彼女は高校の後輩だった。とはいえ母校はマンモス校だったから、俺と彼女の接点などなかった。俺は理数科とは名ばかりのアホクラス、彼女は特別進学科。俺が彼女のことを知ったのは、弁論大会の全校放送だった。みんなが世界平和とか戦争がどうこうとか、そんなテーマで話してる中、彼女は人生観?みたいな話をしていた。こう書くとすごくやる気のある人っぽいが、抑揚もなくてつまんなそうに話してるだけ。でも、断トツに内容がうまかった。彼女は1年生で、それも結構な衝撃だった。特進のやつらって1年からめっちゃ頭いいんだなー、って友達と話したくらい。教師たちは2,3年生のうち、世界平和とかのありきたりなテーマを書いた生徒を選ぼうとしたんだろうけど、当然のように彼女が代表になった。
理数科と特進科の接点なんてなかったから、彼女と話をする機会はなかった。でも、俺は彼女のつまんなそうな話し方と内容のギャップがずっと忘れられなくて、卒業式の時にアドレスを聞いた。彼女はちょっとびっくりした顔をして、でも教えてくれた。勇気がなかったせいで、彼女と連絡をとれたのは誕生日の日と、正月くらいだった。彼女が3年生のときの冬、受験頑張れってメールを送った時、ちょっと話が盛り上がって社交辞令っぽくはあるが受験が終わったらご飯に行こうと誘うことができた。その春彼女は滑り止めだという大学に進学して、本当に食事に行くことになった。俺がなんとか潜り込んだ大学とは比べ物にならない学校で落ち込んだりもしたが…。彼女にはそのうち彼氏ができていた。大学デビューとは言わないまでも、校則が厳しいせいでいつも結んでいた髪をほどいて、ちょっと化粧するだけでかなり綺麗になってたから、当然のことだった。俺は相変わらずたまにメールを送るくらいで、何もできていなかったし。
転機があったのは、俺が社会人になってからだ。彼女は就活のあれこれで、彼氏と別れたみたいだった。俺はもうこれ以上チャンスはないだろうと踏んで、彼女を食事に誘いまくった。電話をかけて、まれに彼女から連絡があればすぐに飛んで行った。タイミングが良かったのだろう、彼女の就職が決まった頃、彼女と付き合うことができた。付き合ってから、驚いたことがある。
それが、彼女が何事においても努力を嫌う人だったということだ。
彼女は文章を書くのがうまい。高校の時も俺が知っている1年の間だけでも弁論大会以外に作文や詩とかで賞をとっていた(学校のプリントに彼女の名前が載ってると、必ず大事にとっておいていた。気持ち悪いけど…)。聞いたら、大学の時は学生向けの小説でも賞をとったことがあるそうだ。だから、俺は初めて彼女を知った時のことを思うに、やる気がなさそうに見えたのは話すのが好きじゃなかっただけで、文章を書くのは好きなんだと思っていた。小説なんか、相当好きじゃないと書かないと思ってたから。でも、それは全くの勘違いだった。彼女は就職すると、ぱたっと物を書くのをやめてしまった。俺は彼女の文章が読みたかったし、それに彼女が書かなくなってしまうのはすごくもったいないように思えて、もう詩とか小説とかは書かないの?と聞いた。彼女は「書く意味がない」と言った。彼女の話を総合すると、文章を書いていたのはそれが課題だったり、進学やらの評価に直結するものだったりしたからで、自分で書きたい物はないということだった。すごく上手なのに、というと、私より上手い人がいるから私が書く意味はない、といった。子供みたいな屁理屈だけど、俺はプロの小説家でも彼女より下手な人はたくさんいるじゃないかといった。すると、彼女は「もし私より下手なプロがいるとしても、その人は私より書くのが好きだから」というのだ。
文章だけではない。彼女は就職した会社で大きな仕事を任されると、いつもゲンナリしていた。仕事について会社で褒められても、決して喜ばないのだ。俺は彼女が喜ばないことについて、高校の時は特進科にいたくらいだから、完璧主義なんだろうと思っていた。しかし、彼女は「褒められても困る」という。褒められても、要求されるレベルが上がるだけで旨味がないから、期待されたくないらしい。実際に、彼女は仕事を頑張らないようにしているそうだ。確かに俺も仕事の量をセーブしたり、適当に残業を延ばしたりすることはある。でも、彼女の場合最初から全ての力を出さないようにしているように見える。
彼女は俺に、「何も頑張りたくないし頑張れないから、頑張らないことを頑張っている」というようなことを話してくれたことがある。俺にはわからない感覚だ。俺からしたら、それこそ彼女は頑張りさえすればなんでもできるように見える。小説家にだってなれるのではないか、仕事だって出世できるはずなのに、どうしてなんだろう。俺は何もできないからどうにか大学に行かなくちゃと頑張ったし、置いていかれないように勉強して就職した。仕事もたいした出世が期待できないなりに必死にやっているつもりだ。
結局、俺は才能があるはずなのに何もしないで生きようとする彼女が妬ましいのかもしれない。それに、彼女のことを好きになったきっかけの文章を失うのが寂しいんだろう。彼女を劇的に変える魔法の言葉なんてないのに、どうにかして彼女に何か頑張ってほしいと思ってしまう。他人を変えることなんてできないのに。無理だって分かっているけど、彼女の本気の文章を読んでみたい。
ちんちん