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2017-06-04

山川出版日本史の何がすごいのか、さっぱり分からない

山川出版の日本史いかに凄いかについて情熱的に説明する」

http://blog.tinect.jp/?p=40198

はてなブックマークの人気記事だったので開いてみたのですが、驚くほど中身のない記事でした。

これ、おっさん居酒屋でしゃべっているレベルですよね??

『詳説日本史』を引用するなり参照するなりして、具体的にどこがどうすごいかを語ってほしかったです。

僕も10代の頃はあれが本当に理解できなかった。けど今ならああい教科書が作り続けられる理由がよくわかる。物事を語るにあたって、中立を維持しようとするとなると、事実しか語れなくなるのである

ストーリーというものは、基本的には何らかの価値観を元に構築されるものである日本民族いかに優れているかという視点で歴史を分析すると、それは右翼的な記述にならざるをえないし、平等であろうとすれば、それは左翼的価値観を元に記述せざるをえなくなる。

客観的な記述がされている、左右に偏向していない、中立だからすごいゾ、という感想には呆れ果てました。

いったい全体、どこが情熱的ですか? 教科書を読み返さず、いい加減な記憶をもとに語っても、多分これくらいのことは言えると思います。 

  

クソ記事を読んでしまい、あんまりにもムシャクシャしたので、私が自分で『詳説日本史』を引っ張りだしてきて調べました。

例えば「源平の騒乱」という項目は、次のように記述されています

平清盛後白河法皇幽閉し、1180年に孫の安徳天皇を位につけると、地方の武士団中央貴族・大寺院のなかには、平氏の専制政治に対する不満がうずまき始めた。この情勢を見た後白河法皇皇子以仁王と、畿内に基盤を持つ源氏源頼政は、平氏打倒の兵をあげ、挙兵を呼びかける王の命令(令旨)は諸国の武士に伝えられた。

これに応じて、園城寺(三井寺)や興福寺などの僧兵が立ち上がり、ついで伊豆に流されていた源頼朝信濃の木曾谷にいた源義仲をはじめ、各地の武士団挙兵して、ついに内乱全国的に広がり、5年にわたって騒乱が続いた(治承・寿永の乱)。

平氏は都は福原(現・神戸市)へと移したが、まもなく京都にもどし、畿内を中心とする支配を固めてこれらの組織に対抗した。

しかし、畿内西国を中心とする養和の飢饉や、清盛の死などで平家の基盤は弱体化し、1183年(寿永2)年、平氏北陸で義仲に敗北すると、安徳天皇を報じて西国都落ちした。やがて、頼朝の命を受けた弟の源範頼義経らの軍に攻められ、ついに1185年に長門の壇の浦で滅亡した。

この一連の内乱の行末に大きな影響をおよぼしたのは地方の武士団の動きで、彼らは国司荘園領主に対抗して新たに所領の支配権を強化・拡大しようとつとめ、その政治体制を求めていた。

ここには明らかに編者の歴史観と、因果関係説明が詰め込まれています

  

まず、平清盛後白河天皇幽閉したこと、安徳天皇即位させたことは、この教科書では「平氏の専制政治」と評されています

当時の人たちがそう感じていたのか、それとも教科書の編者がこの評価を下しているのか、どちらなのか判然としませんけど、ともかく本書はこの評価にもとづいて記述がされています

  

次に、この「平氏の専制政治」が地方の武士団中央貴族・大寺院の不満につながって、 以仁王源頼政はそういう情勢を見たので挙兵したと書かれています

これはまさしく因果関係に言及しているわけです。

  

このように、教科書は単なる事実の羅列ではありません。歴史に対する評価因果関係がしっかりと述べられているのです。

そこにどういう学問的な裏付けがあるか、歴史学に無知な私はよく知らないです。あのブログ記事ではそのへんの話を説明していると思ったのですけど、まったくの期待外れでしたね。

  

