はてなキーワード: カウンセラーとは
人と怒るポイントがズレていて、
地雷がどこにあるのか分からず、些細な事でブチ切れる人の相手をしていたら、下手をするとこちらまで参ってしまう…。
介護やカウンセラーなどの仕事で、そういう患者と付き合うのなら、患者と医者と言う立場で仕事と割り切れるけど、
仕事でするのではないのなら、かなり大変なことになる…。
プロがお金を頂いている仕事を、行うということになるのだから。
こちらは、日々の業務の忙しさもある。
余裕のある時なら、相手することも出来るかもしれないけど、
余裕が無く大変な時に、そんな情緒不安定な人の相手をしていると、こちらまで参ってしまう。
自分を守るためにも、大変な状況を乗り切るためにも、適度な仕事量にとどめるのは自己管理。
情緒不安定な人は、周囲に甘えて我儘をいうのではなく、自分でなんとかするように心がけて欲しい。
本を買って考え方を変えてみるとか、教養を身に着けるとか、精神科に行く、とか。
自分で直そうとする気持ちをまず持ってほしい。
直す気が無いなら、一生、周囲に迷惑をかけ続けるだけ。
そこでは4年で研究室配属がされ、就活と同時進行で卒論にも取り掛かる。
就活が早く終わった人は3月に既に内定が出ているのでじっくり卒論に取り込める人とそうでない人が出てくる学科だ。
しかし、同時進行で4月から教授と話し合いや罵倒されながらなんとか10月まで卒論もしてきた。週2回のゼミにも必ずでていた。
しかし、11月の上旬にそれまでの疲れがでてきたのか約2週間ほどまともに大学に行けない時期があった。(ちなみにその時期はゼミも休みの時期だった。)
所属する研究室には特に連絡する習慣も慣例もなく、コアタイムが導入されている研究室でもないので私は体が全快するまで休んでいた。
復帰した日に教授からいきなり言われた「君はやる気がないのか」
それまで、週2回のゼミはもちろんの事、週5で10時~18時までは就活を除き来ていて吃驚した。他の方は来る人は来るがこない人はこない研究室では来ている方で自分では頑張っていたからだ。
パニックになりながらも、約2週間近く休んでいたのは熱を出し体調が優れなかったからですと伝えると
「もう知らん」
一日で2度目の吃驚だ。相手は教授だ。私立大学といえどとても優秀な研究者である教授だ。でも、大学で指導する立場だ。
私の研究室は発足一年目で院生が居ないのもあって教授一人で学生7人を見ている。教授本人の研究も大変なのは分かる。教授は博士課程からずっと国立大にいらっしゃって、偏差値の低い私立の生徒を指導するのは初めてなのも知ってる。
でも、私も20年以上生きてきて初めての研究活動だ。正直に言うとやり方が解らない。研究のやり方が分からない。とりあえず頑張るしかない活動だった。
理系学科で研究をしたことがある人には分かると思うのですが、大体卒論のテーマは教授本人に関係するもので新規でのテーマはあまりない。ぶっちゃけると教授が興味あるテーマ若しくは本人の研究のバイトが大多数になる。
私の研究は教授が興味あるテーマの中から自分で卒論テーマを決めた。多分、失敗はその時点から始まっていたと思う。そのテーマは教授本人も全くの素人だったのだ。選んだ時は「自分も一緒に勉強するから」と言っていたので私は単純に二人三脚で分からない所はお互いに補填していく形で卒論を書いていくと思っていた。アホだった。
そんな事は無かったのだ。実際は私が勉強したことを教授に教えていくスタイルだった。そこが一番厄介であった。私は他人に説明するのがとても下手な人間だったからだ。
私には人にはあまり言えないが発達障害の症状があり自閉症スペクトラム指数はいつも閾値を超える人間だ。普段はまともで社交性のある人間の振りをしている。声が聞こえる振りをして生きてる人間だ。
生きていく上では説明が下手でも生きていけるし問題はない。自分の事を一から十まで知ってもらう必要性もない。しかし、卒論を作成する上ではとても重要だ。2月には発表も待っている。とりあえず人に上手に説明するには技術が必要だと考え、図書館でコミュニケーション関連本や説明上手になるための本を卒論そっちのけで読みふけり教授に自分がその時どれぐらいまで理解しているのかを説明した。
「君と話していると宇宙人と話しているみたいだ」
典型的な言葉を言われた。私の人生では始めて言われた言葉でもあったが。
何回も教授と打ち合わせをしたが、私の言葉では分かって貰えなかった。最終的に言われた言葉は
「君は人に聞けばなんでも解決できると思っているのか」
「自分は頭がいいから、君がちゃんと説明してくれたら自分はちゃんと分かる」
「もう時間がないから(私の卒論)について勉強はしないし、きみのためにわざわざそんな事はしたくない」
11月上旬にもう知らんと言われてから約2ヶ月後の12月末の言葉だった。私も限界だった。どうしたら理解してもらえるのか全く分からない状況だった。正月には地元に帰省し、家族と過ごすと自分がいかに辛いのかを実感するだけだった。家族だからこそ自分の辛く情けない状況を言えなかった。
私はこの状況を変化させるには2択あるとずっと考えていた。自分が変わるか教授が変わるかのどちらかだ。自分ではこの4月からずっと自分の方法で自分を変えようと頑張ってきたが無理なのと時間が差し迫っていた。なので学生相談室に行って、カウンセラーに方に的確で具体的な方法を聞いてみようと実行した。
主任教授から「君が変わるより、相手が下に降りてきて君の話を聞く方が簡単だから、ねっ。僕から(私の担当教授)先生に君の状況とかを簡単に説明しておくよ」
と決着がついた。個人的に主任教授は私と担当教授の関係をよく分かってくれたと思う。その点には安心していた。 翌週、なんとなく、戦々恐々の気持ちで研究室に入った。扉をあけるのは簡単だった。学年主任から担当教授に説明は済ませたよと連絡は来ていたのでどう話を切り出せばよいのか頭はパニックだった。
部屋に入ってから30分ぐらい経過した時だった。教授から「増田さん、何か僕に話す事はないの」と言われた。頭の中で何回もシュミレーションしていた言葉がすらすら言えたのは奇跡だった。しかし、「私が説明上手になるか先生が降りてきて聞いてもらうか~」と言っている時に言われたのは
「十分優しくしてるじゃない」 だった。
つくづく強者の言葉でなければ弱者の主張は通らないものだと実感した。学年主任がなんと言って担当教授に説明したのかは分からないが、結局、私の状況を理解してもらうのは無理だった。締めくくりの言葉は
「君の好きにしたらいい」
と目も合わさず、PC画面に向かったまま言われた。
私が説明が下手なのが悪いと言われてしまえば、はいそうですね、で終わる話だ。私は教授から何を学びたかったのだろう。それこそ、どうすれば人に伝わるのかが知りたかったのかもしれない。
今回の話は私も悪くない。でも、先生も悪くない。コミュニケーションの齟齬の問題だった。
卒論制作をしていく上でのただの愚痴が2500字以上になってしまった。あと数日で私が好きにしてやっている卒論の概要を出さなければいけない。
とりあえず頑張ろう。
いのちのでんわと私の両親について
小学3年生の時です。
その時はたしか女の子の友達とその子のおうちに遊びに行って家庭科で教わった縫い物して遊んでいました。
私は刺繍糸から1本の糸を取り出すときははゆっくり引っ張らないと残った方が塊になることを知ってたけど
友達はしらなかったんだよね。それで刺繍糸はぐちゃっとなった。
頑張ったけどほどけなかった。
もう私はかなり怒って泣いた。
当時私はいじめられっこで貧乏でいつも発狂寸前だったからそんな怒り方は私にとっては不自然ではないんだけど
普段だったらその子含む友達に徹底的に言い負かされ、または呆れられて
私の発狂もその日のうちにはきちんと後悔に変わっていってたんだけど、その時にかぎってその子は申し訳なさそうにしてたはず。外で遊ぶと一番怖い子だったのに。
その子もちょっと特殊なおうちでお父さんが怖かったから、おうちではいい子にしていなきゃいけなかったのかもしれない。
私は自分でもなんでそんな小さなことでって思いながらも発狂し続けた。
母は困った顔をして他の色があるでしょ?と笑顔で言った。
家に帰っても次の日になっても発狂していた。
学習用の裁縫セットは私が持っている物のなかで一番立派でみんなと同じ金額のものだったからだと思う。
そのうち死にたい死にたいとほんとに思えてきてしまって、でもいのちのでんわに電話した。たしか、学校で冊子をもらってとっておいてたんだと思う。
夜だったけどその時はわりとすぐ繋がって若い女性の相談員の方が話をきいてくれた。
そしてふたつのことを教えてくれた。
ふたつめは「ただしい使い方を教えてあげればいいんだよ。」
当時もそんなんわかっとるわ!とか思ってたはず。
正義感が異常に強くて良い子ぶりっこの、いつもの私に戻ってきちんとお礼がいえた。
父は酒をいつも飲んで怒ったり激励したりしていた。私を。
いのちのでんわの女の人が私の両親の代わりになってくれたなあ。
別にすごいカウンセラーじゃなくても、完全に第三者として聞いてくれる人がいてくれたから私は癒されたんだと思う。(お姉さんごめん)
大人になれば第三者って友達ーとか精神科医とかいろいろいるけど子供にはいないからね。
もし近くにこどもがいて、困っているようだったら
いのちの電話に相談してみたらー?なんて気楽に進めてほしいなあと思います。
