はてなキーワード: アンチョコとは
「俺はコンサルだが勉強してる」って人もいるだろうけど、そういう人はアピールとかいいから大多数の勉強してない「コンサル」を見てどう思うかでも教えてくれ。
最近、コンサル部門がいい大学から新卒で人取ってきたり、中途で人をバンバンとってる。
でもMBAも持ってないようなのばっか。ていうか、社員も多分ほとんとMBA持ってない。
当然セキュリティ関連の学位があるわけでもなく、資格も持ってないやつばっかり。
たまに社内チャットに本を紹介しているのを見るけど、なんか新書とか、怪しげな著者がまとめた「○○が9割!」「○○式交渉術」みたいな本読んでるのを「勉強」」と称してるようだ。
論文を読んでるコンサルなんて見たことがない。顧客向けの資料に変な記述があったから「それの元になったジャーナルとかレポートとかって確認されましたか?」って聞いたらは???みたいな反応されてこっちが面食らった。
一方で技術部門は案件がないと人を増やしてくれないし、そもそも少ない人で仕事を回すのが是とされる。
技術屋は新技術追ってないとすぐロートルになるって危機感があるから、ポーズだけでも勉強しないとダメだという空気が醸成されている。
資格も取らされるからその勉強もする。ベンダーから求められることも多いし、顧客からも有資格の技術者がプロジェクトにいることが条件にされることがあるから。
勉強会も定期的に開催してるし、社外イベントに参加して自己啓発にいそしむ技術屋までいる。
技術部門から見る限り、コンサルがなにがしかの「勉強」をしているようには見えないし、一緒に仕事をしてもそう見えてしまう。
ハガキ手元にとどかなかったのと、平成から令和に切り替わるときで、平成存在しない年まで有効ってなってたから。つい。
それは気づかなかった理由であって自己責任を減じる理由にならないのは言うまでもないが。
再教習死ぬほど面倒だったし金は痛すぎたけど、無免状態で事故ったりしてたら人生終わってたので、何もないうちに気付いただけで大ラッキーと言える。
警察でのいわゆる一発試験にも最初何度か行ってみたけどあれはダメだ。まさに無理ゲー。
俺の運転ははっきり言ってすごく安全運転だ。(再教習の)教習所では「ふつーにカンペキっすね」的なことを言われた。路上教習というかずっとただのドライブだった。一発試験前にはネットで情報収集もし、アンチョコも買って練習した。
でもポリ的には論外なんだと。
あれ、教習の時みたいに大袈裟に頭振ってしっかり巻き込み確認とかすればOKかと思ったら全然違うからな。
それはそれで、なんか円滑じゃないなということで確認と呼ぶに値しないのでバツということになる。
成文化されたルールとは別に、警察の間でノンバーバルで共有された「美しい運転」がある。教習所のわざとらしいTHE安全運転とは別物の。
日舞の世界なんだわ。現実的に安全かどうかではないし、教習所的にクドクド確認すればいいのでもない、警察的にイケてる運転かどうかという美意識の世界。
■教養を身に付けられる本を教えて欲しい。
この問いに答えるには先に「『教養』とは何か」ということをクリアにしないといけないと思うが、これを抽象的に論じ始めると喧々諤々の議論となって、増田の「本を教えて」という望みにたどり着かない。
しかし、日本の「教養人」と言われる人/自称している人たちの中で「教養」の範囲は割と共通していて、だいたい以下のラインナップに自分の専門や好みを付け加えたものになるのではないかと思う。
これはもう間違いない。およそ西洋で発展した学問は深掘りすればすぐにキリスト教にぶち当たる。
ただ日本でキリスト教について知識を身に付けようとしてもなかなか良い本が無いのが現状。(その辺で売ってる入門書は表面をなぞってるものばっかりなので読んでも誤解して終わりだと思う)
個人的には内村鑑三の一連の著作から入るのが分かりやすくて良いと思うが、古くて読みづらいかも。田川建三から入るのも面白いかもしれないけどどうかなぁ。
なお、「教養人」といえど聖書は誰も通読していないので、上記の本で引用されたところを拾い読みしておけばよい。
ひと昔前までマルクス主義はすべての学問を包括する「グランドセオリー」と言われていて、どんな問題でも切れる便利なナイフのように活躍していた。
その残滓が今でもあって、社会科学においては今でも学生が知らず知らずのうちにマル経用語を覚えさせられていたりする。
むかしは手に入りやすくてわかりやすい入門書が不破哲三のものしかなかったが、数年前のマルクスブームでたくさん良い本が出ており、個人的にはデヴィッド・ハーヴェイの入門書をお勧めしたい。(ただ抵抗が無ければ不破哲三の著作は今でも分かりやすくてよい)
みんなの憧れ『資本論』も上記入門書の傍らに置いてちびちび読んでみると良い。そこらの難解な哲学書に比べればぜんぜん読める。
マルクスをやればみんな歴史がやりたくなる。マルクス主義史観を学校で習った日本史/世界史に当てはめて、その切れ味を試したくなるからだ。
好きな時代や分野をやれば良いと思うが、「教養人」はみんな網野善彦と遅塚忠躬の著作が大好き(偏見)なので、ぺらぺらめくっておくと良いだろう(マルクス主義史観の多少の解毒剤にもなる)。
ウォーラーステインも読みたくなるが、長すぎて誰も通読していないので、川北稔のアンチョコを読んで、読んだふりをしておくと良い。
なお、第二次世界大戦については最近、川田稔『昭和陸軍全史』という誰でも読めるすばらしい本が出たので、知ったかぶりができなくなった。
文学となると何を読むか、ということになるが、サマセット・モーム先生が『世界の十大小説』というすばらしいアンチョコを出しているのでまずはこれを読むと良い。
そこで採り上げられている小説のうち、『カラマーゾフの兄弟』と『戦争と平和』は「読まなければ人ではない」という風潮があるので、せめて読んだふりはできるように。キリスト教の知識がここで生きてくる。
日本の小説では、夏目漱石についての柄谷行人の論考を読んで、日本の近代について一席ぶてるようにしておこう。
それと『失われた時を求めて』はとりあえず買って挫折するのが大事。
わが国では哲学について昔から「デカンショデカンショで半年暮らす、あとの半年寝て暮らす」という有名な言葉があり、デカルト・カント・ショーペンハウアーが昔の「教養人」の必須科目となっていたらしい。
ただショーペンハウアーがここに入っているのは少し不思議で、今ならニーチェが入るのではないかと思う。
どうせ正確な理解なんて無理なのだから、適当なアンチョコを読んで知ったかぶりができるようにしておくと良い。
なお、なんか知らんが日本人はヘーゲルが大好き(な割に誰も理解していない)なので、一応挨拶だけしておこう。
「教養」として名前が挙がることが多い一方で、まともに条文を運用できる人がほとんどいない分野。
上述してきた分野と違って、本を読むだけではだめで、指導教官のもとで実際の事例にぶち当たってトレーニングを積まなければならないので難しいのだろう。
下手に基本書を読んでも本職に知ったかぶりをすぐ見抜かれるので、時折ネットで話題になる法律問題について法曹の解説を読んで都度勉強すると良いだろう。
ここまで挙げた学問はいずれも西洋で発展したものなので、「日本にはなんもねぇのか」という気分になってくる。
