はてなキーワード: 懐疑主義とは
情報の信頼性を判断する際、私たちは思いがけない認知の罠に陥ることがある。その顕著な例が、AI生成情報の評価における逆説的な現象だ。
AI生成の情報は、それと明示されている場合、多くの人々から低い信頼性評価を受ける。これは一見、健全な懐疑主義のように見える。しかし、同じ情報が人間を経由して伝えられ、その出自が明らかにされない場合、私たちはそれを驚くほど高く評価してしまう。この現象は、人間の認知システムに深く根ざした複数の特性が重なり合って生じている。
まず、私たちには権威への根深い服従傾向がある。専門家や有識者として認識される人物から発信される情報は、その内容の本質的な価値とは独立に、高い信頼性を付与されやすい。これは進化の過程で獲得した、経験者の知識を重視する適応的な特性が基盤となっている。
また、党派性の影響も無視できない。私たちは無意識のうちに、自分が所属する、あるいは共感する集団の成員からの情報を、より信頼性の高いものとして受け取る。この傾向は、情報の出自がAIであることが明かされないケースでより顕著になる。
さらに、同調圧力が状況を複雑にしている。ある情報が社会で受け入れられ、多くの人々が信頼を示し始めると、個人はその流れに逆らうことが心理的に困難になる。これは集団での生存を重視してきた人類の社会的本能とも言える。
認知バイアスも重要な役割を果たす。人々は一度受け入れた情報の出自を徐々に忘れていく傾向がある。情報源の記憶が薄れると、人々は無意識のうちにそれを信頼できる人間からの情報として再構築してしまう。これは確証バイアスとも結びつき、いったん信頼性が確立された情報は、その信頼性を強化する方向で処理されていく。
対面コミュニケーションの影響力も見逃せない。人間を介した情報伝達には、表情、声色、身振りなどの非言語的要素が伴う。これらは情報の信頼性評価に無意識の影響を与え、往々にして信頼性を高める方向に作用する。
このような複合的な認知特性は、情報社会において予期せぬ結果をもたらす。本来なら慎重に検討されるべきAI生成情報が、人間を経由することで過度に信頼されるという逆説的な状況を生み出すのだ。
この問題に対処するには、まず現象の存在を認識し、意識的な対策を講じる必要がある。情報の出自を継続的に意識すること、伝達経路を確認する習慣を持つこと、そして何より、権威や集団の影響から一定の距離を保つ姿勢が重要になる。
情報の信頼性は、その出自や伝達経路によって自動的に決定されるものではない。内容自体の価値、証拠の質、論理の整合性といった本質的な要素に基づいて評価されるべきだ。この認識を持ち続けることが、AI時代における健全な情報判断の基礎となるだろう。
こうした認知の特性を理解し、意識的に対処していく姿勢は、単にAI生成情報の評価にとどまらず、私たちの知的活動全般の質を高めることにつながる。それは、技術の進化と人間の認知能力の共生を模索する上で、重要な一歩となるはずだ。
ジジェクはもともとTERFだよ
https://www.compactmag.com/article/wokeness-is-here-to-stay/
スコットランド政府は、ウェイク主義とLGBTの原因をほぼ極限まで推し進めました。2022年12月、スコットランドの議員たちが個人が法的に性別を変更しやすくする計画を承認し、16歳および17歳にも新しい自己認識システムを拡張した際、「平等のための歴史的な日」と称賛しました。基本的に、自分が感じる通りの性別を宣言すれば、それに基づいて登録されるというものです。予測される問題は、レイプで有罪判決を受けた生物学的男性であるイスラ・ブライソンがスターリングの女性刑務所に収監された際に発生しました。
ブライソンはレイプ容疑で裁判に出廷した後に初めて自分が男性ではなくなったと決定しました。つまり、自分を女性と認識している人物が、ペニスを使って2人の女性をレイプしたのです。これは論理的です。もし男性性や女性性が身体とは無関係であり、すべてが主観的な自己定義に依存するのであれば、ペニスを持つレイプ犯を女性収容者と一緒に収監しなければなりません。抗議があった後、ブライソンは男性刑務所に収監されました。しかし、これもスコットランドの法律の下では問題があります。というのも、今度は自己認識した女性が男性刑務所に収監されることになるからです。
ロンドンのタビストッククリニックは、上級当局から、ホルモンを抑制して胸などの性別に基づく特徴の発達を一時停止させる思春期抑制剤の使用を制限するよう命じられました。タビストックでは、9歳から16歳の性的アイデンティティを選ぶことができないように見える若者にこれらの薬を投与していました。タビストックの臨床医は、性的アイデンティティを決定できない若者が環境の圧力の下で強制的な選択をする危険があると考え、これにより彼らの真の傾向(主にトランスであること)を抑圧してしまうと判断しました。思春期抑制剤は、そのような若者が思春期に入るのを延期し、性的アイデンティティについて成熟した年齢で決定する前に考えるための時間を与えるために必要でした。
