はてなキーワード: 思い当たるとは
日曜の午後だった。整理が2週間近く遅れていた。
3週間ほど,体も熱っぽく胸も貼っていて,いつものPMSとは何か違うなとは思っていた。
でもまあ生理不順だろう,妊娠なんてしてないよねと検査してみたら,
思い当たることは何もなかった・・・と胸をはって言えないのが情けないが,
中に出さなきゃOKでしょ,位に考えていた大アホな自分をぶん殴りたい。
慌ててパートナーに連絡を取る。
空港で登場手続き中だった彼,急遽行き先を変更して,会いに来てくれることになった。
翌朝一緒に病院へ行こうと決め,
●病院はどこがいいの?
ホームページできちんと手術の情報提供をしているところを3つほど選んで,
電話をかける。
日曜だからか,つながらない。
最後の3つ目でやっとつながり,翌朝の予約を入れることができた。
22時過ぎ,彼が到着。
不安なまま眠りにつく。
●診察,手術日決め
受付にはまだ人がいない。
問診表に一通り記入し,診察の順番を待つ。
名前を呼ばれ,彼もいっしょに診察室へ入った。
下着をとり,診察台へ座る。
カーテン越しに先生の気配。隣にはパートナーが入ってきてくれている。
「さて,赤ちゃんはいるかな?」と先生がエコーを私のおなかにさしこむ。
あ,いるね。「見えますか?心臓がぽこんぽこんってしていますよ」
大きさは3ミリ,6週と3日だと言われる。
「心臓が動いているの,見えるね」
赤ちゃん,いるんだ。
手術は麻酔で眠っている間に終わり,4時間ほどで日帰りでできる。
当日は,二人の署名押印をした同意書と,ショーツとナプキンを持ってくるよう言われる。
手術費用は,妊娠週数が増えるごとに5千円ずつ高くなるらしい。
お互いの仕事の都合もあり,
結局,8週目の金曜日に手術を受けることに決めた。
金曜なら,週末,家で安静に過ごせる。
保険がきかないので1万5千円の支払い,高い。
産んであげられる環境だったらよかったのにね。
複雑な気持ちで,そんなことを話しながら家に帰った。
●手術まで
激しい眠気,熱っぽさと体のだるさにはじまり,
このまま産んであげられたら,と何度も考えた。
家はどうしよう。仕事は?親にいつ話す?
彼も相当に悩んだらしかった。
でも結局,飛行機2時間の遠距離恋愛で,お互いキャリアも別々で,
看護師さんは「考えが変わったら,いつでも連絡してね」
と言ってくれた。
●手術当日
彼に付き添ってもらい,病院へ。
順番が来て,診察室へ入る。
エコーでおなかを見ると,赤ちゃんは少し大きくなっていて,心臓は元気に拍動していた。
「心臓,元気に動いているね」
もう決めたことなのに,心がとても痛んだ。ごめんね。
「あまり言うとつらくなるからね。これくらいで」と言って手を止めた。
「子宮はおなかの方に傾いているね」と言われる。
再度手術の説明を受け,支払いを済ませる。
手術費+診察費+赤ちゃんの埋葬費で合計12万円ほど。
手術は眠っている間に終わり,出血と軽い腹痛はあるかもしれないが,翌日から不通に生活できるとのこと。
性交渉は2週間ほど禁止らしい。入浴もNG,シャワーは翌日から大丈夫とのこと。
やっと安心できた。
9時半過ぎ,個室に荷物を置き,彼に見送られて手術室へ向かう。
15分くらいで終わる,難しい手術ではないという。
手術台に寝かされ,足を固定される。
私は一瞬で意識を失った。
下腹部の鈍い痛みを感じつつもうろうとするなか,担架にのせられ個室のベッドへ運ばれる。
手術は無事に終わっていた。
ずっと悪夢を見ていたが,
目が覚めて気が付いたら彼が来ていて,昼過ぎになっていた。
立ち上がろうとするもふらついてまともに立てない。
おまるを持ってきてもらう。
ぐったりしている。体が鉛のように思い。
そのまま1時間ほどまた眠った。
二度目に目覚めたとき,気分はそれほど悪くなかった。
14時過ぎに病院を出た。
無事に終わってほっとした,それが一番だった。
遅めのランチに何を食べようか,彼と話しながらバス停までのゆるい坂道をゆっくり歩いた。
バスはすぐ北。
麻酔が抜けきっていなかったのだろうと思う。
何とも言えない気持ち悪さで,すぐバスから降りて横になりたかったが,そうもいかない。
何とかターミナル駅でバスを降りてタクシーに乗り換え,家に着くとベッドに倒れこんだ。
述語は安静にね,としつこく言われたのに,私が甘かった。
アルコールに弱い,もしくは全く飲めない体質の人は麻酔がききやすいらしい。
私がまさにそうで,しかも体力もないのだから,用心すべきだったのだ。
●術後の経過
翌朝,退庁はかなり良い。
が,昨日のこともあるので家でおとなしく過ごす。
術後の腹痛や出欠具合は個人差が大きいそうだが,私の場合はどちらもほとんどなかった。
体の熱っぽさが嘘のように消えていて,船酔いのようなつわりもさっぱり消失していた。
術後は3日間ほど薬を飲み続ける。
薬を飲み切った翌日の夜,急に生理痛のような下腹部痛があった。
耐えられないほどではないが,生理痛が普段ほとんどない私にとっては,かなりしんどい痛みだったため,痛み止めを飲んだ。
調べてみたら,妊娠で大きくなった支給が元の大きさに戻ろうとするときにおこる,正常な痛みらしい,ほっとした。
市販の痛み止めは買っておいてよかった。
●1週間後
診察台へ上がり,エコーの機会を挿入されるのも慣れたもんだ。
「うん,完璧ですね」
よかった。
●まとめ
・術後すぐはあまり動かないこと
・痛み止めは買っておいたほうがいい
・料金は8週目で総額14万ほど(診察費,薬代等含む)
三月二十五日(水)
地味な作業が続く。おそらく明日はもっと地味な作業を一日中続けることになる。今のうちに英気を養っておこう。そのため夕食に加えて、香ばしいベーグルを食べた。
COVID-19はどんどん大ごとになってきており、首都の封鎖までまじめに検討されている。気が重いので、ニュースも必要最低限を追うにとどめ、ツイッターでの評論家や素人の議論はほとんど無視している。このままだと、懸念していたとおりに美術館を全部閉めることになってしまうだろう。やはり今週末のうちに出かけておこう。金曜日の職場帰りなら土日の外出自粛にはかぶらないし、バンクシーは横浜市内なので小池都知事の管轄外だ。冗談はさておき、今のうちに気晴らしをしておかないと、今以上の危機の際に平常心を保っていられない。これで図書館まで営業を取りやめられてしまったら、目も当てられない。家にこもって久しぶりにcivilization 6でもやるべきか。
