はてなキーワード: 戯曲とは
『BLUE』(ブルー)は、千葉コズエによる日本の漫画。『Sho-Comi』(小学館)にて、2009年19号から[1]2011年19号まで掲載された。単行本は全8巻。
『BLUE』(ブルー)は、山本直樹による日本の短編漫画、および同作を収録した単行本のタイトル。作中の性描写が問題となり、東京都により不健全図書の指定を受け、版元回収となったことで話題になった。
『Blue Gender』(ブルージェンダー)は、1999年10月7日から2000年3月30日まで毎週木曜日25時50分から26時20分にTBSで放送されたテレビアニメ作品。月刊コミックドラゴンにおいて加崎善彦の作画で漫画連載もしていた。
『BLUE SEED』(ブルーシード)は、高田裕三の漫画作品、および1994年放映のテレビアニメ。1992年『コミックガンマ』に連載され、看板作品だった。
『Blue Heaven』(ブルーヘヴン)は、髙橋ツトムの漫画作品。『週刊ヤングジャンプ』(集英社)にて2002年から2003年に連載された。単行本全3巻発売。
『BLUE MOON』(ブルー・ムーン)(英一&英二シリーズ)は、森脇真末味による日本の漫画。読み切りシリーズとして、小学館『プチフラワー』に発表された。「緑茶夢」・「おんなのこ物語」と並ぶ作者の代表作の一つ。
『BLUE DRAGON ラルΩグラド』(ブルードラゴン ラル・グラド)は、『週刊少年ジャンプ』(集英社)2007年1号から2007年32号まで連載された原作・鷹野常雄、漫画・小畑健によるファンタジー漫画作品。単行本は全4巻が出版されている。
『BLUE DRAGON ST』(ブルードラゴン シークレットトリック)
2006年12月4日から2007年6月6日まで、『月刊少年ジャンプ』にて連載されていた。漫画は柴田亜美。Xbox 360版から4年後という設定であり、ゲーム版のキャラクターも登場する。ギャグが主。掲載誌休刊の際に連載終了。後に単行本化されている。
Vジャンプ2008年7月号から2009年6月号に連載。原作はアニメのシリーズ構成の大和屋暁、漫画は作画監督の大竹紀子。アニメ『天界の七竜』22話と23話の間に当たる物語。後に単行本化されている。
『BLUE DROP』(ブルー ドロップ)は、吉富昭仁の漫画『電撃コミックガオ!』にて連作読み切りとして連載された後、『チャンピオンRED』にて『BLUE DROP 〜天使の僕ら〜』が連載された。『BLUE DROP 〜天使達の戯曲〜』としてテレビアニメ化され、2007年10月から同年12月に放送された。
『BLUE ROSES 〜妖精と青い瞳の戦士たち〜』(ブルー ローゼス ようせいとあおいひとみのせんしたち)は、2010年9月16日に日本一ソフトウェアから発売されたPlayStation Portable用シミュレーションRPG。 漫画版は『電撃「マ)王』にて2010年11月号から2011年8月号まで連載。作画は中村煌。
『ブルーシティー』は、星野之宣による日本のSF漫画作品。星野の「出世作」とも呼ばれる[1]。『週刊少年ジャンプ』(集英社)にて、1976年2号から同年21号まで連載された。全18話。
『ブルーホール』は、星野之宣によるSF漫画。1991年から1992年まで『ミスターマガジン』(講談社)に連載された。1992年から1993年にかけてKCDX(講談社)から全2巻が刊行され、その後も2度にわたり文庫化された。中国語・フランス語に翻訳されている。 続編にあたる『ブルー・ワールド』は、1995年から1998年まで『月刊アフタヌーン』(講談社)に連載された。1996年から1998年にかけてKCDXから全4巻が刊行され、2001年には文庫化もされた。
『ブルーフレンド』は、えばんふみによる日本の漫画作品。 少女漫画雑誌『りぼん』(集英社)にて連載された百合漫画であり、作者にとって4回目の連載作である。
『ブルーイッシュ』は梅田阿比による日本の漫画。『プリンセスGOLD』(秋田書店刊)2011年1月号から2012年3月号まで不定期連載された。単行本は秋田書店から全2巻。
『ブルートレイン』は、高橋はるまさによる日本の漫画。集英社の漫画雑誌で連載され、電子文庫化を経て、100円ショップダイソーで再文庫化されている。
『ぶるうピーター』は、小山田いくによる日本の漫画作品。1982年から1983年にかけて、秋田書店の『週刊少年チャンピオン』に掲載された。
