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ウィトゲンシュタイン入門 / 永井均
それは、かんたんに言えば、「私はなぜ、今ここにこうして存在しているのか」という問いであった。
小学校の三、四年生のころ、自分でも問いの意味がよくわからないながら、よくそんなことをぼんやりと考えていたのを覚えている。
小学校高学年から中学生になるころには、もっと明確に「なぜこの子(つまり永井均)が自分であって、隣にいる子が自分ではないのか」
という疑問をしばしば考えた。無数にいる人間といわれる生き物の中に、自分という特別なあり方をしているやつが一人だけいて、
こいつ(両親によって永井均と名付けられた一人の少年)がそれである、ということが不思議でならなかった。
だがもっと不思議なことは、まわりの誰もそんなことを不思議がっているようには見えなかったし、学校の勉強では、どの教科でも、
いつまでたっても、そんな問題をとりあげるようにない、ということだった。
この疑問を、もっと素朴なかたちで、友人の一人に提出してみたことがあった。それは「僕はなぜ生まれてきたのだろう」という問いである。
この問いならば、ひょっとしたら他の人に通じるかもしれない、という気がしたのである。だが私の期待はみごとに裏切られた。
聡明で知的にきわめて早熟であったその友人は、私の問いに「両親がセックスしたからだ」と答えたからである。
私は「僕が生まれてくる以前には、両親は単なる二人の男女にすぎないではないか。単なる二人の男女がセックスをしたからといって、
どうして僕が生まれてくる理由があるだろうか」という意味のことを言って反論したが、友人は結局その問いの意味を理解しなかった。
私が言いたかったのはこういうことだ。これまで無数の男女がセックスをして、無数の子どもが生まれてきた。これからも生まれてくるだろう。
そのうち一人が私であった。しかし、私など生まれてこないこともできたはずである。現に一九五一年までは、私がいない世界が続いていたし、
二一〇〇年には、また間違いなく私のいない世界が存在し続けるであろうから。しかし、どういうわけか、私は生まれ、今ここにこうして存在している。
そして、それは永井均という名づけられた人間が生まれたということとは別のことである。なぜなら、永井均という名の人間が生まれていながら、
自分の周囲のクラシックファン、ジャズファンは何故にあんなにCD買うのだろう。奥様の堪忍袋が尾がよく切れないものだと思い、つくづくよくできた奥様だと変な方向に感心してしまう。
俺は少年のころから相当コアな音楽ファンであることは彼に引けを取らず、90年代は彼らと同じくらいCDを大量に買っていたんだが、21世紀になってAppleがiTunesを出したときに音源をすべてハードディスクに取り込んで、ディスクは全部リサイクルショップに売ってしまった。
ハードディスクは二重化してそのための費用も結構かかったのだが、2010年代になってSpotifyの日本上陸とともにそれらのハードディスクも廃棄。
音楽にかける予算は年間12000円。配信バンザイ!と思っているのだが、周囲の友人たちにはそういう話はできず、いつもモヤモヤを抱えている。
目的と手段が逆転することを趣味というのだそうだが、彼らは明らかに音楽ファンというよりはむしろ鉄道模型マニアに近い人種なのだと思う。
それが証拠に。
・彼らがSNSにアップする写真は、CDと高級アナログオーディオと膨大な書籍(ミシェル・フーコーとかウィトゲンシュタインとか本当に読んでいるのか?)に囲まれたマイルーム。あんなにモノにあふれて狭かったらオーディオもいい音で鳴るまい。
・通販で届いたCDボックスを発送箱の開封すらしていないことを自慢している。彼らのCDコレクションの半分近くは一度も聴いていないのだと思う。
男女の違いを解説したとある本に、「男は役に立たないものを集める。女はまだ使えるものを捨てられない」とあって、彼らの集めているCDは観賞用(音楽鑑賞ではなく飾って眺めるための鑑賞)なのだろう。
ウィトゲンシュタイン『哲学探究』の日本語訳を読む。
流石にニーチェの翻訳家が手掛けただけあって、日本語は実にこなれていて詩的だ
(ウィトゲンシュタインは「詩的」な哲学を好んだ。ニーチェの哲学も従って高く評価していたという)。
悪く言えば情緒的で、こちらを刺激させるゴツゴツしたところのない滑らか過ぎる訳でもある。
ドイツ語が出来ないのにこんな生意気なことを言ってしまって申し訳ないが、好みとしては『論理哲学論考』の方が好き。
でも、「分かる」「伝える」「考える」ということがどういうことなのか再確認させる凄味はある。
脳科学の世界で聞けば瞬殺されそうな考え方ではあるが、仮に科学で解明されたとしてもではその科学がどうして正しいのか、という疑問は残る。
確かウィトゲンシュタインはそういう事態を指して「語りえぬもの」と呼び、黙れ、世界はそのようなものだからだ、と語っていたのではないかと思う。
