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はてなキーワード: 雑居ビルとは

2017-01-06

賃貸トラブルに悩む風俗店の話

http://anond.hatelabo.jp/20170106103435

これ読んで思いだいた。

はいわゆるチャイナエステが好きだ。

中国人可愛いお姉さんがマッサージしてくれるエステ店というのは建前で、

実際はちんちんと金玉のマッサージをしてくれたり、店やお姉ちゃんによるがセックスしてくれる場合もある、違法風俗店だ。よく「警察24時」とかでガサ入れされているアレだ。

そういう店は大体雑居ビルか、マンションの一室を店舗にしている。

ネットで評判のよかった、隣町のマンションの一室でやっているチャイナエステに一度訪れたら、

お姉ちゃん美人だし、セックスこそさせてくれないものの、ちんちんマッサージもしっかりしてくれて、優しくイチャイチャさでてくれるし居心地も良かった。

中国人女の子って美人が多い。

一度でこの店の虜になった俺は、次の給料日もさっそくそマンションへと向かった。

店に入り、美人のお姉さんに迎えられ、紙パンツに履き替え、アロマヒーリングミュージックが漂う薄暗い一室でマッサージを受ける。静かで落ち着く、幸せ時間だ。

気持ちよくてウトウトしていると、いきなり「アウーー」という男の唸り声が響き出した。

それと同時にドッタンバッタンという階段を上る騒音も響き出した。

変な客が来たのか!?大丈夫!?と思っていると、

その男は上の階の部屋に入ったらしい。

そこからは延々

バターン

おおおおお!あうううううう!

ギー!ギー!ギー!ガリガリガリガリ!

ガンガンガン!ドンドン!丼!

ドンガラガッシャーン!

パリーン!

あううううううううううううううううううううう!

あああああああああああああああああああ!

バターンバリバリ!ギー!ギー!

あうううううううううううううう!

という、唸り声と騒音が鳴り止むことはない。

あ、これは上の階に重度の知的障害者が住んでるんだ!と気づいた瞬間、うっとりと安らいだ気分は消えうせ、これから美人のお姉さんにちんちんマッサージをしてもらうという下心も消え失せた。こんな騒音が響いているようじゃ、スケベどころの話ではない。

背中マッサージだけ受けて、そそくさと帰ってしまった。

せっかくいい店を見つけたと思いきや、隣人による被害が甚大な店であった。

決して店は悪くないのだが、あの店には二度と近寄ることはなかった。

俺ですらすぐ逃げ出したレベルなので、あのマンションに住む人のストレスは相当なものだろう。

中国人違法風俗店は入居してるわ、重度の知的障害者騒音は鳴り響くわ…

この世の地獄を見た。

この増田ストレスも相当なものだろう。

2016-12-14

成宮寛貴引退で思い出したことな

もう10数年前のことになるが、新橋とあるゲイバーで、ママから成宮寛貴とのツーショット写真を見せられたことがある。

新橋ゲイバー?と思う人もいるかもしれないが、あそこは案外ゲイバーが点在している地域だ。

新宿二丁目とは異なるのは、普通飲食店街の中にゲイバーが店を構えていることで、バーやクラブがいくつも入っている雑居ビルに、突然「会員制」の札が下がっている店があると、そこがゲイバーだったりする。

一度だけ、酔っ払ったサラリーマンの二人組みが間違えて入ってきて、その瞬間、女性が一人もいない店内の、通常とは異なる雰囲気に何かを察したのか、慌てるように出て行くのに出くわしたことがあるが、お互いなんとなく気まずい思いをするので気をつけてほしいと思う。

すっかり足が遠のいてしまったので最近事情はよく知らないが、当時の新橋の店はおおむね、あまり派手さはなく、どちらかというとスーツを着たリーマンゲイが静かに飲んでいることが多かった。

ゲイ世界にも、いわゆる二丁目的な騒ぎかたは苦手で、昼間は普通にスーツ着て会社員をしている人も多いのである

客の大半は終電までには帰るような感じで、土日は休みの店も多く、新橋店子(みせこ=ゲイバーで働いている子)は「ゲイバー界の公務員」などと言われていたものだ。

その店は、そんな新橋の中でも若くてイケメンママと店子がいてちょっとこじゃれた雰囲気カラオケもない落ち着いた店で、自分はたびたび通っているうちにママと親しくなった。

そして、自分以外に客のいなかったある日、ママが「ちょっと面白いもの見せてあげる」といって、その写真を見せてくれたのである



成宮寛貴が一時期、新宿二丁目活動していたことは、後に本人がインタビューに答えるかたちで公に認めることになるのだが、当時、一般にはまだ「噂」ということにされていたように思う。

だが、同時期に2丁目で働いていた人にとっては有名な話で、とびきりの美少年しか10代だった彼が、いかにも社会的地位がありそうな男性と闊歩している姿を見た人は多いらしい。

新宿2丁目で遊んでいたかたせ梨乃に見出され、やがて17歳で宮本亜門に見出されて舞台デビュー」というのは公に流布されている彼のサクセスストーリーだが、宮本亜門との関係にあれやこれやと噂を口にする人も多くいた、

さすがにママはなぜその写真を撮ったのか、二人はどういう関係だったのかは詳細に教えてはくれなかったが、成宮寛貴は「お金のためにやむなく2丁目にいたノンケ」ではなく、ゲイか、少なくともバイセクシャルであることは太鼓判を押していた。

そして、当時の二丁目で、ひときわ輝いていたらしい。

ごくごく普通スナップ写真でも、明らかに「キラキラした美少年であることは充分に伝わってきたのを覚えている。

ママ自身、いわゆる「売り専」の出身のそこそこのイケメンで若くして店を任されているので、いろいろなことを噂されている身ではあったのだが。


一時期、自分個人的に「成宮寛貴カミングアウトしたらいいのに」と思っていた。

つの間にか、日本テレビにはLGBTのタレント普通に出演するようになり、いろんな偏見もだいぶ薄れてきたとは思うが、やはりテレビに出てくるのはバラエティー的に使い勝手のよい「オネエ」や「女装」の人たちがメインで、彼のように「フツーに女性がかっこいいと思うようなイケメン、だけどゲイ」という立ち居地の人はほとんどいない。

実際、ゲイの人といっても皆がテレビ的に分かりやすい派手なキャラクターを持っていたりするわけではない。

ファッションセンスも含めて、見かけはごくごく普通の人たちもたくさんいる。

成宮寛貴みたいな人がカミングアウトしたうえで芸能界一定位置を占めていたら、また世の中のLGBTに対するスタンスも変わるんじゃないかなあ?と、期待していたのである

(余談ながら最近さらっとカズレーザーという芸人さんが、まったくオネエをウリにしているわけでもなくさらっとバイセクシャルカミングアウトしていて、なんだか隔世の感があった)

まあ、そんなのは他人の手前勝手な思いなのであって、当人は「触れられたくない部分」を隠し通すためと称して、引退してしまったのだけれど。

いや、実際のところ何がどうして引退することになったのか、報道以上のことは何もわからないが、もし仮に、一部で言われているような「本当は薬物報道問題が直接の原因なのだけれど、そこには触れずにセクシャリティ問題を持ち出した」のであれば、正直、あまり気分のいいものではない。



例の写真週刊誌の一報が出た当初は、成宮寛貴擁護するような意見マスコミにもネットにも予想以上に多かったように思う。

それは、彼がやはり人気者だったこととか、報道の経緯が「友人が週刊誌に金で情報で売った」からとか、FRIDAYがやたらと世間から嫌われているとか、そろそろみんな週刊誌報道合戦合戦というか、戦っているのは文春だけという説もあるが)に嫌気が差してきたとか、いろいろな要因があろうが、彼が「近年の芸能界では珍しいほどの苦労人である」というのも、その大きな理由の一つだったのではないかと思う。


母子家庭に育ち、14歳で母も失い、弟のために高校進学をあきらめ、さまざまな仕事経験しながらオーディションで主役をつかんだのをきっかけに成功し、弟を大学にも進学させた、というのがワイドショーなどで喧伝されている彼の「美談である


しかし、別に彼の苦労を否定するつもりは毛頭ないけれど、これって考えてみれば「美談」で片付けていい話なのだろうか?

両親をなくした兄弟は兄が高校進学をあきらめて働かなければ、弟を大学に行かせることができない、というのは、大層な福祉貧困の話ではないのか。

ワイドショーは無論、そんな切り込み方はしないが。

まして彼は新宿2丁目のバーで働いていた、らしい。

体を売っていた、という噂も絶えない。

男性男性に体を売っても日本売春防止法では罪にならないが、たとえ「体を売る」という行為がなくても18歳に満たない子が酒食を伴う接待を業にしていたのである

法律に詳しくないが、これって明らかに児童福祉法違反ではないのだろうが?

これは別に性別セクシャリティとも関係のない話であって、いくら家族学費を稼ぐためと入っても仮に16~7の女の子キャバクラで働いていたらやはり問題だろう。

まして売春行為に走っていたとしたら、「美談」で片付けてよいわけがない。

明治大正の話ではないのだ。

平成日本出来事なのである


薬物は論外だけど、それを別にしても、彼の人生にはなんだかあまりにも複雑なものが絡み付いていて、いわゆる「芸能界」のど真ん中で活躍するには、その闇はちょっと深すぎたのかもしれない。

そう考えると、彼が逃げるように引退していったのも必然のような気がしてくる。

薬物事犯刑事被告人になる日がくるのかどうかは、よくわからないけれど。

2016-12-02

[] 逃げ切らなかった!守安氏の決断と、MERYパクリ問題正念

先日書いた増田の続き。

逃げ切り? DeNAパクリサービスを生んだ土壌は、あの韓国企業の再挑戦

今でも過去ホットエントリーに残っているようだが、これを書いたのは、本当に心から「止めてくれ、守安さん、英断してくれ」と思ったからだ。その翌日の展開を見て少々驚いている。

なぜ釣りタイトルにしたのかというご意見をチラホラもらったが、結果としては、はてブが900弱、Twitterでもかなり拡散され、もしかしたら守安さんか、南場さんか、そのお近くの人に届いたのではと思っている。フォロワー100万人超の津田大介氏に拾って頂けたのも大きかった。

津田大介氏のTwitterより

https://twitter.com/tsuda/status/803994765347917824

iemoとMERYの買収が転機だなということ。あれでルビコン川越えた感はある。

今回のタイトルは「逃げ切らなかった」であり、「逃げ切れなかった」ではない。

逃げようと思えばできたのに"逃げずに向き合った"という意味で、かなりポジティブ評価している。

この一件は、マスメディアでは誤った医療情報を垂れ流した事が問題視しされているが、パクリ問題の方も深刻だ。だから逃げ切らず向き合って欲しくて「問題は2つあり、コンテンツ汚染も深刻」とパクリ問題に焦点を絞って書いた。さらに、守安氏自身ネットを使う側として「本当にこんなことをやりたいのか?」と心情に訴えてみた。

TechCrunchによるインタビューでも、守安氏の発言として「問題点は2つあり、個人的にもコンテンツ汚染は辛い」と書かれていて、指摘した通りの流れになっている。守安氏に読んで頂けたのだろうか?

