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はてなキーワード: 依存症とは

2022-05-13

anond:20220512211144

依存症一種なので病院へ行く

可哀想な人を揶揄するのは可哀想だし訴えられたら嫌なのでリンクではなくワードだけに留めておくが

BL依存症で悩んでるらしい人とそれに対するアドバイス共感スレッドがあったりする

そこにあるコメントは見ているとかなり居た堪れない気持ちになる

anond:20220513022336

やりたくてやってるといっても、ホスト貢ぐ為にやるのは依存症的で破滅的だろ。

ドラッグを本人がやりたくてやってると言っても禁止するのと同じ。

逆に本当に貢ぐためとかでなく、純粋にやりたいと思って心身ともに健康にやれる人なら否定はしないが。

2022-05-12

anond:20220512181947

統計があれば納得する人って統計があればゲーム依存症でも支持しそう

anond:20220512183207

友達ゼロ悪口だと思ってるのが依存症証拠

悪口ってのは自分嫌悪するもの恐れてるものを言うから

友達ゼロが怖くて依存症友達ごっこ

それがコミュニケーションだと思いこんでる

んでささいなネットのやり取りとかで簡単喧嘩する

PCから5ch書き込めない

携帯からだったら書き込めるっぽいがそこまでして書くのも依存症ぽくてシャクだ。

あんなとこ規制を乱発して過疎るぐらいがちょうど良い

2022-05-11

在日韓国人差別はあるって言うけどさ

そりゃあらゆる差別はあるに決まってるんだよ

ルッキズムだってエイジズムだって弱者男性差別だってあるにはある

じゃあ、どんな差別があるかって言われたら、たいした差別はないだろと言わざるを得ない

韓国人であることでイジメられるよりも、日本人デブやブスのほうがよっぽど酷いイジメ受けてるわけじゃん

なんなら今話題パチンコなんて、韓国系パチンコ屋が警察癒着してたくさんの依存症を生み出してる極悪非道所業してる

これ日本企業外国でたくさんのギャンブル中毒者生み出してるってなったらとんでもない問題になると思うけどどういうわけで日本でまかり通ってるの?

もちろんネトウヨヘイトスピーチしたりしてるけど、それをひどいというなら欧米ネトウヨなんて数からしてもやってることももっと酷いよね

欧米に比べたらたいしたことないってのが実態でしょ

物事には優先順位があるんです

在日韓国人差別なんて国内うごいめいてる差別問題の中では全然下の方でしょ

中学生女子反抗期、というTwitterの話

https://togetter.com/li/1884669

この記事を読んで心配になってしまいました。

といっても、最初の方を1分程度眺めただけで、あとははてぶコメントで推測・補ったという程度なのですけれど。

自分は三十代、依存症患者です。

そのお嬢さんは、スマホ依存なのでは・・と感じます。そして、性依存になる可能性もゼロではないのではと心配になってしまいました。

本や体験談などを聞くと、根底にあるのは「不安」や「寂しさ」です。

愛情が向けられているか不安になり、寂しさを埋めて欲しいかSNS出会い系等を利用しすぎてしまうのだと解釈しています

どうか傍にいる家族が、愛情を示してあげてください。

大切な存在で、大好きだ、と。

心配している。と。

言葉にして、そしてお嬢さんが嫌がらなければ、一緒にお食事をしたり外出をしたりして楽しい時間をともに過ごしてください。

勿論、一方的押し付けになってしまっては逆効果ですし、難しいとは思うのですが。

ただ、提案して、そして嫌がった場合に、その意思尊重してもらえた。そして自分のことを好いてくれているか提案したのだと感じることはできるでしょうし、無駄ではないと思うのです。

なにか好きなもの個人的には、お菓子ケーキよりお料理惣菜だったら素敵だなと思うのですがw)ないか?あったら一緒に食べないか、とかそんなやりとりをして、関心を持っていると愛情を分かりやすく伝えてあげて欲しい。

必要存在だと言語言語表現して伝えて欲しい。

見知らぬ相手年齢詐称して会うリスクを冒すというのは、寂しいのではないかと、自分体験からも思うので。

自分も反抗して自傷行為や軽い家出売春未遂(というのも変ですが)を沢山行いました。

そして上記のは、例えば自分がそれくらいの年の頃にこういう暖かい言葉がけをもらっていたら嬉しかっただろうなと夢想しながら書いてみました。

最初は拒絶するだろうけど、気にかけてくれているんだと少し喜ぶ、幼い子供自分想像して。

監視してくる北風でなく見守って優しく包んでくれる太陽を求めてしま子供だったので。

大人は辛く大変だろうと想像するけれど、お願いだから支えてあげて欲しいのです。

2022-05-08

とある摂食障害者の日記

腹が減っている。ずっと空腹だ。何を食べても吐き出してしまうのだから当たり前だ。

満たしたい、空虚感に耐えられないのに、詰め込むと途端に出してしまいたくなる。

胃の皮が引き延ばされて張りつめているのに、発狂しそうになる。耐え難い。

まだ空腹のほうが耐えられる気がする。

いや。

そう思いつつ、毎度気が付いたら食べ物を詰め込んでいるのだからそうでもないのだろう。

気が付いたらといっても意識を失っているわけではない。(当然だ)

自らのその脚でスーパーなり、コンビニなりに行き、カゴをつかんで陳列棚を物色している。目についていいなと思ったものには素早く手が伸びて、気が付いたらカゴが満杯になっている。なんだこれ。これ全部自分で食べるのか? 今から? 尋常ではない量だと理解している。一食、いや一日で摂取すべきカロリーを軽く超えている。腹持ちも悪そうなシフォンケーキや、ポテトチップス栄養は考えられないくせに、甘いものとしょっぱいものバランスはこざかしくも取ろうとしている。あとは安くて大量に詰め込むことができそうな袋菓子自分が何をしているかも、頭の隅でしっかりと理解している。まず間違いなく金をどぶに捨て、後悔することを確信している。

それなのに止めることができない。なんだこれは。病気である

食べて食べて、食べて吐く。食べたくないが、口に運んで詰め込んで、大量に水を飲んで滑りを良くした後に、吐くのだ。胃が空っぽになる感覚を得られるまで、ずっと吐きつづける。たまに指が喉奥に当たり、吐しゃ物に赤い血が混じる。醜い。醜すぎる。自分生物として劣っていると強く感じ、みじめになる。この瞬間がたまらなくみじめだ。

自分がここまで醜く、愚かで、情けない人間だと思いたくないが、純然たる事実である。見よ、この吐しゃ物を。

医者にはかかっている。心療内科で薬をもらっている。

カスみたいな医者である患者の取り扱いはへたくそだ。雑に話を聞き、薬を与えるだけ。

摂食障害カウンセリング入院無意味だと憚らない。摂食障害治療経験は長いらしい。いろいろと挫折経験して行き着いた結論であろうとは思うが、再診5回目で初診扱いされたのは少なからずショックであった。こいつ、患者を一切覚えていないではないか。その後も以前にも聞かれたプライベートの話を聞かれ、特定恋人がいないことを伝えるとその年で独り身は未来がない、不幸になると説教された。

繰り返し私の未来には絶望しかないと予言するのだが、まるで覚えていない様子で、口調だけは親身で心から同情している様子である。私はというと、ノーダメージなわけはなく、毎度自信を失い、打ちのめされて少なくない治療代を支払い薬を受け取って、駅に入る頃ようやく苛立ちが脳天にたどり着く。喉、胸、腹がむかつき、不安が頭を蝕む。

それでも通っているのは、薬が効いた感覚を覚えているからだ。はじめはプロザックという、セロトニン再取り込み阻害薬。抗うつ剤としてアメリカでは流通されているが、日本では認可されていない。初めは飲むと食欲がふっと消え失せ、胸のむかつきが一日中続き、絶食できた。感動したが次第に体が慣れたのか、効き目が薄くなっていき、大量過食と嘔吐が続いたときに、今度はマジンドールが処方された。肥満症の治療に使う食欲抑制である。もちろん私は肥満症ではないため、保険適用外の処方だ。実に高い。こちらは過食をしそうな1-2時間前に飲むと食欲を抑えられる。効果は4-5時間ほどだと医者は言うが、実感としては2-3時間といったところか。

