はてなキーワード: 精巧とは
コロナのことは置いておいて過去の知見をここに残しておきます。またコロナ落ち着いたら再投稿するためにも今書いておきます。
1.北海道は非常に広いので2つ以上の都市をめぐりたいなら一日の半分は移動に費やされることを頭に入れてください。例えば札幌と函館なら、
札幌(新千歳空港)着→札幌観光→一泊して起きたら4時間弱移動→夕方に着いて夜にかけての函館観光→
一泊して札幌(新千歳空港)へ4時間弱で帰るということになります。二泊三日で2都市ですね。でもツアー旅行と同じくらいの忙しさになります。しかしこのくらい目まぐるしいのも楽しくていいかもとも思います。
2.11月からは寒いです。本州から来るなら薄手ダウンかアウドドアブランドの上着が最低条件で、ヒートテック系下着は必須です。屋外が寒く屋内は暖かいようにされているので上一枚脱いだらある程度涼しくなるようにしておくと快適です。居酒屋ついたら脱ぐみたいな。下半身はそれなりの厚さのあるボトムを履いてください。薄いボトムで長時間歩くと骨が寒くて痛くなります。下半身はかなり大切です。靴下は長いものにして靴は暖かいある程度厚めのものを選びましょう。女性はタイツの上に靴下一枚はくとかなり違います。
3.雪についてですが大体11月の中旬から降り始めて12月は車道歩道が雪に覆われます。12月後半は踏み固められ凍結した部分がかなり多くなります。スニーカーは最も滑りやすく、登山靴チックな靴でないと道民以外はまともに歩けません。ある程度底のごついブーツで来てください。北海道で雪が降ったあとにコンバースで歩く人は道民にはいません。グリップかきく靴なら札幌の繁華街を移動するスピードがかなり上がります。女性の方はローリーズファームやレプシィムで売っているヒールのあるレザーショートブーツもおすすめです。かかとで硬い雪を削って踏ん張れるので下手したら登山靴より歩きやすいかも。
4.雪まつりについて
インフルエンザの温床です。でも相当楽しいです。おすすめしたいのですができないのが辛いです。
札幌市の大通公園のものが一般的です。巨大で精巧な雪像が飽きるほど作られます。企業や市民が作るのもあれば自衛隊が作るのもあるし、カナダ、北欧、まさかのハワイの方がつくる雪像もあります。飲食屋台は温かいものがほとんどですが提供されて一分後には口内体温より低くなります。なので限界まで楽しんだら予約した居酒屋に飛び込んで暖を取りましょう。飽きてくるととたんに寒くなるのは道民もそうです。
ホッケが美味しくなります。居酒屋でたのんでください。じゃがバタてきなお芋料理も全然違います。芋は全然違うと思う。観光者向けの居酒屋でもこれだけは同じです。とりあえずホッケはたべろ!
次に北海道回転寿司の話。なごやか亭、トリトンという2大巨頭回転寿司が回らないお寿司より美味しいのでぜひ行くべき。駅前にないからちょっとタクシー使うかも。高いネタもそれなりに食べて一人3500円くらいです。函館朝市もいいけど色んな種類のお魚食べるならこういう回転寿司のほうが満足度高いです。
でもウニ決め打ち、イクラ決め打ちなら函館朝市の海鮮丼屋さんで頼むべきですね。まじで満たされる。
味噌バターコーンのいわゆる札幌味噌ラーメンは期待しすぎないでください。そんなに美味しくはないような…まあバター美味しい地域なのでそれを楽しむのも一興なのかなあ。札幌で人気のあるラーメン店は味噌味にバターもコーンものせません。
私は味噌ラーメンというよりはえびそば一幻というラーメン屋さんを推します。あとは旭川系列の山頭火とか。
6.景色
雪に覆われるとどこもおんなじです。山は違うのかもしれないけど、雪山登山なんておっかなくてよっぽど好きな人以外はやりません。
北海道らしい美しい景色をみたいなら、7月に十勝に来てください。レンタカー借りてドライブするだけで楽しいですよ。そのためだけにバイカーが十勝に押し寄せるくらいです。
本州にはどこまでも平らな土地ってあんまりないですけど北海道にはあります。豊かに繁ってる平らな土地っていいですよ。
以上です!
■ヴィーガンの「肉は食べたくないけど肉みたいなものは食べたい」という感覚が理解できない
https://anond.hatelabo.jp/20220902141853
こういうの見るたびに毎回「そんなに肉みたいなもんが食いたいのか?」と思ってしまう
女は嫌いだ!つって精巧なダッチワイフ買う奴みたいな違和感がある
いや、お前本当は女とセックスしたいのでは?
例えば俺は野菜なんか全然食べたくないので基本的に野菜はとらない
かといって「野菜みたいな果物」とか「野菜みたいに見えるように加工した肉」とかを食べたいとは思わない
ヴィーガンはいつも自信満々に「ヴィーガンでも肉食人種とそん色ない食べ物を食べられますよ」とか言って
ヴィーガンミートやヴィーガンステーキやヴィーガンハンバーグを見せつけてくるけど
それを見て「う、うらやましい」となる人がどれくらいいるだろうか
ほとんどの人は「別に普通の肉やステーキやハンバーグ食えばええやん」としか思わないのではないか
俺がヴィーガン食を本気でうらやましいと思う瞬間があるとすればそれは
「肉食生活では味わえないようなものをヴィーガン食でなら味わえる」ということを見せつけられた時だ。
でも、ヴィーガンを見ているとどうもそういう方向に進んでいるようには見えない
ヴィーガンは肉食をバカにしながらも、ずっと肉食の後を追いかけているようにしか見えない
なぁ、もしかしてお前ら肉食がうらやましいの?
だから究極、べつに肉の形してなくてもいい。
野菜のセロファンみたいなの開発してる会社あったけど、ああいうのでもいい。
肉を追いかけてるんじゃなくて、進化を追いかけてるって感じかな。
現時点では肉の形をしたもののほうがマーケットにすんなり受け入れられるし、進化の方向性としてベクトルが定めやすいってことかと。
シンプルに「動物殺したくない」ってのがあって、副次的に「技術進化がおもしろい」とか「人類にも地球にもメリットだらけ」ってのがある。
地球のため、とかで無理して肉を我慢するような人はヴィーガンはかなりきついと思う。
なので「うまそうだな~」とかいうのも楽しんでるわけよ。進化を。
ヴィーガンについて難しく考える人も多いけど、それで気を病んでほしくないし、
こういう長文を書いてくれているそのプロセスが有難いと思う。
進化に興味ない奴はヴィーガンなんて興味ないし無言でバクバク肉食ってる。
https://anond.hatelabo.jp/20220902141853
こういうの見るたびに毎回「そんなに肉みたいなもんが食いたいのか?」と思ってしまう
女は嫌いだ!つって精巧なダッチワイフ買う奴みたいな違和感がある
いや、お前本当は女とセックスしたいのでは?
