中1のとき、同じクラスの中に自分に色々おせっかいを焼いてくれる女の子(以後A子とする)がいた。明るくて運動ができて
勉強ができる子だった。彼女の背中には太陽がある気がした。すごくいい子で尊敬しているし、当時のことは感謝してる。
中2に入ったか入らないときに、友達から「A子はおまえのことが好きだ」と何度も囃された。彼女が自分に声を
かける様子を見て、そう推測したんだろう。自分はそれは違うと思った。
実は自分は障害持ちで授業中など何かと困ることがあり、そういう立場だから色々世話をしてくれたと思うのだ。
「あいつは好きだからとかそういうんじゃなくて、目の届く親切な人だからそうするんであって、恋愛とかそういんじゃないよ」
そんなニュアンスで返事した。
ある日、土曜日の授業の終わった午後、弁当を食べて廊下に出て窓を見て「さぁ部活に行くか」と頭で一人心地もの思いに耽ってたら
開口一番、
廊下の向こう側にA子が自分に好意を持ってるって囃したてた当の友達がいた。後から考えるとどうも友達がA子に「○○はA子が好き」というのを
話して、話した直後、A子が自分にそれを直接確認しにきたらしい。
「ち、ちがうよ。周りがそう囃したててるだけだよ!」
あわててそう返事した。自分は運動音痴で当時いじめられていたし、彼女と釣り合いが取れないと感じていた。
とにかくA子が自分を好きなはずがない。
一方、自分の過去がどれだけ無残なことになっていたのかということが、人生に差し込んできた希望の光によって在り在りと分かるようでなんかあれ。
『アルジャーノンに花束を』のチャーリィ見たいな感じだな。
まったく同意、そして俺はもうハテブをあきらめた。
バカが増えたのはどうしようもないし、対策を打てる甲斐性も運営にはないと見た。
さようならハテブ。
野菜を切るときも、肉を切るときも、魚をさばくときも、母はその包丁一本しか使うことは無かった。
遊びに行った友だちの家の台所で調理する友だちのお母さんが使うのも文化包丁。
外で見る包丁は皆一様に文化包丁で、実家の包丁はなんだか少し違うぞと思っていた。
だからと言ってそれ以上特に考えた事も無く、私は大人になった。
本当は母と同じ菜切り包丁にしたかったのだけれど、どのお店でもメジャーなのは文化包丁なようで、だからまぁ良いかとそちらを買うことにした。
でもどうして母は菜切り包丁を使っていたのだろう。
使ってみれば文化包丁のほうが格段に使い勝手が良いのは間違いが無い。
生まれて初めて、何故なのか深く考えてみた時、ふとすっかり忘れていた小さな記憶が蘇った。
確かそれは私が10歳だかそこらの時だったと思う。
母がこっちこっちと手招きして私を呼び、洋服ダンスを開け、その奥の奥から新聞紙に包まれたモノを取り出して見せた。
「どうしてこんな所にこれがあるの」と聞くと、母は「危ないからね」とだけ言ったのだ。
そこまで思い出してハッとした。
危ないからね、の前には多分、命が、と付いていたのだ。
何故あの時気づかなかったのか、今にして思えば不思議で仕方無い。
私の父はろくでもない人間で毎晩酒に酔って暴れていた。
母の髪を鷲掴みにして振り回したり、更にヒートアップするとそこら中の物を投げてぶつけたりもした。
一番怖かったのは包丁を取り出した時で、けれど台所にあった包丁には切っ先が無かったから母が大怪我を負うことは無かった。
母はそこまで予期し、あえて切っ先のない菜切り包丁を使っていたのだとようやく思い至った。
あの新聞紙に包まれた包丁は、今でもあの場所に隠されているのだろう。
でも、では何故母はそうまでして包丁を持っていたのか。
危ないならば捨ててしまえば良い。
だって菜切り包丁だけで事足りていたのは間違い無いし、事実母があの隠された包丁を使っている姿は今までついぞ見たことも無い。
もしかすると、ここからは私の憶測にすぎないが、母はいつかそれを自分が使う日が来るかもしれないと思っていたのでは無いだろうか。
本当の意味での「防衛」の為に。
私の家は決して平和な家では無かったけれど、あの包丁が眠っている限りは少なくとも平和に見えるのだろう。
この先もあの包丁が出番無きままな事を切に願う。
結構長く付き合った3年と少し。
毎週会ってやりまくった。
そんなに好きでもなかった。
付き合いがウザくなったので別れ話切り出したら、
慰謝料払って逃げた。
慰謝料は親に出させた。
オレ。別れた後、今リア充。
それ書いたら相手がブチ切れてる。
これってどうなの?
