したほうがいいよねというだけで。
「施錠してなかったんだから泥棒に入られて当然だ」「鍵が空いてりゃ誰でも盗みに入るだろ」なんてこと言う人はいないけど、「施錠せずに出かけたら泥棒に入られた」なんて間抜け以外のなにものでもない。
同じように、女性が夜中に独り歩きをしていようが泥酔しようが全裸になろうが性犯罪は全く正当化されないけど、ちょっと気をつければ防げたのに間抜けだね、という話にはなる。
どんな状況でも盗みや性犯罪が起こらない世界が理想だけど、我々はそんな世界には生きていないのだから、安全・快適に生きるためには多少注意して生きる必要があるよ、というだけの話。
好きな時に好きな場所を好きな格好で歩いて好きな連中と好きなだけ酔っ払いたいから、万が一のときのために護身術を身につける、あるいは性犯罪にあっても気にしない、とかでもなんでも結構なわけ。
それを拒否してなおかつ安全・快適の保証を求めるというのは、つまり女性は自分で自分の身を守れず、常に誰かの庇護のもとに生きなければならない存在です、と言っているに等しい。これは女性を家庭に縛り付けて男に守られて生きることを強制していた前時代の発想そのもの。
橘桃音は離婚しました。私達夫婦が離婚した理由と離婚後の人生で最も大切にしていきたいこと https://momonestyle.com/tachibana-momone-divorce
「えぇっ? これありなのか」って感じだった。いわゆる女性側が成功して旦那と別れる形でしょ?
何が原因で彼女の心は離れてったんだろう。
逆のパターンでさ、アンペイドワークに従事する女性を養う旦那って結構いる訳で、この、ももねいろさんのパターンをを許容すると
家庭って安定しないってことにならないか? 今回は残念だったけど、子育ての事を考えると安定した、お互いを尊重できるような家庭の方が良いわけで、
男性の方が稼ぎがあった方が家庭は安定するよね、という話になってしまう。
ただそういった女性は、働くことに向いていない男性を養うべきなんじゃない?
じゃないと持続可能な社会って成立しないよね? いやまぁ尊厳死もガンガン認められて社会を縮小すべきなのかもしれないけれど。
ほんとびっくりした、masudamasterさん召喚したいレベル。
私自身は2人の子供がいる身なんだけど... 嫁さんの賃金については悩ましい、
昇進が素直に喜べなくなってしまう。
女性観点で『自分より稼いでない男性が魅力的でなくなる』ってのを仕方がないとすると、男性側としては女性の昇級に賛成するインセンティブ無くなっちゃうよなー。彼女の心が離れるのは仕方がない。だったら未然に防ごうぜ!ってな感じで。
ももねいろの人だって、結婚して子供いるわけで、しばらくはお互い好きだった時間があるわけで、じゃあ『なぜ彼女は冷めてしまったんだろう』って所、考えたい。私は私の嫁さん好きだし、離婚に繋がりそうなリスクは消し去りたいんだよね。
既婚者男性といたしましては、嫁さんのアンペイドワークに最大級の賛辞と感謝を送り家事が好きになるように働きかけつつ、家庭の安定のためお仕事頑張らないとなー。
結局、女性のナチュラルな心情を通すなら、性役割分業の方が安定するじゃん。男性が家事育児しててもヒモ扱いになって敬意がえられないなら、男性側のリソースは仕事よりにした方がいいって事になる。
追記
なぜフェミは『私達は権利を求めたのだから、それによって得られたものは共有すべきだ、でなければ持続可能な社会は成立しない』ってロールモデルを強者女性に訴求しないんだろうか?現状、そういった政治活動は見当たらない(彼女達が権利を求めた程にはね)
結局、いいとこどりなだけな訳?
あと『フェミ関係ないよ』ってブコメが多くて驚いた。フェミニズムが変えてきた社会の風景みたいな記憶がないのかな。女性の経済的な自由が無ければ、こんな簡単に浮気ってできないですよね?
id:unakowa 「追記。自己中女でも稼がなければ離婚しなかったからフェミの問題という謎理論。女が稼げる社会かどうかはフェミの問題だが、自己中はフェミ関係ない。自己中男は良いけど自己中女だけ収入制約しろってこと? 」
クソだなー。君が見てる、その1行上って見えます? フェミはいいとこどりな訳? 自己中はフェミ関係ないって切り捨てる訳ですか? えっと私が子供の頃みたフェミニズムの主張は「悪い男性がいる、だから女性も自立しなければならない」といったものでした。それはそれで私は正しいと思う。今でも。でね、現代を生きる貴方は『女が稼げる社会かどうかはフェミの問題だが、自己中はフェミ関係ない。』って自分たちには、フェミには関係がない、とおっしゃる。ダメな女性の問題はフェミの問題ではない? 本当にクズだなー... びっくりです。くそったれだな。あと2行上も見れますか? なぜ強者女性に呼びかける運動が発生しないのでしょうか。結局、社会運動って利己的な欲求にとどまるものなんでしょうか。「社会運動の戸惑い」って本を見た時もがっかりしました。驚くほど利己的な主張の段階で、社会運動がストップしている。
『フェミには関係ないし』って分かり易いですよね。そういうブコメもありますし、スターも沢山つきました。 では例えば『女性の貧困には男性は関係がない、それは女性自身の問題だ』という意見にあなたは納得できますか?