『B.B.フィッシュ』(ブルーバタフライフィッシュ)は、きたがわ翔による日本の漫画。 1990年末から約3年にわたり、『週刊ヤングジャンプ』(集英社)に連載された。
原ちえこ
ヤマダ
ブルーゲイル 伊藤明弘版権物作品集 (大都社、単巻) - アニメ『戦闘メカ ザブングル』の後日譚(ラグを主人公にした作品)の他、『ARIEL』『勇者王ガオガイガー』の外伝・パロディを収録。
斉藤倫
川本コオ
柿崎普美
近未来の海上を舞台に、水素燃料プラントを狙う謎の軍隊と、国連軍空母部隊との、ステルス戦闘機同士の戦いを描いたSF作品。『サイバーコミックス』連載。休刊により未完。
両大戦間のヨーロッパで広く展開された総合芸術運動。この名称は1917年詩人ギヨーム・アポリネールが、自作の戯曲の装置を担当したパブロ・ピカソの舞台美術を指して言ったことに由来するが、24年アンドレ・ブルトンが『シュルレアリスム第一宣言』において、精神分析的な考察を加えた「夢の全能性への信頼に基づく」芸術の総称へと採用し、以後も指導的役割を演じた。
マニフェスト的にはロートレアモン(イジドール・デュカス)やアルチュール・ランボーの強い影響下にあった「シュルレアリスム」は、当初は文学運動としての側面が強かったが、「オートマティスム(自動記述)」の理念は造形芸術にも強い影響を及ぼし、20世紀美術の一大潮流を形成した。
代表的な人物にルイ・アラゴン、ポール・エリュアール、アントナン・アルトー、ルネ・シャール、ルネ・マグリット
サルバドール・ダリ、マックス・エルンスト(ともに後に除名)、アンドレ・マッソン?、ジョアン・ミロなど。
パリを拠点に活動していた多くの作家は、30年代末にはナチスの台頭によってアメリカに逃れ、アーシル・ゴーキーという最後の後継者を見出した後に終焉を迎えた。
シュールは終わったのだ。
職場の後輩について書いてみる。仕事熱心で愛想も良く、しかも礼儀正しい。客観的に見て、可愛い女性だと思う。年齢は私と10歳以上離れているが、席が隣同士ということもあって話をする機会は多い。プライベートで20代の女性と話すことなど皆無(泣)だが、職場だと自然と会話ができるのが不思議なところだ。仕事に関しても、偉そうに教えているつもりはないのだが、彼女はいつも明るく「ありがとうございました。また教えてくださいね。」と応えてくれるので、こちらも気分がいい。そんな、ふつうの(業務上良好な)先輩後輩の間柄だったところに、ちょっとした事件が起きた。
ある日、彼女の仕事に関係するクレームが発生した。受付が騒がしいので何かと思ったら、年配の男性が大きな声で叫んでいる。後輩が呼ばれて対応に向かったが、どうやら沈静に失敗したようだ。私の方に駆け寄ってきて、「増田先輩、どうしたら良いですか」と助けを求めてくる。「知らんがな」とも言えないので、とりあえず一緒に話を聞いてみることに。色々聞いてみると、どうやら理屈上は当社に非は無いが、感情のこじれがクレームにつながったタイプのようだ。まあ、よくある話。
別室に案内して小一時間、話を聞いているうちに先方も落ち着いてきたようで、最後は、ほぼ円満にお引き取りいただけた(実際に私がしたことは、単に隣に座って小難しそうな表情を浮かべたまま、微笑んだりうなづいたりしていただだけなのだが)。お客様を見送る後輩の背中に「いやー、大変だったね。」と小声で話しかけたところ、そっと扉を閉めてから彼女は振り向いた。「本当にすみませんでした!」と言う彼女の目に涙が浮かんでいる。あらら、そんなに気を張り詰めていたのかなと思い、「いや、ほら、後輩さんも頑張ったよね。お疲れ様。」と言うと、彼女が近づいてきて「増田先輩、ありがとうございました!私、いつも本当に助けてもらってばかりで・・・」と言いながら、私の右腕のスーツの袖口あたりを両手でぎゅっと掴んだ。
・・・ん?あれ、何かいつもと違う、と狼狽える私。掴まれた右手をどうしたらよいのか分からないので、自由に動かせる左手を使って彼女の肩をポンと叩き、「よかったよかった。ね、もう大丈夫」と何が大丈夫なのか分からなかったがとにかく会話を続ける。部屋には私と後輩のふたりだけで、私はなんとなく沈黙を避けたかったのだ。しかし、彼女は私の右手を掴む力を弱めることなく、むしろ近づいて私の手を引っ張り、私の肘のあたりを脇に軽く挟みこみ、結果として私の右手は彼女を抱きかかえるような位置になってしまった。しかも、近い。彼女の潤んだ眼が、私をじっと見つめている。息遣いまで聞こえるほどだ。
後輩「先輩・・・」
私「おっつけだよね。」
後輩「えっ?」
