はてなキーワード: 書類選考とは
今の年収にプラス50万ぐらいの求人でキャリアを磨こうと思ってあちこちに応募してたら
この2週間で7社ぐらい書類選考通過、4社は面接確約スカウトが来て予定が完全にパンクした
中には現在の年収プラス100万ぐらいの求人もあって、「なんか俺って市場価値高いな?」って自己肯定感が高まってきた
100社応募して書類選考通過したのが3社とかそのぐらいだった時と比べるとマジで格段に価値が上がったと思う
そもそも面接確約スカウトで来る求人なんて、縁も所縁もない職種(特に営業)ばっかりで、つかえねーとか思ってたけど今は希望職種の面接確約スカウトが来る
結局はそういうことなんだなって今頃になって気づいた。でもフリーター時代の俺に言っても絶対信用しないだろうなって確信もある
という子に見て欲しい
新卒採用の際は人事の人間と一緒になって学生たちを見る機会がある
うちの会社はありがたいことに結構な人気企業。東大京大、東工、早慶と私が入社した当時では、考えられないような大学を出ている子たちからの応募も多い。
んな大学ばかり見て目が肥えてるぞと言われてしまいそうだが、そんな中にちらほらと専門学校を出ている子達が応募してくる。
専門卒の子は下請けの下請けあたりになると一気に増える印象だが、うちで採ることはまずない。
こんなこと言っては酷だが、進路選びの時点で間違っている。
20年前なら話は分かるが、今では名の知れたゲーム会社ではほとんどが有名大学卒業した者ばかり。
ゲーム会社に、入りたくてゲーム専門学校に入学したのに、就活ではそれがなんの役にもたたないなんてあんまりだ。
たまぁ〜に、集団面接に混じっている時があるが、自分以外は皆大卒(しかも最低でもMARCH)なため、、見るからに気まずそうである。
そして近年はこの傾向がさらに強い。
就活に使える時間は有限、毎年こんな学生を見ると少し気の毒に思える。
どうか、ゲーム開発に携わりたいなら、いっぱい勉強していい大学に入って欲しい。
この分野で専門学校卒なんて企業からすれば、なんの魅力もないから。
なんとか目標数に届いたやで。以下、しがない人事部オッサンのワイ、今年の感想を書き捨て。
40代前半になり、管理職を意識した仕事の進め方(実務中心→マネジメントへ)を検討しはじめた頃だった。ずっと同じ部署で働いていたわけではないが、新卒からほぼずっと法人課税一本だった。
そんな折、数個年上の同僚のひとりであるN君が「今年度いっぱいで辞めて転職するから」と言ってきた(ビットコインの件で苦しんでいた人だ)。職場の飲み会の帰りで、飲み直しで別の店に入った時だった。少しばかり仕事で縁のあった会計コンサルの内定を得たという。
「なんで辞めるの?」と聞くと、「昨年課長にはなったけど、どこまでいっても組織の歯車で、それだったらまだいいけど……国民のために役に立っているとは思えない。だったら民間の方がいい。自分の仕事力は、広く社会のために使いたい」といった答えが返ってきた。「上司と人事には退職の旨を話してある」という。
私は、そこまで高邁なことを考えるタイプではない。どこか仕事から引いたところがあって、上から60点の成果を求められた時、80を出せる時でもあえて70の成果を出す。残り10の余力は、いざという時のためにとっておく。そういうタイプだった。
できるなら上の方まで昇進したいとは考えていたが、審議官とか、次長とか、長官とか、そういう地位はむしろ遠慮したかったし、私の学歴だと奇跡が起きても難しい。職務自体は好きだったから、できれば長い間やりたいとは思っていたが。
そのN君は、私などよりも公僕に向いている。いつも全力だからだ。そういう人だった。今回、自分の力を社会のために役立てたいという想いを聞いたが、嘘偽りはないと感じた。
数か月後、私は「絶対にここを辞めてやる」と決意することになった。N君の退職が認められなかったからだ。それで結局、N君は内定先を辞退することになった。伝聞での話になるが、N君の内定先には「霞が関の事情を説明する」という名目での情報共有(という名の転職妨害)が入ったのだという。
民間の方には事情がわかりにくいと思う。まずは次の規則を読んでほしい。
(辞職)
第五十一条 任命権者は、職員から書面をもって辞職の申出があったときは、特に支障のない限り、これを承認するものとする。
公務員の任免というのは、民法上の雇用契約が基底にある。そのうえで、国家公務員法や人事院規則により公法上の契約関係を構成する。ざっくりいうと、行政事務職の公務員≒サラリーマンということだ。労基法が適用されないからといって、隔絶した存在ではない。現業職の公務員だと、よりサラリーマンに近い扱いになる(労働協約締結権があるなど)。
上の人事院規則は、公務員のみならず民間業界をも拘束する。当規則が国家公務員法(国会で議決)から委任を受けているからだ。
N君の例だと、別の内規により人事院規則第51条が課長補佐以上には厳しく適用されるのに加え、「再就職に関する規制」に該当するおそれがあったのだろう。それゆえ、転職を目的としての辞職が認められなかった。
結局、N君はどうしたのかというと……私が辞める時点では在職していたが……少し述べると、あれからも転職活動をしたが失敗に終わったらしい。40代半ばで、国家公務員としての経験しかないN君は転職市場では必然不利になる。
N君に興味のある会社があったとして、N君からすれば入りたい会社ではなかったという。とはいえ、税務や会計の会社を選ぶとまた転職できない可能性がある。かくして、N君は今でも霞が関のどこかで働いている。どうか幸せでいてほしい。
「こいつらクソだな」と思った。たかだか数年前に1回契約したっきりのコンサルに移るくらい、認めてやってもいいじゃないか。厳密にいうと再就職の規制にかかってしまうのかもしれないが、それでもいいだろう。仲間なんだから。
当時は怒りでいっぱいだった。今はとうに収まっているが。所詮は、その程度の仲間意識しか持てない連中の集まりだったのだ――と今では達観している。
繰り返すが、四十前半であれば課長(管理職)になってもおかしくはない。平均的には43,44ほどで課長に昇進するイメージがあった。早くミッションを遂行しなければならない。
転職活動を始めることにした。この時、妻はすでに亡くなっていた。子どもはふたりいたが、先ほど書いたとおり、霞が関の一人親に子育ては不可能であるため実家に預けている。妻が存命だったなら、転職活動自体していなかったかもしれない。
この時は、リクナビも有名になっていた。転職エージェントもネットで探せる時代になっていた。さっそく求人を探していくも、自分に合った仕事は見つかりそうにない。リクルートエージェントにも登録して、毎日少ない自由時間を使って求人を確かめていき、平行して求人応募に最低限必要なドキュメントを作っていった。
転職活動スタートから三ヶ月ほど経った頃は、こんな状況だった。希望条件には、就業場所や入社時期や休業制度や、もっと細かい事項もあったが省略する。
二 職務内容に拘らない
ア どんな仕事でもやっていれば好きになる
イ それよりもどんな人と働けるかが大事
イ 全体向けに説明した後、現場レベルに立脚した観点で是非を整理
※この箇所は、文字ばかりで窮屈~というエージェントからの指摘あり
ア 息子と娘を遊園地などに連れていきたい
ウ この年になるとゆっくりしたいのもある
二 風通しがいいこと
イ 怒鳴ったり急に泣き出したり、負の感情を吐き出す社員はいないか?
