はてなキーワード: 希薄とは
人類学って言うのはどうしても「実例」の丹念な積み重ねになるので、その「解釈」つまり読み解き方には差が出る。
で、「物々交換なんか無かったんや」てなエントリーが話題をさらって、それに対する反論に引っかかるところがあったんでソレについて。
人類学の宿命とも言える所に、「やっぱ珍しいところから入るだろJK」問題というのがある。
「日本人って、デートは神社の縁日で金魚すくいで彼女が浴衣を着てくるのが普通なんだろ?」とイギリス人から言われたらどう応える?
まあ、厳密に言えば間違いとはいえないがそれはほぼファンタジーだぞ、という説明は難しい。
例えば、物々交換はあったと言う例でスターを集めているコメントに以下のものがある。
いやいやいやいや。ヤップ島の例だけを根拠に学説を全否定するのはどう考えてもおかしいでしょ。トロブリアンド諸島のクラとか、ポトラッチ(蕩尽)とかどう説明するの。人類学の成果を無視しすぎ。
『トロブリアンド諸島のクラ』とは、ザックリ言えばパプア・ニューギニアの島々で行われている儀礼的な交易を言う。
Kula ringなんかでググると出てくるから省略するが、これはgift economies、つまり贈与経済とされる。
というかだ、仮にも人類学という単語を発するからには、近代人類学の父と呼ばれるブロニスワフ・マリノフスキを避けては通れないし、
彼がその名声を確立したクラをめぐる『西太平洋の遠洋航海者』を読んではいなくても概要ぐらいは触れたことがあるだろう。
単なる装身具にすぎない腕輪や首飾りを交換するためだけに危険な海洋交易を行う理由が、経済的な財物の交換ではなく、政治的な権威とその維持を含めた儀礼的な制度であるという主張だ。
また、『ポトラッチ(蕩尽)』も同様だ。これも「贈り物」が語源とされる北米インディアンの伝統的な贈与経済だと言われている。
ザックリ説明すれば、その構成グループの中でイベントがあると、一番持っているヤツが振る舞うという、風習だ。
簡単に例えよう。
日本には古来物々交換なんぞ無かったと言われて「おいおい、お中元やお歳暮を無視する気かよ」と返しているのと同じだ。
普段のお買い物の話に対して、儀礼的な相互贈与で反論するのは、控えめに言っても筋が悪い。
というかだ、人類学をチョコっとでもかじったことがある人間なら、クラ、ポトラッチとくればピンとくる。
フランスの文化人類学者である、マルセル・モースの代表作とも言える「贈与論」だ。
文化人類学では「お返しを期待する贈り物」を「互酬」と言い、リターンを期待しない「真の贈り物」とは区別して語られる。
で、この互酬のうち、遅延して交換するものは、基本的に儀礼的だったり政治的だったりする。
そして、即時の交換(その場で交換する)ものを、Barterつまり物々交換と呼ぶ。
で、この物々交換をお金の起源として(比較的悪しざまに)主張したのが、アダム・スミスの国富論(The Wealth of Nations)だ。
ただ、さっきまでの話で判る通り、文化人類学者は常々「いや、物々交換って基本的には部外者とのやりとりに使ってただけで、村人同士では儀礼的なものだよ」と言ってきた。
言葉が通じる同じ仲間同士で、物々交換が行われていたという強固な証拠は無い。というか見つけづらい。
が、沈黙交易(Silent Trade)と呼ばれる、言葉の通じない(場合によっては通じても姿を見せない)相手との物々交換が行われていた記録はある。
信用も無く関係性も希薄なので、その場で交換する必要があって、社会的な義務や政治的な権威とは切り離される。
この場合、お互いに価値が有るものとして砂金や塩を用いることはあった。
古代エジプトにおいても、鋳造貨幣は対国家のような対外取引でしか用いられなかった事からも、貨幣は信用と切り離されて当初存在した。
それがそのうちに、「金銀を持ち歩くの危ないから、金庫に入れておいて引き出せる札だけやりとりしようぜ」となった。
これが紙幣発生の一形態だ。(他の発生形態もあるので、調べてみると面白いよ)
つまり、「この札を持っていけば金に交換される」という信用がトレードの基礎になっているのは、
「オレが今日は魚をやったけど、こんど家の建て直し手伝ってくれよな」という顔なじみの村民にある信用と、本質的には同じだ。
その村でその信用を裏切る行動を取れば、適切に制裁されるという「村秩序に対する信用」が、村人間の普段のお買い物の基礎になっている。
譲渡することのできる信用がマネーだと言っているが、人類学はそれに反論はできない。
文化人類学者が積み重ねてきたことは、単純な物々交換とクラ交易とは違うという反論だ。
あるグループ内で通用する単位が、他のグループにおいても通用するとされた時に、マネーが産まれると言われれば、
そういう定義もあるかも知れないな、と思うだけだ。
極端なことを言えば、「1シナモン」という単位を作って、はてなで流通させても良いわけだ。
ある人が「これ釣りか解説欲しいんですけど」→「これは釣り記事です」と解説するのが10シナモンで
ある人が「これほんとかなあ」→「これは科学的にこうオカシイ」と解説するのが5シナモンだとしても良い。
これが、スポンジボブとお姑サンの間で行われている間は、単なる貸し借りの単位でしか無い。
「今回は私が解説したので、3シナモン分相殺ですね」とかできるわけだ。
それが「5シナモンくれたら、Microsoftの戦略について語るよ」とか
そして、そうならないだろうと素朴に想像できることが、お金の本質になる。
シナモンという評価価値は無限に生まれるが、それを適切に流通させるには、信用が必要になる。
この「信用」とは何か、「1シナモン」で記事を依頼したり、記事を書いたりする為に何が必要か考えると、お金とは何かという答えになる。
ニクソン・ショック以降、(正確にはニクソンよりちょっと後だけど)通貨が金本位制でなくなった時点から、お金とは信用とそれを担保する何かによって支えられている。
沈黙交易に代表される「信用出来ない相手との物々交換」は行われていたし、証拠も記録もある。
ある集団内での資産(獣や魚や穀物)を再分配する機能が、巨大化するにつれて歪んだ記録もある。
しかし、クラ交易やポトラッチは、単純な物々交換と異なる「互酬」つまり、信用や政治的な権威を背景にした贈与文化であるとされている。
それどころか、文化人類学者であったモースは、経済的な取引は社会的な価値交換の一部に過ぎなかったとすら言っているのだ。
つまり、大昔に物々交換は無かったのだ!と言われた時に、物々交換はあった!として例示する対象として、全く相応しくない。
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非処女だと、女のほうも、「恋愛たくさんして結婚」みたいなイメージになる。一発の恋愛の価値っていうか、「たった一人の相手シカ選べない中で結婚してこの男を選んだんだ」って意識希薄になっちゃう。
