はてなキーワード: 社交辞令とは
両親はアラフォーの公務員で、腐りかけた遺伝子を混ぜ合わせて産まれた一人っ子として、親からは大切に、周りからは生まれついての気狂いとして疎まれて生きてきた。
子供の頃は、頭はいいが運動が出来ず空気が読めない、からかうには面白いが一緒に遊ぶとつまらない奴として、いつもクラスで浮いていた。
大学まで行ったはいいが、趣味と呼べるものや天職は見つからず、自分にサラリーマンとしての適性も、経営者としての適性もないことを感じて、親から受け継いだ特性を信じて公務員になった。
それから20年間、社交辞令として感謝を受けたことはあっても、本心から感謝を伝えられた記憶は一つとしてなかった。
子供の頃から振り返っても、カツアゲ同然にゲームソフトや漫画を取り上げられた際に皮肉として感謝を伝えられたことぐらいしか、自分が感謝を受けた記憶がない。
口で感謝は伝えられずとも、実態として役に立っているならいいのだが、増田は結局の所どこまでも空気の読めないハグレモノであり、仕事の遅い給料泥棒であった。
冬の連休明けなどの、心に隙間が空きやすい時期になると、増田はふと考えてしまう。
自分が世の中にいることで、誰が得をしているのだろう、と。
持って産まれた性質が社会と噛み合わず、かといって特別な才能はない。
子供の頃に勉強が出来たのは、単に親が増田にそういった環境を与え続けただけで、増田自身の脳の作り自体は貧弱という他なかった。
親がクリスマスプレゼントとして渡してくる百科事典を読むより、小遣いを貯めて買ったテレビゲームの方が面白いことに気づいた頃から、みるみる増田の成績が落ち込んでいたことからそれは明らかだった。
増田にあるものといえば、四肢が健康に動くことぐらいだが、その動きすら、ステップ一つろくに踏めないことを40年笑われ続けるような出来損ないである。
感受性を育てることに失敗したのか、何をしてもどこか乗り切れず、人付き合いはただしているだけで頭の後ろを棘が這い回るような苦痛があった。
増田には何もない。
生きててよかったの裏返しとしての死ねばよかったがあるように、生きることも不可逆だが、死より劇的ではない。
今は昔、日本に来たけどつまらない毎日の中国の姑娘とテレクラで知り合って、
僕は売春でも中国姑娘が好きだったから、待ち合わせ場所に行ったら、
眼鏡を掛けた垢抜けない日本人の女の子みたいなのが居て、取り敢えずどうしようかな、
女の子も持って無くて、おちんちん大きいままジーンズはいてコンビニまでダッシュ。
帰ってきても女の子は下着姿のまま布団に入って映画のパンフレット読んでた。
女の子のブラとショーツはよれよれで、脇毛の剃り残しもだけど、
でもブラを取ってショーツも脱がして僕も脱いで、
なんか大久保に立っている姑娘のカテゴリでは無いような気がしてきて、
1, 中国人でない別の国
と色々考えながら、まあ元がテレクラで知り合っただからと、楽しかった。
「ではでは」と15k円渡した。するよ不思議そうな顔をしながらも受け取る。
メールアドレス交換して、社交辞令のメールをやりとりしてたら、
花やしき行ったり(浅草に行こうを赤坂に行こうと聞き違いしてて、
こんなこと言うのおかしいかな?女は言わないよね。ごめんね」と言ったり。
そんな姑娘の思い出に残ってること。
正常位で「あ、イキそう」って予告して、スパートかけて出るちょっと前に、
おちんちん抜いて、姑娘の顔まで移動して、ぽかんと開いてる口の中はなんか気が引いたから、
口元あたりに出したのかな。姑娘はそれを指で拭ったりくんかくんかしたりして、
とにこやかだった。色々な日本語教えて言わせたし、
僕も色んな中国語教えられて言わされた。
勉強ができる、勉強をしてきた、自制心が強い、禁欲的、堅物な女の子も、
下着がどんどん可愛くなっていった。
自分の作品がなんだか気持ち悪く感じで、pixivにあげてた作品全部非公開にした。
先日炎上した「ガス会社のおじさんが、夫を「主人」と呼んだので会社にクレームを入れた(超要約)」というツイート(該当のツイートは、ツイ主が消したか、アカウントに鍵をかけたかで現在は見られない)から、自分は他人を差別する鈍感女だと気付いたからだ
私は、あまり言われた言葉以上の意味を考えたりしない人間だ。というか気付かない人間だ。額面通りにしか受け取れない。
あからさまな場合は除くが、社交辞令とかも真に受けちゃう。褒められたら「ありがとう!」とか喜んじゃうくらいに阿呆。
皮肉を皮肉だと気付くのに時間がかかったりする。単純馬鹿の鈍感女。
この「ご主人」というワードからは「旦那」「夫」「ダーリン」といった意味しか拾えなかったので、「どこをどう取ったら主従関係と拾えるんだ?」と困惑した。
ガス会社のおじさんも、まさか主従関係だの、ツイ主を下げる意味合いで「ご主人」と言ったわけでは無かろうに。
該当のツイートには、ツイ主を「おかしい」と叩くリプがぶら下がっていた。過激なリプを送る輩にはドン引きしてブロックしたが、それでも大体は私と同意見のリプばかりだった。
理解できない。考え過ぎなのでは。では代わりに何と呼べばいいんですか?