マジンドールプロザック依存性があるというが、よくわからない。過食衝動がすでに依存症だから、いちいち気にしていない。

砂糖支配されている感じはする。辛いと、寂しいと、寒いと人は人を求めるが、私は砂糖を求めてしまうようである。糖分は口答えしない。いつでも同じだけの甘さをくれるのである。体に深刻な状況をもたらすが、それは人とは違い、予想できる範囲にある。

対人関係経験が足りないのだ。要はそういうことなんだろう。

自信が持てないのも、見た目と体重にとらわれているのも、自分自分のまま肯定できる経験がないのだ。それは孤独の中では真に得ることができないのだろう。一人暮らしになり、自由時間を得たものの、相変わらず私はコンプレックスにまみれていた。「普通の」人々、周りの人々の幸せをうらやみ、自己嫌悪の糧としていた。悲しいことだ。哀れみの目を向けている。そのままの自分でいいのだ、これが私なのだと思っても「嫌だ」と思う。

はあ。ネガティブ。私にはポジの部分もたくさんあるというのに。

楽観的で、適当。ほどよく手を抜き、切り替えが早い。

だが在宅勤務が続き、なんだかその良さが失われつつある。寒さもあるかもしれないが。

なんとか自分の良さを取り戻したい。

もう大人なので、大体こういう時に何をすべきか、どういう方法が世の中にあるのかわかっている。

だができない。いや、やればいいだけなのだが。やる気は始めないと出てこないらしい。

もういい大人なのだが、できない理由はまだわからない。

2022-05-03

anond:20220503083330

海外タバコパッケージを参考に、半面くらい「痴漢は性依存症です。人生が終わるその前に、メンタルクリニック受診しましょう!」と書いたら良い啓発になると思う。

これを今やれってことは現在進行形痴漢はかっこいい大人の嗜みでポジティブな風潮になってるってことじゃん

俺はそんな風潮がどこの地域にあるか知らんからぜひ教えてくれ

2022-05-02

みんなGWなのに増田なんかに入り浸ってるのか!?

きっとそれは依存症だよ。俺にはわかる。以前は俺も同じだったからな。

から増田依存の克服法を教えてやる。

やることリストを作って優先順位をつけろ。

それだけで十分だ。

とにかくやらなきゃいけないことを書き出してみろって。

で、ひとつひとつ優先順位をつける。

そうすれば自ずと増田の閲覧なんて下位の方に行くだろ?

やることを順番どおりにこなしていれば、自然増田の事なんて忘れられるから安心しろ

大丈夫、俺はそれで増田依存を四回も克服したからな。

2022-04-30

anond:20220430142826

マジレスするとそれだけじゃ理解出来ないと思う

もう海外NPOみたいに、重い発達障害と軽度知能障害TPO理解出来ないし、

フィクション現実の境目が曖昧って言い切って良いと思うわ

からこそ、子ども性的な見ることを許さな社会的合意なんだよな

TPOフィクション現実区別が付く人しか世界にいないのならレーティングゾーニングも一切不要なのですわ

 

だけどTPO理解出来ずフィクション現実区別が付かないポリコレ保護必要としている人ほどその自覚は薄く、

ポリコレがどうたらと騒いだり、実在人物企業に実際に攻撃を仕掛ける、

そして発達障害・軽度知能障害への無理解は変わらずよ

 

一応日本にもいるけどな、実名で言い切ってる当事者(発達障害性犯罪者)と性依存症対応してるクリニック

当事者 (発達障害性犯罪者)>

 「小児性愛障害以外にも、発達障害双極性障害アルコール依存症もある。身体的な疲れ、人間関係ストレスいじめといったものをうまく解決できずに感じていた“生きづらさ”から解放されたい時の手段の一つだった。そして、やってしまった。こういう言い方は誤解を招くかもしれないが、どうしていいかからずに、警察に助けを求めたのだと思う。自分の中に残っていた“良心カケラ”というか、依存症治療で求められる正直さが必要だ、と思えたのだと思う。」。

「僕自身心理的虐待を受けていたので、子ども心に“大人になったら子どもいじめるような大人にだけはならない”と誓っていた。それでも、なってしまった。僕が立ち直るきっかけとなったのが、サバイバーの方たちの手記だった。それを読んで、自分がどれだけ深く子どもたちを傷つけてきたかと思った。例えば思春期前に、そういうことについて学んでいたら違ったと思う。また、ゲイ雑誌の中にある男児小児性愛ポルノ広告を見て、自分の居場所というか、“自分少年愛者だ”という考えが強化されてしまった。一般化することはできないが、やはり自分はすごく刺激を受けたし、妄想を強化して自己正当化してきたことは間違いない。今の法律規制は、不十分だと思う。たとえフィクションであっても、子どもに性被害を与える表現への規制必要だと思う」と語っていた。

 

小児性犯罪の元加害者専門家と語る【小児性愛障害リアル課題

https://youtu.be/jFcNyGUoPQw

<性依存症対応してるクリニックのご意見

現実ファンタジー区別はついている。児童ポルノを見ても、実際の子どもに手をかけるなんてことはない」というのは、典型的認知の歪みの1つです。自身子ども加害行為をしていなくても、それに加担している事実にふたをしています

  

また、当院のデータでは加害経験がある者のほぼ100%がなんらかの児童ポルノを見ているという事実があります

  

 小児性愛障害と診断された者たちは、生まれながらにして子どもへの性嗜好を持っていたわけではなく、社会の中でそれを学習し、身に付け、強化していきます児童ポルノはその「パンドラの箱」を開けるきっかけとなっている可能性がとても高いといえます

 

もしこの社会児童ポルノがなかったら――そんな“たられば”を言ってもしょうがないですが、子どもへの性嗜好に気づいたきっかけが児童ポルノとの出合いだったというのは、小児性犯罪治療グループで聞かれる定番中の定番エピソードです。

 

そして児童ポルノを通して彼らは「子ども性的存在である」というメッセージを受け取り、認知を歪めていきます。見れば見るほど、それを利用してマスターベーションを繰り返せば繰り返すほど、問題行動は強化されていきます

 

児童ポルノがあるから現実の子どもにいかなくて済んでいる。なければ、子どもへの性犯罪もっと増えると思うよ」というのは、まったく逆です。児童ポルノに触発されて実際の子どもに加害行為をする者もいる、と考えるほうが現実的ですし、そのように語る加害者に私は何人も会ってきました。

 

加害行為をする前には、トリガー(引き金)があります。クリニックに通院する者たちに「加害行為の前に何をしていたか、どんな状態かだったか」を振り返ってもらうと、子どもとのセックスを想起し過剰なまでにマスターベーションをしたというエピソードがよく出てきます。1日に8回もしていたという者もいました。言うまでもなく、そのときには児童ポルノがセットになっています児童ポルノは確実にトリガーとなりうるものなのです。

 

児童ポルノに出合わなくとも、なんらかのきっかけで彼らが子どもへの性的関心を抱くようになった可能性はあります。けれど児童ポルノに出合わなければ、それが強化され認知が歪むプロセスをどこかで食い止められた可能性は無視できません。

 

児童ポルノ表現の自由について議論するときは、常にその背景に被害を受けている子どもがいることを忘れてはなりません。これを加害者臨床では「ダブルクライエント構造」と呼んでいます

 

児童ポルノを愛好するほとんどの人が現実ファンタジー区別がついていても、その中から1人でも現実に加害をする者が出てくれば、それは対策必要だということです。小児性犯罪特にその傾向が強いということが、世界でも明らかにされつつあります

 

