はてなキーワード: 晩年とは
本屋が好きだったし、一度は書店員として頑張ってたこともあるけどもう嫌になって辞めた。
最近どこの本屋にもヘイト本やトンデモ健康本(スピリチュアル・ニセ科学)コーナーが絶対にある。しかも店の配置的にイチオシ商品を優先的におくような場所に平積み・ドカ置きで激推しされてることが多い。
店員だった頃、年配のお客さんたちが新聞の広告に出ていたから〜とニコニコしながらそういう本を買い求めていた。私たちが探しやすいようにってわざわざ新聞の切り抜きまで持ってきてくれるんだよ。いつもレジでなんでもないことにありがとうって言ってくれる、取り置きしただけでも感謝してまたくるよって言ってくれるような優しい感じの人も、そういう変な本を買っていく。キツい。例えば年配の人がトンデモ健康法を信じて病院の治療を拒否したりして最悪のことになったらどう責任取れるの?こんな優しい物腰の人たちがヘイト言説を吹聴するようになって晩年に身近な人たちの信用とか一気に失っちゃったらどうするの?自己責任って言うの?いい加減な内容の本を大量生産して、勝手に配本するのやめてくれないかな。私は店長とかじゃないから拒否する権利がなかった。そのまま並べて売れないでくれって願うしかなかったけど売れていく。ほんとキツい。
たぶんこういう人たちは本の権威をまだ信じてくれていて、本になるくらいだから立派な内容と認められたものを立派な先生が書いてくれたんだろうなーって楽しみにしてるんだと思うよ。すごい、そんな不思議なことで病気が治るんだ!とか、テレビ(ちょっと軽薄なメディアという認識?)は扱わない、難しい内容とか歴史問題の真実を硬派で堅実なメディア、本こそが教えてくれるんだって信じてるんだよ。
本が売れないのはわかるよ。でも、こういう過激なものに頼らなきゃ本当に売りたいものが作れないとか仕方なかったとかそう言う言い訳、トンデモ本にハマって亡くなったり人間関係失った人に向かって言えるの?
本が好きだから本が売れない時代でも頑張ろうと思ったけど無理だったよ。最低賃金も長時間重労働もきつかったけど頑張れた。でもデタラメ本を売り切るためにいっぱいPOP書いてオススメですってニコニコ笑顔で言うのは無理だわ。
いつも来てくれるおじいさんが「おすすめの広告?書いたの君なんだ!内容がわかりやすかったし上手だから買っちゃったよ〜読むね〜!」って買ってくれた本、だめだよ。絶対信じないでほしいし二度とこんな本を置く本屋さんなんかに近寄らないでほしい。だから続けるのは無理だった。こんなことしてたら「本屋」は死ぬ。本はもう少し生き続けると思うけど。
いいものも悪いものもある、受け取り方によって毒にも薬にもなるのが本だって簡単に言うことはできるよ。でも何が正しいかすら思考停止するようならもう、本という権威はどこかに返上しといてくれ。
コンピュータに少しでも興味があれば知らない人はいない御大アラン・チューリングとかなあ…
時々ふと思い出す、数年前に死んだ愛猫のこと。思い出すたびに胸の底が冷たくなる。
先に書いておくが、飼い主としてとかではない。私は猫は好きだけど飼い猫にイマイチ愛情を持てなくて、他の家族が可愛がっているのを遠目に見ているくらいだ。
数年前に死んだ猫は私が小学低学年の頃に母が知り合いからもらってきた猫で、大柄で毛が長くて臆病な子だった。
先住猫が既に1匹いたが、結局最後まで仲良くはなれなかった。
若い頃から晩年まであんまり活発的に動くこともなく"ネコ"の名に相応しいくらい寝てばっかりだったし、そのくせ食い意地だけは張っていて、人が何かを食べていると結構な確率で起きてくる。あと人馴れもしなかったんだけど、亡くなる少し前には何故かとても人懐こい猫になっていた。
私は飼い猫が嫌いってわけではなったけど、他の家族が飼い猫のことをずっと可愛がっていたから、ほっといても誰かがやってくれるし世話もしなくて良いや〜っと思っていた。事実、母が頻繁に餌をやっていたし、父は凄く凄く溺愛していた(+トイレ掃除)し、妹は散歩に連れて行ってあげていたので、私の出番は殆ど無い。別にやりたいというわけでもないので、特に何も気にすることはなかった。
飼い猫が亡くなる数ヶ月前、家族で行った買い物先から帰ったところ、キッチンの床に血が付いていた。みんなビックリして何の血かと探したら、飼い猫の口周りに血が付いていた。痛そうにしてるとか怪我してるとかもなくて、本当にいつも通り座っていたものだから「鳥とか生肉とかでも食べた?」と考えたりもした。
次の日に大事な親戚の集まりがあって、どうしても欠席は出来なかった。まー普通にしてるし、大丈夫でしょ。みたいな雰囲気になったけど、私は心配で仕方なかったので、飼い猫を壊れかけのキャリーケースに詰めて、検索して出てきた遠くの夜間病院まで行った。
もう終電間際だったから途中で電車が無くなったので、深夜の住宅街をひたすらに歩いてやっと着いた病院。結果は何にも無かったんだけど、何かあったらいけないからということで獣医さんが紹介状を書いてくれた。
それから紆余曲折あって、数ヶ月後に突然死してしまった。今回の話とは関係ないので端折るけど、良い死に方はしなかった。厳密に言えば母のせいではないんだけれど、母が発端となり亡くなってしまったので、母は一時期とても落ち込んだ。
で、初めて飼い猫が死んだので知らなかったんだけど、火葬用の車が家の近くまで来てくれて、一応葬儀らしきものをしてくれるらしい。私は暇だったから参加することにした。父と妹はどうするんだろ?と思っていたところ、二人は「欠席する」との事だった。
え???父は元々冷血漢だから別にだけど、妹はイベントか何かがあって行かれないとかで???ん??あんなに可愛がってたのに????世の中にはペットが死んだ場合に有給の申請が認められてるらしいが、我が家では誰も取る人がいなかった。この記憶が、私の中の心がヒヤッとする思い出の一つである。
葬式は、母が終始大号泣、葬式を取り仕切ってた人(?)もつられて大号泣、安っぽい小サイズのスピーカーから流れる安っぽい音のG線上のアリア。私はこういう"ほら、泣けよ"という演出(捻くれててすまない)が昔から苦手で、気持ちが冷めて二人の雰囲気にどんどん置いてかれて居心地が最高に悪かったことを覚えてる。あと当たり前なんだけど、死後硬直した猫って人形みたいな感じで、死体がすごい苦手なので触らなかった。生前は触れてたのに。