あなたはその子の両親と繋がりがあるから完全な第三者としてその子の目に映らないと思うんです。
自分がどんな環境でも関係ない、きれいに正しいことを教えてくれた。
書いてて私はこれからも心がけよう、と思ったよ。
カウンセリングって実際まともな話できんのかなあ。
メンヘラじゃなくて重い人生相談をしたいんだが(重すぎて現実でそういう話できる人がいないので)。
カウンセラーの人生経験がしょぼくてしょうもない自己啓発書だかJPOPみたいなこと言われて終わるような気がする。
そんなことはないんだったら利用したい。
カウンセリングの相場は、30分1万円くらいだ。実際は保険適用で1500円になるイメージでいい。
しかし元値は1万円なのである。人間のケアをするスキルのある人間の時間を買うには、本来それだけの金が要るということだ。
「魅力的な異性が現れて、自分を無料で救ってくれたらいいのに…」と考えているメンヘラは、
スキルのある人間によるサービスを、自分だけが特別に無料で受けられることを望んでいる。
しかも、カウンセリングではカウンセラーの容姿を選ぶことは出来ないが、恋人に救って欲しい系のメンヘラは、
好みの美少女やイケメンが無料でカウンセリングしてくれたらいいのに、と望んでいる。
そしてカウンセラーは独占することが出来ないが、メンヘラは恋人のリソースを全て自分に注がせようとする。
カウンセリングは予約制で、深夜に突然電話しても誰も答えてくれないが、メンヘラは恋人に24時間対応を迫る。赤ちゃんの夜泣きレベルである。
有料よりも圧倒的に細やかなサービスを、一般市民に対して、無料で求めるのである。
だからメンヘラは異性に逃げられる。そして「ヤリ逃げされた」「貢がされた」と一方的な被害者面をするのだ。
イケメンメンヘラや美少女メンヘラであれば、寄生先の一般人は次々と現れる。
新たな寄生先が見つかると「幸せポエム」をSNSに投稿し、逃げられると「被害者ポエム」をSNSに投稿する。
逃げられても次、逃げられても次と、老化によって容姿が衰えるまで同じことを続ける。
この行動パターンに男女の差は見られない。
本質が寄生虫であるという点は、被害者ポエムを投稿して2chで嘲笑されているようなメンヘラと同じなのに、
容姿弱者には寄生先が見つからないから、ポエムすら投稿できないのである。
そして容姿弱者のメンヘラは、友達や収入にも恵まれないことが多い。
「恋人にしたくない」し、「友達になりたくない」し、「雇用したくない」「一緒に働きたくない」。
これらを併発しているのが容姿弱者のメンヘラで、一般市民にはどうしようもないのである。
容姿強者のメンヘラは、恋愛に逃げ込みがちだが、その流れを一度断ち切って、プロのカウンセラーによる根本的な治療を受けるべきである。
容姿弱者のメンヘラも同じことだ。精神疾患が治っても容姿は変わらないので、恋人は出来ないままかもしれないが、
少なくとも治ることによって友人は出来やすくなるし、職場での人間関係も無難にやれるようになっていく。
恋愛トラブルを繰り返し起こして老化してモンスター化していく容姿強者メンヘラよりも、
友人や同僚と安定した人間関係を築ける精神健常な容姿弱者の方が、生活状況は比較にならないほど良いものだ。
また、保険にも入っていないレベルの貧乏人が30分1万円のカウンセリングを受けるのは不可能だから、
いっそ生活保護になれば良いのではないだろうか。
メンヘラに必要なのは、一般市民による24時間体制・無料のプライベート精神介護ではなく、国による福祉である。
一般市民に過剰な期待をすると、期待された一般市民の人生を潰すことになる。メンヘラの再生産である。
断ち切らなくてはならない。だから「恋人に救われたい」ではなく、医療と福祉を頼るべきなのだ。
そのとき聞いた話が未だに印象に残っている。
その心療内科は他店舗展開をしていて、あちこちのハブ駅の駅前にクリニックを開いている。
「凄いですね、よくそんなにたくさんの臨床心理士を雇えますね」
と言ったら、彼は笑って首を振った。
「カウンセラーはほとんど、契約社員かアルバイトで、臨床心理士の資格をもってる人はほとんどいないんです」
驚いた。どうしてか尋ねると
「カウンセラーは医師ではありません。けど、鬱病というのは、出せる薬も分量も決まっているので、判断するポイントがないんですよ」
ではどうやって鬱病と見分けるのか?
「自分が鬱病かな、と思ってる人は既に鬱なんです。そういう人には軽いお薬を出してあげてお得意さんになってもらえばいいんです」
お得意さん?
「一度、鬱病になったという自覚をもった患者さんは会社を長期間休んだり辞めたりして、お薬を必要としますから、何度も通います。だからクリニックはどんどん大きくなるんですよ」
話が面白い人だったし、いい人だったけどちょっと髪の毛が薄いのが気になった。
我慢できるかと思ったけど生理的に無理だったので、次の誘いは断った。
私の周囲には人を信用できないという人が何人かいる。そういう人に限って人脈に恵まれているし、信用できないと言いながら人と一緒にいることが多い。恋人や友人(彼らは大体知り合いと言うが)もいる。
彼らは親を恨んでいたり嫌っていたりする。だが話を聞いてみると大したことはされていない。そりゃあ理不尽に殴られているとか、理不尽な暴言を浴びせるとか、それならわかる。
しかし、そうではない。一般的な教育ママじゃない? と言う程度の親なのに何故か親のせいだと信じ込んでいたり、親に縛られ続けていたりする。
そりゃあ私は話を聞いただけだし、実際に体験していないから事実はもっと過酷で悲惨なものだったのかもしれないが、どうにも違和感を感じる。
そんな彼らのもう一つの共通点はいじめ被害者という過去である。
いじめられたことを引きずるのは不思議なことではない、ただ私が疑問に思う点は彼らは社会的に見て勝ち組に近い存在なのにどうして執拗に過去を振り返るのだろうということ。
正直私もいじめ被害者側の人間だけど、それは過去のことと割り切っているしもうどうでもよいことだ。その価値観を押し付けるつもりは微塵もないが、どうにも違和感を感じる。
そんな彼らは心療内科に受診してもろくな診断を得られないようだ。
統合失調症、うつ病、解離性障害、強迫性障害、境界例人格障害、発達障害、双極性障害など様々な症状を持っている。
薬を服用しても回復することなくむしろ悪化したり、ジスキネジアなどが発生するようだ。私の周りはそんな人が同一人物なのではないかというほど同じような状態に陥っている。
ネットではいわゆる境界例人格障害のような振る舞いをするので、よく喧嘩になっているのを見かける。
でも、実際に境界例人格障害かと言うと疑問に思える点がいくつもあるし、恐らく境界例ではないのだろうと思う。私は医者ではないからはっきりとしたことは言えない。
そんな彼らは不幸なことに沢山の薬を服用し続けている。薬を飲んでも調子が良くならないのに薬を服用し続けるなんて不毛だと私は思うし、セカンドオピニオンを勧めるのだが
大体彼らは良質な医者の元へたどり着くことができない。
薬を大量に服用し、依存している彼らが一か月以上待たなければ受診できない病院を選ぶはずがないのだ。
正直、どうしようもない。
私も彼らの「知り合い」ではあるが、どうすることもできない。
個人的な予想だが、彼らは発達障害なのではないかと考えている。発達障害の二次障害ではないかと。
発達障害の二次障害なら統合失調症、うつ病、解離性障害、強迫性障害、境界例人格障害、双極性障害と誤診されるのにも納得がいくし、薬で症状が悪化する理屈も理解できる(発達障害者は薬に対して過敏に反応してしまう)。
だが、もしも発達障害とわかったところでどうすることができるのだろうか。
減薬の離脱症状に耐えられるのだろうか、というより適切な減薬をできる医者にたどり着くことが可能なのだろうか。
減薬したところで彼らは薬物療法だけでは改善しないだろう、ではカウンセリングを受けるようになるだろうが、それが続くのだろうか。
そもそも人を信用していないと言い切ってしまう彼らが、カウンセラーに心の内を打ち明けられるのだろうか、高い金額を払ってカウンセリングに通い続けられるのだろうか。
では精神科病棟に入院して改善するか、そんなはずはないだろう。
どうしようもないのだ。
そんなどうしようもない人たちは一人くらいだと思っていたけど、案外少なくないことをしって唖然とした。
彼らがいつか報われる日が訪れるのだろうか。
私は彼らの「知り合い」として心配に思う。
めちゃくちゃ長い上に主題がないです。鬱々と半生振り返ってる自分語りで人のせいにしてる愚痴。
30歳は、彼氏いない歴=年齢、友だちも少ない、内向的、デブとまだ詰んでるとは言わなくても結構揃ってゆるやかに袋小路に一直線に歩いている感じの誕生日でした。
今年前厄ですよ。厄祓いは済ませました。担げる験は担ぐタイプ。
ほんでなんかついでにずっとモヤモヤしている愚痴を垂れ流してみようかなと思ったので取り留めもなく垂れ流します。
誰にも相談できないから誰か見知らぬ人にでも、「あんたの親はちょっとズレてる」と言って欲しい、要はそんな話です。
私は非常に他人の目が怖いです。
高校卒業くらいまでは、友人を作るのすら「この人達は私のいないところで『あいつちょっと優しくしたら友だちぶってすごいウザいwww』とか笑われているんじゃないか」と疑心暗鬼で生活していました。
