はてなキーワード: 女性自身とは
痴漢を防止するために隔離領域を作るという考え方は悪いと思わないが、でもそれってそれこそ優先席みたいな領域をまず作ってみて、それでもどうにもならないのならって、段階が必要だったのではないか。一車両をいきなりというのが不満の一つ
自分が怪我をしたときには、自分は優先席には甘えないで、朝早く起きてピークを外す努力はしていたが、本当に怖いのなら女性もそういう努力があってもいいのに、大多数はそれもしない、朝起きるのは面倒とか言ってしまえるようなその程度の恐怖心でないのではないか、というのが不満の一つ(もちろん、痴漢被害者の中には被害後に恐怖から逃れるためにそういう努力をきちんとしていた人がいた事も認識している。でも大多数はそうじゃないでしょって話)
被害に遭っている人がいる一方、女性側で痴漢えん罪で悪用している人々がいるということに関して、女性自身にそれに対する嫌悪感や社会的プレッシャーが少なすぎる。痴漢だって、男の中の0.0001%にも満たない人数の犯罪であるはずなのに、あそこまでの事が男性側から行われる。男性においてはえん罪が発生すれば社会的に抹殺されるにも等しい行為なのに、女性側から何のリアクションもない、というのが不満の一つ
生きていくのは可能だよ。子供を作るのも可能。ただどういう生活をするかの選択が狭められるが。
女性には上方婚傾向、というものがあって「自分より下の年収の男性に魅力を感じない」という傾向がある。これを解決した国はまだ存在しない。男女の賃金格差が無くなったノルウェーですら存在する。
君は「男の稼ぎ」って捕らえてるから、パートナーは得ようと思ってるんだね、女性の年収が高くなるとマッチングが難しくなって結婚の総数は減る。まぁ、独身でも別にいいけどさ。
最初に戻るけど、私が女性側のやる気、みたいな話を出したのは、君の題名、女性はそもそも男性同様に働きたい、という前提は正しいの、という疑問があったので。
無実の男性に「痴漢を捕まえるのは男性の責任」みたいな言説があってビビる。
(逆に女性の社会進出が低いレベルなのは女性が悪いの?というな)
あと女性の心理的な部分では(あるいはひょっとすると論理的な部分も)「男性には政治的な正しさを適用する必要がない」って捉えてるんでビビる。
いやまぁ昔からそうかな、とは思ってたが。
別に私は女性専用車両自体には反対ではないんだけど、あれだな、男性は考慮されないんだな、と。
犯罪をしない弱者男性観点だとさ、女性を守る意味、インセンティブみたいのが無いんだよね。なんだろう接点がないので男女で感謝しあうという事もないし。
女性は男性から「政治的な正しさ」で様々な制限をかけるが、女性自身の欲望には政治的な正しさはかけなくて良い、というのは、それ平等になるの。
追記
あー、女性全体といったつもりはなかった。女性にもいろいろいらっしゃいますよね。
あと別に『女性観点で弱者男性を助けるメリット』は無いんだよね。
昔、「弱者男性を助ける役目もフェミニストに求めるのはお門違いだ」って発言をみてびびった。この人々は弱者の味方、という訳ではなく女性の権利拡大のためだけなんだ、と。
それはふまえた上で、もう、(女性を助ける)理想の男性像とか、(男性を助ける)理想の女性像みたいな形で、
男女助け合う、みたいなのは意味をなさなくなったんだろうな、と思ったんだ。
女性は別に無理に男性を助けようとしなくていい、そういう義理とかロールモデルはない。
女性自身や女性セブンや週刊女性などの女性誌はほぼ毎号のように皇室の話を記事にしているが、眞子さまと小室圭さんのお付き合いを最初に報じたのは女性週刊誌ではなく写真週刊誌のほうだった。女性誌の記者にも2人のお付き合いの情報は入っていたはずだが、女性誌の記者はNHKが報道するまでそのことを記事にすることはなかった。そして2人の婚約が内定し、今になって女性誌主導の小室家バッシングが始まる。
こうして流れを追ってみると、それぞれのメディアの情報源やリーク元が垣間見えて面白い。
はてなブックマーク - 小室圭さんの母「皇室でサポートを」と要求か (NEWS ポストセブン) - Yahoo!ニュース
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180215-00000011-pseven-soci
昨今の日本のニュースでは、女性の貧困や保育所不足などの話題がよく取り上げられている。
日本だけでなく、世界的に見ても女性の社会進出には大きな問題がある。
結論を先に述べると、それは政府や企業が謳う女性の社会進出とは、すなわち女性が男性と同等に扱える労働者にしてしまうからである。
言えば、女性を社会や経済のための、使い捨ての歯車にしてしまうからだ。