男の方も「処女とセックスできるからメリットあったのに」ってマジで結婚のメリットなくなる。
結婚をメリットデメリットで考えるなっていう人は、夫婦生活みたいなのがアイデンティティになるみたいな話なんかもしれないけど、
アイデンティティみたいなのって今の世の中楽勝で手に入るからなあ。
本当にメリットデメリットで考えないアイデンティティっていうと、そりゃもう『貞淑な妻を囲って守っている俺』みたいなのだと思うよ、夫婦なら。
非処女でアイデンティティは厳しいと思うよ、選ばれた感が男にもないもん。草食系、そりゃなるよ。
はてなで辛うじて価値があるとすれば、はてブをおいて他にない。
「楽しめる」ブックマーカーを見つけてお気に入りに入れて、ニヤニヤする。
しかし、はてなに慣れていない者にとって「楽しめる」ブックマーカーを探すことは容易でない。
時折有名ブックマーカーのリストが発表されることもあるが、それとて自分の好みと合致するとは限らない。
そこでお勧めしたいのが、増田を利用してブックマーカーを探す方法だ。
といっても、為すべきことは至極単純。
定期的に増田を書いて、ついたブックマークコメントをチェックするだけだ。
興味ある分野について情報を集めたいなら、その分野のネタで普通に増田を書けばよい。
誰のコメントが的確で誰のコメントが的外れの知ったかぶりか、第三者の書いた記事についたコメントを見るよりずっと正確に判断できることだろう。
人は冷静さを失うと本性をさらけ出す。
加えて増田は匿名で中に人がいるという意識が希薄なためか、率直に(軽率に?)思うところを述べてゆく者が多く、判別が非常に容易である。
http://anond.hatelabo.jp/20140914210710
狭すぎるんだよな。
人と人の距離感近すぎるんだよな。
見たくない者が見えすぎるんだよな。
GTのテレビみたいに薄いかわりに自分がみたくない不快なものがほとんど排除された世界になじんでる人にはつらいわな。
とにかく公式ははやくはてな村の話題がホッテントリのトップページと違う場所に表示されるように工夫してほしいんだよね。。。
なんでやらないんだろ。
青×才のアンチやコンビ×店長への粘着増田や犬猫ワンニャン逐一消していってという対処になってるのを見ると
やっぱり動物園というか珍獣見世物小屋がやりたいのかな、などと
はてな運営に対して、ただ無能と言うよりなんらかの悪意を見いだしたくなる欲望がむくむくと。
汚いものやどろどろした人間感情や毒吐きを放置しておくことで、カオスを維持することを目的としているとかんがえようか。
でも今のはてな村のもんだいは、その汚いものや毒吐きが、完全に組織化して安定して固形化してこびりついたウンコみたいになってるところじゃないかしらね
意見を聞かせて欲しい。
なるほど確かに教養としてPerlは知っておいた方が良いが、より優れた言語がある。
そして、推される筆頭はRubyだろうか。
そう思ってきた。
ブラウザで使うなら選択の余地はないので、あの言語は除外しよう。
で、未経験者でも聞いたことの有りそうなこのあたりはこの辺り。
C, C++, C#、 Java、Perl、PHP、Ruby、Python。
Hello, World!を見比べたら
「publicてなに?staticってなに?voidってなに? mainはメインなんだろうけど []ってなに?argsってなに?なんでint main?str mainとかあかんの?たまに*印ついてるのなに?全部意味が分からんし解説もなしにおまじないって言って飛ばしてるケースも多いしなんか詳しく言ってるっぽいのもあるけどその分かる人だけが分かるような言い方やめて私のライフはもう0よ!なんで一言「やぁ!」っていうのにどれだけのことを理解せなあかんのよ!」
となるのでスクリプト言語が残るだろう。
Webでしか使わない言語は関数名もキモイから除外しておくと、Perl、Ruby、Pythonの三択となる。
私がPerlを選んだ当時は、Rubyは信者が先鋭的で他人を攻撃しないと気が済まないという風評を目にしたので外した。
そしてPythonはまだ日本では弱いらしい一方、Perlははてなやmixi、Amazonでまで使われていて、
恰幅のいいヒゲのおっさん他、情報を発信する人の量・質ともに非常に高い様子だったから、Perlを選んだ。
ここから本題。
あれから数年。
新たなものを学ぼうと思い、Pythonは昔バージョンの違いでなかなか動かせず、またPython2と3で随分変わってしまうようなので、
Rubyを始めてみようと思ったんだ。
Next Perlというだけあって馴染みやすい書き方も多く、洗練されてるなってすごく関心した。
学ぶこと自体が目的なので、何をしたいって、何もないので、とりあえずPerlでやってることを全て移植してみることから始めた。
Net::FTPSSL
うごかない。
まぁそんなこともあるよね。
うごかない。
まぁPerlでもActive Directoryに繋ぐのは随分苦労したしな・・・
WWW::Mechanize:
うごかない。
CentOS 6に入ってるRubyではバージョンが違って動かないって・・・
上手くいかないのは仕方ないよ。でもmechanize、昔動いてたのに今動かないって何なの?
モジュールクリックしたら作者のサイトに飛ぶし、マニュアルの書き方も作者次第でバラバラ…読みづらい…
CPANみたいにちゃんとやってよ。
ネット上の情報もバージョンが違って動かないことも多々あるようだ。Perlなら5.8で書いたものが5.20になっても当たり前に動くよ?
CentOS 6とFedora 20のそれぞれで出てくるエラーも違うし、Perlの下地があっても正直キツイ。
洗練されていいな!って思った分余計に残念だ。
こんなバージョン違えば動かなくて当たり前で、Rail抜いたら情報も半減するような言語、本当に初心者向けでいいの?
使える人が使える用途で使えるバージョンを選んで使うとステキ。そんなん初心者向けじゃねぇぇぇっぇ。
いや、言語の学びやすさとこれとは別問題なんだろうけど、Perlの安定度と情報の量・質・多彩さで比較になってない。
言語そのものはRubyの方が上でも、使えない道具は劣る道具じゃんよ。
「身の回りの雑多な仕事を片付ける」って用途の方が特殊なんだろうか。
Rubyは良い言語だって思ってた。しかし、分からなくなってしまった。
教えてくれ。
キリシア様に届けていい言語はなんなんだ?
s/キリシア/キシリア/
でもたいした議論もないということは、概ね合ってるのだろうか。
あと、perldocの情報量もすごいと思う。ある程度Perlが使えるようになってからじゃないと読むのはキツイけど、
他言語で書籍じゃなしにあれだけ詳しく書かれたものってあるかな?
kiyo_hiko型が動的なのが耐えられなくて結局Java
2014/09/01
「パクる」のはなぜいけないの?