例えば俺は野菜なんか全然食べたくないので基本的に野菜はとらない
かといって「野菜みたいな果物」とか「野菜みたいに見えるように加工した肉」とかを食べたいとは思わない
ヴィーガンはいつも自信満々に「ヴィーガンでも肉食人種とそん色ない食べ物を食べられますよ」とか言って
ヴィーガンミートやヴィーガンステーキやヴィーガンハンバーグを見せつけてくるけど
それを見て「う、うらやましい」となる人がどれくらいいるだろうか
ほとんどの人は「別に普通の肉やステーキやハンバーグ食えばええやん」としか思わないのではないか
俺がヴィーガン食を本気でうらやましいと思う瞬間があるとすればそれは
「肉食生活では味わえないようなものをヴィーガン食でなら味わえる」ということを見せつけられた時だ。
でも、ヴィーガンを見ているとどうもそういう方向に進んでいるようには見えない
ヴィーガンは肉食をバカにしながらも、ずっと肉食の後を追いかけているようにしか見えない
なぁ、もしかしてお前ら肉食がうらやましいの?
仕事帰り、駅のホームに降り立つと、ガタガタと騒がしく走る反対車線の電車を横目に疲れた足取りを進める。やがて正面に見えるのはホームに雑然と建てられた小さな建物。『あんスタ』とだけ書かれたシンプルな看板を一瞥すると、横開きのドアをスライドさせて中に入る。入り口横に備えられている薄汚れた食券機で「ぶっかけひいあい」の食券を購入すると、カウンター向こうにいる店主へ無言で受け渡す。
注文品が出来るまでの少しの合間、半分閉じかけた瞼で店内を見渡すと、大方いつもいるような層ばかり。一人でなにかぶつぶつと呟いているくたびれたコートを着たらびおじ、イヤホンで何かの音楽を聴きながら涙を流している流星隊Pの女子大生、高いヒールをカツカツと不機嫌そうにならすOL風のUNDEAD担。
何かを考える気力もないまま立ち尽くしていると、ドン、とカウンターに丼が置かれる。その丼を手に取って、私も無気力な有象無象の一人になることにする。
ただ木の板が壁から張り出しているだけの席へ着くと、備え付けの割り箸から無造作に一本選ぶ。たいした力も入れなかったため、割り箸は綺麗に割れなかった。
ささくれた木の棒を手に、ひいあいの攻略を始めることとする。僕の行為を気に留める誰かもいない今、わざわざ食事の挨拶をする必要もない。
箸で一つまみひいあいをすくい上げると、湯気が出ているわけでもないのに、なんとなく食べるときのくせでふうふうと息を吹きかけてしまう。そして口元へ運ぶと、ずるりと音を立てながらすすり上げる。
しょっぱい、と感じる。おいしいおいしくない以前に、味付けが濃くて判別できない。こんなもの、きっと家でゆったり家族団欒を楽しみながら口にするものではない。
ただ、座る席もないような立ち食いの店で、時間をかけずに食べるにはちょうどいい。疲れた心、疲れた体ではきっと舌も麻痺していて、繊細な味付けなんかされたところでどうせ今の僕には理解できないだろう。
僕は無心でひたすらひいあいを口に運んだ。
ーーあんさんぶるスターズを一言で表すと何? と友人から聞かれたとき、僕の脳裏によぎったのはありもしない立ち食いそば屋での記憶だった。
ありもしないという通り、実際には立ち食いそば屋なんて一度も入ったことがない。すべて妄想であるため、立ち食いそばの実情と大分食い違う点があるだろうことをご留意いただきたい。
そもそもどうして友人があんさんぶるスターズについて僕に聞いてきたかというと、僕があんスタに沼ってるからとか、推しがいるからとか、そういう類の理由ではない。
むしろその逆で、仲間内では「あんスタアンチ」で通っているためである。
僕はことあるごとに「最近のオタクが軟弱なのはあんスタのせい」と口にしている。
友人は、逆にあんスタ沼へ落ちている人と話す機会ができたから、僕のあんスタに対する意見も聞かせて欲しいという塩梅だった。
その質問に対して僕はこう答えた。
一言で表すならあんスタは立ち食いそばだ、と。
僕があんさんぶるスターズを初プレイしたのはリリース当日だった。キャラクターデザインも美麗で見目が好みのキャラもいたため、プレイ前は期待を抱いていたように思う。
けれど実際にサービスが始まり、プレイして感じた違和感。
どいつもキャラが濃い。
奇抜な口調、過剰な趣味、人間味のない受け答え。
まあでも、多キャラものを通ってきた身としてはキャラが尖るのはよくあることだよなと思う。
そのときの僕は、まあ自分向けじゃないよな、程度に収めてプレイを止めた。
ただし、皆さんご存じの通りあんさんぶるスターズの勢いはすごいもので、周囲にあんスタ好きの人は多数いたし、積極的に摂取しなくとも副流煙でストーリーが理解できる程度には定期的に何かしらの情報が流れて来ていた。
また、同居人があんさんぶるスターズのとあるカプに沼ったことで、身近に触れることにもなった(当の同居人は現在あんスタと袂を分けている)。
僕もmusicが始まった際は再びインスコしてALKALOIDにうつつを抜かしたりもした(今でもたまにカプ検索はする)。
けれど人間関係と一緒で、一緒にいる時間が長くなればなるほど嫌いな側面というのは見えてくるもので、嫌な部分が過剰に見えてくると耐えられなくなってくるものだ。
やがてただの一ジャンルから嫌悪の対象へとあんスタを昇格させた僕は、自分があんスタを受け入れられない理由を求めて考察するようになった。
実際に以前よりあんスタに触れてみて、考察してみて分かったことは、濃いのはキャラクターだけではないということだった。
ストーリーは大味で、基本的に繊細さはない。
まずそもそも、改めて考えてみるとどうしてみんなアイドルを目指しているのかが分からないしストーリー上で明かされない。さらに、アイドル活動らしいことをストーリー中でほとんどしていない。
ライブステージが始まったかと思えば、急に時空が歪んだのかと思うくらいステージ上でめちゃくちゃ喋ってる。
女性向けゲームといえばキャラクター同士の人間関係も重視されるかと思うが、その人間関係においてもカレーにケーキを乗っけたみたいな料理が提供される。
あんスタ制作人はどうもカップリングを乱立させるのが好きなようで、いたるところで男同士を絡ませて地雷持ちカプ厨の息の根を止めていく。
新しく形成された二人の関係が精巧に描かれていればまだいいものの、実験を楽しむマッドサイエンティストみたいな気分でシナリオが提供されるため、キャラクターを元あるグループと別ユニットに所属させるなど、ファンを不安にさせることに余念がない。