で、ますます風俗どころの話ではなくなってきているが、そもそも自分が本当に行きたいのだとはあまり思っていない。実際に行くよりも、行ったところを空想するほうがずっと好きだということもありうる。性的な自由というか放縦さは、自分の中では無制限の自由のシンボルになっていて、だから仕事中にしんどくなったときに人妻ヘルスで二人のおっぱいを同時にもみもみすることを思い浮かべてやり過ごすのだ。実行したところで自分のようなタイプは、まず初対面の人間二人を前にして、確実にアウェイに感じるだろう。こうやって自分の風俗に対するスタンスをメモしてみると、自分の本当にやりたいことが見えてきてありがたい。
そうだ、金曜日にベトナム料理を食べようとして調べたのだが、bunkamuraのそばにはベトナム料理屋が二件あるらしい。二つともすぐそばの雑居ビルの六階にあるのは面白い偶然だ。食べログの情報を信じるならば片方は日本人好み、もう片方は本格派らしい。本格派のほうが面白そうなので、そちらに向かうとしよう。
それにしても本当に娯楽施設が全面閉鎖になったらどうしようか。ずっとためらっていたアマゾンプライムへの加入も検討してもいいかもしれない。一応docomoユーザーなので、無料券をもらっているのだが、面倒くさがってまだ手続きをしていない。自分は必要がないならやらないという無精者だ。
今思い出したが、今日は職場でランチ会があった。以前はパクチーを名物にしていた店だったのだが、それがつぶれていつの間にかパスタ屋になっていた。期待していたよりも麺がもちもちしていておいしかった。ただ、十数人で押し掛けたのに台所を一人で切り盛りしていて、大変そうだった。普段はそれほどお客さんが来ないのだろうか。
小説の執筆は、日曜日に再開するつもりだ。再開したら、日記をここで書くのも取りやめるかもしれない。
追記。
三月二十六日(木)
起きたときにまたもは片頭痛、加えて吐き気があった。大分収まったが、まだ具合が悪く、ひとまず午前休をもらった。
思い当たる理由は特にない。強いてあげれば、非常に不快なニュースを増田経由で見てしまったことだが、海外の翻訳サイトであり、フェイクニュースである可能性も否定できない。実際カテゴリを見るときわものばかりで、大いに疑わしい。事実だとしても、自分が取れる対処としては特にない。
増田は、自分の感情を整理して公開するにとてもいい場所だと思うが、垂れ流し状態というか、自分の負の感情を吐き出すというか、他人に八つ当たりしているようなトピックもあるので、そうしたものからは適度に距離を置きたい。
完璧主義の傾向が強いので、自分が何か少しでも失敗するとすぐにダメだと思い込む癖があるらしい。めっちゃ図星
そしてその原因も思い当たる節があって、多分小学校の頃ずっといじめられてたからなんだろうなあ。他人に否定されるのがいやで弱みを他人に見せないように育ったんだろう。虚言癖も昔は酷かったし、防衛本能がすごく強いんだと思う。ちょっとずつ直していきたい
ワニのメディア展開の件で、大炎上した件について、自分も数年前に似たような感じで
たぶん、目線としては作者、および電通とかの目線なんでよろしく。
自分はWEBデザイナーだ。ちょうど、大炎上した時はリーマンショック云々とかで超不景気で
中小企業がバスバス倒産した頃だ。ちょうど自分の会社も資金繰りがうまくいかず倒産した。
んで、次どうするかなーと失業保険もらいながらニートしてた頃に
その会社でお世話になった企画プランナーの人から連絡があった。
「バナーを作ってほしい」
最初はそんな感じだった。その企画プランナーさんは自分よりも前に退職したんだが
前職はSI系と教育系がメインのお硬い感じのITだったが、その人の仕事だけは特殊で
割とメディア寄りの事をやっていた。イベントとかそういった感じの。
「盛り上がる」ような事であれば何でもやるっていう感じの人だった。
詳細を聞いた所、どうやら、気まぐれで動物を保護して、その動物との生活をブログで公開していた所
結構な人気が出たらしく、今で言う「バズった状態」になったらしい。まだFBやtwitterが一般的になる前(か、なり始め)
会社ではわりとぶっきらぼうなタイプの人だったんで「動物保護とかするんかい」とちょっと以外だったんだが
・お世話になった人だったから
というような感じだった。そんな感じで、ブログのデザインテンプレをちょいちょいと修正して
若干見た目を良くしてあげた。
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その後も順調にブログを運営していたようで、ちょいちょい連絡を貰って現状を聞いていた。
ちょうどブログ本とかが流行ってた時期でもあったんで、広告代理店等から出版化の打診とかも来ていたようだ。
この辺がちょっとワニとかぶるんだが、広告代理店などのアンテナばりっていうのはまじでめちゃくちゃ早い。
アンオフィシャルな状態から仕掛けが入っている。たぶんなんだけど、ワニもそういうどっかしらのタイミングで
ふわっと噛んできたんだろうな。。
話は当時に戻って
「動物を保護しバズった」のは結果としてそうなったわけであって
「動物を保護した事自体」は完全にこの人の気まぐれと善意から始まった事である。
そういう訳で、この企画プランナーさんは、こういった保護されるような不幸な動物達(虐待やらなんやら)のために
何か出来ないか?という事で、募金?のような感じで賛同者を募る事にしたそうだ。
ちなみにこの時点でも動物に興味が無い自分なんで、色々熱心に説明してくれたんだが
「まぁ何か良いことしたい」って感じなんだろなーぐらいなもんだった。
とりあえず、募金の使いみちは出資してくれた方々とブログとかで交流しながら詰めるとして
去勢とかそういうような方向性で貢献できるような感じを想像していたらしい。
これまでハートフルだったブログ読者達の中で「金銭」がからむ事への何かしら不穏な空気が流れだしたようだ。
まぁただこの時点では、大多数は賛同者だったらしく、このプランナーさんも
ぐらいに言っていた。
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さて、この時点で振り返ると、
事の発端は、この人の完全なる善意でスタートしているんだが、この人は企画屋という側面もある事。
んで、実際に多くの人に注目され、ブログ本化の打診も来ている
という状態だった。
そのタイミングで基金を募るという行動は、スムーズに行けばめちゃくちゃ良い方向につながったに違いない。
動物を保護してからの生活をブログで公開し、注目され、基金を設立し
その基金からさらに動物に対して「良い」事につながる活動をする。
そしてそれがブログ本で出され多くの人の手に渡り、さらに相乗効果が生まれる。
トントン拍子で行ければそうなったに違い無い。
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この基金を開設するにあたって、さすがにそういった知識等が無いプランナーさんは