私「右の肘が完全に極まっているし、このまま土俵際まで押し出せると思うよ。」
後輩「増田先輩、何言ってるんですか!これでも、私、勇気を出して・・・」
私「いや、かなりの高スキル。三代目若乃花ばりのおっつけだね」
後輩「話をそらさないでください。私、好きなんです。」
私「俺も、おっつけが得意な力士が好きなんだ。おっつけは相撲の基本技術にして奥義でもあるわけで。」
後輩「もう、何なんですか。さっきから。相撲は関係ないじゃないですか。」
私「でも、よどみない一連の動きに感心したからさ。」
後輩「ひどい。馬鹿にしてるんですか。私、相撲とか知らないし。それに、そんなに太ってないし。」
私「違うよ。若乃花は小兵だけど、おっつけがあったから横綱にまで上り詰めたんだよ。」
後輩「もういいです。増田先輩のばか!」
後輩「第66代横綱に似てるって言われたって、セクハラで人事部に訴えます!」
そういうことで、皆さんもおっつけを練習してみてはいかがだろうか。
(追記)
元増田です。ようやく仕事から帰ってきてPCつけたらすごいことに・・・。初のホッテントリ入りがまさかの500overとなり、ダグワドルジも大変喜んでいると思います。コメントは全て拝読しました。ブックマークしていただいた全ての皆様に感謝です。以下、敬称略。
・tamtam3 残った残った→→普通にふたりで職場に戻って、定時まで仕事しました(そのあと滅茶苦茶〇〇した)。
・valinst この増田は伸びる→→第1号ブコメありがとうございます(ブコメ頂いた後に改変してしまいました。サーセンw)。砂粒のような増田投稿群からの目利き、この人すごいです。
・mozz1207 つかみで随筆と思わせて突如戯曲に変容し、作品の虚構性を自ら明かすのは武田泰淳「ひかりごけ」(1954)以来の実験小説の手法。→→的確な分析、恐縮&感謝です。
・NORITA 人気が出そうなブコメをタイトルで先取りするスタイル→→図星ww見破られたww
・anmin7 別室から部屋に表現が途中で変わったが、まさか相撲部屋の意味とは、この海のリハクの目をもってしても→→突然の海のリハクw物語の展開上何の役にも立っていない男w
・ayumun 『右手の裾』って袖口の事で良いの?→→ご指摘ありがとうございます。分かりにくかったので修正しました。
・doycuesalgoza 調子よかった時の中島らものギャグ系エッセイにちょっと似てる。→→意識して書いたわけではありませんが、らもさんファンにとっては最高の誉め言葉です。
・ienaikotobakari 後輩「ふざけたこと言ってるとリモコンで殴りますよ」なのも欲しい→→そうですね、落ちが雑でした。
・kawa106 文才あるなあ。ブクマのツッコミや解説も花を添えてる→→ありがとうございます。投稿に面白いブコメが付いたからこそブコメが伸びるという共同作業的現象ですね。
1803年、イギリスはロンドンに生まれる。政治家であり小説家。
政治家としては1858年から1859年までダービー内閣において植民地大臣を担い、コロンビアの統治などで成果を挙げて男爵位を授与された。
息子のロバートはインド総督となって伯爵となり、孫のヴィクターは「リットン調査団」の団長として知られる。
一方、小説家としては1834年に発表された歴史小説『ポンペイ最後の日』が名高い。
1839年に発表された戯曲『リシュリュー』での「ペンは剣よりも強し」という台詞もまたよく知られている。
彼はケンブリッジ大学在籍時からオカルトに傾倒し、フランシス・バレットの魔術教室で教えを学んだとされる。
秘密結社・薔薇十字団に入団したか、あるいはパトロンとしてその活動を支えた。
魔術師エリファス・レヴィとも親交があり、その降霊実験を手引きしたとも。
オカルト思想をふんだんに盛り込んだ『ザノーニ』『不思議な物語』といった小説も執筆している。
これに影響を受けてドイツでヴリル協会という秘密結社が設立されたという。
この作品で描かれる地底人たちは、自らの文明の優位を確信し、地上の劣等民族を統治することを当然としていた。
その思想が、ヴリル協会を通して、のちにナチスの人種差別政策やオカルト趣味に多大な影響を与えたとも言われている。
1873年に死去。
今回はせりふが聞き辛かったな。
途中から耳が慣れて聞こえるようになったけれど
野田さんや橋爪さんが聞きづらいなんて事なかったのに。
で、肝心の舞台ですが 重いです。
なので ちょっとまじめに書こうと思う。
昨日からずっと考えてた事。
好き勝手に書くのでご容赦を。
なぜ それをわざわざ触るのか?
