はてなキーワード: 麻布高校とは
表自界隈、山田太郎が買春してる程度の話が出ても別に気にしないだろうと思ったけど、意外とそうでもない。落胆したり非難したり突き放したり。今までにない温度感の醒め方を感じる。
山田太郎がパパ活おぢだと分かった途端に、二次元表自界隈の人達には「自分たちとは別の、得体の知れない不気味な生き物」に見え始めたのかもしれない。
言うても、麻布高校→慶応大学→アンダーセンコンサルティング→外資系企業渡り歩き→製造業マネジメントのエキスパート経験→連続起業(1社は上場)→政治家、という冗談みたいなキャリアの人物に「自分たちの気持ちをわかってくれる」「俺たちの代表」と思ってたことが逆に不思議だけども。
まあ、それは「俺たちの麻生」も同じか。
「アジア系女性」にアメリカの「差別の攻撃性」が向かう理由(リーガン 美香) | FRaU<script src="https://b.st-hatena.com/js/comment-widget.js" charset="utf-8" async></script>ポリコレが進んでいることとひどい差別があることは両立する。ポリコレを揶揄する理由にはならない。/ 荒れてる高校の方が校則が厳しくなる、みたいな感じかなあ。2021/04/02 10:58
つまり差別的な暴行が多発するアメリカって日本より人権意識が低い荒れた学校(ロクでなしブルースとかの)みたいな国って事?
麻布高校に6年いた経験を踏まえ良い面と悪い面を書く。これから書くことはおそらく他の上位の中高一貫の男子校に共通しているだろうと思う。
良い面は友人が(途中で落ちぶれる生徒もいるが)優秀で、自分の知り得なかったことが会得出来ることや、無意味な制限がなかったことだ。また全員ではないが教養がある面白い教師も多かった。カリキュラムとしては教養主義的なところがあり、受験に不要な教科を嫌がる者もいたが、為になったと思っている。内申点に気を遣い部活をやめられないというようなこともなくよかった。
悪い面もいろいろある。まず男子校だからと言って今の時代見逃すべきではないことである。教室の汚さ、ホモソーシャルな環境、友達同士で連むと社会の迷惑になる行動に走る割に、仲間内で閉鎖的になりやすいこと、女性蔑視などである。どうやら麻布に入学すると、歪んだ特権意識と抑圧された小学校時代の反動からか、行動範囲が広がった高校生は蛮行に走りやすいらしい。文化祭や運動会の不祥事や、飲食店での横暴な振る舞いなど、自由の範囲から逸脱して単なる愚かな振る舞いをしてしまうのだ。またどの生徒の親も基本的には裕福なので、よく変人が多いとメディアで取り挙げられるが、実際はこれ以上ないほど均質な生徒の集まりである。そのため多様性というものはどこにも存在していないと思う。その点、地元の小学校に通っていた頃は、びっくりするほど漢字が読めなかったり、物を知らない生徒がいるなどある程度の多様性が確保されており、これも必要な経験だったと今になって思う。
まとめ
中高一貫にも長所短所はあり、私は入学したことを後悔していないが、もう一度入学したいとは思わない。開成や筑駒は少し違ったところがあるのかもしれないが、少なくとも麻布に関しては、判断力と知性の欠如が余りにも目に余ったからである。また唯一避けた方が良いと思うのは小学校から私立に通って、上位の中学または高校に進学することだ。それは多様性を経験しないまま社会に出てしまうからだ。
学生運動が一番盛り上がっていたころからそろそろ50年になる。
この記事。
校則も生徒会もない理由 麻布、「自由」への高校紛争 : NIKKEI STYLE https://style.nikkei.com/article/DGXMZO50884940R11C19A0000000/?n_cid=SNSTW001
学生運動は1960年代~70年代初頭に盛り上がったまあ何というか、ざっくりいうと権利の闘争だ。中途半端に時期がリアルすぎて(今の団塊の世代が青春真っただ中にあった出来事=当時大学進学率20%以下のエリートたちにとって身近な活動だった)、うまくまとめられないまま、ビックリするほど若年層に歴史が伝わっていない。
調べてみると現在そこそこの地位だったり会社の上層部だったり芸能人だったりは結構かかわっている。意識高い存在自体が大学生だったとざっくり言っていい。
さて、この闘争は当時、大学生だけのものではなかった。ごく一部のエリート高校(中学含む)でもこの動きはあった。これがその一部を書いた記事だ。麻布高校はずっと東大入学TOP10に入るくらいの有名進学校。セーラームーンのタキシード仮面、地場衛(原作版)の母校のモデルで、私服登校ができる。自由だからこそ踏み外す人がいないというか、そういう学校だ。この事実が、ネットニュースをはじめメディアで取り上げられるのを初めて見た。
当時20歳だった当事者たちが、50年たつと70歳になる。
ビートルズがただの若者が好む外国の歌から教科書に載るくらいの存在になるくらいの時間がたった。
そろそろ誰か、当時のモブ学生がみんなそうであるように、今普通に生活していて「今どきの若いもんは」なんて言ってる壮年が、回顧録だとか自伝だとかであの頃を書き出すころだろう。
あの頃は若かった、金はなくとも自由があった、なんていって。
そろそろ総括の時間だろう。いい加減、自由がどうして存在しているのか、向き合うために必要な言葉を”大人”から記してほしい。