そういった慈善活動等を通して社会貢献を行う事を種としたNPO団体とつながる事になる。
IT系の会社ながら、そんなイベンターや、慈善活動やらをやってる人たちがいたっていう
今考えれば、色とりどりな会社だったのかなと思う。
そのNPO団体の代表さんに相談し、基金を開設するまでのフォローをおねがいすることにしたそうだ。
そういう点に関しては、このNPO団体のおはこといえる部分だろう。
それのプロフェッショナルな訳だ。
なんとなく始まったブログから、実際にこういった具体的な活動に繋がった事に
自分も、ただブログバナーだけの協力だったり、話を聞くだけレベルの携わり方だったが
何か嬉しく感じた。
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そんな中ちょっと事件が起こる。保護していた動物が死んでしまったのだ。
ちょっと身バレにもつながるんでファジーに書くんだが、このブログのスタートは
「虐待等で傷ついていた動物を、このプランナーさんが保護した」という事からスタートした
ブログだった。その動物を世話や交流を綴っていくという感じのブログだったと思う。
この基金開設のタイミングが自分はよく分かっていないんでアバウトなんだが
この出来事が強く影響していたのは間違いない。
「こういった悲しい事をなくす為の基金にしよう」
という思いは本物だった。
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実際に基金を募るため、NPO団体側としても人々を集めるための動きに出るようになる。
ここで善意のこじれが出てくる。
このNPO団体のスタンスとしては「外部」という形で協力しているというスタンスだったんだと思う。
なんで、この一連の活動に関して
「こんな素晴らしい活動が行われているんです。みなさん知ってください!」
という感じで、中核にいるというスタンスではなかったんだと思う。
このNPO団体は、そういった事を「外部」としてサポートするプロフェッショナルだったわけだ。
そして、そのNPO団体が作ったバナーに掲載された文言が「感動の物語」という一文だった。
この一文がトリガーになる。
動物を保護し、その交流の中で生まれたたくさんの出来事、そのハートフルさに人が集まる
しかし、そんな中動物は他界してしまい、そんな悲しい出来事を起こさないようにしたいという思い
というアウトラインは、外部が纏めるならば「感動の物語」の一言でしか無いだろう。
NPO団体は外部からの目線でそういったワードを選んだんだと思う。
この活動の中心になっている人たちが自分達で「感動の物語」と称している
ように写ったんだと思う。
んで、このバナーを見て自分は「この文言大丈夫なんすか?」っとプランナーさんに訪ねたが
「そうなんだよね。ちょっとこの文言大丈夫なのかなっておもうんだよ…」
とぼやいていた。ここで、じゃあこのプランナーさんが「修正」を出せば良いと思うかもしれないが
このNPO団体さんも完全に「善意」と「前職のよしみ」という感じで協力をしてくれているのだ。
そして、そういった基金設立というようなノウハウに関しては、完全にNPO団体さんの方がもっている。
という訳でこのプランナーさんは、そういった力関係から、このバナーのワードに関して
口を出さなかったようだ。いや、たぶん気を使って言わなかったんだろう。
というような感じだったんだろう。
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さて、そんな不安満点のワードが盛り込まれたバナーは案の定大炎上する。
・感動商法の金集めなんじゃないのか
そういったような意見が多く寄せられたようだ。
ブログのコメント欄も大荒れで、掲示板でもスレッドが立つ等炎上をしてしまう。
そういった負の感情の連鎖っていうのは本当にものすごいエネルギーで
これまで積み上げてきたものを一瞬でふっとばすかのようだった。
ワニの件でも「嫌儲」というキーワードがあったが、「お金」が絡むと本当にすごい事になる。
まったく事実無根な事ばかりが書かれまくるのだ。
このプランナーさんとしてもブログ本の出版というようなメディアミックスを行う事も
頭の中にあったのは間違い無い。
しかし、それは最後の最後にきれいな形でそうなれば良いし、そしてその活動でそういった不幸な動物達に対して
目が向き、世の中が変われば良いと思っていたのも間違い無い。
この「基金」自体でお金を集め儲けようなんて思っていなかったのは、本当だ。
もちろん、このプランナーさんも個人のブログという形でやってたんで、人間臭いところもあったんだろう。
そしてNPO側の情報がネット上にさらされる。代表者の名前、経歴等
なんというか「疑い」の目というのは本当に怖いなと感じた。
「急にプロっぽいクオリティになる金銭が発生している可能性がある」というような疑いをかけられいた。
金銭は発生していないが、まぁ本職の人間がやってるんだからそうだろう。
※プロっぽいクオリティと言われて、内心ふふんと思ってたりしていたが。
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そんな感じで、あることないこと書かれて、一気に燃え上がった。
こんなはずでは…とプランナーさんと話す。
これはもう、経緯をもっと詳しく書き、ブログ読者達にしっかりと理解してもらうしかない。
そうなったプランナーさん、読者にむけてのメッセージを書くことにした。
そして自分はその文章が大丈夫かどうか読者目線で見てほしいとおねがいされた。
んで、そのプランナーさんが出してきた文章は、そのブログでの口調が反映された文章だった。
「謝罪や釈明ならば、もう少し社会的な感じの方がよいのではないか?」
というアドバイスをした。自分としては、プランナーさんが出してきた文を見た時に
その意見を受け、プランナーさんは文章を硬い感じの文章に書き換えた
的な。
んで、これがまた大炎上する。「急に会社っぽくなりやがった!」と。
もうこれに関してはエェぇぇエエエ……!!って感じだった。
疑惑の目ってマジに怖すぎ。
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誰かにすがりたいっていう感じだったんだろう。
自分もなんとか協力したいという思いもあったが、それ以上に、この大炎上騒ぎが本当に
怖くて怖くてたまらなかった。
画像も、ブログCMSの容量制限から設置が出来ず、自分の管理している個人サーバーに
このままだと、ブログソースまで解析されて、自分までやり玉に上がってしまう!!!