DeNA守安氏「認識が甘かった」——WELQに端を発したキュレーションメディアの大騒動

今回のサービス停止の判断は、個人的にはパーフェクトであるように思う。

決断が遅かったという人もいるが、問題が起きた時の決断は何をしても「遅かった」となる。なぜなら「決断が早い=そもそも問題が起きない」わけで、何か起きた後はどのタイミングで何をしても「遅い」と言われてしまう。

この点は守安氏もわかっている。インタビュー内でもWELQ対応が遅れた事を反省し、今回は即対応したと答えている。

MERYを残した背景

では、MERYを残した理由はどうか?なぜMERYを残したのだと不満に思う人も少なくないだろう。

今回の一件で、何よりの不幸中の幸いだったのは、MERYを運営しているペロリ社はDeNA本体と多少なりとも別経営にしていたことだろう。M&A後の効果最大化を図るためにMERYを吸収することも検討しただろうが、今に至るまでオフィスも別れている。

外部からみると別経営と言われてもピンと来ないが、DeNA渋谷駅前の立派なビル「ヒカリエ」に入っていて、MERYのペロリ社は渋谷原宿中間ぐらいにある雑居ビルに入っている。当然ながら、社風も方針もこの2社は多少なりとも違う。これが結果的に今回のダメージを最小限に食い止めることになった気がする。キュレーション事業内でMERYの存在は頭一つ抜けていて、これを残せるかどうかは実に大きな違いだ。

iemoの村田マリ氏は、サービスユーザへの思い入れより、いかにして儲けるかの方が比重が大きかったように見える。だから、iemoにMERYも抱き合わせて買収価値を上げた。一方で、MERYの中川氏は当初は会社を売るつもりはなく、現在サービスへの思い入れも強い。中川氏としては今回のWELQ炎上は、正直いって「ほどほどにしてくれよ」と思っていたのではないだろうか?

守安氏にとっても、中川氏は子分みたいな存在だろう。だから今回、MERYだけは別組織という「言い訳」ができたことは不幸中の幸いで、実際、「元WebTechAsiaのあの方」まで切り込んでいるTechCrunchであっても、インタビュー内でMERYについては追求できていない。

MERYを残したことに納得できない人もいるだろう。しかし今回の一件で、どのような対応をしても払拭できない事がある。それは「コンテンツをパクられた人の怒りや不満」である謝罪だけではもちろん、仮に金銭的な謝罪をするとしてもいくらなら適正なのかわからない。つまりは、パクられた人の心情を完全に戻す事は実に難しい。

そうであるなら、別組織として動いていると言い訳ができる「MERYと中川氏は残す」という経営的な判断は、しょうがないのかもしれない。

MERYはどうなる?

現在、MERYは記事削除をしているようである

参考:DeNA、人気サイト「MERY」の記事も大量削除「無断転用した可能性」

いやいやいや、ちょっと待て。これはまずいのではないか

DeNAやMERYの側として考えると、記事削除前にやった方が良いと思う対応がある。

中川氏およびMERYはこのタイミングで「パクられた人が容易に訴え出られる連絡先やフォーム」を全面に出したらどうだろうか?言い訳せず、訴え出るためハードルを設けることもせず、オープンに開いてしまうのだ。「パクられたと思っている方、申し訳ありません。こちらからご連絡ください。」と。

そんなことをしたらさら炎上批判殺到することを一瞬想像するかもしれないが、実際には拍子抜けするほど少ない気がする。この手の炎上は、実は正面から受け止める姿勢を見せた方が短期間に沈静化し、社内も前向きに進む事は多い。

一方でこのままでは、いつまで経っても「なぜMERYは残すの?」という火種が残り続ける。DeNAもMERYも優秀な人材採用することは課題であり、膨大な金額を投入しているはずだ。パクリ問題対応窓口設置など、企業ダメージ(=人材損失)に比べたら、全く微々たるものだろう。記事を消しても消してもこの問題は残り続けてしまう。

中川氏としても、今後MERYを女性向けメディアとして更に一皮も二皮も向けていくために、パクリ問題というモヤモヤを残すのか、ここで向き合ってスッキリさせるのか、どちらが良いと考えるだろうか?

大逆風で評価も底を打っているこのタイミングこそが、膿を出し切る絶好で二度と無いチャンスだと思う。もう削除を開始したということは遅かったかもしれないが、この対応方法ではむしろ炎症が残ってしまう。

参考:はてブコメント

http://b.hatena.ne.jp/entry/withnews.jp/article/f0161202004qq000000000000000W03610701qq000014379A

MERYは記事を削除するのではなく、パクリと向き合ったほうが沈静化と印象反転につながるように思う。さらに、結果として虎の子の"記事"も残せる。中途半端な削除は、守安氏がWELQ問題で「認識が甘かった」と反省した同じことをやっているように思えてならない。

2016-10-20

いま自分が暮らす現実ではない場所にいる自分を感じる。というよりは、見えることがある。

映画のシーンのように頭に浮かぶ。

映像や音、寒さ・暑さやにおいを伴うこともある。

ストーリーと呼べるようなものはない。

せいぜい、たとえば夕暮れの線路沿いを歩いている、薄暗くてひんやりとした雑居ビル階段をのぼっていく……などその程度で他人は出てこず、それゆえセリフもない。

現実にはその場所へ行ったことはない。

そのシーンが現れると、私は基本的に好ましい感情を抱く。

あこがれを感じ、切なさ、なつかしさもある。

私は一連のこれらを「ここではないどこか」と呼ぶ。

それは突然、現れる。唐突なのだ

そして頭に映像が浮かんでいる何十秒かの間じっとして味わう。

消えたときにはさびしいが、またすぐに来るよと思っていた。

「ここではないどこか」に実際に行ってみたい、あん場所暮らしたいというのが、私が何度か繰り返した引越し動機になった。

でも、ある時から映像が現れなくなった。もう5年くらいたつだろうか。

これまでに見た映画映像漫画小説をまぜこぜにして脳がつくった幻影なのだろうが、インプットは続けているにも関わらず、現れない。

以前は季節の変わり目に現れることが多かったので、最近期待しているのだけれど。

老化かな。

2016-10-03

高層ビルで働いてみた感想

六なんちゃらっていうビルと、なんちゃらタワーっていう東京ビルで働いた

後者正社員じゃないけど

 

良い点

 

景色がいい  街がミニチュアみたいで面白い

景色がいい  空が綺麗、夕焼けがきれい、雷が見える

ドヤれる   俺あそこで働いてるんだぜー。友達居ないか意味ないけど。しかも大したことしてない

駅が近い   大抵高層ビルは駅直通だったりするよね? そうでもない?

入り口がきれい  仕事してるぞ感が出る

中が会社っぽい  やっぱ会社会社っぽい方がいい

 

悪い点

 

エレベーター渋滞  イラつく、コンビニが遠い、地上が遠い

エレベーターの乗り継ぎ  意味分からんエスカレーターエレベーターエレベーターみたいな

意外と広くない   人がいっぱい入るからしょうがない、あとエレベーターが意外と幅取ってる

家賃が高い    六なんちゃらの家賃やべーよ、家賃給料還元してよ

休まる場所がない  会社にはやっぱ屋上ほしいよね

地震キモい   ゆっくり揺れるのやめて、吐く

各階が手抜きRPGみたいなテンプレレイアウトでつまらない

 

 

その他

 

高層ビルには頭が良くて悪の幹部みたいな人たちが働いているんだと思ってたけど

普通の人しか居なくてなんかガッカリした

 

きれいな景色写真に撮りたいけどコンプラ的に危なそうでできないのが残念

 

ちょっぴり高所恐怖症だけど意外と大丈夫ガラス張りのエレベーター除く)

 

ビルカードキーで入れる場所増えるのちょっと楽しいドラクエ思い出す。宝箱はないけど

 

ちなみに

 

雑居ビルみたいな会社でも何社か働いたことある

でも屋上あったからそっちのほうが好きだな

仕事疲れた屋上黄昏るのいいよね

 

雑居ビルって書くと語弊あるかも、小さいビルの上から2フロア借り上げとかそういうやつ

 

________

追記

高層ビルで働く前 : 日本新興国に負けずにもっと高いビル建てろよ!!

高層ビルで働いた後 : すいません今のままでいいです。人は土から離れて生きられないのよ

 

____

 

追記2

みんながトイレを気にしてることはよく分かったw

確かにトイレは足りないけど、それは高層ビルじゃなくても同じじゃないか

高層ビル場合は、男女比が逆のフロアに逃げ込めばどうにかなるからまだ救いがある

六ちゃんちゃらの時は、トイレが埋まってて商業施設まで降りていったことが何度かある・・・サンダル

2016-09-06

便器の尿こぼれ

商業施設トイレに入ると、必ずと言っていいほど小便器の足元には尿がこぼれている

土日の夕方頃なんかだと足の踏み場もないほどだ

あれは主に子供がこぼしているのだと思っていた

子供はあまり便器に近付かない

それかたまに老人がちょっとこぼしたりしているのだろうと思っていた

しかし、とあるオフィスしか入っていない雑居ビルに入った時、そこのトイレも繁忙期の商業施設の小便器と同じくらいこぼれていた

来客はあるだろうが子供が立ち寄るような場所ではない

便器は2つあった

どちらもまんべんなくこぼれていた

まり、派手にこぼす社会人が少なくとも2人はいるということになる

ということは商業施設でこぼしていたのも大人なのか

子供もこぼすが、大人もこぼしているのだろうか

一体なぜ大の大人あんなにもこぼしてしまうのだろうか

2016-08-31

雑居ビル屋上にて

不遇の時代揶揄されて、やりきれない夜もある

熱狂と謙遜の間で感じる孤独

ただ駆け抜けたくて

居心地の悪いここじゃないどこかに行きたくて

名刺を渡しても受け取ってもらえない時もあった。

昔も今も何者でもない毎日

夜のオフィスの静寂、湧き上がる悔しさ

ボロボロになりながらも歩みを止めたくない。

安いプライドに支えられ

ここじゃないどこかに行きたくて

横取りされたこともあった。見向きもされないこともあった。

自分場所が欲しくてただただ今日とは違う明日を生きたくて

その先に何があるのか、自分はいつまで走り続けられるのか

関係ない。俺が一番だのし上がろう

2016-08-15

http://anond.hatelabo.jp/20160815152729

障害者にわざと営業やらせ会社があるね。

移転前の会社によく「道にある案内地図に会社名前を載せて下さい。」という身体障害者営業がよく来た。

道端にたまに見かけるブリキでできた住居表示板の地図会社名前を入れてくれるのだという。

不審に思い、雑居ビルに入居していたので弊社の一存だけでは決められません、ビル管理会社に聞いて欲しいと丁重お断りした。

しかし、私以外の人がその後対応したら「町内会絡みで載せることになっている。」と強制されたようで掲載20,000円を立て替えてしまっていた。

もちろん法人なのでその地域町内会などには入っていない。

慌てて領収証にある会社電話したら増田電話相手のように要領を得ない言語不明瞭な相手が出て紋切り型の返答しかもらえず結局諦めたことがあった。

あれは加担している障害者本人もわかっているのかどうか定かではないが、障害者悪用する詐欺のような組織存在する。

2016-05-31

続・裏カジノで働いていた頃の思い出 第2話 論より現金

 今となっては昔のことだが、アングラカジノバーの思い出話をしたい。第1話のガサ入れを超える話は無いので、肩の力を抜いて適当に読んで欲しい。

 赤坂離宮 - といっても中華料理店の方 - の斜向かい韓国系スナックが並ぶ雑居ビルディーラーをしていた事がある。ここのディーラー金髪にあごひげなどのコワモテメンバーが多かったが、とても温かく迎えて入れてもらった。前職ではほとんど研修のみだったので、実質この店がディーラーデビューである