なお、この教科書とおなじ編者がつくった参考書『詳説日本史研究』(山川出版社)によると、次のように説明されています

治承・寿永の乱は、一般には源氏平氏の戦いといわれている。しか歴史学的にみた場合、この全国的な動乱を単に源氏平氏勢力争いとみるのは正しい理解ではない。以仁王挙兵以降、軍事行動を起こすものが相次いだ。美濃近江河内源氏若狭越前加賀の在庁官人、豪族では伊予の河野氏・肥後の菊池氏である。彼らはあくまでも平氏の施政に反発したのであって、はじめから源氏、とくに源頼朝に味方したわけではない。彼らの背後には在地領主層があり、在地領主たちは自己の要求を実現するために各地で立ち上がったのである

彼らの動向をまとめあげ、武家棟梁となる機会は頼朝以外の人、例えば源義仲源行家、あるいは平宗盛にも与えられていた。頼朝が内乱に終息をもたらし得たのは、彼こそが在地領主層の要望に最もよく答えたからである。この意味で幕府の成立は、時代の画期ととらえることができる。

教科書である『詳説日本史』では、これがたった一文にまとめられているのです。

この一連の内乱の行末に大きな影響をおよぼしたのは地方の武士団の動きで、彼らは国司荘園領主に対抗して新たに所領の支配権を強化・拡大しようとつとめ、その政治体制を求めていた。

こういう史観が妥当なのかというのは、私にはちょっと分からないんですが、この点を強烈にプッシュしているのが『詳説日本史』の特徴と言えるでしょう。

他の教科書を読んでみても、三省堂の『日本史B 改訂版』(日B 015)を除き、この史観はあまりプッシュされていないと感じました。

  

【参考文献】

山川出版社『詳説日本史』(日B 001)

山川出版社『高校日本史 改訂版』(日B 017)

山川出版社新日本史B 改訂版』(日B 018)

東京書籍日本史B』(日B 004)

三省堂日本史B 改訂版』(日B 015)

実教出版日本史B 新訂版』(日B 014)

桐原書店新日本史B』(日B 011)

(このエントリは上記7冊を参照しています。いずれも平成22年ごろ購入。)

  

  

  

余談:教科書の読み比べ

  

山川出版社新日本史B 改訂版』(日B 018)

伊豆に流されていた源義朝の子・源頼朝も、妻・北条政子の父北条時政とともに挙兵して南関東を掌握し、10月には源氏根拠地鎌倉に入った。頼朝は父祖以来の結びつきを背景に、三浦千葉上総氏などの有力な東国武士主従関係を結んで御家人とし

頼朝の挙兵が、東国武士との「父祖以来の結びつき」を背景にしていたものだったということは、他の教科書ではなかなか分からないと思います

三浦千葉上総という武士名前が沢山出てくるのもおもしろいですね。(三浦氏名前が出てくる教科書は多いですが、それはこの時点ではなく幕府成立後、十三人の合議制か、宝治合戦ときに唐突に登場します。)

[寿永二年十月宣旨から義仲滅亡までの]この間、鎌倉の頼朝は没収した平氏の所領(平氏没官領)を法皇より与えられ、経済基盤を固めていった。また御家人を統制する侍所を設置し、その長官である別当には和田義盛を任命した。これに加えて、行政裁判制度を整えるための公文所(のちに政所)・問注所がおかれ、その長官にはそれぞれ京から招かれた朝廷の役人である大江広元三善康信就任した。前後して、義経軍らは一の谷・屋島平氏を追い、1185(文治元)年に壇ノ浦平氏を滅ぼした。

[]は引用者註。

この教科書の特徴は、幕府の政治機構の形成過程を、治承・寿永の乱の進行に併記していることです。

鎌倉幕府の成立が1192年(いいくに)なのか、1185年(いいはこ)なのかという論争は、世間でよく知られているぐらい有名になりました。どちらが正しいかは諸説あるとしても、ただ一つ言えることは、どこかの時点でいきなり幕府が完成したというわけではありません。治承・寿永の乱が続いていた期間に、徐々に幕府の政治機構が形成されたのです。この教科書はその史観が反映されています

  

  

  

桐原書店新日本史B』(日B 011)