連日相談をかけてくるプランナーさんに自分もとうとう疲れてはててしまい
とブチギレてしまった。
あの時のプランナーさんのしょんぼり具合は本当に悪い事をしたと今でも思う。
でも俺も怖かったんだよ…。
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違う部分もたくさんあるんだろうけど、なんというか凄く思い当たる節がたくさんありました。
何ていうか、「一つの事柄」にたくさんの人が携わって行くことで制御が出来なくなっていく感じ。
たとえば「感動」というワードも人によってはまったくの別物なわけだ。
とにかく、何でこうなってしまったんだろうと制御が効かない感じ。
ちょうど、先日の伊集院さんのラジオでも過去に伊集院さんがプロデュースした
バーチャルアイドル?の「芳賀ゆい(はがゆい)」に関して言及していた。
ものすごく分かるわーと思い聞いたわけだが。
以上、何か駄文でした。
調べることができる。
だけど
という診断が出た。
診断をみて、唸ってしまった。
「好きな人に振り向かれると、急に冷める」
かつ、ずっと夢中で追いかけてた夢が
ただ、そうなると外野がうるさい。
こともあって、悔しい思いをしたこともある。
それに、世間はこれでもか、とばかりに、
欠陥があるから、と言わんばかりだし、
思ったこともある。
中身は変わってないんじゃないかと思った。
王子様としてそっと見つめているだけで、満足
できてしまう。
この場に、夢はないと悟って、辞めた。
見えず、無理だった(お互い様)。
いずれ後悔するのでは、と思ってたけど、
診断を読んで、そういう人もたくさんいると知って、
このままでいいんだ、と思った。
無理せずひっそり生きていけばいい。
そう思えたのが何よりの収穫だった。
NHK向けに作られたアニメに対して、しばしば言い表せない居心地の悪さを感じている。
ラブライブ!のように他局で放送したアニメの再放送や、スポンジ・ボブのような海外アニメは楽しく見ているが、他のものは独特な気持ち悪さというか、なんかよくわからない居た堪れなさとか、共感性羞恥じゃないけどぞわぞわっと寒気がして恥ずかしくなって一緒に見ている家族の輪から離れたくなる感じを感じてきた。
習慣的にNHKアニメを見ていたのが子供時代と、自分の子供が見るようになった近年であって、長年見続けてきたわけではない。
困っていることがあって、仕事等でたまたまむしゃくしゃしている日に子供が見ているNHKアニメの音声が聞こえてくるとうっかり嫌悪感を口走ってしまう。
子供の好きなものを否定したくない気持ちはあるのに「なんではなかっぱ嫌いなの?僕ははなかっぱ好き」と悲しい目で言われて自己嫌悪に陥るのだ。
経験上嫌悪感が溢れ出てしまう状況を制御するためには嫌悪感の理由をできる限り言語化して訳の分からない感情への安心感を得、余裕を持つことが有効ではないかと考えている。
嫌悪感を感じるNHKアニメの共通点はなんなのか、民放アニメとの違いはなんなのか、全然わからないのだ。
なので誠に勝手なのですがこれを見て何か思い当たることがあった人は思ったことなんでもいいので教えてください・・・
NHKアニメと括ってるけど全部見てるわけじゃないので、特にぞわぞわした居心地の悪さを感じた作品をあげて所感を書いておく。
公式サイトの一覧を見ながら思い出したことを羅列してみて少しわかったことがある。
苦手な作品が多かったため偏見は未だ強いがNHKアニメでも好きな作品がちらほらあった。
おじゃる丸、ふうせんいぬティニー、コレクター・ユイの3作だ。
https://www6.nhk.or.jp/anime/program/
「NHKアニメは苦手だ」という強い思い込みから起こる居た堪れなさも多少あるだろうから、好きな作品もあると意識できたことは収穫だ。
好きな作品と苦手な作品、何が違うんだろう、苦手な作品の共通点は何だろう。
苦手なNHKアニメでは苦手さの"質"が近いと感じている。ノリ?としか表現できないが……。
居た堪れなくなる感じは巷で言う共感性羞恥に近いと思うのだが、特にキャラが恥をかくシーンばかりで感じるわけではない。
これって、なんなんでしょうね?
