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2024-01-27

思い出深い風俗嬢について

特に面白いエピソードや味わい深い話もないんだけど、ほかに書く場所もないので、ここに記録しておく。いずれも東京およびその近郊と思っていただければ。

コスプレデリヘルのロングヘアの子

風俗に2度目くらいに行ったとき指名した女の子。見た目は地味な感じだが、長い黒髪が特徴的だった。

アニメコスプレ豊富デリヘルだったのだが、この子自身オタク的な知識もすごくて、色々な子が働いているんだなあと興味深く感じた。

プレイについても、ローターのコントローラーニーソックスに挟むみたいな視覚的にエロいサービスが上手くて、その後も退店するまで何度か指名した。

お店のカラーカラーだけに、拘りの強いお客さんも多かったようで、「女装して、バトル百合ストーリーを演じたがるお客さん」など面白いエピソードを聞けた。

コスプレデリヘル(前記とは別の店)の子

プレイ中、「この職業に向いていない」と泣きだして、そんなことは後にも先にもこの子だけだったので妙に印象に残っている。

時間いっぱいフォローすることになった。

巨乳デリヘルの子

巨乳の子が多数在籍しているデリヘルでも、ひときわ大きい子。

とにかく圧巻の胸の大きさで、ウェストもまあ細くはないものの、胸と比較すればしっかり落差ができている。

胸を使ったプレイは、他では後にも先にも味わったことがない気持ちよさだった。

の子に関して、一つ、いまだに後悔していることがある。冗談のつもりで「胸が〇ナホみたいに気持ちいいね」と言ったら、かなり困惑した様子で「〇ナホです♡」と返してきて、他人の体を〇ナホと呼ぶなんてひどいことを言ってしまったなあと反省をした。

メイド箱ヘルの子

細身でセミロングの、かわいらしい子。

とはいえ容姿スタイルにとびぬけた所があるわけでもないし、プレイもしっかりやってくれるとはいえ特徴的なわけでもないんだけど、風俗では珍しいくらい真面目でしっかりした人柄が伝わってきて、居心地が良いので何度も指名させてもらった。

聞くと昼職も忙しい職業ながら真剣に取り組んでいるようで、こういう子もいるんだな、と改めて思った次第(まあ実際にどうなのかはわからないけども)。

大衆ソープの子

何がとは言わないけどとにかく締まりが強くて驚愕した。シンプルにそれだけ。

ソフトサービスの子

かなり安いソフトサービス店で指名したら、驚くほどの美人かつ、目を引く長身と足の長さで驚いた子。

の子の特徴はとにかくプレイ積極的で、かといって圧迫感やお仕事感があるわけでもなく異様にホスピタリティが高いこと。

これはさすがに風俗外で何か訓練したのでは?と思って昼職を聞いてみると、ちょっと驚くような職業がかえってきた。当然ながら真偽はわからないものの、ただ、そう聞いても納得がいく容姿と振る舞いだった。

その後ほどなくして、超高級店に移籍してしまい、高嶺の花となった。

2024-01-26

anond:20240126183251

9.「平和基本法から佐藤優現象〉へ

 〈佐藤優現象〉を支えている護憲派の中心は、雑誌としては『世界』であり、学者では山口二郎和田春樹である。この顔ぶれを見て、既視感を覚える人はいないだろうか。すなわち、「平和基本法である。これは、山口和田らが執筆し、共同提言として、『世界』一九九三年四月号に発表された。その後、二度の補足を経ている(56)。

 私は、〈佐藤優現象〉はこの「平和基本法からの流れの中で位置づけるべきだと考える。

 同提言は、①「創憲論」の立場、②自衛隊合憲化(57)、③日本経済的地位に見合った国際貢献必要性、④国連軍国連警察活動への日本軍の参加(58)、⑤「国際テロリスト武装難民」を「対処すべき脅威」として設定、⑥日米安保の「脱軍事化」、といった特徴を持つが、これが、民主党の「憲法提言」(二〇〇五年一〇月発表)における安全保障論と論理を同じくしていることは明白だろう。実際に、山口二郎は、二〇〇四年五月時点で、新聞記者の「いま改憲必要なのか」との問いに対して、「十年ほど前から護憲立場から改憲案を出すべきだと主張してきた。しかし、いまは小泉首相のもとで論理不在の憲法論議が横行している。具体的な憲法改正をやるべき時期ではないと思う」と答えている(59)。「創憲論」とは、やはり、改憲論だったのである

 同提言の二〇〇五年版では、「憲法九条の維持」が唱えられているが、これは、政権が「小泉首相のもと」にあるからだ、と解釈した方がいいだろう。「平和基本法」は、戦争をできる国、「普通の国」づくりのための改憲である。同提言軍縮を謳っているが、一九九三年版では、軍縮は「周辺諸国軍縮過程と連動させつつ」行われるとされているのだから北朝鮮中国軍事的脅威が強調される状況では、実現する見込みはないだろう(60)。また、「かつて侵略したアジアとの本当の和解」、二〇〇五年版では、周辺諸国への謝罪過去清算への誠実な取組みの必要性が強調されているが、リベラル過去清算は終わったと認識しているのであるから、これも実効性があるとは思えない。要するに、同提言には、論理内在的にみて、軍事大国化への本質的な歯止めがないのである

 佐藤が語る、愛国心必要性(61)、国家による市民監視(62)、諜報機関の設置等は、「普通の国」にとっては不可欠なものである佐藤饒舌から私たちは、「平和基本法」の論理がどこまで行き着くかを学ぶことができる。

 馬場は、小泉純一郎首相(当時)の靖国参拝について、「今後PKOなどの国際的軍事平和維持活動において殉死殉職した日本人の慰霊をどう処理し追悼するか、といった冷戦後平和に対する構想を踏まえた追悼のビジョンもそこからは得られない」と述べている(63)。逆に言えば、馬場は、今後生じる戦死者の「慰霊追悼施設必要だ、と言っているわけである。「普通の国」においては、靖国神社でないならば、そうした施設はもちろん、不可欠だろう。私は、〈佐藤優現象〉を通じて、このままではジャーナリズム内の護憲派は、国民投票を待たずして解体してしまう、と前に述べた。だが、むしろ、すでに解体は終わっているのであって、「〈佐藤優現象〉を通じて、残骸すら消えてしまう」と言うべきだったのかもしれない。