id:yunitaro 「離婚を防ぐために妻は低収入でいてほしい等々増田の女性観についていけない。金銭的に縛ることで離婚のリスク低減を考えなければならないような結婚はそも幸せなのか?」
あー、現在のフェミは片手落ちに見えるのですよ。都合の良いところだけ食べてる。強者女性に対して、大黒柱として一家を支えるべきですよ、というアナウンスが無い様に見える。ありますかね?そういうアナウンス。少なくとも私にはフェミが権利獲得のために行った活動ほどには、義務に対して積極的に働きかけているようには見えない。
それが無い場合、女性の賃金上昇に伴って、金銭的自由を得た女性が性的自由を得て(ここまでは良い)離婚が増えてしまう(子供はどうなるんでしょうね?) 社会的なコストが増加する。
ただ女性自身の都合の良い社会のために、面倒な事を公的機関にアウトソーシングしてるだけでは? と思ったりするのですよ。
ついて行けない、というのはまぁそうなんでしょう。なかなか一度、手にした権利というのはみんな手放しません。これはもちろん男性もです。それから女性もそうなんでしょうね。かつての理想を部分的にでも実現したフェミは、でも一方でやはり面倒なことは背負いたくはない。個人レベルではもちろん大黒柱になってる女性はいます。でもそうじゃないですよね? ある程度、社会全体のイメージで「成功した女性も大黒柱として働くべき」ってアナウンスがないと、働く女性も増えませんよね? あと男性側の協力も得られにくいままでは? 現状、そういう理想的な状況ではないので、男性側の振る舞いも考えないとなー、という訳です。
アメリカ人女性は結構主体的に大黒柱になってるイメージがありますね(個人のイメージです)むしろ男性より稼ぐのも全然ありというか、そういうの男女関係なく稼ぐってメンタリティ。でも日本だとそこまではいたらない。フェミ、というくくりではなく、日本のフェミはクソだ、って話なのかな。
id:uheh 「本来フェミは上昇婚を認めない立場だと思うんですが… 」
id:siomaruko 「ももねいろとかいう人のサンプル1件で「女性は○○」と展開しちゃうあたりイタすぎる。増田は夏休み中の中学生か?電波フェミガー最近ウザすぎ」
女性の自立と離婚には相関関係がある。って自明かな、と思ってしまってました。
夫の年収と離婚率は関係あり?離婚経験者に聞く「夫の年収」1位は https://wooris.jp/archives/236290
日本の離婚率は世界5位!世界の離婚率が高い国ランキング https://tanteikyoku.com/rikon/rikon-affair/world-divorce/ (先進国によってるよね)
女性の自立はフェミのテーマでしょ? 私は自立は良いが離婚はあまりよろしくない、と思っている。
なぜ、フェミは強者女性に対して「男性を養うべきだ」ってメッセージを送らないんでしょうね? そういうメッセージがない限り、その男性観点だと女性の社会進出に協力するインセンティブがない。
男女共同でより高め合う的な社会ではなく奪い合うだけになってしまう。
id:kiku-chan 「この件で、旦那のほうが悪いって言ってるフェミ方面の人いるの?教えて? 」
ごめんね、そうじゃないんです。旦那が悪いって人はいないし、私も悪いとは思ってない。
ただ「強者女性に対して弱者男性を養うべきですよ」ってメッセージを送らないのかな、と。
id:ohaan 「男女どうこう以前に、ももねいろとか言う人が自分勝手と言うか自己中心的と言うか自分自身しか見えていない印象だった」
そういう自己中心的な女性でも、サイトで利益が上がらなかったらこんな事にはならなかったんじゃないかな?だって好きで結婚したわけでしょう?子供もいる。そういう状況を変えたのは何なのか?事前に「女性も大黒柱として養うべし」とか規範があれば、夫をヒモ扱いなんてしないんじゃないかな。
あるいは(そういうロールモデルがないなら)離婚リスクが高くなるから、わがままな妻の賃金上昇には反対するとかだね。
id:anmin7 「男の方が収入や地位を得たら糟糠の妻をポイ捨てして若くて綺麗な女に走る例は枚挙に暇がないのだが。」
パートナー形成で女性は自分より上の男性を求めやすいの、その形質を残しつつ、
男性と比較して相対的に年収が上がったから、男性を捨てる、だとより離婚が進むじゃねーか。
上昇婚傾向を捨てるか、パートナーを養う気概を持てよ、って話だよ。
id:ikanano 「ー男の収入が上がって内助の功ポイ捨てなんて例山ほどあるじゃん… 増田の主張に合わせるなら女にもその選択肢が生まれただけとしか」
それ男も悪いよな。当然、私はそういうの悪だと思ってるよ。で、女性も悪い人間を増せるようになるべきだと?