私の膀胱が尿を隠蔽している疑いがある。脱税ならぬ脱尿である。
陰茎が強烈な尿意を主張するので厠に立ったのが一時間前だったのだが、一度ならず二度、三度と主張をしてくる。
最初の方は普通に排尿していたが、何度も続いているうちに水滴が出るか出ないかという、飲み干したあとのペットボトルのような有様になってしまった。にも関わらず、陰茎は尿信号を送ってくるのである。
過度な水分補給を行ったわけでもないのだが、未だに催している。新型ウイルスの影響による催し物の自粛ムードへ反発しているのだろうか。
それとも本当はまだあるのに、もう出ないなどと膀胱が虚偽の申告を行っているのを、陰茎が告発しているのだろうか。
高齢者には排尿でトラブルが多いと聞くが、私はまだ十代後半の青年だ。
なればと青年期特有の性慾が思い当たるが、この数時間は何かへ劣情をいだき興奮しているわけではない。そもオーガズム欲求と排尿欲求は別の感覚である。
医学に通じているのではないのに、尿意伝達を行うホルモンの異常、もしくは尿の隠蔽を疑い始めている訳なのだが多分こんな文章を書いていないでさっさと寝たほうが良いと思う。おやすみなさい。
特に児童福祉などの専門家ではない一社会人の個人的な見解ですが、アドバイスをさせていただきます。
まず、外部に保護を求めるべきかについてですが、判断のポイントとなるのは過去の経緯ではなく、今後の危険性だと思います。
例えば、痕が残るほどの強さで殴るという行為は、親であれ他人であれ「傷害罪」であり、紛れもない犯罪です。
物理的な暴力以外に、心的外傷となるような威圧的な態度で怒鳴りつけたり水をぶっかけたりなどの行為も、同様に「暴行罪」や「傷害罪」となる可能性があります。
これらの危害が貴方または貴方の兄弟姉妹に対して今後も継続して発生する可能性があると考えられる場合、貴方はためらわず外部の保護を求めるべきだと考えます。
一方、過去にこういった危害を受けたことがあったとしても、何らかの理由で状況が改善されており、今後は同じような危害が繰り返されるリスクが著しく低いと考えられる場合には、必ずしも今すぐ外部の保護を求めるのが正解であるとは断言できません。
もちろん、過去の虐待行為について親の責任を訴える権利が貴方にはありますが、それを今、このタイミングで行使することが「貴方にとって」最善の選択となるかはケースバイケースだと考えられます。
繰り返しになりますが、これから将来に渡って、貴方や兄弟姉妹に危害が発生する危険があると考えられる場合には、躊躇なく外部の保護を求めるべきだというのが、私の個人的な見解です。
さて、外部に保護を求めると決めた場合、最初に覚悟しなければならないのは「進学」についてです。
現在、貴方が内定を得ている進路について、保護を求めた結果、それが「一旦」実現しなくなる可能性は、残念ながらゼロではないと思われます。
なぜならば、外部に保護されるということは、親との関係をリセットするということであり、結果として貴方の養育に関する「経済的な支援の形」や「貴方の居住地」について、何かしらの変化が生じる可能性が多分に存在するからです。
おそらく貴方は現在、親に学費を払って貰っており、親と同じ家に住んでいるものと思いますが、親との関係がリセットされた結果、これらの状況がどのように変化するかは今の時点では一概には判断することは難しいです。
上手くいけば、なんの問題なく希望の高校に進むことができる可能性も十分あると思いますが、そうでない可能性についても覚悟しておく必要があると思われます。
ただし、ここで強く主張しておきたいのは、進学への影響を理由にして外部に保護を求めるか否かの判断を下すべきではない、ということです。
人生において、身の危険を天秤に置いてまで掴み取らなければならないことは、ほんのわずかしかありません。
これは価値観の問題となるため断言して押し付けることはできませんが、高校への進学は人生の一大事であっても身の危険を冒してまで手に入れなければならないものではないと私は思います。
私自身、学歴については大分回り道をしてきた人間ですが、30歳近くになって無事に大学を卒業することも叶いました。
他人とは多少違うルートを歩むことにはなりましたが、それはそれで趣深い人生だったと満足しています。
紆余曲折を体験してきた一社会人の意見として、どうかご理解いただければ嬉しく思います。
ここまで、回りくどい話をしてきましたが、最後に貴方が外部に保護を求めるための具体的なアプローチについてお話します。
といっても、大変申し訳ありませんが、私はここではあまり貴方の力になることができません。
私が貴方にアドバイスしたいのは「できる限り信頼できる身近な大人を見つけて相談してほしい」というこの一点に尽きるからです。
偉そうなことを言っておいて無責任な……、と思われるかと思います。すみません。
しかし、これはある意味で仕方のないことだと理解してください。
実際に貴方が保護を求めて行動を起こした場合、そこから事態はノンストップで進行していくことになります。
変化する状況に対して、常にリアルタイムで対応していかなければならず、対応が遅れれば最悪危険が生じる可能性すら考えられます。
そのようなとき、ネット越しでやり取りをしている我々だけでは、貴方達を守り切ることができません。
ですから、事を起こすためには、ぜひともすぐ側に信頼できるサポーターが存在していることが望ましいのです。
また、ひどい言い方になってしまいますが、ネットを通じた関係は、残念ながらどこまで行っても赤の他人のままであることがほとんどです。
自分のために本当に親身になってくれる人を探さねばならないときに、ネットの向こう側の人間に頼るのは決してオススメできる選択ではありません。
ですから、貴方にはぜひ、身近で親身になってくれそうな大人を探してもらいたいのです。
もちろん、心当たりが無いからこそネットを頼ったのはよく分かっています。
どうしても思い当たる先がないのであれば、直接、児童相談所に駆け込むのもひとつの方法だとは思います。
でも、もしも誰か心当たりがあるのであれば、ぜひその人に勇気を出して相談してみてください。
ただし、相手が親ではなく貴方の味方をしてくれる人間であるということにだけは細心の注意を払う必要がありますが。
このような問題は、決して当事者が当事者自身の手で解決できるものではありません。
必ず、外部の支援を求めるべきなのです。
その方が上手く問題が解決できる、そういう性質の問題だからです。
誰か、心当たりはいないでしょうか。