ア 前の職場が不明確だったので。データによらずに上司が決めるなど。
イ ずっと続けられる好きな仕事にしていきたい
イ 子がいるので額面700万はほしい。今の年収△200万円までOK。
とまあ、いろいろ考えはしたが……結局、税務コンサルにした。スキルを活かせるうえに、さらに磨くこともできる。そのうえ、応募に必要な資格である税理士免許もある。応募要項には「事業会社での税務実務経験5年以上」とか「同業界でリーダーシップを発揮された経験3年以上」とか「M&A、組織再編、事業統合、事業再生等の案件に対する税務コンサルティング経験」とか、該当していない要件があった。
だが一方では、「上場企業、外資系企業などに対する税務申告書作成業務」など、こちらの十八番(ルールを作ったり審査する側)とも言える要件もあった。当てはまるかもしれない。
こちらの日系大手の税務コンサルを受けたいと転職エージェントに告げたところ、「要件については、体感6割でいいので。ほかにも何社か受けた方がいいですね。増田さんの場合は、最低15社は受けましょう」とアドバイスをもらった。
言いたいことはわかったが、こういうのは絞るべきだと感じた。一気に15社受けるのではなく、3社を5回に分けるなど、そういうやり方がいいと思った。※よく考えると、転職エージェントと転職希望者は利益背反の関係にある。転職エージェントとしては、ほどほど短い期間で離職しそうな会社を勧めるのがメリットだからだ。
かくして、税務コンサルのうち、外資系大手・日系大手・日系準大手の3つにエントリーした。うち2社が書類選考を通過し、一緒に働くであろう仲間との数度の面接を経た後に、幹部社員とも話をさせてもらい、最終的に2社の内定を得た。
決め手として、一番好感があった会社を選んだ。やはり、一緒に働く仲間――これがマストだった。上の3つでいうと日系準大手になる。
こちらの会社は、昔仕事でお世話になったことがあった。直接契約を交わしたことはないのだが。とある相談案件を通じて、互いの知見を高めることができた……とこちらは認識していた。その会社は、国税庁を不当課税処分で訴えたことがあったのが気になったが、今さら大した問題ではない。
次は、どうやって上司に転職を伝えるか考える必要がある。まともにやってしまうと、N君の時のように無理筋なことをされる可能性がある。公務員の退職にあたっての厳密な許可制や再就職の規制は、当時の私の役職(課長補佐)だとばっちり適用される。※20代とかの若手だと、基準を緩めてもらえるらしい。
「年度末で退職します」と告げた時の直属の上司の顔を覚えている。諦めと怨嗟が混じったような顔つきだった。一応遺留は受けたものの、上司もわかっていたようで、最後には「これまでお疲れ様。次のところでもうまくやれるように。ただ、辞職が認められたらいいけどな。俺は無条件に認めるけど」と言っていた。後は、人事による退職ヒアリングを残すのみだ。
思案した結果、退職ヒアリングにおいては、内定を得ていた会社のうち辞退するところを転職先として告げることにした。入社予定の日系準大手は、一応これまでの取引先には当たらないが、関係先に該当すると見做されるおそれがあった。N君の二の舞だけは御免だった。絶対に避けたい。今ここで、今ここで就職しておきたい。絶対に!!
証拠書類として、第二志望だった外資系大手のオファーレターの写しを人事ヒアリングで提出したところ、それから約一週間ほどか、何事もなかったように辞職の許可が下りた。そこから、残りの約二ヶ月半の間で引継資料を作り、3月の初め頃には仕事を引き受ける人に業務の説明をして、懸念事項の対処方法の素案を示して、最後に職場内で気を付けるべきことを述べて……それから数日後、私は職場を跡にした。
転職に成功した。一度下った辞職許可である、春先になって覆されることはない。覆そうにも、4月の時点ですでに民間企業との雇用契約が成立している。どうしようもない。私は管理職ではないからして、そこまで大事にならないはずだ。
実際、春先になってすぐ、雇用保険や健康保険の手続きの関係で、私の勤め先は元職場に知られることになったろう。それでも、私に元職場から電話がかかってくることはなかった――転職に成功したのだ。
新しくスタートした税務コンサルティングの仕事は、私にピッタリ合っていた。最初の1年間は、向こうの会社でいうところの雑巾がけ(企業の予定納税額の調べ、特定の申告方法の可否の問い合わせ、税制改正の動向調査)に当たる仕事だった。これまでの経験が活かせる、いい仕事に出会うことができた。
定時退社が実現し、給与は少しだけ上がり、休暇日数も増えて、福利厚生も十分だった。何より、一緒に働く仲間だ。自然な話し合いができる。暴言を吐く者や、怒りや悲しみの感情をぶちまける者や、不貞腐れる者もいない。言いたいことを言い合える。
反対意見に弱い人達じゃなくて、なんというか、「精神的に健康」というか。自分と考えの違う人の反論に耳を傾けることができる。それでいて、自分の意見として昇華できる。そんな人達だ。
いい職場に移ることができた。運がよかった。太陽が昇っている時間に家に帰れるなど、私にとっては夢のひとつだった。夕焼けは近かったものの、まだ青空が残っている部分を見上げると、子どもの頃に読んだ児童作品を思い出した。少し前にも思い出そうとしていたっけ。きっかけは忘れたが。
タイトルは、『ちいちゃんのかげぶんしん』だった。時代背景は、太平洋戦争の末期だ。ネタバレは避けるけれども、ちいちゃんという女の子が家族と一緒にやった『かげおくり』という遊びを通して、戦争反対を訴えるものだ。