 ここで、テロ特措法延長問題に触れておこう(64)。国連本部政務官川端清隆は、小沢一郎民主党代表の、テロ特措法延長反対の発言について、「対米協調」一辺倒の日本外交批判しつつ、「もし本当に対テロ戦争への参加を拒絶した場合日本には国連活動への支援も含めて、不参加を補うだけの実績がない」、「ドイツ独自イラク政策を採ることができたのは、アフガニスタンをはじめ、世界の各地で展開している国連PKOや多国籍軍に参加して、国際社会を納得させるだけの十分な実績を積んでいたかである。翻って日本場合多国籍軍は言うに及ばず、PKO参加もきわめて貧弱で、とても米国国際社会理解を得られるものとはいえない」と述べている(65)。

 元国連職員吉田康彦は「国連憲章の履行という点ではハンディキャップなしの「普通の国」になるべきだと確信している。(中略)安保理決議による集団安全保障としての武力行使には無条件で参加できるよう憲法の条文を明確化するのが望ましい」と述べている(66)。川端吉田の主張をまとめれば、「対米協調一辺倒を避けるため、国連PKOや多国籍軍軍事活動積極的に参加して「国際貢献」を行わなければならない。そのためには改憲しなければならない」ということになろう。民主党路線と言ってもよい。今の護憲派ジャーナリズムに、この論理反論できる可能性はない。「8」で指摘したように、対北朝鮮武力行使容認してしまえば、改憲した方が整合性があるのと同じである

 なお、佐藤は、『世界』二〇〇七年五月号に掲載された論文山川均の平和憲法擁護戦略」において、「現実国際政治の中で、山川ソ連侵略性を警戒するのであるから、統整的理念としては非武装中立を唱えるが、現実には西側の一員の日本を前提として、外交戦略を組み立てるのである。」「山川には統整的理念という、人間努力によっては到底達成できない夢と、同時にいまこの場所にある社会生活改善していくという面が並存している」と述べている。私は発刊当初この論文を一読して、「また佐藤柄谷行人への点数稼ぎをやっている」として読み捨ててしまっていたが、この「9」で指摘した文脈で読むと意味合いが変わってくる。佐藤は、「平和憲法擁護」という建前と、本音が分裂している護憲派ジャーナリズムに対して、「君はそのままでいいんだよ」と優しく囁いてくれているのだ。護憲派ジャーナリズムにとって、これほど〈癒し〉を与えてくれる恋人もいるまい(67)。

10.おわりに

 これまでの〈佐藤優現象〉の検討から、このままでは護憲派ジャーナリズムは、自民党主導の改憲案には一〇〇%対抗できないこと、民主党主導の改憲案には一二〇%対抗できないことが分かった。また、いずれの改憲案になるにしても、成立した「普通の国」においては、「7」で指摘したように、人種差別規制すらないまま「国益」を中心として「社会問題」が再編されることも分かった。佐藤沖縄でのシンポジウムで、「北朝鮮アルカイダの脅威」と戦いながら、理想を達成しようとする「現実平和主義」を聴衆に勧めている(68)が、いずれの改憲案が実現するとしても、佐藤が想定する形の、侵略植民地支配反省も不十分な、「国益」を軸とした〈侵略ができる国〉が生まれることは間違いあるまい。「自分国家主義者じゃないから、「国益」論なんかにとりこまれるはずがない」などとは言えない。先進国の「国民」として、高い生活水準や「安全」を享受することを当然とする感覚、それこそが「国益」論を支えている。その感覚は、そうした生存の状況を安定的保障する国家先進国主導の戦争積極的に参加し、南北格差固定化を推進する国家―を必要とするからだ。その感覚は、経済的水準が劣る国の人々への人種主義、「先進国」としての自国を美化する歴史修正主義の温床である

 大雑把にまとめると、〈佐藤優現象〉とは、九〇年代以降、保守派大国路線に対抗して、日本経済的地位に見合った政治大国化を志向する人々の主導の下、謝罪補償必要とした路線が、東アジア諸国民衆の抗議を契機として一頓挫したことや、新自由主義の進行による社会統合破綻といった状況に規定された、リベラル左派危機意識から生じている。九〇年代東アジア諸国民衆から謝罪補償を求める声に対して、他国の「利益のためではなく、日本私たちが、進んで過ちを正しみずから正義回復する、即ち日本利益のために」(69)(傍点ママ歴史清算を行おうとする姿勢は、リベラル内にも確かにあり、そしてその「日本利益」とは、政治大国を前提とした「国益」ではなく、侵略戦争植民地支配可能にした社会のあり方を克服した上でつくられる、今とは別の「日本」を想定したものであったろう。私たちが目撃している〈佐藤優現象〉は、改憲後の国家体制に適合的な形で生き残ろうと浮き足立リベラル左派が、「人民戦線」の名の下、微かに残っているそうした道を志向する痕跡消失もしくは変質させて清算する過程、いわば蛹の段階である改憲後、蛹は蛾となる。

 ただし、私は〈佐藤優現象〉を、リベラル左派意図的計画したものと捉えているわけではない。むしろ無自覚的、野合的に成立したものだと考えている。藤田省三は、翼賛体制を「集団転向寄り合い」とし、戦略戦術的な全体統合ではなく、諸勢力からあいもつあいがそのまま大政翼賛会に発展したからこそ、デマゴギーそれ自体ではなく、近衛文麿のようなあらゆる政治立場から期待されている人物統合象徴となったとし、「主体が不在であるところでは、時の状況に丁度ふさわしい人物実態のまま象徴として働く」、「翼賛会成立史は、この象徴人物の未分性という日本政治特質をそれこそ象徴的に示している」と述べている(70)が、〈佐藤優現象〉という名の集団転向現象においては、近衛のかわりに佐藤が「象徴」としての機能果たしている。この「象徴」の下で、惰性や商売で「護憲」を唱えているメディア、そのメディア追従して原稿を書かせてもらおうとするジャーナリスト発言力を確保しようとする学者、無様な醜態晒す本質的には落ち目思想家やその取り巻き、「何かいいことはないか」として寄ってくる政治家や精神科医ら無内容な連中、運動に行き詰った市民運動家、マイノリティ集団などが、お互いに頷きあいながら、「たがいにからあいもつれあって」、集団転向は進行している。

