はてなキーワード: 気づきとは
この件。
https://www.asahi.com/articles/ASP334F5JP2SUTIL01Z.html
本人はこう言っている。
すると、写真を加工して自分を良く見せようとする人は、女性だけではなく、男性にもいる。じゃあ、なんで俺は女性に限定していっただろう。あ、自分の中に「女性をいじったら面白い」という感覚があるぞ。これは、女性を蔑視していると言われても仕方がないじゃないか――。そう気づきました。
「なにが悪かったかわかってんのか」と怒られて、相手がなんと言ってほしいかを考えて発言するというのは一般的な反応だ。そのとき、それが仮に自分の本分でなくとも「そういうことにする」ということも十分にあり得ることである。
仮に本当は「「写真をカチ盛りしたホスト」のことだってネタにし得るなぁ、だから女だから馬鹿にしたのでなく別のところ(自分よりも性的強者への反抗として)の差別意識だつたんだよなぁ」と気づいたとして、それを言えば「そうではない」と散々にピラニアに食い尽くされるのは目に見えている(実際最初の謝罪は否定されている)。彼のような吹けば飛ぶような立場の芸人ではそれを避けざるを得ないのは想像に難くない。だから「相手が求めている自分の悪かったところ」を精製する。そして発言し、場合によっては自分を「洗脳」する。
これはまさに発言の抑圧であり圧力による洗脳である。それは暴力を振るう父親や不機嫌を人質にする母親と同じ手法の洗脳方法だ。それがまとまった数で襲ってくるのである。しかも現代はそれを止めるものがない。暴力親父ならまだ児相や法律が(場合によっては)守ってくれる。しかしこの洗脳者達からは誰も守ってはくれない。「自分が悪かったのだ」と思い込み自責するまで、洗脳者は解放しない。SNSで怒鳴りつけ、判断力を奪い、監視し、念の為何度か追い打ちをかけ、洗脳が完全に完了し洗脳を周りに伝染させられるようにさせる。
これが正義だと私は全く思わない。今はまだそれが不徳なことであると定義されていない。総合的にみれば女性が社会的弱者であることは否定できない事実と考える。それ故に、その訴えは非常に疑いづらい性質を持つと考える。
男だから女だからという時代は早く終焉してほしい。今の時代は一方の「違和感」を抑圧し強制排除している。抑圧は反発を産み、爆発したところでまた反対側に過剰にブレる。まあ、増えすぎた人類には丁度いいのかもしれないが。
エッセイって、結局書き手の主観で物語が進行するから、誰かを一方的に悪者してしまえるし、もしそれを指摘されても「そんなつもりじゃなかったんですぅ~~」って言い逃れできるよね。
分かりやすい表現の手法を持っている人が自分の過ごす日常を切り取って他人に読ませるのはたしかに素晴らしいエンターテイメントだろうけど、書き方ひとつで誰かの人生に影響を与えてしまう、使いようによっては洗脳手段のひとつだと思う。
病気、職場、性自認、育児、恋愛、趣味、その他諸々のエッセイが世の中にあるけど、フラットな目線のエッセイって存在しないんじゃない?って、こう考えてる自分も主観でモノ言ってるんだけどね。
そもそもフラットがどの位置にあるかなんて決まってもいないし。
まあ1番拗れるのは人間対人間だからってのもあるんだろうな、嫌な思いをした時に悪人を1人用意するだけで、自分を擁護してくれる意見を待つわけだから。
もちろん、書きたいから書いてるだけって人の方が大半だとも思うよ?
でも、他人に発信する時点で「こんな酷い目に遭いました!こんな酷いことをされました!自分かわいそう!!」というアピールにしか見えなくなってしまったので、他人のエッセイはチラ見がベターなんだと気づき、最終的には【自分を悪者にしない著者の、嫌な部分しか目につかない】自分の心が狭いって悟りましたとさ。
今、ムサビの油絵科にいるんですが高校の頃から思考停止してたかもしれないと気づきはじめました。入学してだいぶ経っているんで今更?という感じだけども。
わたしが美大を目指したのって美術を学びたいわけでもなく就職したいわけでもなくただ絵が上手くなりたいってだけだったのかもなと思う。
正直なところ絵のことあまり好きではないだろうし、情熱もそんなないんだけど、幼少の時から絵が上手くなりたいって想いは一貫してもってるなと思う。
多分絵が上手くなりたいって想いだけでここまで来た。画力の向上と美大の相関はないから道間違えまくってる。(多分美大に合格する=絵が上手い認定って考えがあった)
あと受験のとき最初デサ科志望だったのに平面構成合わなくて即油絵志望に転換したのも平面構成(デザイン)じゃなくて絵が描きたかったからなんだろうな。日本画ではなく油絵だったのは単純に西洋絵画が好きだったからかな。
芸大落ちてムサビ補欠だったときそんな落ち込まなかったのも予備校で描いてりゃデッサン(絵)上手くなるからいいやっていうのがあったのかもしれない。受験ストレスは凄かったけど。
芸大第一志望でムサビ第二志望だったけど芸大第一志望だった理由が「風潮的に芸大がNo. 1だったから」「学費が安いから」だった。ムサビを第二に選んだ理由は「風潮的に芸大の次はタマムサだから」と「芸祭がよかったから」。
これ、ムサビの「芸祭がよかったから」が一番しっかりした理由じゃないか?なら、私の第一志望ってムサビだったのでは?と思う。今ムサビに通ってるからそう思うだけかな。でも、そう思うってことはムサビで色々学べて楽しいってことがベースにあってこそよね。いいことです。高い学費をありがとうお父さんお母さん。
とりあえず今は会社に入って働いてみたいから就職しよ、楽しかったらそのまま続ければいいし飽きたら院とか考えてみよかなー副業で作家もよさそうーと軽く思ってるんだけどこれまた思考停止してんのかな。
横入りだけと、増田の意見と元の意見、次のように整理できると思う。
なお、比喩がしばしば問題を誤魔化す可能性があることは承知だが、適切に使用すれば、問題の構造を単純化するのに有効なツールだとも思う。だから、あえて比喩を使って整理してみる。
「嫌うこと」=嫌うこと
「差別」=被害が生じるような行為(だから、社会的に許容されない)
「批判」=注意する
これを用いた私的整理
元の意見は、「嫌いな奴を叩いたら痛いでしょと注意された」という人に対して「嫌うのと叩くのは別で叩いたら注意されるでしょ」
……こう整理してみると、問題は2点ある。
(1) 元の意見は、「注意は正当だよ=君は行為を改めるべきだ」と相手を諭す意見。つまり活動家の立場。それに対して増田の意見は「社会的公正さ」に関する話。これは理論家の立場。主張のレイヤーが全然違うので、これはそもそも「議論」にならない。