これの何が問題かというと、女性を常に安価な労働力として消費することに他ならない。
今一度解説すると、労働者とは自身の能力や時間を労働力として換金する、ということである。
単純な意味での労働力とは、それを購入する側にとっては、捨て値でスーパーに置かれているモノ、と例えて差し支えない。
(現代では、経営者以外の労働力は、発展途上国の労働者に置き換えることができるので、ほとんど最安値となる。)
女性の社会進出においては、女性自身が上記のような労働者という立場しか与えられない点である。
すなわち、社会から女性に対して、労働力という安売り以外での、社会への進出方法が明示されていないのである。
なぜなら、男女共同参画という企画は議員に承認された時点で、資本階級に都合が良くなるよう、うまく改変されているはずだからだ。
議員と資本階級に一定の繋がりがあるので、資本階級にとっても便利な法整備がなされているはず、と考えるのが自然だ。
女性がこの安売り地獄から逃れるためには、その個人が社会に供給しうる中で、自身への報酬が最も大きい手段を取るべきである。
わかりやすい手段を挙げると、起業であったり、大学を出ずとも、容姿と態度を磨き上げ、専業主婦として生活できる資本を作り上げたり、となる。
おそらく特別に厳しい境遇に充てられるのは、あらゆる意味での資本が乏しく、新たに構築できず、本人自身も特段有能でない女性であろう。
ただこの条件で厳しいのは男性でも同じであり、純粋に生存が難しいだけなので、この問題の中で考えるのは不適である。
再度要旨を述べると、女性の社会進出とは労働力に貶めるための建前に過ぎない。だからこそ、それに反逆するしか豊かになる道がない、ということだ。
フェミニズムの思想を突き詰めて考えてみると、女性自身の自己決定権を最大限に尊重するということだよ。
しかし、その理屈だと「レースクイーンになりたい」という女の意思も、最大限に尊重されなければならなくなる。
フェミニズムの思想が浸透すればするほど、男社会の価値観が強化されるという矛盾もある。
それにフェミニズムの思想の対象は女だけではなく、もう片方の男にも適用される。
男の方が「若くて容姿の美しい女と結婚したい」という思想を持っていたら、フェミニストとしてはその意思は尊重しなければならない。
男社会の仕組みが女にとって有害となっている理由は、やはり男社会のもとでは女はお金を稼ぎにくくなるということなんだよね。
お金がないと、女自身の自己決定権を行使することができなくなる。
だからこそ、歴代のフェミニストたちは学歴を身につけ、起業家や政治家などを目指していったのだと思う。
お金や地位があるからこそ、女の力で社会を変えることができるようになった。
痴漢犯罪は強制わいせつ罪や、さらに悪質な場合は強姦罪が適用されるので、法整備はそれなりに整っている。
あとは鉄道会社と女性乗客の努力次第という話になるのだが、鉄道会社には期待できそうもない。
究極の痴漢対策は満員電車の解消なのだが、これは特に首都圏においては解決不能である。
私増田の身近な例として、東京メトロ千代田線の朝夕の通勤ラッシュを解消することは100%不可能である。
というわけで、鉄道会社に期待するだけ無駄だし、男性嫌悪感情を増幅させるだけの女性専用車両は話にならない。
ここで表題に書いてある、女性自身の自助努力をする話になってくる。
被害者になりうる女性自身に責任を負わせるのか、と反論されると思うが、現実問題としてそうするしかないだろう。
法整備は整っていて、鉄道会社はアテにならない。となると、女性自身で防衛するしかない。
服装に気を付けるとか、鉄道車内では女性同士で固まるとか、やり方は色々考えられる。
どうしてもそれで納得できないならば、世の中にいる力の強くて痴漢犯罪者になりそうな風貌の男を、社会から排除するしかなくなる。
男性として言わせてもらうと、このような状況に陥る女性は共通点があって、
あるいは、言わないのではなくて「言えない」が正しいのかもしれない。
「私は○○したい」「私は○○と考える」と3分に1回言う女の子は、嫌がられるかもしれないが、
決してこの記事のような目には遭わない。
そして、このような女性を見ていて感じるのは、女性自身も自分自身の心がよくわかっていないのである。
だから
② 口に出す
ということが大事なのだが…これができない女性がいることは知っている。
私も、結果的にそういう人にストーカーに近いことをしてしまったことがある。
いざという時じゃなくて、普段から、思ったことを言ってほしい。
それがお互いのためである。
男性を人を信頼してほしい。
頼むから、不快の感情でもいいから、普段から思ったことは言ってくれ。
