はてなキーワード: 身上とは
https://hyperlapsepro.zendesk.com/hc/ru-pl/community/posts/360042346373--Хекимоглу-13-серия-Hekimoglu-27-03-2020-на-русском-качество-HD-
https://hyperlapsepro.zendesk.com/hc/ru-pl/community/posts/360042346413-27-03-2020-Хекимоглу-13-серия-Hekimoglu-смотреть-качество-HD-от-27-марта-
https://hyperlapsepro.zendesk.com/hc/ru-pl/community/posts/360042169514-27-03-2020-Хекимоглу-14-серия-Hekimoglu-русский-в-хорошем-качестве-
https://hyperlapsepro.zendesk.com/hc/ru-pl/community/posts/360042346533--Хекимоглу-14-серия-Hekimoglu-27-03-2020-русская-озвучка-сериал-смотреть-от-27-марта-
https://hyperlapsepro.zendesk.com/hc/ru-pl/community/posts/360042169534-27-03-2020-Хекимоглу-14-серия-Hekimoglu-смотреть-онлайн-в-хорошем-качестве-от-27-марта
https://hyperlapsepro.zendesk.com/hc/ru-pl/community/posts/360042169574--Хекимоглу-14-серия-Hekimoglu-27-03-2020-на-русском-качество-HD-
https://hyperlapsepro.zendesk.com/hc/ru-pl/community/posts/360042346593-27-03-2020-Хекимоглу-14-серия-Hekimoglu-русский-перевод-все-серии-сезона-от-27-марта-
https://hyperlapsepro.zendesk.com/hc/ru-pl/community/posts/360042346613-27-03-2020-Рамо-12-серия-Ramo-смотреть-онлайн-в-хорошем-качестве-
https://hyperlapsepro.zendesk.com/hc/ru-pl/community/posts/360042346673--Рамо-12-серия-Ramo-27-03-2020-на-русском-качество-HD-от-27-марта-
新しいポケモンの化石ポケモンが話題になっていて、ずばりギリシャ神話のキマイラのことではなくて、普段からよく話題になる想像上の生き物で「複数の動物の特徴を掛け合わせているやつがいたなぁ」って思ったりしてたんですよ。
そいつ「ドラゴン」とか「龍」とかいう呼び名でよばれているんですけど。
個人的な分類なのでそれが常識ということは全然ないので構えずに聞いていただければ幸いなんですが、ドラゴンって呼ぶ時は西洋伝承の竜、「龍」って呼ぶ時は東洋伝承のリュウを意識しています。西洋伝承との比較の話題のときにはわざわざ東洋龍をドラゴンとかよんだりして自分からルールを破るので、本当にそこは私事ですよね。
ちょっと前にNHKの特集でドラゴン伝説に関する番組があったりしたんです。
テロップに「人類学者」「歴史学者」「宗教学者」って表示される人の他には、古生物学者さんとか比較生物学者さん、気象学者さんなんかもコメントしていたのが印象に残ってます。あと世間話でドラゴンって話題に出すときには、地理学を勉強している知人と話していることが個人的に多かったりもしますね。結構、色んな分野からドラゴン伝承というものを話題にすることができるってのは面白いなと思います。
古生物学的な知見から語るドラゴンとはずばり恐竜の化石の話でした。僕たちの世代ともなると人間何人ぶんくらいの恐竜の化石が見つかったとして、それは人類が成立する前の時代の、大昔の生き物の痕跡であって「こんな生き物がいまも生きて闊歩している」とは咄嗟にも思わない訳ですが、それは今日に至るまでの研究成果とそれを知識として普及できる教育の賜物であって、それがなかった時代の人たちはそうは思えなかったって話です。
番組ではルーマニアで有名な翼竜の化石が見つかっていると言及されていましたが、ルーマニアはドラキュラ伝承の元になったヴラド・ドラクル公の故郷ですよね。「ドラクル」という別名は彼の自称で「悪魔の子」って意味だとよく言われますが、本当は「竜の子」とかそういう自称だそうです。言語には明るくないのでもっと正確な意訳ができず恐縮でありますが、無知の身上なので「音が似てますもんね」とか言います。どうしてそれが「悪魔の子」だなんて受け取られ方をしたかと言えば後述したいと思いますが「ドラゴンは当時の人々にとっておそろしい敵役で、悪魔に連なるキャラクター」だったからです。竜の子なんて自称するのはその宗教的事情を考慮するならば自ら悪魔の敵役を名乗る型破りなことだった訳ですね。かなり話が脱線しましたが、竜の子ヴラドの伝説的な話が根付くルーマニアで、空を飛ぶ恐竜の化石が見つかっているという話がなんだか面白いなと僕は思う訳です。「無関係とは言えないだろう」とか僕なら思っちゃうし言いたいですし、当時の文献記録に化石の発掘らしき出来事の記述とかあるならそれは想像が捗るので素敵な話だと思います。
比較生物学的な見地からはいまも生きている生き物、特に蛇が槍玉に挙がっていました。ずばりって感じがします。番組では「何故ドラゴンは火を吐く?」という疑問に対して、蛇がちろちろと舌を出す様子に触れつつ、この蛇の習性が「誤った情報伝達の仕方をして」ドラゴンに火を吐かせるようにしたのではないかという話をしていたのでこれが面白かったですね。