id:masudamaster ありがとうございますー!そうなんですよね。
個人としてはDeNAの南場さんとか現れてるとは思います。ただ、家庭崩壊を避けるような『女の器』みたいなロールモデル、規範、スタイル?みたいなイメージって共有されてませんよね。男性側の規範として増えたのは、育児しない夫は死ねかな、もちろん育児はしたほうが良い。そういう変化は進んでいる中で、じゃあ女はどうだ、という。
いやさ、ちょっと話は変わっちゃうんですが、下に「自分(男)発信でやりゃいいじゃん。禁止されてるわけでもあるめーし」ってコメがあって、私としても「それな、すまんな育児で忙しくてな」と思いつつ、でもそうなのかもな、フェミの駄目なとこ、おかしいとこは叩かないと駄目なのかなぁー、とぼんやり思いました。私が勝手に感謝、なのですが、お疲れさまです。でも、お身体、お大事になさってください。
id:iiiloveuuu07 『女性は「男性の何に」魅力を感じるか?』ですね。で、成功した女性は「自分より稼いでいる男性を素敵だと思うのをやめた方がいい」と私は思うのですよ。これは男性側の努力でどうにかなる問題では無いよね?女性の内心の問題なんだから。女性が上昇婚傾向をやめない限り、女性の賃金上昇に伴う離婚、非婚化が進み、サステナブルな社会が遠のく、って話ですよ。逆にさ、あなたの話で「女性が魅力的じゃなくなったらそれを理由に妻を捨てていいの?」みんな頑張らなくちゃいけないの?もう少し緩くつながってはいられないの?って思うんですよね。
始めに言っておくと、私はエマ・ワトソンは男性側にかなり融和的な方向性取ってるな、と思ってて別にエマワトソンになんら含むところはありません。
ただ、それでもエマ・ワトソンが述べている理屈にも論理的に穴はあると思ってるし全てに賛同できるわけでもありません。
それはフェミニズムでもメンズリブでもなんでもそうだと思いますけど。
「個人的なことは政治的なこと」っていうフェミニズムで重要な役割を果たしてきた言葉があります。
従来、個人的(プライベートパーソナル※指摘あったので修正)なことってのは公的(パブリック)な部分とは完全に分けられていて基本的に関係のないことです。
という前提で議論がされていました(1920年代以降の第一波フェミニズムのあたり)
例えば選挙権に関して言うと公的なことなのできちんと女性の権利を向上させよう。
といった具合に。
ところが第二波の辺りからこの点に関して疑義が呈されるようになってきました。
「実は個人的なことって政治的な事にものすごい影響与えてない?」
とか
「政治的にはこうだから、個人的なこともこうなっちゃうんじゃないの?」
っていうロジックが出てくるようになったんですね。
これは具体例で言うと
「女性ばかりが家事の分担をするのは、女性は家事をするべきという公的な目線が原因じゃないの?」
とか
「仕事を任されないので時間がある女性ばかりが家事をしてしまっている。公平であるなら男女の仕事の時間も同じになってその結果家事労働も平等化されるはずだ。」
とかね。
当然その観点で見た性愛や家族に関する議論もおこなわれました。
その中に
「男性が若い女性ばかりを性的な目線で見るから、女性がそういう行動をとるようになる」
今でもそういった議論の影響は強くて男性はそうした観点から有形無形の批判をあびてます。
例えば、不景気なので個人個人が銀行にお金を預けないでタンス預金していたら
市場にお金が回らなくなって結果的に全体で不利益を被る人が増えた。
つまり
「個々人で見ると小さなことなんだけど、それをマクロな視点で見ると社会に非常に大きな影響を与えてしまっている」
って言う話に繋がるわけです。
この理屈で行くと
という一見して社会的な構造とはあまり関連性のないように見えることが議論の上で非常に大きな論点になってくるわけです。
「女性が意識的・無意識的に強い男性を好むほど、男性も女性からの承認を得ようと強くなろうとする。その結果普遍的な女性一人一人の選択が家父長主義的な社会構造を維持することに大きな影響を与えてしまう」
という話に当然なってしまうんですね。
もちろん男性側の選択もそういった家父長主義を助長してしまう側面は大いにあって
若い女性を好むと、相対的に知恵も経験も薄い女性が選ばれがちになってしまって無意識的に家父長主義になってしまう、という側面があります(というか、フェミニズムなんだから当然こっちが主題だけど)
こういった人達が集合すればするほど社会に家父長主義的な風潮が増加しちゃいますよってことなんですね。
強い女性に指摘される「弱い男性を無意識的に排除してしまうと結果的に家父長主義が蔓延しちゃうだろうが!」
ってのが
「フェミニストは個人的なことは政治的なことを無視している」→「フェミニストは弱者男性を無視している」
というお話に繋がるわけです。
で、それを踏まえた上で「エマ・ワトソン演説」を見ると実は従来のフェミニズムに比べて大きく弱者男性に歩み寄った姿勢だと言えます。
つまりようやくフェミニズムが弱者の男性に目を向け始めた第一歩であると捉えられるわけです。
※もちろん以前からこういったことを言っている人は山ほどいるし、少し大げさな言い方ですけどね。でも影響力の強い人がこういったというのは本当に重要なことですよ。
なぜエマ・ワトソンが一部の女性から強烈に叩かれるのか、というのもこれで構図がわかると思います。
なので、その歩み寄ったエマに対していきなり「弱い男性と付き合えよ」ってのは話を進めすぎだし性急に過ぎると思いますね。
議論もまとまりきってないし、女性から男性への個人的・政治的な介入をどうすべきなのかについてはもっと違う方法があるかもしれません(強者女性がそのまま弱者男性を養うのが政治的にただしいこととするにはまだ理屈が弱すぎます)
ただし、エマ本人ではなく「女性一人ひとりの選択が社会に大きな影響を与える」っていうのに無自覚だった女性はこの点について大きな矛盾を指摘されているのも事実です。
もしあなたが「家事労働は男女平等に大きな影響を与えるので男性も考えるべき」と思っているのであれば
「女性が強い男性を好む事に無自覚である」という部分にも大きな注意を払わねばなりません。
エマ・ワトソン演説というのはフェミニズムにおいて、そういう意味で非常に重大な、一つのポイント・オブ・ノーリターンであったわけです。
男女が平等になるには男性に全てを任せるだけでは駄目で、女性自身もそういった社会に対するコミットメントが求められます。
「女性が無自覚に、強い男性ばかりを好きになり結婚してしまう」
というのは
の対比であり、厳しいことを言うなら
「強者男性に媚を売る女性は動物の本能のままに生きている獣のような女性」
と言うことに過ぎないわけです。
もちろん実際には全ての女性がそういった振る舞いをしているわけではありません。
というか一般的には色んな立場の男性に対して優しく接している人も多いですし、好みの男性じゃないからといって職場でゴミのようにあしらうなんてことしてる女性はまずいません。
若い女性が部下にいるからといってすべての男性がその女性を明らかにえこひいきしているわけではないようにです。
※環境で行動は左右されがちですし、男女どちらにも例外はいるものですが。
ここでは女性をメインにした話をしましたが、男性も改めて「個人的なことは政治的なこと」とはなんなのか考えてみるといいですね。
ネトウヨは韓国を叩くけど日本も同じ。男尊女卑で年功序列(儒教のせい)で目で見てわかりやすいもの(学歴や収入や性別など)で差別して、その結果、両方とも自殺率が異様に高い病んだ国。
年功序列はもう言うほどなくね…?