今回の騒動、日本版#MeTooというハッシュタグも含めて、私ははあちゅうの行動の全てを支持できないでいる。
理由は主に3つあり、
1. なぜ裁判と言った公正な場で戦わずに、ネットで晒すという卑怯な手に出たのか理解できない。
2. 男性の性に踏み込むキャラを自分で作っておきながら、逆の立場に置かれることは許容しない
3. 自分に否定的な意見をする人間を徹底的にブロック。そもそも議論する気がないのに問題提起の声だけでかい。
(補足. セックスの話題を使って仕事をしている女は、同じ女に対して害悪だと思っている)
特に1.については絶対的な悪だと考えていて、実名を晒してああ言う書き方をすれば、(はあちゅうの言ったこと内容が対して検証もされず)見た人たちが感情的なネットリンチに走ることは容易に想像できたことだし、そこまで考えられないのに言葉を仕事にしているのは失格だと思う。
どういった被害を受けたのであれ、私刑に走るのは最低だと思う。
2.については、『あーこいつもかー』と思った部分。
男性からすれば理屈の上でおかしい、と感じるかもしれないけど、女性からするとこう言う女性を少なくない頻度で目にするのでうんざりしてる。
自分から男性の性に踏み込んだ話題を振る割に、自分の性の話になると拒絶反応を示して、後で女だけの会話になったら『あいつセクハラ。最低』という女。
男性の性について会話の中で踏み込んだ時点で、自分の性についての話題を振られる間口を開けてしまっているのだから、
そうされることを拒絶すれば一方的なコミュニケーションになるし、男性から『なんだこいつ』と思われるのも当然じゃないかと思う。
私はそう言う女が正直言って面倒くさい。性についての話題は、自分の性だろうが他人の性だろうが、一切NGとするべきだと私は思っている。
3.ははあちゅうの子供じみた行動が、言葉を仕事にしている人間として不適格だと感じている点。
過去何度も炎上させる度に、反対意見を持つ大量の人をブロックリスト送りにしているけど、不特定多数が目にする自分の意見(文章)に対して責任を持つという最低限の事ができていないこの行いは、もっと追求されるべきことだと思う。
そう言った、『特定意見しか受け入れません』という態度を取っているにも関わらず、未だに支持者がいることも理解できない。
手のひらを返すように意見を変えた瞬間、支持してる側だと思っていた人がブロックリストに送られることだってありえるのに(と言うか今回沢山起きてますよね)。
女性が自分のキャリアのために、女性の性を使う必要はありません。
40代の私は過去数え切れない回数のセクハラを受けてきました。だからこそ、性に触れることを自分の言動のなかで行うことは避けようと思っています。
セクハラ問題においての唯一の特効薬は、性について(自分の話題であろうが、人の話題であろうが)、一切公で触れてはいけないという風潮を作り出すことだと思っています。
私が仕事をしているアメリカでは十数年前からそういった風潮が完成しており、今問題になっているのは密室で行われたセクハラです。
アメリカの女性たちが密室で行われたセクハラを告白することで、アメリカからついにセクハラが無くなるのではないか、という期待あってのムーブメントです。
日本はまだ、公に行われる軽いセクハラが許容されていると感じています。
これは女性側の言動にも責任があると思っており、『女らしさ』や『女性性』といった言葉でヴェールをかけていますが、結局のところネットやTVで目にする性の話題は、女性の側から男性に対して会話の間口を開いているにすぎません。
セクハラ撲滅の第一歩のためには、女性自身が性に触れることはセクハラのある風潮を助長することだと自覚し、公で話題にしないという意識の徹底が必要です。
はあちゅうの童貞いじりや、恋愛やセックスについての話題は、男性が女性に対しても同じ話題を振っても良いと勘違いを助長してるにすぎません。
そう言ったポジションを仕事の上での強みの一つにしているので、はあちゅうは特に悪質です。
彼女自信がこういった自分の悪質さに気がついてくれると良いのですが、残念ながら2.の通り、自分に対する否定的な意見は無視を決め込んでいます。
そうなれば私達が取るべきアクションはたった1つで、はあちゅうを無視して孤立させる他ありません。
そういう話ですね。。女性の望みを叶えていこうとすると息苦しくなるポイント、閾値がある。
なので、女性の希望を列挙して、その先を提示して、じゃぁ、女性自身が積極的にやっていきましょうね、という。
ちょっと話は変わるんだけど、今の女の子って1980年代の肩パットの時代からすると、ずっとフェミニンというか女性的になってきてて、
勝間さんとか、インディペンデントな生き方の女性から比べるとだいぶ柔らかくなってる印象がある。
