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2024-08-23

量子力学数学抽象化

1. 圏論的枠組み

量子状態観測過程圏論的に記述するため、以下の圏を導入する:

2. 関手自然変換

観測過程を表す自然変換 η: F ⇒ G を定義する。

3. モノイド構造

エントロピー抽象化するため、モノイド (M, ·, e) を導入する。ここで、M は可能エントロピー値の集合、· は結合則を満たす二項演算、e は単位元である

4. 層理論

知識状態の変化を記述するため、位相空間 X 上の層 ℱ を導入する。ここで、X は可能知識状態空間を表す。

5. ホモトピー理論

観測による状態変化をホモトピー同値観点から捉えるため、位相空間の圏 𝕋op における弱同値を考える。

6. 圏論確率

量子確率過程記述するため、𝕧𝕟𝔸 上のマルコフ圏 𝕄arkov(𝕧𝕟𝔸) を導入する。

7. 量子論

量子命題を扱うため、オーソモジュラー格子 L を導入する。

8. 超関数理論

観測過程連続性を記述するため、超関数空間 𝔇'(X) を考える。

定理:量子観測普遍的特性

以下の普遍性を満たす圏 ℂ と関手 U: ℂ → 𝕄eas が存在する:

1. ℂ は完備かつ余完備である

2. U は忠実充満関手である

3. 任意対象 A, B ∈ ℂ に対し、自然な同型 Homℂ(A, B) ≅ Hom𝕄eas(U(A), U(B)) が存在する。

さらに、以下の性質を満たす ℂ の対象 Q (量子状態を表す)と射 f: Q → Q (観測を表す)が存在する:

4. H(G(F(Q))) ≅ U(Q) (量子状態と測度空間対応

5. f は Q 上のモノイド準同型誘導する。

6. f によって誘導される U(Q) 上の写像は測度を保存する。

系:エントロピー減少と世界選択抽象記述

上記定理の下で、以下が成り立つ:

1. エントロピーの減少:

∃m₁, m₂ ∈ M such that m₁ · m₂ = e and m₁ ≠ e

2. 知識獲得:

∃s ∈ Γ(X, ℱ) such that s|U ≠ s|V for some open sets U, V ⊂ X

3. 世界選択

∃h: I → I' in 𝕋op such that h is a weak equivalence and I ≇ I'

ここで、I と I' はそれぞれ観測前と観測後の可能世界空間を表す。

この定式化により、量子観測エントロピーの減少、知識の獲得、そして特定世界への「移動」を、最も一般的かつ抽象的な数学的枠組みで表現することができる。

この枠組みは、具体的な物理系や観測過程依存せず、純粋数学的な構造のみに基づいている。

2010-11-16

数学なら3×5でも5×3でも一緒!(キリッ

(※ 追記しました。)

なわけありません。元ネタ

http://alfalfalfa.com/archives/1374811.html

で、

http://togetter.com/li/68853

http://kidsnote.com/2010/11/15/35or53/

とかで議論されている。この問題は

  • 初等教育で掛け算をどう教えるべきか
  • 3×5と5×3の違いそのものついて

の話が混じりあい、おかしな事になっている。

だがそんな中で、「これは数学では全く同じものだから、くだらない、国語の問題だ」とか言って思考放棄してる連中が多すぎて反吐が出そう。おまえら、どうやって掛け算計算しているんだ?3×5=5×3は、定理より導かれる帰結なんであって3×5と5×3が同じ意味なわけがない。

ここでは、「高等教育を習った人向け」に、数学的に5×3と3×5を区別するべきことを説明する。

前提:数式は言葉である

suzusuke氏も算数科学習指導要領解説から引用していることであるが、数式とは思考過程を表現する言葉(ツール)である。

Aさんがりんごを1個、Bさんがりんごを3個、Cさんがりんごを2個持っていました。合計は?

