はてなキーワード: インターンとは
はてなは引きこもりに対してやたら甘いけどさ、結局引きこもりで成り立つだけの環境がないと引きこもれないわけじゃん。練馬の件なんて最たるもんだけど、実家に恵まれてるからできることだよね。いじめを受けた傷だなんだで被害者ぶってるけど、甘えもいいとこだと思う。
自分は貧困家庭に生まれ育って、中学から新聞配達して家に金を入れてた。
高校の授業料も自分で払いながら、大学進学を目指した。両親のようにはなりたくなかったから。
夜はバイト、早朝に起きて勉強・弁当の作成、通学の繰り替えし。
高校生らしい遊びはせずにいたら、友達とは疎遠になり、あるグループからは私物を隠されたり壊されたり、嫌がらせを受けたりしながら、3年間で120万円を貯めた。
大学に入ってから出会ったのは、親の金で遊んでいる奴、親の金で留学だのなんだのを繰り返し英語が堪能な奴ら。自分が授業料を稼ぐのに3つのバイトを掛け持ちして働いている一方で、奴らは金の心配をせずに遊びなら勉学に励み、見事な成績を挙げていた。
自分が求めても、決して届かない環境にいて、結果を出している。
その事実だけが重くのしかかり、ストレスで円形脱毛症にかかった。同じタイミングで実家が更に傾き、大学にいることすら困難になった。休学を勧められたものの、休学にかかる費用を負担できず、大学中退となった。
しかし休んではいられない。すぐに仕事を始めて家に金をいれなければならない。アパレル系の会社で働き口が見つかった。働いているうちにアルバイトから契約社員に雇用形態が変わった。
そして東日本大震災が起きた。母方の実家が福島だった。避難区域に住んでいた祖母と祖父が住むことになった。金銭的な支援付きで。金銭的にはなんとかやっていけるようになったが、狭い部屋で5人が暮らすのは無理だった。これ以上実家に搾取されたくなかったので、これ幸いと着の身着のまま上京した。こうして逃げ込んだのは家賃4万円のボロアパート。布団はなかったので洋服を床にしいて寝ていた。洗髪は2日に1回、2Lのペットボトルにお湯をためて洗った。実家が貧乏だったので苦ではなかった。
手に職を、と、未経験で雇ってくれる映像制作会社の求人に応募した。すぐに社員は無理だけどインターンなら、ということでアパレルのシフトが入ってない日は映像制作会社で働くことになった。無休で1日20時間近く働かせられていたが楽しかった。やがて社長がインターン1日3000円くれることになって嬉しかった。半年続けていたところで、社員として入社しないかとオファーされ、迷いなく承諾した。
3年間がむしゃらに働いた。その間、丸一日休日だった日は1ヶ月分もないだろう。それでも手がけた実績や技能が身につき、映像系でフリーランスとして独立した。
今は、人並みの仕事量で人並みに稼いでいる。途中で何回電車に飛び込もうと思ったか。引きこもりのニュースを見ては、実家に金があって羨ましいと思っていた。自分は家に戻った所で居場所もないし、働くことからは逃げられない。だから、実家に戻らないで自分が生きる方法を掴み取ってきた。
決して裕福とは言えない家庭に生まれ、狭いコミュニティの中でそれなりに楽しく生きてきた。
常に周りには友達もいて、運動神経も良く、勉強もクラスの中では10番目以内に入るなどスクールカーストでは最上位にいただろう。
その地域では進学校と言われていた出身高校も就職と専門学校の割合が多く、一部の頭が良い人たちが大学に通う程度だった。
当時大学は頭の良い人が行くものだと思っていたし、偏差値なんてものはあまり気にしたことがなかった。
自分は指定校推薦をもらい、その高校からは入ることが難しいとされていた私立大学に合格。
大学の場所は県庁所在地にあり住んでた地域では都会扱いされ、そこに住み大学に通うなんてことは夢のようだった。
実際に大学に通い始めると多くの苦労が待っていた。
高校では優秀とされていた自分も講義に着いていくのがやっとなのだ。
しかし、これはまぁ想像していた。なんせ自分はあの難しいとされていた大学に通っているのだから。こんな高いレベルで講義を受けられるなんてむしろ誇りに思っていた。
その時期から少しずつ課外活動に興味を持ち始め学生団体に所属した。そこで他大学の人と出会う機会があり、その地域で一番優秀とされる大学出身の人に出会った。
そこで初めて劣等感を感じるとともにその人たちと一緒に団体を運営してることに対しての優越感も同時に感じていた。
自分はこいつらは違うという意識が芽生え始め、学業より学生団体の活動を中心とした生活を送るようになった。
セミナーやシンポジウムへの参加、団体メンバーと社会課題やビジネスについてディスカッションしている時間が自分の好奇心を満たしていた。
学生ながらにして出来るビジネスは大抵決まっており、小資本で始めることができるインターネットサービスが定石だ。
自分もビジネスをするためにHTML, CSS, JavaScriptとWeb制作をするための最低限の知識を挫折しながらもなんとか身につけた。
しかし、やればやるほどWeb制作は事業の面白みもなく、技術的な好奇心も満たしてくれないことがわかった。
周りの目も気になり下手な企業に就職するのは自分のプライドが許さない。
そこでさらにスキルを伸ばすために休学をすることに決めた。調べれば調べるほど休学にはメリットしかなかったのだ。
色々と悩んだ結果、東京でインターンシップをすることに決めた。
本当は海外に行きたいところだったがお金もなく、しぶしぶ東京に決めたところもある。
日本の中心地東京は夢の場所であり、勝手に怖いイメージを持っていた。
しかし、ここまで積み重ねてきた自信から「自分ならなんとかなる。」 とそう言い聞かせた結果、思ったよりもインターン先はあっさりと決まった。
バイト代をもらいつつエンジニアとしてもスキルを伸ばせる最高の環境だ。
社員と同様に週5で働き着実にスキルと自信を身につけていった。
そのまま東京で就職活動を行った結果、スムーズに夢の企業から内定が出たのだ。
給料は新卒平均年収の2倍はあり、内定者の多くは東大、京大、慶應、早稲田など名だたる大学ばかりだった。
自分は偏差値40代のF欄大学生であり、就職してからはとにかく劣等感ばかり感じていた。話してる内容も理解出来ないことが多くついていけない。
そこで初めて自分は全く優秀ではないことに気づき、ただただ小さいコミュニティで満足して生きていたことを知った。