といいたくなる題材。
きっと何か意味があるはず。
なんとはなしに感じてた事だけど
十把一絡げ に書いて申し訳ないけど
今の若めの世代の人たちって ちょっと 危ういなって思う事がある。
興味ないことへの興味のなさ度があからさま。
逆に興味があることへの 距離感が近すぎっぽい。
頭でっかち感。
現代の閉塞感のせいもあると思うけど。
「解った上で」って事がない人が多くなっている気がして怖い。
「解った上で」やっている人とそうでない人。
「カチッ」と ハマってしまって
あるんじゃないのかなって ちょっと思ったりする。
で、舞台の話。
なぜ今 この題材なのか。
野田さんもそういった今の危うさを感じていているからなんじゃないかなって思う。
幼子だった子も含めれば
そしてその子達の大多数は
どうして 暴走していく事になったのか。
目の前にぶら下げられる都合のよい作り話を
これらをみて 感じて「考えて」欲しい。
こういうものは 「カチッ」とハマっていい代物ではないんだ。
「忘れるために祈るのよ。でもね、忘れきれないものが残るでしょう。
そのことを忘れないために私は祈るしかない」
でも忘れてはいけない事が残るはず。
その事すら忘れる事がないように私は祈る。
このせりふが それを物語っているのかな。
決して 他人事ではない。
渦中に立った時に あっち側の人間になる可能性が誰にでもある。
私にも。
そして、その可能性の濃度が濃くなっている
今の危うさに気づいて何かを感じて考えて欲しい。
そんな野田さんの祈りにも似た想いなのかもしれない。
いや しかし 重かったなぁ。
いつもは戯曲とか買わないけど
そういえば、観客にエライでかい声で独り言を言ってる人がいました。
ああいう人は始めてだったな~。
ちょっと前に盛り上がった、ダウンタウンのブラックフェイス問題について、
自分は「『我々に差別の意図はないんだからセーフ』って強弁しても、当のアフリカ系がみたらギョッとするんだから、こっちの「意図はない」を無理押ししないで『分かんなかったんでこれからはもうしません』で良いんじゃないのかなー」位に思ってたんだが、最近、ふと「中川礼司の中国語のモノマネって本物と比べたらどれくらい似てるんだろ」と動画サイトを検索したら、劇団ひとりの「北八先生」がでてきた。
はて。
これ、今やったらセーフ?
「なんでも差別差別言ってたらモノマネも出来なくなるじゃないか!大阪のおばちゃんのモノマネは差別かよ!」
自分なりに考えてみよう。
差別って事について、あからさまに「あいつは我々より劣っているので劣った存在として扱おう」など、優劣を確信してやるケースはまれで、「相手がコミニュティに対して疎外感を感じる」「自分がコントロールできない属性によって、自分の所属していないコミニュティから明確に違う扱いを受けたと感じる」と言う所だと自分は思う。雑ですまんが。
そう思うと、大阪のおばちゃんのモノマネは大阪人がやっている限りセーフ。
大阪人は大阪のおばちゃんと同じコミニュティに属し、大阪のおばちゃんについては、おおよそ見ている日本人も「そうはいっても同じ日本人だからいろいろな側面を持っている」という常識を共有した上で、その独特のコミニュケーションをディフォルメしたものを楽しんでいる。
ここでは「劣ったものとして差別してせせら笑っている」かどうかは問題ではない。
北八先生は「別の文化圏に居るよく分からないもの」との交流として戯曲化されていて、「我々のコミニュティじゃない人は違うよね」という不可解さが笑いの仕掛けになっている。
なので、前提として「あの人は私たちの身内じゃないし、知らない。分かろうとしても無理」があって、それに戸惑わされる事を笑っているので、「疎外」を笑いに含んでいる。
どうだろうか。
立場をひっくり返して、たとえば中国のTVで「やたらすぐ謝るし、ちょっとした約束をしようとるすとすぐに保留にして持ち帰る、東京老師(演じているのは北京出身のお笑い芸人)」というキャラが大人気になって、上海を歩いていたら「東京老師!」と声をかけられたら微妙な気持ちになると思う。
ようこそ!
ここは酸いも甘いも味わえる夢のワンダーランド、インターネッツ。「www」の扉をくぐれば誰だって飛び込める!
人種、属性、性癖、思想、誰一人制限されることはない完全な仮想的オープンワールド。
来る者拒まず去る者追わず。見回りの警察はいても門番はいないよ。誰でもカモン!
それが、政治。
無視したくても、目を閉じたくても、視界をそらしたくてもいっつも気になる子の様に視界の隅にチラついちゃう。
参加条件はなし!ロボット以外は誰でもおいで!
でも、どっちが有利かなんてわかんないよ。それは指揮官なき戦争。局地的戦局は見られても誰一人、俯瞰的なことはわかりゃしない。だって、今もこうしてワンダーランドは広がり続けてるんだから!
いっつも、右の軍勢と左の軍勢はせめぎ合ってばかり、左が押し込むこともあれば、右がグイグイくることもある。
それの繰り返しさ。
飽きないかだって?
そりゃ、飽きないよ。実際今まで続いてきたじゃないか。
でもでも、右の軍勢に押されてる時に、左の軍勢なんて辞めたくならないかだって?
いいこと聞くねぇ、このワンダーランドは一つの戯曲。大事なのはギリシャのような精神の浄化、カタルシスさ!
グイグイおされた左の軍勢。でもでも、ワンダーランドの神様はかたっぽがやられっぱなしなんてつまらない真似は好まれない。
ある時を境に今度は左の軍勢は水を与えられた魚のように元気になるのさ。
そうすりゃ、なんのクライマックスのように左の軍勢はカタルシスを味わえる。
因みにこれは、右の軍勢も然り、だ。
しかも、こりゃただの劇場とは違うぜ、何せそこはワンダーランド、皆が皆悲劇のヒロインで復讐の主人公。悪の大魔王軍団に好きなだけ思いの丈をブチかますことが出来るのさ。
ワンダーランドの人達が争うことワンダーランドの神様もそれを望まれている。
闘争は人間の本能。体はワンダーランドでも心が人間なのならそこからは逃れられない。
人と人との争いはエネルギーを生む。神様にはそのエネルギーが必要なのさ。このワンダーランドをワンダーランドたらしめる為には……
さて、キミはどっちの軍勢に入りたいんだい?
