はてなキーワード: 漠然とは
友人と久々に通話する機会があり、雑談の中でいつのまにか政治の話になった。
いろいろ思うままに話していたのだが、自分の意見の薄っぺらさに話しながらに衝撃を受けていた。
俺が話した内容といえば、
・政治家の腐敗ぶり
・給付金がこない
・若者はきつい
だの、すべてどこかで見たような意見ばかりだ。
ヤフーニュースのヘッドラインや、ブコメトップコメントみたいなことしか話せないのだ。
俺はたしかに不平不満を持っているはずなんだが、はたして自分で判断してだした意見な気がしないんだ。
たぶん全部受け売りだ。
政治家ってたぶんいいこともやってるんだと思うが、一体彼らが何をやっているか、俺はほとんど知らないんだ。
彼らの成果をどこで見るのかもわからない。
ニュースって基本的にはネガティブな内容のほうが報道価値があるし、印象にも残るから、当然といえば当然なのかもしれないけど。
そんなレベルじゃなく、自分の中の基礎となる土台がなく、表面の怒りしか持っていないようだということに愕然としている。
自民党に対する怒りや不満を漠然と感じるし、次の選挙では絶対投票しないと決意を強くしているんだが、じゃあ逆にどこならいいのか、とかがない。
よく叩かれてる維新だの、立憲民主党、社民党、公明党だのもなにをしているのかわからない。
次の選挙がいつなのかすらわかってない。
ようするに、わかった顔してなにもわかってない。
俺って、床屋の政治談議するレベルの愚民の一匹でしかないんだ。
今まで、政治に対して無関心だった。
俺は30代だけどわかったふりして大人になってた。
俺は日本国民としてどうあるべきなんだろう、政治に対してどれくらいわかっていれば良いんだろう。
流れてくるヘッドラインやニュースに対していちいちわかったようなブコメつけて義憤をつのらせ、記事を読んで適当なグラフに納得していればいいのだろうか。
もはやあの国との関係を改善する必要性すら薄れつつある感じだね
内閣府が19日に発表した令和2年の外交に関する世論調査で、今後の日韓関係の発展が「重要だと思わない」「あまり思わない」との回答が計40・4%となった。新型コロナウイルス感染症を踏まえて調査方法を変えたため単純比較はできないが、過去最悪の水準だった。現在の日中関係が良好だと思わないとの回答は8割超に上った。
過去の調査では、日韓関係の発展を「重要だと思わない」「あまり思わない」の回答は、元年の計37・7%が最も高かった。いわゆる徴用工訴訟などをめぐり、韓国に対する国民感情の悪化を反映した結果となった。日韓関係を「良好だと思わない」「あまり思わない」の回答も計82・4%と高水準だった。
ナスがよくとれるので那須市だが、本当は茄子市がよかった、と臆面もなく語る人々がくらすその街にある大学の名前はもちろんナス大学だ
可能性の広がりを名前からも示すため、あえて漢字は使わず「ナス大学」と表記する、と決めた初代学長の苗字は当然「那須」で、そんな調子なので日本初にして世界初のナス学部なんてものが存在する
ナス学部はその名の通りナスについて学ぶ学部で、専攻は三つに分かれる
ナス学部ナス専攻とはなんなのか、医学部医学専攻、文学部文学専攻みたいなもので、漠然としすぎているではないか、というのはごもっともで、ナス専攻の学習内容は多岐にわたる
ときには生物学的にナスをひもとき、ときには歴史上に現れるナスを探し、ときにはナスの持つ記号学的意味を論じ、ときにはナスの絵まで描く
学部のたった4年間ナス専攻に在籍しているだけで、その人間の人生はほとんどナスになってしまう
ナスを見れば飛びつき、ベランダでナスを育て、食事はナスばかり、那須という苗字を得ることを目的に結婚をし、子供ができればナスという名をつけ、ナスだけを与えて育てる
賭け事はしていない。
最初は漠然とゲームをしてたけど、一頭一頭に関連するレースがあったり、ゲーム場の強い馬を調べる中で実際の馬の話を読み込んでしまった。
アニメ、ゲーム、漫画で噛み砕いて話をしてくれるから、(多少演出はあれど)すんなり世界観に入り込めた。
もちろん競馬を調べていく中で、処分の話も出てきて居心地の悪さも感じた。
でもやっぱり実際のダービーをみてみると臨場感を感じたくなる。
引っ越し先で 90 年代の曲を流していたら、見慣れない場所で知った曲が流れているので自分の中の時代感がバグった。当時のような気持ちにはさすがにならないが、当時の悲しみや喜びが曲に乗せて浮かんでくるのを眺めている。
色々しんどかったし楽になって良かったと思っていたが、あの頃の感情の鮮やかさに、あれもまた大事なものだったと思えた。
いうて失われた何十年だかのうちの変化なので、自分以外がそんなに変わった感じはしない。氷河期世代が異様な怨嗟を抱えているのは、子供の頃にバブルの面影を見て、普通に生きていれば当然得られると思っていたものが得られなかったからなのかもしれない。
もう少し後の世代は、 IT ()で世界が変わっていくのを見ていたので、漠然と良くなる未来を抱いていたのだろうか。良くなる世界で良くならなかった自分への嘆きは見かける。
過去の繁栄は終わり未来にも希望が無い、そんな中で成熟した音楽たちを聞いている。なんなら音楽や文学は閉塞感の中でこそ育まれるのかもしれない。
技術革新の最前線をひた走る者達が選別され、誰の目にも明らかになる頃合いだった。
もはや個々人がどうこうしようという幻想は打ち砕かれ、伏兵や道化の付け入る隙なんてものもなく、記録や記憶に残ることすら適わない。
それでも尚もがこうとする者達も、いるにはいた。