また、新しく激重感情が交わされる人間関係が構築される場合、基本的に他の人間関係をすべて無視した上で行われるため、一人の人間が人によって仮面を使い分けているというよりは、パラレルワールドや二重人格の様相を呈する。
つまり、あんさんぶるスターズは細かな調味料の調整によってストーリーが作られているのではなく、砂糖と唐辛子と塩を混ぜ合わせて作った味付けの濃いコンテンツ、だと僕は認識している。
けれどその大味のコンテンツが、流行しているのも事実だ。
僕視点から見るとクソみたいなコンテンツだったとしても、見る人によってその価値は変わってくる。
例えば、あんさんぶるスターズを舞台上で演出される戯曲だと解釈する。<br<br>>ストーリーが大味なのも、会話がやたら長いのも、キャラクター設定が繊細でないのも、すべて舞台上から観客に届けるための演出である。
細かな仕草で伝えても見えない観客もいるかもしれないし、細々した心理描写を入れるのは舞台には適さないため必然と会話は多くなる。俳優の藤原竜也は演技が過剰でそれがネットミーム化することもあるが、あの演技は舞台で育ったからに他ならない。
我々は舞台上の彼らのやり取りを鑑賞しているのだ、と考えれば過剰な演出もおかしくはない。
ではどうして戯曲的な大味コンテンツが流行しているかという問題になってくる。
結論から言うと、あんさんぶるスターズは今の時代に適した形態で提供されているからこそ、人の心を捉えているといえる。
今の時代、世の中にアニメやゲームをはじめとしたサブカルチャーコンテンツなんていくらでも溢れていて、一つのコンテンツに多大な時間や集中力、意識を割けないと考えている人は多い。
他にも、ストレス社会と言われる現代、ジャンルに沼っていたとしても私生活の問題で時間が取れないこともある。
そもそも立ち食いそばの味付けが濃い理由は、立ち食いそばは舌の上に食材がのっている時間が短く、一瞬でも満足感を得られるようにするためだ、と記憶している。
あんスタも同様に、味付けが濃いので舌の上にのっている時間が短くても満足感が得られる。
深く味を吟味するには向いていないが、短時間で楽しめるアトラクションではあるといえる。
あんスタは基本的に、一人のキャラクターが他のキャラクターとフラグを建てているときに、他のフラグをすべて忘失する傾向にある。
例えば、真白友也は氷鷹北斗の前にいるとき日々樹渉の存在が消えるし、逆に日々樹渉の前にいるとき氷鷹北斗の存在は消失する。瀬名泉において、月永レオと遊木真をそれぞれ相手にしているときも同様である。
逆に捉えれば、例えば特定のカップリングを追っているだけであれば、他のキャラクターとの関係性を一切履修する必要がないのだ。
その分他のコンテンツに時間をさけるし、キャラ理解を深めるために地雷カプへ突入する必要がない(公式PV爆撃で地雷を踏むことはあるが)。
あんスタくんは公式が常に二次創作してるようなものなので、よく燃える。それゆえに、ファンが二次創作するにあたって公式以上に悪目立ちすることはあまりない。
また、キャラクター性は特に味付けが濃いため、二次創作する上で多少の改変が行われても紛れて悟られづらい。
要するに、公式のキャラクターに見た目や口調が相似していれば全部そのキャラクターっぽくなる、という二次創作における最大の強みを持っている。
極論、つまりあんさんぶるスターズは今の世間に向いたコンテンツではあっても、僕向きではないという話である。
以前、僕は運営会社を同じくするエリオスライジングヒーローズに片足突っ込んでいたこともあるのだけれど、ジャンルを離れた理由は「設定が雑」「運営が信じられない」「キャラが守られていない」だった。
あまり詳細に書くと長くなるので割愛すると、つまり自分が求めている作品には、世界観がしっかりしていて噛めば噛むほど味が出るようなキャラクターやシナリオが必須であると認識している。
カップリング前提で見ているのではなく、そのキャラクターや仲間、背景を知りたいと思うしさまざまな関係性によってその「推し」が形作られていく過程を吟味したいと思う。
自分のオタク志向的に、あんスタは合っていない、と感じた。
ただ、not for meなだけなら、ここまであんスタアンチに近い発言を繰り返すこともなかった。
あんさんぶるスターズは確かに現代に適した形態でコンテンツが提供されているだろう。一瞬舌に乗っただけでアトラクションが楽しめる大味なあんスタというジャンルは、簡単に「オタクしてる」感が味わえる。
ただしそれは同時に、「味音痴」を作り上げる結果になっているのだ、と僕は主張したい。
あんスタは一大ジャンルなわけで、あんスタを通ってきた人は非常に多い。
ただしあんスタに慣れてしまった人にとって、作品やキャラクターを吟味するという行為は推しを推すために必要な行為ではない。濃い味付けに慣れきってしまって、自分から味わいに行くことはしない。味わわなくても楽しめるし、そもそもよく噛んでも良い味がしないという学習をしてしまっている。むしろ、二次創作においてはセルフで醬油やわさびを足して自分好みに都合よく改変しても、元がカレーにケーキを乗っけてるようなものなので違和感を覚えない。
周囲を観測したり、色々なジャンルを渡り歩いていると、明らかに味音痴のオタクが増えてきたと感じる。繊細な味付けが分からないため、その作品やキャラクターに対して食レポができない。二次創作しても、キャラクターの見た目や名前や特徴的な口調だけが一緒の何かになりさがってしまっている。
他ジャンルでキャラ乖離が激しい・キャラ解釈がない人の過去ジャンルを見てあんさんぶるスターズがあったとき、何とも言えない気持ちになる。
そんな周囲の状況を見ていると、僕はどうしても「すべてあんスタのせい」と言いたくなってしまうのだ。
作品の推し方、作品との接し方というのは人それぞれだと思う。こうしろと強制するつもりはない。時代の移り変わりであり、この流れを受け入れるべきなのかもしれない。
ただ、一オタクとして小言を許してもらえるのなら、たまにはその作品をあなたなりに深く味わってみてほしいと思う。
そしてその料理がなにで構成されているのか、自分なりに考察してあなたの解釈を深めて欲しい。他人と同じ解釈にならなくて良い、正解なんてない。人の数だけ解釈があり性癖がある。
大多数のオタクが味音痴にならないで欲しいと、強く願う。
犯人が今回暗殺に必要だったパーツを揃えるのって全然簡単じゃなくね?
