そうなの?よくわからないけど、どうして?
でしょ!!
家の苗字と猫の名前と電話番号が記された首輪は、契約のしるしみたいなものだと思っていた。
契約内容は、こんな感じ。
わたしたち家族は、猫に対し適切な居住空間とご飯と愛情を提供すること。期限は、神様の定める時間まで。
猫は、同じ家に住んでくれればいい。期限は、神様の定める時間まで。
昨日の朝、よろよろとだけど歩いていて、母にいつにないくらいかわいい声で「にゃん」と言ったらしい。
そのあと、わたしが起きてきたときは、ちょっと歩いては床の上にじっと伏せっていた。
寒くないのかなと思っていたら、よろよろとコタツにかけてある布団のうえにたどりついて、横になっていた。
そこから何度か起き上がろうとして、なんとか前脚と頭は起こしたけれど
立ち上がることは出来なくて、パタっとまた横たってしまった。
そして、それから2時間もしないうちに、変なセキみたいなのを小さく何度かして脚をちょっと動かしたのを最期に
もう二度と動かなくなってしまった。
猫の体を拭きおわって、母が「首輪をはずしてやろう」というので、はずした。
猫をかわいがっていた、ジジババが迎えにくるといいなと思った。
インターネットで見たような、ペット葬儀トラブルが頭をよぎったけど、そんな心配は無用だった。
お別れ前に、なでた体は、当たり前だけど冷たくて、やっぱり死んだんだなと思った。
肉球も冷たくなっていたけど、ぷにぷにしていて、まだその感触を思い出せる。
家に猫がきたのは、高校に入学した年。そんなわたしも今は、結婚して隣の県に住んでいるんだけど
夫が数日家をあける予定だったので、たまたま実家に帰っていたこと。
父は、とくに予定がなかったからいいとして、母は予定があったんだけど
たまたま前日お風呂で椅子に座りそこねて、たいしたことはないものの
予定をキャンセルして家にいたこと。
たまたまかもしれないし、自己満足かもしれないけど、家族で見送ることができてよかった。
らんまの隙間から出てきたり、ふすまをサッと開けたり、ウンチはいつも埋めない、
台所に人がいるとゴハンを要求してくる、猫好きの親戚のおじさんのあぐらの上で寝たり、
ばーちゃんの股のあいだに寝たり、父の背中に乗ったり、シーチキンの缶を開けたら目をらんらんとさせたり、
なでていてゴロゴロいってると思ったら噛んでみたり、毛玉ゲロってたこととか、
他にもたくさん思い出すと悲しいんだけど、猫と暮らせた時間はすごく幸せだった。
眠くないし、ちょっと気持ちの整理に。
>でも、これはそもそも問題回避するための行動なわけだ。
>すいませんって謝って、自分が悪いことにしておけばトラブルが起きないだろうっていう。
>全部私が悪うございます。だから怒らないでください、攻撃しないでください。
ああ、そう思われてるのかぁ。
そんな思考になった覚えは全くないのだけども。
そもそも、自信たっぷりに振舞って、貴方が怒り出さないほど、私、立派な人間じゃないよ?という気持ちしかないわ。
まぁ、そんな風に思われてる可能性があるなら、変えてみる価値はあるのかな?
