はてなキーワード: 神経衰弱とは
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こちらのたくさん本があったという話について、古本界隈で働いていたので書いておこうと思います。
別に隠れて投稿することもないかと思いましたが、業界の裏話的な内容なのでこちらにしました。
まず図書館への寄贈は、よほどの希少本でない限り基本的に断られます。
同様に病院や養護施設などへの寄贈も受け付けてないことが多く、内容についても精査されるので難しいです。
これまでの経験からひとりで保管できる最大がだいたい1万冊なので、ここでは仮に1万冊持っていたとします。
それを古本屋が買い取るとなると、トラックなどで往復する手間とそれなりの人手が必要です。
複雑な戸建てや高層階のマンションなどは運び出すだけでも数日かかりますのでここで数万円、場合によっては10万くらいの費用が発生しています。
価値があるかどうか、破れていないか、ペンなどの書き込みがないかをチェックしながら、販売用と転売用と廃棄用に分けていきます。
販売用とは自分で販売するという意味で、最も価値がある本ということです。
もちろん全部売れるわけではないので、利益が確定しているわけではありません。
転売用とは自分では売らないが他の同業他社が扱っているものです。
この基準は各店舗で異なりますが、例えばあるジャンルは扱ってないとか、破れやシミなどがあるものは扱わないとか、単価の安いものは扱わないとか、それぞれ独自の基準を持っていますので、自分が売らなくても他店で取り扱っているのであればそちらに回します。
破れていたりコーヒーがかかっていたりと商品としての価値がなくなったものはこちらです。
その他電話帳のような元々価値がないものや、販売が困難なものもこちらに入ることが多いです。
専門店でないと取り扱いが難しく、またそのような専門店に転売しようと思っても、それぞれに価値があるのかどうかの判断に時間がかかったりと、色々と手間がかかるのでそのまま廃棄処分となることが多いです。
廃棄処分の方法も地域によって違いますが、トイレットペーパーと交換したり、1kgいくらかで古紙業者に買い取ってもらったりします。
なおこれらの選別作業を買い取るときにその場で行う業者もあれば、冊数や重さなどで買い取る業者など色々です。
私のいた店ではその場でだいたいの価値を算出して買い取っていましたので、かなり高値で買い取っていたと思います。
コレクションの内容や保管状態によってバラバラですが、割合としては、販売が60%、転売が10%、廃棄が30%くらいだと思ってください。
過去には数万冊の本を買い取ったのに、あまりに汚いということで持ち帰ってすぐに全部廃棄処分したこともあります。
見た目が綺麗でも裏表紙に蔵書印が押されていたり、ネットカフェ経由の本はほとんど売れません。
ネットカフェのような乱雑に扱われることを想定している場合は、表紙が糊付けされていたり、ページが抜けないように本全体をタコ糸などで補強していることが多く商品としての価値がありません。
また多少のページの折れはいいのですが、変な形に曲がってしまってる本は全く価値がありません。
保管するときはブックエンドを使ってまっすぐ立てるか横にまっすぐ寝かせてください。
こうして販売用として残った本を販売できるようにする作業に入ります。
過去の販売履歴などから想定される価値を計算し、販売に値するか判断します。
ここで単価が安すぎるものや回転率が悪く自分の店で販売するには在庫リスクが高すぎるという場合は他店への転売に回したりします。
小説や実用書はそのままクリーニングにまわしますが、漫画の場合はシリーズがそろっているかチェックします。
本が少ないときはいいのですが、3000冊を超えると神経衰弱みたいで気が狂いそうになります。
10巻完結の漫画で1冊でも足りないとバラ売りになってしまいます。
最近の本であれば自分で買ってきて足せばいいのですが、数十年も前の本は簡単に買い足せません。
単巻で価値があるものはそのまま売りますが、揃わなかった多くの本は他店にまわします。
あと1冊でコンプリートするのに、という状態の長編漫画が山積みというのは業界的によるある話です。
また1巻は色んな古本屋で売っているが最終巻はどこにもない、ということはよくあります。
友達の家で読んだとか、途中で面白くなくなったとかの理由で最終巻を買わずに中途半端な状態で売る人が多いです。
あまり出回ってない漫画はちゃんと全巻揃えて売ると、価格があがったりしますので参考にしてください。
揃っている漫画はほとんどが販売されますが、雑誌やライトノベルはほとんど販売されません。
雑誌で価値があるのは特定のアイドルの写真が掲載されているとか、特別な理由があります。
私も学生時代にあるアイドルが掲載された1ページが欲しくて古本屋で汚い雑誌の抱き合わせの束を買ったことがあります。
激安にすれば売れるのですがそれでは商売になりませんので基本的に他店に転売します。
通常の小説でも単行本は販売される確率が文庫本の半分くらいですが、高値のつく確率が高めです。
単行本はコレクター要素があるので、本棚に飾りたいという需要もあるようです。
私も村上春樹の本を棚に並べていたりしますが別に読み返すことはありません。
ただ映えるという理由だけです。
多くの実用書は時代の流れで価値を失いますが、一部ジャンルの実用書は著者によっては下がるどころか価値が上がるものもあります。
たとえば囲碁、将棋、麻雀が該当します。また一部の経済本も価値が下がりません。
そのようないわゆるレア本は表紙がなくても高値で売れたりします。
この段階で半分以上の本が脱落します。
本というのは本棚などに長年置かれているため埃やシミなどが付いているのでクリーニングが必要です。
まずおおざっぱにタオルなどで埃を取ってから、専用の洗剤を付けた布でゴシゴシ磨いていきます。
その結果、力を入れすぎて表紙が破れたり、シミが取れなかったり、逆に洗剤によってシミが付いたものは廃棄処分となります。
ブック〇フのシールが貼られているような本は売れませんのでシール剥しを使って剥していきます。
人気のある本は5枚くらい貼られているのでイライラしながら剥します。
外に貼られているものは簡単ですが、中にシールが貼られている場合は手間がかかり、場合によっては剥すときに傷がついてまた廃棄処分となります。
なぜか多いんですよね、これ。
所有者によって本の扱い方に個性があるので、表紙が1冊折れていたら30冊あると思え、が標語です。
本はまっすぐ開いてください。もちろん開きすぎて開き癖が付いてもいけません。
また表紙がずれるのが嫌で表紙をテープで止める人けっこういますがおすすめしません。
経年劣化したテープはシミになってしまいまい本の価値が激減します。