まずドラゴンという想像上の生き物が成立する。次に「ドラゴンは想像上の生き物で、実物を人前に持ってきて伝えることができないから」人間は想像を絵に描いて伝えようとします。この間に、ドラゴンというのは実在しない生物なので、かわりに実在する他の生き物の特徴を取り込んでイラストとして出力されてしまう訳です。無いものを描くことはできないので、かわりに実際に有るものの特徴を代用して想像を膨らませていく。会話で比喩表現を使うようなもんですよね、「奴は蛇のようにずる賢い性格なんだ」とか「鳩が鉄砲で撃たれたような顔してるぜ」とか。
それで番組に出てきた絵なんですけど、たぶん火を吐いてなかったんですよ。イラストの横に難しいラテン語でびっしり説明文書かれていましたが、「これは火を吐いている絵ではなく、蛇のように舌をちろちろさせているドラゴンのイラストです」って言われたら僕はそれで納得してしまいます。そんな絵でした。
ところで遠い土地に住んでいる人に自分の描いた絵はこういうものだと事細かく説明できますか? 僕はそういうのが得意ではないので、しばしば伝言ゲームみたいになっちゃうんですよ。これが誰もが当たり前にまだラテン語を読めなかった時代で、聖書の記述すら読み書きの技術を持つ教会の神父様に読み聞かせていただかなればならなかった時代となると、もっと大変だったと思います。もちろん、そういう誤解が広がらない為にバチカンの偉い司祭様たちは色んな対策を立てたと思いますが、果たして「悪魔の姿形まで全員の意見を一致させようと手を回す余裕があったのか」はわかりません。イラストというのは文字や言葉より強烈です、写真の無かった時代ならそれは写真の代わりすらつとまったほどに。それでもやはり限界はありますよね。実際にあるものを観察して正確に描いたものなら兎も角、空想の風景を自分が見たことのある風景に喩えながら暗中模索で描きあげたらしいドラゴンのイラストですから尚更。もちろんそれを見せる相手が目の前にいたなら言葉にして説明できたでしょうが、その絵が本に載って遠い土地にいる人たちの手に渡った時、そして彼らが字を読み書きできないとかそもそも違う言葉を喋っている人たちだったりしたら、蛇の舌の絵が火を吐いているように受け取られたりしても即座に訂正したりできないのでそのまま広がってしまいますよね。
ここでちょっと本旨に触れていますが、空想上の生き物は実際にはいないのでそれが絵や銅像といった形にされる際、実在する動物の特徴をつぎはぎにして成立する時がある、というのが比較生物学的な知見で言いたかったことであるように思います。
恐竜の化石にしたって、伝説に語られるファブニールやヒドラそのものにしか見えない代物が発掘されている訳じゃありませんから。そもそも恐竜の化石から想定した想像図が最近すこしずつ変わっているらしくて、僕が映画で見たティラノサウルスはコモドドラゴンじみた堅そうなウロコに覆われた姿でしたが、いまは鳥のように羽毛が生えていたのではないかと言われているそうです。ここはもう少し言及すると、恐竜の末裔はいまも空を飛んでいる鳥、特に渡り鳥である、なんて話にも波及していきそうですが、僕はそのへん浅学なので触るだけで容赦していただきたく思います。
最後に歴史学、人類学、宗教学、あとすごく恐縮なんですが地理学から見たドラゴンの話をしたいな、と思います。ここがすごく自分が興味ある分野になるので話が長くなりそうなんですが、そのほとんどが他の人からの受け売りの知識・聞きかじりの知識であることを先に明言してから話したいと思います。この話を僕にしてくださった皆様に限りない御礼と尊敬を。
まず、先程までドラゴンが火を吐くのは、蛇の舌の特徴を取り込んで描いた想像図を見た別の人が、その絵の様子を「火を吐いている」と誤解して広がったからではないのか、と話題にしていました。さらにここを掘り下げて「何故火を吐いている姿に見えた(誤解した)んだろう?」という話をしようかと思います。
ドラクル公の話にも戻りますが、西洋ドラゴンは悪魔に連なる存在であり、人々にとっておそろしい敵役だったと言います。これは特に難しい理由がある訳ではなくて、人間より大きく、翼を持っていたり、人間の頭を咥え込める大きな口にずらりと牙が並んでいたり、ずばり「人間に噛みついて攻撃してくる蛇という生き物が人間よりでかかったら食べられそうで怖い」という恐怖心が、当時の宗教的道徳観で形成されている独特の恐怖心とつよく結びついた結果だと思います。恐竜は人間を食べそうだから怖い、ドラゴンは人間を食べるから怖い、悪魔は地獄にいて人間に悪いことをするから怖い、というのが全部同じ話になってしまった時、「ドラゴンは悪魔の手先である」という話になるんですね。そこにバチカンの神父様まで話を合わせはじめるともう誰も待ったをかける人間がいなくなる。恐怖とは使い方があるのです。「食べ物を粗末にすると目が潰れるからしてはいけない」なんて言い回しが日本にはありますが、本当にそうなのか?といえば絶対にそんなことないですよね。それが本当の話になってしまうと、目が見えない障がいと向き合って生きている人たちはみんな「食べ物を粗末にした」罰でそうなったという理屈が通じてしまうので大変失礼な話になります。ぶっちゃけこの言い回し、嘘か本当かで言えば嘘の話ですよね。でもいま食卓に並んでいる食べ物を、少なくないお金を支払い、少なくない労力を駆使して調理し、なんとか苦労して食卓に提供し続けている親からすれば、それを子供に台無しにされるのはひどくつらいことであるしその悪癖を矯正しないまま大人になっても子供のためにはならないからなんとかやめさせたいと思うのは当然なわけです。しかし、突然の家庭不景気に陥れば金銭交換ままならず明日にでもご飯が食べられなくなるという話を、お金の単位すら知らない無知の子供に納得してもらうまで言い聞かせるのは大変な交渉スキルと言語センスを必要とされます。これが「何故人が人を殺してはいけないのか?」「何故人が人から物を強奪してはいけないのか?」というレベルから説明しなければならないとなれば途方もない気分になってきますよね。なのでそれを説明する側は、悪いことをしてはならないという理由として「悪いことをすれば怖い目に遭う」と方便…つまり一種の嘘を用いるという苦肉の策を導入することにしました。これが日本で言えば「目が潰れる」とか「人攫いにあう」とかで、キリスト教が国教である場所では「悪いことをすれば悪魔のいる地獄に落ちるぞ」とか言われるようになる訳です。