はてなキーワード: 本州とは
例えば、北海道では頻繁に耳にする「おつゆ」という言葉。食事の汁物のことを指しますが、いわゆる「淫液」を連想させる名詞でもあり、なんとなく卑猥だと思う頭の中が桃色の本州人も存在します。
東大に入ったからといって自慢気に勉強法を語るやつは、未だに勉強法でしかイキれないつまらないやつに違いないので私は大嫌いなのだが
一回り年下の弟が現在高校生ということで、100% 彼のためにこの記事を書く。
先日勉強法を聞かれたが、SMS や LINE で長文を書く気にはなれないのだ。そのため、この記事の URL を君に共有する。
note あたりは新規登録が面倒だったからこの匿名ダイアリーで許してくれ。
わからないことに慣れるな。
東大入試といえども所詮高校までの範囲なんだから、ガチれば誰でも理解可能だ。
あるのは高校3年間という時間制限だけ。私もギリギリではあるが合格水準レベルには理解した。
今まで習ったこともこれから習うことも君が理解できないわけがない。勉強に関して傲慢であれ。
一方で、わからないことに関しで敏感であれ。
例えば化学で「液体を加熱する際に沸騰石を入れる理由を答えよ」という問題があったとする。恐らく君はこう答えるだろう、「突沸を防ぐため」と。
テストではこれで十分かもしれない、でもこれで本当にわかったと言えるのだろうか?
そもそも突沸とは何か?急な沸騰だ。急な沸騰を防ぎたい理由はなにか?急な沸騰により容器からあふれた液体が予期せぬ場所にかかるため危険だからだ。
高温でやけどするもそうだし、常温でも人体に危険な液体を取り扱っているかも知れない。
では急じゃない沸騰があるのか?そもそも沸騰とはどのような現象か?沸騰石とは何か?沸騰石である必要性とはなにか?
これらの問に答え、自分の中での論理の飛躍を解消して初めてわかったと言えるのだ。
丁寧に論理の間を埋める癖をつけよ。これはすべての教科に、ひいては今後の人生において必ず役に立つはずだ。
私の高校時代と変わりがないなら、君の高校では批判的思考を身に着けろと先生方が口を酸っぱくして言っていることだろう。
しかし批判的思考の定義を教わった記憶はないし、君も教わってないであろうことは想像に難くない。
その上で私は「批判的思考」を「世間一般で言われている当たり前のことを、分解し、自分の中で再構築することで理解や議論を深めるための営み」だと解釈した。
批判的思考を無批判に身につけさせる教育方針はどうかと思うが、この「批判的思考」を身につけるのは悪くないのではと言いたい。
私が受験生のときに本屋で勉強法について書かれた本をあらかた立ち読みして実感した。
異世界転生チートのような簡単に劇的に成績が上がる勉強法など無い。
ググればすぐ様々な文献が出てくる通り、成績と最も強い相関があるパラメータは勉強時間だ。
朝起きて身支度をする時間、通学時間、お風呂に入っている時間等、隙あらば自分をテストしろ。
「点と直線の距離の公式を導出できるか」「because of とほぼ代替可能なほかの言い回しは思い出せるか」といったことを考えるのだ。
思い出す訓練、これも勉強だ。これで勉強時間は飛躍的に伸ばせる。
逆に、机に向かって参考書を開いただけで勉強しているつもりになってはいけない。
君のクラスにもいるだろう、君より勉強時間が長いはずなのに成績が君より下なクラスメートが。
勉強時間は集中力という名の効率パラメータで容易に裏切られる。
100%:気がついたら時間が経っていたといったようなある種のトランス状態
自分の中で今どれくらい集中できているか常に意識せよ、でもって 50 % を切るようなら気分転換をするか寝ろ。
私にとって一番成績が伸びた勉強法を白状すると、大学合格後に経験した大手予備校の採点アルバイトだ。
具体的には予備校生が解いた過去の入試答案にひたすら赤ペンを入れる作業である。
私が最も得意とした化学を担当した。東大だけでも過去 10 ヵ年分について各年度ごとに少なくとも 10 人分は採点しただろう。
1 答案に付き○円の出来高制で結構稼がせてもらった記憶がある。
過去問を 10 周もやると東大といえども入試問題がパターンゲーだということが見えてくる。
現役時代私の化学の得点率は6〜7割程度だったが、荒稼ぎ後に気まぐれにその年の東大入試化学を解いてみたら9割ほど得点できた。
また、採点バイトは、ただ過去問を何周もする以上に内容が身についた。
なぜなら各回答に対し模範解答と答案をにらめっこし、生徒がどこで躓いたのかを明らかにした上で
正解までの道筋を相手がわかるように文章で説明する必要があるのだ。
すべての問題に対して、解ける、ではなく、教えられるの水準を要求されるのである。しかもお金をもらっているので逃げることが許されない。
同級生に東大志望の人が他にいるようなら実践模試の返却答案を土下座してでもコピーさせてもらうといい。できれば5人分ぐらい。
それに赤ペン先生になったつもりで添削指導をしてみてほしい。その添削結果を再度同級生に返却するかはおまかせする。
騙されたと思って試してみてほしい。普通に解く以上に身につくから、マジで。
勉強法以外で私が高校時代に知りたかったのは、東大生にもアホはたくさんいるということだ。
日本地図がまともに描けない人(本州を北東から南西ではなく北西から南東に向かって描くのだ、その人、関 "西" 出身なのに)とか、
2を素数じゃないと勘違いしている人(英語が得意で合格した人は数学が壊滅的がち)とか、
魚が跳ねるの跳ねるという字が漢字で描けない人(私)とか...