かげおくりというのは、地面に映った影法師をしばらく見てから青空に目をやると、網膜に焼き付いた影の残像が空に映ってみえるというものだ。未成年だった頃の私の心にドスンときた作品だった。増田民にも是非おすすめする。
晴れ晴れとした気分だった。それからはマイホームで羽をのばした。なにしろ、毎日が定時帰りなのだから。子どもを実家から引き取るまでの間、家でゴロゴロしたり、趣味に勤しんだり、妻の遺品を整理したり、平穏な日々を過ごした。
暇な時間を使って、『犬神さんと猫山さん』のBlu-rayディスクを購入して観た。やはり、何も考えずに見られる。1話がCM込みで5分なのもいい。最終回は、花火大会だった。今まで出てきたキャラクターがみんな登場して、最後はふたりで花火を見上げながら手を繋いだところでエンドだった。
ネット掲示板を読んだところ、原作漫画(※記念に1巻を購入)の方は、残念ながら打ち切りのような結果だったらしい。作者も若い人だから、いろいろと苦労があったのかもしれない。でも、あの作品を面白いと思った人がたくさんいるのだと――作者に知ってもらえたら幸いだ。
私のようなおじさんが楽しめたのだから、若い人だったらもっと楽しめる。面白い作品に違いない。できれば15分枠のアニメだったらよかった。
たった三ヶ月の間だったが、思い出に残るアニメだった。ありがとうございました。
ここまで書き終えて、今は自室にあるパソコン机の前で一息ついている。携帯電話の通知を見ようか、それともコーヒーを飲もうか、ボーッとするのもいいかなと、いろいろ考えている。
税務官僚だった頃に比べると、今は幸せだ。そのうち慣れるとは思っていたが、あの辛かった日々を思い出すと、しみじみ幸せに思えてくる。不思議かな、辛かった日々であればあるほど、思い出す時に幸せな気分になる。なぜだろうか。
そんな思いに捉われて、ふと携帯電話を拾い上げた私は、デリヘルでも呼ぼうかと思い、アドレス帳を開いた。お気に入りの子が脳裏に浮かんでくる。
ここで思い留まった。そうだ、先日誓ったばかりじゃないか。もう風俗店を利用するのは辞めようと。昔はよくソープに行ったり、デリヘルを呼んだりしていたけれども、もうしない。そういう店は利用しないと決めていた。
長い日記になった。ゆっくり読んでもらえばいいし、わかりにくいところや、興味のないところは飛ばしてもたぶん理解できる。
今回、昔のことを振り返ることができてよかった。書いている最中、じんわりとした幸せが込み上げてきた。この幸運に感謝したい。
(追伸)
上で挙げたN君だが、半年前に話をする機会があった。今でも彼は、どうにか転職ができないか模索しているらしかった。裏技を使おうかとも言っていた。さすがにここでは言えないが。
N君の転職活動が成功する未来を祈っている。彼は独身だから、私よりは選ぶ会社の自由が利くだろう。彼の多幸を願って日記の結びとする。
絵を描き始めて30年経った。
絵を描いている最中は楽しいと思いながら描いている。絵を描き上げた時は傑作ができたと思っている。
しかし絵をSNSに流すと、全部のSNS合わせても20〜30いいねくらいが普通だし、そもそも閲覧数自体が1000行けばいい方である。
これを読んだ貴兄らは俺の絵は下手くそなんだろうと思っただろう。俺だってそう思う。
でも、でもだ。俺は自分の絵が上手いと思っている。しかし数字がついてこない。
分かってる。これは客観的に下手なのだということは。そもそも絵を描いて30年。絵柄のアップデートも頑張ってはいるが、どこか古いのかもしれない。
それでも描くのをやめられない。これは相当におかしい。
中学生くらいの頃は、大人になったら絵を描くのをやめるのかもしれないと思っていた。
大学生くらいの頃は、絵を描くのを仕事にしたくて相当に頑張ったし、アニメ会社の採用(?)の書類選考はいくつか通ったりしたが、最終的には全部ダメだった。
だから、就職したらやめるのだろうと思っていたが、就職しても普通に絵を描いていた。
じゃあ結婚したらやめるような気はしたのだが、結婚しても絵を描いていた。子どもが生まれたらやめるだろう流石にと思ったが、子どもがいても隙を見つけては絵を描いている。
若い人に追い抜かれたらやめるかもしれないと思っていた。実際俺より若くて上手い人はゴロゴロいるし、今はAIが描く絵にだって正直敵わないと思っている。
それでも描くのをやめていない。
なんなんだろう、この人生は。
絵を描いていて辛いこともあった。特に絵を仕事にしたいと思っていた頃は辛かった。プロの絵描きになるのは諦めたが、絵を描くことはやめなかった。
気がつけば描きたくなって描いているのだ。
今は自己評価と数字に乖離があり時々それで辛くなることもあるが、だからと言って絵を描くことをやめる理由にはならない、俺の場合は。
ここまで来たなら、この先どのくらい描いていられるだろうか。
無論死ぬまで。
そんな漫画のセリフがあったのを思い出したが、死ぬまで描いていられたらきっと笑って死ねるだろう。
なんか、数字的に俺の絵は下手なんで辛いですって話をしようと思ってキーボードを叩き始めたのに、最後には絵を描けるのは幸せハッピーでウヒョーって言ってもいいっすよ!なところに着地してしまった。
まぁいいや。深夜はそういうよく分からんことが起こるもんだ。
ここまで読んでくれてありがとう。
こんにちは、トンボ鉛筆の佐藤です。改めて地震の方は大丈夫でしたか?