(2) 元の意見に対する増田の批判を上のように要約すると分かるが、増田の意見が「叩く行為」と「被害が生じる行為」の区別が難しいことを前提としていること。
(1)は理解しやすいと思うが、(2)の問題がどこにあるかを少しだけ付言。「区別できないケースがあること」は「区別できないこと」を意味しない。だから「区別できないケースがあること」をもって「区別した行為」を批判するのは筋が悪い。現代社会で「オレはLGBTが嫌い」を公言することは、明らかに差別になり得るし、それを指摘したこと自体は適切だ。それは、増田も認めるのではないだろうか。
その上で、増田の意図が「区別できないケースもある」だからそういうケースでは当然「手加減すべき」という趣旨にあるのは理解する。(ポリコレ棒を用いて人を殴りまくる行為は、確かに最悪だ。そういう光景に覚える怒りにも共感できる。)たとえ相手が強者であっても、叩かれて被害がゼロというわけではないので、それが受忍すべきものかそうでないか判断が難しいケースもあるだろう。弱者に人殺しのフリーライセンスがあるわけではないのだから。だがそれは、元の意見の人も当然認めるのではないか。
では、問題はどこにあるか。私は、強者は当然のこととして「痛くない程度には叩かれるべきだ」と思っている。多分、このあたりが増田と私の違いではないか。
おそらく、増田は公正さに敏感で、かつ、強弱に関する自己責任論をどこかで軽く前提しているのだろう。それなら、「自分の責任で弱者になっている人間」に少しでも「余計に権力がもたされる」ような行為に社会的不公正さを感じる(言い換えれば「頑張って強くなった人間を、頑張らずに弱者である人間がバチバチ叩くのは間違ってる」という感覚)のは当然かもしれない。それに対して前に述べた私の個人的見解は、強者・弱者は社会が構造的に作り出している部分が大きいという考えをベースにしている。それは、言い換えれば「強者は社会の中で置かれた立場で強者として役割を与えられて振る舞っているだけであって、強者としてのメリットを享受するなら当然そのデメリットを受忍する義務がある」と考える立場である。たとえばノーブレス・オブリージュもその一つだし、なんなら民主主義も(どんな強者も、その権利については弱者と同じレベルまで切り下げられることを認める、という意味で)その一つだ。これについては、強者は泣き言を言うべきではないとも思っている。なぜなら、まず先に社会は構造的に弱者を痛めつけていると考えるからだ。強者が気づきもしない痛みを弱者は日々甘受させられている。ならば、強者もまた同様に痛みを甘受すべきだ。これが私の思う「公正さ」だ。増田は「それなら、誰も強者になろうとしないし社会の発展も無いでは無いか、それは資本主義的ではないではないか」と言うかもしれない。だが、資本主義にも無限の自由が許容されているわけではないし、無限の自由を許容しなければ発展が見込めないというはずもない。むしろ「適切に強者を弱める」方が社会の流動性を高め、健全な競争を促し、社会全体を活性化させることが見込めるという考え方もできるだろう。「だから、その『適切さ』が問題なのだ」……と言うなら、もちろんその通りだ。そしてそれは、個々の場面について論じることでしか解決できないと思う。
だから、元に意見については〈今回の指摘は適切だった〉。だが、増田が言うように〈それは常に批判が正しいことを担保しない〉。それでいいのではないだろうか。
こういう風に肉食者とかヴィーガン関係なく、頭の良い人は客観的に公平に分析できることがわかり単純にうれしい。
いろんなスレでも書いてるがヴィーガンになると食費は3割~5割減になる。
肉にさいていたエンゲル係数を米とか他のものに費やすことになる。
自分はオーガニックとか無知だけど、ヴィーガン女性がオーガニックにこだわるのはよく目にする光景。
なのでそれは余裕といえば余裕だし、1食分を丁寧に食べるので、はたからみてリッチに見えるのも事実である。
また一般論として教育水準が高いことによって自分で畜産や環境の現状を調べることができるというのはあると思うので、
なお自分は平均以下の低所得者であり親戚家族にもヴィーガンは皆無である。
とくにヴィーガンを開始した時期は明日の生活にも困る生活であったので、人によると思うが、
自分の場合は低収入で苦しいことで逆にヴィーガンのメリットに気づき、継続しているという事実もある。
たとえばスーパーの男爵イモよりキタアカリという通販で買うイモのほうが1.5倍ほど高いのだが、味が全然違う。
また白米より玄米で購入してぶづき米や胚芽米にするとコメ自体が美味いのでおかずがいらないということもある。
こんなことは肉食を続けていたら一生気づくこともなかったと思う。
このようにヴィーガンのメリットは知識がつく(=料理もうまくなる)ということもある。
ヴィーガンを横目から見る人はいかにも上から目線で高慢のように見えるかもしれないが、
それは縛りプレイをしていることで否応なく食生活の知恵がつき、一見金持ちの享楽のようにも見えるからであろう。
実際は自分のように低所得の理由からヴィーガンになる人もおり、
そして低所得でもそこそこリッチな食生活になるということが可能、という意味で、コントロールができている満足感がある。
春から大学生になるが、最近、自分は母親が少し苦手なのではないか?と気づき始めている。
小さい頃から我が家は仲良しだと思っていた。今でも家族3人で出かけたり、しょうもない話も真剣な話もしたりする仲良し家族だ。仲良し家族だと思っていた。
数年前から、母の、別にそこまでキレる事じゃなくない?ってことにもイライラカリカリして物に当たるところとか、何をするにもやたらとドッタンバッタンガッシャンと音を立てるところとか、嫌なところばかり目について疲れてしまうようになった。
母は私が小学生の頃は専業主婦だったが、今は祖父(母の父)の会社で事務をしている。父は自営業。
親のことをこんな風に書くのも酷いけど、母は感情のコントロールがあまり上手くできない人、目先のことばかり考えて面倒事を後回しにする人だと思う。
冷蔵庫の中に賞味期限切れの牛乳パックがあるとする。それを取り出してから買ってきた肉などを入れればいいのに、牛乳パックの周りの僅かな空間に詰め込むようにして肉を入れる。次に冷蔵庫を開けた時に詰め込んだものが雪崩のように出てくる。そして「あ〜〜〜!!もう!!」とまた詰め込む。また開けた時に雪崩てくる。このような行動が一日に何度も見られる。
車でどこかに移動していて、信号なんかで止まった時、歩道を歩く人などを見て「あの人の服変だね」「あの人こけしみたいな顔だね」などと悪気もなく他人を貶めるところも嫌だ。「そんなこと言っちゃダメだよ」と言っても治らない。
