2013-02-14

競争せずにはいられない人間の性(書こうと思ったきっかけがAKB

 AKB48のことは、もともと別に好きでも嫌いでもなく、しかしそれなりに好奇の視線を向けてはいた。

 ところがだんだん気持ち悪さを感じることが多くなってきた。

 彼女らに対してというよりはそのシステムやファンの存り方や、そのファンの言動をいちいち取り上げてバカにする声に対して。

 それでもまあ、そんなもの2ちゃんまとめブログを読まなくなったことでだいぶ避けることができるようになっていた。

 しかしどうしてもスルーできない事件が起きてしまった。あの丸刈り事件だ。

 その話題を聞いて、ネットにアップされた丸刈り女性が泣いて謝る姿を見たとき、とにかく不快な気分や怒りを禁じえない状態に陥った。

 ひととおり怒って気持ちが落ち着いてから、今後しばらくは極力AKBの話題をネットなどで見ないように、発言もしないように気をつけようと心に決めた。精神衛生上よくないから。

 ところがそうは問屋がおろさないのが現実というもので、翌日には、丸刈り状態で仲間と微笑む彼女画像とそれを見た誰かの「全然反省してないじゃんw」というコメントが目に飛び込んできて、やっぱりイライラしてしまった。

 どうしても情報を避けきれないのだ。それくらい衝撃的な事件だった。

 本当に嫌なら見なきゃいいし、ネット接続しなければいいんだけども。結局私が自らの好奇心に負けてしまっているのだろう。

 丸刈り事件のとき、何を不快に思い、何に対して怒りを感じたか説明しようと思ったけど、いろんな負の感情が押し寄せてきて頭が混乱するのでやめておく。

 まあ、あの動画を見て楽しい気分になる人はあんまりいないだろう。いるとすれば特殊な性癖の持ち主とか?

 さて、あの事件の前にも、AKBメンバー恋愛禁止ルールをやぶったことで騒ぎになったケースはあった。

 この頃すでに、恋愛禁止ルールってなんだよ気持ち悪い、くらいの気分は私の中に存在した。

 それと、人間同士を競わせて戦わせ、それを見物して楽しむという構造は、古代ローマ帝国時代のコロッセウムを彷彿とさせる(さすがに殺し合いさせるのとはわけが違うけれど)。まったくもって気分が悪い。

 

 こんなことを言うと、「彼女らは自ら望んでやっているんだ。だから奴隷とは違う」と反論されそうだし、確かにそうだなとも思う。

 でもどうして、彼女らはあんな厳しい環境下で競い合う道を選んだのか。

 以前テレビで有名な脳科学者だったか心理学者だったかが、「人間はもともと競争するのが好きなのだ」と言っていた。つまり本能的に競争したいから、と言うことはできそうだ。少々乱暴かもしれないが。

 

 見渡せば、世の中競争だらけだ。受験就職言わずもがな。メシを食うためモテるため、人々は競争し続けている。

 現在私は結婚し、専業主婦(というかほとんどニートに近い。子どもはいない)生活を送っているので、競争からほとんど降りている。しか競争から完全に切り離されているわけではない。

 まず、夫は世に出て働いている。働くことと競争ほとんどイコールだ(競争とは無縁と思われがちなかつての私の職場でさえ、そうだった)。働いて疲れて帰ってくる夫を支える必要がある(現実にはほとんどそれができていないというのがヘタレな私の現状なのだけれど)。

 私が日々享受しているエンターテイメントマンガ小説アニメゲームetc.)は大抵、競争の中で勝ち残ってから私の元へやってくる。

 エンターテイメントに限らず、日々消費しているモノにはやはり何らかの競争が関わっている。「どこよりも安い」「売り上げNO.1」といったキャッチフレーズを添えられて。まあそういったキャッチフレーズがついてなくても、モノを売る人間競争力が関わっていることは間違いない。

 そういうわけで、生きている限り、競争とは無縁でいられない。

 自給自足生活でもできれば話は変わってくるけれど、脆弱な私にそんなハード生活はできそうもない。ていうかできない。

 もう、競争なんてしたくないし、競争しているところを見たくもないのに。

 完全に競争から離れることができるのは、死ぬときなのだろう。

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