「皆さん、来年の2月14日、この町にも施策される条例は悪法です! 我々は断固として反対します!」
その中で未だ情熱に溢れていたのは、未来を憂う若者、意識が高めの大学生達だった。
彼らは何らかの目標を持って勉学に励み、若いうちから自己投資を積み立てている真っ最中の人種。
なのに、それが下手をすれば無駄になるかもしれないとくれば、焦るのも仕方のないことだ。
蠢く価値基準を掌握するのは、現在進行形でトップにいる組織のみ。
自分たちの与り知らぬところで変動していく情勢。
社会現象という、目に見えないけれど確かにあるように思える存在。
どうにかできるものなら、どうにかしたい。
「あいつら、またやってるよ」
「やる気スイッチ的な?」
だが多くの人々にとって、その活動はもはや冷笑の対象でしかなかった。
何の権威も持たない烏合の衆が喚いて、現状を打破しようとするフェイズは疾うに過ぎていたからだ。
当時の風景を知る両親でさえ、この出来事を断片的に語るのみである。
たぶん実を結ぶかどうか以前に、そもそも大したことはやっていなかったのだろう。
当人達も、この活動に労力を割くつもりはなく、漠然とした焦燥感を発散させたかっただけなのかもしれない。
嫌味な言い方をするならば、政治社会に関心ありますよというポーズだった。
「あの、これ何時ごろ解散するの?」
この活動に参加してはいたものの、どちらかというと仲間の付き合いで仕方なく、人数合わせで立っているだけ。
傍観者を気取って冷笑するほど無頓着でもなかったが、正味やってることに大した思い入れもなかった。
「できれば3時までには帰らせてね。タイムセールに間に合わなくなる」
「待ってくれよ、マスダ。タイムセールは5時までって話だろ」
痺れを切らした母は、いち早く抜けることにした。
何らかの意義ある行為か、安く買える用品か。
比べるものではないのだろうけど、それでも選べというなら迷いなく後者を選ぶ。
もし俺がその場にいても、たぶん同じ行動をしていたと思う。
しかし、この時の判断が、まさか後の不幸を生むことになるとは誰も思わなかっただろう。
それは母にとって間違いなく事件であると同時に、俺たち家族にとって重要なターニングポイントともいえた。
今年、就活生というやつをやっている。いわゆる「22卒」てやつ。正直、マジで社会に出たくない。
オタクがなんだかんだ社会でいろんなことやってたり、会社行きながら夜同人誌描いてたり、ていうかそもそも面接受けて受かって、大学卒業して、うまくやっていけてる意味がわかんない。怖いんだけど。わたしも今企業にES出したりしているけど受かる気しないし、Twitterの趣味垢で就活の話したくなるけど歳の近いフォロワーたちが就職に悩んでいる話なんて聞いたこともないし、彼女らは普通に働いてるし、何?どう言う仕組み?わたしはここまでまともに生きてきてそこそこまともな大学にもいるけどほんとに中身は空っぽで何にもない人間で、社会不適合者ってことなの?なんでみんな働いたりできるの?わからない。マジで社会に出たくない。好きなことをして生きていきたい、という気持ちがあって、でもそのためにキャリアや収入源を投げうつことができるかって言われたらできないのに、そもそも投げうつための収入源を得られるかもわからない。就活で散々自分の得意なこととか頑張ってきたこととか聞かれるけど、分かんないんだけど!わたしにしかできないことなんて20年しか生きてないわたしには何もないし、でも10代で何かを成し遂げる人もいるんだからわたしにも何かできたはずだし、でも何もしてこなかったのはわたしが怠惰なクズで適当に生きてきたからで、じゃあそんな私のことを誰が雇うって言うんだ????無理すぎる 自分を認められないくせに無駄にプライドだけは高い人間、誰が雇いたいっていうんだ 世の中で働いている大人たちはどうやってそれを乗り越えてきたんですか?????自分を見つめ直すいい機会だとか言うけど見つめても見つめても何もない自分しか見えてこないし、わたしがやってきたことは誰にでもできることだし、それが本当は誰にでもできないから誇っていいよとか、そういう些細なことを自信もって書きなとか!無理でしょそんなの、難しいよ 怖い 漠然としてるけど怖いよ〜〜〜みんな、その怖さと戦ってまで社会に出たの?ほんとにすごい 尊敬 つらい なんかすごいミュージシャンとかになりたかったよ、音楽やってこなかったけど
五感で得た情報を司り、言語という枠を使って漠然としたイメージを表現する一種の記号である。
言語は想起のための指標である。それは経験や知識の曳き手であって、イメージのリアリティではない。
書くことは、他者とのコミュニケーションが可能であることを前提に、ラベル付けされた一連の記号を用いて、他者に対して主張や理性を主張する方法の一つである。
口頭での主張は、私たちが獲得した仮説推論の致命的な能力と、類似点を見つける病気を悪用して、メディアやミームに感染させる一種のツールである。
インターネットを通じて他人のイメージを乗っ取ることを意図して書かれている。この思索は、言語というナンセンスな方法を使っているので破綻している。
自由や幸福は、自分の手に負えないものを無視することで得られる。
これは古代ギリシャの哲学者エピクテテスの発言です。これは権威的な重み付けのための引用であり、特に意味はありません。
松井秀喜がこのストイックな哲学者と似たようなことを言っていたので、歴史的にも理解できる考え方だと思いました。