疲れていたり、体調が悪かったりする時に、父に辛く当たるところも嫌。仕事が大変なのは分かる。祖父は頑固な人で、しかも平気で予定を変更したり、急に呼びつけたりする人(決して悪人ではない、私にとっては良い祖父だ)だから、そりゃあ鬱憤も溜まると思う。しかも母は偏頭痛持ちで、日によっては体調と機嫌が悪い。
でもそれを父に当たり散らすのは違うと思う。無関係の他人に当たり散らすなら当たり散らすで、誰にでも同じような態度でいればいいのに、私にはおちゃらけた態度で接してくるのも、なんか父を軽んじているみたいで嫌。
(よく女性が生理や妊娠を理由にイライラしてしまうことを許して欲しいみたいなことを言う人がいるけれど、それはそれ、これはこれではないか?と思う。
しかも、「私は裏表がある人間は嫌い!」とよく言うのに、父には辛く当たり、次の瞬間私には冗談を言う。矛盾していると思う。)
そして、ここまでの性質が全て組み合わさった結果、仕事が嫌だ、歯医者で働きたい(母は結婚前は歯科で働いていた)、といつも愚痴愚痴しているくせに、何年も何年も祖父の言いなりで会社を手伝い、イライラを家に持ち帰っては父や物に当たり散らして、家の中の雰囲気を最悪にする、「味方全体のMPを毎ターン吸収する」的な母が爆誕する。
そうなると、自分になにかされたわけでもなんでもないのに、どうしようもなく辛い気分になって、イライラして、部屋に閉じこもるしかなくなる。
仕事が嫌なら辞めればいいのに、「父の会社を無くす訳にはいかないし〜」という正義感で続けている。そのくせ態度の悪い従業員の悪口を言う。結局、この年齢で新しい仕事を見つけるのが大変だろうから(こんな言い方も祖父に悪いけど)グダグダと召使いのような扱いに甘んじているだけだと思ってしまう。
我が家は恵まれている。実家があって、大学に行かせてもらえる。お金がなくて困ったことも1度もない。
だから文句を言うべきではないし、親に逆らうものではないと小さい頃から考えている(これはそう教育されたのではなく、同級生や世の中の色んな人を見た結果、そういう考えに至った)ので、両親に反抗したことはなかった。
反抗期もなかった。うるせーくそばばあ!とか、お父さんのパンツと一緒に洗濯しないで!とかもなかった。
でも近頃は喉のここら辺まで、「黙れや!」が出てきそうになることがある。
でも多分、そこで「黙れや!」を発動してしまったら、母と同じ「味方全体のMPを毎ターン吸収する子」になってしまうのではないか、と怖い。ナチュラルに母を見下して、自分はこうなりたくないと思っている自分も怖い。
早く一人暮らしをしたい。生き物や植物にだけ囲まれて暮らしたい。きっと私もこういった性質を受け継いでいるので、将来は結婚したくない。
>eringix ネットじゃ長らく(未だに)自らを童貞だ無職だと挨拶し合ってる自称弱者男性がその口でとんでもない女叩きしてる空気が強かったわけでそりゃ同じくネットに入り浸るタイプの女は何が善良な弱者男性だよと失笑はする
これが答えなんじゃないの。つまり本当はお前の数倍の年収あったり新入生を酩酊させてレイプする経験もあるような奴がネットでは「俺弱者なんで」という姿勢で(現実でもあいつはブスだとか差別やりながら)ネットでも女叩きを繰り広げてる 当然ネットの書き込みだから女側もいちいち嘘だとか検証するとかなく「(現実で関わりのない)弱者男性がネットで弱者女性叩きして憂さ晴らししてるんだろう」と想像する
「ネットで発言の多い奴は現実ではうるさくないんだろう」「現実でうるさい奴はネットでは発言が少ないだろう」という決めつけが広くあるために気づきにくいんだろうなこれ
このまま人と関わらずに生きていたら孤独死してしまうことに気づいた。
恋人などできたこともないし、作ろうと思ったこともない。消極的に生きてきて、向こうから働きかけてくれるような人としか友達になってこなかった。自分になにか、人を寄せ付ける魅力が備わっているとでも思っていたのだろうか。友情とか、愛とか、そういったものを軽視しすぎてしまった。友情とか恋愛ものの漫画を読んで鼻で笑っていた自分に蹴りを入れたい。わからなくて、恥ずかしかっただけじゃん。
そのくせ、自分の周りにはいい人がいないなんて一人で嘆いていた。自分が素敵な人じゃないと素敵な人は寄ってこないのに。
オシャレとか、自分磨きとかそういったものをバカにするんじゃなかった。周りにいる、優しい人に囲まれて笑顔で生きている人たちはきっと影でそういう努力をしていたのだろう。もちろん、外面的な努力だけじゃなくて、人間関係的な努力もしている筈だ。なんてことだ。
自分はこんなにバカな人間だと思わなかった。勉強だけは周りよりできたから、自分は頭がいいと過信してしまった。(高校に行ったら井の中の蛙だと気づいたけど)
今更、自分の子供っぽさに気づいた。周りは知らない間に大人になっていた。周りは知らない間に恋人ができていた。知らない間にちゃんと気を使えるようになっていた。自分勝手に主張する人なんていなくなっていた。私が昔バカにしていた人たちは、もうとっくに私を追い越して大人になっていっているんだ。バカにする対象がだんだん減っていっているのに薄々気づきながら、それでもやめられなかった。バカだった。
周回遅れでも、なにかは挽回したい。
とにかく、もっさりとした髪を美容院でどうにかしてもらう。コンタクトにする。もっと勉強する。趣味で中途半端なものはばっさり切り捨てて、やるものを取捨選択する。あと、もっとわらいたい。
低能力者自身が「低能力者を親に持ち、低い能力を引き継いで生まれるとほとんどずっと苦しいだけで全然いいことないな…」と気づきつつあるように見える
高能力者が「カスは死ね!生まれてくるな!」と思ってやるのがかつての優生思想だったが、最近はそうでもなさそう
低能力者が「カスだから死にたい!生まれてこなけりゃよかった!」と思い、犠牲者を減らそうとしているのがいまの優生思想なんじゃなかろうか
俺自身、低身長ブサイクADHDなので、子供を作る気はまったくない
政策で行われているわけではない、トップダウンじゃなくてボトムアップ型の優生思想だ
これは止められないぞお
「能力がなくたって、生きていいんだ!」
マズローの欲求ピラミッド(時代遅れ?)のうち、承認欲求を満たすことが低能力者にはできねえ
他人が書いた空虚な創作に没入して、自分が承認されてるような気分になるのが関の山 しかし人間そんなにうまくできてないので、やっぱりどうしても虚しくはなる
満たされないどころか惨めさまで抱えて、あげく「生きていていいんですよ!」なんて上から言われ、誰が前向きに生きようなんて気になるのか
低能力者みずからがこの世を見限り、血統ごと去っていく日が近づきつつある というか、すでに結構去ってるんじゃなかろうか
皆さんで素晴らしい世をお築きくださいませ!