本当に優秀とされる人の前ではあまりに無力で自分の実力のなさが見に染みてわかるようになった。
しかし、ここを逃げて田舎の小さいコミュニティの中で生きて行くのはこの世界を知ってしまった以上出来なかった。
本当に優秀な人たちに囲われて自分も優秀なふりをしながら常に劣等感感じて生きるしかないのだ。
自分に嘘をつき続けながら生き続けた結果、今ではとある企業から役職をもらうまでとなった。
自分は優秀なふりをするのが上手いらしい。
実力が伴っていないのは自分が一番わかっている。
しかし、もう後戻りはできない。
幸せってなんだろう。。。
33歳の正社員の介護士ですが、Web業界に転職したくて、約1年、専門学校に通って、有休(14日)も使って6ヶ月(36日間)、時給1000円でWebの中小企業(以下T社)でインターンシップしたら酷かった話し。
インターン開始から4ヶ月半が経った日の夕方に社長に呼ばれて会議室に入ると、1対1の面談で、雇用の延長はできないと言われました。
社長は「Web課は赤字なんだ、他の課の黒字で赤字を補填しているんだ」と言って、僕に簡単な損益計算書を見せてくれました。
「有休が発生するから、社労士と話をして、君は最長で半年までしか雇えない」と言われました。
僕は社長の話しを聞きながら、同じ部屋で、先ほどまで行われていた3人(全員20代)のリクルートスーツを着た若者の面接を思い出しました。3人同時に面接をしたのではなく、1人ずつ別々に3回、面接をしました。皆、顔見知りではないです。3人とも、あと2人が同じ日に面接をしていたことは知らないでしょう。僕は、今日は特に多いなと思いました。社長は毎週のように面接していましたが、これまでは1日に2人までしか面接したところを見たことがなかったからです。
僕は2018年12月上旬からハローワーク経由でインターンシップとしてT社で働き始めましたが、それから6ヶ月で、僕を除いて、計7人の新入社員がいました。T社は社員13名(社長、僕含む、外部委託5名は含まない)なのに大量採用、大量解雇なのです。8人の新入社員のうち、僕で3人目の離職者です。離職率は37.5%(中途入社で8人採用、6ヶ月の間に3人が離職)です。
1人目のYさん(20代)は約3週間で辞めました。社長と仕事の経過についての面談をした後、皆がいる中で「おい、何度も言わせるなよ、ったく」と軽く罵倒されました。社長がYさんに頼んだFileMaker(ソフトウェア)を使った仕事ができなかったからだそうです。それはそうでしょう。触り始めて1ヶ月も経っていないんだから、難しいに決まっています。契約期間は残っていたのに、僕はその後Yさんを1度も見かけませんでした。
Sさん(20代)は、請負になり、自宅でプログラミングの仕事をすることになりました。
2人目の(Kさん,20代)は1日で辞めました。社長の知り合いの紹介で可愛らしい新卒の女性でした。僕の、次の出勤日に、別の社員が席に座っていたので「あそこはKさんの席じゃないんですか」と聞くと「Kさんは1日で辞めた」と言われました。それで終わりでした。他の社員は皆慣れているようでした。僕は仕事を1日で辞めた人を初めて知ったのでとても驚きました。
そして、僕が辞めることになりました。
それに、当たり前ですが、誰も新規には雇われないというわけでもありません。僕に業務を教えてくれるSさん(パートの女性,30代)はすでに10ヶ月間働いています。「ここに来る前は失業者だった」と昼食時に話してくれました。ハローワークや求人サイト経由で働き続けられる人もいます。
僕は「68件も月次レポート等を作成したんですよ(うち2件は単価6万円)」と社長に話しました。それに対して、社長は「例えば、封書に入れて、郵便局に持っていくような仕事だ」と答えました。つまり、誰にでもできるレポート作成ということです。何十通作成しても、社長にとっては仕事のうちには入らないのでしょう。
これは社内失業者のための仕事という意味です。「郵便物や宅急便を出す[1]」以外にも「ネットサーフィンをして面白そうな記事があったら週一回、上司にメールで報告する[2]」「データをDVDに焼く[3]」「自社と競合他社の商品を勉強するために、他の家具メーカーのホームページを見る[4]」などがあります。
問題は、こういった仕事は、下積みとは違って将来の大きな仕事にはつながらないのです。
"下積みは、長期間にわたり計画的に行われる社員教育の一部である。確かに入社当初に任されるのは、経理処理や採用のサポートであり、地味な作業が中心かもしれない。しかし、その作業は最終的には大きな仕事を遂行するために必要な知識・経験を得るためのものなのだ。(中略)一方、社内失業者は、就業時間のほとんどを仕事を与えられずに放置される。与えられることがあっても極めて少量の雑用に過ぎない[5]。"
そして、2つ目の問題は上の世代から見ると、こういった仕事は、自分の若い頃の下積みに見えるということです。
"課長に相談したことがあります。40代後半ぐらい。仕事がない状態を伝えて、なんとかしてもらおうと、わりと顔を見るたびに相談してたんですよ。
そうすると、課長の"お説教スイッチ"が入っちゃうんですよね。別室に連れて行かれて2時間も3時間も
「これは君の為に言ってるんだけど、僕はね、社会人最初の会社でこうやって教えてもらって、鍛えてもらって、よかったからね。仕事は自分で探すものだから。僕はそうしてきた。仕事がないと思ってるかもしれないけど、探せばある[6]」"
そして、自分の仕事が将来の大きな仕事にはつながらず、社内失業状態だと気づいた社員からやる気が低下[7]して、転職活動を始める。でもそれもうまくいかないことが多い。
以前の前向きだった自分はどこに行っちゃったんだろうって思いますね。仕事にたいしてやる気が出ない。ちょっとした用事も、めんどくさくてしょうがない。封筒に書類を入れて宛て名を書くだけなのに、30分ぐらいかかることもあります。命令された雑用を「ハイハイ」ってやるだけ。小学生でも教えればできますよ。こんな状態で転職して、はたしてちゃんと働けるのか、それは自分でも心配です」
実は多くの社内失業者が転職を視野に入れている。にもかかわらず、なかなか転職できない現状がある。