そう言ったリプを眺めながら「だよねー」と私も頷いていた。
私はそれも意味が解らなくて、けれどツイ主やそれに賛同する人にリプを送る勇気もなく、ひとりで首を捻った。
「理解できね~」ともやもやして、そして、私はふと気付いたのである。
ツイ主を理解できない。それが理由の一つではあるが、多分全てじゃない。
頭の中で捏ね繰り回して、漸く一つの解が出た。
私は、このツイ主から「差別用語使うな!」と言われてるような気がしてたんだなあ、と。
私たちが普通に使っている言葉が、実は差別的な意味を持っていると、そう指摘されて驚いているんだと。
私は昔、左利きを「ぎっちょ」と言った母に「それ差別用語だからやめた方が良いよ」と指摘したことがある。
私の地元はそこそこ田舎で、今でいう「差別用語」を普通に使う年寄りが多い。本当に、差別意識なく使っている。
何故なら、その言葉が「差別用語」だと知らないからだ。というか、地元では普通の言葉だからだ。
「ぎっちょ」は左利きの人間を差別する用語だが、地元では普通に方言として使われている。
差別するために使っていない。マジで「左利き」という意味でのみ使っている。
なので、母も私からの指摘を受けて、驚いた後に憤慨した。「差別してるつもりなんてないわよ!」と。
そりゃそうだ。
今まで「普通の言葉」として使っていたものが、実は「差別を表す言葉」だなんて指摘されたら驚くし「そんな馬鹿な!」と怒るだろう。
自分の「普通」を「普通じゃない」と否定されたら、そりゃそうなる。
ツイ主はあの頃の私で、今の私はあの頃の母だ。
「私、もしかして自分が気付いてない間に色んな人を差別していたのでは?」と。
私は鈍感な人間だ。投げられた言葉にそれ以上の意味は見いだせない。
そして同じように、私は人に言葉をかける時、深く考えていない。「これは相手を否定する言葉では?」などと、自分の思考を検閲しない。
自分は褒めてるつもりで、普通のことを言っているつもりで、実は偏見マシマシな事を、今までだれかに言ってきたのでは。
そんな考えに至って、そしてすぐpixivにとんだ。今まで投稿した作品を全部非公開にした。
持論だが、創作物と言うのは書き手の偏見や倫理観が如実に表れると思う。作品を通して、作家がなにを差別しているか感じ取る読者も少なくない。
だからこそ、私は私なりに気を遣ってきたつもりだ。
「差別的な表現にならないように」「自分の作品で傷つく人が居ないように」出来るだけ考えて作品を作ってきた「つもり」だった。
けれど、自分がどれだけ鈍感だったか思い知った今では、作品をそのまま掲げて置ける勇気はない。
私は鈍感な創作者で、差別主義者だ。「私も誰かを差別して生きてるかも……」と思ったことはあったが、思っていただけだった。
そう気づいたら、自分の作品すべてが気持ち悪いものに思えた。恥ずかしいと思うようになった。
考え過ぎだと言われるかもしれない。気にしすぎだと言われるかもしれない。
「そんなことを言っていたら何もできない」と言う人もいるかもしれない。
でも、一度そう思ってしまったら、私はどうにも身動きが取れなくなってしまった。
書きたい話もあったけれど、今はもう書く気が起きない。
「出来上がるのは、きっと誰かを差別する話」
そんな気がして仕方がないからだ。
タイトルそのままなんですけど、旧友が結婚してどういう感情を抱いているのか分からなくなったため書き込みました。まあ書いたらすっきりしたんでもういいんですけどね。あとはじめて書き込むので勝手が違くても許して。
友人Aが結婚した。その知らせはあまり親しくはない同級生からのものだった。
学生時代、彼女と私は親友で、休み時間の度に話に花を咲かせていた。好きな男の子の話、嫌いな先生の話、アニメの話、流行りのアーティストの話。どこまでも尽きない話題は、私たちがまだ若く、可能性がたくさん残されていることを示唆しているようであった。
友人Aの人柄は、よく言えば天然、悪く言えば抜けている。気が利くような人間では無いが、いつも笑顔で明るい天真爛漫な性格だ。愛されキャラ、というレッテルのもと皆に可愛がられるタイプである。
お互い三十歳を目前としていた。まわりもやれ結婚だやれ子育てだと、ライフスタイルが変わる頃合いである。私自身三年ほど前に結婚し、今は身重の体である。
話が逸れた。友人Aが結婚したそうだ。一番に、おめでとう、という感情を抱いた。
友人Aとは二年ほど連絡は取っていない。仲違いをした訳ではない。お互い仕事が忙しくなり、私は家のことにも時間を割かなければいけなく、一方彼女は新しく恋人が出来たのをきっかけに、一ヶ月に一回、三ヶ月に一回、半年に一回……と、年々会う頻度は減っていた。そうしているうちに、連絡を取り合わなくなったのだ。
旧友となってしまった間柄に、わざわざ結婚報告などしてこないか。
一縷の寂しさが滲んだ。しかし又聞きではあるが、友人Aが結婚した事実を知った以上、無視することははばかられた。結婚式を開くか、はたまた呼ばれるかは定かではないが、軽くお祝い品を包み、久しぶりに連絡を取ろうと決意したのは、十月の後半であった。
「久しぶり、元気?」
LINEのアイコンは、お互い二年前のままであった。それが妙な安心感を抱かせた。私たちはきっと、色々と変わってしまったけれど、変わらないものもあるのではないか。そう思わせてくれたのだ。
