はてなキーワード: 力学とは
マスメディアが負けたとか、SNSの勝利だとかいろいろ言われている。
いちおうメディア業界に20年ほどいるので、いま感じていることを書いてみるよ。ちなみに某放送局で、主に制作側の仕事をしている。キー局ではない。在阪局でもなく兵庫県民でもないので県知事選挙の有権者の判断に何か言いたいわけでもない。
個人的にはこれがいちばん厄介だと思っている。中には思想的に偏っていたり政治的意図を持って番組を作る人もいるかもしれないが、自分の観測範囲では多くの人が公平に不偏不党な報道をやってる、と自己認識をしているように見える。
その割に、例えば選挙では明らかな泡沫候補は扱いが小さかったり、そもそも触れなかったりする。
「主な候補」の演説内容を報道するときは、「秒数を揃える」ことで公平性を保っている、ということになっている。ところが、当然ながら演説している候補者はそんなに都合よく同じ分量でスピーチをしないので、結果的に「印象的だと制作者が判断した部分」を切り貼りしてなんとか秒数を揃えている。切り貼りの結果、意味のわかる文章に整っていればまだいいが、よくわからないところで切れていたりする。秒数を優先するとそういう編集になることも多い。この切り取り方に意図が介在しないわけがないのだが、こういう手法をもって「自分たちは公平に報道を行っている」と思っていたりする。
秒数の話は一例だが、編集によって意図が介在していることに無自覚で、形式的な公平性で法令遵守していることにして、自分たちを省みる機会が少ない。
庶民よりのコメンテーターを起用したり、大きくデフォルメしたイラストや図表を用いるのがこれ。実際、肌感覚としてもう若者はほとんどテレビにもラジオにも触れていないので、どうしても中高年層から上の世代に向けた放送になる。選挙みたいな話題だとどうしても解説役を置くことになるが、それもできるだけ「わかりやすく」「庶民の関心があるテーマで」という方向の力学がはたらく。単純に言えばそうしないと数字が取れない。思ったように数字が上がらないと、「もっとわかりやすくしなければ」という方向で検討されてしまう。視聴者、庶民をバカにしているとまでは思わないが、中には「どうせ難しいことを言っても視聴者はわからない」という意識を持った制作者もいたりする。
メディアには序列があって、囲み取材などでも発言の順番に不文律がある(決められている場合もある)。いまだに、新聞やテレビはこの序列の上位にいるという意識が強い。その根拠として、「ネットメディアは素人が発信していて信頼性が無い」と思っていたりする。それはまあ当たっていなくもないと思うが、さらに「信頼性の面で、自分たちのほうが支持されて当然」という認識からネットメディアを軽視する傾向が強い。その割に、制作コストも乏しく人も足りないので、番組制作をネットのコンテンツに頼ろうとする。視聴者が減ってる自覚もあるので、自社でもSNSだとかYouTubeだとかいろいろやってみるが全然見られず、制作現場に無駄な手間だけが増えていたりする。
構造的に夜勤もあれば臨時や時間外の仕事もあったりするのでブラック化しやすく、どんどん人が辞めていく。特に制作現場はノウハウが継承されない。その割に全社的に人が足りてないので熟練のスタッフを突然異動させたりもする。新規採用もやってるが、若者に人気がない。ネット他の媒体に広告費を取られて収入も減り、さらに制作コストが乏しくなっている。少ない人数で多くのコンテンツを作らないといけないので、クオリティも下がる、という悪循環。最低限の規定演技をこなすことに忙殺されていて、遊び心のある企画をやってみよう、というような余裕がない。報道についても「秒数を揃える」みたいなルールを守って「怒られないようにする」が精一杯なんじゃないかな。チャレンジングな取り組みはより一層やりにくくなっている。
業界外の人が感じていることとそんなに大きくは違わないかもしれない。中にいると楽しいことややりがいも感じてこなかったわけではないが、このまま業界が変わらなければどんどん面白く無くなっていくなあ、と思っている。
社会的必須職種(エッセンシャルワーカー等)の賃金抑制は、単なる需給バランスの結果ではなく、労働市場における構造的な力学の歪みがもたらす深刻な社会問題として捉える必要があります。この問題は、以下の観点から看過できない課題を含んでいます。
社会的必須職種における雇用主と被雇用者の関係性には、本質的な非対称性が存在し、これが賃金抑制の一因となっています。
