はてなキーワード: 脆弱とは
掃除をしていたら、iPhoneの機種変でいらなくなってたAndroid携帯が見つかった。
試しにWiFi環境に繋いでみたら、ものすごい勢いでアップデートが始まったので暫く放置していた。
暫く経った頃、端末を再度眺めてみるとノーティフィケーションにずらりと並んだアプリ。
その中に、かつて電車の中でよく遊んでいたMinecraftPEがあった。
なんで、やめたんだっけ。通学時間にあんなにはまったのにな、なんて考えながらも
サバイバルモードを立ち上げてみる。背景は真っ黒だったはずなのに、なんかおしゃれになってる。
元々遊んでたのは0.30までだったから今の0.71からみたずいぶん前だ。
以前遊んでいたワールドがなぜかなかったので適当に作成してサバイバルモードで立ち上げて遊んでみた。
しばらくしてワールドは夜に変わる。
今、Steveの耳には三種類の音しか聞こえてこない。
1. 動物たちの鳴き声
2. ゾンビの唸り声
3. 私、Steveの恐怖を噛み殺す歯ぎしり
Steveは今、露天掘りにした1×1×3の穴の下にいる。
作れたのは木のつるはしまでだった。
石炭を掘り当てることができず、ただ無駄にたまった土塊がアイテム欄を埋めている。
長い夜の間、ゾンビの声に怯え続けたSteveの魂は
MinecraftPEのWikiを彷徨い歩いた。そして目当ての情報へ。
PocketInvEditorというアプリ。
土くれを松明に、アイテム個数を255に変えてみた。
二回、三回と繰り返し踊ってみる。
そしてブロックを一つだけ掘り、松明を授けると
その光に、Steveは捕われていた孤独を思い出すことになる。
かつて、Steveはマインクラフトがクラフターの一人だった。
ニコニコ動画にアップされているような
コツコツと積み上げられた職人芸には叶わなかったけど、
立体文字を作ったり、自分の部屋を再現したり、色々楽しんでいた。
狂い始めたのは、バージョンアップにより
彼は熱中した。掘って掘って掘りまくった。
だが、そのうち物足りなくなってきた。
十分な松明を置けなくなったため、
背後を襲われることが増えたことと、樹木の伐採のし過ぎで
木が足りなくなってきたことだった。
環境ファイルをバイナリエディタで直接書き換えればいける方法を知る。
確かにそれっぽいのがあった。
これを書き換えれば。
これ以降、SteveはHEXファイルを呪文のように日がな唱えるようになる。
アイテム欄だけではなく、フィールドの切り替えをも簡単にできる事にSteveはすぐに気づく。
クリエイティブモードで培った財産を今こそサバイバルモードに変える時だった。
すぐにすり減ってしまう石のつるはしは当時未公開だったダイアのつるはしに変え、
紙切れのように石層を掘り砕いていった。
せこいことをしてコツコツ増やしていた本棚はFFに変えるだけで欄が255に変わったので
部屋の床全てを埋めてもまだ余裕があった。
美しく等配列に並ぶことで果たしていた装飾という役割も同時に共に消し去ってしまった。
埋められるスペースというスペースに松明を突き立てたことで。
時々、ゾンビが落ちていく姿を眺める事ができた。
海の上に落ちたのでは死なないから、わざわざ石畳を敷き詰めて、
落下死させるようになっている。
クリエイティブモードとサバイバルモードを簡単に行き来できるからだった。
1×1マスのガラスの囲いから救いの手を差し伸べる何重にも折り重なったゾンビたち。
TTで思いつくほとんどのことをやりつくし、眠れぬ夜にゾンビに怯えることもない今
ただただ、囲われたゾンビを眺める事がSteveの日課だった。
ゾンビーフはまだこのバージョンにはなかったから、生き倒れていく緑色をずっと見ていた。
いつもの朝を迎えると彼は手持ちのアイテムのほぼ全てのIDを2Eに書き換え、
牛や豚を追い込むのに苦労した。
空を仰げば青さのみが広がる海中神殿。対照的に、溶岩を誤って置いて
紐なしバンジージャンプをした。
全てに置いていった。
残っていた石ブロックを十個一列に新たに積み上げるとその上に立ち、
赤色のブロックを横付けして、ワールドをサバイバルモードに変更する
どこまでも連なっていくのが見えた。
かぼちゃにも似たそのブロックの側には大きく「TNT」の文字。
v0.30ではまだクラフトすることが出来ないはずの爆弾だった。
ほんとにいいのか?
Steveは自問自答する。
もうこんな世界に用はない。
そしてブロックを長押しした。
その最後を彼は見届けることはなかった。
そのまま即死した。
Android携帯の画面はSteveが最後に見た世界をそのままに
そして、携帯を再起動し、MinecraftPEを立ち上げると
全てが終わっていることに気づく。
かつて、一番最初の一歩を踏み出したここは美しい平原だったはずだが、
TNTにより抉られた醜い谷間へと姿を変貌させていた。
性急にことを進めすぎたんだと思う。
地道に石を彫っていかなくてもヘックス値をFFに書き換えるだけで255になるアイテム欄に、
こつこつやっていた楽しさもゆっくり何を作ろうかと考えていた期待も忘れてしまって、
飽きが来てしまった。
遊びだけを奪っていったはずの全能感が倦怠に変わると、
Minecraftを遊ぶ全ての動機に牙を剥いてしまったのだ。
何なんだろうな、この気持ちは。不条理が今ここにある。
v0.71になってIFは変わったけど、一度醒めた気持ちが再燃する事はなく、
全てを与えられたSteveを俺は見放した。うまく使う事ができなかった。
限られた選択しか常にない環境なら、なおさら、どうであったろう。
なんか疲れた。もう疲れた。
俺はこの部屋のSteveだ。
50人くらいしか需要ねぇ他の人いじったらもっと伸びるのに素材に魅力がなさ過ぎるのか全然伸びねぇこいつの精神が脆弱すぎていじりにくい本人も予防線貼りまくりだし相手にしてるやつらがいちいち小物ばっかりだし頑張ってかのせ相手にするのかと思ったら耳障りな音を立てながらかのせの周りをぶんぶん飛び回るだけでただひたすらうざいだけってのがしょぼいというかうんこだしいざかのせがめんどくさくなって相手したら捨て台詞吐いて逃走とか小物にも程がありすぎてこいつあいてにムキになったら負けだ感漂ってるせいで一般人がくいついてこないとにかくストレートなバカっぷりが楽しめないのが一般受け悪い理由だなこいつクネクネしすぎてて悪食なはてな村民以外には煮ても焼いても食えないはやくなんとかしろ最近の病気キャラでも何でもいいからもっとノーガードで戦えというかやまもといちろうに相手して欲しいならせめてかのせとくらいはちゃんと戦え
あれごめん記憶違いかな? 確かに最初のケースは妊婦が死亡してたのは覚えてる。
当時似たような事件が何度か騒がれた。
http://facta.co.jp/article/200606057.html
東京地裁民事部は国内で医療訴訟を最も多く扱っているが、受理件数は年々増え、
93年に442件だったのが今では1千件を超えている。
02年に受け付けた訴訟896件のうち、内科26%、外科23%、整形外科15%に次いで、
産婦人科は12・25%。このうち胎児管理や胎児仮死など産科領域が圧倒的に多い。
一般に周産期医療をめぐる訴訟の3割以上は産婦人科関連といわれ、産科領域の訴訟は少なくないのだ。
家庭での自然分娩が大半だった昔に比べ、今はクリニックや病院での出産が増え、周産期死亡率も世界で最も低い。
ちょっと話がずれるが下記のような話もある。
体外受精に代表される生殖補助医療の急速な発達も、日本の産科医不足に影を落としている。
それに伴い出生体重1500グラム未満の極小未熟児、超未熟児が新生児の0・7%(約8千人)と、
