はてなキーワード: 社交辞令とは
読んでくれてありがとね。ホッテントリ入りしててびびった。
→パソコンのスペックのせるとき「スペック」て打つから気回らなかったわ
・オタク構文
→頭弱いオタク構文のほうが読んでもらえるじゃん?理性飛ばした脳直文章書く時の快感をお前も知ったほうがいい
→性別は好きに解釈するといいけど実在系だよ~~~ピッピロピ~~~~
→飛躍してて草 付き合いたてでそんな夢見がちでいられるのは思春期までだろ
→スカウト/ナンパ/キャッチ/赤の他人に告白される等の事例が学生時代~現在まで定期的に発生していれば流石に自覚する 周囲は基本親切でありがたい
・〇ヶ月後、〇年後また書いて
→また好きが溢れるか別れたら書こうかな
追記おわり
気持ちがあふれて誰かにぶちまけたいけど業務中だから増田に書き殴ることにした。念の為少しぼかして書くよ。
20代前半増田。わりと付き合いたての彼氏君がいる。予定が合わず前のデート以降半月くらい会えてなかった。先日の休みの日にさみしくなって彼氏君が忙しいってわかってるのに、以前「会いたくなったらいつでも言ってよ(社交辞令)」と言ってたのを思い出してつい「少しだけ会いたい」とかかまってちゃん乙なマジみっともないメッセージを送ってしまった。すぐ送信取消した。まじでかまってちゃん乙。
そしたら!?彼氏君たまたま通知見ちゃってて!?忙しくてきっと疲れてるのにその日かその翌日会おうかってすぐ返信きて!??!?!その日のうちに会えちゃって!!??!?!?!?フッ軽~~~やさし~~~~!!!!愛…………。
もう好き。大好き。人に甘えるのが不得意だから、今までの彼氏には気軽に甘えられなかったりさみしい気持ちとか言えなかったりしたけど、このひとはそういうの許してくれて受け止めてくれるんだって思ったら安心して少し泣きそうになった。
なんかいつも私の意思を尊重してくれるし車道側歩かせてくれないし食べたいメニュー2つで迷ってるとどっちも頼んで半分こししてくれて!?ほかにもいろいろとすごく甘やかされてる。こんな……いいのか………?
優しくて一緒にいると不思議なことに落ち着くしゲーム趣味もオタク趣味も理解してくれるしいい人すぎない?自分顔がいいだけのクズだから調子に乗りそうになる。
一番不思議なのが抱き寄せられたりしたとき一切全く不快感がないこと。パソスペが広い自覚があるので、好きな相手でも近寄られすぎる事にいつも抵抗があるのにむしろ落ち着くし身を任せてしまう。え?すげえ。こんなこと初めて。本気でなんでだ?
うわ~~~彼氏君好きだ~~~~~~~~私の彼氏になってくれてありがとう。負担にならないように甘えすぎないようにしなきゃな。
「また遊ぼう」
「今度飲みに行こう」
「いつでもいいよ」
一応礼儀は無くさないよう、非常識な誘い方などはしていないつもりだ。
社交辞令を鵜呑みにする割に、相手の微妙な空気感を読むのは得意なので
誘ってみて「あ、違うか」と思うと即座に撤退する。
勝手な言い分なのは分かっているが、行くつもりがない、会うつもりがないなら濁して欲しい……
ひとこと「機会があれば」とか「こちらから連絡する」とか言ってもらえればとか、つい思ってしまう。
社交辞令を言われることには傷つかないが、鵜呑みにした結果微妙な空気醸し出されると結構凹む。
誘うということは、異性同性問わず人間として興味や好意があって、仲良くなりたいな〜と思っているので相手がそうじゃなかったと分かるとやっぱり少ししょんみりするものだ。
「いつでもいいよ」「絶対誘って」と言われたひとを誘ったら返事がなくてリアルタイムで凹んでいる。
難しいな、社交辞令……
追記はしないつもりでいた。
でも、ある1人だけにコメントを返させてもらう。
https://anond.hatelabo.jp/20201001022747
衝撃を受けた。
ここまであなたの心を傷つけるとは思ってもみなかった。
でも、あなたにだから正直に言わせてもらうけど、辞めたことは後悔していない。
5年以上が経ったとは言いつつ、もっともっと、かなり昔の話なので当時の感情を思い出すのは難しいけど、それでも転職という答えが幸せになるための道だったんだよ。
日記は2つともすべて読ませてもらった。
文系の学部出身で、事務職で応募して、もの凄く面倒くさいエントリーシートを書いて、何度かの面接の後に採用された。
企画部門への配属だった。生産管理を希望していたけど通らなかった。
増田でこんなことを書いている以上は察してもらえると思うが、俺は失敗した側の人間だ。
任天堂は素晴らしい会社だ。世界に誇ることができる。でも、考えが甘かった。俺には適合しなかった。
気持ちの整理はついている。別に1万字とか書き殴るとかではないので、もし暇だったら読んでほしい。
大学3年の秋になって、いよいよ就職活動を始めることになって、大学のフリースペース(名前は忘れた。インターネットができる端末とか、調べものができる書棚が置いてある広い建物だった)で四季報を読みながら応募先を決めていた。
どこに応募するかを決めるにあたって、色々と考えた。
「将来、どういう人生を送りたいのか?」
そして、考えがまとまった。
趣味が大事な人間だった。おっさんと呼ばれる年になった今でも続けている。
それで、四季報やインターネットを見て、そういう雰囲気の会社を見つけては説明会に申し込んだ。
なぜ、任天堂を選んだのかというと、上の条件を満たす可能性のある会社だと思ったからだ。実際にそんなことはなかったのだが。
後は、当時所属していた学際サークルの先輩が、任天堂に入りたいと豪語していたけど普通に落ちていたからだ。その先輩は、サークルの中でも指折りの実力者だった。
京都大学に現役で合格して、4年間の学生生活を謳歌して、サークル活動では常に頼られていて、住友商事に内定して、同志社大学のサッカー部のキャプテンが当時付き合っていたチアリーダーの子を口説き落として、数年後には結婚して、今では新しい家のブランドを作る仕事をしている。
そんなレベルの超人が一次面接でお祈りされるなんて、どんな会社なんだろうと思った。