「長年の加害者臨床の経験から性犯罪学習された行動という要素が非常に大きい。普段暮らしている日本社会の中で学習してきたという結論です。痴漢に関しても同じことが言えます。生まれながらの痴漢はいないし、将来痴漢になりたいという人もいません。社会の中で痴漢になっていくわけです。したがって、小児性愛障害特有認知の歪みというものも、日本社会の中にある前提となっている価値観子どもを性の対象として消費する社会)との相互作用の中で強化されていったものだと考えています」(斉藤章佳さん)

https://withnews.jp/article/f0210824001qq000000000000000W0fp10101qq000023477A

海外NPO

行為がどのようなものか知りたいのは当然です。

一部の人々は、セックスがどのようなものかを理解するためにポルノに目を向けます

ただし、ポルノ描写されているセックス自然でも本物でもないため、混乱や欲求不満を引き起こす可能性があることを理解することが非常に重要です。

例:
24歳の自閉症スペクトラムゲイリー
ある日ゲイリーが年上のいとこのリックと遊んでいた時、リックはどんな仕事がしたいのかと聞いてきました。ゲイリーネットで見た動画を思い出します。
その中には、ピザ配達人が女性の家に食べ物を届け、女性と性行為をするという内容のものがありました。
ゲイリーは「ピザ配達人になりたい」と答え、その理由ポルノビデオ描写を交えて説明しました。
リック最初は笑っていましたが、ゲイリーが本気で言っていることに気づくと、気まずそうにゲイリーを見つめました。
ゲイリーは、彼のいとこがポルノビデオが偽物であったことを明示的に彼に説明するまで、何が間違っているか何が悪いのかを理解していませんでした。
それ以来、ゲイリーポルノビデオで発生するシナリオは偽物であることが多いと想定し、他のリソースからセックスについてもっと学ぶべきだと判断しました。

 

OCRSEX ED. FOR SELF-ADVOCATES:

https://researchautism.org/sex-ed-guide/

2022-04-24

anond:20220423173601

90年代音楽自虐や諦めのオンパレードで、大体何でも鬱屈してたよ(個人見解です)!

恋愛ソングすら、鬱屈した音色がちりばめられていたよ!!

逆に鬱屈さを積極的商売道具にする人たちまでいた始末だけど、

よく言えば鬱屈した音楽がどんどん世間に出ることができた時代でした。

そんな時代にで青春を過ごしたおっさんの単なる思い出話です。

URLを沢山張ると登録できないみたいなので、リンクは絞りました。

増田が挙げたものと多分同系統です
中谷美紀:砂の果実

クロニック・ラヴをご存知なら知っている可能性が高いですが、一応挙げます

swallowtail butterflyあいのうた

これもご存知の可能性が高いド王道の曲です。

椎名林檎依存症

歌詞とOutroが最高!

自分を全て「自作自演」とはぐらかしている椎名林檎ですが、

事変前の林檎嬢は、どうしても隠しきれない本当の自分の照れ隠しとして

自作自演」という言葉を使っていたフシもあるんじゃないか

…と思わせる何かを確かに持っていたと思う!

まぁそれも含めて、自作自演翻弄されていると思うのだけれども。

新居昭乃:WANNA BE AN ANGEL

https://www.youtube.com/watch?v=n58rRVU38I4

この方はあんまり鬱屈した曲はないのですが、

曲の好みはかなり合うのではないかと思うので、

興味があれば色々聞いてほしいです。

この曲はどちらかと言うと鬱屈から抜け出た後の歌ですが、

さっきまであった鬱屈がすぐ後ろに見える…気がする。

そして、言うほど同系統じゃない気がしてきた…。

蛍:ワニガラヘビ

https://www.youtube.com/watch?v=A-kSzKb8FTQ&t=26s

爽やかかと言われると意見は分かれると思います

声が受け付けるかどうかも大変意見が分かれると思います

●若干系統は違います
Grapevine:望みの彼方

https://www.youtube.com/watch?v=3oW88_GfJ5w

筋肉少女帯と同じく、文学性を持ちながらも、

筋肉少女帯とは全く別の方向で鬱屈しているかっこいいバンド

これも筋肉少女帯と同じく今でも地道に活動を続けていて、

鬱屈した方々が中年になった姿も素敵です。

Cocco遺書

ブクマ大正義「強く儚い者たち」が挙がっているので、鬱屈+爽やかで別の曲を一つ。

最近こういうメンタリティが「メンヘラ」の一言で片づけられることが多くて、おじさんは悲しい。

電気グルーヴN.O.

あんまり鬱屈さが伝わらないとは思うが、

電気グルーヴ屈指の憂鬱な曲として今も有名!

epo:ある朝,風に吹かれて 

音は90年代初期なのでこの中では若干異色。

これも、どちらかと言うと鬱屈垣間見せつつ鬱屈から抜けた後の曲。

この方自身は、当時は結構鬱屈していたので色々聞いてみると面白いです。

THE YELLOW MONKEYJAM

王道すぎるので紹介して終わりにします。

ネタです
唐朝不要逃避

https://www.youtube.com/watch?v=iLl25wdDUVc

当時の中国メタルやってたこ自体がとんでもない鬱屈だと思う。

水中バンド:素晴らしき哉人生

鬱屈した若者です。

洋楽

この時代洋楽Nirvanaに始まり鬱屈した音楽の宝庫でした。

2000年代に入り完全にただの色物になっていったMarilyn Mansonはじめ、

nine inch nailssmashing pumpkinsなど、挙げると切りがないです。

ただ、残念なことにさわやかな曲は少ないです。

Hole: Celebrity Skin
Hole:Miss World



そして、鬱屈した気持ちアメリカ社会に対してぶつけていた方々は、

敵対していた筈のアメリカ911リアル揺らいでしまって、

何となく居心地悪くなってしまったような気がします。

まぁ、このころから洋楽聞かなくなったので、私が事情を知らないだけかもしれません。

 ■

と、色々書いているうちにブクマで同じような曲も挙がっていました、すいません。

完全におっさんの昔話です、お付き合いいただきありがとうございました。

2022-04-23

よく効くからやめられないんじゃね?

違法薬物は主に脳に良くない影響を及ぼすから禁止されていると。

それはいい。

でもさ、違法薬物のもたらす効果で逆に脳の働きが良くなる人って、これだと救われなくね?

例えば覚醒剤

このクスリドーパミンを異常分泌させるって聞いたけど、
そうすると生まれつきドーパミンの欠乏で日常生活に支障が出ている人が摂取したら、
それまでの人生が嘘のように生活捗るってことでしょ?

一方、覚醒剤をやめられず、何度も何度も捕まっては再犯を繰り返し…って人がいっぱいいると。

そこまで踏まえた上で、あくま仮定なんだけど、そういうやめられない人達
覚醒剤摂ると人生捗るからやめられないんじゃねーの?って思うわけ。

てか、やめられるわけがないと普通に思うわ。

よく、依存症はその人が依存に走る背景にあるものに切り込まなければ解決しないと言うけど、
だったらその人がクスリを知る前の自分に戻れないくらい、それまでの人生日常生活で支障が出ていた現実にも
向き合わないとダメじゃね?っていう。

anond:20220423182633

惰性なのか習性なのか、常に思考の片隅にエロいことがいすわってるんだが、もう年も年だし正直鬱陶しく、消え去ってくれないものかと思っている。飽きてはいるんだがやめられない。持て余しているのが本音。そういうサイト動画探しに時間を使ってしまうことも時間もったいない若いから継続して摂取してたんだから脳の報酬系確立して、いわゆる依存症とかの状態なんだろう。このままでは将来的に介護施設老人ホームに入ったとき、自制のための忍耐力が衰えた自分がやらかさない自信がなく、ガチ危機感を感じている。周りに迷惑をかけないような人畜無害年寄りになりたい。

2022-04-21

anond:20220421155539

シャブ合法化からシャブ患者自死許可証シャブ患者暴走した場合吉野家補填する、ってんならまだ考えようもあるけど

 

ただ飯食っただけなのに罪になって、それどころか一生涯掛かるほどの依存症になって、それだけでも地獄の苦しみなのに最後最後はその地獄を味合わせたもの気持ち良くなって終わりたいと思わせられる悪魔産物なんだから

