はてなキーワード: 奇跡とは
そろそろ30後半になる彼女いない歴=年齢、実家住まい、手取りも15万の底辺も底辺。
20代少し働いて、その後8年ほどニートやって、無資格でこの仕事に就いた。
なんだかんだで履歴書に自信持って書けるぐらいには続いてる。
資格もいくつか取ったし、無職になってもとりあえずなんとかなりそう。
仕事もめちゃくちゃ楽だし、人間関係の問題もあるっちゃあるけど、俺は関係ないし居心地もいい。
というか、これほどの天国を一度味わってしまうと、もう絶対に普通の仕事には就きたくない。
たしかに底辺だし、ぶっちゃけ会社の福祉も怪しいんだけど、それを差し引いてもこの環境は宝だと思う。
これほど心穏やかな人生を過ごせていること自体が奇跡にしか思えなくて、満足してしまっている。
病院とか商業施設とかは大変らしいけど、良い現場に当たると天国だぞ。
これは一介の腐女子のラブレター兼迷走日記なので、暇な人だけ読んでほしい。
約10年前に女性向けとして爆発的に流行ったジャンルがあり、私は当時リアルタイムでその作品を追っていた。
この間久々にその作品を思い出し、再履修に至った。今でもコンテンツが続いてることをこの時知ったのだが、当時の推しキャラは今も変わらず可愛かった。
何となくpixivで、当時は特に好きでもなかったABというCPの小説に手を出した。
そこに、神様はひっそりと在らせられた。
小説の投稿数は10ほど。ほとんどがABのカップリングで、そのジャンルのために作られたアカウントなのだと分かった。
人を選ぶ描写や価値観も含まれているため、ブクマ数はまちまちといった感じだが…文章のレベルの高さからかなり読まれているようだった。
文体は…目の前にそのものの形が浮かんでいるのかと疑うほどリアルで、それでいて詩的であまりにも美しい。二次小説にしては珍しい、少し古めかしい言葉遣いが含まれているのがまたそそられる。言葉ひとつひとつにキャラクターに対する愛とリスペクトがあり、愛しさに胸が苦しくなる。
(文章からなんとなく夢野久作を思い出したが似てないかもしれない)
作品の説明欄のコメントが、本文の丁寧さとはギャップを感じさせる可愛らしさなのもまたよかった。(ABちゃんマイスイート十字架絵文字…みたいな感じだ)
ひとつ目を通しただけではその多大な魅力に気づかなかった。
ふぅん、読みやすいな。他のも読んでみようかな。程度の気持ちだった。
これが、もう、ふたつみっつ読むと、目が字の羅列を追いかけるのを止められない。一つ読み終わるたびにベッドに突っ伏し、もうだめだ…と呟いてしまう。そして放り出したスマホを手に取り、無意識のうちに次の作品のURLをタップするのだ。
麻薬が如し、神様が織りなす二人の生活を、営みを摂取することをやめられない。
とんでもない人を見つけてしまった、と私の心臓は破裂しそうなくらい暴れていた。
ジャンルを超えても追いかけたい、この活字と共に生きこの活字と共に死にたいという最早恋する乙女になってしまい、どうにも止まらない。暴走機関車だ。
こんな気持ちは初めてで、pixivに投稿した絵がブクマ万超えした時もこれほど気持ちが高揚したことはなかったと思う(これは少し自慢も入っている、申し訳ないがこれ以上の喩えが思いつかない)
しかしだ。
そしてやはりというか…プロフィールにはTwitterのIDの記載はなく、作品の説明に「壁打ち垢作りました」と載せられていたIDは既に消滅していて、他の人がそのIDで取得し直したようだった。
焦った。
当然pixivに記載された御名前でTwitter検索したり、ABと併せて検索したり、ググったりしたが全くヒットしない。
作品欄には同人誌のサンプルなどもなかったため、他の御名前やサークル名から攻めるという選択肢も消えた。
この神様が、愛情を注いで作り上げたABがひっそりとpixivに横たわっているという事実だけが残った。
垢分けとは、こういうことなのだ。
私は泣いた。
こんなにも他人の心を衝動的に情熱的に動かすような字を書けるのだ、恐らく他のジャンルでも活動をしているか、もしくはしていただろう。
でも、確かなことは分からない。
Twitterの140字という短さでもいいのです。
春の訪れを告げる紋白蝶のように清く柔らかくそれでいて色気のある、小さな奇跡に再会したい。
攻と受の、狂おしいほどの慈しみ深い愛をもう一度あなたの文章で拝見したいのです。
けれどどうすればその願いが叶うのか、本当にわからない。
pixivのメッセージに突撃すべきなのだろうか。「あなたの文章が好きなのですが、今現在何か創作活動のアカウントなどはお持ちですか?是非フォローしたいです。」
悲しい。
以下雑語りです
https://bunshun.jp/articles/-/45917
一市民として悲憤慷慨を隠し得ない
駅周り30分ぐらい適当に歩いてあとはWikipediaの雑引用、かの文春の記者がやることですか?
だいたい駅の話から市の話に自動的にすり替わってるのおかしいだろ お前がやってること、山手線の内側を"ナゾの激坂地域"とか書いて結局目黒駅周辺の話しかしないのと一緒 わかる?