 ところで、佐藤は、「仮に日本国家国民が正しくない道を歩んでいると筆者に見えるような事態が生じることがあっても、筆者は自分ひとりだけが「正しい」道を歩むという選択はしたくない。日本国家同胞日本人とともに同じ「正しくない」道を歩む中で、自分が「正しい」と考える事柄の実現を図りたい」と述べている(71)。佐藤は、リベラル左派に対して、戦争に反対の立場であっても、戦争が起こってしまたからには、自国国防、「国益」を前提にして行動せよと要求しているのだ。佐藤賞賛するような人間は、いざ開戦となれば、反戦運動を行う人間異端者扱いするのが目に見えている。

 この佐藤発言は、安倍晋三首相の目指していた「美しい国」づくりのための見解とも一致する。私見によれば、安倍の『美しい国へ』(新潮新書、二〇〇六年七月)全二三二頁の本のキモは、イランでのアメリカ大使館人質事件(一九七九年)をめぐる以下の一節である。「(注・反カーター陣営の)演説会で、意外に思ったことがある。人質事件に触れると、どの候補者もかならず、「私は大統領とともにある」(I am behind the President.)というのだ。ほかのことではカーターをこきおろす候補者が、そこだけは口をそろえる。/もちろん、人質にされている大使館員たちの家族配慮するという意図からだろうが、アメリカ一丸となって事件対処しているのだ、という明確なメッセージを内外に発しようとするのである国益からむと、圧倒的な求心力がはたらくアメリカ。これこそがアメリカの強さなのだ。」(八七~八八頁)

 文中の、「人質事件」を拉致問題に、「大統領」を安倍に、「アメリカ」を日本に置き換えてみよ。含意は明白であろう。安倍は辞任したとはいえ総連弾圧をめぐる日本言論状況や、〈佐藤優現象〉は、安倍の狙いが実現したこと物語っている。安倍政権は倒れる前、日朝国交正常化に向けて動きかけた(正確には米朝協議の進展で動かされたと言うべきだが)が、こうなるのは少なくとも今年春からは明らかだったにもかかわらず、リベラル左派の大多数は、「日朝国交正常化」を公然と言い出せなかった。安倍政権北朝鮮外交に敗北したのは明らかである。だが、日本リベラル左派安倍政権ときに敗北したのである

 〈佐藤優現象〉は、改憲後に成立する「普通の国」としての〈侵略ができる国〉に対して、リベラル左派の大部分が違和感を持っていないことの表れである侵略植民地支配過去清算在日朝鮮人人権擁護も、そこには含まれる)の不十分なままに成立する「普通の国」は、普通の「普通の国」よりはるかに抑圧的・差別的侵略的にならざるを得ない。〈佐藤優現象〉のもとで、対北朝鮮武力行使の言説や、在日朝鮮人弾圧の言説を容認することは、戦争国家体制に対する抵抗感を無くすことに帰結する。改憲に反対する立場の者がたたかうべきポイントは、改憲護憲(反改憲)かではない。対北朝鮮武力行使容認するか、「対テロ戦争」という枠組み(72)を容認するかどうかである容認してしまえば、護憲(反改憲)派に勝ち目はない。過去清算も不十分なまま、札束ではたいて第三世界諸国の票を米国のためにとりまとめ、国連民主的改革にも一貫して反対してきた日本が、改憲し、常任理事国化・軍事大国化して、(国連主導ではあれ)米軍中心の武力行使を容易にすることは、東アジア世界平和にとって大きな災厄である(73)。

改憲戦争国家体制拒否したい人間は、明確に、対北朝鮮武力行使の是非、対テロ戦争の是非という争点を設定して絶対的に反対し、〈佐藤優現象〉及び同質の現象を煽るメディア知識人等を徹底的に批判すべきである

(1)岩波書店労働組合「壁新聞」二八一九号(二〇〇七年四月)。

(2)ブログ「猫を償うに猫をもってせよ」二〇〇七年五月一六日付。

(3)ただし、編集者佐藤右翼であることを百も承知の上で使っていることを付言しておく。〈騙されている〉わけではない。

(4)「佐藤優という罠」(『AERA』二〇〇七年四月二三日号)中のコメントより。

(5)インターネットサイトフジサンケイ ビジネスアイ」でほぼ週一回連載中の〈 Permalink | 記事への反応(0) | 18:37

金光翔 『<佐藤優現象批判

インパクション』第160号(2007年11月刊)掲載

目次

1.はじめに

2.佐藤優右派メディアでの主張

 (1)歴史認識について

 (2)対北朝鮮外交について

 (3)朝鮮総連への政治弾圧について

3.佐藤優による主張の使い分け

4.佐藤優へ傾倒する護憲派ジャーナリズム

5.なぜ護憲派ジャーナリズム佐藤を重用するのか?

 (1)ナショナリズム

 (2)ポピュリズム

 (3) 格差社会

 (4)「硬直した左右の二項対立図式を打破」―〈左〉の忌避

6.「人民戦線」という罠

 (1)「ファシズム政権樹立」に抗するために、人民戦線的な観点から佐藤擁護する

 (2)「論壇」での生き残りを図るために、佐藤擁護する

7.「国民戦線」としての「人民戦線

8.改憲問題と〈佐藤優現象

9.「平和基本法から佐藤優現象〉へ

10.おわりに

1.はじめに

 このところ、佐藤優という人物が「論壇」を席巻しており、リベラル左派系の雑誌から右派メディアにまで登場している。

 だが、「論壇の寵児」たる佐藤は、右派メディア排外主義のものの主張を撒き散らしている。奇妙なのはリベラル左派メディアが、こうした佐藤の振舞いを不問に付し、佐藤を重用し続けていることにある。

 佐藤による、右派メディアでの排外主義の主張の展開が、リベラル左派によって黙認されることによって成り立つ佐藤の「論壇」の席巻ぶりを、以下、便宜上、〈佐藤優現象〉と呼ぶ。この現象意味を考える手がかりとして、まずは、佐藤による「論壇」の席巻を手放しに礼賛する立場記述検討からはじめよう。例えば、『世界』の編集者として佐藤を「論壇」に引き入れ、佐藤の著書『獄中記』(岩波書店、二〇〇六年一二月)を企画編集した馬場公彦(岩波書店)は、次のように述べる。

