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はてなキーワード: クライマックスとは

2023-09-05

謎の美少女ものに限らず、謎のキャラクター過去が全部語られたらクライマックス、みたいな話ってつまらないよなあ。

少し前で思い出したのは、幾原邦彦カッパの奴。

登場人物は知ってることなのに、視聴者に伏せられてるだけって内容を語るのに1クールかけるようなアニメ特に何の話だったんだって気になる。

キャラクターたちがシーズン途中でやったことが結末にほとんど意味を持たないんだよ。

あんなのストーリーって言うか?

エロゲっぽいシナリオ

00年代くらいから増えた泣きエロゲっぽいシナリオアニメって、影響元が「セックスがゴール」のエロゲから女の子関係を深めるのがクライマックスで、それ以上のドラマがまったくないからみんな同じに見えるんだよな。

映画とかちゃんとした物語だと、ボーイミーツガールだとしても「女の子と仲良くなることで、協力してミッションを達成できる仲になる」とか、それ以後があるのだが。

ハンターハンターで言う「何かを得る途中で得られる本当の望み」が女の子でも良いのだけど、それを作品のゴールに持ってくると退屈になる。

 

…と、SYNDUALITY Noir1話以来に見て思った。8話でもまだこんな感じの話をやってるんだなと。

2023-09-04

君たちはどう生きるか2周目感想

パンフだけ前に買ってたけど、情報量なすぎィ!許すけど

で、すぐ再婚してんじゃんって前に言ったら、4年空いてるって返されて、あっそうだっけ?ってしたけど

戦争の3年目に母が死んで4年目に東京を離れただから1年やないかい!

キムタクさぁ…まぁ甲斐性はありまくるから許すけど

関係ないけど予告編の首(たけしのやつ)

初っ端合戦後の放置された死体映すのが理解ってる

跡取りは普通に信忠じゃ…?と思うけど、下剋上上等でやってんだから本来なら血筋関係なく実力主義でやるべきだよね

本能寺前みたいだし甲州征伐とか干殺しのエグいのもやるかね

唯の戦国アウトレイジは勘弁な!

出征のシーンとか、悲惨すぎずに戦時下を描いてるのが上手い

で、新海の今更311も偉かったけど、今更戦時下パヤオエライ

パンフによると意識的戦争中の話にしたみたいだが

アオサギ母親が生きてるってのは嘘は言ってないけど、助けを求めてるのは嘘よな

マヒトの寝言聞いてて罠にかけたとか?

ナツコの看病してた上品婆さん、トランク漁りの時にもいたっけ?


ナツコが弓でアオサギ退けるけど、何故か部屋にあった弓矢もそれ用なんだろうな


夏子さんの足跡ダイナミック足跡じゃん!てなった


塔の入り口にも英語ラテン語?)で何か書いてあったが読めん

我を学ぶものは死すと一緒か?

あと墓の主もよくわかんない


初回だとキリコさん=ババアがマヒトが言うまでわかんなかったが、分かってから聞くと声一緒だわ

実は声優変わってたとかだと恥ずかしいけど

初回で奴隷が回す棒じゃん!ってなったけど、回して引き上げてるから有用機械だった…


バーニングロリマザーワラワラごと焼いてんの意図的と言うか

この娘なんか容赦ないんよね

ペリカンワラワラ喰う担当で飢えてるけど、インコはそうでもない感じが…

でもアイツラ同族喰いとかしてそうなんだよね

鍛冶屋って結局誰だったんだ?ロリマザーかと思ったけど…

で、バーニングロリマザーなんだけど

別れのとこでマヒトが息子だと認識してたのがわかるんよね

で、ナツコの息子であるももわかってるから

父親が同じなのも知ってるだろうし(そのうえで喜んでそうだけど)

ドアの所でキムタク見てこいつか~ってなってたんじゃねーかな

あと、すずめの戸締まりで、幼すずめが常世で草太に会った事で「刷り込み完了」「あうっあうっ」されてたんじゃねーか説があるけど

マザーもここで「しっかり脳に"キムタク"植え付けられとるやん」状態になったのではないかと考えられる

まっ現実に戻った時は全部忘れてたらしいかバランスは取れてるけどね


見直したら石拾ってポケットに入れてるのな

割と手癖悪い

ババア人形ちょっと触ってたし

あとインコ大王為政者の鑑だけど、下々のインコは知性ゼロすぎるのよな

からこそあそこまで高潔にならなきゃだったのかもだが

階段落とすのも退路を断ってるって感じもあっていい

しっかり生き残ってるし

お前たちの現実って、醜くないか

大爺様は早めに継がせるの諦めてるのよな

そら大王は怒るよ

石の意思ってダジャレか?シンジを信じるとか信頼ダーとかに通じる


ほんで、去年の秋からすずめの戸締まり、シン仮面ライダー君たちはどう生きるかと観て

性欲異常者、庵野パヤオの新作見れてハッピーハッピーなんすけど、

これら全部、主人公クライマックスで「もっと人と関わろう、友達作ろう」みたいなことをセリフで語るって共通点があるんすよね

単に説明台詞ってわけじゃなく、作中でもすずめ→若すずめへの励まし、本郷イチローへの説得、マヒト→大叔父への宣言として、伝えることに意味を持たせてる

一昨年のシンエヴァも第三村パートとかネオンジェネシスとか大体そんな感じだし

それは観客へのメッセージでもあろうし、作品制作過程でもやっぱコミュニケーション大事だよね~って実感でもあろうけど

ただ、それが受け手に伝わってるかっつーと、イマイチな感じがするんだよね

で、それは表現側の問題というより、観客側がスルーしてるっつーか

2023-09-03

夏、アニメ

今週もアニメを楽しめた1週間でした。アニメを見ている間だけ人間でした。

季節が変わりましたが、今期はまだ夏番です。それぞれがクライマックスに向かって進んでゆきます異世界モノはちゃんとなにがしらかの到着点に至るので、その最後が楽しみです。

来週もこれまでと変わりなく、アニメをみて過ごせる1週間でありますように。

2023-08-29

[]

突然のmiHoYoAnime公開来ましたわ

https://www.youtube.com/watch?v=o3X4nfxx6oY

ショートアニメは相変わらず圧巻の映像

ゲーム内では分散的な情報しか出さずに核心に迫る過去バックグラウンドを手の込んだアニメでチラ見せしてくるって…ズルいぜミホヨ!

それにしても丹楓は声変えてきたのか、なんにせよ全員声が良すぎる

原神だとメジャーバージョンアップタイミングアニメ出してくる感じで

3rdだと数章おきのシナリオ区切りクライマックスアニメ化してくる感じで

スタレのアニメタイミングいまいち分からんのだが、もしかして――

パム「元気を出せ まもなく跳躍が始まるぞ」これがヒント――つまり

(意訳:現金を出せ まもなく飲月のPickupガチャが始まるぞ)――ってコト!?

前回のもたしか景元ピック前だったような?

https://www.youtube.com/watch?v=Lo2my3PdFrk

ただ人選の基準分からんな……間隔的には3ヶ月半おき?