大体1時間くらい近所で骨を焼いて、戻ってきた。母はまた泣いてたけど、私は何も感じなかった。死んだと聞いた時も、葬式の間も、骨になって帰ってきた時も、今もずっと。
何も無いというか、10年以上居た飼い猫が死んだことよりも、その周りのことの方がよっぽど感情を揺さぶられるというのが近い。
あんなに可愛がってたと思っていたのに、飼い猫の死をきっかけに"みんな実は言うほど可愛がっているわけじゃ無いのでは?"と考えるようになった。いや、勿論、世話をたまにしかしない私より、世話をしてるみんなの方が愛情はずっと深いと思う。
でもたまに、あの葬式前夜のモヤモヤ感や、夜間病院の道のりを思い出しては、何とも言えない感情が湧き上がる。
葬式の当日、父は様子を尋ねることもなかった。妹は聞いてきたけど、上記の通り私は完全に気持ちが離れていたので、母のことを中心に伝えた。それ以上のことは聞かれなかった。
夜間病院の時、冬間近で小雨も降っていて、寒くて心細かったけど、今考えてみれば飼い猫との唯一の思い出だ。壊れかけのキャリーケースの中でたまに細く鳴く猫の声を頼りに歩いた暗い道を、今でも覚えている。ちょっとスタンドバイミーみたいだとも思う。
もし飼い猫に何かあった時、真っ先に立ち上がるのは自分じゃなくて誰かなんだろうなーと自覚してたし、他の家族にも「アンタは飼い猫に興味ないよね」言われた。きっとあの日までは事実だった。愛情って何だろうね。私が何かあった時、家族に同じ対応されたら、そして手遅れになってしまったらどうだろう?と時々考える。
因みにここまで書くと母が一番猫のことを思っているように見えるけど、多分母が中でも特にヤバい。私よりヤバい。詳しくは書けないけど、猫の対応見てると「あ、この人はやっぱり毒親なんだな」と再確認させられる。
私は地方の中核都市に住んでいて、祖父の代から貸しビルといくつかのアパートを所有している、いわゆる地主というやつだ。
祖父は農家だったが、自分の農地の近くに駅ができて固定資産税がはね上がったので、仕方なく農地の半分を売り、残りの農地の上に売ったお金でビルを建てたらしい。
祖父は最初こそテナント賃料の集金をやったりして、不動産の管理みたいなことをしていたらしいが、途中からは不動産管理会社に任せ、晩年は自分がやる必要がある事務も父に任せていた。祖父は少しだけ残せた畑で野菜を作り、テナントの中の人にあげたりしていた。悠々自適の生活である。
その祖父が一昨年に亡くなった。事業用の土地に関しては全て父が相続することができ、円満な相続ではあったが、祖父も父も相続税のことは深く考えていなかった。父は、税金の申告を任せている年配の税理士に相続税について相談したが、アパートの数が多くて相続の方は面倒が見れないので他をあたってくれと言われ、大きな税理士事務所に相談に行った。その中で、試算しただけでも相続税だけで軽く数億円はいくと言われた。うちの持っている物件収入の十数年分の金額らしい。父はとても払える金額ではないと嘆いていた。
仕方ないので物件を売って納付資金にすることにした。相続税は亡くなってから10ヶ月以内に申告と税金の納付をしなければならないらしい。そのため、最初はアパートをいくつか売って、収益率の高いビルの方は残しておく予定だったが、不動産会社に相談したら「ビルの方ならすぐに売れますよ」と勧められ、ビルの方を売ることにした。
しかし、買い手はなかなか現れなかった。世間はコロナウイルスが流行り出し、この頃にダイヤモンド・プリンセス船内の集団感染がニュースになっていた。このままコロナが流行していったらずっと売れないのではないかと震えていたが、最終的には相談した不動産会社が事情を汲んでくれ、近くの地価公示価格くらいで買い取りたいと言ってくれたので、それで売ることになった。
なんとか売ることができ、相続税の納付をすることができた。相続と売却の件が一息つき、父は生前祖父が仲良くしていたビルのフロアを借りている人に挨拶に行ったらしい。そこで父は不動産会社が別の不動産会社にビルを転売していたことを知った。売り手が見つからないと言っていたのに実際はすぐに転売していたのだ。
父は最初こそ不動産会社を訴えてやると息巻いていたが、最近はトーンが落ちてきて、今のところ何もしていない。
何が悪かったのか。色々調べてみた上で、個人的には地価公示を安易に信頼しすぎたことがよくなかったと思った。
うちのビルやその近くの公示地は、駅前の目抜き通りに存在する。この地点の地価公示価格が上昇に転じたのは景気が良かったここ数年だけであり、それより以前はバブル崩壊からずっと下落していたと評価されていた。
しかし、目抜き通りに面して立っている建物は10棟くらいしか無く、かつ、その建物も売りに出ることは少ない。取引があまりない地域であるため、価格を決めることが難しい土地だったのではないだろうか。
公示価格は「正常な価格」を表しているとされている。しかし、売買に参加するプレーヤーが少ない土地の場合、正常な価格が成立することの方が珍しくなる。ビルの近くにある公示地の不動産鑑定評価書を読んでみたのだが、売買取引実例に補正を加えて公示価格を導き出している部分において、その取引実例に「環境要因」という項目で上下30%近い価格の補正をしている事例があり、売買価格に大きく手を加えないと公表している公示価格を導き出すことができないのではないかと感じた。
後悔があるが、これからは残ったアパートをうまく利用して暮らしていかないといけない。管理会社に任せっきりにせずに少しでも経費を減らすこと、そして、界隈との付き合いやリサーチを大切にして、必要であれば売り抜けるタイミングを見極めないといけない。
ただし、父はやることの多さに絶望したのか、全く動き出そうともせず、最近は夜の酒量が増えている。
私もヤケクソになってしまい、お酒の力を借りて、初めてソープランドに行ってきた。出てきた嬢はガリガリ体型のバンギャ風で、全く好みではなかったが、勢いに任せて最後までやった。家に帰ってきて口の中を見たら、舌のあたりから血が出ていた。嬢とベロチューした時に口の中に硬くひっかかるものがあった気がしたのだが、舌ピアスでもしていたのだろうか。ベロチュー中に出血して、衛生的に大丈夫なのだろうか。こんなことになるなら、ネットで店の評判くらい確認するべきだった。すっかり気分が萎えてしまい、思わず独り言が漏れてしまう。