まあこれは、大学に入った頃に「他人はそこまで私を見ていない」と理屈だけじゃなくて心からストンと理解できたので、高校・大学の頃の友人達とは今も付き合いがあります。ありがたいです。
多分大学に入って接客業バイトを始めたのが大きかったのかなーと思いますが、ただ単にちょっと成長しただけかもしれません。
現在実家を出て一人暮らしの社会人な身ですが、やっぱりたまに寂しいので彼氏とかいたらな~ってぼんやり思うことはあります。
しかし未だに「友だち」と違って彼氏(というか好きな人)については、自信も持てないし、恋人欲しいなと言うことも何かしらアクションを起こすことも出来ません。「あいつあれで彼氏欲しいとかwwwwww」ってpgrされるんじゃないかと、怖いからです。
だからいい人だな、素敵だなと思っても、そこで全部止まります。
好きってところまで行かない。
普通赤の他人は、見知らぬ人の恋愛事情に興味なんて無いよって思うけど、でも笑われるのが怖い。
お見合いはどうか、と一度だけ母親に言われたことがあります。お見合いなんて特に怖い。「あれで結婚したいと思ってるとかマジ勘弁だわーwwww」ってそのお見合い相手に笑われるんじゃないかとか。
あとそんな風に後ろめたいというか、真後ろ向きみたいな思考回路で、内心どこかびくびく同情か嘲笑されてるんじゃってずっと心配しながら他人と生活するなんて耐えられる気がしない。
自分でもクソうぜえと思うし、私はデブスの根暗の性格わるいやつだ。
で、ここ数年は何で自分でもウザったい程マイナス思考なのか考えてみていました。
(正確な切っ掛けは数年前に色々あって、あなたは元々の自己評価が低すぎるみたいだからちょっと考えてみてはどうかと、心療内科のカウンセラーさんに言われたからでした)
そんで色々遡って考えてみた結果、そもそもの原因は母親かなあと思ったのが結論です。
私の中で一番古い恐らく関連するであろう記憶は、5歳くらいの頃には既によく言われていた「コロコロしてる」「どんくさい」「気が利かない」の三つでした。
太っているのとドン臭いってのは、特に繰り返し言われていた気がします。
あと「足首太い、偏平足(ゾウ足)」もかな。
いやまあ、ゾウ足については確かにそうなんですけど(下半身の骨がゴツイみたいで、こりゃ生まれつきどうしようもない模様)コロコロしてるのとどんくさいのに関しては、今では疑いようもなくデブなのでまあいいとして、当時(5歳~15歳くらいまで)は今考えると、まだ標準体重前半でせいぜいぽっちゃりレベルでしたし、運動も基本的にはいつでもクラス全体で真ん中よりちょっと良いくらいだったので、しつこく言われるほどじゃなかったんじゃないかなあと気付いた次第です。
小学校の間は水泳をしていたので肺活量もありましたし、特に持久走なんかは頭から何番目かでした。せいぜいちょっとは走れるデブぐらいではあったと思います。
因みにその水泳に関しては、母になにか言われたことはありませんでした。
母は泳げないので。
下には活発な弟二人がいましたので、そっちと比べていたのもあるでしょう。
小学校に入り、中学、高校と進むとますます母の指摘する内容は具体的になりました。でも母親の言動に初めて疑問を持ったのもこの頃です。
確か小学校五年生の運動会の日、私はクラス対抗リレー中盤の参加者でした。
その時にはもう物心つくかつかないかのころから「どんくさい」と言い続けられただけあって、完全に「私は運動音痴だ」って思い込んでいたので、すっかり運動嫌い、本番がすごく嫌だったのですが、昼休みで午後がリレーという時に母親がふと
「あんたはお父さんとお母さんの子ども(二人共運動神経は悪くない)だし、
実際足も言うほど遅くないのに、何でそんなに自分で足が遅いし運動苦手って思ってんだろうね」
と言ったことです。
もうほんと、「え?」ですよ。お母さんが言ったんじゃん。ちっちゃい頃から今までずうっと言ってたじゃん。違うの? って。
今でもこれを定期的に思い出します。
そういえば、一度足の皮がぼろっとむけてたことがあって、それを見つけた母親に(父が水虫だったので)「あんた水虫じゃないの」って。
で、いやいや~って言ってたらもうこっちがマジで深刻になるまでひたすらずうっと「水虫だ」「間違いない」「まだ中学生なのに」「伝染るからやめときなさい(弟達に)」等々……。
夏休みでその日の内に皮膚科に連れて行ってくれたのでいわゆる毒親と言うのかは判りませんが、でもあの時本当に、何かに取り憑かれているかのように繰り返し、こっちが泣きそうになるまで言われたのはなんだったんでしょう。
あ、結果はただの皮膚炎でした。
「も~この子もわたしも焦りました~」とかお医者さんに言ってたけど、焦ってただけか? あれ。あと焦らせたのはオマエだからな?
デブとかならまあダラが悪いのである程度ハイハイで終わらせますが、結構身体的にどうしようもないことで色々と云われることは多かった気がします。
「睫毛短いwww」「ほんとに短いwwww」「○○(弟)と交換できたらよかったのにねー(って弟に)」とか散々バカにされて笑われてましたねえ。
多分言われるほど短くないです。別にビューラーで上がればいいじゃんマスカラあるし。
短く見えたのは奥二重が原因でもあるんじゃないかと気付いたけど今は普通にデブなので瞼がry
弟が色白だったので、「○○と交換できたらよかったのにねーwww」って。
別に母と違って地黒じゃないので極普通の肌色してたとおもうんですけどね、昔から。兎も角弟たちageの材料でしかありませんでしたかこれ。
あと足首太いのとかくせっ毛とか、兎も角身体的にどうしようもなく『女の子なら気にするであろう』部分が悪いのは、父方に似たせいでした。
性格悪くなったのはあんたのせいですけどね。
中学に上がった頃から私は本好きがそのままオタクになり、普通のデブにもじわじわ進んでいたのでますますsageは増えました。親にsageられるので、当然弟たちからもどっか根っこで下に見られます。
父は職場は近かったものの仕事で帰宅が21時とかが多かったので、私の性格形成上では結構空気です。ただ趣味が似通ったお陰で人生楽しみが増えたので、ちょっと感謝しています(アクション映画好き)
大学に上がって確か二十歳になった頃に、一度本気で一生許さない言葉を吐かれた事がありました。
何を言われたのか、内容はもう忘れています。人間すごいですね、絶対忘れようと思ったら数日で本気で忘れた。
ただ『許さない一言を吐かれたって事実は忘れない』ともおもったので、もう一生覚えていると思います。
あとこの頃、弟たちの進学や就職がらみで色々あって、ここにきてなんだかんだ(大学は滑り止めの私立に行かせてもらいましたが)一番手がかからなかった、とちょっと周りに評価するような言動をされることが増えてきました。
就職も新卒でちゃんときめましたしね、滑り込みで可も無く不可も無くなところですけども(しかももう転職したけど)
ただここでも、中学、高校在学中は成績が50番、100番台になると、何でこんなバカになったんだろうって見え見えの顔でため息吐かれたり周りに愚痴ってた事も知っているので、その手のひらの返しように不信感が増しただけですが。
なんというか結局、親の言うことは悲しいくらいに絶対なんですね、すげーいやですけど。
親にとっては友人達に対するちょっと毒舌な冗談だったとしても、子どもは「ああそうなのか」って受け止めるだけです。本気にする方が悪いって、親の言うことを幼稚園児が疑えるか。あんたの言ってた通りに育ちましたがこの結果なので、何でアンタはそうなのって私に聞くのは愚問です。
そんなこんなで母親が私を産んだ歳をとうに突破した今、両親には確かに何不自由なく育ててくれて感謝していますが(実際、私くらいの年齢で三人も育てるのは本当に大変でしょう)尊敬しているかと言われると母親については全く話は別です。
仏様か邪神か知りませんが。尊敬していなかろうが、心の根っこのほうで「親がそういうならそうなんだろう」って思います。
別におだてて褒めてくれとは言いません。でも、子どもは親の言うことをそのまま飲み込んで成長します。成長しましたとも。親だから許されるのではなく、親だから、ただの軽口もシャレにならないことがあるってのがどうしてわからないんだろうか。
大体情緒もしっかり育ってない子供にいうことかってのばっかじゃねえか。
良く友だち親子なんてありますが、あれが成立するのは子どもが奴隷思考な事に気付かず都合よく母親が酔っているか、本当に子どもから『友だち』と思われて子どもの人生に何の影響も与えないってことに気づかずノーテンキに喜んでるバカだけだと思ってます。が、うちの母親もそれに憧れてるというか、そうありたいと(恐らく自覚なしに)思ってて反吐が出る。
小学校高学年の私が居る傍で、電話で父方の祖母の愚痴を言っていましたし(私には内緒よ♡だって。素直に内緒にしてましたよバカだね、子どもだから仕方ないけど)
(そして弟達のいるところでは母は絶対に言ってなかった、私だから、お姉ちゃんだから黙っとかなきゃいけないんだって思ってた)忘れられないのは、叔母に電話で
「○○(私)の赤ちゃんの頃、どうしてもイライラして怪我しないように畳んだ布団の上に落としたりしたよ。すぐ後にごめんねって抱き上げたりしたけど」
とかって言ってたことです。
恐らく当時赤ん坊だった従兄弟を育てる叔母に、子どもに当たりそうになるのは普通だとかそういうことを言っていたのだと思いますが、私同じ部屋で聞いていました。勿論、母も私が居ることを判ってます。