それに自由民権運動の話するならちゃんと自由民権資料館に行って話聞いて来いよ
※自由民権資料館 鶴川駅から徒歩25分。民権運動をテーマにした資料館はここと高知県の自由民権記念館だけ。和風な造りの本館は、民権志士が残した武芸道場を保護・改装したものだ。
文章を順を追って殴りますが、まずね、境川の話が「都県境」で終わるのがもったいなさすぎるんですが…
後々神奈川ネタ出すなら、かつて武蔵国と相模国の国境線が境川だったってところまでやるべきやろ
あとは
(・中世では現多摩市との境界が武相国境であるような認識があったが、太閤検地の際に完璧に河川が国境線になった)
(・検地以前は境でなかったので高座川と呼ばれていた)
までの情報があった方が良かった
・小田急線はもともと南町田や長津田付近を通る予定だったが、地主がゴネて町田を通った
・「デッキを抜けたら地下」な小田急町田の独特の駅構造は周辺の地形に関係している 境川の流域が狭く、川に沿って坂線がある
・"ただ絹の道があったから"発展したと思うな あれは浜街道(八王子と横浜をつなぐ道)沿道でありながら鎌倉街道沿道なので、東京湾に進む人の流れと相模湾・埼玉から来た人の流れが激突することになり、一躍巨大市場になったんだ 相模湾で捕れた魚を乾かしながら町田まで歩いた商人もいて、駅前に乾物屋が多いことのルーツはここにあるらしい(富沢商店ももともと乾物屋)
・絹の道の由来について語るなら、"ただの道を絹の道にした"鑓水商人の話も欲しいし、どうでもいいですが町田市には槍溝(やりみぞ)という希少苗字が残っています
あと民権運動や水源問題は町田が神奈川になった理由の本質じゃないだろ
多摩川・荒川流域じゃあないんだよ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
町田市以北の多摩地域のほぼ全域は多摩川流域(八王子、青梅、三鷹等)か荒川流域(東村山、清瀬、武蔵野等)に属します ところが町田市が擁する水系は境川・鶴見川の2系で、多摩川水系の河川はほとんど通っていません おかしいだろ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!流域ごとに郡や地域を区切るなら町田は横浜市や相模原市の一部になって然るべきだろ
多摩川欲しさに東京府が三多摩を合併したのは事実ですが、併合してもなんもいいことない現町田市の地域1町4村まで神奈川県を追い出されたのは"多摩郡に属していたから"ですよ
②武蔵国である現横浜・川崎両市がなんか都心と分離され、神奈川県の枢軸になってしまった
インターネットは③を一生擦ってるってことにはよ気付け
※解説
①https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12203290882 ヤバイなこの回答者、郡史ガチ勢?これを見るに武蔵府中との結びつきって相当強かったんだな でも鶴川以東には国府の権力が及ばなかったのもなんか不思議ー
②https://togetter.com/li/1285652 と https://www.customs.go.jp/yokohama/history/hatten.pdf 神奈川県の成立理由はマジでごちゃごちゃしていて最悪だが、"なんかメッチャ白人(しろんちゅ)がいる嫌な場所"と"俺らの住まい"とをひっぺがしたかったという趣旨
中世のころ、武蔵府中から丘陵の壁を超えて「多摩」の使命を言いつけられたことに始まり→時は流れて近代、なんか横須賀にゲェジンが来たせいで江戸っぽくないところを別県にせざるを得なくなり→水源問題で都心と神奈川が大モメかました挙句過激派活動家が大暴れして「多摩(笑)」一帯が神奈川県を追い出された
もし武蔵国府が調布のあたりにできて鎌倉街道が東にずれていたら、もしペリーが江の島に来航していたら、町田はこんな「仲間外れの市」にはならず、"茅崎県"県央の凡庸な自治体になっていたかもしれないし、はたまた鶴見市や都筑市という巨大な自治体に包摂されていたかもしれないのだ
そしてその世界線でも、ろくでもないライターが「"ナゾの途中駅"本町田駅」とか書いちゃうだろうが、 でもその記事はここの日本ほど多くのpvを稼がず、トレンドにも載らずひっそりと埋もれていくんじゃなかろうか
だから答えるよ
未だに何もわからない
飽きたんだよ
お前らが同じ話ばっかりして肝心な要点を見過ごしてるから不快なんだってば
それにステレオタイプで地域を語るのは地域差別となんも変わらんだろ
(前に町田関連のネタツイを自称リベラルに共感RTされたことがあったけどすごい嫌だった いかなる差別にも屈しないなら町田は東京都って言えよ、民主政治が大好きなら民権運動によって東京都に移管された街に最大限の敬意を払ってくれよと思った)
本当に町田が好きなんだったら、インターネット雑語りをやめて、今日から町田にちゃんと向き合え
ネタで町田を神奈川扱いするならテコンダー朴みたいに歴史的経緯を全部踏まえてやれ 憶測で物事を語るな
あと神奈川県に接する駅といえば町田駅だけじゃなくてつくし野駅も鶴川駅もそうです
にしてもこのブロガァーみてぇーなライタァーは駅前で何を見たんだ?日本初の車いす用バスを見たか?町田街道の向こうに佇む広大な谷戸(注)を見たか?谷底の美術館の収蔵品を調べたか?ジョルナのエレベーターのボタンを押したのか?何もしてない
これをポジティブにとらえると、読者にもっと町田の魅力を探させる余地を与えてくれたってことになる
だからどうか、ここから先はスマホの前のみんなに、町田駅や"町田市"を回ってほしい
限界逆張り地理オタク御用達・源流と坂と県境のテーマパークとして、町田市は今でも多くの廃人を寄せ付けている
町田市は本当にすごい 今や小平にも及ぶブルーベリーの産地だし、南町田にはケンタッキー食べ放題店舗があるし、堂之坂公苑は誰も来ないのに水琴窟があるし、玉学には赤瀬川原平の家も残ってるし、白洲次郎の別荘で食べるオムライスはマジでうまいし、つくし野の急坂はどこまでも続くし、小野路宿里山交流館は江戸末期の旅館を改装した建物だから木造で落ち着くし、野津田の山はクソでかいし、相原にはおいしい卵屋(カトウファーム)とアイス屋(東京みるく工房ピュア)があるし、本町田には北条時行の戦った合戦場があるし、リス園の近くに井の頭公園みたいなでかい池があって夏になると隣のちっこい池でメッチャ蓮咲くし、多摩境には都内唯一のストーンサークルがあるし、大泉寺は谷戸の底にすっぽり収まった寺で春になると桜が参道に咲いてめちゃ綺麗だし、恩田川の桜はもっと綺麗で目黒川より混んでないからいい写真撮り放題だし、木曽町の地名の由来は一般通過木曽義仲
とにかく春先にあの戸場谷戸を尾根の上から見渡した時の、菜の花畑や一本立ちの桜や小さな白いトラック、別の尾根が続いている光景は言葉を失うものがあったから、一緒に行こう。
お前は町田を待ってないかもしれないけど、町田はお前をいつまでも待ってるから。
【あとがき】
https://twitter.com/pededeck/status/1246422466135617537 ←これはインターネットで見つけたわかり手
注:谷戸は谷の一種。底が平たい。上から見るとUの字になっている。海進によって土砂が堆積し、このような平底になったようだ。あきる野の横沢入や稲城の上谷戸は有名。
追記 こんなにたくさんの人々のブクマと注目を集めることができて光栄です。卒論も町田のことで書こうと思っていたので、励みになりました。町田地方史研究会のおじちゃんたちに比べたら、自分は町田について本当にニワカで、話せることも少ないけれど、精進しようと思います。
畑で収穫できるのは年に数回