これって「女性も社会進出して自立して、更に稼ぐのが正義!」って強制し続けると、女性の中にも「いや、そんな枯れたくない」「うるおい...」みたいな反動があるのかなー、と思ったりしてる。
このブクマを見て思ったんだが、
自分は別に法律の専門家でも何でもないが、今回のケースで「夫の子と推定」すること自体はまあそこまでおかしくはない、妥当な範囲ではないかと。
訴状などによると、男性は2004年に女性(46)と結婚し、11年、体外受精により男児を授かった。13年10月ごろ、2人は別居したが、女性は体外受精をしたクリニックに保存されていた受精卵を、男性の同意を得ずに使って妊娠、15年春に女児を出産した。その翌年、2人の離婚が成立した。
男性は、自分の同意なく女性が単独で妊娠・出産しており、自分は一切関与していないと主張。女児について、生物学的には自分の子どもかもしれないが、その理由のみで法的な親子関係が認められるものではないと訴えていた。
とある通り、夫が生物学的に子の父であることは夫も認めているわけだ。
そもそも生物学的に血がつながっている子を「自分の子ではない」と拒否する事は、今の法律ではできないのではないか?
そもそも「自分の意思で生まれた子ではないから」という事情をいちいち汲んでいたら、じゃあ誰がその子の親になるのかという問題が発生し、子の利益を保護するため、まずは血縁関係があれば子としているという部分があるのではないだろうか。
もちろん血縁関係がなくとも養子縁組等で法的に親子とする事はある。また特別養子縁組で血縁関係があるにも関わらず生物学上の親との親族関係がなくなる事はあるが、それはあくまで「そうした方が子の利益にかなうから」という考え方だろう。
親にも事情はあるだろうけれど、まずは子の利益のためには誰かが親になる事が必要であり、子の利益のために親側に不利益が生じても仕方がないという考え方があるのではないだろうか。
そこで「では誰を親とするか」と考えた時に基準となるのはまずは血縁関係となるのだろう。なぜなら基準を「実際に養育しているかどうか」等にした場合、じゃあ捨てられた子の親は誰になるのかという問題が発生する。子を養育しているという意味での親がいないということは有り得るが、生物学的な親がいない(死去したとか生き別れたという意味ではなくそもそも最初から存在しない)という事はありえないからだ。
子の両親は誰かを決める際に、そもそも母親はどのように決まっているかと言われれば、まず生物学上の母、その子を産んだ女性を母としているわけである。反例でも「母の認知をまたず分娩の事実によって当然に発生する」としている。もし子を産んだ女性が「自分が欲しいと思って、望んで産んだ子じゃない」と思っていたとしても、その後その子を手放す事があったとしても、まずはその子を産んだ女性を母としているわけである。女性本人の意思や同意は関係なく母とさせられてしまう事だって、今までも起こっていただろうし、それによりその女性に不利益が生じる事もあっただろう。
例えば性暴力被害に遭い妊娠に気づいた時には中絶をできない状態だったとか(被害に遭ったのが女性本人も子どもと言われる年齢である場合等)、そこまでではなくとも、女性自身は子どもは一人でいいと思っていたが親族などの周囲の圧力でもう一人子どもを産むことを半ば強制されたとか、そのよう「自分の同意がない」「知らない内に子どもができていた(妊娠していた)」場合でも、まずは誰かを親としなければいけないから
有無を言わさず、まずは「その子を産んだ女性を母とする」というルールでやってきたのである。
そして「父親が誰か」を決める法律上の規定は「妻が婚姻中に妊娠した子は夫の子と推定する」という嫡出推定になるが、「母親が誰か」を決める物は何かと言われれば
「妻が婚姻中に妊娠した子は夫の子と推定する」という民法の嫡出推定の規定も、法律ができた当初は「誰が父親か」を確実に判定する手段はないが、おそらく妻が婚姻中に妊娠した子は生物学的に夫の子である場合が多いから、という判断もあり血縁関係を一つの基準として決めてきたのではないだろうか。
未婚の男女の間に生まれた子の場合、男性側が「確かにやることはやったかもしれないが、妊娠したことや子どもが生まれていた事までは知らなかった。自分は子どもなんてほしくない、自分の意思や同意なく生まれた子だ」と主張する事もそれこそよくる事なんだろうが、その場合でも今では血縁関係が認められれば強制認知という形で、法律上の父とならざるを得ないというルールでやってきているわけだ。強制認知にまで至るような事例だと男性側は意思に反して父親になる場合も多かっただろうが、それも子の利益を優先するという考えの元のルールなのではないのか?