言語の美点は、話し手が意図した通りに「もっともらしい」ものを人間に刷り込むことができることである。ある公理を真理として刷り込み、恐怖や扇動によってその絶対性を刷り込む行為は、様々な組織の中で日常的に見られる。
そもそも言語の誕生は、人間による宗教の獲得と不可分である。人間はある時点で、言語を通じて空想力、理性、類似性を見出す能力を獲得し、自分ではどうしようもないことを生活の中に内在化させてきた。
それは例えば、お金や権威などの暴力の一種であったり、感情という人間の状態の一種であったりする。
すぐには永続させることのできない現象が、言語という記号を使って他者と共有されるようになったのである。
それだけでなく、活版印刷やインターネットの技術革新によって、言語は時空を超えて広く、長く保存されるようになりました。
それと引き換えに、宗教の絶対性を広めることで、言語習得のデメリットである上記のような制御不能な事象を打ち消そうとする試みがなされたのである。
上記の記述には何の根拠も示せないので、適当な本やネット上の類似情報を相互参照して、ご自身の結論や否定の判断にお任せすることにします。
エピステーム
精神病についての深い考察は、ミシェル・フーコーの著書をお読みください。エピステームという重要な概念が提唱されています。
エピステーメとは、ギリシャ語で「知識」を意味する言葉をもとにフーコーが造語した言葉である。簡単に言えば、私たちの認識が形成される知識の枠組みを指す。私たちの知覚は、私たちの経験から直接、媒介されずに得られるものではありません。私たちの経験はすべて、私たちが持っているある認知的枠組みに適用されたときに知識となるのです。
そもそも「精神病」という名前を使うのはよくありません。何と言っていいのかわからない。ラ・ラ・ラ・ラ・ラ。なんだっけ?
インゲニヤトーレ
12~13世紀のヨーロッパでは、労働組合の倫理規定により技術開発が停滞していましたが、後のルネサンス期の15世紀には、相次ぐ戦争に対応するために様々な技術が開発されました。この時の新技術はインゲニウムと呼ばれていました。その技術を開発したのがインゲニウム・トールである。インゲニウムは、今日のエンジニアの語源です。レオナルド・ダ・ヴィンチもインジニアトールの一人でした。
レオナルドの写本の中で最も有名なのは、アトランティコ写本とマドリッド写本である。彼はすべてのものを描写するために、フォトリアリスティックな絵を必要としていました。言語のような一対一の記号ではなく、より具体的なイメージを捉える方法が必要だったのだと思います。
ピクトリアルジオメトリという幾何学的技法があります。ガスパール・モンジュによって確立され、産業革命期にエコール・ポリテクニークで教えられました。ルネサンスの数世紀後には、主に軍事目的であったが、イコノグラフィーが導入された。
と私、増田も感心感銘をうけました。
新参者な増田にとって差別に関する事柄はやはりどこか他人事として
正直どれが正解かもよく分からん状況です。
でもこういう論争を隔てながら意識を少しずつ持ち始めることが大事なことなのか、とお子様レベルの感想でしか表現できないような気持ちになりました。
誰でも差別的なこと受けたり、あるいは差別的な行為や言動をとってしまったと心当たりはあるような気がします。
結局は「誰もが差別的な行為で嫌な気持ちさせない」という課題に対して皆さんは活動及び机上バトルをされているんでしょうか。
そして解決できないからこそ永遠に議論し続けなければならないんですね。
解決できないから考えるのを辞めるのではなく、永遠と考えて続けて議論し続けなければならない課題ですね。
そう思わせてくれるだけでも差別を無くそうという目標は人類みな持ち続けるべきですね。
差別は良くないと漠然とおもうだけで、差別というものがどの行為に当たるのかもわかりません。
差別に値する感情を公にすることを制限することも差別にあたるのではないかと思った瞬間にもうなにが差別で差別でないのかもわかりません。
下手したら、自分以外の誰かに対して芽生えた印象や感情ですら差別に値するかもしれない。
でも人類は関わることで文明を発展させ利益を生み出し長い歴史を紡いできました。
頭の中が堂々巡りです。
でもきっとみなさんと一緒に矛盾が無くなってくれればいいです。
と私、増田も感心感銘をうけました。
新参者な増田にとって差別に関する事柄はやはりどこか他人事として
正直どれが正解かもよく分からん状況です。
でもこういう論争を隔てながら意識を少しずつ持ち始めることが大事なことなのか、とお子様レベルの感想でしか表現できないような気持ちになりました。
誰でも差別的なこと受けたり、あるいは差別的な行為や言動をとってしまったと心当たりはあるような気がします。
結局は「誰もが差別的な行為で嫌な気持ちさせない」という課題に対して皆さんは活動及び机上バトルをされているんでしょうか。
そして解決できないからこそ永遠に議論し続けなければならないんですね。
解決できないから考えるのを辞めるのではなく、永遠と考えて続けて議論し続けなければならない課題ですね。
そう思わせてくれるだけでも差別を無くそうという目標は人類みな持ち続けるべきですね。
差別は良くないと漠然とおもうだけで、差別というものがどの行為に当たるのかもわかりません。
差別に値する感情を公にすることを制限することも差別にあたるのではないかと思った瞬間にもうなにが差別で差別でないのかもわかりません。
下手したら、自分以外の誰かに対して芽生えた印象や感情ですら差別に値するかもしれない。