 この店はルーレット1台、バカラ2台、ブラックジャック(以下BJ)1台の小さめのハコだったけど、イカサマはしてなかった(と思う)。俺はペーペーだったのでバカラの大きな盤面を撒くことはなく、BJが多かった。店長が寝泊まりしてるマンションが近くにあり、店が暇なときディーラー掃除させられたりもしていた。でもまあディーラーも飲みに行って電車がなくなったらそこに泊まったり、みんなでスーファミして遊んだりしてた場所なので良しとしよう。

 俺はカジノ合法化には基本的には反対だ。いろんな客を見てきて「カジノなんてなければよかったのに」と思うことの方が多い。この赤坂の店は半年くらいしかいなかったので客の思い出はほとんど無いんだが、1人だけ印象深い人がいる。

 不慣れな手つきの俺に付き合って遊んでくれたおじさんは、50代くらいの紳士だった。物腰が柔らかくて感じのいい人。カジノに通うような常連は大体バカラ好きが多いので、ある日聞いてみた。

バカラはやられないんですか?」

「いや前はやってたんだけどね、バカラビル2つなくしちゃって。前は3つ持ってたんだけどもう1こしかないの。だからBJのんびり遊ぶだけでいいんだ。」

この時は衝撃を受けた。今ではもう麻痺してるけど、この時はただの学生アルバイトだったからね。カジノはハマるもんじゃない。みんないい思いしたところでやめらず、痛い思いしたところでやめる。結局ほとんどの人は損するんだよ。

 池袋にもいた。ルーレット大好きな40代後半くらいのオヤジさんなんだけど、もともと地主商店街の店や土地をいろいろもってたんだけど、カジノで負けすぎて店をいくつか手放したんだ。しばらく店に来ないと思ったら親に資産管理されるようになって金が使えないって言ってた。その人はいつも20代後半くらいの控えめで小声の可愛い愛人と来てた。ある日いつもどおりそのオヤジさんは負けてたんだけど、愛人に向かって「おい、お前ちょっと家帰って一本持って来い」って言ったんだ。しばらくして愛人がバッグ持ってやってきたらそこには1千万(!)。驚いたのはオヤジさんの方で「馬鹿!一本っつったら100万に決まってんだろ、俺にこんなに負けろっていうのか!」って怒鳴っててディーラーみんなで大爆笑愛人は「だって一本て言われてもどっちかわかんないし」って聞こえるか聞こえないかくらいの声で弁明してた。というか家に1千万以上の現生があって愛人が持ち出せるっていう状況がまずなんなんだ。

 おっとディーラープライベート話も書こうと思ってたが結構長くなってしまった。というわけで、今日はここまで

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各話一覧

https://kakuyomu.jp/works/1177354054881140549#table-of-contents

3話まで下書き済みです。これがあったら増田投稿いらない?

2016-04-23

病院帰り、平日のお昼。

雑居ビルに入ってる居酒屋ランチしようと思ったら、もう14時近いにもかかわらず満席で5分くらい待った。

店内を見渡してみるとほとんどが高齢者。おじいさんおばあさんたちが和気あいあいと、昼間から酒盛りをしている。

彼ら・彼女らは外見はいたって普通で、アル中の人たちというわけでは無さそうだ。

昼間からグループ酒盛りするくらい社交性の高いお年寄りの人たちはとても元気そうだ。間違いなく人生エンジョイしてる。

自分みたいな孤独コミュ障は、年を取ったらあんな元気でいられる自信ないと思った。

2016-04-14

千葉市自殺相談窓口が酷い

こころと命の相談https://www.city.chiba.jp/hokenfukushi/chiikifukushi/jishisoudan.html#面接相談したいとき

電話予約制、相談場所千葉そごう近くの雑居ビル

予約時間より少し早く着いたのだが、相談する部屋には鍵がかかっていて入れなかった。

予約時間10分前になってようやく若い兄ちゃん2人がヘラヘラ談笑しながらやって来た。

私を見ても何も言わないどころか、無視するようにくっちゃべってる。

2人は部屋の鍵を開けると、「そこのソファに座って待っててください」と私に言い、隣の事務机についた。

私が深刻な表情でソファに腰を埋めている間もお喋り。

面談時間ギリギリになって相談員(5,60代と思しきオバちゃん)が到着。兄ちゃん2人はやっと黙る。

相談はオバちゃんの質問に私が回答する形で進んだ。

大学では何を学んだか、どんな会社就職したのか、転職先はどんな会社だったか、今の精神状態は?

もう聞く態度が舐めきっている。

そうですか、そうですかと退屈そうに適当な相槌を打って、紙にメモするフリ。

目の前の机に広げた、チラシの裏紙のような白紙に書くのだけれど、話の要点をメモるわけじゃない。

私が言ったことを意味なくランダムに抜き取って書く。

私がゆっくり、間を開けて話しても、わずかに手を動かすだけ。

最後に次の面談を予約して終了。

頭に来た私はすぐに帰った。オバちゃんと兄ちゃんの行動は把握していない。私のほかに面談を受ける人は見なかった。

2回目の面談も同じオバちゃんと兄ちゃん。

状況は1回目と同じ。私を無視して私語にふける兄ちゃんにかったるそうなオバちゃん。

オバちゃんは1回目の面談で私が言ったことを忘れていて、何度も同じことを聞く。

頭に来たから「こないだのメモは?」と尋ねると、「持ってきていない」と言う。

人を馬鹿にするのもいい加減にしてほしい。しか相手希死念慮を抱く者だ。自殺相談が引き金で死ぬ恐れもある。冗談じゃない。

このエントリーで、一人でも多くの自殺志願者が相談に行かなくなることを願う。

2016-01-24

残念系居酒屋対策

会社飲み会合コンや…居酒屋を探すときに気をつけていることがある。

残念系居酒屋」を選ばないことだ。

たいてい判を押したような残念さがあることから、こう呼ばせていただいている。

特徴としては下記の通り。

残念系居酒屋ありがちなこと】

複数店舗が入った雑居ビル

・「全席個室」と謳っているが、個室でない

・店名がキラキラしている(天空・月・庭・響・桜・色…etc

・食事を持ってくるペースが尋常でなく速い 又は 遅い

コースシーザーサラダポテトから始まる

・月末や忘年会の繁忙期には明らかに店員が足りない

ぐるなびなどの飲食検索サイトではそれなりに引っかかりやすいのでタチが悪い。

自分では選ばないようにしているが、後輩などが選んでしまときがあると遣る瀬なくて。

歓送迎会合コンなど、出会いや別れの場がお店選びでドジャアアーーンと台無しになるリスクは避けたい。

…ので、自分なりの対抗策を書き出して整理してみることにした。

基本方針】客視点情報確認すること

ぐるなびで出てくるお店は、店側から情報だけ。

都合の悪いことは当然書かれません。

ということで、お客さん視点コメントがある食べログは目を通しておく。

ただ、食べログ口コミも正しいものとは限らない…。

サクラ的な書き込みお茶を濁した点数になっていることも多い。

レビューもなるべく低い点数のものから目を通しておく。

対応が悪いとか、席が狭いとか、それが2件3件とあるようだったらそれが常態

一部のクレーマーかもしれないけど、何かしらそう言われるような店にわざわざ近寄ることはない。

あとは、店名に「元:◯◯◯」とあるような店も要注意。

店の看板をかけかえて、低評価の書き換えをしている可能性が高い。

察するになんだけど、雑居ビルに同じような業態の店を複数構えて、

とりあえず一見の客で回転させていくだけのスタイルなんだと思っている。

リピーターなんか必要としちゃいない、その場しのぎの集金装置

ただ、同じような金額でしっかりやっているお店もあるわけだし、そんなお店が幅を利かせるようにはなってほしくない。

ぶっちゃけ和民魚民北海道などのチェーン店のほうが接客料理とも質が高いと思う。

否定だけで終わるのも芸がないので、オススメも。

渋谷だと、ちょっとから離れてしまうけどJR南口にあるGEMSの各店舗は店内もキレイだしお料理も良い感じだった。

http://www.gems-shibuya.com/

恵比寿だと東口から出たところのDK恵比寿ビル店舗安心できる。

楽蔵とか入っているところ。

ひとつ安心して使える店舗があると、その系列か、同じ建物に入っているお店など幅を広げられるのでいいかもしれない。

特に自分が高尚な舌を持っているわけではないので、ホント個人的感想ですが。

残念系居酒屋が少しでも減ることを願って。

2016-01-23

http://anond.hatelabo.jp/20160122185639

松戸なんて駅から歩いて5分で何もなくなるぞ

駅周りは雑居ビルばっかでごみごみしてるし飯もラーメン飲み屋ばっか

うるさい大学生が屯してるから落ち着きが無い

夜は駅周りにオッパブキャバ客引きが多数現れるし、言わずもがな治安が悪い

坂が多くて移動が不便で、大型の商業施設国道沿いにあるので車が必要レベル都市なくせに駅周りの主要地域道路が整備されてないので、国道に繋がる道はいつも渋滞している

常磐線が常時混んでるうえに環境が悪いのでうんざりしかし車で移動するにも大抵橋を通らねばならず、結局常時渋滞に捕まる

ベッドタウンにしてはマンションが少なく、ボロいアパートや悪い意味での旧家が線路国道、旧道、河に寸断された狭い地域にひしめくため息苦しい

そこを縄張り中国人が集まってくる

駅周りの小さい地域以外はジジババしか居ない

線路に沿って街が細長いので、大部分の地域騒音振動に悩まされる

2015-11-05

今、NHK広島メイドカフェ火災の話をやってるが

繁華街雑居ビル火災で客が何人も死んで「問題点はなにか?」みたいなことを10年に一回くらいはやってるような気がする。

ぜんぜん反省が生かされないな。

2015-08-23

雑居ビルってこわいよね

特に入口ドアが透明じゃない、ちょっとマンションに近いタイプ雑居ビルが怖い

ちゃんとした会社なんだろうけど、店の中が見えないから何をしているのかさっぱり分からない

2015-08-18

蠢蠢

しゅんしゅん【×蠢×蠢】

[ト・タル][文][形動タリ]