年に数回ってのが誤解というかミスリード的な言い方で、下手すりゃ一か月とか収穫の時期が続きますよ。同じ作物で。
作付け面積が広いと、毎日スーパーで100円とか200円で売られてるようなやつが(例えば茄子3本とかキュウリ5本とか)、
毎日数万円分の収穫があるわけです。
そこからは各農家さんごとの方針によって変わるけど、売り上げ少なくなりがちな冬(と初春)以外はなんだかんだ収穫はあるのですよ。
うちでも茄子とか胡瓜とかトマトとかやってるけど、一日何百個の収穫ってまあ余裕です。
単純計算して一分に1個収穫するだけで実働八時間で500個行くって考えてください。
うちは畑も狭いし兼業だから式とかは出せないけど、広い農地あって、そこにリソースぶっこめたら一家で暮らしていけるぐらいには儲かる(かも)ってのは、肌感覚で思ってる。
大きい農地持ってて、野菜でやってるとことかだと、季節ごとに、収穫リソースがどれだけ必要で、そこで他の農地で手間のかからない作物育ててってのが経験則で最適化されてると思う。
逆に、作物が小麦とか米とか芋とかに統一されてる場合は、ほんとに広い農地で機械化して大規模の利点を生かしてやってるんだろなと思う。
今の日本の農業の問題点は、元増田が思いつくように、ほんとに食べていけるだけの所得があるの? ってのが微妙に見えるとこだと思う。
実際、そんなに大規模ではない非効率な農業やってる人達多いし、なんだったら年金出てるのに後継ぎ居ないから農家続けてる老人とかもいる。
もっと言えば農地だと税制的に有利だから、農家やってるフリしてる不動産貸付業のやからとか。
まあそんなこんなで農地を保持し続けるのって税制的にめっちゃ有利なシステムがあるからであり、収支的に不安視される要因でもある。
それはそうと、昨日オナクラ行ったんですけど、
当たり引いてしまったらしい。
自称(店称)18歳ってのと、どう考えても18歳ってのが一致してるのはこの時期にしか巡り合えない奇跡ではあるんですが、
性に奔放でありつつ、ちゃんとお金と自分の価値と秤にかけて考えられるこだってのとか。
どっちも欠けてはならんのよね、奔放と理性。
もちろん顔は可愛いし、話しやすいし、次の出勤は決まってないけど、予定が合えばロングで入ろうかなと思ってる。
もう顔見た瞬間にこのこ好きってなったから、本来だったらその日はお話だけして帰るつもりではあったんだけど。
律儀というか、こっちも最近そんなに通ってないから入ったコースがまあ普通にアレしてアレするコースで。
おっす。元ケンモメン、現増田のどうしようもない人生を過ごしている俺だ。
その昔、売りスレというものがあった。正確には「【速報】アニメDVD・BDの売り上げを見守るスレ」だ。スレタイの通り、アニメDVDやBDの売上を追いかけるスレだ。
このスレのおかげでアニメオタク業界にも「数字」の流れが押し寄せて、やらおんなんかにめちゃくちゃ転載されまくって界隈はボロボロになってしまった。ひどい話だ。アニメを数字でしか語れない悲しい人間が量産された。
「覇権」という言葉が広く使われるようになったのもここからだったと記憶している。ゲハかもしれん。今でこそ「その時一番面白いアニメ」みたいなふわっとした感じで使われているが、元々は「そのシーズン最も売れたアニメ」のことを「覇権アニメ」と呼んでいた。
ちょっと脱線するが「質アニメ」という言葉も当初からちょっと意味合いが変わっている。今も使われているかは知らんがある時期以降「質アニメ」というのは、まぁ、文字通り「良質なアニメ」というような意味で使われていたと思うが実は出自は違う。
売りスレでは当然、売り上げが高いアニメほど評価が高く、売り上げが低いアニメほど評価が低かった。その中で売り上げが低いアニメのファンがよく持ち出すのが「質」だった。数字は出なかったけど質はよかったから、と。そういう「売れなかったけど信者がついているタイプのアニメ」を嘲笑気味に「質アニメ」と呼び出したのが始まりだったりする。負け犬の遠吠えの類義語と思っていい。
そんな売りスレのちょうど10年前。2011年を取り上げる。個人的に思い入れがあるのは夏だ。
2011年は波乱の幕開けとなった。
2011年冬アニメ。その後のアニメ史を語るうえで絶対に外せない、歴史に名を刻むレベルの超特大の一発が界隈にぶち込まれた。しかも「当たらない」とされていた新作オリジナルアニメでだ。
座組の段階で注目しているスレ民もいた。中堅アニメの王「ひだまりスケッチ」の原作「蒼樹うめ」とニトロプラスの「虚淵玄」のタッグ。ただ、当時は「オリジナルアニメ」は当たらないという風潮があった。が、そんなものはぶち壊された。
内容のセンセーショナルさも相まって1巻はゲボほど売れた、集計期間中に80000枚弱。ちなみに2010年の売上トップが「けいおん!」の39000枚。ダブルスコアである。それでも2009年「化物語」には及ばなかったので、あっちも正真正銘のバケモノである。スレは化物語棒とまどマギ棒を持ったバーサーカー達の戦場となった。
その裏で、こっそりとウサビッチs4が40000枚以上売り上げていたり、えちえち同人誌を量産したIS<インフィニット・ストラトス>が30000枚以上売り上げていたりと一発がデカいシーズンだった。4位は「君に届けs2」の6000枚強と急激に落ち込むんだけどね。
12か月10万円の悪夢の角川マラソン、走者はゴシッカーと呼ばれ称えられたアニメ「GOSICK -ゴシック-」の放送もここ。後にBOXが発売された。僕はBOXを買いました。
2011年の春アニメ。冬アニメから始まった「新作オリジナルアニメ」の波は収まらなかった。しかも今回は2発だ。
「あの日見た花の名前を僕たちはまだ知らない」「TIGER & BUNNY」
売上としてはまどマギには遠く及ばなかったが、どちらも界隈に大きな影響を与える作品となった。どちらも30000枚以上売り上げている。普通に年間10本の指が入るレベルの売上。また、作品として非常に評価の高い「Steins;Gate」16000枚弱もこのシーズンである。これだけ売れると「質アニメ」とは呼べない。
一発一発はやや小粒だが、弾数が多いのが春シーズンだった。シュタゲの後にも「銀魂’」「青の祓魔師」「ファイアボール チャーミング」と10000枚以上が続き、「よんでますよ、アザゼルさん。(9000枚)」「花咲くいろは(8000枚)」と続く。
ラインナップが発表されたとき、みんな死んだような眼をしていた。
ギリギリ知名度があってこん棒になりそうなのが「アイドルマスター」。そして安定感があり評価がすでに固まっている「夏目友人帳 参」。それ以外はもうなんというか、小粒……という評価。そんな2011年夏アニメを制したのは
だった。1巻は24000枚。まぁ、ボチボチといった感じだった。ちなみに、その後うた☆プリはシーズン2、シーズン3の1巻を60000枚売り上げるバケモノコンテンツに育っていくのだがそれはまた別のお話。
ただ、売りスレ民は男が多いのでぜーんぜん盛り上がらなかった。というのはウソで、実は「アイドルマスター」の評価をめぐってちょっとしたいざこざがあった。
「アイドルマスター」の売上はなんとびっくり6000枚弱だった。私の売上やばすぎ!? というのも、実はアニメ「アイドルマスター」の特装版はPS3用ソフト「グラビアフォーユー!」と同梱され「ゲームソフト」として流通してしまったのだ。そして、この同梱版の扱いをどうするかで界隈はモメた。同梱版と合わせると平均して30000枚弱は売れており、十分な売上となったが、アニメ単体だと中堅程度。アイマスをこん棒として使いたい組とそうじゃない組で喧々諤々のののしりあいが続いた。だが何の結論も出なかった。そりゃそうだ。アホらしい。