このメールを配信した中には、被災されている方が多数いると思います。
直接的な力にはなれないですが、私自身、都内から自宅のある埼玉まで徒歩で8時間かけて帰宅して、実際の東北の方に比べる程のものではないですが被災の怖さを感じました。
さて、先日は咄嗟のメールだったので、返信しなくても大丈夫ですからね。
会社は大丈夫です。揺れは大きかったですが、今のところ大きな事故・怪我の連絡は入っていないです。
本当は週明けに全員に送ろうと思っていたメールです。
こんなことくらいしか出来ませんが、履歴書とESをお送りします。
ただ、非常に厳しい条件をつけさせていただきます。
その条件とは1点だけです。
書類選考を希望される方は、添付の専用履歴書とエントリーシートをご確認いただき、3月15日(火)消印有効でその2枚をセットにし、下記までご郵送ください。
直前に説明会へ予約が出来た場合は、ひとまず書類持参でお越しください。
自分で考えてみてください。
皆様にも言いたいこと、不満があるのは重々承知していました。
全部ではありませんが、私も様々な心の奥にある声を見て・聞いています。
何年も前の話なんだが、処女を売った。簡単に言うとAVに出た。出たのは1本だけで、今は普通に会社員として暮らしている。レーベルとか相手の男優とか監督とかは全部書かないしギャラも書かない。
珍しくは無い、とは流石に言わないが、居なくは無いだろう、たぶん。セックスが好きなわけでは無い、むしろ嫌いだ。男性は怖かった。何をかんがえるのかわからないし、小中と散々いじられて過ごしたので危害を加えてくる生き物として認識してしまっていた。正直今もそんなに好きじゃないが、信頼できる人間はみつけられたので、全てが怖い人ではないんだなと思えるようにはなった。
話を戻して、出ようと思ったきっかけは、たぶん自己肯定感の低さからだったと思う。平均身長・体重で顔も普通と言われるが彼氏ができなかったことにものすごく焦っていた。この歳で処女って恥ずかしいことだという認識があった。呪いみたいに頭に張り付いて離れなくて、けれど周りの人間には相談ができない。友達のの性事情を聞かされる(いわゆる女子会。彼氏とのエッチがさ〜wみたいなノリのやつ)と、どんな顔をしていいのかわからなくなった。
みんなできていることなのに私にはその機会がこない、やばい。人としてやばいのかも。誰もが当たり前のようにできることなのに私はそれができてない。という焦りでちょっと頭がおかしくなったんだと思う。
「どうしたら彼氏ができるか」よりも「どうしたら処女を捨てられるか」が目的になった。そうなった私の行動は早かった。
当時に思考回路としては
処女を捨てるにはセックスをする→セックスをするには相手が必要→レイプはされたくないし、合意の上でも適当に相手を見繕ってうっかり妊娠なんかするわけにはいかない→妊娠のリスクが極めて低い安全なセックスをする方法は何か→AVに出ることだ!検索!
ばかか。ばかだった。
行動力のあるばかってどうしようもないな。やばい事務所にあたったらもっとやばいことだって起きたかもしれないのに、映像作品を世に出してんだからそれなりに安全なはずだ!となぜか信頼してしまっていた。
思考がバグっていたのですぐにネットで探して応募をして、細かくは覚えていないが書類選考が通って説明を受けに行き、処女を捨てたいと話して面接が通った。
ほどなくしてマネージャーが付き、話が進むのが早い業界なんだなぁとぼんやりと思った。
そこからいろんな事務所に連れて行かれ、面接を繰り返す。面接では「服を脱いでみて」と言われることが多く、何も考えず上裸になっていた。何か聞かれたらすらすらと喋れて自分じゃ無いみたいだった。
どれくらい繰り返したのか覚えていないが、なんとか企画だか事務所だかが決まって撮影日とギャラを聞かされた。こんなふうに決まるんだな、早く終わって欲しい、楽になりたい。恐怖感や危機感みたいなものは全く感じていなかった。そこらへんのヤリチンに捕まるよりよっぽど丁寧に扱ってもらえるだろうし、無理なことはやらされないだろうし、プロが相手なんだから良い思いもできるんじゃないだろうか。そんなお気楽思考で撮影に挑んだ。
結果、もう二度とやりたくねえ。
痛い、苦しい、辛い。尊厳を踏みにじられている気がする。はあはあ言ってる男がのしかかってくるのキツい。入ってくる情報全部が無理だった。プロ相手でこんなにしんどいなら素人の男性となんてもっと無理だ。セックスなんかもう一生しなくていい、こんなしんどいこと強要するやつは全員滅んで欲しいと思った。
プロのお店で童貞捨てて素人とはしたことない人を素人童貞というのなら、私は素人処女のままでいい。変な言葉だな、素人処女。
あと、自分の穴がすごく狭いのを知った。とにかく痛い。ここから子供産むって正気?絶対死ぬじゃん。女を妊娠させようとしてくる男って何?悪魔?って思った。(本当に狭くてタンポン入れる時さえ引き攣れるような痛みがある。どうにもならん)
映像にどんなふうに映ったのかは怖くて確認なんかできなかった。きっと酷い仕上がりだったと思う。きっと出演作は売れないだろうから身バレもしないだろうし、今後またAVに出ることもないなと思って帰った。翌月くらいにギャラはちゃんと振り込まれていた。
その後、事務所から何度か連絡が来ていたが全て無視をして、ようするに飛んだ。
10数年経って、特に何もなく暮らせているのでこの先も何もないはず。たぶん。
処女を捨てるという目的を達成し、変な呪いが解けて気が楽になったのは事実だ。何もあんな方法とることは無かったな、と思い返して反省はするが、あの頃の私にはそれしかできなかった。若くてアホな私は必死だった。何か起きたら責任は歳食った私が取るしかない。
身バレしたくないのに誰かに聞いて欲しくて書いてしまった。こういうばかもいるんだな、ふーん。くらいで流し読みしてくれ……。
今年体調を崩して短期離職して、今は業務委託でほそぼそ収入を得て暮らしている。
ある程度体調が回復したので就職活動をはじめたが、書類選考落ちが大半の中、最終面接まで進んだ会社で連続して不採用になって落ち込んだ。
業務経験はIT業界のカスタマーサポート/テクニカルサポートとして15年超。toB、toCどちらも経験ある。
また、勤務した会社は大規模外資から小規模ベンチャーまでいろいろ。
