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2024-08-19

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2021-06-08

インターネットはもう町田の超絶雑語りをやるのをやめろ

以下雑語りです

https://bunshun.jp/articles/-/45917

市民として悲憤慷慨を隠し得ない

駅周り30分ぐらい適当に歩いてあとはWikipediaの雑引用、かの文春の記者がやることですか?

だいたい駅の話から市の話に自動的にすり替わってるのおかしいだろ お前がやってること、山手線の内側を"ナゾ激坂地域"とか書いて結局目黒駅周辺の話しかしないのと一緒 わかる?

それに自由民権運動の話するならちゃん自由民権資料館に行って話聞いて来いよ

自由民権資料館 鶴川駅から徒歩25分。民権運動テーマにした資料館はここと高知県自由民権記念館だけ。和風な造りの本館は、民権志士が残した武芸道場保護改装したものだ。

文章を順を追って殴りますが、まずね、境川の話が「都県境」で終わるのがもったいなさすぎるんですが…

後々神奈川ネタ出すなら、かつて武蔵国相模国国境線境川だったってところまでやるべきやろ

あとは

・河口に日本一有名な陸繋島江の島がある

(・中世では現多摩市との境界が武相国境であるような認識があったが、太閤検地の際に完璧河川国境線になった)

(・検地以前は境でなかったので高座川と呼ばれていた)

までの情報があった方が良かった

ラブホ街があるのは昔赤線だったから(市民内では割と有名)

小田急線はもともと南町田長津田付近を通る予定だったが、地主がゴネて町田を通った

・「デッキを抜けたら地下」な小田急町田の独特の駅構造は周辺の地形に関係している 境川の流域が狭く、川に沿って坂線がある

・"ただ絹の道があったから"発展したと思うな あれは浜街道(八王子横浜をつなぐ道)沿道でありながら鎌倉街道沿道なので、東京湾に進む人の流れと相模湾埼玉から来た人の流れが激突することになり、一躍巨大市場になったんだ 相模湾で捕れた魚を乾かしながら町田まで歩いた商人もいて、駅前乾物屋が多いことのルーツはここにあるらしい(富沢商店ももともと乾物屋)

・絹の道の由来について語るなら、"ただの道を絹の道にした"鑓水商人の話も欲しいし、どうでもいいですが町田市には槍溝(やりみぞ)という希少苗字が残っています

あと民権運動や水源問題町田神奈川になった理由本質じゃないだろ

多摩郡であったことだろ!!!!!!!!!

町田市は他の多摩地域と決定的に違う地域的特徴があります

多摩川荒川流域じゃあないんだよ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

町田市以北の多摩地域のほぼ全域は多摩川流域(八王子青梅三鷹等)か荒川流域(東村山清瀬武蔵野等)に属します ところが町田市が擁する水系境川鶴見川の2系で、多摩川水系河川ほとんど通っていません おかしいだろ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!流域ごとに郡や地域を区切るなら町田横浜市や相模原市の一部になって然るべきだろ

多摩川欲しさに東京府三多摩合併したのは事実ですが、併合してもなんもいいことない現町田市の地域1町4村まで神奈川県を追い出されたのは"多摩郡に属していたから"ですよ

なんで多摩郡になった理由をつつかないんですか?カス

町田神奈川扱いされるようになったプロセス

①なんか現町田市のあたりが多摩郡になってしまった

武蔵国である横浜川崎両市がなんか都心と分離され、神奈川県の枢軸になってしまった

③なんか多摩郡東京都移管された

インターネットは③を一生擦ってるってことにはよ気付け

解説

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12203290882 ヤバイなこの回答者、郡史ガチ勢?これを見るに武蔵府中との結びつきって相当強かったんだな でも鶴川以東には国府権力が及ばなかったのもなんか不思議

https://togetter.com/li/1285652https://www.customs.go.jp/yokohama/history/hatten.pdf 神奈川県の成立理由マジでちゃごちゃしていて最悪だが、"なんかメッチャ白人(しろんちゅ)がいる嫌な場所"と"俺らの住まい"とをひっぺがしたかったという趣旨