たとえばこんな意見。
コンテンツの盗用は明確な著作権法違反なのだが、ネットの中では「キュレーション」だったり「バイラルメディア」等と、それらしい名前を付けて人の褌で相撲をとる行為がはびこっている。
こういうものを日々見ていたら海外の記事を断りなく翻訳して、自社サイトに掲載することの何がイケナイコトなのかよくわからなくなっても仕方ない気もする。
(中略)ネットは便利である反面、著作物の違法コピーはどうしても流通してしまう素地がある。
せめてパクる時くらいは罪の意識をビンビンに感じながら、人目を気にしてこっそりひっそりやれよと思う。
パクることに対する罪の意識の希薄さが気になる話 - ネットの海の渚にて
こういった意見を書く人は多いですが、みなさん「なぜパクリがいけないのか」を書かないんですよね。「麻薬=絶対ダメ」という感じのノリで「パクリ=絶対ダメ」と思い込んでいる感じさえあります。こういう思い込み、思考停止は怖いです。
さて、コンテンツのパクリって、何でいけないんですか?これ、真面目に答えられる人、どのくらいいるんでしょう?「盗むのはいけないことだからいけない」「法律違反だからいけない」みたいな幼稚な意見はダメですよ。
参考までにぼくのスタンスを書いておきましょう。
何をもって「パクリ」とするかは曖昧ですが、ぼく自身は、自分のコンテンツがコピーされていくことに対してはかなり肯定的です。実際に、BLOGOSやSpotlight、現代ビジネスといったメディアに対しては、うちの記事を堂々とパクって(転載して)いただいています。いつもありがとうございます。
著作権者としての気分としては、ぼくの書籍をP2Pソフトでばらまいていただいても、まったく構わないどころか嬉しいです。ありがとうございます、ばらまいてくださって。これほんと。…とはいえそれをやると、出版社から訴えられるかもしれないので、おすすめはしませんけどね。
結局、パクリがNGかOKかというのは、ビジネスモデルの問題なんですよ。ぼくが作っているビジネスモデルですと、むしろコンテンツを勝手にばらまいていただいた方が、利益が出やすいんです。また、パクられてもOK!というスタンスの背景には、年間500万円くらい売上あれば十分だ、という目標の低さもあります。
というか、こういうのは抗いようがないんですよ。あなたがどれだけ「パクリは許されない!」と叫ぼうとも、ネット上ではコピーコンテンツが「当たり前」になっていきます。NAVERまとめがこれだけ人気を集めている意味を理解しましょう。世界でバイラルメディアが乱立し、各メディア間でコンテンツが「共有」されている意味を理解しましょう。著作権者は、抗えない変化に文句を言うのではなく、勝手なコピーに耐えるビジネスモデルを作り上げていかなければなりません。
コンテンツのパクリを「万引き」になぞらえる人は多いですが、根本的に違うのは、このビジネスモデルの話です。わかりやすくいえば、パクられればパクられほど、ぼくは儲かるし、利益が奪われるようなら、儲かるようにビジネスを作り替えていけばいいだけです。物理的に商品が奪われる「万引き」とはそこが違います。
…まぁ、そんなぼくでも、コンテンツを丸々っと転載する際は事前に連絡はいただきたいとは思います。転載を始める場合は、ぜひメールとかツイッターで一報いただけると。でも、編集に哲学のないコピーサイトはダメです。なお、NAVERまとめとかTumblrでぼくの記事を利用する分には事前・事後連絡は不要です。
外部の人間がどうこう言う話ではない
毎度書いてますが、パクリ云々は、他人がどうこう言う話ではないんです。そのパクリがNGかどうかは、著作権者しか判断できませんから。バイラルメディアはパクリだらけだ!著作権違反だ!と怒る人は、一体何者なんでしょうね。
どうしてもパクリが許せないのなら、「あなたの著作物がパクられていますよ」と著作権者に教えるのが最良の解になると思います。それ以上はやるべきではありません。NGかどうかは、あなたが判断することではないのですから。
というわけで、それでも、どうしてもパクリが許せない方は、ぜひその理由を教えてください。特に、「あなたが著作権者ではない」場合の怒りについて、教えていただけると幸いです。なぜ部外者の人間が、パクリについて怒りだす必要があるのでしょうか?
みなさんのご意見
さてさて、ツイッターなどで意見をいただいたのでまとめておきます。
まずは万引きのようなもの、という語り方。コピーコンテンツは①盗まれた側の利益にもなりうる(デジタルデータは複製可能)、②著作権違反は親告罪である、という点で窃盗とは明確な相違があるというのは事実として抑えておきたいところです。
こちらはよく整理されている意見だと思います。肝心なのは、「第三者がそのコピーの善悪を判断することが難しい」ことなんですよね。当事者なら自分で善し悪しを判断すればいいんですが、部外者はそうはできません。
けっこう真面目に面白いと思います。長い目で見ると、書籍も無断コピーの対象になっていくのかもしれません。
「第三者がなぜ関係のない他人のコピーに対して非難できるのか(そのコピーについては、著作権者しか法的な善悪は判断できないにも関わらず=親告罪にも関わらず)」という問いに対しては、こちらはもっともクリティカルなご意見。
ヨッピーさんも、
「別に自分がパクられてるわけじゃないから」ってスルーした時点で自分が被害者になった時に文句言えなくなるじゃん。だから被害を受ける前から声を挙げるんだっての。
イケダハヤト氏が全クリエイターに対して宣戦布告を開始 - ヨッピーがブチ切れまくるブログ
と書いてますね。
この立場はわからないでもないですが、一体どんな基準をもってして、「第三者として」そのコピーがOKであるかNGであるかを判断するのかを教えてほしいところです。
そもそもぼくの問題意識としてあるのが、関係のない個人が著作権者本人の意見を無視して(勝手に斟酌して)、一方的に正義を代弁するのは危険なことだ、というものです。ヨッピーさんはこのように画像転載にどうしようもない怒りを覚えているようですが、当の著作権者たちがどう考えているかはわからないわけです。これは彼の「暴走」である可能性を否定できません。そういう鈍感にご本人は気付いているのでしょうか。
ぼくにはヨッピーさんが「このやり方だと『俺が』やられたら嫌だから、関係のない他人だろうが、許せないんだ」と、たいへん「主観的」に、正義を「代弁」しているようにしか見えないんですよね。ここら辺は価値観ですが、ぼくはそういう鈍感さに基づく怒りは危険だと思うのですよ。
自分が当事者ではない以上(法律的にも親告罪である以上)、そこは善悪の判断を差し挟まないのが大人かと。だからこそ、ぼくは「第三者として関わる場合は、著作権者にコピーされていることを教える以上のことはしない」ということを推奨しているわけです。
なお、ヨッピーさんに関してはコピーコンテンツについて何かアクションを取っているようなので、それを楽しみにしてます。
あと彼のブログのなかで「結局、こういう事態に対して「怒らない」っていうのはそれだけ自分の「作品」に対する思い入れが無いからじゃないの。」という一言がありますが、それはむしろぼくにとっては逆ですね。思い入れがあるコンテンツであるからこそ、バイラルすることを歓迎しているわけです。せっかく創作活動しているんですから、多くの人に触れてもらいたいじゃないですか。ここは作家の価値観、商業性によって分かれるポイントでしょうね。
この意見も色々集約されていて興味深いです。結局「俺はこいつが気に入らない」というあたりがネット上のバッシングでは絡んできてしまってるんでしょうね。部外者として批判するのなら、ぼくは客観的な基準が求められると思います。
「パクる」のはなぜいけないの?