ドラゴンに食べられるのは誰だって嫌ですよね、僕はジュラシックパークでティラノサウルスに食べられるレベルから嫌ですしサメだって怖いですから、悪行に対する応報としての悪魔、地獄で罪人を責め苛む悪魔がドラゴンを操るなら当時の人たちにとって2倍の怖さになる訳で、時の宗教家たちはおそろしいドラゴンを悪魔に与えることでみんなが神の御言葉をもっと信じて慎ましく穏やかに生活する世界(=悪人が悪魔とドラゴンをおそれて悪行を思いとどまったり、間違えてからでもそれを悪いことだったと反省して償いをする世界)が形成されることを期待したわけです。なので実は違う種類の複数の恐怖が、宗教道徳という枠組みの中で融合するのは全然難しい話ではないってことですね。ドラゴンが英雄に退治される話が多いのも似たような理由です。人間の勇者が悪いドラゴンを退治して財宝と美しい伴侶を獲得して幸せに暮らす…というのは敵が強いぶん本当にそれを乗り越えられるならば素晴らしい成功であるように思える訳ですね。実際に、ドラゴン退治の伝説は宗教に組み込まれた結果、聖ジョージのドラゴン退治など、有名な宗教説話としてたくさんの人々に親しまれています。強いドラゴンが悪であったほうが都合がよかった時代や場所があったということです。
この長い前提があって、ドラゴンが火を吐く話が続きます。まず多くの宗教において死者の国・地獄とは地下世界に想定されます。そして程度の差はあれど、地獄とは炎の世界で、罪をおかして死んだ者はその炎に焼かれてずっと苦しむと説かれます。これはキリスト教も例外ではないというか、悪魔が住む地獄とはその典型例であるように思いますね。何故地獄が燃えているかと言えば、人間が火に焼かれる痛みを強烈に忌避する話の他に、古い時代の街並みが火災に弱いというのが挙げられます。日本でも江戸時代の平屋づくりなんか想像してくだされば分かりますが、木材を含む家屋が道の両脇にずらりと並んでいるのは火災に脆弱なんですよ。火災の真の恐ろしさとは「燃え移る」「燃え広がる」ことです。デマゴーグが人々の間であっという間に拡散して個人の名誉毀損の度合いがもう取り返しがつかなくなってしまう様子を「燎原の火」などと喩えますが、あれは草原に火を放つと一瞬で更地になるほどの規模の火災になることのようだと言っています。この草が家に置き換わったようなことが頻発しやすい都市計画というのが密集した家屋群にあたります。隣の家同士の距離が近ければ近いほど深刻だという認識で間違いないと言えます。対岸の火事なんて言い回しもあるんですが、実は一つの川を挟んだ対岸で火事が起こっているとしても、風向きと風速次第では火の粉が飛び火してきて火事になることも珍しくないらしいです。キリスト教の地獄の話をしているのでその圏内にある国の歴史を話題にするなら、ロンドンのテムズ川を挟んだ両岸の街々が飛び火が原因の大火事の被害に見舞われたことがあるそうです(これはNHKのドラゴン特集の受け売りです)。時代が昔に遡れば遡るほど消火技術というのが未熟なので、燃え盛る地獄のイメージが成立したほどの大昔となると一度家に火がつけば街一つ灰になるのも特に珍しくなくて、それが冬越し前ともなれば家の壁と屋根なしで厳しいヨーロッパの冬を耐えなければなりません。みじめなんてものではなくて、死にます。火事から助かったとしても家も財産も食べ物も燃えてしまっていて、最悪の場合助けてくれる隣人の家まで飛び火で火事になってて誰も助ける余裕なんかないとなれば、そういうのを「地獄のような風景だ」と言うのでしょう。これを避ける為に毎晩高台に見張りを立てるなどの習慣が根づいたそうです。ファンタジーでやぐらに立つ見張りといえば敵国の侵略者を瀬戸際で発見するだとか怪物が村や街に侵入しないようにする為だとかいうイメージで、もちろんそういう意味での見張りもありますが、一番怖かったのは火事だそうです。というか、敵国の兵士に火付けされることだってあります。火攻めとか言われる戦法で、この場合は侵略者と火事が同時にやってきます。侵略者は火で街の財産がすべて灰になる前に大急ぎで火事場泥棒をはたらくので容赦する時間的余裕はありませんし、火をつけられた街の住人だって火に焼かれるか人に殺されるかの極限状態ですから狂乱しています。ただの火事より、もっと大勢が死ぬでしょう。侵略者はまさに地獄からやってきた悪魔や化け物に見えたでしょうね。そうやって実際にあった大火災の惨事の記憶が、架空の風景である地獄のイメージを補強して、いまの地獄絵図というものがあるそうです。だから「悪魔の手先であるドラゴンが火を吐く(操る)のは当然だ。地獄からやってきたのだから」と言われれば、なんだかすごく話の筋が通っているように思いませんかね?
その上で更に別の解釈を交えます。地獄は地下世界にあると先述しましたが、地下にあると言えば何を想像するでしょうか。道具や芸術品の材料や貴重品そのものとして今でも生活の身近にある鉱石や宝石も地面の下から採掘される資源です。しばしばドラゴンは財宝と関連づけられることを思い出させられますね。化石も地下から現れることが多いです。ドラゴンが地獄に住まう悪魔のペットであることと、ドラゴンのイメージを形成するのにひと役買ったらしい恐竜の化石とがつよく関連づけられるような気がしますね。それで、マグマも地下には流れていますね? マグマによる火災被害、つまり火山の噴火というのはそれほど頻繁に起こる訳ではありません。少なくとも、毎日地球のどこでも火山が噴火しているともなれば人間の生存圏はもっと狭くて、地球は人間には住みづらい星だったでしょう。将来的にそうなるかもしれませんけどね。それはそれとして、噴火は頻繁に起こらないので毎日人間がマグマに殺されているというほどではないと思いますが、それ故に今でも予測して対策が立てづらく一度起こってしまえばおそろしい被害規模となる天災でもある。邦画にもなった漫画テルマエロマエの舞台くらい昔のローマにおいては、伝説的な火山の噴火によって当時の大国が大打撃を受けたらしい…そしてそれはただの伝説という訳ではなく、地質学や考古学的な研究からも実際に大災害が起こっているという史実的な話だそうです。ところでテルマエロマエという作品に触れましたが、これはお風呂をテーマにした漫画です。日本でも観光地各地が抱える温泉施設というのは間欠泉という自然現象を利用したお風呂であることは周知ですね。この間欠泉…温泉というのが、地下の水源がマグマによってあたためられて地表に噴き出す現象で、多くの温泉はそのまま人間が入浴するには適さないほど高熱だったりします、死ぬような大火傷を負うほど熱いこともあります(程度の差はあり、中には最適な Permalink | 記事への反応(1) | 14:56
