何かを作る人は、上手なものが怖くなったりしないだろうか?
私は怖い。誰よりもいいものを作って、一番になりたい。
でも、他人の新作は絶えず生まれ続け、時々、若くてすごい作品が現れる。
最初は他人の作品に憧れ、感銘を受け、それにたどり着きたいと思った。
心の中では思っていたはずなんだ。。。
しかし自分で創作を試み、他人に評価され、誰かより劣っていると・・・
「お前には才能がない」と面と向かって言われるようになり、
だんだん焦ってくる。
誰よりもいいものを作って、一番になりたい。
そう願えば願うほど、意識せず、自分の作風や限界値みたいなものが見え始め、
夢の輪郭・・・わかりやすく言うと終わりのようなものが見え始める。
話は変わるが、昔「グランディア」というテレビゲームがあった。
簡単なあらすじはこうだ。
人はそれを世界の果てだと呼び、この世界はあの壁までしか存在しないと信じていた。
冒険者の時代はすっかり終わってしまっていた。誰もがこの世界はあの壁までしか存在しないと信じ込んでいたから。
世界の果て(あの壁)の向こうにはさらなる世界が広がっているのは信じる主人公だけ。
どうだろう。
私にとって他人の上手な作品は、世界の果ての向こう側が見つかったというニュースに思える。
目に見えるあそこに辿り着けばゴールだという分かりやすい指標が崩れる。
世界がどこまでも広がって、私は途端に怖くなる。
ただただ私はいつのまにか私だけを愛するようになってしまった。
上手なものが怖い。
グランディアの世界の果てを超えるシーンは素晴らしい。それと、スーとの別れも印象的 スー(8)は主人公ジャスティン(14)の幼なじみで子供のクセに「ジャスティンには私がついていな...