 「今や論壇を席巻する勢いの佐藤さんは、アシスタントをおかず月産五百枚という。左右両翼の雑誌寄稿しながら、雑誌の傾向や読者層に応じて主題文体を書き分け、しかも立論は一貫していてぶれていない。」「彼の言動共鳴する特定編集者と密接な関係を構築し、硬直した左右の二項対立図式を打破し、各誌ごとに異なったアプローチ共通の解につなげていく。」「現状が佐藤さんの見立て通りに進み、他社の編集者意見交換するなかで、佐藤さんへの信頼感が育まれる。こうして出版社カラーや論壇の左右を超えて小さなリスク共同体が生まれ編集業を通しての現状打破への心意気が育まれる。その種火はジャーナリズムにひろがり、新聞社会面を中心に、従来型の検察官邸主導ではない記者独自調査報道が始まる。」「この四者(注・権力民衆メディア学術)を巻き込んだ佐藤劇場が論壇に新風を吹き込み、化学反応を起こしつつ対抗的世論公共圏形成していく。」

 馬場見解の中で興味深いのは、〈佐藤優現象〉の下で、「硬直した左右の二項対立図式」が打破され、「論壇」が「化学反応」を起こすとしている点であるある意味で、私もこの認識を共有する。だが、「化学反応」の結果への評価は、馬場と全く異なる。私は、これを、「対抗的世論公共圏」とやらが形成されるプロセスではなく、改憲後の国家体制に適合的な形に(すなわち、改憲後も生き長らえるように)、リベラル左派が再編成されていくプロセスであると考える。比喩的に言えば、「戦後民主主義体制下の護憲派が、イスラエルリベラルのようなものに変質していくプロセスと言い替えてもよい。

 以下の叙述でも指摘するが、佐藤は対朝鮮民主主義人民共和国(以下、北朝鮮武力行使在日朝鮮人団体への弾圧必要性を精力的に主張している。安倍政権下の拉致外交キャンペーンや、一連の朝鮮総連弾圧に対して、リベラル左派から批判や抗議の声はほとんど聞かれなかったのは、「化学反応」の典型的ものである。「戦後民主主義」が、侵略植民地支配過去とまともに向き合わず在日朝鮮人に対してもせいぜい「恩恵」を施す対象しか見てこなかったことの問題性が、極めて露骨に出てきていると言える。〈嫌韓流〉に対して、リベラル左派からの反撃が非常に弱いことも、こうした流れの中で考えるべきであろう。

 私は、佐藤優個人は取るにたらない「思想家」だと思うが、佐藤右派メディアで主張する排外主義を、リベラル左派容認・黙認することで成り立つ〈佐藤優現象〉は、現在ジャーナリズム内の護憲派問題点を端的に示す、極めて重要な、徴候的な現象だと考える。

 馬場は、佐藤が「左右両翼の雑誌寄稿しながら、雑誌の傾向や読者層に応じて主題文体を書き分け、しかも立論は一貫していてぶれていない」などと言うが、後に見るように、佐藤は、「右」の雑誌では本音を明け透けに語り、「左」の雑誌では強調点をずらすなどして掲載されるよう小細工しているに過ぎない。いかにも官僚らしい芸当である佐藤自身は自ら国家主義であることを誇っており、小谷野敦言葉を借りれば、「あれ(注・佐藤)で右翼でないなら、日本右翼なんか一人もいない」。

 佐藤が読者層に応じて使い分けをしているだけであることは誰にでも分かることであるし、事実ウェブ上でもブログ等でよく指摘されている。そして、小谷野の、この現象が「日本知識人層の底の浅さが浮き彫りになった」ものという嘲笑も正しい。だが、改憲派の小谷野と違い、改憲を阻止したいと考える者としては、この現象について、佐藤優に熱を上げている護憲派を単に馬鹿にするだけではなく、〈佐藤優現象〉をめぐって、誰にでも浮かぶであろう疑問にまともに答える必要がある。なぜ、『世界』『金曜日』等の護憲派ジャーナリズムや、斎藤貴男魚住昭のような一般的には「左」とされるジャーナリストが、佐藤に入れ込んでいるのか? なぜ、排外主義を煽る当の佐藤が、『世界』『金曜日』や岩波書店朝日新聞出版物では、排外主義ナショナリズムの台頭を防がなければならない、などと主張することが許されているのか?

 この〈佐藤優現象〉はなぜ起こっているのか? この現象はどのようなことを意味しているのか? どういう帰結をもたらすのか? 問われるべき問題は何か? こうした問いに答えることが、改憲を阻止したいと考える立場の者にとって、緊急の課題であると思われる。

2.佐藤優右派メディアでの主張

 まず、佐藤排外主義的主張のうち、私の目に触れた主なものを挙げ、佐藤排外主義者としての活躍振りを確認しておこう。

(1)歴史認識について

 佐藤は言う。「「北朝鮮が条件を飲まないならば、歴史をよく思いだすことだ。帝国主義化した日本ロシアによる朝鮮半島への影響力を巡る対立日清戦争日露戦争引き起こした。もし、日本ロシアが本気になって、悪い目つきで北朝鮮にらむようになったら、どういう結果になるかわかっているんだろうな」という内容のメッセージ金正日に送るのだ」。朝鮮植民地化に対する一片の反省もない帝国主義者そのもの発言である。また、アメリカ議会における慰安婦決議の件に関しても、「事実誤認に基づく反日キャンペーンについて、日本政府がき然たる姿勢反論することは当然のことだ。」と述べている。

 特に大川周明テクスト佐藤解説から成る日米開戦真実大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く』(小学館、二〇〇六年四月)では、極めて露骨に、日本近現代史に関する自己歴史認識開陳する。以下、引用する。佐藤が自説として展開している部分である

