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2018-07-06

2010年08月当時の日記NODA MAP 「ザ・キャラクター観劇

東京芸術劇場ホール

宮沢りえ,古田新太,野田秀樹,橋爪功藤井隆

美波,池内博之,チョウソンハ,田中哲司

今回はせりふが聞き辛かったな。

途中から耳が慣れて聞こえるようになったけれど

野田さんや橋爪さんが聞きづらいなんて事なかったのに。

劇場問題なのかな。

で、肝心の舞台ですが 重いです。

途中から気持ち悪くなるくらい重い舞台でした。

なので ちょっとまじめに書こうと思う。

昨日からずっと考えてた事。

好き勝手に書くのでご容赦を。

野田作品によくある2つの世界交錯させながら表現してく手法

言葉遊びを絡ませながら話は進んでいきます

ギリシャ神話カルト集団の内部。

そしてカルト集団は あのオウムベース

街の書道教室で紙に文字を書いていたはずの集団

神を名乗り 狂信的で盲目的な信者が増えていき

やがて みなが知るあの事件と同様の狂気へと進んでいく。

リアルタイムでそれも東京にいた私たちにはつらい題材。

なぜ それをわざわざ触るのか?

といいたくなる題材。

でも、今 野田氏があえてこの題材を取り上げたのだから

きっと何か意味があるはず。

なんとはなしに感じてた事だけど

もちろんそうじゃない人も大勢いる事は大前提だし

十把一絡げ に書いて申し訳ないけど

今の若めの世代の人たちって ちょっと 危ういなって思う事がある。

知識はあるけど倫理感が希薄

視野が狭くて近眼的。

自分で考えて自分判断する力はあまりもっていない。

興味ないことへの興味のなさ度があからさま。

逆に興味があることへの 距離感が近すぎっぽい。

頭でっかち感。

現代の閉塞感のせいもあると思うけど。

「解った上で」って事がない人が多くなっている気がして怖い。

「解った上で」やっている人とそうでない人。

「解った上で」がわからない人々=大人ではない成人=幼さ

から、建前として「社会貢献」とか「使命感」とかの

オブラートうまい事包んで誘導する輩が出てきたら

「カチッ」と ハマってしまって

簡単カルト宗教軍国主義暴走していきそうな危機感って

あるんじゃないのかなって ちょっと思ったりする。

で、舞台の話。

なぜ今 この題材なのか。

野田さんもそういった今の危うさを感じていているからなんじゃないかなって思う。

あくまで私の感じたことだけど

あの事件から15年

幼子だった子も含めれば

知ってはいるけどリアルじゃない人たちが成人になっていく。

そしてその子達の大多数は

オウム当事者たちと同じように 幼い大人

から 今のタイミング舞台モチーフとして取り上げる事で

どうして そんな集団が出来てしまって

どうして 暴走していく事になったのか。

現実から逃れて 安易に答えを求めて

目の前にぶら下げられる都合のよい作り話を

自ら考える事をせずに信じて盲目的に掴んだ幼い大人

これらをみて 感じて「考えて」欲しい。

こういうものは 「カチッ」とハマっていい代物ではないんだ。

という事を再認識して欲しいんじゃないかな。

「忘れるために祈るのよ。でもね、忘れきれないものが残るでしょう。

そのことを忘れないために私は祈るしかない」

忘れてもいいのだ と、それが時間だし 人間から

でも忘れてはいけない事が残るはず。

その事すら忘れる事がないように私は祈る。

このせりふが それを物語っているのかな。

からこそ 高校生1000円という席を設けたんだろう。

若い世代に見て欲しいんだよね。きっと。

今の時代の危うさ、恐ろしさを 野田さんも危惧している。

日本の良き倫理観も哲学思想希薄になってしまった現代

この物語は 間違って突き進んだ愚かな人々のストーリーだけど

決して 他人事ではない。

渦中に立った時に あっち側の人間になる可能性が誰にでもある。

私にも。

そして、その可能性の濃度が濃くなっている

今の危うさに気づいて何かを感じて考えて欲しい。

そんな野田さんの祈りにも似た想いなのかもしれない。

そう私なりに感じて考えて解釈した舞台でした。

いや しかし 重かったなぁ。

ホントはもう一回見たいけど、お金チケットもない。

いつもは戯曲とか買わないけど

新潮掲載されてるみたいなんで買ってみようかな。

そういえば、観客にエライかい声で独り言を言ってる人がいました。

あいう人は始めてだったな~。

 
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