……そっかぁ、そりゃいつか苦労するぜ
劇場通いしてるわけでもないし、自分が演劇をやってたわけでもないど素人ですが。
虚構の世界を本物のように作り上げようとする芸術が素敵だと思います。
手塚治虫先生の『七色いんこ』、今話題の松浦だるま先生による『累』など、演劇を扱っている漫画も好きで読んでます。
高校の時も文化祭の時演劇部の舞台を自分のシフトの合間に見に行ったりしました。
演技はプロではないけど、普段授業で使っている教室に、現実から切り離された舞台の空間が展開されているのにどきどきしました。
実は演じることにも興味はあったんだけど、勇気がなくて結局そのままきてしまった。
気が向いたとき、お風呂につかりながらで「マクベス」とかの戯曲の台詞を一人で読んでいます。結構楽しい。
おすすめとかあったらだれか教えてほしいです。
「3巻以内完結のおすすめマンガ」にブコメしてもよかったが、語りたかったので増田にする。
この増田で言いたいことを一行で書くとしたら、これが大傑作だったと思ったということだ。
四コママンガ形式だけど長編。台詞が写植ではなく手書きであることを嫌う人がamazonのレビューにいたから人を選ぶかもしれない。だけど読んで損はない。
舞台は女子高。とある一日、校舎の屋上に、偶然、様々な生徒が集まってくる。主人公格の漫才研究会のコンビ、ソフトボール部員、漫研、生徒会、保健委員、不良少女、ぼっちの引きこもり少女…
漫才研究会コンビを主人公格と書いたのは、彼女ら以外の登場人物のほぼ全員にも、背景となるドラマがあるからだ。
ふと彼女らが屋上から校庭や校舎を見回すと、恐るべき光景が! 街がゾンビの大群に襲われ、彼女らは孤立してしまったのだ…という設定だ。
初めのほうは軽やかなギャグが連発される。それが徐々に、残酷なスプラッタに変わる。登場人物たちが次々に、容赦なく殺されてゆく。
笑いが恐怖に変わるというと中島らもの傑作戯曲『こどもの一生』が思い出されるが、あれより救いはない。救いは全然ない。『まどマギに』似ているかもしれない。それも違うか。
マンガを読む価値が現実では体験できない感情をかき立てられることにあるとしたら、この作品は見事にそれに成功していると思った。それを言いたかったのだ。
「舞台っぽいな」と思ったら元は戯曲でそれをコミック化したものだそうだ。原作者は麻草郁という人で、やはりはてなーだった。idはscreammachine。
ネタバレになるから書けないが、あのラストを読んだ時、なんとなく作者は絶対に女性に違いないと思ったが、はてなブログやプロフィールの写真を見ると男性だった。
他にも…
・となりの801ちゃん+(3巻続刊)
“+”はプラスと読み、ヒロインがお母さんになったという意味だと思う。
先行の『となりの801ちゃん』(6巻完結)の巻末には京都御薗橋801商店街のゆるキャラ「801ちゃん」とのコラボページがついていたが、“+”ではそれがなくなっていた。
とか…
『はてな村奇譚』だけの小島アジコ先生じゃないのだ。本業で頑張ってる人がはてなで我々に構ってくれることに、たまにはちょっとぐらい感謝してもバチは当たるまい。
ジョルジュ・サルマナザールはフランス生まれの白人だったが、ウィリアム・イネスという牧師の協力を得て「キリスト教に改宗した台湾人」になりすました。「台湾人の先祖は日本人である」「香草をまぶした生肉を食べている」などデタラメな風習を広め、独自の「台湾語」まで作りだした。当時のヨーロッパでは台湾のことなど全く知られていなかったので、サルマナザールは25年ものあいだ台湾の専門家と見なされ、彼が執筆した『台湾誌』は知識人からも信頼されていた。しかし、ハレー彗星で知られるエドモンド・ハレーが、『台湾誌』に掲載された星図などから矛盾を見つけ出して突きつけたため、彼はついに自らの虚偽を告白した。
数学教授ロデリックと図書館司書エックハルトは、横柄な態度のヨハン・ベリンガーに腹を立て、悪質ないたずらを仕掛けることにした。二人は石灰岩に細工をして、カエルやミミズの化石、彗星や太陽の形をした化石、「ヤハウェ」という文字が刻まれた化石などを作り出し、ベリンガーが化石を採集していた山に埋めておいた。当時は化石が生まれる原因が分かっておらず、神秘的な力によって形成されると考えられていたので、いま見ると明らかにおかしな化石でも、ベリンガーは本物だと信じこみ、図版を収録した書籍まで出版してしまった。話が大きくなって慌てた犯人の二人は偽造であることを明かしたが、ベリンガーはそれを中傷だと考えてまったく取り合わなかったという。
