2011-08-14

依存契約

もしかして見てるかな

まぁ、それはいいや

知りあって数年の異性と約束をした

あちらには「居てくれること、傷付けない事、受け入れる事」を

こちらは「自身を相手の一部とすること、自我を与えること、依存を受け入れること」を

こうして文字にすると、その異常がより際立つ

エゴがは露出し、道徳倫理侮辱されている

未完成で未熟で脆弱自己

自己と他者の境界線の霧散

人に言わせれば「気持ち悪い」の一言で一蹴されるような、おそらく汚い関係

心理学の用語で言えば、共依存

依存を受け入れて世話をする事に自分存在意義を見出している

青年期におけるアイデンティティ確立拡散の発達課題に支障が出ている

ここで躓くということは、きっと以前の発達段階に積み残しがあるんだろう

せいぜいが、基本的信頼と不信の乳幼児期だろうが

話を一般の方に帰納する

今、恋人夫婦である組み合わせのうちで

相手の存在自分存在意義を委ねていない人がどれだけいるだろうか

あなたのために~~」とキャラクターに言わせれば美談になるくせに

いざ「依存」の一言がつくと醜聞に変わる

病的とさえ言われる

では極論として、自分存在意義を自前で用意するとして

その時の恋人や伴侶の必要性とは何だろうか

社会的ステータスか、生殖のための遺伝子供給装置か、共同育成者か

感情の含まれない、役割機能のみの道具の為が自然と思うのだろうか

依存」には負のイメージが付き纏っていると感じる

自立していない、人間として終わっている、理性持つ存在として堕落しきった姿勢

別に理性を廃せよと言いたいのではない

「否定するな」と行動の制限をしたいわけでもない

ただ単純に、誰もが発達課題をきちんと積めるわけではないと言いたい

隙間の開いたジェンガのように、まばらでふらふらと安定しない存在でも、不安になりながら生きている

積み残しを補完するには、その上に積んだものも積み直しを迫られる

それは、きっと苦痛

それが出来ないから、他のジェンガに寄りかかって、集まって、倒れにくくする

きっとそれは、恋人や伴侶の話に限ったことではないだろう

自分一人では不安定だから

きっと寄りかかり合って積んでいく

隙間一つ無いジャンガなら、そんな必要もないだろうが

から、あらゆる関係において「依存」という形容詞適応されるだろう

きっと本来は、依存は「良悪」で判断されるべきで「善悪」で判断されるべきでは無いんだろうな

演繹する

から言い訳をするわけじゃないが

自分と相手には、それが必要だった

大きな依存を結ぶ必要が

そうでなければ、ジャンガを全て崩す他なかったのだ

不安定を解消するたったひとつ方法がある

初めから積まなければいいのだ

積むから不安定だから、積まなければ崩れもしない

崩してしまえば、崩れることはない

それは、自殺

  • http://anond.hatelabo.jp/20110814150517 なぜ、依存したいか。独りでは立っていられないからだ。じゃあ、どうやって独りで立てばいいのか? 「自分で自分を好きになればいい」んだ。依存する...

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