私が高校生の頃、恐れていたものがある。美容院だ。鏡と数十分対面、オシャレな空間……。化粧も服も大好きだけど(出来栄えは置いといて)、美容院は苦手だった。そして一番いけなかったのは、当時の髪形だ。黒髪ひっつめ、前髪なし。前髪が長すぎてもう限界! とかそういう事にはならなかったので、極端な話、ずっと行かなくてもよかった。それでも、私は毛量が多かったし、何より、手入れされてない長髪ははっきり言って汚かった。なので、半年に一回くらい、死ぬ覚悟で美容院に電話し、樹海に行く気持ちで美容院へ行っていた。ちなみに、美容院とは言っているが、私が幼少時代から10年以上通っている1000円カットである。店主が一人でやっている、席が一つしかない店。店内はナチュラル系でまとめられており、テレビではアニメが流されていた。壁にはたくさんの漫画、棚には作りかけのウィッグ。そう、ここは人の髪を切ると同時にコスプレウィッグの制作もやっていた。オシャレ過ぎない個室、アニメの話もできる、そして安い。ここまで聞けばオタクにはさぞ居心地が良いと思うだろう。けどこの店には、致命的な欠点が二つあった。一つめ、電話予約しか受け付けていない。コミュ障は死んでしまう。二つめ、店主の話題が恋愛トークしかない。正直、これが嫌で美容院を変えたといっても過言ではない。当時私は女子校に通っていたので、彼氏だの好きな人だのの前に、男子がいなかった。それなのに、ふられる話題は恋愛ばかりだった。「好きな人いないの?」「女子校なんで」「通学路で素敵な人見かけないの?」「そんなに周り見ないんで」「好きなタイプは?」「えーよくわかんないです」などなど……共学に通っていたら恋愛トークできたのかというとそういう訳ではないが、「女子校だっつってんだろ!」と叫びたくなったことは一度や二度ではない。それに、当時はすっぴんひっつめで通っていたので、「このビジュアルの人間が恋愛トークできると思ってんのか?」などと思っていた。一応言っておくが、カット技術はめちゃくちゃ上手い。
けれど、恋愛トークに嫌気がさした私は、大学一年生のときに美容院を変えた。ここを、美容院Aとする。ホットペッパービューティーで予約した近所の美容院だ。カット2000円、今までの倍である。だがここではひどい目に遭った。店に入った瞬間、「失敗した」と思った。客のおばちゃんがパーマをかけながら、おばちゃん美容師と世間話をしている。明らかに年齢層が違った。それでも、「髪を切るだけだから」と腹をくくった。担当してくれたのは店主だというおじさんで、この人がまあタバコ臭いの何の……しかも下手。左右均等に切れないのか、しきりに左右の髪を手で合わせていたし、「うねりがあって長さが分からない」とストレートアイロンをかけられた。元からストレートだし、私の髪で「うねっている」と言ったらうねっていない人などごくわずかだ。それに、そんな事は他の美容院では一度もされた事はなかったし、今のところでもされていない。この時点で、「下手だな」と見限り、15cm切ってほしいと頼んでいたのを5cmにした。二度と来るかこんな店と誓って帰宅するとビックリ、左右の長さが2cmくらい違っていた。二度と行きたくないがお直しは無料のようだし、三日後くらいに行って直してもらった。
直してもらった私は、やはりきちんとした技術、接客のためには金を積まねばならんのかと新たな美容院を探し始める。この頃、ようやく前髪を作ろうとし始め、骨格に合う髪形を提案してくれるところを探していた。そして見つけたのが、美容院B。カット4500円。ここが、今もなお通い詰めているところである。ここがめちゃくちゃいい。恋愛トークしてこないし、技術も接客も申し分ない。それに、提案してもらった前髪が自分でも驚くほど似合っていた。この時はじめて自分を「かわいい」と思えたし、かわいくなったおかげで美容院が怖くなくなった。もっと言えば、自己肯定感が上がった。
ここは、はじめて行ったとき、席に着くなり「後ろめっちゃVの字ですけどどうしたんですか」と聞かれた。Vの字なんて全く身に覚えがなかったが、鏡で見せてもらうと、後ろ髪のシルエットがくっきりとVの字になっていた。「Aでやられたな」と気づきあの時の怒りを思い出したが、Bで無事に直してもらった。かわいい前髪ばかりかAでの損傷も直してもらい、私は「絶対また来よう」と誓った。その後、何だかんだでカラーリングやカットをしに通っている。
>コロナ禍でリストラ増えてるとかはわかる。だからちゃんと生きていくための副収入が必要なんだよとかも理屈的にはわかる、だから権利収入が得られるネットワークビジネスを始める人が増えてるんだよーっていうのもわかるけど、
>だから権利収入が得られるネットワークビジネスを始める人が増えてるんだよーっていうのもわかるけど、
全然わからん。あの手のものって商材が最初から無価値なものが多いのにビジネスとか思い込んでいる方が頭が悪い。っていう気づきは大事。
面接で空白期間があると、よく聞かれるというのが日本の特徴である。
人間のスキルや業務遂行能力を採用するのがジョブ型、つまりローコンテクストな文化である。
その逆に、日本は同僚の家族構成や性格、趣味などを理解することで業務効率が上がると信じられてきた。
営業やマーケターならパワーポイントの説得力ある資料、デザイナーなら優れた画像や映像や音楽、
企画職ならすぐれたアイデア、技術職なら確かな知識、経営なら明確な言語伝達力、などであり、
これ以外の「なんとなくの空気読み」という儀式がなくなり、無駄が省かれた。
さて本題に入るが、こうした前提の、ハイコンテクストな人事は空白期間に着目する。
「どんな異性や家族とつきあってるのかな?仕事に関係ないけど。」
ということを暗に聞いているのである。
したがって、このコロナの時代においてもし今後(ないだろうが)同じ質問、
「空白期間は何をしていましたか?」と聞かれたら、自分はこう答えるだろう。
「なんかしてました」
と。
意外とレスを頂いたのでありがたい。
そのとおりで、「コンテクスト」とは隠しステータスってことだと思う。
コーエーの信長や三国志では知力・武力以外に「野望」「カリスマ」なんて隠しステータスがあったけど、
つまり表示されたステータスで即決採用できるのがローコンテクスト企業。