ちなみにこの夏の2位は「夏目友人帳 参」の10000枚。安定感がある。そして10000枚を超えたのはこの2作だけになる。3位につけたのは「ゆるゆり」8000枚程度。4位「ロウきゅーぶ」6000枚。萌え豚。不作である。ひどい。飢饉だ。
「猫神やおよろず」「神様のメモ帳」「神様ドォルズ」という、タイトルに「神」がつくアニメが3作同時に放送されたのだ。そして、どれも、いかにも「売れなさそう」だった。
秋の新作発表まで大した盛り上がりもないまま、3爆神は出してもスレが荒れないマスコットのように静かに擦られ続けた。そして売り上げは爆死した。普通に爆死した。
その後、なにかにつけて3〇〇とか4〇〇とかつけたがったか定着はしなかった。奇跡のユニットだった。俺は全部嫌いじゃなかったよ。全部リアタイで完走して、猫神は円盤買いました(半ギレ)
2011年秋。
注目は信者の声が大きいで有名なFateシリーズの新作「Fate/Zero」。同じく強い信者力をもつ「Persona 4 the ANIMATION」。オリジナルアニメカムバックの「ギルティクラウン」、PVはめちゃくちゃよかった。
ただし、「Fate/Zero」には懸念があった、制作スタジオ「ufotable」である。当時の「ufotable」はクオリティは高いが売れない、というのが一般的な評価だった。
結果は「Fate/Zero」が50000枚強売上て圧勝。年間2位につけた。ふつーにめっちゃ売れた。あ、みんな知ってると思うけど、2019年に「ufotable」は「鬼滅の刃」を作ります。
「Persona 4 the ANIMATION」も30000枚以上を売り上げ地力を見せつけた。続いて評価の高い「境界線上のホライゾン」が20000枚以上、人気シリーズのシーズン2となる「WORKING'!!」が12000枚ちょい、当時最強ラノベと名高かった「僕は友達が少ない」が10000枚ちょい、前評判は高かった「ギルティクラウン」は8000枚売れなかった。
まどマギ、あの花、タイバニ、Fate/Zeroと話題性、売り上げともに強力なラインナップ―しかもすべて新作の―が揃った一年だった。しかもオリジナルが3作。後に人気シリーズ化していったり映画化する作品も多かった。鮮烈なシーズンだった。
2011年の周辺でも2009年には「化物語」が生まれ、2010年には「けいおん!」、2012年には「ソードアートオンライン」「ガールズアンドパンツァー」が生まれている。俺にとっての黄金期だ。
思い返してみればあの頃が一番真剣にアニメを見ていたと思う。スレでは「売れないアニメに人権なんかねーよ」などといいながらも、そんなに売れなかったアニメも楽しんで見ていた。ヴィクトリカちゃんかわいいよ。スレ民が思ったより円盤を買うから俺も結構買っていた。
その後売りスレは数字叩きが苛烈化し、売り上げの数字は基本オリコンから勝手に獲っていたのだが声がでかくなりすぎた結果、オリコンを怒らせ規制を食らったり、まとめサイトからの流入が多くなり(まぁ2011年時点でも普通に地獄絵図だったが)収拾がつかなくなったりして勢いが少しずつ薄れていった。俺も昔ほど張り付かなくなり、いつの間にか見なくなった。
今ではそこまで真剣にアニメを見なくなったし、サブスクでのストリーミング配信の普及もあって円盤もほとんど買わなくなった。少し寂しい気持ちはある。
これは一介の腐女子のラブレター兼迷走日記なので、暇な人だけ読んでほしい。
約10年前に女性向けとして爆発的に流行ったジャンルがあり、私は当時リアルタイムでその作品を追っていた。
この間久々にその作品を思い出し、再履修に至った。今でもコンテンツが続いてることをこの時知ったのだが、当時の推しキャラは今も変わらず可愛かった。
何となくpixivで、当時は特に好きでもなかったABというCPの小説に手を出した。
そこに、神様はひっそりと在らせられた。
小説の投稿数は10ほど。ほとんどがABのカップリングで、そのジャンルのために作られたアカウントなのだと分かった。
人を選ぶ描写や価値観も含まれているため、ブクマ数はまちまちといった感じだが…文章のレベルの高さからかなり読まれているようだった。
文体は…目の前にそのものの形が浮かんでいるのかと疑うほどリアルで、それでいて詩的であまりにも美しい。二次小説にしては珍しい、少し古めかしい言葉遣いが含まれているのがまたそそられる。言葉ひとつひとつにキャラクターに対する愛とリスペクトがあり、愛しさに胸が苦しくなる。
(文章からなんとなく夢野久作を思い出したが似てないかもしれない)
作品の説明欄のコメントが、本文の丁寧さとはギャップを感じさせる可愛らしさなのもまたよかった。(ABちゃんマイスイート十字架絵文字…みたいな感じだ)
ひとつ目を通しただけではその多大な魅力に気づかなかった。
ふぅん、読みやすいな。他のも読んでみようかな。程度の気持ちだった。
これが、もう、ふたつみっつ読むと、目が字の羅列を追いかけるのを止められない。一つ読み終わるたびにベッドに突っ伏し、もうだめだ…と呟いてしまう。そして放り出したスマホを手に取り、無意識のうちに次の作品のURLをタップするのだ。
麻薬が如し、神様が織りなす二人の生活を、営みを摂取することをやめられない。
とんでもない人を見つけてしまった、と私の心臓は破裂しそうなくらい暴れていた。
ジャンルを超えても追いかけたい、この活字と共に生きこの活字と共に死にたいという最早恋する乙女になってしまい、どうにも止まらない。暴走機関車だ。
こんな気持ちは初めてで、pixivに投稿した絵がブクマ万超えした時もこれほど気持ちが高揚したことはなかったと思う(これは少し自慢も入っている、申し訳ないがこれ以上の喩えが思いつかない)
しかしだ。
そしてやはりというか…プロフィールにはTwitterのIDの記載はなく、作品の説明に「壁打ち垢作りました」と載せられていたIDは既に消滅していて、他の人がそのIDで取得し直したようだった。
焦った。
当然pixivに記載された御名前でTwitter検索したり、ABと併せて検索したり、ググったりしたが全くヒットしない。
作品欄には同人誌のサンプルなどもなかったため、他の御名前やサークル名から攻めるという選択肢も消えた。
この神様が、愛情を注いで作り上げたABがひっそりとpixivに横たわっているという事実だけが残った。
垢分けとは、こういうことなのだ。
私は泣いた。
こんなにも他人の心を衝動的に情熱的に動かすような字を書けるのだ、恐らく他のジャンルでも活動をしているか、もしくはしていただろう。
でも、確かなことは分からない。
Twitterの140字という短さでもいいのです。
春の訪れを告げる紋白蝶のように清く柔らかくそれでいて色気のある、小さな奇跡に再会したい。
攻と受の、狂おしいほどの慈しみ深い愛をもう一度あなたの文章で拝見したいのです。
けれどどうすればその願いが叶うのか、本当にわからない。
pixivのメッセージに突撃すべきなのだろうか。「あなたの文章が好きなのですが、今現在何か創作活動のアカウントなどはお持ちですか?是非フォローしたいです。」
悲しい。
兄貴三人はいまだ独身(長男のみバツイチ)、うちの子供は女の子二人。
500年続いた家系も我らの代で潰える可能性がでてきたことが悲しい。
せめて中身がまともなら良かったが、スペックも
すると彼ら彼女らはどういう行動を取るか。
くっつけようとするのである。
思ってるか聞いてあげよっか?」
「今キモメンさんと喋ってたね!お似合い♪」
甘酸っぱい何かに仕立ててこようとする。
もうすごい勢いで推してくる。
今ならイケますかね?」とか言い始めたらしい。
そして決定的な出来事が起こった。
と誘われた。お店は決めてるからね!とも。
おらず、いたのはキモメンさんだけだった。
若干困惑気味だ。
さて、お分かり頂けましたか?