「元気だよー。どうしたの?」
友人Aは突然の私からの連絡にそう返した。きっと、私も逆の立場なら同じ返しをしただろう。彼女が職を変えていなければ、お互い土日が休日となる。会う約束を取り付けるのは容易であった。コロナ禍故、軽くご飯でも、と誘うのにさえなかなか勇気がいるものだ。まあ、断られたらそれまでだろう。そんな心中とはうらはらに、彼女は快諾してくれた。
二週間後の土曜日に待ち合わせとなった。駅中に新しく出来た洋食屋だ。LINE上で結婚したという報告をされるかとも思ったがそんな気配は無く、約束した日はすぐに訪れた。
「久しぶり〜」
洋食屋に先に着いていたのは私であった。単純に、あとから来て声をかけるのが苦手なのだ。それなら待っていて、見つけてもらう方が良い。
やがて私と同じ背丈ほどの女性が店を訪れた。店内のオレンジ色のライトに照らされたその女性は友人Aであり、私が席を立ち上がって手を振ると、小走りで近寄ってきた。
ベージュのトレンチコートを身にまとう友人Aは、記憶の中の彼女とさして変わりはなかった。もともと童顔な造りの友人Aは、老け顔の私と比べると年齢差があるように思えた。
友人Aが向かいの席に座ってすぐ、左手の薬指に指輪がはめられていることに気づいた。
私は知らない体で切り出した。
「うん。まあ、」
彼女は笑顔こそ浮かべていたものの、少し歯切れの悪さが目立った。マリッジブルーだろうか。結婚祝いにと、友人Aが好きなラベンダーを使ったスワッグと写真立てが入った紙袋がゴミにならなければいいのだが。
そんな様子の友人Aであったが、結婚するかどうしようかという相談はおろか、結婚した報告さえもされなかった私が、何かあった?なんて聞くことは気が引けた。気付かないふりをしてメニュー表を広げ、オーダーをした後、改めておめでとう、と大袈裟にはしゃいでみせたことで、友人Aは決意したように口を開いた。
「実は増田、私と付き合っている人のこと、あまりよく思っていなかったじゃん?だから報告するの、悩んでたんだよね」
そう、そうなのだ。まだ頻繁に連絡を取り合っていた頃、私は友人Aが新しく交際を始めた相手(以下A旦那)を良くは思っていなかったのだ。私は友人Aが、A旦那と結婚したという事実に面食らった。
なぜA旦那のことをよく思わなかったかというと、その人に離婚歴があり、親権こそないが中学生の子供もいると聞いていたからだ。さらに年の差も十個ほどあり、普通ならそれなりのポストに着いていてもおかしくは無い年齢であるが、派遣社員をしているという。それに友人Aは喘息持ちであるが、A旦那はヘビースモーカーだそうだ。
私は友人Aが付き合いだした当初、相談(という名の惚気)として上記の話を聞いた。ステータスだけきくと、やめたほうが良いと思った。だが口に出すことはしなかった。
私なんかよりも可愛い顔をした友人Aなら、絶対にもっと素敵な男性を見つけられるだろうに。が、A旦那の前に付き合っていた男性のことを、かなり引きずっていた友人Aが、やっと新しい恋をスタートさせたことに水をさしたくはなかった。友人の恋愛にいちいち口を挟むのはためらわれるが、本当に大切な友人なら止めてあげるべきなのか。しかし言ったところで恋愛中に他人の意見など聞くのか。いやでも…。
当時はかなり悩んだが、最終的に私は友人Aが良いなら良いんじゃない、というスタンスを貫いた。私自身思うところがあったのは事実であるが、それを隠すことも大っぴらに言うこともせず、結局は臭いものに蓋をした形で済ませた。そのことに、友人Aは気づいていたんだな、と二年越しに知ることになるとは思ってもみなかったけれど。
私はここで、友人Aが結婚することを祝う気持ちが、ほぼほぼ消えてしまったことに焦った。
私たちは所詮友でしかない。友人Aが誰と結婚しようが、私には利益も不利益も出ないはずなのに。どんな相手が配偶者になろうと、当人が幸せならそれでいいじゃないか。
二年前の懐かしい感覚が体を襲った。頭では理解しているのに、どうにも体が追いつかない。心臓が嫌な音を立てているが、それを悟られないように、結露した水の入ったグラスを口につけた。
「たしかに、当時は反対する気持ちもあったけどさ。でも、Aがその人のこと大事に思っていて、今ちゃんと幸せならそれでいいんじゃない?」
「増田…」
「Aが幸せなら、私はお祝いするよ!本当におめでとう!!」
口から出るのは頭で絞り出した言葉であった。内心では、なんであんな人と結婚したの?とか、絶対苦労するよ、とか、他にいい人絶対いるよ、とか。酷いことばかりで。抱いたことを飲み込む辛さと、嫌なことを考えてしまうことに自己嫌悪した。
紙袋に入った写真立てに、二人の写真が入れられることを想像すると、今すぐ床に叩き落としてやりたい気持ちであった。が、そんなこと出来るはずもなく、結婚祝いとは言わず適当な理由を付けて祝い品を渡した。
私には、関係のないことだ。大丈夫、友人Aが決めたことなら、それでいい。
「でも、増田がこうしてちゃんと祝福してくれてほっとした!ずっと言おうか言わないか迷ってたんだ〜」
その瞬間全部馬鹿らしくなった。
サプライズとして用意した結婚祝いも、最近連絡を取っていないから報告がなかったと言い訳がましくしていたことも、二年前の葛藤も、今さっき抱いていた自己嫌悪も。
友人Aと過ごした歳月は、決して短くはない。彼女本人から親友だと口にしてもらったこともある。それほどの仲であったのだ。あったのに、だ。