タビストックでは、評価のために送られたほぼすべての子供に思春期抑制剤が投与されており、自閉症や問題を抱えた若者も含まれていました。これらの若者は、性的アイデンティティについて不確かであると誤診されていた可能性があります。言い換えれば、人生を変える治療が、医療的な性別移行を望んでいるかどうかを知るにはまだ若すぎる脆弱な子供たちに行われていたのです。批評家の一人は、「性別に苦しむ子供には、時間とサポートが必要であり、後で後悔するかもしれない医療的な道に進ませるべきではない」と述べました。
パラドックスは明らかです。若者が成熟を一時停止して性的アイデンティティについて自由に決定できるようにするために思春期抑制剤が投与されましたが、これらの薬は他の多くの身体的および精神的病理を引き起こす可能性があり、若者たちにこれらの結果を伴う薬を受ける準備ができているかどうか誰も尋ねませんでした。ヒラリー・キャス博士は、「決定を下すための時間を稼ぐのではなく、思春期抑制剤がその決定プロセスを妨げる可能性があるかどうかを知る方法はありません。脳の成熟が一時的または永続的に妨げられる可能性があります」と書いています。
西洋の多くのジェンダークリニックでは、医師が「疑うことのない肯定的アプローチ」を採用することを余儀なくされていると批評家の一人が指摘しています。これは、子供たちの他の基礎的な精神衛生の危機にほとんど注意を払わずに行われています。この圧力は実際には二重のものです。一つには、臨床医はトランスロビーに恐れを抱いており、思春期抑制剤に対する懐疑主義をトランス個人が性的アイデンティティを実現するのを難しくする保守的な試みと解釈します。これに経済的な強制力が加わります。例えば、タビストックの収入の半分以上は、若者の性的問題の治療から得られていました。つまり、ここにあるのは、政治的に正しい圧力と経済的利益の計算という最悪の組み合わせです。思春期抑制剤の使用は、もう一つの覚醒資本主義のケースに過ぎません。
https://anond.hatelabo.jp/20240721230541
ジジェクは道を誤った / メラニー・ゼルMelanie Zelle [スワースモア大学の学内新聞『スワースモア・フェニックス』の編集者] ※削除済
ttps://web.archive.org/web/20230303073524/https://swarthmorephoenix.com/2023/03/02/zizek-has-lost-the-plot/
私が哲学に興味を持つようになったのはスラヴォイ・ジジェクのおかげである。
彼の著書『終焉の時代に生きる』と『パララックス・ヴュー』に偶然出会い、中学2年生の私が苦労して読み進めたこの本が、
ジジェクの文章は、彼が即興でする賛美のすべてにおいて、素晴らしく説得力があると私は感じた。
本棚に積まれた1000ページにも及ぶ矛盾の山に憤慨しながら『Less Than Nothing』を読み通したのは、高校時代に果たした偉業だった。
私は、ジジェクの長編作品の論旨を理解できるかどうかで、自分の知的価値を測るようになった(現在はほとんど理解できないが、以前はまったく理解できなかった)。
それだけに、現代の政治文化に関する最近の記事で、ジジェクを非難するのは心苦しい。
しかしある意味で、ジジェクと私の関係は、彼が何について間違っているのかだけでなく、
なぜこのような著名人が、あのように明らかな知的陥落にはまることができたのかを理解しようとする上で、
有利なポジションに私を置いていると感じている。
私の怒りの主な対象は、先週発表されたばかりのジジェクのエッセイである。
そのタイトル「Wokeness Is Here To Stay」は、たぶん私がそれほど警戒するものではなかったと思う。
ジジェクの哲学は、ヘーゲル、ラカン(そしてフロイトも)、そしてもちろんマルクスへの愛着から、オーソドックスな、ほとんど伝統主義的なものと特徴づけうる。
他方で世間一般におけるジジェクのペルソナは、意図的に培われたものだと私は主張したいが、ディオゲネス的挑発者であり、象徴破壊者であるが、自分勝手なものではない。
ジジェクのこうした面が、彼の論文や公開講演会、そして彼の知的活動への、より親しみやすい影響を及ぼしているようだ。
したがってジジェクが、クリックした人々が眉をひそめるようなタイトルを選んだことを読んでも、私は驚かなかった。
私は、ジジェクのお気に入りのトリックのひとつである、正式な哲学的分析の範囲外と考えられている文化の側面を選び出し、
喜びを感じながらそれを切り裂くことに慣れてしまっていた。
(ある講義では、カンフー・パンダについて論じており、また別の講義では、ヨーロッパ各地のトイレの特殊な構造が、
ポストイデオロギー的なポストモダニズム世界の概念に対する究極の反論となっている)。