• 大規模な資本を持つ雇用主は労働者に対して圧倒的な優位性を持ち、これが賃金決定に大きく影響します。
• 多くのエッセンシャルワーカーは、生活維持のために仕事を選ばざるを得ず、雇用主と対等な交渉を行う余地が限られています。
• 雇用主は労働者を代替可能な存在と捉える人事政策を用いることが多く、結果として労働者の待遇が抑制されやすくなっています。
• エッセンシャルワーカーが担う労働は、生活の安全や安定を支える極めて重要な役割を果たしていますが、労働市場における供給面では参入障壁が比較的低い傾向にあります。
• こうした参入障壁の低さは、無秩序な価格競争を引き起こし、賃金のダンピングが自発的に進行することが多くあります。これは「市場の自然な調整」と見なされがちですが、実際には労働条件の悪化を助長するため、最低賃金の設定などの公的介入が欠かせません。
• 低価格での競争が品質に悪影響を及ぼし、サービスの質を保つための適正な賃金設定が難しくなる構造が形成されています。
この問題を放置した場合、社会的に大きなリスクが生じることが予測されます。
• 必須サービスの質的低下が発生し、人々の生活に欠かせない基盤が脆弱化します。
• 人材不足が深刻化し、エッセンシャルワーカー職種の慢性的な人材枯渇が進行するリスクが高まります。
• 労働条件が改善されないことで離職率が高まり、結果として技能蓄積が妨げられます。
• 労働者の離職や人材不足により、労働力の育成に必要な投資やスキルの蓄積が損なわれ、長期的な社会コストが増加します。
• エッセンシャルワーカーの賃金抑制問題は市場の失敗の一例であり、外部性や情報の非対称性を是正する必要があります。
• 労働者の生活を守るために取引費用の適正化が求められます。
• 適正な人材配置を行い、エッセンシャルワーカーのサービス品質を維持・向上させることで、社会インフラの持続可能性が確保されます。
この問題を解決するためには、以下の政策的介入が必要とされます。
• 実効的な最低賃金の運用や、労働者の団体交渉力を強化することで、雇用主側に偏った力関係を是正します。
• 適正な価格設定メカニズムを確立し、社会的コストの適正な分配を図ります。
• 人材育成システムの構築により、エッセンシャルワーカー職種の持続可能性を強化します。
エッセンシャルワーカーの賃金抑制を放置することは、単なる一時的な市場現象ではなく、社会システム全体の持続可能性に対する深刻な脅威として認識されるべきです。この問題の是正は、社会科学的見地のみならず、持続可能な社会構築の観点からも喫緊の課題であり、早急な対応が求められます。
↓これの話と、
高卒採用を増やしたいんだけど、現状の異様な高卒新卒採用ルールを変更してほしい。学生の職業選択の自由を奪っている→賛否両論の議論に
https://togetter.com/li/2451761
そのブコメ↓を見てて思ったけど
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2451761
自由競争にしたら採用する側、企業側に有利だけど、採用される側は不良だよな。
逆に、現状の大学生でも理系の研究室から推薦されて就職する流れは高卒採用ルールと変わらないので、大学生もそっちに合わせた方が良いのでは。
→リクルートやマイナビみたいな企業が力持ってる状況から、大学の就職相談室やキャリアサポートセンターが力を持つ状況になるだけ。
競い合うの大学相談室間のバトルで、ウチの生徒は他大学の生徒より優秀ですバトルだから健全では?
リクルートとかは各大学のコンサル的な事業にシフトすれば良い。コンピテシー診断とかの企業に売ってるシステムを大学向けにアレンジするとか。
大学内部に向かう力学としては、うちの卒業生は優秀だ、使える、と評価される必要が強まる。そのために最近企業側で新卒に求めるスキルを授業にも組み込むか、サポート講座を設けよう、とかになる。
大学側も学内選考は学校の成績や校内での実績に基づいて順位付けする事になるので、生徒に対して授業や大学そのものへ貢献してもらうモチベーションは直結して高められる。
大学自体は社会的評価を上げて、企業からの求人を学校単位でたくさん貰えるような学校にならないと行き詰まるし、採用された卒業生をみて「あそこの大学のあの学部の卒業生なら間違いないよ」と言われる教育を施す必要がある。
大学側の施策がズレてたら少しタイムスパンはあるけど、学校の学部単位で評価がモロに影響するから、放置されないで是正される。