近年は結婚したてで幸せを感じ、日常的に思っていた「あー死にたいな−」という思いがかなり無くなってきて、ああこれが幸せなのかと思う一方で、今までの家庭環境がどれだけ悲惨なものだったのかをだんだん理解してきた。
こんなに世界って明度と彩度が高いものだったっけ?というか、そういう意味で人生に光が差してきた感じなのだけど、一方、自分の過去がどれだけ無残なことになっていたのかということが、人生に差し込んできた希望の光によって在り在りと分かるようでなんかあれ。
妹曰く「おまえの心はボロボロ過ぎるから少し休め」という事なので、今まで自分に何度となく投げかけてきた「色々人生なんてこんなものだしみんな大変なのだし」という言葉では特に心というものは救われないらしいのだと、そういうことらしい。
確かに25年間悩みに悩み抜いたあげく、「この問題が解決するのは母親が死んだときしかないのだな」という結論にたどり着き、「今後一生罪悪感で夢見が悪くなるだろうけど、それでも早めに母親には亡くなって欲しい」という結論にたどり着き、いわゆるメンヘラ的な母親の人生まで責任を負えると思い続けて来た結果がこれだよ!みたいな、なんというか分からないけど配偶者がこの話を聞くととても泣いてしまう。本当に申し訳ない。一方で僕はもう「母親が亡くなるしか解決手段がない」と結論づけてしまった時点で、月並みな表現だが涙みたいなものは枯れ果ててしまったので泣けない。もちろん泣く資格もないし。
それに比べれば父親もだいぶマシだなと思っていたのだけど、配偶者に言わせるとどうやら父親もやっぱりまともではないらしく、それは「デリカシーがない」の一言では片付けられない領域にまでなっているらしい。そういう意味では、配偶者は両親に感謝した方がいいと思いましたしそう伝えましたし、僕は僕で配偶者の両親みたいな親の元に生まれたかったかもしれないかもしれないけど、そればっかりはもう、あまりに今更すぎることで、別に僕は今の自分があまり嫌いではないし、自分を好きだといってくれる配偶者もいることだしねと。ただ母親には「おまえを産んだことで芸術家になれたかもしれなかった私の人生は台無しになったんだ」と言われ続けたけれども。それでも産んでもらったことには感謝できるようにはなった。
生きつづければ生まれたことに感謝ができる日も来るのだなと思う。今まで日々日々死にたいなと思いながらも、未だ自分の命みたいなものを投げ出せず、生き抜けていることに感謝をしようかと思う。
ただ、自分の母親のメンヘラ問題、というかなり大きめな問題については、25年間かけて結局投げ出した人間が、今更何を言うかという話ではあるが。
そういう意味で、「母が自殺した」http://anond.hatelabo.jp/20111004053417 はとても人ごととは思えなかった。
・・・もう疲れたよ。
俺は一生味わうことはないんだよ。
それでも、こんな気持ち悪い俺でも、
少なくとも母親が死ぬまでは生きないと・・・なんて思って頑張ってきた。
母が先週亡くなった。
ごめんな、母ちゃん・・・。
もう俺が死んでも悲しむ人なんていないんだな。
「クンニやってないやつはみんな童貞だよ。童貞卒業は挿入じゃない、クンニ。実は一番ハードル高いよ。でも、それを克服してようやく人を好きになれるんだ。
今世間はアレルギー体質だけど、くせぇーで済ましちゃいけない。だってみんなクンニのとこから生まれてきたんだよ!クンニの使者であるといっても過言じゃない。
“ここは漁港か?”と顔を近づけなきゃ。最初のうちは、もうワーーッといくしかない。でも、ここ肝心よ。くせぇーの先にあるものを!
しかし今では気の合う友人が出来て、それなりに楽しい学校生活を送っている。
そして時が経つにつれて、恋愛ごとに関心を持つようになっていった。
友人のうち何人かは、いつの間にかクラスメイト同士で付き合うようになっていたのだが、自分が恋愛感情をもつような人は校内にはいなかった。
そもそも自分と仲の良い異性の友人は、みんな恋愛沙汰には無関心で、まともに恋愛話をしたためしがない。
それも相まって、巷でよくある「異性の友人関係から恋愛に発展する」ということが起きない状況に陥っている。
生徒数が40人ということ、「学業に支障をきたす恐れがあるので原則としてバイトは禁止」という規則があること、
詰め込み教育的なカリキュラム内容のため日常的なサークル活動は厳しくなっていること。
その上現地での人脈が少ないため合コンといった交流も開けず、逆に周りの連中も恋愛に興味がないので合コンすら誘われない(存在しない?)という。
もちろん友人の紹介も(失礼ではあるが)期待はできない。
なぁなぁに生返事で終わってしまい、こちらの真剣度がまるで伝わっていない。
とどのつまり自分が通う医療系専門学校では恋愛のできる場、要するに出会いの場が極端に少ないのが現状である。
「何のために専門学校に入っているんだ。」
と言われるかもしれない。
しかしそれだけでいいのだろうか?