なぜなら、雑用ばかりを担当させられ、まともな業務経験が積めないために、履歴書に書くことがない、面接で話すことがない、自分をPRできない状態だからだ。郵便局に毎日行って郵便物を出していましたなんてことを、あなたは履歴書に書けるだろうか?[8]
僕は「Googleアナリティクスもスプレッドシートもデータポータルも使えるようになったじゃないですか」と社長に言うと「Googleアナリティクスだけじゃダメだよ」と言われました。
「じゃあ、僕はどうすればよかったんですか。FileMakerも使えるようになればよかったんですか」と聞くと、
「FileMakerを使えるようになっても、雇えるかどうかは分からない」と言われました。
そして、最後にこう言われました。「雇用は延長できないけれど、FileMakerの仕事の請け負いなら頼んでもいいよ。でも、その仕事に責任を持てるか」「Webの仕事は相当頑張らないとダメだよ。今の仕事は辞めたらどうだ。俺たちは、今でも帰宅してから深夜1,2時まで頑張って勉強しているんだ」
僕は「じゃあ、僕にもそうしろって言うんですか。残業はさせられないけれど、1日3,4時間は勉強しろと」
社長は「今はそう言うことは大っぴらには言えない。働き方改革だからね。だけど君は自宅でほとんど勉強していないだろう」
そんなことはない。自宅でだって勉強しているけれど、それは正社員の介護職をした後で、ここでインターンをした後の話しだ。ダブルワークで有休を使ってまで働いているのに、そういう側面は見ない。そして社長はそれを分かって言っているのだ。
「君は未経験だからね」「最初の段階で来るべきじゃなかった」「会社に貢献していない」「基本レベルに達していない」
残業をして、Webの勉強をしようとしたこともありました。でも、マネージャーからは
「規定時間以内に求められる成果・結果を出すことを重視する。」為です。
長い時間仕事をする事に価値を求めたり、評価する事はしません。"
結局、答えは始めから決まっていたのだと思います。僕は平均的な求職者だと思います。でも本当に残したい優秀な人材ではありません。でも、だからと言って法的に解雇していいほど無能な人材でもない[9]。だから、有期雇用で使い捨てる。問題は、会社がそれを元から織り込んでいることです。元々Web業界にいる人材ならこの中小企業は選びません。だから、未経験からWeb業界に転職したい求職者をハローワークや転職サイト経由で最低賃金で採用します。でも、実際には、彼らは平均的な人材だから長くて半年までしか雇われません。それ以上雇うと、企業に雇用責任が生じるからです。社長からしてみれば、彼らが1日で辞めても構いません。もちろんSさんのように雇われ続ける社員もいますが、それは例外です。
自社の新規事業や簡単なレポート業務などを、常時3,4名のアルバイト(パート)を雇って大量生産させる。上司がチェックして、顧客に提供しますが、顧客が作り手のアルバイト(パート)の顔を見ることはありません。
社長は「新規事業の調子はどうだ、依頼はあるか」と社員に聞きます。そのレポートを作成しているのは、僕とアルバイト(パート)の女性2人なのです。2,3ヶ月経って、引きが少なければ事業から撤退して、...ということなのでしょう。
TVゲーム風に言えば、"ノーマル(正社員)モード"だと思っていたら、2ヶ月働いて、"ハード(非正規社員)モード"だと分かった。それでも構わないと思いながら働き続けたら4ヶ月半経った頃に"無理ゲー(はじめから雇うつもりはない)"だと分かった、という感じです。
最初の面接の時に、社長は「できるだけ長く勤めてほしい」「はじめは「半年間で」と言ったが、2,3年はかかる」「介護の仕事は辞めないで、働いてほしい」というものでした。僕は、ここで頑張ろうと思いました。でも、それは幻想でした。
本当なら、その時に、Web課の損益計算書を見せてもらうべきでした。そうすれば、僕は当たり前の疑問「どうして赤字なのに求人票を出しているんですか」と聞いて、入社しなかったと思います。
最初から無理ゲーだと分かっていたら、僕でなくても、誰もゲームを始めないと思います。
でも、そう言ったら、最低賃金で働いてくれるアルバイト(パート)が集まりません。だから、はじめは馬(僕のような未経験の求職者)の鼻先に人参(Web業界の正社員雇用)をぶら下げるのです。それが実際には存在しない雇用だったとしても。
ハローワークに求人票を掲載している一般的な中小企業は、書類審査や面接で応募者をフィルタリングしてから短期雇用やインターンシップ契約を結びます。目的は正規雇用するためです。
でも、T社は違います。考え方が逆なのです。「Web課が赤字だ」とすれば、本来ならば、少しずつ仕事量や社員を減らす必要があるのに、そうしない。将来につながる赤字なら問題はありません。先行投資だからです。でも、この赤字はただのしがらみなのです。
だから、赤字部署の仕事を、できる限り人件費をかけずに維持する必要があります。そのためにハローワーク等から最低賃金の労働力を調達するのです。
本来ならハローワークは「国民に安定した雇用機会を確保することを目的として国(厚生労働省)が設置する行政機関[10]」なのに、T社は、経営を維持するために短期雇用者を供給する行政機関と割り切っているのです。これは雇用の調整弁ですらない。解雇することを前提として雇うのですから。一番重要なのは、長期雇用(正社員)に雇用転換しないことです。人件費の負担が増えたら、部署の赤字幅がより大きくなるからです。
つまり、T社の採用戦略は、長期的な顧客との関係を維持するために、短期的な求職者との関係を犠牲にするというものなのです。そのためにハローワークは利用されているのです。はじめはこんな風ではなかったのだろうと思います。でも人件費抑制には中毒性があるし、毎週のように求職者が面接に来る。だから少しずつハマっていったんだと思います。
ロスト・ジェネレーション世代(僕は違いますが)は、自分たちより上の世代を簡単には信じません。雇用契約で苦い思いをした経験があるからです。雇用者側の言うこととやることが違って、しわ寄せは、全て若い世代(自分)が被る。
僕の場合で言えば、美しい建て前は団塊世代より少し下の社長やマネージャーと厚生労働省(雇用形態:正社員)のもの、醜い現実は若い世代(ロストジェネレーション以降)と社内失業者(非正規社員)のもの、というところです。そして、僕から見ると、ロストジェネレーション世代は、子どもをつくらないという消極的な形で復讐をしているように見えることです。どのような形の復讐かはご想像にお任せします。