北条時政の援助によって挙兵した頼朝は、東国武士たちに支持されて、富士川の戦い平氏を破ったが、その後は鎌倉にとどまって、東国地盤を固めることに専念した。これに対して平清盛は一時、都を福原神戸市)に移して態勢を立てなおそうとしたが、まもなく京都に戻り、1181(養和元)年に病死した。一方、義仲は1183(寿永2)年、北陸方面から急進撃して、平氏一門を京都から追い出した。しかし、義仲は後白河法皇対立したので、法皇は同年、頼朝に東海東山両道(東国)の支配権を認め、義仲追討を命じた。頼朝は弟の範頼・義経らを上京させて、義仲を討たせた。範頼・義経さら平氏追討に向かい、1185(文治元)年、長門壇ノ浦平氏一門を滅ぼした。

この教科書歴史用語の詰めこみを回避しているようで、内容は簡単、文章としても平易です。

上記引用でも分かるとおり、「頼朝に東海東山両道(東国)の支配権を認め」という記述があるくせに、寿永二年十月宣旨というキーワードがありません。治承・寿永の乱、一の谷、屋島の戦いなどは年表に記載されていますが、本文中に記載なし。養和の飢饉、平氏都落ち安徳天皇を伴ったことも言及なし。

というわけで受験生には不向きですが、他の教科書にはない特色もあります

  

鎌倉将軍に尽くして家人となった武士のことを、鎌倉御家人といった。鎌倉御家人になる目的は、将軍面接して(見参)、先祖伝来の所領を承認してもらい(本領安堵)、さらに勲功のあった者は新たな所領を恩賞としてうける(新恩給与)ことにあった。

教科書の中では唯一、桐原書店けが「見参」を掲載しています。これは鎌倉幕府の権威の構造がどういったものであったかを知るための手がかりになるかも。

(他の教科書ではこの用語がないどころか、「将軍面接して」という説明も省かれています

  

["新恩給与"についての註]

土地のものよりも土地に対する一定の支配権と、それにともなう収益権を与えられるのが普通で、そのおもなものが地頭職であった。

これは「職の体系」のことを言っています。他の教科書とは違って、地頭をあえて「地頭職」と見なす視点を紹介し、その意味するところを簡潔に説明しているのがすごい!

所有権が重層的に重なりあっていたというのは、中世土地支配構造を知るうえで一番大切なポイントだと思います

なお、山川出版の『日本史B用語集』には「職の体系」という用語は不掲載で、かわりに「職」の項でそれを説明しています

職(しき)②:一般に職務に伴う土地からの収益とその職務自体を指す。荘園場合、有力者への寄進が何回も積み重なり、下記のような複雑な職の改装秩序を生じた。

本家職①、領家職②、預所職②、下司職②、荘官職①

  

[引用者註:丸の数字はこの用語を掲載している教科書の数]

山川出版『日本史B用語集』より

この説明は悪くないと思いますが、桐原書店は「土地のものよりも土地に対する一定の支配権と、それにともなう収益権」のことと明記しているので、その方が的確です。

しかも、いかんせん、『日本史B用語集』は「職」の用語説明を「院政期の社会文化」のページに掲載しているので、これと鎌倉時代の地頭職との関連が全然分からないです。そして「鎌倉幕府の成立」のページにある「地頭職」の用語説明は、次のようになっています

地頭職(じとうしき)⑤:職とは役職に伴う権益意味。地頭職は御家人が地頭に任命されて認められた兵糧米の徴収や免田(給田)経営などの権利

  

山川出版『日本史B用語集』より

これは間違っていませんけど、この説明を読んで、重層的な土地支配構造があったことを理解できますか? 絶対に不可能ですよね?