大学3年の後半から4年にかけても、自分の希望の企業に学内選考で入るには授業で大学が求める成績をあげるため就活するから学校なんて後回しにはならない。
そもそも、任天堂に入るには〇〇大学の〇〇学部は採用枠持ってる持ってないが高校生向けの大学パンフレットに載ることになるし、2025年〇〇社より新たに採用枠2名獲得!とかがアピールポイントになるのでは
企業側がお金と人員リソース費やしてる所に、大学生が個々人のリソースで1年近い時間を費やして対応してるの、企業vs個人の段階で不利なんだから企業vs大学の方が健全だと思う。
広告代理店のインターンキツすぎもう無理……みたいなツイートを見かけて、クリエイティブを全面に出しているような文化部でもゴリゴリの体育会系なノリってあるよなぁ、と思った
どっちも似たようなものではあるけど個人的には微妙に違うと思っていて、語弊を恐れずに言うなら吹奏楽部は集団主義の極北にある存在、演劇部は強烈な個人主義を盲目的な大義(show must go onみたいなの)で束ねた集団
こういう文化部にある“体育会性”って、いわゆる「コッカラッス!」とか飲み会全裸芸みたいな豪放磊落なものではなく、とにかくねちっこいし陰湿
師弟関係に似た上下関係の強さとか、パワハラ紛いの精神論や根性論が創作美学/哲学の名の下肯定されていることとか
運動部も先輩後輩の上下関係はしっかり叩き込まれるけど、それはどちらかといえばヤンキーの支配構造に近いものであって、基本的には年功序列に従うと思う
一方文化部の上下関係の場合、年次の大小は元より、センスや才能というような個々人の実力差も力学の決定に大きく関わっていると感じる だからよく拗れる
エンタメやメディア系の企業は概してこの側面を有しているので(とはいえ広告代理店の営業部門なんかは単純に体力勝負だとは思う)、合わん人にはとことん合わん文化だろうな
ドイツはイデオロギーとしてイスラエルを指示し続ける力学が働いてるんだからドイツを例に挙げるのはさすがに歴史に対して無知過ぎる。
イスラエルの行動が目的に対して賢い手段なのかという話に対して虐殺が目的だと思ってたり、今回の軍事行動が政権というか首相の信頼を守るための過剰反応であることとかを理解できてないのは増田芸人過ぎる。
国内から批判されてるし本人が英雄じゃないって話に対して、「でもドイツには支持されてるし」って返すのは流石に恥ずかしすぎる。
朝から楽しませてもらったわ、そろそろ仕事始まるからこの辺にしとくわ。
これからも中学生以下の歴史知識とインターネットで知った真実を小さな脳味噌で掛け合わせて、最高の喜劇を垂れ流し続けてほしい。
自分は身長高めフツメン中年男性で、最近まで男も女も見た目は顔が最も重要ということに疑いを持っていなかった。
身長関係なくhydeみたいなイケメンが一番かっこいいと思ってた。
(ただしイケメンに限る、みたいな言葉もあるし)
しかし、最近になって男性における身長は、もしかして女性おける顔と同じぐらいモテ市場において重要なのかも?と思い始めた。
自分は結婚しようとか考える前に若い頃に自然な流れで結婚してしまったし、モテがどうこうみたいな会話に首を突っ込まなかったので、大人のモテ力学みたいなものに関する知識がまったくなかった。
でも、女性視点での婚活の話とか漫画とかを見聞きして、自分が特に努力せずに結婚する流れになったのも身長の影響が大きいのかもと思った。
知人の東大出身の性格のいいイケメンがまだ結婚してないのも、身長が少し低いのが理由なのかも。
身長が高めの男性からすると、身長を意識するのって極稀にいる180cmめっちゃ超えてる超高身長男性を見かけた時だけなんだよね。
その時だけ首を上げる動作をしつつ「でかっ!」って思うが、同身長から下の人はそういう動作を伴わないので、身長というものを気にする機会があまりない。
M理論を用いたビッグバンの数理的解明は、現代理論物理学の最前線に位置する課題である。以下に、より厳密な数学的枠組みを用いてこの問題にアプローチする。
(M¹¹, g) ≅ (R¹,³ × X⁷, η ⊕ h)
ここで、M¹¹は11次元多様体、gはその上の計量、R¹,³はミンコフスキー時空、X⁷はコンパクトな7次元多様体、ηはミンコフスキー計量、hはX⁷上のリッチ平坦計量である。
M理論の超対称性は、以下のスピノール方程式で特徴づけられる:
D_μ ε = 0
ここで、D_μはスピン接続、εは11次元のMajorana-Weylスピノールである。