体外受精導入以前の2倍に増加している。
多数の専門医と専門看護師による24時間監視・勤務体制の新生児集中治療室(NICU)でしか、
染色体異常、成長障害など多様な問題をはらんでいる。
増えている高齢出産でも、35歳以上の初産児出産は母子ともに急激なリスク上昇を伴う。
近い将来、周産期死亡率の悪化を招く恐れがある。
※あまり正確でないまとめ
2. 長さを制限しようとするストッパーがエロゲーにはあまり無い
4. 長大化で小回りが利かなくなったので衰退した
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積んでた夏空のペルセウスやってたらこんな記事が話題になってたので、以前考えてたことを出力してみた。
まずもって、世の中のたいていのものは放っておくと長くなる。全部突っ込めばそれだけ長くなるし、切り捨てるのにはセンスと覚悟が要求される。
論点を置き換えて「他のジャンルの作品は何故長くならないのか」と問うてみた方が話が早くて、フォーマットや制作体制や商業的事情や物理的法則に種々のストッパーを見つけることができる。テレビアニメには放送枠があるから1話30分弱に収まるし、読者アンケートの結果が悪い漫画は打ち切られる。ボリュームと制作期間と費用は通常比例するから10時間の映画はペイしづらい。観客の体力も保たない。製本技術には限界があるので京極夏彦や川上稔がある種のチャレンジャーとして驚かれる。商業作品である以上、諸々の制約と歴史的経緯によって現在のジャンルの姿がけしてベストな形ではないにしろあり、いまも着々と変化している。
ところで家庭用ビデオゲームというのはある意味で特殊なジャンルで、この手の制約が相対的に弱い。(どういう経緯があったからかは知らないが)企業の成果物として単品売り切りで販売されるために一作で完結していることをより強く求められる。連載形式や短編連作は馴染んでいない。アーケードのように課金制ではないため私的な場で長時間にわたってプレイされる。デジタルデータであるがゆえにボリュームの制約が相対的に弱い(勿論家庭用ゲーム機の歴史とは一側面ではすなわちデータ容量との戦いでもあったということを知らないわけではないが、しかしそれは、書籍のページ枚数やテレビの放送時間とは本質的に異なった枠組みだろう)。そしてエロゲーもこの例に漏れない。
いま、エロゲーを長くさせない/シナリオ量やCG枚数や楽曲数やキャスト数、ゲームエンジンの性能、その他全てを含めて総体的に立ち現れる「ボリューム」を一定程度にとどめようとするなにがしかの制約を想定してみたとき、せいぜいメーカーの経営体力とメディアの容量、それからマシンスペックくらいしか思い浮かばない。後ろ2つは開発環境が消費者のプレイ環境にある程度近いのもさることながら、そもそもPCの廉売とスペックの進歩、間接的にはブロードバンド環境の普及がエロゲーの長大化を物理面で下支えしてきたように中長期的にはむしろブースターとして働いている節がある。トップブランドのフラッグシップタイトルが折に触れて消費者側のマシン更新を促してきた事実もあるように、決定的な歯止めとなっているようには見えない。1点目にしたところで、勿論この業界の危うさ、開発企業の経営基盤の脆弱さは消費者にもつとに知られたところではあるが、零細ゆえに諸々の手段で延命可能であることもまた、たとえば半ばアパレルメーカーと化し盆と正月に衣服や楽器を売りさばく某ブランドの例から知ることができよう(もっともこの手の主客転倒した経営と現状の市場を席巻している初回特典偏重の商法が相まっていくらかのエロゲーメーカーのグッズ屋化を促進しているのだが、さすがに本論から逸れているので一旦措く)。そもそも零細的な企業体制でも比較的手軽に参入可能な市場として開発者の側からかつてエロゲーは持て囃されたという歴史もある。
ところで、「ボリューム」と書いた。実は「CG枚数や楽曲数やキャスト数」は、これはきちんとデータをとって検証したわけではないけども(誰かやってください、というかもう先行記事があるでしょう)、一部の大作を除けば体感としてはここ10年、さして増加はしていない。勿論マシンスペックの向上に伴って画質も音質も向上してきたが、数量としてはほぼ横這いじゃなかろうか。むしろ攻略ヒロイン数なんかは全体として微減の印象がある。じゃあどこに工数が注ぎ込まれて「ボリューム」感を実現しているのかっていうと演出のスクリプトとゲームエンジンの融通とシナリオ量で、だから「長大化」として語られる。そうしてヒロイン数が割を食う。
畢竟、「これ以上長くすると開発スタッフが死ぬ」以外に天井が見当たらないのがエロゲーであり(実際菜種油を搾るように業界人の首が絞められた末に納品された成果物を今われわれはプレイしている)、そして消費者はぼんやりと長大化を期待した。マルチエンディングのADVが市場の大勢を占めるようになったがために、ビデオゲームでありながら作品間で「ボリューム」を直接的に比較することが可能となったのも後押ししたのかもしれない。あるいは国内経済のデフレーションと関連付けることだって可能で、フルプライス=税抜8,800円の価格設定はここ10年以上にわたってほとんど揺らいでいない。数年前からいくつかの大手メーカーが大作に限ってようやく税抜9,800円に手をつけた程度のありさまで、であれば同一価格内での「品質向上」を求める圧力が加わるのは自然の成り行きだろう。それでなくても市場は2000年前後をピークかくしてエロゲーは長大化の一途を辿り、ジャンルとしては衰退した。
これは当然の展開で、しばしば指摘されるように現代はコンテンツ飽食の時代、趣味は時間の食い合いとなるので長ければ長いほど不利になる。そんなの知ったこっちゃねえ俺は何十時間何百時間でもエロゲーを続けるぜって御仁には頭が下がるばかりだが、ジャンルの/市場の健全性とはかようなストイシズムとは対極の、ヌルい裾野の広がりによって担保されるのであって、エロゲー修験者ばかりではジャンルは早々に先細る。複数買い&積みで支援するのも似たようなもので、そこに健全な言説(そもそもインターネット上のエロゲーについての言説が「健全」であったためしなぞいまだかつてあったのか甚だ疑問だが)は生まれ得ないし、エロゲーは他のオタフィクション同様、本質的には中・下層の大衆、賃金労働者の変種としてのオタクによって担われる速度重視のサブカルチャーの一種であるのだから、ルネサンス期のメインカルチャーのような貴族のパトロンによる全面的支援などという夢は早晩挫折しよう。
速度。現代のインターネットで語られるオタフィクションとしては何よりも速度、1単位のコンパクトさと間口の広さ、新陳代謝の活発さが重要で、そして先にも触れたように「ボリューム」と開発期間はふつう比例する。込められたアイディアも思想も発売時には陳腐化している。ゆえに、足回りの悪くなったエロゲーが往時の勢いを失うのも自然の流れだろう。
・おわりに
突っ込みどころ多いしエビデンス挙げてないし、取り扱うのが面倒でわざとスルーした話題がいくつかあるけどまあいいや。気力の保つあたりでアップしておく。
それにしても、平均年収300万円以下って、まあ天引きor確定申告前の数字なんだろうけど、俺より貰ってるじゃねーか。まあ激務やスキルやクリエイター幻想に見合わないって趣旨なんだろうけど。
この手の、市場の縮小と消費者層の年収減と割れの話はオバフロの人はじめ、色んな人が語ってるから適宜ググるといいと思うよ。
夏空のペルセウスは大変エロかったですが他に言うことがありません。minoriの歴代作品に比べて開発期間=資金の限られている中で最善を尽くしたんだろうなあ、とは思うけど。
すぴぱらの続きマダー?