1 虫などがうごめくさま。

「―として御玉杓子 (おたまじゃくし) の如く動いて居たものは」〈漱石趣味遺伝

2 おろかで無知なさま。また、そうした人が秩序なく動きまわるさま。

「―たる凡俗の徒輩」〈谷崎・神童

【閲覧は自己責任で】

サラリーマンは小遣いが貴重だ。

子供夏休みに入ると同時に弁当をこさえることをやめてしまう嫁から、その代わりにと500円ばかりの昼食代を援助してもらっている。

学生時代から昼食代を切り詰めては遊興費に回すことは得意だった。

最近では家にある冷凍ご飯を持ち出し、コンビニレトルト惣菜インスタント味噌汁や粉末スープで300円前後に抑えるのがマイブームだ。

会社レンジとポットを使えば、温かいスープ主菜さらサラダまで楽しむことができる。

個別の皿に盛られて出てくるだけで3倍はかかると思うと、最近コンビニランチ産業までをも脅かしているに違いないとよく知りもしない畑の心配をしていた。

以前からコーヒーインスタントで楽しんでいた。缶やペットボトルなんぞは外で飲む以外に買う理由はない。

これらすべてを100円ショップで買ったどんぶりマグカップで楽しんでいる。

ずぼらな私ではあるが、ここで使い捨てを選んでは元も子もない。

ランニングで考えれば洗剤のほうがはるか安価なのは考えるまでもないことだ。

コーヒーの水面を揺蕩う湯気は、自分経済観念を讃えているかのようだった。

そんな私だが、コーヒー砂糖をすくい取るスプーンを入れるカップだけは使い捨てを使っていた。

濡れたスプーンはカビの原因になる。

そのためにすくい取る専用の乾いたスプーンを用意しておいたのだ。

そのスプーンを瓶に刺しておくのも棚に直接おいておくのも憚られたため、汚れたら捨てれば良いとプラスチックのカップを用意したのだ。

もともとがずぼらな私だけに、我ながらいいアイデアであると感心していた。

コーヒースープなどが置かれた棚に並ぶように、一枚のタオルを半分に折りたたんで敷いた上にそれら食器一式は置かれている。

洗ったのちの乾燥もそこで行っていた。

とある雑居ビルの6階に私のオフィスはある。

四六時中パソコンモニターとにらめっこしては、そこに現れる問題点を潰していく仕事だ。

さな害虫を一匹ずつ潰していく作業のようなものだ。

正義感も罪悪感もなく、ただただ単調に害虫発見しては潰していくのだ。

そんなちまちました作業には、自律神経を緊張から開放させてくれる温かいコーヒーが不可欠だった。

さて、午前のノルマを終え優れた経済観念を楽しもうといつものように逆さに向けられたどんぶりを手にした時だった。

何の気なしに、安物と言えども丈夫な作りをしてくれているなぁとどんぶりを覗きこんで見たのだ。

そこで私は、クリーム色の陶器に反射する蛍光灯の光を遮る何かを見つけてしまった。

目を凝らして見ないとわからないほど小さな、それも一つではなく、数個の、どんぶりの色によく似た白い個体が、陶器に足を滑らすでもなく、自由自在に動きまわっていた。

蟲だ。

急いで流しに駆け寄ると勢い良く水で洗い流し、半ばパニック状態になりながらも洗剤も使って念入りに洗い直した。

動くたび鳥肌衣服に触れ、まるで小さな蟲が体中を蠢くようなかゆみに耐えながらふと疑問が頭をよぎった。

「いつからか?」

普段ならどんぶりの中など気にもせず、レトルト食材を袋からどんぶりに移してレンジにかけていた。

ラップに包まれていた温め終えたご飯をどんぶりに加え、さらサラダまで盛りつけて食べていたのだ。

これほどまでに小さな虫なら気づくことは不可能だろう。

加熱処理をしているか問題ないという言葉が一瞬浮かんでは見たが、それがなんの慰めにもならないことに気づいてかえって苛立ちは増して行った。

ビルの6階に何故?どこからたまたまであったと信じたい。

そんなことを考えながら食器の置かれていた場所に戻ると、コーヒースプーンの入ったプラスチックカップが目に飛び込んできた。

そこには、カップの底にわずかながらの、しかし暫くの間放置されたであろうコーヒー豆砂糖カスを見ることができた。

やつらはどこからかこの匂いを嗅ぎつけ、時間をかけてここに仲間を呼び寄せたのだ。

コーヒーはかれこれ半年ほどこうして飲んでいる。食器を買い込んで惣菜弁当を食べ始めたのはここ1ヶ月くらいの話だ。

よもや期せずして昆虫からタンパク源摂取の臨床実験成功させていたとはなんという皮肉

それならばと他の食器もすべて洗い直そうと、敷かれたタオルに手を伸ばした時だった。

その下から蠢蠢と姿を見せたおびただしいまで奴らの前に、自分とはなんと蠢蠢たる瑣末な存在であると思い知らされるのだった。

2015-07-14

四国大学生がオフ会東京に一週間行って気が付いた事

東京都民は大体出身関東東京地方からの寄せ集めでは無い。

・上辺から底辺まで揃っており格差が激しい。

性格が悪い、特に女の性格が悪い。

2ch底辺のような発言を実際にする底辺が本当に居る。

金持ち尋常では無く金持ち

母親フィリピン人ハーフが多い。

・顔が悪い、ともちん系のアゴが無い顔の不細工が多い。

・やたらと的外れ地方知識自慢をする人間が多い。

地方より男尊女卑が激しい気がするが女の性格が悪いので仕方ない気もする。

コンビニの店員に愛想が無い。

バイトがいかにも正社員になれない種類の人間ですといった発言をする。

・男女共に低学歴が多い。

可愛い女、性格の良い女が大体西日本の女。

デブが多い。

・重度の池沼は見ないが明らかに軽度の池沼だろという発言おかし人間がよく居る。

・親が高年齢の人間が多い。

・食事が不味い。

・家がスラム街

雑居ビルが多い。

廃墟の数が非常に多い。

マグロが美味しい。

・薬屋の数が多く便利。

・街灯の数が多く夜でも出歩ける。

・とにかく物価が高い。

・親と疎遠の人間が多い。

結婚式祝儀等の一般常識を知らない人間が多い。

警察がまともな発言をする。

・背が高い人間が多い。

2015-07-01

この街にはもうんざり

駅の周りは道が狭く、雑居ビルがところ狭しと並んでいる

そんな狭いところに駅直通のデッキを作ってしまって、デッキ上では周りの小汚いビルが目に入ってしま

デッキ下は陰鬱バスターミナル

景観無視した最悪の箱庭だ

飲食店は軒並みラーメン居酒屋カフェバーとか言うただ高いだけのランチボックスに淘汰された

どうあがいてもつめ込まれブロイラーのくせに、イメージだけは立派なところも気にいらない

それらの穴は現れては消え、現れては消え、その度に街にポッカリと穴を開けていく

まるで俺が記憶障害を起こしているかのように、あった店が消え、穴だったところに詰め込まれていく

CUBEという映画を思い出すのだ

夜になれば裏通りから風俗の呼び込みが現れ、天下の往来で立ち止まり品定めをする

駅から5分も歩けば、死んだような個人経営の店と、人が住んでいるのかどうかも定かではないような生気のない家が立ち並ぶ

典型的な旧道だ

人の姿のない細い道を車が列をなして進んでいくのは、ディストピアベルトコンベアのようだ

薄暗く、埃っぽく、生気がない

古いだけの旧家が多いせいで区画整備も出来ず、人が十分に生活できるスペースを作れないために生活環境と線路が密接してしまっている

騒音死角治安悪化をまねく

この陰鬱映画から抜け出すには、目の前の事を少しずつ片付けるしか無い

部屋の引き払いまであと3週間

俺は素数を数えながらゴミを纏めていた

2015-05-26

初めてガールズバーに行った時の事

もう7年位前になる、当時はガールズバーって単語はなかったが女の子とお喋り出来るバーだったのでガールズバーと言った方が今語るにはしっくりくると思う。

そこには社会人になりたての僕と職場の先輩の二人で行った、駅の近くの雑居ビルの2階だったか3階だったかにそのバーはあった。

僕はその頃まで女の子と親しく話した事はあまりなく、またそのバーでも上手く話せなかった。

そこではカラオケを歌う事が出来た、他の人は演歌等の渋い歌を歌っていた、僕はその中でBUMP OF CHICHIKENを歌った、

特別好きとまではいかないけど、僕の少ないレパートリーの中では比較的マシに歌えるバンドの歌だった、

ただあまり上手に歌えなかった、普段カラオケにいかないってのもあるが、人前で歌うってのに慣れていなかった。

歌い終わった後、ガールがBUMP OF CHIKENについて話題を振ってきた、彼女の話はチームの歴史歌手の歌い方等、これがほんとのBUMPファンだと思わせる博識っぷりだった、

当然僕にそんな知識があるわけでもなく、会話はすぐに終わった。

エレベーターで帰る時にガールが見送ってくれた、そのガールは会話したガールとは別の人だったが、僕はその時河川敷をダッシュしたいような衝動に駆られていた。

上手く歌えなかったこと、BUMPにわか好きを自覚した事、そして会話が弾まなかったこと、

僕はそれをエレベーターのドアが閉まった時に大声で歌う事で発散した、

エレベーターの中で1階に着くまでの一人の空間、その中で発散し、ドアが開いたらまた僕は普通の僕に戻るのだ。

ドアが開いた、そこには見送ってくれたはずのガールが目を丸くして立っていた、

エレベーターは動いてなかった、1階を押し忘れていたのだ、

僕は歌うのをやめ、無言で1階を押した。

エレベーターが閉まった、僕はただ無言だった、ドアの向こうではガールの爆笑する声がただ上へ上へと登っていった。

2015-03-08

[] 『ソーシャルリンク』 その7

  結局、不自然な言動をしたのは独身寮に住んでいた田中一人だった。翌日から俺は彼の寮の前に張り込みを始めた。朝、日の出前に起きてチャリで一時間かけて彼の最寄り駅まで。チャリをそこに停めると家の前まで歩く。そこで彼が起き出して出社するのを待つ。彼が家を出ると、その後をつけて一緒に職場まで。あとは退社を近くの喫茶店で一日待つ。彼が退社すると一緒に帰宅して、それからは彼が眠るまで夜中まで張り込み。終電もない時間になるからチャリ事務所まで帰ってくる。この生活を一週間続けた。睡眠時間は平均4時間ほどになった。正直堪える。

