はてなキーワード: にとりんとは
と私、増田も感心感銘をうけました。
新参者な増田にとって差別に関する事柄はやはりどこか他人事として
正直どれが正解かもよく分からん状況です。
でもこういう論争を隔てながら意識を少しずつ持ち始めることが大事なことなのか、とお子様レベルの感想でしか表現できないような気持ちになりました。
誰でも差別的なこと受けたり、あるいは差別的な行為や言動をとってしまったと心当たりはあるような気がします。
結局は「誰もが差別的な行為で嫌な気持ちさせない」という課題に対して皆さんは活動及び机上バトルをされているんでしょうか。
そして解決できないからこそ永遠に議論し続けなければならないんですね。
解決できないから考えるのを辞めるのではなく、永遠と考えて続けて議論し続けなければならない課題ですね。
そう思わせてくれるだけでも差別を無くそうという目標は人類みな持ち続けるべきですね。
差別は良くないと漠然とおもうだけで、差別というものがどの行為に当たるのかもわかりません。
差別に値する感情を公にすることを制限することも差別にあたるのではないかと思った瞬間にもうなにが差別で差別でないのかもわかりません。
下手したら、自分以外の誰かに対して芽生えた印象や感情ですら差別に値するかもしれない。
でも人類は関わることで文明を発展させ利益を生み出し長い歴史を紡いできました。
頭の中が堂々巡りです。
でもきっとみなさんと一緒に矛盾が無くなってくれればいいです。
と私、増田も感心感銘をうけました。
新参者な増田にとって差別に関する事柄はやはりどこか他人事として
正直どれが正解かもよく分からん状況です。
でもこういう論争を隔てながら意識を少しずつ持ち始めることが大事なことなのか、とお子様レベルの感想でしか表現できないような気持ちになりました。
誰でも差別的なこと受けたり、あるいは差別的な行為や言動をとってしまったと心当たりはあるような気がします。
結局は「誰もが差別的な行為で嫌な気持ちさせない」という課題に対して皆さんは活動及び机上バトルをされているんでしょうか。
そして解決できないからこそ永遠に議論し続けなければならないんですね。
解決できないから考えるのを辞めるのではなく、永遠と考えて続けて議論し続けなければならない課題ですね。
そう思わせてくれるだけでも差別を無くそうという目標は人類みな持ち続けるべきですね。
差別は良くないと漠然とおもうだけで、差別というものがどの行為に当たるのかもわかりません。
差別に値する感情を公にすることを制限することも差別にあたるのではないかと思った瞬間にもうなにが差別で差別でないのかもわかりません。
下手したら、自分以外の誰かに対して芽生えた印象や感情ですら差別に値するかもしれない。
でも人類は関わることで文明を発展させ利益を生み出し長い歴史を紡いできました。
頭の中が堂々巡りです。
でもきっとみなさんと一緒に矛盾が無くなってくれればいいです。
1話だけみた。で、マコ君という男の子がゲイと思われてかつキモがられてるのがホモフォビアらしい。
ゲイとみなしてよい客観的な基準があるのかどうか知らないが、放浪息子のwikipedeiaを見ると
修一と同じ「女の子になりたい男の子」だが、修一とは対照的に「男の人が好きだから女の子になりたい」とはっきり自覚している。
この人が何をもってそう判断したのか知らないが設定がそうなのだから具体的なカミングアウトがなくともスタッフが「そうみえるような演出」をしたのかもしれないし、もしかしたら眉毛のかき方ひとつで伝わったのかもしれない。表現とはそういうことでしょう。だから主観的にゲイ臭が出てるとみなすのは特段おかしいわけじゃない(言い方の問題はあるだろうがw)。
ただ僕の主観としては一話ではマコ君が男に気があるかはよく分からない。むしろインパクトがあるのはマコ君の「女の子っぽさ」である。しゃべり方もさることながら主人公と電話しているときにクマのぬいぐるみを抱いていたりするのは強烈だ。いわゆる「女の子らしい」とか「女の子っぽい」である。
ここで、マコ君の設定の「男の人が好きだから女の子になりたい」という箇所がひっかかる。これの隠れた前提は「男を好きになれる。または付き合えるのは女だけ」「男が男と付き合うのは駄目」ではないか。これってセクシャリティとしてのゲイの否定じゃないのか?マコ君もホモフォーブだったのか!いや、まあこれもテーマのひとつなのかもしれない。
マコ君は「健全な」社会通念によって「毒」されて、ゲイでなく、「女」になることによって贖罪されようとしているかわいそうな子なのかもしれない。これは被害者によって引き起こされる無意識のホモフォビア?。もしそのような認識がトランスジェンダーを引き起こすのであれば、トランスジェンダーとセクシャリティが無関係だということはできないだろう。(あとゲイでないが異性装をする主人公にとりんが「自分がよしのの恋愛感情をわからなくした」と言っているのも興味深い)
そういう「歪んだ」もしくは「遠回り」のゲイもゲイとみなすのであれば、「女の子っぽさ」はまさしくゲイ臭となる。今は「ゲイ」と断定できなくとも、話が進むにつれてマコ君のセクシャリティが明らかになれば「ほーら、やっぱりゲイだったじゃないか。俺の嗅覚は間違ってなかった。」となる。
となると真っ直ぐでないゲイは気持ち悪いというのは分からないでもない。もし先程述べた「毒された」というのが真実なら、彼は「ゲイから解脱しようとする犠牲者としてのゲイ」であり、逆に自らの意思でそう思っているのであればまさしく「ホモフォーブとしてのゲイ」ということになる。いずれにせよムズムズする。
だからもし、マコ君が自分のジェンダーを一切無視して、男を好きになっているような感じであれば、「キモさ」は払拭されるのかもしれないわけである。(でもそうするように彼を抑圧していいのかどうかは知らんw)
批判するに当たってあげつらうのもいいかもしれないが、ホモフォビア自体の二重構造とかトランスジェンダーとの関わりについて考えてもいいんじゃないかな。「こうこうこうだからキモいと思うんですよね?」と説明し、相手が膝を打った瞬間に問題が共有される。