はてなキーワード: カウンセラーとは
増田が求めるようなコンサルだったかはわからんが、とにかく顧客から何かある度に電話が来る(休日だろうと深夜だろうと来る時は来る)のがキツかった。
更に、そういう時の電話の内容って大概「愚痴」「請け負ってる業務とは関係ない相談」のたぐいの、「とにかく誰かに話を聞いて欲しい」ってだけの話なので、全然本来業務とは関係ないし。
契約上、規約上は深夜や休日の電話なんかブッチしていいはずだが、現実にそんなことはできないので。
コンサルタント、って「相談役」って意味でもあるからなぁ…」と強制的に納得はしてたが、「オレはカウンセラーじゃないぞ!」って思ったことは数知れない。
顧客によっては「あの先生はいい先生だ、何でも相談に乗ってくれるし」ってんで別の顧客を紹介してもらったりもしたので、悪いことばかりではなかったのだろうが、でもやたら疲れる。
絶歌を読んだ。
この本はあの酒鬼薔薇本人が書いただけあって、ぶっ壊れた部分と、理解可能な部分がごちゃまぜに同居して読むのは疲れる。おすすめできない。
ぶっ壊れたままというのは、出所後も基本的に他者への関わり方が分かってない点と、パニックに陥ったときに暴力衝動が抑えらていない点だ。さらっと描写される他者への無関心とあたりまえのように描かれる暴力描写に、とてつもない違和感を覚える。
それでも矯正されたというのは、出所後はそういう自分の弱点を認識して、他者をなんとか理解することで社会に関わっていこうという意思を感じるから。14歳の頃にはそういう姿勢はなかったと思われるので、これは矯正プログラムの成果だろう。ただ彼にとっての社会復帰とは、正解を探す作業なのだ。職場の人にお茶を勧められ休憩しようと言われても「喉乾いてないからいいです」と断るのは「間違い」だと認識して正していく、それが彼の社会復帰の方法だ。その方法はやはり普通の感覚の社会生活とは違うので、更生していると思う反面、そのぶっ壊れ具合に衝撃をうける。
酒鬼薔薇は根本的になぜあのような凶行に自分が及んだか分かっていないようだ。
理性のたがが外れて、性的衝動と殺人衝動に自分の行動が支配されてしまった。なぜそうなってしまったのか、自分のことなのにわからない。だから理解したい。自分で自分を理解したい。
理解したいから、何度も何度も自分の記憶を掘り起こす。何度も思い出すうちに記憶は強化されていく。過去のシーンは安っぽい比喩と装飾にあふれているが、美しく描写されるのは記憶の中の自然であり他者だ。酒鬼薔薇は基本的に自分と関係ないものへは無関心を貫くが、自分を無条件で受け入れてくれる他者や場所には強い愛情を感じる性質がある。そうしてそれを美しいものだと認識している。だから自分を受け入れた美しいものをケレン味たっぷりに飾り立てて描写する。それは記憶の掘り返しが何度も繰り返され強化された証拠だと思われる。だって酒鬼薔薇が美しく描写したタンク山とか池は当時の報道で何度も観たけど、なんてことはない風景だったもの。
逆に自分のことは徹底的に醜く汚いものとして描写される。美しい他者と醜い自分、この断絶が凶行の原因だと認識しているようだ。そんなこと言われて誰が納得するだろう。また文中、他の文学作品からの引用が多数あるがそれも自分を知る手がかりだ。自分の記憶を掘り返し、また文学作品に自分を投影することで、なんとかして自分を理解したいのだ。
自分を理解することで心の安定を図りたい、というのがこの手記を書くモチベーションになってることはたしかだろう。ひどく利己的で、被害者感情を逆撫ですることは確かだけども、もともと自意識しかないぶっ壊れた人間なのだ。今の他者を理解しようという姿勢は矯正プログラムの成果でしかない。
ところで、この本で笑うべきでないのは十分分かっているが、どうしても笑ってしまった箇所がある。
それは彼が捜査員や検察官、カウンセラーといった大人たちに最後まで内緒にしていたという、彼の中で性衝動と殺人衝動が結びついた原体験だ。
小5のとき、最愛のバーチャンを亡くした彼は思い出に浸ろうと入ったバーチャンの部屋で電マをみつける。電源を入れ興味本位で股間に当てた彼は今までにない快感に身を震わせる。小5の彼は電マオナニーで気絶するほどイクという壮絶な精通体験を得たのだ。それはバーチャンの死と深く結びつき、性的快感と「死」が関連付けされてしまったのだ。その後も電マオナのとりこになり、その行為は強く死を意識させる冒涜的な行為であったので、それが猫殺しの時にもイッた原因になったと彼は自己分析してるのだ。