たとえばこんな意見。
コンテンツの盗用は明確な著作権法違反なのだが、ネットの中では「キュレーション」だったり「バイラルメディア」等と、それらしい名前を付けて人の褌で相撲をとる行為がはびこっている。
こういうものを日々見ていたら海外の記事を断りなく翻訳して、自社サイトに掲載することの何がイケナイコトなのかよくわからなくなっても仕方ない気もする。
(中略)ネットは便利である反面、著作物の違法コピーはどうしても流通してしまう素地がある。
せめてパクる時くらいは罪の意識をビンビンに感じながら、人目を気にしてこっそりひっそりやれよと思う。
パクることに対する罪の意識の希薄さが気になる話 - ネットの海の渚にて
こういった意見を書く人は多いですが、みなさん「なぜパクリがいけないのか」を書かないんですよね。「麻薬=絶対ダメ」という感じのノリで「パクリ=絶対ダメ」と思い込んでいる感じさえあります。こういう思い込み、思考停止は怖いです。
さて、コンテンツのパクリって、何でいけないんですか?これ、真面目に答えられる人、どのくらいいるんでしょう?「盗むのはいけないことだからいけない」「法律違反だからいけない」みたいな幼稚な意見はダメですよ。
参考までにぼくのスタンスを書いておきましょう。
何をもって「パクリ」とするかは曖昧ですが、ぼく自身は、自分のコンテンツがコピーされていくことに対してはかなり肯定的です。実際に、BLOGOSやSpotlight、現代ビジネスといったメディアに対しては、うちの記事を堂々とパクって(転載して)いただいています。いつもありがとうございます。
著作権者としての気分としては、ぼくの書籍をP2Pソフトでばらまいていただいても、まったく構わないどころか嬉しいです。ありがとうございます、ばらまいてくださって。これほんと。…とはいえそれをやると、出版社から訴えられるかもしれないので、おすすめはしませんけどね。
結局、パクリがNGかOKかというのは、ビジネスモデルの問題なんですよ。ぼくが作っているビジネスモデルですと、むしろコンテンツを勝手にばらまいていただいた方が、利益が出やすいんです。また、パクられてもOK!というスタンスの背景には、年間500万円くらい売上あれば十分だ、という目標の低さもあります。
というか、こういうのは抗いようがないんですよ。あなたがどれだけ「パクリは許されない!」と叫ぼうとも、ネット上ではコピーコンテンツが「当たり前」になっていきます。NAVERまとめがこれだけ人気を集めている意味を理解しましょう。世界でバイラルメディアが乱立し、各メディア間でコンテンツが「共有」されている意味を理解しましょう。著作権者は、抗えない変化に文句を言うのではなく、勝手なコピーに耐えるビジネスモデルを作り上げていかなければなりません。
コンテンツのパクリを「万引き」になぞらえる人は多いですが、根本的に違うのは、このビジネスモデルの話です。わかりやすくいえば、パクられればパクられほど、ぼくは儲かるし、利益が奪われるようなら、儲かるようにビジネスを作り替えていけばいいだけです。物理的に商品が奪われる「万引き」とはそこが違います。
…まぁ、そんなぼくでも、コンテンツを丸々っと転載する際は事前に連絡はいただきたいとは思います。転載を始める場合は、ぜひメールとかツイッターで一報いただけると。でも、編集に哲学のないコピーサイトはダメです。なお、NAVERまとめとかTumblrでぼくの記事を利用する分には事前・事後連絡は不要です。
「パクる」のはなぜいけないの?
たとえばこんな意見。
パクることに対する罪の意識の希薄さが気になる話 - ネットの海の渚にて
こういった意見を書く人は多いですが、みなさん「なぜパクリがいけないのか」を書かないんですよね。
「麻薬=絶対ダメ」という感じのノリで「パクリ=絶対ダメ」と思い込んでいる感じさえあります。
こういう思い込み、思考停止は怖いです。
著作権者の利益になるパクリもある
参考までにぼくのスタンスを書いておきましょう。
何をもって「パクリ」とするかは曖昧ですが、ぼく自身は、自分のコンテンツがコピーされていくことに対してはかなり肯定的です。
実際に、BLOGOSやSpotlight、現代ビジネスといったメディアに対しては、うちの記事を堂々とパクって(転載して)いただいています。
いつもありがとうございます。
著作権者としての気分としては、ぼくの書籍をP2Pソフトでばらまいていただいても、まったく構わないどころか嬉しいです。
ありがとうございます、ばらまいてくださって。これほんと。…とはいえそれをやると、
出版社から訴えられるかもしれないので、おすすめはしませんけどね。
結局、パクリがNGかOKかというのは、ビジネスモデルの問題なんですよ。
ぼくが作っているビジネスモデルですと、むしろコンテンツを勝手にばらまいていただいた方が、利益が出やすいんです。
また、パクられてもOK!というスタンスの背景には、年間500万円くらい売上あれば十分だ、という目標の低さもあります。
というか、こういうのは抗いようがないんですよ。あなたがどれだけ「パクリは許されない!」と叫ぼうとも、
ネット上ではコピーコンテンツが「当たり前」になっていきます。NAVERまとめがこれだけ人気を集めている意味を理解しましょう。
世界でバイラルメディアが乱立し、各メディア間でコンテンツが「共有」されている意味を理解しましょう。
著作権者は、抗えない変化に文句を言うのではなく、勝手なコピーに耐えるビジネスモデルを作り上げていかなければなりません。
コンテンツのパクリを「万引き」になぞらえる人は多いですが、根本的に違うのは、このビジネスモデルの話です。
わかりやすくいえば、パクられればパクられほど、ぼくは儲かるし、利益が奪われるようなら、儲かるようにビジネスを作り替えていけばいいだけです。
なるほどぉ。
外部の人間がどうこう言う話ではない
毎度書いてますが、パクリ云々は、他人がどうこう言う話ではないんです。
そのパクリがNGかどうかは、著作権者しか判断できませんから。バイラルメディアはパクリだらけだ!
著作権違反だ!と怒る人は、一体何者なんでしょうね。
どうしてもパクリが許せないのなら、「あなたの著作物がパクられていますよ」と著作権者に教えるのが最良の解になると思います。
それ以上はやるべきではありません。NGかどうかは、あなたが判断することではないのですから。
というわけで、それでも、どうしてもパクリが許せない方は、ぜひその理由を教えてください。
とても勉強になりましたぁ(・ё・)。
俺は27だけどアニメにハマったきっかけはカードキャプターさくら第3部、つまり坂本真綾のプラチナが主題歌だった時の
それが正しいかどうかは実感として残っていない。
実の所、深夜アニメのシスタープリンセス、通称シスプリの印象がやけに強かったりして、
本当の所、アニメにハマったきっかけは実はよく分かっていない。
人それぞれなんだと思う。
ただ、本当はどんなアニメか、なんて分からないし、もしかしたら本質的にどのアニメも好きじゃない世代だったのでは?と思ってる。
30代は圧倒的にエヴァンゲリオンを挙げるといわれるけど、20代すなわち2000年代初頭はアニメの変革期でもあったから、
要はエヴァンゲリオンのような圧倒的存在感が希薄だったのが2000年代初頭で、俺たちの世代は皆その時期のアニメを多く知っているけど
逆に言えば、これって思い入れのあるアニメを一つに絞ることが出来ない。
アニメ好きな奴ですら、どれが本当のきっかけだったかなんて言えない。
京都アニメーションが挙げられるのは、ただハルヒダンスや鷺宮神社の聖地巡礼といった感じにちょうどああいうステレオタイプのアニメが京アニに多くてその強烈なイメージが焼きついて離れなかったのが俺たちの世代、つまり20代だったわけだ。
でも勘違いしている。
京都アニメーションは今でこそ全国的に有名だけど、それ以前はドラえもんやクレヨンしんちゃん等の国民的アニメの下請けなどをやってた会社で、そこが作るオリジナル作品は制作黎明期ではムント位しかなくて、とても20代の好きなアニメになるとは思えない位人を選ぶ作品だった。BBSで質問したら監督スタッフが懇切丁寧に答えてくれた時代なんて、恐らく今の20代が知ってたかどうかも疑問だ。
そんな地味なアニメ会社がフルメタルパニックふもっふやAIRを経て涼宮ハルヒの憂鬱を作ってきたという過程がある。