なんというか、ネタとしてもキチーんすよ

2022-04-17

僕の妻は感情がない(34話)の感想備忘録

https://www.pixiv.net/artworks/97652638

基本的には色んな作品ネタバレと、ただの連想の垂れ流し

ともかく、今回の話は凄かった

杉浦氏が「34話、うまく描けた気がする」「自分は34話みたいなお話が描きたいんだな」と言うのも良く分かる

ロボットの考えてた事を吐き出せてスッキリしたけど、もう自分の中に何にもないな…そろそろインプットしないとな〜」となるのも良く分かる

これを描いてしまうと、この先に何を表現すればいいのかが見えなくなってくるだろうな、と

とりあえず、私は私が感じたことを書いていくことにする

ネタバレ要素】

ちょびっツブルーピリオド物語シリーズライ麦畑で捕まえて、異世界迷宮の最深部を目指そう、風の谷のナウシカ、余は弁明ス


4コマ目】

「大切な友達自分を壊してくれって言ってるのよ」

真剣に聞かないでどうするの」

これ、本当にたまらないセリフですよね

最後コマセリフを聞いてから読むと、この時の気持ちが、もう伝わってくるようで

【5コマ目】

個人的に好きな所

ロボット」というのをある種の比喩である解釈した時

これは親による教育比喩でもあるなあ、と

【6コマ目】

「何か問題があるとしても家族で乗り越えてきたかったそうです」

ここは難しいところ

家族でやるのが正しいのか、アップデートという名の支援を受けるべきであったのか

答えはない

【7コマ目】

今回のメイン

表情も含めて、本当に苦しい

「ただ ロボットがすごく気持ち悪いの」

「不自然で何も生み出さないくせに 人間みたいな顔をしてる」

ひとつ残らずいなくなればいいのにって思う」

自分が何も生み出せないことを“気持ち悪い”と思い、自分自身の事を“不自然であると感じる

誰しも、同じような気持ちになったことがあるからこそ、このセリフは響く

ある種の特性・特徴を持ち、自分がその特性ネガティブに感じている時、“いなくなればいいのに”と感じるよなあ、と思った

「早く人間になりたい」と何度でも思うのだ

ひとにすがたを 見せられぬ

もののような このから

「早く人間になりたい!!」

――作詞第一動画文芸部 作曲田中正史「妖怪人間ベム



【8コマ目】

「私はずっとロボットを 町から追い出したいと 思っていました」

「追い出すということは その先で壊されることも あります

友達からって特別扱いするわけにはいきません」

後のコマを見てもわかるんですが、これもこれで本心なんですよね

久永先輩の誠実さ(フェアさ)はこういう形なんですよ

自分を偽らない、自分規律に従う

厳しく辛い道である

決して状のない人間ではないから故に

もう一つ言うなら、今回は一人の人間が持ち得る色々な思想・考え・立場をそれぞれの登場人物に振り分けているところが読み応えのある所だな、と

タチコマ会議を思い出す

【9コマ目】

「みんなのことが好きで ホイホイ入っちゃったところがあって…」

ロボットを追い出すって どういうことか 考えてなかったんです」

「あの子たち みんないい子で やさしくて 頑張り屋なんです」

人間と同じくらい… ううん! 人間よりずっと…」

自分(自分たち)と違う相手排除することについて、深く考えてこなかった”という自覚

これを吐露することがどれだけ難しいことなのか

杉浦先生の、本当にフェアな所はこういう台詞に出てきますよね

ロボット“をある種の比喩であるとも捉えている立場としては

この種の「良い子で優しくて頑張り屋で、純粋なんです」というセリフが刺さる

10コマ目】

「そのような社会で うまくいかないことだらけの 人間と深くかかわろうと するでしょうか」

ロボット人間から パートナーを 奪ってしまうんです」

ここが、この話の本質

自分にとって都合の良い存在”を希求する

頑張っていない人より、頑張っている人の方が好きだ

意地悪な人より、優しい人が好きだ

醜い人より、美しい人が好きだ

自分の事を理解してくれない人より、理解してくれる人の方が好きだ

自分を憎む人より、愛してくれる人の方が好きだ

至極当たり前の人だ

自分に害をなす人を、自分にとって“良いこと”がない相手をどうして大切にできるのだろうか

好き嫌いや損得は非常に大事観点

それをなしに、我々は我々を規定できない

その町には 誰もいなかったの

お家もあるし

から明かりも見える

でも 道には誰もいない

から中をのぞいてみた

ヒトがいた でもアレといっしょだった

ほかの家もみた

やっぱりアレといっしょだった

この町も ほかの町とおんなじだった

アレといっしょは楽しいから

ヒトといっしょより楽しいから

みんなはもう外には出てこない

この町には誰もいない

――CLAMPちょびっツ 第1巻」

最初は 好き好き言っててもさ」

パソコンみたく 自分に都合のいい相手が現れたら ぜーんぶ ひっくり返して なかったことにするんじゃないかって」

――CLAMPちょびっツ 第3巻」

これとか、これとか、これとか、これとか、これとかで考えていたことと近いな、と感じる

12コマ目】

自然だとどうして良いんですか

個人繁殖して 種を保存するために いるわけじゃありません

これは根本的な質問

「不自然で何も生み出さないくせに」への反論にもなっている

「裸も」

「裸を飾ろうとする 人間自由さも醜さも 全て愛しいじゃない?」

――山口つばさブルーピリオド 第5巻」

別に幸せになることが、人間の生きる目的じゃあないからな」

幸せになれなくとも、なりたいもんになれりゃいいんだし」

――西尾維新恋物語 第恋話 ひたぎエンド



【14~15コマ目】

いくら努力しても 振り向いて もらえない人は?」

死ぬほど頑張って 恋人友達も 出来ない人は どうするんですか?」

「一生孤独に 生きて行かないと いけないんですか」

「… 振り向いて もらえなくても 努力無駄に ならないはずです」

「久永さん 美人からそんな事 言えるんですよ!」

「頑張って 頑張って 頑張っても 誰ひとり 振り向いて 貰えない人に」

「それでも『成長できてよかったね』って言うんですか?」

「言います…」

「人でなし!」

ここはコミカルに描いているように見えて、凄く鋭い

物語主人公理想を語ることがあるが

皆がその理想に殉じられるわけではないということに通ずるものがある

そうはいっても腹は減るし、金は欲しい。人を憎むことも上昇を望むこともある。すべて人の業である

もとより、私は、こはれる。私は、たゞ、探してゐるだけ。汝、なぜ、探すか。探さずにゐられるほど、偉くないからだよ。面倒くさいと云つて飯も食はずに永眠するほど偉くないです。

私は探す。そして、ともかく、つくるのだ。自分の精いつぱいの物を。然し、必ず、こはれるものを。然し、私だけは、私の力ではこはし得ないギリ/\の物を。それより外に仕方がない。

それが世のジュンプウ良俗に反するカドによつて裁かれるなら、私はジュンプウ良俗に裁かれることを意としない。私が、私自身に裁かれさへしなければ。たぶん、「人間」も私を裁くことはないだらう。