AKB48のことは、もともと別に好きでも嫌いでもなく、しかしそれなりに好奇の視線を向けてはいた。
ところがだんだん気持ち悪さを感じることが多くなってきた。
彼女らに対してというよりはそのシステムやファンの存り方や、そのファンの言動をいちいち取り上げてバカにする声に対して。
それでもまあ、そんなものは2ちゃんまとめブログを読まなくなったことでだいぶ避けることができるようになっていた。
しかしどうしてもスルーできない事件が起きてしまった。あの丸刈り事件だ。
その話題を聞いて、ネットにアップされた丸刈りの女性が泣いて謝る姿を見たとき、とにかく不快な気分や怒りを禁じえない状態に陥った。
ひととおり怒って気持ちが落ち着いてから、今後しばらくは極力AKBの話題をネットなどで見ないように、発言もしないように気をつけようと心に決めた。精神衛生上よくないから。
ところがそうは問屋がおろさないのが現実というもので、翌日には、丸刈り状態で仲間と微笑む彼女の画像とそれを見た誰かの「全然反省してないじゃんw」というコメントが目に飛び込んできて、やっぱりイライラしてしまった。
どうしても情報を避けきれないのだ。それくらい衝撃的な事件だった。
本当に嫌なら見なきゃいいし、ネットに接続しなければいいんだけども。結局私が自らの好奇心に負けてしまっているのだろう。
丸刈り事件のとき、何を不快に思い、何に対して怒りを感じたか説明しようと思ったけど、いろんな負の感情が押し寄せてきて頭が混乱するのでやめておく。
まあ、あの動画を見て楽しい気分になる人はあんまりいないだろう。いるとすれば特殊な性癖の持ち主とか?
さて、あの事件の前にも、AKBメンバーが恋愛禁止ルールをやぶったことで騒ぎになったケースはあった。
この頃すでに、恋愛禁止ルールってなんだよ気持ち悪い、くらいの気分は私の中に存在した。
それと、人間同士を競わせて戦わせ、それを見物して楽しむという構造は、古代ローマ帝国時代のコロッセウムを彷彿とさせる(さすがに殺し合いさせるのとはわけが違うけれど)。まったくもって気分が悪い。
こんなことを言うと、「彼女らは自ら望んでやっているんだ。だから奴隷とは違う」と反論されそうだし、確かにそうだなとも思う。
でもどうして、彼女らはあんな厳しい環境下で競い合う道を選んだのか。
以前テレビで有名な脳科学者だったか心理学者だったかが、「人間はもともと競争するのが好きなのだ」と言っていた。つまり本能的に競争したいから、と言うことはできそうだ。少々乱暴かもしれないが。
見渡せば、世の中競争だらけだ。受験、就職は言わずもがな。メシを食うためモテるため、人々は競争し続けている。
現在私は結婚し、専業主婦(というかほとんどニートに近い。子どもはいない)生活を送っているので、競争からはほとんど降りている。しかし競争から完全に切り離されているわけではない。
まず、夫は世に出て働いている。働くことと競争はほとんどイコールだ(競争とは無縁と思われがちなかつての私の職場でさえ、そうだった)。働いて疲れて帰ってくる夫を支える必要がある(現実にはほとんどそれができていないというのがヘタレな私の現状なのだけれど)。
私が日々享受しているエンターテイメント(マンガ、小説、アニメ、ゲームetc.)は大抵、競争の中で勝ち残ってから私の元へやってくる。
エンターテイメントに限らず、日々消費しているモノにはやはり何らかの競争が関わっている。「どこよりも安い」「売り上げNO.1」といったキャッチフレーズを添えられて。まあそういったキャッチフレーズがついてなくても、モノを売る人間の競争力が関わっていることは間違いない。
そういうわけで、生きている限り、競争とは無縁でいられない。
自給自足の生活でもできれば話は変わってくるけれど、脆弱な私にそんなハードな生活はできそうもない。ていうかできない。
studygiftの時は擁護する人もいた。はてな・2chでは総バッシング状態だったが実名界隈(Facebookとか)では「細かい事はよくわからないけど若者が頑張ってるんだから応援しよう」みたいな感じでオッサン連中が結構擁護してた。
ただ今回の「震災を利用してのしあがっちゃいました(笑)」「日の丸あざーっす(笑)」発言は今の日本人にとっては到底受け入れられない発言。オフレコならともかくwebで公開ってのはもう絶句を通り越して失語症を煩ってしまいそうになるレベルだよ。
二人の人生は終わった。お前らに明日は無い。まさにボニーとクライド。ヨシナガは日の丸系通信会社にお勤めのようだが、twitterでポロっとこぼした社員の失言程度ならともかく有料メルマガでの発言となればこれはもう会社として色々と面倒なことになるんじゃないの?社員のプライベートでの言動に雇い主が責任を負うべきかどうかについては様々な議論があるだろうが、ヨシナガは普通の一般社員ではない。金取って有料メルマガ発行したり、書籍だって何冊も出してる。そういう社員の発言を企業がどこまで責任を取るべきだろうか。
いずれにせよ、この二人は2012年を生きる日本人にとって最もかき乱されたく無い心の奥底の脆弱な部分を踏みにじった。お前らはもう終わりだ。日本に住むべき場所など無い。出て行け日本から。ネット世論の悪い所は燃え上がるのは早いが鎮火するのも早いところで、studygiftの時も結局あやふやなまま追求の手は緩んで結局風化しちゃったけどな、今回のは絶対に風化させないぞ。
ゲスいことをしてのし上がった輩がいても世界一成熟したこの日本社会は必ずやその輩に鉄槌を下す。司法が裁けないならば俺たちネット民が裁く。中途半端はやめよう、とにかく最後までやってやろうじゃん。今オレは一体感を感じている。webサービスの垣根を越えた、今までにない一体感を。ネットの画面の向こうには沢山の仲間がいる。はてな、2ch、twitter、mixi。決して一人じゃない。信じよう。そしてともに戦おう。工作員や邪魔は入るだろうけど、絶対に流されるなよ。正義は勝つ。腐れカップルに正義の鉄槌を!