「何事も舌調べが大切だった」
日本文学編(anond:20210222080124)があまり注目されなかったけれども、記憶を頼りに続きを書く。
どの作品を入れるべきか迷った。古典の翻案に見られる知性とユーモア、晩年の作品にみられる迫害的な不安、どちらの傾向を持つ作品であっても、元文学少年の心をひきつけてやまない。特に「歯車」などの持つ、すべてのものが関連付けられて迫ってくる凄味は、学生時代に再読したとき、行き詰まりかけていた学生生活の不安と重なり、ただただ恐ろしく、読み終わってからしばらくは寝床で横にならされた。
「河童」を選んだのは中高生の頃で、河童の国を旅する要素に心を惹かれたことを思い出したからだ。それは、大学生の頃よりも不安が弱かったからなのか、この作品に潜む女性への憧れと恐れが自分に響いたのか、あるいは架空世界の架空の言語に魅せられたのか、その理由はわからない。
アンデルセンの小説を読んでいると、きっとこの人モテなかったんだろうなあ、ってのがひしひしと伝わってきて、何だったら今晩一杯つきあうよ、的な気分にさせられる。一人寂しいときへの痛みと、女性への復讐心が入り混じっていて、読んでいて心がきりきりとする。
で、この作品の中でひたすら「いいなあ」と思うのは、悪魔の鏡のかけらが心の中に入ると、どんな良いものもその欠点ばかりが大きく見えてしまうという設定だ。
ところで、ディズニーの作品の価値を貶めるつもりはないけれど、原作とは全然違う話に似たタイトルをつけて世界中に広げるのってどうなんだろう。デンマーク人は怒らないんだろうか(「人魚姫」だって原作改変をやってるし……。いや、ディズニーは普通に好きなんですけど、最近こうした異文化の扱いって難しいですし……)
「白熱光」にしようかと思ったのだが、これはエイリアンがニュートンとアインシュタインの物理学を自力で発見していく過程が延々述べられるだけの話で、燃えるけれども物理学の基礎をかじっていないとちっとも面白くないのでやめた。ついでに、彼の欠点として「科学者とエンジニア最高、政治家と宗教家と文学者は役立たずのクズ」という態度を隠そうともしないところがある。要するに理系の俺TUEEE小説なのだ。それに、しょっちゅうヒロインから説教されるし、作者はいったいどういう恋愛経験をしてきたか非常に心配になる。
そうしたえぐみが比較的少ないのがこの短篇集で、最初に読んだ本だから愛着がある。それに、上の隠しきれない欠点にも関わらずイーガンが嫌いになれないのは、科学的な真理に向き合う姿勢と果てしのない好奇心がかっこよく、さらに己に課した厳しい倫理に身が引き締まるからだ。
友人と富士山に登るときに持っていったこともあり、これも自分にとって思い出深い小説だ。これは、大戦後の新しい時代に適応できない英国の執事の物語である。
彼の小説の語り手は基本的には何かを隠していることが多いので、いつも歯に物の挟まった言い方をする。そのうえ、誰もが自分の信念にしがみついているものだから、登場人物同士の会話は勝手な主張のぶつけ合いになり、実のところ会話になっていない。
カズオ・イシグロはそうした気持ちの悪さを楽しむ作家だ。そして、「日の名残り」は自分の本当の気持ちに蓋をして生きている人、やりたいことよりもやるべきことを優先してしまう人に、刺さる作品であるに違いない。
彼の作品は不快だ。主人公のボヤキは原則として次の通り。俺は非モテだから思春期の頃には思いっきりセックスできなかった(2023年10月3日追記。「処女と金銭のやり取りなしでイチャラブできなかった」が近いか?)。中年になって女を金で買えるようになったが、ちっとも楽しくない。子供も老人もみんな大っ嫌いだ、バーカ! これはひどい。
作中に出てくる西欧文明の衰退だのなんだの宗教への逃避だの一見知的に見える議論も、すべて上記の嘆きを補強するためのダシに過ぎない。それでもなお、なぜオススメに入れたのかというと、人をエゴ抜きで愛することの難しさを逆説的に語っているからだ。そして、自分が愛されておらず、必要ともされていないと感じたとき、人間がどれほど孤独とみじめさを感じるかを緻密に描いている。皮肉なことに、これは性と愛について真摯に思考した書物である。
ただ、どの作品も言っていることが大体同じなので何冊も読んではいない。
僕がウルフのことが好きなのは、単純に文章が美しいというだけじゃなくて、迷っている人間の頭の中で浮かぶ複雑な段階が細かいところまでよく見えているからだ。例えば親しい人への憎悪が浮かび、言葉ではそれを否定して見せるが、態度にふとこぼれ出てしまう。そうした過程を子供が貝殻を見つけたときのように、ひとつひとつ並べている。
そして、意識の流れとでもいうのか、ある人物の意識から別の人物の意識へと、外界の描写や連想を経てシームレスに移行していく感じが、本当に巧みな脚本の映画みたいで、やっぱり映画って文学から相当影響を受けてるんじゃないかって勘ぐったりするのだけれど、本当のところどうなのかは知らない。眠る前の自分の意識もふと過去に飛び、すぐに現代に戻り、夢想し、眠りに落ちていく。
「灯台へ」とどっちにするかこれも迷った。
さえない少年が万引きした小説を読んでいると、いつしかその物語の中に取り込まれてしまう。これは主人公が異世界に行き、そこでなりたい自分になるが(まさに公式でチートだ)、その報いとして自分自身が本当は何者であったかをどんどん忘れてしまう。何よりも面白い小説なのに、その小説が現実に向きあう力からではなく現実逃避の手段となることの危険性を訴えている。主人公が万能チート野郎になってになってどんどん嫌な奴になっていく様子は必見。また、後半で主人公を優しく包み込む人物が、私の与えたものは愛でなく、単に私が与えたかったものに過ぎない、という趣旨の台詞を言うシーンがあり、これが作品の中で一番自分の心に残っている台詞だ。
ちなみに子どものころ映画版を見て、原作とは真逆のメッセージのストーリーになっているのにショックを受け、初めて原作破壊行為に対する怒りを覚えた。僕が大人と商業主義を信用しなくなったのはこれ以来かもしれない。
