はてなキーワード: 脆弱とは
今私は、鬱状態で仕事を休んでいる。フリーランスのアーティストとして10年ほど。その半分以上を海外でくらし、今もヨーロッパの片隅にいる。
カオスラウンジというグループ、全く知らなかったが、なるほど、人々の怒りがよく分かる経緯だった。
面白いので、コラにはコラに対抗ということで、代表藤城嘘の作品や彼の写真をphotoshopで10分ほどやっつけでコラした絵をPixivに投稿。説明なしのアカウント削除→IPアドレス指定拒否→串刺しIPでの再UP→瞬殺アカウント死亡 などを繰り返して遊んだ。
http://www.rupan.net/uploader/download/1311933348.jpg
で、私の意見。
これ、日本の芸術にたいするマーケットのあり方や、芸大における教育とか、そういうことが根本にある。
まずマーケット。
これは日本だけでないけど、マーケットって、ようはお商売の世界。売れればいいの。芸術家も、批評家も、生活あるから、お金にしなくちゃいけない。
で、やっぱり、売れたものはみんな金魚のふんみたいについていくの。それは仕方ないこと、どこでも。
そのために役にたつのが権威(power)。カオスラウンジは村上隆と美術手帖がそのicon。
私は両方とも死ねと思っている。(殺害予告ではありません… 念のため) 正直。
村上隆は売れた。それはいい。オメデト。尊敬。でももともとサブ・カルなのに、権威的にふるまう?どうして?
本流に対してのalternativeなありかたとして出した、その経験の意味は?
美術手帖。いつも売れ線をおっかけ。責任おわない。コンテクストが脆弱(消極的な取材が透けて見える)。しょうがないけど。お商売だし。でももうちょっと、光を見せてよ、せっかく日本のマーケットで権威もっちゃったんだから。
僕は90年代に青春をすごしたから、今の日本の若い人とちょっと感覚ずれてるかもわからないけど、その時の感覚からすれば、分かる。
日本の人って、権威に弱い。テレビとか、どっかの大学の先生とか、批評家とか、マーケットとか、あとは身近な友人や家族なんかの意見にも。
もちろんどこでもそうだけど、日本はちょっと過剰だなーっておもう。
今自分が見てるもの、聴いているもの、食べているもの、感じているものを、どうやって、「いい」か「悪いか」判断できるだろう?
日本の人は、まず周りをみる。周りの様子にノル人、ソル人…
僕が暮らしいるところの人たちは、まず自分のフィーリングを聴く。で、それから周りの人も見る。それから、どうするかと考える。
yap, subjectは結局おなじなんだけど、順番が違うんだよね。僕がくらしている人たちは、まず自分の意見が先にくるんだよ。
例えば、スーパーマーケットにいって、入り口に物ごいがいる。ああ、かわいそうだなって思ったら、こっちの人はお金渡す。
日本の人は、まず、お金わたす自分の姿が周りからみてカッコワルイ、アタマヲカシイ?、ってかんがえて、無視する。
全員がそうでないけど、そういう傾向が、ある。
この順番が、カオスラウンジの人たちの行動にもよく見える。
http://d.hatena.ne.jp/lie_fujishiro/20110625
端的にいうと、ダサい。カッコワルイ。
同じ芸術家として、引用とかサンプリングについての立場はちょっと分かるよ。ちょっと。
でもさ、想像力って彼らは持っているんだろうか?
例えば満員電車の中で私が突然うんこしたら、みんな嫌がるだろーなーって、なんか創造できる、だから私はうんこしない。
やべぇ、うんこもれそう、もうしぬぅーーーーってなっても、みんな嫌がるだろーなーっておもうから、我慢して、次の駅までまって、でダッシュ。
ま、動機はカッコワルくなりたいってのもあるだろうけど、まぁおんなじように。
で、カオスラウンジの人たちは「ウンコしたい」で、すぐウンコしちゃってる。ブリブリ。
ネットのオタク文化いけてる、売れそう、俺好きやし、カッコええやん、よっしゃ、これで俺の作品つくったろ。
一方的。想像してない。それで誰が傷付くか。
みんな同じようなネタをずーっと話してたり、コラしてたり…。純粋だなーって思うのと、あと普通だなーって思う。
世の中の多くの人たちが、文化については保守的。日本をみたら、なんで演歌や歌謡曲が未だに紅白で重要な立ち位置を持っているかということ。
そういう人たち(=普通の人たち)の気持ちに思いを巡らすのが、やっぱり普通の人であるところの、普通の芸術家でないの?
少なくとも、私は自分自身芸術家としてそういうスタンスを譲らない。
あるいは、もし自覚的にそうした『普通』に対する反抗であるなら、最後までヤリきらないと。
炎上したから?ビジネス・パートナーが予定していた商品をキャンセルしたから?周りのエラい批評家にお説教されたから?
本当に反抗したいなら、まず梅沢ナントカという友達の作品を正当化して、ウルセェ、テメエラなんもわかっちゃいねぇんだよっていって、もっともっと同じ手法で作品を創らなくちゃ。で、その路線で別のパートナーをみつける、そこまでいかないと。
この謝罪、カッコワルイよ。
たぶん村上隆が翻ったのも、この日和見的なところ(態度)で、ア、コイツラ、シロウト。ってみやぶったんだと思う。
で、彼らがここまでやってこれたのが、日本の芸大etc.における芸術教育の影響だろうなぁと。
「売れる」ことを考えすぎ。たぶん、日本におけるfine artの伝統の不在が起因なんだろうけど。
自分が、一人の人間が、今思い、考え、感じていること、そしてそれによって目の前にある作品や起きている事象にたいする疑問を素直に「どうして?なぜ?」と問いかけること。こういう当たり前の姿勢がどうして求められないんだろう?