住んでいるアパートを引っ越すことにした。
物件を探すとき懸案になったのが、自分が既に大型二輪を一台所有していて、手放すことなど考えられなかったこと。首都圏で、賃貸で、バイク駐輪可能という物件は意外と少ない。バイク駐輪可で掲載されていても実は原付のみ可、という物件もあるし、バイク駐輪可でも実際に物件を見てみると物理的に停めるスペースがなかったりということもある。
あるバイク駐輪可の物件を見た。そこは不動産屋の話では、特に駐輪するバイクの管理はしていないが、皆バイクを駐輪場に自由に置いているという話で、実際バイクも多数置かれていた。バイク駐輪料が別に必要な物件も多い中で、バイクの買い増しも考えている自分としてはフリーにバイクを置ける物件は魅力だったし、その他部屋の条件なども自分にあっていたのでそこに契約することにした。引越しの手配なども行って、物件のクリーニングなど準備も進み、荷造りもぼちぼち始めている中、不動産屋に賃貸契約を結びにいったら、不動産の担当氏曰く、
「来月以降の契約者はバイク駐輪不可になった、あなたは今月契約なのでギリギリ大丈夫だった。買い増しについては別途不動産管理会社に相談して欲しい」
とのことだった。引越しが半月後に迫っている今、新たに部屋を捜し直す余裕も気力もなく、まあとにかく一台置けるならいいかと思いその部屋に契約した。
まあ結局、賃貸物件に関しては貸し手の提示する契約内容次第だ。あるいは、なにかオートバイについて近所から苦情でもあったのかもしれないし、単に台数が増え過ぎたのでこれ以上増やさないということなのかもしれない。しかし、仮にも自動車(二輪の軽自動車、または軽二輪だ)であるオートバイの駐輪について、あまりにもバイク乗りの立場は脆弱じゃないかと思ったのだ。今のアパートでも、バイクは「アパートの駐車場としてのスペースに間借りして置かせてもらっている」状態なのだ。もちろん、車庫証明が必要で公的に管理されている四輪の自動車とはまた違ったところがあるだろう。にしても。賃貸物件の駐輪スペースだけではなく、たとえば市街地の駐輪スペースにしても、四輪と同じ料金を払うからと言って立地の良い店舗の有料駐車場に置かせてもらえることはまずないだろう。まあ、市街地の駐輪スペースについては最近の流行りのコイン駐輪場で改善の兆しはあるが、例えばツーリング先の観光地の施設や、レストランなどで、駐車場や自転車駐輪場がととのった場所でも、バイクは「駐車場だか駐輪場だかよく分からないスペース」に何となく停めることになることが多い気がする。
もちろん、バイク乗り側の問題もあるだろう。なんとなく、路上や歩道に停めてそれでよしとしていたバイク乗りが多かったつけが回っている(バイク駐輪場は金にならないという判断がされた)のかもしれないし、バイクそのものがうるさい、危険、反社会的といった目で見られていることも関係しているのじゃないかと思う。が、それにしても、なんとなく他人の気持ち次第というか、お目こぼしみたいなものでバイク生活は成り立っているのかなあと思って何となくもやもやした。
特定人物や団体を攻撃する目的ではなく、一般的にはこうではないかという意見をできるだけ冷静に綴ります
(私の中では、家入氏は商売目的では無く、純粋に善意と好奇心で始めたのではないかな という前提です)
1.坂口さんの学籍状態について:
初期段階において、読み手側に誤認させてしまうような表記があり、
その事について、本人がはっきりと自覚していなかったという主張をしている点
普通は、抹籍及びその前段階にあたり、大学側より事前・事後の通知・連絡がはっきりと学生に対して成される筈である。
坂口さんが自身の退学処分につき、自覚していなかったという主張は一般的に受け入れられるには無理が有るのではないか。
また、彼女は退学処分後も「google+で日本一になった女子大生」という売りでネット内外での活動等を行っている。
studygiftにおいても、その延長線上で「早稲田大学生」であると主張する事により
「ある種の利益を得ようとしたのではないのか」、と思われ、個人的に叩かれる大きな原因の一つになっているのではないか。
(現時点でも、google+のプロフィールを「在籍中 Waseda University」のままにしている事も、
studygiftの件で反省しているのであれば本来すぐに修正すべきで、不誠実な態度と取られる原因の一端と成り得る)
この点に関しては、彼女は当事者として、事の経緯につき再度、時系列に沿った詳細な説明をするべきではないだろうか。
2.「信頼性の担保」について:
これは大きく分けると、支援を受ける本人に関する点と、運営母体に関する点に分かれる。
1)支援を受ける本人に関する点
その人の身分・履歴・賞罰・必要額等を誰が精査し保障するのか。極端に言えば、その人は実在しているのか?
仮に身分詐称があったり、本人による金の持ち逃げ、別用途への転用等を誰が責任を持って監視し
瑕疵があった場合には誰が、どれぐらいの時間で、どのように処分するのか。
2)運営母体に関する点
万が一返金の事態になった場合に正しく全員に返金される・された事の保障はあるのか。
この点に関しては、残念ながら今回studygiftは非常に脆弱な担保しか持っていなかった様に思われる。
(支援者は勿論善意の存在であるが、運営者・非支援者迄全てを「善意である」という事をのみ以って担保とする事は
また、今回坂口さんの学籍の件でゴタゴタがあったケースを見れば、運営者側にもリスクが大きかった)
3.利用料・手数料の件について:
集金額より10%がシステム利用料として支払われる、という仕組みと
Paypal手数料表記がPaypalの決済手数料上限を2%程度越えた表記がされていた事に対して
「苦学生を救う為の学費を集めるという名目で商売をするつもりか」「細かい所で利益のごまかしを行っているのではないのか」
といった批判・疑念が少なからず起こっていた。
システム構築や保守等の費用を考えれば、1件につき大した利益は生まない(下手をすれば赤字)のかもしれないが
・通常の奨学金制度や募金行為等は非利益団体として行われるべきであるという認識
・ネット上での不特定多数を相手とした集金行為に対する一般的な警戒心
詐欺行為や集金額のごまかしを行おうと思えば、いとも簡単に行える物である点は念頭に置くべきである)
・studygiftに存在した、上記で記したような「信頼性の担保」の脆弱性を考えた上で、
他者により第2・第3のstudygiftが現れて、その内の少なからずが詐欺行為等を行うのではないかという懸念
といった世間一般的な考え方が、この点についての批判・疑念を生む原因になったと思われる。
(こういった「世間一般的な考え方」を古い、硬直していると一刀両断に切り捨てる事は簡単ではあるが
社会との共存には繋がらず、徒に先鋭化するだけではないだろうか)
この点に関しては、上記2.「信頼性の担保」にも関わる事であるが、
やはり「学生救済・学費援助の為のプラットフォーム」を名目とするならば、
こういった批判・疑念を避けるためにも、運営母体は非利益団体として活動し、
集金額と使途の透明化(外部第三者機関や法人による銀行口座の監査等)を徹底する必要が有るのではないだろうか。
純粋に、「リターンと対価」のビジネスであれば話はまた違うのかも知れないが、
今回studygiftに支援を寄せた方のその殆どは、坂口さんより提示された「リターン」に対して大きく魅力を感じたのではなく
「善意」を以って、「学費を支援しようとした」点はまず間違いでは無いと思われる。
支援や寄付といった行為が、人の心の「情」に訴えかける力を持ってしまうという事実が有る以上
「情」から生まれた支援(=金)の扱いを疎かにする事は人道上、許されない行為ではないだろうか。
今後も「学生救済・学費援助の為のプラットフォーム」という方針ですすめるのであれば
その事は決して忘れてはいけないと思う。
4.運営側の対応:
施行前に熟慮が不足していた点、批判に対する挑発的な発言については
家入氏が既に自ら非を認めている事であるので、改めて言及するまでも無いと思われるが
批判を受け始めてからの対応にはやはり不味いと思われる点がある。
・そもそも企画発案者の1人で有る筈の、吉永氏の態度
(沈黙を続け、studygiftについては有料のメルマガでのみ言及するという手段)
・サービス開始は迅速に、集金時点に於いては初期段階から頻繁に、不特定多数に広く告知しているにも関わらず
批判を受け始めてからは、公式アナウンスの頻度と範囲が限定された。
(途中経過を含めて、支援を実際に行った当事者のみを対象とし、
それ以外を無関係な部外者として、情報の開示を行わないような方式は
ビジネスの集客時点では不特定多数に無差別に広く告知する方法から、まず始まる事を考えると
「もしかしたら当事者(受益者・被害者)」に成り得たかもしれない大多数 に対しても情報の開示を行う事が
誠実さの有る行動と言えるのではないだろうか。)
上記の点が、沈黙により事態の風化を狙っているのではないか・金の問題も有耶無耶にするのではないか
という不信感を煽ったのではないかと思われる。
最後に:
ネット上ではよく「金を出す側は好きで出しているのだから好きにさせておけ」「騙される奴が悪いのだから放っておけ」
という自己責任論的な発言を見受けるが、
「はてなー」には結構高学歴が多い(らしい)ので、増田内に東大OBがいること期待してカキコ。
「東大OBネット、という東大限定SNSがある」と書かれていたので、試しに登録してみた。
意外に簡単に登録できるが、あれ「成りすまし登録」も可能なんじゃないか?