この本から教訓を得られることがあるとすれば、電マは年頃の男の子の手の届かないところに保管しなければいけない、ということだろう。
2011年にこの増田を書いた。姉が出産したが、娘は生後1ヶ月で亡くなり、翌年生まれた長男も生まれて一週間で亡くなったって話。
http://anond.hatelabo.jp/20111005234524
この話はいまも続きがあって今は私の話にもなってる。
姉はその後、大きな病院で先天性ミオパチーという病気を疑われ遺伝子検査をした。このとき、いつか子供を生むかもしれない私には、遺伝の病気じゃないから大丈夫だよと説明をしてくれた。
それから4年が経っても姉は病気について調べたり、東京の大きな病院で検査をしたりしていたが詳しいことは聞いてなかった。問題ない遺伝子だったらお腹に戻して妊娠出産するための審査に通ったとか順番待ちだとかを軽く耳にしていた。
私は私で結婚が決まり、30歳までに子供も産みたいなぁとキャリアの計画を立てはじめていた。そんなとき姉からきたラインは、お祝いの言葉と念のため遺伝子検査を受けてほしいというものだった。あれ?たしか遺伝は関係ないっていってたのに、、?と思ってすぐさま詳しく聞くと、何年も前に疑いがあった先天性ミオパチーではなかったとのこと。遺伝子検査は血液検査とは違い一つの病気に絞って検査して、違ったらまた何かの病気に絞って検査しかできないらしい。当時はまた一から調べ直しになり、原因不明のまま数年が過ぎていた。
その後母がたまたま大腸ガンになって入院していた病院で遺伝子外来をみつけ、再度カウンセリングを受けた。そこの先生が筋緊張性ジストロフィーという病気を疑い、再度遺伝子検査をしたところ確定したそうだ。姉から子供に遺伝していたのか、姉の旦那から遺伝しているのかは医師のアドバイスもあって今は明らかにしなかったらしい。(あとあとお前のせいだ!とかでもめがちらしい)
でも姉は私だと思うと話していた。母の白内障と、女から遺伝した方が子に遺伝するにつれ重症化するという話からでた姉の予想。ちなみに私や姉には一切症状はない。
まず最初にもった感想は、でき婚とか狙ってなくて本当によかった。
こどもができてから、子供に筋ジストロフィーが遺伝してるかもなんてなったら耐えられない。
いまは姉と姉の息子の遺伝子検査結果を持って都内の病院に通い出した。
遺伝子検査をするにはいろいろな条件が必要で、道のりは長い。実費で一回1時間2万円のカウンセリングを最低二回以上受けた上で初めて検査できるかどうか決めてもらえるらしい。
検査の前に保険に入らないといけないだとか、もし遺伝していた場合の未来予想図を提出するだとか、いろんなことがたくさんある。
カウンセラーは、知らなかっただけで遺伝してることは他にもあるかもしれないし、全てを知ることはないんだから調べないという手もあるのよ。と話してくれたが、そんなの考えられない。
遺伝してたらどうしよう、という考えても結果が変わらないことを考えるのは一番嫌いだ。
はっきりさせたい。姉の辛い姿を見たうえで、遺伝してるかわかんないけどこどもつくろっかな!なんてのも絶対無理。生まれてすぐこどもが死ぬなんてあんな悲しいことはない。生きていたとしても障害を持っていたら養う甲斐性も覚悟もない。遺伝していたら子供はつくらないと、夫になる人とは決めている。
50%って高いよね?
はやく、結果を知りたい。
そして、できれば私もお母さんになってみたい。
「手斧磨き」「ブコメデマおしえ」「プリントアウトすすめ」といったネットワークしぐさを身につけたはてなの人々は、お互いを慈しみ、支え合い、平和で豊かな生活を送っていました。しかし〈大災禍〉のさなか、匿名掲示板民の暴走をきっかけに、各地で燃え上がった特定祭りによってはてな民は虐殺。アーカイブの多くも失われてしまいました。今、本当のはてなしぐさを知る人は少ないのです……。
はてなの人々が育んだはてなしぐさは、良きネット民としていかに生きるかという行動哲学であり、人間関係を円滑にする共生のティップス・ライフハックでもありました。はてなしぐさを学び身につけることで、精神と身体を健康に保つことの大切さを知り、周りの人たちを幸せにしながら笑顔の絶えない生活を送ることができます。
はてなしぐさがどんなものかわかったかな?では実際にはてなしぐさを体験してみましょう!