10年くらい前に40歳になる前になんとか結婚できないか?と思って婚活をしていた時期があったけど
その時は断られたときの自分は男として劣っているのだという精神的ダメージが辛かったのと丁度東日本大震災が重なり
就職氷河期世代で安定した職業でもなかったので、一人でも大変なのに奥さんや子供を養っていける自信がなくなってしまい
仕事の方は運良くアラフィフの今年になって正社員の職に就くことが出来た。
今までは仕事第一に考えて平日はサービス残業、週末はスキルアップに努める生活を過ごしていたけど
一寸心に余裕が出来たので老後の楽しみにと思って取っておいた読書やガンプラ作成、オールドゲームなどをするようになったら
老眼になってしまっていてどれも想像していたほどには楽しめなくなってしまっていた自分の衰えに愕然とした。
思うように進まない読書やガンプラ作りの合間にふと結婚してみても良いかなとまた性懲りもなく思ってしまったので
40歳で結婚したがっている女性が居るという知り合いに紹介をしてもらうことになった
事前にもらった身上書を見て、まぁこれは駄目かもわからんねという気持ちになってしまった。
身上書によると東京大学に現役合格、そのまま大学院まで進んで今は地方公務員をしていた、両親同居で実家暮らし。
方やこちらは大東亜帝国大学卒業で就職氷河期世代、50手前にして漸く正社員という、学歴も生涯賃金も完全に相手の方が上のスペックだった。
自分の身上書を書いているうちに、自分も昭和生まれで親世代から植え付けられた男が稼いで家庭を支えるべきだという概念があるけど自分の収入では到底無理だなとか
勉強時間以外の全ての生活サポートをして東京大学まで入れた大事な娘が聞いたこともないような四流私大卒の低収入オッサンに持っていかれるのはもったいないと相手の両親が思うんだろうなとか
そもそも家族ぐるみで裏では馬鹿にされ続けるんだろうな等という思いがしてそこまでして結婚てするものなのだろうか?と思ってしまった。
金融機関や医療機関で勧められるけどさ、簡単に言うと、紙切れのみで、国が本人を判断能力がない人って烙印押して、財産管理や身上保護の代理人を立てる制度なんだけど、実の家族を悪者扱いして、見ず知らずの人に保護させることもあるわけ。
家族が後見人になれたとしても、本人のためにお金使うのもいちいち司法に許可取らないといかんし、本人のための施設も自由に選ばせてくれない。
見ず知らずの職業後見人を立てた場合なんて、バカ高い報酬払わないかんし、横領事件も多発してるし!すさまじいほどビジネスライク!大して本人のこと見にも来ない。それに、 身上保護って言っても、入院した時なんか、身元引受人になるわけじゃないし、治療の同意もできないんよ。
こっちは、大切な家族が病に倒れて不安でいっぱいなのに、本人のためにお金引き出そうとすれば、金融機関からは犯罪者扱いされて、安易に成年後見人を立てろって言ってくるけど、申し立てしたことあるか?後見人になったことあるか?
必要書類揃えてもやたらと厳しい日本郵政!認知症の高齢者に高額な金融商品不正販売してたくせに、「判断能力があるかないか確認させていただきますので、本人を連れてきてください!」「成年後見人立ててないなら請求を受けることはできません!」なんて、よくもまぁでかい口たたけるよな。
成年後見人制度考えた奴、どうせ介護とは無縁の世界に生きてるんでしょ!
地獄へ落ちろ‼️
一応IT系で食いっぱぐれることは無かったから今までなんとか凌いできたんだけど
心にゆとりが生まれたので週末は老後の楽しみにしようと積んであったガンプラを作ったりして過ごしていたんだけど(老眼が辛いけど)
運良く良縁を探しているという女性を知り合いの方に紹介してもらうことになってお相手の釣書をもらった。
お相手のスペックは東京大学を大学院まで進学した地方公務員の40歳、両親同居の実家暮らしだった。
自分はもうおっさん過ぎて好みをいう立場では無いので会ってくれるだけでも全然ありがたいのは判っているけど
東京大学に入るくらいの努力をする方は勉強時間が膨大でその他の生活のサポートは親に頼る学生時代を送っていると思われるので家事一切が出来なそうだなとか
こちらは四流私大卒でやっと今年になって正社員になれたくらいだから年収は微々たるものだし生涯賃金も低いから
せっかく東京大学にまで入れた箱入り娘を聞いたこともない様な大学卒の男にやれるものか等という相手の親御さんの反対する姿が目に浮かぶ。
一応自分も身上書を書いて知り合いに渡したんだけど、その後二週間連絡がないので今回はまぁ縁が無かったということで。
尋牛 - 仏性の象徴である牛を見つけようと発心したが、牛は見つからないという状況[1]。人には仏性が本来備わっているが、人はそれを忘れ、分別の世界に陥って仏性から遠ざかる[1]。
見跡 - 経や教えによって仏性を求めようとするが、分別の世界からはまだ逃れられない[1]。
見牛 - 行においてその牛を身上に実地に見た境位[8]。
得牛 - 牛を捉まえたとしても、それを飼いならすのは難しく、時には姿をくらます[1]。
牧牛 - 本性を得たならばそこから真実の世界が広がるので、捉まえた牛を放さぬように押さえておくことが必要[1]。慣れてくれば牛は素直に従うようにもなる[1]。
騎牛帰家 - 心の平安が得られれば、牛飼いと牛は一体となり、牛を御する必要もない[1]。
忘牛存人 - 家に戻ってくれば、牛を捉まえてきたことを忘れ、牛も忘れる[1]。
人牛倶忘 - 牛を捉まえようとした理由を忘れ、捉まえた牛を忘れ、捉まえたことも忘れる[1]。忘れるということもなくなる世界[1]。
返本還源 - 何もない清浄無垢の世界からは、ありのままの世界が目に入る[1]。
入鄽垂手 - 悟りを開いたとしても、そこに止まっていては無益[1]。再び世俗の世界に入り、人々に安らぎを与え、悟りへ導く必要がある[1]。
すごく熱心に申し込んでくれる割に、こちらの扱いがかなり雑だったことだ
とりあえず聞いてはくれるけど 私の都合にはまず合わせてくれない
土日の昼にしましょうか とこちらの提案は全部NOで 平日の昼か、あとは夜ですねと返ってくる
会社員が全て同じスケジュールとは言わないが、少なくとも身上書上はシフト勤務だったりはしないはずだ