でも人類は関わることで文明を発展させ利益を生み出し長い歴史を紡いできました。
頭の中が堂々巡りです。
でもきっとみなさんと一緒に矛盾が無くなってくれればいいです。
全文ざっと読んで要約
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覚えている限りでは幼稚園の時から人間関係でつまずくことが多かった。
確か習い事でも同い年くらいの子に失礼なことをして泣かせたことがある。
勿論母には怒鳴られたが、
同じことが起きたらとりあえず取り繕うことはできる、と思う。
母に勧められて絵や工作を習い始めたが、
心の中の燻りが消えていく気がした。
それは難しいと母に言われた。
小学校でも中学でも対人関係が上手くいかず勉強に集中しきれなかったので、
高校に入ってから母に言われるまま目標もなく予備校に通い始めた。
今考えると、もしかしたら地元の高校じゃなくても対人関係は上手くいかなかったかもしれない。
当時の学区内で上位3位くらいに入る高校に在籍していたので
予備校での3者面談で具体的に志望校を決めないといけなくなった。
スクールカウンセラーになりたいとうっすら考えていたので、心理学科のある大学を希望した。
摂食障害になったりもしたが、留年することなく4年生まで進級できた。
飲食店には向いていなかったようで受験勉強を理由に3ヶ月で辞めた。
ここで働くまで、自分が飲食店で働けない人間だとは知らなかった。
他にもデパートで接客をやってみたが、覚えが悪く、しょっちゅう社員さんにフォローしてもらっていた。
2か月くらいで辞めたと思う。
母は公務員を強く薦めてきた。
母のビジョンでは、私は大学在学中に資格を取るはずだったらしい。
文学部だったのだが、司書や学芸員の正規採用の倍率を知らなかったのだろう。
1年生の時に先輩から聞いて知っていたし
一度社会人になってから大学院に行ってまでスクールカウンセラーになりたいとは思わなかったので、
とりあえず就活を片付けることにした。
就活は難航した。
やりたいことがわからなくなった。
電話応対や来客対応も無く(そこに居続けたらいずれ任されたのかもしれないが)
単純作業のみで敵羽も悪くないと直属の上司に褒められたのが嬉しかった。
半年の試用期間が終わる頃、
社長から勤務態度の悪さを指摘され、正社員として採用されなくなってしまった。
なのでアルバイトとして約2年働き続けた。
親には、なんで正社員になれないの?と詰められた。
勤務態度の悪さというのは、気が利かないということだったと思う。
うろ覚えだが、社会人としてのマナーが身についていないということだろう。
あと乗せられて言った私の軽口を社長が真に受けていた。
ミスの尻拭いを従業員全員にやらせる社員をいつまでもい座らせていた。
そこで週3日程アルバイトをしつつ正規の仕事を探すと親には言ったが、
就活が怖くなった私にそんなことはできなかった。
親は私に「何かやりたいことはないのか?資格を取れ」と強く薦めた。
何を今更と思ったが、
私は職業訓練でHTMLとillustratorとPhotoshopの勉強をして、デザインの仕事を探した。
半年間の職業訓練が終わりに差し掛かった頃、正社員として希望の仕事の内定を頂いた。
職業訓練ではデザインについてそれほど詳しく勉強したわけではないので、
それよりも私がこの仕事をする上で致命的だったのは、
それで、納品物が納期ギリギリになっても完成せず、先輩にほとんど作成してもらった。
上司に「貴方は頼まれたことはきちんとやってくれますよね」と言われたのは何だったのか。
これは裏を返せば言われたことしか出来ないということになるんだが……。
この仕事は5か月で辞めた。
そして以前通っていたメンクリで知能検査を受けたが、正常の範囲内とのことだった。
私はただの出来の悪い人だということがわかった。
色々なところに応募しては落ちてを繰り返し、1年程間を空けて受付事務のパートをすることになった。
私を採用した人は、なんでこんなこともできないの?と不思議に思っているようだった。
なんでって……こっちが聞きたいが。
貯金が少なく焦っていたが、半年後に、派遣社員としてOA事務の仕事をすることになった。
ここが一番働きやすかった。
手順書があって、成果物はクロスチェックされ、電話は決まったところからのみ。
そこで働いて2年程経った頃、親に「今の職場で正社員になれないのか?」と訊かれたので
それをそのまま上司に伝えた。
「誰でも勧誘しているわけではない」と回答された。
居心地の良い職場にギリギリまでいたかったので、次の仕事は全く探していなかった。
この会社の派遣期間が満了する頃になると、国内で新型コロナウイルスが流行り出した。
傍から見たらぜんぜん頑張ってるように見えないと思うけど、もう親含めて他人の機嫌うかがうの疲れた。
先日ある企業から内定を頂いた。1月からの早期選考に乗って就活解禁前に頂いた形だ。
ちょうどいいので内定を受諾して就活を終えてしまおうかと思うが、3/1に何もしないのがなんだか怖くて今文章を書いている。
ただ、今私が考えているネックな事項が全てこれから1年の研究室生活についてだけなので、「まだまだ就活をやるつもりだったのに日常の研究室生活に戻るのが抵抗ある」というだけだと自分で思う。