こうした「教養人」が抱えるコンプレックスについて内田樹が『日本辺境論』という本で書いているので、ちょろっと見ておくと良いだろう(Amazonで1円で売っている)。
ここらで本居宣長とか丸山真男とかを読み出す人も多いのだが、どうせ不毛な作業になるので、視野を広げて中国思想・インド思想辺りに目を向けるのが良い。
「教養人」というのは大概文系であり、自然科学についてはからっきしな奴が多い。
自然科学の話題になると、トーマス・クーン『科学革命の構造』をそれらしく引用して逃げ切りを図る人が多いのだが、本職に馬鹿を見抜かれるので素直に勉強しましょう。
ヨビノリをはじめとした学習コンテンツがYouTubeに転がっているので、せめて高校数学と物理ぐらいはやっておかないといけない。
上述してきたような分野をやっていると、唐突に詩が登場したりして困惑する場面が多々出てくる。
論理的(笑)な「教養人」の中にはこれを不得手として敬遠する人が多いのだが、どこかで対決しなければならない。
幸いなことに最近、詩人の渡邊十絲子という人が『今を生きるための現代詩』という詩についての分かりやすい概論を出したので、一読した上で適当な詩のアンソロジーでも買ってくれ。
なんか知らんが「教養人」は映画が好きな人が多いので、ある程度は観ておかないといけない。
イギリスのエンパイアという雑誌が「史上最高の映画500本」という特集をやっているので、上から適当に観ておけば良い。
とりあえずこの辺を押さえておけば周囲からは「教養がある」という認定を受けるのではないかと思う。
ただ教養があったとしても「教養人」からマウントを取られる可能性が低くなるだけであり、「他人との会話が盛り上が」るなんてことはまず無いから気を付けて呉れ給へ。
→ どこに投票すれば良いか分からず、ググって一番上に出てきた政党マッチングサイトを使う。
→ 公明党が72%、自民党が70%と出るも、公明党には投票する気にならず、自民党の候補を調べる。
→ 朝日健太郎、生稲晃子という候補の2択だということが分かるも、HPを見ても具体的な政策が書いておらず(そりゃそうだろ、ということしか書いてない)、新聞が行っているアンケートを見てどちらを投票するか決めることにする。
→ 二人のアンケートの回答が同じであることから、党のアンチョコに従って書いているのではないかとの記事を見つける。
→ 二人に対しての信用をなくし、選挙に行く気がなくなる。
→ いい感じの眠気でいい感じになる。
→ 今
メガハウスの元祖ルービックキューブのアンチョコに載ってる10パターンほど簡易LBL法の回し方を覚えるととりあえず解ける。
それで3分ほどで解ける。
そこからLBL法を少しずつ覚えていく。
頭で覚えるのではなく指が勝手に動くようになるまで回し込む。
これで30秒は切れる。
通常キューブは白か黄色を下にして揃え始めるが、他の色が揃えやすい配置だった場合それを起点にして始めたほうが
有利なんだけど、覚え始めた時に特定の色を目印に始めた手前、頭を切り替えて柔軟にやるのは非常に難しい。
それが出来る人を’color neutral'という。ここまでくるとはっきりいって頭おかしい。
また、回し終わると変な方向向いちゃうパターンがあって、その場合普通は正しい方向に持ち替えるんだけど、
時間短縮のため持ち替えずに回したりする。そうすると覚えるパターン爆発する。全部覚えてる人は頭おかしい。
ルービックキューブ競技はインスペクションタイムといって15秒ぐちゃぐちゃになっているルービックキューブを眺められる。
頭おかしいひとは4手から5手その時に組み立てている。goがかかった瞬間カシャカシャとやって下面のクロスは
既に出来ている。ほんと頭おかしい。
color neutralまでいくと15秒までは行けるんじゃないかな、アタイにはわからんが。
ちなみに世界最速のsolveは4.6秒、運も味方してるとは思うがどこまで修行するとその時間でsolveできるのか全くわからん。
とにかく経営能力が欠如しているという印象です。大学改革関係の記事やツイッターを調べると、「会議が増え、研究時間が削られている」という意見を目にしますが、見ていると仕事の段取りが悪い。
・ミーティングを定刻に始められない。平気で遅刻してくる。こっちはスーツ着用で、定刻の2時間前には現場に乗りこんで待機していたにも関わらず。
・プロジェクターの調子が不調だったのですが、そのプロジェクターを直すことを優先しようとしてくる。これも准教授。事前にプロジェクターの動作確認を済ませておくこと。プロジェクターの不調を理由にミーティングの時間を削らないこと。
・「先行研究を押さえていないのではないか」と指摘したところ、「どの本を読めばいいのか?」と質問してくる。特定の一冊だけをピンポイントで読むのではなく、アマゾンでその学者の名前で検索して、その人の本は全部読んでください。それがプロの仕事です。
・「〇〇さんが言っている批判に似ている」と、まるで既知の問題かのような言い方をされたんですが、批判されたことがあるなら一発で直してください。だらしない。
貴重な血税を毎年東京大学に800億円、学費として渡しているはずなんですが、コスパが悪い。
もともと受験エリートから選抜された集団なので、アンチョコを知ろうとか、できるだけ手抜きをしようと考える癖がついている人たちなんだと思う。
地道に足で稼ぐということをしない。でも本当の教養って、泥臭く手を動かさないと身につかない。
こちらは病人なのに、地元の図書館に通い、本を借りてきて、「ああ、この行に書いてあることは、あの現象と同じことか」と気づいて、そのたびにメモに起こすという地道な作業をしている。めちゃくちゃ負荷がかかる。
当事者研究というのは、プロフェッショナルである職業研究者や対人援助職が、アマチュアである当事者並みに手抜きをしていいということではない。
お給料を頂いて、何か仕事をするということは、職業倫理というのが発生する。その自覚が欠如している。大学改革はもっと積極的に既存人員の首を切っていく必要があると思う。
WPA2の脆弱性が大変ですね。
上司とかボスに「アレアレ、WiFiが大変らしいな!我が社は大丈夫かね!」とか聞かれたときのアンチョコ。
「WPA2は、無線LANの仲間に入れてもらうための仕組みなので、誰でも仲間状態になる」
はい、覚えて帰ってほしいのはココだけです。
居酒屋のフリーWi-Fi使って仕事してるなら、今回の騒動に右往左往する必要は無いです。
それと同程度になるだけ。
Wi-Fiの経路上の暗号化なので、ブラウザとかアプリとか、PCの中の暗号化ファイルとかは、そもそも関係ない。
ただしくHTTPSを使ってれば、アナタのブラウザと、接続先のサーバーとの間は、暗号化されてて誰にも読めない。
ただしくOSのセキュリティアップデートかけてれば、外からPCに接続しようとしても弾かれるハズ。
今まではこんな感じで何重にも守られてたのが、(WPA2の暗号化 (HTTPSの暗号化(パスワード「はてブのログイン」)))
今回の結果、一番外側のが無くなった感じ、(HTTPSの暗号化(パスワード「はてブのログイン」))
社内ネットワークで、上司のPCに繋いだら共有ファイルで勤務評定がダダ漏れとか、既にしてヤバイ。