 「日本人は(注・太平洋戦争)開戦時、少なくとも主観的には、中国アメリカイギリスによる植民地支配から解放したいと考えていた。しかし、後発資本主義である日本には、帝国主義時代の条件下で、欧米列強植民地になるか、植民地を獲得し、帝国主義国となって生き残るかの選択肢しかなかった。」(三頁)、「「大東亜共栄圏」は一種棲み分け理論である日本人はアジア諸民族との共存共栄真摯に追求した。強いて言えば、現在EUを先取りするような構想だった。」(四頁)、「あの戦争を避けるためにアメリカ日本妥協を繰り返せば、結局、日本アメリカ保護国、準植民地となる運命を免れなかったというのが実態ではないかと筆者は考える。」(六頁)、「日本武力によって、列強による中国の分裂が阻止されたというのは、日本人の眼からすれば確かに真実である。(中略)中国人の反植民活動家の眼には、日本列強とともに中国を分割する帝国主義国の一つと映ったのである。このボタンの掛け違いにイギリスアメリカはつけ込んだ。日本こそが中国植民地化と奴隷支配を目論む悪の帝国であるとの宣伝工作を行い、それが一部の中国政治家と知的エリートの心を捉えたのである。」(二八一頁)。また、蒋介石政権については、「米英の手先となった傀儡政権」(二五七頁)としている。他方、佐藤は、汪兆銘南京国民政府は「決して対日協力の傀儡政権ではなかった」(二四九頁)とする。

 右翼たる佐藤面目躍如たる文章である。ちなみに、こんな大東亜戦争肯定論の焼き直しの本を斎藤貴男は絶賛し、「大川こそあの時代知の巨人・であったとする形容にも、大川の主張そのものにも、違和感を抱くことができなかった」としている。

(2)対北朝鮮外交について

 佐藤は、「拉致問題解決」を日朝交渉大前提とし、イスラエルによるレバノン侵略戦争も「拉致問題解決」として支持している。「イスラエル領内で勤務しているイスラエル人が拉致されたことは、人権侵害であるとともにイスラエル国権侵害でもある。人権国権侵害された事案については、軍事行使も辞せずに対処するというイスラエル政府方針を筆者は基本的に正しいと考える」。さらに、現在北朝鮮ミュンヘン会談時のナチス・ドイツに準えた上で、「新帝国主義時代においても日本国家日本人が生き残っていける状況を作ることだ。帝国主義選択肢には戦争問題解決することも含まれる」としている。当然佐藤にとっては、北朝鮮の「拉致問題解決」においても、戦争視野に入っているということだ。『金曜日』での連載においても、オブラートに包んだ形ではあるが、「北朝鮮に対するカードとして、最後には戦争もありうべしということは明らかにしておいた方がいい」と述べている(10)。

 さらに、アメリカが主張してきた北朝鮮米ドル札偽造問題が、アメリカ自作自演だった可能性が高いという欧米メディア報道に対して、佐藤は「アメリカ政府として、『フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング』の記事に正面から反論することはできない。なぜなら、証拠を突きつける形で反論するとアメリカ情報源情報収集能力が明らかになり、北朝鮮を利してしまうからだ」(11)と、いかなる反証根拠も示さずに(反証必要性を封じた上で)、「北朝鮮情報操作」と主張しているが、この主張は、保守派原田武夫にすら否定されている(12)。佐藤現在右派メディアの中でも最も「右」に位置する論客の一人であると言えよう。

(3)朝鮮総連への政治弾圧について

 佐藤は、「在日団体への法適用拉致問題動く」として、「日本政府朝鮮総連経済活動に対し「現行法の厳格な適用」で圧力を加えたことに北朝鮮逆ギレして悲鳴をあげたのだ。「敵の嫌がることを進んでやる」のはインテリジェンス工作の定石だ。/政府が「現行法の厳格な適用」により北朝鮮ビジネス利益を得ている勢力牽制することが拉致問題解決のための環境を整える」と述べている(13)。同趣旨の主張は、別のところでも述べている(14)。「国益」の論理の下、在日朝鮮人の「人権」は考慮すらされてない。

 漆間巌警察庁長官(当時)は、今年の一月一八日の会見で、「北朝鮮が困る事件摘発拉致問題解決に近づける。そのような捜査に全力を挙げる」「北朝鮮日本交渉する気にさせるのが警察庁仕事。そのためには北朝鮮資金源について事件化し、実態を明らかにするのが有効だ」と発言しているが、佐藤発言はこの論理と全く同じであり、昨年末から激化を強めている総連系の機関民族学校などへの強制捜索に理論根拠提供したように思われる。佐藤自身も、「法の適正執行なんていうのはね、この概念ができるうえで私が貢献したという説があるんです。『別冊正論』や『SAPIO』あたりで、国策捜査はそういうことのために使うんだと書きましたからね。」と、その可能性を認めている(15)。

3.佐藤優による主張の使い分け

 排外主義者としての佐藤の主張は、挙げ出せばきりがない。前節で挙げたのも一例に過ぎない。では、佐藤は、こうした主張を『世界』『金曜日』でも行っているのだろうか。

 佐藤が仮に、「左」派の雑誌では「右」ととられる主張を、「右」派の雑誌では「左」ととられる主張をすることで、「硬直した左右の二項対立図式を打破」しているならば、私も佐藤をひとかどの人物と認めよう。だが、実際に行われていることは、「左」派メディアでは読者層の価値観に直接抵触しそうな部分をぼかした形で語り、「右」派メディアでは本音を語るという下らない処世術にすぎない。「左右の二項対立図式」の「打破」は、「左」の自壊によって成り立っているのだ。佐藤が『金曜日』と右派メディアで同一のテーマを扱った文章を読み比べれば、簡単にそのことはわかる。

 一例として、米国下院での「慰安婦」決議に関する佐藤の主張を読み比べてみよう。産経新聞グループサイト上での連載である地球を斬る〉では、「慰安婦問題をめぐるアメリカ報道を「滅茶苦茶」と非難し、「慰安婦問題に関する二〇〇七年三月一日の安倍発言についても「狭義の強制性はなかった」という認識なのだから正当だとして、あたかも「慰安婦」決議案自体不正確な事実に基づいたものであるかのような印象を与えようとしている(16)。ところが、『金曜日』では、こうした自分の主張は述べず、国権論者としての原則的立場から日本政府謝罪には反対だとしている(17)。なお、『金曜日』の同文章では「歴史認識を巡る外交問題 Permalink | 記事への反応(1) | 18:32

2024-01-25

anond:20240125163633

山上社会の悪(カルト)に対する怨恨を晴らすというありきたりでみんなが好むストーリーをやってのけたからだ。

そして、対象外を巻き込んでいないという点もやっぱり大衆の支持を集める理由になっているだろう。

ほとんどの犯罪者社会の悪に対する犯罪行為などしない、しても対象外も巻き込む。

anond:20240125112913

3億本売れてるマイクラと、2?3000万本しか売れてないポケモンでどっちが大衆向けって話をするんですか?

anond:20240125112549

ボクセルなんて結構好みが分かれるビジュアルやろ。

ボクセルポケモンのビジュ比べてどっちが大衆向けかも分からんのか?