ほとんどの場合、ジジェクの指摘は最終的に重要であり、さらに重要なのは、彼の広範な哲学のいくつかの要素について、面白おかしく、
しかし(おそらく結果的に)効果的に紹介者の役割を果たすことである;
そして一見したところ、"Wokeness Is Here To Stay は同じ公式に従っている。
トランスジェンダーの権利をめぐるスコットランドの政治的混乱から始まり、他の現代政治問題にも触れ、最終的にはフロイトとラカンへの言及で締めくくる。
表面下に潜む構造的な違いを無視しても(これについてはまた述べる)、この作品には、ジジェクのいつものトーンとは正比例しがたい苦渋が感じられる。
これは、私の最大の関心事である彼の議論の内容については言うまでもない;
ジジェクは、スコットランドにおけるトランスジェンダーの権利をめぐる、最近の政治論争をめぐる議論について、記号論的な分析を行っているわけでもなければ、
正確に他の多くのことと結びつけているわけでもない。
結局のところ、ジジェクは皮相な哲学的手法とともにただ単に政策論争に参加しているだけであり、遺憾ながら完全に間違っている。
ジジェクは、過去10年間にリベラルな知識人全体に伝染した観を呈するトランス医療をめぐるパニックに陥っている。
ジジェクのいつもの懐疑論は、ここではいつもの懸念荒らしconcern trollingの再現に留まる。 ジジェクはこう書いている:
「思春期ブロッカーは、タヴィストックでの診察に送られたほぼすべての子供に投与された。
その中には、性的指向がはっきりしないという誤診を受けた可能性のある自閉症の若者や、問題を抱えた若者も含まれていた。
言い換えれば、医学的な性別移行を望むかどうか判断できる年齢に達していない脆弱な子供たちに、人生を変えるような治療が行われていたのだ。
批評家の一人が言ったように、『性別の悩みを抱える子供には時間とサポートが必要である。あとになって後悔するかもしれない医療措置に進むよう仕向けられるべきではない』 」。
この一節は疑問を投げかける。ジジェクは、その知的能力において、思春期ブロッカーが何であるかさえ知っているのだろうか?
ジジェクの引用の使い方は、この作品の中で頻繁に行われていることから特に明らかであり、すでに示唆されていることを裏付けている。
実際、彼が引用したガーディアンの記事を読んでいれば、上で引用した段落を修正できたかもしれない。
ジジェクが引用した記事の上の行には、"異性間ホルモンは16歳からしか処方されず、専門家によれば思春期ブロッカーは不妊の原因にはならない "と書かれている。
したがって、このスロベニア人に知的怠惰の恩赦を与えることもできない。 これは純粋で単純な不誠実さであり、危険な形態である;
さらにひどいのは、ジジェクが記事の冒頭で取り上げた最初の文化的分析対象である。
『コンパクト』編集部がありがたいことに、ページをスクロールすると引用文が表示されるようになっているのだ(まだ彼の論調を十分に理解していない人のために)。
それはこうだ: "女性だと自認する人物が、ペニスを使って2人の女性をレイプしたことを我々は知っている"
“We have a person who identifies itself as a woman using its penis to rape two women.”
ジジェクが言及しているのは、アイラ・ブライソンの事件である。
この有罪判決は、スコットランドにおいてレイプで有罪判決を受けた史上初のトランス女性となり、
トランスの人々に対する「懸念」を持つすべての人々にとってのロールシャッハ・テストとなった。
ここでジジェクは、基本的な事実認識が間違っている。ブライソンの性別移行の時系列を誤って伝えているからだ。
さらに問題なのは、読者を煽動するために、本質化するような言葉を使い、さらに誇張していることである
(「ペニスを持ったレイプ犯が、囚われの女性たちと刑務所にいる」という表現が思い浮かぶ)。
ブライソンを「彼he」、そしてさらに厄介なことに「それit」と、ジジェクが性別を間違えて表現することに固執するのは、
ジジェクがトランスのアイデンティティを尊重することを、裁量に任された、善行次第のものだと考えていることを示唆している。
ジジェクはこの論文で、控えめに言ってもトランスフォビックtransphobicだ。
しかしそれ以上に、ジジェクは退屈で、独創性がなく、不誠実で、怠惰である。
彼はトランスの人々について、『ガーディアン』紙や『ニューヨーク・タイムズ』紙の同様の記事からは得られないようなことを何も書いていない;
この時点でようやくジジェクが哲学について語るかもしれないと思うのも無理はないが、残念ながらそれは間違いである。
記事の次の部分はさらに長く、さらに面白くない。『コンパクト』誌に掲載された別の記事の宣伝である。
(中略)
で、どういうこと? なぜジジェクはこんなことを書くようになったのか?