入社後の心配はあんまりしていないんだよね。十分いい会社だと思うし、私は社長の哲学に共感したからこの人についていこうと思ったし、業務内容も勤務地もこの職種にしては珍しく現時点で比較的はっきりしているから1年かけて色々と準備出来て非常にありがたいし、無論研究内容も面白そうだし、今後絶対に伸びる会社だと思うし、今年のボーナスも非常に高かったらしいし、直感で好きだし、あと面接で本当に好きに喋ったのになぜか評価されたからなんだか嬉しい感があるし、実は留年しているのだけどそれに関する話題が一切なかったのも有難いし、続ける理由が無いというか。
内定を受諾せずにキープするのって、「どうしても行きたい企業があるからそれまで待って」という学生がする物であって、私みたいな比較的志望順位をはっきりとつけずにふわふわでやってきた学生は、最初に内々定をを頂いた企業で終わらせてしまうべきだと思うのよ。
まだ3月始まっていなかったから、現時点で面接が進んでいる企業とかないし、続けるとするとESを3/1に出すところから始める必要がある(去年のを参考に既に書いてはいる)。ここから1ヶ月とかで結果が出るとは思えない。
今の会社が、「出来たら3月中に内定受諾が欲しいな、一応いつまでも待つけど」と言っている。
その状況から見ても、就活を終わらせてしまって、おざなりにしていた日常生活や研究や学業に力を入れる方が妥当だと思う。
本当にネックは、多分教授や先輩が知っているような有名な大企業ではないところ。特に大企業志向の先輩に「終わらせないでもっとやればよかったのに」と言われそうなところ。
そんなちいせえことくらいしか気にすることが無いのならやはり内定受諾するべきでは?せっかく内内定を頂いた会社にも待たせるのは悪いし。
私はもともと大手はあんまり見ていなかったんだよ。安定志向で小心者でぶちゃけメンタルがそんなに強くない私は、首の心配なく働ける企業に行きたかったんだよ。
だからこれからエントリーシートを出してもいいなと思う企業は絞り出せば7つほどあるが、今の会社と売上高ベースでせいぜい倍~数倍程度だし(それでも規模は異なるだろうが)、私は今の会社の方が変人の私には合っていると思うし、モチベーションが続く気がしない。
っていうか10年後にはより多くの学生が知るくらいもうちょっと大きな会社になっていると思うのよね。社長は単純に売上高を伸ばすことは多分重視していないと思うけれど、ぽんこつ学生の立場から言えば、売上高が1000億の大台に乗れば認知度は飛躍的に向上すると思う。私は最初はそこでスクリーニングかけて企業を探した。
漠然と不安だなぁ。きっと学生の私が分からない会社の闇もあるんだろうなぁ。まあそれが入社後どうしても許せなければ、転職すればいいか。うーん。そのためにも多くの会社を見ておいた方がいいのかなぁ。でも説明会レベルでさらに多くの企業を見るつもりは無いし、就活続けるにしても既にある程度知っている企業にしかエントリーするつもりは無いし、この観点では気にしなくていいか。
いわゆる就活掲示板を見て会社の評判を検索すればいいのだろうか。そういうことはしない主義なのだけど。いや辞めとこ。世の中には知らない方がいいこともある。
ぐずぐずとぶーたれるしかしていないな。
推敲せず投げ捨てる。
ゲーム性は
・得意なコースを作って特化させる(芝S とか)
・得意な戦術を作って特化させる(逃げ とか)
・強いカードを引く or 借りる
の3点に集約される。
・現段階の手持ちにおける育成ウマ選択
・伏兵など一部の特殊スキルを利用した特化戦術による滑り込み画策
ぐらい。
漠然と育成して、
勝敗に乱高下はあるものの育成の数値が代々伸びていくので盆栽としては悪くない。
話題のゲームをイナゴしてゲームとしての底が見えたら満足して帰る人なら◎。
スマホゲームのRPGが元々好きな人でじっくりやれる新しい移住先として検討するなら○。
記憶が完全に薄れてしまう前に、弟の誕生日なので、時効と嘯いて、書き留めます
朝から教習所に向かい、どうにか車を運転し終え、「まあ多分受かっただろ」と思いながら確認したスマホには、親からの「家の鍵持ってる?」「なかったら裏の鍵開いてるから」「昼適当に食べて」といったようなLINEが届いていた記憶があります。
「何かあったのかな」と思いつつも、家の鍵は持っていたのでそう返しておきました。
合格をその日のうちに伝えられたかはよく覚えていませんが、とにかく昼頃には終わっていたため、家に帰りました。家には誰もおらず、親に電話をすることにしました。
「■■(弟)、死んじゃった」
涙声で伝えられたその情報に、まず出たのは驚きでした。現実において
「え??????????本当????????マジで?????????は???????????」
ぐらいの勢いで叫んだのは、後にも先にもここぐらいでしょう、というような混乱でした。
弟は、私が寮にいる間に、突然家出をし、自殺未遂をし、保護されたあと病院施設に入り、メンタルケアを受け、進学も家から遠く離れた施設から通える高校に行って、また自殺未遂をしたりしていました。その間弟は、家族を完全にシャットアウトしており、1年半の間誰も会えていませんでした。
自殺未遂をしていたことから、それが成功したんだな、ということは簡単に察することができるはずなのですが、私は「次会ったとき『よう……5年ぶりだな……』って一言目に言お」などと考えていたぐらいには弟の死への願望を非現実的に捉えており、まさか本当に成功させるとは思ってもいませんでした。
なので、正直なところ「マジかよあの野郎ッ やりやがった」ぐらいの気持ちで報告を聞いていました。
親は「帰りはいつになるかわからない」というので、まあそれはそうと思いつつ、電話を切り、家に常備してあるパスタを食べました。パスタはいつも通り美味しかったので、美味しいなぁ、と思いました。
