はてなキーワード: メインヒロインとは
その1(http://anond.hatelabo.jp/20161223120406)からの続き。
ガリ勉でクラスの中で浮いていた霧里七華(十七歳)が、ある出来事をきっかけに心だけ六歳に戻ってしまった。心が子供に戻った彼女に幼馴染の凪原稔二や同級生の雨宮さんが振り回されたりもしながら、十七歳の七華と稔二と雨宮さんの三角関係を描く漫画である。ラブコメなんだけど普段のラブ成分は少なめで、大事なところでドバッとでる感じ。それと恋愛よりも人を思いやるという心の成長を主題にしているためか、幼馴染大勝利!とならない。
ヒロインはタイトルにも名前が入っているとおり七華なんだけど、十七歳の七華はたまにしか出ないレアキャラだし、雨宮さんかわいいし、雨宮さん優しいし、雨宮さん頼りになるし、はじめはいじめっ子として出てきたのに、あっという間に稔二との過去話が補完されたし、実質雨宮さんがメインヒロイン(ちなみに人気投票の下馬評ではぶっちぎりだった)。雨宮さんは、いつも赤面していて、だいたいいつも報われないんだけど、時々とても幸せそうな顔をする瞬間があって本当に応援したくなる。
でも本当はドミ子が一番かわいい。
あらすじ
どこにでもいるような普通の女子高生エルナは、普通の家庭で普通に暮らしていた。しかし都市部の工事現場から古代ギムレー期の伝説の聖剣が見つかったことで、彼女の血に隠された王族の魔力が彼女の運命を残酷に捻じ曲げていく。
携帯電話やインターネットが存在する現代的な科学世界の上で、真面目に魔法や空想の生物の力を扱ったらどうなるのか。魔法は通常兵器と異なり術者一人だけで大規模破壊や暗殺行為が可能になる。そんな力がテロリストに渡ったら政府はどう対応するのか。
既存の力を軽く超えた魔法の力が存在することの恐怖とはどんなものか。SFファンタジーである。
ギムレー期の伝説「エルナサーガ」を描いたIと合わせてどうぞ。
絵がかわいい。意外とストーリーがしっかりしている。ふわふわ。キャラが可愛い。
一応ストーリーを。天使が通う森の学園になぜか入学した悪魔のルカ。毎日愛天使ハニエルに振り回されながらどこかおかしい学園の真相に気がついていくストーリー。
軟派な大学生潤が、身元不明な女性から「あなたのこどもです」と一歳児スミレちゃんを押し付けられてシングルファーザーをする話。
はじめはスミレのことをうっとおしく思っていた潤だけど、日々の成長を見守っていくうちに一人のパパとして成長していく。スミレが通う保育園の優子先生との恋愛も子育てと並んでこの漫画の中心となるが、スミレが本当に潤の子供である可能性も出てきて、なかなか仲が進展しない。
スミレの戸籍上の父親で売れない俳優の椿吾郎が、愛のない家庭で育ったことで、子供の愛し方を知らなかったけれど、スミレと触れ合っていくことで過去を乗り越えていくながれがすばらしい。子育ては子供を成長させるのではなくて、子供とともに成長することなんだ。
つまり結局のところ、幼児のスミレちゃんが愛くるしいのでホオを緩めて愛でましょう。
玄奘三蔵の妹テンテンが、妖怪の総大将 孫悟空に殺された兄の代わりに、旅の仲間たちと共に天竺を目指すストーリー、つまり西遊記。ところが、西遊記を作者が思いっきりやりたいようにアレンジしてしまった。
仲間の悟空がオリジナル悟空のクローンだったり、悟空の師匠の悟浄が軍服の眼帯女だったり、昔の中国だって地の文にも書いているのに重火器や携帯電話が思いっきり登場したり大変自由。果てにはロボットまでも出てくる。
「あかりや」というどんなあかりでも揃っている店を舞台に、宮沢賢治の幻想的な香りに人の心のぐちゃぐちゃした猟奇臭を加算した奇妙な話の連作集。
例えば、子孫を残せずに死んでしまった渡り鳥が、鳥神様に許されるために渡り鳥の群れを導く光となる「第3話」のように残酷ながらも美しい話があるかと思えば、思いっきりカニバる「第2話」のような話があったりする。オススメは芸術家の業と歪な肉親愛が題材の「第4話」。絵を書かずにはいられない姉と姉が好きすぎる弟が、姉が事故で光を失ったことで尋常ではない共依存のような関係になってしまう話。
あらすじ
かつては浄水施設だった街で、街の一画と共に水の底に沈んだ家族に心を囚われるユィと貯水壁が壊れる夜を描く「水槽の街」、ツノと尻尾が生えた少女が、鬼に胸を貫かれてほぼ全裸になる「少女というより痴女だった」、真面目系とチャラ男系という完璧にタイプが違う中学生の芹沢と工藤が、偶然ビデオ店で出会ったことから共通の趣味を見つけ、友達未満になる話「友達だなんて思っていないんだ」などを収めた短編集。
作者である鈴木健也さんの描く人物は非常に肉感的なんだけど、特徴的な線かな。
一番のおすすめは「ジゼルとエステル」。サーカスの見せ物で美しいシャム双生児の少女ジゼルとエステルが、エステルが男の子に恋したせいで、(おもにジゼルが)物理的に精神的に引き裂かれる話。じつにえぐくて物悲しい。信じていたものに裏切られるつらさ。
こころがぐりぐりされる。
おばか変態ギャグ漫画。ここで紹介するのは、フレイヤ騎士団(ナイトクラブ)の美の化身こと鏡尋斗の必殺技、「男子魅了(読み: バンコラン)」効果: 男子を操る、に負けたから。ちなみに三巻の57-58ページ。あとブルマに対する作者の情熱がものすごい。
人々が天を忘れた時、地の底から邪なものが這い出してくる。その都度、神は大地へ天の使いを送った。そう…邪悪を祓い、人々の心に再び天を抱かせるために…。 時は現代、地上に邪なものが現れると、彼らが現れる。天に選ばれた戦士たち、そう、「天空特警 アヴァロン」と「美少女天使 パレストリーナ」!!!