予定は急に空いたからと入れて来て、でもすぐにやっぱり無理とキャンセル
次の予定の話をしながら音沙汰なく、2週間ぶりに連絡
いや、わかるよ
私に微塵も興味ないですよね(笑)って言ったら慌てるのどうなの?キープ扱いは態度に全面に出てたよ
それで私がやんわり断ったら、目に見えて落ち込むのどうなの、バカにされてんのはこっちだよ
…ああ、疲れた
でももう終了にした
もう忘れよう
成年後見人には医療行為の同意を行う権限は付与されていないと解されています。民法が改正されて成年後見制度がスタートするにあたり、平成10年4月に法務省民事局参事官室が発表した「成年後見制度の改正に関する要綱試案補足説明」でその理由が説明されていますので、少し長いですが引用します。
「成年後見制度の改正に関する要項試案補足説明(法務省民事局参事官室)」(平成10年4月)(抜粋)
「成年後見人の権限は、意思表示による契約等の法律行為に関する者に限られるので身体に対する強制を伴う事項(健康診断の受診の強制、入院の強制、施設への入所の強制等)は含まれない。なお、意思表示による法律行為であっても、一身専属的事項(例;臓器移植の同意等)は、成年後見人の権限には含まれないものと解される。」
「成年後見の場面における医的侵襲に関する決定・同意という問題は、一時的に意識を失った患者又は未成年者等に対する医的侵襲に関する決定・同意と共通する問題であるところ、それらの一般の場合における決定・同意権者、決定・同意の根拠・限界等について社会一般のコンセンサスが得られているとは到底言い難い現在の状況の下で、本人の自己決定権及び基本的人権との低触等の問題についての検討も未解決のまま、今回の民法改正に際して成年後見の場面についてのみ医的侵襲に関する決定権・同意権に関する規定を導入することは、時期尚早と言わざるを得ないものと考えられる。この問題は、医療行為の全般に関する問題として、医療の倫理等に関する医療専門家等の十分な議論を経た上で、将来の時間をかけた検討に基づいて慎重に立法の要否・適否を判断すべき事柄であり、当面は社会通念のほか、緊急性がある場合には緊急避難・緊急事務管理等の一般法理に委ねることとせざるを得ないものというべきだろう。」
■成年後見制度の利用の促進に関する法律(平成二十八年法律第二十九号)
https://www.cao.go.jp/seinenkouken/law/sokusinhou.html
今日、以下のようなブコメを見て大いに共感すると同時に、私にも思い当たるところがあったので書いてみる。ちなみに読んでわかるとおりidバレしてるが、ブログに書くよりこっちのが読んでもらえそうなのでこっちに書く。あとあまり大層なことは書いていない。事実を淡々と述べているだけの部分が大半を占めており、最後にちょっぴり「低能先生」という呼び名についての私見を書いている。
irodori_kotori 氏のブコメ(http://b.hatena.ne.jp/entry/366754123/comment/irodori_kotori)
deztecjp氏の指摘、私がイケダハヤト氏の批判記事にブコメして某先生からidコール飛んできた時に「馬鹿にする意図でないのは略称でも蔑称でもないことから汲んで下さい」って返したら納得して貰えたということがあった
上の「deztecjp氏の指摘」というのはこれ。
deztecjp 氏のブコメ(http://b.hatena.ne.jp/entry/366754123/comment/deztecjp)
「高知のトマトの人」などという表現をやめ「イケダハヤトさん」とふつうに書くことを「萎縮」と呼ぶなら、「萎縮すべき」と私は主張。批判はすればいい。だけど、なんでそういう、イジメの作法をやめられないのか。
私も(たぶん一度だけ)1年近く前にHagex氏の殺害容疑者とされている人物(何と呼べばよいだろう?ひとまずA氏としよう)からidコールをもらったことがある。もちろん本当にA氏かどうか確かめようがないが「お前のブコメは集団リンチだ」という旨を強い口調で咎められたので、たぶんA氏だったのだろうと考えている。私は自分のブコメのどこが集団リンチかわからなかったので、そのように返信した。
私のブコメ1(http://b.hatena.ne.jp/entry/344007287/comment/neriu)※2018/7/2 18:00 URLが違ってた(いわゆる「1フロア下」になってた)ので訂正
id:toyoub 記事のどこに反応するかは各自の自由です。あと集団リンチとは誰に対してですか?私はWantedlyには何も言及してません。イケハヤ氏(増田註:ここは今では「イケダ氏」に変更している)への中傷もないでしょう。ブクマ自体が集団リンチという意味なら承服しかねます
※本題とずれるがこのブコメ自体が上の irodori_kotori 氏のブコメへのブコメだったことに今気がついた。なんという偶然。
すると次のidコールが来た。「イケハヤってのは蔑称だ。彼はイケハヤなどと自称していない。集団リンチだ」といった旨の指摘だった。私はなるほどそういうことかと思い、イケハヤが蔑称かどうか確認するため、イケハヤ氏のブログで過去ログ検索し、当時イケハヤが「イケハヤ」を自称していないことを確認し自らの非を認めた。それが次のブコメ。A氏からは「わかればよい」といった旨の返事が来たように記憶している。
私のブコメ2(http://b.hatena.ne.jp/entry/344007646/comment/neriu)※2018/7/2 18:00 URLが違ってた(いわゆる「1フロア下」になってた)ので訂正
id:toyoub 氏のサイトで検索しましたが確かに自称してないですね。またこの言葉自体に氏をからかうニュアンスがありそうです。ご指摘ありがとうございます。氏を中傷する意図は全くないので「イケダ氏」に訂正しました
もっともこれはすぐ判明したことだが実はこのときイケハヤ氏は「イケハヤランド」という名称などで自らのことを「イケハヤ」と自称していたので、A氏の指摘は当たっていないし謝る必要もなかったのだが、蒸し返すほどのことでもないと思ったので、この件はこれで終わりにした(余談だが現在イケハヤ氏はサイトでもTwitterでも「イケハヤ」を自称している)。