元々転職活動を始めたのは、介護士の低い年収だと、結婚もできないし、子どもも育てられないと思ったからでした。転職をするとしたら、35歳が一つの壁になります。だからそうなる前にWebの専門スクールに1年間通いました。Webデザインの基礎とJavaScript,PHP,WordPressを学んでホームページを作成しました。それからハローワークにも通いました。介護士と同程度の給料でも構わない。パートでもいいからWeb業界で働きたいというのが希望でした。
面談4(東京しごとセンター(ハローワーク)の担当アドバイザーとの話し)
僕がインターンシップの経験を話すと、アドバイザーは「T社は助成金目当てのロクでもない企業だね。確信犯だね」と話してくれました。
それに対して、僕は「令和になってから、現状が変わらなくても大丈夫でしょうか。女性や高齢者が非正規労働市場に参入してきた[11][12]から低賃金労働が可能でしたけれど、令和には限界がくるんじゃないでしょうか」と聞きました。
アドバイザーは「だから外国から(労働者を)入れているんだろうね」と話しました。僕は「なるほど」と相槌を打ちました。そう言われればそうだ。僕の職場(介護)でも外国人労働者が3人います。フィリピン人女性2名、韓国人男性1名(日本人15名)です。
だから人手不足なのに、賃金上昇は起こらないのでしょう。(1997~2017年の民間部門時給の変動率は主要国で日本だけマイナス[13])
当然ですが、僕にだって個人的な問題があります。「新卒で入社しなかった」「介護経験が7年目だから、Web業界に転職できない」「人間性や人柄に問題がある」のかもしれません。
今、僕が案じているのはT社で働いている5人の新入社員です。例えば、Fさん(3~40代)は「下の子の体調不良のために、来たばかりですが早退します」と言って、子どもを迎えに行くようなパートの女性です。Fさんが早退した10分後に会議室で社長とマネージャーの笑い声がしました。
Kさん(60代)は病気で通院するために休みを取るようなパートの高齢男性です。
この文章からは、僕が社長を悪者扱いしているように見えるかもしれませんが、それは違います。初めての面接の時から、僕は社長を尊敬していたし、責任感が強いと思っていました。それは今も変わりません。中小企業を経営していくことがどれほど大変か。経営の本質が問われるのは、赤字が続いている時期であって、黒字の時ではありません。部署全体が赤字ならば、決断をするのは大変でしょう。社長の口癖は「うちは技術屋でね」ですし、「20年経営していて、この規模じゃいけないと思うんだよね」と話したこともあります。
社長がサイコパスっぽくなるのも、よく分かります。ハローワーク、転職サイト経由のあの社員は1日で辞めました。2日で辞めました。1日も来ませんでした。そして今度はインターンがはてな匿名ダイアリーに書いていますとなれば、それは誰だってムカつきますよね。でも社長だって、雇用契約書どころか、労働条件通知書を4ヶ月分しか渡してくれませんでしたよね。僕のことを完全に忘れていましたよね。
5月下旬の面接の際には、欲しい人材は「コンテンツができて、一人でやりきれて、一回(仕事内容を)話せば通じて、CVを上げられる人」と言っていました。僕も100%
就活準備を始めた21卒なんだけど、インターンのエントリーの記入欄に「出身高校」の欄がある。
え、これいるの? Sラン進学校出身だと、その企業に在籍のOB・OGが世話してくれるシステムでもあるの? 女だけど、"灘高校"って書いてもいい? 灘校OG、御社での就活のお世話をしておくれ〜〜〜
キャバ嬢風俗嬢をやる同級生がいるくらいの非進学校出身だから、高校名を聞かれてもなーんの旨味もないんだけど、入力必須になってるから埋めざるを得ないんだよね。めんどくさい。
唯一の救いは、高校名がキラキラネームではないこと。画数も多くないから、履歴書には書きやすい。字面だけ見ればAラン高校に見えなくもない。創立者のおじいちゃんに圧倒的感謝。
知名度低い高校だからさ、同じ県出身の人に「どこのFラン高校だろう?」って毎回毎回困った顔されんの。
もううんざりしちゃって、「就職したら、出身大学>>>出身高校だ」と思って、一念発起して大学受験頑張ったのに、この期に及んでまだ聞かれんの?いっそ、海外進出でもした方がいい?
二次面接を受けてから26時間、未だに御社からの連絡は無い。おそらく今回もまたお祈りだろう。
第一志望で、どうしても入りたかった会社だけあって今つらくてつらくてたまらない。
就活が上手くいかなくて自殺‼とか、学歴フィルターでエントリーすらできない‼とかそういう良くない噂が入ってきて、高校生ながらに就職活動は人の人生を決めるだけでなく生きる死ぬまで関わってくる超恐ろしイベントなんだと思っていた。
逆に学歴があれば就活なんてどうにでもなるのかなって思って、取り敢えず東大を目指した。
地元の国立大学を目指したけど、落ちた。そこなら受かると思ってたし、余裕かまして合格発表の掲示板見に行ったら自分の番号が無くて絶望したわそういえば。
結局受かってたそれなりのレベルの私立の大学に行くことになって、立地は最高だし、友人にも恵まれ、アルバイトとかも楽しみながらエンジョイしてたんだけどやっぱり就活が怖くて。
偏差値の高い国立大学には入れなかったから、なんかしなきゃって、留学に行ったし
インターンも行かなきゃなって色々応募したし(ほとんど落とされて、今の第一志望の会社しか参加できなかったけど)
就職活動で有利に進められるように意識高く持って比較的早いうちから準備をしてたつもりだったんだけどな~
今までやってきたものが何も意味なかったんじゃないかって思うよ
自分には自分なりの良さとか強みがあると思ってるし、それを面接では伝えられてると思ったんだけど 何がだめだったのかな。
実家でやることもないので、なんとなく死んだ親父が設定したfire tvをつけて、たまたまトップにあった映画「マイインターン」を視聴。
スマホでゲームやりながら流し見していたら家族が集まってきたのでソファでだべる。
アンハサウェイねと女性のほうはすぐに名前が合致したもののおじいちゃんの名前が家族で割れた。