――坂口安吾「余は弁明ス」


【16コマ目】

文明が発達して それをしなくても済む人が 沢山増えました」

お腹を満たす事以外に リソースを割く事が できるようになった代わりに その過程で 無くなった仕事や大切な物が 沢山あったと思います

ロボットが居る事で 私たち必死に苦労しなくても 心を満たせるようになる」

「満たせない事で 苦しまなくて 済むようになる」

「代わりに失うものも たくさんあるでしょう」

「でも私は そうするべきだと 思います

「心が満たされた あとの社会

「その向こう側に 行けると 信じているからです」

ロボットと 一緒ならね」

ここがどうしてもこのエントリを書きたくなった所だ

以前に語ったように、人間は「自分でできることの増加」ではなく、「自分の周り(環境)」を変えることを志向して進化してきた

科学とは再現性学問から

究極的には、全てが自動で行われる「システム」となるかもしれない

その時、我々は、我々の意識は何を希求するのだろうか

その向こう側に行けるのだろうか

「信じているからです」と言いきる、その横顔が眩しい

機械も含めて、全ての存在(生命も含めて)に対する信頼が見える

「…………どの真実をだね?」

「あの時代 どれほどの憎悪絶望世界を満たしていたか想像したことあるかな?」

「数百億の人間が生き残るためにどんなことでもする世界だ」

「有毒の大気 凶暴な太陽光 枯渇した大地 次々と生まれる新しい病気 おびただしい死」

「ありとあらゆる宗教 ありとあらゆる正義 ありとあらゆる利害」

調停のために神まで造ってしまった」

「とるべき道はいくつもなかったのだよ」

――宮崎駿風の谷のナウシカ 第7巻」

自分の罪深さにおののきます

私たちのように凶暴ではなく おだやかで賢い人間となるはずの卵です」

――宮崎駿風の谷のナウシカ 第7巻」

私は私のために生きる。あなたあなたのために生きる。

私はあなたの期待に応えるためにこの世に生きているわけじゃない。

そしてあなたも、私の期待に応えるためにこの世にいるわけじゃない。

私は私。あなたあなた

でも、偶然が私たち出会わせるなら、それは素敵なことだ。

たとえ出会えなくても、それもまた同じように素晴らしいことだ。

――フレデリック・S・パールズ「ゲシュタルトの祈り

天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。

旧約聖書「コヘレト言葉




17コマ目】

ロボットが 初めて 二足歩行した時 感動したと 思うんだよね」

「? そうですね」

「で 次は段差を どう乗り越えるか 観たくなるでしょ?」

「歩行コースブロックを 置くでしょ?」

「私 ブロックになりたいの」

全然文脈が違うが、「ライ麦畑で捕まえて」を思い出す言い回し

「ともかく僕は子供たちがみんなこの大きなライ麦畑の中で何かゲームをしているところを思い浮かべるんだ」

「何千という子供たちがいてね、辺りには誰もいないんだ」

大人は誰一人いないんだよ。その僕以外はね」

「そして僕はすごく急な崖の端に立っているんだ」

「僕がしなきゃならないことは、子供たちが崖から落ちそうになると捕まえてやることなんだ」

子供ってのは走っている時には前を見たりしないから、僕がどこからか出て行って捕まえてやらなきゃならないんだ」

「一日中僕はそれだけをしてる」

「僕はライ麦畑の捕らえ人になりたいんだ」

バカみたいだってことは分かってるけど」

――J・D・サリンジャーライ麦畑でつかまえて」



【18コマ目】

「私の意見は 変わりませんが 皆さんの意見も 変えられませんでした」

「今回の件は保留ということにします」

地味に好きポイント

やはりフェア


20コマ目】

「そうだ 『勇さんを壊すべき』と 結論が出たら当然 壊さなければいけない」

「『壊すべきでない』と 結論が出たら 勇さんの内面否定することになる」

「どちらにしても 勇さんは救われない」

「どうすれば…」

やはり誠実だ

そして、ここのテーゼアンチテーゼが次のコマからアウフヘーベン布石となる

24-25コマ目】

あなたが誰かを 傷つけても」

「人やロボットを 殺しちゃっても」

自分を 殺しちゃっても」

「私は そのとき 一緒にいたいの」

あなたの代わりは 世界のどこにもいないから」

「殺していいって言ってます?」

「久永先輩 いいんですか? こんなの」

いいわけ ないでしょ」

「でも その 良くないことで 勇さんは救われたの」

これがジンテーゼとなる

否定肯定も、自分が認めがたいことも含めて、それ自体を受け止めてくれる他者

これが正に尊厳であり愚行権であり、ハーム・リダクション的でもあり、アクセタンである

ただあるがままを受け止めて貰い、その衝動も含めて「(肯定でも否定でもなく)存在承認」してもらうこと

「正しくあれ正しくあれと教えられっ、教えられた通りに正しく生きて正しく生きてっ、最期には正しいまま死んでしまってっ! やっとそれに気づきました! 正しくあれなんてそんな言葉、教えた人の都合でしかありません! ええっ、薄々とわかっていました! 正しい人ほど不幸になるってことくらい!!」

「だから、わたくしは思うのです。ええ、いまこそ、正直に申します。

 ずっとずっとわたくしは――間違いを犯したかった」

――割内タリサ異世界迷宮の最深部を目指そう 5章.庭師名無しの物語 207.光の理を盗むものとの遭遇」

神よ、変えることのできないものを静穏に受け入れる力を与えてください。

変えるべきものを変える勇気を、

そして、変えられないものと変えるべきもの区別する賢さを与えてください。

一日一日を生き、

この時をつねに喜びをもって受け入れ、

困難は平穏への道として受け入れさせてください。

これまでの私の考え方を捨て、

イエス・キリストがされたように、

この罪深い世界をそのままに受け入れさせてください。

あなたのご計画にこの身を委ねれば、あなたが全てを正しくされることを信じています

そして、この人生が小さくとも幸福ものとなり、天国あなたのもとで永遠幸福を得ると知っています

アーメン

――ラインホルド・ニーバー「ニーバー祈り

あなたの其の瞳が頷く瞬間に初めて生命の音を聴くのです

天鵞絨の海にも 仕方のないことしか無かったら

あたしはどう致しましょう

――椎名林檎依存症




【27-27コマ目】

「みんなが」

「勇さんが 要らないって 言うまで 無くしたりしない」

大丈夫ですか?」

大丈夫じゃないわ」

「もう少しで友達を 壊さなきゃ いけなかったの」

もう、なんというか

ズルいと思う、このセリフ

これをやられたらもう何も言えない

2022-04-15

フェミニズムが傷を抱えた人間セラピーになることについて

前書き

現代日本フェミニズムは、傷ついた人間が慰め合うセラピー看板のような機能を持っていると言える。

弱者が慰め合える駆け込み寺、いわばフェミニス堂があること自体は良いことだ。

エンパワメントシスターフッドという自己肯定を重視した精神的な言葉最近人気なのもその一環かもしれないし、そこまで前向きな気持ちになれないからとにかく苦しみや怒りを吐き出させてくれという層だって駆け込み寺には居場所がある。

だが、「セラピーとしてのフェミニズム」と「学問言論としてのフェミニズム」が分離されていないために、言論としてのフェミニズム信頼度が著しく弱まっている。

セラピー面も学問言論面もひと固まりからフェミニストはメンヘラだとか、他人幸せを許せないだとか、ミサンドリストセックスヘイタージェンダークレーマーだとかの批判に繋がってしまっているのだろう。

私自身も精神疾患持ちなので、精神が弱っていることを批判する気はないのだが、セラピー的な語り合いと、学問的討論がごっちゃになっている状況は大いに問題視している。

追記:↑ここで私の精神疾患に言及したのは、私も議論の場で当事者性を武器として使おうという態度でよくなかった。反省する。)


本稿で主張するのは、「冷静な研究者としての立場」と「傷つき怒れる当事者としての立場」は、兼任すると問題が生まれるのでどちらか片方だけの立場に立つべきだ、ということだ。

たとえ学位免許を持っていても、冷静になれない話題については傷が治っていない当事者から理論議論を使いこなせる研究者ではなくあくまで苦しむ当事者個人として発言した方が良い。

本論前に、何がOKで何がNGかおおざっぱに切り分けておこう。

冷静なフェミニズム研究者が、「困った女性のための駆け込み寺やセラピーの場や、肯定しあえる関係必要だよね」という学問理論を組み立てる。
冷静なフェミニズム研究者もしくは心理医療専門家が、セラピーの場の最低限の安全が保たれるように監督をする。
セラピーに集まる傷ついた人たちが、フェミニズム用語理論武装したり、怨恨を吐き出したり、過激むちゃくちゃな主張をする。(なぜなら、セラピー的な場では、ひどい発言原則許されるべきだから。ただし、それをそのまま社会への要求として広めるべきではない)