タマタマ自分がやっていることが売れ線だと。で、エラい批評かなり、curatorなりが、ヨイヨイ、といって、金だして、仕事なりコンタクトわたしたりして、ま、同業者として分かるっちゃ分かるけど、それで、自分がやっていることは全肯定できるのだろうか?
酔いが回ってきたので、またそのうち続きを書こう。
どうもネオナチっぽいオスロ爆破犯の写真を見て、強いナルシズムを感じた人は多かったろうと思う。
ナショナリストは、ナルシストが多い気がしていたけど、今回のはかなり分かりやすい。
ある種のナルシストの強い自己愛が、満たされないと、代替行為に出るのではなかろうか。
脆弱な自己アイデンティティをなるべく大きなものに転化し依存しようとするのは、青年期によくあることらしいけど、これは周りをみるとなんとなく分かる。
それの行き着く先が国家になると、当人はナショナリストになる、みたいな話を耳にしたことがある。なるほど。
たしかに国家なら、アイデンティティを託すにも最大級の大きさで安心だ。
そういう人は一見いろいろ「武装」しているけれど、そもそも依存性が強いくらいだから、内面は怖がりで、自己防御性も強かろう。
ゆえに攻撃対象のスケープゴートを作ると、自己が安定するのだろう。
本人たちは己の内面に無自覚だろうけど、四つ巴になっている気がする。
はてな民は無神論者が多いようだが、こういう話題になると本質的な弱点を露呈する。
こういう連中に「道義的」とか言っても無意味だし、「違法」とかいってもあまり意味はない。
かれらは単に功利主義からリスクの低いほうに、楽なほうへとなびくだけで、そこに道徳やら、思想やら微塵もない。はてサが、時に平和主義的な主張をするのも、命が大切だからとかでなくて、たんにそっちの方が楽だからであり誤解してはいけない。ナチズムに反対するのも、たまたま周りが幸いにもそういう環境だからなだけ。こんなお気楽な「思想」などあったものではない。こういう連中に、一族皆殺しにされて自分も殺られるとなっても反ナチを唱えるだけの気概などないだろう。そもそもたかが障害児一人かかえるくらいで(それは並大抵のことではないことは分かったうえでいうが)安易な人殺しに走るという発想が軟弱この上ない。そんな奴は、たかだか数千万くらい借金かかえたぐらいで人殺ししかねない脆弱な連中だ。ちなみにここでいう人殺しというのは自殺も含む。
「中絶は親の権利」という主張はまったく論外。おいおい、そんなカスみたいな理由で人殺しする権利をいつ神がお前に与えたと言うのか?
そんな輩には、お前は、一体どの面さげて神の前に立つつもりだ!と叱り飛ばせば片付く話のはずだ。
もしそいつらがそれでもまだリチャード・ドーキンス片手に適者生存!とかほざいていたら、その時は全くお手上げなので、もう神の憐れみを願うしかないな。
http://anond.hatelabo.jp/20110721202932
ファッション云々以前に、人を下に見るという感覚に疑問があるので、多くの人と共有できない部分があるかと思います。
他の方のTBを見ても、無論昔からファッションは差別化のためにある、という見解が多いようです。これは勉強になりました。
ファッションの中には多く差別が含まれている。(封建時代の価値観と直接イコールにするには無理があると思うけど)
またそういったTBの場合(よく読まず)お前の被害者意識が問題だ、という人格否定含みの指摘は、なるほど差別が好きそうな人々の言葉、とも感じました。
ただこれら意見は「ファッション指向が強い>はてな匿名ダイアリーに書き込む」というかなり偏った属性ろ過を経たものなので、その分割り引かなければなりませんが。
それにしても、差別のために服を着てるという感覚が、意識無意識にしろ、彼らにはあるのですね。
むしろ可哀想な気がしますが。
この現代においても、何故ファッションに依存し、差別しないとならないのか。
キメこな問題についてのツイートのまとめを見た。
いつか来ると予測されていた問題がついに表面化。
しかしこれは梅ラボ本人一人が気分的に凹むということ以外は実害がなくてよかった。
災難だったね、としか言いようがない。
そして※欄の予想通りすぎる人格攻撃っぷりは、見てて少し虚しくなった。
ふたばという「歪な形で維持し続けられる楽園」の脆さを住人自体がいまだに把握できてない。
そんな場所の住人であるということがアイデンティティと不可分レベルに融合してしまった多くの
「としあき」たちにとってどうしたって不快であり、許しがたい行為だということは分かるが、
前提として招待制SNSでもなんでもなく「匿名掲示板」なんだから誰もがやってきてしまう、
ということはシステム上仕方ないのに彼らは「この中のルールを守ることで新参の訪問は最小限に抑えられる」
という幻想を持っている。まるで「9条さえ守っていれば戦争は起こらない」と信じる9条信者のようだ。
「外」の人間はそのルールを知らないし、意に介することさえないかもしれないのに。
今回の件は若干違うか。例えが悪い上に無駄なツッコミどころになったかもしれない。どう違うかは後述する。
ふたばはある意味、かつてのアンダーグラウンド系掲示板の文化の匂いを残したまま現在まで存続しているという
ちょっと珍しいサイトだが、哀しいかなシステム上でなんらかの方策を講じているわけではなくWeb上に
置かれたものは大概がフラットに消費される可能性を抱えている。それを作った人間の快・不快という感情的な
問題とは別個に。アンダーグラウンド、という領域が存在し得たのはGoogle以前でしかないだろう。