せめて「職」「地頭職」という用語同士を紐付けて相互参照させてほしいです。ふざけんなってかんじです。

  

さて、桐原書店教科書に話をもどすと、欄外にこういう豆知識も載っています

幕府とは、近衛府の唐名であるが、転じて近衛大将の居館のことをいった。のちには近衛大将とは関係なく、武家政権意味する語となった。頼朝は1190年に上洛し、右近大将に任ぜられたが、まもなく辞任した。

[ふたつの源頼朝像]

Aについては南北朝時代武将とする説もあり(伝・藤原隆信筆,京都神護寺蔵)、Bも注目されるようになった(山梨甲斐善光寺蔵)。

とてもユニークですね。受験には使えないかもしれませんが、知っておいて損はないです。

  

  

  

東京書籍日本史B』(日B 004)

養和は平氏政権が用いた年号で、これを認めない頼朝の支配する関東では、ひきつづき治承の年号が用いられた。

網野善彦著作『東と西の語る日本の歴史』に、たしかこの話があったと思います

他の教科書には載ってませんが、ピンポイント東大入試に出題されました。

  

源氏鎌倉の関係は、源頼信のころに源氏氏神となった石清水八幡宮を、前九年合戦の際、子の頼義が相模国由比郷に勘請して鶴岡若宮八幡宮前身)を建設したことから始まった。鎌倉は前面に海をもち、三方を山にかこまれた要害の地で、切通によって外部と結ばれていた。

鎌倉という土地をこれだけ情熱的に語っているのは、東京書籍教科書だけです。

上記引用とはまた別に、「コラム 武家の都鎌倉経済流通」というのも掲載されています

東大入試では、「院政時代から鎌倉時代にかけての京都と鎌倉都市の発展」について論述させる問題が出されたことがありますが(1990年)、この教科書はその答案を書くうえで非常に役立つものだと思います

  

  

  

山川出版社『高校日本史 改訂版』(日B 017)

こののち、後白河法皇義経を重んじ、頼朝追討の命令を下したが、これに失敗すると、頼朝はその責任を追及し、逆に義経追討の命令を得た。さらに頼朝は義経をかくまっていた奥州藤原氏を滅ぼそうと朝廷に追討の命令希望したが、法皇がそれを拒否すると、1189(文治5)年に頼朝は追討の命令を待たず、大軍をもって奥州藤原氏を滅ぼした。ここに全国を平定し、その後、法皇死後の1192(建久3)年に頼朝は念願の征夷大将軍に任じられた。

頼朝の悪人っぷりがこれでもか!?というぐらい強調されています

あいつは自分の野望を実現するため、ときには法皇に逆らって圧力をかけたり、朝廷命令無視して独断専行する奴だった、ということを言いたげな記述です。

  

それはともかく、奥州藤原氏を守ろうとした法皇朝廷側と、それを潰そうとした頼朝の厳しい対立がわかるのは、この教科書だけでしょうね。

両者のぴりぴりした緊張関係が伝わってきます

関西にある政権東北地方を使って、関東独立の動きを牽制するというのは、日本の歴史において繰り返し出てくるパターンなので、この視点を漏らさず記述しているところはアッパレ

  

  

  

実教出版日本史B 新訂版』(日B 014)

平氏安徳天皇を奉じて西国に落ちていったが、後白河法皇は京都にとどまり、新たに後鳥羽天皇をたてて政権を維持した。法皇は義仲には平家追討を命じるいっぽう、頼朝には上京をうながして、京都の義仲に対抗させ、武士たちをたがいに牽制させて政局の主導権をにぎろうとした。しかし頼朝は、東国の安定に意をそそいでみずからは鎌倉を動かず、弟の範頼・義経を上京させて、1184(元暦元)年、義仲を討たせ、源氏一族の長となった。ついで義経らは、その当時勢力回復して都にせまっていた平氏を一の谷・屋島などの合戦でやぶり、さらに翌1185(文治元)年にはこれを長門壇ノ浦に追いつめて滅亡させた。

この時代に2人の天皇が同時に存在していたとする視点を取り入れているのがナイス

都落ちした平氏はそのままあっけなく滅んだわけじゃなくて、京都にいる天皇とは違う天皇を奉じて勢力を盛り返していたのです。

どちらの天皇が正統かというのは、つまるところ結果論にすぎません。この教科書はそんな歴史観に基づいて書かれています

  