リチャードギアっぽいよねと明らかにグレーへアしか見てない母の意見に兄弟で反対。
全然わからないってことになって妹がググったらロバートデニーロだった...嘘でしょと三回くらい母の声。
いやでもほらと俳優欄見て、ええーっと納得してないけどそのまま映画は浮気した旦那がアンハサウェイとよりを戻して、
おじいちゃんも席を残したまま蒸発したわけでもなく普通にいて、ハッピーエンドのまま終わった。
そして特典映像までみて、すっごく短いインタビューだけどあー!!の声。
他力本願すぎるけどマジでヤバい。助けてほしい。人助けのつもりで読んでほしい。これを読んでくれる人がいるだけでまだ、自分が社会の異物じゃないことを認識できる。相談できる友人も、愚痴を聞いてくれる親もいないから、ネットの世界に逃げるしかなかったのです。
正直ナメてた。まぁどこか内定貰えるでしょ、売り手市場って聞くし大丈夫でしょって。
何が一番強いって、集団面接とかグループディスカッション、つまり、自分以外の受験者と一緒に選考する形式のやつ。だいたい一番最初にあって、多すぎる受験者を切り落とすやつ。
みんな切り落とすやつだって分かってるから、すごく必死なんだよ。大学で頑張ったことたくさん話す。グループディスカッションでまとめ役・中心的役割担おうとする。
ちがう、そういう人たちを馬鹿にしてるわけじゃなくて。むしろ逆。ほんとうに純粋に「すごいな」って思ってしまう。これまでそういうこと頑張ってきたんだすごいなぁ、とか、意見たくさん出してくれて助かるなぁ、とか。
だから、私みたいなダメ人間がこの会社合格するより、こうやって、ちゃんと頑張っている人が合格するべきじゃん、って気持ちになってしまうんだ。
もちろん自分だってこの会社受かりたいから面接もグループディスカッションも頑張った(つもりかもしれないけれど)。でも集団面接ではいつも他の人に発表の順番譲っちゃって一番最後に話すし、グループディスカッションではまとめ役の子の意見に賛同しちゃって自分の意見は言えない(特にまとめ役の子と真逆の考え持っているならなおさら)(対立して意見まとまらなくなるの嫌だし)。
最近なんか、説明会行って「募集人数はこのくらい(たいてい10人以下)です」って言われてこの会場に集まってる人数見返して、あぁこの中の10分の1しか合格できないんだ、こんなに他の人たち、自慢できるところもすごいところも沢山あるのに、って考えて涙が出てきてしまう。嘘ごめんこの前それで大阪駅のトイレで泣いてた。自分が落ちるのは能力の無さだからいいとして、いやなんでや…… 私以外のいい子たちに全員内定出してくれよ……
そんなこんなで、桜が散る季節になっても、内定は1つも貰えていない。
正直一社だけ、半年前にインターンに行ってインターン枠で採用活動進めてもらってた企業があって、なんなら最終面接まで行けた。4回くらい面接あったけど、全部個人面接で、面接の内容を他の受験者にバラされないようにってことなのか、他の受験者とはすれ違う程度で話す機会は無かった、っていうのが助かった。他の人と自分を比べなくて済んだから。
でもその企業も、最終面接からもう2週間以上経って連絡が来ない。サイレントお祈りかなぁ。って。
ちょいブラック気味だったけど、私みたいな人間の受け皿としてブラック企業があるんだなってしみじみ思った次第だから、ここに内定出してもらえたら、こんなにしんどすぎる就活なんてさっさと終わらせて、楽しい卒業論文の研究再開させたい、って思ってたのになぁ。素直に悲しい。
最終面接まで自分のこと面接してくれた社員さんは、私が1話したら「つまりこういうことだったんだね?」って100くらいで返してくれる菩薩みたいな人でそうですそうです!!!って頷きまくってた。
最終面接ではそれが無かったのだよなぁ。
いやまあ、一通りは話すけれど、それ以上の会話がなかった。「これ以上喋ったらウザがられないか?」みたいな余計なこと考えてしまって。初めて会う人なんだからウザいぐらい喋らないと自分のこと分かってもらえんやろ、みたいなツッコミはわかる。自分でも自分でしてる。
でも最終的に「こんな自分の話誰が聞きたいんだ?」に行き着いてしまう。いや行き着かないでくれよ自分〜〜〜!なんでこんな生きにくいクソ面倒な性格してるの〜〜〜?
行きたかった業種はけっこうマイナーだったから、リクナビ、マイナビで求人出てるところにはほとんど説明会行っていろいろやったけど全滅しそう。いま5社くらい、説明会待ちだったり結果待ちのところあるからなんとも言えないけれど、ここまでボコスコ落ちまくっていると人間さ、希望なんか全然湧かなくて諦念ばかりに支配されてしまうんだね。
まだ就活もう少し頑張ろうとは思ってる。大学卒業したら実家は頼れなくなるし(少なくとも金銭的支援は一切受けられなくなる)(これが家庭の事情ってやつだ詳しくは聞かないでくれ)(ありがとう)、奨学金という借金も返さなきゃいけないから、正社員に就かなきゃ人生詰みそうで怖いから。
でも徐々に、お祈りメールが届く一方で、他の企業に挑戦しようと就活サイト見てももう説明会は終了しましたの文字が増えてきて。
苦しい。
なんで自分、こんなに好きなこと我慢して、ダメダメな自分を真人間に見えるように塗装しているんだろう。
明日、交通事故で死ぬかもしれないのに、どうして周りの人たちはみんな、やりたいことを我慢するのが怖くないんだろう。
やっぱりこんな甘っちょろい考えしてるやつよりも、ちゃんと普通な人間として頑張ってる学生さんに内定出すべきだわ。知ってた。
ただ私は、新橋駅であの満員電車には乗り込めなかった。後ろに並んでたサラリーマンのお兄さんが、舌打ちをして乗り込んでいく背中を見送ることしかできなかった。「乗らないんですか?」の駅員さんの苛立った声に、次に乗ります、と辛うじて返事することしかできなかった。
ただ、満員電車、それも慣れた人から見れば、ちょっと多いな、くらいの列車に乗ることすら、できなかったんだ。
私は、この人たちのようにはなれない。
この社会に溶けられない異物なんだな。
ちゃんと普通な人間のレールを走ってきたつもりだったけれど、この異物が弾き出されなかったのはある意味、奇跡に近いものがあったんだなぁ。
さっさと甘ったれたクソみたいな考えは捨てて、異物の角を落として、この社会に馴染めるようにしないと。間に合う間に合わないの話じゃなくて、そうしないと、マジで詰んでしまうからな?