なんだか、すげー邪推だなぁとは思うけどさ。
かつての知り合いとどんどん疎遠になっていく。
知り合いは、サークルの後輩や先輩だったり、
それでも、数年前は何回か飲んだこともあったし、集まって遊んだこともあった。
けれど、共通の話題を持つことができなくて、
SNSにログインすることもなくなり、少しづつ疎遠になっていった。
今は、毎日会社と家の往復をして、休日は休日で家の仕事をしている。
一方、知り合いは、skypeやmixiやTwitterを見ているかぎり、
事あるごとに集まって、ゲームしたり飲んだりそれぞれ楽しく遊んでいるようだ。
正直寂しい。
かといって、いまさら話の中に加われるとは思えないし、共通の話題もない。
それに、自分の選択したことだし。
久しぶりにskypeにログインしたら、皆オフラインになっていて、
寂しくなったので書き込んでみた。
働く場所としては都内一択でしょ。他は基本的にまともな仕事ないよ。
ごく稀に例外はあるだろうけど。
あと既婚だけど、転職くらいでガタガタ言うような女を嫁にするのがありえん。
私はデザインを勉強するため上京して、にまで進んで、東京で広告代理店に就職した。
広告の仕事は東京中心だ。広告の仕事が好き。この仕事をずっと続けたい。
楽しかった。
同時に、こっちで仕事するならこの人とは結婚はできないとは感じていた。
彼も同じように感じていたようで、話し合った末結局別れた。
あー好きだけじゃ結婚できないんだなーって思った。
それでも、嫌いになってわかれたわけじゃなかったから、なんとなく好きなような
そうじゃないような気持がずっとつづいてた。
結婚式披露宴での余興の「新郎クイズ」に私は全問正解してしまった。
奥様との思い出のデートコースが「盛岡駅周辺」というのもすぐわかった。
彼が何回目かのデートで、私に石割桜を教えてくれて熱心にその説明をしてくれてたから。
食べてるようにみせてたけど、たまに大きめの輪切りはスープの上にういていた。いつもスープは飲みきるくせに。
ぜんぜん難しくないよ。余裕だよ。ばか。
私がデザインした、小さな小さな雑誌広告やイラストを気に入ってくれてて、
披露宴の席で私に「会いたかったんですー!」と笑顔でいってくれた。私に。
近々イラスト展があることを伝えたら、奥様が東京にいきたかった時期と重なっていたらしく
私が彼女を案内することになった。
そんなすぐ切り替えられるほど私はできた人じゃない。
でも、長い長い初恋がようやくおわって、
新しい友達が一人ふえそうな今。なんだかわくわくしている。
あーすごく分かる。自分もそうだった。
自尊心低いからとりあえず謝っとく、っていうものあるし、謝るたびに、自尊心が低いのを強化してるとも言える。すみませんすみません、そうやって口にだすとそのたびに、生きててすみませんていう思考が起動されるんだよね。
それと、すみません、っていうときは、それに必ず態度が伴う。すまなそうな、申し訳無さそうな態度をとらないと、別のトラバの人が言ってるみたいに「全然すまなそうに見えね―んだよ」って怒りを買うから。
すいませんすいません言ってる人生って、毎日自分が価値のない人間なんだって確認しながら、それを態度で人にも示し続ける人生なんだよね。すいません、すいません言ってると、どんどん態度も表情も、申し訳なさそうで自信の無さそうなものになっていく。
でも、これはそもそも問題回避するための行動なわけだ。すいませんって謝って、自分が悪いことにしておけばトラブルが起きないだろうっていう。全部私が悪うございます。だから怒らないでください、攻撃しないでください。
あなたの親は、そうだったかもしれない。あなたが卑屈な態度をとって負けを認めないと攻撃をやめなかったかもしれない。でも、まあ普通のひとはそうじゃないんだよね。人をコントロールして喜ぶタイプの人じゃないかぎり、すいませんすいません言われても嬉しくない。
それはわかってる、でも、他にコミュニケーションの取り方がわからない、自分はそういう状態だった。だから、すぐにすいませんっていうという習慣をちょっとだけ変えてみた。
それは「すいません」のかわりに「ありがとうございます」ということ。
本当に謝る場面ではもちろん「すいません」なんだけど、できるかぎりとりあえず「ありがとうございます」と言う。そうすると、殆どの場合、「ありがとうございます」で問題がないことが分かる。
誤りグセのひとつの理由だった、「トラブルを回避する」っていう機能も「ありがとうございます」にはある。それだけじゃない。「すいません」って言う時と「ありがとうございます」って言う時の態度や表情はぜんぜん違う。「すいません」って言うときは多分相手の顔を見ない、笑わない。でも「ありがとうございます」って言うときは、多分相手の顔を見るし、微笑むし、そうすると相手もちょっと嬉しい。まともな人って、謝られた時よりも感謝された時のほうが嬉しいんだよ。
すいませんって言うのをやめて、ありがとうって言うようになってから、すこしだけ自尊心が高くなった気がする。「すいません」、は上下関係を作るけど、「ありがとう」は対等な関係を作るんだよね。言葉が心を変えるって、あると思うよ。
どこの会社でも引く手あまたな人材は、雇用側も自社に引き留めるためにあの手この手を尽くすから、結果的に一番固定化しやすいんだよ
それはねーよ。
かと言って、謝らないと、さらに怒り出すわけだしね。
自分が気弱なのもあるだろうけど、自信を持って接すると何故か、よけいに嫌われる傾向にあるのも確か。
時々、強面な人が羨ましいと思う事もある。