うーむ、このタイトルの飛光とか玄黄ってのは関係あるんだろうか

わからんアニメ中に出てくる中国語っぽい難しい熟語もさっぱり分からん

俺たちは雰囲気で追いかけている……3rdの、いや学園の頃からずっとそうだ……

2023-08-04

ススキノ事件ジェネシスマザーグースの話

ススキノの頭部切断事件が、家族ぐるみ猟奇事件様相を呈してきたので、さら野次馬的に解釈して味わうための怪文書です。

共犯父親が初期ジェネシスコピーバンドをやっていたのはすでに報道されている。

この時期のジェネシス楽曲ステージは、悪趣味アングラ演劇の要素や奇妙な伝承物語の要素が盛り込まれている。

代表作は1971年アルバム「Nursery Cryme」だ。

装飾的な白い服を着た女性が無表情でクロッケーの木槌を掲げるジャケットで、その足元には切断された男の首が転がる。

アルバム名のナーサリークライム童謡ナーサリーライム)と叫び(クライ)と犯罪クライム)をかけた造語子供部屋犯罪とも訳せる。

1曲目のMusical Box歌詞カードには、次のような短いストーリーが添えられている。

8歳の少年ヘンリーがクロッケーを遊んでいるとき、9歳の少女シンシアは優しい笑顔でクロッケーの木槌を優雅に振り上げてヘンリーの首を跳ね飛ばした。

2週間後、シンシアヘンリーの子供部屋で彼が大切にしていたオルゴールを見つけた。

オルゴールを開けると「オールド・キングコール」の曲とともに小さなヘンリー精霊が現れた。

(「オールド・キングコール」はマザーグースひとつで、音楽好きで陽気なおじいさんであるコール王の歌)

ヘンリー精霊は、心は子供のまま、みるみる年を取り老人になっていった。

彼は一生分の欲求を抱えた性欲モンスターであり、シンシアにこの欲を満たしてくれと迫る。

騒ぎに駆け付けた乳母オルゴールを投げつけてヘンリーの霊を退治した。

歌詞はこのストーリーにもとづいた断片的な表現となっている。

ライブで老人の仮面かぶって、タッチミー、タッチミー、ナウ、ナウとしつこく迫るさまを叫ぶように歌うのが曲のクライマックス

https://youtu.be/tIO-3Zj_QfY

ススキノ事件がこの物語に沿っているとは言わないが、仮面自作してコピーバンドをやるくらいの人なら、このストーリーを知らないわけはないし、

犯罪に手をかけるとき脳裏に浮かんだであろうことも想像に難くない。

ついでに言うと、ルナ名前もよくある日本名ではあるが、この手の趣味の人がルナティックが狂気を表すことを知らないはずはないので、ぎりぎり悪趣味にならない範囲でそういう嗜好の名前をつけたのだろうと想像する。

2023-08-02

anond:20230801214058

「あれが安達太良山

あの光るのが阿武隈川

――「樹下の二人」高村光太郎

オレは一回しか福島行ったことない。けど、そのたった一回だけでも、福島文化がないなんて言わんで。





そのたった一回は、高校の全国総合文化祭、2011年の夏やった。震災から半年経たんうちにマジで全国大会やる根性に驚いたし、開会式の冒頭演劇でいきなり全員ぶったおれた状態からレクイエム流して、ド直球で震災テーマにした演劇やったことに魂打ち抜かれたで。そんでもってクライマックスで一人の子が、これからこの土地がどうなるのか、自分たちはここで子育てしていけるのか、と、秋篠宮はじめ全国の人間が見てる前で「それでも私らは福島で生まれて育って、この土地死にたいんです!」と叫んだとき、「土地」に命賭けるというそ感覚カルチャーショック受けたで。その後、個別会場への移動の途中、バスで高速走りながら、オレは、ああ、「あれが安達太良山……」と授業で習った詩を頭の中でリフレインしながら、想像以上に綺麗な風景を眺めつつ、「福島すげえなあ」って、思ってたわ。





思うに、文化というのはどこまでも人間が生み出すもので、しかしそれはどっかからパクってきた物でなく、土地風土と一体となって織りなされる人間の営みそのものやで。福島文化がない? 歴史がない? あん人間普通に居て、あん自然があって、文学があって、歴史があって豊かな土地を「文化のない土地」と思うなんて、そんなん、成金が金払ってかき集めてきた、博物館ガラスケースにおさまったもんだけを文化やと思っとるような、どっかの阿呆だけで充分や。文化って「生まれる」ものであって「買い集めて鑑賞する」もんではないのよ。文化は文華、風土という土地に花開くもの文化なんや東京という土地ももちろん地に足のついた「文化」はあるけど、同じように地に足の付いた「文化」は、それ以外の土地にもいくらでも転がってるんやで。旅に出たら、その辺のスーパーに入ってもおもろい。地元人間が「当たり前で普通」やと思ってるものの中から文化というのは生み出されるもんなんよ。





「(東京のように金払って買い集めた)文化がない」というのは、それはまあそうかも。消費するのは楽しいからな。でも、消費だけして生きる人生が本当に幸せなら、誰も文化を買い集めたりせんのやで。文化というのは、「生み出し支える側」にまわって初めて、意味もつ……人の心を豊かにして、人生意味あるもんにしてくれるもんなんや

2023-07-31

映画パール」がはてな村向けだから見ろ

ホラー、3部作の2作目、洋画と敷居の高い三重苦背負ってるが、傑作、いや大傑作

 

ホラー部分は鋭利凶器が人体に刺さるとこ隠さず見せるのでキツい人にはキツい、が殊更にどぎつく強調する演出はなく、むしろサラッとしてる

3部作となっているが時系列でいうと1作目の前日譚、しかも遡ること50年前の話なので1本の完結した話として楽しめる

そして、洋画だがむしろ日本人にこそ合うというか、日本意識高い層を自認するはてな民にブッ刺さる内容

 

ジャパニーズはてな民に刺さる要素その1、ミッドサマー製作したスタジオが作ってる。お前らミッドサマー大好き民だろ

要素その2、田舎怖いネタである。都会に憧れ田舎ディスるヒロイン田舎っペ度がはてな民優越感を刺激する

要素その3、介護ネタである田舎ヒロインは親の介護で家を離れられないのが日本人特に高齢化はてな民に刺さる

要素その4、アイドルであるクライマックスシーンではマクロスFかってぐらいカラフル戦闘シーンをバックにヒロインめっちゃ踊る。男の子ってこういうの好きでしょ? 好きです(即答

 

世界誰でも共感する普遍性を獲得した傑作だから誰が見ても楽しめる、とも言えるが、

おそらく、はてな民が今このタイミングで見るのがいちばん刺さる

ミア・ゴス最高

2023-07-26

オッペンハイマー』を見た感想

当方ヨーロッパ某国にいるので、先日クリストファー・ノーラン監督の『オッペンハイマー』を視聴することができた。

同日公開だった方向性の全く違う『バービー』との造語ミームになるなど、英語圏を中心に話題になっているが、『オッペンハイマー』は原爆開発のマンハッタン計画を指揮した物理学者の伝記映画であるため、日本での公開は未定であるという(しか8月が近いこの時期なので)。