ちなみに、この教科書の編者は、大半が関西教育機関に属する人たちみたいです。後白河法皇平氏を主軸にした書き方は、編者の関西びいきが反映した結果なんでしょうか。(笑)

例えば奥州合戦について、「奥州進撃のために頼朝は東国だけでなく西国武士もひとまず鎌倉に動員し、これを機会に国ごとに御家人組織の整備をいっそうすすめた」とありますさら西国御家人東国御家人とどう違うかを説明しているのもおもしろく、この教科書関西中心っぽい史観は独特です。

  

  

  

三省堂日本史B 改訂版』(日B 015)

  

……って、おい!? 増田がここで文章を掲載できなくなったんだが??

せっかくこの先が本番なのに、文字数の上限なのだろうか。

つづき→http://anond.hatelabo.jp/20170605001028

2015-09-02

刀剣乱舞二次創作でのタブー及びヘイト創作問題について

現在刀剣乱舞内におけるヘイト創作問題になっています

どういうことが問題なのか、何が問題になっているのか、そういったことを

出来るだけ簡単にわかやす解説したつもりです。

はじめに

今回これを作成するにあたった経緯として、刀剣乱舞二次創作の1つである

ヘイト創作】の【タグ付け/住み分け問題】なのですが、それ以前に

まりにも「何故これがだめなの?」「これの何が問題なの?」という方が多く見受けられましたので作成しました。

もっとこれより詳しい内容についてはご自身ピクシブ百科辞典やこれらに関するまとめなどを検索して調べてください。

二次創作とは?

二次創作とは”1つの作品”を元にして作られらた新しい作品です。

※ここでは【刀剣乱舞というゲームを元にして作られた作品(イラスト漫画小説ゲーム、グッズなど)】が二次創作と呼ばれるものになります

基本的二次創作は【違法】です。しかし【悪意や作者への損害がない場合】は黙認されることがあります

→何故か?

     ファン活動の一環であると黙認されていたり、ファン活動が盛り上がれば作品宣伝にもなるからです。

    物によっては【作者や公式によっては二次創作をあらかじめ許可している場合】もあります

     ただし【作者や公式がやめろと言えば直ちに二次創作の公開をやめなければなりません】

なので、二次創作をやる時は【作者や公式不快になったり、被害を受けるような内容はやめましょう】

※作者や公式作品があっての二次創作です。敬意の念を忘れずに。

刀剣乱舞での二次創作について

違法ってことは刀剣乱舞二次創作ってしちゃだめなの?■

→答えは【いいえ】です

 刀剣乱舞では【条件付きで二次創作をすることが許されています

刀剣乱舞二次創作をする上での条件って何?■

 1.創作性があること

 2.直接販売であること

 3.販売数量の総累計数が200個以内であること

 4.売上予定額が小規模(10万円以下)であること

 5.その他、絶対的禁止事項に該当しないこと

                       (nitro+ 著作物転載ガイドラインより抜粋)

今回は【5.その他、絶対的禁止事項に該当しないこと】について説明します。

※他の詳しい条件に付いては【nitro+ 著作物転載ガイドライン】をお読みください。

→【5.その他、絶対的禁止事項に該当しないこと】ってどんな内容?

 1.弊社、弊社製品または弊社キャラクターイメージを著しく損なわないこと

 2.利用する作品著作者ないし弊社の社会的な信用、評価を損なわないこと

 3.公序良俗に反しないこと

 4.他者権利侵害する、または侵害のおそれがないこと

 5.弊社の公式製品かのような誤解を招くおそれがないこと

                              (nitro+ 著作物転載ガイドラインより抜粋)