薄情な兄だと思われるでしょうが、1年半前以前から私はほとんど寮におり、弟と会うのは帰省した時の食卓ぐらいでした。弟は部活をしており、土日も練習するため学校に出ていたからです。そのため、「昔よく遊んだが、最近会っていなかった遠い親戚が死んだらしい」程度の質感でした。薄情ですね。
お昼を食べたあとは、前から見たかった時をかける少女のアニメを見ました。正直なところ特に面白くもなく、内容が記憶にありません。ただし、流石に内心ではそれなりにショックを受けておりまともに見られていなかった可能性もあるかと、内容を調べてみました。しかし、やはりつまらなそうでした。
(今回はつまらなかったわけですが)、美味しいご飯を食べることも、面白い作品を摂ることも、生きている人間の特権です。
実は死んでもそれらはできるのかもしれませんが、本筋から逸れてしまうのでやめます。ただし、死ぬことで人間の活動に付随する空間の縛りがなくなるなら、死んだ方が楽しそうですね。
ともかく、それができなくなるのはもったいない選択だなぁ、と思いながら親の帰りを待っていました。
ゆっくり人生をしていけば違った世界を見られたかもしれないのに、その可能性を排除して不可逆の選択を選んだのは、私には理解できないことでした。得られたかもしれない幸せを放棄しているから。
ただまぁ、私はまだ人生に幸せを感じる余地はあると思っているから、なんとなく幸せになれそうな方向を探して生きています。全力で死ぬよりなんとなく生きる方が簡単なので。
だから、全力で死ぬ決断を下せた弟は、ある意味ですごいなぁとも思っています。
後から知ったことですが、弟の財布に入っていたレシートには死ぬ前日のものがあり、そこではたくさんのお菓子が買われていました。弟にとっては、それが世界で一番幸せな時に近づくための手段だったのかもしれません。最期の晩餐がそれであることを私は可哀想とは思いません。もったいないと思います。
親が帰って来たのは17時半とかで、まあまあ早かったなと思いました。記憶は朧げですが、遺体は布団に包まれていた気がします。それを車から下ろすときに足を持ったのですが、まだ温かく、しかし感触は確かに〝終わっていた〟ので「肉の塊だな」と思いました。死体に触るのはもちろん初めてでした。
仏壇のある部屋に遺体を置き、改めてそれを見ると、首には縄か何かで頸った跡がくっきりと残っており、顎の辺りまでが紫色に染まっていました。服装は私服だったか既に死装束だったかいまいち覚えていません。私がファッションに興味がないからでしょう。ましてや死んでからお洒落しても何もないです。
親は泣いてるし、同居している祖母ももちろん泣いていました。私は涙も出てこないし、なんなら別に悲しくもなく、「へー死んだんだ」ぐらいの兄としては最悪な所感を以てその場にいました。流石に酷すぎるだろ、とも思いますが、勝手に死んだ弟如きのために感情を曲げて自分に嘘をつくのは嫌でした。
整理してて思ったんですが、マジで弟のことほんとになんとも思ってないですね。ぶっちゃけ弟のことはあんまり好きじゃなかったです。ポケモンカードの強カード全部捨てられたり、買った本勝手に読まれてしかも折り目つけて返されたり、DSのソフト勝手にやられたり、いろいろありました。悪い思い出が。
ただ、一度距離感をとって、年をとって、互いに価値観を確立して、その上でゆっくり話せば、あのときの最悪な話も思い出話になると漠然と思っていました。私は、自殺未遂も含めた弟の哲学について知りたかったし、弟が何を考えていたのか知りたかった。
遺書はなく、スマホのデータは消されており、わずかにカウンセラーさんと弟の友達から漏れでる情報によると、「自分に生きている価値はない」「消えるしかない」などと考えていたらしいです。
それはつまらない考え方だ、と私は思うのですが、それに至るまでの積もる話も、私は何も知りません。
独りで考えて、独りで完結して、そんな生き方を自分もするのでしょうが、さらに独りで死を実行して独りで死ぬのは、流石にどこかネジが外れていたような感じはしています。私が寮にいる間に、いろいろとあったようです。実は私のことも恨んでいるのかもしれません。私には私のことしかわかりません。
弟は朝を食べたあと、9時ぐらいに首を吊り、そのまま1時間ぐらい発見されなかったようです。春休みだったので無理もないですね、見つけた施設の人はさぞ驚いたと思います。事故物件作りやがって……と私は思いました。
しかもどうやら発見時は舌が口から出ていたらしく、なかなかグロみがあったそう。
私が教官に監視されながら車を走らせているときに、弟の生命活動が終わっていたのは、後から知るとちょっと面白いなと思いました。何が面白いのかは自分にも説明できませんが、「世界のどこかで人が死んでいる」という実感なのかもしれません。解像度が高くなって、知らない感覚を知れたという。
もう記憶があまりないです。呆然としすぎての方ではなく、興味がない方の記憶の無さだと思います。親の親戚も来て、もう片方の祖父祖母も来て、皆泣いていて、自分は二階でいつも通りインターネットをしていました。それこそが私の正しさでした。
あっという間に出棺の日が来たらしいです。棺には、一つの他愛もないメッセージを書いた紙を入れました。「また会おうぜ」、みたいなやつです。
火葬場に向かう川沿いの道に、満開の桜が並木となって咲き誇っていました。親がずっと覚えておこうと言いました。私もあれは確かに綺麗だと思いました。