たったこれだけの、なんてことはないやり取りなのだが当時A氏の存在を知らなかった私にとっては青天の霹靂で、なぜここまで口汚く罵られなければならないのかと内心憤慨していた。またそれはそれとして、上記の経緯を経てA氏が納得した態度を見せたことについて意外に感じたのと、そのような氏が私以外に対しても同時進行で罵っている様子が見て取れたので、氏の意図を測りかね、不思議な思いで見つめていたことを覚えている。
そんな経緯があった私にとって、冒頭で紹介した2氏のブコメは共感できるものだった。
irodori_kotori氏などはA氏と対話らしきものを成立させており、また誰かは忘れたが、他にもA氏と同様のやり取りをしたというブコメを見た記憶もある。私以外にもきっと何人かA氏と罵り合い以外のコミュニケーションをとった人がいるのだろう。これは意外な気もするし、相手もなにか考えがあって行動していたと仮定すれば当然のことという気もする。もちろんHagex氏が亡くなられた今となっては「だからどうした」という虚しさしかない。一部の人間と対話が成立していようがいまいが、最終的にA氏は対話とは正反対の、最悪な形の暴力を振るった容疑者である。だからここに書いたことはA氏の擁護でもなんでもなく「そういうことがあった」という報告以上の意味はないことは強調しておきたい。
もうひとつ、説教臭いことを書いておきたい。A氏を「低能先生」と呼称すべきではない、ということについてである。これはすでに複数の人が指摘済みのことだと思うが改めて書いておきたい。
はてな界隈で流布されている解説によると、この呼称は「A氏は頻繁に『低能』という言葉で他者を罵倒しており『低能とよく罵倒する人物』転じて『低能先生』だから問題ない(=蔑称ではない)」ということなんだそうだ。
正直に白状すると、この解説には首肯しそうになる自分がいる。そして「低能先生」という呼称を現在進行系で使っている人に対しても「まあしゃーないよな(俺は使わないが)」と考えるズルい自分もいる。
その上で、ちょうど私へのidコールが「蔑称問題」についてだったこともあり、改めて考えてみたのだが、やっぱり駄目だと思うに至った(遅い?)。数時間前の私と同じように「えーやんけ別に」と思う方は(唐突で恐縮だが、もしお暇なら)次のチェックリストにYES/NOで答えてみてほしい。
これらの問いのどれかに「YES」と答えるとしたら、その心の有り様は「いじめ」と通底してはいないだろうか。あるいはもっと端的に「いじめ」ではないだろうか。私自身上記のとおりなので「YES」と答えた人を難詰する資格はないだろう。そもそも私が間違っている可能性だって依然としてある。A氏に関すること以外で、私が過去に不適当な呼称を使うこともあったに違いない。ただ本件であらためて「他者をどう呼ぶか」に意識的にならなければと思ったし、これを読んでそういう人が増えてくれれば嬉しい。
最近、転職活動をしていて某メーカーの中途採用試験を受けたのでその時の事を書き残しておく。
求人の内容が面白そうだったので企業サイトから直接応募したんだが、書類選考通過の連絡まで7週間かかった。
この時点でかなりの地雷臭がした。
もしくは他の選考を一通り終わらせて、欠員が出たから連絡を寄越したと思われる。
どちらにしろ、応募者に対しての扱いが酷い。
書類選考通過の連絡と一緒に来たのが、身上調書を書いて提出しろって依頼だった。
身上調書なんて初めて聞いたのでググってみたら、どうやら今どきは違法性があるから書かせないなんて情報が出てくる。
実際に送られてきたフォーマットはネットで調べたものよりは問題なさそうあったが、
感覚的に下記の情報を企業側からの依頼で提出させるのどうなの?と思った。
転勤の可否なんて面接受けに来る人は内定ほしいから可にして提出すると思うし、
もっとひどいのは健康で選択肢に `とても元気` とか `かなりの無理ができる` とかある。
アメリカ法人は下のやつ聞いたりしてないだろ?なぜ日本人には要求するのか
こんなの聞いてどうするんだよ。お前らは中途の社員に何を求めてるんだ?
項目も十分やばいんだがこのフォーマットがエクセルファイルでできててそれもやばかった。
いちいち印刷プレビューで見切れてないか確認するのが馬鹿らしい。
そして書いてて気づいたんだがエクセルで直接入力できる作りになってない。
まともにエクセルを使えるやつはこんな入力しにくいファイル作るはずがないので、無能が作ったか、紙に印刷して手書きすることが前提になってる。
しかも殆どの項目が、書類選考で提出した履歴書と、経歴書の内容とほぼ一緒。これをいちいちなんでお前らのフォーマットに移し替えないといけないんだよ。
ナチュラルに人の時間奪ってんじゃねーよ。書き上げるのに2日は使った。金をくれ。
面接の日程を決めるのも、予定を聞かれたので、こっちから1週間分の予定を伝えたら、
2日ごとにメールでこの日とこの日は駄目でした。って連絡を都度寄越してくるし、結局日程を決めるのに1週間以上かかった。
2日以上先の予定がわからない会社ってどんな会社だよ。そんなに調整が難しいなら先にそっちから提案しろ。
いつまでも予定が決まらないからこっちは他の予定が立てられないし、最悪だった。
面接も面接でひどい。スーツじゃなくて私服で行ったら変な目で見られるし(個人の感想です)、
聞いてくる内容はなぜ当社だったのかとか、当社に入って何をしたいとかそんなのばっか。
俺は求人票の内容が面白そうだったから受けたのに、なんで新卒採用試験でするような質問ばかりなのか。
スキルの話が殆どなかった。中途は取らずに新卒を教育することをオススメする。
そんなこんなで、こっちからお断りしようと思ったら、先にお祈りされてしまいました。
書類選考に7週間かけたのに、お祈りは当日に連絡来たのが最高にムカついた。
生活保護だがギャンブルとタバコをやらない(酒は毎夜おちょこいっぱいくらい)って生活をしているが、
生活保護ってのは、まぁ自業自得だが、誰からも認められない存在だし、人との接点も極端に少ない。
特に普通に働いている人間に対しては後ろめたさがあるから会いたくもないし話したくもない。
コンビニの店員に対してすら後ろめたさを感じて目を合わせられない。
だが毎月一日に生活保護費を引き出して、その足でパチンコに行く奴だけは同類だ。
パチンコ自体も思考を停止して、時間を潰せる。自分の惨めな境遇を一時的に忘れられる。
上手く当たれば使える金が倍くらいになるかもしれない。
そのうち一般的に言うギャンブル依存症と、パチンコに集まる同類とのコミュニケーションへの依存症を併発する。