これまでと同じ業界・職種に応募してきたが、何を生かしたり変えたりすれば就職できるだろうか。
英会話を伸ばして英語力のいる求人に応募するのがよいと自分では思うが、現在お金に余裕がなく勉強にあまりお金をかけられないことで行き詰まっている。
・非大卒
・TOEIC L&R 700点台
・不眠
・Duolingo(英語)
年収もそこそこあるホワイト大企業で2回休職してしまった30代前半です。ちなみに大手電機メーカーです。
ソフトウェア系の研究開発の部署にいますが、業務では全然ソフトウェアを書いておらず、スキルが全然身につかなかった。
8年間何をしていたんだろうなと思います。合わせると2年近く休んでいて、いまは中堅になってるはずがまだ2、3年目という感じです.周りも任せられることが増えているし、優秀な後輩は増えるし劣等感がひどいです。
世の中にまだないような数年先のテーマ性に取り組めたりもしています。でもそういうのって市場価値には必ずしもつながらないようです。企画段階やプロトタイプレベルの検証がほとんどで、一般的なソフトウェアの業務レベルの品質のことをしていない。企画を練ったり上を通したり検証しているとスピードがでない。大企業だからでしょうか。
検証は大事というけれど、追加工数や予算が維持より大きく得られることはほとんどないから、意味がない気がしてくる。
なにより入社して世の中に何も出せていないから、達成感がひとつもない。成長している実感もない。期待値がそれなりにあった大学院生の頃と比べると人としての価値も落ちていると思っている。30代でスキルもないし、これから成長はしないと思われるだろうな。
成長できないのも自己責任かもしれません。もっと休みの日やサービス残業で、開発すればいいのかもしれないのですが、もうそんな元気はありません。会社だとセキュリティもめんどくさくて開発意欲が削がれます。家に帰るとすぐベッドです。
転職も考えています。スキルがない30代、学歴もたいしたことがない、なにより休職経験があることから全然書類選考も通りません。エージェントが問題なのかなと思ってもどのエージェントを使っても一緒でした。薦められた会社から受けているんですが、自分に見合ってないんでしょうか。そうなると大幅に待遇は下がるんですが。
2回の休職から結婚もできないなと諦めています。モテる方でもないので、マッチングアプリをしても30人に1人くらいしか2回目に会える子がいませんでした。まだ休職経験のカミングアウトもしてないのに。世間的にも年収もあるほうだし、見た目も普通だと思うけど余程人として面白くないのかな。それとも東京の男性のレベルは高いのかな。
最近も、夜に死にたくなったり、朝に体が動かなかったりしています。
みんな周りの人も結婚してきているし、周りには優秀な人が多いので相談できる人はほぼいません。自分も優秀で仕事ができたり、プライベートが充実していたりすればいいのになと思います。
甘えと言われるのでしょうが、弱者にとって生きるのは辛いですね。能力主義というか、資本主義というか、今の世の中の仕組みはそうなってるなと感じます。
休職してるときはどんどん貯金が減っていって、お金がないつらさを知ることができました。社会的に成功している人は信用があればいいとか、諦めずにいまからやってみればいいといいますが、落ちこぼれていると何もやる気がなくなります。信用なんて一部の有能な人しか得られないでしょう。
失敗しても歳を取っても多少やり直しがきく世の中になってほしいです。自己責任論もきついですね。自分が失敗してみてみに沁みました。私がうつ病になったのも自分が弱いせいなとかもしれないと思うと、体が動かなくなります。やり直しも効かないし生きる希望がありません。
めちゃくちゃ昔に既卒就活やべえ!って話をしてそれっきりでしたが、それなりに落ち着いてきたので「こういう例もあるよ」の意味で久しぶりに日記を書いてみます。
思いつきでダラダラ書いてるので、「コイツほんとに業界の人間か?」という突っ込みはどうかご容赦を。
↓以下スペック↓
マーチKKDR法学部ストレート入学ストレート卒業→内部法科大学院進学→既習二年目に中退
中退した後に半年間就職活動→IT企業で内定→3年前後働いて転職、現在BIG4でシステムコンサル
↑以上スペック↑
中退した理由はいろいろあるんですが、法科大学院生なら「あるあるだよね」ってなるような理由です。プレッシャーやらお金の心配やら何やらがごちゃってメンタル死んだ系です。
当時は「司法試験受からないと人生終わり!」と結構本気で考えていましたが(というよりそれぐらいのマインドが無いと受からない試験だったと思います。今思えば)、いざ就職してみると割かし良い生活できるもんなんだな、と思います。
さて、法科大学院生の進路ですが、正直26歳ぐらいまでなら全然他の分野でも立て直せると思います。法務職なら確実余裕。
20代で最低限の学歴がある、というだけで世の中案外評価してくれます。書類ぐらいは割と通してくれます。
私自身の場合は、「もう法律ええわ、全く違うことやろ」「ほな今ITホットでええやん!」というノリでIT企業を対象にして就活をしていました。
とはいえ、やはりズブのIT素人を採ろうとする会社さんは中々いらっしゃいませんでしたね。当然ですが。
ITパスポートとTOEIC7xx点だけで勝負していたところ、何とか前職からお声がけをいただけました。前職からお声がけいただくまでの間には、多分50社以上面接受けていたと思います(書類選考だけなら100社近いかも)。
とはいえ、受検社数が100社には及ばずに済んだのは、20代で最低限の学歴があって、「未業界に挑戦したいです」というのを資格取って示せていたからなのかな、と思ったりもします。新卒の就活生なら当然やっていることでしょうが。
その後、情報処理技術者試験の資格や、民間資格をいくつか取得しつつ、何となく転職サイトに登録してみたら何となく転職できてしまった感じです。
前職絶対辞めてえ!という訳ではなかったんですが、カジュアル面談を受けてみたらあれよあれよと選考が進んじゃって、オファーが出ちゃったので挑戦してみようという感じでした。
「何か、法科大学院って中退しても何とかなるんだなぁ」と思った瞬間でした。勿論、周りの方々とのご縁があっての前提ですが。