M2-ブレーンの動力学は、以下のNambu-Goto型作用で記述される:
S[X] = -T_2 ∫_Σ d³σ √(-det(g_αβ))
ここで、T_2はブレーン張力、g_αβ = ∂_αX^μ ∂_βX^ν G_μνはブレーンの誘導計量、G_μνは背景時空の計量である。
ビッグバンを膜の衝突として捉える場合、以下の位相的遷移を考える:
M¹¹ ⊃ M₁ ∪ M₂ → M'
ここで、M₁とM₂は衝突前の膜宇宙、M'は衝突後の統合された宇宙を表す。この遷移は、コボルディズム理論の枠組みで厳密に定式化される。
11次元重力定数G₁₁と4次元重力定数G₄の関係は、以下の積分方程式で表される:
1/G₄ = Vol(X⁷)/G₁₁
ここで、Vol(X⁷) = ∫_X⁷ √det(h) d⁷y はX⁷の体積である。
M理論の無矛盾性は、以下のBianchi恒等式とアノマリー相殺条件によって保証される:
dH = 1/(2π)² [p₁(R) - 1/2 tr F² + tr R²]
ここで、Hは3形式場、p₁(R)は第一ポントリャーギン類、FとRはそれぞれゲージ場と重力場の曲率である。
Multiverse ≅ lim→ (M_i, φ_ij)
ここで、M_iは個々の宇宙、φ_ijは宇宙間の遷移を表す射である。
これらの数学的構造は、M理論を用いたビッグバンの理解に対して厳密な基礎を提供する。しかしながら、完全な証明には至っておらず、特に量子重力効果の非摂動的取り扱いや、実験的検証可能性の問題が残されている。今後、代数幾何学や位相的場の理論などの高度な数学的手法を用いた更なる研究が期待される。
任意の入力を任意の出力に変換するのが人民の役割であり、頑張りどころであるはずだ。
常にリーダーは大目標を示し、人民はどうすれば大目標を達成できるのか、それこそ一億総火の玉となって考えるのだ。
無論、達成できなければ、原因となった人物は責任をとることになる。つまり、究極的には首をくくる。ゆえに達成できないなどということは考えること自体が自殺的で、許されず、また不自然な力学でもある。文字通り死ぬ気でしゃにむにやるだけである。
ところがこのところの日本男児は情けない者が増えた。大目標のために体を張ろうという気概のあるものは随分珍しくなった。豊かさの反動とでもいうべきか、これはこれとして喜べる点もあろうかと思うが、リーダーとしてはいただけない。弾丸が不足すれば、戦の行方など望むべくもない。
そこで女子からも気概のあるものを取り立てることとする。大変画期的で先進的な考え方を導入するのである。考えてみれば総人口のおよそ半数は女子であるから、優秀な男子が足りなければ、自然、優秀な女子を求めることとなる。
それから、外国人にはまだまだ気概のある若者が多い。かつての我が国のように、未来を見据えて意気揚々と取り組む若者が外国には滅法多い。こうした新たな血を取り入れることで、国力の底上げを図るわけである。
これらの労働力というのは、情けない今日の日本男児のけつを拭く役回りではあるものの、絶対数として切れる首の数は確保しなければ、やはり回る首も回らないというのが現実である。
私の要点は、つまり、あなたの論理は自らの役割を放棄した全く無責任な絵空事であるということだ。自らが何をすべきか?それはつまり、大目標に向けてひたすら前進することである。何が大目標であるべきか、などと考えを巡らせる必要はないし、越権的思い上がりと言うべき代物である。大目標に意見を持つということは、つまり体制に対する反逆を企図していることに他ならない。もしも真に述べるべき価値のある意見があると信じるならば、相応しい立場に上るその日まで口を閉ざすのが賢明である。相応しい立場にない者が意見を持っても、所詮は床屋談義の域を出ないのである。そのことを自身で弁えているからこそ、力を求めて刻苦勉励を重ねるよりは、安易に言論じみた同化を演じてしまうわけでもある。
もしもあなたが若いならば、考えを改めるチャンスがある。与えられた役割を全うせず、遠き天の彼方に唾を吐くのか、それとも国家安寧のために微力を尽くすのか、選ぶことができる。真剣に考えてみてもらいたい。それこそ、命をかけて黙考されたい。
Q.
という考え方と
「政府などが実力を背景に人権を保護する仕組みがないと機能しない」
という考え方が噛み合わないことがあります。 例えば
という意見が
あるいは
などの反応を呼ぶことがあります。
すれ違いがあると思うのですが、どのようにコミュニケーションしたらよいでしょうか?
A.