祝福されないかもしれないことを恐れて、報告をしてくれなかったのか。私は心無い言葉をぶつける人間だと思われていたのか。偏見を抱いている自分に対しての自己嫌悪も、友人Aが苦労しないように無理にでも止めるべきであったのだろうかと苦悩したことも、無駄だったのか。今も尚必死に取り繕っている外面も、アホらしくて仕方がない。
でも実際、私は諸手を挙げて祝福できないのだから、報告しなかった友人Aのほうが正しいのかもしれないな。
そう思った時、早く帰りたいなーとスマホで時間を見た。友人Aは久々に会ったことで、学生時代のように話に花を咲かせたがっていたが、私は目の前の和風ハンバーグをつつく気力さえ尽きていた。が、食べ終わったから帰ろうか、という口実をつくるため、無理やり胃に詰めこんだ。
友人Aは結婚式は身内だけですると言っていた。相手の方と年齢差もあり、さらに言えば離婚歴があるためあまり人を呼びたくないそうな。
研究職に就くつもりで大学に入学し、研究室に配属された後もバリバリ頑張るつもりだった。
でも研究室に所属して初めて、全く予想しなかったところで、研究職への道を挫折しかけている。
それは「同じメンツの人達と毎日長時間過ごすことが苦痛」ということだ。
研究室に配属される前から、大学に12時間滞在して勉強していることはままあった。
でも1人で過ごす12時間と、ほとんど他人と一緒に過ごす12時間は全く異なるものだった。
別に自分の行動に難癖を付けるヤツがいるとかじゃない。むしろ皆いい人なんだと思う。
でも、なんかもう自分の行動や表情が他人に何か思われるというのが苦痛なんだ。
しんどそうな顔をした時「大丈夫?」と心配されるのも、楽しそうな顔をしている時に「楽しそうだね!」と言われるのも、どちらも心に負荷がかかってしまう。
「大丈夫?」は、相手の気遣いであり有難いこと(あるいはただの社交辞令)だし、「楽しそうだね!」は話の種か見たままを言っているだけだと思う。
でも他人に表情をチェックされて管理されているような居心地の悪さがある。
思えば小学校から高校にかけて、休み時間になれば教室から出て行き、1人で校内をフラフラしたり図書館に行って過ごすことばかりだった。
大学入学以前から研究職として働くつもりだったのが、この有様。
その人は私が小説同人誌を出すときに私の小説の校正や誤字脱字チェックをしてくれていたし、隣の市に住んでいることもありこのご時世でもリアルで会って萌語りが出来る貴重な友達だった。
それでもブロックするに至ったのには訳がある。
私のTwitter垢は専らBL二次創作小説のために使用しており、彼女がリプで私の小説の感想を送ってくれたことで私も彼女の小説を読むようになり、相互フォロー関係になった。
私も彼女も文字書きで、お互いに小説を書いたり感想を送りあったりしていた。
私が多作で彼女は寡作タイプなので、送られる頻度の方は私の方が多かったかもしれない。
やり取りするうちに近所に住んでることが判明し、コロナ第一波が過ぎた頃にはリアルで遊ぶ仲になった。
最初は定期的に遊んでくれたり、私のやりたいことに付き合ってくれるいい人だと思ってた。
5月ごろに私が小説同人誌を出す際、誤字脱字チェックが大変だとこぼしたら手伝いを申し出てくれたのもありがたかった。
でも違和感が出始めたのは、その人が二作目の小説を書いてるときに「実体験じゃないと書けない」と言っていたこと。
じゃあ今までの推しカプのホモエロ小説って実体験だったんか?とちょっと気持ち悪くなった。
違和感が大きくなり始めたのは、その人が支部に上げてた小説に書き下ろしをつけた小説同人誌を出すと言い始めた今年の6月ごろ。(ちなみにその同人誌は今現在もまだ発行されていない)
彼女は私に小説同人誌作る技術的なことや物語の作り方、挙げ句の果てに部数をしつこく聞き出しておきながら、逆に私が物語の作り方や技術的なことを彼女に質問しても適当にはぐらかすだけで教えてくれない。
部数に関しては「部数を聞くのは年収を聞くのと同じくらい下品な行為だよ」とは伝えて一度は引いてくれた。
しかしそのあともしつこく部数を聞いてくるので、根負けした私は嘘の部数を教えた。
その部数をn部だとしたら「じゃあ私は2n部刷ればいいね!」って言ってたのもドン引きだったけど、まあ誤字脱字校正の件で世話にはなってたので関係は続いてた。
コロナの影響で会う予定がポシャったので、8月生まれの彼女に誕生日プレゼントを郵送したら、お礼も何もなく一切ガン無視されたのも地味に傷付いたけどまあ内容が気に入らなかったんだろうなと思って気にしないようにしてた。
後日軽く突っ込んだら「届いてない」って下手くそな嘘をついてたけど、嘘だと思いたくなくてそれを信じることにしてた。
でも一番決定的だったのは文字数やブクマ数でマウントとってきたこと。
確かにひと作品に対する文字数は相手の方が多かったし、ブクマ数も相手の方が取ってた。
確かに彼女は美しい表現でドラマチックかつ繊細な心理描写が散りばめられた小説を書いていたので、そこに異論はないし正当な評価だと思う。
でも私の主軸は私の性壁を表現できるかどうかで、他人が主軸のブクマ数は関係ない。
そう思っても事あるごとに「ブクマ数が古参大手より多かった」「今回も文字数が5万文字超えちゃったから読んでもらえるか心配」って話をしつこくされるとしんどかった。