とりあえず当たり障りのない話をして
込み入った話にならず良かった)、
このままだとカップルにさせられる。
キモメンさんをくっつけたいのではない。
ブサイクがポッとするところが見たい。
見ながら次の展開を待っている。
休んだ日、増田は布団の中でぐるぐる考えた。
このままだと間違いなくくっつけられる。
大げさに進捗を報告した。
どんな人にいいねしたらお返事かえってきました
零細企業なので、全員にと言っても過言ではない
くらい言いまくった。
収まってきた。まあこれだけ「こういう人が
よくて、こういう人に接近中で、こういう人に
接近されてます!」と具体的に言ってる姿を
足りなくなったのかもしれない。
なんにせよ増田は辞めずに済み、
キモメンさんともくっつかずに済んだ。
築くことが出来たのかもしれない。
でも当時の恐怖は凄まじいものだったので
死んで欲しいし、たまに思い出すたびやっぱり
したのだった。長々とすみませんでした。
↓ 2つの金特回復は最低条件。ただし無凸クリークやスピードSSRスペシャルウィークを使うとステータス不足は必至
スピード1200スタミナ1200の壁
↓ 大部分の無課金微課金はここで脱落。超絶上振れによってたまに達成可能
長距離S芝Sの壁
↓ 完全な運。ここまでを上振れに頼っているほど適性ガチャを回せる回数が減る
グレードA優勝の可能性
オグリ・ゴルシ・クリークなどの金特回復自前勢を使おうにも1枠は金特回復用のわざマシンが必要。
その場合の選択肢は「完凸クリークを借りて完凸キタサンを諦める」「無凸クリークや無凸ウオッカを入れる」「スピSSRスペやSSRマックといった配布SSRを入れる」になるわけだが、その場合完凸SSRを自由に選べる重課金との戦力差は明らかとなる。
カード性能の差を乗り越えてスピスタ1200にたどり着いても、それは何十回も育成してようやく産まれる奇跡の1体なので、それにたまたま芝S長距離Sがついてる可能性は天文学的だ。
前回であればスピ1200中距離Sまで達成できてれば良かったけど、今回は距離が長すぎるのでスタミナ1200芝Sも要求される。
根性も前回はスタミナ次第では300あれば十分みたいなところはあったが、今回はキッチリ400まで乗せておきたい。
と思う無課金も少なくないはずなので、今回はグレードを諦めてオープンで出るプレイヤーが続出するだろう。
前回までであれば、スピ1200を達成してないようなのやスタミナがC+の連中もゴロゴロしていたが、今回はそういう層はオープンリーグに行く。
歯に衣着せぬ言い方をすれば、前回までグレードでよちよちしてくれたカモが一通り消えるということ。
前回の勝率が50%ぐらいの人は今回の3200では勝率20%ぐらいまで落ちると覚悟したほうがいい。
ゆうて今回のオープンはステータスの調整がカツカツってレベルじゃねーので芝S長距離Sガチャの重要性が高まりますます魔境である。
高一、高二の時は部活が忙しいことを言い訳にして、本当は自堕落な生活のせいだけど、勉強をサボっていた。親にそんな自堕落な生活をしているのに京大志望なんて鼻で笑われるよって言われて、自堕落な生活をやめたくなかったから、京大志望って書くのをやめた。地元の某旧帝大に志望を変えた。でも、本当は京大の総人が大好きで、総人に行きたいと通奏低音のように思っていた。高三になったら京大に志望を戻して、死ぬ気で頑張ればなんとかなるのではなんてアホなこと考えて、自堕落な生活を続行した。
高三になって、自堕落な生活を抜け出すのは無理だった。染み付いた自堕落はどう足掻いても抜け出せない。土日の勉強時間なんて最低0時間、最高六時間、平均5時間だった。平日は塾で自習してたけど、毎日1~2時間ぐらいは寝てた。模試の判定は某旧帝大でCかDしか取らなかった。京大は怖くて一度も書かなかった。
共通テストは直前にやり込んだらなんとかなった。2番目に行きたかった学科のボーダーギリギリを掠めた。だから、一番行きたかった学科は諦めて第一志望を2番目に行きたい学科にした。そのあとは関西の某私立受けたら落ちてて、そこから二週間ぐらいはそこそこ本気で勉強した。
入試当日、今までの自堕落な受験勉強に自信が持てなくて、会場までずっと泣きそうだった。仮想的な自信を頑張って想像したり、駅名から下ネタを考えたりして慰めた。会場についてからも、ただひたすら大学に大して、●大様、愛しています、どうか受からせてくださいとずっと祈っていた。幸い、入試問題は自分の得意科目が難しくて、苦手科目が簡単だった。
発表までの期間は何もできなかった。後期の勉強に手がつかなくて、小説書いたりしてた。
合格発表の日、受かるかどうかは五分五分だと思っていた。浪人になる未来が怖すぎて震えていた。
合格の文字を見たときは信じられなかった。浪人しなくてよくて、高い私立に行かなくて済んでホッとした。同時に、合格を大して喜んでいない自分の存在にも気づいていた。
奇跡の合格だと思った。大学生活頑張らないと、流石にバチが当たると思った。
大学に入学して二ヶ月経った。頑張ろうとは思うけど、頑張るとはどういうことなのか、わからない。授業もサークルもバイトも新しいことはひと段落したから、できつつあるルーティーンをこなすだけになっている。このままでは本当に神様的な何かに申し訳が立たない。この四年間頑張らないと、そのさきの人生の生きる意味を無くす気がする。このまま頑張らずに生きるんだったら、死んだ方がマシなような気がする。
こんなことを考えていると、段々と通奏低音が大きくなってくる。総人を目指して本気で勉強していたら、第一志望の学科に入れるほどに勉強していたら、人生はもっと変わっていたのではないか、自分はもっと成長していたのではないか。そうやって過去のイフにしがみついて現実から目を逸らそうとしてしまう。
漫画家は週刊ペースってもんがどうしてもついてまわるので、加齢に従ってペース配分が若い頃と同等にはゆかなくなる。
アシスタントの代替わりや高齢化にも問題があるし、漫画家自身の慣れによって作画が雑になる側面も多くあると思う。