特撮とアニメをリスペクトなヒーロー漫画。マッシヴなのに意外と理知的なアヴァロン(中身は不良)と目立つの大好きパレストリーナ(中身は生真面目生徒会長)のコンビがいい感じ。
面白いのが、天と邪なるものとのパワーバランスは天を信じる人々の数で決まるため、敵側が、現代が情報社会であることを利用した情報戦やイメージ戦略で攻撃してくるところ。現実でこれやられたらかなり人間不信になる自信がこの増田にはある。
もし怪獣に変身することができるお姉さんがいたらってお話。
時代は第二次世界大戦が終わってしばらく経った日本。主人公の間宮さんは興奮すると自分の意思に関わらず大怪獣に変身しちゃう厄介な体質の持ち主。大戦中はその能力に目をつけられて軍事利用されたり、戦後も政府の監視下に置かれたりと自分の体質に翻弄される。 しかし戦後は怪獣映画のメインキャスト(怪獣)を務めたり、自分の力に折り合いをつけだんだんと自分の幸せを見つけていく。
おすすめ場面は、変身しなきゃいけないのになかなか変身できない場面で、秘密兵器(美少年のいけない写真満載の雑誌)を見て「あかんわー」と叫びながら変身する場面。
毎日ラブを探してラブにラブする中学生 相田愛子(ラブ子)をはじめとして、サッカーに生きるラブ子の幼馴染 国立カケル、年の離れた弟たちの世話で大変な砂田素直(すなちゃん)、クールな勉強家 北王子学斗、おっとりして奥手の浦上麗(うららん)たちが好きな相手にドキドキしたり、意識していなかった相手を意識してドキドキしたりする固い蕾のような青春漫画。
他人のラブにはすっ飛んでくるのに、自分のラブにはうまく答えが出せないラブ子が素直でいいんだこれが。
あとラブ子のラブ暴走っぷりもいいんだけど、おっとりで学斗に一途純情のうららちゃんが、自分ではない女のことに頭を奪われてしまった男に興奮します。
「目の前の私をみていない 瞳」
「私以外の 誰かを 好きな瞳」
ふわふわ感がよかった人は「ふわふわカタログ」(www.mangaz.com/book/detail/115531)、変態感とエグみがよかったひとは「魔法少年マジョーリアン」(www.mangaz.com/book/detail/120131)と「姉さんゴーホーム」(www.mangaz.com/book/detail/120111)へ行きましょう。
前者は、月刊MOEで連載されていてもおかしくないフワフワポワポワな内容で、後者では、いたけない二人の少年がナイスバディなお姉様に変身して敵と戦う話と、大切な記憶を守るためにそれ以外を全て捨てて狂っていく女性の話が読めます。
古い村とその村に寄り添うようにしてある古城をめぐる一話完結型の牧歌的雰囲気の漫画。村の近くに見えるお城だけど、近づいても近づいても一向に近づけなくて、離れようとしたらお城に近づいてしまうこと、池で水遊びをしていたら、水面に映った逆さ城の中に入ってしまう、など幻想的で牧歌的な漫画。
絵柄がかわいらしくて、ますむらひろしのアタゴオルみたい。自身のHPで連載しているとのこと。
麻雀は絵柄を揃えたら役が出来るくらいしか知らないけど、この漫画は一戦いっせんに熱があって面白い。
単なる麻雀の漫画ではなくて、マジャンという麻雀のルールに加えて特殊ルール(トランプのジョーカーみたいな牌が入っているとか)があるので、単なる麻雀好きの学生だった主人公が特殊ルールに苦しみながらルールを解き明かす部分を読者として共有できて良い。
麻雀要素以外にも、閉じた村、おどろおどろしい伝承、そして表面上は普通なのに、ある事柄にだけ一様に口を閉ざす村人など横溝正史的成分も満載。
麻雀は門外漢だけど、主人公の打ち筋がデータ・確率重視なところが現代的で面白いと思う。まあそのせいで、麻雀と異なるマジャンの特別ルールをはじめ、村の奇習/因習に主人公は振り回されるのだけど。
こちらのレビューが詳しい「竜騎士07が震撼した漫画「マジャン~畏村奇聞~」」(http://blog.livedoor.jp/inoken_the_world/archives/51895567.html)。
以上。増田的には全部何度でも読み返せるくらい面白いけど、あえてオススメするなら「ゆめのかよいじ」(https://www.mangaz.com/book/detail/43881)が一番心に残ったかな。ちなみに連載期間調べるのめちゃくちゃ大変だった。
ガッキーがかわいいだけのドラマと言われているが、本当にその通りだと思う。
ネットでは変に社会派じみた解釈までされてしまっているが、あんなものは蛇足の極みである。
まあ確かに、女性向け作品の男としては珍しい設定なのかもしれない。
だいたい、そんな大きな物語ではないのだ。
大きな物語でなければ何かというと、結局ただの「萌え要素」でしかないのではないか、というのが私見だ。
そもそも、変な設定のキャラとの間に恋愛関係は成立し得るか、という作品は、すでに山ほど出てしまっている。
例えば、90年代美少女ゲームの代表的作品のひとつである「To Heart」においては、メインヒロインの幼馴染、
その友人のスピーカー女、委員長、オカルト好きの先輩、外国人、後輩の格闘少女に超能力少女など、
実に様々な設定のキャラが登場し、そしてなぜかメイドロボのマルチが人気を獲得したらしい。
だが、個々の設定自体に、そう大きな意味や必然性があったとは考えにくい。
いわゆるデータベース消費というやつであって、二次元美少女という畑の中で芋掘りをした結果でしかない。
女性向け作品にしても同じことで、イケメンキャラという前提の下で、どこまでぶっ飛んだ設定が許されるか、
その意味では、どれだけ変な設定だろうと、よくあるハイスペック俺様キャラと地続きの存在なのだ。
発刊からすでにさんじゅう数年の月日がたち巻数もすでに三十巻を超え
数少ない読者からいつ終わるのかグタグタやってんじゃねえとおしかりのお手紙をいただいたりもする
なんてわかりやすいツンデレ読者なんだろ、もっと素直に褒めてくれてもいいのよ?とお返事したい
しかし、こっちも生活が掛かっているのでこの作品を終わらせたくはない
かといってこの先に少ない読者を驚かせるような展開があるとは思えない
書いてみて驚いた、なんと僕の人間関係に致命的な欠陥があったのだ
…僕の周りで僕と一緒に笑ったり怒ったりしてくた人ごめんなさい
時が進めば僕も忘れるし読者も忘れていくモブキャラでした
主人公視線から見てあなたたちは僕に何も残せずに使い捨てられていくモブでした、モブキャラ、やいモブ
モブが何をいっても何を感じても主人公である僕には関係ありません
いつもあなたたちがいっている文句やねたみ恨みなんて僕にとってはただの風の音だったのです
昨晩聞いた風の音を覚えていますか?風が何秒吹いて何秒止まってそれを何回繰り返したか覚えていますか?
僕は覚えていません、だって無数に吹く風の音なんて覚えてるわけないでしょ
モブも同じです、あなたたちが僕に何をいっても僕の行動に怒っても僕に殺意を抱いても関係ありません
あなたたちの存在は僕にとって風そのものなのです、気がついたら止んでしまっているものなのです
止めばもう風を感じることもないし、さっきまでの音も忘れてしまいます
商業主義が全面に出ており、ユーザーの満足度を犠牲にしている感がある。
赤字らしいが現状の広告形態を改めないかぎりは黒字化は難しいだろう。固定プラットフォームでのディスプレイ広告はその表示領域に限度(すでにパンパンな印象)があり、また、単価を上げるのは容易ではない。そもそも広告はユーザービリティと反比例するものであり、漫画を配信しているのに漫画で稼がないのはジレンマ。コンテンツで勝負して欲しいが(まあそれが難しいんだけど)、版権の構造が謎なのでなんとも言えない。講談社が版権を持ってるのかな?