その答えは、対立的でありたいという彼の誤った願望にある。
彼は、この作品の中で他者が陥っていると彼が非難する事柄に陥っている。すなわち、自分を悩ませる他者を、自分自身の中で勝手に思い描く罪を犯しているのだ。
The answer lies in his misplaced desire to be oppositional. Ironically, he is guilty of the thing he accuses others of falling prey to within the piece, that of envisioning for himself an Other that haunts him.
[ジジェク]「要するに、ここにあるのは、政治的に正しい突き上げと、金銭的利益の残酷な計算との最悪のコンビネーションなのだ。 」
思春期ブロッカーの使用は、[ジジェクによると]"目覚めた資本主義 "のもうひとつの事例であるとされる。
ここでジジェクは、ジャニス・レイモンドの1979年の『トランスセクシュアルの帝国』に端を発する、トランスジェンダーの人々が選択する様々な処置や療法は、
製薬企業にとって重要な経済的利益をもたらすものであるという、一見したところ長年にわたる議論に訴えかけている。
そうすることで、救命医療へのアクセスを容易にするべきだと主張する人々を、自分たちの身体をめぐる現実の物質的な対立のために戦うのではなく、
資本の側、つまり極悪非道な個人の側にいる人々として捉え直すことができる。
バトラーやフーコーを読んだことのある人物が、このように書くことができるのは、こうした運動が誰のためになるのかという、権力についての混乱がジジェクを盲目にさせているのだ:
[ジジェク] 「性的混乱に「異常」なことは何もない。「性的成熟」と呼ばれるものは、長く複雑で、ほとんど無意識のプロセスである。
それは激しい緊張と逆転に満ちている。自分の心の奥底にある「本当の自分」を発見するプロセスではない」。
作品全体と同様、これはジジェク特有の哲学的プロセスといううわべに包まれたいつもの本質主義と、トランスフォビアtransphobiaである。
この最終的な帰結は、英米でトランスジェンダーの物質的な生活にすでにダメージを与えているヒステリーhysteriaの波に、ジジェクがお墨付きのスタンプを押したということだ。
ジジェクは、社会の変化に懐疑的なジャーナリストや知識人の瘴気miasmaの中に紛れ込んでしまったかのようだ。
これはポストモダンの懐疑主義に非常に批判的な人物から出た究極の皮肉である。
過去の思想家からの豊かな引用を悪しき議論の隠れ蓑に変え、気まぐれさを苦味に変えてしまう。
私たちにとって悲しい日であり、多くの意味でジジェクにとっても悲しい日である。
ジジェクは豊富な理論的な著作の中で最高のパフォーマンスを発揮し、ここでは最悪のパフォーマンスを発揮している。
このエッセイを読むと、あなたは感じ取るだろう。少なくとも少しは彼がそれを自覚していることを。
[終]
どちらかといえばTERF寄りだよ
https://www.compactmag.com/article/wokeness-is-here-to-stay/
スコットランド政府は、ウェイク主義とLGBTの原因をほぼ極限まで推し進めました。2022年12月、スコットランドの議員たちが個人が法的に性別を変更しやすくする計画を承認し、16歳および17歳にも新しい自己認識システムを拡張した際、「平等のための歴史的な日」と称賛しました。基本的に、自分が感じる通りの性別を宣言すれば、それに基づいて登録されるというものです。予測される問題は、レイプで有罪判決を受けた生物学的男性であるイスラ・ブライソンがスターリングの女性刑務所に収監された際に発生しました。
ブライソンはレイプ容疑で裁判に出廷した後に初めて自分が男性ではなくなったと決定しました。つまり、自分を女性と認識している人物が、ペニスを使って2人の女性をレイプしたのです。これは論理的です。もし男性性や女性性が身体とは無関係であり、すべてが主観的な自己定義に依存するのであれば、ペニスを持つレイプ犯を女性収容者と一緒に収監しなければなりません。抗議があった後、ブライソンは男性刑務所に収監されました。しかし、これもスコットランドの法律の下では問題があります。というのも、今度は自己認識した女性が男性刑務所に収監されることになるからです。
