はてなキーワード: 脆弱とは
タイムマシンの民間利用が開始されてから30年。開発当初の予測とは異なり、
最大3時間前への跳躍が限界で歴史改変は不可能と証明されたこの技術は、
結果的に短期的な事故を回避する手段として急速に普及しました。
人間に重篤な障害をもたらすと警鐘を鳴らしてきました。なぜなら人類は
やり直しのきかない一度きりの人生に対峙することこそが自然な姿であり、
人間が本来持ちうる健全な肉体は宿命たるカルマを受け入れる精神によって
培われるからです。現在の世界的経済停滞も、安易な時間跳躍の跋扈による
真摯さの喪失及び生命力の脆弱化によって引き起こされていると言っても
過言ではありません。
この問題は子ども達の精神、肉体に於いても深刻な影響が懸念されます。
ねじまがった時間の中で生きる子ども達に、真の幸福、真の成長は
訪れるべくもありません。
我々の提唱する、自然な時間をありのまま受け入れるLOMESスタイルは
先日発生した多重跳躍事故の悲劇がこの技術の持つ歪みを浮き彫りにし、
もともとはUNIXに使われていたCrypt,DESのブロック長が8バイトだったのと
当時はそんなにディスク容量もなかったので便宜上バスワードは8バイトまで。(8バイトで切られる)
という歴史的仕様だった時の名残。今はSHA256かSHA512だから64文字ぐらいまでなら何の問題もない。
もっとも、当のUNIXの世界ではとっくの昔に公開鍵暗号方式とワンタイムパスワードの組み合わせになってるので
直接パスワードを送信したりはしない。
30年か40年ぐらい昔の仕様が今でも残っているのが8文字なんじゃないかなぁ。いくらなんでも、時代に追いついてなさすぎだよね。
ちなみにDESなんてもう使わない。3DESですら脆弱、MD5,SHA-1ですら脆弱と呼ばれる時代っすからね。
ただ銀行系の人は、そんな知識もないでしょ(技術屋じゃないからね)。下手すりゃ証明書はベリサインだよね。とかまだ言ってるとおもう。
彼らの知識を更新するのは、とんでもない重労働だからSEは誰もやらないと思う。そんな事しなくても古い技術で金がもらえるのにわざわざ危険を犯してまで進言する奴はもう銀行業界にはいないだろ。
最近、従軍慰安婦問題を中心とした歴史修正主義が大手を降って表通りを歩く様になって来ていてまったく嘆かわしい限りだが、要するになんでこんな馬鹿げた嘘つき連中に騙される善良な市民がいるのかと言うと、それはヘイトスピーチがその定義に「出自やアイデンティティに関わる属性などによって差別する」という意味があるのも知らずに、「差別をしたら罵倒された。これはヘイトスピーチに対するヘイトスピーチだ」などという滅茶苦茶な主張に騙されてしまうのにも似た、まあ一言で言えば「言葉の定義を語感でなんとなくしか捉えない」国語力の低下に起因するものであろうと考えられる。残念ながら、「歴史修正主義」という言葉を前に「歴史は仮説に過ぎないのだから、見直すのは良いことなんじゃないの?」というような自分では冷静に考えたつもりであろう意見は、単なる無知の成せるわざと断ぜられる。なんとなれば、簡単に歴史を「見直せる」と考えること自体が、疑似科学ならぬ疑似歴史学とでも呼べるような間違った発想だからだ。
歴史は元々、矛盾を内包するものである。それはどういうことかというと、普通どんな定説が作り上げられる過程にも矛盾した史料と言うのは必ず存在するということである。現存する矛盾した史料を全て集め、突き合わせ、読み込むことによって、「少なくともこの出来事はあった/なかった」をひとつひとつ確定していったものが歴史の定説なのである。この過程を史料批判と言い、要するに文書と言うものはどうで執筆者の主観、立場、その他もろもろの事情から切り離せぬものなのだから、そこを考慮して信ずべきところとそうでないところを選り分けるという作業である。特に言えば、官僚の作成した政府資料などと言うものはときの政府の都合に合わせきった単なるプロパガンダと見るのが当然であり、そんなものは歴史に限らず今のご時世だって政府発表の資料や説明をそのまま鵜呑みにするのは馬鹿のすることだとまともな大人ならわかることなので、「当時の政府は悪いことはしてないと発表している。だから悪いことはしてないはずだ」などと言う幼児のごとき論理は真っ先に排除される。