建て付けとしては、
「学士会が定期的にパトロールして、名簿突合して、名簿にない登録を削除する」らしいが、
こういうパトロールって、せいぜい1ヶ月に1回程度でしょ?
「パトロールが来るまで、東大生成りすましが内部をある程度閲覧できる」って、
それは兎も角、この「東大OBネット」って、コミュニティの活動って、活発なのか?
どうも、SNS立ち上がった2005年頃にいくつかのコミュニティー出来たが、
あと、気のせいかもしれないが、年配(60代以上?)と現役生ないし社会人成り立てが多い気がする。
2005年に「現役学生と、学士会メンバーに対して告知」していたかららしい。
なので、働き盛りの30代40代って、あまり「東大OBネット」に来ていないんじゃ」・・・
「東大OBネットに入っている」という増田がいたら、その辺の実情教えてキボンヌ。
「議論を戦わせたい」
さらには邪心として
「シンクタンクや政治系の人と交流して、自分のさまざまな妄想、もとい政策構想案を
多少なりとも世の中にフィードバックさせたい」という思いもあったから。
いろいろと自分のブログで各種政策を書いているが、所詮影響力には限界もある。
なので、東大ネットで、「政策好き」を見つけられないかなあ、と思っている。
※フェイスブックで議論してもいいのかもしれないが、
今日は父方の祖父の命日です。
喪の作業が
全く進んでいないのだなぁと
痛感しました。
当時を回想してみて
改めて思った。
まだ、否認の段階、なのだと
☆
どうでもいいことは抜け落ちるけど
大事な特定のことははっきりと覚えている。
いや、大事なことがいつ起きても保存して置けるように
日常のどうでもいいことは抜け落ちていくように
設計されているのかもしれない。
9年前の2月7日、
そこそこ気にしていた朝を覚えているし
GLAYが「いつか」を歌っていた。
いつも一緒に部活の帰りを共にしている3人のうち、
Sくんはデートか何かが一緒に帰らずに
3人で自転車を漕いで帰った事も覚えている。
その帰り道、
いつもどおり部活をして夜にちょっと集まってゲームをしようという
約束をしていた。
そして、帰り、死去の話を一通り聴いたあと
楽しく興じていた。
不思議なくらいに、いつもどおりの楽しさがあったことを
覚えている。
今になって思えば、脆弱な心を保つための
躁的防衛だったのだと理解できるが
☆
もともとの高血圧だったこともあるだろうが
倒れてしまったとの事だった。
律儀で真面目な人だった。
そして、真面目さを強さとして昇華させている人だった。
他人を疲れさせるだけ。
なぜなら、柔軟性がなくて頑固なだけだから。
真面目な人と一緒の空間に居たら安らげないでしょ?
それでも、じいちゃんの真面目さは
圧倒的に優しさと強さを持っている真面目さだった。
多分に美化をしている可能性もあるが…。
☆
ただ、当日のことは克明に覚えているのだが
それからのこと、たとえば
どうしても思い出すことが出来ない。
いや、覚えているんだけど、
すごく限定的。たとえば、自分がどこに居たのかは
覚えているがそこで何をして何を話して何を行動したのかは
全く覚えていない、
それに当時の場面を思い返したときに主人公の視点で世界を捕らえていないことに
気づく。
「自分が居る空間を上から自分が観覧している」というイメージでの
自分から見た世界じゃなくて、自分がその場全体を見ている感じ。
これも離人とか解離とかっていう一種の
心的防衛なのだと、今になると思う。
そう考えると
当然のことなのかもしれない。
だって、意識は自分を上から見ている自分が持っていてしまっているのだから。
☆
どれだけ
「大切な人には伝えられるうちに愛しているって伝えろ」みたいな
ご高説をたれられても、やっぱり人間は
愛してるって伝えないんですよね。
どれだけ悲痛な別離や死別の話を聴いても
全く他人の痛みからは学べないわけです。
だとすると、できることはたったひとつ、
思いっきり後悔を背負って生きていくこと。
他人が身をもって示してくれた痛みに
耳を傾けても行動に移さなかった罰を受けるしかないのだ、と。
もしも人間が
他人の痛みから学ぶことが出来たのなら、
こんなにも悲しい物語は断続的に永続的に
津々浦々で発生するわけがない。
人間は
今を大切にすることなど出来ない。
失うまでは絶対に気づくことは出来ない。
その鞭と無能さの償いとして
後悔という消えない荷物を背負っていくしかないのだと思う。
普通の女子大生がなぜ、Google+で「日本一」になったのか - nanapi Web
真性引き篭もり: 普通の女子大生は、Google+で「日本一」になんかなっちゃいない。
他の記事もひと通り読んだので長くなるが思ったことを。
久々に様々な意見が読めて、数年前までのはてなのようで楽しかったから、感謝として。
「わたし、写真が大好きだと思われてるんですが、嫌いですね。撮るのも、撮られるのも」
写真が嫌いで、SNSも苦手だという坂口さん。それでもGoogle+に写真をアップし続けているのは、「就活のため」だ。
大学3年生になり、就職活動を始めたが、「就活でしゃべれることがないんです。好きなこととか、何もなくて。何も好きじゃないし、何もできないから、流行ってることとか、これから“来そう”なことをやろうと。目標に向かって努力した経験や、自己PRが求められた時、なにか印象に残ることが言えたら」。
「恐怖感」という言葉で感じ取り、理解した者もいたことだろうと思う。自分になにもないような気がして焦燥感に焼かれるような時期のことを覚えている者なら。
彼女は賢い女性だ。自己分析も、目標設定の仕方も。早稲田という学歴を手にしたのはなんら不思議なことではないと思う。「意志が弱い」のに「恐怖感」で毎日朝3時50分に起床できる。これだけでも「普通」じゃない。褒められていい。好きでもなく、むしろ嫌いなことのため。けれど、将来に向けて役立つものを作るため。長所で点を稼ぐことでは行けない場所に彼女はいるのだろう。弱点を克服してこそ立つことができる場所に。