勿論、現在法科大学院生の方・司法浪人されている方には司法試験を思い切り頑張って欲しいと思っています。
一方で、法務博士持ちでさえあれば、世間はより高く皆様を評価してくれます。私でさえ現職の面接時に法科大学院での学習を評価していただけましたから。
相当しんどいとは思いますが、まずは法科大学院を修了することを最低限の目標として頑張ってみてください。
文学部の増田がバズってて興味深かったので、理系の話をしてみようと思います。
まず前提として共有しておきたい話ですが、「理系」といえどもその領域はとても広いです。総合大学では大抵の場合、国公立では理学部と工学部、私立では理工学部で理系が全部まとめられてしまいます。
ちなみに理学部と工学部の違いですが、「学問が世の中に役立つか」という基準で(おおまかに)学問領域が別れています。
例えば増田が所属する機械科の場合、機械は世の役に立ってナンボなので工学部判定。電気系、情報系、土木系もこれにあたります。逆に、理学部では研究が必ずしも世の中の役に立つ必要はなく、学問として追求するのが目的となります。ニホニウム誕生の際、研究者がインタビューで「世の中の役には立ちません」と発言したことが話題になっていましたが、理学部的にはこれでOKなんですね。しかし、最近は理学部であっても世の役に立たない研究は予算がつきづらく、苦労されているらしいです。
さっそく就活かよ!と思われるかもしれませんが、工学部は様々な産業に技術者を輩出するのが大きな役割の一つ。「大学は就職予備校ではない、研究機関だ(キリッ)」なんて言う人がネットにちらほら居ますが、工学部の場合この限りではないんですねぇ。
結論としては、世間で思われている通り工学系の就活はかなり楽です。
日東駒専、4工大以上の入試難易度の大学であれば東証プライム上場企業を十分に狙えます。旧帝国大や早慶のような難関大学は言わずもがなですが、MARCH/地方国公立クラス以上であれば(就活ガチれば)優良企業を選び放題です。
機械科の場合は特に引く手あまたで、増田の場合ESは通って当たり前。場合によっては書類選考が免除、という状況でした。人手不足&コロナ明けで企業の採用意欲が旺盛、という情勢の追い風もありましたが、文系24卒増田と比べて大変な優遇っぷりでした。
とりあえず手に職付けたくて根性があるなら、機械科はマジでおすすめです。
そんな就活最強完全無欠の工学部ですが、憐れポイントも存在します。その一つは皆さんご存知の男女比です。
ご存知の通り男女比が酷いです。増田の機械科では多く見積もっても9:1で男子ばっかりです。増田は同じ学科の女子の友達いないです。
そして技術職で就職する場合、工学部の男女比がそのままスライドするので、男女比問題が就職後も続きます。増田の就職先では四季報に乗ってる男女比が9:1です。特に女性は人事部など文系総合職に片寄るので、実態はさらに男ばっかりでしょう。
本当に出会いは無いです。増田は生涯彼女なしDTなので、大学時代に何とかしないと本当にヤバいので焦っています。
しかし、これは学科によって大きく事情が違います。例えば化学系、生物系の場合は比較的女子が多く、実験も多いので異性と出会う場は多いです。しかし、化学系と生物系は就活市場での需要が少なく、機械・電気などに比べ就活の難易度が上がります。これは完全に偏見ですが、就活難易度と男女比はトレードオフにあるように感じます。
また、片寄った男女比なので女子の肩身も狭いでしょう。そういうの気にせずガツガツいける女子であれば、出会いが多くていいんじゃないすか。知らんけど。
一番の憐れポイントはこれでしょう。実験や課題、研究でシゴかれるため非常に忙しいです。具体的にどれだけ忙しいかと言うと、過労死ラインを普通に超えたり、倒れる学生が出るほど酷いです。
増田の場合、学部1,2年ではバイトは不可能なほど忙しかったです。土日潰せば何とかバイトもできますが、それだと本当に過労でヤバい状況になると思います。
特に学部2年の時が一番キツかった。土曜にも授業が入り、授業時間と課題に取り組む時間で過労死ラインを超えました。これは増田の頭や要領が特別悪い訳ではなく、同期の友人たちも似たような状況でした。
そしてブラックな研究室も多いです。増田の大学ではパワハラの話は聞かないものの、過労がヤバい研究室の話はよく聞きます。生命科学系では「ピペット奴隷」なんて呼ばれたりするそうですが、どの領域でも似たような状況になっている研究室は必ずあると言って良いでしょう。
特に、優秀な学生ほどこの沼に嵌まりやすいです。自分からガンガン研究を進めますし、教授も期待してどんどん負荷をかけてしまうため、ある日突然、リミットを超えた学生が倒れる、なんてことが起こります。
多くの研究成果を出しており、優秀な学生が集まる研究室は要注意です。教授が学生にかける負荷(タスクの量)が強く、学生も優秀でやる気があるので無理をしてでも負荷に応えてしまいます。また、そういった研究室はもれなく人気で人数が多く、教授が学生の面倒を見きれない→放置気味になって過労、というコンボが起こります。
逆に、地味で人数が少ない研究室はユルくて安全です。特に、教授が積極的に手を動かして実験するような研究室は優良です。ブラックな教授は、実験を学生に丸投げしますからね。
あと、課題をバカスカ出す教授の研究室は黄色信号です。もちろん例外もありますが(増田の研究室は例外だった)、少し気を付けた方がいいです。
あとあと、工学系のサークルはもれなくブラックです。ロボット作ってコンペ出たり、エコランや学生フォーミュラやってるようなサークルね。こういうサークルはもれなくやる気で優秀な社蓄予備軍が集まるため、そのへんのブラック企業が裸足で逃げ出すほどブラックです。過労で肺に穴空いて入院とかフツーに聞きますからね。本人たちは好きでやっているんでしょうが、体壊してまでやることじゃねえだろと。
っていうか、普通にヤバいこと起こってるのに当人はそういう体質を全く改善しようとしないのがマジで終わってます。大会で結果出すために平気で健康を犠牲にしますからね。
そして全然上手く回っていないにも関わらず新しい大会とか始めてさらにブラックを加速させたりするので、本当に目も当てられません。アホかと。睡眠不足で脳みそ壊れたんか?