このような議論のすれ違いは、根本的に異なる前提や価値観に基づいているため、よく見られる現象です。人権に関する議論では、「生得的な権利」と「現実にそれを保護するための仕組み」のどちらに焦点を当てるかが大きく異なることがあります。コミュニケーションを円滑に進めるためには、以下のようなアプローチが有効です。
1. 前提を共有する
まず、お互いの意見が異なる理由を探り、それがどの前提に基づいているのかを明確にすることが重要です。「人権は生まれながらに存在する」と考える人は、その理念が絶対的なものであると信じています。一方で、「人権は国家などの保護によってのみ機能する」と考える人は、現実の力学や制度が人権を支えるために不可欠だと考えています。これらの前提をお互いに理解することが第一歩です。
人権を保護するという点では、両者ともに同意しているはずです。この共通の目的を認識し、その目的に向けた最適な方法について話し合うことが重要です。「生まれながらに存在する権利」をどのように現実的に守るのか、または国家や制度の役割をどのように評価するのかについて具体的な解決策を模索します。
理想としての人権の概念と、現実の制度や国際関係の中でそれがどのように実現されるかという問題を分けて議論します。理想論だけでなく、実際に人権が侵害されている現場や歴史についても理解を深めることで、より具体的で現実的な議論が可能になります。
相手の考え方を深く理解するために、「なぜそのように考えるのか?」や「その意見の根拠は何か?」といったオープンな質問を投げかけます。これにより、相手の視点をより深く理解し、自分の立場を説明する機会にもなります。
感情的な反応は、議論を複雑にし、対立を深めることが多いです。冷静に論理的に議論を進めることで、建設的なコミュニケーションが可能になります。
このように、お互いの立場や前提を理解し、共通の目的を認識しながら話し合うことで、すれ違いを減らし、より深い理解に基づく議論ができるようになります。
都市伝説によれば、かつてアインシュタインの古典的重力理論「一般相対性理論」を理解していたのは3人だけだったと言われている。
それが真実かどうかは別として、その3人のうちの1人がダフィッド・ヒルベルトである。彼は、今日の初学者でも一般相対性理論を理解できるように、それを数学で明確かつ正確(すなわち厳密)に形式化した。
古典的なアインシュタインの重力は、時空上の擬リーマン計量のモジュライ空間上のスカラー曲率密度汎関数の積分の臨界点の研究にすぎない。
物理学の基本的な理論は数学での基本的な定式化を持つべきだと信じたことで、ヒルベルトは本質的にアインシュタインを先取りすることができた。そのため、この汎関数は現在、アインシュタイン・ヒルベルト作用汎関数と呼ばれている。
ヒルベルトは、1900年の有名なヒルベルトの問題の一環として、この一般的なアイデアを以前から提唱していた。ここでヒルベルトの第6問題は、物理学の理論の公理を見つけることを数学者に求めている。
それ以来、そのような公理化のリストが見つかっている。例えば、
物理学 | 数学 |
力学 | シンプレクティック幾何学 |
重力 | リーマン幾何学 |
ゲージ理論 | チェルン・ヴェイユ理論 |
量子力学 | 作用素代数 |
トポロジカル局所量子場理論 | モノイダル(∞,n)-カテゴリ理論 |
このリストには注目すべき2つの側面がある。一方で、数学の最高の成果が含まれており、他方で、項目が無関係で断片的に見えることだ。
学生時代、ウィリアム・ローヴィアは「合理的熱力学」と呼ばれる熱力学の公理化の提案に触れた。彼は、そのような連続体物理学の基本的な基盤は、まず微分幾何学自体の良い基盤を必要とすることに気づいた。彼の生涯の出版記録を見てみると、彼が次の壮大な計画を追求していたことがわかる。
ローヴィアは、最初の2つの項目(圏論的論理、初等トポス理論、代数理論、SDG)への画期的な貢献で有名になった。なぜか、このすべての動機である3番目の項目は広く認識されていないが、ローヴィアはこの3番目の点を継続的に強調していた。
この計画は壮大だが、現代の基準では各項目において不十分である。
現代数学は自然にトポス理論/型理論ではなく、高次トポス理論/ホモトピー型理論に基づいている。
現代の幾何学は「変数集合」(層)だけでなく、「変数ホモトピー型」、「幾何学的ホモトピー型」、「高次スタック」に関する高次幾何学である。
現代物理学は古典的連続体物理学を超えている。高エネルギー(小さな距離)では、古典物理学は量子物理学、特に量子場理論によって精緻化される。
つまり、(モデル理論における)「数学的構造」の形式的定義と同型性の形式的定義があり、そして実際、これは新しい主張でもなければ、洞察でもないのだが、この意味での数学的構造のすべてのタイプは、形式論理学の意味での理論である。
物理学のいかなる形式化された理論も、この意味での理論である(あるいはそうなるであろう)。これは数理論理学の基本中の基本である。
ここで主張されているように、数理論理学の意味でのすべての理論を物理学の理論と呼ぶべきかどうかは別の問題である。
より興味深いのは、形式論理学の理論が物理学の理論として適格であるかどうかの特徴付けであろう。この種の問題に生涯を通じて取り組んできた一人に、ウィリアム・ローヴィア(William Lawvere)がいる。