中学高校はがむしゃらに部活動に打ち込んでいたため、まともな恋愛をすることができなかった自分が
新生活をはじめて気づいた「恋愛がしたい」という当たり前の感情である。
これらを両親に伝えると、「勉強も恋愛も、自分のやりたいことを精一杯やりなさい」と心から応援してくれた。
ただそれでも恋愛がしたい。
「更新します」「ネームはできてます」「でも留学中なので忙しくて更新は無理です」「来月から更新します」
twitterはつぶやいてるから死亡やWebからの断絶でもなく、
でもなあ、物語的にはいろいろと登場人物がそろってさあ盛り上がるぞってところで、4ヶ月のブランク。
正直、読者としてはがっかり。
「過去に作ったRPGをリメイクします」「サーバ代を稼ぐために先行販売します」「第一話をリメイクします」といろいろとやりたいこと、やったことはあるんだろうけど、結局いずれにも集中できず、更新がただ遅れてるだけのように感じる。
ネット上の活動でさえこれで、さらにはリアルの方でも就職活動やら、語学留学やらで忙しい模様。
「社会人より大学生活の方が忙しい」なんて普通あり得ないから。
少なくとも今までの濃厚な内容で最終話まで書けないだろう。
良かったのになあ。
怒りにまかせて勢いで思いついて書いたものだから、穴だらけなのは承知。
それはよさそう。でも、
だけでは単純すぎる気がする。
学校というのは有益な人材を輩出する機関であると同時に、エネルギーだけは持てあましているガキを閉じ込めておく施設でもある。
何も残せなかったという点で無駄だった。
で?それの何がすごいの?
そのデータは今や消えたし。
朝練だのなんだので、貴重な時間を費やしたにも関わらず、市内のベスト8にもならない弱小チーム。
何も残らなかった。
人に誇れる成果も。人間関係も。
おかしいだろ。塾なんて、週に3回程度ある下校後の3時間程度の勉強だろ?
それが90%のウェイトをしめて、
学校の授業は平日毎日8~15時(自分の時は土曜日の8時~12時)の大半なのに、10%程度しか残らないんだ。
おかしいだろ?
今となっては無駄だと言えるが、当時の自分は社会が見えてなかったし、いわゆる「良い子」だったから親や教師の言うことを真に受けていた。
偏光眼鏡とかなんとか、分子量が多い物質を見分ける方法はないのかなあ? 目に見えれば、多いところは避けるとか、除せんを最優先するとか、もっと効率的に事を進める方法がありそうな気がするんだけど。
@TOHRU_HIRANOさんや@yusukeskinjpさんのように心配になる人は結構見かけるし、その気持ちを揶揄する意図はないが、焼却炉の飛灰に放射性セシウムが含まれていたというだけなら、心配する必要はないとおれは思う。だって回収されてるわけだからね。
あるいは、気にしているのは、集塵機で回収しそこなった放射性セシウムが大気中に放出されているのではないか?ということかもしれない。
そこで、目黒区の焼却施設について環境研の資料http://goo.gl/A7sXi に基づいて概算してみよう。
目黒清掃工場環境報告書2010によると、ごみの搬入量は103,883t/年。これを焼却してどのくらい飛灰が出るかは、なぜかこの報告書には記載されていないので、先の資料に記載されている福島県内の焼却施設における「年間処理量に対するばいじんの比率」(ばいじん=飛灰である。為念)から、バグフィルターの最大値である4.9%を採用することにする。このうち0.1%が大気中に放散すると仮定すると、目黒清掃工場の飛灰中放射性セシウム濃度合計4,000Bq/Kgより、年間の放射性セシウム放出量は
103,883 x 1,000 x 0.049 x 0.001 x 4,000 = 203,610,680 (Bq)
つまり204MBqということになる。これが目黒区全体にまんべんなく飛散した場合、年間およそ14MBq/km2の放射性セシウムが降下することになる。
この分量が多いか少ないか、というと、たとえばhttp://goo.gl/AJGTJからたどれるCs134の月間降下量は、新宿で3月8500MBq/km2、4月290MBq/km2、5月74MBq/km2であったから、これらと比較すれば非常に少なく、焼却炉由来の放射性セシウムの健康被害(もし起こるとして)への寄与は無視できると言っていいだろう。
というわけでこの件については、少なくとも現在得られている情報からは心配する必要はないと結論付けられる。安心してください。