相手を思って伝えた言葉でも、小さなすれ違いから互いに傷つけ合うこともある。どうしたら自分の気持ちを相手に伝えられるの?どうしたら相手の気持ちが分かるの?はてなの人たちはいつもそのことを考えながらネットに向かっていました。
ひとりよがりの言葉を何度も繰り返すより、正確な言葉で一刀両断するように伝えることがお互いの幸せにつながる。言葉に出す前にどれだけ深く考え抜いたかを一番大切にしていたはてなの人たちの間では、手斧のように磨かれた言葉だけが飛び交っていたんだ。
自分の考えていたことと違った受け取り方を相手にさせてしまったとき、はてなの人たちはそのことを反省して「上手く伝えられなくてすまん」と謝ったんだ。自分から先に謝ることで相手の気分も和み、コミュニケーションを円滑にする効果もあったんだよ。
自分の視点からは見えないことでも、相手の視点に立って見つめ直すことでたくさんの気づきが訪れる。日本の伝統的な盤ゲーム〈将棋〉プレイヤーが行っていた、相手の肩越しに盤面を見つめ直した様子になぞらえたはてなしぐさだよ。相手の気持ちを理解しない人には、「はてみんアイをしてみましょう」とみんなで声を掛け合ったんだ。
どんなテキストでも、まずは本文を最後までしっかり読み込む。はてなしぐさの鍛錬を積んだはてな民の中には、言葉と言葉のあいだから、テキストに書かれていないことまで深く読み取れるようになった人もいたんだ。普通の人から見るとまるで超能力のように映ることから、はてな民のテキスト読み取り能力は「エスパー」「エスパー利かす」と呼ばれました。
一般の人でも不適切な情報にアクセスできた成時代のネットワークでは、はてな民たちが付けていたソーシャルブックマークコメントが、望まない接触を予防するためのリスク判断に役立っていたんだ。また、コンテンツやブックマークコメントに「はてなスター」が付けられることで、信用性はより正確になったんだよ。
暴力的で不健全な情報で身体や精神を傷つけないために、コンテンツを見る前にひとめブックマークコメントに目を通すことは、はてなの人たちにとって当たり前のしぐさになっていたんだ。実際にコンテンツを見たあとは足りないリスク情報を補い合って、正確性や有用性を高めていたんだ。
曖昧な情報源を元に不安を煽ったり甘い響きの嘘で人を騙していても、「嘘は嘘であると見抜ける人でないと難しい」とも言われていた当時のネットコミュニケーションでは、デマも個人のスキルで判断するしかなかったんだ。情報の一次ソースを見つけて誤りを指摘するスキルを「ソース力」といって、ソース力の高かったはてなの人たちは、デマを見つけると丁寧にブコメで指摘し、正しい情報を流通させることに貢献していたんだ。
はてなの人たちは「ほほえむ気持ちで☆を付けよう!」と心掛けることで、スターの価値を高めていこうと考えていました。☆がたくさん付いたコメントはたくさんの人を笑顔にできたコメント。☆がたくさん増えたら笑顔もたくさん増える。そう考えて実行していたはてなの人たちは、コメントに付いた☆を見つけるとそっとほほえんだといいます。
テキスト読み取り能力の高いはてなの人たちは、言葉の先には生身の人たちの生活があることをいつも感じていたんだ。書き手の身体や精神の状態が優れないことがわかったときには、その人が健康で人間的な生活を送れるように、できる限りのアドバイスを送っていたんだよ。
はてなの人たちが見つけた多くの気付きの中に"不幸を回避してより豊かな人生を送るためには、その人に合った生活スタイルを選択することが大切"というものがあります。生きづらさを訴えるテキストに出会ったときには、その原因となっている無理や過剰を見つけ出して、「あなた○○向いていません」と伝えてあげたんだ。
当時はまだセラピーを受けないまま心的外傷を負ってしまったり、精神的に大きなダメージを受けた状態でネットワークコミュニケーションをしていた人も多くいました。テキストをエスパーしてそのことに気付いたはてなの人たちは、症状の現れたテキストをプリントアウトして、すぐに専門の心理カウンセラーに見せることを勧めたんだ。身体と精神の健康を保つことの大切さに気付いていたはてな民ならではのしぐさだね。
「くねくねしぐさ」は、自然発生的にたくさんの人が話し合い、一つのことに対して多様な議論が生まれる様子をあらわした言葉です。ときにそれは、はてな全体を巻き込んだ大きなうねりになることもあったんだよ。また、同じ思いを持つ人たちが実際に集まり、はてなコミティセッションが開かれることもありました。そこではどんな発言もほほえみながらみんなで受け止め、力を合わせて問題の解決をめざしたんだよ。
みんなで使うネットワーク空間だからこそ、他の人が嫌がるようなしぐさは控えよう。迷惑ネットしぐさに出会ったはてなの人たちは、すぐやめるようにみんなで声を掛けたんだ。
テキストを最後まで読まず、タイトルや始めの数行だけ読んで反射的に書かれたようなコメントは、「脊髄コメント」といって嫌われたんだ。特にテキストタイトルだけ読んで反応してしまうコメントに対しては、「本文だいじ」といって、もう一度しっかり読み直してコメントすることを勧めていたんだ。
わたしたちはみんな、ひとりひとりが社会にとって重要なリソース。はてなしぐさの実践から身体と精神、そして生命の大切さを知っていたはてなの人たちは、断りなく相手を傷つけることを何より嫌っていたんだ。健康への配慮に欠けた食事や喫煙などの悪習慣も「リソース泥棒」といって、きつく戒めていたんだ。