誰かに頼られるということは、その相手にとっても幸せで価値のあることなのです。
どんどんと頼っていいのです。
友人、友人の家族、親戚、学校の先生など、誰か信頼できそうな相手はいないでしょうか。
もしも、思いつく相手がいなければ、そのときは迷わず児童相談所を頼りましょう。
味方はなるべく身近にいた方がいいといえばいいのですが、公的機関だけでも貴方を守ることは十分に可能です。
相談を持ちかけたのに、冷たくあしらわれたら……
せっかく勇気をだして相談したのに、迷惑そうな顔をされたり、冷たくされたりといった対応をされることが心配かもしれません。
残念ながら相手も人間です。そういった対応をされることが無いとはいえないでしょう。
しかし、仮に相手が嫌な顔をしたとしても、それは貴方のせいではありません。
大人には子供を守る義務があります。ですから、貴方はなんの遠慮もなく大人を頼っていいのです。
ただし、すべての大人が貴方を受け入れる「度量」を持っているわけではありません。
ですから、そういったときは、相手の「性格」ではなく相手の「能力」に問題があったのだと理解してください。
それでも真剣に心を割って頼み込めば、多少度量の小さい程度の大人なら、覚悟を決めて力になってくれる可能性は十分あります。
簡単には諦めないでください。
児童相談所は真剣に話を訊いてくれると思いますが、万が一、冷たくされた場合には、そのときこそネットの力を使いましょう。
ネットで児童相談所の対応を暴露すれば、日本中の人々が味方になってくれるはずです。
最大限、相手に負担を掛けるつもりで、図太く支援を求めてください。
ただし、同時に相手が貴方の信頼を裏切る可能性を心のうちに秘めておくこと。
おんぶに抱っこではなく、召使いのように利用するような心構えがいいと思います。
以上、あくまでも一個人の見解ではありますが、参考になれば幸いです。
2020年2月21日、世間がコロナ一色の連休中にノロに感染した……かもしれない。
休み中に具合の悪くなった人、「もしかすると自分はノロに……」と不安になっている人に役立つかもしれないので経過を記録しておく。
によると
>「ノロウイルス抗原検査」は、ふん便中のノロウイルスを検査キットで検出するもので、3歳未満、65歳以上の方等を対象に健康保険が適用されています。医療機関で、医師が医学的に必要と認めた場合に行われ、診断の補助に用いられます。なお、この検査は、結果が早く出るメリットがありますが、ノロウイルスに感染していても陽性とならない場合もあり、ノロウイルスに感染していないことを確かめることはできません。
ってことなので、
・連休中の夜中
>ノロウイルスについてはワクチンがなく、また、治療は輸液などの対症療法に限られます
点滴が必要なくらい脱水症状がひどくなったら救急車呼べばいいさ!って判断だ。
(これは体力と回復力にある程度自信がある自分の場合なので、お子様や高年齢者や体力回復力に自信のない方は無理しないでください)
金曜日、ふつうに生活して「疲れたなあ」と思ってちょっと辛めな豆腐スープ(近所の店でテイクアウト)を食べた後からちょっとずつ軽い吐き気があって、「辛いもの食べたからかなあ」と思いながら寝た後。
時計見てないからよくわからないのだが、たぶん午前1時から3時頃。突然、「あれ……もしかして漏れた……!?」みたいな感覚があってあわててトイレに駆け込んだ。
ここから本当にアレな話になるけど、参考にしてほしいから思い出せるだけ詳しく書く。
それでも初回は「あー下痢か……やっぱ辛いもの食べたからかな……」程度だった。
もう大丈夫だろう、とうとうと。激しい便意。下痢便。軽い吐き気。
正露丸を飲んで朝まで寝て、起きてまたトイレに行って、「ノロかも……」と思って調べた。
>止しゃ薬(いわゆる下痢止め薬)は、病気の回復を遅らせることがあるので使用しないことが望ましいでしょう。
正露丸はもう飲まない方がいいのかな、ウィルスを身体から出した方がいいのかもな、と思いながらもうちょっと探したらここがわかりやすかった。
https://family.saraya.com/kansen/noro/index.html
バナナを食べて水分をとって家にあった整腸剤と胃薬を飲む。
食欲はなかったけれど「食後」って書いてあったからね。
そういえば汚れた下着とパジャマは洗濯籠に入れたままだった……などなど気になったので、ゴソゴソ起き出して下洗い。
整腸剤と胃薬が効いたのか、吐き気は治まった。
下痢も夜ほど激しくなかった。
一番ひどいときは尿みたいな下痢で、あまりに勢い良く出るので笑ってしまったくらい。
これは水分とらなきゃダメだなあ……と思った。
前に痔がひどかったときに処方してもらった軟膏を塗ったら良くなったけど。
整腸剤と胃薬があって本当に良かった
痔の薬もなかったらすごく困っただろう。
あと、役に立ったのは女性用のパット。生理用パットじゃなくて尿漏れパッド。
痔のときにすすめられてトイレに置いてあったのがすごく役立った。
痔の人はわかるだろうけど、薬をつけると下着が汚れるんだよね。
それを防ぐためだったんだけど、下痢が漏れそうなときにも、漏れたときにもすごく役立った。
下着が汚れたら下着を替えて下着を洗って……って身体が辛いときには大変だし、衛生的じゃない。
ガスと一緒に出るし、ひどいときは動いたときに水分がちょろっと出る。
漏らした感覚がなくても、トイレ行くたびにちょっと汚れていたのはそういうことだと思う。
土曜1日寝ていられたおかげか、日曜にはすっかり治っていた。
食欲はなかったけどね。
で、一体何が原因だったんだろうな……って考えたんだけど、思い当たるものがないんだよね。
生で食べたものってサラダくらいなんだけど、同じものを食べた人に症状はなかったし……体調によるのかもしれない。
もし、夜中に突然の下痢で苦しんでいる人がここに辿り着いたら……動けるようになったらとりあえず尿漏れパッドを買いに行け、動けなかったら通販で買え、ってアドバイスしたい。
整腸剤と胃薬と痔の薬も忘れるな。
https://www.businessinsider.jp/post-207610
「恥の意識」だよな
親兄弟とか友人の世話になったり借金するのは構わないと思っても
赤の他人の助力を受けるのはみっともない
助けられる先方もそのように考えるだろう(だから相手に恥をかかせてはいけない)
また、赤の他人を助けると「ええかっこしい」「偽善者め」と見られるのが怖い
――ここまでは多くの人がすでに同じ事を考えてるだろう
ではなぜ、赤の他人に助けられると恥だと思うのだろうか?