たとえば絵とか音楽とか、計算力とか専門知識とかなんでも、成果物が目にみえればいいので。
逆に、表示されたステを信用せず、裏を取ろうというのがハイコンテクスト企業。
誰かひとり「野望99」や「カリスマ1」みたいな人がいたら犯罪や風紀が乱れるかもしれない。
会社という「家族」に迷惑をかけないため、「メンバーシップ=免許」を交付する。
そのためには隠しステータスも平凡でなければいけないというわけ。
そしてそれは本質的には「業務」に無関係で、「オフィスの中での家族生活」に大切なステータスなのである(ここ重要)。
テレワークがこれから普及していくのは間違いなく、徐々にみんな気づき始めている。
「あ、長い話する人が仕事ができるわけじゃなかったんだな」
「あ、2時間の朝会やめて、部長のメッセージ30分録画して全員に配布すればいいじゃん」
など、気づきはさまざま。
都庁のシン・トセイなどでも改革が進んでいる模様。(その資料のボリュームを10分の1にしろと思ったが)
https://note.com/kouzoukaikaku/n/nc51289509662
今後は、タニタや電通の事業主契約で、かつテレワークのような例が増え、じわじわとメンバーシップ企業が減っていく。
「会社で何をしていたかわからなかったおじさん・おばさんは本当に何もしてなかった」みたいな例はよく聞くので。
そして残念ながら、現在人事総務の人たちも転職の準備をしておいたほうがいいかもしれない。
行政がスリム化される + 手続きがオンライン化される → 総務の業務が減る → 雇用が減る、という流れ。
他人の空白期間を気にして10年も生きてしまったなら、今後は自分がその空白の10年を悔やんで生きることになってしまう。
つい先日、弊社がハイコンテクスト採用から抜けていないために失敗した事例があった。
そのおばさんはゴリゴリの専門職として採用されて期待されていた。
オフィスにいた時は声が大きく雑談も多くて「おもしろキャラ」として認識されていたが、
テレワークに移ると「無駄話が多い」「言われたことをしていない」「専門知識ゼロ」ということが露呈し、ほどなく解雇となった。
解雇される時は「私はどちらかというと弊社の商品を判断する側が向いている」という意味不明な名言を残して去って行った。
テレワークPCでの彼女の作業フォルダをみると、本当に何もしていなかったことがよく見えた。
おそらくテレワークでなかったら、上役に気に入られてなんとか生き残っていたのではないだろうか?
彼女が何もしなかった期間の採用・雇用費は300万円弱であった。
こうしたキャッシュフローの無駄に経営者が気づき始めた時が、本当のDX時代の幕開けに思う。(今はまだ気づいていないところ多い)
意外と、こちらの意図を完全に理解してくれた人が多くて驚いた。
今回はチラ裏目的で書いたので誰かを説得するつもりはなかっただけに意外だった。
とろみがあって糸を引いてまろやかになる
今のカレールーって高齢化社会に適合するためにわりあい減塩になってる
このエントリに直接関係ないけど、絵が全然うまくない(うまくならない)人が見そうなので、その人たちへアドバイスするわ。
とにかくビギナーに守った方がいいのは5つ。
この5つ守って模写し続ければいわゆるバストショットくらいのイラストはすぐ描けるようになる。
ハッキリ言って萌えっぽいイラストは良い意味で記号だから、続けるうちにパーツのバランスがどうなってるか気づきが入るんで、その気づきが来るまで描け。
身体のラインを描きたいなら全く別問題だけど、twで友達とかフォロワー増やすくらいの上手さでいいならこれを集中して考えればOK。
とにかくいろんなイラストのトレスを一枚15分~30分で描け。
デジタルなら簡単だ、すかして上からレイヤー重ねてとにかくサクサクなぞるだけ。
こっちは時間がないのでラフでいい、どんどん描け。一日に何枚も描ける
そうすると自然とイラストでよくあるポーズがあるって気づきが入る。
あとはもうそのよくあるポーズを描け。絵としては地蔵でつまんないけど、満足感はある程度得られるはずだ。
全身の絵のトレスをやめて模写にしろ。模写してるとオリジナルが描きたくなるし、変えたくなる。そうしたらどんどん描け。
描き続ければ自然とポーズの体部位の圧縮が何となく理解できているはずなので、あとは修練。
デッサンなんて出来なくてもイラストは描ける。ここからどれだけ奥に進めるかは才能なので、とにかく自由に描く。がんばれ。
絵がうまい人はとにかく「見たことないもの」を表現する力が高い。ポーズとかモチーフとか色とかそういうの全てにおいて。
でもとにかく模写とトレスを繰り返せば、「こういう絵が描きたい」ってなったときに今までの経験から貯金のように引き出すことができる。
やったことあること/見たことあるものを描くことは比較的容易なんだってことに気づけば、あなたが目標にしている人がどれだけ高みにいるか分かる日もくる。
森喜朗会長の性差別発言を受けて、●●はどう反応したか シリーズ https://anond.hatelabo.jp/20210209083036 を書いた増田です。
SNSチェックの主趣は森の発言への反応だったので、それ以外のトピックについては本当にサラっとしか眺めてないのだが、そのサラっと眺めた印象を少し書きたい。日頃、Twitterアカウントをフォローして追ってる政治家は一桁で、自民党所属では一人だけ。政治についても特別詳しいわけではない。チェックした範囲は元エントリでチェックした2/3~2/9の発信。
当然ながらこれが一番多い。支援策・ワクチン情報の周知が多い。自民党は2/2に自党の支援策まとめサイト( https://www.jimin.jp/covid19/ )を更新したようで、発信が止まってないアカウントの大半はそのことに触れていた。
こちらも通常国会中なので質疑に立ったりした人はその報告をしていたり、新型インフル等特措法の改正の件など、審議・決議の内容に触れる発信が多い。
どこぞの地方選挙の活動報告。チェックした期間に土日が含まれてたのでパラパラと発信している人がいた。