一般的に京アニを全国区にしたのは涼宮ハルヒの憂鬱からで、AIRまでは深夜アニメファンや原作信者以外は知らないのでは?と思わせる程アングラな人気しかなかった(と俺が思ってるだけなので、ツッコミはご容赦頂きたい)。
そういう背景があったから、20代が京アニ直撃世代だと断定するのはどうかと見てる。
例えば30代がエヴァ世代だとしても、20代30代の時には多くが会社員になったりとかでアニメから卒業してるはずだ。
すなわち20代が京アニを知るには少なくとも10代ではまず無理な年齢層が居ることに留意しなくてはならない。
20歳~25歳程度なら京アニを直に知る世代になるかもしれない。
しかしながら、26歳以上の20代はハルヒ以前でなければハルヒを見てアニメ視聴のきっかけ、という事であると
難しい問題ながら、今の世間的には、20代はちょうど不況の直撃世代でもあって、結論から言えば20代でも特定時期のアニメをきっかけにアニメにハマる人も珍しくないという背景もなくはない。
でも、多くはそれがなし崩し的に見られたものであるのも確かだ。
する事がなかったからアニメを受容した訳だから、くだんのハルヒやらきすたをきっかけにアニメにハマった京アニ世代だと言うには
多少あるいはかなり語弊があるように感じる。
そんなわけだから、本当はどんなアニメも本質的に好きじゃなくてただ、そこにあったアニメがたまたま京アニ作品だったに過ぎないのではないか、と俺は思っている。
京アニにハマるにはその前にきっかけがあったはずで、そもそもアングラ人気だった京アニを知ってたかどうかも疑問だろう。
そういう意味において、20代が10代の時に見てたアニメにこそ本質的なきっかけがあるように感じるのだ。
たとえばこんな感じ。
记者「自卫队员が战闘に卷き込まれ、血を流す可能性が高まると指摘されている」
首相「抑止力が强化されることによってわが国の平和と安全をいっそう确かなものにできる」
别の记者「平和を守るために牺牲を伴う可能性がある。国民はどんな觉悟を持つ必要があるのか」
首相「自卫队は时には危险を伴う场合でも国民の命を守るために任务を肃々と果たしている。彼らに感谢し、勇气ある活動に敬意を表したい」
阁议决定后の记者会见。安倍首相は「战死」の问いから答えをそらし续けた。
自卫队员の死に对する意识の希薄さは、2004年にイラクへ自卫队派遣をした当时の小泉纯一郎首相と重なる。
「どこが非战闘地域で、どこが战闘地域か、私に闻かれたって分かるわけない」「自卫队が活動している地域は非战闘地域だ」
国会で无责任な答弁を繰り返した。そのイラクの陆上自卫队の宿営地は计13回、砲撃にさらされ、车列が袭われたこともあった。
陆自はひそかに戦死に备える计画案作りに着手していた。ひつぎは政府専用机かチャーター便で移送する。空港で自卫队干部が出迎え、仪式用の武器を携えた仪仗(ぎじょう)队が警护する…。遗族や国民の目に「名誉の戦死」と映す演出だ。
结果的に一人の犠牲者も出さなかった―。が、そう言いきれない现実もある。
イラク派遣を経験した自卫队员25人が帰国后、自杀した。その多くが派遣と自杀の因果関係は不明とされているが、陆自干部は「いつ攻撃されるか分からない紧张感と厳しい生活环境。ストレスは半端ではなかった」と振り返る。
http://www.shinmai.co.jp/news/20140815/KT140814ETI090008000.php
ちなみに俺は優秀でない側の人間。
Twitter見ててもテレビ見てても、自分と同世代の人やそれ以下の人が大活躍している。
自分が得意だと思っている分野でも、自分より遅く始めたはずの人間がいつの間にか自分以上のバリュー出している。
こんなことが続くと、この世に俺が生きている価値は?と考えてしまう。
俺がやらなくても、誰かもっと優秀な奴がもっと頭良くやってしまうのでは?と感じてしまう。
仕事先でも結局一緒。9割の非優秀という負債を1割の優秀な人間がなんとかしている。
今まで俺が生きてきたのは、それでも俺に生きる価値があるんじゃなかろうかという淡い期待を追っていたから。
マジで非優秀は死ぬべきなんじゃなかろうか。優秀な人間だけの世界はさぞ素晴らしかろう。
# 追記
「マクロ的に見ると多様性が~」とかいうコメントを拝見しましたが、納得がいきませんね。
遠い未来に人間が絶滅しないためには~とか比較優位が~とかどうでもよくて、個人の問題です。
自分で得意だと思っていた分野で、自分の数倍優秀な人材がいた時に、自分がどう思うかです。
さまざまな立て看板や、掲示板や壁に無造作に張られたビラの数々、サークル活動に打ち込む学生。
意図して目を背け意識しないようにしていた憧憬が、そこに実際にあるさまをまじまじと見せつけられると、予備校のような殺風景なキャンパスと、希薄な人間関係、学問に励むわけでもなく、何の進歩もなかった私のこれまでの大学二年間を肯定できなくなる。
そういった私の二年間は、環境を違っていれば、全く異なっていたといったことは絶対にありえなく、そういった状況を生み出したのは低偏差値大学という環境でなく、私自身の社交性の欠如、積極性の欠如といった個人の問題であると、冷静に捉えることはできているつもりだ。
しかし、どうしても自分が高偏差値大学に通うを想像し、それと今の状況を比較してしまうことがやめられなく、今の大学へ通う必要があるのかという考えに至り、最近は大学へ行くと体調が悪くなり困っている。
まだ大学入学前の高校生諸君は、平日の大学構内にでももぐりこんで、大学の雰囲気を体感して、大学と自分とのミスマッチを避けてほしい。
うーん…
かつては混浴が成立していたことを踏まえるのだが、「では、現在と過去を隔てるものは何か」に答えが出ない。
もしブコメの主流意見みたいに「混浴が差別的であり、後世に出現した平等意識から分けるに至った」ならば、差別意識の方が根源的ということになってしまう。
最も有力だと思うのは、「入浴がプライベートからパブリックのものになった」説かなぁ。
これなら、より根源的状態であるプライベートでは平等意識があり、社会性が重視される段階において初めて壁が出来たということで、ジェンダーの理論にも合致している。
現代人は公の場では、行動だけでなく服によっても男女の違いを強調していて、それが希薄になる入浴時は、社会的特徴の維持のために明確に分ける必要がある、と。
塩村文夏の経歴を見てみると都議として何故彼女を選んだかが疑問に残る。
高校在学中にスポーツ用品販売会社アルペンのイメージガールコンテストに応募し準グランプリ、翌年には「第8回ニューカレドニアプリンセス」審査員特別賞。写真集告知のため「熱湯コマーシャル」コーナーに水着で出演。「ミスヤングマガジン準グランプリ」になり多くのグラビアで活動。
一旦芸能活動を休止しイギリスに語学留学、帰国後に「恋のから騒ぎ」にて「不倫自慢女」として脚光を浴び、日本テレビの脚本・構成作家として活動。「日テレジェニックの穴」などで活躍。
2012年になり「維新政治塾の塾生」になるも、2013年に「みんなの党」に入党。
2013年6月23日東京都議会議員選挙、世田谷区にて14人中6人目(8人当選)にて当選。
塩村文夏の経歴だが、政治家としての活動はわずか1年だけという新人。
http://www.city.setagaya.lg.jp/kurashi/107/788/790/d00127490.html
7 当 里吉 ゆみ 日本共産党 22,541
8 当 西崎 光子 東京・生活者ネットワーク 21,503
http://www.nhk.or.jp/bunken/yoron/political/2013.html
http://www.tv-asahi.co.jp/hst/poll/201305/index.html
NHK世論調査では維新の会とみんなの党の指示はほぼ一緒、報道ステーションでは維新の会に投票するか?というアンケートでは19パーセント。
みんなの党は2013年5月21日に維新の会との連携を解消し、自民党寄りの政策に渡辺喜美党首が擦り寄っていた。
その結果、2013年7月第23回参議院議員通常選挙では8議席を獲得。
前回2009年東京都議会議員選挙では民主党圧勝から民主党惨敗に変わり共産党よりも議席数が少ない野党になった。