昔のこと、あくまで(当時したけど)冗談ということで、許されるとおもったのでしょう。そりゃ、友人同士で愚痴として話すのなら判ります(それこそ叔母と二人っきりでなら何も関係無いでしょう)でもそれを聞いたたった十歳ちょっとの子どもが、言いようのない何かを抱えるということを想像しない超絶鈍さが信じられんな、って今なら思います。
因みにその時のフォローは「聞いてたよねアハハごめん、まああんたが赤ちゃんの頃だから」でした。
なんて返せば良かったんでしょうね、もやもやした気持ちを表現できるほど精神的に成熟していないし、語彙もないのでいつもsageられるときと同じに曖昧に笑って誤魔化した気がします。
そういえば、下の弟と揃って「あんたが私の同級生だったら絶対に友だちになってない」と言われたこともありました何度か。確かにいっそ同級生だったら良かったんですけどね。友だちなんてこっちからお断りですから絶対関わりにあってないと思いますし。
特に不機嫌になったり問い詰めたりせず曖昧に笑ってるだけの長女はそりゃいいサンドバッグだったんでしょうねえ。この子は鈍いから平気、と思われていた気もします。
言われたことも全部判ってましたけど、まだ子供だったので言ったって論理的な話なんて出来ないし、こっちの口が達者になった頃には母は感情論ばっかりでお話にならないことを理解して、会話するだけ無駄なんで黙ってただけです。
成長してからは長く会話しても会話が破綻するばかりなので面倒で短く応答してたら「あんたは冷たい」「どうしてそんな言い方しか出来んの」とかも言われましたけど、あんたがそうさせてんだよ。
返してもぶん殴られる(精神的に)なら極力かかわらんとこうっていうこっちの努力もお察し頂きたい。
おかげさまで初対面で人のことをどんだけ取り繕っていようが「コイツは下に見ていい人種だな」って風に接してくる人間が見分けられるようになったので、……別に役に立たないですね。
寧ろ(相手はこっちが察してないと思って)バカにしてるなーとわかるので割増で気分悪い。
ここまでぼんやりと書いてて思いましたが、他人からpgrされるのが怖いというよりも、「まじめにやった何かを」「親に馬鹿にされる」という経験が全ての原因のような気がしてきました。
友だちだと思っているのは私だけかも、とか、好きになった人にバカにされるのかも、とか、結局私はまじめに、真剣に考えて考えて勇気を振り絞ったことや、自分なりの努力を、家族に馬鹿にされ笑い話ばっかりにされてきてたので「家族でさえそうなのに、他人にそうされないはずがない」とおもってます ね。
服装やメイクに気を使うのも、にあわねーしwwwwなことを言われる位なら最初からしない、と思っていました。人と関わるときに、社交辞令じゃなくてほんとに約束していいのか判らなくて、うわ本気にしてるwww引くわwwwって言われないだろうかと思ってると、人と連絡を交わすこともなくなり、ただでさえ少ない友人は疎遠になったりならなかったり。
「デブスが何してもムダムダwwwww」みたいな風に裏で笑われて思われるのがこわい。
普通の人なら社交辞令って判ることを、私だけ判ってなくてそれを笑われてるんじゃないだろうか、とか。
実際に、「普通ならこうすべき」ってことが私はイマイチ良く分からない。
甥っ子生まれた時も嬉しかったんだけど、どういう距離を取ればいいのか解らないし、どういう風に嬉しさを表現したらいいのかも判らない。それを相手が不快に思うかもしれない……と思うと、つい気付かないふりをしたり、スルーしたりしてしまう。
みんなどうして、あんな風にやれるんだろう。
友達に子どもが生まれた時も、贈り物していいのか、おめでとうと言っていいのか、ぐるぐる考えて結局何もせず疎遠に……って子が何人かいたし。
義妹にも甥っ子にも、できればウザいと思って嫌われたくないので、だったら『無』の方がいいな……ってあまり連絡をしない。
基本的に好きな相手(友達とか)にはべったりいきそうになるので、それもたまに我に返って、めっちゃウザいし嫌いだしって思われてないかな、とか……。
ただこの頃ようやく、周りはどうあれ自分のために、ちょっとはダイエットして可愛い服を着たい!と思えるようになりました。
三十路手前のもうちょっと早い年齢でこれに関しては吹っ切れて欲しかったですがw
そしてこんなもんかいてる時点でお察しの通り根暗のダラなので地道に運動頑張ります。
そんなわけ一番の原因は母親が苦手だからで、おかげでめったに帰省しません。
でもあの人はきっと子どもが自分を苦手としているだなんて天地がひっくり返っても理解しないだろうし、言ったところで昔の些細な事をいつまでも覚えている、気持ちの悪いおかしい子どもを持ってしまったとしか思わないんでしょう。あなたがそう言いましたと言っても、あんたが根暗なせいだからで終了するのが目に見えます。根暗ですが。
メールも電話も、受けたら9割愚痴のため、母親のサンドバッグになってやる義理もないので基本無視ですが、そろそろあんたに連絡したくないんだって気付いてくれないかなあ。
父や弟の電話は出るしメールもすぐに返してますよー。このくらいのいじわるしてもいいよね、ってこっちも底意地悪いんですが。
ていうか、家族全員もう私のことはたまに「ああいるよねー」程度に思い出してくれるだけでいいんですけど。
たまに両親からは地元で就職すればいいのに、とも時折話が出ますが、ぜっっっっっっったい帰りません。するか馬鹿
私もぱっと見は仲がいいねと言われる家族の中で一人鬱屈しているので、こんなこと誰かリアルの知り合いに話したところで理解されるはずもないし、この実は結構クズなんじゃねえかなっていう親を持って不幸ですよ。スタート地点間違えたかな的な意味で。
でもある程度成長してから、特に就職して実家を出てからこの性格を改善しなかったのは自己責任だと思っているので、母親についてばかり何か言うのも間違っているのでしょう。
しかし三十にもなって今更性格変わるかって変わらんだろうしなー。
そんなこんなで対人関係についてはもう改善もないだろうし、マイナス思考は根深いので、最近はあと十年か十五年か適当なところでぽっくり逝けたらなあと結構まじめに考えます。積極的に願望があるわけじゃないですけど、安楽死制度とか出来ないかなあ。
素でぽっくりいくのは地味に難しそう。
楽しみがなくなったらもういいかなーって思うし、実際年々映画も小説も漫画も熱中するってほどでは無くなってる気がする。
あと正直働けなくなったら詰んでるし。かといって病気になるのはお金かかるしなあ……
健康体の人は臓器提供前提で安楽死オッケーですよとかあったらいいのに。
そうだなあ、出来れば親より先に死にたい。
親に先に死なれたら、あんたのせいで基本構造間違えましたよって言う機会が無くなってしまう。
でも私が先でも、あんたのせいで自己評価マイナスでここまできました、って言っても理解しないだろうし、言って私だけが感じている家族に対する不信感を明確に家族VS私の構図にする勇気もないというか。
でも、母が無自覚に「家を離れて一人暮らしをしている娘を気遣う母親」に酔ってるのも鼻についてクソなんですよね。
大体趣味あってねーよ、気持ち悪い。何年一緒に暮らしてないと思ってんだ。
こういうのをいつか知らしめたいと思うけど、言ったところで何も解決せず引っ掻き回すだけで、私が一方的に悪者になって終わるオチも見えるので
ただこれを私ひとり胸の内に抱えてしねばいいのかな。
こう書くけど、結局私がひねすぎてるだけで、ごく普通の幸せ家族を未だに厨二病でナナメに見てるだけなのかな。
でも親にsageされつづけてきたので、もしこれが好きな人(友人異性問わず)にも同じようにされたら再起不能になるから、人付き合いしたくない。
でも寂しがりなので時々無性に人恋しい。
でも母親みたいな友だちも家族もほしくない。もうお腹いっぱいです。
こんなこと書いてた頃に親からメールが来たので、一応去年は(誕生日なので)久しぶりに返しましたけど、
「あんたのメールで元気になったよ^^」って、こっちはその誕生日当日に気分悪くなりました。オエー。
そしてお誕生日おめでとうのはずが、8割弟夫婦の愚痴でした。なんで自分の性格が悪いと思いつかないんだろうこの人。
そうしてとりとめのないまま終わり。難しいですね日記って。
ところで某ネズミーランドとも同い年ですが行ったことがありません。
お金貯めていつか行ってみたい。あとちょっと彼氏欲しい(結局)
++追記
すみません、長いですよね。でもありがとうございます。
一年ぐらい悶々としてたことを一気に書いて投稿した後、すごくドキドキしてすっきりしたので消そう、と思ったんですが、どうせなのでいつか親に突きつけてやる(かもしれない)用に持っておくことにしましたw
そして何より、私の考えていた事は私の性根が腐ってるから、ではなさそうだし、別におかしくないんだーこのままでもいいのかーっていう納得をくださって、本当にありがとうございました。自虐的でなく客観的に見るのはまだ難しそうですが、もう少し気楽に私の人生楽しめるように頑張ります。
あと、私と母の性格が似ているみたい、というコメントもいくつかあって驚きました。確かに自分でも母の嫌いな部分がよく似ている、と思っていますw
ご結婚される方、対等な立場の味方を得られること、大変うらやましいです。おめでとうございます。お幸せに!