自民党は部会報告が多い。個人的に印象に残ってるのは3人前後の議員が触れていた三重県での外国人への検査等コロナ施策。チェックした期間が少ないので三重県のしか見なかったが、他の地域でもちゃんと活動されてると思いたい。あとなんか瀬戸内海再生議員連盟総会とか多かったな自民党は
大半はナチュラルに問題視する感じなのだが、一部ネトウヨ受けを狙うような中国ガー中共ガーというような煽りがあり気になった。
こちらもごく一部に中共ガー的なネトウヨ受け狙いがあって辟易。
党の施策として大々的に行ってるようでその成果を誇ってるようだった。
まぁ自党施策・活動の事についてはそりゃ発信するわな、と。思ったよりも随分真面目な感じがした。自公共に野党批判するような議員はほんの一握りだった。
タイトルの通り受けの気持ちに近づくためにアナルを慣らしました。今回は備忘録がてら事の顛末を書いていこうと思う
最初に断っておくと、これは性的快楽を目的とした行為では一切ないのでアナル開発をしたいと思ってる方の役には立たないかもしれない。また汚い内容が含まれるのでお食事中の方などはお控えください。
何故自分がこんなことをしたのかよくわからないし当時を振り返ってもなにも理解できないが簡単に説明するとこうなる
7月上旬、ある腐女子の方がお尻に媚薬とピンクローターを突っ込み阿鼻叫喚する内容のnoteがバズっており、当時声をあげて笑ったことを覚えている
数日後、身内たちでそのnoteのことが話題になった直後、そこで急に自分もお尻に異物を入れたくなったのだ。もうこの時点でよくわからないのだが、そのときはもう勢いが大事だと思って当日アダルトグッズをAmazonでポチった
それをよく考えないまま身内のコミュニティに書き込むと先程の身内たちにめちゃくちゃに止められた。当然だ。痛いことに主が切れ痔だということも指摘されるが、それでも湧き上がった衝動を抑えることができず、結果こんな備忘録書くことになっている
結局、アナルプラグやディルドをいれたりするのはなにか違うと思ったので最終的に受けのお尻を目指すことにした。
お尻を慣らすと決定したのはいいのですが、当時まだグッズを用意してもいない時点から不安すぎて、ボイスチャットに繋ぎながら慣らしてもいいかと身内たちに聞くとすごい勢いで怒られた。いま思い返すと流石に自分でも眉をひそめる、誰が楽しくて他人がアナル慣らしてる音声をリアルタイムで聞くんだ
この身内たちというのもインターネットで知り合って仲良くなった仲なので、あまりにも生々しい性の話を禁じていたところに若干タブーに触れてしまったかと後で気づいたが、性的快楽を求めての行動じゃないので許してもらいたい。ごめんね
まず動機から理解ができない方に向けて説明するとどうしてこんなに受けのお尻になることにこだわるというと、BLで受けのお尻が酷い扱いを受けているのがかわいそうで切れ痔の人間からしたら心配でたまらないことや、今後創作をするときにも自カプにはリアリティのあるセックスをしてほしいという思いからである。
と言っても先程少しだけ言ったように自身が切れ痔なのでお尻の調子がいい瞬間を狙うしかないのですが、タイミングが合わなかったり切れ痔がひどくて結局半年経っても決行することができなかったわけだが、
それが2月上旬、試験を受けているときに切れ痔の痛さを感じている瞬間に決意した。飲んでいる鉄剤を一旦飲むのをやめて切れ痔の調子がよくなったら決行しようと。
本来なら医者から出されている薬の服用を止めることは危ないので今回はすべて自己責任で行いました
経つこと1、2週間、鉄剤を飲まなかったわたしのお尻はこれ以上ないほど整ったコンディションを迎えており、その日のうちにお尻を慣らすことを心に決めた
ここで慣らす前にルールを決めておかないと永遠に終わりが見えなさそうなので決めておく。ルールをまとめると
・同人誌によくあることから指が三本入ったら受けのお尻認定で終了
・お尻が切れそうと感じたら無理せずリタイア
この3つ。既にグッズは数ヶ月前から用意していたので本当にやるなら今しかないのである。
用意したものは
・浣腸
・ローション
浣腸はさすがに素の状態でお尻に指をつっこむのは気が引けて、また初めてなので道具を使っておこうと思って準備したもの
ローションは潤滑剤として、コンドームは指にはめてやろうと思って買ったが、購入したあとでフィンドムなどの存在を知ったので残念ながら今回はコンドームでやっていく。
実行する前にいままでで1度もコンドームで遊んだことがないので1度遊んでみようと思い、指にはめてみるとぴったり3本の指が入って笑ってしまう。ここからワクワクが止まらなくなっていく。
たしかにコンドーム1本分のサイズがちょうど男性器のサイズだとしたら指三本はピッタリはまるので賢い
仮に攻めの性器が巨根だとしたら男性の指三本くらいがちょうどいいのかもしれない、この文化考えた人絶対指にコンドームはめたことあるだろ
さてコンドームで十分遊んだところで環境を整えていく。主は実家住みで絶対にバレたらいけないので深夜、家族全員が寝静まった頃に浴室で実行していくことになった。
まず1番の問題は、浣腸。お尻に指を突っ込むことは小さい頃にやったことがあるが、これはほんとに生まれて初めてやることなので緊張する
ワクワクと少しの不安でお腹が痛くなってきそうになり、先程の某腐女子のnoteを見て気合を入れる
浣腸のノズルは細くて、あまり差すのに苦労はしなかった。液体は薄ピンク色で、3分の1くらいうまく差せずに残ってしまったが大丈夫そうだったのでそのまま決行する
この後のことを意識しすぎたのかもしれないが、ここですぐお腹痛くなってくる。このときのメモを後から見返すと一言助けてくれとだけ書かれていた
説明書には2分から5分置くと書いてありギリギリまで粘りたかったのですが我慢できずに3分で出してしまいました。このとき頭の中は限界すぎるという言葉がぐるぐる回って最悪で、正直もうこんな体験は二度としたくない
既に朝1度排便したあとだったのであまり出なかったが、それでもすごい勢いで少し冷たい下痢がちょっとだけ出てきました。もしかしたら時間が置く時間が足りなかったかもしれないがもう1度差してあの地獄を見ることにはなりたくないのでもうここで出し切るつもりでトイレに10分ほど座り込む。あまり関係ないかもしれないがリップクリームを塗った直後なのに唇が乾燥する気がしました