ウィトゲンシュタイン先生、やっちまってください。
ここ数日、ハヤカワ文庫の百合SFフェアに関連して、書評家の杉江松恋がフェアに違和感を表明し、杉江を含む百合SFフェア懸念派の発言がTogetterにまとめられ、さらにハヤカワの編集者がそのまとめの削除を申請する……といった一連の出来事が、ツイッターのごく一部を騒がせていた。
(ハヤカワ編集者の削除申請を、百合SFフェア批判の封殺と解釈しているらしい発言をいくつか見かけたが、あれはむしろ杉江松恋らフェア批判者への反発をこそ抑え込むための措置だったのではないか)
そんな状況の中で、百合SFフェアに含まれる作品の著者が投稿したのが、以下のツイートだ。
<script async src="https://platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script>百合SFブームは「ウィトゲンシュタインの梯子」のようなものであり、将来的に特にカテゴライズなく同性愛テーマの作品が普通に幾多もある環境が作られなければならない。— 草野原々/GenGen Kusano (@The_Gen_Gen) June 2, 2019
<script async src="https://platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script>この流れをBLSF、トランスジェンダーSF、アセクシャルSF、クィアSFに持っていかなければいけない。また、(現実への異化作用としての)ヘテロセクシャルSFやシスジェンダーSFも出現させていかなければいけない。— 草野原々/GenGen Kusano (@The_Gen_Gen) June 2, 2019
ウィトゲンシュタインの梯子、という言葉はよく分からないが、ググってみたところ、「おもちゃと同じだよね。“やがていらなくなる為に”、それは必要なんだ。」といったような意味らしい。なるほど。
果たして、草野の言うように百合SFブームは「ウィトゲンシュタインの梯子」なのだろうか。
たしかに、今回の百合SFフェアに対して、なぜ「百合」などという狭いカテゴリだけを殊更に取り上げるのか、もっと広く「ジェンダーSFフェア」でいいのでは、といった声はいくつかあった。そういう人々にとっては草野の言葉はまさに、我が意を得たりという内容だろう。
だが、それは大多数の「百合好き」の考えとはどこまで一致しているのだろうか。
自分自身は、胸を張って堂々と百合が好きだと言えるほどの百合好きではない。そのためこれはあくまで推測でしかないが、多くの場合、百合というジャンルを好きな理由はそれが「百合だから」、男と女でも男と男でもなく「女と女の関係性だから」としか説明できないのではないか。逆に言えば、「女と女」であることにだけは、唯一絶対の意味がある(「女」の範囲をどこまでとするかは人によるだろうが)
あくまで性の多様性を肯定するフィクションの一つとして完全にフラットに百合を評価している、という人も中にはいるだろうが、多数派とは思えない。たとえ百合と同時にBLなど他のジャンルも好きだったとしても、「百合ならではの良さ」が少しでも存在すると信じるのであれば、それは「女と女」に帰着するほかないだろう。
なんで「女と女」なの?と更に問うこと自体は一応可能だ。現に、主に非当事者によって「男性を排除した世界で処女性を安全に味わうため」とか「自身の男性性への罪悪感から来る女性化願望」とかいった“分析”がなされることは多い(下衆の勘ぐり的な“分析”の代表例として挙げただけで、別に百合の愛好者に男性しかいないと思っているわけではない)
そういった詮索好きな人たちには、その勢いで現実の性的志向にも同じように“分析”を行ってみてもらいたい。やれるものなら(実際にやってしまう人も時々現れるが)
閑話休題。
草野のツイートは、物語ジャンルとしての百合が百合であることの意味、つまりは「女と女」が最終的には他の関係性・性志向の中で相対化されて、良くも悪くも無意味になることを目指す、という姿勢の表明と読める。
もちろん、この件はただの百合ではなく「百合SF」についての話である。センス・オブ・ワンダー(って結局なに?)が重視され、既存の常識を乗り越えることを良しとするSFというジャンルであれば、百合と結びついた時に、百合好きが百合に抱く(不合理で保守的な)幻想を解体するような方向に傾くのも自然なのかもしれない。
だが、もしも最終目標が「特にカテゴライズなく同性愛テーマの作品が普通に幾多もある環境」ならば、敢えて「百合SF」という看板を掲げるのは、不必要である以上にかえって逆効果なのではないか。性別に関する固定観念を直接揺さぶる手段はSFには現にいくらでもあり、わざわざ「百合(SF)」という限定された概念を経由するのは、目指すゴールから遠ざかるだけの回り道に思える。