×
まだ傷が深く残っていて冷静な振る舞いができない人間研究者としての発言力を得て、本来患者としてすべき主張を研究者立場でする。
×
傷の残っている研究者セラピー監督役をやり、セラピー患者同調してしま患者内面吐露検討・洗練せずそのまま社会にぶつける。
×
研究者同士でも肯定しあえないと傷が痛んで耐えられないので、アカデミックであるべき関係を仲良しグループにする。




本論

フェミニズムという看板のもとに、傷ついた人々が集い、辛さや怒りを語り合い共感あい心を癒そうとする様子は、当事者会に近い。

当事者自体は、様々な依存症障害事故被害者などについて行われており、有用セラピーと言っていい。

だが「セラピーとしてのフェミニズム」の問題は、当事者会で癒される患者と、当事者会を監督したり理論を語る研究者がかなり重なってしまってるということだ。

要するに、当事者として治療を受けるべき傷を抱えたままの人間が、セラピスト役と教師役もやってしまっているという問題が、「セラピーとしてのフェミニズム」にはある。

全てのフェミニストが病んでいると言っているわけではない。

だが、SNSのそこら中で行われている「セラピーとしてのフェミニズム当事者会の多さに比べて、監督できる冷静な研究者は全く足りていない。


普通当事者会やセラピーは、福祉医療心理専門家によって研究理論化がされ、社会に対して有用性が主張され、会の時にはその場にいて見守ったりもするはずだ。

傷ついた当事者たちの語りは、しばしば自己中心的だったり理屈が通ってなかったり乱暴だったりするが、それは回復必要な心の解放だ。

それがそのまま社会への要求として世の中に出されたりはしないので、当事者会で語ったことが間違ってるなんて責任を問われることもない。

客観的専門家当事者たちの感情吐露分析して理論化した上で、必要な部分は社会に訴えるようになっている。

から普通健全当事者セラピーは、傷ついている当事者が冷静さを求められたりはしないし、当事者ヤバいことを主張していても研究者評価が下がることもない。研究者監督しているか当事者同士の会話が先鋭化するエコーチェンバーも防げる。当事者要求研究者が整理したうえで一般社会に伝えるので、外部の一般人当事者過激すぎる主張を直に聞かされて悪感情を持つこともない。

全てが完全に徹底されているわけではないが、それでも、当事者セラピーで語り合う患者とそれを監督する研究者の間に線が引かれていることで、ある程度は弊害抑制ができている。

しかし、「セラピーとしてのフェミニズム」では、患者監督者、研究者区切り曖昧になりやすいので、普通当事者セラピーでは減らせる弊害がモロに発生しているのだろう。

たとえばフェミニストが「トーンポリシングはやめろ」と主張したことに対し、「議論や説得において言い方ってのは大事だろ」と反論されているのをよく見るが、あれも、内輪の癒しセラピー的な感覚と対外交議論感覚がごちゃまぜになっているせいだ。

「私はいま苦しすぎて言葉を選んでいられないのでセラピー患者として気持ちをぶちまけてるんだからトーンポリシング(言い方警察)するな」、という話なら真っ当である

「私は冷静を保ち、言い方や内容にしっかり気を使うから議論として発言を真面目に聞いてくれ」、というのも真っ当である

だがそれを同時にやろうとする、「自分セラピー的に感情をぶちまけるが聴衆は真面目に聞いてくれ」というのは無法な要求だ。

せめて、セラピー監督する冷静な研究者に向かってぶちまけて、その研究者理屈の通らないところを補助し冷静な言い方に直して議論の場に持っていくという形にしなければいけない。

なのにフェミニズム議論では、何もかも一緒くたになりがちである


当事者研究者の分離は、簡単なことではないとは思う。

特に精神思想分野ではそうだ。

臨床心理士カウンセラー看護師助産師になりたがる人間はしばしば自分が精神不安定を抱えているというのは、統計はともかく実体験としてはよく聞く話である

博物学系でも、たとえば動物学者はだいたい動物好きで、心情的には動物保護したがるだろう。

だが、そこは資格団体ががんばってたり教育だったりで、臨床心理士精神保健福祉士はある程度の信用をしてもいいだろうとなっているし、動物学者も後先考えない動物愛護活動をする人は目立ってないわけだ。

しろ愛護派の過激な主張の角を取って一般社会的に可能動物保護のやり方を訴えたりしていて、それはまさに、感情的になりがちな当事者の語りを、研究者自分のところで一度止めて丸め社会に伝える、当事者会に対する医療福祉関係者の立場と近い。

から臨床心理士動物学者などの学問的信用はまあ保たれている。


ところがフェミニズムや一部社会学は、理論家や研究者が、傷ついた当事者と同一人物だったり肩入れしすぎたりするせいで、冷静な監督者のいないまま野良セラピー的な語りあいを続け、当事者の悲痛な心情吐露ではあるがそのまま社会要求するには妥当性に欠ける内容が研究者学問立場から主張されてしまっている。

フェミニストはメンヘラだとか他人幸せを許せないだとかミサンドリストセックスヘイターだとか言われてしまうのはこのせいだ。

それにもかかわらずフェミニズム大義名分世界中で力を持ち、フェミニストの要求の内容を精査して妥当性が十分な時だけ応じますという態度は悪だと指弾されるのが、本当に良くない。

ここで断言しておくが、メンヘラも、他人幸せを許せない人も、ミサンドリストミソジニストも、セックスヘイターも、楽しく生きてよいし好きに発言してよい。当事者会で同病相憐れむのだって、傷ついた人間には大切だと思う。

過激思想トラウマは緩んだ方がいいとは思うが、それもあまりに大きな加害に繋がらないのであれば自由だ。

ただし、その好き勝手発言暴言あくまで傷つき冷静さを欠いた人の胡乱な言動として生暖かく聞き流されている方が、周囲にとっても当人にとってもよいはずだ。

弱者の声は社会から無視されるべきではないが、そのままで妥当性が低いので、客観的研究者が集積して適度に理論化と穏健化した上で世の中に訴えるべきだろう。

フェミニズムが、弱者に肩入れしようとするあまり病んだ当事者発言をそのまま重用したり、著名な研究者が「冷静さを保つために私の当事者としての感情一時的に抑えよう」という努力をおろそかにしているのは、誰にとっても不幸である

辛すぎて悲鳴を上げざるをえない当事者と、冷静で他者対話可能研究者弁別は、完璧でなくとも努力する価値がある。できたぶんだけ弊害が減るはずだ。




おまけの具体例 朝日新聞運営の『かがみよかがみ』について

一つ、わかりやすい事例を挙げる。

フェミニズムジェンダー学周辺で、セラピー機能学問言論機能が混在することの弊害を私がはっきり感じたのは、朝日新聞運営の『かがみよかがみ』である

『かがみよかがみ』は読者投稿エッセイメインコンテンツとするWebサイトだ。

「私のコンプレックスを私のアドバンテージにする」とか「私は変わらない、社会を変える」とかをコンセプトにして、女性自己肯定感の爆上げを目指すメディアであることを謳い続けている。

18~29歳の女性からエッセイ募集して、編集部がチェックして載せている。著名人契約コラムニストの連載もある。

そして投稿者を「かがみすと」と呼び運営ボランティアを「ミラリスト」と呼んで連帯感を出し、若い女性同士で肯定しあえるコミュニティを作ることも意図しているようである。(かがみすとは今もしっかり使われているが、ミラリストTwitter検索してもほぼ出てこないので今も使われてるかは外部からは謎)

二年くらい前に数回燃えたが、扱っている内容の割にはてはで話題になる回数は少ない気がする。はてなとは読者層が違うのだろう。

上野千鶴子さんに質問「ベッドの上では男が求める女を演じてしまう」 | かがみよかがみ

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/mirror.asahi.com/article/12881008