さて、やっと本番の指です。ここでローションを忘れたことに気づいて下半身裸で自室まで戻るイベントが発生しました、こんなところでバレたら嫌なのでたぶん人生で一番忍者のように静かに迅速に移動した気がする
指にコンドームをはめてローションを垂らす。ここで創作のヒントとして、ペペローションはサラサラというより丸く玉のように出てくるのでペペローションでセックスをさせる場合は作画に気をつけてみるといいかもしれない。
コンドームにローションを塗りたくったところで本番が来る
指を1本入れてみるとすんなり入る。ここまでは想定内で、軽く出し入れしていきます。指にコンドームをはめてると書いたが、3本中に入れて、1本目を尻に入れるときは他の2本を折りたたんで控えてもらっていた。
思い切って2本目を入れていくと案外すんなり入って驚く。指のサイズなど個人差はあると思うが2本目まですんなり入ることに1番びっくりした。でも無感覚の不思議な壁(いま思えば完全に臓物)が邪魔して第二関節までしか入らず、結果的にそれ以上はどうやっても入らなかった。
3本目はそこそこ苦戦して、最終的に指のフォーメーションが悪いと気づき指を横に並べて入れるのではなく三角形のように全ての指が他の指に触れているような形にして入れるといいことに気づく。ここまで読んでもらってわかるように、最中は集中しすぎて冷静で感情は無なのだ。
無事3本入れることに成功したはいいが、どうやっても第二関節までしか入らず、圧迫感もある。ここで頭に浮かぶのは直腸あたりを横から見た断面図。肛門から腸は背中のほうに曲がっているのである。ここで人体はちゃんと解剖図と同じようにできてるんだなという感動が湧いて思わず「すげー……」と呟いてしまう。
体勢のせいもあると思うが、指の曲がる方向などが関係して第二関節までしか入らない。ここで一番慣らしやすい体勢はきっと四つん這いになって他人に後ろから慣らしてもらうのが一番だと気づく。これも創作でよく見るので笑ってしまう、誰だよリアリティのある体勢を広めたのは
無事に血も見ず3本入ったところで指を引き抜く。最中の時間は10分くらいで、いくら慣らしてもそれ以上は入らないと気づいたので終了する。いの一番に書いたメモを振り返ると
だそうだ。
結果、振り返ってみると全然受けの気持ちにはなれませんでした。身内には軽く引かれてしまって落ち込んだのでいまから寝ようと思う
入れるほうじゃなくて、入れられるほうとしてのアナルの話です。
アナニーに興味のある皆さんに是非知っておいていただきたいことです。
はじまりは19歳、当時の彼女から開発されたことです。開発と言ってもアナル舐めからはじまりローションを使って指を挿入されるぐらいですが、いけないことをしている感じがして気持ち良かったことを覚えています。同い年の彼女がどこでそんなテクニックを覚えて来たのかは今思えば興味深いです。
次は21歳の時に出来たひとつ年上のセフレ。セフレと言ってもセックスよりフェラや手コキで射精させるのが好きな娘で、挿入を伴うことは稀でした。彼女の開発によって、指アナル×乳首舐め×手コキで射精させられることにどハマりしました。
そして22歳になり大学も最後の年に有名なM性感にはじめて行ってみることにしました。さすがプロという攻め方で、細めではありますがアナルバイブやペニバンを駆使されることで完全に戻れない体になってしまい、何度かお店に通うようになりました。
時を同じくしてこれがターニングポイントとなるのですが、偶然ネットで見かけたニューハーフ動画にハマり、すっかり一人のNH嬢のファンになり、この人の本物ちんぽに犯されたいと日々妄想するようになります。
そして就職、上京、はじめての一人暮らし。解放的なオナニーができるようになった私はオナホを買いローションを買い、自分の指でアナニーをするようになります。当時の彼女やセフレたちにはこの趣味は言わず、セックスで満たされないアナル欲求を自分で慰めることになります。
社会人1年目が終わろうとする頃あることに気づきます。あのニューハーフ女優、普段は東京のデリヘルで働いていたはず。善は急げ、すぐさまお店に連絡すると憧れの彼女はやってきました。何度もオカズにしてきた憧れの彼女を目の前に興奮押さえきれず、シャワータイムで曝け出された彼女の本物ちんぽにむしゃぶりついてしまいました。その後ベッドに移動し、四つん這いにされ、アナルにバイブを挿入されながら口にちんぽを突っ込まれた時には感動と興奮で今でも忘れられません。その後、念願の初本物ちんぽ挿入タイムは正常位で、犯してもらいあまりの興奮に自分のちんぽを触られずにアナル挿入だけで射精(いわゆるトコロテン)させられてしまいました。
その後数回、彼女を呼んでいましたがいつのまにやら辞めてしまい、また自分の指で慰める日々に後戻りです。
26歳になった時、既に妻もいたためおもちゃ類も捨てていたのですが、またネットでアナル欲が芽生えた時気付いてしまいます。俺、ドライオーガズム(メスイキ)したことない、と。これまた、善は急げアダルトショップでローションとともにエネマグラを買い込んだ僕は個室ビデオに篭り、挿入してみました。メスイキはすぐにはできないと聞いていましたが19歳からのアナルの積み重ねなのかその日のうちにドライオーガズムまで達することができました。
ドライオーガズムのすばらしさは先人たちが語り尽くしているのでここでは語りません。
さて、僕は既婚者ですおもちゃを家に持って帰るわけにはいきません。会社のロッカーに保管しておくことにしました。
ここから僕のアナル生活は次のステージに入りました。仕事終わりや合間におもちゃを持ち出して個室ビデオや漫喫に入ってはアナニーでメスイキ。我慢できない時は会社のトイレでもするようになりました。おもちゃもエネマグラだけでなく、アナルバイブやディルドまで保管するように。さらに、時折M性感やニューハーフデリヘルで攻めてもらったり挿入してもらっていました。
ここで次のステージに移ります。本物の男のちんぽに犯されたい。この欲求にたどり着くまで時間はかかりませんでした。27歳くらいの頃からでしょうか、風俗での女性やニューハーフだけでなく、ネットで知り合ったゲイやバイの方に挿入してもらうようになりました。とは言っても男性経験は今まで5人程度ですし、すべてセーフセックスです。