基本的に自分は何かを知ることが好きで、だから知識の物量で殴ってくるタイプの彼の作品も好きである。それでいてユーモアも忘れないところが憎い。フィクションとは何だろう、言葉や文字で物語を語るってそもそもどういうことだろう、そうしたことをちらりと考えたことがあるのなら楽しく読めるはず。「Self reference Engine」で抽象的に触れられていたアイディアが、漢字という具体的な文字によって、具体的な形を与えられている。
元々SFの人だけれども、最近は日本の古典にも守備範囲を広げ始めていて、SFが苦手な人も楽しいと思うし、慣れたらSFにも手を出してほしいとこっそり思っている。
どうしてこれほどあなたを信仰しているのに、手を差し伸べてくれないのですか。せめてささやかな奇跡であなたがいらっしゃるということだけでも示してください。そういう人類が何千年、何万年も悩んできたことについて。神に関しての抽象的な疑問は、具体的な舞台設定を与えないと机上の空論になる。
以前も述べたが、ここに出てくる仲間を裏切ったりすぐに転向したりしてしまう情けないキチジローという人物がとても好きで、彼の「迫害さえなければまっとうなキリシタンとして生きられたのに」という嘆きを、情けないと切り捨てることができない。
ただただ弱くて情けない人物が遠藤周作の作品にはたくさん出てくる。だから好きだ。僕が文学にすがらねばならなかったのは、それなしには自分の弱さ、愚かさ、卑怯さ、臆病さ、ひがみを許せなかったからで、強く正しい主人公たちからは救われなかった。
「男性読者」という名の作中人物が本を買うが、その本には落丁があった。続きを探すために彼は同じ本を手に取った別の読者である「女性読者」を探し求める。彼はいろいろな本を手に取るが、目当ての本は結局見つからない。枠物語の内部に挿入されるつながらない小説の断片は、それだけでも完成度が高く、まるで本当に落丁のある文学全集を読んでいるような楽しみがある。
世界の文学をパロディー化した物語のページをつないで作った「鏡の中の鏡」かと思わされたが、それ以上のものだった。語りの文と物語の関係とは、新作と偽作とは、そんなテーマが物語レベルとメタレベルの二つの層の間で錯綜して語られている。
知的障害者のチャーリー・ゴードンが脳手術で天才になるが、その知性は長続きしなかったという悲劇として知られている。けれども、僕はこれをただの悲劇として読まない。障害者とセックスについて正面から向き合った最も早い作品の一つだからだ。
チャーリーは女性の裸を考えるだけで罪悪感からパニックになってしまう。それは母からの過度な抑圧と体罰が原因だったが、それはチャーリーの妹を彼の性的好奇心から守ろうとするが故の行動だった(チャーリーの母が、周囲からもっと支援を得られていたら、あれほどチャーリーにつらく当たらなくて済んだんではないか、とも思う)。
天才になったチャーリーは恋をし、トラウマを乗り越え、苦労の末に愛する人と結ばれ、やがて元の知的障害者に戻ってしまう。一見すると悲劇だが、彼にはセックスに対する恐怖がもはやなくなっている。彼がただの障害者に戻ってしまったという感想は、その視点が抜けているのではあるまいか。
素晴らしかった。中年の仲良しグループというか、ツイッターでいうクラスタの間を行き交う書簡を通して話が進む。居場所をなくすこと、愛情を失うこと、自分の子供をうまく愛せないこと。そして、友人の死。テーマは深刻だ。なのに、読後感は良い。それは視点が距離を取っているからか、登場人物を公平に扱っているからか、それとも愛を失う/奪われる過程だけじゃなくて、そのあともちゃんと書いているからなのか。長い時間の中で、家族や友人が近づいたり離れたりする感じ、これこそ人生だ、みたいな気持ちになる。
子供の頃、太陽が五十億年も経てば地球を飲み込んでしまうと知って、非常に恐ろしかったのだけれど、それ以来人類の運命について書かれた物語がずっと好きだ(H・G・ウェルズの「タイムマシン」も何度も読んだ)。
人類は滅んでしまうかもしれない。生き延びるかもしれない。しかし、宇宙に出て行った結果、ヒトとは似ても似つかないものになってしまうかもしれない。彼らは人類の何を受け継ぐのだろうか。そして、今しか存在しない自分は、果たしてこの宇宙で意味があるのか。
人類の運命が気になるのと同じくらい、僕はきっと遠くへ行きたいと思っている。だから、ヒトという形から自由になってどこまでも進化していく話に魅了され続けるのだ。
酒もタバコもやらず、食事も質素で論語を愛する真面目な人だったらしいが、女好きだけは生涯直らず、妾を何人も作って子供は20人以上、一説には50人いたとか、いないとか。花柳界ではモテ男として有名で、69歳でもなお子供できたそうな。
あの時代に古希を目前にして現役とは大したもんだ。体力も相当のもんだったんだな。91歳で大往生、晩年までかなりしっかりしてたらしいし。
現代とは考え方が違うから奥さんもそのへんは心得たもので、妾と3人で写ってる写真も現存。
奥さんは「『論語』とは上手いものを見つけなさったよ。あれが『聖書』だったら、てんで守れっこないものね」と語ってたという。
確かに、論語ってそのへんの話が出てくるイメージがない。いやごく一部しか読んだことないけど。
さすがに大河ドラマでは、そういう話はスルーするんだろう…と書いていて思い出したことがある。
その昔、自分が小学生の頃、大河ドラマで「春の波濤」という明治ネタをやったことがある。
主人公は川上貞奴という日本初の女優と言われる人(演じたのは松坂慶子)なのだが、もともとこの人は芸者さんで、伊藤博文(伊丹十三)に水揚げされるシーンがあった。
布団の上で、怯えるように横たわってる着物の松坂慶子の帯を解くところまで映像化されてて、そのシーンを親と見てて気まずかった覚えがある。
今どきの小学生と違ってオクテだったから、その先なにがおこなわれるのかはボンヤリとしか分かってなかったのだけど、これは詳しく親に聞いちゃいけないのは、本能的に感じたものだ。
話がずれたけど、渋沢栄一。
ある程度、女にモテたくらいの話はでてくるんだろうか?