コック・レーンにあるリチャード・パーソンズの家に、ウィリアム・ケントとファニーという夫妻が下宿していた。しばらくしてファニーは天然痘で亡くなったが、それ以来、パーソンズの家では何かを叩くような音や引っかくような音がたびたび聞こえるようになり、パーソンズは「ファニーの幽霊に取り憑かれた」と主張した。ファニーの幽霊は、自分がケントに毒殺されたことを訴えているのだとされた。幽霊のことはロンドン中の話題になり、見物客が連日のように集まってコック・レーンを歩けないほどだった。しかし調査の結果、パーソンズが自分の娘を使って、木の板を叩いたり引っかいたりさせていたのだということが分かり、彼は有罪となった。
ヴォルフガング・フォン・ケンペレンは「トルコ人」という名の人形を完成させた。それは完全な機械仕掛けでチェスを指し、しかもほとんどの人間より強いというものだった。「トルコ人」はヨーロッパ中を旅してチェスを指し、その中にはベンジャミン・フランクリンやナポレオン・ボナパルトなどの名だたる人物がいた。多くの人間がその秘密を暴こうとしたが果たせなかった。ケンペレンの死後、「トルコ人」はヨハン・メルツェルのもとに渡り、ふたたびアメリカなどで大金を稼いだが、1854年に火事によって焼失した。その後、最後の持ち主の息子が明らかにしたところでは、やはりチェス盤のあるキャビネットの中に人が入っていたのであった。
宝石商シャルル・ベーマーは、自身が持つ高額な首飾りを王妃マリー・アントワネットに売りたいと思い、王妃の友人だと吹聴していたラ・モット伯爵夫人に仲介を依頼した。伯爵夫人は、ルイ・ド・ロアン枢機卿を巧みに騙して首飾りの代理購入をさせ、王妃に渡すと言って受け取った首飾りをばらばらにして売りさばいてしまった。その後、事件が発覚して伯爵夫人は逮捕された。かの有名なカリオストロ伯爵も巻き添えで逮捕され、のちに無罪となっている。また「王妃はラ・モット伯爵夫人と同性愛関係にあった」「この事件は王妃の陰謀だった」といった事実無根の噂が流れ、マリー・アントワネットの評判は貶められた。
19歳のウィリアム・ヘンリー・アイアランドは、父親を喜ばせるためにシェイクスピアの手紙や文書を偽造するようになった。多くの専門家がそれを本物だと鑑定し、ジェイムズ・ボズウェルなどは「我らが詩人の聖遺物を生きて見られたことに感謝する」と祝杯を上げたほどだった。ついにウィリアムは戯曲の偽作まで行うようになったが、その戯曲「ヴォーティガンとロウィーナ」はあまりにも悲惨な出来栄えだった。また、その頃にはエドモンド・マローンによる批判も広まっていた。ウィリアムは罪を自白したが、世間はそれをウィリアムの父親が息子に言わせているものだと受け取った。当の父親も、無能な息子がそんなものを書けるわけがないと、死ぬまで贋作であることを信じなかった。
イギリスで異国の言葉を話す身元不明の女性が保護された。ある船乗りが「言葉が分かる」というので通訳となった。船乗りによれば、彼女はインド洋の島国の王女カラブーであり、海賊に囚われていたが逃げ出してきたのだということだった。彼女は地元の有力者たちのあいだで人気となり、またその肖像画は新聞に掲載されて広まった。しかし、その新聞を見た人から通報があり、彼女はメアリー・ベイカーという家政婦で、架空の言語を作り出して、カラブー王女のふりをしていただけだということが判明した。
イギリス軍人グレガー・マクレガーは、中南米で実際に功績を上げたのち、イギリスに戻って「ポヤイス国」への移住者を募集した。ポヤイス国は南米の美しい楽園で、土地は肥沃であり、砂金が採れると喧伝された。ポヤイス国の土地や役職、通貨などが高額で売りに出された。それを購入した二百七十人の移住者グループが船で現地へ向かったが、そこにポヤイス国など存在しなかった。荒れ地に放り出された移住者たちは次々に死んでいった。マクレガーはフランスに高飛びし、そこで同じ詐欺を働こうとして失敗した。さらにベネズエラへと逃げて、そこで英雄的な軍人として死んだ。
アメリカの冒険家だったジョシュア・ヒルは、ハワイへ移住しようとして失敗した後、タヒチ島からピトケアン島へと渡った。ピトケアン島は、イギリスからタヒチまで航海したのちに水兵たちが反乱を起こしたという「バウンティ号」の生き残りと、その子孫たちが暮らす絶海の孤島だった。ヒルは、自分はイギリス政府から派遣された要人だと嘘をつき、独裁者として君臨した。逆らう者には容赦なく鞭を振るい、恐怖で島を支配した。それから6年後、通りすがりのイギリス海軍の船に島民たちが助けを求めたことで、ついにヒルは島から追放された。