いよいよ焼くときになって、最後に何か、というタイミングで、親が膝から崩れ落ちすがり付いて哭いているのを見て、弟に「何やってんだよ」という気持ちが沸きました。
結局私は今まで泣けていません。これからもないかもしれません。
ともかく、人が一人死んだ、そういうお話でした。
私の家は多分そこそこ金持ちなんだと思う。家もやたらでかいし、何より十〇代続いた増田家の本家なのである。
子供の頃から何不自由なく暮らして、欲しいものは基本的に何でも買ってもらって、お年玉も小学生にして十万超えを貰うような田舎のお嬢だった。
祖父は私が子供の頃から十〇代さんと呼び、長男とは付き合うな、次男にしろ、外人は駄目だと言いながらも私をべたべたに可愛がってくれていた。
初孫で一人娘でたった一人の跡取りちゃん。そりゃもう、蝶よ花よと私はお姫様だった。
このままここに居たんじゃ人間駄目になると気付いた私は二十歳そこそこで実家を出た。
子供の頃は漠然と家を継ぐんだろうな、と思っていたが反抗期に入ると継ぎたくない、嫁に行ってやる。などと言っていた。
それなりに大人になると継がなきゃいけないな、という責任感に代わってくる。私の代で増田家を終わらせるわけには、やっぱり行かないよな……と。
まず結婚はする「べき」で、子供を産む「べき」で、それだけで既にうんざりしてくる。
まず私が結婚したいかと言えば、別にである。子供が欲しいかと言えば、別にだ。猫が居ればいい。
もし子供を作るとすれば最低二人欲しい。私のように一人っ子だったら、我が子に同じ重圧を一代分追加して渡さなければならないからだ。
私はオタクで、漫画とゲームが好きで、推し漫画と推しゲームがあって今最高に人生が楽しい。
なので彼氏はいるが結婚願望はさっぱりない。でも子供を産む期限は刻一刻と近づいてきている。
漫画みたいに私の細胞を使って勝手に培養液で作っておいてくれないかな、と思う。
十〇代目じゃなけりゃ、結婚しない生き方とか、そんな選択肢もあるだろう。今のうちに稼げるだけ稼いで、老後は猫と暮らして勝手に死にたい。
継がなきゃいいのでは? と思うかもしれないが、さすがにあれだけ可愛がって育てて貰っておいて申し訳ない気持ちがある。
なんか同じような境遇だった。超激務とはいかない程度のまあまあ残業の残業で給料もそこそこで周囲の人間も悪くないのになんか鬱になっちゃう感じのやつ。
私もメーカーで現場と客と上司の板挟みでメンタルを若干やった。
勝手に想像して続けるけど、おそらく増田の業務はそれなりにタフだと思う。残業50だの60だのしたら普通は疲れて家事するにも苦労するレベルよ。過労死ラインは100に設定されてるし、今の上限て30とか45でしょ。60時間やって上司の圧も強いならメンタルやっちゃう可能性は充分あるわ。
SNSでよくわからんコンサルの人とかが残業100云々言ってイキってるのはほっときゃいいんよ。ああいうバーサーカーみたいなんも世の中にはいるし、増田はそんな強くなさそうだし、それを受け入れて出来ることをやってくしかないべさ。
あと2ヶ月ぶり今年度3回目で単発1日休むだけなんて気にしてるほうがおかしい。普通の有給の範囲なんだから胸張って休め。
残業60行かない仕事量で、周囲だって悪い人じゃないんでしょ?それくらいなら文句なんてつけないし、なんなら休んだことさえ認識されてないよ。
アドバイスとかは専門家じゃないから、ひたすら寝て休んだり、楽しみを見つけたり熱中できるもの見つけたほうがよさそう〜くらいしか言えないかな。
あと漠然とした理由での転職はあんまり勧めない。転勤イヤ!とか上司イヤ!とかこういう仕事やりたい!っていう強いモチベがあるんなら仕事も見つけやすいしいいと思うが、なんとなく人生このままでいいのかな…みたいなのはやめとけ。特に不調になってる今のうちは。
なんか子供を叩くのは普通にあるよって親御さんが多くて驚いた。
私なんかは結構底辺で育ってきたんで、当たり前みたいによく叩かれてた。
ただ、これはあくまで自分の環境が劣悪だらかで、一般的な家庭は子供に手を上げることなんてないんだろうなと漠然と思っていた。
以前住んでいた家の話。
その家は玄関までにGoogleのストリートビューでは入れない人しか通れない道を使ってたどり着くようなところ。
その道は長い間舗装されずある辛くそして雨が降るとひどいぬかるみの場所であった。
なんで舗装しないのかなぁ、と漠然と思っていたら近所のよくしゃべるおばさん曰く
「何度か舗装する話があったけど、近所の人が舗装されることを断ってるのよ。嫌がらせなんじゃない」と。
まぁ、そんなもんか、と思いながら、まぁ、長居したい場所ではないなと思った。
そしてまたしばらく時を経て、そんなおばさんが突然病気で実家に帰ったため、そのおばさんが住んでいた家が空き家になった。
確か実家はこの場所より遠方なので、たぶん体調がそれほど思わしくないのだろう。
ほどなくして舗装されていない道はなぜか数日で舗装され、歩きやすく雨が降っても大丈夫な道となった。
はたしてなぜこのタイミングで舗装されたのか、本当は何が起きていたのか今となっては真実が分からない。
こういうのって手間かけずに調べたり確認できる方法ってあるのかな。
こんなことを空き家になったおばさんの家を通過したので思い出したため書きました。
そういう漠然とした願いだと神様が願いを叶える時、どうしたらいいか迷ってしまうぞ。
下手したら、面倒くさくなって、もういいやって願いを叶えてくれなくなる。
頭の良さというのは、文学的方向なのか、数学的な知力なのか、コミュ力なのか、芸術的才能なのか、