まあいいや。
自分たち男が視覚に頼りすぎな生き物だからって、女もそうだと思うな。「ただしイケメンに限る」って、女はお前たち男みたいにそこまで見た目にこだわらねぇよ。
なわけねーだろw
男尊女卑が強い国ほど見た目を気にする、日本でも美しくないダメという男の理想の女であるための呪いが日々垂れ流されてるし、韓国なんかもっとひどくて整形しないといけない。
それは全部「男のせい」なの?
整形する女性自身が虚栄心や欲望を満たす為にやってることでもあるよね?
すごく男に依存しただらしない思考・実存の説明だと思うんだけどその点は?
なんで、男の欲望を満たすために女が綺麗でいなきゃいけないのか、
男の欲望の為に化粧が存在しててその押し付けも男の権力でやれてるなら
社会人より若くてかわいい学生にこそ化粧を押し付けてるはずじゃね?
男は全然女の化粧に神経向いてないしその技巧やセンスのよしあしもわからない
男を満足させる為だけならなんであんなに化粧技術が発達してアイテムが充実して流行り廃りまであるんだと思う?
化粧するもしないも自由だろ、と。
そうだよ人のせいにすんな
男に消費されるために見た目を着飾ることが気持ち悪い。男ウケってなんだよ、オシャレは自分のためにするものだろ? なんで男に媚びなきゃいけないんだ。
だからそれさあ
女が勝手にやってることじゃね?
そんなん気持ち悪いと思うならやらなけりゃいい
どんどんやれよ
アプローチが逆じゃね?
大人の価値を提示してアピールするもんじゃね?お前も大人の年齢ならば
JKビジネスなんて存在するのはごく一部だろ ブキッキオさんかおめーは
エロゲやエロ漫画のオタクはしらん あーだこーだいわずほっとけあれは絵だ
女子高校生をヒロインとした創作物が多すぎる、女子高校生と同年代の10代の少年をターゲットにした作品でそうなるのは仕方ないにしても、30代以上のおっさんをターゲットにした作品でも女子高校生のヒロインが出てくるの、病みすぎだろ。
それは勝手だろw
現実に恋人や伴侶に年はなれた若い女臨む男ってそれほど居るか?
ロリコンが多すぎるのは、実際に子供がターゲットにされる犯罪が増える危険性があるという社会的な損失もあるのに、未成年を性的な対象として見ることへのタブーがなさすぎる。
お前それ後付けだろ
ほんとに犯罪を憂いてるなら女子高生コンテンツと子供を狙う犯罪の相関関係をデータでもってこい
ほんとはそこが焦点じゃないだろうが
もっと、18歳未満をそういう対象で見る人間はクズと後ろ指さされるぐらいになればいい、これが容認されるのも、男の性欲が肯定されてるからか?
ダメだこりゃ
お前は中世の国とかのほうが向いてるよ
そんな、女ばかりに要求される社会だから子育てとかも無理、と少子化も進行。(少子化の原因には、過去の、主婦が非正規で夫が正社員でというモデルが原因の男の非正規化、それゆえの貧困化もある)
適当なことを言うな
少子化の原因をこれ!と言えるならお前はノーベル賞取れるよ 世界中が悩んでるんだ
・女嫌いな男が多い
じゃあお前に関することでお前が責任とることってなんなのよ
いい加減呆れてきたわ
お前の周囲には男嫌いな女と女嫌いな男が多いだろうけどそれはお前の人徳の賜物だよ
お前の言動は女におきるあらゆることを全部男にもとめていて
それほどまでに男は優秀だと女は足手まといだと信じているのか? 理解に苦しむ。
女には男を立てて欲しいという気持ちがある男が多いから(これは男の生まれつきなのか、社会的な背景で男の方が偉いと思っているのか)、自己主張する女じゃなく、子供っぽい女が好かれる、フィクションの登場人物とか見てても。
どんなコンテンツを見てるんだよおめーはw
お前みたいに歪んで敵意で一杯な人間と同じコンテンツを楽しむのは難しいだろw
男女以前だ
お前マジでヤベーよw
じゃあ少女漫画に出てくる男キャラも男性読者から支持される必要があるの?