百合に限らず様々な関係性がSFで描かれるようになること自体は、良いことに決まっている。だが、フェア対象作家の中の一人に過ぎないとはいえその内部から「ウィトゲンシュタインの梯子」という言葉が出てきたとなると、「百合SFフェア」は素直に乗っていい波なのか、受け手に迷いが生じてもおかしくない。SF好きはともかく、百合好きにとっては大きな問題になりうるだろう。あくまで上にのぼるための道具として梯子を必要とする人間と、梯子そのものを愛している人間の間にある溝は、当たり前のように深い。
そこまでの意図は無い発言だったのかもしれないが、どうにも気になってしまったので書いた。上でも書いたように自分自身はそこまで強く百合が好きというわけでもないので、ガチの百合好きの人の大半が、ハァ?オレ/ワタシは全然気にならないんだけど???と言うのであれば、別にいいです。
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
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00 | 60 | 15688 | 261.5 | 44 |
01 | 23 | 5940 | 258.3 | 67 |
02 | 75 | 7130 | 95.1 | 29 |
03 | 38 | 4377 | 115.2 | 39 |
04 | 13 | 2633 | 202.5 | 54 |
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07 | 35 | 2103 | 60.1 | 19 |
08 | 40 | 3716 | 92.9 | 35.5 |
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10 | 68 | 4858 | 71.4 | 47.5 |
11 | 36 | 3840 | 106.7 | 31.5 |
12 | 58 | 7642 | 131.8 | 38 |
13 | 39 | 3334 | 85.5 | 49 |
14 | 65 | 2773 | 42.7 | 30 |
15 | 77 | 6146 | 79.8 | 40 |
16 | 64 | 10931 | 170.8 | 41.5 |
17 | 53 | 8228 | 155.2 | 32 |
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文系だから理系が煙に巻こうとするのは悪、みたいな気持ちで落ち着いてたところにウィトゲンシュタインを投げ込まれて慌ててググった感があってほっこりする
「ソープに行け」と言われたわけではないけど、25歳でソープランドに初めて行った。
そこで「童貞」を捨ててきた。つまり、相手の膣に自分のペニスをいれた。
僕の今までの性体験の総決算だったと思う。おおげさに聞こえるかもしれないけど。
というわけで、まずその日のできごとについて書きたい。
近くのソープを調べてサイトまでいったものの、迷いに迷い、でも今やらなかったらいつやるんだ、と勢いでようやく送信ボタンを押した。10分くらいして電話がかかってきた。女衒っぽい?声音だった。電話が切れるとなにかふっきれてしまい、今まで何を悩んでいたんだという気持ちになった。
値段は思っていたよりかなり高かった(3万くらい)。というか料金表の見方がよくわからない。70分のコースにして、午前中だと安くなるというのでGWの早朝にぶっこんだ。もっと安いヘルスとかあったはずだが、事務的に「射精処理」されるのも困るのでやむをえないということにした。
起床して、風呂に入り、ひげを剃り、むだ毛を剃り、爪を切り、歯を磨き、髪を整えて香水を軽くかける。そこまで準備するかよと思うかもしれないが、人前に出る以上引け目を感じたくなかった。服は迷ったが、「男っぽく」しようと黒と白でまとめて、フェイクピアスをつけた。耳飾りをつけるとちょっと自信がつくので。
はじめてソープ街を歩いた。店の前に立っている呼び込みの人がこわい。どすの利いた声で「どうぞ」と言ってくる。世間の人はこれで入ろうと思うのだろうか。道に迷って、店に電話をかけて、やっと中に入ることができた。店内はなんというか…照明のうす暗いけどキラキラした雰囲気がカラオケボックスに似ている?かも。
待合室は席が仕切られており、雑誌や大きなテレビがおいてある。金正恩がうつっていた。水着姿の女性の写真が出され、指名料2000円で選べるといわれた。もちろん店にまかせた。反応に困ってしまって、「みんなきれいですよ」とか言った。お茶とおしぼりが出てきた。これだけお金を払うとサービスがよくなるのだ。
それなりにリラックスできたはずだったが、奥に通されて嬢と会ったときは緊張した。というかひたすら緊張しっぱなしだった。階段を上るとき腕に手をまわしてくれるけど、雰囲気にうまくついていけない。「こういうお店は初めてなので」と言い訳する。