・どういう人?
フランス生まれ(1835-1921。七月王政~第一次大戦後)。小さいころは神童で、ピアノもオルガンも超一流で教養もあったすごい人。旅行も好きだった。オペラ、バレエ、合唱曲、あとは超絶技巧ものみたいな総合芸術が流行ってたフランスで、交響曲とかソナタみたいな堅苦しいジャンルをフランス人が書くならどうすればいいか模範を見せた。意識的に「フランス音楽」を作り上げた功績は大きいけど、長生きしすぎた(あと口が悪かった)せいで晩年は時代遅れ扱いを受けた。
・普通に有名な5曲
ザ代表作。交響曲とかいうドイツ語圏名産の重苦しい形式を、華、明快、節度が大事なフランス流の美学で仕立て直した金字塔。近いコンセプトのピアノ協奏曲第4番、ヴァイオリンソナタ第1番を聴いてみると、編成に合わせてどう曲想を変えてるかも楽しめる。
www.youtube.com/watch?v=eTsbgDBC4_k
サン=サーンスといえば協奏曲。ヴァイオリン協奏曲第3番とかチェロ協奏曲第1番も名作だけど、この曲は重厚な第1楽章、軽くて無邪気な第2楽章、情熱的な第3楽章とそれぞれ対照的な雰囲気が一度に楽しめる。
https://www.youtube.com/watch?v=tk_eqKUjDXE&list=OLAK5uy_kFlhz7yMPIyXhc1pQ-5NDDtQL0XezyFz8
若いころのサン=サーンスは「現代音楽家」で、古典を大事にもするけれど、形式の堅苦しさからは脱出しようとした。交響詩は当時最新鋭のジャンルで、死神のヴァイオリンとか、ガイコツを描写する木琴とか、ちょっと品のない表現もたくさん使って悪夢的な情景を表現しようとした意欲作。「オンファールの糸車」「アルジェリア組曲」もおすすめ。
www.youtube.com/watch?v=k1s28gmLicc
本人は発表を嫌がったっていうのもわかるけど、言いたいことを短く言い切る発想力と技術、やっぱりサン=サーンスだからこそ書けた作品だと思う。神秘的な「水族館」と馬鹿騒ぎの「化石」が個人的ハイライト。
www.youtube.com/watch?v=7SjagpXeNhM
サン=サーンスの堅いところと砕けたところが両方いい感じに出たオペラ。全部聴くと長い(でもオペラとしては短め)から、オリエントっぽさ満点の「バッカナール」が入ってて最後も派手な第3幕をとりあえず聴くといいと思う。異国趣味だとピアノ協奏曲第5番「エジプト風」の第2楽章とか、本人なりになんとか日本っぽさを出そうとがんばった「黄色の王女」も面白い。
www.youtube.com/watch?v=GNa8HOMcDvk
・そんなに有名じゃない(好きな人はたぶん知ってる)5曲
20代半ば、1860年ぐらいはサン=サーンスが最初に輝きはじめた時期だと思う。自分はこの曲が一番好きだけど、序奏とロンド・カプリチオーソ、ピアノ協奏曲第1番、交響曲第2番、チェロとピアノのための組曲 作品16、冒険心と若々しい覇気を感じる秀作ばかり。
https://www.youtube.com/watch?v=J34_SiyzsUw&list=OLAK5uy_nfoGOwtSlxkICv6SpIOPGmTsLh7soAVnU
ドイツっぽいド根性(ベートーヴェンとかブラームスとかワーグナーとかそういうやつ)はサン=サーンスの持ち味とは違うけど、この曲は珍しくベートーヴェンっぽい激しさ、硬質なかっこよさが味わえる。普仏戦争でドイツに負けて、自分たちのとこでも交響曲とかソナタとか作ってやろうと奮起した時期の曲だからだろうか。いわゆる「精神性」「深み」みたいなのは、「糸杉」作品156とかクラリネットソナタの第3楽章とかにある。
https://www.youtube.com/watch?v=AU2Eq1jKJGE&list=OLAK5uy_najeRAiKZJwnS2_n9wzLaYdgzMiOZ1RtY
ピアノの名人だったからピアノソロの曲もたくさんあるけど、楽器が身近すぎたからか良くも悪くも一瞬のひらめきで書いてて、波長が合わないといまいちアガらない。むしろ2台ピアノのほうが頭を悩ませながら作ったみたいな感じがあって工夫を楽しめる曲が揃ってる。この曲は優雅なワルツが軸なんだけど、ちょっと気を抜くと不穏な世界があるみたいな前衛的なシュールさもあって面白い。
www.youtube.com/watch?v=wNc7UNFcPMA
「オルガン付」で一度総決算して一息ついたあとの60代(20世紀に入る前後)は完成した作曲技術をつぎこんだ、地味だけど傑作の森だと思う。ヴァイオリンソナタ第2番、チェロ協奏曲第2番、弦楽四重奏曲第1番とかを経てこの曲はヴァイオリンとチェロの二重協奏曲。どこをとってもいい音楽を聴いてるなあと思う。
www.youtube.com/watch?v=wDT21gGt9FQ
そして死んだその年の曲。年をとって無邪気になるというか、どっか遠いとこを見るようになる作曲家はいろいろいるけど、86の爺さんはやっぱり格が違う。もう思い残すことはなさそうな感じ。クラリネットソナタとファゴットソナタと合わせて三部作だからそっちもぜひ聴いてほしい。
ワルターという指揮者がいて、20世紀3傑指揮者の一人とも言われてるんだが、晩年の演奏は新設のオーケストラを連れてるから演奏練度は高くなく、ときどき金管楽器(ラッパとか)が音程を外してけたたましく鳴り響く
意外と味はあって評価もされてて俺は好きで、タイトルとサムネイルがその指揮者の録音のものがYouTubeに上がっていてなんとなく再生した(ちなみにアメリカでは著作権が切れておらず違法転載)