こういう等身大の東大生にふれる機会がないので、あんなアホどもが合格できるんだから自分も合格できると錯覚できる機会がないのが地方の痛いところだなと。
東大を目指す目指さないに関わらず、あまり東大・東大生を神格化すべきでない。彼・彼女らも君と同じ所詮人間なのだ。
というわけで、これ以上私をつついても勉強については何も出てこないので、ここまで読んだなら今後勉強に関して私に質問はしないでほしい。
入隊して十数年、転属2年目。
内向的で人付き合いが苦手で、奥さんにしか素の自分をさらけ出せなくて、それでも仕事には自分なりのポリシーを持ってやってきたつもりだった。一緒にいて楽しい人間ではなかったと思うけど、そのぶん同僚にも、後輩にも、教え子にも、無駄な汗をかかせるような仕事だけはしないようにって思って努力してきたつもりだった。
怒り役をやったこともあったし、自分が好かれてるなんて思えたことは一度もないけど、嫌われてるとも思わなかったのは自分を客観的に見れてなかったんだきっと。
8月の真ん中に元の勤務地からたくさんの先輩同僚後輩たちが今住んでる街を経由して遠征していったんです。それも人伝に聞いた話で。「今度そっち行くんで飲みましょうよ」なんて話は誰からもなくて。それでも嫌われてるなんて思えてなかったから、休みの日だったけど彼らの宿泊先に行って、セコマのおにぎりなんか差し入れして、我ながらきつい。すごいうざかっただろうな。本当にごめんなさい。おにぎりに罪はないから、せめて口に入ったことを祈るばかり。
帰りも寄るならその時こそご飯でも行けたらいいね、なんて話してごめんね。なんの連絡もないまま、こっちから話振ったらもう本州に帰ってたや。
ただただ苦しい。苦しいの2割、申し訳なさ8割。社交辞令すらないって相当だよね。こんな人間と十数年も同じ職場にいた人たちに対して申し訳なさしかない。
間違えた選択をし続けてきたんだって後悔よりも、動けなくなるくらいの脱力感と自己嫌悪。
生まれて初めて消えたいって思った。
世界中のリーダーから絶大な信頼を寄せられ、また日本人にこれほど愛された総理大臣は過去に類を見ないと思います。総理を辞されても、政治家安倍晋三として国内外に良い影響を与える存在で居て頂きたく存じます。まずはお身体をご自愛頂きゆっくりお休み下さいませ。誠にお疲れ様でございました。(9782いいね)
最初何とも思って無かったけど
安倍総理、心より感謝申し上げます。安倍総理は日本の最高のリーダーです。総理は辞任しても、これまで通り、リーダーである事は変わりません。まずはどうかゆっくりご静養なさって下さい。長い間本当にありがとうございました。(6976いいね)
長い間、大勢の売国奴を相手に8年間もありがとうございました。
一般国民の皆様。日本を日本人のためだけの国にするため国民一同、偏向報道やミスリードに騙されず総理の器であろう人に投票していきましょう。(5549いいね)
親愛なる安倍晋三さん、私たちインド人はみなさんの健康と長寿をお祈りします。あなたは公共サービスのためにすぐに戻ると確信しています。(3934いいね)
10551件のコメントがついた毎日新聞「安倍首相、辞任の意向固める」の記事のコメント欄でおすすめ順(good-badが高い順?)に並んでいるものを上から示す。
これほんとなのかな。
間違っても親中、親韓の人は受け入れられないし、そのような人達の言葉でフラフラするような人も同じ。
日本のことを1番に考えてくれる人になってもらいたい。
いるとしても、期待できるのは河野さんだけかな。(69227good,12054bad)
功罪は後で検証するとして、兎に角お疲れ様でした。しっかり治療に専念して下さい。
ポスト安倍は相当難しいな。内政は勿論だが、今は安全保障に関する外交の比重もかなり大きい。石破は絶対ダメだよ。(63504good,12718bad)
まずはお疲れ様でした。長期の総理の仕事はかなり激務なんだろうね。ゆっくり休んでください。次はだれかな?個人的には河野さんだがどうなるか?石破と岸田だけは止めてくれ…(37021good,7412bad)
問題は後任。
昨日の麻生の動きからして、唯一前日に知らされていた感があるし、
二階と会談重ねるのはどうなのか。
体調問題なら仕方がない。
もはや頼れるのは河野太郎しかいない。中韓に対して強気な態度をとれるのは河野しかおらん。石破や岸田や菅では「攻撃しないでください。その代わり沖縄をお譲りします。もしよければ、本州の一部もどうぞ」ってなるよ。習近平に従順な総理ではダメだ。 (13531good,1714bad)