これに対して、

4+2=6、よって6個

と書いたら、だれにも伝わらない。4って数字がどっから来たのかわからないからだ。

いくら「1+3=4なのは数学的に等価だ!」といっても、それはお前の頭の中であって別の話である。

6であるということを証明するには合計を計算するにはすべてを足せばOKという共通認識を持った上で

1+3+2=4+2=6

と示さなければいけないのである。無論、バックグラウンドで了解が取れるなら

1+3+2=6

といきなり書くことは何ら問題がない。大事なのは「1+3+2」と「1+3+2=6」は言葉として意味が違う、ということだ。どう考えたか、をできるだけハッキリした形で表現できるツールが、数式なのである。

掛け算とは何か

お前らは「3×5も5×3も同じじゃないか」とか言うかもしれない。じゃあ聞きたい、「その同じと言ってる3×5とはなんなのか」を。まさか九九を信用して「3×5=15」のことだ、とは言わないだろう。

ここで、「定義」の必要性が出てくるのだ。掛け算はあまりに普遍的すぎて、そこを忘れやすい。そこで我々は×という記号を

3×5 = 3+3+3+3+3

のような略記である、と「定義」するのである。

ここで、お前らは英語圏では

3×5 = 5+5+5

定義しているぞ、バカが。と言うかもしれない。そのとおりである。それで一向にかまわない。だが大事なのは「数学は可能な限り簡潔な定義でなくてはならない」ということだ。つまり、

3×5 = 3+3+3+3+3 または 3×5 = 5+5+5

なんて自由度を与える定義はあってはならないのだ。そもそも、計算してみないとほんとに等しいかわからない3+3+3+3+3 と 5+5+5 のどっちでもいいよ、ていうのはwell-definedにならない危険性さえある。とにかく、定義は一つで済むなら一つにするべきなのである。

あくまで定義の仕方が2通りある、ということだ。定義の仕方自体に絶対性はない。そして、日本では前者のほうがしっくりくるから、とりあえず前者で定義している。定義なんだから、ローカルルール小学生限定もない。そこを履き違えてはいけない。

ちなみにそんなこと数学で習ったことない、という奴もいるだろうが、当たり前である。高等数学では上記のような略記であるとは定義しない。それは0とか負の数とか、小数とかが入ってくると上記の定義では不足するからである。だが、はじめは自然数だけの世界で議論するなら上の定義が一番素直なのである。

例の文章題に対する正答例と誤答例

では、上記の定義を教えた、という文脈で数学的に「5皿でそれぞれ3つのりんごが乗っている、りんごは合計で?」の解答を考えよう。

その1

15個。

誤答。これは回答になってない。文章中に15という数が書いていないので、どこから15が出現したかわからない。

その2

3+3+3+3+3 = 15、よって15個

正答。3個のものを5皿あるんだから足し合わせるのは自然。式変形は当たり前なので省略したのであろう、当然

3+3+3+3+3 = 6+3+3+3 = ...

としてもOK。

その3

6+3+3+3+3 = 15、よって15個

誤答。たしかに3+3=6だが、それを計算したかどうかが伝わらない。数学的に等価だ、なんて理由にならない。

その4

5+5+5 = 15、よって15個

誤答。文章中に「5個」という言葉が出てない以上、はじめの式の5は「5個」と解釈できない。だから足しあわせた結果はりんごの数を表現しない。

その5

同じ数ずつ乗っているなら1個ずつ配っていくことで数えられる。一周で配れる量は5個で、3こずつ配るから三周する。よって

5+5+5 = 15、よって15個

正答。数式中に現れる5をリンゴの数だと説明しているからである。

その6

3×5 = 15、よって15個

正答。我々の定義に従えば、その2の略記でしかない。

その7

5×3 = 15、よって15個

誤答。我々の定義に従えば、その4の略記でしかない。すると同じ理由で間違い。

3×5と5×3は数学的に等価だ、なんてもう言わないよな?それを認めるとその3でさえ正しい。

そんなわけで

数式とは「定義」という共通認識のうえで言葉を話すものであって、別の記述をしたら「偶然正しい」のか「根拠があって正しい」のかわからんのである。

結論は

  • 自然数限定では)3×5は二通り定義できて、日本では3+3+3+3+3とするのが普通
  • 数式はどう考えたかの言葉(意思表明)であって、等しければいいわけじゃない
  • よって5×3は3×5とは区別される