検索エンジンが未発達な時期には確かに「見つかりにくい領域」はあった。もう、昔の話だ。
ふたばが2chと違ってちょっと面倒なのは、「としあき」という名に仮託された奇妙な選民意識の
存在がある。だが、梅ラボ自身もブログで「2年ROMってた」ということを表明している。
(古参住人にとってはその理解はまったく足りないものに映ったのだろうとしても)
「不定形匿名人格の一部」である自分の立ち位置と自らの「表現欲求」やどうにも抑えようのない「作家性」
(「人のもんの貼りあわせだけで何が作家だ」とかいう意見もあるだろうがそこはひとまずおいといて)
の間で引き裂かれ、今回の件で梅ラボは苦しんでいる。かつて同人誌「カオス*ラウンジファンブック」にて
仲山ひふみに「著作権問題が発生したらどうなるのか」という問題提起があったので、冒頭の一言が
あるわけなんだが、感情的な「許す」「許さない」の問題はもうどうしようもないんだろうと思う。
少なく見積もっても1000の意見が表明された。それが1000人なのか一人なのかということも実際のところ
わからない。まあTogetter見てる分には流石に一人ではないだろうということは分かるが、ふたばのスレでの
そして多くの人間がいればその構成員の「許容の基準」だってバラバラだろう。もうこれは仕方がない。
だが、「絶対許さない」とか言ってる人間だって別になにかできるわけではないのだ。
それに、時間が経てば忘れられる。「絶対許さない」とか言ってる人間だってずっとこの件だけを
考えつづけることはできないだろう。出来るような人はちょっと常人離れしたなにかである。
それはそれである意味すごい。もしかしたら現人神「絶対許早苗」かもしれないwww
うむ、早苗さんに許してもらえないのは東方厨である梅ラボにはキツいなー。
冗談はさておき。
結局のとこ諸行無常、ってね。不変なものってのはなくて物事は相互に影響しあう。
水の上に油をたらす。油の粒は水の力によってその形を変える。しかし逆に見れば
油が垂れてきたことで水全体の形も変わったと言える。ネット上の出来事も基本的には
大して変わらない。ちょっと私見になってしまうが「キメこな」はともかく海外での
「Moetron」の成長において梅ラボの作品の特徴が全く影響がなかった、というのは
ちょっと考えにくいのだ。多くの作品で「いくつかの別のキャラの顔のパーツをひとつの
顔であるかのように構成した」構造が見られる。梅ラボの作品はTumblrなどを通して
かなりの拡散をしており、カオスラウンジはよくも悪くもそれなりに一部で目立つ存在と
なっていた。それに刺激された4Chanの人間が「Moetron」と梅ラボ作品に共通するエッセンスを
感じ取ったということはありうると思う。もっとも、根拠がないので妄想ととらえてくれて
一向に構わないが。
文化という言葉がこの件で多く出てきた。自身のコミュニティの文化に誇りを持ち、
それを保護する姿勢もわからんではないが、そんなに過剰に護らないと壊れてしまうほど
脆弱な文化なのか?ふたばは、二次裏とは。そうではないのではないだろうか。
「見ろ また奇妙なやつが出てきたぞ」
くらいの気持ちで興味をもって動向を捉えていればいいのではないだろうか。
キメこなは生まれてさほどの時間が経っておらず、成長途中のキャラである。
だからこれもまた、成長の一過程だと捉えることはできないだろうか。
なんのまとまりもないが、思いつくまま書いてみた。
異論は大いに認めたい。むしろ読みたい。
対人依存って別に絶対的に他社を必要とする脆弱な人間の精神病とかの類じゃないのね。
なんだよなんだよそーなのか。
あんたのこと責める。
お前はいいこなんかじゃない、なかった。
あんたがなかなか良い頭だけは持ってるくせに福祉系の大学にいこーが知ったこっちゃねえや。めんどうくせえ。お前なんかボロボロになってろくでもない男にDVでもうけやがれ
社会的底辺層の仲間入りでもしちゃえ、
他人に心をすこしも開こうとしない奴なんて大嫌いなんだよ、このメンヘラ女が
そのくせ体裁だけつくろって記号上のオトモダチつくりはすんげえうまい。
告ってくれて泣くほどうれしいとか、バッカジャネーノ、うそばっか。
さんざ振り回してくれちゃってさ、俺なんかトラウマの大量生産だよくそったれ。なんで俺がお前なんかにびくつきながら生活おくんなきゃなんねえんだよ。
よわっちいのにすがりもしねえ、何にもいわねえ、強がりばっか、察しろってか?この野郎。知るか。
自分のこともまともに制御できないない奴が何が福祉だよ。お前が患者だろw
お前みたいのを対人依存症って言うんだよ、さんざん人のせいにしやがって。されたぶんだけしてやるよ
どれだけ俺がおれてきたかわかんねえだろうな
敵の味方は敵、あんたと俺の先輩だった人も共通の女友達だった奴も俺にとっては全員敵。
中立なんか認めない、信用できなくなった、できなくしてくれたよ本当。
敵ばっか増やしてくれやがって、首くくれ、死んでくれ。
旭茉莉(昆蟲白)、Happy New-Yearが言いたくて(南野陽子)、一直到底(Nipples)、赤い戦車(ヤプーズ)、南方蝶道(甜梅號)、
一個人的水道(甜梅號)、Air on the G string(Bach)、春夏秋(チャットモンチー)、激光中(羅文)、Merry Christmas Mr. Lawrence(坂本龍一)、
恋愛スピリッツ(チャットモンチー)、安眠藥(歐陽靖 陳奐仁)、甜蜜蜜(薛凱琪)、MAY(斉藤由貴)、ダンシング・ヒーロー (荻野目洋子)、