就活終えたのでまとめとして自分が何したかを書いてみたけど投げるところもないのでこちらへ。
IT系大企業の話なので他の業界だと違うかもしれません。あと就活開始当初からほぼITに絞っていたのでインターンの話は業界が決まってる人向けかもしれないです。
誰かの役に立つといいな。
長期ではなく1,2日くらいの短期間のやつでも早期選考に乗れることがあるので本命なら行っておくべきだし、本命と同業種のところもできれば参加しておきたい。そこで会った社員の方の名前やお話した内容は絶対にメモっておく。長期でやらかすと選考にも影響するって噂も聞くけど短期ならまあ大丈夫(だと思う)。グループワークで成果を上げるよりもその会社とのつながりを深めることを重視。
ESや適性検査、面接といった選考有りのインターンも受けとくだけで選考に慣れるのでおすすめ。本選考より倍率は高いので落ちても気にしない。
・ES
幼少期から今までの出来事やその時の気持ちを洗い出すってやつ、軽くでもやっておくと後々役立つ。ESでも面接でも"自分だけの体験+その場の感情や考えの変遷"をアピールできるとつよい。
ESを元に面接される場合がほとんどなので志望動機以外のエピソードはなるべく同じものに揃えておくと楽。同じ体験を使って会社の雰囲気によってちょっとだけ結論(その体験から得られたもの、とか)を変えるくらいで。同じエピソードを使いまわしておくと色んな面接で同じ体験を深掘りしてくれるので数をこなすごとに深掘りに耐えられるようになってくる。その会社のESには書いていなくてもふとした質問に対して具体的な体験談をぶつけていけるのでつよい。ESを書くために拾い出した過去の出来事達も想定外の質問の答えの役に立ったりするのでおすすめ。
結論ファーストで書くこと。きちんとした文になっているか、誤字脱字はなるべく日を置いて確認すること。(とはいえ自分も締切ギリギリに書き上げたのがほとんど)
文末の工夫として"考える"、"思う"以外の語彙を増やす。"確信している"とか"期待している"とかポジティブ感があるものがおすすめ。"強く"、"深く"、"心から"みたいな副詞も有効的に使うと論理的な文章の中にも熱意とか人間味とかが伝わる気がする。
あと提出するESはちゃんと記録しておくこと。自分は就活関係は全部Evernoteで管理していました。
・適性検査
がんばれ
・面接
緊張しやすい性格だったので最初の方の面接は全滅。緊張は仕方ないとはいえ場数を踏めば多少は慣れるのでやはり場数こなすべきかも。ここで本命のインターンしか行ってないと早期選考のせいで初めての面接が第一志望!ってことになりかねないので(自分はそれで死んだ)他社のインターンも行っておくことを改めておすすめしたい。それか外資とか選考が早いところで慣れておく。
→準備
〇ンキャリ辺りで過去の質問やその傾向を拾い上げてくる。自己PR、志望動機+過去の質問パターン+逆質問の準備で大体なんとかなる(ならないこともあるけど)。
そして想定される質問文に対してどう答えるかを提出したESも踏まえて考えてひたすらEvernoteに書き出す。どうゆう答えをしてその理由にどの体験を持ってくるか、さらにその体験でどう考えていたかを台本を書くつもりで全部文章にする。そしてそれをひたすら音読する。
緊張しがちで頭回らなくなるタイプなので準備は(面接当日の1時とかからだけど)きっちりやりましたがこの辺の必要性は人による気がする。あと軽く吃音があって緊張するとそれが出てしまうことがあるので音読で口を慣らすのはマストでした。会社に行く電車の中でも書いた文章読み返しながら小声でモゴモゴしてたのでマスクしていたとはいえ怪しい人だったかもしれないけど人生がかかってるから許してほしい。
面接に向けた企業研究は会社HPから社長メッセージ、中期経営計画、決算報告、新しめのプレスリリース辺りを見てました。
あとはアピールの方法として"御社と自分との関わり"を押し出していく。インターンでも面接でも、"御社の〇〇さんに座談会でこういう事を聞いた"、"1次面接の△△さんのこういう考え方に共感した"みたいな具体的なアピールをしておくと志望度が高く見えるし、面接官がその人を知っていると共通点として盛り上がれる。製品を知っている事を求められそうなら調べておく。何か小さい頃に使ってたとか最近思わぬところで社名を見たみたいなエピソードはそこそこ使える。
→面接中
なるべく笑顔、とはいえニヤニヤしてても気持ち悪い気がしたので自分はひたすら期待の眼差しを向けていたつもり。
答えに詰まった時は"一旦落ち着かせてください"って言って時間をもらったり、それでも頭が真っ白になったままの時はとりあえず話し慣れているエピソードを話し始めてその途中で"質問なんでしたっけ?"みたいに聞き返ししてから無理やり結論をそこに着地させたり(今思えば論理性皆無)。詰まってもこれで切り抜けられた事はあります。(もちろん容赦なく落とされることもある。)
面接官と共通の話題を見つけて盛り上がられると楽しく面接を終えられて気が楽です。大抵最後は逆質問なのでそれがうまくいくと印象が上がる気がするので前半詰められてもなんとか挽回できます。
逆質問は事業内容について聞くと下調べが甘いのがバレるので面接官の方の働く上での心持ちだとか将来期待していることとかそういう個人的な事を聞いていました。あとは自分が他社にもらった負のフィードバックや悩みに関して改善の方法を聞いてみたりしました。この辺は居酒屋で上司に相談するくらいの気持ちで。
→面接後
面接官の名前は絶対覚えておいて面接終わったら即メモ。帰りの電車で聞かれた内容とそれに対してどう答えたかをひたすら書き出す。これをやっておくととりあえず反省点が見つかるのと次の面接でも答えが矛盾しなくなる。面接増えてくるとどこで何の話したのかわからなくなるので必須。次の面接に進めたらこのメモも見返してまた準備を、の繰り返し。
・まとめ
和やかな面接に当たることが多かったので就活中結果を見るのは辛かったけどそれ以外は大体楽しかった。色んな企業の本社見れてラッキー!って思ってたし逆にべ〇サールとかで説明会する会社クソって思ってた。本社入れてくれや。
基本Evernoteでタスク管理やES、面接準備をしていました。会社ごとにノートブック作ってそこにtodoとかESとか面接内容とか全部ぶちこんでました。todoリストにはタグつけてtodoリストだけ一覧表示できるようにしてたりtodoリストの題名に会社名と次の日程と用事(【4/2ES締切】〇〇社)入れておくと一覧で見た時に各社次にやることがすぐわかって楽でした(伝われ)。Evernoteの良いところは家でも電車でも色々書けるところと企業のwebページをそのままクリップできるところ、不便なところはES書くにあたって文字数が数えられないのと文章校正機能がないところ。
