はてなキーワード: 亡命政権とは
ありがとう。亡命政府の話をそういう視点で見ていなかったから勉強になった。
他方、亡命政権構想の場合にも反撃を前提にしているように見えた。以下、リンク先の記事からの引用:
===
検討中といわれる「亡命政権」構想の根底には、ゼレンスキー大統領を頂点とする政権指導部が国外に出たとしても、国内各都市、町村部には、ロシア軍相手に戦闘意欲の旺盛な何百万人にもおよぶ青年、予備兵が居残り、長期ゲリラ戦が展開されるとの打算がある。そのためには、米欧同盟諸国側も、今後、長期にわたり、反露ゲリラ・テコ入れのための「ハープーン」「スティンガー・ミサイル」などの各種兵器、弾薬、兵站物資の継続的投入が余儀なくされてくることは言うまでもない。
===
劉備亡き後の蜀漢をよく支えたが、志半ばにして五丈原に死した。
その判断は公明正大で、諸葛亮によって流罪とされた者ですら、彼を恨まずその死を嘆いたという。
彼の手になる「出師表」は古今の名文とされ、「読みて涙を堕さざればその人必ず不忠」と言われるほどである。
唐の凌煙閣二十四功臣の第四位。
もとは太宗の政敵である李建成の部下であったが、その剛直さを買った太宗が自身の側近として登用した。
皇帝となった太宗に対しても容赦なく諫言し、亡くなったときには「朕を写す鏡を失った」と太宗を嘆かせた。
そのやりとりが多く記録された「貞観政要」は帝王学の名著とされている。
魏徴と同じく、性剛直にして諫言を多くすることで知られ、寇準がやってくれば百官が震え上がると言われた。
その性格のため周囲の恨みを買い、讒言により宰相を追われるが、死後に名誉回復がなされた。
賄賂を厳しく取り締まったことで、貴族からは恐れられ、民からは慕われた。
その峻烈な性格は「包拯が笑う時は黄河が澄む時だ」と言われるほどだった。
死後、人気はさらに高まり、「包公故事」として劇や小説、あるいはテレビドラマの題材となった。
南宋の三忠臣、亡宋の三傑と呼ばれたうちの一人。
弱冠にして科挙に首席合格した傑物であり、「正気の歌」などの優れた詩を残す。
南宋の首都が陥落したあとも抗戦したがモンゴル軍に捕らえられた。
彼の才を惜しんだクビライから、帰順すれば宰相にするとまで言われたが、「宋の宰相がどうして二姓に仕えようか」とただ死を望んだ。
やむなく文天祥を処刑したクビライは、彼を評して「真の男子なり」と讃えた。
エセン率いるモンゴル軍に明軍が大敗し正統帝が囚われたとき、于謙はすぐさま正統帝の弟を皇帝に立て、徹底抗戦の構えを見せた。
首都である北京にまで迫ったエセンを撃退し、正統帝を取り返したが、のちに反逆者の汚名を着せられ処刑された。
地方の官吏であった頃に、賄賂を受け取らずに都に戻る清々しさを詩に詠んだという故事は、「清風両袖」の語源となっている。
道教に傾倒し政治を顧みない明の嘉靖帝を諌めたことで投獄された。
海瑞は、棺桶を買い、妻子に別れを告げ、死ぬ覚悟を持って直諫に臨んだという。
嘉靖帝の死後、釈放されてからも要職に就けないまま役職を転々としたが、その謹厳な性格は変わらなかった。
この海瑞のことを描いた戯曲が、文化大革命の発端となった「海瑞罷官」である。
明末、抗清の武将。
李自成の乱によって明の首都である北京が陥落すると、江南へ退避して亡命政権を打ち立てた。
揚州にて清の大軍と戦っていたがついに包囲され、熾烈な抵抗を行った末、落城時に自刎した。
それによって莫大な損害を被った清軍は、報復として揚州の八十万人を虐殺したと言われる。
日本で生まれて七歳で明へ渡り、北京陥落後は亡命政権の一つに拠った。
そこで隆武帝に気に入られ、国姓の「朱」を与えられたので、以降「国姓爺」と呼ばれるようになった。
父親が清に降ったのちも、鄭成功は奮戦を続けたが、抗しきれず台湾へと渡った。
その地を支配していたオランダ人を追放して独自政権を打ちたて、翌年に死去した。
清の官僚として、地方の農村の再建と腐敗した官吏の処分を行い、名声を高めた。
道光帝によって欽差大臣に抜擢され、阿片禁輸の大任を託された。
> 過去の人権侵害にきちんと向きあおうとしない人たちは、今後も発生しうる人権問題にも向きあおうとしないんだろうとは思うけどね。
それ、そっくりそのまま、左翼に帰るぞ。沖縄での革新系政党による、長年に渡る自衛官・警察官への差別や、立川市長による自衛隊員住民登録拒否事件に代表される数々の差別事件がある。それを左翼はまだ一向に反省してない。少なくとも、左翼系団体が集まって、自衛官に謝罪したというニュースは一向に聞かない。まさか、左翼の差別は良い差別とか言わんよね?
左翼が語る「人権侵害」の範囲に隔たりがある気がするんだよな。
左翼って、行進してる自衛官に向かって、罵声を浴びせるじゃん。チベットの虐殺がどれだけ進行しても「日本は中国と友好関係を築かなければならない」とか言うだろ。日本とは比べ物にならないほどの人権侵害国家と友好と主張するだとか、どう言い繕っても人権侵害に加担してるだけなんだが。チベットの亡命政権に協力してる日本の団体は右翼団体ばかりで、左翼系団体はほとんど見当たらんし(もちろん、右翼系団体の強力には下心があるだろうが、一切の協力をしないのが日本の左翼である)。
そんな、都合の良い時だけ人権を持ち出す連中に、人権を語られても乾いた笑いしか出てこない。左翼側が、右翼のチベット救援活動や拉致被害者救援活動を信用出来ないのと同じ理屈でね。せめて、どんな時でも弾圧されてる側の立場に立った主張をするのなら尊敬するのだが、左翼って、相手が中国や韓国になったら、批判するときでも声のトーンが、日本やアメリカを相手にした時より、数段、落ちて聞こえるんだよな。
だいたい、こんな写真までばら撒いて喜んでる連中が「人権」とか、本気で言ってるのか? ああ、もちろんこういうのは一部なんだろう。だけど、それをいうなら、人権侵害をして喜んでる右翼もまた一部なんだよ。