雙失情人節(Twins)、青山黛瑪(何韻詩)、汽水樽裡的咖啡(何韻詩)、情歌(側田)、when i listen to the field mice(my little airport)、
習慣失戀(容祖兒)、糖不甩(薛凱琪)、VALON-1(Salyu)、戀人未滿(S.H.E)、美空雲雀(何韻詩)
東風(Yellow Magic Orchestra)、Lucky(スーパーカー)、我有一段情(吳鶯音)、曙(ゲルニカ)、2EM12_KK_A09(ヱヴァ破)、
光榮之家(何韻詩)、北歐是我們的死亡終站(my little airport)、隆重登場(容祖兒)、電力組曲 C:電化の暮らし(ゲルニカ)、妮歌(何韻詩)、
Komm, Susser Tod/甘き死よ、来たれ(Arianne )、ホープ(testpattern)、給十年後的我(薛凱琪)、安靜了(S.H.E)、女朋友(歐陽靖 陳奐仁)、
体操(YMO)、You Only Live Twice(Nancy Sinatra)、小茉莉(楊丞琳)、Oh!(少女時代)、圓謊(容祖兒)、
管他什麼音樂(范曉萱&100%)、Blue Paradise(Martin Denny)、泡泡(魏如萱)、Sunny Road To Salina(Christophe)、Be True(容祖兒)、
優しいたそがれ(南野陽子)、最後的歌(楊千嬅)、Le premier chagrin d'amour(France Gall)、眼球綺譚(戸川純ユニット)、愛しのキッズ(小島麻由美)、
月世界旅行(アポジー&ペリジー)、韻律泳(何韻詩)、飛べない翼(Lily Chou Chou)、手のなるほうへ(チャットモンチー)、ヒステリヤ(ヤプーズ)、
Green Grass Of Tunnel(Mum)、夢伴(梅艷芳)、舊約(何韻詩)、再見...露絲瑪莉(何韻詩)、AXIA~かなしいことり~(斉藤由貴)、
就算世界無童話(衛蘭)、점핑(Kara)、夢のスキマ(鷺巣詩郎)、空しき流れ(鷺巣詩郎)、閉塞の拡大(鷺巣詩郎)
那年夏天寧靜的海(王心凌)、痛愛(容祖兒)、落寞莉(昆蟲白)、憤怒の河(戸川純)、惚たる蛍(チャットモンチー)、
愛一個上一課(容祖兒)、最後一課(容祖兒)、時不與我(容祖兒)、Dear. Mom(少女時代)、男孩像你(薛凱琪)、
沙堡壘(容祖兒)、A Wishful Way(Hopscotch)、ONE(斉藤由貴)、拳銃(チャットモンチー)、脆弱(謝安琪)、
立つ鳥跡を濁さず(トップをねらえ2!!)、時の河を越えて(トップをねらえ!)、親知らず(チャットモンチー)、媽媽我考試考100分(selfkill)、搜神記(容祖兒)、
想想(何欣穗)、リフトの下で逢いましょう(南野陽子)、ギルガメッシュ(ヤプーズ)、Roller Coaster Rock(selfkill)、a love song(EGO-WRAPPIN')、
愛將(梅艷芳)、手のなるほうへ(チャットモンチー)、petsounds(the beach boys)、香格里拉(魏如萱)。
今日廃炉に着手したってその現実を変えることはできないよ。廃炉には十年単位の時間がかかるんだから。ということは原発をやめる・やめないにかかわらず十年単位の時を稼ぐ必要がある。このことは理解しなよ。
で、今のところ現実味のある事故シナリオは福島第一型ぐらいしかないわけだが、あれと同じことが起こる条件は
というものだから、電源車を配備し、使い方を訓練し、ディーゼル発電機を原子炉建屋に退避すること。これは今日明日にもできることだし既に実行中だ。これだけで「明日にも第二の事故が起きる」確率は非常に低くできる。そして、あとは防波堤を強化し、古い原子炉を廃炉にすれば当面の危機は凌げる。
返事どうもありがとう。
ミスとしては大きいが、ポンプ停止3時間が現在の燃料棒のダメージの決定的なものとは考えにくいので、あのミスはあろうがなかろうがLV7だったと思う。
燃料切れになるまで2号機は水位は上がってたんじゃなかったっけ?それがそもそも計器のエラーだってこと?水浸しになってさえいれば気化熱で冷却はどんどん進んでくれそうに思うけどその認識は誤り?だとするとそもそも2号機は非常に脆弱だったということ?とすると想像していた以上に深刻だな。
原発近傍は放射線濃度が滅茶苦茶高くて長時間いられないのでそれを度外視して「なんで持ち場を離れたんだ!」「張り付いて見てろよ!」とか殺人的な批判をされるんだろうなと思うと胸が熱くなるぜ。
当時はまだμSvのオーダーだったんじゃなかった?どちらにしても1時間に1度見回ることぐらいはしてるものだと思ってたけど。
だいぶ前に共産党からの質問に対してそんなことは起こらないので考慮しませんと答えてるからねぇ。現実は「起こらないということになっていました」だが……
ということは「禁止されていた」のと同じになってしまうの?あまり役所の仕組みがよくわかってないのだけれど。
実は格納容器から水素が漏れるケースについてすら保安院は会見で「設計上は格納容器から水素は漏れないようになっているので、国の安全基準では水素漏れについての設計上の手当は無い」とか言ってたりする。爆発前日に菅がこの件で安全委にブチ切れてたという報道もあったが、役人はそう答えるしかないんで役人は役人で気の毒な話だよ……。
ということはベント自体もそもそも禁止だった?
しかしなんでそもそも「想定することすらタブー」だったんだろう。「絶対安全」と言わないと反対運動がアレだから政治的な理由でそうなってしまったってこと?