こういう感じで、「社内LAN内なんだから、大丈夫だろ」ってユルク使ってたなら、早くなんとかしなはれ。
NASみたいな社内の共有サーバー立ててると結構問題になるかもねー
ある日突然、無線の範囲内に居る人に社内のネットワークがフリーWi-Fiみたいに使われる状態に。
「社内LANだし外に出ないし」とか言って、ふるーいOSのまんま何もしてないサーバ社内向けに立ててるとか、
社内LAN上では社外秘の情報が飛び交いまくりみたいな人達は、チョットなんとかしたほうが良いかも。そういう予算を確保しよう。
まー、たぶん問題は、ご家庭に普及しつつあった無線で通信して写真とか貯めとく家庭内NASみたいなヤツだと思うなあ。
学校とか公民館とか幼稚園で、そういうNAS使ってなんかしてるところは、意図せず大公開時代にならないようにしばらくはPCの外付け状態で使うのが良いのではないでしょうか。
・本作は難解すぎて、さすがにアンチョコ本が欲しいと思い、買ってきた。作者は集英社から全訳を出した人。
・けど何かトリビア的な話が多くてあんまり参考にならないかも。
「『スワン家の方へ』と『ゲルマントの方』という対比の根底には、プルースト自身がユダヤ教の母親とカトリックの父親の間で育ったという事実がある」と言われても、そっからどういう読みが可能になるのかとかまで書いてくれないと、僕のような貧弱な読者としては困ってしまう。
・複雑なスワン君の人物像の背景にはユダヤ人問題が・・・!とかも同様。
・今んとこ一番個性が強烈な叔母さん。
・変わらぬ日常を愛し、それを願っているが、同時に家族が全員焼け死んで悲劇のヒロインになることも願っている。
・しかし現実はそうもいかないので、忠実な女中フランソワーズの揚げ足取りに明け暮れる。
・同僚の女中が妊娠で苦しんでいるのは「すべてお芝居」と言い放つが、他方医学書に書かれた妊娠患者の症例を見ると泣きじゃくってしまう。
・女中に冷淡なのは、叔母さんの世話を他人にやらせたくないからってのもある(その例えにファーブル昆虫記のジガバチを持ち出してきたのは草)。
Noだよ
日本語で「お金がない」って言ったらさ、まず「お金」を思い浮かべるじゃん?諭吉さん
そして「ない」を考える。諭吉さんを消す。お金なくなったじゃん。
でも英語で「No money」って言ったらさ、
まず「No」を思い浮かべるじゃん?
…
……?
無を思い浮かべるって?
日本語みたいに対象を指定してから消すならわかるんだよ。でもさ何も指定してないのに先に無を思い浮かべろとか意味不明じゃん?禅かよ。あいつらファッキンZen monksかよ。
無を思い浮かべれたとしてもMoney思い浮かべたら存在する感じにならない?なるよね?諭吉思い浮かべちゃうよ?こっちとしちゃ最初から無だったのにNoとか言われて無ってなんだよって思ってる中で諭吉だよ?諭吉いるよ?いまおれの頭に諭吉いるよ?
ここで消すのか?諭吉を消すのか?でもそれならmoney noじゃない?なんで先にnoとか言ったの?
I couldn't help but admire fucking zen monks.
って感じ。
俺がムカつくのはさ否定を先に言う文化が名詞の前だけじゃないことね。monkどもは動詞の前にも否定しちゃうのね。
この文章もさ "could not help but 動詞の原形"=「〜せざるを得ない」だったなとかいう、せこいアンチョコを使わないで、ゆっくり最初から読んでみてよ
Iね。私。毎回主語を言えとかいうルールもムカつくけどまぁ慣れたわ。
not。notってなんだよ!!!!!
ここまでゆっくり一個ずつ読んでいってこの段階で何を思い浮かべればいいのかわかんねーのよ。今オレ一人だよ。オレが一人ポツンと立ってる絵しか思い浮かばないわ。
続けるわ。helpな。こいつも「助ける」と「避ける」が一緒に同居してて大分意味不明な動詞だわ。この段階ではどっちの意味かわかんねーじゃんか。それともZen monk達は"help"と聞くと両方の意味に波及するコアイメージを思い浮かべてるの?どんなイメージなんだよ。
まあいいや。問題はnotからの動詞の流れな。Zen monk達は何を思い浮かべてるの?notからhelpの間に何が起こってるの?否定された後にhelpという動きを思い浮かべるの?helpしちゃわない?頭の中でhelpしちゃわない?
次のbutも相当に意味不明なんだよな。さすがのZen monksも使わなくなってきたらしいけどnot that的な接続詞として捉えろってさ。またnotかよ。はぁーーーーーーー。もうやめやめやめ。無理だわ。おれにはもう無理だわ。一つの文章も読めねーや。意味不明に意味不明に意味不明が重なって逆にスッキリだわ。admire zen monksって気持ちだよ。まじリスペクト。終わり
盆にもなると親戚のちびっ子がやってきて本を読む。
嫌な宿題ではあるが、夏のアクティビティだと思えば腹も立つまい。
さて、親戚のちびっ子から「書き方を教えてくれ」と言われたとき用にアンチョコを書いておく。
「あら?増田くんは勉強が取り柄じゃなかったのかしら?」とかイヤミを言われないようにだ。
(盆に実家なら、結婚しろだのシャンとしろだので既にお腹いっぱいだろう)
さて、なんとか本は読み終わったとしよう。
ここで「あらすじを書けば良いよ」はアドバイスでは無い。
日曜朝のガンダムUCを見ていれば判る通り、つめ込みは超絶技巧だ。
ガンダムUCは、主人公のバナージくんが出会う女性をことごとく不幸にする物語にも見える。
でも「バナージくんは無自覚なジゴロだと思います!」とか書くと、きっと怒られる。
基準が不明確なものでダメ出しをされ続けると、大人でも壊れてしまう。
ポイントは2つ。
「読んだ感想」を書くのではない。
ただ、課題図書で考え方に変化が起きることは滅多に無い。
自分は変わらなかった、でも、たぶん本の登場人物は変わったハズだ。
ネガティブな状態から、ポジティブな状態に変わったポイントを探すのだ。
そろそろネタバレせずにTV版ガンダムUCに例えるのも限界だが、
あたりだろう。
ココが一番の難物で、うまく出来るとコンクールで賞が取れる。
そして、本の中にあるキッカケで、ポジティブな思いに変わったとする。
本当に何のエピソードもない場合もある(恨み辛みの無い子も居る)ので、
最近のニュースから似たものを探して考えても良いかもしれない。
書く内容が拾い出せたら、書いてみよう。
だいたい、コレを書いていると決められた最低枚数は超える。
「理屈では消せんのです。恨みも、後悔も」そう言ったあとにジンネマン大尉は、ずっと昔に亡くなった妻と娘に呼びかけた。それは変えられない過去への呼びかけで、自分にもその気持ちが判るような気がする。自分が飼い犬のゴローへ最後に呼びかけたのは「お前は留守番だ。俺は楽しんでくるね」だった。何の気なしにかけた言葉だったはずなのに、それから旅行に出掛けてもどこか楽しめない自分が居た。それが、ジンネマン大尉がどこか娘と重ねて見ていた、養女であり部下のマリーダから(以下略)
ここまできてやっと、「気持ち」や「感想」や「思い」を追加する。
ジンネマンの気持ちが判る、マリーダはこう考えたんじゃないか、自分はこんなことが起こったと思う。
文章の骨格(ネガ→キッカケ→ポジ)が既に書けているので、多少いじっても構成は壊れない。