ロンドンのタビストッククリニックは、上級当局から、ホルモンを抑制して胸などの性別に基づく特徴の発達を一時停止させる思春期抑制剤の使用を制限するよう命じられました。タビストックでは、9歳から16歳の性的アイデンティティを選ぶことができないように見える若者にこれらの薬を投与していました。タビストックの臨床医は、性的アイデンティティを決定できない若者が環境の圧力の下で強制的な選択をする危険があると考え、これにより彼らの真の傾向(主にトランスであること)を抑圧してしまうと判断しました。思春期抑制剤は、そのような若者が思春期に入るのを延期し、性的アイデンティティについて成熟した年齢で決定する前に考えるための時間を与えるために必要でした。
タビストックでは、評価のために送られたほぼすべての子供に思春期抑制剤が投与されており、自閉症や問題を抱えた若者も含まれていました。これらの若者は、性的アイデンティティについて不確かであると誤診されていた可能性があります。言い換えれば、人生を変える治療が、医療的な性別移行を望んでいるかどうかを知るにはまだ若すぎる脆弱な子供たちに行われていたのです。批評家の一人は、「性別に苦しむ子供には、時間とサポートが必要であり、後で後悔するかもしれない医療的な道に進ませるべきではない」と述べました。
パラドックスは明らかです。若者が成熟を一時停止して性的アイデンティティについて自由に決定できるようにするために思春期抑制剤が投与されましたが、これらの薬は他の多くの身体的および精神的病理を引き起こす可能性があり、若者たちにこれらの結果を伴う薬を受ける準備ができているかどうか誰も尋ねませんでした。ヒラリー・キャス博士は、「決定を下すための時間を稼ぐのではなく、思春期抑制剤がその決定プロセスを妨げる可能性があるかどうかを知る方法はありません。脳の成熟が一時的または永続的に妨げられる可能性があります」と書いています。
西洋の多くのジェンダークリニックでは、医師が「疑うことのない肯定的アプローチ」を採用することを余儀なくされていると批評家の一人が指摘しています。これは、子供たちの他の基礎的な精神衛生の危機にほとんど注意を払わずに行われています。この圧力は実際には二重のものです。一つには、臨床医はトランスロビーに恐れを抱いており、思春期抑制剤に対する懐疑主義をトランス個人が性的アイデンティティを実現するのを難しくする保守的な試みと解釈します。これに経済的な強制力が加わります。例えば、タビストックの収入の半分以上は、若者の性的問題の治療から得られていました。つまり、ここにあるのは、政治的に正しい圧力と経済的利益の計算という最悪の組み合わせです。思春期抑制剤の使用は、もう一つの覚醒資本主義のケースに過ぎません。
正しく意図を汲み取れてる自信はないけど多分その通り。
Aという考えをもっていてそれを表明したらBだと批判され、Bを受け売りにしていたらCあるいは最悪Aだと批判されることがあったりする。
じゃあ何が正しいんだよってなる。とうとう「正しいことはない」と書いてみて、「正しいことはない、という正しさを自認してるのって自己矛盾に陥ってね?」などと言われた日には自我崩壊を招くだろう。自信がないことにも自信がなくなるみたいな、あれ俺は自信があるのですか、ないのですかと、懐疑主義の究極形というか、まるで記憶喪失者のような口調しかできなくなってしまう、自分のことにすら他人に評価してもらわないと存在を保てなくなってしまうと思う。
でもそれって言語形式上の論理的無矛盾性にこだわっているからだけであって、そういうの一度すっぱり忘れて流されるままに生きてみれば(俺は自転車でよく走ってる)「自分というもの」を取り戻せるんじゃないかって思う。矛盾してようがしてまいが動物さえ実際生きてるんだから人間だって生きられるはず。
それも知識があるとかそういうレベルじゃなくて、小難しい言葉を使わないで知恵をフィクションに圧縮できてる。
俺史上最高のなろうだわ…色々超えた久々にマンガ紹介に復帰しようと思って手に取ったら、神がかりに良かった。
俺がマンガ担当さんのツイッター探して速攻フォローしたことで、絵師ガチャURなマンガなのは伝わるはず
この人の書いた薄い本があるなら今すぐにでも欲しいもん
嘘だと思うなら俺の前に米を用意して欲しい。
電子書籍パラパラめくりながらプレーンなお米をかっくらってみせるわ
去年9月10月あたりに一度「あ、俺の目利き死んだかな?」って思うことがあったけど、ピッコマを雑に眺めてるだけで、人気マンガの気配に気づいて手に取れたことで「目が戻るどころかパワーアップしとる」って思った
なろう系漫画で鳥肌たったの初めてかもしれない…。マンガ家ガチャURまで来ると、絵の力で鳥肌まで立ててくるのかよ…
駄作をまとめるとか、原作に忠実に…とかそういうレベルを超えて「話自体は展開が読めても、マンガ演出がすごすぎて鳥肌が立つ」までいくのか…。なにこれ次元が違う