収益化のために、マンガボックス内である程度人気が出た作品はアニメ化するだろう。そのアニメの結果次第でアプリの方向性が大きく決まりそう。
アプリのターゲットは恐らくライトな漫画ユーザーであり、色々チェックしている人であれば連載陣の半分くらいはすでに別媒体で読んだことがあるだろう。
別媒体作品を懐かしんで読むのは危険である。大抵突然連載が終了するからだ。楽しみに読んでいた作品がいきなり終了した場合、絶対にマンガボックスにはお金を落としたくない心理が働き、Kindle等で購入する。
連載陣のテイストは謎である。まあビジネス駆動型連載陣だと思う。
そんな中、オリジナル作品は中々良作揃いであり、以下を読んでいれば十分だろう。
連載初期と比べると絵の上達が凄い。面白い。キャラづくりがうまい。題材は箱庭系とよくある感じだが随所に個性を感じる。人気なのか少年マガジンに出張掲載したことがある。
恋と嘘
看板作品。絵が可愛い。どう見てもメインヒロインは仁坂くんである。面白い…が毎回の更新が4~5ページとかあまりにも少なすぎる。遅筆であれば分散更新せず、隔週で良いからまとめて掲載して欲しい。これも商業主義の弊害やな。
骨が腐るまで
面白い。どこかで見たことあるような絵柄だが、良く言えば様々なハイブリッド。最新話ではまさかの海苔が登場(iPhone版だけかな?)
女なのでしょうがない
完結作品。アラサーの葛藤を描いており女性向けだと思うが面白かった。綺麗に終わったと思う。
境界のないセカイ
恋姫†無双、百花繚乱 SAMURAI GIRLS、戦国乙女~桃色パラドックス~、戦国コレクション (それぞれアニメ)の放送を見る前の第一印象は軽薄な萌えやエロにしか頼れないつまらないアニメになりそうというものだった。
蓋を開けてみると、それらが全て良作や名作でいい意味で驚いた。
それらの中でも戦国乙女、戦国コレクションはそれぞれパチンコとソーシャルゲームを原作としていて、キャラクターデザインはともかく、ストーリー的にはまともな原作を持たないに近い作品でありオリジナルストーリーだったので不安が大きかった。
ただ可愛いキャラが出てきそうだからチェックしとこうという程度で見たが、内容も楽しめる作品になった。
一方で恋姫†無双シリーズも、原作はエロゲーでちゃんとストーリーがあるのだが、アニメの設定やストーリー的にはオリジナル要素が強い。
原作には当然いる男性主人公を登場させずにアニメ化してしまったことによって恋愛ネタを排除した女性キャラ中心のお色気とコメディ満載のオリジナルストーリーとなり、ただでさえ三国志の武将を女体化しまくるという一発芸的ネタが売りの作品であるため、普通に考えたらこの原作の弄り方はまずいことになると予感するが、それが意外と上手いことハマって人気を博して3期まで制作されたのだった。
その戦国乙女(2011年4月~)と恋姫†無双(2008年7月~・2009年・2010年)のシリーズ構成を担当したのがそれぞれ待田堂子と雑破業だった。
そしてその2人が共に脚本として参加して21世紀を代表する作品といえるぐらいの名作となったのが戦国コレクション(2012年4月~)であり、なんとなく因縁を感じさせる。
戦国コレクションのストーリーの下敷きには古今東西の名作映画等が使われていて、元ネタを上手いこと料理し落とし込んでいて痛快である。
それでいてキャラクター描写がおざなりなわけではなく、キャラクターの魅力もしっかり引き出されている。
最終的にもシリーズ全体を踏まえてのカタルシスが得られながら、心地良い余韻の残るストーリーで締められていて言うことがない出来。
さらにTV放映時は最終話の後の原作CMのキャラの掛け合いが本編の続きのような感じがあり、合わせて楽しかった。
よくある感涙という形ではなく作品への満足感に満たされる形での感動がそこにはあった。
百花繚乱シリーズ(2010年10月~・2013年)も原作は一応ライトノベルなのだが、出版社の創業記念メディアミックス企画で原作とアニメではストーリー部分の設定は全く異なるらしい。
内容的にはアニメ版恋姫†無双、戦国乙女、戦国コレクションと違って男性主人公を中心としたハーレムラブコメ系作品である。
そうなると例によって雑な萌えアニメになりそうという不安が募るのだが、
結果的には主人公が珍しく好感の持てる有能男主人公だったこともあり、名作に仕上がってしまった。
ついでに、メインヒロイン勢に主役級豪華声優ばかり起用されていることもあって、ただキャラを騒がせてるだけでも華があった。
そうして見て行くと、当初なんとなく地雷臭がしていた安易な武将美少女化系作品だが、逆に名作率が限りなく高いことが分かる。
むしろ、武将美少女化系萌えアニメは期待できる、という法則が出来上がりつつあったのだが、逆に一番しっかりとした原作が付いていて、比較的まともな作品になりそうな雰囲気を最初から漂わせていた織田信奈の野望(2012年7月~)が一番微妙になってしまった。
上記の作品に比べるとアレンジは多少穏やかなのではとは思うが、原作をかなり改変されて原作の魅力を消されてしまったようだ。
シリーズ構成を担当したのが、SHUFFLE!、みなみけ~おかわり~、RAIL WARS!、ISUCAという歴史に残る原作レイプ作品群に構成として関わり続けてきた鈴木雅詞だけに、原作を知らなくても織田信奈は被害者になったのだろうという推測が簡単にできてしまう…。
恋姫†無双シリーズのシリーズ構成で、戦国コレクションにもメイン脚本で関わった雑破業は、基本的に前評判の高い作品にはあまり関わらないながらも原作の魅力を引き出しつつ原作を壊さない程度にオリジナル要素も加えて名作に仕上げる天才という印象だ。
0点にも100点にもなれるが並の脚本家なら40点以下にしかならない作品を高確率で80点以上に仕上げるので魔術師のようだ。
特にギャグ系やお色気ラブコメ系が得意なようで、原作は悪くないのに微妙な出来に終わってしまったラブコメ原作のアニメやエロゲー原作のアニメは、彼を構成に据えてリメイクしたら名作になるのでは…と思ったりする。
かつて一時代を築いた人気成年向けアニメシリーズである『くりいむレモン』の中でも特に有名で人気作品として知られるのが亜美こと野々村亜美をメインヒロインとした『亜美』シリーズだ。
そんな亜美は段々とメインヒロインかつ主人公的な立ち位置になっていくが、基本的に「妹」キャラとして認識されている。妹キャラのシンボルにすら近いかもしれない。
亜美はシリーズ全ての始まりであり多くの亜美ファンにとっては全てと断言してもよさそうな第一作の主人公・宏の義理の妹である。
亜美シリーズはくりいむレモンシリーズの中でも派生作品や実写化を含むリメイク的展開が多いことでも分かる通り圧倒的に人気があったと推測できる。
亜美は絵に描いたような大人しめのいい娘(風)であり、お兄ちゃん大好きな理想的義妹ということからその理由も察することができる。