自分も潰瘍性大腸炎だから良く分かるけど、きつい時期は本当にしんどいんです。。特にストレスで大きく症状が傾くので、限界が来たのでしょう。。自分は症状が重い時、この国のトップも同じ病気で苦しんでいるんだと思うと心強かったです。辞任はとても残念ですが、今はゆっくりと休んで頂きたいです。(15161good,2353bad)
同時に親日国との国交を広げた事。
その路線を貫けば良かったのに。
安倍ちゃんのことは結構あっさりしていて、ポスト安倍に関して懸念している人が結構いる感じ。
58万回ほど再生されたTBS NEWSの「安倍首相が会見 辞任決断の理由は(2020年8月28日)」という動画。1429件のコメントが書かれていて、いいね数順に並び替えたが、ちゃんとソートされないのでもしかしたら見落としがあるかもしれない。
この報道を受けて喜んでいるのが中国、韓国、北朝鮮だと言う事を皆さん忘れないように。欧州や他のアジアの国々、南米などなど、皆等しくネガティブな報道なのにだ。日本にいる安倍総理辞任を喜ぶ連中が何者か、これで良く分かったはず。日本人は絶対に安倍総理は何と戦っていたのか、誰と戦っていたのか、忘れるな。 (101いいね)
体を大事にしてほしいです。
泣いてしまった。
総理に対して「お疲れ様でした」の一言でも言った記者は数人、病気での辞任を責任逃れ呼ばわり、そりゃ日本からブラック企業も無くなりませんわ。 (86いいね)
他にも安倍辞任の会見動画は多数あって、THE PAGEの「【ノーカット】安倍首相が辞意を表明 持病再発「総理の地位にあり続けるべきでない」(2020年8月28日)」という動画は78万再生ほどあり、TBSのものよりも再生数が多い。ただ、337コメントしかなく100いいねを超えるコメントは結構スクロールしたけどなかったので、2番目に再生数が多いTBS NEWSの動画のコメント欄を調べた。
翻ってブクマカはどうか。「安倍首相 辞任の意向固める 持病が悪化したことなど理由に | 安倍首相 辞任へ | NHKニュース」についたブコメの人気コメント見てみよう。
本当に「最長記録」狙いだったようにしか見えなくてウケる/まあでも病気は大変だしなあという気持ちと「病気等で国政に携わることが困難である時どうすればいいか」みたいな話は別途に必要なんではと思う。(500スター)
やっぱり具合悪かったのか。これでいいと思う、体調が優れないときにストレスのかかる仕事なんぞするもんじゃあない…庶民の感覚で語っていい仕事かどうかは置いておいて。(178スター)
いやーぶん投げたね(247スター)
……うーんこの。
はてブは極左の集会場と揶揄されても仕方ないって感じるわな。前に安倍ちゃんを休ませて欲しいといった甘利の発言に対して、ブクマカがブラック上司のメンタリティで罵倒ブコメしまくっていた[4]というのがあったけど、ブクマカは世間とズレすぎ。SNSが世間全てとは言わんけど、ほとんどが匿名で利用できて本音を言いやすい環境で、嫌味みたいなことしているのはてブだけだぞ。はてブ以外がランサーズとかに制圧されているとはとても考えられんし……逆にはてブの方に何か変な介入がされちゃっているんじゃないか心配になるよ。
そういえば、はてブの皆さんは陰キャだらけで[5]きっと教室の隅っこが定位置だったと思うけど、これ見る限りだとインターネットでも隅っこの方みたいだね。
[1]小山晃弘のツイート「TikTokの「安倍総理」タグの動画コメント欄を見る限り、どうもマジで10代の若者は安倍のこと支持してるっぽいんだが、なんなんだこれは、いや統計とかでそういう傾向があることは知ってたけど、「生の声」を見るとTwitter論壇とのあまりの差異に唖然となる。。
※過去の記憶を頼りに書いているため、情報の正確性を保証できません。それを了承の上でお読みください。
今は亡き私の祖父は、日本軍兵士として末期の日中戦争に従軍した。
第二次世界大戦が終わって75年、その話を自分の記憶がこれ以上劣化しないうちに書き留めておく。
・祖父…1920年12月生まれ、1944年頃〜1945年従軍、体験を語った当時90歳(認知機能正常)
しかしそれ以上のことは何も知らないままだった。
大学2年のGW、私は両親、妹と共に父方の祖父母宅へ遊びに行った。
祖母と母が台所で食事の片付けをし、祖父、父、妹、私が居間で団欒していたその時だった。