本稿では、映画を観て思った感想を徒然に書いてみたい。

ネタバレ等は気にしないで書くので、情報を入れないで視聴したい向きは注意されたい。

複雑な映画である

この映画では、3つの時間が並列で進む。

戦中の原爆開発まで、戦後赤狩りによるオッペンハイマーの失脚、さらにその後のストラウス(オッペンハイマーへの個人的因縁から裏で糸を引いた人物)の議会公聴会だ。

人間関係は多層的で、時間経過とともに関係も変質する。

また、最初マンハッタン計画までを除けば、基本的法廷である

当方英語リスニングに慣れているとは思うが、聞き逃した事柄もあった。日本語字幕で見ればこの苦労は少なかったかもしれない。

さらに3時間と長い。劇場結構混んでいたが、途中で携帯を見たり同伴者と話したりするガキ共もいた。

原爆の扱いを巡って

映画的なクライマックスは、一応ロスアラモスでの原爆の爆発実験に置かれており、中盤に訪れる。

これによってオッペンハイマープロメテウスとなり、世界に滅亡をもたらす「死」となる。

オッペンハイマーはこの後苦悩し、戦後水爆開発に反対し、それが戦後公職追放の憂き目を見る仇となる。

日本人として気になる広島長崎描写は、直接行うことは避けられている。

しかし、罪の意識に苛まれ主人公が投下後にロスアラモスの職員を前に演説する際、喜びを口にしドイツに落としてやりたかった(オッペンハイマーユダヤ人)と盛り上げながらも、皮膚がポロポロと崩れ落ちる幻影を見せる(これは『はだしのゲン』での描写が思わず想起された)、職員向けの広島視察報告会で残虐な写真想像させるリアクションを演じさせる、という程度は行っている。

また、アメリカ軍原爆投下地を選定する際、

などと軽い調子で話し合う場面は生々しい。

僕は被爆出身ではないし、広島高校修学旅行で一度訪れた程度なのだが、上述の演説中のフラッシュバックの場面では、被爆者が受けた残酷な苦悩を思い、思わず涙がこぼれた。

これはアメリカ人が憎いとかどうのという話ではなく、(戦後も含めた)歴史という大きな対象個人との対比に心が動いたという話と言えようか。

あとちょっと思ったのは、爆発前のカウントダウンAVJOIみたいな効果がある。

個人的営為の究極であるAV鑑賞と、大衆娯楽にする装置であった映画館での映画観賞との接続は興味深い。

アメリカ合衆国暴力映画

アメリカ合衆国原罪のようなものも、映画に盛り込まれている。

まず、ロスアラモ研究所を作った砂漠原住民土地であり、オッペンハイマー自身戦後インディアンに返せと言う台詞がある。

原住民から取り上げて作った研究員居住空間は、まるで西部劇舞台である

ガランとした土埃舞う道、左右に並ぶ木製の建物

妻がシーツを取り込む場面はフォードにありそうだし、ロスアラモスに引っ越してきたオッペンハイマーの妻はサルーンがあれば完璧ねと言う台詞もある。

事程左様に西部劇的な舞台が用意されるが、アメリカ合衆国西部劇で描いてきた神話や、その自警的な暴力性と法による支配との相克は、これまで様々な映画で繰り返し取り上げられてきた主題である

この映画でも、原爆を無事作り終えて職員に肩車されるオッペンハイマーの背景には、星条旗がはためく。

アメリカ合衆国原理的に持つ暴力性を描いているのだろう。

科学者戦争協力

自明テーマであるが、見逃すことはできない。

オッペンハイマーナチズムへの反発からアメリカ軍原爆開発をリードする役目を引き受けた。

科学政治関係というテーマは、コロナ禍での専門知の活用学術アカデミー問題、そして2011年原発事故など、日本でも問題になってきた。

現代的でアクチュアルテーマを扱う映画である

共産主義科学資本主義

この映画テーマはもちろん原爆というプロメテウスの火である現代的なテーマである

しかし今一度思い返してみると、科学共産主義資本主義関係にも踏み込まれているのではないかと思う。

科学の進展と共産主義は切っても切れない関係にある。ソ連科学推し進め、オッペンハイマーマルクス主義科学的社会主義)に興味を持つなど、科学者共産主義楽園が訪れるのではないかと期待した。

しか共産党による独裁となったソ連崩壊し、その混乱を収めたプーチンウクライナに核の脅しをかけている。

では資本主義勝利かと言えば、その限界が指摘されて久しい。アメリカ合衆国共産主義への恐怖から赤狩りを進める。さら戦争に勝つために原爆まで作ってしまった当事者である

この映画は、冒頭で述べたように3分の2が赤狩りに関するものである

原爆映画ではあるのだが、共産主義科学に関する映画と考えることもできよう。

日本で公開すべきか・できるか

3時間という長尺の映画であるが、これだけ多様で重層的なテーマを盛り込み、商業作品にしたクリストファー・ノーラン製作チームの意欲は素晴らしい。

しかし、あくまでもアメリカ国内の話であるという感じもする。ソ連、そしてヨーロッパ中国の動向も薄い。

そして日本では、まずもって娯楽作品ではないから、商業成功は見込めるのかは分からない。

さら原爆開発に対する反発も大きいだろう。被爆者が親類にいる訳でもない私でも涙がこぼれたので、当然のことだと思う。

しかし、重く重要主題を扱う映画ではあると思うので、公開の判断がなされて多くの人が視聴する文化的土壌に期待したい。

2023-07-22

君生き感想宮崎監督、『名作』をありがとう!~

自分宮崎駿監督に対する身勝手な期待とか甘えを供養するために書く。今作品は期待半分、不安半分という気持ちだった。宣伝なしということだったし、宮崎駿監督作品を事前情報一切なしで視聴できる機会というのはおそらく最初最後であろうと思ったので、早バレ等も避けるために数日SNS断ちして初日に見に行った。ただ映画館に向かう足取りの中で最後感じていたのは恐怖感だった。子供のころにもののけ姫を見たときの衝撃を再び与えられて、おっさんになった今再度、人生観を揺るがされるかもしれないと―。

さて、いざ蓋を開けてみると、途中まではリアル物なのかファンタジーのどっちなの?というドキドキや不安感。方向性が確定したとき期待感MAXとなったが、それ以上膨らむことはなくしぼんでいった―。

総論

美術アニメーションの美しさは申し分ないが、ストーリー感情移入できない半端な作りと言ったところで、結局、いつもの宮崎監督後期作品という他ない。今、振り返ってみると監督キャリアハイとしての作品千と千尋の神隠しあたりになるのだろうが、その千と千尋も後半から、この半端さの片鱗がある。例えば終盤、千尋は豚の中に両親がいないことを見抜くが劇中にその説明はない。しかしながら説明不足ではあっても、千尋とハクとの心のふれあいみたいなものが十二分に描かれているから、感情的に押しきれている。手を離すシーンとか思い出しただけで泣けるわ。