機械で作られた音だなというのが30秒も聞けばわかった
これまで俺が聴いていた演奏が偽物だったのかもしれないし、YouTubeだから音が劣化している可能性もあると思って結構聞いたが一度も金管楽器が音を外さない
おかしいなと思ってコンテンツIDを見るけどやはり何も書いてない
これ打ち込みだろと思ってコメントを見たら「72歳だが、……やはりワルターの演奏はすばらしい。もう一度聞けて良かった。」「好きな録音だったので開いてみました……私が思うにコロンビア交響楽団(晩年連れていたオケ)は若者が多く、金管楽器が鳴り響く音からはワルター卿がこれからの音楽を作る彼らにのびのびに演奏させてあげている姿が浮かぶ」等こいつら聴いてすらないだろというコメントが20件ぐらいとそういう老人のコメントいくつかに投稿者のいいねがついていた
こいつらは情報を食って生きているのだろうか?
あるいは老人は聴力が劣化して、普段から聞こえていない部分を脳内の記憶で補っているのだろうか?
彼らには何が聴こえているのだろうか
まず、この作品は未来少年と言いながら、主人公は中年の髭を生やした船長であった。
彼は歳の大きく離れた美少女に恋をしたが、現代の日本において児童婚は違法であり、またそのような恋が実るはずもない。
最終回「大円団」で彼は潔くJSを諦め、姉さん女房、肝っ玉母さん、「私はあなたのママです」な成人女性と結婚する。
古くはミイラ取りがミイラになり、現代ではゾンビハンターがゾンビになるのである。
歴史上有名なロリコンといえば、古くはナボコフのロリータ、ゲーテの晩年の失恋、少女と結婚したが金を持ち逃げされたゴーギャンが思い浮かぶ。
しかし、未来少年コナンの作者は、そんな幻想は捨てろ、目を覚ませ、成人女性を恋愛対象としろ、と作品で熱く訴えかけてくるのである。
これは作者の実体験に基づいているのではないか、そう思えるぐらいの説得力であった。
中年や老人がJSに恋をしてもJSとの恋愛が成就するはずがないのである。
JSはただ足の指の力が異常に強いDSと駆け落ちして村を出ていくだけなのである。
我々老人はJSを遠くから眺めながら、嫌々JavaScriptを書き、ゴロ寝して任天堂DSで遊ぶのである。
そう考えるだけで未来少年コナンを観るのがつらくなるのである。
未来少年コナンの代わりに名探偵コナンを観ても、非実在のロリババアに恋をするのでよろしくないのである。
フランク・フラゼッタの画集を観ながら、おっぱい!おっぱい!と悶えるべきなのである。
母方の祖母は長男である叔父(母の弟)を大事にしていて、遺産も家も全て叔父に渡していた。大正生まれの昔の人だというのもあるのかもしれないが、叔父がすげえ可愛かったんだと思う。
祖母がなくなりひとりになった叔父は、奔放に生活しとった。叔父は、病(※昔の登山事故で頭打った後遺症で海馬がおかしくなったのと、晩年はリンパのがん)も患ってたので、母はときどき何度か看にいってた。そしてその翌日に「(ばあちゃんはあたしに)よくもこんなもん(叔父)を残して逝ってくれたな」「私には一千も残さなかった、全部弟にくれたくせに。世話だけ私か」と文句を言っていた。私はよくその愚痴を聞いていた。今年の冬に叔父は亡くなった。
そのあと空き家を何度か片付けにいったけど、おくの部屋は叔父の賞状とかたくさん飾ってあったわ。それを見た母は「やっぱり長男が可愛いかったんだよ」と言ってた
一方で、うちでは母が兄のことを大切にしているように思う。最近、仕事で精神的に参ってて一人になると一人言をつぶやく兄(糖質の一歩手前?などと母から聞いたがようわからん)。そんな兄にたいして、母は、気を遣っていた。部屋が片付いてないと兄は母を怒鳴り散らかすし、休みの日は朝8時から自室に掃除機をかけてるし夜は遅いときは深夜までうるせー音量でテレビを観てるし、ネットショッピングではほぼ毎日中古のCDや本や服などを買い溜めてる兄。自室に買い溜めた物が入りきらなくなったら、真ん中の姉(いまは嫁にいっていない)の部屋に自分の本棚を移動したりしてる。一方で、兄は他人の散らかってる部屋をみたら許せないらしく、少し前は物置に保管してた農具や季節の靴を捨てたし(私のブーツも捨てられた)、今朝は母の部屋の服も勝手に捨ててた。仕事は真面目なのかもしれないけど、家ではすげー身勝手な兄貴だよ。でも、母は、兄を怒らず、なぜか下からでてなだめ、後々で私に愚痴をこぼすのさ。兄に殴られて骨折とかしたらやじゃん。
でも我慢ならない私が、兄に反論しようか、というんだけど、母は、それはやめろお前が殴られるから、と言って とめるんだ。
また、朝と夜は、私から兄に挨拶してやってくれ、とか、私から話しかけてやってくれだとか、母は私に変な協力を強いる。兄が糖質寸前だか知らねーが、私は兄が昔から嫌いなので、それには応じることができない。
祖母は叔父のことをすげー大事にしていたみたいだけど、私からしたら、母も兄のことをすげー大事にしているように見える。そして、母は私が一番末っ子で立場が下だからといって強い物言いや喧嘩腰で来たりするんだ。祖母、叔父、兄にはそんなことしないくせに。母も性格が悪いと思う。私はなんなんだろう、サンドバッグかなにかか。一人暮らしをやめて実家に戻ったのが、やっぱりだめだったかな。そりゃ、だめか。世間的にも、アラサーで独身で、仕事もいまいちな、おばさんだもの。痛いよね。
夜めし食べてたら、母が「おにいちゃんには●●やるけど、てめえ(私の事)、うらやましがるんじゃねえぞ」って言ってきたの。私、なんにも話してないのに。母よ、なんで、そんなに喧嘩腰なの? 自分が兄から何か言われた時は私に愚痴るくせに。なんなの??ほんと、おまえらなんなの?私、家にいちゃだめですか。