部屋に入ると、お風呂があって、ベッドがあって、冷蔵庫があった。ラブホみたいだ。嬢が服を脱がせてくれる。僕は小柄で痩せているので裸になるとますます子どもっぽくなり、ますます自信がなくなり、ということで、そうそうに売り専で働いていたことを切り出してしまった。
ここまで読んで、なにが童貞じゃと思った人が多いと思うが、そのとおりです。男とならそれなりにセックスしてきました。しかし僕は男とセックスができるだけで、どちらかというと異性愛男性に分類されると思う。膣と肛門はなにか違うような気がする。
もちろんマンコに入れて童貞を捨てたなら、アナルに入れたときは何を捨てたのか、オナホに入れたときは何を捨てたのかという突っ込みがあるだろう。そういう難しいことは僕にはわかりません。
突然のカミングアウトにも嬢は冷静で、というかちょっと興味を持ってくれた。よかった。嬢もこの店で働き始めたのは最近で、その前は前立腺開発とかいろいろやっていたという。そうと知っていればシャワ浣もやってくるんだった。
ソープでどんなことをするか興味があるので、お任せするからひととおりやってくださいとお願いした。ということでまずお風呂に入り、マットでローションプレイというかマッサージっぽいことをして、ベッドでキスして、フェラして、セックスしてもらった。完璧なサービスでした。パイズリもキスもフェラもセックスも上手で、コンドームを口に含んでフェラをするように伸ばしてつけるのには感動した。コンドームで中断してしまう間をどうもたせるか困ることが多かったのだが、こういう方法があるのか。
特にフェラは上手だったのでその話をする。僕もフェラはずいぶんやってきたけど、いかに射精させるかを考えて、つばを多めに、カリへの刺激を強めに、亀頭を強く吸って、ずっと口だと疲れるから根元を手でしごいて、相手を上目づかいに見る。あと、動きが単調だと飽きる気がするのでときどきたまたまの裏や蟻の門渡りをなでる。まあ、こんな感じである。
嬢のフェラは手をあまり使わず、舌使いも優しく、しめつけて射精させようとする感じがまったくなかった。あたたかいもので包まれているという感じだった。くわえるまえに睾丸や根元を舐めるのが丁寧だった。
あと、僕はくちゅくちゅ音を出すようにするんですが、嬢は蕎麦を吸うみたいなずっずっという音を出すようにしていた。こういう音の方が受けるんだろうか?
ということで嬢のフェラをほめちぎる。「男の方が自分にもついてる分上手なのでは?」と当然の質問を受ける。オナニーとかけっこう強く握るし、激しくこするので、それと同じようにやってしまうのではないかと思った。
とはいえ全体的に緊張しっぱなしで、ちゃんと勃つようにと2日オナ禁してきたのだが、いろいろ話し込んだこともありフェラのときくらいしか勃たなかった。とうぜん射精もできなかった。まあでもいちおう膣の中に入れたので、童貞は捨てたのではないか。もうよくわからん。
途中で、初めて売り専の仕事をしたときに途中で萎えてしまったことを思い出した。あれはきつかった。動揺した。今回はお金を払う側でよかった…。
とはいえ、相手が勃たないとうまくサービスできているかわからなくて嬢はしんどかっただろう。僕もお客さんが勃たなかったら焦る。ちんこを思い通りに勃たせたり萎えさせたりすることが、なぜこんなに難しいのか。まだ経験が足りないのかもしれない。それにもう一度行ったらふつうに勃つ気がする。行かないけど。
名刺はもらわなかったが、楽しかったことは伝えたし、アンケートもいろいろほめておいた。アンケートもそうだが全体的に、男が女を買って性的に奉仕させる空間だということは伝わってきた。お風呂があってマットがあってベッドがあるのだから、本質的には異性愛男性がリラックスして射精する場なのだろうが、エンターテインメントとしても楽しめるほどの「男らしさ」が僕にはなかった。
…たぶん、今までの話は読者の予想をいろいろ裏切ったと思う。そこでこれから、男体持ちの僕のめくるめくセックス遍歴について、けっこう書きます。おつきあいください。
僕がはじめて女性と性関係をもったのは22歳の大学四年生のときだった。
その女性とは学園祭で知り合った。あるサークルでたまたま哲学の話になった。僕は哲学は多少身に覚えがある。なにしろ、論理哲学論考を中学生から読んでいた。その話をした。その人は小学生から論理哲学論考を読んでいた。なんじゃそりゃ。僕たちはウィトゲンシュタイン推しで気が合い、あとでgoogle:哲学宗教日記を貸してもらったりした。
そのあとデートに誘われた。街角の喫茶店でお茶をした。そのころの僕はいろいろ精神的にきつくて、大学の授業にずっとでていなかった。留年も確定して、そのことを両親にこっぴどくなじられていた。そんな話を少ししたと思う。その人も家庭のなかの問題がいろいろたいへんだと話していた。僕の両親もおせっかいだが、それと比較しても過度に束縛的だと思った。親の期待する「大人の女性」になれないことをその人は気に病んでいた。