  何の成果も上がらず迎えた週末。俺はやはり朝から張り込みを続けていた。午前中は特に動きも無かったが、昼過ぎにどこかに出かけた。慌てて後をつける。最寄り駅から電車に乗り五駅先で降りた。駅から歩くこと十分。彼はうらぶれた雑居ビルに入っていった。

  エレベーター前の案内を見ると二階に『光の華』という宗教法人事務所を構えているらしい。田中は四時間ほどそこで過ごし、自分の家に帰った。それからは外出することなく就寝した。

  * * *

  田中の就寝を見届けてから事務所に帰ってきた俺は、早速ネットで『光の華』という宗教団体について調べてみた。最近規模を急激に拡大している新興宗教だという。その信者は多岐に渡り一般人のみならず芸能界司法警察機構政界にも少なから信者がいるそうだ。

  教祖中野興右衛門という人物で、45歳。バブル崩壊後、経済的に荒廃した日本を離れ、インドで十年間ブッダもかくやといった荒行を積み超自然的な能力を身につけたらしい。どんな人物なのか写真でもないものかと検索してみたが、一つも見つからなかった。なんでも、神秘性を保つために写真の類は一切撮っていないらしい。この情報化時代写真の一枚もないなんて、神秘性を通り越して不気味だ。まあ、逆にSNS今日の昼に何を食べたとか、誰と会ったとか、日常を垂れ流している宗教教祖なんていたら、それはそれで嫌だけれど。

  今度はこの宗教関係があると言われている人物を検索してみる。真偽は不明だが、ネット上のゴシップが大量に出てくる。あまり芸能界に詳しくない俺でも知った名前がちらほら見える。高橋圭一名前も見つかった。これで田中との繋がりが何なのか分かった。きっとこの宗教を通して関係があったのだろう。

  関連サイトを見るともなしにブラウジングしていると、一人のアイドルが目に留まる。西織あいか。19歳。明るい髪と、意思の強そうなぱっちりした猫のような瞳が印象的だ。売り出し中の駆け出しアイドルらしく、テレビで見たことはないが、かわいらしい。正直タイプだ。所属堀川プロダクション

  高橋圭一所属堀川プロダクションだった。同じ事務所で同じ宗教団体に属している芸能人二人。怪しい。

「確かめてみるか」

  * * *

  堀川プロダクションは中堅どころの芸能事務所だ。俺は事務所の入ったビルの向かいにある古本屋から、人の出入りを監視していた。まるで芸能人の追っかけになった気分だ。たまたま窓際の棚に陳列されていた、興味もない競馬マンガ立ち読みしながら待つこと三時間サングラスで顔を隠しているが、西織あいかと思しき人物が事務所から外に出てきた。