〈大災禍〉の際に起こった特定祭りは、様々な能力に秀でたはてなの人たちを狙った、逆恨みにも似たおぞましいものでした。ネットワーク上に記録されたはてなしぐさに目を付けられ、はてな民たちは徹底的に虐殺されたといいます。アーカイブも執拗に破壊され、その難を逃れられたのは卓越したエスパーを発揮したごく一部のはてな民だけでした。
はてなしぐさは〈果無草〉とも書き、途絶えることなく続く思想と生命の理想を表した言葉でもあります。はてなの人たちが残したはてなしぐさは、今と比べて不完全だった社会システムの中でも公平性と他者への思いやりを手放さず、支え合いの中で共生していくために生み出された、慈愛に満ちた行動哲学だといえます。
私たちはアーカイブの復元とともに、数少ないはてなの人たちからの聞き取りを続け、今も色あせることのないはてなしぐさを黄泉がえらせることで、平和で笑顔の絶えない社会の実現を目指します。
逆に深く傷つけられて、新しい病気を発症し、大きなトラウマも抱えることになった僕。
それを治すために別のカウンセラーや精神科医に通うことになりそうなんだ。またお金がかかるね。
それに、今度も傷つけれたりしないだろうかって思う。
僕だけかと思い調べてみたら、カウンセラーから痛手を食らうのは、”よくある話”。
カウンセラーには”あたり”と”はずれ”がある。カウンセラーの人も「色んな同僚を見てきたけれど、意外とこの業界は偽者も多い。”善人”ばかりじゃないのが事実」
と言っているぐらいだ。
”かける”のは、心の傷や信頼感。そしてその人に払ったお金(治療代)。。。
でもきっと、どこかで”大当たり”をひければいいなと思う。
無料に近いカウンセリングを受けて、もう一度カウンセラーを信じてもいいかなと、
少し救われた僕がいたように。
この記事は東大の理科類を志望して関東圏で浪人することを考えている方へ向けた記事です。筆者の経歴の都合上、河合塾のハイパー東大理類コースに関することが主となりますが、予備校やコースの選択について少しでも役に立てば幸いです。
現役時76点差で東京大学理科二類に不合格。河合塾本郷校のハイパー東大理類コースを経て1浪で東京大学理科二類に入学。現役時、東大即応オープンでは第1回、第2回ともに理科二類D判定、東大入試実戦模試では第1回、第2回ともに同E判定をとる。浪人時は、東大入試即応オープンでは第1回理科一類C判定、第2回同A判定、東大入試実戦模試では第1回同B判定、第2回同A判定。全統記述模試の偏差値は第1回、第2回、第3回の順に国理65.0→69.9→71.2、理系67.6→72.1→73.7。
浪人の方法として自宅浪人、仮面受験も考えられますがここでは塾・予備校について筆者の経験を交えつつ書きます。
欲しいもの
・質問に答えてくれる人
・添削
(・現代文の授業)
筆者の場合上記のような感じでした。この時点で自宅浪人の選択肢は消えました。奨学金制度を考えない場合、私立大学で4年間過ごすよりも1年間浪人してから東大で4年過ごす方が安く済みます。また「切磋琢磨することができる友達」の数の点で実績のある大手予備校に絞られました。つまり、低迷している(ように感じられる)代々木ゼミナールとまだ既卒生の事業に参入して間もない東進ハイスクールを選択肢から除外し、駿台予備学校と河合塾から決めることにしました。この2つは学校法人でもあります。以下は駿台予備学校と河合塾の比較になります。※2014年度版
・費用
授業料(年間)
・特徴
50分授業(1日最大8時限)
1日の時間割には「10分休憩」が4回、「20分休憩」が2回、「50分休憩」が1回ある
・費用
入塾金 10,0000円
授業料(年間)
東大理類 680,000円
・特徴
90分授業(1日最大5時限)
休憩時間は各20分で昼の休憩が50分
週に1度ロングホームルームがあるが、ホームルームは存在しない
チューターと講師の間に連携がある(指導する上で重要だと思います)
通常授業は主に基礎シリーズ(4~7月)、完成シリーズ(9~11月)、実戦シリーズ(11月、12月をまたぐ2週間)からなる
駿台予備学校にはティーチングアドバイザー、河合塾にはフェローと呼ばれる「質問に答えてくれる人」(添削指導も頼めば行ってくれる)が講師とは別にいる
自習室には解放教室(授業をする教室を自習用に開放している部屋)と個別ブースがある(ただし駿台はいずれも座席指定制であるのに対し、河合塾では個別ブースは指定制、解放教室は基本的に座席自由である)
塾生寮が存在する
駿台予備学校にはフロンティアホール、河合塾にはスカイラウンジといったような食事の可能なスペースがあり昼食の時間には賑わう(教室でも休み時間は飲食できます)
東大クラスだが、京大、東工大のような国立や医学部を志望する生徒も所属している
おおまかには以上のようになります。次に東大専門校舎における各コースの特徴を見てみます。以下にざっとまとめましたが、筆者は浪人時駿台に在籍していないので「スーパー東大理系」や「駿台東大クラス」等のワードで検索すると駿台のクラスに関するより有益な情報が得られるかと思います。