***
駅までは一緒に運んでやるとか苦には思わない
以前、階段で乳母車を押してる人がいたんで下から支えてやったことがある
この場合、大荷物を持った老人にも乳幼児連れの人にも何の落ち度もない
学生時代は新聞配達の店で働いていたが、夕刊の配達時にはたびたび
前カゴに数kgの新聞を満載した自転車を上手に停車して降りられず
このようなとき、見ず知らずの通行人――確実に俺より身なりの良いビジネスマンだの
汗臭い新聞配達員の俺に近寄るだけで可哀相な若い女性などが拾ってくれようとすると
申し訳なさの余り切腹でもせねばいけないような気分になったものであった
だって、どう考えても、五体満足な成人男性の自分が、上手に自転車を停められず
自分に夕刊の束をぶちまけてるのは、言い訳のしようなく自分のせいだ
相手に対して感謝の念をすっ飛ばして「加害者」になったような罪悪感を覚えてしまう
無論、地面に散らばった夕刊を拾ってくれた人は
俺のせいで被害を受けたなどとは一切思ってない「かも知れない」
が、「かも知れない」であって、本心は分からない、それが怖いのだ
***
ではなぜ、人に助けられると罪悪感や加害者意識を覚えてしまうのだろうか?
つまり、助けられたら相応のお礼をせねばならない
乳母車で段差を越えるのを手伝ってもらった……といった程度のことなら
が、「本当なら相応のお礼(自分の失敗に起因するなら「お詫び」)」
をしないといけないのに、それをせずに他人の善意を受けるというのは
(まあ、別の機会に別の赤の他人に親切にすればいいんだが、そんな機会はいつあるかわからない)
***
要するに、因果応報とか、権利には義務が伴うとか、目には目をとか
そういう「世の中はプラスマイナスゼロの均衡があらねばならない」
という価値観が、無償の人助けを「自然に反する異例なこと」のように
思わせているのではないか?
***
金持ちが見ず知らずの貧乏人を助けたりすれば死後アッラーに高く評価され
逆に助けられた方も「助ける機会を作ってやった」という善行と見なされるとかいう
この後段部分が重要だ
つまり、一方的に助けられることを精神的な負債と思わずに済むような
(仏教渡来の初期には皇室が悲田院とかやってたけど恒常的には定着しなかった)
ただまあ、この日本の「他人に助けられるのは恥」という文化のおかげで
日本では生活保護を忌避する人が多く、社会保障費が安く済んでいるのは確実
悪い意味でも、世の中よくできてるよなあ……と感じるばかり
この時間まで研究室にいても、一向に発表資料作りが進まない。修論もどきは既に渡してある(期日までに改めて提出する必要はあるが)。発表中に首をかしげられても、いくら恥をかいたり叱られたりしても、約30分壇上で堪え忍べば取り敢えずは大きな山を越えることができる。一応発表練習はしてアドバイスもいただいたので、あとはそれに応じてスライドを修正すればいい。ただそれだけだ。でも、そのあと一歩の作業が進まなくて、ひとり背中を丸めてスマホで文を打っている。かれこれ5時間は作業が止まっている。こんな時間なのに眠気はない。なんか知らないけど涙と鼻水が止まらない。たぶん、ろくに寝てないから体がおかしくなったのだろう。
昔から人に頼るのが下手だった。言わずもがな、友達を作るのも壊滅的に下手である。
だから、自分で問題を解決しようとしすぎてしまう。ストレスを溜め込みがちなのも割と自覚している。自分の嫌いなところはその他にも色々あるけれど、特に「自分に甘くて他人に厳しいところ」と、「やらなければいけないことを先延ばしにする癖」は大学に入ってから悪化した気がする。
対人関係のストレスで勉強が手につかなくなり、センター試験はまあまあ悲惨な成績だった。センターの結果にあわせて出願した大学に後期試験でなんとか合格した。学費を出してもらっているし、入学を決めたのは他でもない自分なので、講義はしっかり出席した。選択科目はいくつか落としたものの、卒業に必要な単位はしっかり取った。1年生のときは将来なりたい職業もあまり考えていなかったので、取り敢えず何となくで教職課程を取った。教職科目は思いのほか興味深くて、教員になることも一度は考えた。でも決めきれず、向いていないことは薄々気付いていたものの、大学院に進学することを決めた。そして迎えた教育実習だが、これが本当につらかった。この仕事は自分に向いていないとはっきり分かった。加えて実習中には色々あって、精神的に追い詰められてしまった。正直、人生で初めて死を考えたほどである。2年半経ってもこのときのことを考えようとするだけで涙が出てくるので、極力思い出さないようにしている。暫くはベッドから起きれなかったし、泣きながら親や相談センターに電話した。見かねた親がはるばる新幹線でやってきて、ごみ屋敷と化した部屋を片付けてくれたこともあった。幸い研究室の活動は週1のゼミのみで負担は少なかったし、大学院進学も運良く推薦をいただけたので、進学のこともなんとかなった。でもこんな調子だったのと、先生が厳しく言わないのをいいことに卒研の開始は先延ばしになっていった。徐々に体力も回復してきた頃にはかなりギリギリの時期だったが、なんとか卒論発表には間に合った。ただこの頃から、先延ばし癖はどんどんひどくなっていった。
大学院に進学してからの生活を振り返っても、研究にきちんと取り組んだとはお世辞にもいえない。授業やTAの仕事、アルバイトには人並みに取り組めていたから、おそらく自分で規則や締切を考えてタスクを片付けるという作業が嫌だったのだろうと思う。卒論発表を終えたときには「修論は反省をいかして頑張ろう」と思っていたのに、気がつけば立派なダメ院生になっていた。趣味は楽しめていたから、たぶんただの甘えだと思う。
そんな私だが、義務教育時代は大きな問題なく過ごすことが出来ていた。未だに「どこで間違えたんだろう」なんてことを考えてしまうのは、この頃の成功体験によるものだろう。そんなこと振り返っても仕方ないが、あの頃の全能感や将来への期待感みたいなものを思い出すと、現状にひどくがっかりする。ただ、今思えば部活でもちょっと浮いた存在ではあったと思うし、友達からお祭りに誘われなくて落ち込んだこともあった(自分から誘えばいいのに)。多分、人からの悪意にはめちゃくちゃ鈍感なところがあるので、それで自分の身を守っていたのかもしれない。今はちょっと人の目が気になるようになった。