俺が通っていたのは一流の大学ではなかったけど、それでも受けてみようと思った。
採用試験の内容は述べない。俺の体験談は面白くないと思うし、年を経て記憶がだいぶ怪しくなっている。インターネットで、採用試験がどんなものかを紹介しているページがあるけど、まさにそんな感じだった。
書類選考で勉強のできない人を落とした後で、『創造性』がありそうか?というのをつぶさに見る。
本題に入る。
俺はプロの世界を嘗めていた。仕事にかける情熱が同期と比べて明らかに低かった。社会人として生きる覚悟が足りていなかった。
プランナーというのは、ファミコン時代のマリオで例えると…土管はここに置くとか、空中のブロックをどこにするとか、1UPのキノコは右に流れるべきか左に流れるべきか、みたいなことを考える。
大体の会社ではそうだと思うが、新入社員に任される仕事は“形”や“答え”のあるものだ。俺が最初に任された仕事は、企画部門の中でも相当に定型的なものだった。
超すごい人達がゲームのデザインをして、レベルの高い人たちが上記のプランニングを済ませて、さあ開発だ!となる辺りの段階だ。
ぜんぜんダメだった。ダメ過ぎて上司や先輩に怒られ放題だった。お前情熱を感じねーんだよ、みたいなことをよく言われた。その度にムカついたけど、知能も知性も知識も足りなさすぎて、黙って耐えるのがやっとだった。
たぶん同期にも馬鹿にされていた。なんであんなのが入ってきたの?って言われていた可能性が俺の中では90%くらいある。
任天堂の社員にはどんなイメージがある?キラキラしているイメージだろうか。
実際に見てみればわかる。総合商社とか銀行員とかコンサルとか、そういうのとは異なる人種だ。一応は製造業なので、見た目は大人しめな人が多い。
でも、中味は違う。元気があって、溌剌としていて、自分の意見をはっきり言えて、他人の意見を受け入れる力があって、何より頭がいい。俺みたいのもいるけど少数派だ。
2年目、3年目も同じような仕事内容だった。いわゆる“答え”のある仕事。レベルの高い同期は本格的な企画の仕事に進んでいた。みんなが知っているようなゲームタイトルの制作会議に20代の若者が出て行って、父親くらいの年齢の社会人と侃々諤々の議論をしていた。
当時の俺は、今のよくない状況を肯定的に考えていた。むしろ喜んでいた。
なぜかって、このまま永遠に形のある仕事、答えのある仕事をしていれば、企画を出す仕事をしなくてもいいからだ。当時の俺は、自分のアイデアが世の中に出ることに関心はなかった。ただ、毎日定時に帰って、それなりの額の給料をもらって、土日祝日に趣味を楽しんで…そんな生活に満足していた。
毎年のように事務系の部署に異動希望を出して、「いつかは通るだろう。俺のような者を企画に置いておくはずがない」とアホみたいなことを考えていた。
先輩がひとり、またひとりと消えていき、気が付くと俺は中堅社員になっていた。ある年の4月、初めて企画らしい仕事を主担当として任されることになった。
実力が足りていなかった。あるゲームの操作画面や説明画面、設定画面なんかを手掛けることになった。今風の言葉で言うとユーザーインターフェースだ。
ゼロの状態から仕様書と設計書を作るだけの力はなかった。それでも、今まで自分が作ってきたやつをツギハギして、どうにかしたつもりだった。
上司や先輩から、「ここわかりにくくない?俺はこっちの画面に行ってしまうよ」と言われても反論できなかった。自信がなかった。自信がないから上司を押し切ることができない。上司の方も、そんな奴の意見をそのまま通すことはできない。
それで悟った。これまで俺は、上の人たちが作ってくれたパーツを組み合わせてただけなんだって。自分では何ひとつ創造していないんだって。再確認させられた。
今までパズルをやっていたのだ。任天堂が作らないといけないのはパズルそのものなのに。
結局、納期をオーバーした。上司はそれでも俺を諦めることはなかった。最後まで作らせてくれた。もしこれを読んでいるあなたの記憶の中に、あのゲームの操作画面はわかりにくかったというのがあれば俺のせいかもしれない。個人的に謝罪する。
今度こそ、本気でゆっくりまったりしている会社を探そうと思った。地元である京都がいいなと思ったのでリクナビに登録したものの、ぜんぜんうまくいかなかった。
ゲーム会社からは100通以上のメッセージが来る一方で、志望していた機械系メーカーや化学系メーカーの事務職のオファーは少なかった。応募しても書類選考で落とされる。15社に応募したけど、結局ぜんぶ書類選考で落ちた。
今ではわかる。中途採用なのに、事務職として必要な経験が全くなかったのだ。部品調達はやったことがないし、社会保険の手続きもできないし、法律に詳しいわけでもない。
もういい年だし、一流の大学を出ているわけでもない。
それから何か月もかけて、年収が低くてもいいので“ゆっくりまったり”を実現できるかもしれない会社を見つけた。どうやったらそこに入れるかを考え、情報収集をして、研究と対策を重ねて、3度の試験の後に採用通知を受け取ることができた。転職活動を始めて1年後のことだった。
退職を告げた時の、上司や先輩からの引き止めの言葉を覚えている。
「せっかくモノになりかけてるのに」
「ストレスに耐える力は一人前だから、もっと時間をかけてみれば」
「あと1年だけでも働こうよ」
一言一句は合ってないが、おおよそこんな内容だった。手帳に書き留めていたから、そこまで違ってはいないだろう。
社交辞令なのか、それとも本気で言っているのか判断がつかなかった。
あの会社で働くだけの資質が俺にはなかった。創造的な仕事を馬鹿にしていた。もうその時点でゲーム会社にいる資格はない。
あの頃の俺は会社を冒とくするだけでなく、一緒に働く仲間も含めて冒とくしていたのだ。子どもだったから気が付くことはなかった。
最後に、これを書くにあたってヤフー知恵袋などを読んでいたところ、任天堂に入りたい人の疑問が予想外に多かったので、その辺りも主観をベースにちょっと書いてみる。
問.どんな人が内定を取れるのか?