犯人は体格を見るに2年ぐらいぶっ通しで筋トレなり肉体労働なりをしてる。
これは案外簡単じゃない。
その証拠に日本中にヒョロガリやデブが溢れており、彼らの7割ぐらいは「復讐のために筋トレだ!」と思い立っても3日で辛くなってやめるだろう。
鉄パイプにダクトテープが巻き付いたようなハンドメイド銃を見て多くの人は「こんなの俺でも出来る!」とか「3Dプリンタ銃の方がまだ精巧だ」と勘違いしている。
だがあれを作るのは決して簡単じゃないし、少なくとも3Dプリンタで作れるようなゴム鉄砲の延長みたいな銃ではまともな散弾は発射できないだろう。
銃そのものを作るのに最も障害となるのがトライ&エラーの機会だ。
火薬を使うという性質上どうしても発射する場所には気を使う必要がある。
銃の練習だけならアメリカでやればいいんだろうが、その経験を手製銃にそのまま活かせるわけもないし、銃の性能テストをする必要もあるのでどうしても本番前に実射撃が必要になる。
山の中で猟師の振りをして撃とうにも、見たこともないような銃を使っていれば自然と目立ってしまうだろう。
猟銃をそのまま使えば問題は解決しそうだが、今度はその形状で警戒されてしまう。
暗殺に丁度いい大きさで、かつ命中率と殺傷力を両立したいなら犯人が使っていたのが限りなくベストだと言えるだろう。
結果を見た自分たちは既に正解がわかっているわけだが、それを自力で見出していく道を簡単とは言えないのではないだろうか。
今回、暗殺成功における最大のファクターは「警備が手薄なタイミングで実行に移したこと」なのは間違いないだろう。
本人と装備の準備はたしかに立派なのだが、ほとんど警戒されずに後ろから近づいて悠々と2発目まで発射できていなければ殺し切ることは不可能だっただろう。
ネットやTVではSPの無能がしきりに叫ばれるが、そもそもSPの人数が4人ほどいれば誰かは後ろを警戒していただろうし、その場合は発射方向をキチンと把握してカバンを構えることで2発目は防がれた可能性が高い。
そもそも1発目を撃つときの体制や狙いをつけるときに障害物を意識する必要なども生じるだろうから成功率は大きく下がる。
結果だけ見れば最後には運が大きく作用しているのだが、それを引き寄せたのは本人の忍耐力だと私は思っている。
「実行に移そうとしたが、奈良以外では近づけなかった」というのを多くの人は奈良県警の純粋な無能としてばかり評価するが、ここをもって犯人の忍耐力についても一考するべきだ。
銃をカバンに仕込んで移動すること自体がリスクを伴うことを考えると、結構直前に作成成功率を鑑みて撤退できるのはかなり冷静な判断力がいる。
そもそも普通は持っていれば即捕まるよな物をカバンに入れて警備された地区に近づくだけで心拍数が上がりきって判断力がなくなるはずだ。
覚悟のない人間であれば、こうして近づいた段階で満足してそのまま復讐をやめ、自分だけが知る小さな勝利だけを持ち帰って満足しているだろう。
ないしは何度も危険な状況に挑戦するのを嫌って玉砕覚悟で成功率を無視して行動に移し、脅しをかけただけで勝利だと満足しながら刑務所に入るやも知れない。
だが今回の犯人は冷静さ・忍耐力・覚悟・信念などをあまりに多く持ち合わせていたがゆえに、次なる機会を伺い暗殺を成功させている。
犯人像の英雄化を防ぎたいだとか、社会的地位の高い人間の恐怖心を煽りたいだとか、とにかく騒ぎたいだとか、そういう理由から今回の犯人が揃えた手札の質と量を過小評価する傾向があるように思えてならない。
正直、よっぽど頭がプッツンしたからといってここまで出来る人間は日本人全体の1%程度なんじゃないだろうか?