イギリスの名門ティッチボーン家の長男ロジャーは、1854年に南アメリカ沖で海難事故に遭って亡くなっていたが、その10年後にオーストラリアで肉屋を営む男が「自分がロジャーである」と名乗り出た。翌年、ロジャーの母である未亡人と「ロジャー」はパリで面会した。華奢だったロジャーとは違い、「ロジャー」は体重100kgを超える粗野な男だったが、未亡人は彼こそがロジャーだと認めた。貴族を名乗りつつも労働者であった彼は、イギリスの庶民からも大いに人気を集めた。しかし未亡人が亡くなった後、裁判において彼は偽者であるとの裁決が下され、14年の懲役刑を課されることになった。
ジョージ・ハルは進化論を支持する無神論者だったが、聖書に登場する巨人の実在について口論となり、それがきっかけで巨人の化石を捏造することを思いついた。石膏を巧みに加工し、毛穴まで彫り込んで、いかにも偶然発見したかのように装って大々的に発表した。専門家たちはすぐに偽物であることを見抜いたが、キリスト教原理主義者の一部は進化論への反証としてこれを支持し、また全米から多くの見物客がやってきた。フィニアス・テイラー・バーナムが同様に巨人の化石を見世物にしはじめたことで、ハルはバーナムを訴えるが、その裁判を取材していた新聞記者がハルの雇った石工を突き止めて自白させたため、ハルも観念して偽造を認めてしまった。
ドイツの靴職人ヴィルヘルム・フォークトは、古着屋で軍服や軍刀などを購入し、「プロイセン陸軍の大尉」に変装した。彼は大通りで立哨勤務をしていた近衛兵に声をかけ、十数名の兵士を集めさせると、ケーペニック市庁舎に踏み込んだ。フォークトは、市長や秘書らを逮捕し、また市の予算から4000マルクほどを押収すると、兵士たちにこのまま市庁舎を占拠するよう言いつけ、自分は悠々と駅に向かい、新聞記者からの取材に応じた後、列車に乗り込んで姿を消した。彼はすぐに逮捕されたが、ドイツ全土で人気者となり、時の皇帝によって特赦を受けた。
イギリスのピルトダウンでチャールズ・ドーソンによって発見された化石は、脳は現代人のように大きいが、下顎は類人猿に似ている頭蓋骨だった。ドーソンはこれをアーサー・スミス・ウッドワードと共同で研究し、人類の最古の祖先として「ピルトダウン人」と名付けて発表した。当時は大英帝国の繁栄期であり、人類発祥の地がイギリスであるという説は強く関心を持たれた。しかし1949年、フッ素年代測定により、ピルトダウン人の化石が捏造されたものだと断定された。捏造の犯人は未だに分かっておらず、『シャーロック・ホームズ』の作者であるアーサー・コナン・ドイルが真犯人だという説まである。
後に作家となるヴァージニア・ウルフを含む6人の大学生たちは、外務次官の名義でイギリス艦隊司令長官に「エチオピアの皇帝が艦隊を見学するので国賓として応対せよ」と電報を打ってから、変装をして戦艦ドレッドノートが停泊するウェイマス港に向かった。ぞんざいな変装だったにもかかわらず正体がバレることはなく、イギリス海軍から歓待を受けた。彼らはラテン語やギリシア語を交えたでたらめな言葉を話し、適当なものを指して「ブンガ!ブンガ!」と叫んだりした。ロンドンに帰った彼らは新聞社に手紙を送って種明かしをし、イギリス海軍の面目は丸潰れとなった。
ドイツの曲芸師オットー・ヴィッテは、アルバニア公国の独立の際に「スルタンの甥」のふりをしてアルバニアへ赴き、嘘がバレるまでの五日間だけ国王として即位した、と吹聴した。そのような記録はアルバニアにもなく、当時からオットーの証言は疑わしいものとされていたが、オットーはドイツ国内でよく知られ、新聞などで人気を博していた。オットーが亡くなったとき、その訃報には「元アルバニア王オットー1世」と書かれた。
コティングリー村に住む少女、フランシス・グリフィスとエルシー・ライトは、日頃から「森で妖精たちと遊んでいる」と話していた。ある日、二人が撮影してきた写真に小さな妖精が写っていたことに驚いた父親は、作家のアーサー・コナン・ドイルに鑑定を依頼した。そしてドイルが「本物の妖精」とのお墨付きを与えて雑誌に発表したため、大騒動となった。50年後、老婆となったエルシーは、絵本から切り抜いた妖精を草むらにピンで止めて撮影したと告白した。しかし、フランシスもエルシーも「写真は偽物だが妖精を見たのは本当だ」と最後まで主張していた。
オーストラリアの現代詩誌『アングリー・ペンギンズ』に、25歳で亡くなったという青年アーン・マレーの詩が、彼の姉であるエセルから送られてきた。『アングリー・ペンギンズ』誌はこれを大きく取り上げて天才と称賛した。しかし、これは保守派の詩人であるジェームズ・マコーリーとハロルド・スチュワートが、現代詩を貶めるためにつくったデタラメなものだった。この事件によりオーストラリアの現代詩壇は大きな損害を蒙ったが、1970年代に入るとアーン・マレーの作品はシュルレアリスム詩として称賛されるようになり、以降の芸術家に大きな影響を与えるようになった。