ぐちゃぐちゃ書いて、ごめん。
こんな駄目な自分だけど、人生の晩年にモテ期が到来したらどうしよう
人生には大きく三回のモテ期があるというが、死に際になって盆と正月とクリスマスがやってきたとしたら
老人ホームでモテモテ、外出してもJKにモテモテ、そんな数日を送って棺桶に入るとしたら
それはそれで良い人生だったと言えるのではないだろうか
終わりよければ全てよしである
フレンチ・カンカン、というかラインダンスとの出会いは、おそらくは文明堂のCMだ。それから「ドレミファソネットどしたらできるの」で有名なso-netのCMだ。なぜかこのCMではおじさんの脚線美を見ることになるのだがそれはさておいて、Youtubeで検索すると今でも天国と地獄に合わせて踊る動画を確認できる。
本題に移ろう。Can-can dressについてはウィキペディアではおおよそこのように述べている。ドレスは基本的に何層にもなった大量のフリルがついていて、当時の下着の上に縫い付けられていた。脚は黒いストッキングや網タイツで覆われていた。つまり、レオタード姿のソネットのCMはフレンチ・カンカンではないのである。足の動きの速さからしてまるで違う。
衣装ではなく、カンカンダンスそのものについては、日本語版のウィキペディアと英語版のウィキペディアで書いてあることが若干違う。おそらく英語から訳したときの版が違うのだろう。
両者の記述を比べてみたが、フレンチ・カンカンにおける見せパンの起源はかなり曖昧らしい。足を思い切り上げてスカートの中が見えてしまう動きは、ショーの場では1820年代にアクロバット的な動きで知られるCharles Mazurierがバレエの大開脚を取り入れたことにさかのぼるようである。初期のダンサーは娼婦やセミプロの役者だけであったのだが、1890年代になるとムーラン・ルージュではトゥールーズ・ロートレックの絵で知られるLa Goulue(食いしん坊さん、的な意味)やJane Avrilなどの高給を取るスターが生まれた。La Goulueのページでは当時の衣装とセットの見せパンが確認できる。これらのスターの生活は華やかだが晩年は不遇であることもあった。この二人もビジネスの失敗や大恐慌で財産を失い、寂しく亡くなっている。
さて、カンカンは足を高く蹴り上げるので、当然スカートの中身が丸見えになる。しかも、それや当時としてはよりスキャンダラスであった。というのも、当時の下着であるpantalettesは衛生上の理由からクロッチ部分が開いていたからである。要するに性器が丸出しになるわけである。もっとも。そのあとにこんな記述がある。カンカンのための特別な下着を用いていたという記録はないが、ムーラン・ルージュでは下着の露出は禁じられていたことになっていた、と。どうもこのあたりの記録は曖昧というか[要出典]をつけたくなる箇所が多い。ウィキペディアは普段は自然科学の記事を読むことが多いが、そこよりも曖昧な記述が多い印象だ。文体もなんだか違う。
ところで、今のフレンチ・カンカンとして知られる、大人数の女性が10分以上高度な振り付けを続けるスタイルは、1920年代にアメリカで人気が出たスタイルを逆輸入したものでそうである。
実際、19世紀末からに20世紀初頭にかけては女性の脚部を見せるということでかなりスキャンダラスなものとしてみられていた。また、陰部を覆う白い生理用(?)下着と黒いストッキングの対照もエロティックだとして見られていた。さらに、体を折り曲げてスカートを後ろからまくり上げ尻を見せる動作もあったという。先述のLa Goulueはこの芸で知られていたとのこと。また、前の席の客の帽子を蹴り飛ばすほど近づいて、スカートの中身を見せることもあった。もっとも、顔を思い切り蹴られる危険もあったのだが。
結論から言うと、当時のフランスに見せパンそのものであったかどうかはわからないが、パンツが見えることは覚悟の上だった、ということになりそうだ。女性器が見えていたかどうかまでは根拠が怪しい。もっとも、今ほど表現が自由でなかった当時のこと、そんなことを文学や絵画で記録に残せたかどうかは怪しいものだ。ちなみに女性器を堂々と描いて当時の偽善的風潮に反発したクールベの「世界の起源」が1868年、ヌードでスキャンダルを生んだ「草上の昼食」が1863年である。
パリにはいくつも有名なキャバレーがあり、それは近現代の芸術や芸能に多大な影響を与えてきた。たとえば、ムーラン・ルージュで活躍した人物としてFrank SinatraやCharles Aznavourがいる。それらのすべてをここで述べるのは大変なので、地球の歩き方に広告が載っていたと記憶しているものをピックアップして簡単に述べる。子どもの頃、トップレスの女性が旅行ガイドに載っているのを見てドキドキしていたものだ。もっとも、その女性の姿はせいぜい五ミリくらいの大きさしかなかったのだけれども。
学生時代にパリを訪れたときには、そこには寄らなかった。一日中美術館で過ごしてぐったりしていたし、まだ女性経験がなくて図々しくなれなかったからだ。今となってはいい思い出である。
赤い風車で名高いキャバレーで、ここを舞台にした映画は数知れず。トゥールーズ・ロートレックの作品群でも有名。著名なダンサーも多く、全員を紹介するのはとても無理だし、別のキャバレーにも出演していて、キャバレー別に紹介するとややこしくなるので端折る。