はまちや2さんという人がいる。2005年4月のmixi「ぼくはまちちゃん騒動」その他で有名なハッカーっぽい人だ。彼の行為は、Webリテラシーの無い人からみれば、迷惑な愉快犯だ。しかし実際にはWebサービスのセキュリティの脆弱なところを指摘してくれる、ありがたい存在でもある。実際、はまちや2さんの攻撃?を受けたシステムは、すぐに対応をしている。
一方地蔵さんという人がいる(この表記であってるかわからないが)。「今日も得る物なし」というブログが有名だ。最近では「ブロック推奨アカウントリスト」などの記事で注目を浴びた。Twitterでデマと思われる情報を連発している(と思われる)人々のリストを公開したものだ(今は見られない模様)。
この人の行為は、Webリテラシーの無い人から見ると、災害時にデマを広めないように努めている正義漢に見えるが、そうじゃない人から見れば、池田信夫さんなどにからんで遊んでいるだけである。なぜならば、池田さんのツイートが時々あやしいことくらい、「今日も得る物なし」というブログ記事にたどりつける人ならみな知っていることだからだ。そしてはまちや2さんとの大きな違いはその結果で、池田さんは地蔵さんの突っ込みもどこ吹く風で、今日もツイートしている。
しかし地蔵さんの先日の記事、「デマは政府より信用がある」は、上から目線で申し訳ないが良い記事だったと思う。とてもためになりました。でも今日の記事「クソの国」は、私の頭が悪いせいだと思うけど、地蔵さんが何に怒っているのかよくわからなかったなあ。もう少し私のようなバカのために、かみくだいてもらえると助かります。
マンセーする訳じゃないがNHK以外は報道の際煽り気味タイトルで語るから、NHK以外は切った
知識皆無なので報道された後とりあえずグーグル先生で放射能の人体影響や原子炉の仕組み、過去の原発事故を調べた
勿論ド素人なりにだが、チェルノブイリとは違い核分裂は止まり格納容器は生きてる、一応水を入れており、圧力弁も調節しているので炉は持ちそう?
とにかく冷やす対処、放射線量の結果から避難範囲は適切という辺りは理解し、少しほっとした
その上でついったやミクシで軽く検索すると、ソースはどこにあるの?発言ばかりで驚いた
ついっただけでなく2のまとめ系もこごとく不安を煽るようなまとめ方をしていて、凄く残念だと正直思った
挙句に淡々と会見情報を流してる人にまで噛み付くとか、政府東電データはウソだ!だのetc
大体もしデータが捏造であれば、そのうち数値に矛盾が出て嘘だと分かるはず
チェルノブイリも翌日には他国の観測データで大事故だとばれたし、まして日本なら尚更即ばれる
それよりも酷いのが、データもソースも無く不安心理からあらぬ言葉を出し、またそれが不安心理からRTされる情報脆弱者の多い状況
そこそこ正しい状況を出してまとめた2ch系ブログはなかったんじゃなかろうか?
そもそも混乱時はこういった大衆心理の働きやすい匿名掲示板やSNS等に集合知を求めるよりも、
もちはもち屋に聞いた方が一番早い模様
一連の報道で、不安だからと見聞きレベルで喚くんではなく、自分で調べて知識を得た上でどうなのか知る事と
調べるにも情報収集元の取捨選択と、何が正しいのかを判断する能力を鍛える事の大事さを痛感した
勿論政府や東電の多々gdgdした経緯や対応に不信を抱くのは当然かもしれないが、
少なくともデータというソースすら無しに不安から来る個人の憶測だけで語る人の方が恐ろしいという事実も
(そして、買占めの件もそうだが、多くの人間は不安に駆られるとまず現状把握しようとするより
不安心理を解消しようと浅い行動を取りがちだという事)
要は、錯綜している場面こそ理系思考しようねとも言える
今はとにかく終息するよう願う
皆さん、入社おめでとう。
長期不況、就職難のこの時期に、世界最大の部数と、高度の評論・報道を誇る読売新聞に入社試験を突破して今日入社できた諸君は、きわめて優秀な知性、体力の持ち主だと信じる。
「ネット時代に新聞は生き残れない」との扇情的な言論が見られるが、生き残る力のない新聞とは何らかの経営者の失敗、紙面の偏向、一般社員の能力の低下、愛社心の欠如等によるものであって、それらは読売新聞には当てはまらない。
私が誇りに思うのは、読売新聞の論調が公正であり建設的であること、報道が迅速、正確で、今日の国家、社会、国際関係等からみて、いささかの偏向もないことである。
今はやりのネットの世界では、責任不明の発信者による無責任な言論、他人の名誉に対する棄損行為、流言飛語、わい雑で反社会的な情報の流布、思想体系のない断片的言説のツイッター等が氾濫しており、青少年の教育を害するポルノや出会い系サイトのようなものを規制することもできずにいる。
私は、新聞も本も読まず、ネットの世界にのみ侵入している若者は、将来日本を支える指導力、知性、生産力、倫理観等を身につけることができず、国民の文化や民度の劣化を招くものと心配している。
欧米の新聞と違い、日本の新聞は個別配達制という日本特有の販売、配達網があり、販売収入が安定している。それに比べ、欧米はもとより、新興国、途上国では個別配達網がないか、あっても脆弱なものであって、その収入の七、八割を広告収入に依存しているため、その経営力は不況に恐ろしく弱い。欧米の著名な新聞が次々に倒産しているのは、収入源の七、八割が広告収入であり、不況時には企業の広告出稿が大幅に減るためだ。
日本の新聞は、独自の個別配達網を維持し、正確性、公正性、一覧性、ニュースの重要度による多様な情報の有用な整理力による総覧性、可搬性、利便性、教養性等を維持する限り、衰亡することはない。むしろ、乱立し、無謀な競争をし、無責任な情報を発信するネット業界の将来の経営の方が危ぶまれる。
だが、読売新聞も、新しいメディアの世界を傍観しているのではない。YOLや「あらたにす」等を通じ、必要で有用な情報の発信手段は広げている。問題はそれが十分な利益をもたらすかどうかであって、本社の強力なメディア戦略局が日夜、研究、開発し、効率よく利益を得るような事業を展開している。しかし、我々にとってはあくまで新聞が主軸であり、ネットサービスは副業だ。
読売グループには、姉妹社に日本テレビ、子会社に巨人軍、中央公論新社等があり、この不況の中で、黒字経営を維持している。