ねーよw
女が考えて女が楽しむ女に都合よくロマンチックな男キャラでいいんだよそんなもんは
あのなー
男女だけじゃ無くて社会にはいろんな立場の人がいるのだから分断されてて当然なんだよ
そんなキャラが居るとしたら社会の方が統制されきってるってことだ
サヨクっぽい人の論考が必ずこういう統制の方向へ行くのは
幼稚で粗末な論理の正義が社会で実現するには統制しか無いからだろう
社会のリベラル化が進み、男性がある程度調教されてくると、女性自身が女性ジェンダーに乗ることを苦にしなくなってくるのである。
強制されていた女性らしさの時代が終わり、女性が自発的に伸び伸びと女性らしさを楽しめるような状況になると、女性は女性らしさを放棄するのが惜しくなってくるのである。
昨今の女性の「反男女平等志向」「反ジェンダーフリー志向」はまさにそういうことである。
エマ・ワトソンが「HeForShe」で男性に気を使いフェミニズム界に衝撃を与え、
ロクサーヌ・ゲイが「女性には女性特有の欲望があるし男性みたいな汚れ仕事はしたくない」と言い、長年フェミニズムが必死で保ってきた建前を一瞬でぶっ壊し、
日本では「やれたかも委員会」なる漫画が女性から大人気で、男性の性的な視線にまつわる物語を喜んで消費している。
好きなディズニー映画は『ムーラン』、好きな洋楽は Destiny's Child の 『Independent Women 』、好きな漫画は『クレイモア』である私にとって、
昨今の女性たちの反男女平等性・反ジェンダーフリー性は非常に嘆かわしい。
一つ言っておきたいのは、強制された女性らしさと自発的な女性らしさの間に大きな違いがあるとか本気で思ってるのは女性だけであるということだ。
「今から自発的にハイヒールを履くけど男性はこれを利用しないでね?」「今から自発的にブルマを穿くけど男性はこれを利用しないでね?」
なんて言われて、男性がそれに従うだろうか?いいや、従わない。女性たちが自発的に楽しむハイヒールやブルマを思う存分利用させてもらうだけだろう。
そういうところに考えが及ばないところも含めて、やはり女性は下等だなぁと思うわけである。
(文:masudamaster)
http://anond.hatelabo.jp/20170516141639
http://anond.hatelabo.jp/20170517150404
http://anond.hatelabo.jp/20170518235031
http://anond.hatelabo.jp/20170529064047
https://anond.hatelabo.jp/20170625153549
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ともあれ、ハイヒールは滅ぼさねばならない。
↑ これの筆者である。私がこのエントリを書くにあたって意識したのは、共産主義、ファシズム、ラディカル・フェミニズムだ。そこにミソジニーの味を加えてみた。
ついでに、最近話題のポリコレも組みこんだ。その点ではリベラル思想も汲んでいる。
文章はいい加減だし、今日の日本において実現可能性はゼロだと思うが、この主張自体はマジメに唱えているつもりである。
たとえば、労働問題について考えてみよう。
「過労死するほど働く自由」と「過労死するほど働かない自由」の両方を労働者に与えれば、それで十分だろうか?
私はそうは思わない。読者諸君も、一部のリバタリアンを除けば、「過労死するほど働く自由」を認めないはずだ。
「過労死するほど働く自由」なんていうものは、たとえそれを望む労働者がいるのだとしても、決して認めてはならない。政府が長時間労働を厳しく規制し、それを抑圧することが必要だ。
人が趣味や遊びをやりすぎて死ぬというのは愚行権の範囲で、一応は自由だと言えるかもしれない。しかし労働問題においては、そういう権利を適用するべきではない。
長時間労働は、それをやる自由とやらない自由の両方を認めてしまった場合、ブラックな労働環境の中で強制的にやらされて苦しむ人が続出するのが明らかである。
女性が労働するときのハイヒール・化粧についても、これと同様のことが言える。
明治時代の日本でも、あるいはどこかの後進国でもいいが、近代化の過程では必ず「上からの改革」がある。
「旧弊に従う自由も、旧弊に従わない自由も、どっちも認めましょう」という生半可な方法では、おそらく近代化を達成できない。国民はややもすると旧弊に従おうとするからだ。だから政府が強権的に指導し、旧弊を排除することで、国民はようやく新時代に適応できる。
たとえば女性差別がひどい国では、政府が女子教育の権利を提唱しても、おそらく多くの国民はそれに従おうとしない。
権利を与えるだけでは、都市部のごく一部の家庭が娘を学校に通わせるにとどまるだろう。貧困層や田舎にまで女子教育を普及させるには、政府が国民に権利を与えるだけでは不十分であって、その権利を行使することを国民に義務付けなければならない。
「おらが村では女子教育なんてやらない」とか、「うちの家庭は伝統的な女性にふさわしい育て方をしたい」とか、そういう保守的な反発をするのは男性だけではない。母親や祖母も「女はかくあるべし」と考えている。「女子を学校に行かせる余裕なんてない。家の手伝いをさせたい」と思っている毒親もいるだろう。
そして女子児童は、当人がまだ子供であるため、自分がどういう価値観に従うべきかを判断できずにいる。
ここにおいて「多様な価値観を尊重せよ」などという主張は有害だ。政府は旧弊にまみれた価値観をきっぱりと否定しなくてはならない。