この5つを【守っていれば二次創作をすることが許されます

しかしこれを【破ってしまえば二次創作自体全面的禁止される恐れがあります

次は刀剣乱舞ヘイト創作問題についてです

ヘイト創作って?■

→箇条書きで説明するとこうなります

1.愛情表現ではなくアンチ思考や見下し、または面白半分や流行に乗ったなどの安易理由

  版権キャラクター実在の人物に暴行虐待侮辱(ぶじょく)、誹謗(ひぼう)中傷などを行う

2.二次創作した作品の設定上、都合のいいキャラクター改悪利用し”汚れ役“のように扱う

  もしくは、他キャラクター(主に自分最愛キャラ/推しキャラ)の引き立て役に使う

3.特定キャラクターに対し、作中で一方的なお説教断罪見せしめなどを行い、貶める(おとしめる)

                               (参考:ピクシブ百科事典/ヘイト創作)

ヘイト創作の何が問題なの?■

ヘイト創作】の問題点は【ニトロプラスが出した条件、絶対的禁止事項】に引っかかるのです。

1つめにある【弊社、弊社製品または弊社キャラクターイメージを著しく損なわないこと】とは

まりニトロプラス刀剣乱舞、または刀剣男士のイメージを壊したり傷つけたりしないこと】という意味なので

ヘイト創作の【二次創作した作品の設定上、都合のいいキャラクター改悪利用し”汚れ役“のように扱う】

もしくは【他キャラクター(主に自分最愛キャラ/推しキャラ)の引き立て役に使う】は刀剣男士のイメージ

壊したり傷つけたりしているので完全にアウトです。

もちろん、隠れてそういった二次創作を楽しむ分には構いません。(人の嗜好はそれぞれです)

しかし以前からヘイト創作に分類されるような小説ランキングに数多くランクインし、ヘイト創作ランキングが埋まってしまう時もありました。

現在はいろんな方のお声かけにより以前より隠れてくださる方が増えてきています

ランキングに乗るってことは人気があるってことじゃないの?いいじゃん別に!■

それが素直に喜べません。確かに人気があるのはいいことではあるのですが

ランキングというものは載ればその作品必然的もっと多くの人の目につくようになります

しかしそれがヘイト創作であれば【他のジャンルの方や、刀剣乱舞を始めようと思っている方にどういったイメージを与えるか】です。

【あそこのジャンル版権キャラクター暴行虐待侮辱誹謗中傷をし、”汚れ役“をさせるために公式とかけ離れたものにする】

汚れ役には一方的なお説教断罪見せしめを行ってキャラクターを貶める】

【それがランキングに乗るほど流行っている、あのジャンルの人はこういうもの好きな人しかいないんだ】

刀剣乱舞刀剣男士にこういうことをしても大丈夫なんだ、これが公式なのか】

【やだな、こんなゲームなのか。始めるのやめておこうっと】

極端に見えます事実、こういった誤解を招くことになり、結果的に人が離れてジャンルが衰退してしまうことになります

更にいえば公式に見つかってしまえば勿論二次創作全面的禁止もありえます

ですので、刀剣乱舞の存続のためにも【隠れて二次創作ヘイト創作を行っていただきたい】というのが一番のお願いであます

■つまりデメリットは何?■

挙げられるものとしては

公式からの【二次創作全面的禁止

・上でも書いたように【刀剣乱舞のファン全てがマナーの悪い集団】というレッテルが張られる

・【元となった作品(刀剣乱舞)やキャラクター(刀剣男士)ごと避けらる】 など

※これに関しては最悪の場合刀剣男士を描いた絵師さんにも迷惑がかかる恐れがあります

これらを回避するために【二次創作について】や【ガイドライン】は絶対に読んで内容を把握し

十分に注意を払ってファン活動をせねばならないのです。

ヘイト創作?そんなつもりじゃなかった、そういう意図はなかった■

投稿者の方々からすればそうなのかもしれませんが、上記に箇条書きした通り

やはり版権キャラクターを酷い目に合わせる、特定キャラクターを都合のいいように”汚れ役“にするということに対し

不快に思われる方】や【刀剣男士や刀剣乱舞のものに悪いイメージを抱く方】はいます

投稿者の方々がどれだけ刀剣男士に愛情をもっていようとも、そういう意図がなかったとしても

第三者から見て、それを見ただけで読み取るというのは非常に難しいことなのです。

■じゃあヘイト創作は無くなった方がいいの?■

それについての答えは【いいえ】です。かと言って【タグ付けや住み分けはしなくていい、安易刀剣男士を酷くあつかっても良いわけではない】です。

そういう性癖萌え属性があるのも理解しております文句を言うつもりはありませんし、言う権利はありません。

(個人の嗜好に関しては口出ししないのがマナーですから)