ネットで知り合った男性も僕のような方も多く、結婚もしてるし基本女好きだけど男とのセックスも好きという方が結構多いというのは発見でした。
そんなこんなでもう33歳になりましたが、今ではアナニーで、射精感ないまま気持ちよくダラダラトコロテンで精液を垂れ流し、強く動かすと男の潮吹きまでして、何度もドライオーガズムに達する変態になってしまいました。
そもそも占いに科学的根拠がないなんてのは確定的にあきらかだったわけだけども、このコロナ禍に事前に気づけないというのは、もう占い師が何の役にも立たないというのが、多くの人に分かりやすく示された事態であったと俺は思っているわけよ。
そりゃあ、占いは未来予知ではないから、先の状況を正確に知る手段ではないということなのかもしれんけど、でもさー、多くの人を占っている段階で「あれ? 2020年の運勢ってなんか悪い人多くない?」って気づかなきゃおかしいわけでしょ。統計的に見て運勢の悪い人があまりにも偏在している事実に気づかなきゃおかしいわけでしょうよ。占い師は本当に人の運勢が見えるってんならさー。
それが見えないってのはどう言い訳しようと、やっぱ嘘ってことじゃん。占いなんて嘘ってことじゃん。占い師の言うことは嘘八百ってわけじゃん。
まあ俺は初めから信じてないから関係ないわけだけども、でもさー、もし信じている人がいるってんなら、これを機に気づいて欲しいわけよね。
いろいろと思い出すととにかくなにか声を出さないと死にそうになる瞬間というのがあって、今でも時々自室の布団であーとかうーとか叫んだりしている。
ただなんとか立ち直ってちょっとづつ他人と交流できるまでメンタルが回復して、今年修論を書けた。
今では上記の悪癖も月1程度におさまってくれた。
やったことは簡単で、自分にとって不都合な人間関係を全部捨てて逃げた。これだけである。
入っていたサークルで後輩と同期のごたごたやそもそもちょっと態度の悪い後輩への応対をなんとかやっていたが、
結局それで得られたものは同期からの「面倒ごとの引き受け役」というレッテルとめちゃくちゃどうでもいい後輩からの「頼れる先輩」が大半だったのだ。ただただそいつらの顔色をうかがう日々だった。
それらへの応対であたふたしているうちに助けられたはずの別の後輩一人がその人間関係に悩んだ末に大学を休学してしまったのだ。具体的な経緯やらは誰も興味がないだろうし本質ではないので割愛する。
要は、自分がおかれた状況がその中で頑張れど頑張れど自分への利益が全くない環境で、気づいたころには自分とその後輩の二人、鬱病患者が出来上がっていた把握していただければいい。
そもそも人間関係で利益を考える時点で頭がおかしいのだ。誰しも人のためになんぞ動くものではない。
そもそも自分が率先して動かなければ、なんぞ考えた時点で馬鹿なのだ。誰もあなたのことなんぞどうでもいい。
それがいわゆる「友達」というもので、自分と退学した後輩の二人は休学してからも時々一緒に遊んだ。一緒にうまいものを食いに行った。
その人のために動きたいから動く、そこには利益の計算はないではないだろうが、その人のためにしたいことをしている時点で自分にも一定の利益が保証されているのだ。
では、このような感情は上述のサークルにいたときはあっただろうか?
当然なかった。だから捨てた。
一年とたたずにどうでもいい輩はこちらに連絡をよこさなかった。やはり「そこになんか適当に都合のいいのがいるから使ってやろう」であって、「この人でないと」ではなかったのだろう。
友達に含めそうなサークル内部の人間以外との連絡方法は今では一つも残っていない。
それからは、気心知れた友達とだけ会い、院ではあまり人に会わない実験系の研究室に入った。なんなら最後の年にコロナが流行って他人と無理に対面しなくなってよくなったのもこちらには追い風だった。
じゃあ最初からそうすりゃいいじゃんという話である。おっしゃる通りで。
ただなかなか内側からは自分がアリジゴクの真ん中にいることはなかなか気づきにくいらしかった。
なので、簡易的に自分がいる集団に本当にいたがっているのかをチェックするための基準を考えてみた。
・まず自分がその集団に入れる前に戻れたとして、もう一度この集団に入りたいと思うか
・その集団の人間は本当に自分を必要としているか(なにも自意識過剰などではなく、例えば上述の自分の例だとトラブルの緩衝材はあった方がいいだろうが、それは必ずしも自分でないといけないわけではないはずだ。苦しいが誰かがやらないと、というのであれば「誰か」でいい。自分である必要は微塵もないはずだ)
とりあえずぱっと思いつくのはこの2点である。ただそうでなくても正直自分がなにかしらの集団にいることで精神的につらいと感じるならやめちまえと思ってしまう。
でも……とかではない。あなたの心の健康の前に何を優先せよというのか。友達とかいうなら優先するに値するかもしれないがそれは本当に友達なのだろうか。
あなたの心より自分を優先せよなんぞ言ってくる人間が友達だというのであれば友達の定義を見直したほうがいい。
あなたと一緒の悩みがある人ならばともすればよっしゃ一緒にやめようとなるかもしれない。
とにかく自分を優先して生きろ。波長の合う人間とうまくやっていけばいい。
あなたを人間関係で苦しめる人間がいたとしてそういうやつはたいてい他に友達がいるのだ。そいつから見て都合のいい人間を一人減らしてやれ。
人間関係が減ることなんぞ恐れなくていい。そもそも人間最初は父母以外に誰とも知り合いではないのだから。
そもそもそんな最低なやつらと人間関係続けたくないだろ。損切りというやつだ。
案外世の中は広く、自分のことを本当に必要としてくれる集団は存外こちらが礼を払い尊重の意志を見せればいくつかいるらしい。少なくとも幸運にも自分は見つけられた。
これが必要としてくれる人に届いたら僥倖である。誰にも届かなくても自分の気は収まる。
人は他人のために自分から苦しむ必要なんてない。自分が好きな人間のためだけに……ただし嫌いな人間にも自分からは害を与えずになりふり構わず生きよう。言いたかったことは主にこれだけだ。