数の概念整数一般に拡張させると、掛け算の定義は上記では不十分で、分配結合則など環の性質にその本質があることに気がつき、そこに定義を移すことになるがまた別の話。そこまで行くと公理とは何か、整数とはなにかを考え直す必要が出てくる。そこで可換性自体は代数構造には不要であることにも気づくはずだ。

大事なのは定義を尊重する姿勢と、定義そのものに着目する(そして、定義そのものを疑う)姿勢を合わせ持つこと。ローカルルールだ、とか押し付けだ、とか言っているやつらが、実は一番思考停止してる。

まぁ小学生にここまで考えさせるのは、正直厳しいが上記正答例、誤答例を示してみるくらいはいいんじゃないか、と思う。

追記

トラバが付きまくってるwみんな好きだね。

論理的でゴメンナサイ、これでも理系です。

言いたいことが伝わらなくて、もどかしい。

ここまできて、根拠が「それが普通」だからてお前・・・。

今度はそれが普通であるという根拠を主張しなきゃイカんでしょ。

普通」には根拠はないだろう。「慣習」と言い換えてもいい。だから、この定義を疑うことが大事。ただ、一番最初に習う定義として、これを使うことが多いということである。

結局元増田が書いてたくそ長い文章は

「それが普通だから正しい、それ以外は間違い」に集約される、と。

バカみたいだな。

普通だから」ではなく、今の文脈では「3×5 = 3+3+3+3+3 を定義として採用するから」である。まずは定義を信用し、それ以外は知らないものとして扱わなければ数学じゃない。

m×0=0

m×(n+1)= m×n+m

まー俺なんぞが独力で導入できるような概念じゃないけど

それで定義すると、m × n = m + m + ... + m (n times) = n + n + ... + n (m times) = n × m が定理になるんだろう。

ようするに、どれが定義かって話じゃん。

だからこんなにも美しい定義存在するのになんでわざわざ便所のゴミみたいな定義を新しく考える必要があんのよ、って話。

そう、上記の「普通」は普通じゃないだろと気がついたときに定義に変更が加わる。そしてこちらの定義のほうが美しい。だから「これが掛け算の定義だ、そしてこれを定義にすればこの定理は明らかだ」という「文脈」では、5×3と書いても3×5と書いてもいい。

文脈についても議論がされているようだが、文脈こそ数式を語る上で重要なものだ。何を定義にするのかというのも文脈だし、どの定理を認めるかも文脈だからだ。

たぶん、5×3も3×5も同じ物と主張する人は可換性を自明としている。それこそが文脈である。しかし数学で何が文脈なのかは、状況によるし、今回は掛け算を定義したばかりなのだから可換性を自明とするのはおかしい。

「1皿につきりんご3個」と表現した時点でそれは3個/皿という比率しか現していない。3個+3個+3個+3個+3個=15個と言いたいらしいが、前処理を済ませない限りその3につけるべき単位は個ではなく個/皿でしかない。3(個/皿)+3(個/皿)+…、おいおい、比率って足せるのかよ?

単位の話をすると少し難しくなる、というか物理がわかんないのでそこを正確に語れない。だが、あなたの主張を通すと 3+3+3+3+3=15 は間違いだ、ということにならないか?これを否定されるとどうしようも無い。

まぁなんつーか、もっと皆語るといいと思うよ。教育不毛とかはどうでもいいし、小学生が理解できなくていいから。

 
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