重ねて言うけど、ガチで良かった。「良作でもなろう×飯モノは飽和してるのでは?」と思って読んだら、飯物でもまさかの深夜食堂。
「いい加減マンガ紹介復活させなきゃ」ってスケジュール的な焦りがあったけど、正直今は「あああ!!この作品の紹介やりたい!!!!!!」ってなってる。
もうね気持ち悪いほど褒めてるけど…読めばわかるよ。紹介するよ?でも、俺は今から2巻読むわ。
原作とマンガ家の引き出しが広すぎてもはや宇宙というか四次元なんだけど…。
俺の中での「なろうの最高傑作」が塗り替わったかもしれない…。理知的でもあり、コミカルでもある…なんてのはもう言い尽くされた褒め言葉だけど、その解像度があまりにも高すぎる。どうにか言葉にしたい
ごく稀に…本当に極稀に…「バカでもわかるほどの天才」っているんだよ!!それを今目の当たりにしてる。
学問なんてものは基本、体系化と証明されていることに価値があって、知恵そのものに価値があるわけじゃない。だからこそ、体系的でない形で知恵を説明・表現できる人間たちこそ本当の天才。
私が高学歴でも頭でっかちな文系を見下してる理由は結局これなんです。あの人達は体系化や参考書通りの言葉が知恵だと勘違いしている。
でも、実際には違う。知恵は子どもでもバカでもわかるように、専門用語や数字抜きに説明できる!!難解な説明も天才が頂点でいいのは理系の世界なんだよ
ぼくだって数字やデータを検証しますよ?理由はぼくが凡人であることと、体感だけじゃ説明/実践できないことがあるから。
でも、それは知恵を他人に説明する時はまだまだ未熟なんです。まして、人に話す時にデータと数字を信じ込むなんてもう最悪。常に懐疑主義を胸に秘めてるなら話半分に話す
なんか高齢者は自粛せずに若者ばかりに自粛を呼びかけている!という言動が散見される。
医師であっても、高齢者医療の実態を知らない小児科医などが、自粛すべきは高齢者だろう、子供の権利を守れ、とか言ってしまう。
だけど、高齢者など高リスクな人々は、すでにに若者よりも自粛して対策してないか?
もちろんネットでつるし上げ食らうような外れ値の馬鹿は一定数いるものの、絶対数では少ないのではないか。
これは高齢者の情報がネットに載りにくいためだと思っているのでちょっと書いておく。
介護施設・病院やサークルなどの規制で、すでに強力な規制がかかっている状態だ。
高齢者やリスクの高い人たちはずっと強いレベルで対策をしている状態になっている。
一方で、一般の人たちは違う。
一般の人たちは、一律に強い自粛をする必要はなくて、行動を変容させるだけでよいので、やめてほしい事を細かく伝えられている。また絶対数では一般の人の方が多い。そのために一般の人たちに向けたメッセージばかりが出ているように錯覚するのではないか。
学校も、修学旅行が中止、運動会が保護者MAX2名で飲食不可、文化祭外部公開は中止、といった影響はあるものの、まぁ今のところその程度だ。もちろん公園閉鎖などもない。
市井感染が広がってしまっているところは、一般の人たちへの要請はさらに強いと思われるが、それはこの程度の自粛ですむようにコントロールができなかった事が原因だと思う。
ところが、高齢者や高リスクの人々向けの施設では全く様相が異なる。多分これは都市部で感染が広がっているところでも似たようなものではないか。
以下の条件が一つでも当てはまる場合には隔離されて特別処理となる。
入り口で問診コーナーがあって一通りチェックされることに。持病の定期検診とかだと、該当した場合、薬だけ渡して診察なしという場合もある模様。
これが何を意味するかというと、高リスクの人がいる家では、帰省されたら介護サービスが利用できなくなるし、病院にもうけられなくなる。
高リスク者は何か体に不調があったりするから高リスクなのであって、これらの社会サービスが受けられなければ生きていけないと言っても過言ではない。
なので、かなり強い強制力を持ってすでに自粛になっているということ。で、リスクが高い人はそれが自分を守るためだと知っているから、素直に従う。
故に、行政が頑張って広報したりしなくてもよいので目立たないだけなのだと思われる。
https://digital.asahi.com/sp/articles/ASN8971TYN7VUHBI00T.html
環境学者で、科学に対する懐疑主義の研究をするダナ・ヌッチテリさんによると、科学への懐疑論は次のような5段階を経て進行する。まずは、「地球温暖化はない」などと、否定から始まる。次に「中国の方が温室効果ガスの排出が多い」などの責任転嫁が始まる。しかし、これでは問題が解決せず、「気候はいつか戻る」という矮小(わいしょう)化につながる。危機が認識されても「温暖化対策には巨額の増税が必要だ」などと、代償が大きすぎるという批判が起き、最終的には「すでに対策は手遅れだ」という悲観論に行き着く。