祖父が何の前置きもなく、そして極めて淡々と、幼少期からの戦争体験を語り出した。
こんな田舎の子供でも「兵隊になる」と思わせる学校教育がなされていた。
祖父の話しぶりからは、小学生頃は兵士に本気でなりたいと思っていたが、
いざ徴集される段階になってからは、出兵せずの任期満了を願っていたように感じられた。
ちなみに祖父はJRを国鉄と呼ぶノリで、中国全体を「満洲」と呼んでいた。
祖父は日本から中国沿岸部まで船で移動し、その後陸路にて石家荘に到着した。
この鉄道を走る汽車は日本軍の物資を運んでおり、これを中国側に妨害される恐れがある。
日本軍は農村を占拠し、逃げ遅れたり抵抗した現地の民間人を捕虜として捕らえ、使役していた。
彼らが日本軍を襲ってくることがあった。
それに山は樹木で覆われ視界が悪く、敵の姿が見えず、どこから襲ってくるかがわかりにくい。
「祖父が戦ったのは民間人のみだったのか、民間人に擬態した軍人だったのか、それとも両者混ざっていたのか」
という、かなり重要な情報が私の記憶から抜け落ちてしまっている。
ある日、祖父は仲間達と共に銃の撃ち合いをしていた。
もちろん敵からの銃弾が自分達に向かって飛んでくる(祖父は「プププププッ」という効果音と共に
親指と人差し指でつまむようなポーズをとり、右から左に水平に移動させることで弾道を表現した)。
そしてその後、祖父の片脚にも弾が当たった。
銃創のでき方によっては、当時の医療技術では脚を切断しなければならなかった。
しかし祖父の場合、銃弾は膝上を貫通しており、脚の切断は免れた。
祖父が野戦病院に入院している間、祖父のいた部隊は中国側の総攻撃に遭った。
祖父は小柄で屈強ではないため、戦友会では「あの時入院していなかったらお前も死んでいただろう」とよく言われたという。
この部分を聞いた時、私は色々なショックを受けた。
戦争のリアル、穏やかでニコニコしている「おじいちゃん」の抱える痛み、そして父や自分の誕生が紙一重だったということ。
このことは、祖父の葬儀で喪主の伯父(祖父の長男)が挨拶の場で初めて語った。
喪主挨拶では他にも、祖父が夜中に大声を出して飛び起きていた(のを幼き日の伯父が目撃した)ことが明かされた。
祖父は戦地の体験を引き金としたPTSDを発症していた可能性がある。
これらの話を祖父がすることはなかったし、裸足の祖父を何度も見ているはずなのに、指が無いことに全く気がつかなかった。
銃弾の効果音のまぬけさといい、「自分が中国人を撃った」経験を話さなかったことといい、
祖父の語りは孫娘用にかなりマイルドになされていたに違いない。
祖父がなぜあのタイミングで戦争体験を孫に話したのか、その意図を聞くことはもうできない。
8/15-16の一泊二日で羽田から飛行機に乗って本州外への旅行を考えていたんだけど、深夜に鬱々と考えて関東からは歓迎されないだろうなとキャンセルボタンを押した。
割引運賃じゃないと嫌とかはないから飛行機は直前に取ろうと思っていてまだ取っておらず、キャンセル料はなし。
宿の方もキャンセル料がかかるのは3日前からなので、キャンセル料はなし。
でも、朝起きて天気のいい外を見ていたら思うのは「やっぱり行きたかった」ばかり。
家族のいない中年の一人旅だし、露天風呂付き客室に個室食で他の旅行客との接触もないようにとか考えて予約取ったんだけどさ。
公共交通機関を使って行かざるを得ない限りはやっぱり良くないかなと思って。
モヤモヤするけど、これで良かったんだよな。
https://www.htb.co.jp/news/archives_8233.html
「空沼岳から札幌岳にむけて登山中」とあるので、空沼岳から札幌岳への縦走ルートのどこかと思われる。
https://yamap.com/maps/305/trails
筆者は空沼岳・札幌岳ともに登ったことはないが、どちらも単体では簡単な部類の山に見える(北海道の山は本州より難易度高めに見積もった方がいいが)。
しかしこの縦走ルートは距離も長く(コースタイム3時間程度)途中にいくつか危険ポイントもある。あまり使う人の多くないルートだろう。
今年は新型コロナの影響で例年より人出が大幅に少なく、この手のマイナールートはしばらく誰も通っていない可能性を念頭に置く必要がある。
https://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye4036904.html