矛盾する史料を付き合わせて組み立てられた歴史の「定説」は、当然ながら、仮に今新しい、何か定説と矛盾するところのある史料が発見されたとて、そう易々と覆されうるものではない。本当にそれが未発見の新史料とでも呼べるものであったのならば、それまであった他の史料と同じ様に読み込まれ、史料批判を行い、もしかしたら定説に多少の修正が見られる可能性もないではないが、殆どの場合それほど影響をもたらさない可能性の方が高いであろう。言うまでもなく、「ここに新たなる史料の見つかった。これは定説と矛盾するからして、定説は見直されるべきである」などという歴史修正主義によくある主張は純粋にナンセンスである。歴史学は、人の書いた文章の嘘を見抜くのがその手法の重要な部分を占めている学問である。嘘をつかない自然を相手にしている自然科学とは違い、単純にひとつの事象を観測して、その観測に勘違いがなく、その上で定説や既存の理論と折り合わないようであれば十分な反証が得られたと考えるような、いわば性善説にでも則ったような発想はしないのである。
以上が、原理原則から歴史修正主義の疑似歴史学性、それが如何に歴史学的な主張として正当を欠いたものであるのかの説明であるが、もっと現実的な処世術として持っていると便利な視点は、歴史修正主義とはためにする運動以外の何ものでもないと言うことだ。歴史修正主義者は常に結論から全てを考える。結論に合わせて史料を探し(多くの場合彼らのいわゆる「新史料」は実は史料批判の終わっている既知のものである)、求めるものから逆算して史料を読み、ときにその史料が結論を裏付けてくれるものでないと知れれば、あっさりとそれを捨て別の史料に根拠を求める。こういったやり方が史料批判という歴史学的な手法に反しているのは言うまでもないが、残念ながらこの恥知らずな姑息さこそが、善良な素人をして歴史修正主義に理ありと錯覚させることもある要因となっているのも否めない。素人目に一見正しそうに見える主張をしている手合いにこそ、その「正しそう」に見える部分が何か狡猾な手段から来たものでないのか、学問的な手順の不正によるものではないのかと疑うことが必須である。
歴史修正主義は疑似歴史学である。それが用いるロジックは一言で言って詭弁であり、歴史を簡単に見直し、修正することが出来るかの様に喧伝する議論は学問的にまったく正当性がないのみならず、不見識な素人を騙すためならなんでもする詐欺師にも似た卑劣な活動に他ならない。昨今の日本の歴史修正主義の台頭は、国外から戦後体制に対する反逆と見られるのみならず、こと21世紀に至ってもまったく成長の見られない日本人の論理的な思考力の弱さ、都合の良い結論への飛びつきやすさ、畢竟ためにする勢力のプロパガンダに如何に簡単に騙され流されるかという知的な脆弱さを露呈しているのである。
東京で大雪が降った翌日にあきらかになったのはそこに住む人々、生きる人びとの存在だ
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浅草一帯や、人形町の商店街なんかはすぐに雪かきが行われており、歩行がとても楽だった(高齢者が多いはずなのに!)
2
土日休みのお店も含め、居酒屋ビルの前やオフィス街、アパートや低層マンションだらけの場所はまったく雪かきが進んでいない。具体的には麹町~四谷~四谷三丁目、西新宿五丁目
3
セブンイレブンなどのコンビニやカラオケ館などは、店の前を店員が自主的に雪かきしている。これは地域に根ざしているという側面よりも、こうした事態に対応できるだけのマニュアルやリソースを持っていることが関係しているのだと思う
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一方、「磯丸水産」や数店舗展開する某有名店主腕組みラーメン店のような新興飲食チェーン店の前はまったく雪かきがなされていない
1、地域の側面
雪かきをしてもよい、しようと考える人々がどの地域にいるか(そこに地元への愛着心があるとか利他性があるとかいう話は置いておいて。一軒家かどうかとかも関係するしね)
2、資本の側面
大手資本・商業施設・オフィスでも、緊急事態・非常事態にも対応できるほどのリソースを持っているか(カネ・マニュアル・人材すべてだ)があるかないか
■オレんちの近くはどうだ?