2歳年上の兄と折り合いが悪い
というのも、昔は明確に「暴力」という形で兄の絶対的支配の下に入っていたけど、もう20歳も超えてそんなこともなくなって、むしろそのころから兄の人生と私の人生の社会的な評価のされ方が変わってしまって今となってはただの折り合いが悪い兄妹になってしまった。
いや思えば昔から兄は口下手で滑舌が悪く、口達者でよく舌のまわる妹(私)に口喧嘩では勝てず、暴力で支配していたのだ。
それこそ骨折するとか縫うみたいなケガをしたことはない。それは兄が優しかったとかじゃなくて、今ならわかるわ、大きいケガさせてもっと強大な権力であるところの父に叱られたくなかったんだろうな。
小中学生くらいの私はまぁまぁ勉強ができて、学級委員とかをやりたがるタイプで、図書委員長とかもやってて、運動は全くできず、50m走したら10.2秒かかって先生に「まじめに走りなさい」って怒られてた。マジ全力で走ってたんだけど
友達はいた気がするけど、私が人間として生まれたのは18くらいの時なので記憶はないです。
対して兄はサッカー少年で、成績がどうだったかは覚えてないし学校でどうだったかとかは覚えてないけど、同じ中学校に通ってた時、吹奏楽部の子がみんな「あんたが○○っていうの?兄ちゃんいるでしょ」って言ってくるからどうしたことかと思ったら兄は同級生の吹奏楽部のサックス吹きの、私からしたら先輩と付き合ってたんだそうだ
いや知らんけど
まぁいろいろあって、高校生の時に兄はどっかから金を工面してきて某英語圏に行った。7年くらい?8年だったかな?金の仕組みがよくわかってないけど、両親は兄が金をかけずにうまくやったことを喜んでた。
うちはハイパー貧乏だったけど子供が5人もいて、生活が本当に苦しかったのだ。ちなみに兄と私は長男長女。マジこれ最悪なんだわ。
そこからまたいろいろあって、私は現役で某地方国立大学に進学した。奨学金は2つ借りて、当時は神の子だったし家がハイパー貧乏だし当時小学生の弟とかもいて余裕で無利子だった。20年間返済するぜ
ここから一人暮らしがスタートして、私の物心がつき始める。これが…自我…!って感動した。18歳の目覚め
ちなみに父実家がクソ男尊女卑思考だから兄は海外で羽伸ばしてんのに私は「うちの女の子がそんな遠くで一人暮らしなんて認めません」みたいな態度だった。ゴミ思考。一応有名大学だったので蹴っ飛ばした。両親は応援してくれてたのが幸い、最高両親ありがとう
私が大学3年のとき、兄が日本に帰ってくることになった。向こうで通ってた大学を留年して、除籍になったっぽかった。
兄は「日本で教員になりたい」と言って、大学に3年次編入することになった。
23歳大学浪人生の兄に奨学金を貸してくれるまともなところなんてないから、両親がお金を工面した。ここでももっといろいろクズ伝説はあるけど、今は関係ないからまあいいや
問題は浪人生時代、インターンで実家に帰っていた私にとって兄がとんでもないモンスターモラハラ兄に変化していたこと
兄が3年次編入を狙える大学は私が通っていた大学よりランクとしてはずっと下で、サッカー少年ですらっとしていた兄は目測20キロは増えて帰国しており、暴力による支配もできなくなった兄は私を以下項目において貶めることでしか力関係を築けなかったんだろうね、かわいそうなひと
そもそも大人のきょうだいに力関係って必要?その辺も考えが貧しいというか子供のまんまなんだろうな、かわいそうなひと
まずは容姿
確かに美人じゃないけど、どんな話してても最終的には「お前はブス」「お前の顔だとほかの人間に許されることも許されない」みたいな小学生みたいなことを言う
次に恋愛
当時彼氏はいたが、実家ではそんな話もしなかったしいないと思われてたほうが都合がよくてわざわざいるとか言わなかった。そしたら兄はさっきとの合わせ技で「お前みたいなブスは結婚とか恋愛とかあきらめたほうがいい」「お前はブスなうえにオタクだからモテない」「ブスは一人で生きるしかないんだから」とかまぁ本当にいろいろ言われた。
毎日深夜のマックでその元カレに泣きながら電話してた。早く大学に戻りたくて仕方なかった。
実は、モラハラが始まるまでは私は兄のことが本当に好きだった。
よくわからないけど遠い国で頑張ってるし、どっかからお金も見つけてきてすごいなって純粋に尊敬していた。本当に本当に、嘘かと思われるけど、兄の美しい面しか記憶になくて、兄みたいに頑張ろうって思ってた。
でもこんなことになっちゃって、大学生になった兄はさらにゴミみたいな人間になっていくし、教員免許取るのもやめて大学の意味感じられなくなるし、大好きなおばあちゃんのお葬式で私に「ブス」って言いすぎて叔母たちに超説教されたりしてもやめないし、どんどんコンプレックス拗らせてった。哀れだよね人間って
コンプレックスを持たれている人間、私もそんな兄の攻撃に耐え兼ねてできるだけ兄とは会わないように生活してきたし、今後もしていく予定
いやごめんどんどん長くなるけど、これから自分がいかに立派な人間かを語っていくわ。わたし立派な人間だから。
私は大学をストレートに卒業して趣味のもの作ってるメーカーに営業職で就職も決めて、おばあちゃんのお葬式のときは大学3週間休んだけどなんとか卒論も完成させて一緒に卒業旅行行ったり遊んだりする友達もいて、マジ平凡の中の最高ランクの人間なんですけど、一度もモラハラ兄に「いやブスでも大学4年で卒業するし」とか「結婚できなくても安定した職はあるし」とか「てめぇがブスって言ってる顔でも学歴社会じゃ関係ねえし」「てめぇとは語彙と愛嬌で差がありすぎて話にならん」とか、反撃したことないですからね。
私は大学入ってから仕送りもしてもらってない実家の両親に誕生日も父の日も母の日もプレゼント買ってるけどお前は?
自動車学校に通うからってバイトしてたお金、全部使い切って結局家に一円も入れずに親に金出させて通った自動車学校、楽しかったか?
お前がストレス発散のために怒鳴り散らしてた受験生の妹を慰めて勉強見てやって国立大学に入学したときにお祝いあげたの誰か知ってるか?
お前は学生の妹から金借りてたけどその妹に仕送りしてんの誰か知ってるか?
「女の子に学はいらん」ってマジで身内に言われたことあるけどお前は?
金がないから就活できないとか言って父に金出させてたくせに香港旅行行ってたの誰だっけ?
就活できないとか言って留学先に残してきた彼女に会いに行ってたの誰だっけ?
お前が毎日夕ご飯食べさせてもらってたおばさんの家にお礼送ったの誰か知ってるか?
全部言ってない、飲み込んでる、偉すぎる
大学受験期、どうやったら一番金がかからないか考えて予備校にも通わずに現役合格した神の子の長女と両親に湯水のように金を使わせる長男、どっちが立派ですばらしい人間かわかりますね?
ここまで金にこだわる私がどんな貧乏暮らしをしていたかわかりますね????