こうしてクリーニングを突破できなかった10パーセントくらいの本が脱落します。
このような工程を経て実際に自分の店で販売されるのは買い取った全体の10%くらいになります。
他店に転売したときに多少の現金は入りますが、単純計算で1冊10円で買い取ったとしても1冊100円の購入経費がかかっていることになります。
また上記の選別作業やクリーニングに1冊2分くらいかかりますので、見えないところで人件費がかなりかかっています。
それらを考慮するとブック〇フのように100円で売っていたのでは儲けが出ないどころか赤字なのです。
ただ私のいた店では売りに出せばほとんど売れるという厳しい基準で販売していたため、他店ではもっと販売に回していると思います。
概ね9割が売れていましたので、売れ残った本が山積みになっている街の古本屋を想像してもらえれば、経営方針の違いがよく分かるでしょう。
色々と厳しい基準を書いていますが近年のお客さんはとても目が厳しいのです。
私の若い頃(それなりに年です)は古本屋の本といえば埃みまれだったりソースがかかって汚れていたり破れていたり雨に濡れてシワシワだったりと酷いものでした。
ですので新品同様になるように手入れをして、新品同様にならないものは売らないのです。
この流れはブック〇フが作ったといっても過言ではありません。
俺、30代後半男。妻一人、娘一人。それぞれ40代前半、3歳。妻とは5歳違い。
ただ、日常の食事に関しては妻がメイン。日常の掃除に関しては俺がメイン。
適材適所的にそうなっている。
その頃から妻の様子が変わってきていた。
それまでは割とツーカーの仲で、毎日お互い会話が成り立っていたのだが、最近は…
■やたらと会話を早々にフィニッシュされるようになった
昔に比べて凄く増えた。俺がそう感じるようになっただけかもしれないが、明らかに増えている。
結局、何を言ってもほぼ二言三言目にに「そりゃそうでしょ」「考えりゃ分かるでしょ」で返答しづらい形で返ってきてしまい、
コミュニケーションのつもりで喋っていた事も、あまり俺から話題を振りづらくなっている。
今まではそんなに無かったんだが。。。
■基本的に喋るのが面倒なのか(疲れているのもあるとは思う)、娘の様子もあんまり教えてくれない
我が家は共働きなので、娘の保育園送り迎えをお互いの仕事の時間の都合上、9割方お任せ気味にしてしまっている。
なので、俺が自宅に帰って来るときは娘が寝る直前か寝た後かなので、
ひと段落着いた後に「娘どうだった?ご飯食べた?風呂は?」と聞いたら
「………………んぁ?食べた。風呂も入った」
まあそれなら良いけど…俺が聞きたいのは、イヤイヤしなかったかとか、
何食べて何残したかとか、ご飯中園の話したとか、単純にどんな会話したかとかそういうことなんだが…
何度か聞いてみたとき「何でそんなこと聞くの?」と言われ、
そのまま会話が終わったことがあった。
一応俺も娘の親なんだぜ…?
仕方ないか。
■無言の圧がキツイ
そうなると、色々と敏感になってしまったのか、
やたらとドキンとしてしまうようになった。
なお、元々お互い喫煙者だったが、俺は止めて妻はまだ換気扇下で吸っている。
何かあったとき、行き場所が換気扇下で、換気扇がオンになったときも「あぁ…」って思ってしまう。
考えすぎかもしれないけど。
■娘と俺との会話を遮る
例えば、娘とおもちゃで遊んでいる時。
娘「これなーに?」
俺「ちょっとお父さんに貸して」
と言った瞬間、妻が娘を俺から遠ざける。
何でも、好きなようにやらせたいと。
ただ、何でもかんでも俺が取ろうともしてないし、
というかほぼやったこと無いぞ?
例えば蓋を開ける、積み木を積む、ペンで絵を書く…
且つ、ある程度の補助(?)指導(?)も大切なのかなと思う。もちろん、バランスが大切なんだろうけど。
ただ気になるのは、何故俺は手助けしてはいけないのか。
妻は例えば一緒に絵を書いたり、積み木を並べたりしている気がするが…
俺はほぼ全て、「貸してごらん」は止められている。
それとか、神経衰弱とかじゃんけんとかが出来るカードをもらって、
キャラクターものだから娘も興味を持つし、「これなーに?」と聞いてくるし、じゃあ一緒にやろうか、
娘と一緒に遊ぼうとしたら「わかるわけないでしょ」と止められた。
そりゃそうでしょ。
3歳の子供が複数の遊びが出来るカードで、しかもそれらのルールを完全に分かるわけないでしょ。
だから、教えながら俺と娘と、楽しめばそれで良いじゃんと思ったので、カードを取られて遊びを止められたのはショックだった。
これらのことが多々ある。
妻と娘と、散歩にいくのか玄関で虫除けや日焼け止めや塗ってたとき、
で、洗面所で顔洗ってたら、
気がついたら玄関出てどっちに行ってるのやら…
と言うこともざらにあった。
そんなこんなな、ボタンの掛け違いというのか、
これは妻と娘に申し訳ないなと思っている。
でも、どうにもずっとここしばらくそんな感じで対応されてるから、
じゃあもういいよ、わかった、好きにすれば?喋るの面倒なら俺も聞かないよ、喋らないよ。
と投げやりな感じでいたら、
娘にもそんな態度は酷いとか、その他ぼろくそに言われ、
妻が言うには「娘への圧が凄い」と。
つまり、俺はそんなつもりが無かったが、
こうあってほしい、あああってほしい、と言うのが露骨に出ていると。
ご飯は残さないのが当たり前、風呂はイヤイヤしないのが当たり前と押し付けていると。
確かに、風呂はスムーズに入って欲しいなとか、保育園に登園するとき
もっとスムーズに出来ればとは思っていたが、子供なんてみんなそんなもんでしょとも思っていたので、
そんなこと言われるとは露ほど思わなかったのでかなりショックだった。
幸い、娘は俺にもちゃんと懐いてくれるのでホッとするんだが、
妻から「圧がキツイ」「娘に『貸して』は妻から取り上げられる」と思うと、
今まで通り娘にも妻にも接したいのだが、
妻に詰め寄られることを考えると娘にも迂闊に話しかけづらくなってしまった。
なぜこうなってしまったのか。
2000年頃より、うつ病ブーム、双極性障害ブーム、発達障害ブームという流れをメンタル業界は歩んできたわけだが、次は何が「啓蒙」されるのだろうか。
マインドフルネスとかデイケアとかスピリチュアルだとか、精神医学はいよいよ変な方向に向かっている気がする。
マインドフルネスなんて、100年も前に森田正馬が提唱していた概念そのものだろうに。
グレーゾーンな人々を最も的確に表していたのは神経衰弱や神経症という言葉だろう。
DSMから神経症が消え、何でもかんでも「○○障害」となったのにはどうしても製薬会社の陰謀を感じてしまう。
私の周りで、せっせと真面目に精神科に通って良くなった人は一人もいない。本当に薬が必要なのは統合失調症と古典的なうつ病と躁鬱病(今で言う双極I型障害)だけであろう。