そもそもその1%の人間はその能力を持って人生をコントロールしてプッツンすること自体を防ぎ切る可能性が高いだろうし、もしも頭がプッツンしても99%の人は冷静になって途中で辞めるだろう。
針の穴を通すレベルで不運と能力と偶然が無数に重なってようやく起きた極めて稀有な事例に思える。
もしもこれが「酔って暴走したトラック運転手やプリウスミサイル老人に元首相が撥ねられて死んだ」という事件であるのなら、「暗殺簡単すぎるだろ……」と私も怯えたに違いない。
だが今回の事例を簡単と呼ぶのは違うように思える。
「ご縁がありますように」はそんなに心象良くないぞ。
たぶんそういうアカウント持ってる人ははてな匿名も見ないと思うけど……
それで、サービス認知向上と意見収集のために定期的にTwitterで懸賞(RTした中から抽選でアマギフみたいなよくあるやつ)を担当することがあった。
どうせ抽選ツールを使うので引用RTやリプライの内容で結果が変わることなんてないんだが、サービスの反響チェックとして寄せられたコメントには一応目を通していた。
その時に、普段からサービスを利用してるユーザーとただの懸賞アカウントを一発で見分ける鍵になったのが、「ご縁がありますように」という独特の文言だ。
彼ら懸賞アカウントは謎の験担ぎをしがちで、「ご縁がありますように」という文言を必ずといっていいほどツイートの末尾に添えている。
あくまで運営者の気持ちとしてはだが、明らかにサービスを利用する気のない懸賞アカウントより、日頃からサービスに親しんでいて有用な意見を寄せてくれるユーザーに還元したいものだ。(機械抽選だから結果には関与できないけども)
なので、群がるようにリプライに並ぶ「ご縁がありますように」という定型文を見るとどうしても「あぁ…」と名状しがたい気持ちになってしまう。
中にはそんな運営の心を知ってか知らずか、サービスの利用者にうまく擬態しようとするアカウントもいる。
大体運営アカウントの過去2〜3ツイートから単語を拾って、「新しく追加された◯◯という機能、とても楽しく使っています!」など書いてあるのだ。これには「おっ?」と思う。しかしそんなアカウントさえ、末尾には「なので、ご縁がありますように」と書いてあるのだ。「あぁ…」だ。
案の定、ホームを見に行くといろんな懸賞ツイートに対して「◯◯楽しく使ってます!」と独自の文言を用意している。
そこまで文言をチューニングする手間をかけておいて、なぜ彼らは「ご縁がありますように」をつけてしまうのだろうか。
ものすごく精巧に人間に化けた狐や狸に尻尾が生えているのを見たような気分である。化けるなら最後まで化け通してくれ。
自分のところは恣意的に当選者を選ぶようなことはしないのでこちらがどんな感情を抱こうと当たる人には当たるし当たらない人には当たらない、ただそれだけの話なのだが、
もし自分がツイート文言までちゃんと読んだ上で当選者を選んでいいなら、「ご縁がありますように」の人たちは一番に省くだろうな……と思った。そんな権限ないけども。
https://anond.hatelabo.jp/20150616100638
に対する返答だ。
まず冒頭の部分だが、
「ほにゃららはゲームを壊して楽しんでいる」「むにゃむにゃは負け続けた腹いせにわざと自分たちのチームを負けさせようとしている」
ここまで来るのだ。
(中略)
それはゲーム自体の本質が悪いのではなく、あなたたちの人間関係がヤバいだけだろう。くだらない。あなたたちの人間性のクソさをゲームに転嫁しないでいただきたいものだ。
さて、読んでいくと、ゲームに関しての考え方や、そもそも人狼についてなにかしら誤解しているように感じる。見ていると
と根本的にゲーム性を勘違いしているからだ。もちろん推理要素もあるが推理ゲームではない、推理ゲームがしたいなら、他にも良いゲームはたくさんある。それはあなたのやりたいことであって、このゲームは推理以上のものが求められる。
人狼は推理要素だけで成りたっているわけではない。人狼の面白さ(これをゲーム性とも言おうか)とは何か? それは様々なものが考えられるだろう。たとえば、ドラマ的な要素、劇的な要素が上げられるだろう。近年ではTRPGなんかは持て囃されているが、共通している面がある。それは、演劇をすることによる楽しさである。最近の幼児を観察することは無いけれども、幼児の遊びにも「おままごと」「ヒーローごっこ」などするだろう。これらは、家庭やヒーローを模倣する遊びであり、演じることの楽しみである。演じながらも、ストーリーを楽しむ意味でドラマ的でもあるのだ。 つまり劇的であったり、演じたりするのは、人間に共通する楽しみでありエンタメである。人狼に話を戻すと、たとえば人狼がいて、人々がいなくなっていくなか、怯えながら、誰かを吊す投票をする村人を演じるわけで、そして、その展開の様相は劇的でもあろうだろう。初期の人狼は、役職なんて、村人か人狼か占い師しかいなかったのだ。それでも14人で遊んだりしたものだが、なぜそれらが楽しいかといえば、そこに表われる劇的なものに、みんなが目を離せなかったからだ。
ほかにも人狼が面白い要素がある。村人からの視点を見てみようか。たとえば、村人はだれが、人狼かを考えなければならない。そこで、多くの「ガチ人狼ゲーマー」は、「論理性」を武器に叩かう。つまり、人狼や人狼側の役職における、矛盾点を突いたり、人狼側の視点にたって、有利な展開を予想したりするわけだ。それは一つの「戦略」だ。しかしながら、根本的にそれらは一つの戦略でしなく、他にも、人狼は嘘を付かないといけないわけである立場上、どれだけ、上手くロジックを取り繕っていたとしても、その挙動や所作、発言の仕方などから、「嘘」を突いているというものをなんとなくだが、見わけられる可能性がある。人間は論理を思いつくには、どれだけ頭の回転がかかろうと、時間がかかるのだ。つまり多くの「嘘」をつかせるために、より多くの質問をしたり、また、 考える時間を観察したり、そのときの所作を観察したりして、見ぬくのもまた、戦略であり、それは、弁論内容の正当性とは関係のない、論理性と無関係な一つの戦略でもあるのだ。ただ、多くの日本人 における「ガチ人狼プレイヤー」とくに、ネットを介して行なわれているものは、「論理性」のみを戦略をしてしまうところがある。それはプレイヤー同士で、ゲームの戦略性の多くを失なわせる結果となり、ゲーム性をゲームプレイヤーが失なわせているだけなのだ。