こちらの記事には「登山道がササに覆われていたため日没までに下山できず、救助を呼んだ」とある。
ワンゲル部の生徒・教師に怪我人は出ていないため、他に理由はないと思われる。
登山道を覆っている藪をかきわけながら進むことを登山用語で「藪漕ぎ」と言うが、大変に時間もかかるし疲れもする作業である。
今回は笹が縦走ルートにびっしり生えており、ワンゲル部のグループより前に藪漕ぎをしてくれた登山者もいないという状況だったのではないか。
本件はヘリタク(ヘリをタクシー代わりに使うこと)案件であるが、学校の部活という事情があるためタクシーやむなしだったと思う。
本州の山ならビバークするところだが、羆がいる北海道の山で夜を明かすのは筆者もやりたくない。
函館で遭難したまま見つからない高校生が羆に食われたのではないかと噂されているだけになおさらだ。
ただし、札幌岳縦走をさっさと諦めていれば自力で下山できたろうし、そもそも計画に無理があった。
顧問の教師は猛省してほしい。生徒に責任はもちろんないが、勇気を持って撤退を提言してほしかった(言ったのかもしれないが)。
京都が雨続きでうんざりしていたところ、天気予報を見ると沖縄だけ晴れているので、7/11-13に旅行することにした。
多少コロナが増えてきたとはいえ一日十人程度の京都、しかも京都市ではなく田舎の、未だ感染者ゼロの自治体の住民なので、行くことに躊躇はない。
これで「誰かに移したらどうするんだ!」なんて言う奴は、何でお前は死なないのと言いたい。お前が生きて活動してる限り、誰かにコロナを移す可能性はゼロじゃないんだからさ。
もちろん手洗いとマスクは徹底するが、熱中症もあるので屋外ではマスクは外す方針とした。一人旅なのでどのみち喋ることはほとんどない。
土曜の昼なのにほとんど人が歩いてない。牧志駅から向かったので、県庁側は違ったかもしれないが、それにしても大きな土産物屋に客はゼロ。店員が暇そうに立っている。
やはりどの県も観光業はやばい状況である……誰かが行かないと。
とはいえ着いたばかりで荷物は増やせないので、申し訳ないが通り過ぎて壺屋焼物博物館へ。
こちらも来館者は他には二人くらい。見る分には見やすいのだが、どうしても心配になる。
隣の陶芸センターも客ゼロで、二千円の酒器を買って『やちむん通り』に向かうが、やはり人影はほとんどなし。
国際通りに戻ってレストランへ入るも客は自分だけで、一人で山羊刺しなどを食べる。
よりによってこの前日、基地の中で感染者が数十人見つかったとのこと。
途中で普天間宮の洞窟を見せてもらった後、海中道路を通って、浜比嘉島のホテルに投宿した。
登るのは辛いが青空に石垣が映え、天守からの海の眺めも最高である。今帰仁、中城は訪問済みなので、残る世界遺産は座喜味城のみだ。
向かいの休憩所で土産を買ってからバスを待ったが、四十分ほどの間に購入者は自分だけだった。
沖縄そばやブルーシールアイス、もずくやグルクンの天ぷらを食べる。
二階が海の資料館になっており、コロナ対策に連絡先を書く方式だった。前の人が書くのが遅くて待たされたし、個人情報を書かされるのは少々不安。大阪の追跡システムが広まればいいのに。
ここも日曜なのに泳いでるのは数人で、海の家は採算取れてるのか心配になる。
一人海水浴は手間がかかる割にあまりやることはなく、ナマコが多い海底を見てから10分ほどで上がってかき氷を食べる。
この日は途中でマスクを紛失してしまい、離島ではドラッグストアもなく、ハンカチを巻いて代用する羽目に。
予備を一枚持って行くべきだった。
海中道路から離島側は『うるま市有償バス』というマイクロバスだが、いつも結構乗客がいて、マスクをしてないおじさんもいたけどまあ喋ってなかったから大丈夫だろう。入口に消毒液があるのは嬉しかった。
バスを降りて、コロナで封鎖されたビーチを横目にシルミチューに向かう。
帰路の二人とすれ違っただけで、他に人影はなし。さすがに霊場となると人がいない方がありがたい。
鍵のかかった洞窟の前で、柵越しに雰囲気ある聖地を思う存分拝んだ。
意外だったのが中にあった大正時代の石碑に、日章旗が二つ描かれていたこと。別に撤去したりはしないんだな。そりゃそうか。
三十分歩いてホテルに戻る。汗が噴き出す暑さ。
「気温だけなら真夏の京都の方が高いし大したことないかも?」とか思ってたがそんなわけはなかった。
しかし車のめったに通らない島の道路を、さとうきび畑を眺めながら歩いていくのは趣があるな。
最後に行くのは首里城。12年ぶりだが、まさかあんなことになるとは。