しかしながら、君生きはストーリーっぽいもの感情の揺らぎみたいな表現はあるものの、説得力というか、それ自体根拠がはっきりと提示されないから、大抵の観客は感情移入できずに戸惑いを覚えると思う。例えば劇中で主人公自傷行為や継母の拒絶が描かれるが、その感情の根っこが分からないので観客は困る。自傷もっと構ってもらいたかったのかな?とか拒絶はやっぱり連れ子がうざかったのかな?とか想像はできるけど見てる側はそれを確定させる要素がないから、多分こうだろうとか理由を補完して見ていくしかない。つまり作品に気を遣う状態になるわけで、それは相当きつい。忖度要求されるが、圧倒的な感情の「分からせ」がない(※)。監督が一人で突っ走ってる。観客は置いてけぼり。かつて宮崎監督は、見終わったあとに2階から出てくる感覚になるような映画がいいとか言っていたような気がするが(ソース探したが見つからず)、君生きは観客が一生懸命2階への階段必死に探すものの見つけられないまま塔の中で迷子になり、最後パヤオけが悠然と2階から出てくるという感じだろうか(画・浜岡賢次想像してもらいたい)。

あとはヒロイン?3人は多すぎる。実母に継母に婆さんでしょ?詰め込み過ぎて破綻する典型。正直、継母は全部削除して、序盤で実母エピソード増やして、実母を探しに塔に行く形にして、最後、実母ときれいに別れてで多少は形になったろうにね。もっとシナリオ段階で練ればいいのに…もったいない

もう一つ、主人公が大叔父と話した後に、急にインコに囚われてるシーンになるが謎過ぎる。壁につながれた手が映ってからの下にパンしたときに、実母でも継母でもなくお前かーいってなったのが一番面白かったかもわからない。宮崎監督過去インディジョーンズの潜水艦移動を批判していたが( https://ei-gataro.hatenablog.jp/entry/20131030/p1 )、それと似たり寄ったりだろう。いくら異世界?だからといってワープしすぎである

※ 宮崎監督とも対談したことのある養老孟司は「バカの壁」において強制了解という語をつかった(p.41)。例えば数学においては前提と論理を共有しているのであれば同じ結論に達せざるを得ない。ある定理証明を正しく説明されたのであれば、その正しさを了解せざるを得ない。そういった強制力を強制了解と呼んだ。そうした強制力は感情においても成立する。例えば電車子供が騒いでるのをぼけっと放置している父親がいたとして、普通はそれを理解できないが、もし父親が「実は母親病院で亡くなって帰る所で、これからどうしていこうかと悩んでいたところなんです」と説明されれば、事情理解できるだろう。事情が分かれば感情了解できる。それは物語を受容する過程でも同じことが言えると思う。

なお、この流れで養老他人気持ち理解できることを重視すると同時に、「個性」信奉を批判する。そんなに個性大事かと。存分に「個性」を発揮している人は病院にいるという。白い壁に毎日、大便で名前を書く患者がいるらしい。芸術的にみればすごいかもわからないが、現実的には大変迷惑でたまらないだろうとのこと。奇しくも本作においては継母の美しい顔が鳥糞まみれになる描写があるのでそういう個性的なスカトロジー芸術理解を示す人はいるかもしれない。

自分映画

こうした一見てんでバラバラに見えるような物語の断片も、もしかしたら宮崎監督だけには分かるのかもしれない。スピルバーグだか有名監督が誰にも分らない映画つくるのはホームムービー撮ってるのと同じだ的なことを言っていた気がするが、もしかしたら本当に宮崎監督ホームムービーを撮ってしまったのかもしれない。自分けがわかる映画作品を作れるとしたら、映画監督としては最高の贅沢だろう。自分用の映画私小説と言われたらなるほどという気もする。今回、宣伝がなかったという点でも符号する。これはもはや天才にだけ許された所業なのかもしれない(現実に実行可能という意味で)。

ナウシカだったと思うが、興行的に大失敗とはならなかったこから次の作品を作るチケットを手に入れたみたいな監督インタビューがあった気がする。ジブリブランド確立するまではコケたら次はない状態であったろうから興行面は大変重視されたことだろう。つまり天才大衆に合わせてくれていたわけであるしかブランド確立された今となっては、大衆を気にすることなく好きな作品を作れるというわけであるジブリ体制を維持できなかった点には目をつむるとして)。だから今もしかしたら「天才が本当にやりたかたこと」を我々は目にしているのかもしれない。

過去パヤオ感性としてはもっとアニメーション表現に全振りしたかったのだろうが、それじゃあ興行的に成立しないから、ストーリーもしっかりさせていたというのが過去の名作への向き合い方だったのだろうか。我々、一般大衆天才現実的妥協のお陰で、(大衆的には)名作となる過去珠玉を見せてもらえていたということなのだろうか。凡人が天才ちょっと付き合ってもらったという感じ。天才ちょっと退屈していたのかもしれない。大衆は今の退屈を嘆くのではなく、昔、天才に付き合ってもらっていたということを感謝すべきなのかもしれない。

この作品のそういった諸々の分からなさに対してなんとか理解しようとする感想や、なんとか説明しようとする解説記事などが上がっているのを見かけるが、なんとも物悲しい。めっちゃ面白作品を骨までしゃぶりつくしたい!という渇望からまれてくる文章はいい。例えばもののけ姫においては「『もののけ姫』を描く、語る 」というムック本があったのだが、それには一ファンから文筆家まで様々な人々の作品に対するとてつもない熱量で溢れている。でも味のしない作品をなんとかして食えるようにしたいという動機から解説を書いたり、それに群がることの虚しさよ。宮崎監督から面白いはずなんてことはない。権威主義的だし、もうそれは諦めて次に行こうよ。これを知っていれば、本当は面白いんだよって本気で思っている人もいるかも知れない。でもそういう解説必要とすればするほど、その面白さが作品内で素直に伝わってないことの裏返しである野球大谷いくらいからって彼の(打者としての)ファールや三振をありがたがったりしないでしょ?今回の打席は残念だったねでいいじゃんね。(もちろん宮崎監督場合、次があるかは分らんが)

「問い」として捉える

さて、作品表題に立ち返ってみると、これは疑問形である作品としては名作とはとても言い難い。しかし聴衆に対する問いであると捉えたらどうであろうか。物語がてんで成立していないのに問いかけを見出すことができるのか?うーん正直、自分には無理。味がしないんだから問われたとも感じない。

しかし確かに思ったことがある。それは、大叔父のようなお爺さんに期待するんじゃなくて、自分が見たい作品があるのなら、他にそれを提供してくれる別の人を見つけるか、もしくは自分で作るべきだということ。初めから品質保証なんてものはなかった。自分勝手に期待して、勝手失望しているだけのことである

すでに名作はあるのに、なぜおかわりを望むのか

最後に話がそれるが、しかしながらなぜ我々大衆は次々と名作を望むのであろうか。新作を批判すると「じゃあ、過去の名作繰り返し見とけや!」って言われるかもしれない。そう言われるとちょっと答えに窮する。何度も見ればストーリーも覚え、感動も薄れてくる。やっぱり初見の衝撃に叶うものはないということだろうか。それを再び味わいたくて次の名作を追い求めているのかもしれない。キリがないし、わがままだなって思われるかもしれないが、正直人としての性としか言いようがなくないか?そこを内省しだしたら仙人になるしかない気がする。

あとは現実がつらいからね。時には金払ってちょっといい気分になりたい!ぐらい許してほしい。こっちは作者の高尚な構想にがんばってついていく苦行やマラソンじゃなくて、自動で楽しませてくれるジェットコースターに乗りたいの!