ただそういった作品は【ニトロプラス刀剣乱舞刀剣男士たちのイメージを壊したり傷つけている】

【最悪の場合刀剣乱舞二次創作全面禁止になる可能性がある】ということだけは【絶対に忘れないでください】

ヘイト創作とはそういうリスクもある二次創作なのです。

■では今後はどうしたらいい?■

それについては以下のそれぞれのマナーについてを参考にしてください

作者の方へ

検索避けを徹底する(キャプションタグ題名原作名やキャラ名などを入れない)

・1ページ目に注意書き、あるいは念のために2ページめにワンクッション入れる

 (本当によろしいですか?注意書きは読まれましたか?などの再度の確認など)

・内容が非常に過激である、もしくは苦情や批判などを絶対に受け付けないのであれば

 マイピク限定個人サイトでの公開も考えておく

 (Pixiv個人サイトなどではなく、多くの利用者がいます嫌なら見るなというのは個人サイトやマイピク限定時にしか使えません)

読者の方へ

タグコメント欄代わりに使わず、【コメント欄を使いましょう】

・(キャラ名)ざまぁ、(キャラ名)制裁希望などの【貶(けな)しが含まれタグは、投稿物自体マイナスイメージを与えてしまう恐れがあります

 (作者さんがタグいじりを望んでいても同様です)

タグ欄とコメント欄に関しては【タグ欄とコメント欄の使い方を考えてみませんか?】などのマナー投稿文があるのでそちらも参考にしてください

注意する方へ

・作者に【メッセージ送信】にて【客観的、冷静かつ礼儀正しい文面で、なるべく一回だけで個別に説得してください】

・また【自分不愉快に感じたかヘイト創作だ】【ヘイト創作は悪。だから排除するのは二次創作を守る上で必要正義である】など

 このような考えにはなっていませんか?ヘイト創作ではと思った時は【一度その作品を見るのを止めて、考える時間をとる】と良いと思われます

他にも色々と注意する点はあるのですが、それぞれ簡単にまとめさせていただきました

もっと詳しく知っておきたいという方は【ピクシブ百科事典ヘイト創作記事】をご覧になってください

最後

ここまで読んでくださりありがとうございます

今後とも刀剣乱舞というジャンル繁栄及びに皆様と楽しくファン活動ができることを願って

                                             09/02 04:18 相模国審神者

抜粋、参考にさせていただいたページ/記事

・これだけは知っとけ!c著作権(http://chosakuken-kouza.com/kihon/nijitekichosakubutu.html)

nitro+ 著作物転載ガイドライン(http://www.nitroplus.co.jp/license/)

 (ニトロプラスニトロプラス キラル作品に関連した同人グッズ、コスプレ痛車フィギュア等の二次著作物について)

 (A.非営利的な二次創作活動におけるガイドライン)

ピクシブ百科事典/ヘイト創作(http://dic.pixiv.net/a/%E3%83%98%E3%82%A4%E3%83%88%E5%89%B5%E4%BD%9C)

2015-02-13

[]

寒川は、神奈川県中央部にある相模国一の宮 寒川神社門前町で知られる高座郡の町である2013年7月1日現在茨城県阿見町に次いで関東地方で2番目に人口が多い。寒川ときくとそんなに人が住んでいないイメージがあったのに、2番目に人口は多いのは驚いた。一度、寒川といえば有名な寒川神社に八方除けをしにいったな。寒川はいい街

2007-06-28

http://anond.hatelabo.jp/20070628221417

確かに京都天皇はいらしたが、

政治的実権は江戸にあったじゃん。

ちなみに、鎌倉時代だってそう(相模国鎌倉だ)。

 
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