今政界は指導力が低下し、与野党とも諸勢力が四分五裂している。その結果、経済不況に伴う失業や要介護者等に対するセーフティネットが構築されていない。政権党は大衆迎合のマニフェスト原理主義で、財源がなく投資乗数効果も低い、子ども手当のようなバラマキに没頭している。そのため予算の歳入は赤字国債が税収を上回り、国家財政は世界最悪の状態だ。
ただし、米国や南欧の財政危機と異なり、日本国債の九三%は日本国民が持っている。しかし、国債発行も限度を越えれば価格の暴落、金利の上昇、そして不況の一層の深刻化につながる。
私はその解決策を持っているが、部分的には社論でも報じ、時を見て全面的計画を発表する。
日本政治の劣化、それによる不況の深刻化を防ぐためには、新聞、特に読売新聞の論評、解説、報道により、政治そのものの質の向上、活性化を図るしかない。
読売はこれまでにも、憲法改正案、行革案、戦争責任の検証、社会保障と税制改革などについて、次々に建設的提案をしてきた。今は不況脱出のための財政、金融、産業政策についての提案に力を入れている。
最後に、読売新聞の将来について極めて重要な計画を申し上げる。
今朝の朝刊にも出ているように、新社屋の建設である。この大手町の本社は一九七一年に建てられ、築後約四十年となる。
その建設当時は、古い経営者の頭の固さもあって、一極集中印刷が最も効率的であると誤信し、しかも鉛と手拾いの活字による輪転機、印刷とその発送のための長方形と三方道路の立地にこだわり、九五台の輪転機を地下五階層にわたって並べることを理想としていた。
私や内山グループ本社社長は、印刷の電子化、発送、輸送の合理化、全国分散印刷体制を主張したが、まだ若かった我々の主張は頭の古い硬直化した経営者に押しきられてしまった。中でも内山社長は長文の全国分散印刷体制論を当時の社長以下に提出したが、却下されてしまった。
私は三年ほど前から、ひそかに大手町から輪転機を完全に移動し、IT時代にふさわしいシステムの配線やコンピューターの設置に適した新社屋の建設を検討してきた。
その結果、この大手町の社屋を壊し、その跡に、三○階建ての最新機能を備えた新ビルを建設することを決断し、一昨日の東京本社役員会で正式決定した。再建期間中、三年から四年は、銀座の新橋演舞場に面した旧日産本社ビルに借家する。この借家は、この本社より外見、内装とも立派だ。皆さんもいずれ新社屋が建設されれば、日本における情報・金融機関の中心である大手町を睥睨する新本社で、執務することになるだろう。
思い起こせば、大正末期以来、読売新聞社屋は受難の歴史だった。一九二三年、銀座三丁目に建設した新社屋は、披露パーティーを前にして関東大震災で完全に崩壊し、一九四五年には空襲で跡形もなく全焼した。
その間、朝日、毎日は大阪に本社を置いていたため、関東大震災の被害を受けなかったが、一七紙あった東京紙はほとんどなくなってしまった。大空襲でも朝日、毎日は戦火を免れた。
このような二度にわたる社屋崩壊にもかかわらず、新社屋の建設を続け、不死鳥のごとくよみがえり、一九七七年、務台社長のもとで発行部数が日本一となり、翌七八年には世界最大発行部数としてギネスブックに登録された。九一年に私が社長になり、それから間もなくの九四年、一○○○万部の世界最大部数を達成した。この時巨人軍も、日本一に輝いた。
創刊以来の苦難の中で、百三十年余にわたる先人たちの苦労の上、今や不滅の読売を象徴する超高層新社屋をこの大手町に建設することは、私の生涯の最後の使命である。このデフレによる営業収入減の中で無謀ではないか、との批判も出るかもしれないが、わが社の資産力、経営力からしてもいささかの不安もない。
もちろん、この大事業は私一人の力でできるわけではない。全役員及び社員諸君も、日常的な経費節減及び販売、広告収入の増強に向けて、全力をあげて協力していただきたいと思う。新聞窮乏化論のなかで、読売新聞の未来は限りなく輝かしいものだと確信する。
僕をいじめていたクラスメイトの名前や、僕を阻害していた教師の名前や、その当時お世話になったネットの人のハンドルネームが書かれている。読み返すと、当時のグチャグチャした嘔吐のような感情が蘇ってきて、今でも頭の中が真っ白になってしまいそうになる。
あれから十年。
僕の『死にたい』という気持ちは未だに続いている。当時よりももっと複雑化、多様化したそれは、日々自分の中の「これでちゃんと生きられるかもしれない」という希望の芽を簡単に食いちぎっていく。生きているという実感なんて、とうの昔に無くなってしまった。
それでも。
それでも、あの頃よりは、自分を誇れるようになったよ。未だに僕の心は脆弱で崩れやすいけれど、それでも日々をちゃんと飲み込めるようになった。時々ちゃんと飲み込めなくて、むせて、こぼしてしまうけれど。
いつか僕の『死にたい』が報われるといいな。それを信じて、僕は今日も生きるのさ。
心情を吐露したくなったので。ごめんなさい。
暴力装置の件で、直接は関係ないけど「自衛隊は軍隊である」という意見があるので、ちょっと前から考えていることを書く。(プロの目から見てどうかは分からない)
準軍事組織という概念があって、国境・領海の警備、暴動鎮圧・治安維持などに専門化された補助的な役割を担う武装組織のことをさす。
日本の軍事力とは何かというと、これは圧倒的に在日米軍であって、在日米軍なしで自衛隊だけで戦えと言われたら、日本を守りきれないケースがたくさん出てくる。外交上で言えば台湾と韓国を助けられないケースが出てくるだろう。
自衛隊は、多くのケースで米軍の補助的な役割を果たしている。コスタリカの警察がそうであるように。そうなると自衛隊や警察は軍隊ではなく準軍事組織に見える(実際、警察は準軍事組織とされる)。
平和憲法を持つ国で、少なくとも日本とコスタリカがそれをできている理由は、米軍が駐屯しているからだ。米軍があって、ついでにサポートとして軍隊ではない準軍事組織(自衛隊、警察)があって、そこでようやく平和憲法が成り立つと言っていいのではないか。
日本共産党がよく分からないのは、平和憲法は守りたい、でも軍隊も準軍事組織もなくしたい、というスタンスに見えるところだ。
それ逆の発想じゃね? 軍隊は大前提なんじゃね? そして準軍事組織は平和憲法の帰結なんじゃね? アメリカは日本やコスタリカに色んな理由で軍隊を持たせたくないから平和憲法を作らせる、軍隊は米軍を駐屯させる、でも米軍だけでは連携が脆弱になる、だから準軍事組織、という流れなんじゃね?