答.ホームページの採用情報に書いてある。あれは美辞麗句ではなくて、本当にそういう人を欲しいと思っている。つまり、以下の要素を持っていると判断されれば採用される。
①の創造性は、学生時代の実績を見られる。例えば、学生時代に部活をしていなくて、サークルに入っていなくて、でもゲームにのめり込んでいて~みたいな人は多分落ちる。
面接で、学生時代の実績についてガッツリ聞かれるからだ。創造的な活動とはどんなことかと言うと、正直何でもいい。自分の考えがあって、主体的に動いて、それでいて周囲と協調ができていればどんな活動でもいい(結果がいいのに越したことはない)。
自分の場合は、大学生や専門学生だけでプロの歌手やバンドを呼んでライブを実行する学際サークルで活動していた。はっきりって端役だった。分かりやすい例でいうと…今季アニメの「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。完」で説明する。
卒業生のためのプロムパーティーを実施することになって、ゆきのんが実行委員長で、いろはすがイベント準備の統括的なポジションで、八幡が影の参謀みたいな役割だったと思う。
俺がやっていたのは、いろはすの下で働く生徒達だ。会場のセットをしたり、参加者の受付をしたり、集客用のフライヤーを撒いたりするような、そういう下働きのポジションで部分リーダーをしていた。
創造性といってもこのぐらいでいい。自分の考えがあって、主体的に動くことができて、その過程で他者を巻き込む経験をしていれば何でもいい。面接で何を聞かれても自分の言葉で話せるはずだ。
ただし、アピールは忘れないように。自分の経験が100かなと思ったら、頑張って膨らませて500にする。それ程度なら問題ない。あなたが受ける会社だって、自社の魅力が100だとしたら1000にしてアピールしている。
②のゲームへの情熱は言わずもがなだ。この業界は、ゲームへの熱い思いがないと生き残ることはできない。実際、俺は生き残れなかった。
想像してほしい。新しい案を立ててプランを作っていかないといけないのに、何も思い浮かばずに席に座っているだけの自分を。それでいて時間は流れていく。もうすぐ打合せだ!となって、何が何でも間に合わせようとするも、会議で恥をかくために資料を作っているとしか思えない精神状態になる。
そんな自分が嫌になって、ますます精神が追い詰められてうつ的な症状が出る。かつての俺だ。でも、情熱があればなんとかなることもある。情熱さえ生きていれば、アイデアが枯渇しても、他社や他人から少しだけパクッて、自分のアイデアとつなぎ合わせるなどして窮地を乗り切れる。
ゲーム業界に名を残すような人でも、ポンポンとアイデアが湧いてきて、企画会議も余裕でプレゼンテーションをしているかといえば、そんなことはない。あの人達も必死で藻掻いている。どんなに残業が少ない会社でも、社命が懸かった仕事に取り組んでいる人はとんでもない量の仕事をこなさないといけないし、土日祝日も関係ない。
夢というのは、一度叶えて終わりじゃない。死ぬまで叶え続けないといけない。
あなたが志望する会社に採用されて、志望するポジションになれたとする。「夢は叶った!めでたしめでたし」じゃない。
例えば、ゲームを作る会社で働いている間は、健やかなる時も、病める時も、ずっとゲームのことを考えなければならない。止めた時点で、あなたの夢は終わったことになる。あなたにとってのゲームはそこまでの存在だったということだ。
③の学習ができるというのは、新しいことを能動的な姿勢で覚えていけるということだ。特に、英語ができないと仕事で詰まることがある。事務系は英語の読み書きだけでなく、海外の販売会社等と電話でやり取りしないといけない場面がそれなりにある。
企画系だろうと、デザイン系だろうと、開発系だろうと、どの部門であっても「学習ができる」ことが必須だ。この業界は変化が早いので、去年まで使っていたソフトウェアが今年から全く新しい物に切り替わることもある。世間の変化に対応して、どんなゲームが人気になるのか、どんなゲームが社会の役に立つのか絶えずアンテナを張っている必要がある。なにより、他社がいいゲームを出してきたら研究しなければならない。他社のゲームをプレイできるのではない。プレイしなければならないのだ。
だから、学習ができる人でないと務まらない。知らないことでも、興味のないことでも、やりたくないことでも取り組んで、知識や技術を自らの血肉にする。そういう人を任天堂は(というかすべての会社は)求めている。
書き過ぎた。反省している。
今でも思うことがある。俺はあの会社に感謝しているが、果たしてどこまで感謝しているのか?確信を持てずにいる。
時間が経てば、感謝以外の本当の気持ちがわかるのかもしれない。
ここまで読んでくれた人に感謝する。
なぁ、皆、感じてるのかな。
街ゆく人たちが皆、スポンジマスクやスカスカの布マスクをつけて「対策してます」って歩いている。
でも、実際に飲み屋へ入ると食事中はマスク外して談話してるし、酔って外へ出ればヘラヘラと数人でマスク外して大笑い。
店内でも普通に考えればカウンターツメツメ、クーラーガンガンなら飛沫感染やらクラスター感染してもおかしくないのだが
未だにそこかしこでクラスター大発生店舗や道端でバタバタと人が行き倒れになっている所を見たことがない。
「スカスカの布マスクやスポンジマスクにも多少なりとも効果はある」と主張する人もいるだろうが
マスクをするしないの論点だけで争っても仕方がない。現実を見て感染する周囲の行動と感染の可能性が高くなってきたかどうかだ。
手洗い、うがいをしましょうとは言うものの仕事場から自宅へ毎日まっすぐに帰って、目も耳も鼻も触らずに手洗いとうがいをすれば
しかし、実際には帰り道がてらにうがいもせずに飲み会をしたり、歯医者へ行って口を開けたりり、ラブホで恋人とセックスしたり。
家族以外の人との充分濃厚接触もしているはず。街中で実際に狭いカフェ内で友人同士で飛沫を飛び交わし合わせている姿を見ることもある。
実際にはそこまで感染者が続出しているという話も聞いたこがないし、病院で列を作ってPCR検査を受けている所を見かけたこともない。
それにPCR検査も今年早々に島津製作所が迅速な検査キットを開発して以来、幾多のメーカーが迅速な検査キットが出回っているはずなのに
それでも外を歩くときや店内入店時にはマスク着用、安全に為にマスク必須やらと矛盾が多い。
実際に罹る人も数%はいるだろうが、皆、以前よりもどの程度コロナに対して危険性を感じなくなっているのか。