町田揶揄される地位にあるのも一種奇跡だよ

中世のころ、武蔵府中から丘陵の壁を超えて「多摩」の使命を言いつけられたことに始まり→時は流れて近代、なんか横須賀にゲェジンが来たせいで江戸っぽくないところを別県にせざるを得なくなり→水源問題都心神奈川が大モメかまし挙句過激派活動家が大暴れして「多摩(笑)」一帯が神奈川県を追い出された

絶対必然なんかじゃない

もし武蔵国府が調布のあたりにできて鎌倉街道が東にずれていたら、もしペリー江の島に来航していたら、町田はこんな「仲間外れの市」にはならず、"茅崎県"県央の凡庸自治体になっていたかもしれないし、はたまた鶴見市や都筑市という巨大な自治体包摂されていたかもしれないのだ

そしてその世界線でも、ろくでもないライターが「"ナゾの途中駅"本町田駅」とか書いちゃうだろうが、 でもその記事はここの日本ほど多くのpvを稼がず、トレンドにも載らずひっそりと埋もれていくんじゃなかろうか

から答えるよ

「どうして町田東京都なのか」

未だに何もわからない

俺たちは雰囲気町田語りをやっている

市民は「町田神奈川ネタにマジになってるわけじゃないよ

飽きたんだよ

お前らが同じ話ばっかりして肝心な要点を見過ごしてるから不快なんだって

それにステレオタイプ地域を語るのは地域差別となんも変わらんだろ

(前に町田関連のネタツイを自称リベラル共感RTされたことがあったけどすごい嫌だった いかなる差別にも屈しないなら町田東京都って言えよ、民主政治が大好きなら民権運動によって東京都移管された街に最大限の敬意を払ってくれよと思った)

本当に町田が好きなんだったら、インターネット雑語りをやめて、今日から町田ちゃんと向き合え

ネタ町田神奈川扱いするならテコンダー朴みたいに歴史的経緯を全部踏まえてやれ 憶測物事を語るな

あと神奈川県に接する駅といえば町田駅だけじゃなくてつくし野駅鶴川駅もそうです

にしてもこのブロガァーみてぇーなライタァーは駅前で何を見たんだ?日本初の車いすバスを見たか町田街道の向こうに佇む広大な谷戸(注)を見たか谷底美術館収蔵品を調べたか?ジョルナエレベーターボタンを押したのか?何もしてない

これをポジティブにとらえると、読者にもっと町田の魅力を探させる余地を与えてくれたってことになる

からどうか、ここから先はスマホの前のみんなに、町田駅や"町田市"を回ってほしい

限界逆張り地理オタク御用達・源流と坂と県境テーマパークとして、町田市は今でも多くの廃人を寄せ付けている

町田市は本当にすごい 今や小平にも及ぶブルーベリーの産地だし、南町田にはケンタッキー食べ放題店舗があるし、堂之坂公苑は誰も来ないのに水琴窟があるし、玉学には赤瀬川原平の家も残ってるし、白洲次郎の別荘で食べるオムライスマジでうまいし、つくし野の急坂はどこまでも続くし、小野路宿里山交流館は江戸末期の旅館改装した建物から木造で落ち着くし、野津田の山はクソでかいし、相原にはおいしい卵屋(カトウファーム)とアイス屋(東京みるく工房ピュア)があるし、本町田には北条時行の戦った合戦場があるし、リス園の近くに井の頭公園みたいなでかい池があって夏になると隣のちっこい池でメッチャ蓮咲くし、多摩境には都内唯一のストーンサークルがあるし、大泉寺は谷戸の底にすっぽり収まった寺で春になると桜が参道に咲いてめちゃ綺麗だし、恩田川の桜はもっと綺麗で目黒川より混んでないからいい写真撮り放題だし、木曽町地名の由来は一般通過木曽義仲