で、初見という点で最近思っていることは「私の体験」を大事にすることが重要なんじゃないかと思っている。ゲームでもなんでもあまりレビューを見ずに体験するように心がけている。あらかじめレビューを見て他の人が面白い!星4以上!と言っている作品なら、安定して面白いかもしれないが、半分ネタバレのようなものではないか

若い人にはタイパを優先しすぎて自己の視聴体験プレイ体験を損なっていないかと問いたい。面白さの保険料として自身体験・感動を売っていないか?と。おじさんおばさんは子供のころに自分図書館で本を表紙で選んで借りた体験とか、ネットもない時代ゲーム屋で「クソゲーかも知れんがままよ!」と覚悟してゲーム買った記憶とかを思い出してほしい。そういう多少、損するかもと思ってもクソ作品を引く勇気をもって、一対一で作品と向き合う、ぶつかってみるということを時々でもした方がいい気がする。だから、今回、作品に対しては残念だったが後悔はない。純度100%の自分感想を持てた。展覧会的な感じでいろんなアニメーションを見せてもらったという感触では数千円も損したという気もしない。今後もどんどん色んな作品に触れていきたいと思っている。例えばポノックの次作品ちょっと子供向けだろうけど、子供と一緒に見に行こうかなと思ってる。

各論

ゲド戦記を思い出した

視聴しながら、ぼんやり宮崎監督ゲド戦記作るとしたらこんな感じだろうなと思った。影との戦いでゲドは船で移動するし、ところどころの魔法感や大叔父大賢者になったゲドのイメージだなと感じた。大叔父のイケオジ度は過去最高かも分らんので一見価値はあると思う。

東映アニメ長靴をはいた猫』を思い出した

インコ大王を追いかける時に螺旋階段を落とされるシーンがあったが、長靴をはいた猫での魔王主人公たちとの大立ち回りを彷彿させた。この作品監督宮崎ではないが、そのクライマックス部分は大塚康生との二人で原画担当した箇所であり、とにかく面白い( https://www.ghibli.jp/shuppan/old/pickup/nagagutsu/ )。1969年作品なので絵のきれいさはどうしても現代作品には見劣りするがアニメーション面白さは今でも通用する。未見の人はぜひ見て欲しい。君生きよりよっぽど面白いと思う。で、君生きでは大王ラスボスっぽくでてくるが大した戦いもなく終わってしまうのであっけない。長靴をはいた猫でのアクションを思い出しただけに、「あ、これだけなのか・・・」という虚しさが半端なかった。念入りに階段落とさせたり、序盤で主人公の着替え丁寧に描写するぐらいならもっと面白カット増やした方が良かったろうにって思っちゃう

音楽

使いまわし多いし、特に盛り上がる曲もなし。3日で作りましたと言われても信じるレベル久石譲も「これぐらいの作品ならこれでいいや」って感じだったと思う。絶対名曲ストック持ってるだろうと思うが、映像側がそれを引き出せなかったというのは至極残念に思う。米津曲も悪くはないけど、作為ちょっと鼻についたかな。いつも何度でもみたいな作品とのマッチ感は正直ない。と言っても作品の味がしないのでどうしようもない気もする。そういう意味では米津もかわいそう。

2023-07-15

君たちはどう生きるか で泣いてしまった

大おじから提示された積み石の悪意を見抜き,それを否定することが正解とされ

いま一度大おじチョイスの悪意の込められていない13の積み石をすべて無碍にして

そのへんに捨て転がされていた積み石ひとつを持って帰る

一連の謎めいたクライマックス宮崎駿の全存在を賭けた儀式のようなものを感じてしま

泣いてしまった

2023-07-11

ウルトラマンブレーザー、シン・ウルトラマンへのアンサーなのでは?

ウルトラマンシリーズ最新作、宇ルトラマンブレーザーがついに始まって、早速第一話を視聴したので、感想を書いてみる。

冒頭からこれまでのシリーズとは明らかに違う空気感スタートし、夜のビル街を舞台にした怪獣防衛部隊との攻防戦が描かれる。

そしてピンチになった人類の前に、未知の巨人が出現し、怪獣を倒して空に帰っていく。

ここまでのシチュエーション、いわば怪獣映画のクライマックス部分を取り出して、ナレーションなしで叩きつけてくるというのは多分これまでのTVシリーズではやった事がなかった。でも、これはほんの一年くらい前に見た覚えがある。シン・ウルトラマン最初パートネロンガ戦と同じ構成なんだ。

からこれは、TVスタッフから、シン・ウルトラマンに対するアンサーなんじゃないかと思っている。TVシリーズだってやれるぞ、という。

そして、ただの焼き直しにはなってないところがいいところだ。ネロンガ戦でプロット上のアラになってるところを丁寧に潰していってる。

「上」の意向に縛られてあっという間に手詰まりになってしまった禍特対に比べて、命令違反にならない範囲自分達に有利な状況を作り出そうとするゲン隊長はるかプロっぽい。また、唐突子供を助けに(ヘルメットも被らずに)飛び出していく神永に対して、いろいろな手段シミュレーションした上で、自分が向かう事が最善と判断して「俺が行く」とやるところなんかもそうだ。

シン・ウルトラマンが楽しかった人も、物足りなかった人も、一度は見ておいた方がいいだろう。これはこの先も楽しみだ。

ウルトラマンブレーザー第一話、これはシン・ウルトラマンへのアンサ

ウルトラマンシリーズ最新作、宇ルトラマンブレーザーがついに始まって、早速第一話を視聴したので、感想を書いてみる。

冒頭からこれまでのシリーズとは明らかに違う空気感スタートし、夜のビル街を舞台にした怪獣防衛部隊との攻防戦が描かれる。

そしてピンチになった人類の前に、未知の巨人が出現し、怪獣を倒して空に帰っていく。

ここまでのシチュエーション、いわば怪獣映画のクライマックス部分を取り出して、ナレーションなしで叩きつけてくるというのは多分これまでのTVシリーズではやった事がなかった。でも、これはほんの一年くらい前に見た覚えがある。シン・ウルトラマン最初パートネロンガ戦と同じ構成なんだ。