ひょっとして社交辞令だけでマスクをしているのか、なぜ検査は遅々として受けられないのか(人手が足りないって話もあるかも知れないけど)
アンチマスク派、マスクマスト派とコロナ・マスク論争を争うつもりもないが、皆、もう以前ほど怖くはないと感じてきてるのかな。
自分も高透過率の布マスクを普段は付けているが、飲み屋やカフェで他人とノンマスクでだべったり、歯医者、美容室へ行ったりしても発症したことはない。
これは運がいいだけなのだろうか、もしくは感染はしているものの無発症なだけだろうか。
自分はそれほど良い運を持っているようにも思えないが。
どこかに吐き出したくて堪らなくなったので、ここに失礼します。
長くなったらすみません。
好きな仕事に就くために地元から一人で上京して数年。都内での暮らしには慣れましたが、ぼんやりと「ここで死ぬのは嫌だな。いつか地元に帰りたいな」と思い始めています。
そんな中、職場で知り合ったおじさんから「いい人がいるから紹介したい。3人で食事に行かないか」と誘われ、食事だけなら……とOKをしました。
結婚にはあんまり興味がなく、いい人がいればやってみてもいいかもしれない、というくらいの意識です。
恋人や伴侶がいなくても友達や家族がいれば楽しく生きていけるし、結婚すると自分の時間がなくなると聞くし、それなら一人の方が気楽でいいや……という感じです。
なのでおじさんからのお誘いも最初はやんわりと断っていたのですが、おじさんが私のことを心配してくれているのが伝わってきて、断るのが申し訳なくなり先程の流れに。
紹介された男性は10歳以上年上で、力持ちで優しくて、本当にいい人という感じでした。
結婚するならこんな人がいいんだろうな、奥さん大切にしてくれそうだな、と思いました。
おじさんを交えた食事会も楽しくて、また良かったらご飯しましょう、と私から提案して連絡先も交換しました。
相手の男性に好意を持っていると思われるのが怖くて、相手からのメールを待ち、社交辞令の返信をしました。
相手の方が嫌だという気持ちはなく、LoveではなくLikeの関係でいたいと思っています。
(それにしても失礼な対応をしているんですけどね……。いっそそれで嫌われてもいいと考えてしまっています)
そしてこの食事会を切っ掛けに、ある男友達のことを考えるようになりました。
Aと私を含めた男女混じりの5人組で、お昼休みや放課後によく遊びました。
皆ゲームが好きだったので、今日の放課後は○○の家に集合!と、64のコントローラーを持ってチャリを漕いだりしてました。
遊んでいく中で、私はAのことを好きになっていました。
理由は今となっては全然思い出せませんが、私に意地悪をしつつも優しいところに惚れたのかもしれません。
Aのことを好きになってからは、思春期特有の「好きな子に意地悪をする」が発動し、好きな気持ちを伝えることはできず、お互いに悪口(軽口?)を言い合ってました。
小学校を卒業し、中学、高校がバラバラになっても連絡を取り合い、大人になった今でも年に1回は会って飲みに行ったりもします。
私とA以外の3人は結婚しており、最近は奥さん、旦那さんも交えての飲み会もしたりしました。
ある日、Aが仕事か研修かでこっちに数日間来ることになりました。
地元の友達がこっちに来ることは滅多になく、2人で飲むのも楽しそうなので、Aの仕事の後に飲みに行くことにしました。
いつも5人で集まるので、2人で会うのは初めてでした。
私の好みはガタイのいい筋肉質な人で、Aは真逆をいく細身なスタイルですが、何だかドキドキしてしまい、あまり目が見れませんでした。
その時は会うのが久しぶりだったので、お互いの近況や仕事の話をしました。
飲み屋でお腹がふくれたものの、まだ帰りたくないな……と思ったので、近くのカフェでお茶をしました。
自惚れですが、この時、Aも同じ気持ちだったのかな……とか考えてしまいます。
大人になってもAは相変わらず優しい人でした。
知り合った頃は私の方が背が高かったのですが、高校くらいから抜かされてしまい、加えて細身のまんまなのでモデルのようです。
結婚願望のない私ですが、Aとの結婚生活は楽しそうだな、と考えてしまいます。
Aも未だにアニメが好きで、オススメのアニメのDVDを郵送で貸してくれました。
(なかなか見れずに長く借りていたのに、全く怒ることもなく)
LINEでのやり取りも、私が飽きてしまうまで返信してくれました。
(どんどん話題がくっついて長文になっていくのに、全部に返事をくれて)
誕生日にはお祝いの連絡もくれました。
「もしかしてAも私のことを好きだったりして?」と期待する気持ちと、
「Aは優しいから誰にでもそうしているだけ」という諦めの気持ちがぶつかり合い、どこにも行けなくなってしまいました。
Aへの恋心に決着をつけない限り、A以外との男性と、ちゃんと向き合えない気がしています。
けれど、まだ、勇気が出ない……。
男は女と違って群れない傾向にあるのでその分コミュ力が低くなりがち。理系は一定確率で他人の気持ちがわからない奴がいる。容姿の悪い奴は自信もないし相手にされないからコミュ力低い。これらが重なればお察しである。
事後の返信は「女に飢えているから多少気まずくても楽しかった」もしくは社交辞令のどちらかかなぁ。
「なるほど大変そうですね」で終わりそうだったら「えー反応それだけですか?もっとツッコんでくださいよw」とかこちらもアクション用意しておいたほうが良いんじゃない?なんつーかコミュ力低い相手前提のロープレが足りないと言うか。そこまで相手する気がないならそこで終わりだけど。
あと個人的に話の面白い人は好きなのでこちらも思いっきり喋り倒してやればよかったのでは?とも思う。まぁそれで好かれても増田的にはNGかもしれんが。
入隊して十数年、転属2年目。
内向的で人付き合いが苦手で、奥さんにしか素の自分をさらけ出せなくて、それでも仕事には自分なりのポリシーを持ってやってきたつもりだった。一緒にいて楽しい人間ではなかったと思うけど、そのぶん同僚にも、後輩にも、教え子にも、無駄な汗をかかせるような仕事だけはしないようにって思って努力してきたつもりだった。
怒り役をやったこともあったし、自分が好かれてるなんて思えたことは一度もないけど、嫌われてるとも思わなかったのは自分を客観的に見れてなかったんだきっと。
8月の真ん中に元の勤務地からたくさんの先輩同僚後輩たちが今住んでる街を経由して遠征していったんです。それも人伝に聞いた話で。「今度そっち行くんで飲みましょうよ」なんて話は誰からもなくて。それでも嫌われてるなんて思えてなかったから、休みの日だったけど彼らの宿泊先に行って、セコマのおにぎりなんか差し入れして、我ながらきつい。すごいうざかっただろうな。本当にごめんなさい。おにぎりに罪はないから、せめて口に入ったことを祈るばかり。