だから誰を親とするかという法律上の規定には、そもそも親側の意思だとか同意だとか子どもが生まれる事を知っていたかとか望んでいた子かどうかとか一緒に暮らしてないとか、そういった親側の事情は関係がないのだ。
嫡出推定自体も、誰かはその子の父親にならないといけないからとまずは女性が妊娠していた時の夫を父とすると決めるという、子の利益を保護するための規定として現状運用されているのだろう。
そもそも今回の場合夫が生物学上の父であることは本人も認めているわけで、これで「夫の子とは推定しない」という判決が出ていたらその方が現状の運用からかなり逸脱した判例だと思う。
あとこれはあくまで今回のようなケースも夫の子として推定したという判決であって、女性の行ったことがどう裁かれたかという判決ではない。
受精卵を勝手に使用し妊娠・出産した元妻に対し、元夫が損害賠償などの裁判を起こしたとか、そういう内容の裁判ではない。(一部ブコメを見ていて少し気になった。)
まあ現状の「誰を親とするか」という法律の運用がすべて正しいとは思わないが(DVで夫と別居中の女性と、夫以外の間に生まれた子も夫の子にされてしまうとかは問題だと思う)、
今回の判決自体は現在の法律の運用を考えるとまあそのようになるだろうなという判決だと思う。
ブコメにも「嫡出推定は女性や子に不利に働くことが多いが今回は男性側に不利に働く結果だった」という反応があったが、まさにその通りで現状の運用では女性が不利益を被ることも男性が不利益を被ることもある
ということなのだろう。
自分のあずかり知らぬ所で生まれた子や自分の意思に反して生まれた子にも養育の義務が発生するのであれば、それは男性にとって著しく不利な事だという反応もあったが、
女性の場合でも知らない内に妊娠し出産まで追い込まれることや自分の意思に反して子どもが生まれる事はあり、その場合も女性には母親としての義務は課せられているのだから、いつも男性だけが損をしているということもないだろう。女性の場合わけもわからないまま出産に追い込まれたからと言って子の養育を放棄した(というかどうすることもできず結果をして子を放置した)場合でも下手すれば保護責任者遺棄等の犯罪者になることもある。自分の手には負えない場合特別養子縁組で子を手放す事はできるとしても、子を手放す決断をする必要はあり、子を手放すまではやはり母親として養育の義務を負わざるを得ないだろう。
こういう言い方もアレかもしれないが、母親が生物学上の子の養育を放棄すると最悪お縄になるが、実際問題養育費を踏み倒す父親も多いし、養育費を支払わなかった所で現状捕まるわけでもないから、父親にさせられたばかり損しているというわけでもないんではないかな。
この辺の法律にはおかしい部分や時代にそぐわない部分、現状とかい離している部分もあるが、実際望まれて生まれたわけじゃない子もある程度はいるし、生殖行為を行うという事、その結果生まれてきた子に対し
原因をつくった当事者である生物学上の父母と思われる者をまずは法律上の父母とするというルールの原則自体は、子を保護するという意味ではそんなに的外れでもないと思う。
生物学上の父母が責任を果たせない場合のセーフティネットはもっと整備されるべきだとは思うが。
もし「男性の意思に反して生まれた子は、血縁関係があっても法律上はその男性の子とはみなさない」となると、それこそ男性の意思で避妊もせず、結果子どもが生まれると「別に俺は子どもなんてほしくねーし、あんたが勝手に生んだんだろ」という男性がさらに好き放題することになり、生まれた子の利益が保護されないという事態が悪化する事も目に見えてるんじゃないだろうか。
あと以下は蛇足だが、「子どもなんてほしくなかった、自分が妊娠するなんて思わなかった」という女性に対しては「やることやってたのに何言ってんだ」「軽はずみな事をするから」「被害に遭ったのなら自衛が足りない」と言い出す人も現れるが、今回の夫には「やることやってたのに」「自営が足りない」とか言う人はいないんだな。