一回だけ文字数とかブクマ数とか数字の話をされるとしんどいからやめてくれって直接言ったけど、その場で謝るだけでまたすぐに文字数こんなに増えちゃった!とかブクマ数がいくつになってた!っていう話を続けてた。
ブクマ数や文字数は他人と比較して大小が分かりやすいからこそ、気になってモチベーションが下がりやすくなる。
だから見ないようにしてたのに、彼女は聞いてもないのに教えてくるしガンガン話を振ってくるのでモチベーションが下がる。
彼女との友情と自分の小説を書くモチベーションを天秤にかけたとき、モチベーションの方が大事だったから、私はブロックすることにした。
思うに、彼女は嘘がつけない、正直な人なんだと思う。
相手が格下だと分かればそれを隠しきれないし、物語の作り方や相手が刷ってる部数について、知りたいと思ったら好奇心を抑えきれずに聞いてしまう。
もらった誕プレも気に入らなかったら社交辞令のお礼も言えない。私はそういう素直すぎるところに耐えられなかった。
素直すぎるからきっと、切る理由を伝えたらツイッター上で私の名前をはっきり出した上で盛大に愚痴ってフォロワーに慰めてもらいたがりそうだから、私は何も言わずにブロックする。ツイッター上で愚痴も言わない。ここで吐き出すことくらいは許してほしい。
彼女は「他人に嫌われるのが一番苦手」と言っていたので嫌いにならないようには努力してたけど、今の私は間違いなく彼女のことが嫌いだ。すまん。
でも、6月からずっと出すと言い続けて絵師に表紙描いてもらって予約まで取った同人誌はそろそろ出さないとまずいと思う。
…これきっと、彼女の脳内ではネットでの評価に対する嫉妬に狂ったフォロワーにブロックされたってことになってるんだろうな。それでもいいや。真実は必要ない。
それは屁理屈。「人の心なんて判らない」とうそぶくのは、「社交辞令」を言われて褒められた時くらい。人の身になって考えようって人間関係の基本じゃないかな。
石を投げつけておいて、「痛いかどうかなんて人の痛みなんて自分には実際わからない」と言ってるようなもの。
あてつけに身体的特徴や、金銭的に上手くいってないしんどい立場の人をからかう発言は、読んでいて居心地が悪いですし、感じ悪いよ。
太っている人の前で、デブは息をするなと言ったり
あきらかにハゲてる人がいても、平気でハゲを笑い者にする話題だったり
あなたが若く美しく教養がおありならば、「その相手の立場になって一度考えてみる」ことをしないと、あなたの言葉がきっかけで自殺する人もいないとも限りませんよ。
某日、仕事が早く終わったため、何かやることを考える。晩飯を食うには早く、すぐ帰るのも面白くない。帰りの電車で何かないかと探っていると風俗街のある駅が次の停止駅だった。思い立ったが吉日、ソープに行くことを決めた。この時点でノープランである。とにかく目的の駅で降りたはいいものの行くべき場所も何もわからない。道端でググって紹介サイトを巡り良さそうな店を探し、昔の記憶を頼りに「そういう区画」を目指す。縁がないと思っていたが「そういう区画」特有の暗さの中に目立つ明るさのおかげで掘り当てることができた。
初ソープなので無難に60分で22k。店はおっぱい重視で系列店もある規模も小さくないという初心者にしては悪くないところを選んだと思う。足を運んでドアを開ける。今まで見たことのない向こう側はピンク色だった。
あれよあれよという間にテンションの高い黒服に説明をされながら女の子を選ぶことに。写真とその他数値を見つつ選べた。ここで表示されるパラメータ、実物と違うやつだ。顔も加工がありそう。本物がモビルスーツみたいな人かもしれないこともある。これらはTwitterで学んだ。写真と数値の補正を脳内で解除しつつ、よさそうなOさんを選ぶ。運良く一番待ちも短く、入浴料を払ってから30分ほど待ち。
待合室に入ると30-40代の男性が3人ほど。平日の夕方、ちょうど仕事終わりたてか?彼らは呼ばれた瞬間、そそくさとこの部屋を去っていく。わかる、見られたくないもんな……。目の前のテレビは大統領選のニュースをずっとしていた記憶がある。俺の心は初めてのソープでこんなに緊張しているというのに、アメリカのトップなどどうでもいいのだ。この時の緊張具合といったらない。以前、気まずさとか気持ちの問題で全く勃たなかった事があったのでトラウマになっている。今回もそうなれば金払って何しに来ているかわからなくなってしまうので友人へのウザ絡みLINEでテンションを普段に戻しにかかる。「いきなりソープ来た報告をする狂った人間にどうコメントしろと言うのだ」と一蹴された。
お手洗いを済ませ、少しすると番号を呼ばれた。向かう先ににOさんがいる…。廊下に出るといくつかの確認。運命の瞬間。「はい、ではごゆっくり〜」とスタッフの掛け声とともにカーテンが開けられる。「どうも〜Oです!私で良かったですか?」顔を向けるとカーテンの奥にはカワイイ系のお姉さんがいた。モバマスの誰とか言われても履修してないしテレビは数年見てないので例えろとか言われてもわからないが可愛いと思った。細くはないくらいの体型で好み。服うっす。おっぱいでっか。見ていいんか?倫理観おかしくなるぞ?電車でも目の前に女性がいたら目を逸らすし近寄られたら逃げるくらいの気概でいる俺が見てもいいのか?