とにかく春先にあの戸場谷戸尾根の上から見渡した時の、菜の花畑や一本立ちの桜や小さな白いトラック、別の尾根が続いている光景言葉を失うものがあったから、一緒に行こう。

お前は町田を待ってないかもしれないけど、町田はお前をいつまでも待ってるから







あとがき

https://twitter.com/pededeck/status/1246422466135617537 ←これはインターネットで見つけたわかり手

注:谷戸は谷の一種。底が平たい。上から見るとUの字になっている。海進によって土砂が堆積し、このような平底になったようだ。あきる野の横沢入や稲城上谷戸は有名。

追記 こんなにたくさんの人々のブクマと注目を集めることができて光栄です。卒論町田のことで書こうと思っていたので、励みになりました。町田地方研究会のおじちゃんたちに比べたら、自分町田について本当にニワカで、話せることも少ないけれど、精進しようと思います

2015-02-11

認知症でも安心して暮らせる地域を作ろう』

米寿を迎えた祖父母を見舞った帰り道、スローガンをたたえた幟が個人雑貨店の出入り口に立てかけられていて、思わず呻いてしまった。

つくし野、という高度経済成長期に作られたニュータウンならどこにでも見かける名前に合わせるかのように、

確かにまたつくし野に戻ろうとしているのが肌に感じられたから。

近くに出来たマンション群の甲斐あってリフレッシュ成功した駅前と変わって、

かつての田畑宅地造成した住宅街はそこに住む住人とともに歳を静かに重ねていくように見えた。

住宅街を抜けると、その昔から変わらない田畑風景に変わる。

もっともその風景の半分は家庭菜園という趣味景色の一端を担っていて、

静か過ぎる平坦な休農地の隣で騒がしくしていた。

休日今日は色々な人が出入りしていたけど、それに合わせるかのように田畑もいろいろなモノが植えられている。

きっと上空からモザイク画のように見えるのだろう。

年の瀬しか来ない弁財天でお参り。楼門を支える白く塗ったコンクリを品がないと思うのはいものこと。

裏手に回って祖父母の名前確認して安心を覚えるのもいつものこと。

橋に来た。よく伸びる冬の日差し川面に落とした自分の影を辿ると、

ふと子供の背丈しさない欄干を乗り越えたい誘惑に駆られる。思わずよろけた側を、ごめんなさいと風に乗った自転車が通り過ぎていった。

長い。長すぎる。早く行きたい。ちょうど側を追い抜いていったランナーについていって十秒で息が切れた。

そしてたどり着くは辺境、もといちょっと田舎目な二郎店……時間が悪いのか開いてない。

2キロ先のスタバ時間を潰して戻ると、日も暮れて良い時間になっていたがやはり開いていなかった。

悪い予感がしてスマホ検索すると二郎botにお休みするの店長の声。結局二軒隣の吉野家で散財した。

駅までの帰り道、住宅街にありつつ、いい感じのスイーツのお店を見つけて入る。

成瀬台という郊外に住んでいた昔、キャトルというお店で、

嬉しいことがあるたびによくクッキーケーキを持ち帰ったことをつかの間思い出した。

後々、原宿で偶然入った同じ名前のお店が姉妹であることを知って、

そっちにある方が失礼ながら違和感が絶えなかったのを思い出す。

残念ながら原宿店は閉じてしまったけど成瀬の方は無事妹と同い歳を迎えたはず。

このお店はどうだろう。

軽く10キロ以上歩いた後のくたびれた気持ちをコートで軽くガードして、

カウンター横のコーナーを物色しながら、半目でチョコレートコーナーを視界からガードする。

職場への良い土産が買えた。

カウンターでお会計を待つ。

包装のセンスに、女子校を感じた。

二郎の口直しにまた買いに来よう。

GoogleMapは人を知らない。

初めての道が幹線道路を外れてついでに街灯も外れてるのだけど、どうなの。

夜道モードがあれば、良いのにと思う。

いじめのように視界から離してくれなかった、青白い葬儀場の看板が光る横を足早に駆け抜けると駅だった。

 
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