2021-03-04

日常系エッセイをちらりと見た時に、なんかイラッとする気持ちの正体

エッセイって、結局書き手主観物語が進行するから、誰かを一方的悪者してしまえるし、もしそれを指摘されても「そんなつもりじゃなかったんですぅ~~」って言い逃れできるよね。

分かりやす表現手法を持っている人が自分の過ごす日常を切り取って他人に読ませるのはたしかに素晴らしいエンターテイメントだろうけど、書き方ひとつで誰かの人生に影響を与えてしまう、使いようによっては洗脳手段ひとつだと思う。

そこに性別バックグラウンドってあまり関係がない。

病気職場性自認育児恋愛趣味、その他諸々のエッセイが世の中にあるけど、フラット目線エッセイって存在しないんじゃない?って、こう考えてる自分主観でモノ言ってるんだけどね。

そもそもフラットがどの位置あるかなんて決まってもいないし。

まあ1番拗れるのは人間人間からってのもあるんだろうな、嫌な思いをした時に悪人を1人用意するだけで、自分擁護してくれる意見を待つわけだから

もちろん、書きたいから書いてるだけって人の方が大半だとも思うよ?

でも、他人に発信する時点で「こんな酷い目に遭いました!こんな酷いことをされました!自分かわいそう!!」というアピールしか見えなくなってしまったので、他人エッセイはチラ見がベターなんだと気づき、最終的には【自分悪者にしない著者の、嫌な部分しか目につかない】自分の心が狭いって悟りましたとさ。

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