敬語の抜けないたどたどしい挨拶を返すと差し出される手。これは何だ?戸惑っているとどうやら手をつないで移動するようだ。指を絡めて、一歩を踏み出す。どんな距離感で行けばいいのかわからない。初めてのソープであることをネタにすることと手が冷たいことをネタに無言の間を埋めつつ、部屋に向かう。
初めて入った部屋は異世界だった。寝床と風呂場が合体した部屋は普通の物件にない構造なので常識の違うパラレルワールドに迷い込んだかと思った。しかもここで本番までするわけで。倫理観の壊れた世界に来たのかと思ってしまう。
湿気と倫理の高低差にやられている間にそそくさと服を脱がせてくれる。Oさんと身長差が結構あるので上は自分で脱ぎ、下は脱がせられた。下を脱がせられるのはいつ頃ぶりだろうか。親よ、俺ソープで服脱がせられてるよ。
今度は逆に脱がせる。パッパと済ませ、ブラジャーもホックを外して。ブラジャーのホック、構造が見てわかりにくい。外すのに力入れていいんですか? おっぱいでっけ〜。外した瞬間にかさが増したかのように広がるおっぱい。でっか。これ見てていいんですか?でけえ。スタイルも悪くない。ちょうどいいくらいの肉付きでむしろ好きなくらい。なんかいい匂いするし肌もきれいだし世の中にこんな生き物いるか?という気持ち。五感で生と性を実感する。
お互いが裸になった段階で二人で風呂場へ。といっても2歩歩けば風呂場である。バスタブ、シャワー、そしてあの椅子がある。流されるままに噂に聞くスケベ椅子に着席。スケベ椅子そのものは別のところで座ったことがあるので初めてではない。玉袋が宙にある感覚が面白い。
泡で身体を洗ってもらう。体を洗われるのも何年ぶりか。全身ということでちんこも含めて洗われる。それはそれとして、手持ち無沙汰なのが困る。手を動かせば胸に手が当たるし。いやこのあとそういうことするんだろうと思うけどそういう雰囲気ではないし。仕方ないのでめちゃめちゃおっぱいを見る。でけー。ロケット型、とか呼ばれるタイプだと思うが、生で見ると構造と動きからそういう形になるのも納得する。重くて密度があるのだろう。
この辺までの雑談で自分と年が同じことが判明(20前半)。ちょっと話しやすくなる。雑談の内容はとりとめのないもの。「仕事帰りに思いつきで行きたくなって初ソープ」とか「一人〇〇で何かする行動力がほしい話」とか「冬に入るから上着のお金がほしい話」とか「お店の子みんな仲いい話」とか。思ってたより普通に日常してるんだな、と思いつつ。
バスタブに浸かりつつ歯磨きとうがい。実家みたいなムーブだが、目の前には体を洗うOさん。動作と光景による日常と非日常のコントラストが美しい。後からバスタブにOさんも入ってくる。俺の図体がでかいので足でマルを作り、Oさんを囲むようにして密着、絡むように二人で入る。狭くねえか?これ大丈夫なやつ?やわらかいけど。この間もちまちま雑談。話すのが好きじゃない俺に対してOさんは話すのが上手い。気まずくなりたくない俺が開いた間を埋めようと話を振ってもほどよく返してくれる。会話のキャッチボールの返しやすい場所に玉を投げてくれる。ちらっと大変そうな話もした。
そしてこの段階でちんこは全く反応していない。とてもエロい環境にいるのは間違いないし実際そう思ってはいるけど勃たん。申し訳ないしもったいないよ…。前日全く予定に入れていなかったので普通に昨日シコったのも良くなかったか?
プレイの希望は「初めて」をタテに攻めてもらうことに。ベッドで横になり、Oさんが上からかぶさる。この時点でOさんの陰毛がないことに気がつく。胸を見過ぎ。キスから始まり、体重はかけてもらいつつ(好き)乳首舐めと手コキ。きもちえぇ……。俺は強めに扱いてもらうのが好きかと思っていたが、ゆるくしてもらう方が好みだったのかもしれない。そもそも普段の自慰圧が強すぎたのか。勃ってきてからそのまま咥えてもらう。 体で感じる柔らかさと刺激でちんこも元気になる。あんなに「いや、俺は清純派だから」みたいな顔してちょこんといただけだった息子が存在を主張する。自我の芽生えか?それもそう、ちょっと顔を下に向ければいい匂いするしくちゅくちゅ音するし全身にほどよく圧かかってるしすごい光景がある。性の宝石箱である。途中でおっぱいを触らせてくれと懇願。やわらけ〜。こんなに柔らかくてモチモチしたものある?安心感しかない。片乳を乳首舐めさせてもらいながら片乳揉む時間で一生を埋めたい。
ほどよく中断してフェラの続き少しと本番。慣れた手付きでテロテロ(このオノマトペが最適)とゴムをつけ、挿入。あったけえよ……。挿入の感覚を口頭で説明するのは難しい。ちんこがヌププ…と包まれていく。どちらかというとビジュアルを楽しむやつかもしれない。胸も一生揺れてる。騎乗位で足を開いてもらいつつ腰を振ってもらう。耳元には吐息がかかる。天井のシミを数えていると終わってしまう。景色を目に焼き付けた方が良かったが、インパクトが強すぎて逆に忘れた。
一度止まって、再びちょっと触らせてもらいつつ感動。肌も綺麗だし体のメンテ大変なんだろうなとか考える。Oさんも手コキで続けてくれていたのでちんこも全然余裕だった。開始前の心配は杞憂であった。
ちょっと出そうな感覚があったため、ペース配分の意識のため報告。すると突如競馬の最後の追い込みの如く腰の振りを早め、深くまで腰を落としてくる。え、自分今から射精するんですか?急にガチ射精させるモードに切り替わった。腰の運動がうますぎる。もうちょっとのんびりと行こうと思ったがこれは耐えられない。唐突すぎて「えっ!?ごめん!!!」と大きめの声を出して腰を抱えて奥に入れさせてもらいながらそのまま果てる。めっちゃ出た感覚を残してしばらく繋がったままでいてくれた。
それはそれとして唐突に出そうになった謎の驚きでちょっと声が大きくなってしまった。それに射精の瞬間に謝るのもなんかやばいやつな気がする。でかい声については謝った。
