エッセイって、結局書き手の主観で物語が進行するから、誰かを一方的に悪者してしまえるし、もしそれを指摘されても「そんなつもりじゃなかったんですぅ~~」って言い逃れできるよね。
分かりやすい表現の手法を持っている人が自分の過ごす日常を切り取って他人に読ませるのはたしかに素晴らしいエンターテイメントだろうけど、書き方ひとつで誰かの人生に影響を与えてしまう、使いようによっては洗脳手段のひとつだと思う。
病気、職場、性自認、育児、恋愛、趣味、その他諸々のエッセイが世の中にあるけど、フラットな目線のエッセイって存在しないんじゃない?って、こう考えてる自分も主観でモノ言ってるんだけどね。
そもそもフラットがどの位置にあるかなんて決まってもいないし。
まあ1番拗れるのは人間対人間だからってのもあるんだろうな、嫌な思いをした時に悪人を1人用意するだけで、自分を擁護してくれる意見を待つわけだから。
もちろん、書きたいから書いてるだけって人の方が大半だとも思うよ?
でも、他人に発信する時点で「こんな酷い目に遭いました!こんな酷いことをされました!自分かわいそう!!」というアピールにしか見えなくなってしまったので、他人のエッセイはチラ見がベターなんだと気づき、最終的には【自分を悪者にしない著者の、嫌な部分しか目につかない】自分の心が狭いって悟りましたとさ。