しばらくして、その人からメールが来た。大事な要件だという。その人に会うと、他の人にあまり聞かれたくないから僕の下宿に行きたいというので、そうした。たいして片づけもしていない薄汚い部屋に入って、そこでその人は僕に告白した。とても劇的で、すごく大胆で勇気のある告白だったと思う。
その頃の僕は全ての牛が黒くなるほどのブラック夜勤バイトを週4で入れ、頭がまともに働くときはSTAP細胞の真相究明に熱中していた。自分は忙しいんだ、こんなに大変なんだ、ふつうの大学生とは違うんだ、と思い込むために必死だった。
典型的な非モテだったと思うけど、僕はその苦しみを異性に向けず、そういう興味をひた隠しにしていた(周りからオナニーなんかしなさそうと言われるタイプ)。もちろん女性を自分の部屋に招くというのが「どういうこと」なのかわかっていなかった。その人が告白しなければ、ウィトゲンシュタインの話でもして指一本ふれずに帰したと思う。この心境は、恋人で一発逆転を狙うタイプの人には理解してもらえないかもしれない。
そのあとふたりで散歩して、人気のない公園で夜が更けるまで話し込んだ。僕が提案して、別れ際にキスをした。「唇を奪ってほしい」というので、僕から口づけした。そのとき、相手の唇がぬれていたのと、いきなり勃起しかけことに驚いて、あわてて(軽く突き飛ばすような感じで)唇を離した。キスに動揺して勃起までしたことを気づかれたくなかった。
後日、その人がふたたび下宿に来た。とはいえ、僕はコンドームの用意もなく、セックスについての具体的なイメージもできていなかった。
僕もそれなりに性教育を受けて、コンドームの付け方や性感染症のことを知識としては知っていた(男子校だったこともあり、保健体育の教師はディルドにコンドームをつける実演までさせた)。それでもどうしていいかわからなかった。主体的に取り組まなければどんな知識もうわすべりになる。それはセックスも同じだ。
上半身だけ服を脱いでベッドに入った。そのとき、その人はパニックになり、ふとんをかぶって部屋の隅でうずくまってしまった。僕は落ち着いてほしいと真剣にお願いした。その人は小学生の時ひどい性暴力を受けたことを話してくれた。あまりの衝撃に僕は声を上げて泣いた。お前が泣くのかよ、と思うかもしれないが…。
その一方で、僕もネットで女性のエロ画像や動画を何時間も検索することがあるし、セックスへの興味を押さえられない衝動というのがわかる。僕は自分にそんな(女性を辱める)汚い欲望があることをオナニーを始めたときから気に病んでいたが、なくそうともがいてもなくすことができずにこの歳になっていた。その欲望をどこかで肯定できたら…と思っていた。でもやはり許されないのかと思った。
その日から、上半身だけ裸で抱き合うのが暗黙の了解になった。キスしてお互いの身体をなめたり噛んだりし合う「だけ」だったけど、文字通りいつまでも続いてほしい素敵な経験だった。その人はときおり、まんこにちんこをいれるセックスができないこと、「傷物」の体であることを気にして申し訳なさそうにしていた。ペッティングだけで僕はオナニーする必要がないほど性的に満足していたので、それを気に病む必要はまったくなかったのだが。そのことを伝えればよかったのに、僕は好奇心から一度下まで脱いでいいかどうか聞いてしまった(もちろん拒否された)。
結局、その人とは別れることになった。僕なりに整理すると、一番の要因は僕が結婚に対して本気にならなかったからだと思う。その人は僕が立ち直り、大学を卒業することを期待していた。僕はやっぱり大学に行けずバイトを止められず、その人の頼みで試験には出たものの2単位しか取得できなかった。
しかも、僕は「彼女」の存在を公にすることができず、両親はおろか友達にさえも、というかだれにも切り出せず、彼女のいない人が招待される「ぼっちクリスマス会」すら断れなかった。ひどい話だ。
結婚に対して前向きに努力してほしいという彼女の要求に僕はどんどん防衛的になっていき、敵意さえ感じさせることがあったかもしれない。そのひとは僕に見切りをつけ、別れ話を切り出した。僕は強がって「わかった」と応じたものの、一週間食事がのどを通らないほどショックを受けた。遠ざかって行く彼女の夢を何度も見た。
…そして、別れてから半年以上たったのに、その人の誕生日にメールをして、電話をかけてしまった(もちろん出なかった)。
バンクロフトのgoogle:別れる? それともやり直す? カップル関係に悩む女性のためのガイドを読むと、その人の決断が正しかったことがわかる。僕は二人の将来について責任のある態度をとらなかった。それにしても、その人は自分から告白し性関係に負い目さえ感じながら、別れることをよく自分の力で決めることができたと思う。
つづきます↓
私は某大学経済学部のKゼミに所属している。数ヶ月前、ゼミでスピーチをするという話になり、私はゼミの指導教員であるK先生のことについて喋ろうと思った。口下手なので原稿を書くことにした。しかし、スピーチは結局無くなってしまい、そして今日まで原稿を書いたこともすっかり忘れていた。