日本はこれに参加するべきか否かという話がでている。この協定は、EU統合のマーストリヒト条約から、貿易の部分だけを抜き出したようなモノで、関税の撤廃を主目的としている。
自由貿易を標榜する立場からは、絶賛されるべき内容である。しかし、EUの現状を見てわかるように、ドイツとそれ以外の国家の間では、貿易の著しい不均衡が発生している。日本がTPPに参加した場合、日本はEUにおけるドイツの立場になることが予想される。
TPPへの日本の参加に対して、諸国が批判的なのも、弱者連合をつくろうという話だからである。同質の国家が集まって、緩やかな経済自由化を進める事で、経済規模を拡大させ、工業を発展させて、成長をしようという話であり、そこに、日本のような先進工業国が入り込んでくると、市場を根こそぎ持っていかれるという事になりかねない。
産業の促進には、労働法制や知的財産権、資本や物流の安定と信用といった、社会制度に依存する部分が大きく、関税や補助金による保護は、どちらかというと後ろ向きの制度でしかない。それらによる保護は、産業の競争力を減退させ、過保護な環境でしか生き残れない脆弱な産業へと、劣化させてしまう傾向が強い。
間違った制度を改めようにも、しがらみがあってなかなか難しい以上、外圧を利用してというのは、当然考えられる手段である。自国の産業を強くする為に諸外国は必死になって手段を模索しているわけである。
日本の立場としては、いずれ参加しなければならないが、直ちに参加しなければならないという話ではない。TPP参加を前提に、国内の脆弱な産業を鍛えなおした上での参加という話に持っていくべきであろう。
とりあえず、アメリカが工業国として立ち直るには市場が必要であり、現状のTPP参加表明国は、すべて、アメリカ製工業製品の市場になると考えるべきである。アメリカに工場を進出させている所はそこからの輸出が有利になるというわけで、後進国・中進国に進出するよりもマシな投資になる可能性がある。
ただし、工業立国を狙うならば、3年や5年で壊れる製品を関税撤廃をさせた上で代理店を置いて輸入販売させるよりも、20年持つ製品を個人輸入させた方が、インターネット時代にはふさわしいと思われる。前者の考え方は実利を取る考え方で、後者の考え方は名誉をとる考え方とも言える。成長至上主義ならば前者が正しく、成長には限界があるから細く長くが良いというのであれば後者が正しい。どちらも正しいのが難しい点である。
財政は中立であるべきで、税収見込みが外れて、結果的に中立からずれる場合は仕方が無いが、ケインズ主義のように景気刺激のために財政の中立性を破壊する事は明らかな間違いであり、そのツケを支払う為に緊縮財政が発生する。
緊縮財政が間違っているのであれば、放漫財政はその原因行為である以上、より罪が大きい間違いである。
円高と円安において、どちらが悪いかを論じるようなモノである。円高局面においては、輸出品は値上げを繰り返さなければならず、常に新製品・新技術を投入して、値上げを正当化しなければならない。これは、コストアップ要因であるが、それを実現して売り上げを維持し続けられる限りにおいては、雇用を増加し、強い経済を維持できるというメリットがある。反対に、円安局面においては、輸出品は値下げを繰り返せるので、新製品・新技術を投入しなくても価格競争力を維持できる。これは、コストダウン要因であり、努力無く売り上げを維持できるというメリットがあるが、その反面、雇用は必要なくなり、経済競争力を減退させるデメリットがある。
円安でなければ企業が成り立たないというのは競争力を失っているという事で、そのような企業を存続させる必要は無い。
為替も財政も中立であるべきで、都合のよい状況でなければ苦しいというのは、それに依存している抵抗勢力でしかない。
景気対策は法律の改正によって行うべきモノであり、技術開発や特許の取得やノウハウの蓄積といった前向きな投資を非効率的な行為にしてしまっていたり、
民族資本企業として努力するよりも、より安価に作れる海外に工場を移動させて値引き競争を続ける方が合理的となっていたりする法制度の問題を解決しなければ、何をやっても放漫財政にしかならない。為替の変動に対して脆弱な競争力の無い企業を生かす為に、財政赤字を増やす行為は放漫財政そのものである。
経済とはお金の循環であり、お金を循環させるポンプ役は企業である。
税金として徴集してばら撒くだけの行政がポンプ役を務める事は、価値を創造していない存在にぶら下がることが利益となる不健全な社会を増長させる事にしかならない。
雇用を増やした企業の法人税を減税するという話がでているようであるが、企業は成長のために人を雇うのであって、減税の為に人を雇うのではない。
減税に効果があるならば、その効果を獲得する為に定期的に解雇と雇用を繰り返すようになるだけで、企業の競争力には何の効果も発生させないことになる。
減税に効果が無いならば、減税効果を得ているという事実は、雇用された人にとっても、市場から企業が受ける評価にとってもマイナスになる。
効果があれば悪用され、効果が無ければマイナスな影響だけしかない、という点で、
言い換えれば、思考を他者に任せる、委ねることの危険性。
こういう習慣があると大変なことになる。
心ない中傷や罵倒をされたとしてもそれぐらいは承知の上であろう。
ちょっとネットに慣れていればそれぐらいは予想できるし、ある程度耐性もできていたりする。
問題なのは、そういう、例えばこの増田
http://anond.hatelabo.jp/20100922191511
こういう問題について増田に書き連ね自分の頭で考えることを放棄していると、そういうことを習慣的にやっていると