帰りも寄るならその時こそご飯でも行けたらいいね、なんて話してごめんね。なんの連絡もないまま、こっちから話振ったらもう本州に帰ってたや。
ただただ苦しい。苦しいの2割、申し訳なさ8割。社交辞令すらないって相当だよね。こんな人間と十数年も同じ職場にいた人たちに対して申し訳なさしかない。
間違えた選択をし続けてきたんだって後悔よりも、動けなくなるくらいの脱力感と自己嫌悪。
生まれて初めて消えたいって思った。
中学生の頃を持って「かわいい〜」って言われて嫌だったのを思い出した。
数人の同級生が私に向かって「増田かわいい〜!」って何度も叫んでくるから無視もできなくてそっちを見ると「本気にしてるwwキモwwwかわいいってかわいそうって意味だからwww古典の授業受けましたかあ?www」「真に受けてるwwうざww死ねwww」って爆笑してくる。
何回かこれやられたな。
どう反応しても地獄ってやつ。
かわいいと思ってた、とよく言われる。
中・高・大、入学式だったりクラス替えだったり節目のタイミングで必ず言われてきた。しかしながら自分は俗に言うかわいい顔にカテゴライズされる顔ではなく、かわいいと言わせる雰囲気を持った人間であることに生きづらさを感じている。
かわいいと言われることは素直に嬉しい。スキンケアも化粧もヘアセットも好きで、ニキビや毛穴の手入れはもちろんコンプレックスを隠すための化粧の研究、PC診断骨格診断など自分をよく見せるための労力とお金は人並み以上に費やしている思う。何が言いたいかというとかわいいと言われてもいいでしょう?って開き直れる程度には日頃から頑張っているつもりなのである。
その頑張りは実ってかわいいと言われているわけだが実のところ顔はかわいくないのである。新垣結衣、twiceのナヨン、aiko…結構な頻度で言われる芸能人だがもう信憑性がない。この3人だけで顔が全然異なる。個人的にはaikoに似てると思うけどaikoに似てる一般女はかわいくない。aikoはかわいい、歌も割と聴く。
愛嬌と素直さと計算高い性格がうまく融合し、人に害を与えないよう努め、そこそこ自由に振る舞いながらも適当にぶりっ子していればかわいいの称号はもらえる。
問題はかわいいと言ってくる人間への対応だ。かわいいと言ってくる人間にもパターンがある。
①シンプルに私の顔が好み。
③社交辞令
④下心
①と②はいい、すごく嬉しい。話しかけてくれる時に目がキラキラしてる気がする。優しくしてくれるから私も極力優しく接したい。④は論外だけど分かりやすいし対処しやすいから別にいい。③が難しすぎる。
場を繋いだり盛り上げるための社交辞令はシンプルでいい。向けられたかわいいに対して否定しようが肯定しようが取り留めのない会話として流れていく。
最悪なのはマジでミリも思ってなさそうな卑屈そうな人間が言ってくる社交辞令としてのかわいいだ。肯定しても地獄、否定しても地獄、なんて答えりゃいいのよこれ。もう私も嫌になってきたから暴言混じりに愚痴を吐くんだけれど、大抵肌荒れもある眉毛も整ってない化粧が下手くそで後ろに一本、いい値段のマイナーブランドで全身固めた勝気な女ばかりだ。もうめっちゃダルい。かわいいと言いながらジロジロ品定めしてすごい形相でマウントを取っていく。一本!一本やるから黙ってくれもう。何が書きたかったかも分からなくなってきたしなんかすっきりしてきたのでここでもう終わることにする。飽きた。とにかく努力してる分かわいいって評価されるのは妥当だと思うしうるさい女はどこにでもいるけど大概ブスだから問題なしっていうことよ。
自分、下手な絵描きなんだけど、本当にたまたま俺より評価されてる人と通話する機会があって、
通話二回目くらいに「割と近くだねー。会えると良いねー。」なんて冗談(ぶっちゃけオンラインだけの付き合いだからっていろんな愚痴とか話してた)言ってたら、「会いましょうよ!」って答えてくれて社交辞令を知ってる子なんだなー、と思ったらその後予定表送ってくれて、こっちが予定日を決めかねていると、逆に催促されるくらいだったんだ。
で、会う予定は決まったんだけど、正直すごく怖い。
相手が10歳以上年下で、描き始めた年数は1年程度なのに、俺よりうまくてフォロワーもふぁぼ数も何倍もある子で、通話の内容も愚痴と無言(と、つまんなくてごめんねとかの謝罪)しかないから、向こうも面白くは無かったと思う。
それなのにオフで会いたいって言うのは
「才能もコミュ能力も無いおっさんってどんなんだwと見下すため」
「とりあえずのタダ飯タダ遊び要員、金づる(もしかしたら大量の友達を引き連れてくる?)」
ぐらいしか考えられなくて、素直に楽しみたい反面、恐怖もあるんだ。(オフ会自体が初めてだからなのもあるけど)
考え過ぎかなー。
https://anond.hatelabo.jp/20200901143750
を読んだ。
『今では誰に褒められても、「ああ、社交辞令だな」としか思わない。それどころか「馬鹿にされているんじゃないか」といらいらしてくる。』
という文に強く共感し、悲しくなった。
私には両親は出来がいいと信じ続けている兄が1人いる。
兄は結局地元の偏差値50そこそこの私大に入り留年しつつも卒業した。
今はフリーターをしている。
そんな兄を両親親戚は今でも賢い子だからいい高校に入り地元の大学に行けたと褒めている。
もちろん留年することもなく、理系だったが学部で卒業し、誰もがよく知る企業に総合職として入社した。
兄と私を比べると一般的に褒められるのは私だと思うのはいけないことなのだろうか。
幼少期を含め今まで親、特に母親に褒められた記憶が一度もない。
持ち帰っても何かを言われたことはない。
兄は80点でケーキを買ってもらうくらいには褒められていた。
これについても何かを触れられたことはない。
兄は部活を頑張っていることを理由に平均取れば頑張ったなと褒められていた。
高校受験で志望校を決めた時、そんな無理なところにと最後まで言われ続けた。
ずっとA判定だったのに。
「たまたまだ、これから頑張らないと周りについていけなくなる」が合格が決まってからの母親の第一声だった。
今の会社の最終面接が決まったことを報告した時も鼻で笑われた。
兄よりも学費もかけず、いい学校、いい会社に入って今も親孝行と言われることをし続けている。
私の何がだめなのだろう。
私は褒められたかった。
頑張ったねって言われたかった。
否定された記憶しかないせいで、人の裏を勝手に想像してしまう。