鬱っぽくて色々な薬を試したがどれも効かなかったという場合は、性格の問題だと考えざるを得ない。根性論を主張したいわけではないが。
ダラダラ合う薬を探すのではなく、一定のラインで薬物療法に見切りをつけるべきだと思う。
http://www.dr-hori.com/media/mag/20101002_kn.php
ガン、動脈硬化、高血圧、心臓病、狭心症、糖尿病、肝臓機能障害、腎臓機能障害、脾臓機能障害、脳出血、メタボリック症候群
アレルギー性疾患
腰原病、リウマチ、ぜんそく、アトピー性皮膚炎、べーチェット病、花粉症、鼻炎
美容系
ニキビ、吹き出物、小じわ、シミ、肌荒れ、ひび、あかぎれ、早期老化、若白髪、更年期症状
心の病気
明るさがない、積極性がない、暴力行為、うつ病、パ二ック障害、拒食症、過食症、登校拒否症、出社拒否症、集中力欠如、不眠症、神経衰弱、居眠り
痛み
朝起きられない、体がだるい、疲れやすい、風邪が治りにくい、むくみ、貧血、めまい、立ちくらみ、便秘、冷え症、虚弱体質、食欲不振、低血圧、息切れ、イライラ
脳神経の病気
その他
バセドウ病、くる病、前立腺肥大、頻尿、排尿困難、血液不良、白血病、胃潰傷、慢性胃炎、ストレス性十二指腸潰傷、腸疾患、慢性下痢、不妊症、虫歯、弱視、骨格形成不全、生理痛、水虫
全身をよく操む
首のストレッチをする
大地を素足で歩く
おしやぶりをする
唇を閉じて紳創一骨を下唇から上唇の方向にはる
口を閉じて日頃使わないほうの歯で無糖ガムを噛む
鼻の両側と鼻の下の真ん中の部分を指で刺激する
約1%の食塩水で「あーいーうーえーおー」といいながら上を向いてうがいをする
面白かった、一気に読めた
中学生の時読もうとしたら小難しくて断念したきり手を付けていなかった
それが罠で、「馬鹿馬鹿しいことを小難しく書いていることが面白い」んだな
多少分からない言葉が出てきても何が言いたいのか大筋が掴めれば良くて、そのくらいで読めばいいのだとやっと気付いた
堅苦しいんじゃなくて、気楽に読んでこその『猫』だったんだと
今も昔も人の考え方は全然変わっていなくて、鼻がデカいだの職業でマウント合戦だの人それぞれの死生観だの、面白い
それと迷亭のキャラがいいね、自分はアニメを見ないけど、非常に登場人物がアニメチックだと思った
教科書で昔読んだ『こころ』はすぐに本を買って読んだけど、それしか読んでなかった
そのせいか夏目漱石は「神経衰弱の人」という印象があって、猫を読んでイメージがガラッと変わった
当時は感銘を受けたんだけれど、今読むとこころの先生は相当「かあいい」。
Twitterで「ご飯要らない」と連絡を忘れ帰ったら流しにご飯がぶちまけられていたという写真が流れてきた。
ホームを見てみると彼は恐妻家アカウントで、日々ヒステリックな妻の愚痴を呟いていた。
確かに夫婦でもめて大変そうだが、共働き子持ちで嫁さんがご飯を作って、晩ごはんいらないと連絡を忘れて午前3時に飲み会から帰ってきてぶち撒けられた晩ごはん写真をTwitterに上げてる恐妻家の夫…と見ていて生ぬるい気持ちになった。
彼のアイコンは夏目漱石だった、夏目漱石は恐妻家として有名で、彼の妻は悪妻として名高いからだろう。
「世間ではソクラテスの妻と並び称されるほどの悪妻として通っているが、母に言わせれば、鏡子だからあの漱石とやっていけたのだと、むしろ褒めてあげたい位のことが沢山あったのだそうである」
長男は
「結局母は父のためにはいい奥さんではなかったかもしれないが父を心から愛し尊敬していたのだと思う。母を悪妻のようにいうのは当たらない。ぼくたちにしてみれば、母はごく普通の女だったと思う」
また弟子の前では温厚で人当たりが良かったが、神経衰弱の発作が爆発した時には妻子に暴力をふるう事も多かった夏目漱石について
「今ならドメステックバイオレンスと騒ぎ立てて訴えることも出来ようが、当の漱石にはその自覚がまったくないのだから医師の診断を仰がせることも叶わず、常軌を逸した漱石が振るう暴力に鏡子はひたすら耐えるしかなかった」
と語っている。
まず陽子の話を信じるな、ね。
これは多分陽子さんかその父親が精神的な病気に罹ってるだけ。あのメモの出どころは定かでなくてコラ画像じゃないかって話もあるから。というかその動画がないらしく事件はあっただろうけどそれ以外の尾ひれ付いてるのはデマかなと。
次に名古屋妊婦切り裂き事件。これね、以前ベトナム人女性下呂死体遺棄事件があったと思うけど、その時の犯人で後にシリアルキラーに数えられたサイコパス後藤明弘って奴が事件当時に現場付近をうろうろしてたと言った証言があって、それからそこで窃盗事件で逮捕されたらしいという話が出てるので、件の猟奇的な事件は奴によって起こされたのか?という話が挙がってた。
三番目は西成のマザーテレサね。これは他殺だと遺族や飛松五男氏、各メディアも言ってる。でこれに抗議してるのが女医殺しの黒幕じゃないかと噂されてるNPO団体さんみたいね。ちなみにこの団体は人身売買とか臓器売買に手を出してるとかよくない噂もある。西成署の中にそれのスパイか取引相手がいるとか阿修羅とかに書かれてるので詳細は各自確認をば。
四番目はペッパーランチ女性強姦事件ね。これはもしかしたら三番目の西成の女医さん変死事件と関連あるかもしれないよね。その強姦された女性以外にも多数の女性が行方不明らしいし人肉事件または臓器売買事件に関わってるとかいう話が出てるけど、西成の女医さんの事件もNPO団体が臓器売買や人身売買をやってるぞ!って事を知人の記者と一緒になって告発しようと準備してた矢先に起きた事みたいだし。ちなみにペッパーランチ事件が唐突に終わったのはどうやら社長が政府高官に口添えしてもらったからだというけど、この事件における社長は恐らくシロ。外食チェーンからしたらそんな組織ぐるみの事件は早々に風化して欲しいと思うはずだから黒幕とか言われるのも癪だけど事件を最小限に食い止めようとした経営者としての当然の判断だったろうから、この件に関していえば社長は当事者ではないのだろうと勝手に解釈。
しかし、大阪と言えば熊取町の集団自殺事件もだけど、やたらヤクザに縁のある連続不審死事件が多いな。また、住所不定の浮浪者とかを拉致ったり、自治体と組んでるかは知らんけど、福島の除染処理に連れて行ったりして今の西成、特にあいりん地区は炊き出し待ちの乞食に身を窶してでもって労働者があまりにも多すぎるんだよね。
ホント何があっても浮浪者ないしホームレスにだけはなりたくないね。こうやって貧困ビジネスにかこつけて平然と拉致ってくる奴らがいるんだから。そしてそれを記事にしようものなら平然と暗殺するし、西成警察に口止め料でも払って事件を自殺とか事故に切り替えて貰えるんだから、ホントヤバいね、あの地域は。ちなみにペッパーランチの現場は心斎橋だったそうな。どうでもいいな!