最後に、文章の体裁(てにをは、漢字、人物名)を見直して、完成だ。
本を読んで「より良くなった」という報告を期待されている。
だから、本の中で変化のあった人物を探し、
オッサンになると涙もろくなる。
(多少だが)苦労していると、「この人は真実を語っているな」ということは大体分かるし。
ネットの世界では凄そうな人がいるんだけども、身近な凄い人は案外そういうのと無縁で生きている。
少なくとも、四六時中ネットのリアルタイムの話題にリソースを割くなんて馬鹿な真似はしない。
「ネットはいきなり頂点の人が可視化されるので自信を無くす」という話はよく聞くが、
自分の体験からすると頂点らしいネットの凄い人も身近な凄い人も能力的にはあまり変わらない気がする。
要は「本人がやりたいかどうか(いや、「やるかどうか」)」が問題なだけであって、煌びやかさに惑わされて
能力が無いと思っている人も続けていれば勝手に能力はつく。連戦連敗でも「何割かは勝ち」の場合もある。
それを次につなげれば、逆境であるほどレバレッジがかかって能力が上がる。
ある時、凄く出来る女性プログラマーがいて「どうやればそんなに出来るんですか?」と聞いたことがある。
答えは、「デスマーチをくぐっていけばこれくらいの実力はつく」だった。
だから、能力が無いと嘆く若者も(オッサンも、あるいは女性も)絶望する必要は無いと思った。
単に守りの姿勢、ポジションが安定したので、後は受け身で人生守りに入ろう、となった瞬間に思考が硬直化
するだけの話であって。
とまあ、増田で書いた所で寝言なのだが、「ネットの人がそれほど凄くもない」ということは、
例えば、はてブで上がってくる書籍関係の記事はほとんどフィクション系でノンフィクション系が少ない。
いつだかの村上春樹のネット相談で、「小説をバカにする夫が許せない」みたいな話題があったが、
実際は逆じゃないかな?と思う。「ビジネス書を読んでいる人は意識が高い」と揶揄されるのが
本当のところではないのか。
しかも下らないライフハック系の記事はホットエントリになったりして、Kindleのセールで買えよと思う訳だが、
そんなことを言っても聞き流されるのがオチだと言うことも分かる。
それはともかくとして、最初の話に戻ると、真実を語っている人に弱い。
今日、ようやく仕事に区切りがついたので、ダラダラとネットを見ていたが、久々に再読してフリーでもいい文章が
落ちているものだと思った。上に書いたワイ氏の駄文の何千倍も役に立つ文章が落ちている。
リンクを貼っても読まれないと思うので、抜粋しながら以下に転載したい。
「ハッカーと画家」のポール・グレアムの抜粋だ。ハッカー以外にも役に立つと思う。
転載元:
http://practical-scheme.net/trans/hs-j.html
<版権表示>
本和訳テキストの複製、変更、再配布は、この版権表示を残す限り、自由に行って結構です。
(「この版権表示」には上の文も含まれます。すなわち、再配布を禁止してはいけません)。
Copyright 2005 by Paul Graham
原文: http://www.paulgraham.com/hs.html
日本語訳:Shiro Kawai (shiro @ acm.org)
<版権表示終り>
(「知っておきたかったこと」より)
だから、卒業演説はこんなふうになるだろう。 「きみと同じ能力を持つ誰かができることなら、きみにもできる。
そして自分の能力を過小評価しちゃいけない。」 でも、よくあることだけれど、真実に近付こうとするほど
多くの言葉を費さなくちゃならなくなる。 かっこよく決まっている、でも正しくないスローガンを、 泥を
かき混ぜるみたいにいじってみたわけだが、 これじゃあまり良いスピーチにはならなさそうだ。 それに、
これじゃ何をすべきかってこともよくわからない。 「きみと同じ能力」って? 自分の能力って何だろう?
風上
この問題の解法は、反対側からやってみることだ。 ゴールを最初に決めてそこから逆算するんじゃなく、
より良さそうな状況に向けて少しづつ前に進んでゆくんだ。 成功した人の多くは実際にはそうやって成功したんだ。
卒業演説方式では、きみはまず20年後にどうなりたいかを決めて、 次にそこに至るには今何をすればいい、と考える。
ぼくが提案するのは逆に、将来のことは一切決めないでおいて、 今ある選択肢を見て、良さそうな選択肢がより
時間を無駄にしてない限り、実際に何をするかってことはあまり問題じゃない。 面白いと思えて、選択肢が
増えるものなら何でもいい。増えた選択肢のどれを 選ぶかなんて後で考えればいいんだ。
たとえば、君が大学の1年生で、数学と経済学のどっちを専攻しようかと 迷っているとする。この場合はね、
数学の方が選択肢がひろがるんだ。 数学からはほとんどどの分野へも進むことができる。数学を専攻していたら、
経済学の大学院へ進むのは簡単だろう。でも経済学を専攻して、 数学の大学院へ進むのは難しい。
グライダーを考えてみるといい。グライダーはエンジンを持っていないから、 風上に向かって進もうとすると
高度を大きく失うことになる。 着陸に適した地点よりずっと風下に行っちゃったら、打てる手はひどく
限られるものになるだろう。風上にいるべきなんだ。 だからぼくは「夢をあきらめるな」のかわりにこう言おう。
「風上をめざせ」。
でも、どうすればいい? 数学が経済学の風上だったとして、 高校生はそんなことを知っていなくちゃならないんだろうか。
もちろん知らないだろう。だから、風上を自分で見つけ出さなくちゃならない。 風上を知る方法のヒントを
いくつかあげよう。 賢い人々と、難しい問題を探すことだ。賢い人々は自分達で固まりがちだ。
そういう集団を見つけたら、たぶんそれに参加する価値はある。 但し、そういう集団を見つけることは簡単じゃない。
大学生になったばかりのときには、大学のどの学部もだいたい似たように見える。 教授たちはみんな
手の届かない知性の壇上にいて、凡人には理解不能な論文を 発表している。でもね、確かに難しい考えが
いっぱい詰まっているせいで 理解できないような論文もあるけれど、何か重要なことを言っているように
見せかけるためにわざとわかりにくく書いてある論文だっていっぱいあるんだ。 こんなふうに言うと中傷に
聞こえるかもしれないけれど、 これは実験的に確かめられている。有名な『ソーシャル・テクスト』事件だ。
ある物理学者が、人文科学者の論文には、 知的に見えるだけの用語を連ねたでたらめにすぎないものが
しばしばあると考えた。 そこで彼はわざと知的に見えるだけの用語を連ねたでたらめ論文を書き、
一番良い防御は、常に難しい問題に取り組むようにすることだ。 小説を書くことは難しい。
小説を読むことは簡単だ。 難しいということは、不安を感じるということだ。 自分が作っているものが
上手くいかないかもしれないとか、 自分が勉強していることが理解出来ないんじゃないかという不安を
感じていないなら、それは難しくない問題だ。 ドキドキするスリルがなくちゃ。
ちょっと厳しすぎる見方じゃないかって思うかい。 不安を感じなくちゃダメだなんて。 そうだね。
でもこれはそんなに悪いことじゃない。 不安を乗り越えれば歓喜が待っている。 金メダルを