だから彼らは生活が成り立たないと分かっていても、生活保護をギャンブルに費やしてしまう。
だからと言って人との接点がないこと、そのものにどうしようもない恐怖みたいなものも感じる。
人目が怖くて日が高いうちは外に出れない日も随分増えた。
完全遮光のカーテンを部屋につけて外が暗くなるまで布団にくるまっている。
人から存在を認識されたくないと言う気持ちと、俺はここに居るんだと主張したい気持ちで板挟みだ。
同じ境遇、ブラック企業で体を壊し生活保護を受けているような、
そして趣向の傾向が似た人間が居て、苦しみを共有できればいくぶん気が楽だろうなぁと思う。
同じような境遇同士による最終的に生活保護を抜けることを目的とした
コミュニティなのかもしれないと思う。
ナマポ風情が何を生意気言ってやがる。自己責任だ。自分でなんとかしろ。
ってのはもっともだが、生活保護受給者であると言う身上が「何をやっても無駄である」と言う呪いになる。
個人じゃどうにもならないんだ。
マジレスすると男女問わずそういう庇護欲求・承認欲求みたいなものは誰にでも発生するし、何もおかしいことじゃないよ
ただこの手の欲求はもともと存在しなかったものが新たしく生まれてくる、というよりは、「かつては何もしなくても満たされていた(満たしてもらっていた)のに今はそうでなくなったために、その欲求の存在に気付かされる」という場合の方が多いように思う
増田のような容姿の衰えや集団内での年齢的立ち位置の変化だけではなくて、例えば「自分のことを可愛がってくれた姉や母が、弟の誕生で前ほどかまってくれなくなった」とか「有名大学に在籍していたころは大学名を出すだけで一目置かれたのに、いざ就職してみると上司に怒鳴られるばかり」とかね
でもだからといって、「かつてのような状態がそっくりそのまま戻ってくる」ということはありえないので、素直にそれを自覚したうえで、そうした欲求や身上を素直に吐き出せる相手に吐露して、部分的にでも満たしてもらっては。
ペットや赤ん坊やかわいい子にするようなやり方しか愛しかたがないわけではなく、もっと色んな愛しかたがあるので、もっとこれまでとは違う人との関わり方や接し方を模索するのもいいと思う。少なくとも年齢を重ねて、自分自身をより深く理解した人間なら、そういうことだってきっと出来るはず
婚活で、二次面接を通過したはずなのに、最終面接に行く前に落とされた。
日本死ね。
と、まあお約束をかましたところで、本当にお見合いを利用した場合の婚活って就活に似ているなぁとつくづく思った。
↓
↓
通過=交際開始
↓
↓
↓
↓
↓
何回か体験したが、どうやらこんな感じらしい。
んで、お断りをする際は人事(仲介者=やり手婆)を介するのがルールとか、いよいよもって就活くさい。
うわあああああああああああクッッッッッッッッッッッッッッソ面倒くさいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!!!!!!!
就活に失敗し、紆余曲折を経て正規社員となり、ようやっと同い年(31歳)の平均年収ちょい上くらい貰えるようになって始めた婚活で、
もう二度としたくないと心に深く刻みつけた就活をもう一度しなければならないとか、ちょっとマジ勘弁なんだけど。
いや、ほんとマジ勘弁なんだけど。
なんか、こちらも採用担当であると同時に、あちらも採用担当って感じで、マジ面倒くさい。
いや、ほんとマジ面倒くさい。
これも痛感した。
なんか仕事とかは普通に出来るんだろうけど、肝心な部分で異性とのコミュニケーションが出来ない感じ。
ちゃんと断ることも出来ないようで、相手を不快にするような行為を取りまくる。
こちらとしては、ダメならダメにしてくれた方がダメージが少ないので、さっさと見切りをつけたいんだけど、
いや、もうダメならさっさと次に行きたいし、行けばいいと思うんだけど。
なんで自分も不快、相手も不快にして、時間を無駄にしようとするのか全然分からん。
そして、大体アラサー女で処女は、家庭において父親との関係が希薄か不在。
いやこれ本当。
今のところ何人か会ってきて地雷は9割9分がそうだった。
以上である。
ちなみに平日10:00-12:40、14:00-16:00まで電話が繋がる。
有給を使って新宿御苑にあるカウンセリングセンターに行くのがいいだろう。
多重債務状態にある人は、この記事を読んだその日か次の日にでも連絡を入れよう。
ざっくり言うと、「任意整理(債権整理)のお手伝いをしますよ」という場所である。
任意整理が可能か判断し、可能であれば実際に交渉のテーブルに付く「弁護士」。
この両名と共にカウンセリングルームで相談し、借金をどうにかしようという場所だ。
多重債務などで任意整理を検討した事がある人なら、これだけで目を疑うだろう。
ピンと来ない人向けに、まずは任意整理の流れについて説明する。
任意整理は、弁護士が各クレジット・ローン会社に「交渉」を提案する。
「必ずこの人に毎月これだけ返済させるので、利息はまけてもらえませんか」と頼み込むのだ。
それをカットしろというのだから、交渉は3ヶ月~6ヶ月にも及ぶことになる。
ポイントとして、この間依頼者は「支払い義務が発生しなくなる」。
借りている身にも関わらず、しばらくの間借金返済を行わなくてよくなるのだ。
で、この間にどこの事務所も「依頼金」「成功報酬金」を積み立て支払いするように言ってくる。
用は、借金を払わないでいい間に弁護士費用を分割支払いするシステムなのだ。
その頃には弁護士費用も支払い終わってるので、あとは自分で頑張って借金返してね。
……というのが通例のシステム。
この、分割で支払う「依頼金」「成功報酬金」を、紹介した協会は「 い り ま せ ん 」と断ってくる。
その間、浮いたお金を貯蓄に回したり、滞納していた公共料金の支払いに使ったり、
家賃の高すぎる家に住んでた人は引越し費用に当てることもできるのだ。
これだけでも、とんでもないメリットと居える。
物凄く乱暴に、ざっくりと言うと、「ヤミ金に手を出して欲しくないから」。
ヤミ金からお金を借りればどうなるかは言うまでもないし、法外な利息が所謂「ヤ」の付く人たちの資金になってしまう。
それを防ぐために、というか防げるというのなら無料で任意整理してやんよ!という趣旨である。
勿論完全なボランティアではなく、きちんと賛助会員が存在する。
そこから援助資金を預かり、そのお金で任意整理の依頼金だとか成功報酬金だとかの分を賄っているのだ。