http://ncatlab.org/nlab/show/William+Lawvere#MotivationFromFoundationsOfPhysics
Lawvereは、例えば、連続体力学で遭遇するような運動方程式の定式化を認めるある種の無限理論の運動法則のトポスhttp://ncatlab.org/nlab/show/Toposes+of+laws+of+motionについて述べている。これは少し改良して、局所的な場の量子論 http://ncatlab.org/nlab/show/Higher+toposes+of+laws+of+motion も捉えることができる。
いずれにせよ、これらは形式理論、つまり「数学的構造」の一種であり、現代物理学の大部分を形式化することができる。ここでの同型性の概念は明確であり、議論の余地はない。問題は、物理学のどの部分が形式化されるかである。
これはデカいと思うんだよな
Unityとか、Unrealとか、物理エンジンもBox2DとかBulletとか、当然昔はなかったので、みんな自前で書いてたはず
例えば、スーパーマリオの物理挙動とか衝突判定は当たり前だけど自前で書いてたはず
でも、今はブロック崩しさえUnityとかUnrealに含まれてる物理エンジンで剛体力学使って書けちゃう
なんかそういうの無駄な計算力だよなと思うけど、まあ書けちゃう、動いちゃう
昔はゲーム作るときって、リードプログラマーが1人いて、他も数人で、少人数で職人芸的に作ってたわけだよ
全て自前でやらなければいけないから、簡易的なものを作るにしても、一応大学でやった物理を再度勉強したりするわけだ
剛体力学とか、流体力学とか、材料力学とか、そのための数学とか勉強し直したりした
あと、ゲーム業界がバブル?だった頃は、海外なんかでは物理とか数学で博士号取ったような奴までゲーム産業に入って来た
彼らはゲーム業界に進まなければ、銀行とか保険会社、証券会社とかもある、もっと高給な仕事がいっぱいあるはずなのに、薄給のゲーム産業に飛び込んできた
彼らが高度な知識で色々な試みをしてくれたおかげで、今のゲーム産業があると言っても過言ではないと思う
だって、日本のゲームってどれも枯れた技術の水平思考ばっかりなんだもん
悪く言えば、保守的、必ず作り上げるという意思から石橋を叩きすぎたようなものを作る
例えば、初代のバイオハザードだったか、カメラ固定だったじゃん
今どきアローン・イン・ザダークかよwって思ったよなw
あの頃、自分はPCでDOSとかで普通にFPSやってたから、あくまで技術的にだけど、アホじゃないかと思ったんだよな
でも、周囲のプログラムとかIT業界に関係のない知人とかは喜んで遊んでる
日本のバイオが固定視点なのに対して、海外勢はFPSとか三人称視点ちゃんと作ってたよな
日本でFPSっぽいの初代PSでちゃんとやってたの、攻殻機動隊だと思うんだよね
今に至るまで、最も原作の意味をくみ取ってたアニメだったし、石野卓球なりの曲も良かった
時は流れて、今の日本のゲームもみんなUnityとかUnrealになった
Godot選択する人もいるかもしれないけど、あれ、良さそうだと思ったけど、情報少なすぎるよね
ソースは公開されてるんだから、ソースを読め的な感じもしたし、今どき?
独自スクリプト勉強するのもなんだな、と思って、ちょっと使う以上に使う気になれなかったんだよな
調べてもらわなくても、まあ、分かるだろうけど、UnityとかUnrealの開発者、日本人とかもいる、はかなり著名なゲームを開発した人も含まれてるよね
彼らは、当たり前だけどUnityとかUnrealがない時代は、当然自分たちで全てを書いてきた人たちだ
リードプログラマーが一人といったけど、かなりの分量をリードが書くはず
ほとんど一人開発と言ってもいい
あと、そういうリードプログラマーは職人みたいなものなので、自分で書いた数学ライブラリとか、物理エンジンとか、持ち歩いて会社を転々としてる人もいたはず
厳密には権利の問題もあるかもしれないけど、そういう優れた人材は引っ張りだこなので、会社を転々として、
その場その場で、自分で1行目から書いた、自分しか持ってない自前のvecmathライブラリとか、物理とか、ノウハウを財産として持って移動しまくってた
で、そうやって業界をサバイバルしてきた人たちのトップランナーが、今はUnityとかUnrealで開発とか営業とかやってる
多分だけど、もうコアな部分を書くことなんてなくなっているだろう
Unity、Unreal以前は、行く場所行く場所で、ゲームエンジンレベルからゼロから書いていた
でも、Unity、Unrealはそれを当たり前だけど共通化するわけで、そしたら一度書けば、それはずっと使われるコードになる、当たり前のこと言ってるけど
で、困っちゃうのは、そんなトップランナーになれなかったゲーム開発者だ
ゲームエンジンを開発するための、数学や物理、コードに関する能力、特にCやC++が多いだろうけど、そういう能力はある
自分は凡人以下だろうけど、かなり凄い人もいるんだろうけど、そういう人も含めて、ゲームエンジンレベルから作る職人芸は無意味、無価値になった
もちろん、まったく無駄にはならない
結局、Unity、Unrealを使うときに、単に使うだけでも中の挙動を勉強しなければいけない
でもね…
もう、ゲーム開発がコードをガリガリ書く仕事というより、コンテンツを作る作業にほぼなっちゃってないか?