学生の時も金がなくて超つらかったな~~早朝5時半とかからバイトしてた。
全部全部兄に頼まれてやったことじゃないけど、私は私が正しい大人としてやるべきと感じたことを兄がおろそかにしていることに関して補っているという認識。普通毎日夕ご飯食べさせてもらってたらお金払うとかお礼の品持っていくとかするでしょ。なんでお前にはそれができないの。
最後に時事ネタ入れるけど、上野千鶴子がどういう人間かとか著書にどう書いてたとかよく知らないけど、あの東大の祝辞はよかったと思う。
ただの地方国立大の私でさえ「そんな学つけても子供産んだら役に立たんぞ」とか言われるわけ。いやてめーらみてえな思考にならないだけ役に立ってるわ。
本当に性差別も感じる、一介の営業マンでさえ感じる、これはそのうち。
かつて兄が好きで、兄のことを心の底から尊敬していても、兄が拗らせたコンプレックスでぼろぼろに言われる、まだ兄を好きな私が心の片隅に生きていて毎日ブスって言われるたびに泣いている。せめて私は妹や弟をかわいがりたいと思う。心の底からかわいがって、彼らの翼が折れないように守りたいと思う。私がしたような苦労はしてほしくなくて一人暮らし学生の妹には仕送りをする、受験生の妹は親と相談させて予備校に通わせる、弟には部活で使う高い道具をじゃんじゃん買ってあげる。みんなかわいいよって言ってあげたい。私は誰かのかわいくて仕方がない妹にはなれない、一生なれないから、私は私のかわいくて仕方がない妹と弟がいらないコンプレックスを抱かないように尽力したい。
無理するなと伝えたが、体質だから問題ないとのことで外の空気を吸うことですこしスッキリしたようだった。
もう1週間きてもらっていたが、初めての事だったので、その子が帰った後上司に伝えた。
私「おそらく暖房か何かで、悪くなった空気を吸って気分が悪くなったようです。体質のようですね…」
上司「そんなんで、会社勤めなんかできるのか?」(少し機嫌悪めな言い方)
これ読んだ人はどう思う?あなたなら、上司に対してどういう返事をするのかマジで聞きたい。
私はそんな言い方しなくても…と思いながら、こう答えた。
私「まあ、体質は仕方ないと思います…」
は????
突然なんなの?何が起こった?
その後続いた言葉はこうだ。
上司「あの子の気分が悪くなったことがパーソナルな問題なんて誰だってわかる。
なのに、なんで俺がまるで悪口言ったみたいな言い方するわけ?!
俺が、個人的な体質を全く考慮せずにあの子を否定したと思ってるの?
俺のことを全く分かっていないじゃないか!
俺は全体のことを考えているんだ、そんな体質なんてわかりきったことを言いたいんじゃない。
病院に行くなりなんなり、そういう対策をしなければならないんじゃないか?という事を
アドバイスしたいんだよ!!
なんでわからないんだ。
こないだ退社したアイツだってそうだ。皆全体を考えていない。」
いや、わかりますか?
コミュ強ならわかるんですか?そうなんですか?
もう私にはわかりません。
それとも、私の言い方がよほど悪いの??
二言目には声を荒げるじゃん。
退社した人をブスだのこれから生きていけないだの、あんなんじゃ無理だ死ねだの、病気だの、だいたい否定から入るじゃん。
それら全部私のためだったって言うわけ?
女だとか、故郷だとか、長女だとか、血液型だとか、どうにもならないことを否定してきたじゃないか。
私は最近それらのことにかなりうんざりしていて、拒否反応があったから確かに態度が悪かった可能性も否定できない。
だからと言って「会社勤めなんかできるのか?」なんていう言葉を肯定的にとれるのか?
釈迦になればいいのか?
ガンジーになればいいのか?
「よちよち、ボウヤはいい子だからね。そうやって否定から入ることで相手に問題提起させようとしているのよね〜。はいはいおっぱいのみまちゅか〜〜」
上司に追い出しをされた結果、とあるIT企業を休職して1年近くになる。
(個人的に色々思うことがあるので、増田名物の社名リークはしない)
なんども不幸なコミュニケーション上の事故だったと思って反省をしたが、何度考えても、経緯と結果のどちらに軸を置いて判断しても追い出されたという結論にしかならない。自分の言行を過度に暴力的であったと仮定して、自分から見た事実の一切を全て自分に都合の悪いように解釈してようやく不幸な事故だったと結論するしかできない。
予め断りを入れておくが、本件は関係する人によって全く異なった見方になるだろうのは間違いない。人によっては、自分が以下で述べる内容について「よくもいけしゃあしゃあと厚顔無恥な言葉を述べるものだ」と思うだろう。しかし、私は私としてこのように感じた、という趣旨で書く。なにせ1年以上前のことなので記憶も曖昧なので、細部について自分に都合のいいように誇張が入っている点はご容赦願いたい。
当時、自分と当時の直接のチームリーダーにして上司(Aさん)は同じプロジェクトに取り組むことになっていた。
しかし、
などがあり、あまりにもこれは酷いと人事方面に上訴し、自分は7月からは当時のサブリーダーのBさんの下に入ることになったものの、最終的なレポートライン上にはAさんは存在したままだった。
また、Aさんは常に新規商材の開発・開拓を希望していたが、自分はオペレーションの整理が主業務であり、観点の違いから意見が対立することが多々あった。その過程で、自分も非常に強い意見を言ってしまったことに関しては後述の点から後悔している。しかし、少なくとも自分と若干名のチームメンバーとの後に話した認識では、正論ではあるものの言葉遣いについて問題があるようなケースはそれほど多くなかったと聞いている。
他にも
などなど推挙に暇がないが、会社的にはもはや自分は一切の弁明を許されていない模様であったことと、言った結果として何かが覆ることは一切ないのと、言っても無駄としか思えなくなったために言っていないことも多い。何より思い出すだけで心理状況が本当に沈んでしまうので心底厳しいものがある。
その後、特に私に対しては明確な注意も仲裁もないままに半年以上が経過した。
結果に着目した場合、(健康面に関しては、期間の有無が重篤度合いを示す訳ではないので、このような言い方は非常に慎重を期するが)Aさんに健康面を理由に罪をなすりつけられて追い出されたなとしか思えない。
経緯に着目した場合、そもそも一度人事的な抗議を行ったものの、私は終ぞAさんの手駒から離れることはできなかった。結局はどう頑張っても対立軸にしかなかった上、私の言行に問題があるとしても、それについて一切の仲裁も何もなく「いざ問題が起きたので異動させます」というのは、異動が確定するまで泳がされたという印象しかない。
何点かある
戻ったところで、自分は「人を追い込んだ上に自爆して、会社の籍だけ貪る」悪人という評価のままなだろう。
そしてAさんは順調に出世を続けている。今後、Aさんが会社の中では正義であり続けるのだろう。
自分はどうだろうか。戻ったところで、どのような椅子が渡されるのかはわからないし、同僚と話すのが怖い。同僚に何を話しても「お前がこの意見に反対したことで、私の人格を否定された思いだ」などと言われてしまえば、また懲罰が下ることになると思うと、もう何も言えるとは思えない。そもそも自分が取り組んでいた仕事も全て追い出しの前後でキャンセルさせられた。もう何かが残っているとは思えない。