松本個人Youtube謝罪すべきだった

昨今の炎上対策企業などで一般的に言われていることは

の2点に集約されている

大衆は「こいつは叩いても良い」と分かれば正義の拳で遠慮無く叩き続ける

なので謝罪はせず、発言もせず、ただただ沈静化するのを待つ、というのが正しい炎上対策だと言われている

そのため松本案件でも当初は吉本興業対応は正しいように思えたが、松本レギュラー番組が多くテレビに出続けてしまっていた

これが定期的に週刊誌報道を想起させる原因になってしまって沈静化しなかった

週刊誌の追加報道は内容だけ見れば大した燃料になるものではなく

それよりも松本が出演し続けることでスポンサー企業防衛のために提供社名の非表示対応などを取らざるを得なく

そうした状況の変化が燃料の大半になってしまった

こうした結果からすれば、Youtube松本自分言葉発言すべきだった

できればそこで(何も悪いところがなくとも)「お騒がせして大変申し訳ありません」というような謝罪必要だっただろう

また、本当に性行為強要したのなら問題外として、実際には性行為のものが無かったとしても

「性行為はありましたが合意の上でした」

コメントをしてしまえば良かった

まさか相手から「いや、なかったよ」とは言わないだろう

加えて妻側から相手側に慰謝料請求をさせれば良かったのだ

仮に発言を翻して「嘘でした無かったです」と言われた場合は文春に対して名誉毀損すれば良いのである

レギュラー番組が多く週刊誌報道から逃げられない芸能人はこのような卑劣な手を使ってでも防衛せざるを得ない

一方で週刊誌誤報道に対してもっと罰せられるべきである

昔の週刊誌報道あくま週刊誌を読む人だけが対象であって、一般人電車中吊り広告で見る程度だった

今やTwitter(X)などのSNSを始めとして週刊誌を読まない人でも記事に触れることができている

そのため日常的に人々はゴシップ記事に触れているので、飛ばし記事のような内容は昔より遙かに影響力が大きい

週刊誌報道による誤報道は、地震の時にデマを流してインプレを稼ぐような行為と同様か、もしくはそれ以上に罰せられなければならない

現状でもインプレ稼ぎのために平気で嘘をばら撒いているように

なんのペナルティもないのなら嘘をついた方が圧倒的に有利で皆それをするだろうが、それが正しい社会だとは思わない

2024-01-24

名古屋あるある(便乗)

マジレスしようかと思ったけど野暮やしワイも書くことにしたやで。

「純金」女はウザい

純金であることにやたらプライド持っててしかも何故か妙に気の強い女が多い。故に純金女はウザい。

純金に比べれば一本杉の方が人柄的にはおっとりしている割合が高い。

なお、言うまでもないが人柄的にマシな確率は金メッキと杉花粉の人の方が遥かに高い。

金時計」を待ち合わせ場所指定する奴はデート慣れしていないダサ男論争

定期的に発生していた。

しか名古屋駅周辺で最も分かり易くかつ雨風をしのげる待ち合わせ場所って現実的に他に無くないか

なおスマホの普及によりそもそも「目立つ待ち合わせ場所」の需要自体が低下した結果、初対面の男女(マッチングアプリ婚活パパ活)の待ち合わせ場所に使われることが増えたという情報がある。

そういう目で見ると、いかにもな感じの女がけっこういる。

柳橋周辺の運河沿いを22時以降に歩くと

外国籍の「立ちんぼ」の人からめっちゃ声をかけられる。なおニューハーフの方がそれなりの頻度で混ざっているとの体験情報あり。

ホテル代別で10k~15kくらいが相場らしい。

ワイは流石にそこに手を出す気にはならんやで。

名古屋走り」は実際には意外と普通

こういうこと書くとめっちゃ煽ってくる他県民がいそうだけど名古屋走りは意外と普通

普通というのは「だいたいどの地域でもこの程度のマナーの悪い車は普通にいるよね」という意味普通

ワイは本州四国は一応それなりに多くの地域を走ったことがあるが、「どの地方もそれなりに独自ルール的なものがあって危ない」というのが体感で、名古屋走りは極端に危ないわけではなかった。