3DCGのモデリング、シェーダー、ゲーム本体も含めて、箱と箱を線で繋ぐような作業でゲームができるようになってる、とっくになってる
そうすると、もうC、C++でガリガリゼロから書いていた人とか、
それこそ、PS2の開発はよく知らんが、悪評が高い、あれはOSレベルから書かされたりしていたように聞いてるし、
そういう人たちもゲーム開発の現場でそういった知識が活かされることはもうない
逆に、北欧で生活保護もらったりしてただろうNotchのマインクラフトとかの方が成功しちゃったりしてるよね
あれはゲームエンジン?と言っていいのか分からんけど、あの独特のボクセルの世界はゼロからJavaで書いたものだ
彼は時間制限でゲームを開発するイベントに数多く参加していて、いつもJavaでサクッとゲームを作っていた
だって、プロのゲームプログラマーっぽくはない、Javaでしか書いてないとか、それこそJavaの方が生産性が高いみたいに言ったら、日本のゲーム業界だったら鼻で笑われてただろう
彼はマインクラフトの前に、ゲーム会社に所属していたし、そこで開発していたのは、世界をすべて緻密に構築するようなゲームだったらしいけど、
自分の予想だけど、そんなの全地球シミュレーターの簡易版みたいなもので、無謀な試みというか、かなり複雑な仕組みになっていたはずだ、自分が聞いてたら、実現できるかさえ怪しい、と思っただろう
彼は世界を緻密なボクセルやポリゴンではなくて、大きなボクセルで実現することにした、まずそこが出発点であることは間違いないだろう
そこからセルオートマトンで川とか水を実現できるんじゃないかみたいに発想が膨らむよね、プログラマーなら
話をまとめると、ITがつまらなくなった話はゲーム開発にも置き換えることができる気がしている
昔のゲーム開発に少しでも携わっていた自分のような人たちは、今の時代では老害だということは重々承知しているし、
多分、今、ゲーム開発に興味がある子供とかがゲームに望んでいること、ゲーム開発でやりたいと思っていること、と自分たちの世代のゲーム開発者がやりたいと思ってたこと、やってきたことは、もう全然乖離してるんだと思う
考えてることが乖離してるんだから、話が通じないのはおかしくない
違う世界を生きてる人、偏差値がいくつ違えば会話が成立しないなんて話もあるように、今の子供たちと会話が成立しないのはおかしくない
そして、当たり前だが、現状を正しく認識しているのは、今の子供の方の可能性が高い
基本的にはCやC++で膨大なコードを短期間に書くことが要求される仕事だった
それが今の子供たち、というか、今の時代の環境に慣れた人たちにできる仕事とは到底思えない
そういうトッププレイヤーは、今はAIなり何か、最先端のものをそういった企業のコアの部署で、コアなものを開発しているはずだ
でも、そうなれなかった人たちはどうなる?
高度な彫り物とかするような職人が、NC工作機器とかで彫り物をするようになったら、職人は必要なくならないか?
伝統工芸だの、人間国宝だの、そうやって手で作ったものの方が温かみがあるみたいなオカルトに守られて生きられる人間がどれだけいるだろうか?
その、人間国宝レベルの人たちがUnityやUnrealのような企業に吸収されていく
あとは過去に開発したゲームのネームバリューを活かして講師職になるとか、そういう感じだろう
そうなれた人間がどれだけいるだろうか?
優れたリードプログラマーに触発され、職人になるべく数学や物理、プログラミングの知識習得を重ね、朝から晩までひたすらコードを書いていたのに、
今の生成AIは大したことないと自分も思うが、驚き屋wwwとか馬鹿にしてる奴らは、いつかうっかりAIに職を失われないか、よく普段から考えた方がいい
あと、AIに職を奪われたくないから、プログラミング頑張る、みたいな奴は、俺的には間違った頑張り方だと思うw
そのプログラミング自体がなくなるかもしれない、って言ってるんだって
技術習得とか、自分の技術でマウンティングし合ったりする暇があるなら、別業種のことでも勉強した方がいい
そういえば、優れたアニメーターだった人が、作画として年齢的に限界にあるし、親族にもアニメーター辞めるように言われてたらしいけど、
ある日バイク事故にあって、アニメーターを続けられなくなって、その人は年齢的にギリギリで清掃車運転する仕事についてたはず
立派な公務員になれて、空いた時間で絵を描いては、市役所などで販売してたはずだ
何が人生として幸運かなんて分からないけど、必ずしもアニメーターが庵野とか宮崎駿を目指すのが幸せなのだろうか?