ちなみに秋本治に限って言えば、ギャグ漫画が長すぎたせいでもともと描いていた劇画の調子が出せなくなって、登場人物の顔が全部ギャグになってしまってるところがだいぶ良くない。また、いま時点でずっとやりたがってた劇画ウェスタンなんて今やっても時代錯誤すぎて誰も見ないという。正直あれは集英社の介護・忖度だと思う。功績はかかりしれんし。荒木が歳食っても常に今を描こうとしていことが逆に奇跡的なんだろうね。
またお前か、って思われるだろうけど、滅多に増田に書かないから許して。
私が言ったんじゃないのです。ネットで情報を拾い集めている最中に、私でない反ホロコースト否定論ぽい意見を見つけて、その人が言ってたのです。その人曰く、いろんな証拠を示しても、例えば「イェーガー報告書」というリトアニアでのユダヤ人虐殺を報告する文書があるのですけど、あるネット否定派はこう言ったそうです、「そんなものタイプライターがあれば捏造できる」って。
イェーガー報告書って、旧ソ連が持ってたのですけど何故か、ニュルンベルク裁判には提出されなかった証拠でして、1963年になって初めてドイツに公開されたものなのです。なぜそんなに遅くになって? というのは、詳細は知りませんけど、一説によれば旧ソ連って特にスターリン時代がそうなんですけど、「ユダヤ人が虐殺された」って主張するのを嫌がったのです(なのでアウシュヴィッツ博物館の犠牲者数400万人を刻んでいた石碑には、ユダヤ人とは一言も書いていませんでした。現在の石碑は冷戦後に修正されて150万人(ユダヤ人犠牲者数は110万人)になっています)。イェーガー報告書はまさにそのユダヤ人を集中的に殺戮して、「ユダヤ人をもっと殺したかった」のようなことまで書いてある報告書なので、旧ソはあまり出したくなかったのではないかと。そうした出自を考えれば、捏造される事はあり得ないのですが、否定論者にとっては非常にまずい報告書なので、どうにかして捏造ということにしたいわけです。
しかし、いくら何でも「タイプライターがあれば捏造できる」とか、めちゃくちゃにも程があります。そんなこと言い出したら、世に存在するありとあらゆる文書は捏造の可能性があり信用出来ない、とまで言えてしまいます。これでは、デカルトが方法的懐疑でやった「悪魔に騙されているかもしれない」レベルにまで至ってしまい、議論にすらなりません。
ネットで話題の「陰謀論チャート」を徹底解説&日本語訳してみた | ハーバー・ビジネス・オンライン
「我々は(陰謀組織に)騙されている」のようなのが陰謀論の一つの特徴ですので、ホロコーストの場合は連合国であるとかユダヤ人であるとかですから、十分すぎる程陰謀論です。ちなみにですけど、よくある「でも600万人は多すぎだろ、絶対盛ってるに違いない」と言った主張も陰謀論に含まれます。何故なら、600万人説は純粋に調査組織や研究者たちが独立して調査した値で、それら値が概ね同じになってるだけだからです。これも素人なりに調べているとわかります。大体で少なくとも500万人以上はユダヤ人犠牲者がいないと計算が合いません。何れにしても、「盛ってる」ならば、そうした研究を裏で操っている(私もか?w)人がいるという示唆なのですから、結局それも陰謀論になってしまいます。「盛ってる」的批判は戦後割とすぐぐらいから予測済みだったようで、ジェラルド・ライトリンガーという1950年代の研究者は、可能な限り低く見積もって450万人程度のユダヤ人犠牲者数を主張しました。
ともかく、ホロコーストには裁判でも膨大な証言もありますし証拠文書なども提出されてますし、裁判以外でも同様に証言・証拠などもあるので、それらを全部否定しないことにはホロコースト否定は成り立たず、結局、陰謀に見立てなければならなくなります。そうするととんでもない話になっていきます。
これの例を挙げると本当にキリがないのですが、例えば、ユダヤ人世界人口の推移を見ると少しわかります。
1880 7,800,000
1914 13,500,000
1922 14,400,000
1925 14,800,000
1931 15,700,000
1939 16,728,000
1945 11,000,000
1948 11,500,000
1950 11,297,000
1955 11,800,000
1960 12,079,000
1970 12,585,000
1980 12,819,000
1990 12,868,000
2000 13,150,000
2010 13,854,000
2018 14,606,000
2019 14,707,400
Vital Statistics: Jewish Population of the World
ホロコースト否定論者によれば、ホロコーストの600万人ユダヤ人虐殺は起きていないので、今もなおこのユダヤ人世界人口は捏造されているという話になってしまいます。確かに、この値は研究者によって調整されたものであり、1945年などは特に終戦年でもあってセンサスデータなどありませんから戦前の値からユダヤ人消失数の推定値である約600万人程度を差し引いて、切りのいい1100万人にしている可能性がありますが、1947年くらいからはセンサスが始まっており、それらの調査データを用いていると考えられるので、このように2019年に至っても戦前人口を回復していないのであれば、延々と捏造がなされていることになってしまいます(グラフ化すると何を言っているのか一目瞭然です)。
戦前の値は、戦前の書籍などに記述があるため、ホロコーストが起きていない時期の人口数は捏造のしようがありません。さらに実際には、ユダヤ人世界人口は細かい国や地域ごとの値を積算したものであり、ユダヤ人世界人口を捏造しようとするとそれら細かなデータの整合性を取る必要があり、不自然な人口推移にならないようにしなければなりません。例えば、アメリカユダヤ人人口が戦後に一気に500万人減るなどという事は不自然過ぎてあってはならないわけです。しかも、ユダヤ人人口の細かな数値は、各地のシナゴーグやあるいは役所が持っていたりするので、それらの辻褄さえ合わせなければならなくなり、はっきり言って人口数値合わせの陰謀だけで気が遠くなります。