考え始めて一年、ずっと悩んでいたけど吐き出せて良かった。本当にありがとうございます。
本も読んでみますね。
こんな夢を見た。
表情だけでなく、佇まいにも気だるさを携えた女が手元のメモに線を引く。10本目だ。「また見た」と女は誰に言うともなく言った。途端、私の側頭に鈍痛が走る。それでも私は女の開いた胸元から目が離せない。「ちょっと。こいつずっと見てるんですけど。キモいんですけど」
女がまた線を引く。鈍痛が再び訪れる。「見てないってばぁあ」
私の声が情けなく実験室に響く。声を聞いているものは誰だ。私の目には女の胸元、胸の膨らみ、時折動き、柔らかくうごめくおっぱいしか映らない。つまらなさそうな顔をした女の顔よりもそちらに目がゆくのは仕方がない。柔らかそうなVネックのモヘアニット、程よくタイトで気品すら感じるそのお召し物に包まれた二つのおっぱい山が生み出す谷間、そして、深い襟ぐりの中に垣間見える平坦な部分と盛り上がりの境目。女が身を乗り出す。すると境目がより強調され、反射的に指で触れたくなる。指先でその起伏および反作用を確かめたい。女が線を引くが早いか再び鈍痛が響く。
「今の見てないって!ノーカンだろ!」
私の心からの叫びすらノーカンに処す無慈悲な主幹はどこかで白衣でも着て私の目線を汚らわしくカウントし、データ入力しているにちがいない。願わくば黒縁メガネの似合う美少女であってほしい。清楚な見た目とは裏腹に、目の前の女のように立派なおっぱいを携えていてほしい。そこまで妄想したところで私の頭に何十回目かの鈍痛が響いたりしたりなんかした。痛い。もう耐えられない。気づけは、先ほどまでとは違う女が目の前に座っている。ピチッとしたTシャツにブラの刺繍模様が浮き出るほどの見事なきょにゅ鈍痛。痛い痛いいたい。
私はどういうわけか、ただっぴろい実験室に押し込められ、ある実験に参加していた。目の前に女性が次から次へと座り、その女性が胸元に私の目線を感じたらすぐさま手元に線を引く。すると私には電気刺激が流れる、という悪魔の実験である。電気刺激と言ってもどういうわけか私には女性の全力ビンタ、あるいはやさしい肘鉄程度の痛みに変換されて伝わることになっている。しかもその痛みは私の右側頭に集中している。いやらしい悪魔の諸行だ。
この実験の目的は「女性は自分の胸元、乳房への男性の目線をどの程度自覚できるのか」を計測することにあるらしい。よって私は次々と訪れる女性たちと会話をしながら出来るだけ平然としていることを求められた。友人あるいは同僚と接するように、とのお達しだ。しかしながら、平然と、というからには、私の日常生活と同じく、魅力的な女性と見れば胸のサイズを目算し、胸元の開いた様を見かければ凝視する、そんな私の平時のスケベオペレーションを実行せねばならないということであり、女性の胸への意識をある程度は保たねばならないということだ。私はこの実験の条件を飲んだ。なんの抵抗もなく。いったいどういうわけなのか。説明してくれる者は私の他には誰もいない。私にもわからない。
繰り返される痛みに耐えかねてきた頃、今度は小柄な女の子が座った。「よろしくお願いします」と礼儀正しく頭を下げる。私はその隙に彼女の胸を確認する。これまでの女性とは違い、カップサイズはA、良くてB。普通のクルーネックのTシャツ。次に容姿。色気はないが可愛らしいショートカット。小さく整った鼻筋。猫のように丸くてやや釣りあがった眼。二十歳前後であろう彼女は、私に遣わされた休息という名の天使に違いない。これはイケる。
私はかつて観た不条理監禁モノの映画を思い出す。生き残るのは冷静かつ状況判断能力を持ち、慎重でありながら思い切りのいい性格のキャラクターだった。今の私には、それらの素養が求められている。冷静に状況を読み取り、的確な判断を下すのだ。
まっすぐに彼女の目と目の間を、力を抜いて見つめる。よしイケる。私はおっぱいへの意識を捨てた。
「親に愛されてきませんでした……。数日前に彼氏にもフられました。私はこれまで誰にも愛されてこなかったんです。カラダだけ愛されても満たされないのはわかっていても、それでも必要とされるのが嬉しくて応じているうちに、気づいたんです。私も、私こそが、誰も愛してなんていなかったって」
いきなり何を言いだすのだ天使よ。天使のくせに経験豊富なほうか。堕天使か。
「愛」「彼氏」そして「カラダ」。肉欲と妄想に容易に繋がるこれらのワードをスルーし、目の前の女性に向き合うことに集中する。するのだ。私は彼女の朧げな視線をぐっと受け止め、「そうなんだ。それはきっと辛かったろうね」と、優しく頷く。今こそ聞き役に徹するのだ。適度な相槌と相手への共感力と適切な目線。あ、これってはてブで見たやつだ。Gigazineの翻訳記事かなんか。コミュニケーション不全に効く6つのなんとか、とか。私は自らの意識の高さを誇らしく思う。今こそ実践あるのみだ。
話題は高校時代の恋愛から、彼女の将来、家庭の現況、趣味と仕事の話へと、次から次へと変わっていった。いつかは自分の店を持ちたい。彼氏が巨乳好きだったからフられたのかなあ。高校時代は女子からイジメを受けていた。ウエストあたりから見上げるAカップもまたきっと美しいはずだ。父親は家にいないことが多い。下着によってはもっと大きく見えるかもな。私を愛してくれる人、私が愛せる人がいたら結婚したい。よろしい、まずは婚前交渉だ。
彼女の一方的な自分語りに耳を傾けながら、不快な態度を見せず、彼女への興味を保ち、想像力をフル稼働させた。つもりだった。語りがひと段落すると、彼女はメモに線を引いた。八本?
次の瞬間、フルパワービンタが八回まとめて私の頭に見舞われた。一瞬、気が遠くなりかける。何故だ?何が起こったのかわからない。左に仰け反り、倒れゆく私が見たものは、自らの胸を腕で隠しながら、蔑む目線を私に向ける彼女であった。その目はこう語っていた。
「最低」
下から見上げる彼女のおっぱい。アンダーとトップに意外と差がある。良かった。君はBカップだったんだね。
気がつくと、広い体育館のような建物の中に横たわっていた。数人の女性が私を覗き込んでいる。動けない。身体を起こそうとしても、手足すら動かない。金縛りか。生まれて初めてだ。ツイートしなくては。いやそんなことよりどこだここは。
「聞こえますか?聞こえてますか?」と、活発そうなOL風のお姉さんが私を覗き込む。白いブラウスの胸元から大きなおっぱいが作り出す谷間が見える。垂乳根。声に出して読みたい日本語。だが案の定、声も出ない。手も出ない。
「やだ。どうしよう救急車」
何故だか体操服を着た女子高生が慌てつつも優しい雰囲気で私を気遣ってくれる。他の女性も私を心配そうに覗き込んでいる。だが私は何も出来ないでいる。無意識な勃起しか出来ない。あなたたちは優しく美しい。誰かを助けようとしている快い人たちだ。素晴らしい人たち。なのに、なのに私は、あなたたちの胸しか見ていないのだ。あなたたちを人間として扱っていなかったのだ。
すまない。すまない。OL風のお姉さんが私の顔を覗き込むと、無防備な下着とおっぱいが私の目に飛び込んできた。すまない。ありがとう。ありがたや。
私はカウンセリングを受けている。
世の男がいかに女性に対して下心を抱いているか。それを知らしめる必要がある。自らの実験結果を通じて世に広められないだろうか。世の男は女性にとって危険な存在なのだ。初対面の女性を見たらまずは胸をチェックし、街で見かけた見ず知らずの女性と脳内でセックスするような生き物だ。私を一般男性のサンプルとして扱う、という仮定が成り立つならば。しかし私には自信がある。それが世の男性の習性であり、悲しい性なのだ。それを世の女性にもっと知ってもらいたい。
私の熱弁を聴くカウンセラーは、膝にかけていたブランケットで胸を隠した。美しい女性であった。私は微笑み、「もう胸は見ないんですよ」と言った。「痛みが私を変えたんです」
彼女の胸が隠されたことで、ストッキングに包まれた膝小僧が露わになった。
深く腰掛けた腰周り。細いが健康的なふくらはぎ。スカートへ向かって伸びる脚の間の暗渠。くびれが素敵。あの太ももにそっと手を触れたいな。
彼女は無言でペンを取り、手元の資料にそっと一本の線を引いた。
そんな諦めに似た絶望が私の心を満たし、そして痛みがやってきた。
おまえには味方がいると思ってるのかwww
反反原発もお前一人じゃねーかwww
お前こないだまで「反反原発は多人数で少数の弱者をいじめるクズ」って設定してたじゃねーか
多いのか一人なのかどっちだよ
それとも増田はふつう多人数で湧くような連中がたまたま俺一人しか出現しない特異点なの?なら数的不利はないはずなのにお前を支持する声が皆無なのがなおのこと謎だね
ていうか本当に俺一人しかいないんだったら俺を「徒党を組むクズ」呼ばわりしたことについては謝ってもらわないといけないね
まあ実際は言うまでもなく複数人なので、とっとと憶測の誤りを認めて謝れよ
どっちに転んでもお前の間違いなんだから早く謝れよ
「自分が間違えた時は黙るか話をそらすかで絶対訂正も謝罪もしない」ようなクズでないならできるよな?