ヒトはなぜ毛が薄いのか? それは、ヒトはなぜ汗をかくのかと答えは同じで、つまり、暑さに適応するためだ。
ヒトは、恒温動物で、気温の変化に脆弱だ。どうやって寒くても暑くても生きていけるようにするかが課題だ。
ヒトは、住環境や道具を用いることで、寒さに対応した。例えば火を焚けば暖がとれる。ところが、暑さに対しては道具で対応しきれない。そこで、ヒトは、汗をかいて蒸散させ、気化熱によって体温を下げるようになった。そうすると、体毛が多いと汗の蒸発に不利だから、体毛が薄いほうがよいわけだ。
それでも、頭部などには体毛があるのはなぜか? それは、肉体の中枢を寒さから保護するためだろう。ヒトは、血液などの体液を循環させているから、末梢で発汗して熱を逃がせば中枢も冷えるようにできている。反対に寒い時には中枢が冷えると致命的だから、体毛が多い傾向があるのである。
冬になると手足が冷え性になる人が少なくないが、寒いと体温を逃がさないようにする必要があるから、末梢の体温を上げないようにして体温を維持しているのである。無論、血行も少なくなる。
それでは、運動をすると発汗するのに毛深くなる傾向があるのがなぜか、疑問に思う人もいるかもしれない。しかし、運動をすることができるということは気温が高くはないからだ。暑いと、寝ているだけでも汗を大量にかく。暑いなかで運動をするとむしろ死んでしまうことすらある。運動量が多いということは、気温が高くはなく、また、外出しているということとも相関関係がある。
男のほうが毛深く、女のほうが薄い傾向があるのも、寒さ対策の必要性の高低によるものだろう。群れの生存確率を高めるためには、男女で分業し、男にコストを集中し、女が出産授乳をする。そのため、男のほうが寒い中でも外出するし活動的だ。反対に、女は出産授乳のために栄養分を蓄える必要があり、例えば体脂肪を増やす必要がある。
男も、年齢が上がってくると肥りやすいかもしれないが(いわゆる「中年太り」だ)、それも運動量の低下と関係があるのだろう。多量の運動を担うのは若い男であって、出産期以降の女だけではなく、ある程度歳をとった男も肉体機能的に衰えて多量の運動をする余力が減っていく。それでも、だからこそ、肉体がピンピンしていて普段からたくさん運動をしている老人男性には痩せている人もよくみられる。
冬には脂質やカロリーを摂りたくなる傾向があるように思われるが、それも寒さ対策のためだ。反対に夏には、サッパリしたものが欲しくなる。暑いと多く消費するのは水分とミネラルで、反対にカロリー消費は減る。
食事や衣服や暖房がなければ、ヒトは冬を越せない。木造住宅に住んでいて貧困で暖房もかけられなければ、凍死しかねない。
日本では昔から木造住宅が多い。「日本の夏は世界一苛酷だ」と言う人もいるくらいに、日本の夏は厳しい。とりわけ太平洋側は、モンスーン(季節風)で湿度も高くて苛酷だ。湿度が高いと汗が蒸散しにくい。木造なら風通しがよく、気温も湿度も高い夏には有利だ。
ところが、木造住宅では、冬は寒い。だから、厚着をして布団にくるまって、たくさん食べて、そして、火を焚いて暖を取るのである。
木造住宅で火を焚くということは、火事が起こりやすいのは必然だ。しかも、太平洋側の冬はモンスーンで乾燥する。江戸なんて、人口密度が高いのに木造住宅だらけだったから、街が辺り一帯丸焦げになるような大火が何度も起こっている。江戸時代なんて、エアコンどころか電気ストーブも電気コタツもあるわけがないし、電気炊飯器も電気ポットも、無論、ない。
この時季はいまでも木造住宅で灯油ストーブで過ごしている家が少なくない。近現代でも、冬の火事は多い。火の取扱にはくれぐれも気をつけたい。そういえば、阪神淡路大震災は1月で、東日本大震災は3月だった。冬の震災は、乾燥地域では大火事になりやすいし、雪国では家屋倒壊してライフラインも断たれて深刻なことになるのではないか。
お前が喧嘩越しで汚い言葉を使ってるんだろ。それに相応に返してるだけだが。俺の言ってる内容は基本的なことでしかないし。
なるほど、長く続く大国家の起源が部族連合のようなものであるケースも割とあるよ?