どこかで自分の仕事を辞めて、それを趣味にして、安定した仕事に就いた方が、心の平安が得られるのではないだろうか?
というか、富野アニメなんか、やたら名誉を優先して失敗する人が出てくるよね
長い人生生きてきた老害には、ああいうのなんかよくわかるんだよね…😟
みんなが驚き屋って読んでる人たちは、基本的にPythonとかも書けないし、計算機科学とか数値計算の知識とか曖昧というか、まったくないような輩がいるし、
元の文章である「ITがつまらなくなった」だったかの文章にもあったように、ビジネスのアイディアだけある胡散臭い素人が乱入してきた感があるわけだけど、
でも、老害って若い世代とか新しいものを疑ったり反発しがちなんだよな、自分も含めて
だから、たしかに驚き屋の連中のかなりは胡散臭い、詐欺師みたいな、出まかせで大金持ちになったスティーブジョブズの極小コピーみたいな連中ばかりではあるけど、
でも、生成AIとか、これから汎用AIとかもどうなるのか分からんけど、どんどん素人に有利になってくと思うんだよな
だって、UnityとかUnrealで作ってる世代はガリガリC++書くのなんて馬鹿げてると思ってるだろうし、
プログラミン技術がもっと怪しいのはWebアプリ界隈も同じだと思うんだよな
RailsやPHPで書いてる連中と、C++で書いてる連中の世界は、見えてる世界がかなり違うんだよ
そもそも、そういう輩はLinuxとかWindows上で書いてるわけで、いわゆる家庭用ゲーム機とかでコード書いたことないだろ?
でも、Xbox発売時にビルゲイツが言ったように、(なんかSEGAだかソニーだか知らんけど)所詮ゲーム機なんて機能が制限されたパソコンだよね、
nVIDIAとかGPUカードどんどん作るんだし、パソコンの方が最先端のグラフィックスが体験できるよね、
みたいに言いつつ、Xbox発売したわけだけど、自分もそう思ったけど、あの預言は的中したよね
情弱と信者だけ任天堂Switchとか使ってるんであって、ビルゲイツが言ったように、ゲーム機の中身は機能が制限されたパソコンだよ
昔、TRONというプロジェクトがあって、あれを孫正義がクソミソに言ったという話があったと思うんだけど、
日本だけで閉じたプロジェクトを出発させても、アメリカの豊富な資金で、カネと資源という暴力で作られるオープンな世界に絶対負ける、ようなことを言ってて、
当然、そのあとIntelなりWindowsに日本は負けるし、半導体としては台湾に90年代で既に負け始めてたわけで、
家庭用ゲーム機も同じで、家庭用ゲーム機の新しいバージョンが出るまでのスパン、機能は固定されるから安定して確実に動作するゲームが販売できるとか、
色々利点はあるんだろうけど、でも、その間に日進月歩で、それこそnVIDIAみたいな企業がどんどん進んでいくわけで、
グラフィクスシンセサイザーwとか名前はカッコいいけどさ、名前に準じてたら、今頃ソニーNVIDIAに勝ってない?違うでしょ?
話を戻すと、どんどん素人が参入してきて、その素人が頓珍漢なことを言ってるのが不愉快だ、許せない、驚き屋氏ね、みたいな気持ちは分かるけど、
素人が参入できるようになった、というのは、世の中の流れが変わったわけで、そういう若い世代をただバカにするというのは、老害しぐさだよね
気持ちは分かるけど、ドラえもんのように生暖かく見守るとともに、老害も新しい技術とか、素人が驚いていることをちゃんと咀嚼して、吸収していく必要があるんじゃないの?
ちゃんと大学、大学院で計算機科学、情報科学をやってきったわけだし、あやふやな知識でイキってる若者に対して老人が取るべき態度ってそういうもんじゃないの?
例えば、子供が初めて何かを見て驚く、それを大人が見て、そんなのはありふれてる、驚き屋wwwと思うだろうか?
子供は素人だから初めて体験したわけで、なぜ子供がそれを見て驚いたのか?とか、子供の目線でちゃんと考えられる人は、教える人に向いてる人だと思う
他人に教えることがうまい人は、自分の経験、能力も整理することがうまい