これはどういうことか。
カンセリングに訪れ、話がまとまり任意整理を行う方針が固まると、協会独自の「家計簿」が渡される。
そしてこれを次回までにしっかり埋めて提出するよう求められるのだ。
これができないと、任意整理は行えない。
これはどうしてか。
任意整理は通常、3~5年かけて返済を行う。
この3~5年の間に「2回」滞納を行うと、どうなるか。
一括請求される。
もう一度言う。
一括請求される。
返済残額が100万だろうが500万だろうが残っていようが、2回滞納した時点で問答無用で一括請求される。
何故そうなるのか。
先ほど弁護士が「交渉」したと言ったが、この「交渉」のルールによるものだ。
「利息をまけて欲しい。3~5年で必ず返済させる。2回滞納したらもう一括請求しちゃっていいよ」
こういう交渉が基本なのだ。
この条件でようやく、「まあ毎月キッチリ払ってくれるのなら…」と交渉に応じてくれる。
ここまでに長くて半年かかるのだから、弁護士さんには頭が上がらない。
さて話を戻そう。
本来であれば、「そもそも何故こんな借金地獄になったのか?」という所から改善していかねばならない。
次のカウンセリング時に、家計簿を見せ、「削れる所」「増やせる所」を見極めていく。
無理のない、かつ質素な生活ができる絶妙な家計簿バランスに修正したあと、また同じように家計簿を渡される。
次回カウンセリング時に改善できているか確認し、出来ていれば更なる改善、そうでなければまた原因追及。
この流れを繰り返して、「毎月確実に返済できる額はいくらか」「そもそも任意整理したとして返済できるのか」
この二つを確認していくのだ。
ペースにして2ヶ月に一度、これが半年ほど続く。
なので、有給を取得しなければならない。2月に1度のペースでだ。
これは結構大きい。会社の人間からも不信がられるだろうし、出世にも影響するかもしれない。
それが嫌なら家計簿管理を自分でなんとかして、有料のア○ィーレ事務所とかに行くといいだろう。
家計簿に直接意見してくれるアドバイザーまで無料で相談にのってくれる。
これほどにない機会をタダで提供してくれている。
有給の取り辛い会社だと厳しいかもしれないが、なんとか頑張って欲しい。
借金の相談はし辛いし、情報が少ない。だからこそ。一人で抱え込むな。
……この協会の存在、初めて知った人も多いのではないだろうか?
それもそのはず、この協会を知ったきっかけの約半数が「消費者金融センターに勧められて」というものだ。
その位この協会の知名度は低い。
というか○○事務所とか○○相談室とかがでしゃばって隠れてしまってる状態だ。
ここに「多重債務者のためのクレジットカウンセリングこの一年間」というPDFがあるが、
4ページ目曰く、この協会の存在をググって見つけ出したのは3割にも満たない。
(http://www.jcco.or.jp/business/publications.html)
これだけで警戒心を抱く人も多いだろう。
が、本当に恐ろしく知名度が低いだけで、昭和62年から存続する組織なので安心して連絡して欲しい。
(私自身、偶然ここを知るまでは遺書の用意をしていた程に追い詰められていた。
こちらで貯金計画も兼ねた「ライフプラン表」というものを頂けるのだが、この時涙腺が緩んでしまった。
「子供」「マイホーム」「老後」。そういう言葉にいちいち涙腺がくすぐられた。
「不思議な感じです、明日のことしか考えられなかったのに」とごまかして笑ってると、
カウンセラーさんも笑って「これからの人生のこと、一緒に考えていきましょうね」と答えてくれた。
泣いた。わんわんと泣いた。
彼女とSMプレイしていたら飛び火して学校で虐められた話 http://anond.hatelabo.jp/20151123005042
なにこれ。なんなの? SMってこんな、男ともいえないようなしょーもないクズのことを指すの?
かなりの悪印象。今後SM嗜好だって人に出くわしたとき、心の中で「ぅゎ、きっしょ……どんなに高尚ぶってみせてても結局はアノ増田と同じ下劣なメンタリティの持ち主なんだ…関わらんとこ。くゎばらくゎばら…」って思うであろうくらいには悪印象。
私は元増田みたいなやつ、絶対に男とは認めない。軽蔑するわ。心の底から。
私がこの記事を投稿する時点でトラバはゼロ(私が最初のトラバってことになる)。もし、元増田みたいなのがSMの典型例でないのだとしたら、その界隈の人たちから「こんなのSMじゃねえ! 風評被害だ!!」的なトラバがついてもおかしくないと思うのだけど。ブクマが10ついてて(現時点)、おそらく数百以上のアクセス(推定)はあったと思うのだけど。でも、そんな声が全然出てないってことは……
正直虐め被害者と付き合っている事が恥ずかしくなった自分はクラス替えと同時に彼女と関わらなくなった。
あの事が原因で人間不信になり未婚なのだとしたらとても楽しい気分になる。
こんな下劣なメンタリティがSMの真髄なわけ? 身上なわけ? これがSMたるもののエッセンス、醍醐味なわけ? だとしたら、SMなんてするやつ、人格疑うわ。
いまさらながら思い出のマーニーの録画を消化したので不満点を書く
すんげーいい話過ぎて気分が悪くなる。
逆に言えば普段みてるアニメは殺伐としていて、ラッキーエッチなる受動セクハラにみちみちている、毒みたいなものだということなのかもしれない。
でもなんかしっくりこないのは、宮崎の爺さんが得意とするファンタジー風味の中に、高畑のオッサンの身上とする社会性のある話題を映像作品に必ずつっこむジャーナリズム魂、んでもって鈴木Pの売れるの作らないと寝せないよ~の三者からの圧力みたいなのが混ざって、いろいろ濁っちゃってる印象があるからなのかもしれない。
人の好い男は、結婚した当初は妻の婚前不貞には気づかなかった。また子供が産まれてもまさか托卵されているとは気づかず、緩やかに狂っていった妻が不倫相手の奥さんの殺害計画を立てていることまで知らなかった。
実はその花は妻が裏社会で手に入れた猛毒の…危険薬物の…、みたいな感じ。
で手違いで最初に被害に遇うのが不倫相手の、あのかわいい娘なのよ。
壮絶な死に方を目の当たりにして、妻はまた別の方向に壊れる。
で、このどーしよーもねえ妻を更正させるまでの男の物語。医療関係者が一番良いんですが毒草知識があると話が成り立たないので、介護職あたりがトレンドだし、良いのではないでしょうか。
あっ、妹話に関係ねえや。許してw