五番目はパリ人肉事件の佐川一政氏は有罪なのか無罪なのかって事。フランス警察のアホ過ぎる捜査、誤訳の末に犯行当時、神経衰弱状態だったとして無罪釈放になった佐川くん。後に唐十郎著の佐川君からの手紙や本人出演のインタビューとかから犯行当時の精神状態は安定していたことが明らかになってる、らしい。日本の警察もフランス警察に何度も働きかけてるけど、フランス警察は無能を晒す事をプライドが許さないのか頑なに捜査再開を拒否ってるんだとか。
六番目は同じ人肉事件でフィリピン人女性によるカニバリズム事件ね。日本の話じゃないけど、あれ結論から言うとデマの可能性があるらしいね。
画像が2011年当時のものらしいけど、実は2006年位からあったそうな。なるほど一つ疑惑が出てくるとポロポロと嘘が明るみになってくる。まあそういう事だろう。
七番目はジャーナリスト黒木明雄氏の不審死事件。自殺という事らしいけど、直前に中国マフィアがどうたらこうたら。警察の内情に詳しく、後にペテン師として知られるようになる元公安の北芝氏とやり合うようになり、気付けば公安にマークされるハメになった可哀想な人。岩手17歳女性殺害事件の真相に辿り着いた矢先に殺処分されたとか何とか。他にもヤマしい警察内部の闇を握ってたので公安に殺された説が有力。ちなみに岩手の事件は現在も未解決のまま。こういうまともなジャーナリストがあっさり暗殺された上に警察からは明らかに他殺なのに自殺と断定発表される時点で警察が深く関わってたんだろうなと察しちゃう。
もともといろいろな仕事を結構マルチタスクで開いてしまい、少しつづ閉じていく。。。みたいな仕事をするタイプなのだけど、開いた仕事を忘れてしまうことが増えてきた。
その状態で少し仕事をしていたけど、また少し経ったぐらいから明らかに涙もろくなったり、感情的にいろいろな人と会話することが増えてきたように感じることが増えてきた。
その罪悪間で押しつぶされそうになる日も多くなってきた。その頃から自分に対して負荷をかけるようになった。例えば、昼ごはんを罰としてあえて抜いてみたり、体をつねってみたり。
体に悪い、痛い、そういう感覚が味わえることをちょこちょこ与えつつなんとか乗り切ってきてた。あまりにもいろいろ不安になって一度本気で首絞めしてた時期もある。
自分で自分に課す首絞めは簡単には死ねないので大丈夫。(死ぬ前に手の力が抜けるので死ぬまではいかないのです)
そのあともう少し経ったぐらいから急にまた調子よく仕事できる時期が来た。結構いい感じでこなしていて、バンバンタスクぶっ壊していた。
でもその頃のことを思うと、結構ミスとか抜けが多かったように思う。調子良かったのはたぶん上部だけなんじゃないかな・・・。
もう少したってから、会社に行こうとするたび目眩と頭痛、吐き気が襲ってくるようになった。最初の頃はまだ調子悪いなー?風邪引いたかな??ぐらいで済んでいた。
そのうち会社に行くのも辛いレベルで、朝起きれなくなった。この段階でさすがにもう無理、おかしいとなり、病院に行った。
結論から言うと、神経衰弱、https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E7%B5%8C%E8%A1%B0%E5%BC%B1_(%E7%B2%BE%E7%A5%9E%E7%96%BE%E6%82%A3)
と診断された。そして、医者からすぐにでも1ヶ月間の休職をすべき。という診断書をもらった。
人事に連絡をし、この診断書を提出、なるべく早めに休ませろ。という要望を出してほぼ1ヶ月。というのが今。
実は現状まだ休職扱いにはなっていない。少ない有給を使いつつなんとか仕事に噛り付いている状況。
今日は完全に動けず家で休んでいて、ふと動けるようになったのでこの文章を書いている。
人事にはその旨を伝えているが、引き継ぎやらなんやらをしないと休ませられない。の一点張りで話が進んでおり、明日医者に行くので再度強めの診断書をもらう予定だったりする。
診断書には法的な拘束力がないのは知っている。最近は仕事中は何も食べ物が通らないレベルで体調が悪くなってきている。ウィダーインゼリーを飲み込むのが精一杯でなんとか仕事している。
そのような状況を話しても引き継ぎだの・・・という話になる。
そんな会社もうさっさとばっくれちゃえ。っていう意見も聞く。だけど、こんな状態になるまで働き続けるぐらいには変に正義感が強い私なのでどうしようもないらしい。
このあと引き継ぎが終わったとしても素直には休職にはさせてくれないだろうなとは思っていて、すでに転職活動もしている。
ここに書いて何かして欲しいとか、そういうわけではないのだけれど、記録として残したい書き出したらスッキリするかな?と思いここに記載をした。
とんでもない作品だった。とんでもない体験をした一週間であった。
それは原作が推理小説にカテゴリーされているからとか、原作者が江戸川乱歩だからとか、そういう理由じゃない。
私はその解説、および回答を以下に記すのだけど、それは完全なるネタバレです。
もう知らなかった頃には戻ってこられない、作品を殺す系のネタバレ。
なので、未観劇の方には本当に読むことを勧めません。
本作は素晴らしい完成度の傑作だし、舞台演劇でここまでのミステリーを作り上げるのは絶対に容易じゃない。
また、私はエグいほど容赦なくネタバレしていますので、正直自分ももう二度とミステリー演劇は鑑賞できない脳になってしまったのでは…と震えております。
(なので、読んでほしい気持ちがあって増田に書いているものの、観劇済みの方も生半可な気持ちではネタバレを読んでほしくない。六道の辻で迷い不幸だと感じている方にだけ、光が届けば良い。)
つまり未観劇でネタバレを読むということは、人生の楽しみを自らの手で一つ潰すということ。尋常じゃない損失です。
本作はDVDの発売が決定しています。
公式DVD予約サイト:http://www.shop-ep.net/east_park/shopping/a04020102/iid/0000000001746/