なお、古くは一部のリビジョニストが「ユダヤ人はソ連に囚われている!」とバビロン捕囚のように言っていたようですが、冷戦が終わってもそれらユダヤ人は全く現れませんでしたので、残る主張は「ソ連が殺したんだ!」となりますが、もちろんそんなの何の証拠もありません。付け加えると、もし仮にそうした主張の通りにソ連がユダヤ人を隠していたのなら、「ユダヤ人を隠していた」のですからそもそも人口数値は捏造されておらず、発表されてきた人口数値は普通に合っていたことになります。ちなみにソ連に普通に住んでいたユダヤ人は戦後にどんどんイスラエルに移住が進んだのは周知の事実であり、人口推移的にも完全に裏付けられていて不自然な点は全くありません。
ホロコースト否定派の大難問:一体ユダヤ人はどこに行ってしまったのか?|蜻蛉|note
こうした証拠がらみの荒唐無稽な捏造話もあれば、どうでもいいようなところにまで捏造は行き渡っています。例えば、私は『アウシュヴィッツの子供たち』という本を持ってますが、これはアウシュヴィッツを奇跡的に生き抜いて生存者となった何人かの子供の足跡を追って本人にインタビューするなどしてまとめた本ですが、ごく普通に「ガス室」の話が書いてあります。子供たちだった人たちは普通に色々な形でガス室の話をするのです。ホロコーストに関連する本を出版する際には、ユダヤ人陰謀組織のチェックを経て「ありもしないガス室の話」を記述するように変更を迫られるのでしょうか?
あるいはまた、戦時中に、アウシュヴィッツ司令官だったルドルフ・ヘスを告発したある文書があるのですが、ルドルフ・ヘスが囚人の女性の一人を愛人として収容所内に囲っていた、というものでその話は非常に下衆なのですけど、それはさておき、その文書の中にたった一箇所だけ「ガス室」の話がサラッとフツーに出てくるのです。その囚人の女性が他の囚人と混ぜられてガス室送りにされそうになった、という話なのですけど、別にガス室を証明する証拠資料でもなんでもありません。そんな細かいところにまで陰謀組織は目が行き届いているのでしょうか?
アウシュヴィッツの様々な議論(18):ルドルフ・ヘスの不倫・愛人問題と戦時中に書かれた「ガス室」。|蜻蛉|note
あと、今思い出したのですけど、ニュルンベルク裁判以降も、ナチス犯罪関連裁判は近年まで数多く行われておりますが、ガス室を否定した証言者や被告は一人もいないのです。「知らない」と言った人はそこそこいますが、「ガス室などなかった」と言った人は本当に一人もいません。例えば1960年代に当時の西ドイツで行われたフランクフルト・アウシュヴィッツ裁判がありますが、250名以上の証言者や被告が出席して、ガス室を否定した人はゼロなのです。99%が伝聞ないしは直接目撃者として肯定的に証言しており、残りが「知らない」だけなのです。これも、否定論者によれば陰謀だと思いますので、多分全員が脅迫されているか金もらってるかだと思われます。もちろん積極的に証言した人たちの話が辻褄が合うようにきちっと細かくサポートされているでしょう。そしてそうした陰謀者の働きが暴露されたことはこれまでないので、陰謀組織は素晴らしい働きをしていることになります。一体それどんな凄腕陰謀組織???
アウシュヴィッツのガス処刑を否定した人は当時の関係者にいるのか?|蜻蛉|note
というわけでホロコースト否定論者のいう通りであるならば、こんな荒唐無稽な陰謀話が数限りなくあることになってしまうわけです。否定論者にとっては600万人虐殺や、ガス室は絶対になかったことと決まっているので、それらの全てについてこうした荒唐無稽な陰謀を蔓延らさなければなりません。しかし、ホロコースト否定論者はその荒唐無稽さを言い立てることはありません。陰謀だから全ては可能!なのでしょう。
えー、例外なく、陰謀論者でした。出会った全員に確認したわけではありませんが、確認が取れた人は全員、反ワクチン派、または、9.11テロは陰謀、または、例の大統領選は不正なのだそうです(どれか二つ以上です)。流石にフラットアース信者はいませんでしたが。
で、それ以外の特徴としては、その全員が、非常に自意識過剰というか、尊大な態度を取られました。どう考えても、自分でこう言っちゃなんですけど、明らかにホロコースト関連議論では私の方がはるかに知識が豊富なのは明らかなのに、私をバカ扱いするのです。もちろん私の妄想が入ってるとは思いますが、どう考えても、ディスプレイの向こう側でニヤついている否定者の顔しか思い浮かびませんでした。ある人は、コロナワクチンについて「君はあんなの打つ気なのか? バカじゃないの?」とまで言い放ちました。打つ・打たないがその人の価値を決めるわけではないと思いますが、私は正直内心で「じゃぁさっさとコロナに罹って治療も受けずに死ねばいいのに」とまで思ってしまいました。その人は例外的かもしれませんけど、あの陰謀論者の独特な上から目線は、他のタイプの論争議論では見られないものです。昔ですけど、ある有名な新興宗教の信者とやり合った経験がありますけど、それと似ています。どうやら彼ら・彼女らにとって「陰謀」こそ宗教なのだと思います。彼ら・彼女らにとっては「陰謀」への揺るぎない信仰があるので、自分たちは絶対に間違っていないという確固たる自信を保てるに違いありません。
そんなホロコースト否定者さんたちは、あなたの知らない世界かも知れませんが、欧米ほどではないと思いますけど日本人にもめっっっっっっっっっちゃ多いですよ。
おっと、特徴で言い忘れてはいけない。ホロコースト否定者って「凄まじい馬鹿」であることは疑いようがありませんです、はい。増田にも何人かいる、と思われますケド。
実際そうなんです。否定ではなく普通にホロコーストそれ自体に興味を持つ人は結構いらっしゃいます。やはりそれなりに人気コンテンツ的なテーマだからでしょう。ですが、必ずと言っていいほど、例えばYouTubeにホロコースト関連動画があると、コメント欄に否定者のコメントがつきます。酷い時には大半が否定者のコメントになったりします。『否定と肯定』の予告編動画なんかがありますけど、かなり酷いですよ。Youtubeにはそうした人向けに人気を博している『ホロコースト論争』なる否定論そのものの動画チャンネルもあり、これがまた素人目には良くできてるように見えてしまうので、もしかして一定程度否定者を増やしている気配があります。内容は酷いんですよ、実際。欧米では使い古された否定論の焼き直しみたいな構成でしかなくって、オリジナリティの欠片もありません。でもYouTubeですからねぇ、信者がつくんです。ちなみに私は、いくつかコメントしましたけど、動画主にコメントブロックされてしまいましたw