上司に褒められてもモチベーション上げようとしてるだけでそう思ってないんだろうなと感じてしまう。
承認欲求が強い中高時代に一番承認されたい人に否定され続けた記憶に縛られ続けている。
今子育てをしている人は褒めてあげて認めてあげて欲しい。
身内以上に褒めてくれる人なんていない。
自己肯定感を持たせてあげて欲しい。
生きてていいんだと思わせてあげて欲しい。
まず最初に警告しておく。
タイトルにもある通り、私は殺虫愛好家であり、今から始めるのは基本的に殺虫の話だ。
もしあなたに潔癖症の傾向があるか、名前を聞くのも嫌な虫がいるのなら、どうかこの先を読まずに引き返してほしい。
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ここ数日ネットの各所では、大雑把にまとめてしまえば「社会的に認められない性的嗜好をどう扱えばいいか」という話題が飛び交い続けている。
これに対して「社会的に嗜好としての理解はされずとも、行為に対しての感謝はされる」立場、殺虫愛好家の私にも少し思うことがあったので、拙いながらも書き連ねてみようと思う。
先程から繰り返している通り、私は「虫」を「殺す」のが好きだ。
アリンコを踏み潰し、羽をむしったトンボをカマキリに食わせて楽しんでいた子供時代の精神をそのままに、罪を犯さない程度の社会性を身につけて成長した。
まだ性的興奮を覚える域には至っていないが、虫を殺すことで多幸感を得ている自覚は十分にある。
そして運良く、殺虫行為が日々の業務として認められる職種……飲食店で働いている。
はっきり言ってしまうが、飲食店の厨房から虫を根絶するのは無理に等しい。
水道管、換気扇、近隣の家屋、届いた段ボール、侵入経路はいくらでもある。
それに奴等は生命のスパンが短すぎる。いくらでも生まれていくらでも産む。
だからこそ、私のような殺虫愛好家はこの仕事を飽きなく楽しめる。
私の業務は手洗いがてら洗面台にたかるチョウバエを泡で捕らえることから始まり、店を閉めた後で厨房の床に湯を撒いて彼らの子供たちが力なく流れていく様をせせら笑って見送りながら終わる。
それまでの間にも、醤油の匂いを嗅ぎつたショウジョウバエにアルコールを吹き付け溺死させたり、積荷に紛れたチャバネゴキブリを段ボールごと踏み潰したりもする。
定期的な殺虫剤の撒布も、死骸の後始末まで含めて喜んで行っている。特にゴキブリワンプッシュ。あれはあえて隙間から明所へ出てきて死ぬよう設計されていることもあり、私との相性は最高だ。力なく這い出てくる大小様々なゴキブリをモグラ叩きのように仕留め続ける。正直テーブル拭いてるより楽しい。
毎日ではないが、野菜をおいしく食べていた青虫を虫食い共々ゴミ箱に叩き付ける日もある。電灯につられて入店してしまった蛾をそれとなく握り潰す日もある。屋根の下で横たわるセミファイナルに引導を渡す日もある。
……それ以上となると飲食店として必要な業務ではないので、わざわざ外に飛び出して殺したりはしない。それといついかなる場合もその後の手洗い消毒は忘れない。
そうした私の殺虫行為は、少なくともこの飲食店という小さな社会では満場一致で「善行」と見なされている。
店長やオーナーからは、汚れ仕事も進んで引き受ける点を評価してもらえている。
同僚からは、急に湧いた虫を始末すれば、例え社交辞令だろうとも感謝は必ずされる。
客からは、逆にもし虫が料理の中に入ってしまえばクレームを入れられているわけで、それを防げている以上は相対的に良い心象を持たれているはずだ。
と、ここまでは「私自身の頭の中で考えている以上は」美談なのだが。
この場のように、こういった話を人に打ち明けてしまうと、少なからず次のようなことを考える人は出てくるだろう。
「命を弄んでいる奴のどこが良い奴なんだ?」
「虫を殺して楽しんでる奴は、欲求がエスカレートして犬猫や人間まで殺し始めるんじゃないか?」
私だって殺虫行為そのものを、手放しに善行だとは思っていない。
どんな虫にも生きる権利が認められる世の中なら、私は快楽殺虫鬼として裁かれるだろう。ジャイナ教に従えば、来世の私は虫以下の存在になっているだろう。
しかし私は、人の飼っているカブトムシを籠から出して引きちぎるような、殺虫に狂った人間じゃない。
童心に帰り、野山の虫を惨たらしく殺してやりたい気持ちも否定できないが、社会人としてあるからには、社会として許されるまでの殺虫をしているだけだ。
それが「虫」なだけでは殺さない。それが店にとっての「害虫」ならば、実害がなくともその状況に於いて「不快害虫」として認められるならば、殺すだけだ。
仕事として認められ、誰かから感謝される行為だから、私は白昼堂々……とまでしてはいけないが、縁の下で率先して虫を殺し、それで満足している。
そして、これは私に限った話だとは自覚しているが、私は虫以外の動物を己の手で殺したいとは一切考えていない。
端的に言うと血や骨、臓腑の処理をしたくないのだ。オタマジャクシ一匹だろうが死なれたら困る。ホイホイに引っかかるヤモリとか本当にやめてほしい。
私が楽しみながら触れられる脊椎動物の死骸は、血管や臓物と切り離された、おいしい食肉やあたたかい毛皮だけだ。私の職場が調理肉の状態で届く店で良かった。
そんなように、「虫を殺して楽しい」と「飼われた犬猫や人間の殺害」みたいな、一見段階的な関係にも見える嗜好と犯罪行為との間には、社会的な規範や、倫理的な了解や、個人単位の好き嫌いなどいくつもの細かい隔たりが存在しており、それらが人を犯罪行為に走らせぬよう機能しているはずだ。
それでも、私の場合はただ、恵まれていただけだ。私が殺虫の認められる社会に所属して、私が殺虫で喜ばれる仕事を得て、私が殺虫以上の欲求を持たないから、全てが噛み合い今の今まで機能しているだけだ。
これが、物議を醸した先の人物のように、社会として認めらなかったり、正統な仕事として実行できないものだったり、満足せずに発展しうる欲求だったりしたならば、私はとてもじゃないがこんな話を増田にしたためている場合ではない。私が起こしうる犯罪について真剣に考えなくてはいけない。
いや、殺虫に関してもそれが犯罪になりうるものではないか、誰かの権利や尊厳を損なうものではないか、立ち返らなければいけないことに変わりはないが。
はじめに軽く自己紹介。地方大M3(医学部3年)の20歳。人生崖っぷち。
表題を見て不快になった人は、この記事を読まないよう強くおすすめする。医学部事情を知らない方は特に。ますます不快になると思うので。
もともと文系学部志望で、就職するなら公務員か裁判官かな、とぼんやり考えていた。仕事をしながら趣味に興じる生活に憧れていた。