ほら早く
ああ、内容で馬鹿を晒し続けたせいで孤立した奴が、そのことを指摘された時によく使う負け惜しみだね。「数を恃むな!」って
「多数派が正しいとは限らない」=「多数派は間違っている」ではないのにね
で?お前は「正しい少数派」の側なの?それはそれでいいけど、だったら正しい主張をしているにもかかわらず誰一人説得できてないお前はものすごく無能ってことだよね
あきらめたら?
いつどこで誰がそんな主張をしたんだ?ツリーたどったがお前の発言しかないじゃねーか
ほんとお前は息を吸うように捏造するんだな
まあこれも「黙るか話をそらすかで絶対訂正も謝罪もしない」んだろうけどね
ほんとお前が言うことって相手ではなくお前自身にばかり当てはまるよな
妄想乙
小学生の頃に球技をするとき、太陽を向く側のコートになると眩しくて目を開けていられなかった。
幼稚園の頃から他の子に遊びに混ぜてって言ったり、他の子から何かを借りるのにすごい抵抗があった。
始業式はいきなり体育館にぶちこまれて混乱して泣いたし、運動会は仕組みの意味がよく分からなかった。
もっと遡れば赤ちゃんの頃、目線を合わせようとするとそらす子だったらしい。
広汎性発達障害か何か?でも、もっと学校で問題を起こす弟の方で「グレーゾーンです」と言われたものだったしな。
いまだに締切ぎりぎりにならないと動けないし、
友達同士の、あの挨拶みたいなやつのラインが分からない。(どのレベルから親しくしたらいいのか、あいさつしたらいいのか分からない)
目線を向けられても、それが自分にぶちあたっているのか、前の席か後ろの席か、本気で分からない。
その結果失礼なことをすることがある。自分でも意味が分からない行動をとってしまい恥ずかしく思ったりする。
自分が甘えているだけか?
それとも他のみんなは分かってるものなの?
「太陽がまぶしくて目があけていられない時ってあるよね」って言ったら、小学生の頃聞いた友達からは同意が得られなかった。
家事面なら、洗い物なら洗い残しがあってとても凹むし(兄は水を出しっぱなしにするものの、上手だった)、掃除はそもそもできない。
洗濯物を干していても畳んでしまうまでの時間の感覚が異常に長い。料理の材料は腐らせてしまう……。
勉強面では予習ができない。ギリギリにならないとやる気が出ない。仕方ないので、家じゃなくて別の所で課題しなきゃな…。
次の日の準備が小学生の頃からできない。プリント整理もできない。なんかイライラしてくる。無駄になることが怖い。そして出てこないプリント。
それと、モノを持って移動して、次の事をしているときにはもうそのモノが無い。昼寝のたびにメガネを置いては見つからなくなり、予備メガネかけて探してる。
ADHD?アスペ?発達障害?病院とかカウンセラーに相談したらいいの?
言い訳がてらADHDのページを見てたら、わりとアスペかADHDであるような気もしてきた。
まぁでも、言い訳が欲しいだけって言われたらどうしようかなって怯えてる!
「みんなそんなもんだよ」
って言われたらどうしようかな!
学校のテストには相性がよかったみたいでなんだかまだ労働してなくて進学してるけど、そんなに頭が良い方でもないし、すぐに混乱するんだ。
シビュラシステムが欲しいくらい使いにくい人間だなぁと我ながら思ってる。
あと、大学向いてなくってワロタ。そんなに向いてる人間なんて珍しいか。
人生で一番楽しい時期だよって両親には言われたけど、高校生の方が楽しかったなぁ。
いくらでもひとりでいれる環境だから、ひとりで居て生活ボロボロになって、混乱して辞めちゃう子も多いんだろうなぁって思う。ちょっと辞めたい。
大学の先生は高校の先生みたいにこどもを好きでいる(ようにする)前提なんて無いだろうなって思うわけだし。
話が脱線した。
私の仕事柄(開業カウンセラー)、巷のカウンセラーのWebサイトを見ることが多い。
(もちろん、これだけですべての日本の開業カウンセラーを網羅できているとは思ってはいない。)
ただ、(少なくとも)Web上でどのようなコンテンツを展開してクライエントを集客しているかは
参考にしようと思っていた。
そうやって約2年ほどウオッチしていたのだが、
開業カウンセラーがブログなどで投稿する内容というのがおおよそ以下の通りだと知った。
今日はこんなことがあってハッピー、こんなことで幸せ感じました、といった幸せ報告
ちょっと悲しいことがありましたというしんみり報告
有名な誰々さんと一緒ですという報告
売れっ子カウンセラーへのやっかみはないようにしたいが主観的な話なのでそれは除外するのは難しいことを
承知の上で書いてみた。
カウンセラーがハッピーです、しんみりしてます、誰かと一緒です
と報告している記事を見て、苦しみを抱えている人は何かしらの利益を享受するのだろうか。
私はそうは思えない。
ハッピーですと言われても、「あっそう、よかったね」
しんみりしてますと言われても、「そんなこと言われても」
誰かと一緒ですと言われても、「だから何?」
という反応になるのではないだろうか?
2:セミナー
全国的にカウンセリング料金は平均して7千円(1時間)くらいらしいが、
仮にセミナー参加費を5千円にして、10人集めて2時間セミナーをすると、
2時間で5万円の売りになる。
カウンセリングだと2時間1万4千円なので、4倍近く効率よく売上が上がる。
もっとも、会場費や広告費などの経費を引くと利益はもっと下がるだろうが。
また、セミナー自体がカウンセリングへの誘導にもなっているのだと思っている。
「こんな素敵な先生なら話を聞いてもらえそう」
という心理に持っていくことがもしかしたら一番の目的かもしれない。
もし仮にそうだとしたら、セミナーに参加している人たちは、
貴重なお金を払って広告を見に行っているようなものではないだろうか。
人が何にお金を使おうが勝手ではあるが、それはあくまで主体的判断があっての話であり、
心理に関わるものがお金を使わせるように働きかけることはいかがなものだろうか。
私は以前とある自称売れっ子カウンセラーにメールをしたことがある。
『〜したら幸せになれる』と断言されてましたがどのような根拠があるのでしょうか」
それに対する返信はこうだった。
「私のクライエントさんのうち5名くらいの方が私の意見に『そうだそうだ』と言っておられたからです」
5名…。
もしかしたらその断言が書いてあるブログを見て、実際にやってみて幸せになれた人がいるかもしれない。
しかし、見方を変えると5名しか共感していないのに、その根拠を示さず、幸福論を掲げていることになる。
とある悩みを持っている人が売れっ子カウンセラーのブログに行き着く。
(大抵こういうカウンセラーはSEOがされてて上位表示されやすい)
幸せになる方法をやってみたけれど、幸せを感じられない私はもう幸せにはなれない。』
このように感じる人がいてもおかしくはない。
でも、このように感じる人がいても売れっ子カウンセラーは何も変わらない。
何故ならそういう人がいるということを知り得ないから。
カウンセラーという言葉から、「話を聞いて悩みを解決してくれる人」という
イメージがあると思う。
さらにそこから「悩み解決=人生の達人」的なイメージにまで広げていっているカウンセラーがいるように思えてならない。
私はカウンセラーはクライエントとともに悩みを共有し、クライエントが悩みを乗り越える、受け入れる、自立できる、
私は常に何をしていてもさみしいです。
彼氏といても、友達といても、家族といても、常に泣きそうな寂しさがあります。
幸せだなと思えることも、そう多くはありません。
他の人からしてみれば、満ち足りた生活と思われるような生活をしているのですが、
それでも泣きそうになるくらい、寂しいです。
ググったりすると「打ち込む趣味等を持て」と書いてあるし、
もしかしたら寂しさを払拭出来るかもしれないと思って、フットサルとかヨガとか、色々やってみたんです。
だけど、どうにも「これをしているから幸せだ」とはなりませんでした。
私は10歳〜20歳まで、父親に軽く虐待されてきました。
虐待と言ったって、壮絶な虐待体験を持っている人からすれば、たいしたこと無いです。
中学受験から大学受験にかけて「おまえは馬鹿だから死んだ方が良い」みたいなことを、ずっと言われ続けて、
私が学校の試験で悪い点数を取った際には、母親が殴られたり蹴られたり、お湯をかけられたり、皿や圧力鍋を投げつけられたりしていただけです。
そんな感じで10年間育ってきたので、誰かに認めてほしいのかな?とも思ったりします。
でも、仕事でもプライベートでも、認めていると言われても、疑心暗鬼になっているような感じで、自分を自分で認められないんですよね。
だから、常にさみしいのかなと思ったり。
自分で自分を認めて行けば楽になるのかもしれませんが、まだ心は宙ぶらりんで、常に寂しいです。
たまに、あまりに寂しくて泣いていると、彼氏に「これ以上何がほしいの?」と困惑されます。
まあ、そうかもしれません。
他に何か解決方法ってあるのかなぁ。
前提として、自分が患ったのは職場におけるストレスに起因に発症した軽度の欝である。
そのため、とりあえずやってきたこと、やってみようと思っていることを並べてみる。
おじいちゃん先生と若い女性のカウンセラーに相談に乗ってもらった。
しかし、自分の職業がわりと専門職であるため状況を説明してもいまいち噛み合わず、