なお個人的に走ってて怖かったワースト3は岡山香川徳島

まあ名古屋場合では車の台数が多いせいで一部のアレな奴の絶対数割合的に多くなってしまう、というのはある。

店舗ヘルス王国

ヘルスって全国的にはデリヘルばっかになって店舗型は超少ないらしいのだが名古屋店舗ヘルス王国めっちゃある。

自分の好みに合うコンセプトの店を発見できたら楽しいよ。

なお馴染みのソープ嬢名古屋ヘルス店舗勤務経験あり)に聞いたところ、ソープと比べてヘルスの客層・客質が異様に悪いらしい。

一昔前まで名古屋ヘルスは実質ソープと同じというか本番行為が横行していたせいで、今でも本番を求める客が多いとか。

ソープ大衆しかない

所謂「中級店」「高級店」が無くて価格帯的には格安店・大衆店とカテゴライズされる店しかない。

ちなみにそんな名古屋ソープの中では「ニュー令女」と「インペリアル福岡」が2大ブランド店舗とされている。

別に大衆店でも良い嬢は探せばいくらでもいるのでソープ最高です。

きありチャイエスが超増えた

2015年くらいまでは抜きありチャイエスはけっこう探さないと無かったのだが、今では基本抜きありになったし店舗数も増えた。

てゆーか本番ありの店がそれなりにある。日本人メンエスと比べてマッサージの質自体基本的に良いのでちょいちょい行っている。

メシは美味いが関西出汁文化とは違う

出汁文化に慣れてる人だと名古屋の味って大雑把と感じると思う。

ただそれは裏返せば「分かり易く美味い味」ということでもあり、それぞれの良さがあるよ。

あと広い意味での関東関西中間地なので、それぞれの地方発祥の店があったりして、探せばそういう味も楽しめるというのが密かな売り。

ちなみに味噌カツ味噌というのは「味噌ベースのタレ」であり、味噌のものぶっかけてるわけではない(←意外と他地方民で誤解してる人がいる)。

電車の奥に詰めない

そこまで激込みする路線区間が少ないせいで(?)名古屋民は電車の奥に詰める文化基本的に持っていない。

詰めなくてもなんだかんだ皆乗れるじゃんって雰囲気がある。これはガチ

個人的には改善すべきだと思う。ただドア前さえ突破してしまえば妙に快適だったりもする。

道がやたら広い

100m道路とかあるしね。中部地方田舎出身者が名古屋に来ると「片側5車線とか怖すぎて走れない」とか言いがち。

怖いなら右左折する予定地点のちょっと前まで真ん中車線走ってればいいだけである

ちなみに95%くらいのドライバーはウィンカー出して車線変更しようとするとちゃんと譲ってくれるが、5%くらいは譲ってくれなかったりする(これが名古屋走りと言われればそうかも)。

いきなり現れる「左折専用レーン」というトラップ

知らない道を走ってる時に、安全のために左側車線走ってよーって感じで走ってるといきなり、左折専用レーン化するというトラップ

この左折専用レーンって名古屋というか尾張にやたら多い気がする。他地方でこんなに左折専用レーンなんか見た事ねーぞ。

場所によっては反社事務所がその辺に普通にあるので知らないと怖い思いをすることも

うっかりそういう事務所の前でハザードつけて電話してたら明かにカタギの人じゃないお兄さんからコンコンされて「移動してもらえませんかねえ?」て声をかけられてマジビビった。

私立高へは公立校に行けない奴が行くという風潮

私立中学あんま無いのと公立中学が全体としてはそこまで荒れてない(地域学校による)ので私立中学に行く文化が無い。

その延長で私立校は基本的公立校の滑り止めという位置づけになっている。

ちなみに保育園事情大都市圏の中ではマシな方。

anond:20240123202208

2024-01-23

ローグウィズデッド遊んでいてふと艦これ思い出し

「俺はまた中身のないパチンコに脳を狂わされたチンパンジーになっていたのか」とアンインストール

大衆流行ゲームはどれもパチンコもどきなのだなと改めて痛感

RO→延々とクリックをカチカチするだけの虚無ゲー

ドリランド→延々とパチの演出を見るだけの虚無ゲー

神バハ→美しすぎる虚無ゲー

艦これ→編成をコピペして回し続けるだけの虚無ゲー

クッキークリッカー→延々とクッキーをカチカチする虚無ゲー

ブルアカパチンコ編成で当たりを祈る虚無ゲー

ヴァンサバ→穴に打ち込み続けるのに少し苦労する虚無ゲー

ウマ娘ガチャ×因子ガチャ×育成ガチャ×友情ガチャ×レース結果ガチャ×本番の魔物ガチャ無限ガチャゲー

ローグウィズデッド→広告を見ない権利を金で買っても残るのはハムスターの滑車だけな虚無ゲー

無意味すぎるぜ。

まるでロザリオを数えた回数を競うかのように延々と祈りを捧げ続け脳汁中毒になって私生活が粉々になる虚無ゲーの数々。

ネットで話題になるゲームなんて全部演出の凝ったパチンコばかりだ。

何もねえな。

周回の中にプレイヤー自身の成長が存在する音ゲーシャンシャンがまだだいぶマシな部類だ(実際にはレバーをいい感じに合わせ続けるのが上手くなる技能と大差ないのでパチンカスキルの一つに過ぎない)。

ネット流行ってるからゲームを始めるのはもう辞めだ。

俺の直感が「虚無反応あり!激アツ虚無リーチ!!虚 無 亡 失 人 生 腐 敗 絶 対 後 悔 不 戻 時 間 全 力 回 避 推 奨 地 雷 ! ! ! 虚虚虚虚虚虚虚虚!!!!」と反応した時は素直に逃げるべきなんだろうな。

anond:20240123165820

よく考えるとお笑いに観客も不要だよな。

芸人面白いことやって客がどっとウケる……そういうの昭和的じゃないか見世物感が強すぎる。

令和のお笑いは誰も反応しないの。客の反応につられて面白い気分になったりしない。場を暖めるとかない。

アスペには笑いどころの理解が難しくなるかもしれないが、それでいい。

笑うところは人それぞれ。理解もそれぞれ。

芸人はただ孤独に静寂の中、話し芸を披露する。

遠隔地にいる我々がそれをフラットに受け止める。

本来芸能っていうのは、第四の壁があるのが標準のはずなんだ。

でもお笑いは、観客によるリアクションの声や客いじりという形で常習的に壁をやぶっている。特に漫才

コント演劇に近いので壁を守ることが多いが、そういうのでいいんだよ。

高尚なテーマ性ゆえに壁を破ってくる演劇ならともかく、漫才で壁をやぶってこられるのは時として不快ですらあるだろう。

いいんだよ。世界が分かたれていて。分かたれているからこそ、下卑た大衆的な笑いというのもやりやすくなる。

違うだろうか。

anond:20240123123254

コンビニに勝てるスイーツは、

熱い部分と冷たい部分を組み合わせて、賞味期限わずか数分みたいなやつとか、

大衆向けではない、ちょっとクラシック製法で作ったやつだろう。

って、スイーツづくりが好きなカレー屋のおっちゃんが言ってたわ。

2024-01-22

八王子市民」ってトレンドに上がってて何かと思ったら市長選で負けたプロ市民の皆さんが発狂して八王子市民をdisりまくってて朝から大笑いしてる。時間のある人はちょっとだけ見てみるといいですよ。「左派はいかにして大衆から見捨てられたか博覧会」になってる。