ああ、どこで間違えたんだろう。
ああ、どこでなら取り返せたんだろう。
色々思い当たる節はあるけど、悩んだときにいい子ぶらないで親や先生に相談していれば、事態は変わっていたと思う。「誰にも言いたくない」というわがままは、きっと自分を苦しめる。自分ではSOSを出していると思っても、相手がそれを受け取っているとは限らない。「言わなくても気付いてくれる」というのは、ある種の甘えかもしれない。
と、誰にするわけでもない言い訳を並べている。
付き合ってないけどデートしたりセックスしたりする相手が5人いる生活をしてる
そのうちのひとりと飲んで家に夜中に連れ込んでセックスして途中で萎えて終わって早朝のさっき起きてセックスして酔いすぎて途中で萎えてやめた
前はこういうことを楽しんでいたはずなのになぜかテンションが下がってる
申し分ない相手だった
(いつも俺が仲良くなる女の子は俺にはもったいないような女の子だしなんでこんな男に...と自分でも不思議になる)
でも今テンションは下がってる
その女の子は家が近くて他の女の子と会う以外の日の週4,5くらい会ってる
別に付き合うって話をしたことは一度もないけど彼女は俺のことを好きだし俺も彼女のことは好きだ
たぶんその女の子は俺に他に相手がいることも薄々気づいていると思う
でも束縛とか牽制のようなことは全く言わない
(そういう言って何にならないウザったいことを一切言わないところも凄く良い)
ほぼ毎日会っていると会う理由より会わない理由を伝えないいけないような気持ちになってくる
その罪悪感が心に見えないクギを打ち込んでいて気ままな男女関係を楽しめなくなっている気がする
色んな女の子と遊ぶのは楽しいし彼らに優しさを向けることも彼らから好意を受け取るのも好きだ
どこかに出かけて冗談を言ったり一緒に酒を飲んだり夜道でキスをしたり部屋で抱き合ったり
(同時に彼らの気持ちも楽になってるんだと思う)
楽しいことが毎日のようにあることに何の問題があるっていうんだろう?
でもなぜか今はこういう気持ちになってる
仲が良い友だちに朝の5時に電話できるわけでも飯食いながら話せるわけでもないからこうやって吐き出した
それとも単純に勃ちが悪くて欲求不満が原因でセンチメンタルになってるだけなのか
単純に飲みすぎた結果の悪酔いだったらいいと思う
昔の小説などで「あの家は代々○○な性格だから」とか見るたびに性格なんて環境によって変わるだろと思って馬鹿にしていたがどうやら性格は遺伝するものらしい。
というのも、俺と父親そして父方の祖父もみな似たような性格をしてるからだ。
細かい所では差異があるものの、人付き合いが苦手で引きこもりがちな所や、怒ると黙って部屋に閉じこもるところなどそっくりだ。
自分はそういう気質があることは認識していたものの、少しでも反論すると怒鳴ってそれから対話を拒否するように部屋に閉じこもる父の姿が大嫌いであんな大人になるまいと思ってたいが、思い返すと嫌なことがあった日には家に閉じこもって誰ともかかわらなかったり自分も似たようなことをする節が思い当たる。
でも私は、その本のタイトルも作者も、全容もすべて忘れてしまいました。
2階建てのこじんまりしたその図書館で1日中その本を探したこともあるけれど、まるで見つからなかったのです。
森見登美彦の「熱帯」みたいに。
もう一度読みたいのだけれど、あまりにも記憶がおぼろげで、Google先生ではお手上げでした。
なので、はてな大先生に最後の望みを託して書かせてもらいます。
覚えているのは、夏の暑さとか、車窓からの風とか、そんな感覚が確かに伝わってくるような、美しい文章だったこと。
もしも、「これじゃないか」と思い当たる節がある方がいれば、その本のタイトルをぜひ教えてもらえないでしょうか。
長く活躍されている小説家か随筆家か……ご本人の体験談を綴ったような内容で。(もしかすると、エッセイ風に書いただけで空想上の人物のお話なのかもしれないです)
長年連れ添った妻とのなれ初めや、妻と旅行に行ったときの話の他に、真夏のじんわりと熱い日に、お弟子さんか生徒さんか、年下の男性が家を訪ねてきていたときの描写がとても印象的だったのを覚えています。
舞台はどこだったかな。ちょこちょこ引っ越されていたような。多分ですが、鎌倉とかも出てきたように思います。仕事の都合で妻の出生地を離れていたとか、飛行機か電車に乗っていて、妻の機転にひどく驚かされていたというエピソードもあったような?
時代は、恐らく戦後の、少し時代が落ち着いた頃。幾分か穏やかな時代になった頃なんじゃないかな。まだ和服を着ているような懐古的雰囲気もありつつ、現代に通ずる洋風文化もその話の中では浸透していたように思います。
……覚えていることは、このぐらい。すみません。
こんなにもわずかな記憶なのに、私はあの本がどうしてももう一度読みたいのです。
きっと、私のことだから、タイトルか装丁かのいずれかに惹かれて本棚からパッと抜き出した一冊なんだろうと思います。そして、借りている間に仕事か何かが忙しくなって、ろくにメモも取らず返却してしまい、そのまま忘却していったのでしょう。
こんな情報だけで、知人の誰かに「この本知らない?」というのは憚れます。だからこそ、匿名性の高いここを選ばせてもらいました。
「もしかすると、これじゃね?」と思い当たる何かがある人、ぜひ教えてもらえないでしょうか。
きっと作者は、ユーモラスたっぷりで、(これは完全なる想像だけど)ハットがとびきり似合う紳士なんだと思います。ハッキリと覚えていないですが、数年前に読んだとき「結構前に刊行された本だな」と思った覚えがあり、かなり古い時代に活躍されていた印象を受けたので、高齢の方なのかなと。
数年前、私はあの本の魅力に気づかず返してしまいました。でも、数年経っても、まだ「美しい文章だった」という記憶だけが鮮明に残っていて、今更、あの本の虜になってしまっているのです。