今日、そのK先生を学食で見かけた時に、原稿の存在をふと思い出した。これを書いた時の気分がよみがえってきたので、その原稿をここで供養した次第である。
普段、何かを書くときは時間をあけて冷静になった目で推敲を重ねるのだが、これだけはどうしても書いた時の気分を残したかったので、このまま載せることにした。そんなわけで読んでくれるひと、読みづらかったらごめんなさい。
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K先生のこと
みなさんはKゼミに入ってK先生に何か教えてもらったことはありますか。
僕が思い当たるのは、レポート発表の後のコメントばかりです。あるいは中間報告での指導とかも。正直、僕はこれといって何かを教えてもらったことはない気がします。K先生はあまり教育に熱心な先生ではなかったと思います。しかし、K先生から学んだことはたくさんあります。今日はその中のひとつのエピソードを紹介します。
僕は学食で晩ご飯を食べることが多いのですが、たまにそこでK先生を見かけることがあります。四年間の学生生活で五十回は見かけたと思います。
K先生を見かけるうちに、あることに気付きました。先生はいつ見かけても本を読みながらご飯を食べているのです。本を読まずにご飯を食べているところは、僕の知る四年間でただの一度も見たことがありません。一度も、です。十回見かけたくらいまではすごいなあ、とだけ思っていたのですが、二十、三十を超えると軽く感動を覚えました。
こんにち、ご飯を食べながら本を読むような学生や先生を見かけますか。いつ見ても片手に本を携えているのはK先生以外見たことがありません。
行儀が悪い、といえばそれまでですが、学問や教養に対する向き合いかた、ご飯を食べているときでも本を読んでなにかを吸収しようとする知的純粋さのある姿勢を見て、心底尊敬しましたし、僕もそうなりたいなあ、と思ったものでした。おそらく当の先生はそんなことは露も知らなかったと思いますが。
最初の教えてもらうことと学ぶことの話に戻るのですが、教えてもらったことというのは案外すぐ忘れる気がします。僕は毎回のK先生のコメントはあまり覚えていません。みんなもきっとそうだと思います。でも、自分で学んだことというのは自分の中で深く根差している気がします。僕が暇さえあれば本を読んで何かを吸収しようという姿勢になれたのは、K先生のその姿勢を間近で見ることができたという幸運のおかげでもあります。
最後になりますが、僕の好きな哲学者にウィトゲンシュタインというひとがいて、彼が「語りえぬものは存在する。それはただ示される」というようなことを言っています。本来の文脈とは異なる解釈になるのですが、教養の意義を説いては本をたくさん読めと言われるよりも、黙ってただ本を読む背中を示す先生を一度見る方が、本を読むとはどういうことかを学べるのではないでしょうか。そのような、ただ示される姿勢――大げさに言えば生き方は、誰かの語りから教えてもらえるものではなく、自分で勝手に学びとるしかないものだと思います。そして僕はK先生の学問や教養に対する姿勢を見て学ぶ機会があっただけ、この大学に来てよかったなあと思えます。
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もしもこのスピーチが実現したとしたら、何しろ口下手な私のことだから、それはきっとつまらなく冗長なものになっているだろう。実のところ、私はK先生を本当に尊敬しているということを、誰かに聞いてもらいたかっただけなのかもしれない。
K先生はあまり目立つ先生ではないのだが、学部の先生の中では一番すごい先生だと思っているし、そのすごさにみんなが気付いていないことがなかなかもどかしく、これを書いたのかもしれない。とすれば、その想いはここで達せられたことになり、そして、いつかほとぼりが冷めたころ、K先生には何も言わないままこの記事を消すのだろう。
ウィトゲンシュタインほんといけ好かない! 論理哲学論考は思った以上に短い本だったけど中見てみたら命題がいっぱい並んでるだけで、あんなのただの目次でしょ? 目次だけじゃ伝わるわけないじゃん、もっと何倍も紙数割いて解説パート入れなきゃだ~~れも理解できねえじゃん!
しかもさあ~! 「私の著作は、ふたつの部分から成っている。すなわち、ひとつは、ここに提示されている部分であり、もうひとつは、私が書かなかった部分である。そして、まさにこの第二の部分こそが重要な部分である。」とか言っちゃってさあ! 嫌な感じ~~!! どうせ頭いいんだろうけどさ、俺の思考についてこられないような奴に理解してもらう気はない、とでも言うつもりかい! 傲慢にもほどがあるっしょマジで! 工夫を凝らしてどうにか伝達しようという誠実さも見せずに圧倒的言葉足らずの独りよがり論考書いておきながら「言語の限界」とか提唱されてもハァ~~?? って感じですよ!! いけ好かねえ~~!!!!
ウィトゲンシュタインも工学系の出身だとか語ればいいの?