フェミニストでも、守られたい。フェミニストだから、守りたい | かがみよかがみ

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/mirror.asahi.com/article/13432941

これの上の記事に関わっていたコラムニスト(かがみすと)が、謝罪をしつつかがみよかがみを批判したnoteを全三回書いていたのだが、その第三回と、そこから辿れる記事類を読み、フェミニズムセラピー言論を区切らずやっている弊害はあるな、と強く感じた。

上野千鶴子座談会セックスワーカー差別炎上とかがみよかがみコミュニティ雰囲気について(下)|滝薫

https://note.com/hannnahkuku0819/n/n6514127ed85a

私はこれを読んだ時、伊藤編集長があらゆる批判に応じないのもわかる、といっそ清々しささえ覚える形で納得してしまった。「セーファープレイス」を構築しようとして、内部を守っているのではないかと思った。

(略)

『かがみよかがみ』を必要としている利用者はいる。それはわかっている。私も、エッセイ投稿した後の”共感”と”褒め合い”によって自信がついた一人であることは変えようがない事実である。その価値を認めていても、『かがみよかがみ』の未来に不穏さを感じてしまう。

『かがみよかがみ』が目指すのは、あくま女性自己肯定感の爆上げである。正しさではなく、自己肯定である

それも、明言はしていないが18~29歳の女性だけを狙っているだろう。

若い女性たちがエッセイで悩みを語り合い、書き手同士のSlackか何かでも褒め合い、お互いが何を言っても原則として批判しないし自虐もしない。まさに当事者会でありセラピーのやり方である

フェミニズムジェンダーなどの内容が多く扱われているが、それはあくま自己肯定感爆上げの道具なので、理論的な正しさを保とうとして心が苦しくなってしまうようなら、正しさを追求しなくてよい。

エッセイ投稿年齢制限も無い方が「正しい」のはわかってるだろうが、年上の説教エッセイ愚痴エッセイが載ってるサイトは鬱陶しくて気持ちよくなれないという若者本音を慮って、微妙理屈をつけて年齢制限をかけていると思われる。

投稿者をかがみすとと呼んで内輪感を作るのも、その繋がりで孤独が癒える人がいるかである。そういう内輪感にウエッとなる人もいるだろうが、そのタイプの人は他のどこかで癒されればよいというスタンスだろう。

伊藤あかり編集長モットーらしい「全ての人を満足させようと思ったら、一人も熱狂させられない」とも合致する態度だ。

傷ついた若い女性のために、正しさではなく自己肯定感爆上げを目的とした当事者セラピーの場があること自体は、良いと思う。

だがそれが、朝日新聞運営メディアとして広くネット広告され、上野千鶴子石川優実企画に呼び、ヒコロヒーなどの連載があり、エッセイ投稿者ジェンダー学やフェミニズムで多少の理論武装をして識者っぽい人もたまに言及するとなれば、そこはもう言論の場となってしまう。苦しい内面安心して吐き出せる、責任を負わなくていいし怒られもしないセラピーの場としては相応しくない。

なのに、そこが曖昧に混ざった立場で『かがみよかがみ』の文章は発表され続けている。

から『かがみよかがみ』の記事批判されたのである

そして、これは、インターネットにおける様々なフェミニズム活動についても近いことが言える。



まとめ

最後にもう一度まとめる。

傷ついた当事者同士が慰め合うセラピー看板としてのフェミニズムと、冷静さと客観性を保つ学問研究としてのフェミニズムは、分割しておく必要がある。

現在日本では、セラピーの場としてのフェミニズムと、学問としてのフェミニズムが、ごちゃごちゃ混ざっている。

心が乱れてフェミニズムセラピーを求める患者と、冷静であるべきフェミニズム研究者が、ある程度重なってしまっている。

この状況を解消しないと、世の中の幸せにはつながらないだろう。



追記。本稿は3か月ほど前に増田に投げたが無反応だったものの再投稿である。)

anond:20220414230421

それ実践したけど、孤独すぎて発狂したぞ

発狂は言い過ぎた、でもな、発狂一歩手前で、毎日泣いて泣いて泣いて泣いて過ごして、うつ病っぽい状態になった

仕事合間の休みから気分がいいのであって、毎日休みなのは毎日労働よりも100倍も1000倍もきつい

自分リモート勤務も長くてさ、他人と合わなくても健康的な生活を続けられる自身があっただけにショックだった

そんな人間でも無理なので、解脱してるとかサイコパスな人以外は多分無理だと思う

俺は怠惰生活こそが夢でそのためにカネを貯めてFIREしたんだよ。

やっと夢の生活が手に入ったと思うじゃん。毎日なにやったっていいんだよ。最高の生活のはずだったんだよ。

でも実際は毎日地獄だった

地獄とは違うかも知れない、日本語の語彙を知らないんだけど、魂が引き裂かれるような生きながらにして業火に焼かれるような、

脳は焼きただれて、意識は時たまぼんやりする。でも食事もしないといけない、生体を管理するための生活は止められない

でも、悲しくて孤独で魂がぶっ壊れる感覚

感情的になるとか感情制御できないって感覚子供のうちにみんな体験するからかると思う、

俺も子供の頃は嗚咽と鼻声混じりでひっくひっく言いながら絶叫上げてブチギレたり良くしたよ。だから感情ってのはあんものだろうってのは想像がつく

でも、孤独ってのは感情とは少し発生起源が違うように思えた

とにかく頭から出てくると言うよりは、魂が叫んでいる感じがした

客観的に見るなら本能ではあるんだろうけども、体感として感じるのは本能ですらなくそれ以上の根源的ななにかであって、魂が直接叫び声を上げると言うか、魂が発狂している様子が感じられた

まあ何ていうか、人間である限りかなり厳しいと思う

人間幸福就業率の間に相関関係があるみたいな情報を昔どっかで聞きかじった気がする。その時は

まあパンピーちゃん仕事がないことに耐えられなだろうね〜。でもボクチンは生まれながらの怠惰太郎から、どんな困難に直面しても仕事なんてまっぴらごめんでヤンス、余裕で仕事辞めて暇な時間を味わっちゃうよ〜

みたいに調子ぶっこいていたんだけど。

無理だった。

人間労働から逃れられない。不可能。少なくとも俺は無理だった

でも機会があればトライしてみるのはいいかも知れないね。今の仕事がどれだけ自分の救いになっているのかっていうことを、魂のレベル体感できるのはい経験かも知れない

仕事どうでもいいマンの俺が、あの楽をするためならどんな苦労もいとわない俺が、これだけ会社とか仕事依存してるなんて思わないだろう。

引きこもったこともあるし、ニートしたことすらある。孤独耐性余裕だと思うだろ。

無理だった。人間は一人では生きられないとかいうあっさい言葉が世の中に流れてるの胸糞悪くて死ねってしか思わなかったんだけど、その真髄が魂に焼き記されてしまった

魂とかスピってる言葉使いたくないけど、あの体験は魂の存在を感じざるをえなかった


追記ブコメ返し):

おそらく人よりも仕事ができる

それはない。わからんけど少なくとも自分では無能だと確信してる。ただ人間自分のことを客観的に見れないので、そこらへんはもしかしたら認知が歪んでるかも。

10カ月ぐらい無職だった時最高

俺も同じで学生時代登校できなくなって引きこもって毎日ゲームしたり、卒業後数年ニートしたりして遊んでたこともある。そんな人間ならニート生活余裕だと思うでしょ?無理だった。長年の労働で脳の構造が変わったのかも知れないし、そもそも登校できなくなることと、仕事をやめることは概念とかが違うのかも知れない

たら違ったかもね

仕事云々てよりも、孤独のもの問題っぽい。そして俺は孤独を飼いならせているつもりだった。完全に読み間違ってた。

なぜ仕事孤独が癒せるんだ?