もらった薬も周りの副作用経験者の話を聞いたら怖くなって飲んでない。
一時的には元気になることができた。
しかしこれは一時的なものであり、また、配偶者や恋人がいる人に何度も相談するのも憚られる。
また、自分は生来の相談下手であり、中々全てを晒して助けを請うことができない。
以前は土日も含め働き詰めだったが働くペースを少し変えた。
効果がでている気もするが、「休んでいる場合じゃない」という気持ちが罪悪感を刺激する。
運動が欝に良いと聞いて。
今までは週に1日程度ジムに通っていたが、
これを書きながら朝走ってから出社する習慣は良いのではないかと考え出している。
おそらくこれが自分にとっては一番いいのではないかと思う。
おそらく、これが全ての問題を解決してくれる。
チャップリンも言っていたけれども、貧乏は何も生み出さないし悲劇だ。
toto BIGを買う。
この前ハロワで障害者枠のいい求人があったので紹介状もらった。で、スーツで写真撮ってきた。
それから作業所で履歴書と職務経歴書と添え状を見てもらったんだけど、これがもうダメ出しの嵐だった……。ほんとにつかれた。泣きそう。ふらふらになって帰ってきた。酒買ってきたよ。
ぼくはハロワの講座で言われたとおりに応募書類を簡潔明瞭に脚色しないで作ったんだけど(ハードボイルド)。でも作業所のカウンセラーたちにはもっと詳しく書いてって言われた。
ああめんどくさい。ほんと茶番だよなあ。
書類選考なんてスペックしか見てないんじゃないの。その書類でがつがつアピールするのはなんか違う気がする。ぼくが職歴ないっていうことはかっぱ寿司でかっぱが働いてないのと同じくまったく完全な客観的事実なわけで、それをむりやり短期のアルバイト歴で埋めようってのはちょっとどうなんだろう。ぼくが人事だったら、そんな不誠実な求職者は落とすけどな。事実は事実なんだから、それは率直に、取りつくろわずに出したほうがいいんじゃないのか。相手だって障害者相手にしてるんだからそれくらいわかってるわけで。事実を語ってだめならしょうがないんじゃないかな。実際ぼくがブラック中のブラック人材なのはたしかなわけで、そこはもうどうしようもないわけじゃん。
というかストレス耐性なさすぎて働くの無理な気がする。コミュニケーション能力が絶望的にない。1回面接に行ったら2週間くらい寝込むわけだし。毎日の労働とか耐えられる気がしない。
障害者枠は週30時間働かなきゃいけないからきついなあ。一般枠のほうがいいんだろうか。でも一般枠で30歳職歴なしってそれこそ無理ゲーだと思うし。
パチンコ屋の呼び込みバイトの兄ちゃんに還暦くらいのじいさんが道端で説教してたけど、バイトでも働いてるんだから偉いじゃんって思う。なんで家庭を持つとどうたらこうたらと説教するんだろう。ひとの人生をお前の狭い価値観で決めるなよっていいたい。みんな必死で生きてるんだよ。でも社会には競争がある以上、かならず勝者と敗者がいる。みんなが勝者になるのは絶対無理なんだよ。きみらは敗者の屍(というか生きる屍)の上で安楽で快適な人生を送ってきたのだから、むしろ申し訳なさそうにするべきなのに。すべてはおれの努力のおかげとか思ってるんだろうな。ああやだやだ。
ああ、生まれてきたくなかったよ。でもお母さんのことは大好き。
失恋した。
告白もしてないし、ましてはっきり断られたわけでもないけど、
雑談の中で「私は誰かを好きになることがない人なんで」
的なことを、わざわざ言われた。
はたから見てもすごく仲良くしてて、
これは行けるだろうと踏んでいた矢先のことで。
でもやんわりと「お断り」されたんだ、ってことが、
理性では分かっているのに、
理解はしているのに、
心の奥底ではまだ彼女のことが好きで、
諦められない。
どうやったら心の奥底に残る彼女への想いを断ち切れるのか。
結局一回では解決しなくて、もう一度行くことになったんだけど、
「あなたは心の症状と体の症状が一致してるんです。心と理解とは違うんですよ。分かりますか」
そして「心の症状=体の症状」で、
「心≠理解」だとすると、
失恋による痛みを受けているのは「心」であって「理解」ではない。
ああ、そうか。逆だったんだ。
心の奥底でこそ、失恋したことを分かっているんだ。
だからそれが体の症状として現れたんだ。
でもやんわりと「お断り」されたんだ、ってことで、
はっきり断られたわけでもないからと、理屈を付けて分からないふりをして、
理解しないで、
理性の方がまだ彼女のことが好きだと、
諦めずにいるんだ。
「理性では失恋したと分かっているのになあ」なんて、
欺瞞もいいところだった。
説伏しないといけない。
っていうのは発見だったんだけど、
理性を説伏したところで心の痛みは癒えないよね。
どうすんの、これ。
小中学校時代ずっと顔のことでいじめられていた。だれからも「変な顔w」と笑われていた。ぼくがどんなに努力しても「でも顔は変だよねw」といわれて終わってしまう。小学生時代は走るのが速かった。運動会のリレーの選手だった。でも結局ぼくは「変な顔のやつ」でしかなかった。「ヘンガオ」や「怪物くん」があだ名だった。中学時代も高校時代も学年トップレベルの成績だった。でも「変な顔のやつ」でしかなかった。いったいどうしたらいいのかわからなかった。だれもぼくを認めてくれない。
これはもう東大に行くしかないと思った。でも落ちて、結局地方の旧帝大に行った。そこには絶望しかなく、もうすべてがいやで、むなしくて、かなしかった。
ぼくはなぜか大学時代「イケメン」「ハンサム」「かっこいい」といわれるようになった。まったく意味がわからず、これが社交辞令というやつか、まったく世の中歪んでいるなくらいの認識だったが、それは完全な確信をもってそう思うのだし、ぼくはどう見てもおかしな顔で、いまだに毎朝エレベーターの鏡を見て落ち込むわけなのだ(あとで説明するがぼくはいま障害者向けの作業所に通っている)。
なんども鏡で確認する。どう見ても奇形だ。骨格がおかしく、人間に見えない、なんだろうこれは、ペンギン? それともピスタチオ? 鏡を見るたびに落ち込む。鏡を見てこれはひどいと思ったらもう外には出れない。ひたすら寝込む。引きこもる。そうやって大学5年が終わった(大学にいけなくて1年留年したのだ)。
いつのまにかぼくはメンヘラになっていた。大学1年からその傾向はひどくなったかもしれない。大学5年目は卒論を書くだけだったのでなんとか卒業はしたが、もちろん就職活動などはしていない。じつは大学4年目に就職活動をしたのだが、もうまったく完全に頭が真っ白になってしまって、どうしようもなかった。ぼくはわけのわからないことをくちばしっていただろう。それ以来トラウマで、大学卒業後実家に帰ってきて、就職活動を親に迫られるとぼくはパニックになってしまって(過呼吸になって呼吸困難になる)、身動きできなくなっていった。どうしたら他人に認めてもらえるのかぼくにはまったくわからないのだ。ぼくは「変な顔のやつ」だ。それはもうどうしようもない。どうしようもない状態からいったいどうやってだれかにぼくの価値を認めてもらったらいいんだ。それはまったく完全に究極の難題だった。死について考えてぼくはよく小さなころからパニック状態になっていたが、まさにそれと同じ現象が起きた。考えが及ばない、まったくの未知、理解の範囲外、それは神、神だ! だが神なんかいない! 神の姿なんてぼくらはだれもわからない、というより神に姿があったらそれはおかしいのであって、ぼくにとって、《就職活動=他人に自分の価値を認めさせる》という儀式というものは、まったくの神秘であって、考えの及ばない、彼方の彼方にあるほとんど魔術的な妄想とでもいうべきもので、一般企業で働くということは完全に奇跡のわざでしかなく、それも実現不可能の絵空事、定義の及ばない、ことばの射程の外にある、まったく完全な神秘だった。しかし世間の人間はみんなそれをあたりまえのようにこなしているという事実がぼくに重くのしかかってきて、それは絶望ということばだけでは言い表すことのできない、とてつもない、ある重層的な空虚、陳腐な言葉で言えば、そうだ、まさにそれは「世界の終り」だった。そう、世界は終わってしまったのだ。ぼくには理解できない、おそらく認知すらできないなにごとかがこの世界では行われていて、ぼくはそこに存在するだけの強度をそなえていない、おそらく世界の脆弱性とでもいうべき……、異端! おお! すばらしい! 圧倒的少数にして弱者! 愚者であり賢者! ぼくにはもうこの物質世界は見えていない。文字通り超然としている。だがなんだ、超然としているというのに、ぼくはこの物質=顔にこだわっているではないか。ぼくの精神は完全にこのけがれた体から離脱しているというのに、しかしぼくのトラウマはまだ完全に顔にとらわれていて、むしろ顔こそすべてであって、かわいいは正義であって、ぼくは美少女が好きであって、いまだに勃起するではないか! なんなのだこれは。とらわれている! この世界に! ぼくはこの世界で認められたかったのか、それともこの世界を否定したかったのか、いやちがう、ぼくは自分自身が否定されたことによって、まさに自分自身が否定される世界というものを肯定することによって、ここに自分の存在を確立したかったのであり、だがそれは自虐でしかなく、自滅でしかなく、まさにこの自縄自縛のなかで、どうしようもない破滅的な未来へ向かってぼくは生きてきたのであった。だが、それも考えてみると、結局、死にたいという欲望に突き動かされたものでしかなく、しかしいざ死のうと思うと死ねず、しかし死のうという意志そのものが生きることを肯定するなにかとなっていたのであり、もはやなにがなんだかわからない状態で、結局ぼくは精神科を受診することになった。