しかし、彼らが教授連中や就活で評価されることはあれど、ブラック体質が問題視されることはないんですよね。
そして彼らは研究室でも頑張ってしまうので、過労ブラック研究室が滅びない。マジでやめてほしい。
当方女性。最近、SNSでダイエットの話が出てくるが、ルッキズムが誤った方向に行ってないか、心配になることがある。何より、自分自身が仕事をして犠牲者だったからだ。
先に結論を述べると、痩せることが美しくなれるのは、肥満の人が普通になることだとしか思ってない。BMI30の人が24とか。
オーディションに書類選考通過して呼ばれて複数の事務所に行ったことがある。それまでも何らかの業界経験はあった。スカウトも受けたことがある。
当時の増田の体型はBMI18程度。普通よりはずっと痩せている方だ。
しかし、複数の事務所でもっと絞らないとね…と言われた。某事務所からは120%仕事来ないと断言さえされた。
問題は骨格か、顔の大きさだろう。ビジュアルが悪いことは認める。が、それにしてもこの業界の人々の細さに驚く。どう頑張っても痩せられない域の細さなのだ。華奢、あるいは作りが先天的に小さいという言葉が適切だろう。
普通体型の人が、同じように目指したら見事に摂食障害になるレベルの細さ。ふくらはぎが、増田の腕よりも細いのは珍しくない気がした。時に、ギョッとすることもある。何を食べたらそんなに細くなれるのか。
メディアで良しとされる体型は現実では痩せすぎなことが多いから、自分のこと太ってるなんて思わないで美容体重なんて目指さないでほしい。
激しいダイエットで体を壊すと歳を取ってから歪みがくる。胸も痩せるし、デコルテ部分があばら骨が見えるとだいぶ貧相で老けて見える。痩せても胸が大きいとかは経験上神話に近いと思ってる。
周りでダイエット頑張りすぎてる人がいたら今のままで充分可愛くて美しいって言って危ないので止めてあげてほしい。
いつもはA型事業所に通っていて、今のA型は心地いいし、楽しいし、みんな優しいし。
だからずっとここにいたいけど、支援員さんたちは、ここから出てほしい、就職してほしい、という。
支援員さんたちを責めたいわけじゃない、一般就労に送り出すのは、支援員さんたちの役目だし、だから、しょうがないとおもう。その発言は。
でも、つらい。
外の世界に出て、また傷つくのがとても怖い。
甘えかもしれない。
でも、数年前まで福祉の外の世界にいて、傷ついて、打ちのめされて生きてきたわたしが、また元の世界に戻るなんてとてもこわい。
案の定、自分のそういう甘えたところ?が見透かされたのか、もしくは、自分の病気からくる、低学歴から落とされたのかはわからないけど、障害者雇用におちた。
支援員さんにあれほど、がんばって!と送り出された、就職試験。
はらりと、紙一枚で落ちた。
何度も落ちてる。
三度目かな。
なんで落ちてるかは大体わかるし、わたしは心のどこかで、ずっとここにいたい!
就職なんかせず、就労継続支援A型にいたい!そうずっと思ってて、でも世間や、今いるA型はそんなこと許さなくて。
この狭間で生きてることがつらい。
支援員さんは
「あなたがここを出ていく姿をみたい」
と言ってくれる。
わたしは、甘えてる。
わかってる。
わかってる。
でも一歩が踏み出せないし、踏み出そうとしても、落ちる。
振られる。
毎日つらい。
なぜか。
わたしが外の世界で傷ついてるとき、いつも優しく支えてくれてたから。
技術もいっぱい身につけさせてくれて、本当に大好きだった。
そうだけど、残念ながら、ここはずっといていい場所ではない。
もっと頑張らないと。
外の世界に認められるために。がんばれ、頑張れ。
じぶん。
毎朝そう言い聞かせて、
何をしてるんだろう、わたしは。
※甘えと思われたら、すみません。
ごめんなさい。
いつもはA型事業所に通っていて、今のA型は心地いいし、楽しいし、みんな優しいし。
だからずっとここにいたいけど、支援員さんたちは、ここから出てほしい、就職してほしい、という。
支援員さんたちを責めたいわけじゃない、一般就労に送り出すのは、支援員さんたちの役目だし、だから、しょうがないとおもう。その発言は。
でも、つらい。
外の世界に出て、また傷つくのがとても怖い。
甘えかもしれない。
でも、数年前まで福祉の外の世界にいて、傷ついて、打ちのめされて生きてきたわたしが、また元の世界に戻るなんてとてもこわい。
案の定、自分のそういう甘えたところ?が見透かされたのか、もしくは、自分の病気からくる、低学歴から落とされたのかはわからないけど、障害者雇用におちた。
支援員さんにあれほど、がんばって!と送り出された、就職試験。
はらりと、紙一枚で落ちた。
何度も落ちてる。
三度目かな。
なんで落ちてるかは大体わかるし、わたしは心のどこかで、ずっとここにいたい!
就職なんかせず、就労継続支援A型にいたい!そうずっと思ってて、でも世間や、今いるA型はそんなこと許さなくて。
この狭間で生きてることがつらい。
支援員さんは
「あなたがここを出ていく姿をみたい」
と言ってくれる。
わたしは、甘えてる。
わかってる。
わかってる。
でも一歩が踏み出せないし、踏み出そうとしても、落ちる。
振られる。
毎日つらい。
なぜか。
わたしが外の世界で傷ついてるとき、いつも優しく支えてくれてたから。
技術もいっぱい身につけさせてくれて、本当に大好きだった。
そうだけど、残念ながら、ここはずっといていい場所ではない。
もっと頑張らないと。
外の世界に認められるために。がんばれ、頑張れ。
じぶん。
毎朝そう言い聞かせて、
何をしてるんだろう、わたしは。
※甘えと思われたら、すみません。
ごめんなさい。
客先常駐は辞めとけ。よく言われることです。
でもITには未経験だと客先常駐くらいしか無いのです。経験者でも客先常駐しかないのに未経験だと尚更。
私はそこそこ有名な大学の院卒で、27の時に他業界からIT業界に入ったけども、普通に書類選考で落とされてました。最終的に微妙な企業2〜3社しか面接まで行けませんでした。
当時は何も考えてなくて、とりあえず経験を積みたい、と採用してくれた企業に入社しました。年収300万で。ちなみに前職だと年収420万だったからめちゃくちゃ下がりました。
そこそこの学歴で、しかもバリバリの理系でも、未経験だとやはり採用してくれる企業は少ないんです。
ちなみに転職した時は30歳でしたけど、未経験の時に比べて書類選考の通過率はとても高かったです。
安いんですよ、月収20万ほど。
スキルが身につかない客先もあるんです。というか結構多いです。
自社のパワハラは上に言えば対応できます。でもお客様からのパワハラは上に言っても防げません。これもガチャです。
客先常駐って永遠の就活生です。1つの客先が終われば次の客先の面接に。次が決まらないと解雇です。歳を取ったのにスキルがないと客先も見つからない。だから解雇です。