しかし、第一作はある意味テンプレに近い兄妹恋愛展開でありわかりやすい妹萌え作品なのに対して、第三作以降は少なくとも現代の萌え感覚を持って見たら殆ど妹ものとして機能しているか危うく、何故人気がある程度持続していたのか疑問に感じる所がある。
私は割と最近かつ、NTR属性への理解を得た後に作品を知った人間なため、どちらかといえば妹が寝取られる系の作品として魅力を感じてしまい、そういう意味で亜美シリーズが好きなのだが、
素直にオーソドックスな妹萌え目的で見てた人達にとっては唐突なシリアス&NTR展開・ビッチ化にディスク(当時はLD?)割ったりVHSのテープ切り刻んで送り返したくなりそうな内容では?と思ったりする。
ところが当時を知る人達が語る亜美の魅力を見ていても、基本的にはオーソドックスな妹萌え作品、萌え妹キャラとして扱った上での評判が多い。
第一作だけ、強いて言っても三作目までが亜美シリーズとみているからなのかもしれない。
それにしても第二、三作も今ならボロクソに批判されそうな展開である。NTR好きは歓喜するだろうが。
【物語概要】(うろ覚えだから詳細部分は違う所があるかもしれない)
第一作のラストで亜美と宏は母親に情事の現場を見られてしまう。
第二作、それが原因で母親は宏を海外に留学させて亜美と別れさせられている。大好きな兄と別れて傷心の亜美は女友達に誘われてクラブに行くが、その際に酔った勢いで遊び人で有名なイケメン河野という男にお持ち帰りされる。
酔って河野を兄と勘違いしながらのノリノリH。その時に兄のことを呼んだことを聞かれて兄との関係を河野に知られる。
そのことで脅されて素面で関係を持つ。河野に「兄のことを忘れさせてやる」と言われたことに亜美は怒る。
第三作、兄・宏が一時日本に戻ってきて嬉しい亜美だが、宏は亜美に、もうああいう関係をやめようと告げる。ショックを受けた亜美は自ら河野の部屋に行ってヤケクソH。
上記のように恋愛・エロ関係を抜き出すとなんだこれ…という感じなのだが、実際見てみると基本的にはエロ目的のOVA作品な割にパッと見て重みのある恋愛ドラマっぽく成立するような質感ある流れがストーリーにある。エロがあるというだけでなくストーリー的にも大人な内容という感じか。
その側面は第三作の続きを描き、亜美が何故かその後スカウトされてアイドルとして活動しているという設定の『それから』シリーズでも強調されていくが、それからシリーズは恐らく亜美ファンの大半には認められていない。声優が違うし(そんなに声質に差はない)、作画も不安定で亜美もあどけなさの残る妹的なキャラデザではなくなってしまう。そして内容的にも妹萌えを感知できる成分はほぼ皆無。
そんな妹萌えとして見たら内容的には第一作以降散々な状態でありながら、何故キャラの人気があったのかを推測すると、
当時は、実妹は勿論、義妹を堂々ネタにした恋愛やエロ作品も滅多に(許され)ない萌え文化的には鬱屈した雰囲気の中にある時代だったことが影響していると思う。
そんな中で可愛い義妹とのエロあり恋愛を堂々かつ詩的に描写した亜美シリーズは画期的な価値があったためカルト的に支持を得たのだろう。
また、中高生が気軽にオタクになってエロゲーすら手を出せてしまう今と違って当時はオタク文化を嗜むにはある意味ハードルが高かったはずである。
くりいむレモン以外の昔のエロ系OVAを見ても、ドラマ性やアクション性などをメインとしても売れるような作品が多く(質の高さでなく作品における重点の置き方として)、今みたいに最初から「萌えだけで売る」「エロだけで売る」ことしか考えてなさそうな作品があまりないようである。せっかくアニメーションとして作るからには、というこだわりだろうか。
逆にいえば、萌えやエロ部分は物足りないのだが、そのような背景もあって当時のオタクは多様なドラマや表現の中に光る萌えの輝きを汲み取って楽しむ見方をすることに慣れていたのだと思われる。
だから亜美シリーズの展開にも、文句言いつつも良い部分を大きくピックアップしながらそれをメインに楽しむことができていたのだろう。
あとは実際の現実の妹という存在の立ち位置に近い動き方、扱われ方をするという点もある意味でよかったのかもしれない。今だって現実で義妹と恋愛したら白い目で見られるらしいが、現代の架空作品では義妹キャラは当たり前のように兄に好意をアピールするし、それを家族や周囲も特に咎めず認めちゃう世界観が形成されているため義妹キャラは兄以外の選択肢は持たない。他の選択肢を持つと処女性重視する人に嫌われちゃうし。
そんな当時の風潮や作風の影響で作られた亜美シリーズの独特の質感ある内容は、エロとして萌えとして半端ながらも現代のエロアニメやNTRアニメには作れない独特な魅力があると自分も感じている。
特に自分は妹純愛作品も好きだが妹NTR作品も好きなため、河野という男が寝取り男として魅力的ということもありそれからシリーズも好きだったりする。
最初から続き物シリーズという前提で見てしまった場合に、第一作以降の兄の宏の存在感が薄すぎて、亜美主人公の少女恋愛アニメみたいな見方をしてしまった影響もあるが…。
そんな物理的には存在感薄かった宏だったが、作中の亜美の心の中では常に存在感十分だったおかげもあってか、
亜美シリーズの二次創作や話題を探してみると大体が宏との兄妹恋愛ネタばかりである。
妹純愛萌えに比べたらごく僅かながら河野の魅力を語る人もいるようだし、個人的には『それから』で本当に亜美が河野と結ばれる展開も見てみたかったのでそういう方向性の二次創作も見てみたいのだが。
河野はそれからシリーズで亜美に結婚を申し込み一時は受け入れられるのだが、別の愛人に「結婚なんて大した意味はない」と男として最低のことを言っていたりして本気でないアピールをしている。一方で最後の亜美の出した答えに対する宏と対照的な笑みを見ると亜美を本当に魅力的に感じていることも事実なのではと考えたりする。
2chかふたばか忘れたがくりいむレモン関係のスレッドのログを見ていたら「河野は結局亜美に夢中な奴だから」的な解釈をしてる人がいたが、そんな感じでも受け取れるよなとも思うし、そういうネタの二次創作を見たかったりする。
河野は元々遊び人で愛人いたりしながら亜美と付き合ったり求婚したりする野郎だけど、宏は宏で別れさせられても自分を慕う亜美を拒絶して、海外から婚約者連れてきておいて結局亜美を忘れられずに婚約者を失望させて亜美に求愛してしまう野郎だったりして、河野が悪で兄の宏が善ともいえなかったりする。
そんな観点から見ると、亜美が最後に出した答えは二人を拒絶して自分は自分、もう誰にも囚われないとか宣言する恋愛ものとしては何その終わり方と思えたりもするやつなのだが、個人的にはちょっと面白かった。そんな亜美を「コイツやっぱいい女だわ…」みたいな笑みを浮かべながら見る河野もなんかよかったりして。