戦国期の地方領主を束ねて天下統一、みたいなことをやるときには便利な形態だからね。
でも、それで終わってしまうのでは脆弱な国家にしかならないんだよ。
国家統一がなったときには、地縁血縁の束による統治形態の「解体」が始まるんだ。
地方領主に土地を所有させ、世襲で相続させて、その地縁血縁による統治を行う、という形態から、中央から任命した官吏に中央の部分としての任地を統治させるという形態に移行しなければならない。
そのためには、建国の際に功績の大きかったものであっても徐々に失脚させ、潰していかなければならない。強固な地縁血縁による地方支配は、盤石な国家を築く上では不安要因でしかないんだよ。
北海道を治める俺がなんで沖縄の問題のために費用を負担しなきゃいけないんだよ、みたいなことを必ず言い出すの、地方領主は。当たり前だ。彼の所領とは関係のない話なんだから。
だから、国家の体裁が整い、これからは一つの国としてやっていきますよ、となったその時に、必ず、今までやってきた地縁血縁の束による統治のシステムは否定されるんだ。国家と国民というフィクションをそこから始めるんだよ。文化への手入れとか、それこそ国民教育によって。
「我々国民」「我々日本人」というのはそうやって生み出されるフィクションだ。フィクションという言葉が悪ければ、そういう人工的な思想だ。いい悪いの意味じゃなく、事実の問題として。
PHP 5 で、Sqlite 3 を PDO を利用して操作しておりました。
*** in database main *** On tree page 2 cell 3: invalid page number 112 On tree page 2 cell 3: Child page depth differs On tree page 2 cell 4: Child page depth differs Error: database disk image is malformed
たかだかテーブル 1 つ(1000行インサートした程度)で、まだ 100kB のファイルサイズで、もう綻び!?? 無償だし、Lite (お気軽)だからって SQLite 脆弱すぎ、使えないなぁ...と憤慨。しかし、解せないのは途中で vacuum しても、データ処理の順番を変えても、いつも同じ内容データを処理しようとしたときに壊れてしまう。
データ内容が悪いのかな、UTF-8 のデータを扱っていて、sqlite は既定で UTF-8 を扱う設定だし(pragma encodingで確かめても UTF-8 と表示される)、文字列中にコントロールコードでも混じって壊れたのか?
原因は、PHP のほかのコードでエラーが発生して PHP スクリプトの動作が停止したので、SQLITE エンジンの処理も途中で強制終了してしまったためみたい。
つまり、SQLite のデータベースが壊れる原因は、データベース操作そのものではなくて(まったく別の個所で)、PHP のエラーの場合があるということです。
それによって導かれる解は2種類あって、
1. 案件の設定を見直し、現状を「現場の真の需要」として是とする。
→ 新たな条件に基いて、新たな人員マッチングを行う。
→ 貴方に対する要求は「客先のニーズ」の読み誤りでした。なので、貴方は別の客先へ転属。
→ あるべき状態を受け入れられない「客先の上司」を担当変更。
→ お客様企業側の担当者がミッションを正しく理解していなかったようです。貴方と対応する客先の人間がチェンジ。
(折衷案として、「当初の案件設定」と「現場の真の需要」の両方を満たすために、もう一人(もう一チーム)追加する場合もある)
(貴方が既に病んでいる場合は、2であっても「仕切り直し」と言う事で人員変更するのが無難)
「派遣」にしても「受託」にしても、これらは往々にしてあること。
派遣を入れる事を決めたお客様企業の決裁者と、派遣屋の営業の認識が噛み合っていたとしても、
お客様の現場が必要としていたのは、全く別の職種だったのかも知れない。
決裁者(偉い人)が自分の配下に加えたい要素を派遣のスタッフで補填するのか、
そして、お客様側で決めて頂かないと、貴方と貴方の会社にはどうしようもない。
放っておくと現場のスタッフが病むので、派遣屋のマネージャは気をつけるべきポイント。
この対応を面倒臭がる様では派遣屋は務まらない。数年の内に規模縮小して部署を畳む事になる。
それは俺の仕事じゃねぇ!と派遣屋マネージャにきっちり切り分けて投げ付ける事が、
病まずに「客先常駐のお仕事」をしていく上での前提スキルだと思います。
ご自分で「ありがちな壁」と書いておられるので心配は無いと思うけど、
MMDことMikuMikuDanceの話。
最近というか、まあユーザーが増えるとよくあることなのかもしれないが。
つい先日は、MMDモデルを紹介するアカウント(ニュアンスとしては2chまとめ速報みたいなものだろう)が”不適切”な意図で配布されたモデルを恣意的に紹介から除外する、と言明したことに対してMMDerが糾弾し、アカウント削除騒ぎになったのだという。