2013年に落選した山口氏、花輪氏、関口氏は前回の東京都議会議員選挙世田谷区民主党選出都議でトップ当選組で、正に自民復権で手のひら返しの結果。
わずか1年の政治家活動でアベノミクスに乗って都議に転向なんて凄いですね。
だから政治家活動前のツイッターではbotよりも酷い発言ばかり目立つのですね。
押尾のニュースを読んで気分が悪くなる。田中さんの両親、自分の娘の事は棚にあげすぎ。ニュースだけ読むと、一方的被害者のよう。助かってたら、一緒に犯罪者です。「普通の人なら
救急車を呼ぶ!」と主張したようですが、「普通の人なら、妻子ある男と役物不倫」しません。知るほどに気分が悪い。
https://twitter.com/shiomura/status/24161021159
使い続けるアレルギー持ちの被害者に問題がある気がするわ。「茶のしずく」被害提訴、240万円支払い求め - BIGLOBEニュース
https://twitter.com/shiomura/status/116314165982920704
大阪に向かう新幹線なう。 猛烈に咳&喉が痛痒く、これまでに風邪薬も抗生物質もアレルギーの薬も効かずに辛い。今朝はアレルギーの薬を飲みましたが、そのせいか全身倦怠。 困りました。
https://twitter.com/shiomura/status/239179104342134784
↓
スーパー銭湯のリクライニングチェア。隣は咳の酷い子供。周囲は感染するんじゃないかと不安な顔の人も。親は子供置いてお風呂かなと思っていたら来て「咳治らない?うつるといけないから、ここにいなさい」と。この部屋にいる人には感染っていいということ? 親の教育から必要だわ(´Д` )
https://twitter.com/shiomura/status/285709824472276992
一番酷いツイートはこれ。今回の騒動の平成26年第2回定例会の発言と真逆のツイートとは酷い。
「東京は都会であるが故に、周囲との関係が希薄で、女性が妊娠・出産・育児に関わる悩みを一人で抱えてしまうという弊害があります。こうした問題を抱える女性たちのサポートを東京都は積極的に進めていくべきで、特に、周囲に相談できる人がいない妊婦さんを支える仕組みはとても重要であり、私も所属をする厚生委員会で、この件についての充実をお願いしてきました。」で鈴木章浩都議に「早く結婚した方がいいんじゃないの?」とヤジられたが、塩村文夏氏は真逆のツイートに対して記者会見して謝罪すべきでは?
そう。私、倖田來未に同情しましたよ。羊水は腐らないけど、的外れでもないなと。@以前批判されたコウダクミさんの発言、あれは羊水でしたけど、生殖器全体ということなら、あながちウソではないということでしょうか??
https://twitter.com/shiomura/status/12931401590505472
最後に、大卒でバイトや無職は支持率の高い政党の地方議員にボランティアで奉仕して地方議員選挙に立候補すれば余裕に当選出来るんじゃね?お給料だってそこそこ良いんだし知名度アップでWin-Winだぞ。
モンスターペアレントが騒がれ始めてから久しいが、こんな訳わからん連中が増えてきた理由を考えてみた。
すぐ思いつくのは過保護なんだが(多分それが一番大きい理由だろう)、他にも色々あるような気がするので列挙してみる。
1. 親が学校が嫌い
モンスターペアレントの世代っておそらく20代30代くらいの人だろう。自分と同世代くらいの人である。自分が小学生の頃を振り返ってみる。
私くらいの世代では、学校の先生は戦時中もしくは戦後の物の無い時代に生まれているのですごく厳しかった。それにくらべ、当時日本はバブルの真っただ中。物が溢れる時代である。だから色々と先生と生徒の間には価値観に差があった。
「給食を残すな!!」とかその典型だろう。給食で嫌いなものが出たときなんか、昼休みも潰してずっと給食を食っていた記憶がある。アレルギーなんて関係ない。無理矢理食わされる。給食が嫌で登校拒否する奴もいた。登校拒否するほど嫌いなものを無理矢理食わせるとか信じられん。
それでも皆先生に従っていたが、本心は嫌だったんだろうな。自分の子供が同じことされたらキレて学校に怒鳴り込んでいく気持ちも分かる。
モンスターペアレントが増え始めたときって、結構新聞やニュースで先生の不祥事が騒がれていた時期だと思う。親としてはこんなバカな連中に子供を預けられるか!!って思ったんだろうな。
あと、自分たちの世代の先生は、さすがに戦時中・戦後の生まれだけに厳格で古風だったイメージがある。そういう先生に厳しくされるのなら説得力もあるんだが、今の若い先生は現代っ子である。しかし、自分たちの子供の頃の先生は厳しかったので真似して中途半端に厳しくする。自分たちと同じ豊な時代に生まれてぬくぬくと育ってきた奴らに厳しくされたらムカつくかもしれん。
まあ、これくらいしか思いつかんのだが、上記1,2だけでは運動会で順位をつけないとかの説明はできないように思う。親が運動が苦手で運動会ではいつも嫌な思いをしていたからとか??それでも競争が社会に出るのに必須なことぐらい理解しているだろうが…足が遅い子がかわいそうなんて理由はバカげている。
普通に生きていれば、受験、部活、就職、仕事で競争はいくらでもしてきたはず。モンスターペアレントになる奴は受験とかで競争してないんだろうか…適当に合格圏の受かる学校を受験し、部活もせず、就職はどこでもいいから適当にして、仕事は肉体労働もしくは事務職。競争とは無縁の世界に生きてきたんだろうか…これでも生きてはいけるんだが、こんな人ばかりでは世の中が回らないことくらいいい歳した大人が分からんもんか。
アラサー女です。
既婚、子無し、予定もなし。
なんかこの件を考えててずーっとイライラしっぱなしなので、
吐き出すために書く。
「やっぱり女の子だからダイエットとかしてるんでしょ?(男性上司)」
「結婚したくない、子供作りたくないとか言うのは女として破綻してるよね(元彼)」
「結婚するって?わかってると思うけどしばらくは子供作らないでね(男性上司)」
「結婚して何年目?旦那は衰えてきてない?(取引先男性営業)」
「いいよね、生活費は旦那持ちなんでしょ?(男性、女性の友人複数)」
これらは実際に自分が言われた、腹の立つ、性別や結婚や出産、関係する内容の話です。
ただ、単に世間一般の属性のイメージと自分が合ってないだけで腹が立ってるのもある。
その他に、容姿や口の利き方で、もっと「女のくせに」が混じる酷いこと言われることはほかにもある。
こんなのいちいち気にしてたら、世の中回らない。
弱いもの相手をエスコートするしないは男性の自由だと思ってる。
いくらエスコートしたがられたって振り切って歩くのは女性の自由だし、もしエスコートされなくても泣いて頼まないのが美徳だと思ってる。
対して、今回の話。
議題が少子化、晩婚化。
議題はさておき、男性議員が女性議員に「自分が早く結婚したらいいんじゃないか」と言ったと。
都議会の動画もみたけど「東京都がずは抜けて晩婚、晩産で、人間関係の希薄さから一人で悩む妊婦さんが多いから、都として積極的にサポートするべき、自分が所属する厚生委員会からも(サポートを)お願いしている」という内容の間の話だった。
正直あの場面で涙出る気持ちはわかる。
言いたいことを緊張しながらも伝えようとしてて、伝わらなかった、誤解をされたっていう気持ちとか経験あるわ。
塩村さん個人は直接言われる原因となる事は何もしていない。
過去にテレビ出演の時になかなかすごいこと言ってた。その話を、燃料として持ち出してきた奴のせいで、この話が低俗化してしまいそうになってるけど、この話と過去の言動はあまり関係がない。
私がイライラするのは、あんなの、咎める人が周りにいない時点で、口からでたか出てなかったかの違いしかないのに。
なのに「女性議員への侮辱、結婚や出産に関して侮辱する奴を野放しにしてなるものか」という顔をして「(自分が今持ち得ないステータスに対して)侮辱する奴を野放しにしてなるものか」という雰囲気を感じるからだって事に気がついた。
海外にマイナス印象与えて一部にほんの少し「勇気ある女性」とでも書かれた後で、
今までセクハラに耐えたりはねのけてきた人の大半から「助けがなければ本気でどうにかする気なんて無いくせに」って思われて終わりじゃない?