知らねーよ。俺が俺の感情管理したり操作してるわけじゃねーよ。どう考えても仕事ときがそんな重要なわけはないはずだけど現実として、仕事をやめたら孤独発狂したんですわ。これ現実

仕事以外になにかやれ系コメント

やっとるわ!それどころじゃなく、ネット上での活動とか創作活動とか、それなりに趣味やってるの。

自由時間ができたから、そういうのやりまくれるぜ!うぇーい!!ってなると思ったわけ。

そんなことはあり得なかったんだよ……。精神崩壊してそんなものが何一つ手につかなるなるわけ。なんでなん?知らんわ!

仕事以外に人間関係ないの?

無いよ。普通に生活してたら、自宅と職場しか往復しなくない?っていってもリモートからずっと自宅にいるわけだが。

まあとーく離れた地元かに家族とか友人はいるけど、月イチくらいで連絡は入れるようにしてたけど、だからこそ彼らが心の支えになるだろうっていう、思惑もあったんだけど、違ったみたいですね。

怠惰マンが人脈に頼らずにどうやって若隠居

投資(&投機)。コロナ相場で似たような人は多いはず

きっと仕事が好き

正直そんな自覚はない。でもたしかに嫌いってわけでもない。少なくともこんなに最悪の気分を体験するくらいなら働いたほうがマシではある。

労働仕事をごっちゃにしてるんだよ

してね〜よ。俺は個人管理してるサービスもあるし、ネット継続投稿してる作品もある。

時間を縛られずにそれら創作とか運用に打ち込めるはずだったんだよ。無理でした。それどころじゃなく精神崩壊一歩手前です。無理だったんだよ。

一人暮らしっぽいけど家族が居れば問題なさそう

それはある。結婚とか過程を作る意味わからんかったけど。その必要性を魂に刻まれた感じがする。

多分趣味ののめり込み度が足りて無いか

それはあるかもな。浅いと言われれば浅い。というか、何やっててもある一定ラインまで習得すると、ああこんなもんかみたいになってしまいがちでちょっと飽き性ってのはあるかも知れない。

それで仕事が飽きていたってのもある。だからやめようとした。(そして失敗しました)

自分って、思ってるより全然自分のことわかってない

骨身にしみて実感している。こんな最悪の体験経験したくなかった。というか昔にもこの手のメンタルやられたことあるんだよなぁ。だからこそ自分の心や生活破綻させないように注意して生きてきたはずだったんだけど。それですらこの手からこぼれ落ちて、感情暴走引き起こししまった。

FIREしてちょうど一週間なんだがいつ頃から仕事したくなる

多分一生大丈夫じゃない?適正っぽいし。

仕事以外に社会と関わる方法を知らないなら考えが貧しいなと思う

考えの問題じゃね〜よ。現状の人間関係環境問題だろうが。屏風から友達を出してください。

趣味についての言及がないので無趣味な人なんだろうか

かに言及してないから、ちょっと違う感じのコメントが付いてるのかも知れない。

一応創作活動とかしてます。そういうのやるつもりだったけど、無理でした。のめり込みが足りないとの指摘があって、そう言われるとそうかもと言った感じです。

から必要とされないと精神的に辛くなる

自分はここらへんの認知が歪んでいたんだと思う。頭で自分社会にある程度必要とされていることを理解していたり、人から必要とされなくても人間存在ていいってことはわかっているし、確信してるけど。それは表層的な思考でとどまっていただけで、本当に腹の底から確信してはいなかったのだと思う。

から、「誰から必要とされていない」という感覚、人は誰かから必要とされなければいけない、みたいな歪んだ感覚を起点にして、孤独をこじらせたような気がする。

世の中には人生を千回だろうが1万回だろうが転生しても遊び尽くせないほど娯楽がある

知ってるだからそれのための時間を作るってことで、仕事をやめようとしたわけ。それが無理だったわけ。

本を読んでいたオタクならいける。

いけなかったわけ

増田無職ではなく孤独に蝕まれてるんだよ。本当に誰とも話さなかったんだろう。

まったくもってそのとおり、でも創作物や、本なんかを通して、著者や製作者と対話することは好きだったわけで、だからこそ孤独に耐えられると踏んだわけ。

でもそうではなかった。おれもブコメの人たちと同じように。そんなの平気だろうwwwwwって思ってた。俺には無理だった

四天王の中でも最弱。怠け者の面汚しよ

それはそう

俺ならうまくやってみせる。チャンスをくれ

チャンスはそこら中に転がっている。ぜひ自分の力で掴み取って欲しい(煽りじゃなく割と真面目に)

20代以下だと割と平気。20代以下は、まだ猶予があるのでこの問題認識出来ない

そう言われると昔ニートとかして遊んでられたのは若さってのもあったのかな?年齢が関係するのか?

FIRE出来るまで働けたんだったら、精神より肉体の方が働くようにチューンされてるんだろうね

労働前提に脳が作り変えられてるのかも。急な環境変化で精神がやられたってのはある

FIREエアプか、1億未満だろ

かに1億は超えてないではじめた。カネの問題なのかな?よくわからん普通生活するぶんには破産はしないはずだけど。というか孤独を感じたと思うんだけど、ほんとうにカネが理由かな?そうは思えない。

俺みたいに孤独感薄くて

それこそまるっきり俺で。俺は孤独をなんとも思わない人間だったわけ。少なくとも完全にそう確信してたわけ。それがこうなってるからやべーっつてるわけ

何日も誰とも喋らないで生活を平気で送ってた人間がよ、リモート勤務でろくに外に出なくても平静だった人間がよ、こんななるとか思うわけ無いじゃん。

ニートには才能が要るという至言

俺はニートしてたぞ。そんなの余裕だと思うだろうが。というか半分ニートみたいなリモートワークを精神病まないで余裕で続けてたんだよ。孤独に襲われるとかわかるわけ無いじゃん

その後どうしたのか追記してほしい。もうすぐ仕事辞める予定なのでまじで教えてほしい

会社に泣きついて職場復帰しました。早めに手を打ったおかげでメンタルはすぐに良くなった。

もし同じような体験したなら、いつでも職場に戻れることを思い出して欲しい。

私は平気だった。「依存症」ってやつなのかなあ。

俺も平気だったよ。何度でもニート生活ができるはずだった。今回のニート生活成功するはずだった。

生きながら変質していく感覚

俺は孤独体制があって、一人でいるのが好きで、創作活動に打ち込んだりする人間だ。少なくともついこの間まではそのはずだった。何かがドコかで変わったんだろうか。それとももともとそういう人間だったんだろうか。

社会の輪から除外されたような感覚に耐えられない人多そう

平気だと思ったんだけどなー。

自分の不幸を他人のせいにしてたら一生幸せにはなれないと思うんだけども。

他人依存症人間は一生不幸だと思うね。

2022-04-14

anond:20220414205420

最初は命がけの必要そもそもなかった(だから砂金を漁ったりしてたんだろうし)けど、状況が進むにつれてアシリパさんの助力になりたいので命がけもやむなしになった感じだと思ってた

とあるごとに「不死身の杉本」を自称するあたり、そもそも命がけ依存症みたいなとこありそうだし

2022-04-12

腐女子ボル依存症一種

そういう論文とかってある?

我が身を振り返ってそうではないかと思っているのだけど。

片時もカップリングのことを考えてるのって異常なことだよね?

恋愛してるときみたいにすごくハイになったり落ち込んだりするのっておかしいし日常生活に支障をきたすから辛い。

やるべきことに熱中したりインターネットはてな以外見ないようにしたり頭の中からできる限り追い出そうとは試みるものの、つい面倒なときや退屈な瞬間にふと逃げ込むようにカップリング妄想に耽溺してしまう。

こんなの幻とわかっているはずなのに二人が恋愛している姿を想像している瞬間だけはものすごい幸福を感じる。

逆にカップリングの片割れが別のキャラクターと仲良さそうにしているのを見るとどうしようもなく嫉妬してしまう。(二次創作ならたいして気にならないが原作だともう駄目)

もしこれが依存症ならどっかで治すべき?

治せるのかな。日常ストレスのはけ口を他に作るのが手っ取り早いのか。

どうしたらいいかな。

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