騒ぎは今も広がっているのだという。個人的にはダウンロードユーザーの不利益になるようなものを故意に配布するのは、なんというか、MMDの精神に反しているようにも思うのだが……。だがしかし、"精神"などという漠然とした物で運用するには、MMDはあまりに巨大になり過ぎた。
恐らくこうしたフリーツールの開発者とユーザー対立というか、問題というのは、これまでも幾度となく様々なジャンルでくりかえされていたことなのだろう。しかしMMDはあまりにも母体が急速に巨大化し、そしてあまりにも大衆的過ぎた。MMDはとても自由度が高く、敷居が低く、そして(動画サイトなど通して)気軽に公開&閲覧できる素晴らしいツールだが、それゆえにこういった問題は今後も広まっていくだろう。MMDは元々、とある開発者の『厚意』によってこの世に生みだされたものだ。であるがゆえに、悪意には非常に脆弱であるのかもしれない。
「フランス革命は、平民(第三身分)が旧体制を打破した革命である」
のように説明されることがあります。この説明は間違っているわけではありませんが、「平民」という均質な集団が一丸となって何かをしたかのような誤解を与える点で、フランス革命の内容を分かりにくくもしています。
平民(第三身分)は、農民や都市の下層住民を総称した民衆と、民衆よりも裕福な中間層であるブルジョワからなります(職人を雇わずに家族だけで仕事をしている親方や店主ぐらいが下層のブルジョワと民衆との境界層です)。しかしブルジョワと民衆は意識の上でも利害的にもあまり仲がよくありません。
ブルジョワと民衆は協力関係にあるよりもむしろ敵対しており、それぞれ自律的に行動していたととらえる方が、フランス革命の動向が分かりやすくなります。
普通フランス革命の期間は、バスティーユが襲撃される1789年7月からロベスピエールが処刑され恐怖政治が終わる1794年7月までの5年間、またはナポレオンが総裁政府を軍事クーデターで倒す1799年11月までの10年間とされます。
しかしその当時フランスの社会構造がどのようなものでフランス革命が始まるまでどのような進展があったを知っていた方が、フランス革命の推移もわかりやすくなります。
わかりやすくなるのですが、ここではバッサリはぶきます。ブルジョワと民衆がそれぞれ自律的な勢力であるという複合革命論の考え方を前提にして書かれた
などを読んでみてください。
があります。こちらのタイプの説明の方が分かりやすいという人もいるでしょう。
(ヴェルサイユで開かれた全国三部会は、第三身分の強硬姿勢により憲法制定の議会に変身し、バスティーユ襲撃後の国内混乱を利用し封建的特権の廃止に至ります)
1789年5月5日にヴェルサイユ(パリから約25キロ)で始まった全国三部会は、採決形式でもめ審議に入らないまま紛糾します。第三身分が強硬姿勢を崩さず、特権身分の中にも第三身分への同調者が出たこともあり、7月9日に憲法制定国民会議として再出発します。
しかし7月11日に第三身分に融和的な財務長官ネッケルが罷免され、これがパリが伝わるとパリ市民は王の軍事行動が近いと恐れ、自衛のための食料調達武器調達に動き、焼き討ちや略奪が発生します。富裕市民は政府軍隊への対抗と秩序維持のため常設委員会を設置し民兵を組織します。
7月14日にはバスティーユの要塞に武器の引き渡しを求めて民衆が殺到し、バスティーユ内で交渉が続くさなか襲撃が始まり、バスティーユは陥落します。市庁舎まで連行された司令官ドローネーは群集に引き込まれて殺され、市長フレッセルも射殺されます。
新たに組織されたパリ市政当局とブルジョワの民兵(国民衛兵)を国王政府は追認せざるをえず、他のほとんどの都市でもブルジョワが市政の実権を握ることになります。
一方バスティーユ占拠の報を受けた農村では、貴族が浮浪者を雇って報復をおこなうという噂が広がり、その恐怖から各地で領主の館の襲撃が行われ、「大恐怖」と呼ばれるパニック状態になります。
自由主義貴族だけでなくブルジョワの議員の多くも地主であるため民衆の騒乱は早急に鎮める必要がありますが、正規の軍隊に頼ることは王や保守貴族の立場を強めることになるのでできません。そうしたなか8月4日の決議が行われます。
8月4日閉会後の夜に抜き打ち的に再開された議会で、自由派貴族によって領主特権の廃止が提案され、熱狂的興奮のなか課税特権の廃止など諸特権の廃止が次々と宣言されます。大恐怖の圧力を利用して封建的特権の廃止に成功し、農民の騒乱も沈静化していきます。
これで憲法の議論が進むようになり、8月26日には人権宣言が採択されます。
しかし王は特権廃止の法令も人権宣言も批准せず、9月末には治安維持の名目でヴェルサイユに軍隊を集結させます。
10月5日に食糧危機を訴えるパリ民衆がヴェルサイユに行進し国民衛兵がそれに続き、民衆は窮状を訴え国民衛兵は王に圧力を加えます。王は法令と人権宣言を批准、翌日には王一家はパリのテュイルリ宮に移されます。続いて議会もパリに移り、ここから憲法と法令の議論が本格化していきます。一方で亡命する貴族が増えていき、国内の政治分裂も本格化していきます。