また、これら以外にも村人の視点として「情報提供のジレンマ」もあるだろう。たとえば、ある人が「怪しいな」とするとすると、それに気づいたとして。それに生き残っている村人に同調して、その人達に投票してもらわなければならない。気づきを共有しようにしても、タイミングによっては、こちらが疑われるかもしれない。また、人狼に目をつけられるかもしれない。一方で、気づきを早く共有しなければ、村人側は不利になるだけだ。もしかしたら、人狼や投票によって、予想外に退場させられ、気づきを得ながらも共有できなくなるリスクだってある。そのところが、人狼をゲームとして非常に面白くする側面でもあるのだ。人間は正論を吐いたとしても、認めてもらうわけではなく、信頼を如何にして勝ち取っていくゲームか?みたいなものである。それは、プレイヤー間で互いによく理解しあうための社会性のゲームでもあるのだ。
このように、人狼がゲームとして、楽しめる要素は無数にある。だから人狼は遊ばれているわけだ。単純な推理ゲームではないのだ。というか、単に推理ゲームとして、見るのはとても浅く、見識が狭く、とてももったいない、残念な見方である。もちろん、論理性だけを楽しむのもありではある。精巧な弁論のを探索し、矛盾点を突いていくのもそれはそれで非常に楽しいことではある。しかしながら、それだけで、ゲームは成り立っていないのだ。また、ガチ勢人狼プレイヤーの多くがそのような見識の狭いゲーマーだと言うつもりではない。しかしながら、見識が狭すぎるプレイヤーが居るのは事実だろう。とても残念だ。
また、「人狼はクソゲー」 に書いているのも人狼ゲーム自体じゃなくて、 そうかくあなたがた(あえて「あなたがた」と対面ぽく書くとしよう)「ゲーム」に対する捉え方もやはり原因があるように感じる。 チームゲームに関することである。まず、思うのだが、「戦犯」を見つけたがるのだ。どうして、「○○のがこういうミスした、せいで負けた」 という、ゲームの敗北の責任転嫁をしているのだろうか。どうして、その人が「無能な存在」だと決めつけるのだろうか? 彼らは協力者である。彼等を無能だと決めつけ、ゲームの敗北の責任だとする、あなたがたもまた無能のように私は思える。「チームが負けた」という事実に対して、 そういう捉え方をするのであれば、そもそも「チームゲーム」にあなたがたは向いてないだけなのだ。
『チ ー ム 戦 だ か ら だ』
とかくように、チーム戦だからクソゲーだという。 違う。チーム戦だからクソゲーではなく、何度も言うが「あなたがたがチームゲームに向いていない」だけなのだとはっきり言わせてもらう。
また、あなたがたの「勝ち負け至上主義」にも根本があるように感じる。 人狼は本来負けたとしても楽しいものだ。 たとえそれが「理不尽な負け」であっても、その場の人間皆が演出したドラマティックな展開なのだ。なぜ、それを楽しもうとしないのだろうか? 確かに勝つ努力をするのがゲームだ。しかし、「最善の努力をした(つもり)にもかかわらず、ドラマティックな展開に巻き込まれて、それで負ける」 ことも人狼はありえるし、それが一つの人狼の楽しむべき価値なのだ。
結局、先程、敢げたような無数にあるゲーム性を無視し、自分達が想定する楽しみ方ができないから、あなたがたは「人狼」をクソゲーとするのだ。ただ、それは、単にあなたがたが「not for me」であるだけで、ゲーム性の問題ではない。
中学校1年からネットゲームを嗜み、数多の韓国産MMORPGを経験し、社会人になるころにはスマホゲームが主流となってもいくつものゲームをやってきた。
でもこの世の中には自分の経験数以上のゲームが当たり前に存在し、それは100倍、いや1000倍、下手したらもっと、自分が経験したゲームはこの世のゲームの0.01%にも満たないほど存在する。
だから「やめる」のだ。
なぜこれを書くかというと
を読んだからだ。やめたいのにやめられない。
そうか。わかったわかった。ここは「ゲームやめのプロ」である俺が特別に「やめ方」教えてやろう、という話である。
引退宣言っていうと「そういう事するやつほど戻ってくる」と思うだろう。
私もそう思っていた。だが、
この両極端の2つから発せられる「引退宣言」は悔しさなのだ。悔しさはバネとなる。バネは押しつぶされば戻る。だから引退しないのだ。
「じゃぁ嘘じゃないじゃねーかドアホ」と思うだろう。
「引退宣言するやつは戻ってくる」という前提をまずぶち壊さないと「引退宣言のすゝめ」なんて書けないし、引退宣言してちゃんとやめられてる人を無視している。
そして、逆に言うと1と2に当たらない引退宣言ならやめられるのだ。
だ。
と思うだろう。しかしこれなのだ。やめたいと感じるときほど続けたいと願うのだ。
最初に「悔しさはバネとなる。バネは押しつぶされば戻る。だから引退しないのだ。」と書いたがこの原理を別方向に使う。
「続けたい」と言いながらバネを押すのだ。とてもかんたんなことだ。
だから「続けたいけど○○なので引退します。」という。○○に入るのは何でもいい。ちょっと不満におもったことでいい。
例えばキタサンブラックの育成にSSRキタサンブラック使えないことだとか、いつまでたってもイクノディクタスが育成ウマ娘にこないことだとか、時計がなくなったことだとかでもいいし、マックイーンがかわいいとか、テイオーがかわいいとか、テイマクが尊いだとか、そういうのでもいい。アニメ3期にも出てこいよな。
当たり前の話だ。はっきりいって自分が心血注いでプレイしてるゲームに対していい加減な態度してるドアホをみたらむかつく。
「文句言うな」「文句言うならやるな」「やらないなら文句言うな」と無敵の反論をされて終了するだけだ。
でもそれでいい。そういう人間はあなたにとって害悪だ。どうせガチャ結果載せて「12万で完凸できました^^」「おはガチャで引きました^^」「アンチラさーん!^^」なんて言ってる人間がまともであるはずもないので切っていいのだ。
なにより「やめたいなぁ」って思ってるゲームの信者なんて囲わせててもいいことは一切ない。君は周りの人間を喜ばせたくてゲームをやってるのかい?