からこれは、TVスタッフから、シン・ウルトラマンに対するアンサーなんじゃないかと思っている。TVシリーズだってやれるぞ、という。

そして、ただの焼き直しにはなってないところがいいところだ。ネロンガ戦でプロット上のアラになってるところを丁寧に潰していってる。

「上」の意向に縛られてあっという間に手詰まりになってしまった禍特対に比べて、命令違反にならない範囲自分達に有利な状況を作り出そうとするゲン隊長はるかプロっぽい。また、唐突子供を助けに(ヘルメットも被らずに)飛び出していく神永に対して、いろいろな手段シミュレーションした上で、自分が向かう事が最善と判断して「俺が行く」とやるところなんかもそうだ。

シン・ウルトラマンが楽しかった人も、物足りなかった人も、一度は見ておいた方がいいだろう。これはこの先も楽しみだ。

2023-07-10

anond:20230710111058

創作素人かよ。

基本的RPG冒険譚なので、世界を救う(Aストーリー)のと主人公の成長(Bストーリー)がセットである

- 冒険が上手くいってる場合、見かけだけの上昇ストーリーで、実態主人公内面成長がかけ離れたりする

- 逆に、冒険が上手くいってない(仲間とはぐれるなど)場合、見かけだけの下降ストーリーで、主人公内面成長のきっかけになったりする。

- 中盤でこれらの流れは一時的に逆転する。

  • 第2幕-B:流れが逆転して、

- 見かけだけの上昇ストーリーだった場合、敵強化、ラスボス強化されたりする。

- 見かけだけの下降ストーリーだった場合自分の成長を実感できるタイミングがくる

- ただし、どちらにしても主人公欠点と向き合うタイミングがくる。

- クライマックス直前(最も緊張感が高まるシーン)ですべてを失うタイミング(仲間の死、師匠の死など)がくる。

- 次に、闇に迷うタイミング:今までの自分のしてきたことを振り返ったり、場合によっては闇落ちするタイミングがくる

- ここを超えると主人公の再起でクライマックス突入

  • 第3幕:

- 再起した主人公ラスボスを倒すために準備するパート:対ラスボスアイテムを集めたり、新しい仲間を集めたり、策の準備をする

- ラスボス居城に行く

- 大体その場所は罠で主人公たちは窮地に陥ったり、そこに囚われの姫はいなかったりする。

- 今までの冒険やBストーリー欠点を克服した部分から別の策を思いつく

- BストーリーとAストーリーが混ざり合って、ついにラスボスを倒す

- 最後は、第1幕と対になるので基本的には大団円で終わる。

2023-07-09

アニメに登場する「ポッキー(のようなもの)」について

公開中のアニメ映画青春ブタ野郎はおでかけシスターの夢を見ない」では、主人公の妹・梓川花楓が猛勉強するシーンで机の上にポッキーの箱が登場している。

それもアニメでよくある「Rocky」とか「Pochy」みたいな架空の商品名ではなく、ちゃんと「Pocky」のロゴ確認できる形で。

……が、エンドロールの「協力」の欄に、ポッキーメーカーである江崎グリコ名前はない。

同じく商品実名で登場している伊藤園名前はあるのに、である

……一体なぜ?


これは「おでかけシスターからではなく、TVシリーズ青春ブタ野郎バニーガール先輩の夢を見ない」では第2話・梓川咲太と桜島麻衣初デート電車内で

麻衣「もし嘘だったら、鼻でポッキー食べてもらう」

咲太「1本?」

麻衣「1箱」

の会話とともに、「Pocky」ロゴだけではなく箱の左上の「glico」ロゴまで視認できる形で登場している。

また、同じく第2話・大垣への逃避行で泊まったビジホの部屋の机の上、第3話・咲太が自室で麻衣勉強を見てもらっているシーンでも登場。

そして、第2話・コンビニで買い物を済ませてビジホへ帰るシーンで

咲太「絶対、忘れない」

麻衣「もし、忘れたら…?」

咲太「鼻からポッキー食べる」

と、先程の天丼みたいな会話でも実名が登場している。

…が、TVシリーズでもやはり「協力」欄に江崎グリコ名前はない。


少し前にシャープの公式ツイ垢が「ウチの製品をマンガに描いてもいいよ」宣言をしてちょっと話題になった。

逆に言うと、それが話題になるということは「(現状では)実在商品(名)は避けるのが常識」ということであろう。

実在商品メーカーに無断で登場させたからといって、(それが商品イメージを低下させるような形でなければ)ただちに法的な問題があるとは言えない……たぶん。(それともあるのか…???)

が、実際に無断で出してクレームが付いたりするリスクは避けたい…と考えると、別にヘンな使い方じゃなくてもとりあえず適当にもじって出しとけ…となりがちである

事前に許可を取って出せばクレーム等のリスク回避できるが、「いや、交渉の手間かかるし…。それに、そこまでして実名使いたいというほどこだわりがあるわけじゃないし…。」というケースがほとんどなのではないだろうか?


上で貼ったリンクアニメでの「ポッキーっぽいなにか」の例を集めたページで、青ブタ以外だと唯一実名で登場しているのが「喰霊-零-」。

先行研究によると、

(ポッチー等に名前をもじると)作り物感が出てしまう。ふたりの絆を示すキーアイテムなので逃げたくなかった。

クライマックスで使いたかったので、印象に残る、架空のものではないものを使いたかった。

なのでグリコ交渉して登場させた、とのこと。


ブタでも、もし上で挙げた会話が「鼻でポッキー食べてもらう」ではなく「ロッキー」とか「ポッチー」だったら……?と考えると、変にもじらず実名で登場させたのは賢明判断だったと思う。

この「会話の中に実名で出た」というのが重要で、もしそうでなければ(咲太のバイト先のファミレスが「Benny's」になったみたいに)適当にもじって処理してたのではないだろうか?

喰霊-零-ちゃん許可を取って出してたということは、青ブタの方も同様に許可を取ってた、と考えるのが自然である

…で、「商品名使用許可を得たので、せっかくだからセリフだけじゃなくて映像にも出そう」となった……と考えると一応の納得はできる。

(冒頭で挙げた「おでかけシスター」では会話(セリフ)には商品名は出てこなくて、映像にのみ1カットだけ登場している。TVシリーズとは違い、敢えて登場させる必然性はないのだが、「せっかくなので今回もお願いします」…みたいなことだろうか?)


しかし、「協力」欄に名前がない件は…?と思って、dアニメストアで「喰霊-零-」の方を確認してみたら……なんと、こちらの方も特にクレジットはなかった…!

……あれ?

じゃあアニメEDの「協力」欄って「実名使わせてくれてありがとうの欄」じゃなくて、単に「タイアップ企業の欄」だったってこと……?(伊藤園とはタイアップしてるが、グリコとは特にしてない)

だとしたら単なる盛大な勘違いじゃねーか!!!