(91年半ばまではフランス革命期としては平穏な時期ですが、この時期に国内の対立が進んでいきます。また国王の逃亡未遂が発覚するヴァレンヌ逃亡事件(91年6月)によって王の威信が失墜し戦争を望む声が高まります)
議会がパリに移り、諸特権廃止の内容や具体的な法律が決められていきます。ヴァレンヌ事件が起こるまで比較的平穏とされる時期ですが、国内にさまざまな対立が生じていきます。
1789年後半から91年にかけて、議会外に政治組織が形成されていき対立の構図ができていきます。
また各地で反領主騒乱が発生していますが、そうした騒乱は徐々に革命か反革命かという政治的な枠組みで解釈されていくようになります。
さらに聖職者民事基本法をめぐって宣誓拒否問題が起こります。カトリック聖職者の多くは革命には好意的でしたが、叙任式における宣誓義務に対して大多数が拒否をします。議会からの警告が出されますが、地方によって大きくバラツキがあるもののフランス全体で約半数の司祭が拒否します。教皇ピウス6世が民事基本法を否認したこともあってカトリックは内部分裂する事態になります。宣誓拒否司祭とそのもとにあるカトリック民衆は「反革命」に押しやられ、のちのヴァンデの反乱(ヴァンデ戦争 1793年3月~)の原因の一つになります。
91年6月に国王一家がパリから逃亡し途中で発見されるというヴァレンヌ逃亡事件が起こります。
これを受けて、外国に支援された亡命貴族が攻めてくる、外国の侵略が始まるという考えが広がり、国王救出を目的とした外国人が侵入してくるという予想から国民衛兵による警戒体制もしかれます。
7月には主要な政治組織であるジャコバン・クラブが、王の廃位と共和制を要求する請願書をめぐって分裂し、多数派の穏健グループはフイヤン・クラブとして分離します。
8月にオーストリアとプロイセンが、フランス国王のために武力介入もありえるとするピルニッツ宣言を出したため、亡命貴族の陰謀説にさらに拍車がかかり、外国との戦争を望む声が高まっていきます。
そうしたなか9月3日に立憲君主制にもとづく1791年憲法が制定され、9月30日に憲法制定国民議会は解散します。
(インフレや物価上昇により食料問題が悪化し民衆の不満は増大していきます。国内の多数が開戦を支持するなかオーストリアに宣戦布告し(92年4月)、続いてプロイセンとも戦争状態になりますが、フランス軍の劣勢となります。軍事的危機と国王への不満が積み重なり、パリに集結していた連盟兵やパリ民衆の恐慌的な敵意が王に向けられ、王の廃位が要求され、8月10日テュイルリ宮が武力制圧されます(8月10日事件)。これを受けて議会は王権の停止を宣言し、新たな憲法制定のための国民公会の召集を決議します)
憲法制定議会が解散した翌日91年10月1日に、9月までの選挙で選ばれた議員達による立法議会が開会します。再選が禁止されたため全て新人議員で、貴族がほとんど選挙に立たなかったため議員のほとんどは裕福なブルジョワです。立憲君主制を守りたい穏健派のフイヤン派が議会の最大勢力、共和制を主張するジロンド派(ジャコバンクラブのこの頃の多数派)がそれに続きます。
なお同業組合や団結を禁止したル・シャプリエ法(91年6月)に抵触する恐れがあるため、政党は存在しません。そのため、どの派でもない、審議内容ごとに立場を変える中間派(平原派)が、この時期に限らず常に議員の多数を占めます。そのため派閥の議員数だけでなく、中間派の動向(またその動きに影響を与える議会外の動向)が重要になります。
また議会内の各派の勢力数自体も確定したものではなく常に流動的で、各勢力をどう呼ぶかにかんしても文章によって違うことがあります。
議会の中心的課題は、周辺諸国からの脅威にどう対処するかです。(それと穀物価格の上昇に対する価格統制の要求に対して、革命後の基本原則である自由主義をあくまで守るのか、民衆の要求を受け入れるのかも問題になっていきます)
これに対してジロンド派は、国内の不満をそらして(インフレにより物価が上昇し各地で食料暴動が発生していた)政治のイニシアティブを獲得するために「自由の十字軍」などの言葉で対外戦争をあおります。民衆の多くも「外国と共謀する亡命貴族」への脅威と愛国感情の高揚から戦争を望んでいました。
92年3月、フイヤン派の大臣が王によって解任されジロンド派内閣が成立し、4月にオーストリアに宣戦布告、数週間後にはプロイセンとも戦争に入ります(戦争はナポレオンが二度目の失脚をする1815年まで中断もありつつ続くことになります)。
しかし緒戦から敗戦が続き、「反革命」者へのより強力な措置を求める声や宮廷への不信から共和制を求める声が高まっていきます。またセクション(区)の政治活動を通じて民衆が政治的に組織化されていきます。