勝ち取った人の顔は幸福に満ちているだろう。 どうしてそんなに幸福なのかわかるかい。安心したからさ。
幸福になる方法がこれしかないと言っているんじゃないよ。 ただ、不安の中にも、
そんなに悪くないものがあるって言いたいんだ。
野望
「風上をめざせ」というのは、現実には「難しい問題に取り組め」という ことだった。そして、
君は今日からそれを始めることができる。 ぼくも、このことに高校にいる時に気付いていたらなと思うよ。
たいていの人は、自分がやってることを上手くできるようになりたいと 思う。いわゆる現実社会では、
この要求はとても強い力なんだ。 しかし高校では、上手くできたからっていいことはあまりない。
やらされていることが偽物だからだ。 ぼくが高校生だった時は、高校生であることが自分の
仕事なんだって思ってた。 だから、上手くやれるようになる必要があることっていうのは、
学校でいい成績をあげることだと思ってた。
その時のぼくに、高校生と大人の違いは何かと聞いたなら、 たぶん大人は生活のために
稼がなくちゃならない、と答えていただろう。 間違いだ。ほんとうの違いは、大人は
自分自身に責任を持つということだ。 生活費を稼ぐのはそのほんの小さな一部にすぎない。
もしもう一回高校をやりなおさせられるとしたら、ぼくは学校を 昼間の仕事のようにあしらうだろう。
学校でなまけるということじゃないよ。 昼間の仕事のようにやる、っていうのは、
それを下手にやるってことじゃない。 その意味は、それによって自分を規定されないようにするってことだ。
たとえば昼間の仕事としてウェイターをやっているミュージシャンは、 自分をウェイターだとは思わないだろう。
同じように、ぼくも、自分を高校生だとは思わないだろうね。 そして昼間の仕事が済めば、本当の仕事を始めるだろう。
高校時代を思い出して一番後悔することは何かって尋ねると、 たいていみんな同じ答えを返す。時間を大いに
無駄にしたってね。 君が、今こんなことをしてて将来後悔することになるだろうなと 思っているなら、
きっと後悔することになるよ。
これは仕方ないと言う人もいる。高校生はまだ何もきちんと出来ないからってね。 ぼくはそうは思わない。
高校生が退屈しているというのがその証拠だ。 8歳の子供は退屈しない。8歳の時には「ぶらつく」かわりに
「遊んで」いたはずだ。 やってることは同じなのにね。そして8歳の時、ぼくは退屈することがほとんど
無かった。裏庭と数人の友達がいれば、一日中遊んでいることができた。
今振り返ってみれば、中学高校でこれがつまらなくなった理由は、 ぼくが他の何かをする準備が出来たからだった。
友達とぶらついちゃだめだなんて言ってないよ。 誰ともつき合わなかったら、仕事しかしないむっつりした小さな
ロボットに なるしかない。友達と出かけるのは、チョコレートケーキみたいなもんだ。 時々食べるからおいしい。
毎食チョコレートケーキを食べていたら、 たとえどんなに好きだとしても、3食目には吐き気がしてくるだろう。
良い成績を取る以上に何かしなくちゃならないと聞いたら、 『課外活動』のことだと思うかもしれない。
でも君はもう、ほとんどの『課外活動』がどんなにばかげたものかを知っているよね。 チャリティの
寄付集めは称賛されるべきことかもしれないが、 それは難しいことじゃない。 何かを成し遂げるってこと
じゃないからだ。 何かを成し遂げるっていうのは、たとえば上手く文章を書けるようになるとか、
コンピュータをプログラムできるようになるとか、 工業化以前の社会の生活が実際どんなものだったかを知るとか、
モデルを使って人間の顔を書くことを学ぶとか、そういうことだ。 この手の活動は、大学入試願書に一行で
書けるようなものにはなかなかならない。
堕落
大学に入ることを人生の目標にするのは危険なことだ。 大学に入るために自分の能力を見せなくちゃならない
相手っていうのは、 概して鋭いセンスを欠いている。多くの大学では、 きみの合否を決めるのは教授じゃなくて
入学管理者で、 彼らは全然賢くない。知的社会の中では彼らは下士官だ。 きみがどれだけ賢いかなんて
彼らに分かりはしない。 私立の進学校が存在することが、その証明になっている。
入試に受かる見込みが上がらないのに多額の金を学校に払う親はほとんどいない。 私立の進学校は、入試に
受かるための学校であることを明示している。 でも立ち止まって考えてみたまえ。同じくらいの子供が、
ただ地域の公立高校だけに行くより私立の進学校に行った方が入試に受かりやすくなるってことは、
君達の多くは、今人生でやるべきことは大学入試に受かるように なることだと思っているだろうね。
でもそれは、自分の人生を空っぽの プロセス、それを堕落させるためだけで一つの業界が存在しているほどの
プロセスに押し込めていることになる。 シニカルになるのも無理ないよ。 君が感じている不快感は、
リアリティTVのプロデューサーや タバコ会社の重役が感じているものと同種のものだ。 君の場合は給料を
もらっているわけでもないのにね。
じゃあどうしようかね。 ひとつ、やっちゃいけないのは反抗だ。 ぼくは反抗した。それは間違いだった。
ぼくは、自分達の置かれた状況をはっきり認識していなかったけど、 なにか臭いものを感じていた。
だから全部投げ出したんだ。 世界がクソなら、どうなろうと知ったことか、ってね。
教師の一人が試験対策のアンチョコを使っているのを見つけた時に、 ぼくはこれでおあいこだと思った。
そんな授業でいい点数をもらって どんな意味があるっていうんだ。
今、振り返ってみれば、ぼくは馬鹿だったと思うよ。 これはまるで、サッカーで相手にファウルされて、
おまえ反則しただろ、 ルール違反だ!と怒ってグランドから立ち去るようなものだ。 反則はどうしたって
起きる。そうなった時に、冷静さを失わないことが重要だ。 ただゲームを続けるんだ。
きみをこんな状況に押し込めたのは、社会がきみに反則したからだ。 そう、きみが思っているように、
授業で習うほとんどのことはクソだ。 そう、きみが思っているように、大学入試は茶番だ。 でも、
反則の多くと同じように、悪意があってそうなったわけじゃない。 だから、ただゲームを続けるんだ。
反抗は服従と同じくらいばかげたことだ。 どちらにしてもきみは他人に言われたことに縛られている。
一番良いのは、直角の方向に足を踏み出すことだ。 言われたからただやる、でもなく、
言われたからやらない、でもない。 かわりに、学校を昼間の仕事にするんだ。昼間の仕事だと
考えれば 学校なんて楽勝だよ。3時には終わるんだし、なんなら自分のやりたいことを 内職しててもいい。
好奇心
じゃあ、本当の仕事は何になるんだろう。 きみがモーツァルトでない限り、やるべきことはまずそれを
探し出すことだ。 やりがいのあることって何だろう。すごい発想をする人達はどこにいるだろう。
そして一番重要なこと:自分は何に興味があるだろう。 「適性」という単語はちょっと誤解を招きやすい。
元から備わった性質のように思われるからね。 最も強い種類の適性とは、ある種の問題に対する
どん欲な興味だけれど、 そういう興味は後天的に獲得するものが多い。
この考えの変化したものは、現代の文化においては「熱意」という言葉で 呼ばれている。