終わったけどここから何するんだろうか……。ちらっと見た時計は微妙に時間がある。大体のソープレポはあまり事後の話を書いていなかったのでここからは未知のエリア。終わりにはベッドで添い寝してもらいつつちょっとおしゃべりをする。手を繋いでもらいつつ足を絡めて抱きついてくれた。人肌を感じるのも久しぶりだ。「初めてで緊張してたけど普通に楽しめて良かった」と伝えると「普通の兄ちゃんって感じだったしわかんなかったよ」と返され、まだまだ俺も人として生活できる権利はあるなと安心するなど。他のお客さんの話とか帰りの話もしていた気がする。聞いてまずいことは無かったが、知らない世界があった。
そんな感じで雑談をしているとタイマーが鳴った。馴染みの深いカラオケの内線コールと同じ音だ。音を聞いてOさんが起き上がり、そそくさとシャワーの用意を始めた。ベッドに入る前の流れと同じように体を洗うようだ。先ほどより軽めに洗い直す。股間周りのみさっぱりするように少し念入りに。洗うためと言えどもイった後に触られるやつ、明確に性器を触りにきている感が強いのでまた別の趣がある。体も拭き服を着る。人がシャワーを浴びているのを直に見ながら服を着るのも新鮮である。
荷物を整理してお金を払って退室。致した後の虚無の時間に財布から出る野口と漱石は重みが違う。部屋を出る。帰りも手をつないでカーテンのあったところまで戻る。服を着て自分のにおいが戻ってきたこともあり、Oさんの甘い匂いが引き立つ。長い階段を降りていくと現実との境目が見えてきた。「またきてね?」「もちろん。ありがとう」などと社交辞令をしつつキスとハグをして出た。『キスとハグをして出た』などとあっさりした一文で済ませるべき事象ではないのだが、感覚が麻痺している。受付には最初に見た黒服の人にアンケートを差し出されたので記入し、そそくさと退店。外にはすっかり冷えこんだ街の空気と外套からふわっと現れるOさんの移り香がそこにはあった。明日もがんばろう。
・「行くとなんか変わるよ」というのをどこかで読んだがあれは嘘。陰の者は陰の者
見下してるとかプライドが高いとかってまあ追記にも書いてるんだけど「!!??そう見えるんだ!!!???」って本当にびっくりする。
こちらは自分が周囲に見下されてて、価値がないから恋愛というひとつステージの違う感情のやりとりに入れてもらえなかったんだなあ〜と思ってるんですけど……。一番のゴミカス低脳醜女なりに人に優しくしたり仕事してみたり、長丁場の遊び(○○行きたいね〜みたいなの)とかもちゃんと社交辞令で言ってくれてるんだなあ、みんなで楽しんできてくれよな…と思って「行けるといいね〜」以外のことは返事しないでおいたり、全部勝手にやってるんだけどこんなに尽くしたのに何の見返りもないの?と思ったりもまあしたが、見下してくる嫌な奴がチョコマカ動いてたってだけなら仕方ないね。悲しいけど付き合いも様子見てマジそうならぼちぼちやめにするほかないか、みんな私から動くのを待ってるんだろう、多分。
最初に言っておきますが、愚痴というよりは毒吐きです。読む人によっては傷付いたり不快になったりすると思います。
ダメージを受ける恐れのある人は、読むのをお控えください。ダメだと思った時点でそっ閉じしてください。責任は取れませんので、マジ自衛してください。
また、面白くもないと思います。日頃のモヤモヤを書き散らしただけです。エスプリも効いてません。読むだけ時間の無駄です。
本当に責任取りませんよ?いいですか?
「二次創作は全て妄想。だから全て解釈違いで、全てのセリフが『○○はこんなこと言わない』だから」。
と、自分に言い聞かせてまいりましたが、最近、限界を感じております。
これ、建前じゃね?やっぱり、キャラ像を尊重して描く人と、自分の萌えのために歪めても平気な人がいねぇ?
いや、もちろん公式ではデキてないキャラ同士をくっつけて好きだなんだと言わせるワケだから、歪んでるのはお互い様なのかもしれんけども、それは分かってるけども、私の言いたいのはそういう事じゃない。
四角いトマトみたいに、自分の萌えの枠にキャラを押し込めて、「確かに赤いしヘタは付いてるけど…」みたいな、これトマト?????ってなるぐらい形の変わったキャラが量産されてない?
特に受け。元のキャラがどんな性格だろうと関係ない。テンプレートのようにすぐ照れて赤面し、可愛らしく恥じらって攻めを拒み、でも嫌よ嫌よも好きのうちっていう、どの界隈に行っても同じ、正に型に嵌めたように改変されてしまう。
ついでに言うと容姿も関係なく、原作では特に整った容姿とされていなくても、何故か二次創作では美女扱いで、やたらと同性にモッテモテにされる事も少なくない。渡る世間はホモばかりか。
私は『原作のAとB』が好きで、AとBだからこそのストーリーが読みたいんだけど、みんなはAとBのハリボテだけ流用した少女漫画が読みたいのか?と思ってしまう。
今私の居る界隈の受けは、プライドが高く好戦的で、粗暴で口も汚く、喧嘩っ早くて手やら足やらすぐに出る。非常に男らしい、原作においてはチンピラ扱いのようなキャラである。
そんな受けですら、攻めに迫られると、たちまち頬を染めて俯いて顔を逸らし、「いや♡だめ♡恥ずかしい…♡」的なセリフをのたまい、弱々しく腕を突っ張って抵抗(のフリを)し、そうこうしてる内に攻めの手管にメロメロ腰砕けになって流される…みたいな二次創作を、腐るほど見かける。
むしろそちらが主流と言っても過言ではないほどである。しかもそれがそれなりに評価もされる。作家同士のおべっかならまだ分かるが、支部のコメント欄でも「○○さんのB、めちゃくちゃ可愛いです〜♡」といった反応をよく見かける。
そりゃあ、原作にはBがAに性的に迫られるシーンなど出て来ないのだから、Bの反応は完全に妄想となる。それは分かる。分かっているのだが。