この2つのコースの授業は合同で行われます。スーパー東大理系コースのコマ数はおよそ31コマで、集中コースの生徒には加えて土曜日にパワーアップセミナーと呼ばれる演習の授業(4コマに相当)があります。4月に実施されるプレースメントテストの出来により上から順にSA,SB,SCとクラスが振り分けられるそうです。1クラスの人数は150~200人だそうです。SAは4割程度、SBは数人が受かり、SCは滅多に受からないと聞きます。
コース名の通り演習を重点的に行うコースです。授業は通常約32コマで土曜日にテストを行うことが数回あるそうです。4月に実施されるプレースメントテストの出来により上から順にSX,SY,SZとクラスが振り分けられるそうです。1クラスの人数は30~40人らしいです。SXはほぼ全員、SYは8~9割、SZは4割程度が受かるそうです。
数学、理科の授業が必修で英語、国語、センター試験対策(社会科目のみ)は自由選択です。数学、理科以外の授業は6つまでの選択では料金が変わらず7つ以上選択すると上で述べた料金に1つ当たり18,000円(記憶が曖昧ですがこれぐらいの値段だったと思います)が加算されます。授業をすべて選択しても東大理類コースよりも安いので非常にお得です。筆者は現代文、センター試験対策以外の計7つの授業を選択しました。すべての授業を選択した場合週18コマです。クラスは1つのみで、1クラス60人程度でした。説明会では7割が受かると聞いていましたがその通りだったように思います。東大即応オープンにおけるクラスの平均点は第1回、第2回ともに理科一類のA判定ラインを超えていました。理三には少なくとも3人受かっていました。
数学がSEG監修のテキストでプレミアム専用です。講師もSEGで教えている先生です。筆者の在籍していた年は物理の講師が苑田先生でした。授業時間の延長が大変多いが高校範囲にとどまらない面白い授業だったと聞いております。週18コマで授業はすべて必修です。クラスは1つのみで、1クラス60人程度でした。説明会では7割が受かると聞きました。東大即応オープンにおけるクラスの平均点は第1回、第2回ともに理科一類のA判定ラインを超えていました。
・東大理類コース
週18コマで授業はすべて必修です。クラスは1つのみで、1クラス70人程度だったような気がします。説明会では3割が受かると聞きました。
「東大理類コース」の授業に加えて土曜日にプラスゼミと呼ばれる演習の授業があります。クラスは1つのみで、1クラス60人程度だったような気がします。説明会では3割が受かると聞きました。
以上の情報と「周囲のレベルが高い方が成績は伸びる」という過去の経験、駿台に通っていて合格は確実と思われていたのに東大に落ちた3人の知り合いの存在(飽く迄個人的なものです)などから筆者は河合塾本郷校のハイパー東大理類コースに決めました。細かく言えば、テストゼミと添削が多いことや授業が自由選択であること、東大の理科、数学の試験時間が150分であるため90分授業の方が都合がよいことやMEPLOの合格実績、自習室が充実していること、本郷校の校舎が綺麗であったこと、何より料金が比較的安いことが理由です。なおハイパー、プレミアムも東大即応オープンでC判定以上をとったことがあるか全統模試の成績がそれなりに良ければ認定が下りますし、認定テストの基準もおそらく緩いので認定が欲しければ臆せず認定テストを受けると良いです。
河合塾理系コースについてより詳しく説明します。生物、現代文、センター試験対策の授業については書けませんがご了承下さい。
専用のテキストを使用します。基礎シリーズでは3週間に2回程90分4題のテストゼミを行います。テキスト、テストの問題のレベルは市販の問題集で言うと「やさしい理系数学」程度だったように思います。完成シリーズでは3つある授業のうち2つがテストゼミのみになります。一方は150分6題の東大型東大レベルのテストを行い、次の週に解説という形式です。つまり2週間に1回東大模試を受けるような感じです。もう一方は毎週分野別の90分4題のテストです。こちらも東大本試験レベルだったように思います。残る1つの授業は演習の授業で、テキストの問題は骨のあるものばかりなのでじっくり考えて授業に臨むと良いと思います。基礎シリーズに積分計算に重点を置いた自習用テキストとハイパー専用の基本事項集が貰えます。基本事項集から学ぶことも多かったので蔑ろにしない方が良いと思います。夏前に分野別で問題が掲載された自習用問題集が貰えますが授業と比べると簡単です。
プレミアムと共用の専用テキストを用います。基礎シリーズは力学、熱、波動を扱います。各分野の確認として基礎シリーズに3回75分3題のテストゼミがあります。問題のレベルは東大と同程度かそれ以上だったと思います。完成シリーズでは電気、磁気、原子を扱います。こちらも各分野の確認として2回75分3題の同様のテストゼミがあります。テキストが終わると4回ほど東大形式の75分3題のテストゼミを行います。実戦シリーズでも同様にテストゼミを行います。テストには東工大や早稲田の問題や東北大後期試験などを用いているので75分で解ききることはほぼ不可能ですが問題を解く順番や記述の仕方を工夫して得点を最大化することを目標に取り組むと良いと思います。ハイパーとプレミアム専用の自習用テキストが貰えるのですがこれはテーマが明確で解答も極めて簡潔なので個人的に「難問題の系統とその解き方」や「名門の森」よりも学習効果が高いように感じました。