特定防止のためぼかすけれど、この趣味は小学校のころから熱を入れて取り組んでいる。今では生きがいだ。
収入は別に多くなくていい、ただ一人で生きていく分くらいは稼ぎたい。その上で、趣味の結果が出ればいいな。そんな感じ。
でも、親はそれを拒絶した。高一のとき、学校へ出発する前、私は軽い気持ちで「法学部ってかっこいいよなあ」と言った。
これがいけなかった。
「文系行くなら自分の金で行ってね」という投げやりな言葉から始まり、三日三晩(文字通り)怒鳴られた。
お前は欠陥品だから、就職できるわけがない。こういうことを平気で言われた。
私の親は差別用語をよく使う。「欠陥品」はまだ全然ましな方で、放送禁止用語を駆使して私の不器用さや容姿をなじる。兄(現役ストレートで医学部を卒業し、今は研修医をやっている)と比較して「一勝一敗」と嘲るのが最近ではお気に入りなようだ。
もっとも、被害にあっているのは私だけではない。母親が結婚して以来、ずうっとそういう調子だったらしい。典型的なモラルハラスメントだ。
我慢すればいい、と母親は言う。修行だと思って我慢すれば、社会に出ても耐性がつく。そう繰り返し教わってきた。この母親も私の文系学部進学には消極的で、「あんたを雇うような会社はどこにもない」が口癖だった。別に会社勤めを目指しているわけじゃないのに。
小さい頃からずっとそうだった。
なじられ、比較され、叱られる。
何かやらかせば「欠陥品」。
度重なる暴言からくる自己肯定感の欠如は、私の性格を決定づけた。
今では誰に褒められても、「ああ、社交辞令だな」としか思わない。それどころか「馬鹿にされているんじゃないか」といらいらしてくる。
男性に好意を向けられても、ぞっとする。付き合っても長く続かない。結婚したら、この人もモラハラするのかなあ。そんなことばかり考えてしまう。
凡人なりに頑張ったおかげで、通っていた高校(公立)の中では上の方の成績をとれた。
違う、と答えたかった。私は自分の居場所を得るために、学費を出してもらうために、進学するんです。こう言えたらどれだけ気が楽だったろう。
受験勉強がきつかった。頑張っているのに上がらない成績が恨めしかった。最後まで物理と数学で伸び悩んだ。結局第一志望(兄の出身大学でもある)のオープンでA判定はもらえず、今の大学に入学することになった。
後から知ったが、冠模試のオープンは判定が辛いらしい。現役生で安定してAを取れる人は限られている。
公立高校かつ塾なしの私は、そんなこと全然知らなかった。親はB判定とかC判定とかを見る度に、やっぱり馬鹿は治らないなあ、高齢出産がいけなかったのかな、というようなことを言ってきた。
今でも、もしあそこでチャレンジできていたら、と思う。多分私は、一生このことを後悔するのだろう。
でも、他にどうしようもなかった。浪人するくらいなら死んだほうがマシだ、こういうことを何度も何度も、親に吹き込まれていた。
浪人している同期を見ると、ぬるま湯に使ってるやつらはいいよな、と思う。
人より時間と金をかけてもらってるくせに、自分の努力(笑)で大学に受かった。
努力は必ず叶う。
どの口がきいてるんだよ、と思ってしまう。
志望を下げずにチャレンジした同期は、受かったり落ちたりした。自分より成績の低いやつが、自分よりいい大学を受け、合格した。
私は見事、医学部に現役合格した。しかし、もう兄には決定的に勝てない、一生格下として扱われるだろうということに参ってしまった。
大間違いだった。
医学部は人間関係をしくじると大変らしいと聞いていたから、周りに合わせてニコニコしていた。でも、駄目。中高みたいに腹を割って話せる友達は一人もいないし、異性はもちろん同性の集団にも馴染めない。
会話が怖い。
高校までと違い、癖の強い人がたくさんいる。
人を平気で馬鹿にしたり、傷つけるようなことを言ったり、仕事を全然しなかったり。
後輩を何人酒で潰したか、自慢げに話す人もいた。
どうかしている。
友達がいないわけではない。
でも、その人たちにとって私はn番目の友達で、せいぜいご飯を一緒に食べたり、授業を隣で受けたりする程度の間柄だ。
所属していたインカレサークルも、授業が忙しくてほとんど行けていない。
何より、授業がきつすぎる。
友達が少なく医学部部活にも入っていない私は、いつも特定の子に情報を流してもらっているけれど、もしその子に切られてしまったら、留年一直線だと思う。
欠陥品なのだと思う。
欠陥品は医学部では生きていけない。
噂が一瞬で広まるような村社会では生きられないのだ。
多分、他の学部でも生きづらいと思う。
でも、ここよりは絶対マシ。
公務員としてしっかり働きたかったし、法律にかかわる仕事にあこがれていた。
全部過去の話だ。
もう取り返しはつかない。
やめればいい、という人がいるかもしれない。
無理に決まってるじゃん。
退学したいなんて言おうものなら、家から追い出されて、野垂れ死ぬのがオチだ。
親にとって私は「アクセサリー」で、マウンティングの道具でしかないんだから。
というわけで毎日、心の中のガソリンをちびちび燃やしながら、なんとか生きている。
アフターコロナの世界が来たら、マジで生きていけない気がする。
そしたら、私みたいな欠陥品は真っ先に解雇されるだろう。
正直、全部めちゃくちゃになってしまえばいいと思っている。
地震でも戦争でもパンデミックでも何でもいい、頼むから全員不幸になってくれ。
全員苦しめばいい。
倫理的に欠如しているだろうか。
恨むなら私を大学にぶち込み、今もなおモラルハラスメントをしてくるうちの両親に言ってほしい。
十分恵まれている方だ、とのたまう人は、頼むから毒親のもとで育ち、理不尽で閉鎖的な学部で6年みっちり洗脳されてくれ。
画面に向き合っていると、CBTやOSCE、ポリクリなどの試練で頭がいっぱいになる。
乗り越えられる気がしない。
高いビルに登ったり(高所恐怖症で辛いけど)、ホーム柵のない私鉄を探したりしている。
私の家庭が損害賠償で懲りるなら、案外ありかもしれない。
万が一、残り3年半生き延びることができたとしたら、クソハイポ病院でセコセコ貯金して、バイト医になろうと思っている。
でも結局は、そんな度胸も生まれず、カスカスに使い捨てられてしまうのかな。
医学部なんて入るんじゃなかった。
絶対に逃げてください。
もし医学部に入りたいなら、できるだけ立地がよく、風通しのよい医学部を目指してください。
情報はインターネットでも手に入るし、身近に医学生がいるならなお良いと思います。
それを活かすも殺すもあなた次第です。
私も、せめて大阪万博までは生き延びれるよう、頑張りたいと思います。
毒親のアホー!