「否定」→「責任転嫁」→「矮小化」→「対策の代償の批判」→「手遅れの悲観論」という進行は、新型コロナをめぐっても起きているが、地球温暖化などと比べるとスピードがはるかに速い。
高齢者や高リスクの人々が悪い、彼らだけ自粛すればよい、というのはまさにこのパターンに陥っている。
自分がかかったら死ぬという人は当然対策をしているわけで、その結果が、第二派の若年層を中心とした感染状況だ。
この状況で数を少なく抑えられれば、よかったのだけれど、都市部では爆発的に増えてしまった。だから高リスクの人だけが対策するだけでは問題は解決しなくなってしまったのが現在の状況なので、安易に悪者を作って溜飲を下げるのではなく、現実を直視して向き合ってほしいと思う。
ここ一ヶ月ほどで次々とコロナの特性が明らかになったみたいに言われてるけど、実際のところは日本でも1月の段階ですべて出ていた情報ばかり。
それらをソースなしのデマと断定して見向きもしなかったツケが、今現在の結果として現れているだけにすぎない。
自分の信じる権威が実証してくれないと何も行動できない人間ばかりで、物事を曖昧にして可能性を残しつつどちらに転んでもいいように準備をすることができない。
そしてそんな国民が政治のスピード感のなさを嘆いている地獄、国が民で出来ているのなら、国の態度は民の態度であって国の現状は民の現状でしかない。
自分の頭の悪さを懐疑主義と取り違えた自分を冷静で慎重な人間に見せたいだけの奴が好むのが、自分の観測範囲外のすべての可能性をデマと切って捨てる行為だ。
日本国内外の怪しいものも含めてありとあらゆるメディアに誰でも簡単に目を通せる現代に、後になってからこんなの知らなかった、そんなこと報道されていなかったが通じるわけないだろう。
世界幸福度ランキングが発表になった。しかし、例えばニコニコの記事でいかにも同一のやつがしつこく「こんなランキングは意味がない!」と粘着して大量に批判してる。
しかも、これ英文の元を読まずにただ因縁つけたいだけだろ?みたいな内容の批判も多い。
他にも、一人あたりGDPも大概因縁付けられるな。これは物価差を見ていない!と言い出す。じゃあ購買力平価一人あたりGDPなら?というと、曖昧なデータを元に撹乱している!と。
大学ランキングもそうだ。これはもう日本のアカデミックは致命的に衰退している。
それらの懐疑主義者にとって国際比較のランキングで信頼されるものってのはあるのだろうか?
さらに、これらのランキングは1つの軸に基づく結果だ。ランキングを信用しないとすると、何を信頼するのだろうか?
とすると、「権威を信じる」ということになるんだろうな。科学は明確と分析によって成り立つ。各種ランキングもランキングを付けれる範囲で基準を作ってその元分析している。
所詮1つの軸にしか過ぎない。その軸の範囲で改善はしていける。
科学以前は全て権威が正しいという世界だった。教会なり王なり。
王が言うことが正しいのだから、王が日本が素晴らしいといえば、素晴らしい。これほど楽な治世はないな。さらに、そこに教会=神道カルトの権威のもとに従えば良き治世になると。
無論、懐疑主義は科学の要素の1つではある。しかし、何を目的にして、何が正しいかを考えながらでないとすべての意見を否定して、権威主義に陥るだけ。
そもそも、日本人自体が、個人と、意見を分離できていないということもあるだろう。
だから、日本について悪い意見、ランキングが下がったということを言われれば、それは日本を貶めるインボーである。なので、相手を全否定しないとならない。
世俗権威と宗教権威が好き放題出来て、日本を全面的に褒め称える言葉であふれる世界。それがランキングに因縁つける奴の理想世界ななんだろうかな。
http://anond.hatelabo.jp/20170331130851
「懐疑するということは、危険分子になることだ。 なぜなら懐疑主義はすでに確立された制度に異を唱えるからである」
「懐疑主義のやり方にも欠点はある。対立の図式を持ち出し『われわれ』対『彼ら』という感覚、『真理はわれわれが独占している』という感覚。『こんな馬鹿げた教義を信じている連中は頭が悪い』といった論調がそれである。」
「権威主義に陥るな。権威のいうことだからといって当てにしないこと。権威はこれまでもまちがいを犯してきたし今後も犯すかもしれない。」
「科学の核心は一見すると矛盾するかにみえる二つの姿勢のバランスを取るところにある。一つはどれほど直感に反する奇妙なアイディアであっても新しいアイディアには心を開く姿勢。もう一つは古いアイディアと新しいアイディア双方に懐疑的かつ徹底的に吟味する姿勢である。」