こちらもプレミアムと共用の専用テキストです。基礎シリーズでは理論、有機を扱い、完成シリーズでは無機を扱います、基礎シリーズに2回、完成シリーズに1回東大型のテストゼミがあります。そのほかに完成シリーズでは理論、有機のテストを行います。実戦シリーズでは東大型のテストゼミを行います。テキストには自習用の問題も載っているのですべて解くと良いと思います。
通常の「東大理類コース」と同じテキストです。基礎シリーズは文法・語法、英作文、英文解釈、長文読解、いわゆるネイティヴによるリスニングと自由英作文の授業があります。完成シリーズは文法・語法、英作文、英文読解、東大形式の英語、東大形式のリスニング・英作文の授業があります。
古文と漢文
通常の「東大理類コース」と同じテキストです。どちらも非常にわかりやすい授業でした。東大の問題に限定されていませんが、論述に軸を置いた授業で、基礎シリーズ、完成シリーズではそれぞれ4回ずつ添削してもらえます。サブテキストが役立ちました。
上で述べた通りSEG監修のテキストを用います。こちらもハイパーと同様にテストゼミがあるようです。内容についてはよく知りませんがテストは難しく平均点が80点満点で20~30点だと聞いたような気がします。
他の科目はハイパーと変わりませんが物理は苑田先生、化学はSEGでも教えている先生だったそうです。
ハイパーと比べるといくぶんか基本的な内容だったように思います。そのぶんハイパーよりも演習量は多そうです。テストゼミは実戦シリーズのみだったかと思います。
基礎シリーズで全分野を網羅し完成シリーズで応用問題を解くそうです。テストは通常カリキュラムにはなかったような気がします。
他の科目はハイパーと変わりません。
どのクラスも追加料金がかかりますが自然科学系小論文の授業を取ることができます。
夏期講習、冬期講習は生活習慣の維持や自分で進んではやらない科目の演習量確保が主な目的となると思います。通常授業だけでも十分なので特に目的がない、必要を感じないのであれば取る必要はないと思います。通常授業の復習の方が大事だと思います。筆者は夏に英語、冬に英語とセンター地理の要点整理の授業を取りました。多少不満な点でしたがこの講習だけでセンター地理で8割取れたのでやはりセンター対策の通常授業は取らなくても良い気がしました。
直前講習は東大形式のテストゼミが多いのでセンターぼけからの復帰(初めからセンターぼけしなければ何の問題もありませんが)などの目的で受けることを勧めます。早慶対策と東大対策のテストをすべて受けましたが早慶対策は問題形式が早慶と一致しているか怪しかったので効果があったかは疑問です。不安ならば受けると良いと思います。
様々な塾・予備校、コース、クラスに入り浪人した同期の友人を見ていると合否は授業やテキスト以上に環境の影響を受けて決まっているように思われます。ぜひ塾・予備校選びの段階から慎重に考え悔いのない選択をして欲しいと思います。初めに筆者は現役時76点差で落ちたと書きましたがハイパーの友人で現役時に50点差、60点差で落ちている友人は複数人いたので環境が良ければ珍しいことでもないと思います。個人的には「ハイパー東大理類コース」は最高の環境だと考えていますが、環境もまたその内部の人々によって影響を受けるので年によっても異なるでしょう。現役で合格できれば何の問題もありませんが、もし不合格となってしまったならば次で決めればよいだけです。浪人するからには点を伸ばし合格最低点を超えるために必要なことを考え、実行し、第1志望校に合格しましょう。あなたが最後まで油断せず悔いのない浪人生活を送ることを願います。
てこれ何かとても違和感を感じる。
本気で
実現する気あるの?とやや怒り気味のブログだったが、
外から見てもやる気ねえだろ。とふと思った。
今からなるのか既になっているのかていうところだと
Facebookか。
本気でそんなこと実現したいやつがいるとは思えない。
それはそこのトップだとしてもだ。
何かどうしても、後ろめたいことをしているように思えてしょうがないんだよな。
いや、違って欲しいとは思っている。
何か、就活生は、自己暗示というか、何か、自分騙して受かってそうな会社だな。
でも、それも社会なんだな。
それも現実なんだな。と感じる。
大きな声でこんな事書けないしな。
でも本当にそういうの得意で才能あるなら役者でも目指せばいいのに。
と思ってしまう。
だけど、嘘ついて、嘘ついて、いったい何になるんだろうな?
金になりそうだな。
嘘でも、金になればいいよね。
本当。
企業が掲げる理念とかビジョンとかミッションとか、俺本当は必要なのか?
とたまに疑問におもうところがある。
全員一致とかありえなくないか?
そういうのなかったりするんだよ。
どうしてなんだろうな?
ビジョンは一人一人にあって良いとおもうんだよ。
ミッションも一人一人にあっていいと思うんだよ。
でも、会社に合わせないと受からないんじゃねえか。て思うんだよ。
真の自己実現をしたかったら、自分には正直じゃないと無理なように思うんだよ。
て思うんだよ。
これ俺の勘違いで在って欲しいよ。
経営者は孤独、てよく言うが、その道を選んだのは自分自身だろ?
ておもう事がある。何か後悔しているのかね?ておもうじゃん?
結局長続きしないのかもしれない。
やりたいことがわからない。ていう人たーくさんいる。
本当にわからないのか?と疑問に思う。
本当にしたいことがないのか?