当然ながら現代の日本で、後進国が近代化するときのような強権的なやり方は適さない。とはいえ、政府や会社のお偉いさんが主導しなければ何も改善しないというケースが多いのも事実だろう。
たとえば就活の会社説明会で服装自由と言われたら、参加者は皆がスーツを着てきたという笑い話がある。こういう未開社会のごとき状況を改善するためには、「必ず私服を着ろ。スーツを着るな」という強権的な命令が必要だ。
上から改革をおこなって、下々の者は全員一斉に従う。――今日でもこれが最も現実的な手段なのだ。
私はなにも女性からハイヒール・化粧の権利を奪おうというのではない。会社や官庁ではそれを禁止しろと言っているだけである。
前回に書いたとおり、ハイヒールも化粧も、やりたい人だけがプライベートな時間に楽しめばよい。(短髪はすぐに伸ばせないけれども、それならカツラをつけて好きなヘアスタイルにすればよい)
私がこのように主張するのは、リベラル思想の影響を受けたからだ。
もし本物の極左ファシストであれば、プライベートな時間にもどんどん介入し、ハイヒール・化粧を完全に禁止するであろう。しかし、私はそこまで厳しい統制には反対である。
近年、女性蔑視の"萌え絵"等が問題になっているのをよく見る。
そのときのリベラル側の主張は、「女性蔑視の表現は政治的に正しくない。プライベートでその表現を楽しむ自由を制限するつもりはないけれども、公共の場所ではちゃんとポリコレに配慮せよ」というものであった。
私はこれに賛成だ。そしてそうである以上、ハイヒール・化粧もまた、公共空間から追放せねばならないと思う。それらのものは非常に女性蔑視的であるからだ。
もっとも、ハイヒール・化粧は女性たちが好んで選択しているという場合が多いだろう。
「女性の主体性を尊重しましょう」――これがリベラルにとっての錦の御旗なのだ。
しかし、私は世のリベラルほど無邪気になってその御旗を掲げることはできない。前回に書いたことの繰り返しになるが、女性がハイヒールや化粧を好んで選択することは、被差別者がなぜか自分の受けている差別を肯定するという現象だからである。
被差別者が望むならば差別を受ける自由はあるのか? 被差別者であればその差別を正当化してよいか? これはきわめて難しい話である。ただ一つ言えるのは、ここにポリコレ的な問題意識を持たないリベラルは、よっぽど鈍感か、よっぽど不誠実ということだ。
(この意味では、リベラルを気取っているフェミニストなんかより、ラディカル・フェミニズムの方が先鋭的になって突っ走っている分だけ、かえって正しい認識を持っている。)
私は歴史に詳しくないため、このさきは与太話しか書けないが、昔の中国には纏足という習俗があった。
そしてこれはあまり知られていないことだが、お上が纏足を強制していたわけではない。とりわけ清朝は漢民族のこのバカらしい習俗を忌避し、それを禁止する傾向にあった。にも関わらず人々は好んで纏足を選択し、競うようにその美しさを賞賛していたという。
女真族(満州族)の建てた清朝が纏足禁止令を出しても止めようがなく、結局、義和団の乱以後の近代国家への動きの中で反対運動が起こり、まずは都市部で罰則との関係で下火になった。しかし隠れて行われ、中国全土で見られなくなるのは第二次世界大戦後のこととなる。最終的に絶えた理由として、文化大革命で反革命的行為と見なされたこともある。このため、現在でも70歳以上の老人に一部見受けられる。
当時、女性が嫁に行くと、嫁ぎ先では何よりもまず最初に、花嫁の足を調べた。大きな足、つまり纏足をしていない普通の足は、婚家の面目をつぶすものだ。姑は、花嫁衣装の裾をめくって、足を見る。足が十二、三センチ以上あったら、姑は裾を投げつけるようにして侮蔑をあらわし、大股で部屋から出て行ってしまう。婚礼に招かれた客は、その場にとり残された花嫁に意地の悪い視線を投げかけ、足を無遠慮に眺めて、聞こえよがしに侮蔑の言葉を口にする。母親のなかには、幼い娘の苦痛を見るにしのびなくて纏足を解いてしまう者もいる。だが、成長した娘は、嫁入り先で屈辱を味わい世間の非難をあびると、母親が心を鬼にしてくれなかったことを責めるのである。
この引用で注目するべきは、姑や母親たちが纏足を推進していたということだ。
そして子供のときは纏足を痛がっていた娘自身も、親に纏足してもらえてよかったと考えていることだ。
さらに言うと、纏足は、男性中心の社会から女性たちが悪弊を強制されていたという観点だけで語ることはできない。それは女性自身が願望するところの"オシャレ"でもあった。
「纏足は、女性の誇りだった」「女性は肉体で動くから、痛みに耐えれば、高貴でよりよい人間になる」「母から娘への 女性になるための教え」「痛みを通して、身体を使って、女性は成功する」「足をより小さく、洗練して優美にすることで、女性は大きな誇りを感じた」
http://coconutpalm.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/--10---0239.html
西洋で女性を苦しめたコルセットにしても、きっと纏足と同様、女性自身が望んでやりたがるオシャレという側面があったはずだ。
これはまさしく、現代日本の女性が「ハイヒール・化粧はめんどくさい。強制されるのは嫌だ」と考えていながら、一方ではそれをやりたい願望を持っていて、結局それが手放せなくなってしまい自家撞着するのと同じ心理だ。