以前にはなかったインフォーメーションセンターができていたが、こちらも寂しい状態。
守礼門で視界に入るのが数人、城内では係員しか見えないことも。
コロナのせいと火事のせいと両方あるのだろうけど、沖縄最大の観光名所でこれは心が痛い。
有料エリアでは再建工事中で、壁の向こうでクレーン車が働いている。
焼け残った龍柱や、燃えて髭だけ判別できる龍の飾り、遺構などを見学した。悲惨な事件だったが、今しか見られないものだからね。
前は入れなかった東のアザナの展望台では、狭いのもあってさすがに多少の客が滞留していたので早めに退散。
珍しかったが、本州で使える自信がないので、駅で切符を買って千円札に替える。
空港で職場へのお土産を買って伊丹に戻った。うちの職場は旅行を叩くような陰湿な人はいないからね。
帰宅途中にニュースを見たら、米軍の感染はうるま市の肝高公園で無許可BBQしてたからって。
よりによってうるま市かよ! まあ米兵には会わなかったし……。
俺はキャンペーンに関係なく行くのでどっちでもいいのだが、観光地の閑散ぶりが本当にやばいので、多少の感染増は覚悟して決行するしかないのではと思ってしまう。幸い重症者は少ないようだし。
大阪の知事は「まず近場で」と言ったようで、それも分かるけど近場は五月六月にもう行ってるんだよな。
嵐山も金閣銀閣も龍安寺も三千院も平等院も東大寺も通天閣もガラガラだった。
やはり地元の人間は、「いつでも行ける」観光地にはなかなか行かないのだな。
京都の人は京の名所には行かないって、前々から言われてるしね。
宿泊や土産を考えても、やはり遠くから人を呼ばないとどうにもならんのじゃないかなあ。
もちろん自分が周る分には人は少ない方がいいし、五月末の誰もいない祇王寺の、青紅葉と苔が溶け合う風景には感動した。
でもその時は、こんな京都は今だけだな!と思ってたんだ。
あれから一ヶ月半後に、まだ回復しないどころかさらに悪くなりそうとは予想しなかった。
「キョロン キョロン チー」「キャラン キャラン ツリー ・・・」と
明るいひらけた林の地上でミミズや昆虫のえさをとり、冬は暖かい地方の平地へ移動します
https://www.suntory.co.jp/eco/birds/encyclopedia/detail/1377.html
だからその連続性で考えれば、「天皇家がこれだけ長いから日本もそう」ってのは無理じゃん
「日出処の天子」として大陸側と分けた概念の成立、日本国という本州に対する呼称の成立をもって日本という概念の歴史とすれば1500年あるかもしれん
1500年の歴史にしようって結論ありきで無理な理由付けしてるからだろ
日本国を自称しはじめたあたりで考えても1300年前で、そのときはまだ本州全体ではないし。
天皇と共にある、天皇の影響下にあるってするなら、連続しない1500年の歴史になる
どっちがお好み?
ここまで揃うと、笑うしかない。
こんな状態なのに、去年介護がワタシにやってきた(サンタが街にやってきた風)。
「お父さんが緊急搬送されたと病院から連絡がありました。あなたの電話番号を病院に教えていいですか?」
という不動産屋からの電話。先方も事情がわからないようで困惑している。
定時で帰ろうと呑気に考えていた春のある日、こんな風に始まった。
当初は脳梗塞も軽く済み、介護サービスを使いながら独居することも可能だった。
その後のリハビリのおかげで、身の回りのこともできるし、簡単な会話もできるくらいには回復したが、細かな判断(お金周りとか)を要する質問には返答できない。
兄弟姉妹もいないので、1ヶ月半おきに北海道に帰省した。終の住処になる施設に落ち着くまで、約1年間続いた。
毎回4泊5日のスケジュールで、病院・役所・父のアパートを何往復もした。お金は勿論のこと、体力的にかなりきつかった。
金額は石狩管内私調べなので、田舎に行くともっとお安いところもある。
CMでよく見かけるのはコレ。あれは金持ち用の至れり尽くせりな施設だ。
母が医療関係者として働いていたことがあり、「料金が高いせいか、入所者になにもやらせない(家族もそれを望んでいる節がある)。結果、入所後にボケる人が多い」らしい。
通常家屋で暮らせる程度の身体能力がある人が入所していて、痴呆症の受け入れも多いようだ。
脳梗塞の後遺症で、通常家屋に住むのはちょいと厳しいので深くは調べなかった。
金額的にはピンキリの様子だが、18万円は高い部類だと思う。都市部のグループホームだろうか?