ところで、ウィキペディアだけからはヌードがどの程度ショーに盛り込まれていたかはわからないが、1893年の舞踏会に裸の女性がいたことがスキャンダルになったそうである。なんでもヌードモデルが活人画として周囲を歩き回り、裸の女性が深夜にテーブルに立っていたとのこと。一方、英国の劇場のように活人画、すなわち生きた人間で絵画を再現する目的としてならヌードは猥褻ではない、という意識もあったようである。例えば英国では劇場にヌードが現れたとき、当局が1930年代に裸の女性が動くことを禁じた。この禁令をかいくぐるために、モデルたちは活人画のように止まったままとなった(ストリップの記事を参照)。また、戦後日本でも「額縁ショー」と呼ばれるストリップのさきがけのようなものがあった。動かなければ猥褻ではないという謎理論がまかり通っていたのである。当時のGHQが何を意図していたのかはよくわからない。
これまたよくわからないのがゾラの1880年の小説「ナナ」では、ヒロインがヴェリエテ劇場でほぼ全裸を披露して観客を魅了するという場面があるのだが、実際のところどうだったのだろう? 本記事はカンカンについてなので劇場のヌードについては語りつくせないので、今後の課題としておきたい。
1889年開業、1915年に一度焼失するも再興し、ドイツ占領時代にも営業を続けて今に至る。
モネの絵画、「フォリー・ベルジェールのバー」の舞台としても知られる。また、黒人系の女性Josephine Bakerが活躍したキャバレーとしても知られる。バナナ型のスカート以外はほとんど身に着けていないエキゾチックな姿がオリエンタリズムの流行した当時ヒットしたのだが、後にその恰好が人種差別的だとされるようになり、そこからネグリチュード、黒人意識の発展にも寄与した。また、彼女は黒人の人権活動家としても知られている。最近、グーグルが彼女の生涯を記念するドゥードゥルをトップにした。
1869年に開業、1872年に今の名前になる。けばけばしい衣装で知られ、時としてヌードも披露されることで知られる。
映画「ファイアbyルブタン」で有名。セミヌードを含む映画の公式予告がyoutubeに上がっている。身体をやわらかな特殊素材のように扱ったショーは性欲やエロスの向こう側に行ってしまっており、すごいものになっているとしか言えない。リンクを貼ったら怒られそうなので検索してください。もちろん、そこまで独特なものではなく、もっとわかりやすいショーもある。
ユニークなのはそのショーの一部をyoutubeの公式チャンネルで公開していることだろう。かなり古い白黒のものまである。それと、公式ホームページ見ていたら驚いたのだけれども、リド自体には12歳以下の子どもでも入場できるそうである。ヌードやトップレスがないショーならOKなのか、それとも芸術のヌードならOKなのか。フランス映画、年齢制限がないやつでも割と普通におっぱい出てくるし、表現規制の国ごとの温度差を示す実例であるのかもしれない。
1946年開業。1920年代の人工的な砂浜をその前身とする。
「ストリップティーズ」の項目によれば1960年代に全裸のショーが行われた、とある。
現に、創業者であるアラン・ベルナルダンは芸術性を伴った女性のヌードショーを見せるという着想に至ったそうで、要するに最初から全裸である。
とはいえ、ただの全裸ではなく、巧みな照明技術により女性の裸体をキャンバスのようにとらえ、万華鏡のようなカラフルかつシャープな模様をダンサーの肌に映し出していることに特徴がある。ただ脱いだだけではないそうだ。1951年開業。
天国と地獄の曲を初めて聞いたのは文明堂のCMと、音楽ファンタジーゆめでだ。後者はCGの黎明期であったせいかサイケデリックな表現が多く、当時の感覚としても幾分薄気味悪いと同時に、今から振り返ってみると技術の未熟さ(失礼!)から来るアルカイック芸術のような独特の魅力があったように思われる。
ところで、この曲は地獄のオルフェとしても知られている。タイトルからすると、ギリシア神話のオルフェウスが死んだ妻を冥界から取り戻そうするとする話のはずだ。なのに、なんでこんな軽快な曲なのだろうと思って調べたら、ギリシア神話のパロディ的なオペレッタだからだそうだ。なるほど。
こうしたレオタード姿のラインダンスはカンカンではないと述べたが、それではこれはいつからあるのか調べたい。おそらく日本国内では宝塚歌劇団と関係している。また、バーレスク的なものとの関連について知りたく思う。そもそもバーレスクとは何か、僕はよくわかっていない。日本語版のウィキペディアのバーレスクの記事には、乳首と陰部に前貼りを貼っただけの姿でパフォーマンスをする女性の写真がある。リンクは張らないが、鍛えられたきれいな体だなあ、僕も筋トレ頑張らなきゃなあ、とは思う。しかし、欲望はそこまで感じなかった。隙がないのである。
かつては偉かったようだが、晩年は後輩をパワハラ三昧で休職に追い込むとか、
理不尽な要求をしてくるとか、別部署とはいえ立場的に上位の私にも文句を
延々と垂れる、そのくせ自分のやる業務を全うしない、いわゆるクズ。
そのじいさんのポジションを計画的に外堀を埋めながら剥がしてやった。
今やノーミッション。ルーチンワークをひたすらやらせようと思ってる。
他者との会話も許可しないし、与えたワークを納期までに完了できないなら、
容赦なく追い込むつもりだ。私の上司は「何もそこまで」と言ってくるが、
「後輩を何人も壊した戦犯を許容するのか。ケツを拭いてきたのは私だ。」と
述べたら何も言わなくなった。
重箱のスミを突きまくって、納品させて、目の前でゴミ箱に捨てよう。
じゃないと、今でも復職できてない後輩がかわいそうだ。