2034年、小保方晴子がチベットのラサ市で全世界に向けて会見を開いた。
曰く、「”STAP細胞”が完成した」という。
その実否はすぐに証明され、多くの難病を抱える人々を救済したばかりか、
驚くべきことに体毛などさえあれば死者を任意の段階で復活させることも可能であった。
実は小保方が”STAP細胞”と評したものは元来のSTAP細胞とは全く異なるおぞましいもので、
小保方はもともと比較的得意だった細胞学と死霊術とのチャンポンで死者をも蘇らせる万能細胞を精製していたのだった。
これにより多くの偉人が復活した。
アドルフヒットラー、スターリン、ケネディ、サッチャー、金正日などの著名な政治家に加え、
ウィトゲンシュタイン、ガウス、ノイマン、ピカソ、つのはず壱郎らの優れた科学者・芸術家が復活した。
危険な人物が復活した際は、初めは対立する勢力に殺害される場合があったが、すぐにそれは止んだ。
ヒットラーなどは公式記録においては109回復活し88回殺害されているものの、現在も10数名が同時に存在している。
そしてこの新技術が浸透するにつれ、人々の関心はもっと身近なところに向いた。
大切な家族や恋人を復活させることを望んだのだ。そして、自分が死んでも復活できるよう手配したのも言うまでもない。
インターネットが人口に素早く膾炙して行ったのと同じく、この技術もほどなく庶民が一般に享受できるものになった。
時の流れが変わった。
人類が有史以前から様々にアプローチしてきたテーマが、意味をなさなくなった。
科学や芸術、宗教で追究されていたテーマが完全に不必要になった。
小保方晴子はかつて自分の研究を著しく妨げられたことがあった。
血のにじむような努力を通して、彼女は人類に復讐することを果たした。
つまり、人類が今まで構築してきたあらゆる成果を無意味にして人間を、いや生物を新しい段階へと突き上げてしまった。
この動きに反対する者も、初めの段階では多くあった。すなわち、この無制限の復活、「死の死」に否定的な者があった。
技術を純粋に受け入れる「素直」な人々の批判にさらされながらも、彼らは自分の一回きりの生を全うし「死んで」いった。
しかし、そうした彼らでさえ、必要があれば生きている者により復活させられる場合があった。
悪意のある新技術の賛同者などは、死を選んだ人を積極的に復活させたりもしていた。
人間の選択すら、尊厳すら、小保方の用意した細胞には適わなかったのだ。
人間文化が激変し、誰もその動きを止められなくなったなか、小保方の理念に異を唱える者があった。
狩野英孝である。芸人として円熟の域に達していた狩野英孝である。
「STAPゥ~!」
宮城県栗原市の神職の生まれであった狩野は、若年のころから独特の神力を以て人々の前に立っていた。
彼はある日、彼の師匠筋にあたりヘルニアで既に世を去っていた出川哲朗による霊界からの通信を受けた。
出川は酔った東京の私立大学生によって頻繁に復活させられる人物であったので、なぜ霊界から出川が通信しうるか狩野にとっては疑問であった。
彼は現世にいるのではないか? 狩野自身、出川と再び会えたときはとっても嬉しかったのだ。
しかしこの疑問が、小保方の野望を突き破るヒントになっていた。
出川からの教唆を受けたことで、狩野は霊界のイデアの実在を確信した。
現世に多く現れるクローン出川には、否、すべての復活にあたってはその源である「イデア」的人格が霊界に存在していたのだ。
小保方の行なった復讐により人間は考えるすべを失ってしまった。考えられない葦になってしまった。
自分の、この出川との体験が、何とか人類の真なる再生とならないか。
科学技術や哲学、生や死の理念を人類に取り戻せないか。真面目な狩野はそう考えた。
「おいおい”勘弁”してくれよ~!」
元増田によく似た後輩と一緒に仕事してるんだが、すごく疲れる。
「なんで◯◯の件も一緒に処理しておかないの?」
「なんで先に××をやらないで△△をやるの?」
などと毎日のように言うはめになるのだが、驚くべきことにこういう時彼は「なんで~~」に答えようとする、いや答えなくていいからやれよ、
お前の答えは「何も考えてなくてぼーっと仕事をしていたから」以外ありえないって解ってるし、
こっちが言いたいのは「常識的に考えながら仕事すれば解ることをいちいち言われるな」ってことでしかないんだよね。
「なんで?」って聞いてるからといって誰もはじめから「ウィトゲンシュタインも裸足で逃げ出すくらいお前の内心の動機を詳らかに言語化してみせろ」みたいなことは望んでいないですから、
「なんでって言われても、答えようがない……ああなんで俺はミスしてしまうんだろう……なんで……きっと集中力が無いんだ……いやでもミスぐらいだれでもするよなぁ……
あいつだってこの間ミスしてたし……そりゃあ俺のほうがミスは多いかもしれないけど……でもミスする理由なんて言葉に出来るもんなのか……?」
みたいにくだらないことを考えるのはやめて、「ああこう言う時は◯◯も一緒にやらないとダメなんだな」「△△よりも××という風に、優先順位をつけながら仕事しないとダメなんだな」
と素直に思って、次から気をつけてください、本当それだけでいいです、たったそれだけで。