神様がいて見てたらきっとかなえてくれるよ。
のツリー見てて思ったけど、なぜか若者が結婚しない理由が語られる時、『金がない』と『興味がない』の対立軸で語られがちだけど、一昔前だったら結婚適齢期の年齢の俺が自分や周囲の結婚観や恋愛事情を見ての実感としてはそんな単純化できるものではないと感じるんだよな。
もっと漠然と『結婚の必須性が下がったから』、『お前らも結婚ってモンをするんだぞって雰囲気が乏しくなったから』っていうのが一番大きい理由だと思う。
あくまでn=1な俺の実感に過ぎないけど。
若者の8~9割が結婚したいと思っているなんてデータが流れているように多くの若者が結婚自体はしたいと思っているから、全く興味がないというわけがない。
金がないっていうのもなくはないが、結局、式なんかはいくらでも簡略化できるし、結婚したらすぐ産めや増やせやって空気でもないから単純に二人の生活を合わせるだけなら、金銭的負担はほぼ発生しない。
そうじゃなくて、別にそこまで無理して結婚しなくて良くない? みたいな空気が俺ら世代にはあって、普段から結婚を意識する機会が少ないからズルズル未婚のまま生きていっているって感じなんだよな。
周りも結婚しない人が多いから焦りとか生まれにくいし、世間からの圧力みたいなものも日常でほとんど感じない。趣味なんかを重視する生き方の人も増えているから、他にやりたいこともいくらでもある。
とくに大きいのが何がなんでも相手作ってまで結婚したいって意識の低下だな。
結婚したい若者が9割とか言っても、その結婚したいは『心から一生添い遂げたいと思える相手ができて、その人にもそう思ってもらえたら結婚したい』って気持ちであって、『必死に婚カツして絶対に結婚したい子供を持ちたい』なんて意識はかなり下がっているんだよ。
別に結婚は人生に必須でもないから、望ましい形でする機会が掴めそうならちょっと頑張ってしたいとは思うけど、何がなんでもってガッツを持てるような行為ではなくなっている。
グラブルバーサスが発売されて、好きなゲームで格闘ゲームができると盛り上がり、購入
1年ほどプレイ→あきらめてプレイをやめることになってしまった
黄金無想曲、MBAACC
そのほかあるけどコンボゲーが多い
プレイスタイルは、基本的にそんなに立ち回りは強くなくて、ワンちゃんつかんでコンボして、有利を押し付けてスノーボールが勝ち筋
有利不利は漠然とつかんでるけど、フレームレベルとか反確とかをがっつり詰めるほどはやってなくて、かっこいい/かわいいキャラで勝てたら楽しいくらい
大別して三つ
対戦相手として一緒にゲームを購入した友達がこのゲームをやらなくなった
多分私もそっちに流れそう
他の格闘ゲームと違い、このゲームでの必殺技にはCTが設定されている。
ワンボタンか格ゲー従来の236+Aなどの入力で放つ事ができ、コマンド入力の場合はCTが若干短くなるメリットがある。
これが合わなかった
Ex必殺技を使うのに必要なのはゲージではなく、後払いのCTが伸びるだけ
「苦労して稼いだゲージを使って放つからEx必殺技は強い」べきであって、使ったあとにその支払いが襲ってくるのは自分の中で折り合いがつかなかった。
ゲージを使用する必要が無いから、結局相手に攻撃を当てる行為はHPを削り、彼我の位置を相手側に押す以上の意味を持たない。
他の格闘ゲームでは、それに加えて「HPを削りつつゲージを稼いで、稼いだゲージで次の連携を組み立てる」というような楽しさがあり、そういったものに慣れていた自分にとっては単調な攻撃の振り合いでしかなかった。
1Rに一発必ず打てる必殺技の奥義は文字通り本当の意味で必殺技で、当てると大きなダメージを取れる。
極論差し込み/コンボで体力を6割削ったら奥義を打って当てれば勝てる。
ゲージはこの奥義のためにしか使用できず、必然的に奥義か解放奥義を当てて勝ち切る展開が多くなる。
リバサでぶっ放しても当たればワンチャンあるロマンと実益を兼ねてる技。
一番辛かったトコ。
ゲージってシステムを採用している癖に、使えるのはたいてい1度、多くて2度。
例えばMBAACCとかUNIなら100%ゲージ吐いて必殺技でダウンを取って、コンボでゲージを稼いで、200/300%払って最後に必殺技、みたいなゲーム展開ができるけど。
このゲームはそれが無い。
ゲージを稼ぐ行為の意味は全て奥義に収束されて、「もう少しゲージがあれば必殺技にゲージを回してもこのラウンド中奥義が見える」みたいな選択肢はない。
ゲージとは言いつつラウンドは持ち越さないので、打たないという選択肢もない。
キャラクターのラインを上げる行為でゲージが稼げるとかの要素もあるにはあるけど薄くて、それも結局奥義が早く打てるだけ。
結局、一番相手のHPを削れるのが奥義だから、自分が遊んでるレベルだと、いかに相手の奥義をケアして自分の奥義を通すかのゲームになりがちだった。
キャラクターの技を使った連携より、それを優先した方が勝ててしまっていた。
例)次のラウンドを見越してゲージを残したりというプレーができない
のは、ゲームの進行をゲームクリエイターに大きく強制されているようで苦痛だった。
とはいえ、普段2Dの好きなキャラが3Dでぬるぬる動くのは見ていて楽しかったし、掛け合いを眺めるのもキャラゲーとしては良かったのでそこは楽しかった。
RPGモードもそれなりに楽しめたし、シナリオもまぁ面白かった
グラブル側に還元できる特典もおいしかったから、十分楽しめたとは思う。
苦痛でした。
ありがとうございました。