そして、就活を目前に控えても彼女はその方法論を用いて不器用に「これから“来そう”なこと」を選んだのかもしれないと感じた。この選択に自尊感情の低さを読み取ったとしても、病的と謗るのはどうだろう?彼女は自分と自分の人生に果敢に向かい合っている。安易に楽を選ぶような人ではないようだ。きっと彼女のいる場所では自分と同程度に出来がいいだけでは評価されないのだろう。だからこその課題解決と弱点克服。お前は何者だ。その問いにも、その答えにもおそらく彼女は気がついている。
彼女は結果を出した。Google+とInstagramということを差し引いても称えられていいのではないだろうか。確かにそれは誰にもできそうな話だ。お手軽で浅薄にも思える。パソコンとiPhoneがあればできる。インターネットは「自分だって」という幻想をもたらすツールだ。ユーザが少ないから、顔が綺麗だったから、学歴があったからということは自分も思った。嗚呼、またカモネギか、と。けれど、そういう一面もあったとしても彼女の努力は称えられていい。それがどんなやり方であろうとも自らに欠けているものを獲得しようとしている者の痛ましい努力を。壊れたiPhoneに感じるものはないだろうか?もしかしたら、壊れていたのは彼女だったのかもしれないとさえ自分には思えた。
事実、元記事にはこうも書いてある。
「1日1枚はInstagramに上げないと、というノルマに対する恐怖感で起きています。写真を1枚逃したら、私は何もない元の自分に戻っちゃう」
何もないわけがない。そんなに綺麗じゃないか。そんなに有名な大学にいるじゃないか。Google+で一位じゃないか。
ここで大事なのは“彼女にとって”は「何もない」ということだ。Google+を取ったら、彼女のいる環境では普通(以下含め)に埋没する。その恐怖感たるや如何ばかりだろうと考える。自分は自分だろなどと励まされても、“彼女には”そうじゃない。それに「何も好きじゃないし、何もできない」ということは本当に苦しいことだ。それだけ頭が良ければなんて言ってはいけない。彼女以外の者が自分のいる場所から考え言葉を発するのなら、彼女だってそうしていい。なによりも、なにもないという自分との対峙は大学生らしくまっとうな悩みではないだろうか?むしろそこに一度撓んで伸びようとする魂を感じはしないだろうか?
なにもない自分と向かい合うのは力のいる作業だ。彼女はいま奈落と向き合っているところなのかもしれない。それはこれからも時間をかけてやっていくことになる作業だろう。途中で転職や結婚や出産という転機にだって出会うことだろう。そしてそのたび自問自答しつつ、誠実にひとつずつ向き合っていくように感じた。そう信じたい。
「気持ち悪い」と思っていた一眼レフカメラも、最近は欲しくなってきた。「iPhoneのカメラには限界がある。誰かに伝えたいと思うような美しい景色が思うように撮れない時は、ちゃんといいカメラで撮りたいなと」
「気持ち悪いと思っていた一眼レフカメラ」「誰かに伝えたいと思うような」この言葉も印象的だ。
関心や興味は良いものとされがちだが、あまりに強い関心というものは異様に映る。強すぎる情熱を持って自分には興味のないことを続けている者を見かけたとき、つい引いてしまったことはないだろうか。それに、物事への関心が薄い者はネットでは目立たない。彼や彼女の発する情報はあまり役に立たないからだ。そもそもネットに現れないことの方が多いのだろう。語ることがないから。伝えたいことがないから。なぜそんなことをする必要があるのかわからない。ネットと接してきた時間が長い者と彼女のような伝えることのないタイプは互いに異形の者。でも、彼女はネットを選んだ。
何かを伝えたいと思うようなことがなかった女子大生がインターネットで「伝えたい」方向に気持ちが動いた。この先「やっぱりカメラは気持ち悪い」と思うことになっても、ここに自発性や意欲の萌芽を読み取ることはできないだろうか?
彼女は「好き」を獲得し忘れてしまったのか、どこかに置き忘れてしまったのだろう。だからこそ傾向と対策を練り、「型」の反復から入って習得しなければならなかった。そして、恐ろしいまでの勤勉さで、本来は好きというだけで心理的報酬が発生する行為を、他者からの称賛という報酬で自分の中に意欲として還元し定着させつつある。このことがいつか他者からの称賛という報酬がなくても行為自体が報酬をもたらすようなものとして彼女の中に育っていくといいと願う。考えてみて欲しい。多くのひとはもう記憶もないような幼い頃に獲得したか、考えずとも手にしているものを彼女は二十歳を超えてから獲得しようとしているのだ。野暮なことは言わず、讃え見守りたいと思う。もしよかったらあなたもボタンを押し、気が向けばなにかコメントするだけの簡単なお仕事をしてみてはどうだろうか。翼を広げ飛翔する彼女を目にすることができるかもしれない。それはインターネットから翔び立つことかもしれないけれど。
岡田有花という方を自分はよく知らない。しかし、この取材はきっと彼女も困ったのではないかと感じた。岡田氏は「写真大好き」な女子大生と出会うはずではなかったのだろうか?意外な言葉に戸惑ったのは彼女も同じだったのではないか?確かに記事の内容はありがち。わかりやすい良い話にしたかったのだろう。しかし、穿った見方をすればこの方は自分がネットで付与された(と思しき)物語を坂口さんにも着せようとしているような気がしてならない。「普通の女子大生」なんて表現は彼女が京大でなければ出て来なかった言葉ではないのか。また、彼女は一度自らに問うてみるといいと思う。自分が向けられた男性からの視点を内面化していないかどうかを。こうすればネットでは受ける視点が男性目線からのものであるのなら、あざといパッケージは文章を安くする。
そしてこのありがちな文章に対してのカウンターである『普通の女子大生は、Google+で「日本一」になんかなっちゃいない。』があまりに凄すぎた。素晴らしすぎた。誰もが薄々感づいていて言葉にしなかったことを暴いてしまった。それぞれの方がそれぞれの部分に喝采を贈ったのであろうが、自分は次の部分だった。