相手の言葉の意味がはっきりと分からないときっちりした議論が進められないからだ。
理系にありがちだが、
論理性に自信がある人が使いがち。
定義をきっちりすれば、物事を杓子定規に説明できるはずだと思っている。
言語ゲームという哲学的思考がある。 20世紀哲学の最大の発見だと言われている。
なぜ最大の発見かというと、哲学的な諸問題のかなりの部分を終わらせたからだ。
「人間の生きる意味とは?」 「我ゆえにわれありではないか?」 「神は存在するのか?」
これらすべてに答えを出せる、すごい理論だ。
たとえば、「人間の生きる意味とは?」にたいしては、「生きる意味という言葉自体があいまいで、文化によって言葉の意味がコロコロ変わるからNG、単語の意味が確定してないので問題になっていないので答えもない」
「我ゆえにわれありではないか?」にたいしては、「我、ゆえに、われあり。 という3語の意味があいまいで、文化によって言葉の意味がコロコロ変わるからNG、単語に意味が確定していないので問題になっていないので答えもない」
「神は存在するのか?」にたいしては、「神って仏教、キリスト教、等等で意味が違うじゃん、どの神かもわからない。 しかも、存在って言葉も意味合いがあいまい。 よって問題自体が成立しない、NG」
これまでの哲学的な質問は、あいまいな言葉をいじっているだけの「言語ゲーム」にすぎない。 ということから、言語ゲームという哲学の名前になった。
当然、いろいろな批判、反論が出てくる。
その中の一つが、
「言語の意味があいまいって言っても、それぞれの文化の中で見れば、意味が確定するんじゃないの?」
というものだった。
言語はそもそも文化に合わせて作られる。 雪の降る国では雪への形容にさまざまな言葉が作られるように、言語の意味や創出は確かに言語によって違っても、文化によって「位置付けられている」という考えだ。
であるから、文化の中で考えるのならば、抽象的であいまいだから問題が成立しないということもなかろう。
という考えができた。
ここまでくれば、「言語ゲームに過ぎない」と言われた時の反論ができる。
と尋ねることだ。
レベル4にて、「言語は文化から作られる」ということを確認した。
そして、レベル5では、「個人の生活が文化を作る」ということを逆手にとるわけだ。
という順をとるのだから、あるあいまいな単語を使った人に、「『あなたが想定した意味での』生きる意味とはなんですか?」と聞くことで、問題としてはっきりさせることができる。
なぜなら、言葉を使うことで、文化が創造され、文化が創造されることで、翻って言語が再定義される。
僕たちは、意味のない言語を使っているのではなく、「言語を使うことで文化を生成している」のだ!
さて、僕はここまで来て、問うことができる。
「それどういう意味?」
レベル1状態に戻ってこれたわけだ。
無限ループって怖くね?
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<追記>
「言語ゲーム」の用法が間違っているという指摘、ありがとうございます。
ただ、この語自体は、ウィトゲンシュタイン依存の言葉なんですが、彼以前にも、ヴァレリーなどが同じような思想(主にデカルトへの考察に関して)なされており、
ですので、言語ゲームという思想はウィトゲンシュタイン固有でないです。
また現代哲学においても、ウィトゲンシュタインが意識した使い方どうこうというより、言語ゲームという思想を上述のように、「言語ゲームにすぎない」という極論だけに固定して話をすすめる。 というのが普通になっています。
前期、後期ウィトゲンシュタインの区分や意味合いの違いも知っていましたが、このような事情ですので、今回のように、ウィトゲンシュタインを出さない説明をしました。
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<追記>
ウィトゲンシュタインの話に拘泥して、本旨を理解できない人がいて残念です。
増田は、本旨と関係ない揚げ足取りコメントがよくあるのですが、まさか哲学をかじってる人たちでさえ、そうなのかとビックリしました。
ウィトゲンシュタインが言語ゲームをなぜ考えたのか? デカルト以前の哲学を乗り越えるためです。
もちろん、その後、ウィトゲンシュタインは言語ゲーム理論の正当性に危機感を持つのですが。 ウィトゲンシュタインはそのあたりで死にました。
で、ウィトゲンシュタインがデカルト以前を批判したそのやり方でもって、「定義は?」と聞く論法を否定するのは、間違いである。 ということが本旨でした。
まともに勉強した人ならわかるでしょうが、「定義にこだわる」ということは誰しもが通る道です。 そして、言語ゲームを知って、一旦ニヒルになるのもまた、まともに勉強すれば通る道です。
「意味を考えること」の正当性を再獲得できたこのダイナミックさを感じてもらえたらなあ、と思いました(問題の問い方自体は変わっても、質問をするメンタリティーが変わっていないことが面白いところです。)
今回の記事では、さらにこの先の現代哲学が届いている地平についての話でしたが。
理解できない人の方が多いみたいで、残念です。