  急いで古本屋を出る。彼女は通りの角を曲がるところだった。見失わないよう小走りで後を追う。しばらく後をつけ、人通りが途絶えたのを確認して声をかけた。

「西織あいかだな」

  彼女は振り返って俺を一瞥すると、

「ファンの方? こういうの困るんですけど」

  と、不機嫌も露に言った。これで本当にアイドルが務まるのだろうかと、他人ごとながら心配になってくる。

別にファンじゃないが、ちょっと話が聞きたくてな」

  俺の話を聞いているのか聞いていないのか、はぁ~、と大きなため息をついたかと思うと、バックから携帯を取り出した。

もしもしマネージャーさん? ちょっと今すぐ来て欲しいんですけど……」

  彼女は有無をいわさず事務所に連絡を取り始めた。問題になるのは困る。焦った俺はとっさに、彼女の手から携帯を叩き落とした。

「ちょ……もがっ!」

  背中から手を回して羽交い締めにし、騒がれないよう口元を押さえる。

「騒ぐな! ちょっと話を聞くだけだから……」

  俺は囁くように言った。携帯からマネージャーと思しき男が、どうした!とか叫ぶ声が聞こえている。大事になるとまずい。

  彼女はしばらくもがもが暴れていたが、観念したのかやがて大人しくなった。

「よし。そのまま大人しくしてろよ」

  口元から手をどけても、騒ぎ出す様子はない。安心して羽交い締めにしていた力を抜いたら、彼女の体はずるりと腕の中から滑り落ちていった。

「え……」

  見れば彼女はぴくりともせずに地面の上に横たわっている。まさかまさか

「し、死んでる……」

  * * *

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2015-02-22

初めて風俗に行った話

初めて風俗に行った。

風俗と言ってもピンサロと呼ばれるもので、本番はなしで、手や口で致してもらえる場所だ。


そのピンサロ学校テーマにしたようなもので、古い雑居ビルの中を通って行った。

狭い階段をあがる途中で、他の風俗店舗のボーイが勧誘してきたが、適当にあしらい目的店舗へ行った。

店舗へつくとトランス日本語ラップ音楽爆音で流れていた。

受付ではホストのような身なりをした金髪長髪のボーイが対応してくれた。

自分は初めて風俗に行ったので、かなり緊張していたがボーイの持ち前のしょうもなさで少しずつ緊張がほぐれていった。

40分コースを注文したところ70分程度必要があるとのことなので、整理券を受け取り店を出て、喫茶店時間を潰した。


就活面接前のドキドキ感に少し似ていた。

自分はせっかく風俗に行くのだから、何かそこでしか聞けないことを聞こうと思い、色々考えを巡らせていた。

女性はどこが感じるのか」「今まで相手にしてきた男にどういう人がいたのか」などだ。

嬢の個人情報を聞くことは、失礼らしいとのことをネット上で見たのでそういうことは聞かないことにしようと思った。

また、実際に店に入って気が大きくなって禁止事項をして怖い人が出て来ることがないように自分に言い聞かせていた。


長い70分間が過ぎ、店舗へ向かう。

先ほど通った狭い階段廊下ももう慣れたものだ。

他の店舗の勧誘をあしらい、爆音音楽が聞こえる方へ歩く。足取りは軽い。

受付で整理券を渡すと、ナンバープレートを首から下げて椅子で少し待ってほしいとの事だった。

この時対応してくれたのは、先ほどのホスト風の男ではなく。40代くらいの禿げかけた男だった。

こうはなりたくないと思いながら、静かに着席する。

受付には爪切りが何個か置いてあり、エチケットだということで爪を切らさせた。

禿げかけた男が、ナンバープレートを見て「69の方がよかったですかねww」としょうもないことを言ってくる。

こうはなりたくない。


少し時間が経つと、階段をのぼるように指示される。

階段をのぼると別の30代くらいのこれまた禿げかけた男が対応してくれる。

「この部屋の中に女の子が何人かいます。1人ずつお話をして誰か1人を決めて下さい。服の上からのおさわりはOKです。」とのことだった。

もうこの時点でおさわりOKなのかと驚いた。初対面の女の胸や尻が触れるということだがどうしたらよいかわからないと思った。

30代の男が部屋をノックし、自分たちを入室させる。


部屋にはいると6人位の嬢が学校教室イメージしたであろう部屋の椅子に着席している。

机にはネームプレートがおいてあり、部屋の一番前には大画面でAVが流れていた。

部屋の後ろに荷物と上着を置き、1人の嬢のところに行くように支持される。

嬢に椅子に座るように促され、それに促され椅子に座った。

すると嬢が自分の膝の上に跨り、自分を抱きしめてきた。

自分はただされるがままにされていた。

嬢はなにかしゃべっているが何も頭に入ってこず、自分はただ気持ちの悪い愛想笑いをしていたように思う。

これを一定時間全員の嬢と行い、誰か1人を決めるのだ。

印象に残っている嬢は、140cmくらいで中学生のような風貌の嬢だ。

嬢は何も喋らずただ自分を抱きしめてきた。

2分位だろうか。自分は何も喋らず、何も感じずにただ目の前のAVを眺めていた。

だが、この指名制度はかなり良いと思った。

見た目を実際に選べるのはもちろん話してどういう人間か少しわかるということがあるからだ。

自分はいわゆるコミュ障と呼ばれる人種に分類されるので、できれば話を積極的にふってくれる嬢がよいと思っていた。

この指名中には自分は一度も勃起しなかった。

膝の上に女が乗って抱きしめてきたり、自分の股間を触ってきたりしているのに一度も勃起しなかった。

自分は性欲が強い方ではないが、EDというわけでもない。

しかし、就活面接のドキドキ感を感じている時に勃起しろという方が無理なのかもしれない。

また、他の男が嬢といちゃついているのを見るのは気持ちが悪かった。

いかにも常連の気持ちの悪いおやじが先ほどの中学生風の嬢の小さい胸を必死にもんでいる姿は忘れられない。


自分はこの指名制度で一番股間が反応した、お姉さん基質な身長の高い嬢を選びその部屋を出た。

受付で誰にしたかを伝え、また別の部屋に行くように促される。

その部屋は漫画喫茶のような仕切りで分けられた薄暗い部屋で、JPOPが大音量で流れていた。

仕切りの高さは1mくらいで簡単に隣の仕切り内を見れるようになっていた。

その仕切りの中でしばらく待っていると、先ほどチョイスした嬢が入ってきた。

嬢は「指名してくれてありがとう」と言ってきた。

自分は「ああはい」としか返せなかった。

もうこの時点で緊張は振りきっており自分は混乱していた。

嬢に促されるまま、モンダミンでうがいをし、股間を出すように言われた。

自分のまだ勃起度0%の股間を嬢はボディソープイソジンを混ぜたもので優しく洗った。

自分包茎なのだが、皮の中まできちんと洗われた。

数々の男の股間を見てきたからなのか、包茎についてのコメントはなかった。

包茎なんだーかわいいね」位言って欲しかった。


準備ができると、嬢がパイパンすき?と聞いてきた。

まり唐突すぎてわけがからなかった。

嫌いではないですとわけのわからない返答をすると、私パイパンなんだよねと言ってきた。

どう反応して良いのかわからない。

パイパン初めて?」と聞かれ、うんと答えた。

初めて奪っちゃったねと言われ、複雑な気分になる。

こんなところで初めてのパイパン出会ってしまった後悔と、純粋パイパンだという喜びが入り交じっていた。

嬢がじゃあ脱ぐねと言い、おもむろにパンツ上半身を脱ぐ。

脱がずに残った衣服スカートニーハイだけだ。

嬢がM字開脚をしパイパンを見せてくる。

自分は何もできずに「ほー」と言っていた。

この時の勃起度はまだ0%である

自分彼女パイパンでこんなふしだらな格好をしていたらもう我慢できないだろう。

だが、初対面の化粧の濃い女にこんな事をされても何も感じなかった。

自分は嬢の下腹部には一度も触らなかった。

触りたくなかった。なぜかは分からないが。


嬢はこちらの緊張を汲み取ったのか、抱きしめてキスをしてきた。

自分は驚いた。キスすることは追加料金を取られると思っていたからだ。

キスしながら嬢は口を開けてきた。

これは舌を入れても良いという合図なのだろうか。

自分は恐る恐る舌を入れると嬢も舌を絡ませてきた。

キスはあっさり系だった。

自分もっと激しいキスが好きだったので物足りなかった。

だが求めることもできなかった。

また、嬢のグロスが自分の口にべったりついて気持ちが悪かった。

もう早く終われと思っていた。


キスが終わると「嬢は何かしたいこと無い?」と聞いてきた。

自分伊東ライフ先生作品が大好きなので、膝枕をお願いした。

スカートだけでパンツは履いておらず、上半身は裸の女に膝枕をしてもらえ股間をいじってもらえるのだ。

また、自分勃起していなかったので夢の「頑張れ♡頑張れ♡」が聞けるかも知れないと高ぶってきた。

結果から言うと頑張れ♡頑張れ♡は聞けなかった。これを経ても勃起度は10%にも満たなかった。

日頃女性に甘えることができないので、存分に甘えようと思い、胸に顔をうずめたりしたが全くダメだった。

このままでは射精できずに、はらった1万が無駄になると思い焦ってきた。

嬢は時間が近づいてきたのか、「口でしていい?」と聞いてきた。

うんと答えると自分の物を嬢が口に含んだ。

ここからがすごかった。

最初勃起10%だったがものの見事に100%にされた。

口に含みながら舌を激しく動かし、風俗嬢の意地が伝わってきた。

自分は我慢できずに口に出してしまった。

口に出すと追加料金を取る店もあると聞いていたので、怖かったが追加料金はなかった。

自分が放心状態になっていると、嬢は口に出されたものを吐き出し、そそくさと服を着始めた。

事務処理かと思うような手際の良さだった。見習いたい。


最後メッセージカードと店の名刺を渡され退出した。

メッセージカードには「また甘えに来てね」と書いていたが、二度といかないだろう。

確かに、プロテクニックがすごかったのは認める。

だが、心のつながりがないとあまりにも味気ないと思った。

メッセージカードと店の名刺は帰り道で寄った喫茶店に捨ててきた。

風俗店には通う常連や、働くボーイ、嬢などキャラの濃い人間が集めっていて、客観的面白かったが、


こうはなりたくないという気持ちでいっぱいになった。

2015-02-01

姉がクボヅカリア充結婚するらしい……。リア充ビックバンしろ

つい先日のことだ。パラパラと大粒の雪が降る夜、高そうな中華料理屋の奥にそいつが座っていた。

ダボダボの服に、ふてぶてしい座り方、室内だというのにかぶったままのニット帽子、帽子からこぼれるくしゃくしゃの髪。

まるで窪塚洋介だ。だからこれからそいつのことをクボヅカと呼ぶ。

クボヅカは、僕を見るなりこういった。

「けいちゃん(仮称)かーwwはっじめましてーーwww」

僕は心の底から思った。ビックバンしろ

先に断わっておくが、僕はシスコンではない。

まぁ確かに一般的に見ると美人なほうであったし、同級生からも紹介しろ紹介しろとうるさく声をかけられるような姉であった。

しかしなんといっても性格が最悪。気が強くて乱暴でがさつで、幼いころから喧嘩ばかりしてた。

また思春期になると顕著になったお互いの差、リア充な姉と文学オタクな僕の馬が合うはずもなく、ある時期を境に家庭内ではほとんど会話していなかった。

それに僕は25歳で姉が27歳、そりゃまぁ結婚する歳だし、姉が結婚することに驚いているわけでもないし、ましてや兄弟を取られたなんて感傷批判しているわけじゃない。ただ、ただクボヅカ家族の一員になることが嫌なだけだ。

だって考えて見てくれ。

普通両家の顔合わせの時に、ダボダボの服を着るだろうか?

帽子を外さないとかありえるだろうか?

初対面の義弟をちゃん付けで呼ぶだろうか?

ハッピーwwだとかピースwwだとかそんな頭の悪そうな単語を会話に混ぜるなんてあり得るだろうか?

僕の印象はほんと最悪だった。美容師だかなんだか知らないけど、礼儀知らずな奴だなと思った。

から同じようにうちの親、特に父なんかはきっと印象最悪だろう。

そう思って、両親に目をやったら、少し緊張しながらも始終ニコニコしていた。

ウソだろ。信じられない。相手の無礼をなじり、不機嫌そうな対応でもいいのに。

クボヅカは楽しそうに偉そうに、自分の生い立ちや仕事のことを語った。

中高時代学校になじめなかったこと。

高校卒業俳優目指して東京に行き、劇団大道具スタッフ演者をしていたこと。

俳優になる武者修行で単身アメリカに渡ったこと。

そこで英語を覚えたこと。

から会話についつい英語を入れてしまうこと。アメリカで見たり聞いたりしたこと。

舞台で演じたことで興味をもって美容師仕事を始めたこと。

今は自分の店の開店準備中だということ

店のコンセプトは80年代風のクラシカルな感じを少しモダンにしたい等々。

よくもまぁ自分のことをそこまでペラペラ語れるもんだなと、口数の少ない僕はいつも以上に黙って聞いていた。

自分のことを雄弁に上から目線で話す、僕はこういうやつが大嫌いだ。

自分を大きく見せたい、承認してもらいたい、そんな願望が丸見えだからだ。

そんな僕とは対照的に父も母もクボヅカの大変楽しそうに興味深そうに話を聞いてた。

特に父なんかは、僕と話すときなんかよりも楽しそうに見えた。

そんなもんなのかね、イマドキの顔合わせっていうのは。もっと緊張感があるもんだと思っていた。

父よ、美容師からって気を使う必要はない。帽子を外せって怒ったっていいんだよ。

特に嫌だったのは、僕に対する言葉

「けいちゃんもさー。いろいろあると思うんだけど、まぁ仕事なんてなんとかなるって!俺なんて……(以下自分語り)」

何を偉そうに、いったい僕の何がわかるっていうんだ。

仕事を辞め、公務員試験も落ちて、転職活動中の僕のいったい何を知ってるというんだ。

こうやって中華料理屋では始終イライラしていたわけだけども、この後、クボヅカに対する僕の印象がガラッと変わる出来事が起きた。

それは会食後、オープン準備中だというクボヅカの店に行った時のことだ。

とある雑居ビルの4Fにクボヅカの店はあった。

さなエレベーターしかなく、両家が乗るには二回に分ける必要があった。ぎゅうぎゅうのエレベーターを抜けたところ、

オープンザドアーww」

そう言いながらクボヅカはお店のドアを開けた。

そこで店内の様子を見た僕は思わず息を呑んだ。

とても居心地の良い空間に見えたからだ。

全体的に木目調を基調として、全部が統一されていた。

柔らかい間接照明が適度に置かれていて、冬の寒い夜に見たにもかかわらず、とても暖かい気がした。

金属部分が露出しないように全部木枠などをはめており、エアコンにもしっかりと木製のカバーがはめられていた。

床こそコンクリート打ちっぱなしだったが、冷たい印象を与えないようにか半分だけアイボリー色のペンキが塗られていた。まだ作業途中のようだ。

いたことにこれは全部、自分一人で作ったのだという。

水道の配管やシャワー台の設置は業者に頼んだようだけど、それ以外は全部自分大工のように板を切りくぎを打ち、作ったとクボヅカは誇らしげに語った。

大道具係の時の経験が生かせたんだよねーww」

「もともと企業事務室だったところを作り変えたから、いろいろ手間かかったわww絨毯はがすのに一週間はかかったww」

こんな手間のかかりそうなことを一人で黙々とやったのか。

丁寧に一つづ、鏡やテーブル、エアコンの木枠まで自分で作ったのか。

一週間も床をはがす作業をあきらめずに行ったのか。

クボヅカのあの偉そうな上から目線の態度も実はこういう地道な努力から裏打ちされたものかもしれない。

そう思うと、なんだかクボヅカに親近感を覚えた。

全然違うタイプ人間かと思ったけど、もしかしたら仲良くなれるかもしれない。むしろ尊敬できるかもしれない。

僕は今まで見た目で決めつけていたことを恥ずかしく思った。

クボヅカは、換気換気―wwといって美容室の窓を開けた。冷たい冬の空気が入ってきた。

僕はクボヅカに話しかけようと思った。もっとこちらからしかけて仲良くなろう、そう思った矢先、クボヅカは窓の外を見てこういった。



「アイwwキャンwwフラーイww」



だめだ、折り合えない、クボヅカはクボヅカだった。リア充ビックバンしろ

やはり心の底からそう思った。

2014-10-08

発狂しそう

全てが目障りだ

芸のない他人うつるテレビ

どうでもいい価値観をひけらかすネット

パーソナルスペース侵害されまくって息を殺す奴隷で埋め尽くされた満員電車

商売なのにやたら主張が強いカフェレストラン

空も見えない雑居ビル

人工的な公園

駅前爆音で光る賭博

虚業金融会社が牛耳る市場

アメリカさん、もう5発ぐらい原爆落してください

東京大阪名古屋札幌仙台あたりなんかどうでしょう

2014-08-19

お金が大好きだった2

1: http://anond.hatelabo.jp/20140817034159

 サクセスストーリーは始まらない。小説のようには。これは、生身の人間の記録だ。

 話は少しさかのぼる。ぼくが中学校二年制三学期を迎えたころ。両親が離婚した。雨の日だったと思う。正確には、ぼくが離婚させた。

 ぼくの父は、破綻を迎えるまでの十数年、ほとんどまともな職につかなかった。職にありついている時も金を家にいれないので、働いていてもいなくても同じだった。さらに男は、部落出身だとおのれを偽り、人権団体を傘に生活保護認定させようとしたこともあった。それくらいには、どうしようもない男だった。ぼくの毎日のおかずがその男より少ないのも、ぼくを苛立たせた。

 僕は中学に上がってしばらくすると、学業意味をみいだせずサボりだした。家にいると、その男は、気まぐれにぼくを闇ポーカー屋や、パチンコ屋についてこないかと誘った。ぼくは、男の思惑については考えなかった。ただ、クズが出来る工場には興味があって、何度かついていった。そこでわかったことは、前者は場内で飲み物と食い物が只だった。しかし、必ず負ける。もう一方は、給餌がない。ただ、勉強すれば儲かるようだった。ぼくは研究を重ね、中学三年の頃には、その成果としてまとまった金を手にしていた。お金自体より、お金が増える仕組みを実践できているのが楽しかった。

 一度、父にパチンコ攻略法を共有しようとしたことがある。そのとき彼は、ぼくの説明を聞くなり

餓鬼のくせに夢みてえなこといってんじゃねえよ」

 と言い放った。餓鬼は夢を言うものだし、攻略法は確かに存在していた。血を分けたとはいえ、肉身との合意形成まで神は保証していないことを思い知った。ぼくは二度と同じことを口にしなかった。ぼくの手元にはいくばくかの金がすでにあったが、やはり出口はみつからなかった。