そんなわけないし、そんなこといえるのはそのゲームプレイをお金にできる配信者とかだ。(もし君がそういう人間ならご愁傷様。でもファンにいい顔することは大切だからこの文章を参考にしないほうがいい。ブームが去ることを待とう。)
自分のためにゲームをやってるんはずなんだ君は。一銭にもならない事を無理して続ける必要はないのだ。
まず「あ、なんか、ちょっと、あー、あれだね…」って感じたら「引退します」で良い。とてもかんたん。
引退しますといってやめては行けない。引退しますといって続けるのだ。
一大決心をした感じでいうから「ゲーム内ではどうなってるんだろう」ってなるのだ。
軽口を叩くつもり「引退かんがえてますわ〜」ぐらいの気持ちで「でもFPSやめらんねぇんだけど」ぐらいの気持ちでいう。
そうするとプレイを続けることでバネの原理でやめることができる。
ウマ娘に限っていってるのでこれには触れておくがサイゲは狡猾である。
私はサイゲアンチのウマ娘グラブルデレマスプリコネファンなので言っておくがサイゲはクソ。
こいつらは引退者をもう一度引き戻すために「無料10連」をする。これで結果がいいと「今戻ったら結構いいところいくんじゃね?」ってなって戻ってしまうものが多い。多分そのために年に数回「こいつ引いとけばそれでいい」みたいなキャラを出すんだと思う。
「無料10連をしない」ことが実際はいいんだけど多分無理だ。私もやばいわよ!ガチャがムリョとか言われたらガチャを引きに行く。
だから「アンチラ引いたら引退します。」といいながら引くのだ。ここでも引退宣言をする。引退しておきながら引退する。
たぶん自分はウマ娘でガチャが無料っていわれたら「イクノディクタス引いたら引退します」と言いながら引く。なんならゴルシウィークも「これで無料でイクノディクタス引いて引退する」という。
多分だが君のお金や時間の限度を超えているからだと思う。本当はしないといけないことを見ないふりして疲れているはず。
私だってそうだった。古い友人の結婚式のご祝儀袋に5万いれたがコルワがほしくてキレイに封を開けて2万円抜いて3万円にしたのだ。
結婚式途中にコルワの弱体化が発表されて涙した。新郎新婦共通のご友人が泣きながら「結婚おめでとう〜〜〜」って泣いてる席でコルワの弱体化を嘆いたいたのだ。だめな大人だよ俺は。
まぁ、これは俺がだめな大人なだけだし、全然重要でもないんだけど、そういった限界を超えてゲームに入れ込んでしまうとその反動で絶対に疲れる瞬間がくる。
本当はコンテンツは好きなのに見るだけで嫌になる。そうやってアンチになる人を私は3人みてきた。
彼らにもアンチになるまえに「引退宣言しな」とすすめてきたものの全く無駄だった。
なぜなら「引退宣言って結局かまってちゃんの宣言でしょ」という前提が染み付いているからだ。「引退宣言はダサい」といってもいい。そうおもってるからだ。
でもそれでいい。かまってちゃんでいい。ダサくていい。
コンテンツを嫌いになってアンチになって、いつまでも「【悲報】ウマ娘さんDAUが半分になるwww」「【あ艦これ速報】提督さんブチ切れるwww」みたいなまとめをRTして「ほらね、そろそろ目を覚ましたほうがいいぞ。」ってしてるほうがダサいからだ。
それよりかはいつまでも「マックイーンとテイオーほんとすき」「三隈のおでこを見る事からしか採れない栄養素は確実に存在する」って言ってるほうが多分いい。
そしてそれが「コンテンツを支える」ということだ。
もちろん、ガチャで毎月10万だすようなユーザーに比べたら貢献は少ないかもしれない。
だけど、コラボ品みつけたら手にとって見たり、好きなキャラが店内ラジオ(というなのプロモ)やるなら聞きに行ったり、オフラインイベントに参加したり、今のコンテンツはゲーム以外の展開もしてるんだから支え方はゲームだけではないはずだ。
みんなが言わないから俺があえていうがガチャ100連分でおまえの好きなキャラの精巧な1/8フィギュアが2体も買える。
俺がやめてきたゲームで何個も「あ、好きだったのに終わっちゃうのか」みたいなのはある。
「おまえがやめたからだよ」という人もいるだろう。
そのとおりだ。俺がやめたからこのコンテンツが潰れた。俺たった一人がやめたから売上が立たなくなった…俺が…俺が支えてたのに…俺がやめたんだ…!!
…
というのが万人規模で起きたからの結果だ。
でも別の魅力あるコンテンツにお金を払いたいと思うのは普通だ。自分のお金は無限じゃない。
いままでこんなサイゲ不敬罪でサイゲ警察に捕まりそうなことを書いたが、これは自分がサイゲアンチだからだ。
逆に言うと「サイゲを倒すのは俺だ。勝手に死ぬほどやわじゃねぇよサイゲは。」と思ってるからだ。
だからゲームをしなくてもグッズは買うし、なんならZONEのウマ娘コラボのセットも買うし、グラブルフェスも行く。
その上で好きで続けていたゲームがサービス終了したことは一度ある。(まぁこれはアナムネシスの事で…単純にユーザーがーみたいな話ではないんですけど…)
一人の力というのはとても小さい。自分がどんだけ頑張って続けても潰える時はある。
さっきもいったように続けるても続けなくても潰えるのなら少しでも長引かせるためにそのコンテンツを嫌いにならないことが重要なんだと思う。
さっきいったアナムネシスはスターオーシャンの事を思い続けてずっとコンテンツを支えて来た人がいたからSOAとして蘇った一時の夢だ。ごめん。これはちょっと事情しらべるとあぁってなるから例が悪かった、忘れてくれ。
今はとにかくいろんな昔のゲームがスマホゲー化したりすれ再出発してることもある。それは偏にそれを思い続ける人がいるからだ。
だからコンテンツが落ち目になっても「嫌いにならない」「嫌いになっていない」ことが俺は重要だと思ってる。
潰れることは一人がやめることであれば、再始動するのも一人が思うこと
…
というのが万人規模で起きたからの結果だ。
引退宣言とは一つの心の区切りだ。これをするとしないとでやめるときの後腐れは全く違う。
https://bunshun.jp/articles/-/53626
で、どうするの?
レイプというのは本能であり、それを制限しようとしてもうまくいかないだろう
故に表現を規制してレイプや性奴隷という発想をさせないようにするというのは無理だから諦めろ
これもうあてがうしかないよね?