(発送日未定。予約は3月末まで)
めちゃくちゃ好評だったので、あなたの周りにも購入している人が居るはず。そして恐らく「見せてほしい」と頼めば喜ばれるはず。布教したくなるタイプの作品なのです。なので数ヵ月後DVDを鑑賞してから、是非また読みに来てください。
「数ヵ月なんて待てねーよ!」って方は、妥協点として2015年に他の演出家さんで上演されたものを見ることができます。
こちらは未観劇のためなんとも言えませんが、おそらく2015年版は絶対解けない「超ハードモードの『ミステリー演劇』」か、『ミステリーではない普通の演劇』の可能性が高いと予想しています。でもまぁ全く観ないでネタバレ読むよりは絶対良い。
たぶんDVD売ってるし、3月になれば我らがdアニメストア殿が配信してくれます。
https://anime.dmkt-sp.jp/animestore/CP/CP00000660
高いチケット買って劇場に行くか高いDVD買うかしか選択肢がなかった時代を生きてきた作品の取捨選択にすごい苦しんできた勢なので、dアニさん月額400円でこんだけ見れるとかマジ神過ぎ。最初目を疑った。(WOWOWさんにも感謝していますが、うちTV無いから見れないんですよ…そもそも家にあんま居ないし。お金なら払うのでスマホでもWOWOW見れるようにしてください。)
原作「孤島の鬼」を読むのも手ですが、本作はある意味では『原作の本質を描いている』けど、ある意味『原作とは全くの別物』です。だから舞台版のネタバレは、舞台版を観てから読んでほしい。
そして、せっかく未来の楽しみを潰してまでネタバレを読んでしまうのだから、その前に『ミステリー演劇』の推理に挑戦してほしい。
一人で解くのは超ハードだと思うので、できれば仲を深めたい方と一緒に。(私が今回の回答に至るのに協力してもらった友人の数は4人です。内1人は原作を読み込み一緒に推理してくれました。)
ぼっちの方も安心してください。本作はめちゃくちゃ面白かったので『2017年版の感想』も、ネットの海に転がっています。そこから辿り着くことも不可能じゃないはず。鮮度のいい印象論の良さも、一晩寝かせた感想の良さもあるので、いろいろ漁ってみてください。
あと私は推理した一週間の思考ログをほぼすべて残しているので、トリックがわかってからログを読み返してみたら翻弄されている自分がめちゃくちゃ面白かった(当時は睡眠不足の神経衰弱で瀕死でしたけどね)。間違ってはいないけど騙されている。そんな楽しさもあるので、ぜひ推理に挑戦してみてください。
そして私がまだ解いていない謎の答えを見つけられたら、ぜひ教えていただきたい。
また、運良く本作を劇場でご覧になられた皆さま。感想はもう書き残しましたか?
公式がwebでアンケート回収もしています。送ると抽選で非売品舞台写真もらえます。私もとても欲しい。
本作は、『感想を残す』ところまでを含めて作品です。せっかく運良く観劇できたのだから、140字で良いから書き残しておきましょう。
できれば思いの丈をすべて書き出しておくと良いです。『他者に感想を伝えようとした人だけが、謎解きの後に得られる感動』があります。(※個人の感想ですが!)
この感動を、本作品が本当に素晴らしい江戸川乱歩の原作舞台化であったことを伝えたくて、読んだら作品を殺すことになるようなネタバレを恥を忍んで書いています。
私はソワレ観劇後、徹夜で翌昼に感想書き上げました。これが私の沼への一歩だった訳ですけれども、これを書き残しておいたお陰で、謎が解けた時に私の回答を出すことができました。
一度ネタバレを読んでしまうと、もう観劇で感じた感想書けなくなると思いますので、本当に一言で良いから感想書き残しておいてください。ついでだから公式アンケートに答えて非売品写真当てましょう。当たったら私にも見せてください。
最後に公式各位。
ネタバレにあたる部分は私の個人的なミステリー体験なので、これが公式解とは主張断言しません。
と言うか、理由なき見落しと、自分の能力ではどうしても咀嚼できなかった部分(言葉がスムーズに脳に入ってこなくて読解しながら観劇することができなかった原作には無いシーン)があったので、私のネタバレは不完全です。他にも拾い損ねている箇所がポロポロ出てくる。逆転する可能性が大いにある、お粗末な推理。
ですが、キャストの皆さまが最後までネタバレに配慮されていたのに、ネタバレを公開し誰かに読んでほしいと願うことが、浅間しいようにも感じています。
ネタバレ注意喚起に約2000字程裂きましたので、どうか堪忍してください。
p.s.オリジナルマグボトル購入しました。作中に赤い色が無かったのでデザインも綺麗だし購入したのですが…紐解いてみるとなかなか意味深なグッズですね。とても良い記念品になりました。
それでははじめます。
無人の屋敷に風が吹き込む
暗転
まったく光のない深い暗闇から男性の声が聞こえる
「不幸ということが、私にもよくよく分って来ました。本当に不幸という字が使えるのは、私だけだと思います。遠くの方に世界とか日本とかいうものがあって、誰でもその中に住んでいるそうですが、私は生れてから、その世界や日本というものを見たことがありません。これは不幸という字に、よくよくあてはまると思います」
暗転明け
無人だった屋敷に白髪の男性が立っており、書物を音読していた。
彼……『私』を語り部とした、物語がはじまる。
http://anond.hatelabo.jp/20170206104211
ミステリーとして解いた今読み返すと相当ブッ飛んだ納得の仕方をしている。自分の妙さについて今までなんとなく感じていた部分が浮き彫りになりすぎである。こわい。
当時も気持ち的にスッキリはしたけども、<もやもやした原因が『認知を歪められている感覚』だったのに、「それは作者の願いだよ!」という犯人と動機の『妄想』では、『論理的解決』にまったくなっていない>ので、悶々とはしていた。