ハイヒール・化粧をやるかどうかに関して、「女性の主体性を尊重しましょう」とか「強制にならないかぎり両方自由です」ということを言っているリベラルは、あまりに鈍感かあまりに不誠実か、そのどちらかのために、この観点を見落としている。
無論、健康面やそれにかかる手間を考えれば、纏足やコルセットよりもハイヒール・化粧は随分とマシである。ただ、それは差別が過酷なものから軽いものになったというだけだ。進歩はしているけれども、まだ差別を克服できていない。
だから我々はさらなる進歩のため、おしゃれをしたいという女性の願望を抑圧しなければならない。ハイヒール・化粧を好んで選んでしまう女性性(女性らしさ)は、政治的に正しくないのである。逆にそれを憎悪するミソジニーこそが政治的に正しいのだ。女がオシャレをやめることで初めて男女平等を達成できると私が主張するのは、この洞察に基づくものである。
なお、議論はここにおいて、私が冒頭に書いた長時間労働の問題につなげることができる。「過労死するほど働く自由」を是認しようとする資本家・知識人は、プロレタリアの敵である。我々はこれを打倒しなくてはならない。
この理論を適用すれば、女がオシャレをする自由を是認しているリベラルと一部のフェミニストこそ、女性差別の温存を図っている連中だと言えるだろう。
twitterをなにげなく読んでいたら、たまたま的確な言葉を見つけた。
リベラリズムの本質的価値-自由、平等など-は、どこにあるのか? 逆説めくが、リベラリズム自体はその本質的価値を原理主義の激しい攻撃から救えるほど強くはない。 リベラリズムがその重要な遺産を生き延びさせるためには、ラディカルな左派の同志愛による助けが必要となるだろう。
「スラヴォイ・ジジェクbot @SlavojZizek1949」より
https://twitter.com/SlavojZizek1949/status/864981669509332995
前回のエントリは、穏健なリベラリストから散々顰蹙を浴びた。それは投稿前に分かっていたことだ。
あれは発破かけてるんや。
ってだけの話。
例えばフェミニストじゃない女性がなぜ積極的にマッチョを持ち上げるのかと言えば、自分を救ってくれるからなんだよね。
いわゆる甲斐性ってやつ。
大雑把に人間を分類すると
マッチョ男性、マッチョじゃない男性、フェミニスト女性、フェミニストじゃない女性
になるんだけど、フェミニスト女性は味方がフェミニスト女性しかいない。
男性にはそれなりのポストを与えるし、女性は結婚して生活の保障を与える。
ところがフェミニスト女性は持っていても溜め込んで一切他者に与えようとしない(これが新自由主義とフェミニストが親和性があるとしばしば言われる由縁。自力で這い上がって来いと再分配を否定する
それどころかマッチョ男性から普通の女性と一緒になって甲斐性なる物を貰おうとしてる(←正直これが一番まずいと思う。それどころかマッチョじゃない男性叩いとるやんけw
これ以上先に進むなら女性自身が与える側にならなければならない。
ほとんどゲーム理論の様相を呈してるけどまぁざっくり言うとこういうことだよね。
と値踏みしてる状況。
でも最近のフェミニスト女性は根本的にネオリベ的で自助努力を促すばっかりなのでついていけない。
このままついていけば最終的に切り捨てられて自殺するのが明らかだから。
集団自殺は誰もしたくないわな。
どうも男性と違って女性には無能な男性と恋愛関係に持っていくのは女性の動物的本能から難しいようだ。
男性は女性に比べてブサイク死ねといいながら金を払う動物的特徴がある。
なのでフェミニスト女性はせめて金を吐き出しまくるとか、非童貞を組織の長として引っ張っていく気概が必要だと思う(女性のリーダーになるだけじゃ駄目よ。フェミニストじゃない女性はマッチョ男性とフェミニスト女性を比較してマッチョ男性につくから
女性の人生について「ガラスの天井」ってよく言われてて、要するに能力があっても出世できないということなんだけど、一方で、男性にはない多様性が女性の生き方にはあるとも女性自身から聞く。これはつまり、上には行けないが横方向には広がっていけるということなのではないか。「横方向」だから多様性がありつつも連帯ということが成り立つ。
これに対して男性は、女性のような「ガラスの天井」はないものの「ガラスの壁」があるために横へは行けず、社会的には上昇するか堕ちていくしかなく、言い換えれば移動方向が上下しかないってことだから、結果として連帯ではなく競争や序列になってしまう。だから、女性と比べたら生き方に多様性がなくなってしまうのではないか。
とか考えてみて、自分の生きづらさをガラスの隠喩で表現するとこんな感じだが、まあ要するに、社内政治とかすごいやだなー、とか最近思ったもので、どんな小さな組織でも人が集まれば政治が発生してしまうのは驚くばかりだ。
国際女性デーも近づきtwitterで #女子だからって言わないで というハッシュタグを見かけた。
いい機会なので、女性格差問題について普段から思っていることを書く。
そして実感としても、女性が働きやすい環境には程遠い状況だと思う。
けど女性たちは自ら女性格差を作っている側面があると自分は考えている。
メディアで語られる現代の若い女性像といえば、女子会に参加して恋バナ。
自分たちを「女子」と呼び、女子力なるものを重視し、恋愛が全てのような生き方をしている。
しかし彼女たちは決して不幸なんかじゃなくて、女子としてちやほやされる方が幸せだと考えているように思う。
この「女子指向」の生き方は女性自身が作り上げている女性格差の代表例だと考えている。