最近、ウェイター募集の広告で「サービスに対する熱意」を 持った人を求めている、というのを見た。
本物の熱意は、ウェイターくらいじゃおさまらないものだ。 それに熱意という単語も良くない。
むしろそれは好奇心と呼ぶのがいい。
子供は好奇心旺盛だ。ただ、ぼくがここで言っている好奇心は 子供のとはちょっと違う。
子供の好奇心は広くて浅い。 ランダムに色々なことについて「どうして?」と尋ねる。
多くの人は、大人になるまでにこの好奇心が全部渇いてしまう。 これは仕方無いことだ。
だって何についても「なぜ?」と尋ねていたら 何もできないからね。でも野心を持つ大人では、
好奇心は全部渇いてしまうのではなく、狭く深くなってゆくんだ。 泥の庭が井戸になるんだ。
好奇心を持っていると、努力が遊びになる。 アインシュタインにとっては、相対性理論は試験のために
勉強しなくちゃならない 難しい式の詰まった本ではなかったはずだ。 それは解き明かしたい神秘に
見えていただろう。 だからたぶん、彼にとって相対性理論を見出すことは、 今の学生が授業で
それを学ぶことほど、努力とは感じられなかったんじゃないかな。
学校で植え付けられる幻想の一番危険なものは、 素晴らしいことを為すには自分に厳しくなければ
ならないというものだ。 多くの科目はあまりに退屈に教えられるから、 自律心が無いと全部に
出席することなんてできやしない。 大学に入ってすぐに、ぼくはヴィドゲンシュタインの言葉を読んで
びっくりした。彼は自律心が無くて、たかが一杯のコーヒーであろうと 欲しくなったら我慢することが
できなかったというんだ。
今、ぼくは素晴らしい仕事をした人を何人も知っているけれど、 みんな同じなんだ。自分を律すると
いうことをほとんどしない。 延ばせることはぐずぐず先に延ばすし、興味のないことをやらせようと
しても全くの無駄だ。そのうちの一人ときたら、自分の結婚式に 出席してくれた人へのお礼の手紙を
出してない。 結婚して4年経つのに。もう一人は、メールボックスに26000通のメールをため込んでる。
自律心が全くのゼロだったら困るよ。走りに行こうかなと思うくらいの 自律心は必要だ。ぼくも時々、
走るのが面倒だなあと思うけれど、 一度走り出せばあとは楽しめる。そして何日か走らないと具合が
悪くなる。 素晴らしい仕事をする人にとっても同じことなんだ。 仕事をしてないと具合が悪くなるし、
仕事を始めるだけの自律心は 持っている。ひとたび仕事を始めれば、興味の方に圧倒されて、
自律心は必要なくなるんだ。
シェークスピアは偉大な文学を産み出そうと歯を食いしばって 勤勉に努力したって思うかい。
そんなわけないさ。 きっと楽しんでいたはずだ。だから素晴らしい作品が書けたんだ。
いい仕事をしたいなら、必要なのは見込みのある問題に対する 大きな好奇心だ。アインシュタインに
とっての一番大事な瞬間は、 マクスウェルの方程式を眺めて、これはどうなっているんだろうと
自問したところにあった。
生産的な問題に照準を合わせるのには長い時間がかかる。 本当の問題は何なのかを見つけるだけで
何年もかかるかもしれないからね。 極端な例を言えば、たとえば数学だ。数学を嫌う人は多い。
でも学校で「数学」の名前でやらされていたことは、 実際に数学者がやっていることとはほど遠いんだ。
偉大な数学者のG. H. ハーディは、高校の時は数学が嫌いだったと 言っている。ただ他の生徒より
高い点数をとれたから選択しただけだったと。 後になって、彼は数学が面白いということに気づいた。
質問に正しく答えることのかわりに、自分で問題を見つけるようになってからね。
ぼくの友達の一人は、学校で提出するレポートに苦しんでいると 母親が「それを楽しむ方法を見付ければいいのよ」
っていうんだとぼやいていた。 でもそれが、やるべきことなんだ。世界を面白くする問いを見つけ出すんだ。
素晴らしい仕事をした人は、ぼくらと違った世界を見ていたわけじゃない。 ただこの世界の中の、
ほんのちょっとした、でも不思議なことがらに気づいただけなんだ。
これは学問だけの話じゃない。
「車はどうして贅沢品じゃなきゃいけないんだ? 車が日用品になったらどうなるだろう?」
これがヘンリー・フォードの発した 偉大な問いだった。フランツ・ベッケンバウアーの問いはこうだった。
忘れてる学生も多いと思うけど、村立増田大学(北海道)は祝日も授業日ぞな。
ところが、それを知らずに休むやつ、知ってたけど忘れて休むやつ、わかってて休むやつがわんさかいるので、講堂は毎回すっからかんぞなもし。
普通の大学でまともな神経を持っている教授なら、こういう日の講義をおまけみたいな扱いにして出席すらとらないことも多いぞなよね。
が、増大はまともな大学でなく、教授陣もまともではない。慈悲を期待するほうがバカぞな。
史学科の orangestar 教授にいたっては「この日にむしろ重要な事をやります」といったスタンス。
可愛い顔したぼっちゃんのくせに、心は筋金入りの村ウォッチャーぞな。こわいぞなもし〜。
ここに講義に出席してなかったやつらのためのアンチョコを用意したぞな。試験にでるらしい。
録音書き起こしなんで、誤字脱字あるかも。
……増田テクストに取り組む基本的な規則は、読者が暗黙のうちに元増田と「虚構の約束」を結ぶことですが、kanose はこれを「不信の停止」と呼んでいました。
読者は自分に向かって語られていることが架空の話であると知りながら、それでもなお元増田が嘘をついているとは考えないことが必要なのです。単純には、シロクマが言ったように、元増田は真実を述べている「ふりをしている」のです。わたしたちは虚構の約束を受け入れ、元増田は本当に脱糞したのだというふりをします。
自分の書いた二本の記事が数百のブクマカの手元に届くという経験をしたおかげで、わたしは、異例ともいえる現象に精通することになりました。一般に数十ユーザーズ(この数は内容によって異なるでしょうが)までは、虚構の約束をきちんと理解している村民に巡りあうものです。それ以降、とくに百ユーザーズを超えてしまえば炎上危険地帯、つまり読者が虚構の約束に通じている保証のない領域に確実に突入するのです。……
「韓国 米国 外交」とか「韓国 中国 外交」とか「米国 北朝鮮」とか「北朝鮮 粛清」とか「北朝鮮 人事」とかで、期間指定でググってみ
ここ1~2年で、急に緊張感が増してるの判るから。
特に米国筋が一昨年あたりから警戒レベル上げてたのが、最近さらに上がってる。
やっぱ三男坊が無茶な人事してるの不気味なんだよ。
どうすんのかだけどな、オマエがどうするのか考える必要があるんだよ。
韓国嫌いだから韓国は助けたくないなら、それもアリ。他国の戦争に首突っ込むこと無いもんな。
その場合は、集団的自衛権とか論外かつ、アメリカにネゴっとく必要があるから、自民党の安倍細田派には選挙で票を入れちゃならん。
たぶん、今んトコ共産党一択になって、どちらかと言うとアメリカとネゴる為に、中国寄りの外交政策を支持する事になるはず。
その流れで、平和安全法制とかちゃんと見といて、誰が何言うか確認して、選挙で落としたり票入れたりする必要がある。
逆に、アメリカ抜きの安全保障とか無理筋だと思うなら、自民党に票入れて、かつ、暴走しないように危険なヤツは落とす必要がある。