客先常駐のメンバーは使い捨て。忙しい時期はこき使うけど、リリースできるくらいに落ち着いてくると切られます。1つの製品を設計からリリースまで関わることはまずないです。だからやり切った感もなく、愛着は失われていきます。
客先常駐は責任のある作業は損なだけです。責任は人になすりつけるもの。失敗は自分の責任にしてはいけません。なぜなら客先常駐はただの使い捨てなので責任なんて取れませんから。
正直、客先常駐は辞めとけ、と言いたいですが、IT業界の大半が客先常駐なので、辞めたくても辞められないんです。
IT業界は運です。いい企業が運良く求人をかけてれば、年収が高くもなりましょう。いい企業はホワイトなので技術力よりも人間性や若さを重視したりします。実力があっても若さがないと、いい企業に入れなかったりします。文系でもいい企業に入れたりします。
でも逆に運がないと実力があってもいい企業に入れなかったりします。だから経験を積むために客先常駐に入らざるを得ないと言う考え方もあります。
以下は客先常駐に向いてない人です。
正直、公務員を辞めてIT入るのはお勧めしません。年収300万ですよ?年収はなかなか上がらないですよ?年収一時的に下がってもいいから、とか思ってたら一生下がったままかもしれませんよ。
個人的にすぐ辞めちゃうエンジニアの大半は、向いてないのにエンジニアを目指しちゃった人です。向いてない人が来ちゃいけない業界なんですよ。
自分で考えない人。目標達成に向けて努力できない人。指示待ち人間。このタイプは一生大成しません。ずっと安月給で働くならいいですが、IT業界の上層にはいけません。
とめどなく客先常駐について書いてきましたが、私は客先常駐に挫折して、一度会社を逃げ出すように辞めてます。
私はITスキルについて一定以上であると自負しています。もともとは研究職を目指していたくらいの実力があります。そんな私でも客先常駐ガチャに失敗し、パワハラ上司にあたると簡単に挫折してしまうのです。
客先常駐の怖いところ、それは客先常駐ガチャです。人によっては客先常駐はそれほど苦痛ではないと言うでしょう。しかし、「今」が苦痛ではないだけです。ひとたび、客先を切られ、別の客先に行けば、パワハラを受けるかもしれません。
客先常駐は給与は低いです。しかしお客様が支払う単価は高いです。安くても60〜70万、高ければ100万や150万の場合もあります。その場合も給与は20〜30万です。
お客様は100万の価値を求め、私たちは給与20〜30万のつもりで仕事をします。そこに大きなギャップがあり、それゆえにパワハラが起こりやすい環境にあります。
長く働ける環境ではないのです。
私は転職活動をしましたが、それも難航しました。IT業界3年でしたが、堂々と人に言えるようなスキルが身に付いていなかったのです。
なぜなら、最初の客先は運用でした。次の客先はGUIツールを用いた開発。つまり、プログラミングにほぼ触れなかったのです。
そこでJavaでWebアプリを作りそれを売りにしました。しかし、Javaは客先常駐では人気のスキルですが、社内開発ではそうではないのです。
Javaは昔からあるプログラミング言語なので、できる人が沢山います。そのため、大型案件などの人を沢山必要とする案件ではJavaは人気の言語です。しかし、社内開発は少人数開発が多く、人を多く集める必要がないため新しいプログラミング言語が好まれる傾向があったのです。
結局私は技術力を評価されたのではなく、人柄と若さを評価され、転職に成功しました。
若さは大事です。技術力は定量的に評価できるものではありませんが、若さは定量的な評価が可能です。技術を身につけてから転職しよう、など思ってはいけません。若さの方がよっぽど貴重です。
SIerと呼ばれるところは、他のメンバの管理、もしくは技術リーダーなどをすることが多く、年収も高めなのでありでしょう。
パワハラが横行していてメンバーの謎の失踪が常駐化しているヤバい客先もあるでしょう。
しかし、一寸先は闇。
思ったより多くの反応を頂いていて驚いています。
語弊があるようなので補足します。
●研究⇒理学部系の研究者を目指してました。IT系への転職は未経験での転職です。
●未経験転職でももっと良い企業に行けたのでは?⇒若さゆえに転職で自分のアピールをするのが苦手で、しかも未経験だからまずは経験を積ませていただけるのならどこでも良い、と考えてしまっていました。
でも多分、転職で未経験なのに大手行けることはそんなに多くはないと思います。新卒だと学歴フィルターがかかりますが、中途採用だとかけにくいですし、そもそも大手は新卒採用で間に合ってるでしょうから、未経験を中途採用する必要がないですし。
●前職⇒理系スキルをほぼ活かせない業界でオタクには向いてないパリピ向きな職種でした。(教職です。)向いてないので辞めました。
最近はリモートワークも増えたので違うかもしれませんが、基本的にIT系は「常駐は必須かは分からない」けども、とりあえず客先常駐してもらう、というものなんです。
理由としては、①社内ネットワークに接続する必要がある、②ノートPCを配布してどこでもアクセス可能にするとネットワークの監視や紛失などで情報漏洩リスクが出る、③入館カードや守衛さんを配置して物理的なセキュリティを担保して盗難などに備えたい、④普通に協力会社さんがサボってないか目視で確認したい、などだと思います。
参考になったならよかった。
あんまり増田の事は真に受けるな、とは言っておくけど、もう一つ例として。
コロナ禍で会社を解雇(事業部ごと潰された)、転職活動した知人の話。40代半ば。
貯蓄はあったが妻子の手前、早く安心させたいと、できるだけ早く就職をめざし「何でもいいから」という姿勢で、入社日が早くて給料がそこそこの所と言う条件で何社も応募した。
そこで、転職本を買って読んだところ、こう言うアドバイスがあったんだそうだ。
そこで考えを見直して、何でもかんでも応募するんじゃ無く、自分のできることを基軸に、やりたいことと給与面を全面に出して応募先を厳選したら、あっさりやりたいこととスキルがマッチした職場が決まり、転職できたそう。
マイナビとかリクルートとかの転職エージェントは「とにかくたくさん応募しろ」と迫ってくるので、それに流されてたってのもあるんだろうな。
個人的には、スキルマッチで「機械工」がキーワードで上がるなら、複数のロボットや製造装置を管理しながら製造するタイプの労働とか、いろいろと考えられると思うよ。そうすると、体力勝負でスピードを求められるとかそういうこともあまりない。
例えば、食品製造業だと、朝行ってラインをチェックして稼働し、昼過ぎにはその日の製造を終了、その後ひたすら機械を洗って掃除して消耗品補充して翌日に備え定時退社、みたいな仕事はたくさんある。
幸せになってくれ。