ともあれ、そうした状況のコメント欄にはちらほら「否定論酷いなぁ」的コメントをする人も見かけます。Amazonプライムに『アウシュビッツ ナチスとホロコースト』ってBBC動画シリーズがあるんですけど、そこに秀逸な修正主義レビューに対する反論レビューがあって、今のところ「参考になった」数でトップを走っています。Amazonレビューであんな長いレビュー見たことないですけど、修正主義的レビューを完全に論破しているという興味深いレビューです。「参考になった」数でトップってことは、それくらい修正主義的レビューが迷惑がられてるってことだと思います。Twitterで流れてきたあるツイートには、「修正主義が完全論破されててスキッとした」というコメントさえ見たことあります。同動画のレビュー欄にも「修正主義のレビューはAmazonが責任を持って削除すべき」とレビューする人もいます。
私自身は、言論の自由が保たれている方がいいと思っているので、あっても別に構わないと思ってますけど、日本はホロコーストの情報があまりに少なすぎるのとあまり関心がないのとが合わさって、申し訳ない言い方だけど、無知な人が大半なのである程度は否定論に傾倒してもやむを得ない面もある気もします。でも、ちょっと知るだけで、ホロコーストへの懐疑がどれほど荒唐無稽なことであるかがわかるので、少しは勉強して欲しいなぁと思ってます。舐めんなよ!ホロコーストを!どんだけ膨大な情報量だと思ってんだ!どんだけ学んでも知らんことだらけじゃ!ゴルァ!ってなもんです。
せめて、中公新書の芝健介氏による『ホロコースト ナチスのユダヤ人大量虐殺の全貌』程度はパラパラめくってくれたらなぁと思います。
単純な話ですけど、陰謀って「バレないように」企てられ密かに実行されるものであるはずなのに、なんでそんなにあっさり「陰謀だー!」と発覚するんでしょうね? ・・・ああそっか、それで陰謀論者はあんなに超上から目線なんですね、「私たちこそ世界の真実を知っている優秀で選ばれた人間なのだ!」と多分思い込んでいるに違いありません。ああそうだ、9.11テロを陰謀だと言っている人に聞いたんですよ、「ビルに飛行機が衝突しただけであんな崩れ方はしない!」って仰るんで、それどこで見たんですか? って聞いたら「テレビで」って・・・。てめーら、テレビとかは陰謀の片棒担いでるマスゴミじゃなかったのかよー!w
id:daydollarbotch 「タイプライターがあれば捏造できる」に対しての「そんなこと言い出したら〜」がよく分からない。こっちの増田https://anond.hatelabo.jp/20201008002119で書いてたような何らかの文脈があるんだと思うけど
そのその増田を書いた頃より、知識は相当増えてるので、それはちょっと気恥ずかしいものがありますが、グリクシュ報告書の場合はその文書それ自体を徹底的に検証してあることを無視して「捏造」と言うのはおかしいと言う趣旨でしたが、イェーガー報告書はちょっと違います。ていうか否定者のいう捏造主張全般ですけど、この主張には大きく二つ問題があります。
高校生の頃の話。私は自分の足が嫌いだった。25.5cm。可愛い靴なんて入りやしない。Lサイズは大体24.5まで、たまに25。
そんなあるとき、どうしてもかわいい靴が履きたくて、都心にある大きいサイズの店を探し出した。数日後、たまたま母と都心に出かけたとき、そのお店のことを思い出し、「ちょっと覗いてみたい」と頼んでいってみた。たどり着いたのは、一階も二階も両方靴屋さんになっているビル。一階は、いかにも高級店という感じのキラキラ空間。デパートなどでよくある、見本を一足ずつしか店頭に並べていないお店だ。綺麗に身なりを整えた、若い女性店員が一人。二階はというと、お目当ての大きいサイズ。一階とは打って変わって、飾り気のない蛍光灯、壁の棚にぎっしり詰められた靴たち。あれは並べるというより詰めていたという方が近い。なよなよした中年男性の店員さんが隅っこにぽつんといた。
たくさん靴は並んでいたけど、私の憧れていたような可愛い靴はなかった。雑然とした店内も相まって「足のデカい女は可愛い靴なんて無理なんだ」と落胆し、帰ろうとしたその時。
「よろしければ、足、測っていきませんか」
隅っこでコケが生えるんじゃないかというくらい静かにしていた店員さんが声をかけてきた。足がデカいという現実を数字で突き付けてこようという作戦か。断ろうとしたが、「無料ですので」という言葉に気をよくした母がすっかり乗り気になってしまい、私は足を測ることになった。そうして連れてこられたのは、一階のキラキラ空間。なんと、まさかの同じお店だったのだ。あれよあれよという間に、大きい体重計のようなものに載せられた。乗るだけで、足の大きさ、幅、重心など、ありとあらゆることが分かるらしい。すごいものがあるんだね、世の中には。
そうして告げられた私の足は、24.5cm。んん? 1cm足りなくね?
一階に降りてからやけに元気になった店員さんにそういわれて、私は何年も間違ったサイズの靴を履いていたことを知る。測ったら、次は靴選び。何がほしいか聞かれ、お店に行ったのが冬だったこともあり、私は「ショートブーツがほしい」と答えた。ややあってお店の奥から、女性店員さんが箱を持ってきてくれた。中に入っていたのは、足首のあたりにファーのついた、グレーのショートブーツ。
測定結果に基づいて選んでもらったので当然と言えば当然なのだが、驚くほどフィットした。ヒールだって3cmくらいのものがついているのに、その辺のスニーカーより歩きやすい。もちろんお買い上げ。14000円。高校生からすれば目の玉が飛び出るほど高額だったしそんな手持ちもなかったが、同行していた母に支払ってもらい事なきを得た。
あれから何年も経ち、奇跡のショートブートはついに合わなくなった。外反母趾にもなり、あのころとは足の形が全く変わってしまった。今は誰に履かれることもなく、靴箱で眠っている。緊急事態宣言が明けたら、またあのお店に行ってみよう。
パンプスが痛い、靴擦れするという方は、ぜひ一度足を測ってみて下さい。お値段は張るけど。