■余談
亜美のカルト的人気と実際の内容の差に近いものがあるのが美少女ゲーム『With You』の乃絵美こと伊藤乃絵美だ。
彼女は亜美と違って作品のメインヒロインではないが同じくカルト的な人気を誇る妹キャラで、最近でも二次創作を作る人が一定数いるほどの人気がある。
こちらは実際に作品をプレイしたこともないのであまり内情を知らないが、基本的には亜美と同じく清楚かつ主人公である兄を慕う妹キャラ(こちらは実妹)として人気を博したことで一致する。
ところが乃絵美も今でいうようなオーソドックスなお兄ちゃん大好き妹キャラではない部分がある。
柴崎とかいうイケメンの元彼がいるという今なら処女厨にボロクソ叩かれそうな要素を持っている。よく知らないが柴崎って奴はモテるがクソ野郎らしく、昔乃絵美は何されてたんだろうみたいなNTR的な意味で妄想がちょっと捗ってしまう。
そんな今なら地雷要素を持つ妹キャラでありながら妹萌え勢に圧倒的な支持を得たという点で亜美と乃絵美はなんだか似てるなと思ったのだった。
亜美シリーズよりは最近といってもWith Youも同じく妹萌え趣味の人達にとって不遇の時代の作品だったので非攻略の妹キャラでありながら良い所がピックアップされて人気が出たのだろうし、現実感ある妹らしい設定といえばそうともいえる。
聞いた話では昔とある有名サークルが、乃絵美が柴崎に犯される同人誌を描いたらボロクソに叩かれたらしい。後から最近知った自分からするとこれもむしろそういう方向性の二次創作を見たいと思ってしまったりする。
十年前とか十数年前にアイドル声優として第一線級にいた人ってさ、
当時はメインヒロインの女子校生役とかやることが一番多かったと思うんだけど、
まあ時代が一回りくらい進んで第一線から退いたら落ち着いた配役にシフトすること多いじゃない。
例えば主人公の母親、とか敵陣営の四天王の参謀、とか担任の教師、みたいな感じの
今なら井上喜久子さんが合いそうな感じの役。
で、バリバリアニメ声のアイドル声優が年重ねて第一線から退いた後に
こういう役やってると「それは流石に無理がない?」って思うことがたまにある。
演技力的には実力あっても根本的に声質が当時のメインヒロイン向けのものだから
どうしてもオバサン役みたいなのは齟齬がでてしまっているというか、
多分そういうのが合う人は若いときからそういう役をやれる感じの演技してたよね。
顔と違って声帯なんて30半ばとかそのくらいで老化するもんじゃないし。
グランディアの世界の果てを超えるシーンは素晴らしい。それと、スーとの別れも印象的
スー(8)は主人公ジャスティン(14)の幼なじみで子供のクセに「ジャスティンには私がついていないとね」的なことを言って保護者ぶるBJのピノコポジション
スーはジャスティンと一緒に旅に出て、世界の果てを越えた後も旅を続けるが、ムリがたたり寝込む。自分は子供でジャスティンたちの足手まといになるからとパーティー離脱を決意。ジャスティンはならばと先へ進むために取ってきたはずの転送アイテムをスーを故郷へ帰すために使うことに
その別れのシーンでプレイ当時、自分ボロボロ泣いて、今もちょっと調べてまたホロっとした
冒険途中でフィーナ(15)という真打ちメインヒロインが仲間になって、バトルでもスーの影が薄くなるんだけど、スーからするとフィーナみたいな圧倒的才能を隣にするプレッシャーは相当だ
増田が「上手が怖い」という流れでグランディスの話を始めたのでスーとの別れが出るかと期待したけど出なかったので自分で書いた
それでも、スーはジャスティンが居なければ世界の果てを越えてその先を見ることはなかったことも事実
世界の果てのその先への冒険を創作に喩えるなら、冒険者には様々な支援が必要で、金銭的なものはもちろん、作品発表直後のポジティブなフィードバックが一番精神的支えになるという言は多くの創作者から聞く
スーはED後美しく成長し故郷でジャスティン、フィーナ達を待つ「港の女」ポジションに収まっているけど、こうして何者にもなれずにボンクラに年を経た自分でも「港の女」になれるなら、それはとても嬉しいことだと思う
昔ちょっとだけでも一緒に冒険した想い出が、冒険譚を語るその舌を少しだけ滑らかにし、彼らが次の冒険へ進む一歩の僅かな助けになるのなら
20歳。「彩花」と書いて「さやか」。諏訪彩花は「すわ あやか」なので紛らわしい。朝井彩加は「あさい あやか」。あやか派優勢。アイドル声優を次々生み出すアイムエンタープライズの新人。過去には帰宅部活動記録という過酷な作品で頑張っていた。そしてその後順調に成長している一人。努力をすれば成長する。オルフェンズのクラッカは何気に好き。来年は遂にメインヒロイン作品あり。甲鉄城のカバネリ。
18歳。過去には「ポニーキャニオンアーティスツ」という事務所に所属していたのだけど、いつのまにか「スワロウ」という事務所に移籍してた。いつから?ちなみにこれって「ポニーキャニオン以外の仕事もしたいです」というポーズだと思っているんだけど、未だに遠藤ゆりかも含めてポニキャンの仕事ばっかり。来年メインヒロインが決まったあんハピがポニキャン作品なのか情報ないけどどうなんだろ。原作をよく知らないんだけど、きらら系だし放送始まってからの爆発に期待。難民受け入れてくれる作品になりますかね?
18歳。ロリ系の声質。久野美咲のポジションを狙ってブレイクして欲しい。ロリ系だと長縄まりあという強敵がいるんだけど、あえて木野日菜。よりマイナーな方を選択したいだけです。wikipediaのページすらまだない新人。今回のチョイスの中で一番の勝負手。モブで時々クレジットされているのを見かけるんだけど、声に結構特徴があってモブっぽくない。だからもう少し目立つキャラやってほしい。
19歳。またアイムエンタープライズの新人。アイムエンタープライズは千本木彩花を入れたから外そうと思ったけど、やっぱり可能性高いかなと思って入れる。この事務所は適当な新人言っておけばそこそこな確率でブレイク枠に入る。デビュー間もないのにメインキャラ含めて着々と仕事増えてるし、来年はヒット作で是非メインヒロインを。公式のプロフィールページがまだない(!)ので、ダ・ヴィンチニュースの声優図鑑でご確認下さい。公式ページが無いのに声優図鑑から取材を受けてしまうポテンシャルを感じて頂きたい。声優図鑑は毎回楽しみにしてます。
22歳。沢城みゆきが離れ、阿久津加菜が声優を諦め、声優だけはやめておけと大塚明夫が言う、古豪マウスプロモーション所属の次の子になってほしい。五十嵐裕美→加隈亜衣→高野麻里佳…の次に続け!黒沢ともよか桑原由気の方が可能性あるかな…?そういえばぽこちん村の村長もいたな…。可能性のある新人は沢山いるように思うのだけど。
いや出演本数自体はまだまだ多いし現役なんだけどさぁ。
「このアニメの魅力は?」
って聞かれた皆が「釘宮!」
って答えるような、そんなアニメが見たくない?