(おしまい)

 

2023-06-23

エポック朝鮮戦争」の記憶

https://nou-yunyun.hatenablog.com/entry/2023/06/23/110000

大昔の絶版騒動がなぜか突然ホッテントリ入りしていたので、当時の記憶を引っ張り出してみた。

北朝鮮軍を「北鮮軍」と書いてあるのは箱の裏側の図のキャプション。「国連軍」と並べてあるので韻を踏んだのかもしれない。

・箱のゲーム内容の説明書きには「朝鮮民主主義人民共和国軍」とある

北朝鮮の奇襲攻撃からゲームが始まる(当時は北朝鮮攻撃を受け反撃したという主張が強かった)。

デザイナーノート「あれだけの攻勢を続けるには最低6か月前から戦争準備していないと不可能」。

ファンダムの中で、上の2つはやばいんじゃないかと噂になった。これが総連説が信じられた背景かも。

一方的韓国軍がやられるだけではない。ゲームの流れは耐えて耐えてインチョン上陸作戦からの大逆襲がクライマックス

ワールドウォーゲームシリーズは作り切り売り切りはない。80年代半ばまでは大手ショップなら他の作品はいつも補充されていた。

朝鮮戦争は抗議されたらしいという話の直後にもう店頭在庫もなくなっていたから(マニアが確保したのでなければ)店頭在庫の返品はあったかもしれない。

事件直後にTACTICS18号が巻頭コラムで、ゲーム名を出さず実際の戦争を「ゲーム(遊び)」にしているという批判に対する心構えについて語っている。政治的批判への反応ではない。

シミュレーターで何度かこの事件内輪ネタとして擦られる。

・当時は情報も少なく、実際に何があったのかを調べること自体暗黙のタブー的な空気感があり、噂が修正される機会がなかった。

なろうチート系が抱えてる構造欠点だろ

弱者が突然チート能力を得て強者になる

 

っていうのがなろうチート系の構造だとして

読者層は実際に強者になったことないし

今後もなることもできないんだから

チート能力を得てしまって主人公強者になってしまった後は

基本的ほとんど興味がない状態になってしまう。

第一話のチート能力を発揮するところがクライマックス

 

なろうチート系が最初は盛り上がるけど後半の展開誰も知らんのそういうことだろ。

ヒャッホー!チート能力ゲットしたぜー!以降の展開が全部蛇足

1話読み切りでちょうどいいレベル

2023-06-22

水星魔女面白い

やっぱり原作がないアニメは展開が予想できなくて1週間どうなるんだろうとワクワクできていいな。

一話の濃度が高くて展開が早いのもいい。動画で何度も見る前提の作りなのかも?知らんけど。

会話が少なめで説明不足なのもいい。後で見返して伏線発見できたらするし。

いよいよクライマックス。どういう結末になるのか楽しみ。

プロペラがんばれ!

2023-06-20

anond:20230620165912

おれはLAST DINOSAURかな。

フリクリの「クライマックスだ!」からの流れ、終わりが宣言されたようで悲しみがある。

2023-06-19

26歳 無キャの優雅休日

無キャ…オタクからオタク趣味を取り除いた存在 

 

5:30 起床 

 いつもは7時くらいに起きるが、休みの日は決まって妙に早く目が覚める。二度寝しようと思うが、目が冴えて眠れないから仕方なくスマートホンを見たりしているといつのまにか8時くらいになっていて、もはや寝ると言う感じでもなくなっている。

8:00〜10:00 ゲーム

 ゼルダの伝説ティアーズオブザキンダムプレイする。150時間くらいやっており、もうクリア済みだが、なんやかんやでやることは結構ある。2週目は画面表示をプロモードにして、ワープちょっと縛ってやりたいと思っている。DLCが出てほしいと素直に思う。

 あるいは、世界樹の迷宮リマスター(3)をやる。全職業キャラクターを作って、適当にローテーションしながらやっていくスタイルが好きだ。世界樹3はドロップがけっこう渋いみたいで、ダンジョンに潜ってTPが切れるまでフルに戦って帰ってきても、儲けが出ないどころか赤字になることがある。それが駆け出し冒険者っぽくて非常に良い。カモノハシが落とす毒性の尾がもう一つ手に入ったら、パイレーツの刺突剣を更新できて、そうするとかなり攻撃力が違ってきそうで楽しみだ。

10:00 メシを食う

 腹が減ってきたので何か食う。基本的冷蔵庫にはロクなものがないので、冷凍食品を食うか、パスタなどの乾麺お茶を濁すことになる。真の意味で何もなければ意を決して買い物に行けるが、いつもなんやかんやで何かはあるので、それで腹が満ちてしまって、外出する動機をなくしてしまう。

11:00〜16:00 ダラダラする

 基本的にはゲームをやったりするが、やるゲームがなかったり、ゲームをやる元気がなかったりすると、本当に虚無の時間が訪れる。2回シコって夜後悔したり、インターネット人間の醜さに触れて嫌な気分になったりする。ディスカバリーチャンネルとか、ナショナルジオグラフィックとか、そういうものを見たいと理性は言っているような気がするんだけど、実際に見るのははてブとかredditとかそんな感じのカスみたいなコミュニティで、カスみたいな、カスだ、俺はカス

16:00〜18:00 謎の時間

 本当に何もしていないうちに過ぎているマジの虚無時間

18:00〜19:00 買い物

 近所のスーパーに行く。近所のスーパー24時間営業のそこそこデカいやつで、いかにも貧民という感じのナリをした人間たちが、ややサツバツとした雰囲気で買い物をしている。ただ、ときどき、繋いだ手を振りながらメチャクチャ楽しそうに買い物してるカップルとかがいて、すげえなと素直に思うこともある。

 アイス冷凍食品が充実しているから、そのへんを買うことをクライマックスにして、適当食材惣菜なんかを買う。このスーパー惣菜は明確にまずくて、ときにそのまずさは感動的ですらある(外で売ってるメシがこんな純粋にまずいことってあるんだ!)。うまいものもなくはないから、それを探して値引きされた惣菜を試すのは結構楽しい

19:00〜 意識なし

仕事嫌すぎるゥ〜!助けてくれッ!デニムッ!

みたいなことを考えているというか、仕事嫌だなあという気分があまりデカすぎて、他のすべてが押しやられて、記憶が残らなくなる。

何をしているかからないうちに23時くらいになっていて、あーあ、と思いながら寝る。

2023-06-18

anond:20230616151103

批評をお願いされましたので、率直な感想を述べます

まず、あらすじについてですが、高速道路おしっこを出した話というタイトルに対して、内容はそれに忠実に沿っていますしかし、その忠実さが逆に物語の魅力を減らしていると感じました。高速道路おしっこを出したという事実は、それだけでは読者の興味を引くには不十分です。どうしてその状況になったのか、どんな感情思考があったのか、どんな結末が待っているのか、といった要素が物語に深みや緊張感を与えますしかし、この物語ではそれらの要素が十分に描かれていません。主人公動機コーヒーを飲みすぎたこととデニッシュのせいだということであり、感情は苦しさや恥ずかしさや諦めだけであり、結末はサービスエリアに着いて水を飲むことであります。これらは現実的ものですが、物語的なものではありません。読者は主人公共感したり驚いたり感動したりすることができません。物語現実を写すだけではなく、現実を超えるものであるべきです。