その場合は、国民感情抜きにして、北朝鮮と韓国間で戦争状態に入った時に、アメリカからの要請で、たぶん自衛隊が出る。
わりと昔からロシアは漁夫の利を狙って高みの見物決めてくるから、そっちも見とく必要はある。
さらにもっと具体的に言えば、「オマエ自身」はどうすんのか?って話にもなる。
北朝鮮が韓国と戦争するのは(アメリカですら無理なのに)オマエには止められねえだろ。
で、今んトコ徴兵制は導入されねえだろうし、戦地に行くことはたぶん無いが、戦場になることは十分考えられる。
(具体的に言えば、近所に自衛隊のレーダー基地とかあったら、ミサイル飛んでくるかもな。日本海側なら直接的に脅威に晒されてる)
引っ越しするのか、無駄だと思ってなにもしないのか、何なら国外避難できるように英語かスペイン語の日常会話ぐらいはできるようになっとくのか。
(スペイン語なら日本語と発音似てるからアンチョコ片手の日常会話はそこまで難易度高くねえよ)
そういう危機感を持っとく必要があるって話だよ。パスポートなきゃ国外脱出も出来ねえぞ。
自分には「どうにもできない」ってのと「できるのに何もしない」のは、違うぞ。
具体的に言うと新卒の皆様の就職活動に向けての準備でございますな。
そこで、超具体的に高卒or大卒or院卒(除く博士)就職する人向けのTOEICの話でも。
テクニカルに500点取る人と、理解して400点の人は、質が違う。
TOEIC公式サイトのサンプルでも見て、どう思うかで判定できるね。
これを「英語の試験だ」と思うか「ああ、ビジネスで使いそうな例題ね」かで違う。
業務で英語なんか全く使わないのに「高い方が優秀だろ」みたいな理由で点数見てるトコね。
まあ、世の中努力ではどうにもならん理不尽な事が多いのを知るのも就活の意義ではあるので、
そこは諦めて、出来る事をしてくれ。
商社やメーカー、中小工場の営業に至るまで、英語圏で仕事する人達は多い。
で、経験則的に、フツーに英語使えたら風邪引いててもこれくらい点数取れるだろ、と設定してる。
(まあ、野生の勘でブロークンイングリッシュで乗り切るオヤジとかが生息してたりするんだが)
新人の間はアンチョコ片手に苦労しながら現地のコーディネーターに合流出来て、
意思疎通して開拓したり交渉したりする(契約は英語屋orネイティブを挟む)のを期待してる。
だいたい、700~800点位を基準にしてるところが多い。
コッチ狙う人は正攻法で頑張ってくれ。
ワリとIT企業に多いんだが、意味もなく高い値に設定しているところが多い。
500~600点を基準にしてる所はまず意味ない数字だな。機械的に単位の「優」を数えるのと一緒。
あと、積極的に海外展開してるように見えないのに、750~900点とかつけてる所。
まず、商社や販社、外資の「英語普通枠」は、帰国子女とか準ネイティブが占めます。
身も蓋も無いですが、諦めましょう。
(諦める必要の無い努力型英語話者は、素でTOEIC800は超えるので関係ないしね)
「日本人だけど英語が使える枠」として残りたいなら、800点を目指しましょう。
まあギリ800,だいたい700~750くらいだと問題無いと思います。後は経験なので。
このレベルになるとTOEIC受けて知らない単語は滅多に出てこない、
思い出すのに時間かかるとか、なんかこもった話し方されると解らん、というレベルかな。
人によってやり方違うけど、まあ慣れかな。
学生さんだとそもそもビジネス文書に慣れが無かったりするので、
意外と日本語の新聞の社説を速読できるようになると、効果があったりする。
最初に言っとくと、試験の意味がわからない人でも、技法で600点ぐらいまでは行ける。
そうだなあ、
「英語は判んねえけど、今オレの悪口言っただろ」とか
「単語並べりゃ海外旅行は出来る」みたいなバイタリティ溢れる人は、
逆に、TOEICの点数はスゲエ良いのに、英語使って仕事できない人も居る。
で、「600点以上」とか書いてる会社は、何も考えてないことが多い。
600点って、辞書片手に英文メールで仕事のやりとりが何とか出来るレベル、だから。
これは巷にあふれるテクニカルな手法でとりあえずチャンピオンデータ取っちゃえば勝ち。
当然毎月試験受けるし、小手先のテクニックも大量に使ってくれ。
英語力(というと胡散臭いが)上昇には意味ないが、どうせ元々意味のない数字だ。
ヨドバシのチラシ見て「どれが一番割引率が高いか」とか、
中央線の時刻表見せて「どの列車に乗ると高尾山に一番早く着くか」とか、
展示会に行ったら「セミナー会場は変更になりました。なお飲食禁止です」とか、
ホテルにモーニングコール頼んで、お湯が出ないって文句言ってるオッサンの愚痴を聞いたり、
歯医者に「都合悪くなったんで、来週にならんかな」とか言ってるオッサンの電話聞いたり、
「明日の未来の為に、我がジオン国国民はXXXXXならんのである!」を穴埋めさせたり、
「あの壺をキシリア様に届けてくれよ! 」を聞いて、届けるのは何家か聞いたりとか、
和訳してテスト見れば、日本人なら風邪でもまあそりゃ取れるだろって内容なの。
だから「天気予報なのは判ったけど、その気象条件の単語は知らん」とか
「オッサンの説明がウザくて、何曜日か忘れた」とか
そういう状況なら、後は努力だ。
で、知り合いに付け焼き刃でなんとか旅行行きたいんだけど、
会話帳探すの手伝ってくれないか、とか言われたから手伝って、ついでにアンチョコ作った。
せっかくなんで、ここに書いとくことにする。
なお、これは中学高校と英語の授業寝てた人間へのアンチョコであって、そこが完璧なら普通に話せるはずだ。
タクシーの運転手に、ホテルの名前と外観が印刷されたプリントアウトを渡せば、大抵連れてってくれる。
これは21世紀にもなって自動翻訳機がなかなか出来ないのと、全く同じ理由だ。
だから、発音が不味くてもaやtheを付け忘れても問題ない。結局伝わるからだ。
トラベル英会話というか、サバイバル英会話のポイントは、「前置詞」だ。
とりあえずタクシーに乗ったら、to AAAと言えば、だいたい連れてってくれる。
人間は文脈で判断するとは言っても、伝わりやすさには格段の差がある。
「キンカクジ」を連呼する外人さんには困るが、「キンカクジ、ヘハ、ドゥ、イケバ、イーデスカ?」なら理解できる。
長い文章のほうが相手が推測できる部分が増えるから、発音のまずさをカバーできるわけだ。
応用が効く文章なら、覚える数をぐっと減らせる。
トイレを探すときにも使えるし、どのバスに乗れば良いか聞くときにも使える。
「Where can I find AAA?」と店内の売り場所を聞いたり、
「Where can I try this one?」とか服持って聞くと、試着室の場所も聞ける。
「What time is the last show start?」で最終公演の時間も聞けるし、
「What time is the first bus?」で始発のバスも聞ける。
繰り返しになるが、aやtheが付いてなくたって、別に問題ない。
ネイティブにはちょっと変に聞こえるだろうが、丁寧な態度で、ちゃんと意志が伝わることが重要なのだ。
「How do I get to bus stand? from here to tower.by bus」とか言えば、意志は伝わる。