フィリピンのミンダナオ島で、文明から孤立したまま原始的な暮らしを続けてきたという「タサダイ族」が発見された。彼らの言語には「武器」「戦争」「敵」といった言葉がなかったため「愛の部族」として世界的な話題になった。彼らを保護するため、世界中から多額の寄付が集まり、居住区への立ち入りは禁止された。しかし15年後、保護地区に潜入したジャーナリストは、タサダイ族が家に住み、タバコを吸い、オートバイに乗っているのを目撃した。全ては当時のフィリピンの環境大臣マヌエル・エリザルデJr.による募金目当てのでっちあげだったとされた。
評論雑誌『ソーシャル・テキスト』は、「サイエンス・ウォーズ」と題したポストモダニズム批判への反論の特集に、アラン・ソーカルから寄せられた『境界を侵犯すること 量子重力の変換解釈学に向けて』という論文を掲載した。しかしそれは、ソーカルがのちに明かしたとおり、きちんと読めば明らかにおかしいと分かるような意味不明の疑似論文であり、ソーカルはそうしたでたらめをきちんと見抜けるかを試したのだった。それはポストモダンの哲学者たちが科学用語を濫用かつ誤用している状況に対する痛烈な批判だった。
劉備亡き後の蜀漢をよく支えたが、志半ばにして五丈原に死した。
その判断は公明正大で、諸葛亮によって流罪とされた者ですら、彼を恨まずその死を嘆いたという。
彼の手になる「出師表」は古今の名文とされ、「読みて涙を堕さざればその人必ず不忠」と言われるほどである。
唐の凌煙閣二十四功臣の第四位。
もとは太宗の政敵である李建成の部下であったが、その剛直さを買った太宗が自身の側近として登用した。
皇帝となった太宗に対しても容赦なく諫言し、亡くなったときには「朕を写す鏡を失った」と太宗を嘆かせた。
そのやりとりが多く記録された「貞観政要」は帝王学の名著とされている。
魏徴と同じく、性剛直にして諫言を多くすることで知られ、寇準がやってくれば百官が震え上がると言われた。
その性格のため周囲の恨みを買い、讒言により宰相を追われるが、死後に名誉回復がなされた。
賄賂を厳しく取り締まったことで、貴族からは恐れられ、民からは慕われた。
その峻烈な性格は「包拯が笑う時は黄河が澄む時だ」と言われるほどだった。
死後、人気はさらに高まり、「包公故事」として劇や小説、あるいはテレビドラマの題材となった。
南宋の三忠臣、亡宋の三傑と呼ばれたうちの一人。
弱冠にして科挙に首席合格した傑物であり、「正気の歌」などの優れた詩を残す。
南宋の首都が陥落したあとも抗戦したがモンゴル軍に捕らえられた。
彼の才を惜しんだクビライから、帰順すれば宰相にするとまで言われたが、「宋の宰相がどうして二姓に仕えようか」とただ死を望んだ。
やむなく文天祥を処刑したクビライは、彼を評して「真の男子なり」と讃えた。
エセン率いるモンゴル軍に明軍が大敗し正統帝が囚われたとき、于謙はすぐさま正統帝の弟を皇帝に立て、徹底抗戦の構えを見せた。
首都である北京にまで迫ったエセンを撃退し、正統帝を取り返したが、のちに反逆者の汚名を着せられ処刑された。
地方の官吏であった頃に、賄賂を受け取らずに都に戻る清々しさを詩に詠んだという故事は、「清風両袖」の語源となっている。
道教に傾倒し政治を顧みない明の嘉靖帝を諌めたことで投獄された。
海瑞は、棺桶を買い、妻子に別れを告げ、死ぬ覚悟を持って直諫に臨んだという。
嘉靖帝の死後、釈放されてからも要職に就けないまま役職を転々としたが、その謹厳な性格は変わらなかった。
この海瑞のことを描いた戯曲が、文化大革命の発端となった「海瑞罷官」である。
明末、抗清の武将。
李自成の乱によって明の首都である北京が陥落すると、江南へ退避して亡命政権を打ち立てた。
揚州にて清の大軍と戦っていたがついに包囲され、熾烈な抵抗を行った末、落城時に自刎した。
それによって莫大な損害を被った清軍は、報復として揚州の八十万人を虐殺したと言われる。
日本で生まれて七歳で明へ渡り、北京陥落後は亡命政権の一つに拠った。
そこで隆武帝に気に入られ、国姓の「朱」を与えられたので、以降「国姓爺」と呼ばれるようになった。
父親が清に降ったのちも、鄭成功は奮戦を続けたが、抗しきれず台湾へと渡った。
その地を支配していたオランダ人を追放して独自政権を打ちたて、翌年に死去した。
清の官僚として、地方の農村の再建と腐敗した官吏の処分を行い、名声を高めた。
道光帝によって欽差大臣に抜擢され、阿片禁輸の大任を託された。