3年以上前からブログを書いている女性を、思い出せるだけ思い出してみてほしい。全員ぶさいくである。1人の美女もいない。美しさの欠片も無い。顔も醜い。心も醜い。そういう人達ばかりである。不平不満とくだらない馴れ合いをはき出して、だらだらいきている醜い人ばかりである。1人として美女はいない。もちろんの事、美男もいない。美しさは消えるのである。インターネットから消えるのである。時間と共に消えるのである。美しい者は、インターネットを捨て、廃棄し、跡を濁さず消えて行くのである。インターネットという地獄では、醜い者だけが生き残るのだ。そういう風に出来ているのだ。
すべてとは言わないがそう思う。自分にとってこの「美しさ」に儚さや弱さも含みたい。多分、ある種の脆弱さという美しさを持った彼や彼女たちはインターネットからも弾かれる。長くネットに表現を置くことができる者は強者であると言ってもいいと自分は思う。
だから思い出して欲しい。「ワンチャンあるかも」ということがどれだけ美しい者たちを潰してきたかを。
女性に「クン」とつける中高年男性向け雑誌のように「タン」などと語尾につけてキャラ化し、持ち上げるだけ持ち上げてコンテンツとして消費し、そして次の対象へと関心を移す。そのとき、賢く、美しく、センスのあり、慎ましやかな者を選んでいたのは他ならぬ「ワンチャンあるかも」という者ではなかったのだろうか?そういう者たちが結局美しい者を淘汰していってしまう。残るのはマシュマロの中に鉛が入ったような女性だけである。「私の名ならば女。それ以上でも以下でもない」と賢い女なら気づく。そして鎧を身につけるか、鉛を飲むか、逃げるかしていく。また、当然の如く逆もある。どちらかだけが捕食者とは限らない。女というだけで入れ喰いならフォトショ覚えるくらい安いものだ。これを楽しめるのもまた人間としてのある種の強さとこじつけてもいいのかもしれない。
男の敵も女の敵もお互いとは限らない。いつの間にやら話の流れは新旧ネットの流れになっているらしいがそれも含めて自分が感じ取ることをどんなゲームにしてもいいし、そんなものはないと木で鼻をくくったように言ってもいい。それが自分の考えだと感じるならそこから行くしかない。そして、それが違うからこそ人と出会うのは面白い。
最後に、個人的にはネットで多数と繋がりたくはないと考えていることについて。
Twitterが普及してからある種の文章をあまり見かけなくなったように感じている。エッジの効いた、ヒリヒリするような、血の滴るような文章を。嫌だったひともいるのだろうが、自分はああしたごりごりとした長文が読みたくてネットを見始めたクチだから大変残念だ。その一因はネガコメとかあの辺もあったんだろうなと思う一方で、ブログならば見えない読者を一人失うだけだったのがTwitterと連動させたことで明確に誰から拒否され関係が切れたのかがわかるからではないのかとも考えていた。それが罰のようなものとして認識されているのではないだろうかと。人間関係の煩わしさがネットに持ち込まれることで混沌と表現と情報は薄まっていく。ネットを現実と重ねていく流れがあるのならば空気を読むのは当然のことだ。日常の罪をネットで告白することの意味に気づかない者たちが晒される見せしめのショーも連日開催中だ。自宅、職場、学校まで晒される。あまりにリスキー。お利口でいい子になっていくのは必然だろう。誰かが自分に関心を向けてくれたときのあの興奮を一度でも味わったことがある者ならば。好かれたい、愛されたい、褒められたい、繋がりたいと願うのならば。
旧世代と誰かを括って責任押し付けるのは簡単だ。若いってそういうことだ。けど次はお前の番だ、お若いの。この流れの先に待っているのがパノプティコンでも向かいの囚人に片目を瞑ってみせようじゃないか。
真実が明らかになって「やっぱりそうだと思ったんだ」と、あとで記憶をすりかえないために。
ちゃんと答え合わせをできるようにするためにここに答案を記す。(FAの件は後回しにして、3社買収問題のみの回答)
問1.オリンパスの過剰な3社の見積もりについて、会社側の真意を答えよ
答案1.
①実際は05年以前から、長期にわたって収益の水増し計上を行なっていた。(※背景には同社の脆弱な財務体質?)
③架空の現預金項目が数百億のレベルにまで膨れ上がり、明らかに不自然になってしまった。
④膿を出すため、06年5月から08年4月にかけてボロクズ会社3社を総額730億円で買収する、ということにする。(※リリースすら出さず、こっそりとやる)
⑤架空買収で生じた巨額ののれん代でもって、粉飾資産部分(現預金)をおきかえる。
⑥経営環境が悪化したということにして、巨額ののれん代をごっそりと減損する。(※この時、リーマン危機が重なったのはオリンパスにとって行幸だった)
⑦帳簿上はM&Aに失敗して現預金が流出した、という形式になり、粉飾していた現預金の水増し部分が解消する。以上
以下、若干の補足説明。
・ここでの1つの焦点は、誰にカネが渡ったかではなくて実際に現金が動いていたか否かにあります。Facta(今月号)は、実際にキャッシュアウトが伴っていた前提に立ち、それがヤミ勢力に渡ったのではないかと仮説を提示しています。しかし、”ヤミ勢力”がこれだけ巨額のキャッシュをわざわざこんな大企業から受け取る必然性は薄いと考えます。経営者へのキックバック目的という仮説も同様、サラリーマン経営者が私服を肥やすには大規模すぎます。私はしたがって、現金が動いていなかったという主張を支持しています。菊川会長の一連の行動は自己の利益のためではなく、愛する自社と社員を守るために行ったものであると考えています。
・オリンパスに勤める私の弟によれば、一般社員には何一つ情報は伝わってきておらず、社内でうわさ話をすることすらタブーになっているそうです(オリンパスには伝統的に”告げ口文化”と言うのがあるため、社員がヘタに論評をすると誰かに告げ口される危険性がある)。しかし私の答案が正しいとすれば、経営陣だけでなくオリンパスの財務・経理社員もこの粉飾に加担していることになります。そうなれば組織ぐるみということになり、社会的非難・制裁の声はさらに高まってくると予想されます。
当局による回答はおそらく数週間後、以下の空欄に記載する予定。
答1.