そうした流れが最終的に民衆と連盟兵による8月10日のテュイルリ宮の襲撃に行き着くのですが、この事件は偶発的に起こったバスティーユ襲撃とは異なり王の廃位を求めての組織された行動だったにもかかわらず、そこに至る決定的な原因があるわけではないので要約しづらく、フランス革命の大きな転換点の一つのわりに説明しにくい事件です。
ここでは事件の結果だけ述べると、立法議会は蜂起側の勝利がはっきりした後、王権の停止を宣言し、新たな憲法を制定するための国民公会の召集を決議します。これでフランスが共和制に向かうことが確定します。また国王一家はタンプル塔に幽閉されることになります。
(戦争はフランス軍の劣勢から優勢に変わり周辺領土を占領します。93年1月には国民公会の裁判結果により国王が処刑されます。周辺領土の占領や国王の処刑を原因として周辺諸国の多くと戦争に突入し、さらに国内ではヴァンデ地方を中心に大規模な反乱が起こります。議会ではジロンド派と山岳派の対立が深まっていき、国内外の諸問題への対応のまずさからジロンド派が民衆の支持を失い、93年6月ジロンド派は逮捕、議会から追放されます)
8月10日に王権が停止しますがフランス軍が劣勢の状況にあることは変わりません。義勇兵がつどわれ前線への準備がなされる一方、反革命、裏切り者を排除する空気が広がり、家宅捜索がなされ多くの反革命容疑者が逮捕されます。さらにパリへの侵攻の脅威が高まり、義勇兵が出発したあと反革命者がパリ住民を虐殺するという噂も流れ出します。
そうした不穏な情勢のなかヴェルダン要塞陥落のニュースがパリに届きます。これをきっかけとして、囚人の多くが殺されるいわゆる九月虐殺が発生します。
この事件の結果、内の脅威が消えたと民衆が大挙して義勇兵に参加し兵数万を増やすことになります。
一方、この事件は国外からの印象を非常に悪いものにします。宥和政策を取っていた隣国スペインの首相も宥和政策を撤回せざるをえなくなり、またフランス革命開始時には革命に好意的だった知識人たちも国王一家の幽閉と九月虐殺で決定的に革命嫌悪に転じます。
戦況にも変化が生じます。フランス軍はヴァルミーの戦いで勝利し、戦況が優勢に転じていきます。なお多くの本でこの勝利はフランス兵の志気の高さによるものと説明されていますが、志気が影響するような戦いではなく兵と砲台の数の差によるものといった指摘もあります(たとえば『近代ヨーロッパの情熱と苦悩』)。
普通選挙でしたが投票率は悪く、ほぼブルジョワ議員で占められています。フイヤン派は出馬していないので議会におらず、共和制穏健派のジロンド派と共和制急進派の山岳派、それに中間派という構図です。(ジロンド派がジャコバンクラブを脱退していくので、山岳派=ジャコバン派とも呼ばれます)
ジロンド派は経済的・政治的自由主義を維持し議会主導で政治をおこなうという近代的な原則をあくまで重視し、山岳派は革命の推進と防衛のためには民衆の要求も受け入れ民衆運動の利用もありと考える現実路線です。
……とまだまだフランス革命の時期は続いていくわけですが、予想外に長くなったので中途はんぱなところですがここまでとします。
93年1月に国王が処刑され、6月ジロンド派の追放で山岳派の一党独裁(ただし基盤の脆弱な独裁)になり、恐怖政治の時代が翌94年7月まで続き、ここで一区切りとなります。
http://dennou-kurage.hatenablog.com/entry/2013/07/12/200730
たぶん、俺なんかよりずっと頭が良いであろう脱社畜の人も、なんか妙だ妙だと言いつつも違和感しか言えてないのって、正しいけど踏み込めてない気がする。
マナー。
マナーってのは、もちろん出来た方が良い事だろうよ。
Yシャツは洗濯したヤツをきるとか、爪は伸ばさないとか、髭は剃ってくるとか。
でもよ、一人の人間が髭を剃ってこなかったら会社が損害を受けるなら、髭剃りチェックをルーティンに組み込むのが会社であり、仕事だろ。
そう言う意味で、相手のマナーに頼って仕事をするのは、相当に脆弱なんだよ。
どうやって意見を吸い上げたらいいかなー、どうやったら円滑にまわるかなーってので思いついたのが、報連相。
これ自体は良いんだよ。
どうも隣の部署の情報が流れてこないんですが、みたいな話は報告なのか連絡なのか相談なのか判然としないけど、言えばいいって言ってんだし。
そういう「普段の業務では漏れる部分」の吸い上げが、報連相の役割だよ。
そう、いま「普段の業務では漏れる部分」って言った。
普段の業務を報連相で回しちゃダメなんだよ。そりゃ仕事してないだけ。
なんかマズイ事になったら、次の週には方針変えなきゃならんって仕事してるなら、週次報告をさせるのが職責だろ。
相手の報告を漫然と待つなんてな、怠慢だよ。
サーバ管理してるとしてよ、死活管理しないとか、ありえないだろ。
サーバ管理者はよ、目的があってサーバ動かしてて、チューニングしたり、ハートビート飛ばすようにしたり、過負荷時には対処するだろ。
サーバにバッチ処理させててよ、定時チェックで進捗が思わしくなかったからって言って、サーバに怒鳴ったりするか?