 そんな折、転機が訪れた。父方の祖母が他界した。これが一家破綻引き起こした。なぜか?父はできちゃった婚をしてこのかた、せっせと毎年、百万ずつ消費者金融借金を作っていた。祖母は、このギャンブルによる借金を二年毎に内密に精算していた。その二年の精算周期を目前にして、祖母は死んだ。母があけすけにぼくに話してくれた。自転車は前のめりに急停止し、乗員はほうり出された。中学生にして人生ハードからベリーハードモードになった。その頃のぼくは、定期的に母に金を渡していたので、頼りはぼくだけだったのだろう。仕方なしにタネ銭のほとんどを母にわたし、祖母の四十九日法要が終わったらみんなで出ていこうと提案した。暴力から逃げよう。貧しさも和らげることができるかもしれない。そして一方的に、ぼくは母の手をとり、家を出た。父を一人残した。金の重要性は再確認された。


 十六歳になるのを待って、ぼくはアルバイトを始めた。解体工事ピザの配達、飲食店調理エロビデオ屋。スーパーレジ。気持ちとは裏腹に、どれも長続きしなかった。三ヶ月もすると定形作業に慣れ、新しい事がしたくなる。気を紛らわすために、あい時間で、頼まれていないのに段取り効率化や改善をした。ポスシステムを無断で走破し、廃棄率や回転率を計算してオリジナルノートに映すのを空き時間趣味とした。店長会の議事録を盗み見するのも日課になった。そういった業務に関係のないことを社員にやんわり諭された次の日が、だいたいぼくの自主退職日になった。金銭的にはじり貧だった。

 いくつかのバイト歴を経て、最後に応募した求人が「PCオペレーター募集」という求人広告だった。その時代地方都市でまだ見かけない求人だった。その頃にはぼくは開き直り、一つのアルバイトを六ヶ月で必ず辞める。そして、同じようなバイトはしないことに決めていた。コペルニク的回転により収支を安定させた。とりあえず生きていけるし、お金を増やす方法をよりもっと知りたかった。今回も、その怪しい求人の裏側を見てやるつもりだった。

 面接に行くと、縦長のプレハブ小屋のようなみすぼらしい雑居ビルだった。中に入ると垢のついたソファに男が一人座っている。マネーの虎に出ていた堀之内九一郎のような風貌のスーツ男だった。その虎風の男は、釣り上がった眉で、自らを社長だと名乗った。アルバイト面接にもかかわらず、名刺をぼくに差し出す。話しぶりからも慣れていないのは明らかだった。口だけは達者なので、営業上がりだろうと推量した。

 ぼくはその時代にしてはめずらしくパソコン先生だったので、すぐに採用が決まった。学歴にかかわらず。虎は、二人バイトが辞めるから明日からきてほしい、と言った。ますますしかった。ぼくは、いやらしい笑いを隠し、業務内容を聞きだす。男は壮大な事を奔放に話していたが、要するに、出会い系サイトサクラ仕事だった。ぼくはとても面白そうだと思って、了解した。


 入社して一週間で、ぼくは完璧チャットレディーになった。しかし、完成された演技力とはうらはらに、客が異様に少なかった。ほかに事業もしていない。日商は大幅な赤字に見えた。でも、ぼくはノウハウを掴んで六ヶ月後にはやめるつもりだったから、それはどちらでもよかった。

 三ヶ月経った頃、社長に呼びだされた。

「金が無い。来週払うはずの給料が払えない。どうやってもいいから自分で売上をつくってくれ」

 と、通帳を手でひらひらさせながら虎はいった。漫画のような状況にぼくは少し面食らう。とりあえず事情を説明させた。

「じつはこの会社、きみが入社する一ヶ月前に出来たんだ。出会い系システムも他社から買ったものだった。彼らが送客を保証をするので二ヶ月で間違いなく黒字転換するという話だった。が、客がこない。約束が違うと納入元にかけあっていたが、そうしている間に、わたしの脱サラして得た運転資金も底をついてしまった」

 虎は切なそうに泣く。額面どおりぼくの目の前でぽたぽたと涙する。社会は惨めな大人で満ちていた。

 ぼくは、いくつかの方法を使って業界を調べた。社長の首根を掴んで、納入元にもいった。そこで話を聞くと、業者は、しなびた我らが虎から、すでに二百万の導入費用を支払わせていた。さらシステム利用料として粗利の五割が毎月抜かれる。そのうえ、月々のサーバー維持費、合計十数万の支払いがまだなので、早く払ってほしいという。悪びれもせず。あとで分かったことだが、このころ全国的に、ヤクザフロント企業出会い系システム詐欺同然に売りつけていた。上場しているあの情報通信企業も、元を辿れば同じ穴のムジナだ。

 我が社のサーバーもそこのビルにあった。


 ぼくはだいたい事態がつかめた。それに加え、ぼくはこのビジネスに可能性を感じていた。だが、虎を救ってやる気は微塵もなかった。体面を保たない大人を、ぼくは嫌いだった。その後、給料の支払い日がやって来たが、予告通り給料の支払いはなかった。社長はぼくに、面談と称して言い訳をくどくどとする。ぼくは、うんうんと頷きながら話を無視し考えを巡らす。ふと、試しに揺さぶってみようという気になり、声を出した。

「なるほどー。でも社長も大変っすね。退職金使い果たしてさらにぼくが訴えたら、前科持ちでしょ」

 そのまま、社長の眼球をぼくは下から見据える。張り付いた彼の眉・目・口。時間にして五秒。次の瞬間、彼の全ての部品がハの字に垂れ歪んだ。ぼくのほうも口元が歪むのを完璧には止められなかった。もう一押しする。

「わかりました、……じゃあ給料いらないです。そのかわり、納入元になんとかいって残りの支払い手打ちにしてください。その後、システムの引き取りを彼らに申し出るんです。サーバーをぼくにわたしてくれたら、それでこっちも手打ち

 ――こうしてぼくは、くだらない会社をのっとった。

 みんなの予想通り、このあとのぼくはIT街道をばく進して成功をおさめるわけだけど、それもまた別の話。

2014-07-15

株式会社ラジオ会館について

最近秋葉原界隈の企業店舗に、以下のような文書が出回っている。

前略 時下ますますご清祥のこととお慶び申し上げます

 さて、当社は、昭和37年からJR秋葉原駅前に地上8階建てのビル秋葉原ラジオ会館」(通称:「ラジオ会館」)を所有し、ビル賃貸業を営んでまいりました。

 平成23年6月、当社は第三者のご要請を受け、当該第三者が中心となって新設した別会社株式会社ラジオ会館」(東京都千代田区外神田一丁目2番13号、代表取締役篠原弘美)に一部出資をし、以後、同社に対して当社の登録商標である世界秋葉原ラジオ会館」「秋葉原ラジオ会館」「ラジオ会館」「ラジ館」などの名称を使用して商品を製造・販売し、電子商取引をすることなどを許諾する商標権使用許諾契約を締結いたしておりました。

 しかしながら、当社は、このたび事情により、平成26年1月21日をもって「株式会社ラジオ会館」との間の上記商標権使用許諾契約を解除いたすとともに、直ちに上記当社登録商標の使用の禁止を同社に通知いたしました。

 つきましては、もとより当社(「株式会社秋葉原ラジオ会館」)と「株式会社ラジオ会館」とは全く別個の法人ではありましたが、上記商標権使用許諾契約が終了いたしましたことをご通知申し上げ、当社と「株式会社ラジオ会館」とを混同されることが今後もございませんようご留意いただきたくお願い申し上げる次第です。

 当社は、現在、上記ビルの建替工事実施しており、お取引様及び関係者の皆様にはご迷惑をおかけしておりますが、7月20日グランドオープンの予定ですので、今後ともよろしくご交誼の程お願い申し上げます

 まずは取り急ぎ用件のみにて失礼いたします。

一部の人間は「秋葉原に流布された怪文書」として楽しもうとしているが、これは誰かの陰謀でもなんでもなく、秋葉原に四半世紀以上に渡って居を構え、秋葉原好きなら誰もが知っている「秋葉原ラジオ会館」の所有会社株式会社秋葉原ラジオ会館から出された正式通達だ。

この文書から分かるのは、ここには、長い歴史を持つ「株式会社秋葉原ラジオ会館」(以降、本家とも呼ぶ)と、3年前に設立された「株式会社ラジオ会館」(以降、分家とも呼ぶ)の二つの異なる会社存在し、今年の頭までは本家分家に対して商標権使用許諾を与えていたが、これが解除された、という状況と、どうやら本家は、分家の行っている活動を「迷惑」だと感じているようだ、ということ。

今月、「ラジオ会館」は建替工事を終了し、7月20日にはグランドオープンを控えている。何故この状況で、上記のような通達がなされたのかを考えてみる。

文書にもある通り、今から52年前の1962年、「秋葉原ラジオ会館」は秋葉原最初高層ビルとして秋葉原駅前に誕生した。

詳細な経緯は要望があれば書くが、秋葉原の古いイメージである電子部品屋のメッカ秋葉原」は、戦後の混乱に乗じて乱立した多様な露店の集合体、いわゆる闇市の延長線であった。この集合体には、他の類似する地域コミュニティと同様に、日々発生する様々な面倒事を解決するために不可欠な「元締め」という存在必要だった。この物理的な力を持つ「元締め」と、金銭的な力を持った、ある「資産家」が出会いGHQが露店の排除命令を出して限界を迎えていた秋葉原を、今度は「縦」に展開する秋葉原初の高層ビルラジオ会館電化ビル」構想が立ちあげられた。これが「秋葉原ラジオ会館」の歴史の始まりである

ちなみに、ラジオ会館と言えば、周囲の景観を損ねるとまで言われつつ秋葉原の顔として定着した巨大なネオン看板が有名だが、あれは2001年8月に初めて設置されたもので、同8月に、有名な「パーソナルコンピュータ発祥の地」のプレート設置も行われた。ラジオ会館歴史を語る上で重要アイテムだが、その長い歴史の中では二つとも比較的新しい部類に入る。

そして、設立から50年以上、「秋葉原ラジオ会館」は秋葉原に在り続け、ラジオ無線パーソナルコンピューターアニメフィギュア興隆と、日本の文化成長に合わせて目まぐるしく変わっていく秋葉原に、時には保守的に、時には攻撃的に対応し続けて来た。多くの秋葉原ファンからは、「今の秋葉原を凝縮している」「秋葉原に来た際はまずここに来る」という評価を得て、今現在でも秋葉原象徴する必須存在となっている。

しかし、秋葉原ブランドの最たるもの、という評価も受けながら、本家株式会社秋葉原ラジオ会館」は、賃貸業者以外の何者でもなかった。日本ポップカルチャー世界から注目され始め、アニメ、ホビー商品が溢れる秋葉原が「ポップカルチャー聖地」と呼称されるようになっても、秋葉原象徴する存在であるラジオ会館」は、ただそこに在り続けるだけだった。