。
http://twitter.com/#!/zaway/status/127774939330772993
もしかして見てるかな
まぁ、それはいいや
知りあって数年の異性と約束をした
あちらには「居てくれること、傷付けない事、受け入れる事」を
こちらは「自身を相手の一部とすること、自我を与えること、依存を受け入れること」を
こうして文字にすると、その異常がより際立つ
人に言わせれば「気持ち悪い」の一言で一蹴されるような、おそらく汚い関係
青年期におけるアイデンティティの確立と拡散の発達課題に支障が出ている
ここで躓くということは、きっと以前の発達段階に積み残しがあるんだろう
せいぜいが、基本的信頼と不信の乳幼児期だろうが
話を一般の方に帰納する
相手の存在に自分の存在意義を委ねていない人がどれだけいるだろうか
「あなたのために~~」とキャラクターに言わせれば美談になるくせに
病的とさえ言われる
その時の恋人や伴侶の必要性とは何だろうか
社会的ステータスか、生殖のための遺伝子供給装置か、共同育成者か
感情の含まれない、役割と機能のみの道具の為が自然と思うのだろうか
自立していない、人間として終わっている、理性持つ存在として堕落しきった姿勢だ
別に理性を廃せよと言いたいのではない
「否定するな」と行動の制限をしたいわけでもない
ただ単純に、誰もが発達課題をきちんと積めるわけではないと言いたい
隙間の開いたジェンガのように、まばらでふらふらと安定しない存在でも、不安になりながら生きている
積み残しを補完するには、その上に積んだものも積み直しを迫られる
それは、きっと苦痛だ
それが出来ないから、他のジェンガに寄りかかって、集まって、倒れにくくする
きっとそれは、恋人や伴侶の話に限ったことではないだろう
きっと寄りかかり合って積んでいく
隙間一つ無いジャンガなら、そんな必要もないだろうが
だから、あらゆる関係において「依存」という形容詞が適応されるだろう
きっと本来は、依存は「良悪」で判断されるべきで「善悪」で判断されるべきでは無いんだろうな
演繹する
自分と相手には、それが必要だった
大きな依存を結ぶ必要が
そうでなければ、ジャンガを全て崩す他なかったのだ
初めから積まなければいいのだ
崩してしまえば、崩れることはない
それは、自殺だ
こんなチラ裏みたいなところに書くぐらいなら、はてなアイデアに投稿するか、直接メールするか、他社サービスに乗り換えるか、はてなに就職しろって話なんだろうけど、はてなアイデアは不具合の修正以外はまともに採用されることが殆ど無いし、直接メールは単なるクレーマー扱いされて終わり。はてなに就職は居住地域とスキルの問題で無理っぽい。他社サービス乗り換えはSBMというサービスの性質上、どうしてもユーザーが多いほうが情報が集まりやすいので(ほとんどがゴミだとしても)問題の根本解決にはならない。というわけで、ここに落書きする。
現在はてなブックマークでは設定できるカテゴリが8種類、社会や政治経済から、サブカル系の「おもしろ」まであるが、R-18カテゴリがない。表向きは規約で「不適切なブックマークは削除する」となってるが、一日何千件もあるブックマークから「不適切」を探しだして削除するなんて無理に決まってるし、削除される頃にはホッテントリになって衆目にさらされることになる。表向きエロ禁止のニコニコ動画ですらR-18のカテゴリタグでゾーニングしているというのに、はてなは何年もこの状態を放置している。エロ画像のまとめスレなんてゾーニングすべきだし、技術的にも不可能なわけでもないのに。
はてブにはブックマーク先のページから画像を引用してくる機能があるが、これも機械的に引用してくるため明らかに不適切な引用がみられる。例えばニュースサイトで他のニュースへのリンクのための画像を拾ってきたり、バナー広告画像を広ってくる場合もある。更に最初に上げたエロの問題では、明らかに閲覧注意のエログロ画像を拾ってくる場合もある。画像の判定なんて技術的に困難だろうから、せめて画像非表示をオプションで用意してくれてればいいのだがそれもやらない。俺はあまりにも不愉快だったので、ユーザースタイルシートで消したが、はっきり言って初心者(中級者にも?)対処が難しい。
はてブにはコメントが不愉快なIDを非表示にする機能があるが、コメントやID名が非表示になってもタグだけは表示されたままである。本来のタグクラウド的なものなら別になんともないが、非表示になるようなユーザーは大抵タグもおかしい。タグで特定の組織や人物へのネガキャンをやっていたり、タグで誹謗中傷のような事を書いている。これも技術的に不可能とは思えないが、何年も放置されている。これもユーザースタイルシートなりグリモンなりを使えばいいのだろうが、中級から下のユーザーには無理だ。
SBMの性質上、どうしてもノイズ的なブックマークや見たくないページ・キーワードも目に入ってしまう。例えば2chまとめサイトや産経msn、ネトウヨ/ネトサヨのブログなどがホッテントリになることが多い。正直なところタイトルを見ただけでうんざりすることも多いので非表示にしたいのだが、そのようなオプションはない。これもグリモンで対処するしか無いのだが、こんなの標準とは言わなくてもせてめ有料ユーザー向けのオプションとかでつけるべきじゃない?ニコ動にだってNGワード機能はあるんだから。
はてなスターははてブ大喜利のための座布団で一番の売りの機能なのだが、これもいろいろおかしい。一人で10個も20個も連打する奴もいるし、非表示ユーザーからも送られてくる。非表示ユーザーからのスターなんて不愉快なのだが現状拒否することはできない。
まずはてなはすべてのサービスにおいて非常にSPAMに対して脆弱。はてなダイアリーはそうでもないが、はてなハイクはほとんどSPAM対策なんかされていない。さらに規約違反報告フォームも何処にあるのかわかりにくい。はてブには一応規約違反フォームへのリンクがあるが、これって機能してるんだろうか?。何回かSPAM報告をしてるんだが全然対処されたことがない。断っておくが別に俺が気に入らないからSPAM扱いしているわけではなく、明らかにSEO用のリンクページへのブックマークや、複数アカウントの不正使用っぽいものを報告しているのだが全然対処されたことがない。
また、はてなにはサブアカウント機能があるがこれも悪用しようと思えばいくらでも悪用できる。5件ぐらいサブ垢でブックマークすればトップの新着には載るので、botなんかを使えば簡単にホッテントリを偽造できる。
以上の点から初心者やビジネスユーザーには非常に不向き。だってエロ画像とかネトウヨ/ネトサヨの演説とかが転がってて、2chまとめサイトや産経msnばかりがホッテントリになっていて、SPAMもいっぱい上がってるSBMを仕事で使える?そんなの自分の母親に勧められる?俺はすすめられないし、仕事ではGoogleブックマークを使ってる。
近藤淳也氏は「自分の家族や友人に安心して進められるサービス」を標榜しておられるようだけど、今のはてなブックマークはとてもじゃないがそんなサービスではない。ギークやネット原住民(笑)相手に商売するならいいんだろうけど。ニコ動だって最初は2chにいるようなネット原住民(笑)を相手にしてたけど、今はアメーバやGreeにいるような人も相手にするようになった。まあ、ニコ動はニコ動で違う問題があるけれど。
ここで「いやなら使うな」というマジックワードが登場しそうだが、別に嫌なんじゃなくて改善してほしいのだ。しかし最近のはてブの仕様変更といえば新着人気ブコメの表示とかなんか斜め上の方向の仕様変更ばかりだ。
いやーほんとはねー
言葉は通じてるんだよ。
ビジネスもいくらでもあるし。
昔、絵画や芸術が担ってたものって今はオタク業界が担ってるからね。これはマジだよ。
だから現代って、芸術家なんてものは浮かばれない世の中なのよ。
「だから商業ベースの上で月ごとのお給料もらうデザイナーになりなさい」
って美大生なんかは何度も言われてる筈なのにそれでも芸術家を選ぶ以上、
自己責任だけどね。
彼等はー、
そう思ってるって言うだけなら別にカオスラウンジだけじゃないんだよ。
カオスラウンジはたまたまうまくいって、調子こいてやりすぎてただけで、ああいうのがあいつらだけなわけじゃない。
「我々はお前らより上層である。
我々のやってることに不満や嫌悪を抱くならそれはお前らが高尚な芸術を理解できていないからであり
お前らが我々を理解できるレベルになれば解決する。」
みたいな態度しか取れない。
「何でお前人の描いた絵持ってくの、自分で描けよ」
「いや俺あんま絵上手くないし、全部自力で描いた絵が注目されなかったんだよ」
なんて会話をしないといけなくなる。
だから、オタクと同じ言葉を喋れても、アート語だけを喋るわけ。
通じてしまったら
オタク界から盗んだものはオタク界のルールに従って返さなきゃいけないし
「たいした絵がかけない〇沢君」として、オタクの階層に(それも中間より下のほうに)組み込まれて終わりになってしまう。
それじゃ嫌なんだよ、