その意味で、新人がやらなきゃならんことは、指示を貰ってそれを守ることだよ。
そして、嘘をつかないこと。聞かれたことに正直に答えること。
仕事の基本は「判断した者が責任を負い、責任を負えない者は判断しない」だよ。
判断した者が指示を行う。
判断しない者は指示をしない。
指示を受けた者は責任を負わない。
責任を負えない者は、判断しない。判断は必ず、責任を負える者がする。
「指示待ち人間はいらない」っていう管理者は、「俺は無能だから管理しない」って言ってるだけだよ。
責任を取れないヤツが勝手に判断して仕事するのは、単に暴走してるだけだよ。
(明確に権限が委任された場合は、受任者は判断して良いし、委任者は黙ってその判断を追認する必要がある。
マンションの管理組合の総会欠席で委任状出しといて、後から文句言っても笑われるのと同じだよ。委任ってのはそういうこと)
課長決裁は20万まで、部長決裁は300万まで、なんて決まってる会社は多いけどよ、それは要は権限が委任されてんだよ。
固定資産にならん物品購入は、課長判断で勝手にやって良いって言ってる。
この場合、10万の物品購入をして良いか部長に聞いたり相談するのは、仕事してないことになる。
逆に、30万の物品購入を課長が勝手に判断して行ったら、それは職責を越えて仕事してる。
こういう、何に対して責任を負い、何に対して権限が与えられているかを明確にするのは、職においては第一歩だよ。
そして、本来は上司がそれを部下に対して示すのが当然のこと。
ただ、職責の範囲内で仕事をしていると、「何となく不満が溜まってる」とか「こうしたらもっと良くなるのに」みたいな情報が流れない。
そうした「職責を踏み越えるかも知れないけど、自由に思ったこと言ってくれて良いぜ」ってのが報連相だよ。
検察の横暴がらみで、みんなナーバスになってる気持ちもわかるけど、坊主憎けりゃ袈裟まで憎い方式で過剰反応するのはどうかと思うよ。
日本の司法には、不適切な手段によって得られた証拠は証拠として採用されない、というルールがある。
そういう意味で「検察のやり方はおかしいけど結果的に得られた証拠から見るとクロっぽいから有罪」というのはまかり通らないんですね。
今回の事件を、「片山被告がシロかクロか」という点ではなく、検察の手法の不適切性に着目して眺めてる人は少なくないと思います。
私もその一人ですが、要するにこういうやり方を是認するくらいならいくら疑わしくても決定的な証拠の出ていない犯人が無罪になるほうがマシだよーってことです(もちろん犯人かどうかはわかりませんが)。
今回の事件でサイバー犯罪への脆弱さが露呈してしまった警察としては、なんとしてでも「犯人」を捕まえたことにしてメンツを回復したいんでしょうけれど。
検察が決定的な証拠もないままに不当に被疑者を拘束する、なんて手法は、この一連の犯罪以上に重大な罪ですから、正義感に突き動かされている方々はその辺惑わされないようにするのがよいかと。
ISの学科を出て、なんとなく就職したSIerでの仕事は殆どがWindows 鯖のドインフラ周りのしごとだった。
ハードウェア(鯖、ストレージ)については面白かったが、Adminとして、Windows鯖ほどとっつきにくいものはないと感じていた。
なんだ、あの、ADのフクザツかつ、脆弱なデータの取り回しは。
それでも、なんだかわからないのが悔しかったので、TechNetを個人で買って、自宅にESXiの環境を用意し、いろいろ試したのが懐かしい。
SIにほとほと懲りて、今はWeb系のプログラマーになったので、もうあの青いGUI画面を見ることはないんだけど、
今でも深夜のAD移行(震えながらのdcpromo)とか、ntbackupのリカバリとか、カーネルダンプの解析とか、時折思い出す。
個人にとって、今の御時世、ライセンスが必要かつ高い(MSDNでもね)というのは、学習意欲の高いエンジニアにとって不都合しかなく。