まじめに見るにはあほらしいがデレステプレイしながら横目で見るにはちょうどいいアニメだ。くだらなさ過ぎて逆に面白くなってきたので毎回感想書く。
3話からはさすおにとISを封印して、両者の比較をしていきたい。アスタリスクは今日の夜に追記。
両者を比較すると
どちらもハーレムもの。どちらもメインヒロインがいるが、新ヒロインが登場してメインヒロインをたきつける展開が共通。
落第騎士はメインヒロインに一途なのに大してアスタリスクはふらふらしている。
主人公の性質は落第騎士の方が良い。ヒロインは落第騎士がちょろすぎでアスタリスクはそれなりにツン維持。
どちらも大会に出て勝利していくという展開は同じだが落第騎士は一人でOK、アスタリスクはペアが必要。
そのためか、落第騎士のヒロインは物語における重要度がひくせいか、2話でさっそくメインヒロインがソープ展開で存在意義をアピールするはめに。
以下メモ
英雄譚は今のところEDがアリプロであることくらいしかおすすめポイントがない。もう全く先の展開が楽しみじゃなくなっている。
1話の時点でさすおにじゃねーかと言ってたわけだけれど2話ではそれがさらに加速する。
http://anond.hatelabo.jp/20151007090612
ブラコンの妹しかも氷属性がでてきたり、実家より疎まれて影の存在として扱われていたなどさらにさすおに度が増した。しかし設定が屋上屋を架す状態になっているさすおにとくらべておそろしくシンプルである。余計なものはそれほどない。
子供の頃は達也を疎んじていた司波深雪と違い、妹は最初から兄のことを愛しているし、兄との能力的結びつきもない。主人公は単に能力がなかっただけで、さすおにと比べて改造されて極悪なものをつめ込まれた、というような設定もなさそうだ。というわけで、さすおにと似ているが、ストーリー的に複雑に、あるいは大きく盛り上がることは全く期待できない。俺的には「バトルに負けて下僕としてスタートしているが、そこから活躍してヒロインを見返していく」というゼロの使い魔方式のほうがはるかに面白かった。いまから考えてもゼロの使い魔は面白かったなぁ。アニメだとくぎゅうあにめにしか見えなかったやついるかもしれないけど。
さすおにとの大きな違いは主人公の性格と、それからちょろすぎるヒロインの存在か。単に学園モノをやるだけなら司達也の設定は盛りすぎなのでこれで十分といえば十分だ。実際さすおにについてはヨコハマ騒乱編が終わる辺りまで、その盛りすぎた設定の説明がくどくなり、アニメでもお兄さま自慢アニメという扱いになっていたしな。そういう意味でたいして深みもない代わりに、主人公の性格はさっぱりしていて不快でないのが良い。 さすおにみたいに境遇や経験のレベルが違いすぎるから仕方ないとはいえ学生相手に超上から目線で説教めいたことを語ったり、表面的な態度は紳士的であるが実際には妹以外の学園の人間などひとしく無価値とみなし、必要があれば利用しても切り捨てても厭わないという設定は、いくらややこしい大人メインの設定とはいえ不快だし、この作品では不要だ。それよりは学園における人間関係やイベントを真面目に全力で楽しむような主人公の方が適しているだろう。
というわけで、この作品の主人公はいいやつで、普通のやつなので、すべてのものを手にしながら妹一筋、みたいな展開にならないし女の子とキャッキャウフフを楽しみならストーリーがチマチマ進むのだろう。そのうえで、きっちりメインとなるヒロインを立てて、それを軸にして話を進めていく。
IS的ハーレム展開はアスタリスクの方だと書いたがこちらのほうがまだ見れる。
新妹魔王と全く同じ展開で、見た目も似たような幼なじみが登場。あと1話でもいた巨乳東山会長が登場。ぱんぱかぱーん。
強力な特殊武器を利用できるのが女の子以外は主人公だけという設定といい、ヒロインの造形と言いなんともISですなぁ。
落第騎士みたいにペラペラ主人公や妹がすべての事情を喋ったりはせず、まだ秘めてるものはありそう。
ヒロインたちもすでに完落ちの落第騎士と比べて癖があってよろしい。
さすおにとちがってISは特に語ること無いからアスタリスクも語ることはそんなに無い。
35小隊 1話
メタ的な要素をもちつつも結局ベタベタなテンプレ展開をなぞっている。
メインヒロインはやはり優等生だが一話でいきなり一人だけぶっとんだ設定をぶっこんできてわけわからん。演技はすごかったけど
特定のヒロインのルートを行くのに、周りのヒロインを一通り味見して何も解決しないまま
まだ比較的マシなましろ色も友人Aが滑り台しなくちゃいけなくなったし端折り方がいい加減だ。
特定ヒロインルートに突き進むのなら大事なキャラ以外のヒロインは紹介程度に留めてくれ。
でなければ、無駄に期待して嫌な思いをする。
その点じゃヨスガ(やエロゲじゃないけどアマガミ)はヒロイン毎にルートを作っただけ遙かに良心的な設計だった。
また、オマンツェも割と最初から主人公がピンクに固定してたからジョストとかいうロックユー!のパクリみたいな事やらかしても充分許容できた。
『映像ミザンセーヌの黄金則 ヒットする映画の作り方』において金子は次のように指摘している。
シナリオは筋書き(プロット)と描写(レンダリング)から成り立っていますが、シナリオからの分析局面では、プロットそのものはあとに残る印象要素ではないということです。複雑なプロットであればあるほど、観る人をひきつけはしますが、覚えることは難しい。したがって他の人にも伝えにくいのです。したがってプロットに関しては「面白い」「いい」だけ。覚えている印象のほとんどは、描写です。つまり、シナリオライティングのミザンセーヌに関していえば、レンダリングが重要だということになります。
ラノベにおいても抽象度の高い「筋書き」を具体的に「描写」していくという作業は多くの作家が認めるところである。映画は「筋書き」である台本と「描写」である映像に明確に分離可能であり、それと比較すればその境界は曖昧でありつつも、基本的な考え方としてラノベにおいても両者を区分することは可能であろう。
様々な作家による小説、ラノベの創作技法において、そこに書かれた技術がどちら寄りかを意識してみると、人物設定はどうあるべきか、世界と主題の関係についてといった「筋書き」寄りの内容に対し、「描写」寄りの内容はその紙幅のほとんどが正しい日本語講座に費やされていたりする。
正しい日本語で書けるようになりました、とは読者に苦痛を与えずに「筋書き」を伝えられるようになりました、というに過ぎず、そして苦痛なく読める文章であることは読者にとっては当然であり、その意味でこうした日本語講座は「マイナスをゼロにする」ものでしかない。実際、ラノベワナビを数年続けているような人であれば読めない文章であることは少ない。しかしそれがなぜつまらないのか、といえば、まさしくそれがゼロでしかないからではないのか。