そこに目を付けたのが、上記文書に「第三者」と書かれている人間だった。

当初、「第三者」は別の目的本家アプローチしていた。その目的は、老朽化したラジオ会館ビルの建替工事の受注だった。ラジオ会館ビルの建替の必要性は、実は、ある理由で相当昔から発生していたのだが、ここも詳細は省く。しばらくして「第三者」は、本家からの依頼を受け、ラジオ会館テナントに対し、ビル老朽化を理由に退去要請を始めた。2010年9月には、一部マスコミによって、老朽化を理由にした「ラジオ会館」の建替工事計画が報じられている。

さて、不動産関係者なら分かるが、不動産の業務の中で最も難しい部類に入るのが、こうした雑居ビルテナントに対する退去要請であるビルの建替工事には付き物の業務だが、様々な状況にあるテナントの説得には、非常に高いスキル必要だ。昔、バブル期に暗躍した地上げ屋が起こした様々な事件が、その難度と複雑さを物語っている。一時引っ越し先にいくら良い物件をあてがっても、急な変化に対応するにはテナント側に手間と時間はどうしてもかかってしまう。それが何年もの間、そこに店を開いてきたテナントなら尚更だ。退去要請に全く応じないテナントに「第三者」は頭を抱えていた。

しかし、2011年3月11日、14時46分18秒、マグニチュード9.0の東日本大震災が発生。

東北で発生した地震にも関わらず、都内の古いビルにも結構な被害が発生する。秋葉原ラジオ会館の柱や壁にも大きな亀裂が入った。それでも、実は、ラジオ会館が受けた被害は、緊急建替が必要なほど大きなものでは無かった可能性が残されている。いずれによ震災被害という大義名分は、「第三者」のテナント退去要請に弾みを与えた。壁に入った大きな亀裂と、それを補強するように貼られたべニア板でさらに誇張された「被害」を見せられ、残っていたテナントは退去要請に続々と応じていった。震災の翌月、2011年4月16日には、ホワイトボードにお別れメッセージを残していく「ラジオ会館さよなら!!ウォール」イベントも開催された。

そして、様々なテナントとの話し合いを通じ、「第三者」はある構想を固めていた。

実は「第三者」は過去アニメマンガフィギュアなどの文化に一切触れたことが無く、秋葉原という街、そして、秋葉原を訪れる人々を深くは理解してはいなかった。ここも詳細は省くが、「第三者」は、テナントの退去要請を続けている際、大量に売れるフィギュア書籍、異様な熱気を帯びた各種イベント、街中を闊歩する奇妙なオタク集団などに触れ、ただただそこに「何か物凄い力」を感じていたようだ。これは、秋葉原初心者最初に必ず感じてしまう「アキバ熱」のようなものだ。過去、「アキバ熱」に触れたビジネスマンたちの中には、これをコントロールして金を生み出そうとチャレンジする者が何人もいた。そして、殆ど人間が失敗してきた。その姿は、熱によって生まれる蜃気楼に戦いを挑む滑稽な道化師と同じだった。秋葉原の住人達は、そうした道化師が発生する度に、冷やかな視線を送っている。

話を元に戻そう。ある時から第三者」は「ラジオ会館は金になる」と考え始めるようになっていた。

ひとつきっかけは、ある有名企業代表冗談で発した言葉にもあった。

「建替工事が終わって新生ラジオ会館が出来たら、しばらく入場費を取っても良いぐらい注目されるはずだ」

そして、イベントで集まったラジオ会館ファンの感動的なメッセージ群。

そして、閉店セールに集まって来た大量のオタクたちと、飛ぶように売れて行く在庫

第三者」は、退去要請の傍ら、ラジオ会館ブランドを使ってビジネスを始めるべく、本家の説得を始めていた。

東日本大震災から3ヵ月後の2011年6月分家である株式会社ラジオ会館設立された。

初期の株式会社ラジオ会館を構成したンバーについては省略する。ただひとつ言えるのは、「第三者」はビジネス成功させるべく、様々な分野から実績のあるプロフェッショナルを引き抜いて来たらしいのだが、役員を筆頭に、殆どメンバーが、アキバってどういうところ?オタクって気持ち悪い!みんな結局は金儲けがしたいだけでしょ?という、いわゆる秋葉原的な人間とは相反する人々だったようだ。「第三者」には、ラジオ会館、そして、秋葉原の一体何が人を惹きつけるのか、重要な部分への理解が欠けていたように思われる。

株式会社ラジオ会館は、設立後、様々なサービスの展開を始めている。ラジオ会館テナントを中心にしたECモールラジオ会館オンライン」、フリーマガジン「ラジ館」、ニュースサイト「ラジ館プレス」などなど。大抵のプロジェクトが「第三者」の思いつきで始まっていたらしい。中には評価すべきものもあるが、ここでは詳細を紹介しない。

さて、設立から数年、株式会社ラジオ会館内部では様々な試行錯誤が繰り返されていたようだ。イベント企画や大型LEDビジョンの設置と声優番組企画など、華やかな企画も定期的に実施されていたが、売上は低迷していたらしい。そして、その予算殆どは、本家である株式会社秋葉原ラジオ会館から出されていたらしい。

第三者」は、「ラジオ会館」という印籠を使い、ビジネスを拡大し続けようと画策していた。短絡的な企画の中には、株式会社ラジオ会館が中心となって秋葉原店舗をまとめ、一大ネットワークを作ろうとしていたものもあったらしい。その中身は、会員になって分家の言うことを聞け、というお粗末なものだったらしいが、我々はラジオ会館から秋葉原のみんなは言うことを聞くだろうと「第三者」が考えていたことに少し寒気を覚える。さらに、本気で新生ラジオ会館で入場料を取ろうとしていたらしく、その企画が本家逆鱗に触れた、という話も聞いた。一向に上がらない売上、増え続ける予算ブランドを利用した強引な営業、荒唐無稽な企画、本家が怒るのも無理は無い。

秋葉原界隈の人々には、香ばしい噂も流れている。ある企画で生じた損失を無関係人間補填させようとしたり、何度も支払遅延を繰り返したり、社内では秋葉原店舗オタクへの悪口のみならず、ラジオ会館テナントの悪口まで言い合っている等など。最近では、本家との契約解消に伴い「本家が営業を邪魔している」などの暴言まで出ているとの話も聞いた。一応書いておくが、これらはあくまで噂だ。しかし、そうした社風に嫌気がさし、今年に入って大量に人材が辞めたという話も聞いた。

そして、今年に入って、ラジオ会館の仮囲いを使っていた広告枠営業は本家管轄に移行、3月にはラジオ会館1号館に設置されていた大型LEDビジョン「ラジカメVISION」が撤去され、事業の核とされてきたECモールラジオ会館オンライン」は今月7月末で終了予定となっている。残るはフリーマガジン「ラジ館」とニュースサイト「ラジ館プレス」。そんな折、本家から出された契約解除の通達は相当な痛手に違いない。

何故、今年の1月契約が解除されても、依然として株式会社ラジオ会館は「株式会社ラジオ会館」であり、フリーマガジン「ラジ館」やニュースサイト「ラジ館プレス」は、その名前を使い続けているのかというと、「ラジオ会館」や「ラジ館」は確かに商標登録されているものの、社名は同意の下で命名された経緯があり、フリーマガジンニュースサイト商標区分が異なっているので問題無いそうだ。また、裁判沙汰になっても係争中は名前を変える義務は無い、とのこと。

そうした状況を踏まえ、本家7月20日新生ラジオ会館グランドオープン前に、どうしても公私ともに関係性をクリアにしたかったのだろう。

通達も出たことだし、未だに株式会社ラジオ会館を、秋葉原の老舗のラジオ会館だと思ってお付き合いしている店舗さん、企業さんは居ないですよね?

以上、伝聞と類推だらけだが、株式会社ラジオ会館について、でした。


  1. [追記1] ご指摘の通り、露店商の総元締め的な人が野村誠一氏、資産家が七條兼三氏である。どちらも息子が後を継ぎ、野村氏は今現在ラジオセンターに隣接した野村ビルを所有。七條氏は現在株式会社秋葉原ラジオ会館を所有している。秋葉原を創った彼らには大量の逸話が残されているが、それはまた別の機会に。
  2. [追記2] ちなみに、「パーソナルコンピュータ発祥の地」のプレートは、関係者によって廃棄処分になる予定だったところ、建替工事が決定してから、あまりにも多くの人々が記念撮影に訪れたため、「どうやら価値があるものらしい」と急遽保存が決まった。もちろん新生ラジオ会館にも設置される予定。
  3. [追記3] 未だに秋葉原界隈は賃料安いだろうと考える方がいるようだけれども、駅前の坪単価は他の地域比較しても異常に高い。ラジオ会館の一部のテナントは零細に見える店舗もあるが、実は非常に優秀な売上を上げている会社ばかりだ。退去に応じた某ホビーショップも、一見良い場所移転したが、売上は下がっている。某書店が早々に新生ラジ館に戻る決定をしていることを見ても、如何に秋葉原駅前という立地が素晴らしいかが分かる。
  4. [追記4] 突如としてタイムマシンラジオ会館ビルに突っ込ませ、秋葉原の人々を魅了した「シュタインズ・ゲート」とのコラボ企画は、この「第三者」の発案に依るもの。「ラジオ会館さよなら!!ウォール」のイベント時、白衣を着た集団が多いのに気づいてスタッフに理由を尋ねた後、版権元に突然電話をかけて「ラジ館に爆弾落としませんか?」の第一声で相手を混乱させた話は有名。
  5. [追記5] 正確には、現在ラジカンマネジメント株式会社秋葉原ラジオ会館物件広告取扱をしている。これは本家である株式会社秋葉原ラジオ会館の子会社。また、本家によるラジオ会館ウェブサイトはこちら。http://www.akihabara-radiokaikan.co.jp/ グランドオープンに合わせてオリジナルグッズも販売予定で、イベントも開催されるが、このあたりは分家であった株式会社ラジオ会館が仕切る予定だった。今後、秋葉原ラジオ会館ブランディング戦略は、ラジカンマネジメント株式会社実施していくことになるだろう。
  6. [追記6]ラジオ会館保守性を代表するエピソードは、今は誰もが知っている超有名フィギュアメーカーテナントになった際、美少女フィギュアなども取り扱っていたので「(家電PCに比べてチャラチャラしたイメージがある)あんたみたいなところが表に出てほしくない」とテナントに対して言い放ったという話。某店長は未だにそのことを根に持っているらしく、建替工事で退去させられた際にも「こんな僻地に移動させてどういうつもりか」とTwitterで憤っていた。
  7. [追記7] @akibablogさん、通達の配布時期が異なり、内容の異なる文書があるらしいです。残念ながら、そのバージョンは入手出来ていません。
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