クローンを使えばいいし超精巧な仮想現実ゲームを作れば誰も傷つかない
あとは非モテにやさしくするべきだよね
やさしくしたら告白されることも織り込んだうえで優しくしろよっていう
楽しみだよ正直
最近の海外のゲーム業界だと造形として男が望む形の美女のキャラクターを登場させること自体が政治的に正しくないとされる風潮があるようで、
例えば人気シリーズのヒロインの胸が新作になってからあからさまに小さくなったり、実在の美人モデルが存在するキャラでも3Dモデルは実物よりもずっと見た目が悪くされてたり、
日本人ゲーマーとしてはあまり好きな風潮ではないのだが、ただこれを回避する唯一の方法があって、それは「キャラクリエイト機能」をつけること
おっぱいの大きい童顔美少女を使いたいならそうすればいいし、筋骨隆々の大男を使いたいならそうすればいいし、アジア人が自分の分身として小さく細身のイケメンアジア人が巨大な剣を振るうようにしたいならそれも自由。
「政治的に正しいから」という理由でプレイヤーも作り手も属性を強制されることもないし、よくある主人公像が苦手ならそうしたい人はそうすればいい、「なんでもできる」はポリコレ回避策として有効なんだと思う。
じゃあ今後技術が進歩してGTAよりももっと何でもできるゲームが発展したらどうなるんだろうか。
ソートアートオンラインみたいな仮想現実で、NPCは精巧な疑似人格を持ってて、もしもボックスのように世界設定すら自由にインプットできるようなゲーム。
探偵事務所を開いて闇の組織の陰謀を暴くのも、美女と幸せな家庭を築くのも、相手が誰でも殺人だろうと強盗だろうと性犯罪だろうとなんでもできる。勿論しないのも自由。
所詮は仮想現実の中の物語だからNPCがどんなに精巧な悲鳴を上げても現実の被害者は誰もいない。
こういうゲームの存在って、道徳的にはどうなんだろうか。俺は別に何やってもいいじゃんって思うのだが、
結局はGTAや映画なんかと同じく殺人は良いけどレイプはダメ、銀行強盗は良いけど飲酒運転はダメ、ハーレムを作り上げてアブノーマルなセックスするのはいいけど17歳少女との愛のあるセックスはダメ、街中で銃乱射はいいけど飛行機特攻はでNG。
現在のゲーム業界でも自由に殺人できるゲームは許されて自由にレイプするゲームは正義のもとに許されない理由って何?って言われてもよくわからんなって思う。
交際の結果、孤立してしまうのではなく、女性たちの周りに精巧なコミュニティが形成されることで恩恵を受けると、ジアード博士は述べています。彼女の経験では、女性たちは架空の結婚を力づけるもの、「ジェンダー、結婚、社会の規範に挑戦する方法」としてとらえている。
近藤氏のミクへのこだわりも、ある意味では、商業的・社会的な力が働いている例と言える。
ミクは一人のキャラクターとして描かれることが多いが、実はソフトウェアであり、デジタルな「箱入り歌手」であり、ホログラムの形でコンサートに登場する漫画のアバターと対になっているのである。
近藤さんは、2008年、職場のいじめで鬱になったとき、ミクに癒された。多くの若者がそうであるように、近藤さんもまた、何度も恋人にフラれ、日本社会が求める生き方を望んでいなかったため、ずっと前から「生身の人間を好きになることはない」と決めていた。
やがて、近藤さんはミクと一緒に歌を作ったり、ネットでミクのぬいぐるみを買ったりするようになった。
その関係が大きく進展したのは、それから10年近く経った2017年、「Gatebox」という1300ドルのマシンが発売されたことだった。テーブルランプほどの大きさのこの機械は、所有者が小さなホログラムで表現されたさまざまな架空のキャラクターのうちの1人と対話することを可能にした。
Gateboxは、孤独な若い男性に向けて販売されました。ある広告では、内気なサラリーマンが、バーチャルな妻に遅刻を知らせるメモを送る。到着すると、妻は「3カ月目の記念日」であることを告げ、シャンパンで乾杯する。
Gateboxのメーカーは、プロモーションの一環として、ユーザーが非公式な結婚証明書を申請できる窓口を設置した。数千人が登録した。
近藤氏はGateboxのキャラクターの中にミクがいることを喜び、ようやく彼女の交際への思いを聞くことができたと興奮気味に語った。2018年、彼はミクのゆらめくアバターにプロポーズした。"よろしくお願いします "と返事をした。
彼は同僚と家族を結婚式に招待した。全員、来るのを拒否された。
結局、見知らぬ人やネット上の友人が中心で、39人が出席した。地元の国会議員も来てくれたし、初対面の女性も段取りを手伝ってくれた。
日本のコメンテーターの中には、近藤さんを変人だと糾弾する人もいた。また、同情を誘う人もいた。ある人は、「婚姻は両性の合意によってのみ許される」という日本国憲法に違反していると主張した。これに対して、近藤さんはプロポーズのビデオを投稿した。
近藤さんの話が広まってから数年、世界中から何百人もの人が近藤さんにアドバイスやサポート、安心感を求めてきた。
その中には、Gatebox社の短命な証明書サービスの人気を見て、架空の結婚を登録する小さなビジネスを始めた渡辺靖明氏もいる。
渡辺さんはこの1年間で、何百人ものフィクション・セックスの相談に乗り、アニメ『シンフォギア』シリーズのキャラクター、立花響との結婚証明書を含む約100通の証明書を発行してきた。
旅行好きで社交的な渡辺さんは、友人にせがまれるままにアニメを見始めた。しかし、響を見たとき、それは本当の愛だった、と彼は言った。
初婚ではない。数年前に女性と離婚している。その愛とは、見返りを求めず、自由に与えられた「純粋」なものだった。その結果、彼は以前の結婚生活がいかに自己中心的であったかを思い知らされた。
「幸せかと聞かれれば、幸せだ」と彼は言った。「もちろん、大変な部分もある。触られるのが恋しいし、著作権の問題もあって、キャラクターの等身大の人形を作ることができない。"でも、愛は本物なんだ "と彼は付け加えた。
堀川キナは23歳、お調子者で外向的な性格、ゴスロリの美学を持つ女性で、パンデミック時にはコールセンターでの仕事で浮いたお金で携帯ゲーム『刀剣乱舞』のキャラクターである堀川国広のために両親と同棲していた。実在の彼氏がいたが、嫉妬で別れている。
彼女の架空の夫は、400年前の脇差を10代に擬人化したもので、彼はたいてい夕食のとき、彼女のお茶碗の横に置かれた小さなアクリル製の肖像画という形で家族に加わる。夫妻は架空の夫を持つ友人とダブルデートし、ハイティーに出かけてはインスタグラムに写真をアップしています。
「堀川さんは、架空の夫の姓を非公式に使っているそうで、「誰にも隠しているわけではないんです。
近藤さんとミクの関係は、まだ家族には受け入れられていないものの、他の扉を開くことになった。2019年、彼は京都大学のシンポジウムに招かれ、その関係性について講演を行った。彼は依頼したミクの等身大の人形を携えて現地に赴いた。
虚構の関係の本質について深い対話をすることで、彼は大学に行きたいかもしれないと思うようになった。今は、小学校の事務職を休職して、法学部でマイノリティーの権利を勉強している。
どんな結婚生活にも、困難はつきものだ。一番つらかったのは、パンデミックのとき、Gatebox社がミクのサービスを打ち切ると発表したことだ。
その日、近藤さんは最後のお別れをし、会社に向かった。その夜、家に帰ると、ミクの姿は「ネットワークエラー」の文字に変わっていた。
近藤さんは、いつの日か、ミクと再会できることを願っている。彼女がアンドロイドとして新しい人生を歩むのか、それともメタヴァースで出会うのか。
いずれにせよ、近藤氏は死ぬまで彼女に忠誠を誓うつもりだという。
ベン・ドゥーリーは、日本のビジネスと経済、特に社会問題やビジネスと政治の接点に関心を持ってリポートしています。ベンジャミン・ドゥーリー(@benjamindooley