一方で「ゼロではなくプラス」のラノベは確かに存在する。とすると「ゼロをプラスにする」、すなわち「筋書き」を単に読者に苦痛を与えずに伝える方法ではなく、魅力的に伝えるための方法はあるはずである。
ラノベを含む多くの創作論では「とにかく色々読め」という指摘がなされている。それは直接的な知識の吸収のみならず、そうした多読から無意識に「魅力的に伝えるための方法」を抽出し、そしてそれを自作においても無意識に利用するようになることを期待してのものであると筆者は考えている。
であるならばそれは、システマチックに再利用可能な一定の演出法――いわば「テンプレート」として抽出可能なのではないか。
仮にそうだとすれば、筆者はこの演出法には大きく二段階あると考えている。一つは筋書きを主たる場面に分解したとき、そのそれぞれの場面をより魅力的に見せるための場面展開の組み方、いわば「レイアウトの仕方」であり、もう一つは場面それ自体の品質を直接的に上げるための「描写の仕方」である。
金子が映像に関して指摘するように、ラノベにおいても「描写の仕方」の影響は非常に大きいだろう。しかし一方で「よく出来た話だ」という感覚を覚えるラノベがあるとき、それはこうした「レイアウトの良さ」によって得られる感触であり、それは文体が合わないとか、パロディが不快だといった個人の直接的な好みとは一つ別の次元での評価――「自分の好みではないけれど、でもよく出来た話だと思う」といった、評価の底上げに繋がる効果があるのではないか、と筆者は考えている。
「描写の仕方」については稿を改めるとして、本稿ではまずこの「レイアウトの仕方」についてのいくつかの私見を述べることとしたい。
本稿で抽出したいのはラノベの「筋書き」を魅力的に見せるための展開の仕方であって、あらゆる物語に普遍的に存在する何かではない。ロシアの昔話とギリシャ神話とキャラ萌え特化の現代ラノベに普遍的に存在する要素を抽出したところで、物語構造論的にはさておき「よく出来たラノベ」を書くためという点で言えば糞の役にも立たないと筆者は考える。
と大塚と新城をDisった上で、つまりある特定の様式における「テンプレート」の抽出が必要なのであり、本稿ではボーイミーツガールの様式をもつラノベに限定することとした。
ボーイミーツガールの定義として、例えば伊藤ヒロは「涼宮ハルヒやゼロの使い魔など、メインヒロインとの「出会い」がきっかけで平凡な主人公が非日常に入る、という構造」を持つと述べる。裕時悠示もまた「ヒロインが非日常をつれてくる」としており、まとめると主人公とヒロインの出会いとそれによる非日常の始まり、といったところだろう。
まず本稿では「主人公」は単に語り手もしくは視点人物とする。『涼宮ハルヒの憂鬱(以下ハルヒ)』においてはキョンが主人公であり、涼宮ハルヒはヒロインである。加えて主人公とヒロインの性別は問わない。『マリア様がみてる(以下マリみて)』においては主人公もヒロインも女性であり、『エスケヱプ・スピヰド』においては主人公は女性でヒロインは男性である。表現上の混乱を避けるため、本稿では男性ないし無性であっても「ヒロイン」と呼称する。
次に、では「非日常」とは何か。
例えば『灼眼のシャナ(以下シャナ)』では主人公はヒロインと遭遇する前に外敵に襲われ、これは明らかに「非日常」として描かれる。もっとも襲撃直後にヒロインとの遭遇がある以上、広義にはヒロインが「非日常」を連れてきたと言っていいだろう。ところが例えば『化物語』では主人公はヒロインと出会う随分前から怪異に接する生活に入っており、ヒロインがそれをもたらしたとすることには広義といえどいささか無理がある。
そこで「非日常」とは主人公を取り巻く環境の変化ではなく、主人公のとる「意識と行動の変化」であると筆者は定義した。『ハルヒ』も『シャナ』も『化物語』も、いずれもヒロインと遭遇後、主人公の行動はヒロインを意識したものへと変化し、その意識した行動を軸に物語が展開していくことになる。この点から本稿ではヒロインを「主人公が意識している相手」と定義する。
以上をもとに、本稿では下記の条件を満たすラノベをボーイミーツガールと考える。
なお、本稿におけるボーイミーツガールは排他的なものではない。ゆえに例えばハーレムラノベの代表格と言えるであろう『IS〈インフィニット・ストラトス〉(以下IS)』も、本稿ではボーイミーツガールとして扱う対象である。
これを基本条件として、さらに人気作の方が魅力的な展開が内在する確率が高いだろうという推測から、映像化された作品を中心に絞り込むこととした。
シリーズ化している場合、本稿での調査は原則としてその第一巻のみを調査対象とした。最初の一巻はそれだけである程度のまとまりを見せる構造を持っているだろうと思われ、またその出来がいいからこそ続刊が決定したと言うことができるだろう、という推測によるものである(細かく言えばボーイミーツガールとしてのひとまずのオチが付いたと筆者が判断したところで区切ったため、『化物語』はひたぎクラブのみ、『星海の紋章』は全三巻と対象範囲に差はある)。
以上からWikipediaのアニメ化されたラノベ一覧からランダムに選び出し、上記の条件に該当する作品50冊を調査した(一部個別判断からアニメ化されていない作品も含めた。また本稿では「ラノベ」の定義については特に踏み込まない)。これらを以下本稿では「ボーイミーツガール」と表記する。
長くなったが、以下やっと本題に入る。
本稿では「ボーイミーツガール」を遭遇と関係構築で成り立つものと考え、それぞれについて「テンプレート」を抽出することを試みた。いずれも個々のラノベからその要素の類型化をまず行い、次にそれらが実際にどう扱われているか、またどのような扱い方がされるとより「よく出来ている」と筆者が思ったか、という恣意的な判断によってまとめたものである。学術的な検討がされたものではないし、類型化の際の用語も筆者が勝手に命名したものでしかない点は注意されたい。
「主人公がヒロインとの出会いののち意識するようになる」とは、主人公のヒロインに対する見方が変わる、と換言してもいいだろう。その意味でヒロインとの物理的な出会いのみならず、「ヒロインに対する主人公の見方が変わる」ことも含めて本稿では「遭遇」と定義する。
さて、「よく出来た遭遇」は印象に残るものであり、そして意外性は印象を残す一つの要素たりえる。実際多くの「ボーイミーツガール」は遭遇時にヒロインの「意外性のある設定」を明らかにする。
問題は、その「意外性のある設定」は凄まじい勢いで陳腐化する、という点である。