次第に、何か解決すべき問題が浮かんできたとき 自分の頭で考えることができなくなるのだ。
面倒くさいからすぐに助けを求めてしまうようになるのではなく、それが苦手になるのではなく
大事なことだから二回言うが、本当に考えることができなくなるのだ。
"考えないという行動をとるということは、また一つ考えないという習慣化を助力すること"
なのだ。 基本的に習慣というものは、物理学でいう慣性、惰性のようなものだと思ってもらって構わない。
さて、
>問題解決(英語:problem solving)とは、問題を解決する、すなわち解を発見することであり、思考の一部分である。
>すべての知的な機能の中で最も複雑な思考であり、高次元の要求の認識と定義されている。
>それには、より筋道の立った手順及び基礎的な知識の操作、調節が必要となる (Goldstein & Levin, 1987)。
問題の本質はなにで、その問題の解決策をMECEに洗い出し、評価をし判断をし実際にどう動くかを決めるという一連の作業をしっかりできている人は
意外と少ないのである。欧米などに比べ、比較的日本人は論理的思考を重視しないので 現状において日本人はそういった問題解決能力は平均して、決して高いとは言えない。
逆を言えばそれができるだけで日本人の中では相当の強み、アドバンテージになることは私が保障する(本来、資源で勝負できない日本がこんなことでは駄目なのだが)
(最近やたらロジカルシンキングだクリティカルなんだのが重要だの喧伝されるが、その試みに比して問題解決全般における平均的な能力はさして向上していない。体質的に受け入れがたいのだろうか?)
結局、何をするにしても"問題解決能力"がものをいう。それの向上や、駆使することを
(あの増田を槍玉に挙げるが、あの文章では普段からろくに物を考えてなさそうだ)
放棄し、比較的難易度の高い生き方とされる 「働かずに生きる」という目標を実現させようとするその愚。
まずはそこを指摘するべきであろう。 あれに回答しているトラバもブクマコメも全員バカ。衆愚。 上から目線で人にものを教えるなんて勘違いも甚だしい。
これでは梅田などにその知的水準の低さを指摘されても仕方がない。バカなものはバカなのだ。
一連の情報連鎖が目も当てられないことになっていたので、気まぐれにまた一つ鎖を繋いでおいた(=リンク=連鎖)
バカの中にも見込みのあるバカが一定数いるものだ。
願わくは、そういう一定数いるバカが、それから脱却できることを。
老子「授人以魚 不如授人以漁」
【追記】
トラバやブコメに救いようのないバカが散見されたので、各自反面教師とするように。
>増田はロジックは読めても人の心は読めない子なんだなぁ。理屈で解決する問題じゃないじゃんw
まず、この増田は"働かずに生きることはできますか"と命題を投げかけている。
命題とは真偽の判定が可能、かつ真か偽である条件(必要条件)などについて論じること、かつ
パターンをMECEに洗い出すことは十分に可能なのである。人間には本来そういう力が備わっている。
まずそういう根本的なところを突き詰めないで、思考を放棄し、"できますか"と尋ねるバカな増田
下手に出たことをいいことに、現実世界で、社会的に蔑にされ、重要人物たりえないバカな俺でも上から目線に、偉そうに意見を述べられるぞ!チャンスだ!
とここぞとばかりに ノイズをまきちらすバカどもが。
不確定要素はあれど、思考し尽した痕跡が情報連鎖の中に何一つない。私はそこを衝いている。
バカは人の主張さえも理解できないのか。そんな調子でよく今まで平気で生きてこれたな。
バカは自分がバカであることすらもわからないほどバカらしいが
ここまで親切に書いてもわからないかな? 下手な言い逃れに躍起になるより素直に自らのバカさ加減と
向き合った方が、今後の人生において利口だと思えるのだけれど(まずバカはデメリットだらけ。そのままでいる理由がない)
まあ勇気のいることなので、ゆっくりでいいよ。ゆっくりしすぎたらバカのまま死ぬかもしんないけどね。
根本的なところを突き詰めないで枝葉末節をつっつくのはバカのやること。
あるいは雑談ならその程度で良い。しかし目的は雑談か? "雑談をしている"、のではなく"雑談しかできない"無能しかいないのではないか?
見るからにそれはそう。 普段から頭を使っている人間は、ある程度の問題解決能力がある人間がわずかながらも情報を連鎖させているのであれば
ああいった様相を呈すことは、まずない。
ああいったやり取りで"何か有意義なことをしたような気に"なる奴らっているんだろうなあ。
そういう奴らは働かずに満足して生きることも成功することも到底覚束ないであろう。
構造的に無理なのだ。なぜ無理なのか。それはこの世が、社会がろくに思考をしないバカどもにとって都合の悪い構造、仕組みになっているからだ。
というより、そういった都合の悪い要素を集めた存在を"バカ"と呼ぶのかもしれない。
(あと、トラバやブコメにいる俺に刃向うような、楯突いている人間は全員バカ。的外れ。ちょっと指摘すれば次の瞬間にはもう全く何も言い返せなくなるような脆弱な意見。
もう何も言わない。わかる人にはわかる。 "ああ、バカが湧いてるな" と。 これ以上失望させないでおくれよ)
はてなが普段頭しか使ってないだけで頭が良いと勘違いしているだけの、ただのバカによって形成されたコミュニティでしかないことを願いたいところ。
バカはノイズをまきちらすだけだから邪魔。ゴミクズ。ウイルス。一掃されろ。ネットで何かを発信するな。テレビみたいに受信だけして満足しとけボケが
老子「知者不言、言者不知」