作り手側は演劇を魅せるプロだが、観客は演劇を観るプロだ。伊達や酔狂でやっているわけではない、こちとら真剣に観ている。
『認知を歪められている感覚』なんて中途半端なものは見過ごせない。
そこからずるずると私は沼に嵌まっていき、推理のためにガチで眠れない一週間を過ごすことになる。
そもそも、舞台「孤島の鬼―咲きにほふ花は炎のやうに―」の何がミステリーなのか。
それは、本作品が叙述トリックを駆使し、とある『真意』を隠しているということにある。
しかし私の目下の推理動機は、トリックを逆手に取った『簑浦も諸戸も幸せになれる最適解』にあった。どうしても二人を幸せにしたかった。
そのために以下のことを行った。
そしてひたすら二人が相思相愛ではないという可能性を潰し、相思相愛である可能性を見つけ出す作業。
二人の愛の一番の障害は、箕浦の白髪化=「箕浦は同性愛を『生理的』に受け付けられない」という点。
これが諸戸が箕浦の前にあらわれることがなくなった原因だと思う。彼がどんなに誠意を尽くそうとも、これだけはどうにも覆すことができない。
しかし、実は原作では白髪化したタイミング=直接的な原因が諸戸に襲われたことのみだとは明記されていない。
そして舞台でも、実はめちゃくちゃぼやかされている。
冒頭、語り部である『私』が自身の体験した恐怖について語ろうとする。その時にまるでトラウマが呼び起こされるかのように喉元を掻く仕草をする。
後半井戸の奥、深い完全なる暗闇の中、水位が増して死の恐怖に襲われた時。『私』佐藤箕浦も、諸戸と石田箕浦と同じマイムを行って移動し、水位が増しだすと喉を掻いて苦しみ悶絶する。
これは、白髪化するほどの『生理的』な恐怖が、諸戸に襲われる前から強烈にあったという解釈にできる。
では逆に、諸戸に襲われた後の恐怖はどうだろう。助八さんの救助が来て、生死の恐怖は去った。丈五郎の恐怖も去った。では諸戸に犯される恐怖はなくなるか? 普通に考えれば、自分を襲ってきた相手が側に居るなんて恐怖しかない。第三者が居るから安心だなんて暢気になれる訳がない。(学術的根拠を略していることは恥じています)
箕浦は、諸戸に襲われた時にあれほど恐慌したのに、襲ってきた相手が側に居てもケロっとし過ぎなのである。脱出できた時なんて笑いあっていたりする。
これらによって、「箕浦は同性愛を『生理的』に受け付けられない」ということを否定できる可能性が、十分にある。
『生理的』に受け付けられない訳じゃないのなら、箕浦の同性愛への拒絶はどこからくるのか。
諸戸が触れるままにさせ遊戯を楽しんでいたと言っているが、これってちょっとエッチではないですか? 私は『もてあそぶ』というよりも、遊廓でのお戯れみたいな印象の方が強かった。エロかった。
ましてや「あつい手だね」というセリフは、諸戸と佐藤箕浦の両方が同時に口にする。
これは原作では諸戸が言い、簑浦も『私も同時に、火のような相手の掌を感じた』とある。
あの夜、諸戸と箕浦は、本当は同じ気持ちであったのではないか。
しかし大人になった箕浦…いや『私』佐藤箕浦は、頻繁に同性愛を拒否する。
そして井戸の中、「今こそ、僕の願いを容れて、僕の愛を受けて」と請い願う諸戸を「あさましい!」とはね退ける『私』佐藤箕浦。
実はこのセリフ、原作には無い。そして学生時代のあの夜は諸戸の方が言っていたセリフなのだ。
「君は浅間しいと思うだろうね」と。
箕浦に『同性愛を持つ者は異人種』だと一番最初に植え付けたのは、他ならぬ諸戸であった。
そしてあの夜、「『私』は諸戸との関係はこれで終わったと思った」。
もし、もし諸戸が、自分で自分の気持ちを否定してしまわなければ、二人が結ばれていた可能性もあるのではないか?
あの夜の後、箕浦が大人になりSK商会に勤める場面から「過去の『私』」石田箕浦が登場する。
大人になった『私』佐藤箕浦は同性愛嫌悪の感情を見せるが、石田箕浦は同性愛を嫌悪していない。
諸戸が自分に恋していることを頭では理解しているが、そもそも同性愛をわかっていない。だから諸戸からの熱視線(性愛アピール)をまったく感知できないし、諸戸からの接触に応えること・握手を求められた手を握り返すことができる。
(スポットライトが当たらないところでの石田箕浦と諸戸は、まさしく「諸戸と簑浦は何か変だ」状態。熱視線を送ったり触れようとしたり羞恥の色を見せたりする諸戸に、石田箕浦はまったく気付かない。A.T.フィールド固すぎ)
原作の簑浦とはかなり印象が違うそう(私は一度推理完了するまで未読を貫く主義のため世論であるが)。
簑浦と箕浦、原作とは名前の漢字が異なるし別人か? いや、そうじゃない。無意味な改変は絶対に起こらない。「虚偽の事柄を事実として書くことはアンフェア」だからだ。印象が違うなら、『変えた理由』と『変えても原作の簑浦を成立できる理由』がある。
石田箕浦が登場する前。佐藤箕浦が諸戸との関係は終わったと思ったあの夜。諸戸が泣きながら請うた内容は以下だ。
「君は分っていてくれるだろうね。分ってさえいてくれればいいのだよ。それ以上望むのは僕の無理かもしれないのだから 。だが、どうか僕から逃げないでくれたまえ。僕の話し相手になってくれたまえ。そして僕の友情だけなりとも受け入れてくてたまえ。僕が独りで想っている。せめてもそれだけの自由を僕に許してくれないだろうか。ねえ、簑浦くん、せめてそれだけの……」
諸戸が願った内容、これまんま石田箕浦じゃん……
石田箕浦は諸戸を友人として深く信頼しているし、井戸の中でなんて一緒に死ぬことすら受け入れている。諸戸の願いを、字面通りに叶えている。
しかし周知の通り、諸戸が心の内で望んでいたのは、彼の『死にもの狂いの恋』を受け入れてもらうことだった。
諸戸は自身について怖れている描写が多々あった。それは自分の素性と性愛対象が『普通と違う』ことでもあったし、『父に命じられたから行っていたはずの不気味な研究にいつしか諸戸自身も不思議な魅力を感じはじめていた』ことも大きいと思う。