嘘ばっかりで、軸の定まらないこと言われると
迷うんだよ。
惑わされるんだよ。
それが迷惑だよ。
心理カウンセラー・コーチ・セラピストの類の職の人が増えているように思う。
成長分野になって欲しくないようにも思うんだが。
それだけ需要があるんだろう。
依存しないように気をつけて
相談してみるといいかもしれない。
方向性がある程度ある人が多いんだろうな。
何か根性腐っているような人には成りたくないもんだ。
FXをやっている。今年は割と好調で、トータルでは数万円のプラスだ。
といっても、今年の利益が吹っ飛ぶ程度でマイナスにはならない。たかが知れている金額だが、問題は金額の大小ではない。
負けたという事実、いや、思い通りにいかなかったのが癪なのだろう。
こういうとき、ひどく自虐的になる。PCやディスプレイ、マウス、机、いす、など周りにあるものを壊したい衝動に駆られる。
知人からアドバイスをもらった。「壊してもいいようなPCを横に置いておいて、それを壊したらいいのでは?」
要するに壊す用の物を置けということだ。
しかし、それでは意味がない。おそらく俺の気は全く晴れないどころか、無駄な労力を費やしたことにより、余計に腹が立ってくるだろう。
多少攻撃的な言動をするようにはなっても、他人を傷つけたりしたいとは思わない。
トレードでは損をしたくなって、破産して死んでやろうという気になる。
デタラメなトレードを繰り返して、損失を積み重ね、すっきりしつつも後々悔やんでしまう。
さっきは、衝動的に自分の目を潰しそうになった。運よくか、潜在意識がヤバいと判断したのか、手は外れておでこに当たった。
先日、こういうことがよくあるということをカウンセラーに相談した。
たまにカウンセリングで吐き出してすっきりして、病院で薬変えてもらえとのことだった。
エビリファイとかいろいろ飲んでるんだけど、それでも足りないらしい。
この自虐的衝動によるデタラメなトレードの損失がなければ、今年は数万どころか15万20万は儲けていただろう。口座残高の1.5倍くらいだ。
今後、FXで生計をたてていこうと思うなら、避けては通れない道だ。
やりたいことなんてない、起業したりフリーランスで働くような才能もあると思えない、夢を語るほどの熱意もない。
普通に生活を営める程度のお金と、体と心を壊さない程度の職務と人間関係と、趣味をそこそこ楽しめる時間のある仕事に就きたいな。
そんなことを思いながら、なるべくマッタリできそうな、そして難しくなさそうな仕事を探しました。
他の学生よりは時間はかかりましたが、自分の思い描く条件(給与・休日・人員構成などなど)にピッタリの職場に就職できました。
…の、はずでした。
職務内容は確かに誰でもできそうなものでしたが、内容が簡単な分、大量の業務を素早くまわさねばなりませんでした。
学生時代の得意分野とは全く異なる内容でしたので、対策を考えても考えても歯が立ちませんでした。
特に何かキャリアアップの望める仕事ではない分、周りの人はあまり仕事にガツガツせず、テレビ・グルメ・旅行・結婚恋愛・人の噂の話ばかりしていて、
向上心がないように見えました。
私の趣味(読書と観劇)は「何をお高くとまってるのww」という反応をされました。
勉強が出来るということと、仕事が出来るということは別だ、という大人たちの言葉は正しかったのだと身に沁みてわかりました。
仕事としてお金を貰うということは、作業を高いクオリティーで完遂しなければいけないということです。
高学歴であるということはある程度の能力を持つことの証明になるかもしれませんが、オールマイティーであることは保証しません。
自分のことを掘り下げて、「できそうなこと・できないこと」を割り出し
「自己実現」や「夢を語る」のは、厚顔無恥なのではなく、自分と企業の相性を見極めているのです。それは自衛に似ています。
今はカウンセラーさんや主治医と話し合いながら、自分の考え方を見直し、出来ることを探しているところです。
「安定した条件」「マッタリ職場」は「ここでやっていけなければどこに行っても無理」と自分の自信を奪う要素になりました。
私の就職は失敗だったと思います。病気になり、たくさんの人に迷惑をかけました。
しかし、歯の立たない仕事にジタバタともがき力尽きていく途中で初めて、自分が好きなこと、人生の中心に置きたいことが見えてきました。
そのためになら、企業研究も、自己分析も、勉強も、心の底から「したい」と思えます。そして少しずつ実行に移しています。
今出来ないことを出来るようになりたい、苦手・弱点を克服したい、
ウィークポイント・コンプレックスを消すことではるかに生きやすくなります。
しかし、克服したものに囚われていたら、そこで自分は頭打ちになります。
分かりやすい例として、ここでは、「いじめ経験者がカウンセラーを志すことの欺瞞」、として記事を書きます。
克服。
[名](スル)努力して困難にうちかつこと。「病を―する」(デジタル大辞泉より)
couldn’t→canということですよね。
「克服出来てない人の手助けをしたくなること、克服出来てない人をばかにすること、搾取すること。」
僕としては、これは克服とはみなせません。