精神科というものはまったくわけがわからない。まともに話したのは最初の診察のときだけだ。投薬治療をつづけてきたが、まったく改善は見られない。投薬治療だけでは無理ともちろん医者はわかっていて、カウンセリングも並行してやっているのだが、いや、しかしだね、臨床心理士といっても、しょせんぼくより頭の悪いひとなわけだ。ぼくがひたすらこの世の不正や不正義や不条理について語っていったところで、ぼくの真向かいに坐っている、この美女はなにか理解しているのだろうか。ホメロスやオウィディウスやプラトンについて話していたとき、ホメロスも知らなかったのだが、これは大丈夫なのだろうか。いやしかし美女とお話できたのだからよしとするか、というかそのひとはぼくを捨ててさっさと結婚してしまって、いまはもうカウンセラーやってないっぽいのね。まったくね、なんなのかね、結局口だけというか、そりゃカウンセラーにはカウンセラーの人生があるわけだが、こっちだって人生かけてしゃべりまくっているわけでね。ぼくはいってやったよ。あなたのことが大好きです、幸せになってくださいってね。うん。そうだ。彼女は幸せになったのだからぼくは泣いて喜ぶべきなのだろう。でもなんなのだろうねこのむなしさは! ぼくは結局利己的にすぎないが、自分がしあわせになりたいのだよ。しあわせになりたいよ。しあわせってどういうことなのだろうね。いや、もしかしたらいまの状態もしあわせなのかもしれない。障害基礎年金をもらっていて、医療費には困っていないし、両親はまだ生きているし、むしろあんなに厳しかった父親も……、ぼくは彼に虐待とまではいかないのだろうが、幼少期かなり暴力を振るわれて、ちょっとトラウマになっている。まあだからといってアダルトチルドレンというわけではないのだが。むしろいま父は仕事を退職してかなりやさしい性格になっている。父があんなにぎらぎらしていたのはまったくくだらないあの世界の滓とでもいうべき労働のせいなのだ。まったくこの世は腐っているね。でもとにかく両親はやさしい。ぼくはまったく役立たずで、そりゃ洗いものや掃除くらいはするが、だからといって、妹みたいに金を稼いでこないわけでね。
就労に向けて頑張りましょうという。ぼくは作業所に入った。B型ではなくて就労移行だ。一般企業での就労? それってどんなものなのだろう。ぼくは最低賃金で事務系のアルバイトを体験してみたことがあるが、そこは一日でやめた。そこのババアの指示がまったく理解できなかったため、ここで働くのは無理だと感じたからだ。あれはぼくがおかしかったのだろうか。支援者にはそういわれた。ぼくがおかしかったのだと。おまえに歩み寄りの気持ちが足りないのだと。でもぼくは真剣に真面目に全力で全身全霊を込めてやっていたのだ。しかし、その初日というか、唯一働きに出た日だが、そこをしきっているババアは朝いってもそこにいず、アルバイトの女性スタッフがぼくにいった。こんな感じでこんな感じのを作ってください、とね。いや、ぼくは大学卒業後まったく社会に出てなかったわけで、こんな感じの資料をつくれといわれても、いや、そりゃあね、見本があればぼくだってエクセルくらい使えるから、作れるんだが、その見本がないので、その指示、つまり「見やすいように作ってくれ」の「見やすいように」というのがどういうものなのかがまったくわからないわけだ。それはこちらの頭の中に知識として入っていないわけだから。そしてぼくに職歴がないというのはわかっているはずなのに、そういうことを要求してくる。それなので、ぼくは自分にとって見やすいように作ったのだが、それはちがうという。だったら見本を見せろと返す。見本はないという。なんだそれは。ここの職場はいままで同じような資料を作ったことがあるだろうに、そういったノウハウの蓄積といったものはないのか。ないという。なんだそれは。もう意味がわからない。そしてぼくは悪者にされた。ぼくは積極的に説明を求めた。人と話すのは苦手だし、さらに人に話しかけるなんてことはほとんどもう中学以来したことがなかったというのに、そのぼくが、そうだ、障害枠ということでやっているのに、そのぼくがやっと話しかけたのに、不完全な情報を断片的にしか与えてくれない。なんなのだこれは。この資料をもとに作ってください、といわれる、だが、作っている途中にその資料が不完全だということがわかる、なので、ぼくはこの資料だけではつくれないので、もっと正確な情報をくれという、そうすると、なぜだかわからないが、いやいや出してくる。意味がわからない。というか、最初からちゃんと資料を用意しておいてくれないと、いちいちこっちが催促しないといけないのか。なんなのだ、この非効率な仕事は。指示するなら、完全な指示をしてほしい。こっちは最低賃金でやとわれている、それも障害者枠でやとわれているクズなのだ。そのクズに創造的な仕事をもとめないでもらいたい。わけがわからない。これが社会。これが社会。おそろしい。そもそもなんで入って初日のぼくがそこの常識みたいなものを知ってると思っているんだ? あまりにも想像力がなさすぎないか? なんでぼくがそこの常識、たとえばA班とはどこでなにをやっているどういった人間たちの集まりだということ、そういうものをどうして入って初日のぼくが知っているという前提で話が進んでいるんだ。おかしくないか。どう考えたっておかしい。しかし支援者はぼくにコミュニケーション能力がなかったせいだなどという。それはちがうだろう。ババアのコミュニケーション能力というかもっと大雑把な意味での能力の問題だ。管理し指示を出す側の人間がしっかりしているべきじゃないのか、しかも障害者枠で、職歴なしで、やっとここで社会復帰のためのちょっとした労働をさせてもらいますみたいな人間に対してなぜ的確な指示を出さないのか、ぼくにはまったく意味がわからない。その職場の空気読んでやってねってそんなのわかるわけがないだろう。3ヶ月や半年そこにいればその場の空気やルールというものもわかるだろうが、入って初日に、どうしてそういった超人的な想像力が要求されるのだろう。それは理不尽じゃないのか。そしてそれを理不尽と感じるということがぼくの甘えだと論破される。これはおそろしい。思ったよりも、社会は遠いところにある。いったいどうすればいいのか。社会というものは理不尽だとみんな嬉しそうに言う。腐ってやがる。
作業所に行くと、○○さんは高学歴だし、なんでもできるよね、だからどんどん面接受けようぜみたいなことになっている。たしかにハローワークでGATBというテストをやったところ、一番高い数値は160近くあったし、ほかもおおむね130を超えていた。向いてる仕事というのがそのテストでわかるらしいのだが、困ったことに、ぼくに向いてない仕事はない! なんだそれは。この役立たずが! なんでもできるということはなにもできないということだ。ひとは制限があるから頑張れる。無限にひらかれていては神秘主義者になって終りだ。
なにもぼくは自分が天才だといいたいのではない。東大には受からなかったし、ネットで例のIQテストをやると138しかでない。こんなものは天才でもなんでもない。ちょっと平均より頭の回転が速いだけだ。中途半端、それがぼくに与えられた称号。といいたいのだが、だが、ぼくの顔は中途半端どころではなくどろどろに崩壊していて、もはや人間ではなく、だが、作業所にはダウン症のひとたちもいて、そういうなかにいると、たしかにぼくはそういうひとたちの一部ではいられるのだけど。でも世間はぼくらを人間とはみなしていない。障害者は殺せ! 隔離せよ! という。生きる価値がないという。
ああ、たしかにそうだ。ぼくらには生きる価値なんてない。でもなぜか生きている。みんな死にたいはずだが、でも生きちゃっているものはしょうがないのだから、結局生きている。
さて、どうやってこの顔と向き合っていけばいいのだろう。結局ぼくは自己肯定感をもてずにいるわけだ。結局それなのだ。自分に生きる価値があるとだれかが、家族以外のだれかが認めてくれれば、それだけできっと見える世界は変わってくるのに。見える世界を変えるためには努力しなければいけない。しかし努力の方向性がわからない。ぼくは存在そのものを否定されている。能力についてなら努力でかえられるだろう。性格についてならある程度の矯正は可能だ。しかしぼくの顔は! どうしたらいいのか。そういうわけで、ぼくはしばらく口をすぼめて生活していたことがあった。口をすぼめることによって、見える顔が多少変わるからだ。ぼくはそれによってマシな顔になったと信じていたのだが、まわりのひとたちはおかしいからやめろという。マスクをしていたら、マスクをはずせといわれる。なぜなのか。
露骨な容姿差別は存在する。容姿差別はなぜか問題にならないが、かなり重大な問題なのではないだろうか。ブサイクだとなぜいけないのだろう。奇形だとなぜいけないのだろう。
破壊衝動に身を任せてはだめ、テロなんてやっちゃだめだからね、と医者にいわれている。たしかにそうだ。もちろんぼくはそんなことできないだろう。せいぜい机をぶったたいて自分が骨折するくらいだ。むなしい。でもすべてをぶっこわしてやりたい気持ちはたしかに存在する。