開票当初発表の投票率で「低い」「何も考えてないのか」と罵倒され、

最終投票率が高めだったと分かるや「やるやん」「市民の行動」と持ち上げられ、

選挙結果が出るなり「統一教会」「壺」とまた罵倒される八王子市民のみなさんおつかれさまでした。。

2024-01-20

なんか松本週刊誌報道事実であって欲しいってやつ多くない

事実であって欲しいから、不都合な事実告発者側に有利に解釈して、証拠にならないような証言でも事実として叩く

なんでこんなことがおきるのかって言うと、松本が嫌いだからなんだろうけどさ

だったら、そう言えばいいじゃん

松本が嫌いだ気に入らない

それだけのことなのに、あたか社会正義かの如く振る舞うなよキモいから

お前らは単なるワイドショー好きな頭の悪い大衆だぞ

勘違いするなよ

2024-01-19

有川浩って一般受けする大衆作家ってだけではなく

少女漫画みたいなゲロストーリーを量産できる冷笑系ネトウヨという唯一無二の作家なんだよな

2024-01-18

Vtuberが苦手で困ること

苦手なもの自衛するのが当然だと思っているので、Vtuberやそのファンアカウントが流れてきた時には全部ブロックしてるし、ミューワードも設定してる

最初はそれで充分に防げていたけど、最近は無理になってきた


インターネット関係商品サービスコラボするのはわかるんだけど、全然違うところともコラボしていてげんなりしてしまう(大衆向けの服屋とか省庁とか)


あとちょっと話が逸れるけど、VtuberファンVtuberが苦手って人に当たりがきついことが多くて悲しい

嫌なら見るなって言われても自衛しきれないんだよ


何か良い自衛方法あったら教えて欲しい

なんで苦手なのかという理由は言わないけど、四六時中Vtuber配信を見ていてボイスを買ってた時期もあったので食わず嫌いではない

2024-01-17

文春やメディアの書き方を真に受けちゃう奴ら

例えばなんだけど

日本すげー」とか「在日はこんなに悪いやつだ」みたいな

一部を誇張したり、噂を煽ったり、表現ショッキングにしたメディア鵜呑みにして騒いじゃう人たちって居るでしょ?

純粋と言えば純粋なんだけど

これが今ネットでは「ネトウヨ」とか揶揄されてる層

他国だとネオナチとか、ネオ◯◯って言うの多いけど、日本では若い=未熟=ネットと捉えられた経緯があると思う)

 

これと同様に

政府批判をする記事とか、ネトウヨ揶揄する記事

これを鵜呑みにした純粋な奴らっていうのも居る

まり明確な名前はついていないし、若者の中では規模は小さいんだけど

これがはてなブックマークかに結構いる、5chにも結構いる

 

これらと同様に

週刊誌とか、ゴシップ新聞の大げさな書き方や、ショッキング記事を真に受けてしま純粋人達がいる

それも名前はついてないけど

はてなブックマークにもたくさんいる

コメント見るだけでうわぁってなる

特にコメントしてる層よりスターを付けてる層がやばい

 

こういうのって毎度毎度うわぁこいつらちょろいなってなるんだけど

世間一般を見ればむしろそういう人たちの方がメジャーなんだよね

いにしえのネットユーザーのように、騙されてなるものかを神経尖らせて情報見ないし

 

そしてこういうやつらがいるから変なメディア週刊誌はいつまでも生き続けるし、「そのような振る舞いが正解」となってしま

鶏が先か卵が先かみたいな話だけど、「情弱大衆(カモ)が居るからこそ変なメディアが生まれる」んだと思う

 

まあどうしようもないことだけど

地震 雷 火事 情弱 だな

2024-01-16

anond:20240116110533

成功を収めた芸術家は、大衆によって影響を受ける。一般的にそうした者は、新たに何らの貢献もしない。なぜなら、大衆はすでに知り、認めているものをのみ称賛するからだ。 アンドレジッド

少子化普通大衆冷遇した社会自業自得

普通大衆文化階層などから切り捨てて変わり者のための居場所にして

変わり者や貧民や富裕層しか子を産ませない社会になった結果

普通大衆結婚恋愛子育て出産もしなくなった

少子化はまさに日本社会自業自得だよ

40歳鬱状態になって

今まで自分を突き動かしていた欲望が無くなってしまい、自分が生きていなければならない理由が見いだせなくなったので、また人生について深く考えなければならなくなってしまった。

ほとんどの大衆自由など望んでいない、なぜなら自由とは全てを自分で決めなくてはいけない状態であり、それは苦しいことだから、というのが今は理解できる。あまり自由選択肢ありすぎて、唯一の正解も存在しないので何も決められない。

かといって不自由も望んでいない。

自分がやりたいことをやればいいというけど、やりたいことがない。

他の人みたいにうまく生きられないし普通人生を生きられるほどの能力もない。

2024-01-15

anond:20240115131760

Tiktokでバズっていっとき流行るか、楽曲自体が(メロディ歌詞世界観)人気が出て大衆曲になるか、みたいな差異

anond:20240114174455

コスパ論が一般的になると年収1000万がかなり難しくなる

よりぼったくって大衆を騙して稼がないとお金って得られないのにコスパのいい暮らしをみんなが目指すなら全員貧困の中暮らしいかないとダメになる

2024-01-14

吉本精神性について

自分達の生まれ環境にかこつけて、社会ルールにのっとらない、自分達のルールを通す

というのがストリート精神アッパー系の人たちのロールである

もし彼らが社会にとって有効な働きをするなら、その物知らずさ故に、大衆からまれ権威こき下ろす

という態度が望ましいと言える

しかし実際には彼らは権威主義そのもので、一番ダサい自民党維新に絡んでしまった

その上一般人をいじったり手を出したり、望まれ役割と真反対のことをしてしまたから嫌われたんだろうと思う。

成り上がった人々も、良い出会いに恵まれればより良い価値観役割を得られるだろうが、大体の場合エゴ暴走により悪い方向に進んでしま

シェイクスピア的な悲劇だと言える

2024-01-12

地方田舎文化多様性を軽視する画一論者に聞きたいんだが

こういった人たちは世界少数民族にも合理性の元に独自文化を捨てて大衆に合流しろと言うのだろうか

土地を捨てろというのはその土地歴史も捨てろということに他ならないんだが、よく軽々と言えたもの

こういうやつらは経済合理性があればバーミヤン大仏の爆破も称賛するのだろう

歴史文化尊重する自分からしたら軽々に移住しろというやつは多様な文化生態をないがしろにし画一を推進する許せない存在

こいつらの同じ口からマイノリティ多様性尊重する言葉が発せられたら一笑に付してやろうか、単なる流行に乗ってるバカは頭を使って言葉を発したほうがいい

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