それでも水伝のような明らかな詐欺を叩いている際は大きな問題は起きなかったが、権威主義で対応できない問題にぶち当たった時、菊池誠の破綻が始まった。
典型的なのは有名な大震災後の「メルトダウンじゃないだす」発言で、これがわかりやすい発端といっていいだろう。
https://togetter.com/li/197084
菊池誠は権威である東電や原子力工学者の見解を無批判に受け入れるだけで、実際に起こっていることを分析的に思考することができない。
ちなみに現在メルトダウンを認めていない学者は、確認できるかぎり菊池誠、池田信夫、高田純の3名である。
その後も当の東電も認めたおしどりマコの取材に基づく排気塔問題についても根拠もなく否定したり、
https://togetter.com/li/941464
https://togetter.com/li/808369
辻元デマを真に受けたりと、
https://twitter.com/lautrea/status/845463623648526336
ネトウヨやミソジニストと区別がつかないところに到達している。
晩年おかしなことになる物理学者というのはままあることだが、菊池誠の場合は単に一貫して単なる権威主義だったということで話は終わりなのではないか。
おまけ
http://b.hatena.ne.jp/entry/329850045/comment/lets_skeptic
ブクマで「自分の「メルトダウン」という言葉の認識の問題であったことを認めている」と書いてる人がいるが、
菊池誠は2016年ですら「メルトダウンと炉心溶融は違いますよね」と相変わらず嘘を主張している。
https://twitter.com/kikumaco/status/700744555314835456
つまりこれは菊池誠が「だから自分は間違っていなかった」といっているのだよ。明確に「間違いだった」という表現あるいは謝罪の意を表明した言葉を探してみるといい。ないから。
問題は言葉だけの問題ではなく、当時菊池誠はメルトダウンの可能性を指摘した人たちを誤った知識で叩きまくっていたことも含む。擁護者らはこれをまるで無視するのだから、同じ穴のムジナと言わざるをえない。
https://twitter.com/kikumaco/status/702471667054833664
正しくはこっち。
https://twitter.com/miakiza20100906/status/703532925413765120
5歳の甥っ子との会話。
「あ、私ね宇宙人詳しいよ」
「それはたぶんチュパカブラ」
(聞き取れてない。スルー)
………
「牛のミルク?」
「その宇宙人は手に羽があって、飛んだりするんだよね」
「その宇宙人はこう飛んで、目が光ってて」
「普通ってどんな?」
「本当のやつ」
ロズウェル事件の、二人の大人が腕を持ってる写真を見せるが反応が薄い。
「これこれ」
「さっきのやつも見せて」
もう一度ロズウェルを見せる。検索結果一覧にフラットウッズモンスターが。
「これ…」
「これは大人でも怖いやつだわ。私でも無理だわ」
「怖いのはまだ見せないで」
「一番怖い宇宙人は?」
「違う。一番怖いやつ見せて」
二メートルくらい離れて見る。
「大丈夫」
グインと近場へ。
「こんなの大丈夫。ウルトラマンなんとかのなんとかのほうがヤバイ」
「敵の?」
「うん。大丈夫だけど、あんまり映さないでね」(スマホの画面にか?)
………
「悪い宇宙人が来たらにっぽんは滅ぶ?」
「じゃあお面みたいのつけて、口に息ができるのをつけて」
「それは宇宙飛行士だね」
「みんながそれになれば」
………
「良い宇宙人もいる?」
「いる。知能もとても高くてそれを地球人に教えてくれるの」
「良い宇宙人見せて」
「このキラキラしてるのが良いんだよ」
「広いってどんくらい?」
「寝てる時に?」
「寝てる時も起きてる時も、朝昼晩ずっと。」
「宇宙ってどこ?」
「空の上」
………
「怖い宇宙人見せて」
「これ?」
「違う、もっと怖くないやつ」
このやり取りを寝るまで数回。
ちなみに会話はもっとたどたどしい。あれとかこれとか多い。同じ話も繰り返す。
にっぽんと海外の違いはわかるけど、岐阜へ行ったときもここは海外って言ってたから、たぶん遠いところイコール海外だな。
私は懐疑主義で、ロズウェル事件の写真の真相とか話せるけど、まだそれは早いと判断。
甥っ子に宇宙人の本をあげたい。
どんな本をあげよう。
この懐疑主義者めッ! その扉は決して開けてはならぬと言っただろうに!