「How do I get to tower? by walk」とかでも良い。身振り手振りも交えれば、発音の不味さはカバーできるだろう。
これに、1~100までの数字を聞き取れるようにしておくと、大体事足りる。
1~99までの発音ができれば、時刻や搭乗ゲート、部屋番号などで困ることもなくなる。
「I'd like a taxi now」と言えるのが良いのは確かだ。でも、ホテルの人に「taxi, please?」って言えば大体わかってくれる。
観光地回ってると「写真撮って」って言われるかもしれないが、「Say cheese!」って言えなくても「1, 2, 3!」で撮れば良い。
ここまでで、4+3+10で、17個だけだ。
(1~100までとかズルはしてるが、まあそこは大目に見てくれ)
17個(しかも文章はたった3つ!)暗記するだけなら、飛行機の中でなんとかなるだろう。
buy, find, try, first, last, nextとか、そういった使えそうな単語を覚えておけば良い。
そして、常に応用を利かせてみる。
サンドイッチ屋とか、なんか色々聞いてくる店なら「your recommend? オススメは?」って聞けば、向こうが悩んで選んでくれる。
(自分が選びたいなら、それを何とかして伝えれば良い。右だとか左だとか、上だとか下だとか)
Delicious!とか、have fun!とか、I'm fullとか、そういった単文を覚えれば、伝えられる意志は増えていく。
相手に意思を伝えるために「英語」を使うんだから、多少変でも可笑しくても意思が伝われば構わない。
ただ、ホテルで「両替だよ、両替!日本円からドルにしてくれ!」と日本語で叫ぶのは、意思は伝わっても誠意も謙虚さも無い。
「I'd like to have this money changed, please.」と言えなくても構わない。
「Where can I change money?」と聞けば、「ここでできるけど、レートこれだよ」とか教えてくれる。
なんか飛行機の搭乗ゲートが変更になったアナウンスが流れているような嫌な予感がしたら、係の人に
「Where is the boarding gate for this flight?」って聞けなくても、
「How do I get to this flight?」って搭乗券を見せながら聞けば、十分だ。
きちんと旅先の相手に敬意を払いながら、可能な限り手を抜いて意思疎通をする。
旅の指さし会話帳とか、相手に負担を強いるタイプの手段は、双方がコミュニケーション目的の時にはうまく働く。
例えば、英語しか話せない相手と旅先でなんとなく交流する時には、だ。辞書使ってもメモ帳に書いてもらっても良い。
でも、目的を達成するためには、直ぐにパッとでる文章を覚えておいて、組み合わせた方がずっと良い。
もちろん、レストランで食事だの、土産物屋で買い物だので、必要な会話はあるだろうけど、それこそ会話帳を見ながらで良い。
店に入る前に「Please bring a spoon スプーンを下さい」とか
「I'm just looking 見てるだけです」をアンチョコ見て短期記憶に刷り込むのはそう難しくないだろう。
3つばかり文章を丸暗記して、後は使う直前に会話集を短い時間だけ覚えとけば良い。
「Excuse me」で呼び止めて、「Thank you」で笑顔を見せれば、嫌がられたりはしない。
では、良い旅行を!
http://anond.hatelabo.jp/20070424223734 みたいな薦め方はナシじゃねーかなあ。
あれは、作品を読むのはダルいけどライトノベル関係で企画書を書きたいサラリーマンのアンチョコ用、もしくはそれなりにライトノベルを読んでる人の脳内整理用の本だというのが、何度か読み返しての俺の印象。「大変だ」といいつつ http://anond.hatelabo.jp/20070424222549 こんだけちゃきちゃきと楽しんで読めている人に今更薦める本じゃないんじゃないかと思ったよ。
……ところで、もしまだライトノベル読む心の余裕があるんだったら、長年に渡ってヘビー級に君臨するタイソンばりの帝王であるところの『撲殺天使ドクロちゃん』を読んでみません? 元エントリのお方。
ピザ屋の配達って
みたいなアンチョコ持ってるよね。レシートとか伝票に書いてある。最初にこれを考えた人は頭がいいと思う。
そこで、X国語を通訳してくれる人をさがさなくちゃいけなくなったのだ。
それもかなりたくさんの人を定期的に雇う必要があるのだ。ともかくたくさんという点が大事だ。仮に毎年100人くらいということにする。100人は多い。
きちんと通訳のできる人であれば、報酬は弾むつもりなので、この仕事を希望するひとはX国にはたくさんいる。
問題は、一人ひとりたっぷり時間をとって面接することができないのだ。
応募者の中には、かなり高い通訳の能力を身に着けているひともいれば、片言の日本語しかしゃべれないのに応募してくるひともいる。
そこで、あなたは、テストを課すことにしたのだ。
応募者には、採用専用の番号に電話してもらう。そこで、自動でテスト問題が出るので、そこに答えを吹き込んでもらうのだ。
問題は、XXXXXを日本語で言ってください、といった簡単なものだ。
これで、限られた人数と限られた時間で、能力のある人を選別できる。
しかしそのテスト問題が流出してしまった。
1問目の答えはwatashino namae ha ?? desuと答えよ、といった具合のアンチョコが出回ってしまったのだ。
その後はいたちごっこだった。
問題をランダムに出してみたり、定期的に更新したり、難しくしたり、と色々な工夫をした。
それでもX国の人はそのたびに、そのテストを丸暗記して、通訳の能力がないのに、その試験をくぐりぬけてしまうのだった。
あなたは毎回違うテストを出すようになったし、カンニングがわかったときには今後試験を受けれなくする、といった工夫をほどこした。
そのうち、あなたの会社の出す問題はかなり洗練されたものとなり、通り一遍の丸暗記は不可能なものとなった。
では、いたちごっこはおわったのだろうか?
しかし、それでも通訳の仕事はX国の人にはあまりにも魅力的なものだった。
そして、とうとうあなたの会社の試験問題に合格するための学校ができたのだ。
以前は、必要に迫られて日本語を独学で勉強してきて日本語をみにつけたという人を簡単な質問ですぐに選別できたのに、
今はその試験専門学校で勉強してきた通訳まがいばかりになってしまった。
文法の勉強もしてるし、語彙の暗記もしているのだが、彼らの通訳はあまりにも使えない。
それは、彼らの勉強のゴールが「聞いたことを理解できること、自分の言いたいことが表現できること」ではなく「試験へ合格すること」になってしまっているからだ。
以前、会社の試験に応募してくる人は、市場で実際に日本の観光客を相手にしたり、辞書を引きながら日本語の本を読んだりしてきた人々だった。
しかしそういった人は、現在の洗練された試験では逆に落ちてしまうこともある。
受かるのは、テスト勉強を繰り返してきた人の方だったりする。
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