例えば、昔いじめられていた人が、同じようないじめられている子を助けたいがために、カウンセラーを志す、
そういった理由でカウンセラーになりたいという人を多く、見聞きしてきました。しかし、人間的に全く魅力が無い、冴えない。
結局そこの世界しか見えていないからです。克服して何がしたかったか、その先が無い。
自分の成功談を語り、他人にアドバイスし、克服出来てない者から賞賛され、自分が認められる。価値を感じられる。
満足感は得られる。しかし、それをしていたら、それ以上にはなりえない。メサイアコンプレックス。
それはなぜか、克服が目的になっているからです。その先が無い。
違う、、、克服というのは、「何かに打ち勝ち、それを”当然”とすること、その先を生きること。」
それを克服したことを糧として、自己効力感を高めつつも、それを無かったものとして生きること。
人が怖くない、、、そんな状態、怖くない人からしたら当然。
対人恐怖を克服したら、もちろんその先がある。その先に壁があり、成長がある。
それなのに、克服した事実にしがみつき、克服してない人を見て、その手助けをする。
結局、その「対人恐怖」「いじめ経験」という柵からは逃れられていないわけです。
当然、自分のことも考えるし、それは時にフラッシュバックする。
そうではなくて、「対人恐怖克服」「人が怖くない」そんなのは当たり前の、当然のレベル、意識にも登らないようなレベルへと昇華させて、
ここでは対人恐怖を例に上げましたが、これは何にでも言えることです。
成長したい、何か出来るようになりたい、克服したい、、、、
であるならば、それを「当然のものにする」この意識でやるべきです。
出来るようになって、喜んで、それは大事ですが、
それにしがみついて生きていては、結局同じことです。
22歳の大学4年生、4月から新入社員として社会に出る増田だが、未だかつてないほど死にたい気持ちでいっぱいだ。
就職先は希望の業界で希望の職種。忙しいけどやりがいのありそうな場所だ。内定式でみた社員たちはワイワイと楽しそうにしていて、活気のある会社みたいだった。
でも死にたい。未だかつてないほど。
なんで死にたいかというと、有り体にいうともう頑張りたくないからだ。
自分でいうのもなんだが、自分は大学卒業までだいぶ頑張った。ちゃんといい子でいたし、勉強も運動も趣味も充実させ、好きなことでそれなりの賞をとったりした。
でも最近思う。
もういいんじゃないか。
俺、22年よくやってきたよ。
もうこれ以上頑張る必要なんかないのかもな、と。
死にたいと思うこと自体は今回が初めてではなく、中学生の時から常にあった。
いじめられていた時はカーテンを留める布で首を吊ろうとしたし(勇気が足りなくて死ねなかった)、高校時代は何度か電車に飛び込もうとした。(これも勇気が足りなくて(略))。カウンセラーに「死にたいと思ったことは?」と聞かれた時「割と常にですが、みんなそんなもんじゃないんですか」と返して苦笑いされたこともあった。
親に理不尽なこと連続で言われ続けた時、ブチ切れてしまって、何を言われても「ああああ!!」と泣き叫ぶしかできず、軽いパニックみたいになった。
いわゆる癇癪ってやつだな。
この癇癪がきっかけで1週間に3回くらい泣くようになってしまった。元は全然泣かない人間だったのに。
親への癇癪はそれから何回かあった。でもそのうち、こちらが泣き叫ぶことが増えたせいで親は当たり障りの無い対応をしてくるようになったからだいぶましになった。ただ今も、すごく些細なきっかけで泣いたりする。
あと、道中で突然喚き立てたくなったし、歩くのが遅い女に「おせーよブス!」って当たりたくなるようになった。
これもいままでなかったからそういうこと考えるようになった自分にかなりビビってる。
あとは、音に敏感になったり、自律神経失調症っぽくなったりしてるな。
病院に行くべきなのかもしれないんだろうけれど、実はそれも難しい。
ちょっとこみいってるのだが、家族の一人が元鬱病患者で、親はそうさせてしまったことにかなり負い目を感じている。これ以上精神病者が増えたらまとめて発狂コースだろう。
めちゃくちゃな文章になってしまった、こんなものを載せてスペースと時間を奪ってしまってなんだか申し訳ない。やはり当たり前のことが少しずつできなくなってきているのかもしれないな。
これ釣りですね。釣りであってほしいです。もし本当の話しだとしたら、非常に残念な結果ですね。
課題が沢山山積すると、言い合いや、争いになってしまうこともありますね。
第3者を入れて3人で話し合うのです。
夫婦2者間だけの会話の場合、課題が大きすぎると、主観的になり感情的になり、
これはお互いが当事者だからです。当事者同士なので客観的に課題を判断しにくいのです。
ですが、ここに第3者がいると、客観的に状況を判断してくれます。
言い換えると、人は自分の夫婦間の大きな課題では主観的感情的になりやすいが、
他のカップルの相談に乗るとしたら客観的に判断できる、からです。
・尊敬できる
人を見つけておいた方がいいです。これ本当です。
近所のおじさんおばさん、上司、元上司、神父さん、お坊さん、カウンセラー、
どなたでもよいと思いますが、夫婦間の課題が大きい場合その人を入れて