上記の、少女漫画のヒロインのような受け(いや、今どき少女漫画でも、こんな乙女全開のヒロインなんて少ないんじゃないか?知らんけど)の二次創作を読んでも、感想は「誰コレ?」しか出て来ないし、「あなたは原作のBを好きになったのではないのですか…?本当にBはこんな反応すると思って描いてますか…?こんなB見たいですか…?あなたの中のBはこんなキャラなんですか…?私と同じ原作読んでますか…?」と小一時間問い詰めたくなる。
それから攻めも。何で二次創作の攻めはあんなに猿みたいに受けの尻の事しか考えてないんだろう…。とにかく所構わずヤりたがる。年中発情期。そりゃエロ需要が高いのは分かるけども、抱きたい=愛情みたいなアピールをしてくる攻めがあまりに多くて、可哀想にすらなってくる。
端的に例えて言うなら、ド○え○んのノビジャイにハマッて支部を漁ってみたら、読む作品読む作品、肉食系俺様なノビと泣き虫乙女なジャイ(しかも何でか姉○崎寧○みたいな口調で喋る)ばかりで、しかもそれが持てはやされているぐらいの違和感である。
私にとって二次創作は、前提として原作萌えありきで、AとBへの萌えありきで、ゆえにAはAらしく、BはBらしくある事は非常に重要な事である。この「らしく」があくまで私の脳内像である事は理解しているが、それにしても同じ作品を読んで同じキャラに萌えたのだから、私以外の腐作家腐読者の脳内でも、根本的には大きくズレてはいない筈だと思っている。思っていた。
しかしあまりにも、あまりにもAとBの容姿と設定だけを拝借した少女漫画が主流過ぎて、分からなくなった。
もちろん、中にはAらしいA・BらしいBを追求して描いておられる(と私は感じる)作家さんも少なくはない。
しかし更に分からないのは、その原作に則ったABを描いておられる作家さんが、ハリボテABを描く作家さんとも交流し、作品を褒め合っている点である。
単に雑食でそれはそれとして楽しんでおられるのか、人それぞれだと割り切っておられるのか、描く時の好みと読む時の好みは別の話なのか、心にもないお世辞を平気で言えるコミュ力のある人なのかは分からないが。
私は内心で「誰コレ?」と思いながら「可愛いですー!」なんて言いたくない。「Bはこんな反応しない」と思いながら「キュンキュンしました♡」なんて言いたくない。言えなくはないが言いたくない。お陰様でどんどん孤立しているが、言わない。
だって嘘なのだ。心にもない事なのだ。言う方もだが、言われる方もそれでいいのか?嬉しいか?と思ってしまう。
表面上はそれで交流が広がるかもしれないが、内心では「私にはサッパリ良いと感じない作品を描く人」と思いながら交流を広げて何になるというのだ。いや交流にメリットはあるのかもしれないが、果てしなく疲れるその社交辞令に見合うだけの何かがあるのだろうか。
何より、心にもない賛辞で相手を持ち上げるのは、相手に対しても失礼であると私は思う。どうでもいい相手とのどうでもいい場面では幾らでも言えるが(そういう場面では相手もお世辞として受け取るから)、相手を尊重するからこそ、私は100%のお世辞は言わない。
自分が言われる側に立ってもそう思うのでそうしている。本当に好きで評価して言ってくれているのか、社交辞令としてお世辞で褒めているのかは、聞いていても何となく分かる。分かってしまう。
いい子いい子はどうでもいい子、というヤツだ。
お高く留まっているという非難は甘んじて受ける。お世辞を言うのが嫌なら、素直に相手を尊敬し、本心から褒めればいいのだ。正直、私もそう出来るならそうしたいという気持ちはある。
でも嫌なのだ。出来ないのだ。好きでないものを好ましく感じろと言われても難しいのだ。
私が好きになったAとBからかけ離れているように感じる作品を、それを描く人を、褒める事は出来ない。作品は別として本人を好きになる事は出来るかもしれんが、二次界隈の交流は、作品を褒める事が大前提なので。
分からないのは、「何故ハリボテ(に私には見える)作品が主流なのか?」という点。
みんな原作を好きになって原作のキャラを好きになって、だからこそ二次創作を始めた筈なのに、いつの間にか二次創作でのキャラ像をこそ好み、持てはやし、蔓延させている点。
中には、原作と二次創作は完全に別物と考えて、キャラ崩壊は自覚した上で「これが私の作風」とお考えの方もいらっしゃるでしょう。それはそれで分からなくもない。
消化出来ないのは、何の疑問も持たず、『二次創作で捏造されたAとB像』に迎合してる方々です。
姿だけ借りた別キャラの話が読みたかったんですか?それ、そのキャラである必要ってありますか?
それとも皆さん、全て見えてて分かった上で楽しんでらっしゃるのかしら。
だとしたら、原作のキャラ設定とバックボーンと人気を拝借するだけして、自分の萌えに沿うように改変して、キャラ崩壊してでも都合良く動かした作品が描きたいのだとしたら。
それはもうファンアートではないのではないかしら…?原作へのリスペクトが希薄すぎやしないかしら…?
キャラ崩壊が凄まじいと、どんなに完成度が高くても、いやむしろレベルが高ければ高いほど、オリジナルでやれば?って思っちゃうです、個人的には。
だからといってハリボテ(に私には見える)作品や作者を攻撃しようというつもりはないのです。これでも一応。
結局のところ、作風もスタンスも「人それぞれ」って話に落ち着きますし、好きなものを好きなように描くのが二次創作なのだから、それを邪魔するつもりはないです。私には良さが分からないけど評価されてるワケだから、需要があるんでしょうし。
ただ、何度も言うように自分がマイノリティ側であると感じるので、言えないんですよ、誰にも。吐き出したかった。
交流が広がらないのは仕方ないので別に構わないんですけど、同じ原作を読んで同じABに沼ってAB界隈に居るハズなのに、何で原作のイメージに近いABがマイノリティなのか。ホント意味分かんない…。
一方で、マイノリティながら、同じ苦悩を抱える方も絶対にいらっしゃる筈だという思いもあります。