人や政党に頼ってなんかする姿をみても、議員生命かかったらころっと黙りそうだし。
野次った奴もだけど、海外に向けて発信したのが本当に恥さらしだと思う。
みんなの党としては「晩婚化、少子化について(各党とも公約に入れてるはずなのに)真面目に話し合う気が無いのが問題」ってスタンスのようですが、みんなの党はどの問題にもヤジった経験は無いんでしょうか。
すでに削除済みの小笠原誠治さんの記事
http://bylines.news.yahoo.co.jp/ogasawaraseiji/20140620-00036569/
以下転載
6月18日に開かれた東京都議会の本会議で、みんなの党会派の塩村文夏(あやか)議員がセクハラまがいの野次を受けたということで、野次を飛ばした議員に批判が殺到しています。
なんでも塩村議員が女性の妊娠・出産に対して都がもっとサポートすべきではないかとの質問をしている最中になされた野次だったらしいのですが...
では、どんな酷い言葉を浴びせたのか?
浴びせられた言葉は次のとおりです。
うーむ、流石にこれは頂けませんね。確かにセクハラの疑いもある。
ただ、その一方で、これしきのことでこんなに大騒ぎする必要があるのか、とも思うのです。
何故か?
結婚した方がいいのではないか、なんて言われなくてもどれだけでもボーイフレンドがいそうな感じがするのです。野次を飛ばした議員も、この女性議員に少し気が合ったのではないのでしょうか。
それに、この顔どこかで見たような...もし、あなたがさんまちゃんのテレビ番組をよく見る人なら覚えているかもしれません。
私思うのは、恋の空騒ぎに出ていた彼女を知っている人と、そうでない人では、今回の野次に対する印象が大きく異なると思うのです。
だって、今回、非常に多くの人が彼女に同情をしているでしょう?
確かに、今回の野次は品性のかけらも感じることができません。
いずれにしても、議会でどのようなやり取りが行われたのか? 再現してみることに致します。
「続きまして、女性のサポート、子育て支援についてお伺いをいたします。東京の女性は他の都市よりも晩婚、晩産です。都道府県別の第一子出産時の母の平均年齢は、東京都がズバ抜けて高く、32歳近いことが分かっており、高齢出産や不妊治療を受ける女性が増加をしています。東京は都会であるがゆえに周囲との関係性が希薄で、女性が妊娠、出産、育児に関わる悩みを一人で抱えてしまうという弊害があります。こうした問題を抱える女性たちのサポートは、サポートを東京都は積極的に進めていくべきで、特に周囲に相談できる人がいない妊婦さんを支える仕組みはとても重要であり、私も所属する厚生委員会で、この件に関する充実をお願いしてきました。
(塩村議員が、はあ、と苦笑する)
(笑い声)
東京都として今後、妊娠、出産に関して、悩みを抱える女性に対し、どのような対策を打っていくつもりなのか、具体的な取り組みをお願いします。また、不妊の原因は女性だけではなく男性にも原因があります。男性の協力を得る難しさから、悩みが大きくなる女性達のサポートも必要です。男性不妊に関する知識について、男性も含めて若い世代に啓発する必要があると考えますが、都の見解と取り組みをお伺いいたします。(この辺りで、塩村議員が涙声に)
関連しまして、都営地下鉄におけるベビーカーの利用についてお伺いいたします。 国土交通省は、電車内などでベビーカーを畳まなくてもよいとする共通ルールを示しました」
如何でしょうか? 文字だけでは雰囲気が伝わりにくいかもしれません。少し補足をするならば、彼女は大変に早口で質問をしていたのです。どうしてそんなに早口で、と思いたくなるほど。割り当てられた時間が短い一方で、質問したいことが多かったからでしょうか?
いずれにしても、彼女が女性の妊娠や出産に関して質問をしているときに、どこからともなく野次が飛んだのです。「早く結婚したほうがいいんじゃないか」と。
では、その野次に対して塩村議員はどう反応したのか?
彼女は、はあ、と言って苦笑しただけなのです。その後、彼女はまた質問を続ける訳ですが...その質問の終わり頃になって、どういう訳か涙声風になるのです。
でも、再び、気を取り直して質問を続けた、と。如何です?
誰が発したか知りませんが、なんと品のない野次!
但し、こんな野次の一つや二つで議会の貴重な時間を無駄にして欲しくないという気もするのです。だって、そうでしょう? 早く結婚しろと言われた程度なのですから...それに、彼女自身、そんなに傷ついたとはとても思えないのです。
これが、本当に婚期を逃したような、そして子供を産めない事情にある女性に対して言った言葉なら無視することはできないでしょうが...こんなにべっぴんさんなのだから、結婚ができないとは思えないのです。
つまり、野次を飛ばした議員も、彼女の外見が良かったからつい構ってみたくなったのでしょう。そして、もう一つの理由は、彼女が若かったので、つい女性を軽んじた発言をしてしまったのでしょう。
野次を発した議員は、本当にどうしようもない人なのです。今時女性に対して差別感情を持っているだなんて。
ただ、その一方で、彼女も相当なものではないかという思いもするのです。それは、思わず涙声になれる才能があるからです。勝手な想像ですが、その涙はサッカーのシミュレーションみたいなものではなかったのでしょうか。
私の言っていることはおかしいでしょうか?