ただし、終の住処にはなり得ないので、3ヶ月後には退所しなければいけないことが大半。
また、入所中の通院、日用品の買い足し等は家族が行うので負担が大きい。施設に入っているから一安心とはならない。
最近建設された施設は、個室またはユニット個室なので、利用料も12万円台〜。
多床室と呼ばれる大部屋の場合は利用料9万円台〜。
裏技的に特別養護老人ホームの入所待ちに使われることもある(自分もそうだった)。
首都圏では施設数が増え、待機期間が短くなっていると言われているが、空いているのは個室またはユニット個室で利用料は高い。
利用料の安い多床室は、相変わらず入所待ちが続いている。
現在、新しく施設を作る場合は、個室またはユニット個室である。
多床室は昔の制度下で建設された施設のため、建て替えなどで個数が減ったとしても増えることはないと思われる。
特養の利用料は老健と同じようなレベルだが、特養は自宅介護が不可能な人たちが入所してきている。
「終の住処」と呼ばれているが、見取りを行っていない施設もあるし、胃瘻やインスリン注射が必要な人の入所数を制限したり、断っている施設もある。
入所は順番待ちになっているが、介護度が重いほど上位に来るかというと…そうでもなかったりする。
介護度5を最優先にしている所が大半だが、施設によっては、状態の重い人を入れ過ぎてスタッフが疲弊、バランスをとるために、ちょっと介護度低い人にしよう…となることもある。
これは、各施設の方針によるので、見学した時にざっくばらんに聞いてみるといい。ぶっちゃけてくれる相談員もいる。
ありがたいことに、比較的すぐに特養入所ができたため、ほとんど帰省しなくて良い状態になった。
定期検査で通院する時は、施設のスタッフが付き添いをしてくれるし、日用品がなくなると代行して購入し、月末に利用料と一緒に領収書添付の請求書が送付される。
そもそも老健と立ち位置が違うので、比較するのはよくないことなのだが、老健に移動してから負担が恐ろしいほどに減った。
世の中的に介護施設のお給料は少ないと言われてるので、もっとお給料あげて欲しいと思う。
スタッフの献身のみに支えられているのは異常だ(でも、利用料は据え置きでお願いしますw)。
元増田さん
正直、母上のグループホーム18万、父上の20万という利用料は大きすぎると思う。
首都圏では普通にあり得るんだけど、北海道では、高額な部類に入ると思う。
この状況が10年20年続いた時のことを考えなければいけない。
ご両親の蓄えがなくなった時、元増田さんや兄上は金銭的な負担ができますか?負担しても、それぞれの家庭が壊れないと断言できますか?
私は家庭を築く気持ちも能力もない、頭アッパラパーな人間です。
そんな人間に言われるのも心外だと思うけど、自ら作った家庭に対する責任を第一にした方が良いと思うんだ。
多分、老後もそろそろ考えないといけない年齢だよね。
金銭的援助を20年続けたとして、その間に自分たちの老後の蓄えできるだろうか?
玉突きのように、子供たちに負担がいったら…親としては、ものすごく辛いんじゃなかろうか?
どちらもお金が関わっている。
大事なのは「愛」というけれど、世の中の不幸の大半は「お金」で解決できる。
自分は「愛」より「お金」が大事な守銭奴なので、父親の介護に関して持ち出しをしないことにした。
ただ、父には蓄えがなかったので、当初は50万〜は持ち出しした。ボーナスもぶっ飛んだ。
でも、そんなことを続けていたら共倒れするので、病院の「無料・低額診療制度」を利用して、入院費や定期検査を1年間無料で受けられるようにしてもらった。
その他にも、役所にある地域包括センターに相談して施設を探してもらったり、任せきりにせず、自分で施設を探すために電話をしまくった。
「法律は法律を知るものの味方」とはよく言ったもので、介護も制度を知らないと金銭的にも心身的にも疲弊する。
利用できる窓口に相談する以外にも、自力で動く必要もある。そして、それがめちゃくちゃ気が重い。
親の介護やお金のことって、簡単に相談できるものじゃないから、わからないことだらけ。
でも、「助けて!」と叫ばないと、どこにも声は届かないんだよ… 。
つらつら記載したけど比較的両親が若い状況で倒れ、治る見込みもなく医療費が月40近くかかり、実家は資産家でもなく、かつ自分や親族は遠方というベリーハードな状況の人っているのかね?