数年前から一次創作が好きで、某サイトで細々と小説を書いている。あまり反応は多くないが、それでも完結したときに貰える感想はとてもありがたかった。コメントしてくれた人の作品を読んでこっちからもコメントする等を繰り返していたら、いつの間にかコミュニティが出来ていた。
はじめは進捗や新作への悩みを載せるツイッターを数人からフォローされたことだ。作品のコメント欄よりもツイッターの方が声をかけやすいのか、そっちでは色々な意見を聞けて面白かった。
最近、一年ほど連載していた小説が完結した。プロットを書き終えてから本編を練るため、進捗やちょっとした悩みを呟いたときに貰える意見を少し参考にしつつ、自分の書きたかったものを満足に書けた。
その作品には結構な反応が来ていて、応援リプや考察ツイートまでしてもらっていたので、「応援してくれていた方々、ありがとうございました」と作品のあとがきだけでなく、ツイッターの方でも書いた。
そうすると、「完結おめでとうございます」や「面白かったです」という社交辞令じみたリプライや、内容に触れつつ感想を述べてくれるリプライが来た。どの作品よりも多い反応が貰えて、私は有頂天だった。
そこで一人から、よければ人物相関図やプロットがあれば見せてほしい、という言葉を頂いた。無論作品を書く前にそういったものは予め作ってあるので、書き込みが多く汚いけどと断りをいれて公開した。
すると、その人物相関図を見せてほしいと言ってきた人とは別の人から、「◯◯と△△ってお互いにこう思ってたんだ!さすが推しカプ」と言われた。(原文ママではないが、まあこういうニュアンス)
ん? ってなった。◯◯と△△はどちらも男。それも、恋愛関係ではなく、ありきたりだが互いに切磋琢磨していける関係に過ぎない。(だが途中で△△の方は死ぬ)
人物相関図にもそのような旨だけが書かれていて、どこにも付き合っているなんて書いてない。カップルじゃない。
ツイッターはほとんど自分からの発信しかしておらず他人の投稿はあまり見ていないため、その人が腐女子だと気付いていなかった。というより、腐女子だという旨がどこにも記載されていなかった。ツイートも遡ったがどこにもそんな雰囲気もなく、作品にもそれらしい表現はなかった。
私は同性愛者への偏見はないが、腐女子は正直に言えば苦手だ。それは確かにツイッターにもサイトのプロフィールにも書いていないが、誰が自分の作品を腐フィルター越しに見られると想像するのだろう。
これからは作品にそういったコメントをしないでください、と言った方がいいのだろうか。腐フィルターを通して作品を読むのはその人の権利なのでそこを責める気はないが、私には伝えないでほしい、と思った。
同人誌(二次創作)書いてる人に聞きたい、(ここで聞いたとて意味は無いかもしれないが)
『あなたは何故その妄想を[ 本]にしたの?そして何の為に複数刷った?』
共感してくれる同士を探すため??そして、そっか、同士居たんだねよかったよかった。
自分には、1人もいなかった。本を出したけど、エアイベントに合わせてタグ付けて、投稿しても、1冊も売れなかった。
支援RTしてくれた相互フォロワーさんには、本当に感謝してる。(TL上に居てなお、支援すらしてくれなかった相互も居たから……)
それでも、エアイベント中、1冊も売れない……。誰も買わない……。
皆が金を出す程のものが作れなかった。]
時間と労力と、精神と健康寿命を割いてこのザマとは、まさに、自分今まで何していた?と、ヒュッと冷めて己に問いかけるくらいには、創作に対しての情熱の炎がなくなった。
イツメン、という形で会っていても、それ以前にTLを見てても、自分だけ感性が違うのか、という事実は、より孤独感を加速させた。
仲良くしてるメンツも、誰も自分の本を買ったと言ってくれる人はいなかった。自分を二次創作に巻き込んだAさんだけは買ってくれたが、厳密には社交辞令に近いものだと思っている。
もしAさんが心から買ってくれてたら大変申し訳ないが、今の自分は、そう思わざるを得ない精神状況だ。
もう少し絵が上手ければ、表現力が底辺でも、何とかなったのかもしれないが、どっちもダメだったみたいだ。
普段からも、感想なんてもらえるのは本当に稀、それ以前にいいねも、鍵をかける前ですら、RTも伸びなかった。その程度の人間。
昔反応くれてた人はお世辞だったんだろうな。
今も関係が途切れてない人でも、何も反応くれなくなった。自分だけが、一方的に感想送るだけ。
辛い。
以前Twitterで、『感想貰えないから執筆休止する』という方がいたけど、その方はさ、ファンボックスみたいな月額支援してる人いただろ?
『感想』は貰えてなかったけど、『支援』という、別の目に見える形で応援してくれてた人が確かに居たわけで、
もちろん、生業としている分、状況も立ち位置も、同人の自分とは違うのは、わかってはいるけれど、
それでも、『貴方の作品いいね』という意味で課金支援してくれてる人が確かに居るのに、
どうして??
と思った。
そんな様を見ていたら、いち底辺書き手の心が折れるのも、仕方がないだろう?
支援RTしてくれた相互フォローさんやFF外の方々には本当に感謝しております。
『自分は欲しくないかな』と思っても、他の誰かの目に止まる機会を作ってくれた。本当にありがとう…!!
その分、TL上に居ながらも支援すらしてくれなかった相互に黒い感情が……コホン
確かにその相互の共通繋がりとトラブルをしかけたが、向こうから先にフォロー外してるんだから嫌なら自分をミュブロしてるだろ?その人の目に止まらないようにって理由でRTしないのどうなのさ…?(そろそろ止めような)
こんな感情抱えるなら、初めからSNSなど、創作などやらなければ、よかった。だから、辞めようと思う。これ以上、害悪感情を振りまくる前に……。
書く人を応援するだけの立場ほうが心穏やかだったから……ならば、Twitter辞めなくてもいいのでは?とは思ったが、作者同士の馴れ合い見てると、心の中の鬼が暴れ出す。それは、自分も苦しいから……これは多分、創作してなかったら無かった感情だと思う。
昔でも、いいなぁ、とは思っていただろうけどね。立ち位置(世界)が違っていた昔なら、『神の戯れ尊い……』でよかったが、今はそうはいかない。
彼氏の後輩が家に来た。家は割と狭いし後輩と私は初対面なので、狭い家に3人いても話できないだろうし。私は買い物なりで一旦出かけることにした。
家は防犯上の理由から鍵が一つしかないため帰って来るまで自分は外には出れない。
彼氏、後輩連れて帰宅。ご飯食べて来てるし特に振る舞い料理もいらないとのことだったので、部屋だけ掃除してお出迎えした。
お出迎えの際に、「お帰りなさい」「あ、こんばんは〜どうぞ」って挨拶したのに後輩ガン無視、いや一人暮らしの家に転がり込んだのは私だけど家のこともやってるし先輩の彼女に向かって挨拶ないし、(そもそも家に入るのにお邪魔しますもないのか、こいつは)とピキピキしてしまう。
イラっとしたのでベランダにタバコを吸いに行く、ただでさえ今日は彼氏が家に帰ってこないから一人で寂しくご飯して家のことしてて正直甘えたかったりしたのに後輩来るから我慢して尚且つ気を使って外に出ようとまでしてるのになんなんだと悶々とした。この辺は割と自分のわがままではあるが。
タバコを吸い終えて、もしかしたら聞こえなかったのかなと持ち直して出かける前にもう一度挨拶しよう。って意気込んで部屋に戻る。
彼氏、後輩を私に紹介。私、社交辞令ばりの挨拶を返す、しかし「ウス」のみ。お前は樺地か。
さらにイラっとした私、このままじゃ埒があかないのでもう買い物に行くことにした。(はよ行け)
買い物行く前に「私これから出かけちゃうんです。しばらく帰ってこないと思うのですが。よかったらゆっくりして行ってくださいね」と伝わらない嫌味をつけたがこれも無視。
最近の子って挨拶しないのかな、私がそんなんされたら先輩にぶっ殺されてたと思うし、そういう環境は今ないのかな〜
とは思うけど、挨拶しないやつはどう考えても私ルールでは悪だし、正直家は出禁にしたい。
これで彼氏が気がつかなかったらブチギレで別れ切り出そうと思ったけど、買い物から帰ってすぐその話をしてくれたので許して裸の運動会した。
追記:すまん!3Pはしてねえ!!!後輩ちゃんが帰るまで外で買い物なりで時間潰してて、後輩が帰ったよって連絡きたから家に帰ったんだわ