自分は理系の大学に進学したが、同じ学科で男子100人以上に対して女子数人。
卒業後のIT系の就職先でも、同じ職種の男女比はそれ以上の開きがあった。
女性は止むをえず理系進学を諦めているというなら問題があると思うが、現実的には女性は自らの意思で理系進学を選択しない。
みんな華やかな職を目指して専門学校に行きたがるのもわかるよ。
例えば、理系の男女比率が同じくらいになったら、IT職の男女比率も近づいて、この分野に関しては労働環境における女性格差が縮まる土壌が作れると思う。
でも「女子指向」な考え方から脱却しない限り、女性格差なんて一生なくならないと思うよ。
この記事が文系や専門学校差別だと思われるのは本意ではありません。自分の環境が理系大学とIT職で女性が少ない環境だったので、文系や他の職業については書く知見がなかっただけ。ただ、女性の多くが文系大学や専門学校に進学する、という偏見というか先入観はあるかも。
職種によって給料が決まり、また男性優位な考えで作られた社会では、女性比率が高い職は労働環境が不適正になる構造的な問題があると思っています。もしそうだとしたら格差是正のためには男女比率を適正にすることが解決策の一つなのでは、ということを伝えたかった。
腐女子が夢小説(夢女子)を馬鹿にするのって、どうせ女性の性欲を露わにしているのが嫌なんでしょう。
腐女子は自分の性欲をうまくごまかすための方法として、BLを選んでいるだけ。いまの社会じゃ女性の性欲なんてないことにされてるか、揶揄されるものだもんな。。
BLなんて女性のためのポルノだよ。エロがないBLがあるのも知ってるけど、攻め×受けって言ってる時点でその二人のセックス妄想してるんだからさ。
だから、「キャラくんと付き合いたい」って女性としての性欲をオープンにしている夢小説を嫌悪する。自分が隠さなきゃならないものをオープンにしてるのを見るのが嫌だから。
腐女子さ、よく「○○ぶちおかしたい」って攻め目線で発言するよね。それ実際に○○を犯すのが攻めキャラだったりそうじゃなかったりしても、攻めに自己投影した発言だよね。
でも、「○○にぶちおかされたい」は言わない。例え実際に○○を犯すのが攻めキャラだったとしても、受けに自己投影した発言は、腐女子の中では許されない。だって、女性の性欲があからさまに見えるから。腐女子が見たがらないものを見ることになってしまうから。
最近の受けちゃん女体化流行りだってそう。受けちゃんを女体化して、自分の性欲を重ねてるようにしか見えない。
そんで、「それって夢小説っぽいよね」って言えば、ムキになって「これは夢じゃない!」って言う。私は自己投影なんかしてない、って。
前に男性声優さんが「BLはポルノ」って主旨の発言をして大炎上した。
『ニーズ』を考えるとBLってジャンルはAVと一緒だよね、だから「BLが好き♪ファンタジーだから☆」とか言ってる女は全員ドスケベである
(引用元 http://majipro.blog22.fc2.com/blog-entry-2476.html)
実際そうであるだろうが、炎上した。腐女子は自分の性欲を認めたくないから、そこを突かれると恥と怒りが爆発するのだ。まあこれ腐女子に限らず女性一般そうだと思うんだけど。
これは創作の良い悪いの話じゃなくって、女性の性欲が隠されてる現状の話。
男の性欲はオープンに理解されてる。でも女はだめ。見せてはいけないって女性自身が抑圧してる。
エロエロのBLが好きなら、何故自分がそれを好んでいるのか、もっと冷静に考えてみたらいいんじゃないの。
参考
女性の社会進出を最も阻んでいるのは女性だと思うことについて。
ワークライフバランスが〜等々言われているけれど、私が働く上で最も苦痛に感じているのは先輩女性社員の妬みや僻みなんです。
社会人そこそこで結婚して社会人5年目になった頃に子供ができて、そのあたりから先輩女性社員の態度が明らかに変わってきていた。子育てのひと段落した契約社員の先輩は「働きながら子育てするなんて甘い。子育てするなら家庭に入りなさい。」とよく私に言っていた。言いたいことはわかるけど夫婦共働きでないと金銭的に子育てが難しいことをやんわり伝えても駄目だった。アラフォー独身の管理職の先輩は残業せずに帰る私を煙たく思っていたのか、家族持ちは扱いづらいわねと良く言っていた。キャリアを積むなら滅私奉公で働かなければいけないという考えのようで、確かにその先輩は仕事に関しては素晴らしいと思う。だからなおさら自分の夫婦仲や子育てなどあれこれ言ってくるのがつらかった。仕事を続けたいなら子供は親にでもなんでも預ければ良い。仕事がやりたければ夫に主夫にでもなってもらえばいいじゃないとかいろいろ言われるのが嫌で。自分の夫婦仲の悩みを他の同僚に話していたら「私はそんな面倒なら結婚なんかしなきゃいいのに。仕事だって半人前のくせに。」と言われるし。
恨みつらみを書いてしまった。すみません。どうしても仕事か家庭かの二元論になってしまって、両立しようと頑張ろうとするとそれぞれの価値観をぶつけられることに疲れてしまったんです。自分より15歳以上のアラフォー女性からの嫉妬を感じるんです。「自分が若い時は女性が仕事と家庭を両立するなんて許されていなかったのに、お前に両立なんかできるわけない。私ができなかったんだから、お前もできないようにあるべきだ」と感情的にぶつかってくるのをやめてほしい。男性先輩社員の無理解より女性先輩社員の嫉妬が怖い。とても理想の働きかたなんて、程遠いですよ。だって感情は消せないじゃないですか。怖いですよ。