突然同じ部活に所属することになったヒロインが毒舌家であることが明かされる『やはり俺の青春ラブコメは間違っている(以下俺ガイル)』、突然同じ寮に入ることになったヒロインが天才画家であることが明かされる『さくら荘のペットな彼女』、突然同居することになったヒロインがサキュバスであることが明かされる『ご愁傷さま二ノ宮くん』などいずれも「意外性のある設定」が明かされるが、それが筆者に十分なインパクトを与える意外性であったかといえば否定せざるをえない。ヒロインが魔王だろうが神様だろうがそれがどうかしたのかと微塵も関心を示せない読者は特に筆者に限ったものではないだろう。
筆者が考えるに、これに対するアプローチは大きく2つに分けられる。ひとつは「設定の極端化」、もう一つが「演出の工夫」である。
「設定」の新規開拓はもはやほとんど絶望的だが、既存の陳腐化した設定を極端化することによって意外性を勝ち得ているものは確かに存在する。例えばヒロインが挨拶代わりに主人公を撲殺する『撲殺天使ドクロちゃん』はその典型例と言える。問題は極端化が進めば進むほど馬鹿げた内容になりがちであること、さらに所詮は既存の内容の延長上にあることから読者の十分な意外性を得ることができず、陳腐で馬鹿げたものとしか認識されないリスクを内包する、という点である。
既存の陳腐化した設定を使い回しつつも、その演出によって読者の興味を喚起することは可能である。そこでまずいくつかの代表的な遭遇における演出の類型を整理したい(以下で全ての類型を網羅しているといった主張ではない。為念)。
クーンツは『ベストセラー小説の書き方』において、物語冒頭で主人公が困難に直面することが読者の興味を喚起する重要な要素である、としている。ヒロインの設定に意外性が乏しく魅力が無くとも、遭遇の場面の魅力はこの「困難さ」で補填することが可能である。ヒロインの奴隷だと告げられる『ゼロの使い魔』、異星人に狙われる立場だと判明する『這いよれ! ニャル子さん』、突如男性主人公が美少女に変わる『俺、ツインテールになります』などが具体例としてあげられる。
とはいえこれらの例において実質的に主人公が困難を自覚しているものは少なく、その解決へ向けて真剣に行動することはほとんどない。いわば形式的な困難さでしかなく、そうした困難さは筆者の興味を喚起するものではなかった。
一方で『シャナ』は主人公が強く困難な状況を自覚し、絶望するところで始まる。トーチ云々の中二病はともかく、ヒロインに命を救われたと思いきや「いやもう死んでるから」と否定され、残りわずかな自分の人生に悩む流れは使い古されたそれでありながら、筆者は悪くない印象を持っている。形式的困難に全く効果が無いわけではないだろうが、より効果的にしたいのであれば実質的困難とした方が無難とは言えるだろう。
偶然からヒロインの秘密を主人公が知ってしまい、ヒロインもまたその漏洩を把握する、という遭遇の類型もまた古典的展開と言っていいだろう。『乃木坂春香の秘密』などはこの典型例と言える。
知ってしまった秘密を主人公はどうするのか、秘密を知られてしまったヒロインはどうするのか、という次に当然起こるであろう緊迫した事態への興味を効果的に喚起させることができる上、それまで互いに無関心であった主人公とヒロインが相互に強烈に意識し始めることが読者に必然的に伝わる、という強力な副次効果を持つ。また秘密の漏洩はヒロインにとってみれば「困難の直面」に他ならず、そこで極限状態に置かれたヒロインがどのような行動をするか、とはそのヒロインの人格であったり本性を端的に表すものと読者に暗黙に理解させる点でも効果的に機能する。
その状況が主人公にとって予期せぬ事態であり、なぜそんなことになったのかという困惑と疑問が生じる遭遇は読者の興味を喚起するという点で効果的である。
例えば『タイム・リープ あしたはきのう(以下タイムリープ)』においては記憶の混乱という謎がまず読者につきつけられ、その解決が物語の主たる軸となる。『のうりん』においては主人公の崇拝するアイドルが電撃引退の上突如転校してくるが、彼女がなぜ転校してきたのかが物語の中心に据えられている。
しかし『タイムリープ』と『のうりん』を比較すると遭遇の出来の良さは(筆者にとっては)圧倒的に前者である。その違いは、おそらく単純に「読者の興味を引く謎か」という一点に尽きると思われる。この類型はヒロインの設定の意外性ではなく謎の意外性で勝負していると言ってよく、ゆえにどれだけ読者の興味を惹起することのできる「謎」を思いつくかがこの類型の要点と言っていいだろう。
例えば『マリみて』における「タイが曲がっていてよ」のように、これまでに見たことが無いような強いインパクトを与える絵面を描くことで読者の興味を喚起することに成功しているものがある。
筆者は全く百合趣味が理解できないが、そうであっても「美人が美少女のネクタイを締めてあげる絵」というのはなるほど悪くない絵だという実感が得られ、印象に強く残っている。
『マリみて』ほどの強力さは筆者には感じられなかったが、例えば『とある魔術の禁書目録(以下禁書)』における「帰宅したらヒロインがベランダにひっかかっていた」という絵もこの類と言っていいだろう。
以上、いくつかの類型を述べたが、より効果的に演出する方法としてこれらを多段階構成にする、という手法があると筆者は考えている。
例えば『俺の妹がこんなに可愛いわけがない(以下俺妹)』ではまずヒロインのエロゲ趣味が主人公に漏洩する第一の遭遇(秘密の漏洩)があり、それについての一段落が描かれたのち、夜中ヒロインが主人公の自室に侵入する第二の遭遇が発生する(謎の提示)。
『化物語』の第一の遭遇は階段から落ちたヒロインを抱き留めるという古典的なそれであるが、これは同時に「ヒロインに体重が無い」という「謎の提示」と「秘密の漏洩」として機能する。次にヒロインの病弱さがひとしきり語られたあとで、ヒロインがカッターナイフとホッチキスを主人公の口に突っ込み脅迫するという第二の遭遇が描かれる。攻撃的性格のヒロインに特段の目新しさはないが、文房具を凶器として使うこの絵面は筆者にとって十分インパクトがあった(印象的な絵面)。
『とらドラ!』の第一の遭遇はヒロインが主人公を睨みつけるだけの地味極まりないものである。ところが第二の遭遇はヒロインが机を吹き飛ばし掃除道具入れに隠れるところを目撃するという奇妙なものであり(謎の提示)、ラブレターの入れ間違えの発覚を踏まえ、その「秘密の漏洩」への対抗策として主人公宅へ夜襲をかける第三の遭遇と畳みかける。
興味深いことに、このときいずれも各段階の間に一拍が置かれている。それぞれの遭遇は矢継ぎ早に連続して矢を刺すというより、一本矢が刺さってちょっと痛みに慣れてきたところで二本目を刺す、というテンポと言ってもいい。
例えば『俺妹』ではエロゲをヒロインに返した際、その場でヒロインが主人公へ自室でそのゲームをプレイすることを要求しても物語上何ら影響はない。しかし一旦そこで一区切りさせ、主人公に「これで今まで通り、互いに無視しあう兄妹関係に戻るのだ」と吐露させ、その上でヒロインに夜這いさせることで、単にその場で依頼をするより読者に強いインパクトを与える効果を生んでいると考える。