元増田さんから見ると、ベリーハードな状況から脱しているように見えると思う。
でも、安心してください!
去年から、ずーーと続いてるよ!
続く時は続くというけど、本当だっだねー…元増田さん、まだハードモード続行中なんで安心してください!
でも、私やあなたよりも酷い状況下で戦っている人はたくさんいるはず!ひとりじゃないよ!
あと、毎月医療費が40万円もかかってるなら、高額医療費として払い戻しできるんじゃない?ぜひ調べてみて!
自分は健康診断で「高度」判定されたのだけど、再検査では「低度」になったので自然治癒する可能性があった。…残念ながら、先日の再々検査で「中度」に格上げされてしまったので、このまま自然治癒せず「高度」に上がってしまうと、めでたく手術になる。
案外、自分のことは冷静で、いの一番に「生命保険で手術・入院費が支払われるか」を確認した。
母の方がうるさいくらいで、「セカンドオピニオンしてもらった方がいいんじゃないの?」と心配してくるが、正直かなりウザイ。
この辺りは独身の気軽さで、「ダメになっちゃったら、もう仕方ない」という境地にたどり着いているのが原因かも。
この世にいる以上、生と死があるのは仕方ないこと。
配偶者や子供がいたら、セカンドオピニオンでもなんでも受けると思う。
今のところ、自覚していないだけなのか、手放して惜しいものが一つも思い浮かばない。
母は62歳を過ぎた頃より、妙に言葉が出なくなっていた。
だんだんと出来ないことが増えていき、夫婦仲が悪くなる。64歳に若年性認知症と診断を受けた。
その頃父も脳梗塞で倒れ、一時入院をしていた。父は脳梗塞のせいか、鬱なのか、元々の性格なのか、母が認知症と診断されたことに向き合えず、薬を飲めば治ると思い込む。
無論そんな状況で60歳を過ぎた二人が上手く生活できるはずも無く、介護サービスを駆使していたが、限界となり母がグループホームに入所したのが約1年半前。
いまでは息子を観ても息子と認識できず、いつも不眠のため、家に帰りたいと同じ話のみ。(ちなみに入所してから半年振りくらいに会い自分を認識できなかった)
なんとかグループホームで生活しているが月に費用が約18万かかっており、父の年金にて支払っていた。
母が施設に入って以降、父親はどんどん孤独になり、酒に逃げ身体の筋力が落ち始めていた。
今年の1月には家の中でも転ぶようになる。
そして先月家の中で倒れているのをケアマネージャーが発見。緊急搬送され、一命は取りとめるも現在は胃瘻での寝たきりに。なお意識はしっかりしており、話なども理解は出来ているが喉に管がささり、筋力も落ちすぎて身体もほぼ動かないのでコミニケーションは顔の表情で読み取るのみ。
今日本州から北海道に戻り父の転院対応をするも、今後毎月費用が約20万かかる。年齢もまだ70歳のため、寿命も不明。
年金だけでは全然足りない。しかし、公的補助もなく、父の退職金を切りくずして対応していくしかない。
まじでこんなに早く両親が共倒れするとは数年前には思いもしなかった。
親孝行は早目にしたほうがよいと後悔。
しかし、今更どうにもならんし、親の預貯金で保てる間に寿命が尽きるのを一方で期待している最低な事に…
両親共々こんな状況で自分の遺伝的疾患リスクもダブル役満で高い。
もう好きなように生きると思う一方、嫁子供には死んでも迷惑を掛けたくない。
つらつら記載したけど比較的両親が若い状況で倒れ、治る見込みもなく医療費が月40近くかかり、実家は資産家でもなく、かつ自分や親族は遠方というベリーハードな状況の人っているのかね?
ブックマークコメントの中に、メガネが有史以降かなり最近になって発明されたデバイスなのに、何故にフェチになってしまうのかというコメントがあった。
これについては、個別の作品が引き金になる、という問題とは別に考察の余地があるように思う。
個人的にはかつて人類が今よりもずっと当たり前に行なっていた刺青の風習が関係しているように思う。
本州人は、『魏志倭人伝』の記述を信ずるのであれば「鯨面文身」していたという。
当然、刺青の風習が長く残った北海道や千島・樺太に住んでいたアイヌ民族の事例もある。
近代国家の軛によりアイヌ民族の刺青は厳しい抑制を受けたが、元来はああした風習は少なくとも東アジアにはあったのだろう。
顔に何か意味を持つものが付いているってのはフェチに十分なりうると思う。黒子とかでもなるんだから。
時は流れて、科学的なものや文字に依拠した社会を構築している我々の時代においては、その機能を補助するメガネというものは実利的な意味合いに力点を置きつつもおしゃれの一つとしても位置付けられている。