Noだよ
日本語で「お金がない」って言ったらさ、まず「お金」を思い浮かべるじゃん?諭吉さん
そして「ない」を考える。諭吉さんを消す。お金なくなったじゃん。
でも英語で「No money」って言ったらさ、
まず「No」を思い浮かべるじゃん?
…
……?
無を思い浮かべるって?
日本語みたいに対象を指定してから消すならわかるんだよ。でもさ何も指定してないのに先に無を思い浮かべろとか意味不明じゃん?禅かよ。あいつらファッキンZen monksかよ。
無を思い浮かべれたとしてもMoney思い浮かべたら存在する感じにならない?なるよね?諭吉思い浮かべちゃうよ?こっちとしちゃ最初から無だったのにNoとか言われて無ってなんだよって思ってる中で諭吉だよ?諭吉いるよ?いまおれの頭に諭吉いるよ?
ここで消すのか?諭吉を消すのか?でもそれならmoney noじゃない?なんで先にnoとか言ったの?
I couldn't help but admire fucking zen monks.
って感じ。
俺がムカつくのはさ否定を先に言う文化が名詞の前だけじゃないことね。monkどもは動詞の前にも否定しちゃうのね。
この文章もさ "could not help but 動詞の原形"=「〜せざるを得ない」だったなとかいう、せこいアンチョコを使わないで、ゆっくり最初から読んでみてよ
Iね。私。毎回主語を言えとかいうルールもムカつくけどまぁ慣れたわ。
not。notってなんだよ!!!!!
ここまでゆっくり一個ずつ読んでいってこの段階で何を思い浮かべればいいのかわかんねーのよ。今オレ一人だよ。オレが一人ポツンと立ってる絵しか思い浮かばないわ。
続けるわ。helpな。こいつも「助ける」と「避ける」が一緒に同居してて大分意味不明な動詞だわ。この段階ではどっちの意味かわかんねーじゃんか。それともZen monk達は"help"と聞くと両方の意味に波及するコアイメージを思い浮かべてるの?どんなイメージなんだよ。
まあいいや。問題はnotからの動詞の流れな。Zen monk達は何を思い浮かべてるの?notからhelpの間に何が起こってるの?否定された後にhelpという動きを思い浮かべるの?helpしちゃわない?頭の中でhelpしちゃわない?
次のbutも相当に意味不明なんだよな。さすがのZen monksも使わなくなってきたらしいけどnot that的な接続詞として捉えろってさ。またnotかよ。はぁーーーーーーー。もうやめやめやめ。無理だわ。おれにはもう無理だわ。一つの文章も読めねーや。意味不明に意味不明に意味不明が重なって逆にスッキリだわ。admire zen monksって気持ちだよ。まじリスペクト。終わり