次に、構成技法についてですが、この物語は一貫して主人公視点で書かれていますしかし、その視点が読者に伝わるように工夫されているとは言えません。例えば、主人公ツイッター漫画アプリを見たりキャラメルコーンの袋を使ったりするなど、現代的な要素が多く含まれていますしかし、それらの要素が主人公性格価値観や背景にどう関係しているのかが明確ではありません。主人公は何歳でどんな職業でどこへ向かっているのかも不明です。読者は主人公に興味を持つことができません。また、主人公以外の登場人物ほとんど描写されていません。母親心配して声をかけたり提案したりするだけであり、兄はデニッシュを買ってきたこしかわかりません。他の車やサービスエリアの人々も存在感がありません。物語登場人物同士の関係対話や衝突によって動きますが、この物語ではそれらが欠落しています

以上のことから、この物語文学的価値が低いと判断します。高速道路おしっこを出した話という題材自体面白い可能性がありますが、それを活かすためにはもっと工夫や創造力が必要です。物語を書く際には以下の点に注意してください。

以上が私の批評です。ご参考になれば幸いです。😊

2023-06-12

朝の連続テレビ小説「星の轍(わだち)」

1980年代舞台にしたNHKの朝の連続テレビ小説として、宇宙を題材にしたストーリーを考えてみました。

タイトル: 《星の轍(わだち)》

物語1985年日本宇宙開発競争に本格参入した時代からまります主人公松田美香は、小さな町でのんびりと過ごしていたが、宇宙に憧れる心を持っていました。

ある日、美香はテレビ宇宙飛行士の募集を知り、自らの夢に向かって挑戦することを決意します。しかし、女性であることや田舎出身であることから、周囲の人々や家族から理解されず、反対されます

美香は、自分の夢を諦めずに、地元宇宙クラブに参加し、同じ夢を持つ仲間たちと共に勉強や訓練に励みます。彼らは情熱努力宇宙開発に関わる仕事に就き、宇宙飛行士としてのトレーニングに挑戦します。

美香は、厳しいトレーニング差別意識に直面しながらも、仲間と協力し励まし合い、困難を乗り越えていきます彼女たちは、宇宙開発の最前線で新たな技術発見に挑戦しながら、宇宙飛行士としての夢を追い求めます

物語は、美香たちがついに宇宙への飛行ミッションに参加する場面でクライマックスに向かいます。彼らは、宇宙空間での困難や未知の領域に立ち向かいながら、人類未来を担う使命を果たすために奮闘します。

《星の轍》は、1980年代宇宙開発競争の興奮と、個々の夢を追い求める人々の姿を描いた、感動的な物語となります

2023-06-10

脚本案 「超巨大!みじんこ家族ウルトラマンへの挑戦」

シナリオ概要:

このドキュメンタリーは、みじんこ家族が突然巨大化し、ウルトラマンシリーズに出演するまでの驚くべき冒険を追います家族の一員であるさなみじんこたちが巨大化したことにより、彼らは人々の注目を浴び、ウルトラマンとの共演が現実となります

第1章: 「小さな変化」

みじんこ家族平和生活が一変します。何が原因で彼らが巨大化したのか、彼らはどのようにそれに適応していくのかが描かれます。さまざまな困難に直面しながらも、彼らは家族の絆を強めていきます

第2章: 「世界の注目」

みじんこたちの巨大化は世界中のメディアの注目を集めますテレビ局ニュースクルーが彼らを追いかけ、彼らが街中を歩く様子を報道します。一部の人々は彼らを脅威とみなし、一部の人々は彼らを英雄として祝福します。

第3章: 「ウルトラマンへの道」

みじんこ家族自身の巨大化を受け入れ、新たな目標を見つけます。彼らはウルトラマンと共演するためにトレーニングを開始し、特殊効果専門家スタントチームと協力します。彼らの成長と努力が描かれます

第4章: 「ステージへの登場」

ウルトラマンシリーズ製作陣がみじんこ家族ストーリーに感銘を受け、彼らをシリーズに招待します。彼らは巨大なセットの中で撮影を行い、ウルトラマンと共演します。みじんこ家族勇気と団結が物語クライマックスに向けて高まっていきます

第5章: 「感謝未来

みじんこ家族ウルトラマンシリーズでの経験を終え、人々に感謝気持ちを伝えます。彼らの冒険の結果、みじんこたちは小さなままでも大きな夢を実現できることをみんなに伝えることができました。

いかがでしたか?泣きましたかありがとうございます。それでは脚本料として100万円をくださいね。口座はゆうちょ、振込料はあなた持ちで。

2023-06-06

推しキャラが攻めのカプが好きと自称する人は何故"本当は受け推しなんだろ"とレッテルを貼られがちなのか

私は常々『腐女子は受けキャラを優先する』論に否定的で見かけるたびに歯痒い思いをしてきた

当方CP雑食で、推しことなら攻めCPも受けCPも好きだからだ。決めつけられてムッとなることが多かった

今回やっぱりそんなことはないと思える出来事があったので書く

(なお今回例に挙げる推しキャラはどちらかというと攻め解釈の方が若干好き派)

原作はそろそろクライマックス推し(以下A)のおそらく最後で最大の見せ場回が来た

ここのところAを中心としたエピソードが続いていて、今回はサブタイトルもAについての集大成だとはっきり示すもの

なのでA関連の人物(家族親友D)だけ登場

個人的感想推しの魅力が凝縮されてて最高の回。10回は読み返したし、号泣しすぎて頭が痛くなるほど感動した。推し一生しゅき…

※なお本編中キャラBとキャラCの登場はどちらもないので同等

結果それぞれのCP者の反応

・A×B界隈:大盛り上がりで長文感想ツイートが大量に流れ、解釈ツイートRTがどんどん回ってくる。

 深夜〜朝方までお祭り状態で大絶賛

・A×C界隈:ちらほら本誌読んだ報告、感動した等サラッと言って終わる人がほとんど。

 むしろ本誌内容と関係ない自カプシチュ語りや同人告知を流し始め感想自体があまりにも少ない

・C×A界隈:ここも大盛り上がり、こちらはAの行動自体は大絶賛されつつ、

 このセリフはこう言ってほしかったな、などの解釈違い評価も有でABとはまた質の違った雰囲気

それぞれ描き手を50↑人ずつ程フォローしてるので(なんならAC者が最もフォローしている数が多い)

この明らかな差にはビビってしまった。

※ちなみにA×D、D×A界隈も盛り上がっていた。

※いわゆる"ジャンルの最大カプ"は推し関連のカプではない。挙げた3つのCPはおそらく同じくらいの規模

(ただ当方推し以外の総受け地雷なためBとC総受け界隈のことはよく知らない)

これを受けて

CP議論において"攻めの扱いが軽んじられている"法則デマしか特定CPにはそういう傾向があることはある

が私の中での結論となった

そしてちょっとというかかなりAC者には萎えしまったので心境は複雑です…元々あんまり原作の話しない人多いなと思ってたけどさあ…

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