我と我身を醜いと卑下すればするほど、美しいものを強烈に求め、美しくあるべきだという観念に囚われる。
諸戸の心の内の葛藤が『手記の秀ちゃんと吉ちゃん』そのものに見えた。諸戸の望み(イド)と願い(超自我)は大きく解離している。
箕浦が写し取ってしまった『同性愛を持つ者は異人種』という価値観、『親友という姿』は、諸戸が持つ美意識の刷り込みだった。箕浦にとって諸戸は、本当に「美しい青年」だったのだ。
石田箕浦は本当にクセのない、まっすぐな好青年だった。諸戸の理想とする『普通』がそこにあるように見えた。そして原作の簑浦とは印象が異なる存在…
これはつまり、簑浦のイドと超自我のようなものが、『私』佐藤箕浦と石田箕浦に分かれて表現されているのではないか。一人の人間を二人で演じ、二つの存在(語り部の『私』と、簑浦のイド)を一人が演じているのではないか。
彼らの箕浦の分担は、紀州の孤島に着いてから大きく変動し反転してゆく。
井戸の中で諸戸に襲われ、完全に石田箕浦から佐藤箕浦に替わったのは、諸戸が望んだ存在が友人ではなく恋愛対象としての箕浦だったこと、そして諸戸の手によって「諸戸の理想とする『普通』」が壊されてしまったこと…『私』になった石田箕浦にも諸戸の姿は獣のようだと評されている。学生時代のあの夜に諸戸が否定をしてしまったこと、それの繰り返しだった。
そして秀ちゃんへの恋心を諸戸に恥ずかしいものと責められる場面。実はあれは原作だと簑浦のモノローグによる言い訳タイムとなっている。諸戸はそもそも丈五郎に捕まって、島に到着して以降会っていないというのだ。正確にセリフを覚えていないが、原作未読の私でも、最初に秀ちゃんから手紙を受け取ったシーンに諸戸が居ることに強い違和感を感じた(そして友人が原作では諸戸が居ないことを確認してくれた)。
よくよく考えれば変なのである。箕浦に恋慕を寄せる諸戸に責められる筋合いはない。初代に操を立てるなら諸戸の恋に応えることも恥ずべきことだし、諸戸に気を遣う必要だって本質的には無いのだ。(まるで『アイドルは恋愛しちゃいけない』理論だ。)
ではなぜ超自我のポジションである石田箕浦ではなく、諸戸が責め立てるのか。
箕浦の美意識は諸戸の影響を強く受けているから諸戸の姿をしていたとも捉えられるが、それ以上に、常識的な葛藤だという以上に、箕浦の心の中に諸戸を慕う側面も幾ばくかあったから、秀ちゃんに恋する自分と、諸戸を慕う自分で対立したことを表現していないか。
佐藤箕浦はもちろん初代にも秀ちゃんにも惹かれているが、彼が箕浦のイドのポジションであるならば、諸戸のことも結構好きだった。(イドでなく単なる『私』なのだとしても、諸戸を見つめる視線に愛憎のような熱が込もっていたし、)諸戸との会話に深山木が入ってきたとき「早くないですか!?」と驚くのは二人の箕浦で、石田箕浦一人だけが言うと単純に時間が早かっただけに聞こえるが、佐藤箕浦も合わせて言うことで「諸戸との会話に邪魔をされた(もっと諸戸と話したかった)」かのような邪推ができてしまう。
そして諸戸が握手のために差し出した手を『箕浦が握り返さなかった』時。諸戸は驚愕の表情で『私』を見る。見つける。実は、物語の始まりを告げる運命が廻りだすような音楽が流れて以降(犯人だと疑って諸戸の家を訪ねて以降)、諸戸が『私』を初めて見たのが、この『箕浦が握り返さなかった』時。
握り返さないのは、握り返すことに意味が生じてしまうから。石田箕浦は諸戸の恋をまったく感知しない。そんな石田箕浦が握り返さないわけがない(実際に、諸戸に見つかってしまった『私』が顔を背けた瞬間、石田箕浦は手を握り返す)。つまり学生時代のあの箕浦が、心の中にまだ居たということ。
諸戸にとってはそりゃあ嬉しいことだろう。彼はそれ以降箕浦に話しかける時、佐藤箕浦を見てから石田箕浦を見る。ここからどんどん、『箕浦』の行動を表現するのが佐藤箕浦へ移行してゆく。
一度は友人として、諸戸と共に死ぬことも受け入れた箕浦。
しかしその結末を自らの手で潰す諸戸。
逃げながら箕浦は吼える。「死んでたまるか!」と。箕浦は白髪化するほどの生死の恐怖を体験したばかりだ。
諸戸に襲われるも未遂に終わり、命が助かることに深く絶望する諸戸。
井戸を出た二人は笑いあう。諸戸は箕浦が白髪化するほど生理的に同性愛を受け付けないのだと認識したように、箕浦の白髪を見て泣いているように笑う。
そして箕浦の前に現れなくなった諸戸は、気持ちを遺して逝くことで最期にまた箕浦へ大きな傷を残す。
先述の通り、私の推理動機は叙述トリックを逆手に取った二人が相思相愛であったことの証明にある。
からくりが解ってみると、どうってことない・ただ上演されているものそのままに過ぎないのだけど、ここに辿り着くまで本当に一週間ひたすら睡眠時間を削って悩んだ。二回目に観劇した時などは、とにかく正確に推理するためにありのままを最前列からガン見してきたのに、どうあがいても悲恋という現実に心が折れそうになった。マジで。実は二回目に最前列で観測した時よりも、初見H列サイドから観劇した時の方がイイ線いってたよな(納得の仕方はブッ飛んでるけど)と思う。
で、共に推理していた友人が先に原作の叙述トリックに気付き、簑浦と諸戸のBLは成立しているという解を出してくれたので、二回目の絶望した記憶で観劇を終えるのもなんだし推理はやめて初見のつもりで観劇しようと思って向かったのが三回目の観劇。最後尾辺りの補助席。
しかし驚くほど新たな発見がまたどんどん出てきたうえ、深山木のセリフによって私は舞台も叙述トリックを使ったミステリーなのだと確信してしまう。
これは原作にもあるセリフらしいのだが、深山木がトリックについて思わせ振りなことを言うシーン。そのセリフが完全に『叙述トリックの説明』になっていたのだ。聞いた瞬間、震えが走った。
本作がミステリーであると気付けるように、最初から以下の違和感と解法が提示されていた。
さて。ここで疑問に思われることがあるだろう。なぜ叙述トリックを使用しているのか? 隠したいものは何なのか?