状況を何とか打開したかった人間の王は特別討伐隊を結成することを決める
その中心人物として選ばれるのが主人公
いわゆる勇者だった
みんなで色々アイデアを出しあって交換ノートみたいのも作ってた
とくに目的があるわけでもなく、なんとなくなノリでそうなっていったのを覚えてる
だいたい16、7年ぐらい前の話
自分とKくん(一番仲良かった子:仮名)で考えた物語は今でも覚えてる
主人公である勇者に、鬼畜&不幸な設定をドンドン付け足していき
国王への謀反を企てた罪(実は冤罪)で投獄され、一族を皆殺しにされていた死刑囚
魔王を討伐すれば罪を帳消しにするが、逃亡したり裏切ったりすれば即死すると告げられる
そんな死刑囚勇者であったが、もともと随一の切れ者だったこともあって
みるみるうちに戦果を上げて、周囲の信頼を勝ち取っていく
そして言葉巧みに王に取り入ったことで、ついに死の呪いを解かれるのだった
勇者は魔王軍に取り入り、国王をはじめとした全ての人間を虐殺しようと計画していた
魔法によって惑星はド派手に爆散し、すべての生命は消え去るのだった
そして、魔法は周囲の星々も連鎖的に巻き込み宇宙中に広がっていきました
おわり
モノづくりの楽しさみたいなものを初めて感じた時でもあった
だんだん凝った設定を考えるのが楽しくなっていき
アイデア収集のために色んな本や映画をみるようになったのも覚えてる
でもKくんは違った
ひとり抜け、ふたり抜け、という具合に仲間が減っていく間も彼はその遊びに没頭していた
完成した彼の作品をいくつも遊ばせてもらったけど、どれもすごく面白かったし
処女作をいの一番に自分にプレイしてほしいと言ってきた時は本当に嬉しかった
そして新作が出る度に練度が上がっていくことに驚かされた
彼は、自分が微妙だと言った部分をきちんと修正してきてくれたからだ
プレーヤーの痒い所に手が届くように、何度も何度も細かい改良を重ねてくれた
そんな彼の姿勢に応えなければと思い、自分も真剣にプレイするようになった
そうこうしているうちにネットの方でも彼の作るゲームは徐々に人気を博していき
Kくんはすごく沢山の人から賞賛の声を浴びるようになっていった
一番のファンである自分にとっては彼が賞賛されることがたまらなく誇らしかった
ひとかどのゲームクリエイターとなった彼を見た時は心臓が跳ね上がった
なぜ本人経由で知らされなかったかというと、彼との縁を切ってしまっていたから
Kくんが有名になっていくにつれて、まだ子供だった自分は彼に対して嫉妬を覚えるようになっていった
初めのうちこそ友人として真摯にゲームをレビューしてたんだけど
ゲームの内容よりもKくんのことが頭をちらついてどうしようもなかった
多くの人々から絶賛されるKくん
将来有望なゲームクリエイターとして色んな集まりに呼ばれるようになったKくん
ビジュアル、音楽、プログラムといった色んな要素を一人で手がけるようになったKくん
ゲーム制作サークルに所属して、年上に混じって作品を作るようにもなったKくん
ゲームのファンだったという年上の女の子と付き合い始めたKくん
対して、これといって誇れる能力のない普通の(モテない)子供だった自分
Kくんがどうしても羨ましくて妬ましくて、彼に対して卑屈になるしかなかった
そんなこともあって、彼との関係も徐々に希薄なものになっていった
あの頃に戻りたいとは思わないし
今でもKくんと交友を続けていたかったとは思えない
でも後悔はしている
卑屈になるしかなかった当時の自分をなんとかしたいと思ってしまう
どうにかして何かしらの生きがいを見出してあげたいと思ってしまう
ダラダラと無職を続け、誇れるような生きがいを何も持てていなかった自分にとって
彼の名前をネット上で偶然見つけたことは胸を抉られる出来事だった
夢を叶え、輝かしい実績を積み上げてきた彼を直視することはできなかった
そういうのはもう気にならなくなっていたと思ってたけど
ただ単に考えないようにしていただけだったと思い知った
惑星を丸ごとぶっ壊して全部終わりにしたいというあの気持ち
まさか今になって、自分が面白がって生み出したキャラクターの気持ちを味わうことになるとは思わなかった
任天堂がE3で発表した「陣取りTPS」Splatoonが話題である。
http://www.nintendo.co.jp/event/e3_2014/lineup/splatoon/index.html
Call of DutyやBattlefieldのようなゲームと比較し、これはすごい!!!と言ってる人がいる。
http://n-styles.com/main/archives/2014/06/12-041111.php
Awesomenauts
https://www.youtube.com/watch?v=bzhBEPsgQQw
https://www.youtube.com/watch?v=fQuSKoUNqDk
Splatoonは独創的で、素晴らしい発想で、さすが!となるかもしれない。
しかし上記の2つの動画を見た後に落ち着いてSplatoonを眺めてみれば、
そもそもTPS/FPSと比較することがおかしく、Splatoonが新しいシューターではなく、MOBAと呼ぶべきものであることがわかるだろう。
実際、上記の記事にかかれているTPSの問題というものがそもそもMOBAにはそれほど存在しないものであり(ジャンルが違うから当然だ)、アイデアによって解決して得られた結果はMOBAに普通にあるものだ。
ビジュアルについては見ての通り。
Awesomenautsではマップで前線がどこまで押し上がっているかはひと目でわかるし、ぽっちゃり☆プリンセスは相手陣にいる誘拐されたデブプリンセスを自陣まで連れ戻すゲームであるが、現在のプリンセスの位置が常に画面上部にわかりやすく表示されている。常に表示されるわけではないがマップも表示できる。
敵を倒した数が重要ではなく、下手な人でも適当にがちゃがちゃしながら移動してれば味方に貢献できる、というのも共通の特徴である。
また、Splatoonには味方にタッチするとそこまで高速移動する機能があるが、この前線への高速移動システムはどちらのタイトルにも実装されているし、
自陣に近いところにしっかり地盤を築くことが重要で、前線ではごちゃごちゃした乱戦になりやすいのも共通している。
上記の記事に書かれているのは結局のところ、FPSよりMOBAが楽しいと思う!、ということだ。
このようなTPS/FPSとSplatoonとのおかしな比較がされ、それに疑問が持たれない理由はおそらく3つほどある。
ふたつめはDOTA系の割りとガチっぽいゲームが人気になりすぎてAwesomenautsやぽっちゃり☆プリンセスのようなゲームの存在感が希薄になってしまっていること。
そして何より日本ではMOBAがさっぱり認知されていないことだろう。
https://twitter.com/search?q=lang%3Aen%20splatoon%20moba&src=typd
twitterで検索してみると海外ではSplatoonがMOBAだと普通に認識している人がいることが確認できる。(多くはないけど。)
もちろんそんな前例のことなどどうでもよいし、存分に盛り上がりSplatoonがよく売れ楽しむ人が増えれば、何も言うことはない。
ただ心配なのは、開発者自身も単に新しいTPS/FPSという見方でSplatoonを作っていやしないか、ということである。
気になるのは上記の記事には操作が複雑というのが既存のTPS/FPSの問題としてあげられているが、現状のSplatoonで要求される移動しながらの極めて頻繁なカメラ移動というのは相当に難易度が高いのでは、ということ。
塗りつぶし面積で勝敗を競うよりは、既存のMOBA通り相手陣地の奥深くにあるコアを塗りつぶせば勝利というゲームに変更して、インクは自分の進行通路上に塗ればいいようにし、味方への高速移動はインクがそこまで途切れず繋がっていれば可能にすればいいだろう。そうすればがたがた画面を揺らしてプレイすることは少なくなり、細い道でもインクを塗ることに価値がでるような戦略性も広がるだろう。
その上でMOBAのなかなか決着がつかず勝負が長引きがちであることを解消するために制限時間一杯まで決着がつかなければインクの面積で勝敗をつけることにすればいい。
またMOBAでは相手陣地までの間に何箇所か関所があるのが普通だけれど、このゲームならタンクにインクを発射して満タンになれば関所が開く、みたいなことにすればいい感じにおさまる。
ついでに相手陣地の近くまでいくと相手に塗り替えられることのなく、必ず自分色に染められる壁なんかを用意すれば、時間制限ありでも相手陣地まである程度無理して攻め込もうとする理由も出てくる。
どうにも普通のMOBAに比べると基本床にインクを塗るだけというのは単調すぎるのではないかと思ってしまう。
開発者がもちろんここに書いてあるようなことは考慮した上で陣取りゲームにしてるのなら全くもって余計なお世話なのだけれど、
日本でこれほどSplatoonを単純にTPS/FPSと比較して論じて終わりにしている人が多いのを見ると、開発者も同じなのでは、と思ってしまう。