この件について私は非常に貴重な体験をする。
本作の大好評っぷりと、推理に明け暮れ神経衰弱している私を心配して、友人が本作を観劇してくれた。三回目観劇の日、偶然スケジュールが合って友人2人(友人Aと友人Bとする)と一緒に観ることができた。終演後、私はわくわくしながら二人に感想を求めた。
友人A「箕浦殴りたい……不快過ぎて体調悪くなってきた……」(※意訳)
当時、箕浦殴りたい勢は最大勢力に感じた。過激箕浦擁護派も0ではないが、大多数が箕浦(おそらく『私』のみ)に不快な感情を持っていた。冗談ではなくガチで友人Aが苦しそうにしており、私も初見後は物凄くモヤモヤしていて苦しみがよくわかるので、少しでも気が晴れないかと友人Aと対話することになる。
不快感を分解していく。
友人Aは非常に言いに難そうに、しかし押しかかる不快感から助かるため、意を決して打ち明けてくれる。
友人Aも不快の対象は『私』にあり、その根源を追ってゆくと友人自身が「『拒絶』されるのが本当に無理」だから、諸戸を拒絶しているのに側に居た『私』を悪だとした。
増田「拒絶することを『悪』だとするなら、今『拒絶を拒絶』している友人Aも悪だということになるでしょ? 友人Aは悪なの?」
結局友人Aには私の初見感想を読んでもらい、加えて私の心の闇()もひっかかった話をしたことで、とりあえず翌日出社できるレベルには不快感が晴れたと言ってもらえた。良かった。
さて、私は友人Aと対話して思った。「もしかして江戸川乱歩のやりたかったことってこれでは?」
感想を書いた方ならわかると思うのだが、感じたことや思ったことの根拠を話そうとすると、自身についての話、しかも心の闇()の部分を語らないとどうにも説明できなくなってしまう。
私も推理ログ含め大量に書き残したが、心の闇()を除いても、暗闇マジ怖い体験とか、無意識下の生理的拒絶は実在するよ体験とか(思えばこいつが二人の恋の一番の障害だった)、とにかくネガティブな体験談がバンバン出てくる。
共に推理し原作解読した友人も、舞台の感想を書こうとしたら闇にぶち当たって、書くのを控えようとしていた。( Permalink | 記事への反応(0) | 22:47
感想は増田に投稿済みだし、最終考察も投稿をバリバリ編集中なのだけど、
先ほど、ずっと一緒に推理に付き合ってくれていた友人が、《原作の真相》に1つの答えを出してくれた。
私はこの解釈を読んで、江戸川乱歩まじすげぇ人なんだな、と思ったし、
「舞台の感想を聞いて原作を読み返した」という超間接的な位置に居る友人にまで影響を与えたこの舞台まじやべぇな、と思った。
この話は、やれBLだホモだと騒がれているが、こんなにも『人と人との愛の深い部分について書かれている』ことに萌えている感想は、まだ一度も見たことがない。
腐女子の皆さま、乱歩パイセンの名作は、想像を絶する至高のBL小説だったよ……(震え声)
観劇してから120時間。神経衰弱するほど友人と推理を重ねてきて、友人が辿り着いたこの結末に私は本当に感動したので、記念に最後にもう一度観劇しようと決めたのだけど、観劇前に今までのことを日記として残したいと思う。
(友人との推理に使用した部分以外は原作未読をまだ貫いているし、私の主観での希望的観測は友人とは少し違うのだけど、それは最終考察とあわせて観劇後にまとめたい。)
どうせ同じ高いお金を支払って観劇するのなら、楽しめた方が絶対にいい。
私はもう「視点を変えれば、世界が変わる」=「つまんなかったものが最高に面白くなる」という瞬間を短くない観劇人生で知っていたので、本作初見では何か視点を歪められてるような印象にすごくもやもやした。
今思い返すと、色々なテクニック…いや、ヒントが散りばめられていた。
作中の探偵二人が言う「常識ではトリックを見落としてしまう、視点を変えるんだ」というようなセリフが印象に残っていたり(大事なことだから2回言いましたの法則。一度だけならスルーしていた)。
ストーリーテラーがやけに観客の目をガン見してくる→目を見るというのは語りかけてくるということで。しかしその眼差しに乗るメッセージは無く、視点誘導にも思えるのに最終的にストーリーテラーを非難するような印象で終わる。この矛盾。
原作では『簑浦』という名前の主人公が『箕浦』であったり。同一人物に別の名前が与えられ『一人二役』であったり。
いかにも裏がある風で、どうしてもひっかけられてるような感覚があった。
「結局胸糞悪いだけだった」作品も結構観てきたけど、それらは完全に私との解釈違い…美意識というよりもっと恣意的な『美学』の違いで、どうにも受け入れがたいという点からくる胸糞悪さだった。
でも本作では諸戸に感情移入できてしまったし、そもそも異形とは何かみたいな問題提起の要素もあり、そんな乱歩の原作が『美学の押し付け』には絶対にならないという妙な確信があって。私は謎解きに踏み出していた。
推理小説は読まないけど、リアル脱出ゲームとかは好きなんです。
(一晩明けて昨日、一緒に脱出できた経験のある頼れる別の友人が、私の沼りっぷりを気にかけて舞台を観に行ってくれた。そして私が完全に見落としていた最重要ヒントを見つけてきてくれた。優しすぎるし天才すぎる。)
(そう言えば原作解釈の友人も、私にとっては自明の理すぎて結構雑に扱っていたヒントが友人にとっては盲点で、そのヒントがあったからこの解釈に至ったと言ってくれた。嬉しかった。)
(そして、盲点とは必ず存在するし、それは本当に自分には見えないだけで、他人から見たらこうも軽々と見えるものなのだなと、また一つ得難い経験をすることができた。人生って楽しい。)
終演後からすぐ調べ出して、最初のヒントには帰りの電車内でもう出会えていた。検索上位だった。有り難い。
だからそのまま寝ずに感想を書き上げて翌昼増田に投稿したのが初見感想。
なんで増田に上げたかと言うと、これが《私》の感想であると、他の友人知人に知られるのが恥ずかしかったから。お陰で普段以上に壁打ち感ぱなくて孤独だった。それを全部友人との推理にぶつけていた。この五日間付き合ってくれて原作真相にまで辿り着いてくれた友人マジで有り難う。
自分の感想の反応はサッパリだけど、各所に皆さまがどんどん感想を投下されるのでひたすら読み漁っていたのですが、どうにも自分の知りたい解がそこにはないように思えてきて。(感想を拝読させていただいた皆さま、失礼な物言いになってしまいすみません。今回が異例だったのです。通常の演劇作品の感想としてはとても楽しく面白く拝読させていただきました。公開してくださったことを心から感謝しています。これからも是非よろしくお願いいたします。鍵、イクナイ。)
先述の私の盲点にあったヒントを見つけてきてくれた友人との会話でも判明したのですが、私が求めていたのはどうやら『感想』ではなく『印象』だったのです。
感想とは『事象に対峙した発言者の想い』である。対して印象とは『事象に対峙して発言者が捕捉できた部分』である。
私は自分では見えなかった作品のありのままの姿を知りたかったみたいです。
その点では、原作を読んだけど舞台は見ていない友人と、舞台は観たけど原作を読んでいない私の探偵コンビはなかなか良いバランスだったのかも。
お互い違う表現を見ているから感想だけでは語れないけど、小説も舞台も作品の本質が同じなら、印象と事実も一緒に突き合わせることで対話が成立する。
書いていた続きが寝落ちたら消えていたので、ちょいちょい追記していく。
何故働かないって、そりゃ僕が悪いんじゃない。つまり世の中が悪いのだ。
もっと、大袈裟に云うと、日本対西洋の関係が駄目だから働かないのだ。
第一、日本程借金を拵らえて、貧乏震いをしている国はありゃしない。
この借金が君、何時になったら返せると思うか。そりゃ外債位は返せるだろう。
けれども、そればかりが借金じゃありゃしない。日本は西洋から借金でもしなければ、
到底立ち行かない国だ。それでいて、一等国を以て任じている。
そうして、無理にも一等国の仲間入をしようとする。だから、あらゆる方面に向って、
奥行を削って、一等国だけの間口を張っちまった。なまじい張れるから、
なお悲惨なものだ。牛と競争をする蛙と同じ事で、もう君、腹が裂けるよ。
こう西洋の圧迫を受けている国民は、頭に余裕がないから、碌な仕事は出来ない。
揃って神経衰弱になっちまう。話をして見給え大抵は馬鹿だから。
自分の事と、自分の今日の、只今の事より外に、何も考えてやしない。
考えられない程疲労しているんだから仕方がない。
のみならず、道徳の敗退も一所に来ている。日本国中何所を見渡したって、
その間に立って僕一人が、何と云ったって、何を為たって、仕様がないさ。